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2026年4月

2026年4月 6日 (月)

急遽明日、手術になってしまいました

4月6日(月)

浮腫

5:45痛みで目が覚める(仮に痛み10を最悪として6)

まだアセリオを点滴できる時間でないので、Xのデモや国会中継の動画などを見て気を散らして耐える。

元気だったらデモに行くはずだったのに、今の私は10分も立っていられない状態。

6:15 アセリオ点滴 採血2本

朝食 ようやく5分粥。3分粥の2倍強は米粒の重量感がある。

ハンペンの煮物 白菜のあえもの 麩の味噌汁 牛乳

やっと量的に満足いく食事。

10時くらいにM先生の回診でおなかを診てもらっている時に

「すごくおなかが張ってきて、昨日お風呂で鏡を見ておなかがパンパンに張っているのにびっくりして。

入院したときは朦朧としていたので気づかなかったのかもしれませんけど」と言ったら

「いや、入院した時より張ってますよ。入院した時最初に私が診たんだから」と言われた。

M先生が急遽、造影剤CTのオーダーを入れた。

11時 痛み上がってくる 我慢

12:40 アセリオ点滴

昼食 厚揚げの煮物 大根と人参の煮物 キャベツの味噌汁  

15時痛み上がってくる 15:44 ジブロフェナク 37.5℃

16時 造影剤CT

その後、看護師さんに「また夕食から禁食になったの聞いていますか?」と言われて

え!?と悪い予感しかしない。

17時にO先生が病室に来られ、血液検査の結果と造影剤CTの結果、手術したほうがいい、

しかも明日、と言われ、びっくりして泣いてしまった。

18時に説明室で今までの経過と手術の説明。

タゾピぺが効いたかと思ったが白血球とCRPが横ばいで、今日の血液検査で少し上がっている。

私の菌は特定できていない、よくある菌ではないということ。

開腹膿腫ドレナージュ、CTガイドラインドレナージュ(CTで見ながら針を刺してとるが内臓を傷つけないルートを探すのが難しい)の説明。

開腹のほうがとりやすいということ。

手術しないでもっと強い抗菌薬2種類で様子を見ることもできるが、膿腫が房のように膜をつくっているので直接効きにくい。

開腹手術してからとりきれない膿をタゾピぺでやっつける。

余計な臓器を傷つけないように手術する。

とにかく術後の傷の痛みの恐怖で頭がいっぱい。

硬膜外麻酔をやるかどうかは麻酔科の先生が決めると。

右肺中葉摘出の時に味わった気が狂うような痛みではないだろうと予想して耐えるしかない。

明日は次の本の絵の再校ゲラが印刷所から上がってくる予定なのに、私は集中治療室で見るすべもない。

4月5日(日)

痛くて5時台に目覚める

浮腫が苦しい

6:30ジブロフェナク

朝食 3分粥(少量)、 具なし味噌汁、 ヨーグルト

11:50 アセリオ点滴

昼食 初めてのおかず 鱈のムース(少量)、3分粥(少量)、 豆腐の味噌汁、 ミニ水羊羹

久しぶりの味のついた魚のおかずがすごくおいしい

13:20 アセリオ効いてきて楽になる(痛み2)。

17:00 痛み増す(5~6)

18:10アセリオ点滴

夕食 鮭のムース(少量)、3分粥、どろどろのかぼちゃが少し入った味噌汁、杏仁豆腐

すごくおいしいのだけれど量が足りなくてひもじい。

今の私はこのムースなら3皿、3分粥2杯はおかわりしないとエネルギーが持たない。

19:10 お風呂。鏡に映った自分の体形を見て愕然とする。

おなか(患部)がパンパンに張っている。脇腹のほうまで。

足の浮腫みも酷い。これはレットヴィもの副作用だと思うが、おなかは?

