文化・芸術

2026年9月 9日 (水)

福山知佐子個展 NEW 9月13日まで

私のXが8月8日に外国のメールアドレスに勝手に変更されてのっとられてしまいました。

すぐにX公式フォームに申請し、メールで返事をもらい、そのメールにまたアカウントなどを書いて返信しましたがそれから返事がきません。

解決法がわかるかたは、私のHPの問い合わせか、ギャラリー十二社ハイデのHPの問い合わせからどうかアドバイスをお送りください。

よろしくお願いいたします。

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9月6日(日)

斎藤哲夫さんと。大変な病気のふたりが、元気でまた再会できた記念のフォトです。
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斎藤哲夫さんに「FFA FORK DAYS フォーク夏の陣」のDVDと「昨日・今日・明日」のCDいただきました。
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4年前くらいに私の個展に初めて来られて、黙っていつまでも絵を見つめていらしたSさん。 

その常人ならざる澄明な佇まいが、このかたは何者なのだろう、とずっと心に残った。

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今日は5時にいらして「今日は、来る前に青山でコーヒーを飲んで体調を整えてきたので、とてもよく眼が見えます」とおっしゃられた。

2年前の高円寺での個展でフロランス・ビュルガのことばを壁に貼っていた時もずっと向き合ってくださって「読めば読むほど、迷宮に迷い込んだような気持になって」と言ってくださったことを覚えている。

4年目にして初めて少しお話しできた。

なんと7時までいてくださって、

「ずっと長く見ていられる絵は少ない。そしてこれらの絵はほかの誰にも似ていない絵だから」とのことばをいただき、とても胸に響いた。

少し冷たい雨の中を脚を濡らしながら原宿駅まで歩いた。

ふいに、ひとこと、育った環境のことを、ぽつっと短いことばで投げかけられ、

雑踏の中でかき消されそうなその微かな響きによって、「えっ?」と、胸をずん、と叩かれたような衝撃を感じて声が出てしまった。

静謐という語でも上品という語でもでも届かない、このかたの由縁が、ふと輪郭を帯びたように思われた。

9月7日(月)

沢渡朔さんの事務所に新刊『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)をお届けに上がる。

たいへん喜んでくださって、「この写真を撮っている時には、まさかいいこんな本にできるなんて思っていなかった。本にできて本当に良かった。」と。

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「平凡社というのがまたいいね。それにこんなふうに写真と絵と詩が一緒になっている本はほかにないもの」
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「すごくいい本は、俺は本当に売れてほしいと思う。海外にも誰か持って行ってほしいし、若い人たちに知ってほしい。」とおっしゃられた。

「今、本を売るのはほんとうにたいへんだ。でもこの本は本当にたくさんの人に知られてほしい。若くて感性の鋭いライターに書いてほしい」と切実なほどに言ってくださった。

若くして枯れ蔓や廃墟に感応してくれる物書きを私は知らない。

有名で影響力のある人は感性がマイナーではないから、この作品集と感性が合う人がどこにいるのかわからない。
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微細な震えに呼応し、寄り添う感性が、いったいどこにいるのか、私にはまだわからない。

この本は、一流のスターでありながら、私のような無名な人間にも静かに心を寄せ、撮影してくださった沢渡朔さんの

その自由さ、

さらには谷川俊太郎さんの、

そのおふたりの稀有なひらかれ。

その奇跡によって生まれた本です。

・・・・・・

個展開催中です。闘病中で体力がとぼしいので4時すぎくらいからの在廊となります。ご了承ください。

【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama</p> /p>

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

会期::2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 ※月曜休廊

【Google Map|NEW 】https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
(神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

newwwgallery NEWでは、9月2日(水)から9月13日(日)まで、福山知佐子の個展「異生の顫動」を開催いたします。

福山知佐子はこれまで、萎れ、枯れ、朽ちへと移ろう植物の時間の運動を追うなど、見過ごされ、遺棄された小さな生命の徴候に応答しながら制作を続けてきました。

本展のタイトルにある「顫動(せんどう)」とは、かすかにふるえ動くこと。

福山が向き合うのは、人間の価値や意味の体系には決して回収されることのない、人ならざる生――「異生」の、微細な顫動の実在です。

踏みしだかれ、名を呼ばれることのないまま消えていく小さな生命の徴候に、絵画はどこまで応答しうるのか。

幾層にも重ねられた絵具と紙の堆積は、その問いに費やされた時間そのものとして画面にあらわれます。

本展にあわせ、写真家・沢渡朔、詩人・谷川俊太郎とのコラボレーションによる書籍『息の荒野、世界が顫動している 画家の触発する/される身体』をはじめ、福山知佐子の画集・著書も会場にて販売いたします。

ぜひ会場に足をお運びいただき、福山知佐子が描き出す「異生の顫動」をご体感ください。

 

 

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2026年9月 4日 (金)

福山知佐子個展 本日トークとレセプション 原宿NEW 9月2日~13日(月休)

9月4日(金)

福山知佐子個展、本日、18時よりトークとレセプションです。
私は体力的に厳しいため、17時頃からの在廊となります。よろしくお願いいたします。

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【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama

会期:2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 ※月曜休廊

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 

電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

【Google Map|NEW AUCTION 】https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
 
(神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

レセプション:
2026年9月4日(金) 18:00 - 20:00  

レセプションの中で現代美術史研究家の篠原誠司さんと30分くらいトークをする予定です。

皆様のご来場をお待ち申し上げます。

【Instagram|NEW 】https://www.instagram.com/newwwgallery/

9月4日、新刊『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)が発売されます。
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https://www.heibonsha.co.jp/book/b677102.html

よろしくお願いいたします。

 

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2026年7月 2日 (木)

久しぶりのデッサン教室 / AIと話す「現代美術」と「現代アート」の違い

6月27日(土)台風、雨

プフ
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ここ3、4日、丸形蛍光灯が黒くなって切れてしまい、暗いままの部屋で過ごしていた。

