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2026年2月

2026年2月27日 (金)

毛利やすみさんとのお別れ

2月16日(月)

13日に恩師・毛利武彦先生の娘さんからメールをいただき、その前の日に毛利先生の奥様、やすみさんが亡くなられたと知った。

葬儀は家族のみで行うとのことで、本日、自由に対面ができるという安置室に伺った。

大変な時に、私などにまですぐにご連絡をいただき、恐縮だ。

ご家族が常にいるわけではないと書かれていたのでお会いできないと思っていたが、安置室に伺うと息子さんと娘さんがいらした。

やすみさんは棺ではなくて台の上に眠ってらっしゃる感じで、顔もつやつやされていた。

絵の関係のかたが何人も代わる代わる来られていた。

泣いてしまったが、やすみさんがお宅で猫と一緒にいる写真が飾られていて慰められた。

毛利家に動物がいる写真を見るのは初めてだ。

(庭の木に鳩の巣があったのに、いつのまにか無くなってしまって悲しい、というお葉書を毛利先生からいただいたことはあった。)

猫は毛利先生が亡くなったあとで拾ったという。息子さんも娘さんも猫好きなようでほっとした。

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やすみさんは、亡くなるまでずっと息子さんがお世話されて、ご自宅で過ごされたという。

息子さんとちゃんと話すのはほとんど初めてで、

「毛利武彦先生は私にとって絵の師と呼べる唯一の先生です」と泣きながら言ったら、ちょっと驚いたような反応をされた。

「大学でも皆に敬愛されて畏れられていました。俗なものが嫌いで、言葉は少なくて、つまらないもにははっきり「見るべきところがない」と言われて、厳しい先生だったと思います。

私の個展の時に、お二人で来てくださってたんですけど、先生が入って来られると私は緊張で全身が震えてしまって・・・」

と言うと「僕は父から一度も叱られたことがないんですよ」と。

「え?」

「ほめられたこともない。父は絵のことに夢中で・・・」

家では学校でのことを話したことがない、と伺った。

息子さんの進む道にも「そんなに好きならやれば・・」という感じだったという。

もし絵に進んだのだったら厳しい言葉もかけられたのだろうか。

「厳しい先生だったんだって」と息子さんが妹さんに言われて、妹さんも「そうなんだ~」と・・・

実際に私がその絵も、ものの見方も、人格も尊敬していた直接の恩師は毛利武彦先生ひとりだけ。

(若林奮先生、大野一雄先生、種村季弘先生、中川幸夫先生、沢渡朔さん、谷川俊太郎さん、皆、私に光を与えてくださったが、画家ではない。毛利武彦先生は私の美大の恩師であり、特別な存在。)

