文化・芸術

2024年3月20日 (水)

沢渡朔さんに選んでいただいた写真を見る / レットヴィモ開始

3月19日(火)曇りのち晴れ

7時に目が覚めた時、少し瞼に違和感。目を開けようとすると押さえつけられる感じ。

微かだがレットヴィモのむくみと倦怠感が始まっている感覚。

昨日と同じ雑炊。9時にレットヴィモ80mg×2。

・・

沢渡朔さんの事務所に行って、選んでくださった写真をPCで見る。

正直、ずっと私の動きが美しくなくて失敗だったという悔恨に苦しんでいたのだけれど、

写真を見てびっくり。本当にすごかった。

さすが、写真の詩人、沢渡朔さん。

私が撮られているので、決して顔がきれいなわけでもなく、スタイルもまったく色気がないのだが、

まさに私らしくて、私ではない誰か

細い蔓の無数の曲線がうねる隙間から微かに見える誰か

髪の毛がなびく瞬間、身体がしなる瞬間、跳躍する瞬間、くずおれる瞬間、

森の中の移ろう黒いシルエットになったり

突然、森が白く燃え上がったり・・・

私の知っている大好きな枯れ蔓の森の世界でありながら、完全に「もうひとつの世界」になっていた。

すべてがさり気なく、まったくありきたりではないことに激しく打たれた。

そして「すごく自然でしょう。植物と一体になってるし。今回はすごく動いてくれたので、前に撮った時にはなかった写真が撮れた」と言ってくださった。

「福山さんがどうしても嫌だと言うのがあったら、それははずすから言って。」と言われ、

あまり距離が近いもの、顔や皮膚がはっきりしすぎているものは恥ずかしくて嫌だったのだが

「これ?だいじょうぶだよ。これいい写真だよ。」と。

「若く見えるし、子供が遊んでいるみたいでいいよ。」

きわめつけは「俺は福山さんが絶対気に入るものだけを選んだんだから。」と言われ・・・

沢渡さんが私の感覚を理解していると言いきってくださった、

あまりのかっこいい言葉に胸が詰まって、もう何も言葉が出なかった。

すべては沢渡朔さんのおかげ。

・・

そのあとローズヒップティーを飲みながらお話した。

最近製造中止になったチェルシーの昔のCM(私の大大大好きなサマンサが弟と出ていた)は沢渡さんが撮られたのですか、と質問すると、

あのCMは動画ではなくスチールを撮った、と。(ああ、見てみたい・・)

床に積んであった昔(70年くらい)のたくさんの写真パネル
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(私が子供の頃に恋焦がれて、今も胸しめつけられる失われた情景)を少し見せていただいたり

お父様、沢渡恒(ひさし)さんのお話を伺ったりした。

上は沢渡恒さんが1934年に描かれた絵。下は1980年頃の沢渡朔さんの写真。
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沢渡恒さんは文学者を志し、石川淳や稲垣足穂と交流があったが、

戦争末期に駆り出され、肺結核になり、35歳で亡くなられたそうだ。

「35歳って言ったら、まだ自分が何者かもわからない頃だよね・・・あの頃は酷かったね。戦争で負けるってわかってるのに日本全体が流されて・・・」ととても悲しそうに静かに言われた。

私の癌についても「福山さんはすごく夢中になれるものがあるからだいじょうぶだよ。」と言ってくださった。

 

3月18日(月)夕方強風 とても寒い

朝、8時頃雑炊を食べ、9時に初めてのレットヴィモ。80mg×2。

雑炊は玄米少々に卵、昆布出汁、紀州南高梅、鮭フレーク、三つ葉、海苔、わさび。

2時半に沢渡朔さんに電話。「写真を選ったので明日1時に事務所に見に来て。」と言われる。

夕方5時半に家を出て卓球へ。分子標的薬を始めるのでもしかしたら参加できないかも、とあらかじめメールでお伝えしていたS井さんに

「わあ、福山さん!来たんだ~」と喜んでいただけた。

まだなんの副作用も無し。

卓球はもうてきぱき動けなくなるかもしれない、とがんばって今日は試合で1番になった。

卓球が終わって自転車で帰宅する時間が強風でものすごく寒くて、指も顔も耳も冷えてがんがんした。

身体が冷えすぎると癌に悪い・・と不安になる。

夜8時頃にまた朝と同じあっさり雑炊。+イワシの南蛮漬け。

9時にレットヴィモ80mg×2。

 

 

 

 

 

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2023年9月13日 (水)

