旅行・地域

2024年12月 3日 (火)

吉祥寺 立ち退き裁判の家

11月24日(日)

アンティークのペンダントライトの部品を探しに吉祥寺に行ったのだが、結局どこにもなかった。

井之頭通りを三鷹方面に歩いて行った時、そこだけ鬱蒼とした不思議な家に眼が釘付けになった。

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思わず道路を渡って近寄ってみるとぼろぼろになった貼り紙があった。

「お教えください 母が残した樹木を守って来ましたが、三栄不動産から立ち退きを要求されて裁判になりました。

敗訴との事で、立ち退きを要求して来ると思われます。

近年著しく変わって来た吉祥寺の、昭和30年代が偲ばれるこの家を保存したく思います。

どうしたら良いか(・・不明・・)良い考えがあればお教えください」

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立ち退き裁判で負けてこの家の人は随分追い詰められて苦しんだのだろうと思うと胸が痛むが、

どんなに周りが変わろうと昔の武蔵野の面影を本気で残して来た人がいることに衝撃を受けた。

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井之頭自然文化園の裏道にも不思議な家があった。

枯れ蔦の蔓の壁面の真ん中にヤマノイモの黄色い葉が刺繍のように浮き出ている。ちょうどヤマノイモの下に縦にふたつの瞳のような窓が並んでこちらを凝視している。

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散歩は楽しいが、この日、冷たい風にあたって歩きすぎたせいで、翌日猛烈に胃が痛くなり吐いてしまった。

11月22日(金)

所用で新宿へ。

私の故郷、新宿の駅の周りがすごい勢いで破壊され変化しようとしている。それはただ悲しい。

西口の高層ビルと欅並木の風景。このあたりは70年代を感じさせる私にとってとても懐かしい故郷。
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2024年9月14日 (土)

資材買い出し 1tトラック体験

9月11日(水)

西新宿の生家の修復の資材を買いにM・Mさんと一緒に王子のホームセンターへ。

王子駅からバスで終点の豊島5丁目団地下車。とても広い店内。

畳を捨てて床に貼るカフェ板32枚、その下の土台にする垂木36本、天井に貼るベニヤ10枚をそれぞれ1台ずつの台車に載せる。

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それから漆喰、ウイルスや菌を抑制しアルデヒド類を吸着、超低VOC(揮発性有機化合物)塗料(私が色を選択)、柱の土台にするブロック、コテ、ビスなどもろもろのを籠に入れていく。

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全部選ぶのに1時間半くらいかかり、運転する前に眠気覚ましのアイスコーヒーを飲んで休憩。

M・Mさんは「肉さえ入ってなければハラペーニョのサンドイッチを食べるのに」と言う。生のハラペーニョ唐辛子はすごくおいしいと。

私は、小学生の頃にあまりにきれいな実なのでちぎって噛んでみたら焼けつくような痛みが走った観賞用の鉢植え唐辛子の話をした。

そして園芸コーナーを見に行ったら、その「五色とうがらし」を見つけた。

M・M さんはひとつ小さな三角の実をかじって「おいしい」と言った。

会計は20品目ほどで85873円。メインの買い物は杉カフェ板32枚36800円と赤松垂木36本13680円。ベニヤ普通のラワンと防水加工の5枚ずつで10000円弱くらい。

1tトラックを借りる手続きをし、店員さん二人が手伝ってくれて荷物を荷台に載せた。

私はトラックの助手席に乗れる初体験。

道路に出てすぐにラジオをつけると折しもバッハの「旅立つ最愛の兄に思いを寄せる奇想曲 BWV992」(ピアノ)マルティン・シュタットフェルト。

高いところからゆらゆらと景色を眺めながら最高のドライブ。

たくさんの線路が交錯する操車場を見下ろす橋を渡り、遠くの地平に光るいくつもの積乱雲を見つけながら、

さらに盛り上がるバッハの「イギリス組曲 第3番 ト短調 BWV808」(ピアノ)マルティン・シュタットフェルト。

西新宿に着くといつもゴミ収集トラックがつけるうちから少し離れた坂ではなく、トラックが入れそうもない逆側の狭い道、旅館一直(昔木造りの洒落た料亭だったが今は改装されてしまった)の横を入って行くというので興奮。

何度も切り返し、一直の玄関脇にある大きな石に左前輪を載せながら、道の右側の自動販売機にこすらないように、すれすれのところをバックで入り、人ひとりも脇を通れないぎりぎりの道幅で停めた。

そしてM・Mさんは大急ぎでひとりで荷を下ろし始めた。

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4.2kgあるカフェ板を6枚いっぺんにかついで運んでいるのにびっくり。

