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2026年5月

2026年5月30日 (土)

左のドレーンの位置を浅く変える / ドレーンをぶら下げたまま四季の香ローズガーデンへ

5月29日(金)

夜も一晩中26℃の冷房がついているのが寒くて辛い。

遠赤外線の治療器を持って来ているので、それを胃の上において温めている。

15時 透視室

今日はK先生だけでほかに誰もいなかった

左下腹部のドレーンの先端の丸まっているところを一重にして、先端を浅い位置に直す

最後「あと止めるだけ」と言われ、ちくちく縫われた。

部屋に戻っても表面の傷が痛んだ。

ドレーンの位置が変わってから少しだがまた透明な薄赤色の液が排出されるようになった。

5月30日(土)晴れ 30℃

10時前に病院を出、バスで帰宅。豆のパスタを作り、猫とたわむれる。

12時過ぎに地下鉄で「四季の香ローズガーデン」へ。

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百合とラクスパー(千鳥草)

 薔薇だけではなくて野草のような花が自然な感じで咲き乱れているのがとてもよかった

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レースフラワーと薔薇
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青紫のフウロソウのような花

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花びらの一部が乾燥して美しく縮れている薔薇

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大好きな植物 ラムズイヤー。肌触りは猫の耳かと思ったが羊の耳だった。

色彩のローズガーデン、香りのローズガーデン、香りのハーブガーデン、3つのエリアともすごく楽しめた。

近くに住んでいたら毎日ここにきてしまうと思う。

12:30~14:30の一番暑い時間にガーデンを巡っていたのでけっこう体力を使った。

心肺機能が落ちているのか、気がつけばハアハア言っている。

冷房の効いた休憩所もあるので具合悪くなる前に休める。

5月の初めに来ていたら紫系の薔薇もまだ咲いていて、もっと素晴らしかったのかも。

ドレーンのボトルを大きめの布バッグに入れてずっと持ち歩いていたので、

混んだバスの中などは少し不安だったが、なんとかうまくいった。

ドレーンの傷口よりも常に下にボトルを位置させたい(浸出液の逆流防止)ので、トイレの時はどうしようかと思っていたが、

結局、帰宅するまでトイレに行かなかった。

暑い中を歩きまわっていたせいか、ドレーンの傷口が痛んだが、おなかの中から突き上げてくるような炎症の痛みはなかった。

看護師さんの勤務交代の時間の都合で17時は戻ってほしいと言われたので、非常に慌ただしい旅だった。

外泊にして15時~17時にガーデンを回れば陽射しが和らいで楽だったと思うが、

うちのチョッピーがドレーンチューブをかじりそうなので自宅に泊まれなかった。

 

 

 

 

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2026年5月29日 (金)

穿刺の次の日15.58 までCRP上がる  28日に3.21まで下がる 5.23~5.28

5月23日(土)

深夜0時、ドレーン液を回収に看護師さんが来た時、全身汗だく。

38℃。ジクロフェナク

O先生は昨日の穿刺でいくつかの血管を傷つけたせいで炎症が上がった、と。

6時 36℃ 110‐66

この数値で降圧剤を飲む必要はないとO先生に訴え、120を超えない限りアムロジピンを処方しないようにしてもらう

18:40 37.6℃ アセトアミノフェン

この日ずっと熱っぽかった

5月24日(日)

深夜0時、4時、7時下痢

O先生は下痢は腸の回りに炎症が起きているせいだという

11時 下半身のみシャワーと足湯。鏡に映った自分の体形にぞっとする。

あばら骨が見え、胸がすごく薄くなっている

5月25日(月)

6時下痢

6:30 採血 36.1℃ 110‐60

CRP 15.58 WBC 7.8 

CRPは手術の次の日に熱を出したのが反映されていると

MONO(単球)は21日の10.5から5.8まで下がった

今日から食事の時に毎回出ていたほうじ茶サービスが無くなった。自販機で高い値で買わないといけない。

材料費、人件費の削減のため中止、と張り紙がしてあるが、

お茶でなくて、ほかに節約できることがいろいろありそうに感じるが・・

速足で廊下10周。けっこう太ももの筋肉に負荷がかかる。

5月26日(火)

6:30 99‐60 血圧低い

体重39㎏。

廊下を早歩きで回っていたせいでK先生が病室にいらしたときに会えなかった

午後、少しだけ屋上庭園に行く。

ガウラの白い花とブルーサルビアが満開。手間がかからないで強い植物を選んで植えてある。

ずっと栄養補給のために食べていた温泉卵をやめて杏仁豆腐を食べることにした。

5月27日(水)

1時に目が覚めてしまう

3時、5時、8時、11:30下痢

6:30 101‐79

下痢が多すぎて食欲がない。おなかが痛いのに8時と12時に食事が出てくるのが辛い。

薬で下痢が止まって食欲が出てから食べたい。

K先生は金曜日にまた左のドレーンの先端の位置替えをやると。

CTで診たところ左の大きかった腫瘍はほとんど萎んでいるそう。

5月28日(木)

5時、7時下痢。

採血

8時に巡回に来たO先生、「今度こそCRP下がってるといいね」と・・

8:40にO先生が「CRPが下がってた!」と勢い込んで知らせにいらした。

CRP 3.21 WBC 7.8  MONO 4.5(3.0‐10.0)  γ‐GTP 212 

24日以来、発熱していないので下がっているとは思っていた。

MONO(単球、白血球の一種)が下がったのが大きい、と。

土日は(医学的には)外出していいと。

問題は大きなドレーンボトルを下げたまま電車に乗ったり、いろいろ行動できるか、ということ。

看護師さんに外出のことを言ったら10時~17時と言われた。

面会は20時までだから私の門限も18時か19時くらいにしてほしい。

19時頃、アケミさんが来てくれてギャラリーのこと打ち合わせ。

31日に作品展示する木次さんからいただいたという高級洋菓子を持って来てくれた。

今は太りたくてたまらないので、ドーナツを一つだけいただいたが、一口でやはり無理だった。

すごく甘みが強いものが苦手。

あと全部アケミさんにプレゼントしたら「幸せ」と喜んでくれてとても嬉しい。

外出出来たら帰宅して豆のパスタ(エビと野菜のトマトソース)とメロンが食べたい。

 

 

 

 

 

 

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2026年5月28日 (木)

CTガイド下経皮的腫瘍ドレナージ術(排膿術)5.22

5月22日(金)雨 寒い

朝、婦人科のS先生が回診に来て(担当医のO先生はほかの病院に出向)

