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2025年12月

2025年12月28日 (日)

冬は体調が悪い・3匹 / 鎌ヶ谷の病院

12月28日(日)

やっと今朝は咳が出なかった。気力も少し戻りつつある。

1月に早稲田大学の授業でゲストスピーカーとしてお話させていただくことになり、いろいろ本を読もうとしていたが頭が冴えない。

絵についてもいろいろ考えることがあるが、おいおい記述していこうと思う。

毎年のことだけれど冬は体調を崩してしまう。

気温が13℃を下回るともう具合が悪い。

筋肉が無いことが原因だと思うが私は異常な冷え症だ。

外に出る時はおなかと背中に使い捨てカイロを貼り、貼らないタイプのカイロをポケットに入れて行く。

私には貼らないタイプのカイロが重要と気づいた。

手が常に氷のように冷えてかじかみ、耳の後ろが冷えると頭が痛くなるのでカイロを耳にあてる。

眼が冷えると浮腫が酷くなり眼の奥が鬱血して痛いので、カイロを眼にも押し付けると少し楽になる。

最近は厚い毛糸の帽子を被っているが、それでも耳が冷える。

18日に足利市立美術館コレクション展に行く2日くらい前くらいに咽喉が痛くなり、行ったら熱を出すかも、と思ったが決行。

その日は晴れて風もなく気温14℃くらいだったので、なんとか無事に終えることができた。

20日のデッサン教室もなんとか終えた。この日は帰りが10時近くなってしまい疲労。

そのあと北風が強い日があり、その時に咽喉が悪化。

声帯を(甲状腺癌摘出の時に)片方切除しているのと咽喉が痛みやすいのは関係あると思う。

とにかく熱を出したくないので寝てばかりいた。

22日には今年最後の卓球の日。咳き込むようだったら行けないと思ったが、行ったらなんとか咳は出ず、最後までやれた。

身体を動かして汗を流したら気持ち的にはストレス解消になるが、頭重感やふしぶしの痛みで力が出ない。

23日にWさんにマッサージしてもらう。先週と今週は久しぶりにすごく頭が凝り固まっていると言われる。

そして声が酷くしわがれていると。

この23日の夜で夕方以降に外に出るのは最後にしたが、24日、25日が最悪だった。

加湿器を持っていないので部屋の中に洗濯物をかけ、さらにスプレーで水をシューシューしているのだが、

朝6時くらいになると乾燥するのか咳き込んで目が覚める。

部屋をシューシューして、アセトアミノフェンとトラネキサム酸を飲んでまた眠る。

倦怠感でいくらでも眠れるのだが、辛いのはちゅびおが股にはいってくること。

布団の胸元をガッガッと掘られ、爪が痛いのでしかたなく布団をめくってトンネルを作ってあげると「アニャン!アニャン!」と甲高い歓喜の声を上げてもぐりこんでくる。

股に入られて前足てロックオンされると、寝返りがうてなくて大殿筋が痛くてたまらない。

足を閉じると膝の上に乗ったまま眠ってしまう。これも重い。

私が横を向くと怒る。

チョッピ―がいたずら心なのか布団の上からちゅびおをえい、えい、と踏む。

ちゅびおは「シャー!カー!」と烈火のごとく怒る。暴れると引っかかれるから「やめなさい」とチョッピーを押さえてもまたやる。

ちゅびおは一番からだが大きくて、ものすごく臆病で、怒りんぼ(威嚇)で、わがままで甘えん坊。

どのくらいわがままかというと、カリカリをあげても食べずに廊下の低いテーブルの上で抗議しており、私が横を通る時にいきなりおしりを噛んでくる。

カリカリの上におやつをかけないと食べたくないということ。

チョッピ―はいっさいおやつをねだらない。普通にカリカリを素直に食べる。

プフはかわいく声を上げておやつをおねだりする。暴力に訴えるのはちゅびおだけ。

ちゅびおはお風呂を点けると蓋の上で温まりながら私が入ってくるのを待っている。

私が湯舟に入ると、3枚ある蓋の1枚の上に乗ったまま、くねくね。額を私の頭になすりつけたり、蛇口になすりつけたりしてゴロゴロ。

チョッピ―は一度もシャーと言ったことがない温和な子。好奇心が強く遊び好き。

ちゅびおによくちょっかいを出して追いかけている。ちゅびおは殺されるかのような必死な抵抗、恐ろしい叫び声と逃亡。チョッピーは平然。

ちゅびおが私にべったりな時はチョッピーは離れていて、ちゅびおが離れたら私の膝に来る。