毛利先生は厳しくても、こちらの成長を願わないような厳しさはひとつもなかったから。

毛利先生の言葉には詩的直観が溢れていて、その深みに共振するからこそ私は毛利武彦先生を心から信頼することができた。

2002年頃だったと思うのだが、銀座の画廊で個展をしたときに、毛利先生がご夫妻で来てくださって、その時も私は緊張でからだがガチガチになったが

画廊の壁面の絵を見渡した毛利先生が「世界が煽動している」と言ってくださった。そして

「だいじょうぶだ。絶対に美術館にはいるよ」と、ふと言われた。

私は驚いて言葉につまったが、

それから20年後にその絵が公立美術館に入った。毛利先生に心の中で報告した。

やすみさんはいつも電車の中で私の冷たい手を両手で温めてくれた。

いつも明るくて、誰にも気配りして優しくおおらかなかただったと思う。

いつだったかやはり電車の中でやすみさんに「毛利がね、おまえは皆から羨ましがられる立場なんだから、態度に気をつけなさいって言うのよ」と言われたことがある。

すごい!さすが毛利先生、と思った。そしてやすみさんの無邪気な正直さにも感心したものだ。

お宅に伺った時に、やすみさんが150号にサザエを2つ描いた小下図を作ったことがあった、と毛利先生が言われて

「やめてくれって・・・」と笑っていたのを思い出す。

やすみさんは「うふふふ・・・大きく描くのが好きなの」と楽しそうに笑っていた。

つい最近のことのように思い出す・・・私は毛利先生ご夫妻に素晴らしい時間をいただいていたと思う。

やすみさんとの最後のお別れを、このように小さな部屋で息子さんと娘さんとお話しできて過ごすのははありがたかった。

正直、もし葬儀をお知らせいただいて会食があったら、私には気づまりだったから。

その理由は、やはり20年少し前に銀座での私の個展に来て「こんなのは絵じゃない!絵の世界から出ていけ!」と真っ赤になって私を怒鳴りつけた人の顔を見たくないからだ。

その人は毛利先生ご夫妻の前では優秀な人だろうが、私のような者には脅しをかけるような人間。

しかも私の大学の先輩でもなく私が指導を仰ぐ立場でもなく、名前と絵は知っていたが話したこともなかった人で、私がどんな絵を描こうが、その人から恫喝される立場にない。

背に権力を持つ人間が持たない人間を潰そうとする、本当に卑劣だと思う。

私の個展でその人が帰ったあと、すぐに毛利先生のご親友だった詩人の阿部弘一先生が来られて、私がたった今怒鳴られた話をお伝えしたら

「一家をなしましたね」とほほ笑んで祝福してくれた。

私はその時に怒鳴られた一言一句を覚えている。

彼は私に「日本画の」絵の具の使い方が滅茶苦茶だ、と言った。だから「こんなものは絵じゃない」と。

「では、日本画の絵の具とはどういうものだと思われるんですか?」と私が尋ねた時、

彼は毛利先生が書かれていた絵の具についての覚書を、非常に雑に曲解して私にぶつけてきた。

彼はものを深く考えることができない。読解力もなければ論理的に話す能力もない。

あいにく、彼が滅茶苦茶だと言った私の絵の具の使い方は毛利先生にほめられたし、

毛利先生は私の絵に「フランスに見に行った人類最初の頃の洞窟壁画を思い出す」とも言ってくださった。

恫喝された時から3、4年経って、毛利先生が春季創画展でトークされる時に伺ったら、少し遠くから私を凄い目で睨みつけている人がいて、

私はその人の顔も覚えていなかったので、誰だっけ?なんで睨んでいるのだろう?と不思議で、少し経ってから、ああ、あの時の人だと気づいた。

そのくらい私はその人に興味がない。

彼は毛利先生のような詩的直観もないし、私は彼の絵を尊敬もしていない。

彼は私のような人間が毛利先生にかわいがられるのが許せなかったのだと思う。

なにを言われようとも、私にはほかの誰とも共有していない毛利先生との思い出、やすみさんとの思い出がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2026年2月15日 (日)

ちゅび LGLリンパ腫

2月15日(日)

私が輸液。給餌。今日もゴロゴロ。

2月14日(土)

11時半から夜10時までずっとちゅびとふたりっきりで隔離部屋にいた。

私の顔を見ると「にゃあ!」とおしゃべりしてゴロゴロ。
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カーテンを開けて光の中で温まってゴロゴロ。私の腕をおててでおさえるちゅび。
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抗がん剤をやっていた時より明らかに気持ちよさそう。

でもすぐにリンパ腫の吐き気が襲ってくるのだろうか。

自力でトイレに入っておしっこして、自力で椅子の上にのぼれていた。

夕方6時。椅子の上に横座りではなく縦に伏せの姿勢にして、私が真後ろから抱え込むようにして押さえつつ、左手で頭を上に向けて吐き気止めを飲ませる。

その姿勢でなんとかちゅーる2本給餌。

2月13日(金)

プフがここ6日くらいくしゃみをしているので病院に連れて行った。

快作先生は「ちゅびじゃないの?」と。

プフは、2年前の同じ日、2月13日に同じくしゃみで受診していた。

その時は風邪ではなくアレルギーの注射をした。今日も同じ注射で様子を見ることになった。

プフは食欲もあり、最近はカリカリだけでは嫌でおやつちゅーるを欲しがってわがままに鳴くようになっている。

2月12日(木)