「今日3時からCTガイドドレナージの手術です」と言われて、びっくりして飛び起きた。

「え?今日ですか?聞いてないです。昨日、O先生からざっくり説明受けて、本院の専門家の先生がいつ手術されるのか聞いてないです」

ちょっと気持ちが追い付かなかった。

昨日O先生から渡されたプリントが回収され、代わりに説明書のうしろに同意書が加えられている4枚セットのプリントが渡された。

説明者がS先生になっていて、S先生のサインがあった。

20cmの針をおしりから子宮の裏側まで、何の臓器も傷つけず貫通する、そのルート(角度)を単純CTで見ながら決めるというのが怖かった。

やはり「この治療に伴う避けられない合併症や不利益など」のところに

腸管の損傷、血管の損傷、気胸、穿刺ルートに沿った腫瘍の拡大などの可能性が書いてあってぞっとした。

何よりも左下腹に局所麻酔を打ってドレーンを入れるために穿刺した時、表面の皮膚は無感覚だったが

中の筋肉を通った時は声を上げるくらい痛くて、その痛みは結構長く続いたので、おしりでも筋肉に穿刺するのが痛いんじゃないかと・・・

その時に私は痛みで動かないでいられるのかと。

看護師さんに、笑気麻酔とか静脈麻酔とか、ぼうっとなって動かないでいられる麻酔はできないのかと聞いたら、手術室にはあるがCT検査室には設備がないと。

1時にアセトアミノフェン、2時半にジクロフェナクを飲んで準備していた。

3時前に看護師さん二人が来て、私のベッドを私を寝かせたまま運ぶという。

まな板の上の鯉みたいで嫌なので、一緒に歩いて地下に行った。

なんと本院のK嶋先生が急な施術が入って遅れる、手術は4時から、と言われ、看護師さん二人はまたベッドを私の病室まで運んだ。

4時前にO先生が戻ってきて、一緒に行くという。

「今日とは思いませんでした。本院に行く気になっていました」と言うと

「いろいろ道具持って来てくれるって」

CT室に入ったら知らない先生たち(放射線科?)がたくさんいた。

施術をするK嶋先生と挨拶した瞬間、この先生は信頼できると思った。

「奥のほうまで効くように何段階も麻酔打ってください」とお願いする。

「奥の腫瘍のあたりは効きにくいんですよ。それと仙骨の周りの靭帯が固くて・・」

「靭帯?」恐怖・・・

まずうつ伏せに寝て何度かCT撮影。顔を左に向けて、台が固くて顔や胸が痛いので下にタオルを入れてもらう。

両手を万歳しなければならないのが長いときつい。

指先にはめた酸素測定の機械が、コードが短すぎてCTの先端までからだが移動すると毎回落ちる。

上臀部消毒、患部だけが出た布をかけられ、局所麻酔注射。

麻酔注射自体は細い手首に輸液ルートを入れられる時より痛くない。

20㎝の針を穿刺したのは感じなかった。

針の中にいつのまにかガイドワイヤーを入れられて、針を抜かれ、ガイドワイヤーに被せてカテーテルを入れられているはずだが

すべて自分では見えないのでいつなにをされているかわからない。

カテーテルを動かされている時、腫瘍の場所なのか下腹部の奥のおしり寄りが少しツンツン痛かった。

30~40分経過すると、ずっと左を向けている首が凝って痛くて気持ち悪くなってくる。

カテーテル自体は腫瘍に届いたが、カテーテルより太いドレーンは靭帯が固くて届かなかった。

「押しますよ。押しますよ」と言われてドレーンを押されたが、それ自体は痛くなくて、入り口のあたりを押されている感じ。

靭帯をゴムのように押してその奥に入れる予定だった?

結局細いカテーテルで膿を吸引した(シリンジで?)

「うまくいきました」というK嶋先生の声にほっとする。

ドレーンが入らなかったので、ドレーンの先にボトルをぶら下げることもなく、膿を吸引したあとおしりの傷は絆創膏を貼って終わり。

予想していた激痛地獄とは違ってはるかに痛くなかった。

ただ左に向いていた首が痛いし、1時間以上もも動けなかったのでとても疲れた。

「すごく技術のある先生だったね」とO先生。

K嶋先生の所属は放射線科で、血管の中に細いカテーテルを通す専門家ということ。

手術の侵襲だと思うが、深夜0時に38℃の熱を出してしまった。脚まで汗びっしょり。

 

 

 

 

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2026年5月27日 (水)

CRP 15.12まで上がってしまい本院の専門の先生に穿刺ドレナージしてもらう話が出る 5.19~5.21

5月19日(火)

4:40 下痢 毎日、明け方下痢で目が覚める

6:30 36.2℃ 101‐61

昨日入れた左の新しいドレーンの傷が痛む。

8時 セレコキシブ飲んだが効かない

8:30 O先生

9時 K先生洗浄

17:40 36.9℃ 110‐61

夕 魚の煮物 気持ち悪くて食べられない

普段はサバもサワラも食べているが、病院食の青魚は明らかに生臭いので吐きそうになるのだ。

疲労感

5月20日(水)

6時 下痢

36.2℃、120‐73

朝 魚肉ソーセージとキャベツの煮物 手つけず

昼 赤魚 生臭くて食べられない

何か背中が痛いと思ったらシーツの下から大きなクリップに挟まれたメモ帳が出てきた。

シーツ取り換えの人のもの。

16:30 嫌な予感がして体重を計ってみたら40kgしかなかった。

入院した日に41㎏だったのにもびっくりしたのに。

浮腫が引いた(まだおなかの周りだけパンと腫れているが)ら本体のほうは骨と皮だけになっていて悲惨。

病院食が完食できないので、豆乳、ヨーグルト、温泉卵を補給している。

とにかく筋肉をつけたいし、太りたいのだが、入院してから2か月、抗生剤のために下痢しているので吸収できない。

5月21日(木)雨 寒い

1時、2時、6時下痢

6:30 採血

昼なし 

13時 造影剤CT

14時 栄養士の人とあと2人(事務の人?)部屋に来る 3人に囲まれて話しづらかったが、食べられないもの(生臭い青魚)を禁にしてもらう。

入院時に肉類、肉加工品、ラード、肉エキスすべてダメ、と紙に印刷してもらってそれは通じているのに、後ろの事務の人に「ベーコンもですか?」と質問されて何なのかと思う。

O先生に説明室に呼び出される

血液検査の結果、CRPが15.12まで上がっていた WBCは基準値内だが

気になるのは好中球、18日に52.7だったのに今日は74.1

子宮の裏側にある膿が取り切れていなくて、ドレーンも届かないので、

CTを見ながらおしり側から子宮の裏まで穿刺できる専門家の先生が本院にいるから、その先生にやってもらうか、という話。

局所麻酔だけで、動いてはいけなくて、大腸などを傷つけずに真っ直ぐに穿刺できるものなのだろうか、

おしりの筋肉は厚いから貫通するとき、相当痛いのではないか、などと不安がいっぱい。

左下腹に局所麻酔で穿刺した時、表面は痛くなかったが中の筋肉を貫通した時すごく痛かったことを重々訴える。

「とにかくその先生にCT画像を送って、できるかどうか聞いてみるから。」

「やるとしたら本院に行くんですか?」

「そのほうが設備もあるし、いいだろうと思う」

「そうですか」

「これ、同意する欄がないけど、説明書。読んでおいて」と言われ、

「CTガイド下経皮腫瘍ドレナージ術(排膿術)に関する説明書」というプリントを渡された。

一緒に説明を聞いていた看護師さんに、本院に行くとしたらどうやって行くのか聞いたら、

ドレーンを下げた点滴スタンドごと救急車で直に運んでもらうのがいいと言われた。

この翌日に突然本番になるとは夢にも思わず・・・

 