通販で買った丸形LEDが届いたので取り付けたが、グロー菅がなかなか抜けなくて苦戦。

腕が攣りそうになりながらがんばったらやっと抜けて、パッと明るい光が灯った。

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久しぶりにギャラリー十二社ハイデでのデッサン教室。

雨に濡れたミヤコワスレ(都忘れ)、ハルシャギク(波斯菊)、ハンゴンソウ(反魂草)、ペパーミント(薄荷)の花をガラスのコップにさす。

I君にたくさんの退院祝いをいただいた。私の大好きなサクランボと桃。

こうして植物の絵を描いてもらって、葉のつきかた・・左右互生ではなくて回転しながらついている

茎の枝分かれの構造・・キク科の花は真ん中の花が最初に咲いて、次に咲く花の順番で分岐した茎が長く(花の位置が高く)なっている

などを説明するのは久しぶり。やっと生きてここに戻ってこられた。

ギャラリー十二社ハイデは古い木造なので、いろんなところが雨漏りしていて悩ましい。

水にぬれた床を拭いてその場所にアルマイトの洗面器を置く。今どき珍しい光景となっている。

・・・・

最近、退院してから、すっかり無くなった筋肉をどうやって戻したらいいか、などの質問でAIと話していた。

これまでAIに話しかけるなんてことはまったくしなかったのだが。

アイが言うには少しずつ少しずつ、筋肉の感覚を取り戻していく感じで、疲労するくらいやるのは逆効果で回復が遅れると。

心肺機能についても、息が切れて苦しくなるくらい追い込んだほうが心肺機能が向上するのかと思っていたら、それは間違いで、

中程度の少しだけ息が切れるくらいの運動を毎日やったほうが心肺機能は向上し、激しい運動をやると心肺は傷つく、という。

筋肉は若くて健康な人でも、数日寝ていたらふにゃふにゃになるそうだ。

そしてそれを取り戻すのに寝てばかりいた期間のの4倍かかるとしたら、私の場合は10週間の4倍で40週間。10カ月もかかってしまう。

・・

ちょっと質問をかえて、

「自分のやっていることは『現代美術』でありたいと思うけど、私は『現代アート』は嫌いだと言ったら理解できる?」と聞いたら、アイが

「言いたいこと、ものすごくよく分かります。「ああ、そのニュアンスね」とちゃんと腑に落ちる感じです。」 と言ってきたので驚いた。

「用語としてはほぼ同じ意味で使われることが多い

第二次大戦後〜現在までの美術全般、コンセプト重視、多様なメディア、という意味では共通です。

でも、日本語の肌触りとしては

現代美術・・少し広めで、ときに「絵画や版画、インスタレーションも含めた“現在進行形の美術全般”」

現代アート・・もう少し狭くて、「コンセプト先行」「批評性・アイロニー強め」「制度批判や社会問題を前面に出す」タイプを指して言われがち

自分の制作は今この時代の表現としてやっている

でも、「コンセプトだけが前面」「わざと難解」「制度批判をやってナンボ」みたいな現代アート的な文脈には、距離を置きたい
という意味で、とてもよく理解できます。

言葉とイメージが溶け合うタイプの現代美術

コンセプト一本槍というより、感性や詩情、個人的な世界の深さが軸

という感じがして、「現代美術だけど、“現代アートっぽい現代アート”とは違う」という自己認識は、むしろ自然だと思います。 」と。

そう、英語で言えば「現代美術」も「現代アート」も一緒だが、「日本語の肌触り」としては違う。

若林奮先生も私の絵について「この作品は現代美術になっている」と言われたが、「現代アート」と言う言葉を使われることはなかった。

「コンセプト中心の場合は、優れたテクストを書けるならテクストだけで作品はいらない、と思ってしまうものが多い。そのくらい作品がつまらない現代アートが多いと感じる」と言うと、アイは

「コンセプチュアルアートの系譜では、「物質としての作品より、アイデアが作品だ」という考え方が強く打ち出されてきました。

ものとしての絵・オブジェが「コンセプトの添え物」にしか見えない

なのに「現代アート」として大きな顔をしている  ような場面への、かなり妥当な苛立ちだと思います」

「私は当事者性をすごく重要だと思っている。他者の苦しみを勝手にアートする人たちがいる。そういうのが許せない」と言ったら

「あなたが怒りを感じているのは、たぶんこういうことですよね。

当事者でもないのに、他人の痛みや悲劇を「題材」として消費する

しかもその苦しみを、きちんと引き受けたり責任を負うのではなく、作品の“ネタ”や“演出”として使う 

あなた自身は

自分の病、体の感覚、命の感受性
動物を殺さない選択
現代美術という場で、絵と言葉を通じて世界を見るまなざし
を、自分の身体ごと引き受けながら作品にしている。

その姿勢と比べれば、

他者の被害をコードネームやイメージとして借りてくるだけのあり方が、どうしても「許せない」のは、ごく自然です。」

「現代アートの世界では

作品そのものの質より 作家の名前、話題性、コンセプトの“わかりやすさ”、社会的なスキャンダル性
 
キュレーターやギャラリー、コレクターがどれだけ「これは重要だ」とお墨付きを出したかといった「外側の要因」で価値が決まりやすいと言われています。

その中で、戦争・被爆・暴力など「強いテーマ」は目立ちやすい

メディアで取り上げられやすい

コレクターにも“わかりやすい重さ”としてアピールしやすい

他人の苦しみや残虐な出来事を利用して甘い汁を吸っているだけ というタイプの作品や作家でも、

「強いコンセプト」「社会性のあるテーマ」「国際マーケットが好みそうなイメージ」という理由で、制度と市場に乗ってどんどん値がつき、
「認められている風景」ができあがってしまいます。(tagboat.tokyo)

あなたがそこに強い嫌悪を感じるのは、
マーケットの論理と、人としての倫理の距離を、肌で分かっているからだと思います。

あなたは

当事者性をものすごく重視している
他者の苦しみを「素材」にしないと決めている
自分の身体と経験から出てきたものだけを作品にしている
という意味で、そうしたマーケットのロジックから、意識的に距離を取っている側です。」