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柱の土台にするブロックを運ぶ。
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それからM・Mさんは冷蔵庫の牛乳を飲むと大急ぎでトラックを返しに行くという。

「板をこのままにしておいて盗まれないの?」と聞いたら、大丈夫だと言うので私は電車で帰宅。

何から何まで初めての経験でとても楽しかった。

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2024年8月19日 (月)

西新宿の生家 天井裏の煤とネズミの糞の掃除

8月12日(月)山の日の振り替え休日

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(天井が無くなって穴から太陽が差し込んでいる屋根の内側)

西新宿の生家に行くと、M・Mさんは防塵マスクをして屋根裏に上って掃除機をかけていて、私が階段を上りきるあたりで

「2階に来ちゃだめですよ!今危険だから!」と叫んだ。

78年間蓄積した恐ろしいほど大量の埃とネズミの糞の粉が、大きく破られた天井から2階の床にもたくさん落下して、あたりは真っ黒になっていた。

私は2階の遺物を整理しようと思っていたのだが無理そうなので、1階で古いギターの錆びた弦を全部ナイロン弦に張り替えていた。

チューニングしようとしたが、ナイロン弦がどんどん伸びてなかなかチューニングが合わない。

1時間以上してからそっと2階の様子を見に行ったら、M・Mさんはほっかぶりをして奥の部屋の天井に掃除機のホースをあてて、板の隙間から埃を吸っていた。

今日も36℃。2階や天井裏は息が詰まるほど暑い。

紺色のTシャツが隅から隅までぐっしょり濡れていて、振り返った顔には玉の汗がびっしり。

その姿は神々しいとしか言いようがなく、「お疲れ様」とか「ごめんなさい」とか私が言うのもとんでもなく失礼な気がして、言葉に詰まった。

「同じ人間とは思えない・・・」と正直な言葉が出た。

誰も見ていないところで、ひとりでなぜそんなにたいへんな仕事を一心にやってくれているの?

当初は屋根の上から修繕すればいいと思っていたのが、屋根の内側の腐った木の部分を剥がして修繕しないとだめだとわかり、それをやるには78年間、誰も手を付けたことがない(もちろん私はそんなところに考えが及んだこともない)屋根裏の煤の徹底的な掃除が必要になったということらしい。

「全部掃除したら下に行きます」と言われ、そのあとM・Mさんは2階の床から階段の煤を雑巾で拭いていた。

全身煤と汗まみれになったM・Mさんは(ガスが通っていないので)水風呂を浴びて髪の毛を洗い、カセットコンロで炊いた土鍋ご飯を食べていた。

昨日は5時間、今日は3時間、天井裏の煤の掃除をしたという。

「これで難所は越えました」と。つまり天井裏の煤の掃除がほかのどんな作業よりもたいへんだということ。

今まで建築関係の仕事はいろいろやってきたそうだが、「天井裏の煤の掃除は?」と尋ねると「初めて」と言われて、もう申し訳なさ過ぎて私はどういう態度をとったらいいのかわからない。

食べた後、M・Mさんは玄関のベニヤの壁を手でバリバリと剥がし始めた。

ベニヤを剥がすと黒いふかふかした断熱シートが貼ってあり、その中ほどに「うわ!汚いゴミがある!・・・ネズミの巣みたい!」と言われて「キャーー!」と思わず恐怖の叫びが出てしまった。

(私は衛生(の知識)上、ネズミが怖いだけで、ネズミという生き物自体は殺したくない。)

ちぎれたビニールのふわふわしたカスのようなものと大量の埃を、彼は手で掴み取ってゴミ袋に入れているので、私は埃が空気に散らないようにゴミ袋の口を広げて壁の穴に押さえつけるように掲げて両手で持っていた。

今週は私の生家の仕事ではないもう一つ通っている仕事のほうが忙しくて「からだが持つかわからない」と彼は言った。

辞めた人がいるのでその分、出勤しなければならないと。

私の生家のほうはいつまでにやってほしいという期限があるわけでもなく、ほっておいて休んでくれていいのだけど、彼には彼のやりかたと予定というものがあるらしいので私はあまり深くは詮索しない。

本当に私はただあいた穴の部分に上から板で接ぎあてするくらいだと想像していて、こんなに大がかりな作業になるとは夢にも思っていなかったので、何が起こっているのかいまだに把握できていない。

なぜ、ここまでたいへんな作業をしてくれているのだろう?という不思議さに胸が痛んで仕方ないのだが、おそらく彼は上っ面でなく、根本からやりたい人だということ。

自分が納得できるように仕事することが彼にとって大切なのだろう。

「天井裏に上って、この家は最近の家とは違う、「ほぞ」の組みかたに微妙な隙間があって家が揺れながら振動を吸収するようにできていて、昔のすご腕の大工さんだから作れた、もう今の職人ではこういう家は建てられないと思う」と言われた。