 

 

 

 

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2026年5月26日 (火)

CRP 0.95まで下がるが4日後には5.88まで上がり、局所麻酔でドレーン入れ替え 5.14~5.18

5月14日(木)

8日から痛み止めは8時と20時のセレコキシブ2回のみ。頓服としてアセトアミノフェンとなっている。

6:20 採血

CRP 0.95、  WBC 5.8、アルブミン3.2

CRPが1を切った(基準値0.00‐0.14)。

今までで一番よい値。だが、まだ不安。本来なら大喜びするところだが、このまますんなり快方に向かう気がしない。

5月15日(金)

6:30 血圧106‐60 下がった

K先生、ドレーン洗浄、このままだいじょうぶそうならドレーンに蓋をして(チューブとボトルははずして)様子を見たいと言われる

5月16日(土)

3時、5時、下痢で起きる

左下腹部が痛い 熱っぽい やはりまた波が来た。

ドレーン洗浄

16:30 37.3℃ アセトアミノフェン

5月17日(日)

6:30 36.1℃ 101‐61

朝の薬 チラジン、アルファカルシドール、フェキソフェナジン、ミヤBM、

セレコキシブ、オーグメンチン、バクタ×2、レットヴィモ、アムロジピン(101‐61でなぜ降圧剤が出ているのか不明)

5月18日(月)

0:30 下痢 左下腹痛む

6時 下痢

7時 採血 35・8℃、110‐61

熱もないようなのにCRP上がる。左下腹、痛みはある。

CRP 5.88、WBC 4.5

また上がってしまったので左のドレーンの位置を替えないといけないと言われる

15時 透視検査 

透視室に入ると見たことのない男性の先生がいて、いつも励ましてくれる若い女性の先生がいないので緊張する

ガイドワイヤー入れてモニター見ている時、その初めての先生の顔が私の顔の真上にあって

「いいんじゃない?そこで」と言ったりしている。

操作しているK先生は「いや、ここじゃないんだ。こっちのほうに入れたいんだ」と。

結局、今のドレーンでは届かないようで、抜いて入れ替える、と言われる。

抜いた時、痛い。

局所麻酔注射を打たれ、今までより太くて長いドレーンを入れられる。

途中からいつもの若い女性の先生が来てくれた。

「痛い?痛い時は言って。今6割終わった。・・今6.2・・今6.5・・」

最初痛かったが7割終わった頃から麻酔が効いたのかあまり感じなくなってきた。

最後、「うまくいった!」とK先生。

「うまくいきましたか?」「すごくうまくいった」と確認して安心する。

車椅子で部屋まで送っていただいたが、ドレーンを入れた奥のほうが痛む。

しばらく我慢していたが麻酔が切れてきたので

16:40 ジクロフェナクをお願いする。

からだが傷ついたからだと思うが疲労感でぐったり。

 

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2026年5月25日 (月)

右腹部のドレーン抜ける / 次の本の絵の再校ゲラを見る / 腹帯がはずれる 5.9~5.13

5月9日(土)

外科のK先生がドレーン洗浄。

右の細く短いドレーンが抜かれる。絆創膏のみ。

次の本の絵の再校ゲラを見る。

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本物の絵(3号、SM)を3点持って来てくれて、デイルームで比べてみると、印刷のほうが彩度が上がりすぎていたり、

やはり私が印刷所でモニター校正しないと伝わらないと思う。

いつ退院できるのかわからないことが本当に辛い。

私が4月の最初にモニター校正に行けていれば6月刊行だったのにと思うとやりきれない。

5月10日(日)

0時スルバシリン、1時バンコマイシンの点滴、2時過ぎ、点滴終了時のルートにヘパリン水を流すので必ず起きてしまう。

だいたい0時から2時半前は眠れない。

ここ4、5日、ずっと毎日している腹帯の下の皮膚がかぶれてかゆくてたまらない。

綿とはいえ厚いキルティングで締め付けているのだからむれて当たり前だし、もう一月以上手術創やドレーンの傷の周りをシャワーしていないのだから。

がんセンターで右肺中葉を摘出した時、早い段階(何日か忘れた)で傷を洗えと言われてびっくりしたような・・。

一昨日のシャンプーでなぜかかぶれてしまい、かゆくてしかたないので、お湯だけで洗っていただく。

5月11日(月)

採血

10時K先生ドレーン洗浄の時に、ドレーンの周りの皮膚がかゆくてたまらないと訴えたら

「もう腹帯はずしていい」と言われる。

腹帯は手術創を安定させるためのもので、腹筋に力がはいると傷が痛むのを和らげるものらしいが、私の場合は常に上にずれてしまってたのであまり役に立っていなかったと思う。

CRP 1.92、WBC 4.7、γ‐GTP309

CRPすごく下がった。が、気持ち的には安心できない。

夕方からスルバシリンとバンコマイシンの点滴をやめて、錠剤のバクタとオーグメンチンに替えるとO先生に言われる。

2種類の点滴で、短くても5時間拘束されていたのが無くなったので、そうとう楽になった。

これで深夜起こされずに眠れる、と思ったが腹帯の中がかゆくて深夜2時間くらい目覚めてしまった。

5月12日(火)

右手についていた点滴のルートを抜く。

この日は割と安定。

深夜0時に左下腹部のドレーン液をボトルから抜きに来る時に目が覚めて、

そのあとおなかがかゆくてレスタミンを塗ってものでずっと掻いていた。

5月13日(水)

この日も割と安定。

最近、飢えがおさまってから病院の食事を完食するのがきつくなってきた。

味付けが、ほとんど味がないか甘いので。

それとずっと下痢なので空腹感がない。

 

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2026年5月24日 (日)

次の本の写真の再校を見る / 透視 ドレーンの先端の位置替え 5.5~5.8

5月5日(火)

7:30 セレコキシブ

今日は行事食。昼は天ぷらと豆ご飯、お吸い物が出た。

・・・

次の本の写真のゲラの再校を見る。

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地面に張り付いている花のようなロゼッタ(寒さに耐えようとして平になっている植物)。ハルノノゲシやタンポポやヨモギの赤ちゃん。

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21年前に撮ったものをデータ化したら、私が最初にもらったプリント(確かポジ専門の業者に出した)より植物が明確に出ていなかったので、

そこだけ「遺言だから」と言って、校正の時に印刷屋さんに少し明確に出していただくようお願いした。

あの時は3月の初め。気温8度でどんより曇りから雨。 

それでも沢渡さんに撮られているとどんどん自由になっていく。

凍える雨の中で春の最初の息吹の草たちの上に寝転ぶのも、沢渡さんに撮られたからとても自然に楽しくできた。

地面にぺったりはりついているハルノノゲシやタンポポのロゼッタが本当に緻密で美しくて。

雨と土と早春の若い芽吹きの匂いに涙が出そうで。

沢渡さんは私が喜ぶこと(草木との絡み合い)を知っていて、「こうしてみて」と言ってくれるから。

(私に似合わない濃い化粧をさせて言いたくない嘘のセリフを言わせた人とは大違い)

