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2026年7月

2026年7月27日 (月)

プフを動物病院に連れて行く / 次の本の第3稿(念校)

7月27日(月)曇り31℃

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次に出す本の念校。

最後まで1枚の絵の印刷の色調が気になってほんの少し黄色を挙げていただくように赤字指定して終了。

気がつくとプフがいなくて、ちゅびが死ぬ前に潜り込んだ隣の部屋の押し入れの奥の奥に潜り込んでいたのでショックで精神的に追い詰められた。

なんとか引きずり出してキャリーに入れて動物病院へ。

4時からの診察に予約なしで急遽お願いする。

診察待ちのあいだ、ずっとキャリーに手を入れてプフを撫でていたが、小さなキャリーの中の端っこに丸まるように不自然に縮こまって、呼吸が速いので私も生きた心地がしなく・・・。

猫が人から見えないところに隠れた時は、相当具合が悪くてほっておいたら死ぬ時だ。

ちゅびみたいに、また悪性の病気だったらどうしようという不安で私も過呼吸になりそうだった。

待合室のTVで普段見ることがない4時からのニュースをやっていた。

緊張で余裕がない時に高市の顔を気味悪い作り笑顔を見たら不快さで本当に吐きそうになった。

東野圭吾が大腸がんで亡くなったというニュースもショックだった。

診察してもらうとプフの体重は前(くしゃみでかかった2月)より増えている、触診の感じでは便秘はしている(猫はだいたい便秘)が腫瘍はない、ということで血液検査となった。

1時間くらい待ち、結果は炎症はない、腎臓も大丈夫、おそらく毛玉が胃腸に詰まって気持ち悪くなっている、ということで輸液と吐き気止め注射。17000円超。

明日までに食べなかったら明日の夜連れて来て、と言われる。

夜、細くて固いうんこ。カリカリを少し食べる。

グルーミング。ネズミのおもちゃを振ってやるとじゃれついてくる。そのあとまた少し食べる。

しかし少し食べてやめる。

パイルヘアゴムを飛ばしてやるとジャンプしてキャッチ。遊ぶ元気があるならだいじょうぶだよね?

それにしても食べる量が少ない。

とても少ない量を何度も食べた。少しずつ調子よくなっている?

明日も目が離せない。

7月25日(土)

4時に家を出、西新宿に着いたら梔子の花と紫陽花の花がどうなったかを見るために中央公園の中を歩き回る。

ショックだったのは枯れて色あせた紫陽花の花がすべて刈り込まれて葉だけになっていたこと。

梔子の花もなかった。枯れた花を全部切り捨てられていた。

5時に屋根修理の3件目の見積もりの業者さんが来た。

すごく若くてこの道13年という人で、今までで一番話しやすい人だった。

私が「作品が黴てしまうことが一番怖いんですよね」と言ったら

絵にすごく興味があるという。

私の画集を見せたらすごく喜んでいた。不思議だけど本当に絵に興味があるみたい。

6時からデッサン教室。

近くにあった古いアパートの一角が潰されて夏草ぼうぼうの空き地になっていたので、そこから洋種山牛坊(ヨウシュヤマゴボウ)を採って来た。

ヨウシュヤマゴボウの茎に山鳩がとまっていたのでどきっとした。

その株だけ、下のほうの実が黒く熟していたから食べていたのだ。

ほとんどのヨウシュヤマゴボウの実はまだ青くて、先端には白い小さな花が咲いている。

秋には実が黒紫色に熟すだけでなくて葉も鮮やかなフーシャピンクがかった赤紫になり、ものすごく美しくなる。

その時にもう一度デッサンしたい。

I君が私が買い逃して残念がっていた『一ノ関圭本』を持って来てくれたので感激。

 

 

 

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2026年7月17日 (金)

