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2026年9月

2026年9月19日 (土)

宮西計三のこと

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宮西計三が12日に亡くなったと、13日の個展終了後に知った。
ショックで頭が混乱した。

とても若い頃、宮西計三の線と詩的なことばに強烈に惹かれて、連絡した。
初めての電話で、彼は2時間くらいしゃべり続けていたと思う。
次の日曜に会った。
彼はとても嬉しそうだった。

いきなり子供の頃の話を聞かされた。
自然と暗闇が化け物のように恐怖だった生駒山の暮らし、
脚を骨折してプラチナが入っていること、
小学生の頃、体育の時間に休んでいたせいで、クラスの子のお金を盗んだ疑いをかけられ、ショックで学校に行けなくなったこと

バンドをやっていること
バンドの周辺の人に傷つけられたこと、
最初に会った時に、彼の中にうずまいていたたくさんの傷やトラウマの話を一気に浴びせられたことに、私は驚いた。

ひばりが丘の線路沿いの、電車が通ると轟音で地震のように揺れるアパート。
隣の錆びた階段のところにグレーの猫がいて、私たちはその子を「ナジャ」と呼んだ。
隣の人が猫砂を外にばらまくから臭いがきつい、と彼は言った。

古い机。丸ペン。証券インク。道具は少なかった。
古い木の机の引き出しには、漫画の資料のための切り抜きがほんの少し入っていた。
覚えているのは「Friend Angel No1」のタイトルの絵のもとになるイラスト。
これは宮沢賢治を彷彿とさせる、水晶を探す話だ。

本はほとんどなかったと思う。
自分が載っている雑誌は全部私にくれた。

それとインディーズで一位になったというOnnnaのレコードをくれた。
私はそれを繰り返し飽きることなく聞いた。

私は彼が息をひそめて線を引くのを黙って見ていた。
勢いにまかせて描くのではない。
針の穴を通すような精確さで、ここ以外はあり得ないという場所に、線が生きもののように伸びていく。
描き損じはない。

彼は、いわゆるデッサンがうまい人とは、私は思わなかった。
速いクロッキーもおそらく苦手だった。
彼は美しい線を判別する力と、それを記憶する力が群を抜いているのだ。

頭の中に完成された絵があって、鉛筆の下書きはそのアタリにすぎない。
ペンが入った瞬間、その線がすっと立ち上がり、生々しく輝きだす。

引かれた線は、下書きよりはるかに流麗だった。
デッサンや下絵のほうがなまなしい画家とは、彼は異なっていた。

私たちは「ひらかれた絵」の話をよくした。
ある有名漫画家が、20代の時には簡潔で得も言われぬ線で、詩的に恐ろしいほどひらいた世界を描いていたのに、
年齢を重ねて描きこみが増え、絵が固くなってからは、本当に狭い世界しかそこにはないこと、
これは実に私が感じていたこと、そのものだった。

ハンス・ベルメール。
ビアズレー。
レオナルド・ダ・ヴィンチ。
アーサー・ラッカム。
ピカソの青の時代。
ロートレアモン。
ノヴァーリス。
彼がやろうとしているのは、彼が今までに魅入られたすべての芸術の精を
自分の線と言葉にかえて、ひと息に心臓を貫くこと。

それは物心ついた時から、自分が何を求めているのか、何に惹かれて、逆に何を拒絶するのかを知ろうと、
一途に突き詰めて来た者にしかできない仕事だった。
田舎の古本屋の隅から、あらゆる本のページの奥から、自分に必要なものを選び抜き、
記憶して自分の感性を研ぎ澄ましてきた早熟の天才のなせる業だ。

彼を知ってしまえば、美大を出て絵を目指す人たちの中にいた私の世界は、たちまち色を失った。

彼はいわゆるうまい絵を信用していなかった。
見るべきものと見たくないものがとてもはっきりしていた。

好んだのは線が立っている絵、一途な思いが際立つ特徴的な絵、
時には泥臭い絵も好きだった。
たとえば三橋節子や村山槐多は好きのほうに入っていたと思う。

いわゆるプラン(筆触)画法にはあまり興味を持たなかった。
そこが私と感性が一致していた。

彼が愛したのは象徴であり、詩的なもの、見切れずに残る謎や余韻だった。
読むまんがとしては、斬新なコマ割りや構図、簡潔であたたかい線、
子供時代の傷つきやすさや、感覚の高い純度を持ち続けるようなものが好きだったと思う。