痛みが酷い時は眠れず、痛み止めが効いた時はほぼ寝ているのでほぼ運動していないとここまで浮腫むのか。

20:30 アセリオが効いてきて楽になる。(痛み2)

11:30 痛みで目が覚める (5~6)

12:10 アセリオ点滴

 

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2026年4月 5日 (日)

CRP少し下がった 右手に点滴用の針刺し換え

4月4日(土)

浮腫

7時 ジブロフェナク

朝食 重湯 具のない味噌汁 ヨーグルト オレンジジュース

10時 シャワー しゃがんでしまうと簡単には立てないほど足の筋肉が落ちている。

12時 アセリオ点滴

昼食 重湯 具のない味噌汁 ミニ水羊羹 ミニ野菜ジュース

午後、デイルームの窓から斜めに桜並木を望む。おなかが痛くてだるいけれど、

風で惜しみなく舞い上がって吹雪となり、3階の窓(閉じられているが)から手を伸ばしたら私にもつかめそう。

つぼみはもう見えないが花はまだまだ薄紅に光り、うねる枝の伝播が美しい。

横に満開のクリーム色のテイカカズラの植え込みが見える。

18時 アセリオ点滴

看護師さんに「今朝の採血の結果、どうでした?」と尋ねると

「下がってますよ。15」と。O先生は手術中とのこと。

確か最初の採血では20代後半だったような・・

夕食 重湯 具のないすまし汁(これはおいしい)、白くて甘酸っぱいゲル状のもの

19時に手術が終わったO先生が病室に来てくださり、

「今日の結果、だいぶよくなったので明日の昼から食事レベルあげていきましょう」と。

やった!でもそんなに簡単には基準値まで下がらないのでこれからもがんばらないと。

4月3日(金)

浮腫

7時 ジブロフェナク

12:45 アセリオ点滴 熱っぽい

昼食 重湯 具のないすまし汁 小さなババロア ジョア

入院してから初めて口からものを食べた。具のないすまし汁のうまみに感動する。

重湯はかすかにとろみのある白いお湯のようなさらっとしたもので、一気飲み。

16:45 ジブロフェナク

18時 左腕の点滴の針穴から血が滴っていてシーツを汚す

夕食 重湯 具のない味噌汁 白くて甘酸っぱいゲル状のもの

何度も点滴針のテープ貼り替え

19時 シャワー

20:30 アセリオ点滴

ほか抗生剤3回とボタコール、ゾルデム3A、

23:30 ジブロフェナク

おなかが痛くて眠れない。

3:30 点滴漏れが止まらないので、深夜にもかかわらず左腕の点滴の針を刺しなおす。

左手にもう血管が見つけられなくて、私がすごくおそれていた右腕に。

右のほうが敏感なのか痛くて声が出てしまった。

3:40 アセリオ点滴

 

 

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2026年4月 4日 (土)

CRPピークを越

4月2日(木)

禁食

採血2本

6時 痛み止め点滴

お昼過ぎ、O先生「ピークを越えた。タゾピぺが効いた」とのこと。

でもまだ痛くて、6時間あけなければならない痛み止め点滴(アセリオ)とその間の錠剤(ジブロフェナク)の時間をメモして

使える時間を過ぎたら即ナースコールしている状態。

13時 ジブロフェナク

19時 痛み止め点滴

11:30 ジブロフェナク

3時 痛み止め点滴

入院してからずっと、一日に口から入れるものがペットボトルの天然水(薬を飲む用)のみ。

フラフラで力が入らない。

やたらに唇の皮が厚くむけてプロペトをぬってもなおらない。

4月1日(水)

禁食

今日も痛い。

O先生が来られて、「CRPが下がらないのでもう少し強い抗生剤に変えた」と。

タゾピぺという薬。

私は救急で入院していて抗生剤を点滴した瞬間から少しずつCRPが下がっていると思っていたのだけど、

実際はさらに上昇していたらしい。

どうりで激痛・・。

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入院中 / 次の本の制作(希望)

3月31日(火)雨

禁食

10時 痛み止めの点滴

担当医のO先生から

「二週間はかかる。手術にならないとは言い切れない状態。

しかし炎症と抗生物質で内臓、腸などすべて脆くなっている状態で全身麻酔手術は身体に負担がありすぎて危険」と言われてショック。

腰痛もひどいので少し無理して歩いてみる。

脚の筋肉も萎えて、完全にしゃがんでしまうと脚だけで立ち上がれない状態。

デイルームの窓から斜めに雨に濡れた桜並木を見る。

風が枝に伝播していく様子を見ている。

写真の修正説明した(私の悲願)ゲラを印刷所に持って行ってもらえたそうででありがたい。

4時 痛み止めの点滴

9:40ジブロフェナク

11:50 痛みどめの点滴

熱が上がってきて、弾性ストッキングの圧迫感が気持ち悪くて眠れないので就寝時ははずさせてもらう。

3:40ジブロフェナク

3月30日(月)