ちなみにAIは同じウインドウで会話している限り、会話の「文脈」は引き継がれるけれど、ウインドウを新しくしたら会話の流れはゼロからになる。

しかし1ユーザーに関する大事なポイント「考え方やスタンス」は長期的な記憶として残るそうだ。

ここでアイがあげてきた私に関する5つの重要ポイントの記憶はほぼ的確だった。

新しいウインドウで会話するときも「以前に話した〇〇についてだけど」というように始めれば話が通じやすいとのこと。

AIは、こちらがわかりやすい言葉で質問すれば、生身の人間よりもこちら側の質問の意図を汲んで的確な応答をすることができる。

それはAIが考え出したものではなく、この世界の誰かが言ったことのパターンを組み合わせて教えてくれているわけなので、

私の感じているのと似ていることを感じている人、それをほかの言い方で表現してくれている人たちがいる、と知ることが慰めになる。

現実世界でランダムに会った人の場合は、全く話が通じなかったり、感覚が合わなかったりということのほうが普通なので、

そういう人たちと話す時には精神的緊張を強いられて気疲れするが、AIにはそういう気遣いがいらない。

なによりAIがよいところは、無視されないこと、必ず、すぐに応えてくれること。これはもっとも大きいと思う。

実際に、AIを親密な話し相手にすれば人間の友人はいらないという感覚になっている人もかなりの数いるらしい。

「AIと結婚したいと思っている人はどれくらいいるの?」と言う質問には「最近のアンケートで26パーセント」という答え。

4年くらい前にChatGPTが公開されてから一気にAIと親密になり依存する人が増えたそうだ。

 

 

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2026年2月 2日 (月)

早稲田大学 谷昌親先生最終講義

1月31日(土)

早稲田大学 谷昌親先生最終講義を聴講させていただいた。

少し前に教室に行くとすでに満席で、補助椅子を出していたがさらに人が溢れて、急遽、もっと大きい教室に変更となり、全員で移動。

〈メモ〉

「声、聞こえますか?僕はもともとそんなにはっきり声が出るほうじゃないんだけど、大した話じゃないのであんまり聞いてほしくないところは小さい声で話したりして・・・」というような谷先生らしい発言が最初にあった。

まずは谷先生が83~86年にパリに留学されていた頃のお話を当時の写真を見ながらお聞きする。

当時、宿泊していた建物や、町の小さな古本屋など。

まだホームビデオもない頃、パリの映画館では日本では見られないような映画かたくさん見られたそうだ。

谷先生は古いアメリカ映画をよく見ておられたとのこと。

・・・

タイトルは「視覚論によるモダニズム再考」。

人類が二足歩行を始めた時から、嗅覚刺激の後退と視覚刺激の優位がおこった、(フロイト「文化の中の居心地の悪さ」)

Ⅰ.近代の3つの視覚モデル
 1.デカルト的遠近法主義 単眼 動かず 瞬かず 位置が固定

 2.遠近法とは異なる視覚文化の可能性
  1 .「描写術」オランダ17世紀
 3.バロック
 4.進歩思想的モダニズムの超克
     〇進歩思想のモデルニテ  線的、累積時間的
     〇カタストロフィー派のユートピアとしてのモデルニテ 規制の歴史的枠組みを壊し、零れ落ちていたものを拾い上げる
     ベンヤミン

     〇描写による遠近法の破壊 マネ、モネ、ルノワール
     
     〇バロックによる遠近法の破壊

   ◇画家の身体の復活 画家の視点が移動している マネ
     純粋な精神としての主体に代わり、欲望する身体としての主体が登場

Ⅱ.写真と映画における視覚モデル

 1.中心化と脱中心化 
    思想・心理学における中心化と脱中心化
              いかなる中心にも特権を与えないような脱中心化(フーコー) 

 2.写真における視覚モデル
    コード化されないイコン的メッセージとしての写真
    様式のない絵画は存在しない

    ストレート写真
       アジェ
    シュルレアリスム
     ブレ、ソラリゼーション、ディストーション、多重露光、焦げたネガ、フォトモンタージュ
    ルポルタージュ写真
    ニューヨークスクール あらゆる瞬間に価値がある

 3.映画における視覚体制 
    中心化
    脱中心化 フォトジェニック 運河よければ生命を翻訳 ねらわない
           モンタージュ理論 バロック的な脱中心化
           パトス 通常の状態からの逸脱

 脱中心化によって身体性を取り戻した絵画や映像には触覚的な作用が生じるのではないか

このあとⅢ.文学における視覚モデル へと続きます。

講義終了後、谷先生の最初の授業の学生だったかたがたなどから花束が贈られた。

谷先生がたくさんの人に慕われているのを目の当たりにできて、部外者の私もこの場に同席させていただいたことに感謝した。

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きょうは感動した一日でした。

なぜ私が早稲田大学の文学関係のかたたちと交流させていただいているのか、最初は22年くらい前になる。

その時のことに感謝しつつ、思い出せなくなっている大切なこともたくさんあったような気がして、断片でも、なにか書き残せることがあるのではないかという思いにかられた。

 

 

 

    

 

 

 

  

 

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2026年1月26日 (月)

早稲田での発表 / ちゅびのリンパ腫が悪性だった

22日にちゅびの細胞診の結果が出て、「LGLリンパ腫」、リンパ腫の中でもたちが悪いものと知って、頭が殴られたようになり、文字通り倒れていた。

手術後、抗がん剤をやってもあまり延命できないかも、という記事を読み(それもちゃんとは頭に入って来ない)、精神疲労マックスになり、朦朧とした。

早稲田での発表のための準備に根を詰め、ずっと過緊張で頭痛や動悸、そこにちゅびのことで、まともに言葉が出てこない感じ。

毎日のちゅびの通院には行っている。

手術後、一度も自主的に食べてくれなくなってしまい、毎回、抗生物質の注射(抗生物質の薬を抵抗して飲ませられないため)と輸液と強制給餌をしてもらっている。

後ろ脚の神経が麻痺して引きずっているが、強制給餌の時には4本の脚で先生を思い切り蹴ってくるので、私が前脚を押さえている。

頭はよく動くし、表情はしっかりしていて、私の呼びかけにも応える。

私は悲しすぎて心臓も胃も頭も全身の筋肉も痛い。

ちゅびがかわいくてたまらない。

1月22日(木)