大きな耐熱ガラスボウルに入れた水を電子レンジで熱くして、そこに500mlのリンゲル液をつけて温める。

10年ぶりに私が輸液。

リンゲル液が常温でも冷えているので、ボウルのお湯をけっこう熱くしないとぬるくなってしまい、ボウルのお湯をもう一度レンチンしてやりなおし。

その間に吐き気止めの錠剤(メトクロプラミドを4分の1にハサミで切ったもの)を飲ませる。

輸液セットを組み立てるのも、(雑菌がついたら終わりなので)絶対に針に指を触れないように緊張。

ものすごい緊張でなかなか針を刺せない。

ちゅびがガリガリにやせているので皮膚が縦にしぼんでしまって、つまんでもふくらまないので、貫通してしまいそうで刺すのが怖い。

背中の丸みの一番高いところの皮膚に針を刺した時、そこをブルブルッと震わせて痛がったので、私は汗だくに。

昔は滴が落ちるのをじっと見つめてがんばっていたが、皮下なので滴でなくスーッと流して大丈夫だそうなので500ml一気に入れる。

そのあと栄養ちゅーる2本とこうカロリーちゅーる1本給餌。

終わってから首の両脇の筋肉とこめかみの筋肉ががちがちになったまま、頭痛が酷かった。

ちゅびはそのあとゴロゴロ気持ちよさそうに寝ていた。

2月11日(水)

午前中、快作先生は、「S山先生と相談したけど、ちゅびにはどうしたらいいかわからない」と。

L‐アスパラキナーゼに関しては、ネットでは猫に効いた例があげられているが、先生の経験ではほとんと効かなかったそうだ。

「私が吐き気止めを飲ませてきました」と申告して給餌してもらう。

いつも吐き気止め注射してすぐには吐き気はおさまらず30分くらいかかるので、吐き気止め注射の後すぐ給餌はかわいそうだから。

とりあえず抗がん剤はやめて、明日から自分で輸液すると申し出て6回分のセットを購入した。

快作先生の説明だと「肩甲骨の間ではなく、一番背骨の丸みの出っ張っているところに打つ。

三角形のテント型に皮膚を引っ張るのではなく、皮膚をつまんで、そこに(針穴を上に向けて)針の先端だけ刺し、

クランメを緩めて液を入れて皮膚が膨らんできたら、針の近くでなく管に近い位置を持ってすっと奥まで入れる」と。

「youtubeで見たのと違う」と言ったら「youtubeは間違っている」と。

管のほうを持って刺すのは、「そうしたほうが皮膚2枚を貫通しにくいから」と。それはけっこう難しそう。

10年前、ちゃびの時は「肩甲骨の間の皮膚を三角形のテント状に引っ張って、テントの下のほうに直角に刺す」と教わった気がする。

が、

「それだと前足ばかりに液が入って足がむくんでしまう。おなかに液を入れるためにはもっと下。肩甲骨の間のほうが痛みは感じないんだけどね」と言われ、

そう言えばちゃびの時は、もろに前足がむくんでいたと思う。

2月10日(火)

ミヤリ酸を溶かしたぬるま湯をシリンジに入れ、それで吐き気止めを飲ませてから30分で給餌。

給餌自体は嫌がるのでたいへんだが、その前と後はゴロゴロ。

次の本の副題と帯文とあとがきについて考えるように言われたが、頭が朦朧としてまったく思いつかない。

2月9日(月)晴れ

雪が固く残り、つーんと冷えた空気の中、ちゅびを病院に連れて行くのがかわいそう。

今日はS山先生という初めての女性の先生の診察。そのせいか午前中、すいていたので話しやすかった。いつもは超混雑で、落ち着いて質問したり確認したりしづらいので。

強い抗がん剤でぐったりしているちゅびを見るとすごくかわいそうだから、もう抗がん剤をやめるか、弱い抗がん剤(L‐アスパラキナーゼ)だけにしようかと思います、と相談する。

S山先生はそれでもいいんじゃないか、と。

「私が11月中に連れて来ていたら・・・」と後悔で涙してしまったらS山先生は

「病気の質が悪すぎる。11月に血液検査しても出なかったと思う」と。

それでも先生ならリンパが腫れていたのに気づいたと思う・・。それを思うと私の精神が崩壊してしまいそう。

輸液はしてもらったが、吐き気があるようなので給餌してもらえなかった。

吐き気止めを打ってもらって、帰宅してから給餌。

選挙の結果で鬱気味。ちゅびのことの悲しみと自責で胸がふさがれっぱなし。

Xを見ていたら、高額医療の限度額を上げるという政府の恐ろしく残酷な企ての関連で、齊藤樺嵯斗(さいとうかざと)さんという、悪性リンパ腫で医大の5年生で亡くなられてしまったかたの記事にたどりついた。

そのかたは激しく辛い闘病をされた。もちろん私も同じだが、高額医療の限度額制度に助けられてこそ治療ができた、とご家族のかたたちも高額医療制度の改悪に反対しておられる。