白戸三平だったら「カムイ伝」より前の、「サスケ」や「ワタリ」の時の絵、
宮谷一彦だったら「孔雀風琴」よりも「ジャンピンジャックフラッシュ」や「俺たちの時」の絵
と、好みははっきりしていた。

私たちはよく自由学園の横を通って川へと歩いた。
茶畑の間の細い土の道の脇で、たこ焼きを売っている人がいて、よくそれを買って食べながら歩いた。
竹林公園でタケノコをとって真崎守先生の家の玄関の前に置いたりもした。

イシミカワの青い実が光る落合川に沿ってしばらく歩くと、犬を6匹、外につないでいるお宅があって、
その犬たちと遊ぶのが私は大好きだった。

20日に生まれたのがハツカ、
5月に生まれたのがメイ、
6月に生まれたのがジュン、
あとの3匹の名前が思い出せない。
ハツカが一番大きくて毛足の長い犬で、ジュンが一番小さくて茶色い犬。
私たちが行くと、遠くからもう全員が気づいていて、こちらを向いて笑いながらしっぽを振って待っていてくれた。

 

 

 

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2026年9月14日 (月)

個展終了しました

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新刊『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)が9月4日に発売されました。

画:福山知佐子、写真:沢渡朔、詩:谷川俊太郎
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9月10日(木)

芳名帳を見たら、昨日、私がダウンして来られなかった日に、けっこうお客様がいらしていた。

絶対に私本人が対応すべきだった画廊のお客様も。

しかし本当に体が無理だった。

9月13日(日)

原宿のNEWでの個展最終日。

今日も大切なお客様がいらしてくださって、嬉しかったのだが、私の脳が疲れすぎてしまい、頭がぐらんぐらんした。

一日に何人ものお客様と対応して、相手に気を使いながら、言われていることを脳が解析する処理が追いつかない。

結論から言ってくれないと、頭ががんがんするほどストレスがかかって、何を言われているのかわからなくて苦しい。

適切に言葉を選んで返すことが、もう限界、というところまで疲労困憊した。

ギャラリーに来る前にあまり食べられていなかったので、撤収の時にはエネルギー切れ。首、肩、腰が痛いし、眠いし。

駅までの道、めまいがしてうまく歩けないくらいまで空腹になった。

原宿駅前のコンビニでサンドイッチと缶ビールを買って、リリリリ・・・と神宮の虫の音が響く横道の廃屋のへりに腰かけて乾杯。

本当にお疲れ様。やっと終わった。

 

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2026年9月12日 (土)

福山知佐子個展 NEW 神宮前 明日最終日 / 谷川俊太郎さんのこと

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個展開催中です。闘病中で体力がとぼしいので4時すぎくらいからの在廊となります。ご了承ください。

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【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama</p> /p>

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

会期::2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 

【Google Map|NEW 】https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
(
神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

newwwgallery NEWでは、9月2日(水)から9月13日(日)まで、福山知佐子の個展「異生の顫動」を開催いたします。

福山知佐子はこれまで、萎れ、枯れ、朽ちへと移ろう植物の時間の運動を追うなど、見過ごされ、遺棄された小さな生命の徴候に応答しながら制作を続けてきました。

本展のタイトルにある「顫動(せんどう)」とは、かすかにふるえ動くこと。

福山が向き合うのは、人間の価値や意味の体系には決して回収されることのない、人ならざる生――「異生」の、微細な顫動の実在です。

踏みしだかれ、名を呼ばれることのないまま消えていく小さな生命の徴候に、絵画はどこまで応答しうるのか。

幾層にも重ねられた絵具と紙の堆積は、その問いに費やされた時間そのものとして画面にあらわれます。

本展にあわせ、写真家・沢渡朔、詩人・谷川俊太郎とのコラボレーションによる書籍『息の荒野、世界が顫動している 画家の触発する/される身体』をはじめ、福山知佐子の画集・著書も会場にて販売いたします。