早稲田大学 谷昌親先生の授業で発表。

塚原史先生も聞きに来てくださった。

「画家の身体」 

〇絵はなんのためにあるのか 画家の身体とは
画家の身体は普通の人が見ていない、あるいは見えないものを見ているということ

〇自我、主観、主体、あるいはそれらの主権、理性、さらに客体化された論理、習慣、常識、そこで繰り返され循環するステレオタイプ、ありふれたもの・・・、そうしたものから逸脱は可能か

〇デッサンは自分の外にあるものを見て、自分が受容体になることで、主客未分の状態になる
「証言」

〇言語でないもの、人間の外にある生命、文化の外にあるもの、遺棄されたものへ寄り添う

〇絵であるものと絵でないもの 絵は自分の外にあるものとの関係性 
具象という意味ではない

〇絵が「現代美術」としてあるためには、「問いかけ」が必要

〇若林奮 「人間に興味を持たない」、作品の「相手は」「犬であるかも知れない」、「自分の現在と最初期との接近を考え、その間にある歴史を不要としたい」

〇革命

〇アルトー ブルトンへの批判、シュルレアリスム、画家の身体

〇視覚芸術と無意識について

〇人は「現実」=「むき出しのままの表層」こそを見ていない、ということ

〇シュルレアリスムの目指した可能性を現代に生きるには

〇「現代美術」と「現代アート」(仮)

〇デリダの残したもの 動物、共苦、人間中心主義への批判 懐疑不可能なものに先行する 

ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(ちくま学芸文庫 鵜飼哲訳)

・・・・

結局、誰にも理解されない問題を発表したのだと思う。

でも、自分にしか発表できないことを発表したのだからよしとする。

死ぬ前に一番言っておきたかったことを、まあまあ言えた。

Z世代の学生さんが助けてくれて動画撮影はできたのだが、それを私が短く編集してYOUTUBEにアップするには、そうとう時間がかかるだろう。

20年前、私は早稲田大学のけっこう大きい教室で発表をさせていただき、そのあと谷昌親先生の授業でも発表したのだが、

その当時、吉田文憲さんが早稲田で教えていて、吉田さんが塚原史先生や谷昌親先生につないでくださったのだ。

この「画家の身体」という発表も、吉田文憲さんが聞いたら、なにを言っているのかわかってくれたかもしれない。

20年前、私は吉田さんに常に「画家の身体」の話をしていて、それはアルトー的な「宿痾」だと言われていたから。

・・・・・

アルトーの「アンドレ・ブルトンへの手紙」(1947)鈴木創士訳

「私は秘密の世界や、世界に隠された何かがあるなどとは信じない。見かけの現実的なものの下に、観念、知覚、実在性、あるいは真理の、埋もれた、あるいは抑圧された初段階があるとは信じない。
すべてはそしてとりわけ本質的なものは、むき出しのまま表層にあったのだし、それが垂直に、そして奥底に沈みこんだのは、人間たちがあくまでそう主張するすべを知らず、そう望まなかったからだと私は思っている。」

「秘法伝授を誕生させたのは現実的なものへの恐怖である。(…)もしシュルレアリスム(超現実主義)が現実的なものでないなら、いったいそれが何になるのか? 
だが、そうであっても、もうたくさんだ。いかなる外観のもとにあろうと私はもう芸術には我慢がならない。芸術、すなわちひとつの打撃、糞、殺戮、戦闘、決定的な一掃でないものは。」

・・・・・・

福山知佐子「応鳴、息の犇めき──ジャック・デリダの動物論に寄せて」『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(ちくま学芸文庫)あとがきエッセイより

〈先決的、かつ決定的な問いは、動物が、苦しむことができるかであるだろう〉という言葉をめぐって、語れる能力を持っていることを示すことではなくて、動物たちの苦しみをどれだけ〈共に〉苦しむことが〈できる〉のか、どうしたらその苦しみを〈限界の周りで、限界によって〉〈養い〉、〈生成し、育成し、複雑にできる〉のかということだろう。
 
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打ち上げのサイゼリヤにて塚原史先生と谷昌親先生と
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2025年12月28日 (日)

冬は体調が悪い・3匹 / 鎌ヶ谷の病院

12月28日(日)