どうして、闘病の苦しみでもう限界ぎりぎりのところからお金をとろうとするのだろう。

本来使ってはいけないようなところに多額の税金がが使われているというのに。

どうにもやりきれない気持ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2026年2月 7日 (土)

ちゅび、LGLリンパ腫 / 次の本の制作(カバー)

2月7日(土)雪

ちらつく雪の中、動物病院へ。キャリーの内側に何枚も使い捨てカイロを仕込み、バスタオルでちゅびをぐるぐる巻きにして。

今日は昨日とは違って、声が出ていた。

昨日はひどくぐったりしていたと伝えると、副作用を和らげる薬(アンサー。調べると白血球減少を抑える)を打ってくれた。先日も打ったという。

3.45kg。プフよりも軽くなってしまった。

おととい鼻水が出て昨日かたまりをぬるま湯でふやかしてとった、と言うと、鼻水を培養することになった。

今日はアンサー注射と鼻水培養と輸液と給餌で13000円超。

2月6日(金)16℃

今日は暖かい。でも今までで一番具合が悪そう。

私と眼は合うのだが、呼んでも頭が動かず、お返事の声が出ない。ぐったりしている。

それでもしっぽだけでお返事してくれる。

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水曜に打った抗がん剤の副作用だと思う。

あまりにおとなしく寝ているので、このまま死んでしまうのではないかと怖くなる。

吐き気止めを飲ませて、給餌。

口の周りのよごれをきれいに拭いたあと、鼻の穴の上に乾いて固まっていた鼻水をぬるま湯でふやかして少しずつ取り除いた。

今日も昨日に引き続き輸液がないのでシリンジで少し多めに水を飲ませた。

本当なら夜11時くらいにもう一度給餌したいのだが、自主的に食べられないのに無理に食べさせるのはかわいそうなのだろうか。

いろいろ迷って悩むことばかり。

ちゅびの前では泣いていないが、ひとりで雑踏を歩く時、緩んだ蛇口のように涙がこぼれる。

明日が雪予報なので動物病院の夕方の予約を変更しなければと思い、ネット予約を見たらかろうじて11時半が一つ空いていた。

・・・

午後のラジオで金子勝さんの話を聞いた。お金を使って人気があるように見せるやりかたがナチスの時と酷似していると。

もうひとりのコメンテイターの人(名前失念)も、前の参院選と違うのはSORA2があることだと。フェイク動画が簡単にできてしまう。恐ろしい時代。

究極の、最悪の、人間(強者)中心主義。

2月5日(木)12.8℃

昼のうちに期日前投票へ。

・・・ 

今日は口を少しペチャペチャさせて唾液を出すしぐさが見られる。

昨日の抗がん剤のせいで吐き気があるのかと思う。

お日様を浴びて。

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・・・・

次の本の副題、考えていたのがおかしいかもしれないのだが、修正する能力がない。

頭が回らなくて言葉が出てこない。

私はいつもぎりぎりになると、どこからかアイディアが落ちてくるのだが、今回は朦朧としている。

カヴァーのラフを描いたが、これでよいとは思えない。

写真集と画集が合体している本なのでどのように考えていいのかわからない。

今日は私も食欲がなくて、朝ミルクティを飲んだだけで、夕方までお茶さえ飲めなかった。

精神的な疲労だと思うが、頭、首、肩の痛みと肋間神経痛。

顔の浮腫が酷くて眼輪筋が痛い。

過緊張で血行が悪くなっているのだと思う。

2月4日(水)

採決して白血球を計ったら12000に上がっていた。

それで抗がん剤をすることになった。

採決の針が入る時、痛そうにするので辛い。麻痺しているのは足の付け根だけということ。

吐き気がある様子なので先生は給餌しなかった。

うんこをしぼってもらう。ほんの少量で固い。

検査、抗がん剤、輸液で16000円超。明日と明後日は通院させないで私が給餌することになった。

病院から自宅に戻って薬を飲ませて、タオルケットで抱いていた時に地鳴りのように私のからだに響く振動の感覚があった。

確かにゴロゴロ言っていた。つかの間の喜び。

そのタイミングで給餌。

2月3日(火)