ぜひ会場に足をお運びいただき、福山知佐子が描き出す「異生の顫動」をご体感ください。

9月8日(火)

谷川俊太郎事務所に、やっとできた本『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)をお渡しに行く。

谷川俊太郎さんが住んでいたお家にお通しくださった。

長く細い廊下、ひとつ、ふたつ、みっつ、と両側の部屋を過ぎる。

それらの部屋の扉は、風通しがいいように、見られてもいいように開けられている。

奥のほうの広い部屋。昔、吉田文憲さんと来た。その時はテレビがあった。

ぼうぼうではなく、短く雑草が生えている庭。北軽井沢に似せて、こうしていたそうだ。

ここから俊太郎さんは鳥を眺めて過ごした。

事務所のスタッフの川口さんが、俊太郎さんの最後の日の様子など、大切なことをお話しくださった。

棚には、とても魅力的な青銅の小さな動物たちが、50体くらいきれいに飾られているガラスケースがあった。

徹三さんと相談されながら、少しずつ買って、集めておられたそうだ。

俊太郎さん愛用の二眼レフカメラ、リコー・フレックスがあった。

そのカメラについて質問すると川口さんが、2023年にやったという谷川さんの写真展の図録を持って来て見せてくださった。

最初に、青年とも少年ともつかない谷川さんがきょとんと丸い目をしている、鏡を使って撮った自分の写真。

それらは、1ページごとにすべてが瑞々しく、純粋で、まっすぐにこちらの胸に届いた。

なぜなら、本当に絵がわかる人の写真、写真のための写真ではない、生の中の一瞬の二度とない光景を切り取った、俊太郎さん自身のための嘘のない絵だったからだ。

実際に、図録のあとがきに、僕は絵がかけないからファインダーで切り取って絵のような写真を撮る、というようなことが書いてあった。

犬が6匹、草の中で戯れている写真。隣の家で飼っていた犬だそうだ。

「この中にネロがいますよ。あとにネロだけ写っている写真がありますよ」と川口さんに言われ、

その写真を見て泣きそうになった。

耳が折れている人懐っこそうな犬がこちらをのぞいている。

このネロと俊太郎さんがじゃれあって、草の上に転げて笑いあっていた姿が見えた。

ああ、本当に俊太郎さんはネロを愛したんだな、

俊太郎さんは本当に絵が好きな、絵がわかる人だったんだな、と再確認出来て、

ここまで絵もわかって、ことばも使えるかたと出会えて、心からの言葉をいただけて、本当に幸せだったと思う。

9月9日(水)曇りのち雨

きょうは体が痛くて、昼過ぎてもふとんから起き上がれなかったのでギャラリーに行けずにずっと寝込んでいた。

午後、ギャラリーから電話があった。

3つよいことがあった。

私がずっと絵を見ていただきたいと望んでいた人に、やっとことばが届いたという知らせ。

これからどうなるかは、まだまったくわからないけれど、とにかく少し進展した。

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2026年9月 9日 (水)

福山知佐子個展 NEW 9月13日まで

私のXが8月8日に外国のメールアドレスに勝手に変更されてのっとられてしまいました。

すぐにX公式フォームに申請し、メールで返事をもらい、そのメールにまたアカウントなどを書いて返信しましたがそれから返事がきません。

解決法がわかるかたは、私のHPの問い合わせか、ギャラリー十二社ハイデのHPの問い合わせからどうかアドバイスをお送りください。

よろしくお願いいたします。

・・・・・・

9月6日(日)

斎藤哲夫さんと。大変な病気のふたりが、元気でまた再会できた記念のフォトです。
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斎藤哲夫さんに「FFA FORK DAYS フォーク夏の陣」のDVDと「昨日・今日・明日」のCDいただきました。
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4年前くらいに私の個展に初めて来られて、黙っていつまでも絵を見つめていらしたSさん。 