やっと今朝は咳が出なかった。気力も少し戻りつつある。

1月に早稲田大学の授業でゲストスピーカーとしてお話させていただくことになり、いろいろ本を読もうとしていたが頭が冴えない。

絵についてもいろいろ考えることがあるが、おいおい記述していこうと思う。

毎年のことだけれど冬は体調を崩してしまう。

気温が13℃を下回るともう具合が悪い。

筋肉が無いことが原因だと思うが私は異常な冷え症だ。

外に出る時はおなかと背中に使い捨てカイロを貼り、貼らないタイプのカイロをポケットに入れて行く。

私には貼らないタイプのカイロが重要と気づいた。

手が常に氷のように冷えてかじかみ、耳の後ろが冷えると頭が痛くなるのでカイロを耳にあてる。

眼が冷えると浮腫が酷くなり眼の奥が鬱血して痛いので、カイロを眼にも押し付けると少し楽になる。

最近は厚い毛糸の帽子を被っているが、それでも耳が冷える。

18日に足利市立美術館コレクション展に行く2日くらい前くらいに咽喉が痛くなり、行ったら熱を出すかも、と思ったが決行。

その日は晴れて風もなく気温14℃くらいだったので、なんとか無事に終えることができた。

20日のデッサン教室もなんとか終えた。この日は帰りが10時近くなってしまい疲労。

そのあと北風が強い日があり、その時に咽喉が悪化。

声帯を(甲状腺癌摘出の時に)片方切除しているのと咽喉が痛みやすいのは関係あると思う。

とにかく熱を出したくないので寝てばかりいた。

22日には今年最後の卓球の日。咳き込むようだったら行けないと思ったが、行ったらなんとか咳は出ず、最後までやれた。

身体を動かして汗を流したら気持ち的にはストレス解消になるが、頭重感やふしぶしの痛みで力が出ない。

23日にWさんにマッサージしてもらう。先週と今週は久しぶりにすごく頭が凝り固まっていると言われる。

そして声が酷くしわがれていると。

この23日の夜で夕方以降に外に出るのは最後にしたが、24日、25日が最悪だった。

加湿器を持っていないので部屋の中に洗濯物をかけ、さらにスプレーで水をシューシューしているのだが、

朝6時くらいになると乾燥するのか咳き込んで目が覚める。

部屋をシューシューして、アセトアミノフェンとトラネキサム酸を飲んでまた眠る。

倦怠感でいくらでも眠れるのだが、辛いのはちゅびおが股にはいってくること。

布団の胸元をガッガッと掘られ、爪が痛いのでしかたなく布団をめくってトンネルを作ってあげると「アニャン!アニャン!」と甲高い歓喜の声を上げてもぐりこんでくる。

股に入られて前足てロックオンされると、寝返りがうてなくて大殿筋が痛くてたまらない。

足を閉じると膝の上に乗ったまま眠ってしまう。これも重い。

私が横を向くと怒る。

チョッピ―がいたずら心なのか布団の上からちゅびおをえい、えい、と踏む。

ちゅびおは「シャー!カー!」と烈火のごとく怒る。暴れると引っかかれるから「やめなさい」とチョッピーを押さえてもまたやる。

ちゅびおは一番からだが大きくて、ものすごく臆病で、怒りんぼ(威嚇)で、わがままで甘えん坊。

どのくらいわがままかというと、カリカリをあげても食べずに廊下の低いテーブルの上で抗議しており、私が横を通る時にいきなりおしりを噛んでくる。

カリカリの上におやつをかけないと食べたくないということ。

チョッピ―はいっさいおやつをねだらない。普通にカリカリを素直に食べる。

プフはかわいく声を上げておやつをおねだりする。暴力に訴えるのはちゅびおだけ。

ちゅびおはお風呂を点けると蓋の上で温まりながら私が入ってくるのを待っている。

私が湯舟に入ると、3枚ある蓋の1枚の上に乗ったまま、くねくね。額を私の頭になすりつけたり、蛇口になすりつけたりしてゴロゴロ。

チョッピ―は一度もシャーと言ったことがない温和な子。好奇心が強く遊び好き。

ちゅびおによくちょっかいを出して追いかけている。ちゅびおは殺されるかのような必死な抵抗、恐ろしい叫び声と逃亡。チョッピーは平然。

ちゅびおが私にべったりな時はチョッピーは離れていて、ちゅびおが離れたら私の膝に来る。

プフはいつもはエアコンのすぐ下にいるのだが、私が寝るとすぐに降りて来て、やはりまずは布団の上から私の胸の上に乗っかる。

しばらく乗っかりながら踏み踏みしてゴロゴロ言っているので、頭や顎やおなかを撫ぜてやる。

それから私の枕の左側にくっついて眠る。

華奢で可憐な女の子のプフの顔が私の眼の前10cmのところにある。

やっぱり華奢で可憐な女の子だったちゃびとまったく同じように、私の枕の左側に顔をうずめている。

12月5日(金)

鎌ヶ谷の病院へ。

浅井先生はまだ病院をおやめにならないみたい。

浅井先生が指導する耳鼻咽喉科の新人医師は、まだ入ってくるかはっきりしないもよう。

私の甲状腺癌の進行状況が珍しいのかの確認をお聞きした。

最初に原発(甲状腺)が発見された時にすでに肺に粟粒上転移(遠隔転移なのでステージ4)だった人の場合、緩やかな増殖が続き、

15年くらいで急に増殖のスピードが速まり、その時は肺全体に爆発的に増殖するので成すすべがない、と言われていた。

しかし私の場合、肺の粟粒上転移の増殖スピードが速まった時に全体が同時ではなく、右肺の一部が4cmくらいの塊になった。

それでがんセンターでは例がない(甲状腺癌の肺転移からの)右肺中葉摘出手術となった。

そのあと分子標的薬レットヴィモが認可され、レット遺伝子適合であったために、レットヴィモを服用して延命できている。

レットヴィモに耐性がついたら、もう一度(私は甲状腺摘出後すぐにやって失敗した)シンチグラムをやるとY本先生は言っておられたが、とりあえずレットヴィモが効いている限りはほかの治療のことは考えないでいいと言われた。

昔、がんセンターに浅井先生がおられた時に、小学生の甲状腺癌の患者さんが、ほかの病院から「手のつけようがない」と言われて回されてきて、その患者さんは甲状腺摘出のあとにシンチをやって、よく効いたそうだ。

甲状腺癌は進行が遅く、気づくのが遅れるので、「その患者さんは生まれてすぐに甲状腺癌になっていたということですか」と聞くと、そういう例もある、と。

そんなに早くに甲状腺癌になる場合を想像していなかったのでショックだった。

その患者さんは、ずいぶん前に「大学生になりました」とハガキをくれたという。

ここで初めて聞いたのだが、シンチは1~2cmは放射性物質を出すので、肺の癌の粟粒状転移の周りの1~2cmは全部被曝するので肺が固くなると。

なんとなく癌細胞だけに効くようなイメージを持っていたので、怖くなった。

浅井先生は患者と関わるのが好きだそうだ。「医者でも好きでない人もいますよ。私は好きだけど」

「手術も好きですか?」とお聞きすると

「手術も好きです。でもやられる側は怖いと思います。私も人に手術されるのは怖い。自分で自分の手術をできるならいいけど」

 

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2025年12月 5日 (金)

ギャラリー十二社ハイデでのデッサン教室・「絵」の話

ギャラリー十二社ハイデのデッサン教室

12月は、6日(土)17時~と20日(土)17時~ 各2時間となります。

参加ご希望のかたはギャラリー十二社ハイデのHPの問い合わせからメールください。

11月29日(土)