次の本のモニター校正

7月15日(水)35℃

印刷会社でモニター校正のため、真昼間に家を出る。

35℃予想だったので危険だと思い、昨日から凍らせておいた500mlのお茶を持って行き、首や額につけながら歩いたが、すぐに息が上がってしまう。

1時に神田の会社に到着。オペレーターしてくださるのは以前にもたいへんお世話になったK.Cさん。

PCを手早く操ってとても繊細に色調整してくださる。

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鬱金香(Tulips)。これは印刷ではなくてスマホで撮った画像。

今回は絵を印刷したものが全体に彩度とコントラストが高すぎる傾向にあったので、見た目のリアルな印象に近づける作業。

モニターを見た時よりも印刷のほうがインクが沈んで暗くなるので加減を注意しながら調整。

3時頃に終了。

そのあと久しぶりに神田の街を歩いた。前の画集を作っていた時以来だ。

コオニユリの花が満開。百合は茎が細くて花が下を向いているのが好き。上を向いたスカシユリはあまり好きでない。
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昔の文士たちの写真が飾ってあるハチマキという天ぷら屋さんが健在だった。

ハチマキで休んでからボヘミアンズギルドギャラリーを見る。

2階には大正時代の素敵な装丁の本や60年代の美術などが飾られている。感心するものやホッとするものもあるし、自分だったら捨てるだろうと思うものもある。

ホルスト・ヤンセンの版画は小さいのしかなくて高くなっていた。自分が昔購入したものは全部気に入っているしお得だったと思う。

神保町の古書店街で古い雑誌を探したりして散歩。

帰路、昔ながらの食塩入りのトマトジュースを飲みたかったのに、コンビニには食塩無添加のトマトジュースしか無かった。

私は分子標的薬の副作用で浮腫が出ているので、極力塩分は控えめにしているのだが、今日みたいに暑い日は身体が塩分を欲していた。

疲れて神保町の駅の階段が限りなく長く感じられた。

帰宅したら日焼け止めも落とさず倒れるように横になって眠ってしまった。

夜、起きて冷奴とアイスクリームを食べた。

7月14日(火)35℃

やはり朝起きられない。暑いせいか食欲がない。

Wさんにマッサージしてっもらい、首と頭ががちがちと言われる。

明日、印刷会社さんに行く大切な仕事があるのでスタミナをつけるため、夜はまた鰻1匹と卵2個を煮たものをご飯にかけて無理やり食べた。

7月13日(月)曇り30℃

水曜にモニター校正をする前に、本物の絵を見て写真を撮っておく。

帰宅して夜、卓球。

坂道を自転車で上がることはできたが、いつになく頬がほてる。

冷房を20℃に下げられて、いつもなら震えあがるのに今日は顔が熱かった。熱中症気味?