デリダに関するエッセイ/ 東京画廊

9月6日(水)

デリダに関するエッセイの初稿ゲラの赤字を戻す。

この子たち(動物たち)のためのエッセイ。
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細かい引用部分が、どの本のどこのページからか、きちんと記録しておかなかったために推敲に苦労した。

ここまでくるのに何年かかったろう。

私は哲学の専門教育を受けたことがない。不十分ではあるだろうが今の私にはこれが精いっぱい。

この文章を書く機会を与えていただけたことに感謝と、生きているうちに出せることが嬉しい。

9月7日(木)

台風が来たので出かけられなかった。

9月9日(土)

昼から銀座のギャラリーをいくつかまわった。

東京画廊の山本豊津さんに、まだ生きていることをご報告し、足利市立美術館の展示のチラシとチケットを差し上げると、なんと、「せっかくだから行く」とおっしゃるのでびっくり。

学芸員の篠原誠司さんとは仲がよいと聞いて驚いた。

篠原さんは日本のギャラリーの歴史を調べる仕事をしていたそうで「彼はとても熱心だ」と山本さん。

もともと篠原さんは詩人の吉田文憲さんからの紹介だ。初めてお目にかかった時からなぜか話しやすくて仲良くなれた。

3時頃にいったん帰宅してお茶を飲んで、すぐにギャラリー工の伊藤珠子作陶展へ。

「草原」をテーマにした陶器。値札までが陶で作られていたことに感動した。マジックで値を書いて何度も使えるとのこと。

そのあと吉祥寺の平井勝正さんの個展へ。

モノトーンに近い作品が静かで詩的。いつもどおりたくさんの人が集まって飲んでいたが、私はお酒を遠慮した。

中道通りに2軒あったPukuPuku(日本の古い器のお店)が引っ越していた。ここは吉祥寺に行ったらいつも寄るお店。

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2022年10月 3日 (月)

個展の記録 6日目 / 昔、個展会場である画家に恫喝されたことについて

吉祥寺リテイルでの個展、昨日、無事に終了いたしました。

絵を熱心に見てくださった方、私に声をかけてくださり、お話ししてくださった方、絵や本やポストカードを買ってくださった方、お運びくださった皆様に心より御礼申し上げます。とても嬉しく楽しく、エキサイティングな7日間でした。

10月1日(土)

吉祥寺リテイルでの個展6日目。

きょういらしたのは、Twitterで知り合った「ぼけっとふるねす」さん。はじける笑顔がまぶしいかた。

やはりブログを読んでいてくださって。この夏の神楽坂の個展で春女苑(ハルジョオン)の絵をご購入くださったMさんご一家。とてもお優しいご主人で、フィギュアスケートも家族皆で一緒に観に行かれるとのこと。

最初に個展を開いたときに、新聞の紹介記事を見て来てくださってから、毎回、来てくださるT子さん。明るくて華やかで元気な方。今回も小品をご予約くださった。

そして10年前の個展のときに20歳で来てくれて、その当時、悩みを抱えているようだったのでずっとどうしているのか気にかかっていたI君。すぐにはわからず、名前を聞いてすごく驚いた。シャイな感じは変わらないけど、健やかで落ち着いた青年になっていた。私のことを忘れないでいてくれて本当に嬉しかった。

すごく目立つおしゃれでかっこいい二人組がいきなり入ってきて、熱心に絵を見ながら英語で会話をはじめたのでびっくり。ちょうど居合わせた佐藤亨先生(英文学)に通訳をしていただいた。

右側の攻めたファッションの彼はFelix TaoさんというU.K育ちのプロダクトデザイナー、一緒のかたはプロデューサーさんだそうだ。
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私も少しだけ英語で話した。佐藤亨先生が「gold」と言ったところを「silver leaf.decayed」と修正したり。「dying flowers」の「generation, moving, dancing, metamorphosis」を描いているとたどたどしくも説明。「I have been drawing dying flowers for 20 years.」と言ったら「Amazing!」と笑って賞賛してくれた。

「your so cool!」と言ったら、「あなたのほうがクールでしょ。こんな絵を描けて。」と言われた(彼は少しだけ日本語が話せる)。

彼らが一番すごいと言ってくれたのが「あねもね」(画面左側)の絵。とてもstrongだと。
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実はこの絵はずいぶん昔に一度、銀座の個展に出している。そこである画家に恫喝された事件について(今までなかなか書けなかったことを)書きます。