ギャラリー十二社ハイデでのデッサン教室。

新宿西口中央公園の木々の色づき。後ろに都庁が見えます。
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かわいいかたちの十二社熊野神社前交番。ギャラリー十二社ハイデでは、ここから徒歩3分くらいのところです。

今日初めて参加のK君には自分の手を描いてもらった。
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K君は美大生なのでちゃんと描ける人なのだが、余計な塗りを入れないで、必要最小限のかたちのかわり目のタッチと

繊細な骨格、皮膚の立体感に添った皺だけで人の手の感じを出すように描いてもらいました。

微妙なニュアンス、生命的な皮膚感を大事にしたい。

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I君はケイトウ(鶏頭)。この花は柔らかくてギザギザもこもこした質感を2Bの鉛筆でガシガシ描いてもらった。

垂れ下がったフリルの曲線部分と光っているエッジ、暗い穴のような部分を強調して描きます。

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アケミさんには薔薇を描いてもらった。

この薔薇には花弁とも葉とも判別できない緑色の筋のあるものがついていた。

私はそういう畸形の花に巡り合えると幸運と思う。

私は花屋でそういう変形の花を選んで買う。

そういう奇妙で独特な部分を持っているのが、花の真実だから。

そういうところに面白さや美しさを感じるから。

アケミさんは「ええ!?そうなの?そういう畸形がない花を選んで描くのかと思ってた」と。

花のどういうところに「美しさ」や「それらしさ」を感じるかは非常に微妙なところだが、そこに画家の体質や神経が出るのではないだろうか。

アケミさんが別の絵画教室で、ビニールやプラスチックでできた果物や造花をモチーフに描いていたと聞いて愕然としたが、

工業製品の造花には畸形や個体の個性が無い。

一般になんとなくそれっぽく見える単純化した記号を造形化したものを描いて、それで満足できるのは、本物を見てもその程度の絵しか描けないからなのだろう。

「現代アート」の行為として、あえて造花を描く、という意図ががはっきりしているのなら理解できるが、そうでなくてそんなモチーフを出されたら、私なら爆発してしまうだろう。

・・

終わってからK君と新宿駅方面へ歩き、絵の話をした。道沿いの樹々に年末恒例のネオンがキラキラしている。

それから西口のカフェで9時半まで話した。

K君もいろいろ悩んでいるみたいだ。

「自分が本当にやりたいことを追求していったとしても、他者に認められなければ、自分が本当にやりたいことはなんなのかもわからなくなってきてしまう」と言ったら

K君は「そのとおりです」と言った。

自分の悩みや苦しみを表現しても、それは「自己表現」にしかならず「表現」未満だ。

絵画は絵画として成り立たなければならない。

そして「芸術」である「絵画」には、必ず「問いかけ」が存在している。

美大時代、私は決して楽しい学生生活ではなかった。

入学してすぐに、とんでもないところに来てしまったと思った。

純粋に信じて絵に打ちこめた予備校(高3)時代が懐かしかった。

私の場合は絵の世界の構造のようなものが見えてしまったから。

そんな業界に自分が入ってやっていけるはずもないと思ったし、今でも18歳の時のその直観は正しかったと思っている。

美大なんかに入ったら悩むのは当たり前だろう。

自分が絵になんの(どういう)価値があるのか、絵なんか描いていていいのか、

そもそも「絵を描く」ということがどういうことなのか、

それを考えないで、ただ楽しく描いている人の絵は、たぶん絵未満なのだと思う。

恩師、毛利武彦は、絵になっていないものを「見るべきところがない」と言った。

若林奮先生は「絵になっているか、なっていないか。あなたのは絵になっています」と言った。

今の私には、ほぼ明晰にそれが見えていると思う。

若い頃からよく「絵が好きなら○○も好きでしょう」とか「絵が好きなら○○を見に行くといいよ」などと人に言われて戸惑った経験があるが、

本当に絵が好きならば、絵未満のものに全く興味がないし、むしろストレスになるのだ。

真っ赤なポリの造花を「素敵でしょう?」と言われているのを同じく、絵のまがいものを見ることはストレスになる。

アートフェアに行った時、作者の名前を見ないで、作品に強く惹かれたものだけ、その近くに行って名前を確認すると、すべてもう亡くなっている画家だった。

その作家の世に知られている画風でないものもあったが、燦然と、絵として存在してた。

具象、抽象、コラージュに関わらず歴然としていた。

そして私がすごい画家だと認める人たちは、全員、その人独特の詩的言語もすごいということ。

私の感覚では、その人の言葉を読んだ(聞いた)時点で、どの程度の絵を描く人なのか知れてしまう。

言葉がばからしいと感じた人の絵は、やはり絵未満でしかない。

「絵」を描くということは全身の運動であり、総合芸術だということ。

すごい絵を描ける人はすごい詩的文章を書けるし、詩的映像や写真も撮れるし、すべてに対して慧眼でありラジカルである、と私は思っている。

すごい絵には哲学的な「問いかけ」がある。

たぶん私が志向しているのはとうにこの世に存在しない「芸術家」というもので、私は結局そういう人にしか興味を惹かれないのだ。

 

 

 

 

 

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2025年10月25日 (土)

福山知佐子個展最終日

10月19日(日)

ギャラリー十二社ハイデでの個展も最終日。

この絵は割と最近出来たのだがすごく気に入っている。この絵とも淋しいけどさよなら。
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鬱金香

最初に高校の時の友人タカちゃんや小学校低学年の時の友人マリコが来てくれた。

マリコは茨城に住んでいて、何十年かぶりかに新宿西口に降りたので、新宿が変わり過ぎてまったく方向がわからなくて迷ってしまったと。私も破壊されている新宿が辛い。

6歳の頃、マリコが住んでいたのは十二社通りの野菜市場の2階。そこはマリコが引っ越してすぐに普通のビルになってしまった。

毎回来てくれる音大卒のS.Y君。Twitterでお知り合いになったM.Sさん。

鎌倉で絵を描いているT.Jさん。芸大のデザイン科卒のアキさん。

そして静かに長い時間見てくださるS.Hさん。S.Hさんは佇まいがすごく美しいかた。
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今日は5時から舞踏のパフォーマンスだが、あいにくの降りだしそうな空。