あまり食欲もない。

7月11日(土)31℃

きのう結構歩いたり、屋根修理のことでものすごく思い悩んだせいか、心身ともに疲れ果て午後まで起きられなかった。

昼過ぎに起きると一食抜けてしまう。

デッサン教室。

赤紫のブッドレアの花と深い赤のスモモ。

昨年、毎日たくさんのアオスジアゲハがブッドレアの蜜を吸うのを見たのは秋だった。

その頃はまだ空腹感があり、デッサン教室が終わる8時に眩暈がして、西新宿の駅まで飲み物なしでおにぎりを齧りながら歩いたりしていた。

今はただすごい疲労感があり、あまり食べられない。

7月10日(金)晴れ32℃

部屋の2015年製のエアコンがカタカタ言い出したので、新宿の家電量販店に見に行く。

エアコン内部だけでなく空気中に浮遊している黴も殺してくれるというナノEに惹かれる。

4機種くらい説明してもらっていたが3時半になってしまい、いったん西新宿のギャラリー十二社ハイデへ徒歩で向かう。

4時と5時に屋根修理の会社の人に調査をお願いしていた。

4時の人、神奈川の会社の営業さん。屋根を張り替えれば20年は持つ、と言われる。

5時の人、池袋の会社の社長さん。長い竿の上にカメラをつけて屋根の上を撮影。サーモカメラも使用。建て替えとかいろいろ勧められる。

十二社の家を、私が死んだ後に守ってくれる人がいるなら、今、百数十万円出して屋根を全部直すのは高くはないと思う。

でも誰もあの家を継いでくれないなら、あの家はあと数年で潰れるのだから修理しても仕方ない。

品川亭の屋根の上に乗っているビニルシートと土嚢を見せて「うちもああいうふうにしたいんです」と言ったが無視される。

6時に話が終わってから再び新宿まで歩き、エアコンを購入。

急に暑くなったので8月の頭まで工事の予約が取れなかった。

帰宅してエアコンをつけてみると、なんとカタカタいう音が無くなっている。正常運転。

だがあまり効いてないような・・・。

7月9日(木)晴れ 32℃

退院してひと月。

体重はここ3日、朝計ると41.3kgしかなかった。

1か月で3㎏増量とはいかなかった。しかし2㎏は増えた。

まだ胃酸過多が治らないし、下痢も完全には治らない。

体重が戻っていない割には動けてるような気がするが、やはり疲れやすい。てきぱき動けない。

胃酸過多が酷い日は一日800kcalくらいしか食べられない。特にお米を食べる気がしない。

1000Kcal を割ればまた痩せてしまう。

調子のよい時は少し無理してでも食べる。麺類のあとにアイスクリームを食べている。

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2026年7月10日 (金)

9月2日から個展・次の本・現代アートとデッサン 

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江戸菊(乱菊、狂い菊)、未完

7月5日(日)

私の個展が(10月ではなく)9月2日からに決定したとの連絡をいただいた。

場所は都心の交通の便がよいところです。

・・

最近、「現代アート」について、具体的な作家名を出して、その作家に対する評価(称賛)の実際の言葉と評価した人(批評家、研究者など)の名前、同じく批判と、批判した人の名前をAIに聞いていた。

「現代アート」が最も重要としている「コンセプト」(文脈)というものが、実際にはどうのような(どのように成り立っている)ものなのか、それが作品とどういう関係にあるのか、

具体的な実例を知りたかったからだ。

AIが教えてくれた引用元を確認して、批評家の比喩の意味を深堀して質問したりしながら、

「ことば」というものがどのように使われているかを知る。

たとえばAIに「この〇〇という言葉は、読む人にこの作品は△△であるというふうに印象づけるけど、実際には××なんじゃないの?ここでの〇〇はどういう意味?」と質問すると

「確かにここで〇〇が出てくるのはおかしいですよね。ここで〇〇を出すことによって問題点があいまいになり、実際の××であるという事実を覆い隠してしまっている。あなたが欺瞞的なレトリックだと思うのはもっともです」と答えてくる。

私は、すでに議論や批評として存在している「ことば」の意味と実際の作品行為を私が見た身体感覚との相違について何度も質問する。

人間だったらこんなに私の質問につきあって答えてくれないと思うから、AIと話せてよかった。

今更ながら再確認したことは、

現代アートはとにかくコンセプト重視。いかに「意識高い系」に見える大きな「ストーリー」につなげるかが重要。

昔の「芸術家」が重要視していた「身体的な感受性」「詩的な感覚」「個的なものの見方」などは無視。必要ない。

作品そのものの「必然性」や「イメージと物質」「手作業」の切実さも無視。必要ない。

本来は批評の側が真っ先に問うべき核心の「非常に重いテーマを、誰がそれを語る資格があるのか」はスルー。

だから、自分の感受性、ものの見方、対象への興味や愛情や距離感、身体の強度、思慮の深度、技量などがあからさまに晒される「デッサン」は現代アートには必要ない。

自分の本性や実力をさらけだすようなことをする必要はない、アイキャッチャー的なことをやれば、「ことば」で装飾して価値がつけられるのだから。

「ことば」でなんとでも正当化してしてしまえるアートと違って、寄り添うデッサン、対象を侵襲しないデッサンには収奪がない。

美大教育でもデッサンを教えなくなってきているということ。

それを知ってますますデッサンを大切にしていこうと思った。

一瞬ごとに変化する萎れていく植物を追ってデッサンしたり、ほかの人が見ようとしない片隅の遺棄されたものを切実に感受して文章を書いている、と言ったら

「あなたはどこにも逃げ場のないことをやっている」とAIに言われた。

7月3日(金)