昔、撮影した時は、ポジだった。大きなカメラを使っていた記憶がある。

反射板を持ったアシスタントさんが二人いた。

その時はみんながデジタルカメラに移行していて、フィルムを使う人は少なくなっていたが、

沢渡朔さんはフィルムにこだわりたい、と言っていた。

丘の斜面で「こちらに向けて走ってきて」と言われた時はコンパクトで、シャッターと同時に撮れるカメラを使って、ファインダーを覗かずに手で被写体に角度を合わせていた。

この昔の写真と、2年前に撮っていただいた写真と、右肺中葉摘出後の写真と、それに私の前の画集に入らなかった絵のセレクトと

これらの写真を見て谷川俊太郎さんが書いてくださった詩を合わせて本に作っています。

・・・

15:30 アセトアミノフェン 左痛む

17:25 36.9℃ 148‐108 下が高い

19:20 セレコキシブ 痛み15時頃からずっとひかない

5月6日(水)曇り 21℃

6:40 血圧 170‐109 高すぎ 痛みのせい?

アムロジピン

5階の屋上庭園に16時頃行ってみた。

カードタッチでガラスの扉ががーッと空いた時、すぐに庭園は見えず右側に壁がある通路を行くのだが、

少し湿った外の空気に触れたとたん、ふわっと花の香りがして泣きそうになった。

ネロリだ。

庭園の真ん中のオリーブの樹のうしろにひっそり咲いていた。レモンの花。

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うちの近所に何本かザボン(朱欒、文旦)の大きな樹があって、それは素晴らしい香りなのだが、

それとも少し違う、甘いのだけど瑞々しく透明な、本当に感動する香り。

花びらは実のように細長い。鋭く長く固い棘があるので安易に顔を寄せて嗅ぐことができない。

5月7日(木)

6:30 採血

14時 造影剤CT

白血球 3.04 CRP 3.37 Γ‐GTP 371 アルブミン2.5 だいぶ下がった

樹村みのり『冬の蕾 ベアテ・シロタと女性の権利』を読んでいた。

すごくあっさり描いてある本。戦争の描写もなし、日本の女性活動家の描写もなし。

田島陽子が解説を書いていたが日本の女性差別は大化の改新以降だと。

5月8日(金)

7時 140-80 アムロジピン

9:30 洗髪 仰向けでIさんがやってくれたがシャンプーでかぶれる

13時 アセトアミノフェン

13:30 透視室

ドレーンに造影剤を注入。

左のドレーンの先端ピッグテール(丸くなっている)そのままにし、洗浄でやっていく。

右のドレーン、浅く、短くする。中の腫瘍が縮んでいるため

 

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2026年5月23日 (土)

また左のドレーンの先端を動かす 右のドレーン細いものに入れ替え、窓際へ引っ越し 5.1~5.4

5月1日(金)

2時 37.4℃ ジクロフェナク

8時 アセトアミノフェン

14:20 ジクロフェナク

15:20 透視室 ドレーンに造影剤を注入してレントゲンを見ながらドレーンをガイドワイヤーで動かす。

左のドレーン、深く入れる、成功。

右のドレーン抜いて細いのに入れ替え。

20時 セレコキシブ アセトアミノフェンより長く効く。4月30日にγーGTPが400まで上がったため基本の痛み止め変更。

5月2日(土)

2時 アセトアミノフェン

7時 セレコキシブ

8:20 点滴ルート入れ替え

「もう長いので窓辺に引っ越しますか?}と看護師さんに言われてキャビネットとベッドごと移動。

私が入院した時(3月28日)は、桜並木が満開で、窓際の人は声が大きくてすごくうるさい人で、毎日14時になると何人もの面会の人が来て、

「わあ!〇〇ちゃん来てくれたんだ~。ここね、桜満開のお花見、毎日最高よ~!」

「ほんと、一等席じゃない!これね、京都の◇◇のお菓子。」 

「キャー!嬉しい」

「あれ化粧してるの?入院中いいの?」

「だってあたしはいろんな人と会うから」

とお友達との世間話何時間も大声でする人で。たまに私が誰かと低い声で話そうとすると彼女のキンキン声で声がかき消されてしまう。

熱があっておなかが痛い時はストレスで頭がずきずきした。とにかく静かに寝ていたくて。

デイルームに行ってしゃべってくれればいいのに、と毎日思っていた。

桜も散って青葉になって、その人が退院して行っても、その窓際には2回ほど新しい人が入っては出て、

私は暗い廊下側にいっぱなしだったのだけど、もう外は夏のように青葉ギラギラで何の花も見えない頃になって窓際に移ることになった。

14時 アセトアミノフェン

19時 セレコキシブ

5月3日(日)

8時 セレコキシブ

K先生、左のドレーン洗浄 シリンジで水を入れて引く

19:30 37.4℃ 血圧168-106

セレコキシブ

5月4日(月)

採血

CRP 7.00 白血球 7.1 アルブミン2.2 Γ‐GTP414

最初に入院した時に40くらいだったγ‐GTPが190まで上がった時に恐怖を感じていたのに、ついに400越え。

だいぶ前からだが、浮腫がひいたあとの自分の脚の細さが気持ち悪いので、少しずつ筋トレをしてい

生まれてこの方、こんなにも骨と皮になった自分の脚を見たことがない

とりあえず脚の裏側と内転筋をまっすぐ伸ばすストレッチと、スクワットと、つま先立ちで3回の廊下を一周歩いたり。

 

 

 

 

 

 

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2026年5月20日 (水)

またCRPが上がる またドレーンの先端の位置をかえる 4.28~5.1

4月28日(火)

8時、16時、0時 スルバシリン点滴

13時、1時 バンコマイシン点滴変わらず

深夜0時、痛みと熱でジクロフェナク。

昼、ドレーン洗浄。

17時熱っぽくて測ったら37℃。

4月29日(水)

午前2時 熱と痛みで目が覚める 手がすごく熱い 背中汗びっしょり

37.6℃ ジクロフェナク

6時まだ熱っぽい

4月30日(木)

深夜2時 熱と痛み

5時、6時下痢

採血

CRP10に上がった 白血球も少し上がった

明日外科のK先生がドレーンを動かすとのこと

O先生に左側の膿の袋(被膜)がどういうものか質問したがよくわからない答え。

膿腫のような袋とは違うとのこと。袋というより壁?