その銀座での個展の時、有名な日本画家(歳は私とほとんど変わらないが、日本画の世界で当時すでに偉かった人)がやってきて、初対面の私に向かって、

「こんなもの(このあねもねの絵を含む私が展示しているすべての絵)は日本画じゃない!絵具の使い方が滅茶苦茶だ!日本画の世界から出て行け!!」と血管が切れそうなほど顔を真っ赤にして恫喝してきた。

(へえ~~!?この方は世間的にはすごく温和で後進にも優しい誠実な人と思われているのに、陰では私だけ(憎い相手)をターゲットに、こういう脅しのようなことをするんだ・・)と驚きながら、私が「では先生にとって日本画の定義とはなんですか?」とたずねると、

「日本語です!日本語の歴史そのものです!」と。 

は?私の直接の恩師、毛利武彦先生が書いていらした「この触覚的な日本画顔料の特色は、象形文字である漢字と、その字画の砕かれた仮名の混じりあう日本語の文字の世界に似ている。」という文章を異常に曲解して発言されているようで噴飯ものだった。

毛利武彦先生こそが、絵具の使い方が滅茶苦茶な私の絵すべてを、誰よりも最高にほめてくれた人なのだからお笑いだ。

つまり毛利先生がおっしゃっている「日本画の絵具は」「日本語の文字の世界に似ている」「均質な顔料のもつ非情性に対し、日本画顔料のもつ豊かな触覚性は、情緒的に傾く危険を含みながらも、表現の象徴性を深め得る」という言葉の範疇に私の岩絵具の使い方は入っているということだ。

毛利武彦先生は枯れゆく植物たちの運動を描いた私の絵について「世界が煽動している!すごくいいよ。・・・絶対いつか美術館に入るからだいじょうぶだ。」とまで言ってくださった。そういうことが彼にとって、ことさらに絶対許せないほど嫉妬することなのだろう。

「私は特に日本画と銘打ってはなく、「絵」を描いているのですが」と言うと「こんなものたちは絵ですらない!!絵の世界から出ていけ!!」とまで言われた。

日本語とは日々、他語と交じりながら変化、生成しているもので、奇妙な若者言葉や流行語でさえも日本語の歴史の一部となる。いったい彼の言う「日本語そのもの」とは何なのか?

「日本語」という意味と「歴史」という意味を精確に、明晰に私が納得できるように自分の言葉で説明してほしいものだ。彼は非常に排他的な狭い考えでしか日本語というものをとらえていないようだが。

「日本語そのもの」と彼の絵はマッチしていて、私の絵は「日本語そのもの」に反していると彼が断言できる具体的な理由、さらにはなぜ「日本語そのもの」に反した絵を描いたら私が「絵の世界」から出て行かなければならないのか、

彼が他人(私)に対して「絵の世界から出ていけ!!」とまで言える権限があるのかを、倫理的、哲学的に納得できるように、明晰に語っていただきたいものだ。

私に対して「他人の言葉を使って!」と怒ってらしたが、他人の言葉(固定観念や権威にあまねる言葉)を使っているのは彼のほうだと私は思う。私は他人には書けない自分の言葉を探して『反絵、触れる、けだもののフラボン』を書いた。

私がどんなにへたくそで酷い絵を描いて発表しようが私の自由だし、彼とは何の関係もない。私は彼を、わざわざ罵倒しに来たら私が怯えて従うとでも思いこんでいる精神的におかしな人、と思うだけだ。彼の権力を行使して、私が絵を描けなくなるくらいのことをしてやるという脅しなのだろうけど。

実際は、ただ私が日本画の「外」の世界の才能ある人たちに好かれることが多く、それが気に入らないから、私を潰したいだけなのでしょう。

さらになおさら欺瞞的だと感じざるを得ないのは、この画家が(洋画の描き方を取り入れ)「日本画の越境」「日本画の革新」を自負する人であることだ。

その後すぐに来られた詩人の阿部弘一先生にお話したら「(それだけ憎まれるとは)やりましたね!ついに一家をなしましたね!」と喜んでくださった。

詩人の吉田文憲さんも呆れていた。「地位も権力も名声も金も余裕ある若いお偉いさんが、わざわざ脅しにくるとは、地位も権力も名声も金もないあなたが自分が得られないものを持っていることがよっぽど悔しいんだね。」と。