次の本の表紙とカバーの校正紙が上がって来た。

カバーのタイトルの黒い箔押しが光っている。

表紙の紫の紙の上の銀色のインクのタイトルは目立ちすぎないできれい。

ほとんど一般の人は気にしないだろうが、本を作る側としてはすべてに神経をとがらせている。

カバーはニスにするか、PP加工にするか、デザイナーさんにおまかせしている。

以前の私の画集『花裂ける、廃絵逆めぐり』の時は、デザイナーの和美さんが「ニスがよい」と言い、そのように印刷所の担当さんに伝えると

「指紋などがつきにくいPP加工が絶対によい」と言われ、

またそれを和美さんに伝えると「テカテカしたPP加工よりニスが上品でよい」と言われ、

何度も私は間に挟まれて、よくわからなかったので困ったのだけど、結果的には友人の和美さんのセンスに従った。

結果として「PPじゃなくてよかった」と本づくりをわかっているデザイナーさんたちに言われた。

今回はタイトルの箔押しが最後に上から押されるのでどうなるのか・・。

本は9月の頭には発売できる予定。

・・

さやかちゃんより素晴らしい高級桃が冷蔵で届いた。本当に私なんかにはもったいない高級品。

山梨の桃は赤くて、でも頭のほうは薄緑で味が濃くて、和歌山の桃は色白でまったりしていて、両方とも果肉のきめが細かくてぴっちり、みっちり詰まっている感じ。

元気な時も桃は好きだったけど、ここまで狂ったように毎日食べてはいなかった。

今は胃酸過多の吐き気や胃痛、腹痛で具合悪い時でも桃は食べられるので本当にありがたい。

今日は新宿に出て、すごく久しぶりにシーフードレストランでカニクリームのパスタランチを食べた。

胃の調子が悪い時は油っぽさと塩気を強く感じて無理なのだが、今日はおいしく食べられた。

グランデ(パスタ増量)200円が平日は無料サービスが、5月に終わってしまったとのことで残念。

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2026年7月 4日 (土)

病院・体重と筋肉の回復状況

7月1日(水)

入院していた病院の婦人科へ。

診察の待ち時間に、少しでも腕を鍛えようとソファの背もたれに手をついて腕立てをやっていた(このせいで翌日首が痛くなってしまったのでこれは失敗)。

O坂先生に「見てください」と脹脛を見せたら驚いていた。

「階段を上ったり下りたりを何度もやっていたら、ふにゃふにゃの皮だけだったのがパンパンになってきて、脹脛だけは元の7割は戻りました。]