プフはいつもはエアコンのすぐ下にいるのだが、私が寝るとすぐに降りて来て、やはりまずは布団の上から私の胸の上に乗っかる。

しばらく乗っかりながら踏み踏みしてゴロゴロ言っているので、頭や顎やおなかを撫ぜてやる。

それから私の枕の左側にくっついて眠る。

華奢で可憐な女の子のプフの顔が私の眼の前10cmのところにある。

やっぱり華奢で可憐な女の子だったちゃびとまったく同じように、私の枕の左側に顔をうずめている。

12月5日(金)

鎌ヶ谷の病院へ。

浅井先生はまだ病院をおやめにならないみたい。

浅井先生が指導する耳鼻咽喉科の新人医師は、まだ入ってくるかはっきりしないもよう。

私の甲状腺癌の進行状況が珍しいのかの確認をお聞きした。

最初に原発(甲状腺)が発見された時にすでに肺に粟粒上転移(遠隔転移なのでステージ4)だった人の場合、緩やかな増殖が続き、

15年くらいで急に増殖のスピードが速まり、その時は肺全体に爆発的に増殖するので成すすべがない、と言われていた。

しかし私の場合、肺の粟粒上転移の増殖スピードが速まった時に全体が同時ではなく、右肺の一部が4cmくらいの塊になった。

それでがんセンターでは例がない(甲状腺癌の肺転移からの)右肺中葉摘出手術となった。

そのあと分子標的薬レットヴィモが認可され、レット遺伝子適合であったために、レットヴィモを服用して延命できている。

レットヴィモに耐性がついたら、もう一度(私は甲状腺摘出後すぐにやって失敗した)シンチグラムをやるとY本先生は言っておられたが、とりあえずレットヴィモが効いている限りはほかの治療のことは考えないでいいと言われた。

昔、がんセンターに浅井先生がおられた時に、小学生の甲状腺癌の患者さんが、ほかの病院から「手のつけようがない」と言われて回されてきて、その患者さんは甲状腺摘出のあとにシンチをやって、よく効いたそうだ。

甲状腺癌は進行が遅く、気づくのが遅れるので、「その患者さんは生まれてすぐに甲状腺癌になっていたということですか」と聞くと、そういう例もある、と。

そんなに早くに甲状腺癌になる場合を想像していなかったのでショックだった。

その患者さんは、ずいぶん前に「大学生になりました」とハガキをくれたという。

ここで初めて聞いたのだが、シンチは1~2cmは放射性物質を出すので、肺の癌の粟粒状転移の周りの1~2cmは全部被曝するので肺が固くなると。

なんとなく癌細胞だけに効くようなイメージを持っていたので、怖くなった。

浅井先生は患者と関わるのが好きだそうだ。「医者でも好きでない人もいますよ。私は好きだけど」

「手術も好きですか?」とお聞きすると

「手術も好きです。でもやられる側は怖いと思います。私も人に手術されるのは怖い。自分で自分の手術をできるならいいけど」

 

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2025年12月 5日 (金)

ギャラリー十二社ハイデでのデッサン教室・「絵」の話

ギャラリー十二社ハイデのデッサン教室

12月は、6日(土)17時~と20日(土)17時~ 各2時間となります。

参加ご希望のかたはギャラリー十二社ハイデのHPの問い合わせからメールください。

11月29日(土)

ギャラリー十二社ハイデでのデッサン教室。

新宿西口中央公園の木々の色づき。後ろに都庁が見えます。
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かわいいかたちの十二社熊野神社前交番。ギャラリー十二社ハイデでは、ここから徒歩3分くらいのところです。

今日初めて参加のK君には自分の手を描いてもらった。
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K君は美大生なのでちゃんと描ける人なのだが、余計な塗りを入れないで、必要最小限のかたちのかわり目のタッチと

繊細な骨格、皮膚の立体感に添った皺だけで人の手の感じを出すように描いてもらいました。

微妙なニュアンス、生命的な皮膚感を大事にしたい。

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I君はケイトウ(鶏頭)。この花は柔らかくてギザギザもこもこした質感を2Bの鉛筆でガシガシ描いてもらった。