私の最高に敬愛していた前衛いけばな作家の中川幸夫先生も、このあねもねの絵をすごくほめた。「達者になったねえ~、いいね~」と眼を細めて喜んでくださった。

日本美術のみならず芸術文化全般に造詣が深い詩人の高橋睦郎さん(2017年に文化功労者、日本芸術院会員に選出)も、このあねもねの絵が一番いいと言ってくださり、その場で、絵の印象を「後桃山」と紙に書いてくださった。

今回の個展初日(2022年9月26日)に来てくださった東京画廊の山本豊津さんも、私の銀箔腐蝕の絵がすごく面白いと言ってくださった。山本豊津さんは以前に東京画廊で中野弘彦さんや高山辰雄さん、麻田鷹司先生などの展覧会をやられていて日本画にも造詣が深いかただ。

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アイルランド研究、英文学、そして写真集も出しておられる青山学院大学教授の佐藤亨さんと。
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文芸批評家の田中和生さんが来てくださった。吉田文憲さん、佐藤亨さん、室井光広さんと同人誌をやってらした方。Sdsc00260
宮谷一彦さんの話をしたらご存じなかったようで「すごい漫画家だからぜひ読んでください。」とお願いした。

以前、早稲田大学で私の映画の上映会や大きな講演をさせていただいて、たいへんお世話になった仏文の塚原史先生と谷昌親先生と。

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塚原史先生(写真右)はもう名誉教授になられているとは信じられないほど若者然としてらっしゃる。谷昌親先生は、以前やせていらしたのに胸筋や両腕の筋肉が盛り上がって肩幅も大きくなっていらしてびっくり。テニスをされているそうだ。

塚原先生のお宅がこのギャラリーのすぐ近くで、庭が廃庭のように雑然としてきたと伺って狂喜し、「ぜひぜひ今度、写真を撮らせてください」とお願いした。

今日もtwitterで見たというお客様が何人もいらしてくださった。twitter とかブログとか、不特定多数の顔の見えない人たちに見られていることを意識すると過緊張の私は何も書けなくなってしまうので、なるべく意識しないようにして書いているが、

実際に会場にお運びくださる方、話しかけてくださる方(皆さん素敵な方)にお会いすると、本当に感激する。なんとも言えない不思議な嬉しさ。眼には見えなかったけど、実際は繋がっていた?と信じられない感覚。

今日は最後に高校の同級生のAさんとM君が来てくれて、近くの蟹が得意な洋麺屋で食事。M君がごちそうしてくれて、久しぶりにたくさんお酒を飲んでしまった。高校の時はあまり話せなかった人とFBで再開して、歳をとったからこそ仲良くできたり、そういうご縁も不思議でありがたい。

 

 

 

 

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2022年7月 3日 (日)

猛暑の中の個展のお客様

7月12日(火)まで神楽坂かもめブックス(東西線神楽坂駅2番出口出てすぐ左)のギャラリーで個展をしています。

水曜休、夜8時まで。最終日6時まで。

https://kamomebooks.jp/gallery/3215.html

連日35~36℃の観測史上最悪の猛暑の中、お客様を個展会場にお迎えしている。

6月28日(火)には仙台から、以前に画集の中の絵をご購入くださったT様。

2時にギャラリーで会う前に、久しぶりに昔住んでいた弁天町界隈をひとり散歩されたそうで、顔中に汗が。このあと具合悪くなられたりはしないかと心配だった。

初めてお会いしたのだが、かもめブックスのカフェで一緒においしいコーヒーを飲み、5時過ぎからはお酒を飲みに行った。いろいろお話しできて楽しかった。

30日(木)には、美大関係の友人が来てくれた。

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美大時代は話したことがなかったが、私とは対照的にとてもおっとりした性格の人。居酒屋で2時間話したあと、地下鉄の改札でついつい遅くまで話し込んでしまった。

7月2日(土)は神奈川からTwitterでお友達になったS様が来てくださった。明るい方でとても楽しくおしゃべり。

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私の個展会場を出て、神楽坂を一緒に歩き、有形文化財の古民家の中のギャラリー松室へ。

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渋い陶器の展示。何度も前を通っていたが入る勇気がなくて、やっと今日入ることができた。
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とても古くて素敵な建物。

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ブログの記事がやっと1000件を超した。

2007年に初めてPCを購入し(ケイタイもスマホもいまだ未購入)、ブログを始めた。だいたい月に5回と少ないペース。

昔よりは改善されたとはいえ緘黙傾向もあり、本当に言いたいことを書くことがとても難しい。

本当に言いたいことは口をつぐんで、違うことを書くか、解釈の多様性にまかせるようにうまく隠匿して書くか。躊躇し、迷い、時間がかかってしまう。

 