17:30 アセトアミノフェン

18:20 37.1℃

23:40 37.4℃ ジクロフェナク

5月1日(金)

8時 アセトアミノフェン

11時 お風呂場の鏡で見るとまだおなか(ドレーン)周りがかなり浮腫している

14:10 ジクロフェナク

15:20 ドレーンに造影剤を注入してレントゲンを撮りながら位置をなおす

左下腹部のドレーン、今よりも深く入れる 成功

右下腹部のドレーン、抜いて細いものに入れ替え

20時 セレコキシブ

γ‐GTPが上がっているので、今度からアセトアミノフェンをやめて長く効くセレコキシブにするとのこと

 

 

 

 

 

 

 

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2026年5月18日 (月)

アケミさん来る CRPやっと8.95まで下がる 4.26~4.27

4月26日(日)

2月にまた自転車を盗まれて(昨年の9月に盗まれて高井戸集積所に取りに行ったもの)、

返却期限が3月末だったが、入院してしまったので4月末まで延長してもらっていた。

今日は4月最後の日曜なので、申し訳ないがアケミさんに自転車を取りに行ってもらうお願いをしていた。

15時、久しぶりに会う。

自転車の返却のためのはがきとお金を渡す。

きょうは左のドレーンの穴を開けた筋肉の傷の痛みが少しましになっていたのでよかった。

あの痛みが続いていたら、人とまともに話せなかった。

今の状態では、私はたとえ退院していても脚の筋肉が萎えすぎて自転車に乗れないと思う。

アケミさんに感謝、感謝。

4月27日(月)

採血。痛い、長い、血が採れない。結局やりなおし。

2cm隣りの血管に刺したらあっさり採れた。

点滴のルートの位置が悪く、20回くらい下流閉塞になる。

8:30 O先生がCRP下がったプリントをくれる。

CRP 8.95 、 白血球 8.4、 Γ‐GTP 277(高い 9-32)、アルブチン 2.2 (なかなか上昇しない 4.1-5.1)

 

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2026年5月17日 (日)

局所麻酔で左下腹部に穴を開けてドレーンを通す(筋肉貫通でかなり痛い) 4.24

4月24日(金)

深夜0時 ジクロフェナク

6時 アセトアミノフェン 

今日はドレーンの穴を開けるかもしれないので朝と昼は禁食

疲労感で14時まで眠る

15時 ジクロフェナク

16:10 消化器外科のK先生に地下の透視室に呼ばれる。緊張

右下腹部から子宮の裏側まで到達しているドレーンに造影剤を入れてレントゲン撮影。

「右下腹部から子宮の裏側までの膿腫と、左下腹部の膿腫の空間が繋がっていない」と言われる。

「左下腹部に穴を開けて通すしかない」

すごく怖い。局所麻酔注射。もう効いてると言われた時、確かに皮膚表面はなんにも感じない。

(直視できなかったが)ピックのようなもの?で深く刺された時はおなかの奥が相当痛かった。

「痛い!痛い!」とそうとう大きな声が出てしまった。

K先生に「うまくいってる」と励まされながらドレーンチューブを入れられる。

「うまくいってますか?」「うまくいってる。うまくいってる」

その時も痛すぎて患部を見ることができなかった。

右の位置替えをした時にだいぶ新種液を排出。血にまみれたガーゼを見る。

車椅子で部屋まで運んでいただいた後、左下腹部の筋肉が痛すぎてベッドに上がれないほど。

下腹部の筋肉を貫通した痛みがきつい。

最悪の痛みを10として8か9の痛み。

強い痛み止めソセゴンを点滴してもらう。

夕食 やつれたくない一心で完食

22時 ジクロフェナク

あまりに痛くて疲労困憊したのでベッドの角度や布団を整える余裕もなく、変な姿勢でそのまま眠っていた

深夜に左のドレーンの浸出液を回収したと言われる

4月25日(土)

深夜2時 すごい尿意で起きる

3:30まで眠れない

朝まで熱は出なかった

6:40 36.1℃  158‐106 血圧高い。痛みのせいで上がると言われる

採血

左の腹筋、鼠径部に少しでも力が入るとズキンと左下腹部の筋肉に痛みが走る

8時 アセトアミノフェナク

O先生に「すごく痛いです」と訴えると「筋肉に貫通したからね。いろんな筋肉が通ってるから」と。

そういう説明は事前になくて、「皮膚のすぐ下に膿疱があるから割と簡単」と説明されていたと思う。

すごく痛くて動けないと言っているのに「ドレーン液出すためになるべく歩いて」と言われて絶対無理と思う。

採血結果、CRPは21.10でさらに上がっていたが、白血球は8.7

ネットで調べると白血球は現在の状態が出、CRPは2,3日前の炎症が出ると書いてあったので、

きのう左にドレーンを通した結果はまだ出ず、次の検査でCRPが下がるはずと思った。

17:40 ジクロフェナク

19時 アセトアミノフェン

8時 16時 12時 スルバシリン点滴(8時間おき)

13時 1時 バンコマイシン点滴(12時間おき)

痛みで疲労してぐったりしていたので0時のスルバシリン点滴、

1時のバンコマイシン点滴、点滴終了時にルートにヘパリン水を流す時も目がさめずに眠っていた。

 

 

 

 

 

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2026年5月16日 (土)

CRP20.37まで上がる、子宮の膿を吸い出す、それでだめなら子宮、卵巣摘出と言われる 4.23

4月23日(木)

深夜1時 熱と痛みで汗びっしょり。

ジクロフェナク

6時 アセトアミノフェン

11:30 アセトアミノフェン

O先生が、この病院の本院にいる感染症専門医に電話で相談したという。

「子宮、卵巣に膿があるなら吸い出すしかない。

それでだめなら子宮、卵巣を摘出するしかない」と言われた、と聞いて大ショック。

今更2度目の開腹手術をするなんて、気が狂いそう。

しかもO先生は「内臓の癒着が酷いから非常に難しくて危険だから僕もそれはやりたくない」という。

執刀医に自信がないとはっきり言われて、信頼してまかせられるわけがない。

とにかくまた15時くらいから子宮に管を通して膿を吸い取ると言われて嫌すぎて涙。

また輸液のルートの取り直し。右腕、すごく痛い!と叫んで結局失敗。

「これ以上血管を潰してもなんだから先生を呼ぼうか」と言われ、O先生が左腕上腕に入れた。

ついでに採血。

12時 初めてのスルバシリン点滴

13:30 バンコマイシン点滴

13:50 ジクロフェナク

15:15 婦人科に呼ばれる

エコーのあと子宮に細い管を通して膿を出す。

今回はものすごく長くて30分以上。苦痛すぎて「痛い!痛い!まだですか?と言いっぱなし。

吸い取った5ccくらいの膿を試験官に入れたものを見せてくれた。

膿と言うより、渡連から排出される血の混じった浸出液と同じもの。さらっとしている。

培養に出すという。

少しの間管を入れっぱなしにすると言われる。

16時過ぎ、部屋にいきなりS先生(婦人科のトップ教授で初めて会う)が慌ただしく入ってきて、

「今からすぐに造影剤CTをやる!CRPが上がっていた」と言われたのでびっくりした。

CRPが20.37 まで上がっていた。

造影剤CT。

疲れ果てて部屋に戻る。

17時 ソセゴン点滴(強い痛み止め)