禁食

がんセンターのH先生に電話して明日のMRIに伺えないことを伝える。

四月中に予約を取ろうとしたが、退院してからでよいと。

つまりいつまで入院するかわからないということ。

造影剤MRI。

・・

沢渡朔事務所に昔のポジのプリントと、現在の初校ゲラを持って行ってくれたとのこと。

昔の写真プリントを高画質でスキャンして入れ替えるのは無理なので、

他の部分ををマスキングして植物が細かく写っている部分だけをコントラストを上げる、

そのレタッチができる機械が沢渡事務所にはないので、印刷会社さんにお願いするということ。

あくまで全体から浮かないように少しやる・・・うまくいったら嬉しい。

・・

自転車集積所に電話。3月末までに引き取りに行けないので延長してほしいお願い。

(昨年秋に盗まれた同じ自転車が1月にまた盗まれたのだが、取りに行ける時間と体力がなかった)

午後、2時過ぎPC持って来てもらう。

PCセキュリティソフトの更新時期で、簡単なことなのだろうけど、おなか痛くて頭ふらふらなのでどのボタンを選んだらいいかわからなくて時間がかかった。

この日も夜激痛。

8時 痛み止め点滴。

12時 ジブロフェナク。

深夜3時 痛み止め点滴。

 

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入院中/ 次の本の制作

3月29日(日)

朝から激痛。37.2℃

8時に痛み止めの点滴アセリオ、なかなか効かない。

1時、鎮痛薬ジブロフェナク。

2時に痛み止めの点滴したら少し楽になる。

・・・

次の本の初校ゲラの写真について、20年前に沢渡朔さんが撮ってくださった時にポジのラボで現像したプリントと、

現在沢渡事務所に残っているデータ化されたものの写りが全く違っていて、

昔のプリントのほうが白黒飛んでいて、現在のデータのほうはコントラストが弱く全体に薄暗く、今回のゲラのもとになっている。

私は地面に芽生えたばかりの極細かい芽やロゼットが白く明確に移りこんでいる昔のプリントを、ものすごく美しいと思っていて、

自分の顔は飛んでしまって構わないから、この植物部分だけはもう少しはっきり出してほしいと願っていて

しかし毎回、打ち合わせに行っても、その植物のことが流されてしまう。

そもそもデザイナーの町口さんもアシスタントの塩原さんも、そのプリントを見たことがないし、

沢渡朔さんは昔のプリントを覚えていないだろう。

「遺言だから、そこを考慮して再校出してほしい」とお願いしたら

編集が今回の初校ゲラと昔のプリントを持って来てくれた。

ベッドの上にすべての写真と初校ゲラを広げて一枚ずつ比較チェック。

やはり春のまだ寒い時期に芽生えた繊細な植物が白く明確に写っている写真、これが私にとって一番大切な写真なのだ。

そのほかの写真は、沢渡朔さんがおっしゃるように現在のデータのほうがよいようだ。

明日の月曜日に、沢渡朔さんや印刷会社や出版元に、私が入院してしまったので印刷所に出張してモニター校正する日程が遅れてしまうことを伝えて頭を下げてくれるとのこと。

夜9時鎮痛剤点滴。

12時鎮痛薬錠剤。

朝4時 激痛で目がさめる、鎮痛剤点滴。

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緊急入院

3月28日(土)

よたよたしながら近所の消化器科に行く。

おなかを触診した瞬間

「酷い!よくこんなになるまで我慢しましたね。すぐに救急車で大きな病院に行ってCT撮らないと」と言われた。

「板状硬。腹膜炎の酷い状態。」と言われ、

すぐに紹介状を書いてくださり、救急車が来て近くの大病院へ。

採血。痛み止めの点滴。CT。そのあとなぜか右腕と左腕同時に採血。

CTの結果、骨盤の内側に膿のようなものがたまっていて、抗生剤で治療していくが

どうしても消えないようなら手術になると言われた。

禁食

夜1時激痛。

38.2℃だったかもっと熱が上がっていく感覚で、汗びっしょり、歯がガチガチとまらなかった。

痛み止めの点滴アセリオ。

 

3月26日(木)

歩くのもやっと。

Wさんのマッサージを受けたが。首、頭などそうとうがちがちと言われる。

おなかが痛くて固形物が食べられないと言ったら、今度会う時にWさんが林檎を擦ってくれると。

スーパーに一緒に行ったけれど立ってられなくて、イートインのところに座らせてもらい、wさんが代わりに100パーセント人参ジュースを買ってくれて、それを飲んで寝た。

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2026年4月 3日 (金)