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2022年6月23日 (木)

個展 神楽坂かもめブックス 始まりました

6月23日(木)

本日から7月12日(火)まで、神楽坂のかもめブックスでの個展が始まりました。
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東西線神楽坂駅2番(矢来町)出口から30秒(1番出口からだと少し遠くなります)

営業時間 木曜日~火曜日 11:00 ~ 20:00(現在、短縮営業中)
定休日 水曜日
最終日18時まで

福山知佐子個展 花裂ける、廃絵逆めぐり | かもめブックス (kamomebooks.jp)

私は何回か、体調の良い日に行こうと思っています。

(ギャラリー空間は狭くて、椅子など作家が在廊するスペースがないです。)

お店の前面にはカフェがあります。

よろしくお願いいたします。

6月22日(水)

かもめブックスへ絵の搬入と飾り付け。

12時から夕方6時までかかってしまった。狭い壁にたくさんの絵を配分するのが難しかった。

頭が緊張して途中で頭痛薬を飲みながらがんばった。

帰りに神楽坂の裏通りを散歩。夏至を過ぎたばかりなので6時でも明るい。

あてもなく細い迷路ばかりに入り込んで行くと、それは素晴らしい古い家屋に出会える。

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昔の西新宿(十二社)を思い出して泣けてくる。

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新宿区の登録有形文化財のプレートが貼ってある建物。保存しておいていただけることは素晴らしい。
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古い蛇腹カメラの絵の黄色い看板も、あらゆる古色も最高な和田写真館。

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さらに素晴らしい狭い路地。
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そしてその奥にお酒が飲める素敵な古民家カフェを発見。今日は疲れすぎて体調が悪いので帰宅。今度、絶対入ろうと思う。

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2022年2月26日 (土)

がん検診、スーザン・ソンタグ、森

2月15日(火)

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梅里公園の梅とメジロ

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2月23日(水)
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アネモネの匂いをかぐちゅび

2月25日(金)

鎌ケ谷の病院でがん検診。

1時すぎから血液検査と肺のレントゲン撮影を受けて、2時の予約前に頭頸科へ。頭頸科のすぐ隣の皮膚科が今日は混んでいて、診察室の前に4台ある長椅子が空いていなかったので、離れた椅子に座っていた。

頭頸科の前のほうから「・・さちこさん!」(私は知佐子だけれど)という看護師さんの声が聞こえ、席を立って行こうとしたが「はい!」と元気に応えている女性がいたので引っ込んだ。

「甲状腺の検査は特に時間がかかるんですよ。今日は検体が届いたのが1時40分だから、それから1時間以上かかります。」

やはり私のことじゃないかな、と思った・・。その女性は「はい!はい!」と応えていたが、皮膚科の診察室から違う名前を呼ばれて、診察室に入って行った。

看護師さんは「お耳が遠いのね。なんでも自分が呼ばれたと思って返事しちゃうのね。」と。

結局「さちこでなくて、知佐子です」と言って話を聞き、(久しぶりの)スーザン・ソンタグ『反解釈』を読み返して待っていた。

・・・

「肉体的活力と感覚能力の犠牲において知性が過大に肥大する、という典型的な矛盾にすでに犯されているのが私たちの文化であるが、これに輪をかけるようにして、芸術に対して知性が恨みを果たそうという試みが、すなわち解釈なのだ。」

「必要なのは形式を描写するための語彙――(……)かくあると描写する用語だ。」

「作品の外形を真に正確に、鋭く、共感をこめて描写するといった批評行為も、それに劣らぬ価値があり、この方が形式分析よりももっとむずかしいとさえ言えるかもしれない。」

「いま断じて必要ではないこと、それはこれ以上さらに「芸術」を「思想」に吸収せしむること、あるいは(こっちのほうがもっと始末が悪い)「芸術」を「文化」に吸収せしむることである。」

「コクトーは書いている。「装飾的様式などというものは存在したことがない。様式は魂である。そしてあいにくわれわれの場合、魂は肉体のかたちをとっているのだ。」

「芸術では〈内容〉はいわば弁解、決勝点、おとりであって、意識を変形させる際の本質的に形式的な過程においてそれを金縛りにする。」

・・・

診察では、血液検査の結果は前回(12月)と同じくらい良好だった。

去年の夏は画集の制作にパニックになって、本当にバカなのだが何度も薬(チラジン)を飲み忘れていて、9月には腫瘍マーカー値が最悪になり、このままのスピードで増大するともう本当にまずい、ということを主治医から言われたが、