そのあとO先生が子宮の管を抜きに来た。

O先生のPCでCTの画像を見ながら説明を受ける。手術後に左下腹部にあらたに膿疱が貯留している。

明日、外科のK先生に、造影剤透視で、右のドレーン(子宮の裏側に先端が届いている)を左下腹部の膿疱まで伸ばせるかみてもらう。

それがうまくいかなかった場合、局所麻酔で左下腹部に穴を開け、直接ドレーンを入れる、と。

ものすごく怖いが、もう一度開腹手術をするよりはましだ。

 

 

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2026年5月15日 (金)

造影剤透視検査で右のドレーンを細い短いものに入れ替え、 庭園 4.21~4.22

4月21日(火)

5時 ジクロフェナク

両手の甲の骨が見えるようになった。太腿はまだ浮腫がひどいが、膝の骨が見えて膝を閉じられるようになった。

9:20 アセトアミノフェン

13時 アセトアミノフェン

15時 消化器外科のK先生、造影剤をドレーンに注入して透視検査。

右下腹部のドレーンは子宮の裏側まで伸びている。

そのドレーンを細い管に入れ替えて短く切り、ぶら下げていたバッグをはずし、ガーゼだけで浸出液を吸うようにした。

18時 アセトアミノフェン

タゾピぺ3回

4月22日(水)

深夜1時に痛みと熱 

5時 ジクロフェナク

7時 採血

8時 アセトアミノフェン

13時 アセトアミノフェン

16時 5階の屋上にある庭園に行かせてもらった。

ヨーロッパの渋い植物がほとんど。黄色い木香薔薇が散っていた。

植木のあいだに春紫苑が咲いていたので泣きたくなった。

いつもの春なら町中の菫と林檎の花が咲く場所を一つ一つ回り、春紫苑の群生が咲く場所にも必ず行っているのに。

それから八重桜のいろんな種類を訪ねたり、すごい数の薔薇が咲く庭を訪ねたり。

16:40 O先生、CRPが16.69で下がっていないと言われる。白血球は正常値。

Γ‐GTPが190。

薬剤部の先生に相談したら、土曜まで抗生剤をやめてみたらどうか、と言われたと。

土曜にCRPが下がっていなかったらタゾピぺをやめてバンコマイシンとスルバシリンに変更。

17:30 アセトアミノフェン

19:30 ジクロフェナク

タゾピぺ3回

 

 

 

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2026年5月14日 (木)

CRP 20.25まで上がる 毎日痛みと熱 4.18~4.20

4月18日(土)

4時痛みで覚醒 アセトアミノフェン

6時まで眠れず

7時輸液のルート入れ替え 右ひじの内側の折れ曲がるところだったので無理があった

左腕失敗 すごく痛い 右腕失敗 右腕2回目でやっとルートとれる

採血

8時 ジクロフェナク

ここ何日かずっと1日3回アミノフェン(6時間あける)

そのあいまに我慢できなくてジクロフェナクのくりかえし

痛い時は必ず熱が出る

食事は3分粥から5分粥に変わったので、電解質輸液をなしにしてもらう

24時間の電解質輸液は本当に負担だった

アルブチンを上げたくて必死なので、熱があっても食事は無理してでも完食している

CRPが20.25まで上がっていたのがショック。

最近痛みと熱で苦しんでいるからやはり上がっていた・・

白血球は6.2で正常値まで下がった。

タゾピぺ3回

4月19日(日)

深夜1:50 ジクロフェナク 熱にうなされて怖い夢

6:30 アセトアミノフェン

11:30 ジクロフェナク

15時 アセトアミノフェン

20:30 アセトアミノフェン

タゾピぺ3回

4月20日(月)

深夜1時 ジクロフェナク

すごい尿意がくる 朝8時まで5回トイレ

水分が排出されてきたのか太腿がだいぶ萎んできた

8時 アセトアミノフェン

採血

13:30 ジクロフェナク

16:30 アセトアミノフェン

タゾピぺ3回

CRP 16.94 白血球 5.9

明日、またドレーンに造影剤を注入する透視検査をやり、ドレーンの先端の位置をかえるとのこと

23:30 アセトアミノフェン

 

 

 

 

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2026年5月13日 (水)

子宮留膿を吸い出す、 強い痛みと熱、 浮腫ピークを過ぎる 4.15~4.17

4月15日(水)

朝4時 すごい熱と痛み。汗びっしょり。 ジクロフェナク

看護師さんが不慣れで熱を測ってくれなかった。なんでも自分から言わないとダメ。

8時 アセトアミノフェン

13時 アセトアミノフェン 37.4℃

16時 ジクロフェナク

19:20 アセトアミノフェン

タゾピぺ3回

4月16日(木)

深夜0時過ぎ、点滴をしようとシリンジで水を流そうとしたら液が入らないと言われ、暗い中、懐中電灯で照らしながらルートを入れられる。

左腕はまだ浮腫があるので無理と言っているのに、ぐいぐい針を刺されて失敗。痛い。

右腕の肘の内側、ちょうど曲がるところにルートを入れられる。

痛いし眠れない。2時 ジクロフェナク

6:30 浮腫少し引いている 採血、久しぶりに左腕からとられる

7時 アセトアミノフェン

朝食 冷たい温泉卵1個、3分粥少々、具のない味噌汁、ヨーグルト

アルブミンがたったの2しかないのに、これでは栄養が足りないと焦る。

右腕を曲げられないので左手で食べるがうまくいかない。

採血結果 白血球8.4(やっと正常値)CRP16.93 また上がってしまった

午後に婦人科で子宮の膿を吸い取ると言われて嫌で嫌で少し泣いてしまう

13時 アセトアミノフェン

13:20 婦人科 機械を入れてエコー 子宮内に細い管を入れて留濃を吸い出す

力を抜かないと痛いと言われるがなかなかできない。痛い!痛い!と言いながら耐える。

14時 ジクロフェナク

すごく疲れて眠ってしまう

今日から心電図と酸素を外していいと言われる 

24時間つけていないといけないのはすごく煩わしかったので、少し楽になった

19:30 アセトアミノフェン

22時 ジクロフェナク

タゾピぺ3回

4月17日(金)

消灯の時にジクロフェナクを飲んだのに0時の点滴の時、痛みと熱で覚醒。

痛みと同時に下痢。朝まで3回。

ここに入院してからずっと水のような下痢。おなかの炎症が痛むと同時に下痢になる。

7:20 37.5℃ 血圧168‐106 熱っぽくて苦しい。

アセトアミノフェン

11:20 37.8℃ ジクロフェナク

12時 悪寒に襲われて歯がガチガチなる

なんとか昼食を無理やり食べるが熱っぽくて苦しい。汗びっしょり

16時 36.9℃ アセトアミノフェン

20:30 ジクロフェナク

少しもよくなっていないんじゃないか、という疑問に対して、タゾピぺは効いている。耐性はついていない。

培養したものから菌が生えてこないので効いていると言われる。

 