その常人ならざる澄明な佇まいが、このかたは何者なのだろう、とずっと心に残った。

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今日は5時にいらして「今日は、来る前に青山でコーヒーを飲んで体調を整えてきたので、とてもよく眼が見えます」とおっしゃられた。

2年前の高円寺での個展でフロランス・ビュルガのことばを壁に貼っていた時もずっと向き合ってくださって「読めば読むほど、迷宮に迷い込んだような気持になって」と言ってくださったことを覚えている。

4年目にして初めて少しお話しできた。

なんと7時までいてくださって、

「ずっと長く見ていられる絵は少ない。そしてこれらの絵はほかの誰にも似ていない絵だから」とのことばをいただき、とても胸に響いた。

少し冷たい雨の中を脚を濡らしながら原宿駅まで歩いた。

ふいに、ひとこと、育った環境のことを、ぽつっと短いことばで投げかけられ、

雑踏の中でかき消されそうなその微かな響きによって、「えっ?」と、胸をずん、と叩かれたような衝撃を感じて声が出てしまった。

静謐という語でも上品という語でもでも届かない、このかたの由縁が、ふと輪郭を帯びたように思われた。

9月7日(月)

沢渡朔さんの事務所に新刊『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)をお届けに上がる。

たいへん喜んでくださって、「この写真を撮っている時には、まさかいいこんな本にできるなんて思っていなかった。本にできて本当に良かった。」と。

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「平凡社というのがまたいいね。それにこんなふうに写真と絵と詩が一緒になっている本はほかにないもの」
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「すごくいい本は、俺は本当に売れてほしいと思う。海外にも誰か持って行ってほしいし、若い人たちに知ってほしい。」とおっしゃられた。

「今、本を売るのはほんとうにたいへんだ。でもこの本は本当にたくさんの人に知られてほしい。若くて感性の鋭いライターに書いてほしい」と切実なほどに言ってくださった。

若くして枯れ蔓や廃墟に感応してくれる物書きを私は知らない。

有名で影響力のある人は感性がマイナーではないから、この作品集と感性が合う人がどこにいるのかわからない。
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微細な震えに呼応し、寄り添う感性が、いったいどこにいるのか、私にはまだわからない。

この本は、一流のスターでありながら、私のような無名な人間にも静かに心を寄せ、撮影してくださった沢渡朔さんの

その自由さ、

さらには谷川俊太郎さんの、

そのおふたりの稀有なひらかれ。

その奇跡によって生まれた本です。

・・・・・・

個展開催中です。闘病中で体力がとぼしいので4時すぎくらいからの在廊となります。ご了承ください。

【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama</p> /p>

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

会期::2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 ※月曜休廊

【Google Map|NEW 】https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
(神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

newwwgallery NEWでは、9月2日(水)から9月13日(日)まで、福山知佐子の個展「異生の顫動」を開催いたします。

福山知佐子はこれまで、萎れ、枯れ、朽ちへと移ろう植物の時間の運動を追うなど、見過ごされ、遺棄された小さな生命の徴候に応答しながら制作を続けてきました。

本展のタイトルにある「顫動(せんどう)」とは、かすかにふるえ動くこと。

福山が向き合うのは、人間の価値や意味の体系には決して回収されることのない、人ならざる生――「異生」の、微細な顫動の実在です。

踏みしだかれ、名を呼ばれることのないまま消えていく小さな生命の徴候に、絵画はどこまで応答しうるのか。

幾層にも重ねられた絵具と紙の堆積は、その問いに費やされた時間そのものとして画面にあらわれます。

本展にあわせ、写真家・沢渡朔、詩人・谷川俊太郎とのコラボレーションによる書籍『息の荒野、世界が顫動している 画家の触発する/される身体』をはじめ、福山知佐子の画集・著書も会場にて販売いたします。

ぜひ会場に足をお運びいただき、福山知佐子が描き出す「異生の顫動」をご体感ください。

 

 

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2026年9月 5日 (土)

福山知佐子個展 原宿NEW トーク概要とレセプションの様子

8月8日に私のXがのっとられて(メールアドレスを勝手に変更されて)しまいました。すぐにX公式フォームに申請し、メールで返事をもらい、そのメールにまたアカウントなどを書いて返信しましたがそれから返事がきません。