それから毎朝9時にお茶と一緒に飲むことを習慣づけたら12月にはがんでない人と同程度まで甲状腺刺激ホルモンが下がった。

今回も、レントゲン目視で肺の腫瘍は前回の12月と同じくらいで、縮小してはいないが増大はしていない。

それから、ケールは甲状腺ホルモンを阻害するので注意するように言われた。「ええ?!」と驚くと、昔、手術したころに言ったはず、と。まったく記憶にない。他のアブラナ科のキャベツ、白菜、チンゲン菜、菜の花などは荷車いっぱいも食べなければだいじょうぶとのこと。

結局、いつもより1時間早く会計が終わり、きょうはここ数日と違って北風も和らいでいたので、病院を出てから私の好きな森まで歩いた。

以前は今の3倍くらいあった森が、大きなスーパーが建ってしまい、今はその店舗の後ろにわずかに残っているだけだが、それでも歩けて嬉しかった。

裏道にある100個近い小さな植木鉢を玄関の横に並べている古い家や、枯れてひしゃげたセイタカアワダチソウも。

カメラを持って来なかったので撮影もできなかったが。

・・・

「NOTHING BUT FLOWERS」をコンセプトに花に関するいろいろな情報を発信している『植物生活』さんのサイトで、

福山知佐子画集『花裂ける、廃絵逆めぐり』

が紹介されました。「週のまんなか、読みたい本」のページです。

/phttps://shokubutsuseikatsu.jp/article/news/p/15457/

水声社ブログ

 

 

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2021年10月29日 (金)

宇野昌磨 「オーボエコンチェルト」と「ボレロ」

宇野昌磨の今季初戦、アメリカ大会。

「例年で一番良い状態」「今まで一番、可能性のあるシーズン」と本人が明言したことが嬉しい驚きだ。

言葉を慎重に選ぶ正直な選手なので、そうとうの核心があってのこと。本当に楽しみだ。

SP「オーボエコンチェルト」・・・

出だしの10秒で引きこまれてしまう、典雅で、張り詰めたソリッドな世界。

昨年よりずっと表現が濃やかになった。

気品、端正、力強さと柔らかさの両方。

優雅なドレーヴの衣装は、ヴィヴァルディの「冬」の時に着ていた?

こっくりした晩秋の群青色や古代紫の残像を眼に焼き付ける動き。さらに濃い余韻を残すように、見せ方が洗練された。

音によって振動する内側から溢れだしてくるもの。

FP「ボレロ」・・・

貴公子ランビエールが振り付けたというプログラムをとても楽しみにしていたが、さすが、これはとても力強く華やかで挑戦的。

ランビエールの今、持てる限りの情熱と、宇野選手への想いと信頼ががはちきれんばかりに詰まっている。これは世界に勝ちに行くプログラム。

アルチュール・ランボーの「光り輝く忍耐で武装して」という詩句を思い浮かべたほど、

宇野選手の演技は、まさに自分自身との闘いの気迫そのもの。その激しさは途切れることがない。

ラストのステップは、リズムの激しさとみなぎるものとの連動が圧倒的。

非常に体力を使うプログラムなのに、終わったあとも疲れを感じさせない爽やかな表情。

真っ赤な炎が燃えていたが、燃え盛るのは、まだまだこれから。

ともすれば不安に押しつぶされそうになる(私の)心を、火であたためてくれる演技。

10月26日(火)

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白猫(プフ)とサルビア (岩絵の具、膠)

この時期に咲くサルビア、セージ、ブッドレア(小さくて紫系の花)を見たくて、自転車で高円寺北のほうから阿佐ヶ谷方面を走る。気を付けて見ると、意外と暗い紫のサルビアを植えているところがある。

大きな屋敷森の近くの、白い木の塀の家には半分枯れかけのブッドレア。その裏の坂道を抜ける時、確かに木犀の香りがした。幾度もの強い雨風にもまだ落ちないで残っていた蕾が今、咲いている。

夜、昨日の午前中に着くように出版社に戻した画集のゲラが、もうPDFで返ってきた。

オペレーターTさんが、たった1日で大量の(レイアウトのズレなどの)補正をやってくれたらしい。

それで、また急いでその校正のチェックをやっている。

印刷会社のDTP エキスパートK.Cさんが(背景の紙色と線の濃さを)再々補正してくれた画像に更新されていた。今までとは違う、元の絵の迫力に近いはっきりした写真画像となった。深謝。