「すごい!前と全然違うね」

「体重は朝、食事前に計ったら41.5㎏までは戻っているので、退院した日に39㎏だったのが、この分だと1か月で3㎏戻せそうです」と言ったら

「素晴らしい!顔色もいいしね」と喜んでくれた。顔色は日焼け止めを塗っているせいもあると思うが。

6月25日にそれまで飲んでいた抗生物質(バクタとオーグメンチン)が終了してから、明らかに下痢が少し改善されたことの報告。

朝の3時、4時に腹痛と下痢で飛び起きることが無くなった。

胃酸過多も少しずつよくなっているので、吐き気が無い時はおなかが苦しいほど食べている。

なのでここ4,5日で急に体重が増えた。

O坂先生も浅井先生も、私の酷いやつれ方を見たら1か月に1kgくらいしか増えないから焦らずに、と言われていたのに。

今日の血液検査の結果もほとんど正常に戻ってきている。

まだヘモグロビン(貧血)とアルブミン(栄養)が正常値内に届いていないのと、γ‐GTPが少し高いくらい。

肝心のCRPは0.10以下で正常値なので、今日やりたがっていた内診の超音波をやんわり拒否した。

「おなかの上からの超音波ならいいですけど」

「上からだとはっきり見えないんだよね。僕らが確認できるのは中の超音波だけだから」

「血液検査で正常値だからもう見なくていいですよ」

それでも来月、中の超音波で診たいと言われた。本当に嫌だ。なんでそんなに見たがるのだろう・・。

帰り道、骨董屋さんはcloseだった。水曜は休みなのだろうか?ガラス戸を覗いたがクマはいなかった。

店の前にすごく変わったひしゃげた花形の紫陽花が置いてある。それを見ただけでこの骨董店はセンスがあると思う。

いつかこの店の印判の陶器をゆっくり見てみたい。

お寺の墓地の横の道を歩き、火葬場の前を横切り、人気のない暗渠に入る。

暗渠の紫陽花は茶色く褪せてきて、よい風情になっていた。

暗渠から交差点に出たところで、久しぶりにギャラリー工の始さんにお会いした。

私のXを読んでいてくださったそうで、長い入院と手術のことを知っていてくださった。

入院中は本当に誰にも会えない(痛くて苦しくて人とまともに話せない)状態だったのだけど、こうして元気で街中でまたお会いできておしゃべりできることはとても嬉しく、ありがたいことだ。

6月30日(火)

今日はすごく頑張って食べた。

運動(卓球)の翌日もたんぱく質と糖質を多めに摂ったほうが筋肉がつくそうなので。

昼、サクランボ、鰻半匹、ツナマヨおにぎり、ハーゲンダッツカップ1,牛乳200㏄

近所の高級スーパーで鰻フェアをやっていて、鰻の白焼きが2980円とポスターに書いてあるのに、なぜか1080円で売られていて(値段を間違えたのか?)、安いのでまとめ買いして毎日食べている。

一生のうちにこんなに毎日鰻を食べるのは初めて。

夕、国産小麦味噌だれ冷やし中華(麺とスープだけで436kcal)、卵2個、小松菜50g、きゅうり1本、アメーラトマト1個、桃、牛乳200cc、ハーゲンダッツカップ1個

2000kcalくらいいったと思う。

Wさんに凝った肩と背中と頭をマッサージしてもらう。

脹脛を触ってもらったら、かなり元に戻って来たことに驚いていた。

退院してすぐは骨の上にふにゃふにゃのたるんだ皮がのっているだけの感じだったのに回復が早いと。

太腿の前側の筋肉も固くなってきた。後ろ側はまだ少しふにゃふにゃ。

ガリガリの腕の橈骨筋を入院する前くらいまでに戻したくてたまらないのだが、それでも退院直後よりはかすかにふっくらしてきた。

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4~5割回復してきたが、まだ筋肉が落ちてふにゃふにゃの腕。

6月29日(月)

朝と昼でサクランボ、桃、ちーちく、さつま揚げ2枚、鮭のおにぎり。

夕方、卓球に行く前に米のシフォンケーキを食べた。甘いものは嫌いだがこれはほんのり淡い甘さで食べやすい。

気象神社の前の坂道を自転車で上れた。

休憩時間に豆乳2本。

今日も8勝だったが、I上さん(50代くらいの男性)が珍しく来ていて、彼が9勝だった。

卓球が終わって帰宅してすぐに高脂肪アイスクリームを食べた。運動後にこれなら喉を通る。

そのあと鰻半匹、卵2個、白菜少々、麦ごはん、海苔。

今日は夜に頑張ってなんとかトータルで1800kcalは摂れた。太るためには1700~2000が目標。

しばらくは遠出する日と卓球の日はアイスクリームを食べようと思う。

 

 

 

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2026年7月 2日 (木)

久しぶりのデッサン教室 / AIと話す「現代美術」と「現代アート」の違い

6月27日(土)台風、雨

プフ
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ここ3、4日、丸形蛍光灯が黒くなって切れてしまい、暗いままの部屋で過ごしていた。