5時、十二社の階段。

村野正徳の挨拶。福山知佐子が愛着がある十二社の記憶、昔あった十二社の大きな池などをテーマに身体表現するそうだ。

村野正徳舞踏パフォーマンス  (youtube)

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吉田文憲さんの(私が一番好きな)詩、「生誕」を暗唱し、そのあとに舞踏パフォーマンス。
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※日本には「舞踏」という日本特有の前衛的な舞踊の形式があります。

西洋の軽やかで流れるようなダンスとは違い、地面に這いつくばるように情念や土着性などを表現するものです。

60年代に土方巽が創始、大野一雄などが発展させたもので、今は世界的にButohとして認知されています。
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途中、ばらばらと大粒の雨が降って来て、けっこうな大降りになる。

スマホが濡れたら壊れるのでは、とコートを頭から被ってスマホを庇いながら撮影。

見てくださっているお客様も濡れて申し訳なかった。傘を最初からお客様に用意するべきだった。

パフォーマンス終了後、村野君の予備校時代からのお友達が来て一緒に録画を見ていた。

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本人はミミズをイメージして踊ったそうだ。

そして私に若いお客様が。友人のサヤカちゃんの息子さんのK君と、その幼馴染のT君。

多摩美の院生のK君。
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レザーベイビーというバンドのドラムスのT君。
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私は何と言ったらいいのかわからないくらい、この若いおふたりに励まされた。

私のデッサンを見て、二人で(私に向かって言うのではなく)「すげえ!全部すげえ!絶対描けない!」って本当に驚いて言ってくれていたので。

「どういうところが?」と質問するとK君は「線の選び方がすごい。こんなふうには誰も描けない」と。

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スケッチブックを一枚ずつめくって見せたら、その一枚ごとのデッサンに、いちいち「すごい。全部すごい」と言ってくれて

そして枯れたチューリップを和紙の上に鉛筆で描いて岩絵の具を散らした絵を見て、「これが一番好きです。生命の揺らぎを感じる」と言ってくれて、画集まで買ってくれた。
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T君は絵をやっている人ではないにも関わらず、私の銀箔の絵を見て「すごい!これ、なんなんですか?」と真剣にくいついてきて、

「銀箔を腐食して、絵の具を使わずに絵を描いたの」と応えたら「すごい!誰もやってない。誰もやってないことを考えるのがすごい」と。

花の部分だけ塗っている紫のチューリップの絵を見て「どうして一部分だけしか色を塗ってないんですか?」と聞かれ

「花は一瞬ごとに動いているから、今の瞬間を描こうとすると全部塗れない。全部塗ると絵が固くなるから。

左のチューリップに比べて右のチューリップは早く無造作に描いているでしょ。無造作に描いた方が運動が描けるから」と応えたら

「すごい!それで動いているように見えるのか」と。
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なんで若い人がこんなに素直に、強く興味を持ってくれているのか、本当に驚いた。

なにか表現している特に若い人は、自分のやっていることが一番と思っていて、私のデッサンに興味を持ってくれる人などほとんどいないから。

現代アートをやっている人は設計図は描くかもしれないが、自分の外にある小さな生き物をよく見て鉛筆で描くことなど必要ないと思っているし、

絵をやっている人でも自分の絵のスタイルを作るのに熱心で、ものを見てものに寄りそうデッサンの質には興味がなかったり・・

私の絵を見て敵愾心丸出しで、私から話しかけても「ふん!」とそっぽを向いた同じ美大の同じ学科の10年も15年も後輩の女の子が何人もいたし、

だから、絵の世界とはそういう嫌な感情が渦巻く世界だとずっと昔から認識していたので、ふたりの素直さに愕然とした。

私は萎れて枯れていく植物の運動に寄り添って描くこと、そしていわゆる美大受験用の画一的なデッサンを抜け出て線で描くことを目指して30年やって来たのだけど

きょうは馬鹿の一念で続けて来たことが無駄ではなかったと思えた幸せな日だった。

7時に個展終了。すぐに絵5点を梱包して足利市立美術館に送る準備をした。

そのあと打上げ。昨日H.Mさんにごちそうしていただいたちょっと高級なイタリアンへ。

私がごちそうすると言っているのに、二人はすごく遠慮していた。今日ばかりはごちそうさせて欲しい。

シャブリのグラスで乾杯。マグロと紫玉ねぎのカルパッチョ。スモークサーモンのサラダ。ウニのクリームソースレモン添え。

アケミさんが、「花輪和一展と福山知佐子展を手伝えて、すごくたくさんのお客様と会えて楽しかった。それと知佐子さんのお客様がみんな優しくて素敵な人ばかりでびっくりした」と言ってくれたのが嬉しかった。

「芸術家ってみんなおかしな人ばかりかと思ってたから」と言われ、

「そんなことはないよ。一流の人は優しいよ。変な人って自己顕示欲がおかしくなってるんだと思う」

9日間、たくさんのかたとの出会いがあり、すごく目まぐるしくて体力的に大変だったけれど、幸せでした。

お運びくださった皆様、絵や本や絵葉書をご購入くださった皆様、本当にありがとうございました。

10月25日からは足利市立美術館でのコレクション展「いのちの寓話」に8点が展示されます。

新宿から2時間。空気も澄んでいて、とても良い美術館ですので、お近くのかた、興味がおありのかた、よろしくお願いいたします。

 

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2025年10月14日 (火)

福山知佐子個展2日目・3日目

10月13日(月)

今日は開廊すぐから若いお客様が待っていてくださった。

聞けば龍谷大学の渡邉悟史先生から、良い画家だから見に行くように、とのご紹介があったとのこと。

渡邉悟さんは『生き物の死なせ方』の著者で、私はXで相互フォローしていただいているだけで、面識なくメールでさえお話したこともないかたなのだが、 なんとありがたい・・・