 

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2021年10月 5日 (火)

デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』、動物の哲学

10月3日(日)

プフが、デリダの『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』に顎をのせて眠っていた。

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私が読みながら疲れて眠ってしまい、ふと目を開けたらプッピィが。。きゃわゆい~。。

『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(鵜飼哲訳、筑摩書房)のマリ・ルイーズ・マレの前書きより。

「「動物」の問いは彼の多くのテキストに顕著に現れている。彼の全作品を通じてのこの執拗な現われは、少なくともふたつの源泉に由来する。その第一はたぶん、特異で激烈なある感受性、哲学がもっとも蔑視あるいは失念してきた動物的な生の諸側面と、おのれが「共感している」と感じるある種の適性であろう。」

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(プフにくっつくチョッピー)

本文のデリダの言葉より。

「私があなた方に打ち明けようとしていることのすべては、たぶん、私に応答するよう、あなた方が、私に、応答するとは何を意味するかということに関して、私に応答するよう、あなた方に求めることに帰着するからだ。」

「動物なるものについての前述の問いは、動物が話すかどうかを知ることにではなく、応答するとは何を意味するかが、知られうるかどうかを知ることに帰着するであろう。そして、応答を反応から、区別しうるかどうかを。」

「実践的、技術的、科学的、法的、倫理的ないし政治的などんな帰結をそこから引き出すにせよ、この出来事、すなわち、動物の隷属の前例なき規模については、今日、誰も否定できない。その歴史をわれわれが解釈すべく努めているこの隷属は、この言葉の道徳的にもっとも中立の意味においてであれ、暴力と呼ぶことができるだろう」

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斑の白粉花を見に、夜9時に外に出たら木犀の匂いがした。

9月25日と26日の雨で全滅したと思っていた木犀が、また満開になっていた。オレンジ色のなまめく香り。

10月4日(月)

きのう一日、ずっとPCの前に座ってほとんど身動きせず仕事していたせいか、腰の痛みが尋常でない。こんな腰の痛みは初めて。朝、布団から腹筋を使ってパッと起き上がれたはずが、腰が痛くて無理(涙)。

マッサージ店でなじみのS村さんにほぐしていただく。しかしそのあともおかしい。腰が痛くて、いつものよう普通に歩けない。

 

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2021年8月27日 (金)

ジャン=リュック・ナンシー(Jean-Luc Nancy )の訃報

8月25日(水)35℃

ジャン=リュック・ナンシー(Jean-Luc Nancy)が23日に亡くなていたと知って、ものすごいショック。

私は符号など信じない人間だが、23日にちょうど、『イメージの奥底で』(何度めか)を何かの渇きからの欲求のように、読み返したくなって読んでいた。

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巻頭の「イメージー判明なるもの」の中の「聖なるもの」(これは「宗教的なもの」でもなければ「信仰」とも関係ない)「判明なるもの」が具体的にどういう絵をさしているのか、私なりにはっきり見えた。

「分離されたもの」「距離をおかれたもの」「切り取られたもの」

「弁別的な特徴線が、もはや触れることの次元ではないものを分離する」

「すれすれの状態」「退隠」

これらの言葉が、これまでにないほど、わかりすぎるほどわかって涙が出た。

「いかなる事物も、適合が自己に適合するために切り開くその隔たりにおいて、事物という資格を失い、ひとつの内奥となる。そのとき事物はもはや操作可能ではなく、物体でも、道具でも、神でもないものとなる。それは、みずから世界集約の強度であることによって、世界の外にある。またそれ自身において意味作用を欠いた意味の結集であることによって、言語の外にある。イメージとは世界と意味――意味の流れとしての意味(言説における意味、流通する意味……)――の流れを宙づりにする。そうすることでより一層、みずからが感知させるもの(イメージそれ自体)そのものにおいて、意味(したがって「感覚不可能なもの」)を主張する。イメージのうちには――しかしそこには「内部」はない――意味作用をともなわず、しかし取るに足らないものではなく、その力「形態」と同じくらい確実な意味がある。」