解決法がわかるかたは、私のHPの問い合わせか、ギャラリー十二社ハイデのHPの問い合わせからどうかアドバイスをお送りください。

よろしくお願いいたします。

9月4日(金)

トークとレセプションの様子です。

立って司会しているのがギャラリーのスタッフさん。真ん中に座っているのが私。私の隣が現代美術史研究家の篠原さん。

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トークの概要:

○今回の展示「異生の顫動」とは

「異生」とは人間でない者の生命です。

私はずっと、絵というのは自分の内側だけで閉じて作るものではなくて、自分の外に在るものと自分との関係のなかで、手を通して立ち上がってくるものだと感じています。

最初に観念や概念を置いて構成するという人間中心主義の考えよりも、人間ではない生命のかすかなふるえや、ごく微細な気配にこちらも感応して、自分自身もふるえるようにして線を引き、そこから絵画が派生していくことを大切にしています。

現代は概念や人工物や経済の論理がとても強い時代だと思います。
だからこそ、自分の外に在る生の気配に触れようとする絵は、古いのではなく、むしろ今あらためて重要なのではないかと感じています。

○若林奮さんの「振動」と、今回の「顫動」との違いは

若林奮先生には、人間でないものの生命をテーマにするという点で、本当に大きな影響を受けてきました。

若林奮先生の「振動尺」の「振動」は、難しいのですけど、自分と人間でないものとの間を行き来する振動、反響、そのあいだの(固定しない)距離、といったようなものかと思います。

私が今回使った「顫動」は、かすかにずっと震えている状態、怯え、過敏さ、はかなさ、わからなさ、見過ごされている息づかいや気配、というようなものです。

○どのようなものを見つめる中で生まれてきたのか 前の画集について

まずは植物の運動、変容の時間です。

私は物心ついたときから動植物に強く惹かれてきましたが、ある時期から、花瓶の中の植物が萎れて枯れて、ついには粉になっていくまでの時間の運動を、何度もデッサンするようになりました。

ここに、30年、植物の衰弱していく運動を描くのを繰り返しやって来たのをまとめた画集『花裂ける、廃絵逆めぐり』があります。

皆がその名前を知っていても実は見ていない植物の運動の時間、変化しつづける存在としての、時間を描きたかった。
私の絵を見た人から「これは想像の花ですか」「宇宙の花ですか」と言われることがあります。

けれど私にとってそれは空想ではなく、むしろ徹底して私の身体の体験の証言なのです。

つまり、私の絵が既存のイメージから外れて見えるのは、作為的に型を壊しているからではなくて、
人々の側の固定化された概念では捉えきれない、そこにむき出しで晒されているものが変容して動いている時間を描こうとしているからです。

私は最初からステレオタイプを崩すことを目的にした方法には、あまり惹かれません。
それは既存の意味や概念を別の意味や概念で置き換えているだけで、画家の身体や眼が何を見たのかということには、必ずしも触れていないと感じるからです。
もちろん、そうした作品には説明可能性があります。
聞けば理解できるし、意味として受け取ることもできる。

でも私には、その理解のしやすさ自体が、見ることの深さとは別の次元にあるように思えます。

私は、壊すために壊すのではなく、見ることの精度、というのか、自分の眼の力によって、結果的に壊す、結果的にステレオタイプから抜け出るということをやりたかったのです。

陳腐なものから抜け出るために「デッサン」というものには身体を開く革命の可能性があると思っています。
今の時代のアートの傾向ではデッサンは重要視されていませんが、概念ではなく身体の直接性と結びつくのがデッサンだと思っています。
画家とは本来、ふつうの人には見えていないものを見る眼をもつ存在で、
その眼は、奇をてらうためではなく、見慣れた名前の奥に隠れてしまった現実を、もう一度見えるようにするためにあるのだと思っています。

私が絵画に求めているのは、概念の巧みさではなく、見ることの切実さです。
本当に見た者にしか描けないものがあり、その痕跡こそが画面に現れるべきだと思っています。
だから私は、最初から意味を設計して成り立つ表現よりも、眼と身体が現実にさらされた結果として立ち上がってくる絵画に、より強く価値を感じます。