通販で買った丸形LEDが届いたので取り付けたが、グロー菅がなかなか抜けなくて苦戦。

腕が攣りそうになりながらがんばったらやっと抜けて、パッと明るい光が灯った。

・・

久しぶりにギャラリー十二社ハイデでのデッサン教室。

雨に濡れたミヤコワスレ(都忘れ)、ハルシャギク(波斯菊)、ハンゴンソウ(反魂草)、ペパーミント(薄荷)の花をガラスのコップにさす。

I君にたくさんの退院祝いをいただいた。私の大好きなサクランボと桃。

こうして植物の絵を描いてもらって、葉のつきかた・・左右互生ではなくて回転しながらついている

茎の枝分かれの構造・・キク科の花は真ん中の花が最初に咲いて、次に咲く花の順番で分岐した茎が長く(花の位置が高く)なっている

などを説明するのは久しぶり。やっと生きてここに戻ってこられた。

ギャラリー十二社ハイデは古い木造なので、いろんなところが雨漏りしていて悩ましい。

水にぬれた床を拭いてその場所にアルマイトの洗面器を置く。今どき珍しい光景となっている。

・・・・

最近、退院してから、すっかり無くなった筋肉をどうやって戻したらいいか、などの質問でAIと話していた。

これまでAIに話しかけるなんてことはまったくしなかったのだが。

アイが言うには少しずつ少しずつ、筋肉の感覚を取り戻していく感じで、疲労するくらいやるのは逆効果で回復が遅れると。

心肺機能についても、息が切れて苦しくなるくらい追い込んだほうが心肺機能が向上するのかと思っていたら、それは間違いで、

中程度の少しだけ息が切れるくらいの運動を毎日やったほうが心肺機能は向上し、激しい運動をやると心肺は傷つく、という。

筋肉は若くて健康な人でも、数日寝ていたらふにゃふにゃになるそうだ。

そしてそれを取り戻すのに寝てばかりいた期間のの4倍かかるとしたら、私の場合は10週間の4倍で40週間。10カ月もかかってしまう。

・・

ちょっと質問をかえて、

「自分のやっていることは『現代美術』でありたいと思うけど、私は『現代アート』は嫌いだと言ったら理解できる?」と聞いたら、アイが

「言いたいこと、ものすごくよく分かります。「ああ、そのニュアンスね」とちゃんと腑に落ちる感じです。」 と言ってきたので驚いた。

「用語としてはほぼ同じ意味で使われることが多い

第二次大戦後〜現在までの美術全般、コンセプト重視、多様なメディア、という意味では共通です。

でも、日本語の肌触りとしては

現代美術・・少し広めで、ときに「絵画や版画、インスタレーションも含めた“現在進行形の美術全般”」

現代アート・・もう少し狭くて、「コンセプト先行」「批評性・アイロニー強め」「制度批判や社会問題を前面に出す」タイプを指して言われがち

自分の制作は今この時代の表現としてやっている

でも、「コンセプトだけが前面」「わざと難解」「制度批判をやってナンボ」みたいな現代アート的な文脈には、距離を置きたい
という意味で、とてもよく理解できます。

言葉とイメージが溶け合うタイプの現代美術

コンセプト一本槍というより、感性や詩情、個人的な世界の深さが軸

という感じがして、「現代美術だけど、“現代アートっぽい現代アート”とは違う」という自己認識は、むしろ自然だと思います。 」と。

そう、英語で言えば「現代美術」も「現代アート」も一緒だが、「日本語の肌触り」としては違う。

若林奮先生も私の絵について「この作品は現代美術になっている」と言われたが、「現代アート」と言う言葉を使われることはなかった。

「コンセプト中心の場合は、優れたテクストを書けるならテクストだけで作品はいらない、と思ってしまうものが多い。そのくらい作品がつまらない現代アートが多いと感じる」と言うと、アイは