 

 

 

 

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2026年5月12日 (火)

造影剤透視検査でドレーンの先端の位置を動かす 4.11~4.14

ブログを書くエネルギーがない時、Xに少しずつポストしていました。

私のデッサン教室の若い生徒さんから教わったのですが、Xのアカウントを持っていなくてもXを見る方法

Yahoo!リアルタイム検索のページ(https://search.yahoo.co.jp/realtime/)で、「id:アカウント名」を入力して検索すれば見られるそうです。

id:chisakofukuyamaと入力して検索します。

検索結果は、
https://search.yahoo.co.jp/realtime/search?p=id%3Achisakofukuyama&aq=-1&ei=UTF-8&ifr=tl_sc
のように表示されます。

 

4月11日(土)

電解質点滴ビーフリード500mlを8時間かけて2回、そのあいだにソルデム3Aを8時間かけて1回、

つまり術後は24時間ずっと電解質の点滴をやりっぱなし。

その合間に分岐したルートから抗生剤のタゾピぺを3回、

痛み止めの点滴アセリオを8時、12:20、16時、22時に受ける。

それでも痛みが辛い時はジクロフェナクの錠剤をもらう。

浮腫が酷すぎて皮膚が痛いし身体が重くてたまらない。

太腿の太さは3倍以上になっていて、パジャマの裾が膝で引っかかってそれ以上めくりあげることができない。

腹回りがパンパンなので下着のゴムもきつくて痛いので売店でLサイズのショーツを買う。

立つのも座るのも皮膚が張り裂けそう。それでもトイレにだけはヨロヨロしながら行かないとならない。

動画を見ながらとりあえず鼠径部のリンパを流して、次に太腿を脚の付け根に向かって流すマッサージをしゃにむに続ける。

細くて平たかった左腕が、気づけば丸くぱんぱんに浮腫している。

左手の甲の厚みが4㎝くらいに膨れ上がり、指も浮腫して手を握ることができない。

造影剤CT。左腕に造影剤の針を刺したが、浮腫が酷すぎて血管に届かなかった。

おなかの炎症は痛いし、下半身は浮腫で重くかちんかちんに張りつめているし、とにかくしんどい。

体重を計ってみたら56㎏になっていた。

この病院に救急で入った時は41㎏。

それから禁食ばかりで肉が増えたとは思えないので、水分だけで15㎏も浮腫んでいる。

この日の採血でCRP7まで下がった(これで順調に快方に向かうと期待したら大間違いで、そのあとまた地獄が待っているのだが)

アルブチンが低いせいで浮腫が起きているならとにかく食事させてください、と懇願する。

4月12日(日)

朝4:30、おなかの痛みで目が覚め、アセリオの点滴。

6:30、また痛みで目が覚めてしまい、ジクロフェナクをもらう。

痛み止めをもらっても2、3時間しか持たない。

明け方、おしっこが急に出るようになった。

9日からトイレで計量器で尿量を計ることになっていて、

9日80ml、10日64ml、11日180ml程度だったが、12日は計1750ml出て通常に戻った。

4月13日(月)

かちんかちんに浮腫した足先が冷えているので、足湯に入らせてもらうことにした。

術後初めてのシャワー(下半身のみ)。

上半身は腹帯の上にパジャマ、胸には3か所の心電図をつけたまま。

ドレーン袋をぶら下げた点滴棒ごとシャワー室に入る。

足湯で膝から下を温めながらさする。

シャワーから上がって鏡に映る自分の姿を見て真っ暗な気持ちになる。

腰から下が急にどーんと肥大した異常な姿。本当にどうしたらいいのか。

4月14日(火)

この日も深夜1時過ぎに痛みで目が覚めてアセリオ点滴。

1日に3回はアセリオ(6時間はあける)。その中間にジクロフェナク。

7時採血。

左腕は浮腫で血管に届かないと言っているのにどんどん深く針を刺されて、結局血が採れず。痛い思いをしただけ。

右腕のほうが動かしているせいか微かに浮腫がましで、採血することができた。

10:30くらいに看護師さんに結果を聞いたらCRPが10に上がっていたと聞いて涙。

13:40消化器外科のK先生による造影剤透視検査。

ドレーンに造影剤を通してレントゲン撮影しながら、右下腹のドレーンの先端の位置を動かす。

膿がたまっているところにうまくドレーンの先端を合わせて排出させるため。

K先生は「痛くないから」と何度も言われたが

ドレーンに通す針金を見た時、ぞっとしてしまい、酷く緊張してしまった。

ドレーンの先端が動いた時、血の混じった浸出液がどっと溢れて少しパジャマに散った。

この膿(血が混じったさらさらした液)が出れば出るほどCRPは下がるはずと。

強く訴えたせいで夕食から3分粥で食事が始まった。

鮭のムース(冷食)、3分粥、具のない味噌汁、白いドロドロした甘酸っぱいもの。

量は少ない。飢えているのですごくおいしい。

 

 

 

 

 

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2026年5月11日 (月)

今までの経過まとめ / 異常なまでの浮腫 4.9~4.10

今日は5月11日。

K先生のドレーン洗浄の時に、腹帯でかぶれてかゆくて仕方ないと言ったら腹帯を外していいと言われる。

今朝の血液検査の結果、またCRPが下がった。1.92(0.00‐0.14)。

白血球4.7(3.3‐8.6)。

今日の昼から抗生剤の点滴をやめて、夕方から錠剤(バクタとオーグメンチン)に切りかえると言われた。

それで点滴のルートも抜いてしまった。

でも今までの長い恐怖と苦痛の体験から手放しで喜ぶことができない。

また炎症がぶり返しておなかに膿が貯留したらどうしよう、と思う。

手術さえしたら順調に回復するというようなことは全然なくて、本当に痛みと熱と身体損傷の恐怖との闘いだった。

予期していなかった苦痛をざっくりまとめると、

〇手術創からの大量出血(縫い閉じた後に傷の一部から出血したことが信じられなかった)

〇異常な浮腫(術後に起こりうることととして説明されていなかったし、起こってからの対処もされなかった)

〇一度CRPが下がってからまた違うところ(左下腹部)に膿が溜まって炎症がぶりかえした

〇左下腹部に局所麻酔で穴を開けて(筋肉を貫通させたのでかなり痛かった)新たにドレーンを通した

〇よくなるかと思うと深夜に熱と痛みに襲われたりの繰り返し

〇ドレーンだけで膿をうまく排出できなければもう一度開腹手術をするしかない、と言われて気が狂いそうになった

「内臓が癒着しているのですごく難しくて危険な手術だから僕もしたくはないけど」と執刀医に言われて、絶対に2度目の開腹手術をされるのは嫌だと思った

 

4月9日(木)