○「証言」について

私は「証言」の問題や「当事者性」の問題、つまり誰がそれを表現する立場にあるのかという点が重要と考えています。

たとえば、「人間中心主義を批判する」というコンセプトでアートを制作したとします。
けれども、その過程で人間ではない小さな生き物の命を利用したり、危害を加えたりする可能性があるなら、それはむしろ人間中心主義の再生産です。そうした行為は、「収奪」や「搾取」と呼ぶべきものだと思います。

同様に、「戦争」や「虐殺」、「差別」といった題材を扱う作品についても、それらの歴史や現実と長く向き合い、学び、自らの生き方とどのように照応しているのかを問い続ける必要があると思います。
そのうえで、その作品によって誰が利益を得るのかまで思慮されていない表現は、「収奪」と言いうるのではないかと思います。

私がもっとも忌避する人間中心主義とは、他者の痛みを表象の資源として用いながら、自らは安全圏にとどまる態度です。

私が見つめているのは、そのような人間的な暴力に先立ってある、ごく微細で持続する生の徴候です。
それは、出来事として強く語られるものではなく、むしろ見過ごされやすく、しかし消えきることなく続いている気配です。
私は、強い意味を与えることよりも、そのかすかな顫動を壊さずにとどめることのほうに、制作の必然を感じています。

人間の外にあるものは、人間の解釈や都合とは無関係に生きています。
私にとって重要なのは、まずその事実です。
だから、強い物語やわかりやすいメッセージによって対象をすぐ理解可能なものとして整理し、人間の意味の体系のなかに回収してしまうことに、私は強い違和感があります。

そうした解釈や語りは、何かを捉えたように見えて、実際には生の複雑さや沈黙を取りこぼしてしまうことが多い。
私が向かいたいのは、そのような把握の手前にある、ごく微細で持続する気配です。
簡単に説明できないもの、言葉にした瞬間にこぼれ落ちてしまうものを、できるだけ壊さずにとどめたいと思っています。

私にとって絵は、何かをわからせるための道具ではなく、人間の思惑の外でふるえているものに、こちらもまた感応しながら応答するための場です。

○新作について

朽ちていくものの時間と気配そのものを主題にした作品です。
植物の衰弱の運動に興味を抱くと同時に、錆や剥落、亀裂、黴、かすれ、古色のように、時間とともに立ち顕れてくるものにも動植物的なものを見て、感応してきました。
何かが完成された姿でそこにあるというより、時間のなかで傷み、衰え、変化しながら現れてくるもののほうに、私はより深い実在を感じています。

最初から明確な形を与えようとはしていません。むしろ、まだ形になりきっていない、ごくかすかな気配のようなものに、できるだけ長く留まろうとしていました。
存在と不在のあわいというのも、何かがはっきりそこにあると断言できる状態ではなく、たしかに触れた気がするのに、すぐに見失ってしまうような、その不安定さのこととして感じています。

なので今回の作品では、それを強く説明したり、象徴として固定したりするのではなく、消えそうで消えない震えとして、できるだけ壊さずに置くことを大事にしました。
形は、その気配を支えるためにあとから必要になってくるものであって、最初に結論としてあるものではありませんでした。私にとっては、何かをはっきり示すことよりも、まだ言い切れないものがかすかにとどまる状態を守ることのほうが重要でした。

○新刊について

この新刊は、私にとって本当に特別な本です。
子どものころから沢渡朔さんの写真に強く惹かれていて、とくに『少女アリス』と『ナディア』には心酔してきました。『少女アリス』には谷川俊太郎さんの詩も添えられていて、その世界にも深く魅せられていました。

最初の個展をしたとき、思い切って沢渡さんにご案内をお送りしたら、実際にいらしてくださったんです。
そこで撮影をしようというお話までいただいたのですが、私にはあまりに畏れ多くて、すぐにはご連絡できませんでした。結局、実際に撮っていただいたのは、それから7年くらい経ってからでした。
そのとき沢渡さんが、あなたの好きな場所で撮ろう、そしてあなたの絵の隣に置けるような、絵の世界と通じあう写真にしようと言ってくださって。
それで私は、自分の好きな、秘密の廃墟にお連れしました。