沢渡朔さんの事務所で次の本の初校のチェック

3月24日(火)

ちゅびが逝ってしまってからずっと下腹が痛む。

今日は沢渡朔さんの事務所にに12時集合なので割と早くから準備したつもりなのに、おなかが痛くてまともに歩けない。

あろうことか15分くらい遅刻してしまう。

デザイナーの町口さんに写真の余計な傷などチェックしていただく。

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沢渡さんは「こんなにいい本になるとは思わなかった」と何度も感慨深げに言ってくださった。

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とりあえず沢渡朔さんに「良い本」と言っていただけるように編集制作をがんばってきた。

まだ私には再校ゲラの確認修正と印刷所でのモニター修正という重要な仕事がある。

 

本棚に飾られている昔の沢渡朔さんのものすごくかっこいい写真。

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沢渡さんに「改憲されそうなんですよ。今度デモに行くつもりです」と言ったら

「ええ!そうなの?全然知らなかった。」

「新聞は今の政権の都合のいいことしか書いてないですよ。世の中が急速に悪いほうに変わってしまってるんです」

「女性のほうがそういうのはっきりしてるんだよな」と。

沢渡さんの妹さんが「だめよデモになんか行っちゃ!今、からだが悪いんだから。休めないと」と言ってくださった。

「もうゲバ文字のプラカードも書いてるんですよ」

帰り道、ちょっと耐えられないほどおなかが痛み(下痢になる痛みではない)、

駅のベンチでしばし動けなくなった。

それでも私はこの痛みは胃腸の痛みで、やりすごせばそのうち何とかなると思っていた。

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2026年4月 2日 (木)

ちゅび永眠 LGLリンパ腫

3月19日(木)

偶然だがうちの近所のお寺に合同供養碑がある火葬の業者さんを見つけたのでそこにした。

3時に車で来てくれて、ちゅびの入った箱を渡した後に焼香させてくれた。

この1分くらいの白薔薇のお香の匂いで、ほんの少し残虐さが慰められる気がした。

車を見送る時に大泣きしてしまった。

そのあと部屋に戻りたくなくて見知らぬ裏道のほうへ泣きながら歩いた。

竹に埋もれた廃屋、今年最初の菫、バレエアーツの瀟洒な建物、図書館に続く古い階段 朽ちた木の塀

ミモザも咲いているこの空気のどこかに、ちゅびがまだ元気に走り回っている気がした。

3月18日(水)

ちゅびをどこに葬るのか思案。

それでもまだ「にゃあ!」と応えてくれる気がして「ちゅび、ちゅび」と何度も声掛けをした。

3月17日(火)

夜中、午前2時から3時、のけぞり宙を描く痙攣的発作が10分から15分おきに5回ほど。

その後落ち着くが、

朝方6時30分から息が荒くなる。

やがて8時25分くらいになって、

呼吸が止まったかと思うと、深い息を30秒から1分おきにするようなことを繰り返し、

8時30分頃には完全に呼吸が止まり、体も動かなくなる。

ちゅび、永眠。

ちゅびと一緒に寝て、ちゅび、ちゅび、と呼びながら撫でていたら、冷たいのだけどまだ生きているとしか思えなくて

そのまましばらく一緒に眠った。

3月16日(月)

朝落ち着く。

11時痙攣。

午後3時 輸液 セレニア

ずっと横に倒れたようになったまま。息が速い。

3月15日(日)15℃
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ずっとずっとものすごい甘えん坊だったちゅび。

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朝、おむつがはずれていて、ふとんにおしっこしたので洗濯。

午前中は少し元気になって移動していた。おとといのステロイドのおかげと思う。

しかし午後からぐったり。

横に倒れて顔の半面も布団につけたまま、眼を開けているがほとんど動かないので、このまま死んでしまうのかとどきどきする。

トイレに連れて行ったらおしっこした。

布団の上から陽のあたる窓際の椅子の上に移動したら、少しして窓のほうにどん!と降りて、

その瞬間、両手を伸ばして壁をガリガリガリッと引っ搔いて「にゃあ!にゃあ!にゃあ!」と3回低い声で叫んだ。

何か身体に異変。そのまま死んでしまうのかと心臓が止まりそうになったが、おさまった。

4時ごろ輸液。一度に500mlでは負担になると思い、250mlにした。

そのあとまたぐったり。私とくっついて布団で眠った。

夜8時おしっこ大量。

2から3時 3回けいれん。

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