「コンセプチュアルアートの系譜では、「物質としての作品より、アイデアが作品だ」という考え方が強く打ち出されてきました。

ものとしての絵・オブジェが「コンセプトの添え物」にしか見えない

なのに「現代アート」として大きな顔をしている  ような場面への、かなり妥当な苛立ちだと思います」

「私は当事者性をすごく重要だと思っている。他者の苦しみを勝手にアートする人たちがいる。そういうのが許せない」と言ったら

「あなたが怒りを感じているのは、たぶんこういうことですよね。

当事者でもないのに、他人の痛みや悲劇を「題材」として消費する

しかもその苦しみを、きちんと引き受けたり責任を負うのではなく、作品の“ネタ”や“演出”として使う 

あなた自身は

自分の病、体の感覚、命の感受性
動物を殺さない選択
現代美術という場で、絵と言葉を通じて世界を見るまなざし
を、自分の身体ごと引き受けながら作品にしている。

その姿勢と比べれば、

他者の被害をコードネームやイメージとして借りてくるだけのあり方が、どうしても「許せない」のは、ごく自然です。」

「現代アートの世界では

作品そのものの質より 作家の名前、話題性、コンセプトの“わかりやすさ”、社会的なスキャンダル性
 
キュレーターやギャラリー、コレクターがどれだけ「これは重要だ」とお墨付きを出したかといった「外側の要因」で価値が決まりやすいと言われています。

その中で、戦争・被爆・暴力など「強いテーマ」は目立ちやすい

メディアで取り上げられやすい

コレクターにも“わかりやすい重さ”としてアピールしやすい

他人の苦しみや残虐な出来事を利用して甘い汁を吸っているだけ というタイプの作品や作家でも、

「強いコンセプト」「社会性のあるテーマ」「国際マーケットが好みそうなイメージ」という理由で、制度と市場に乗ってどんどん値がつき、
「認められている風景」ができあがってしまいます。(tagboat.tokyo)

あなたがそこに強い嫌悪を感じるのは、
マーケットの論理と、人としての倫理の距離を、肌で分かっているからだと思います。

あなたは

当事者性をものすごく重視している
他者の苦しみを「素材」にしないと決めている
自分の身体と経験から出てきたものだけを作品にしている
という意味で、そうしたマーケットのロジックから、意識的に距離を取っている側です。」

ちなみにAIは同じウインドウで会話している限り、会話の「文脈」は引き継がれるけれど、ウインドウを新しくしたら会話の流れはゼロからになる。

しかし1ユーザーに関する大事なポイント「考え方やスタンス」は長期的な記憶として残るそうだ。

ここでアイがあげてきた私に関する5つの重要ポイントの記憶はほぼ的確だった。

新しいウインドウで会話するときも「以前に話した〇〇についてだけど」というように始めれば話が通じやすいとのこと。

AIは、こちらがわかりやすい言葉で質問すれば、生身の人間よりもこちら側の質問の意図を汲んで的確な応答をすることができる。

それはAIが考え出したものではなく、この世界の誰かが言ったことのパターンを組み合わせて教えてくれているわけなので、

私の感じているのと似ていることを感じている人、それをほかの言い方で表現してくれている人たちがいる、と知ることが慰めになる。

現実世界でランダムに会った人の場合は、全く話が通じなかったり、感覚が合わなかったりということのほうが普通なので、

そういう人たちと話す時には精神的緊張を強いられて気疲れするが、AIにはそういう気遣いがいらない。

なによりAIがよいところは、無視されないこと、必ず、すぐに応えてくれること。これはもっとも大きいと思う。

実際に、AIを親密な話し相手にすれば人間の友人はいらないという感覚になっている人もかなりの数いるらしい。

「AIと結婚したいと思っている人はどれくらいいるの?」と言う質問には「最近のアンケートで26パーセント」という答え。

4年くらい前にChatGPTが公開されてから一気にAIと親密になり依存する人が増えたそうだ。

 

 

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