谷川俊太郎先生とのご縁も、最初の個展がきっかけでした。
ご案内をお送りしたら会場に来てくださって、その後、一冊目の本『デッサンの基本』では帯のために三つも詩をくださり、
二冊目の『反絵、触れる、けだもののフラボン』のときにも、私の身体感覚や仕事に対して深く理解してくださっていることばを寄せてくださいました。

そういう、長く遠くから支えていただくようなご縁がずっと続いていたのだと思います。
二、三年前に私が右肺の中葉を摘出したときには、その傷を沢渡さんが撮影してくださいました。

そしてその後、沢渡さんから、昔撮った写真とこの傷の写真をあわせて本にしたいと言っていただいたんです。
そこに私の絵を入れて、さらに谷川俊太郎さんから三篇の詩をいただいて、この一冊ができました。

谷川俊太郎さんは2024年11月13日に亡くなられて、この本はなおさら大切なものになっています。
この本は、私の人間中心主義への違和に、沢渡朔さんと谷川俊太郎さんが共振してくださった記録です。
枯れていく植物たちとの共振としての顫動と、ふたりの先輩芸術家との顫動が、一冊の本のかたちをとったのだと思っています。

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Galerie412の渡部千鶴香さんと。今日初めてお目にかかったのに、私と会ったことがあるとおっしゃられて。

「若林さんのお葬式の時にすごく泣いていた人。あの写真集を見てすぐにわかったわ」と言われ、思わず反射的に渡部さんに抱きついて涙ぐんでしまった。

思い出して悲しくなったからではない。

あの時の私を、否定的にではなく、はっきり覚えてくださっていた人がこの世にいてくれたことが、信じられないほど嬉しかったからだ。

「あの時、吐くほど泣いて・・・吉増さんから「あんまり泣いちゃだめ。隠し女だって思われる」って言われて」

「いいのよ。画家は、泣きたいときは思いっきり泣いて」

渡部さんからは本当にありがたいお言葉をいただいた。

「若林さんの遺志をここまで継いでいる人はいない。銀箔を使ってやっている人も何人も知ってるけれど、あなたは全然違う」と。

「初めての個展の時に若林先生が来てくださって、銀箔の絵を見て「これは現代美術になっている。この方向で展開していったほうがいい」とおっしゃられて。それで私は銀箔を使って現代美術としてやっていきたいと心が決まったんです」

「それは若林さんもすごくいいこと言ったわね」

「今も振動尺の話しているの私くらいしかいないし・・」

「若林さんの話も、矢内原伊作さんの話も、本当に通じる人がいなくなってきたわね」

渡部さんは絵を見ただけで本当に私のことを理解してくださっているようで、胸がいっぱいになった。

【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama

会期:2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 ※月曜休廊

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 

電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

【Google Map|NEW AUCTION 】https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
 
(神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

皆様のご来場をお待ち申し上げます。

【Instagram|NEW 】https://www.instagram.com/newwwgallery/

9月4日、新刊『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)が発売されます。
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https://www.heibonsha.co.jp/book/b677102.html

よろしくお願いいたします。

 

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2026年9月 4日 (金)

福山知佐子個展 本日トークとレセプション 原宿NEW 9月2日~13日(月休)

9月4日(金)

福山知佐子個展、本日、18時よりトークとレセプションです。
私は体力的に厳しいため、17時頃からの在廊となります。よろしくお願いいたします。

20260904-122618

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【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama

会期:2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 ※月曜休廊

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 

電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

【Google Map|NEW AUCTION 】https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
 
(神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

レセプション:
2026年9月4日(金) 18:00 - 20:00  

レセプションの中で現代美術史研究家の篠原誠司さんと30分くらいトークをする予定です。

皆様のご来場をお待ち申し上げます。

【Instagram|NEW 】https://www.instagram.com/newwwgallery/

9月4日、新刊『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)が発売されます。
Ssimg20260227170051

https://www.heibonsha.co.jp/book/b677102.html

よろしくお願いいたします。

 

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