脚の付け根が麻痺して、ぐにゃっと曲がったまま前足で移動していて、座っているときも脚が異様な方向に出ている。

脚が付け根から折れているように見えて胸が痛くてたまらないが、自分では痛くはないみたい。

トイレ(低くしてある)にも自分で入れるが、片脚だけ入れないのを入れてやる。

だらっと横すわりになったままおしっこする。

便意があるのか一生懸命砂を掻いていたが下半身が麻痺しているので出すことができない。

明日、先生に絞ってもらうしかない。

2月2日(月)

白血球の検査で4000に下がっていたので今日は抗がん剤は打てず。

輸液。給餌。

 

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2026年2月 3日 (火)

ちゅび 悪性リンパ腫 / 次の本の制作

2月1日(日)

ちゅびへの思いに塞がれて回転が鈍くなっている頭で、次の本のタイトルを必死に考える。

今まで編集してできているもの、沢渡朔さんの写真を1ページ目から順番に見て、谷川俊太郎さんの詩を読んで、私の絵を順番に見て、

全体のイメージから直接浮かんでくる言葉をいくつか書き留める。

・・・

午前中に動物病院へ。

今日で最後の抗生物質注射2種類(手術の傷のため)。

明日、月曜に血液検査で白血球が正常であれば2回目の抗がん剤を打つと言われた。

午後。窓辺の陽射しをいっぱい浴びたちゅびは、しっかり私の眼を見つめて、大きな声で私を呼んで、私が喉をなでるとはっきりゴロゴロ言ってくれた。

がりがりにやせてしまった(あっという間に2kg以上減)けれど、お日様を浴びすぎて暑くなると脚を引き摺りながら部屋の中を移動することもできる。

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ゴロゴロ言って、私の顔を見つめてにゃあ、にゃあ、と呼んでくれて・・・つかの間でも幸せな時間。
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(自撮り)

そしてなんと、私がトイレに立つと「シャー!」と怒った。

ちゅびの「シャー!」を聞いたのは久しぶり(涙)。

甘えん坊全開中に私が席を立つと「シャー!」と怒る、すごくわがままないつものちゅびに戻っていた。

本来のちゅびは、おやつをもらえなくて普通のカリカリだけの時も「シャー!」と怒って、カリカリの上におやつをかけてあげるとガツガツ食べていたのだけれど・・・今は自主的に食べてくれない。

リンパ腫のせいで吐き気があって食欲が戻らない。

それでも抗がん剤が少し効いているのかもしれないと思う。

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1月30日(金)

ちゅびの首にチューブを通す手術をするか、に「しない」選択をしたことを伝える。

もう一度全身麻酔をして身体に負担をかけるのがかわいそうだと思った。

それと首に穴を開けてチューブをしているちゅびを見るのが怖かった。

チューブを入れてまで延命することは、人のエゴではないか、と・・・

もちろん、食べられないでだんだん衰弱して死に至るちゅびを見るのはものすごく辛いし、怖いのだけど・・・

1月29日(木)

今日は病院の休日だが、輸液と抗生物質の注射2本と強制給餌をしてもらうためにちゅびを連れて行く。

通常の治療費に加え、休日診療費2600円がプラスになる。いくらかかろうと気にせず、快作先生のリスペクトとしてお金を捧げる気持ちでないとやっていけない。

1月28日(水)

抗がん剤をやっても自主的に食べてはくれない。

「効いてないのかな」と言われて大ショック。

もう一度全身麻酔をして、首にチューブを入れる手術をするか、と聞かれて倒れそうになる。

チューブをすれば自分で給餌も投薬もできるので通院しなくてもよいから、と言われる。

確かに真冬の寒さの中を病院に通うのはちゅびにとってすごくストレスだろう。

けれどもう一度全身麻酔をして、首に穴を開けてチューブを通すなんて・・・残酷すぎる気がして決心がつかない。

そもそもなぜ抗生物質の注射と強制給餌を受けに2週間毎日通わなければならないかと言えば、

ちゅびが暴れて抗生物質の錠剤を飲ませられないからで、こんなに痩せて両足が麻痺していても、4本の脚で蹴って暴れる元気はあるのだ。

抗がん剤で食欲が戻ることはなかったが、副作用で吐いたりぐったりしたりということもなかった。

1月26日(月)