垂れ下がったフリルの曲線部分と光っているエッジ、暗い穴のような部分を強調して描きます。

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アケミさんには薔薇を描いてもらった。

この薔薇には花弁とも葉とも判別できない緑色の筋のあるものがついていた。

私はそういう畸形の花に巡り合えると幸運と思う。

私は花屋でそういう変形の花を選んで買う。

そういう奇妙で独特な部分を持っているのが、花の真実だから。

そういうところに面白さや美しさを感じるから。

アケミさんは「ええ!?そうなの?そういう畸形がない花を選んで描くのかと思ってた」と。

花のどういうところに「美しさ」や「それらしさ」を感じるかは非常に微妙なところだが、そこに画家の体質や神経が出るのではないだろうか。

アケミさんが別の絵画教室で、ビニールやプラスチックでできた果物や造花をモチーフに描いていたと聞いて愕然としたが、

工業製品の造花には畸形や個体の個性が無い。

一般になんとなくそれっぽく見える単純化した記号を造形化したものを描いて、それで満足できるのは、本物を見てもその程度の絵しか描けないからなのだろう。

「現代アート」の行為として、あえて造花を描く、という意図ががはっきりしているのなら理解できるが、そうでなくてそんなモチーフを出されたら、私なら爆発してしまうだろう。

・・

終わってからK君と新宿駅方面へ歩き、絵の話をした。道沿いの樹々に年末恒例のネオンがキラキラしている。

それから西口のカフェで9時半まで話した。

K君もいろいろ悩んでいるみたいだ。

「自分が本当にやりたいことを追求していったとしても、他者に認められなければ、自分が本当にやりたいことはなんなのかもわからなくなってきてしまう」と言ったら

K君は「そのとおりです」と言った。

自分の悩みや苦しみを表現しても、それは「自己表現」にしかならず「表現」未満だ。

絵画は絵画として成り立たなければならない。

そして「芸術」である「絵画」には、必ず「問いかけ」が存在している。

美大時代、私は決して楽しい学生生活ではなかった。

入学してすぐに、とんでもないところに来てしまったと思った。

純粋に信じて絵に打ちこめた予備校(高3)時代が懐かしかった。

私の場合は絵の世界の構造のようなものが見えてしまったから。

そんな業界に自分が入ってやっていけるはずもないと思ったし、今でも18歳の時のその直観は正しかったと思っている。

美大なんかに入ったら悩むのは当たり前だろう。

自分が絵になんの(どういう)価値があるのか、絵なんか描いていていいのか、

そもそも「絵を描く」ということがどういうことなのか、

それを考えないで、ただ楽しく描いている人の絵は、たぶん絵未満なのだと思う。

恩師、毛利武彦は、絵になっていないものを「見るべきところがない」と言った。

若林奮先生は「絵になっているか、なっていないか。あなたのは絵になっています」と言った。

今の私には、ほぼ明晰にそれが見えていると思う。

若い頃からよく「絵が好きなら○○も好きでしょう」とか「絵が好きなら○○を見に行くといいよ」などと人に言われて戸惑った経験があるが、

本当に絵が好きならば、絵未満のものに全く興味がないし、むしろストレスになるのだ。

真っ赤なポリの造花を「素敵でしょう?」と言われているのを同じく、絵のまがいものを見ることはストレスになる。

アートフェアに行った時、作者の名前を見ないで、作品に強く惹かれたものだけ、その近くに行って名前を確認すると、すべてもう亡くなっている画家だった。

その作家の世に知られている画風でないものもあったが、燦然と、絵として存在してた。

具象、抽象、コラージュに関わらず歴然としていた。

そして私がすごい画家だと認める人たちは、全員、その人独特の詩的言語もすごいということ。

私の感覚では、その人の言葉を読んだ(聞いた)時点で、どの程度の絵を描く人なのか知れてしまう。

言葉がばからしいと感じた人の絵は、やはり絵未満でしかない。

「絵」を描くということは全身の運動であり、総合芸術だということ。

すごい絵を描ける人はすごい詩的文章を書けるし、詩的映像や写真も撮れるし、すべてに対して慧眼でありラジカルである、と私は思っている。

すごい絵には哲学的な「問いかけ」がある。

たぶん私が志向しているのはとうにこの世に存在しない「芸術家」というもので、私は結局そういう人にしか興味を惹かれないのだ。

 

 

 

 

 

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