決して韜晦した難解な文章ではなくて、むしろすべてを丁寧に説明してくれていると感じた。

その日に、まさか亡くなっていたなんて。悲しすぎてどうしようもない。

ぜひとも画集をお送りして絵を見ていただきたいと、望んでいたのに、もうかなわない。

薄い黄色からアプリコットピンクのぼかしのヒガンバナが咲いていた、リコリス・アルビピンクという種類かもしれない。

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夜、にわかに信じがたいような文章のご依頼をいただいた。

おそらく、私が専門的な学説の用語を知らない人間だからこそ、選んでいただいたのだと思う。

この文章のために最大限の努力をしたい。

とてもいろんなことを考えてしまい、4時に目覚めた。レキソタン1㎎を飲んで、明るくなるまで起きていてまた寝た。

朝9時に目が覚めたが、就寝前にフェキソフェナジン(抗アレルギー剤)を飲んだせいかレキソタンが効きすぎていて気持ち悪さが残っていた。

8月26日(木)36℃

自分の画集のために書いた文章の英訳を拝受。一語ずつ吟味する。英語表現は無知でわからないことばかり。

夕方、画集の紙についての連絡が来る。

 

 

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2021年6月13日 (日)

鵜飼聡さんと会話 / 夕闇の紫陽花

6月5日(土)26.7℃
 
編集のTさんから電話。Mさんのエディトリアルデザインの件。

「最近は、東京芸大に入学しただけで、プライドだけが高くて実力が伴わない若い子が、とみに多くなった気がする」とTさんが言った。
以前、別の会社の編集者さんも、「芸大の学生に仕事をバックレられて、たいへん苦労させられた」と言っていた。

なんとなく、そうかもしれないな、と思う。

6月7日(月)29.7℃

鵜飼聡さんと1年ぶりにスカイプ。今はオリンピック反対でお忙しいとのこと。

アドルノの文化批判につながるようなお話を聞かせていただきたかったのだが、また今度。

スカイプ中にデザイナーSさん(Yのための装丁)を紹介してくれるメールが来た。

6月8日(火)31.4℃

プフの青い目のほうの目やにが久しぶりに酷くなった。朝一番にハナ動物病院に電話して11時頃に目薬をもらいに行く。
強烈な紫外線がストレス。眼の奥と頭が痛くなり、たちまち自律神経失調、汗びっしょりでハアハア。ハナはすごく混んでいた。

今年の梅雨はどうして来てくれないの?

夕方、6時過ぎると急に涼しくなり、ひんやりした風も強くなり、ほっとする。

さまざまな諧調の青の中に紫陽花の塊や源平菊、薄荷、ブルーサルビアが浮かんでいる細道を素足にサンダルで歩く。

6月9日(水)31.1℃

左下奥歯が痛くて歯医者に行く。ひびが入っていると言われ驚く。左上奥歯は昔に抜いているので、噛み合わせは関係ない。

先生が以前に撮影したレントゲンを確認したら、左下奥歯の隣の「骨の中」に横向きに形成されている大きな親知らずが写っていた。

6月10日(木)30.7℃

きょうも夕方、陽が落ちる頃から歩き回る。私の大好きなお蔵のあるフジヤ薬局の枇杷が橙色に熟してきた。もうすぐいっせいに鳥たちが舞い降りて、ギャアギャア騒ぎながら一瞬で食べつくしてしまうだろう。

6月11日(金)29.4℃

暗い青の諧調の中で紫陽花を撮りたかった。

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ウズアジサイとアジサイのキメラ。
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夏に続く甘やかな空。

次縹(つぎはなだ)、中縹(なかはなだ)、青蘭(せいらん)、瑠璃(るり)、紺碧(こんぺき)、杜若(かきつばた)、納戸(なんど)、藍、アジュライト、デルフィニウム、コバルト、セージ、ウルトラマリン、タンザナイト、マンガニーズブルー・・・

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6月12日(土)28℃

花輪和一さんと電話。きのうは札幌でも30℃を超えたそうだ。ついこの間まで雪が残っていると言っていたのに。

今、見られる花はライラック(リラ)。

プルーストが「モーヴ色の背の高いシャンデリアの形をした微妙な水泡(みなわ)」(鈴木道彦訳)と書いたリラ。プルーストは柔らかくひんやりと光る粒子の塊を描いた。

また熊田千佳慕さんが描いていたライラックも印象に残っている。彼は塊としてではなく、ごく小さい一輪の花の中の色を明確に描いた。

私の画集のタイトルの英訳例をいくつかいただいた。悩むところ。

6月13日(日)曇り 時々小雨 28℃

堀之内の妙法寺へ。菖蒲は半分終わりかけていた。紫陽花は今が盛り。雨が来てくれたらよかったのに、雨はためらいがちすぎた。

もう少ししたら、陽に焼け焦げて変色した素晴らしい色の紫陽花が見られる。

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