「抗がん剤をするかしないか決めて」と言われ、「副作用で苦しませたくないから、一番副作用の弱い抗がん剤(Lアスパラキナーゼ)を・・」と言ったら

「抗がん剤をやるなら「CHOP療法」の一択しかない」と言われた。

 3種類の抗がん剤(シクロフォスファミド・ドキソルビシン・ビンクリスチン)とステロイド(プレドニゾロン)の併用。

Lアスパラギナーゼ単独ではあまり効かないと。

すごく効くのか、強く副作用で苦しむのか、あるいは効かないのか、やってみないとわからない、と。

その場でどうしたらよいのか頭が回らなくて苦しくて涙が出たが、CHOPを一度やってみることにした。 

「ごめんね!ちゅび・・」と思わず口に出してしまったら

「泣いたらダメ!治療すると決めたら笑顔でいないと、自分のせいで大好きな人を苦しめてると思われる」と先生に怒られた。

輸液、抗がん剤、抗生物質2種、強制給餌。

今日は18000円超。

 

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2026年2月 2日 (月)

早稲田大学 谷昌親先生最終講義

1月31日(土)

早稲田大学 谷昌親先生最終講義を聴講させていただいた。

少し前に教室に行くとすでに満席で、補助椅子を出していたがさらに人が溢れて、急遽、もっと大きい教室に変更となり、全員で移動。

〈メモ〉

「声、聞こえますか?僕はもともとそんなにはっきり声が出るほうじゃないんだけど、大した話じゃないのであんまり聞いてほしくないところは小さい声で話したりして・・・」というような谷先生らしい発言が最初にあった。

まずは谷先生が83~86年にパリに留学されていた頃のお話を当時の写真を見ながらお聞きする。

当時、宿泊していた建物や、町の小さな古本屋など。

まだホームビデオもない頃、パリの映画館では日本では見られないような映画かたくさん見られたそうだ。

谷先生は古いアメリカ映画をよく見ておられたとのこと。

・・・

タイトルは「視覚論によるモダニズム再考」。

人類が二足歩行を始めた時から、嗅覚刺激の後退と視覚刺激の優位がおこった、(フロイト「文化の中の居心地の悪さ」)

Ⅰ.近代の3つの視覚モデル
 1.デカルト的遠近法主義 単眼 動かず 瞬かず 位置が固定

 2.遠近法とは異なる視覚文化の可能性
  1 .「描写術」オランダ17世紀
 3.バロック
 4.進歩思想的モダニズムの超克
     〇進歩思想のモデルニテ  線的、累積時間的
     〇カタストロフィー派のユートピアとしてのモデルニテ 規制の歴史的枠組みを壊し、零れ落ちていたものを拾い上げる
     ベンヤミン

     〇描写による遠近法の破壊 マネ、モネ、ルノワール
     
     〇バロックによる遠近法の破壊

   ◇画家の身体の復活 画家の視点が移動している マネ
     純粋な精神としての主体に代わり、欲望する身体としての主体が登場

Ⅱ.写真と映画における視覚モデル

 1.中心化と脱中心化 
    思想・心理学における中心化と脱中心化
              いかなる中心にも特権を与えないような脱中心化(フーコー) 

 2.写真における視覚モデル
    コード化されないイコン的メッセージとしての写真
    様式のない絵画は存在しない

    ストレート写真
       アジェ
    シュルレアリスム
     ブレ、ソラリゼーション、ディストーション、多重露光、焦げたネガ、フォトモンタージュ
    ルポルタージュ写真
    ニューヨークスクール あらゆる瞬間に価値がある

 3.映画における視覚体制 
    中心化
    脱中心化 フォトジェニック 運河よければ生命を翻訳 ねらわない
           モンタージュ理論 バロック的な脱中心化
           パトス 通常の状態からの逸脱

 脱中心化によって身体性を取り戻した絵画や映像には触覚的な作用が生じるのではないか

このあとⅢ.文学における視覚モデル へと続きます。

講義終了後、谷先生の最初の授業の学生だったかたがたなどから花束が贈られた。

谷先生がたくさんの人に慕われているのを目の当たりにできて、部外者の私もこの場に同席させていただいたことに感謝した。

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きょうは感動した一日でした。

なぜ私が早稲田大学の文学関係のかたたちと交流させていただいているのか、最初は22年くらい前になる。

その時のことに感謝しつつ、思い出せなくなっている大切なこともたくさんあったような気がして、断片でも、なにか書き残せることがあるのではないかという思いにかられた。

 

 

 

    

 

 

 

  

 

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