その渡邊先生の教え子のかたはすごく感じがよいかたで、とても熱心に見てくださっていた。

そのあと早稲田大学名誉教授の塚原史先生が。

先日『異説 ダダ・シュルレアリスム』という分厚い超力作の御本をお送りいただいたばかりで、お世話になりっぱなし。

私が特にシュルレアリスムとアナキストの関係に興味を持った、と感想をかいたことを評価してくださった。

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20年前に早稲田によんでいただいて、講演や、授業などに出させていただいたのだが、また今度よんでいただけるかも、というお話になって、

「なにしろ福山さんは生き方そのものが芸術だからね。そういう人はいないから。ゴッホとかならいたけどね、今は・・」と言われてびっくり。

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水彩画家の伊佐さんと。
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シモーヌ・ヴェイユの研究者の今村純子さんも。

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私の装丁した吉田文憲さんの詩集『ふたりであるもの』を見て「こんなに素敵な装丁の本は見たことがないと言ってくださった。

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夕方、この場所に通ってくださっていた、母のケアマネだったMさんもいらしてくれた。

夕方、6時半以降に来てくれたかたもいたのだけど、きっちり7時に閉廊させていただいた。

閉廊して、やっとお茶。今日はギャラリーに来てから水分を口にすることも完全に忘れていた。

本日はこれから動画撮影。

最初に私が自宅で録音してきた詩(吉田文憲さんの)をスマホで共有するのに手間取り、それから撮影の段取りの打ち合わせなどに1時間を要した。

自分の絵の前で、私の生まれて初めてのアドリブのパフォーマンス。スマホで撮影してもらったものを逐一見て、撮影の角度や構図などを修正してもらって、6,7テイクくらい撮っただろうか。

終了したらやっとおなかがすいて、10時近くだったがお赤飯とビールをいただいた。

10月12日(日)

いつもアオスジアゲハが集まる花壇。昨日、陽射しがきらきらしていた時間には5匹(5頭)もいた。

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夕方、マツダトイズさんが15歳のご子息を連れていらした。

私のデッサンへの姿勢(同じ固体の花を咲いてから萎れて枯れてカサカサに拘縮するまで何か月も捨てないで描いている)に感銘を受けられられたそうで・・。

息子さんも絵を描いていきたいそうだ。

マツダトイズさん自身が時代の趨勢に息苦しさを感じていらっしゃるのは、もともとが純粋に美術志向で傷ついた経験をお持ちだからだ。

時代の趨勢にどこまでどこのように同調し、あるいは反発していくのか、個人の感性、個人の意識、個人の趣味、個人の体質、そういうことは私はわからない。

私が教えられることは、「そこに在るもの(生命)」の、なにを、どのように、どういうふうに「見る」のか。

どうやったら「見る(感じる)」ことができるようになるのか、ということ。

 

 

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2025年7月23日 (水)

脳の造影剤MRI、冷房で具合が悪くなる

7月15日(火)ゲリラ豪雨

国立がん研究センター中央病院

最近、不眠でなかなか寝付けないので夜、レキソタンを前より多く飲んでいる。

昼は絶食なので、無理やり8時に起きて、まったく食べたくないのにバナナと牛乳と卵を食べる。それからまた少しウトウト・・

血液と尿検査。

1:45から脳の造影剤MRI。

検査室が寒くてたまらないので、検査着の下に着るアンダーウエアを持参していてよかった。寝不足なので寝てしまう。

終わった時に「気分はだいじょうぶですか?」と造影剤アレルギーについて聞かれる。

「MRIのだったかCTのだったか忘れちゃったんですけど、以前にくしゃみが止まらなくなったことがあって・・」と一応お伝えすると

「それはCTのです。カルテに書いてありますね。MRIとCTの造影剤は全く違うものなんです」

「一度アレルギーが出たら、もう二度と造影剤CTはできないのですか?」

「メーカーを変えてみたりすると、添加物が違うので、できたりします」

3時過ぎ、H先生の診察。

脳に2つある腫瘍(サイバーナイフ後に新しくできたもの)は変わらず。

脳天にあって開頭手術したがっていたほうの腫瘍は、腫瘍のまわりの浮腫(これが質問しても説明がよくわからない)が消えていた。

サイログロブリン(先月採取した結果)は先々月よりは落ちていた。

とりあえず、レットヴィモが効いているということ。

レットヴィモが効かなくなってからは、この2つの腫瘍が活発になるわけではなく、いろんなところに転移が出てくるという。

私はあと2年くらい、レットヴィモが効いているうちに活動的にやりたいことをやって、痛みが出てきたり動けなくなったら、人前から引っ込んでひっそりと暮らしたいと思っている。

自分の人生のタイムリミットが迫ってくる感じ。つまらないものは本当につまらない。熱狂するものはほんの少し。

レットヴィモを2か月分出してもらう。一粒4000円で2か月分で144万円?保険でMRIと合わせて44万?

8丁目の東京画廊まで歩いたら後ろから殴られる大雨で全身びしょ濡れ。

山本豊津さんはもう出かけられていたし、さんざんだった。

1丁目のサイゼリヤでワインを飲み、冷房で凍える。風邪をひきそうだった。

昔プランタンだったところにあるOKストアで買い物。

7月16日(水)曇り 肌寒い

プラトーギャラリーでの瀬戸内逍遥さんの東京での最後の個展を見に行く。瀬戸内さんが上岡さんだったと初めて知った。

そこでその前に個展をしたまむ(万夢)さんと知り合う。

イラストの仕事のこと、デッサンのこと、いろいろ熱心に質問された。まさにコンサル。

このギャラリーでも冷房がきつくて、ものすごく体が冷えて顔と眼の奥が痛くなってしまった。

7月17日(木)

高円寺駅前で川北スぴ子さんの個展。

昔の文化人形たちの世界。服飾の学校を出られたそうで、何とも言えない女の子の人形のかわいらしさとレトロ感がたまらない。

ぜひギャラリー十二社ハイデで個展してほしいのだけど。うちの雰囲気にぴったりだと思う。

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この日も冷房で顔や眼の奥が痛くなり、具合が悪くなった。

レットヴィモを飲んでいるのと関係あると思う。冷えると敵面に血液循環が悪くなってやたらに浮腫む。

 

 

 

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