術後の侵襲で気が遠くなるほどの疲労感。痛みと熱とだるさでなにもかもが煩わしい。

6時アセリオ点滴

8:30ジブロフェナク錠剤

10:30ソセゴン点滴 と2時間おきくらいにいろんな痛み止めを使う。

抗生剤タゾピぺ3回

ソルデム3Aとビーフリード 

手術直後から傷自体の痛みは感じず、手術前と同じにおなかの中がズキズキ痛む。

執刀医のO先生に「一晩中出血する前にもっと早く出血している個所を縫うことはできなかったんですか?」と質問すると

「縫うのは最後の選択だから。縫ったらまた感染したりとかなっちゃうから」と言われた。

出血した理由は私の身体が長く炎症していて血液を固める力が弱くなっていたからだ、と言われたが、

それでも最初にきっちり縫って閉じてあれば出血することはなかったのではないか、

あとから縫って閉じたということはその部分がきちんと縫い閉じられてなかったということではないのか、という疑問が消えない。

弾性ストッキングを履いて締め付けているすぐ上の膝から太腿、腹回りが酷い浮腫。

ぱんぱんに固くなって皮膚が痛い。

おしっこがなかなかすっきり出ない。

4月10日(金)

下半身が異常な浮腫。ものすごく苦しい。

アルブミンが低いから浸透圧の関係で浮腫していると言われ、手術前も長すぎる禁食だったし、現在も術後の禁食なのでいい加減食事をさせてほいいと訴える。

皮膚の最大限までパンパンに固く張りつめて、皮膚が張り裂けそうに痛む。

太腿は3倍の太さ。金属のようにがちがちでもみほぐすこともできない。

脹脛も丸太。

膝上などが盛り上がりすぎて、皮膚が突っ張って痛くてまともに直立できないし、膝を折ることもできない。

少しでも体重のかかったほうの皮膚が張り裂けそうに痛む。

見た目はミシュランタイヤのキャラクターの脚のよう。

ベッドに腰かけてから脚が重すぎてベッドの上に足を上げることができない。

両手で足を持って、腹筋に力を入れないようにしながらがんばって、片足ずつやっと引っ張り上げる。

腹回りの固い浮腫も最悪で、その張りつめた壁に内側から痛みの波が突き上げてきてぶち当たる感じ。

太くなった足を締め付ける弾性ストッキングが鬱陶しくてたまらないから脱ぎたいというと、脚のエコーを撮ることになる。

まともに歩けないので点滴棒と心電図などを携えて診察室まで車椅子で送ってもらう。

右足の脹脛に壁在血栓ができかかっているから弾性ストッキングを脱がないように、と言われる。

脚の太さを計り直し、弾性ストッキングをSからMに買い替える。

Lのパジャマのおなかのゴムがきつくて、痛くてたまらない。

おしっこが少ししか出ないのでA先生に膀胱のエコーも撮られた。

尿は膀胱にできていて、尿道が閉塞している様子はないとのこと。

ついでに手術創の出血したところを縫った部分を抜糸された。

A先生にも「一晩中出血する前にもっと早く縫うことはできなかったんですか?」と質問したら

「だって・・・福山さん、縫うって言ったときに怖がってたでしょう?」と意味不明な答え。

術後に出血していたなら私が麻酔から覚める前に縫えばよかったのじゃないか、と思ってしまう。

血が普通の人の基準の半分になったことの身体への負担と、

異常な浮腫がいつまで続くのか、どうしたらいいのか絶望に近い暗い気持ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2026年5月10日 (日)

開腹手術、恐怖の流血事件 4.7

今日は5月10日。カーテンの隙間から見える青葉が光って揺れている。

もう手術から1か月以上たっているが、まだ入院している。

痛みはだいぶ弱くなってきたがゼロではない。

左下腹部に先端にプラボトルがぶら下がったドレーンを入れている。

右下腹部に入っていたドレーンは昨日やっと抜けた。

一日に抗生剤スルバシリン2回、バンコマイシン2回。3回~4回の痛み止め(セレコキシブとアセトアミノフェン)

今までずっとブログを書けなかった理由は、心身ともに(痛みと熱と不安でいっぱいで)書くエネルギーがなかったということもあるが、

自分の身に起きたことが恐ろしすぎて受け止めきれなかったということもある。

今はようやく少し落ち着きつつあるので、少しずつ手術と闘病の記録を書いていこうと思う。

4月7日(火)

手術当日。

6:30アセリオ(アセトアミノフェン痛み止め)点滴。

1階の売店に腹帯(手術後の傷のまわりを固定する)を買いに行く。Sサイズだった。

10時、熱と痛みが上がってくる。手術まで痛みに耐えられるのか不安。

手術後の傷の痛みに恐怖する。

14時、手術室へ。

18時過ぎ?「終わりましたよ」と声をかけられ、手術していたことを思い出す。

個室ではなくHCU(ハイケアユニット)にいた。

腹筋に力を入れた瞬間、ビリッと今までの最悪の痛みが10なら80くらいの痛みが走る。

これが腹筋を切った痛みかと思う。

フェンタニル(医療用麻薬)のボタンを右手に持たされて、「痛みに耐えられない時に押して」と言われる。

それから信じられない恐怖体験。

手術で溶ける糸で縫合したはずの傷口の一部から出血していると言われる。

気が付くと点滴棒に真っ赤な袋が吊るされていて輸血されていた。

自分が輸血されるなんて信じられない。がんセンターで2回大きな手術をしたが輸血はなかった。

手術中ならわかる。なぜ手術の縫合が終わってから輸血するほど出血しなければならないの?という激しい疑問と恐怖で混乱する。

何度も何度も看護師さんが私のおなかから血の滴り落ちる分厚いガーゼをピンセットではずしてビニル袋に入れるのを見た。

すごい血の量。悪夢としか思えない。

執刀医(O先生)は来なかった。

婦人科のほかの先生(A先生)が来て、私の腹帯も手術着も血だらけになっているのを見て

「流血事件だ」と言った。

圧迫止血するために、出血してガーゼを当てている傷口の上に1kgの砂嚢を載せられた。

それでも血が止まらずに砂嚢をもうひとつ(計2kg)載せられた。

痛みと悪寒で朦朧とする頭でこんな恐ろしいことってあるのだろうか、なんで術後に出血しなければならないのか、と生きた心地がしない。

フェンタニルのボタンは朝まで10回近く押しただろうか・・?

輸血は3~4パックしたと思う。

結局、8日朝までずっと出血が止まらず、朝10時くらいにA先生が来て指で圧迫止血したが止まらなかったので

その場で局所麻酔をかけて出血している部分(おそらく2㎝くらい)を縫われた。

看護師さんに「顔が真っ白」と言われる。こんなに大量出血したら当たり前だと思う。

それから昼に輸血の点滴をしたまま4人部屋に戻って来た。

何種類かの痛み止めの点滴をしたと思う。

アルブミンの点滴もしたらしい。

とにかく手術中でなく手術後にこんなにも長い時間、大量出血しなければならなかったことを自分の中で受け止めきれなかった。

どのくらい出血したのか医師から全く説明がなかったので、あとから看護師さんに数字を聞いたら

「550cc。血が普通の人の半分になった」と言われて愕然とした。

輸血は4パックしたそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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