また、あえて微妙な隙間を作ることによって風通しがよく考えて作られていて、だから台所の床板など腐っていないのだという。

ボロボロの木の外壁も杉だと言われた。新しいものの見かたを授けられて感激してしまう。

昔、有名な芸者町だったという十二社(じゅうにそう)の黒塀や料亭はなにひとつ残っていない。

旅館一直もだいぶ外見が変わってしまった。ホテルニュー寿も無くなっていた。大好きだった十二社の乳銀杏(十二社の池があった頃から見守ってくれていた巨樹)まで切られて無くなっていた。

民家より料亭のほうが多いくらいだったこの辺りの古い家はすべて新しい建物に変わり、懐かしい友達も知り合いも皆、いなくなってしまった。

ぽつんと取り残された廃屋の福山家が、なぜか今外見を変えずに甦ろうとしている。

ここまでなんとかつながっている命と出会いのおかげで、私は今、思いもつかなかった不思議な体験をさせてもらっている。

 

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2024年8月11日 (日)

西新宿 紫雲荘、青雲荘、緑荘、成子天神

8月7日(水)

M・Mさんは1日から4日まで地方に行っていて、帰京してからは私のボロボロの生家に住み込んで作業してくれている。

まだ畳は汚い(粗大ゴミに出す予定)し、どこもかしこも埃っぽいのに「すごく静かでよく眠れた」という。

彼がいま読んでいる本『HAPAX II-1 脱構成 (HAPAXシリーズ)』と『現代思想2021年5月臨時増刊号 総特集=陰陽道・修験道を考える』が置いてあって度肝を抜かれる。

全然アガンベンの話なんかしないのに・・。普段、本を読んでいるそぶりを見せない、本当に不思議な人。

父の持っていた山ほどの本の中で、昔の箱入りの文学全集だけは「これは捨てない方がいいですよ」と言って2階にとっておいてくれた。

1冊1冊埃を拭いて陽に虫干しして、本当に仕事が丁寧。

今日も私はちまちまとしたものをどんどんゴミ袋に詰めたが、脳に負担がかかって相変わらずハイスピードではできない。

やっと開通したばかりの水道で彼はいろんなものを洗濯し、私が昔履いていたらしい(忘れていた)ズタズタに敗れたビッグジョンのジーンズまで洗って「これは補修すれば3500円くらいで売れる」と言う。

なんやかんや作業して疲れたので休憩。

昔、税務署に行く細道に、古い素晴らしい木造アパートが並んでいるところがあったはず。紫雲荘とか瑞雲層とか、名前も素敵だった。そこに行ってみたいと言って、夕方、散歩に出る。

十二社通りを北へ。この通りは昔、藤子不二雄A(我孫子素雄)先生がよく「パーマンの日々」に書いていらした何軒も中華屋があった通り。

今は昔の商店たちはほとんど残っていないが、私が子供の頃からあった「むつみや」という味噌専門店と、小さな布団屋さんが残っていた。

成子坂のほうは不気味なほどピカピカの高層ビルの群れになっていて、どこを歩てるのかわからない。

西新宿7丁目、8丁目、ここらへんは20年近く前に、私がよく古い木造アパートの写真を夢中で撮っていた散歩コース。

高校生の頃からよく見ていた大きな胡桃の樹が健在だったのにびっくりした。トタン屋根を丸くぶちぬいて胡桃の樹を伸ばしてくれている。
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青い大きな果実が生っているのに感動して見ていたら、向かいのビルの警備員さんから「胡桃?まだ青いよ。9月か10月になると落ちてくるよ。」と声をかけられる。

税務署通りに続く細いまっすぐな道は並行して何本かあり、古いアパートのあった道はどれだか思い出せなくて、ぐるぐると周る。

道を3本くらい周ったところにあった!紫雲荘が・・!潰されていなかった!すごく感動。

このアパートは数年前、「べしゃりぐらし」(間宮祥朗と渡辺大知が主演したお笑いコンビの話)というドラマの中に出てきたのを見て、まだあったんだ、と感激して以来だ。

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紫雲荘のほうはまだ住んでいる人がいるみたいで嬉しい。

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青雲荘のほうはもう廃屋ぽい。ここが崩されてしまうのが残念。
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植え込みにぽつんと1本、可憐な夏水仙が咲いているのにも泣けてきてしまう・・・。
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私の記憶では、ほかにも「瑞雲荘」と「東雲荘」が平行に並んでいた。その部分は新しい建物になってしまっていた。

そしてその斜め向かいに見えるのは・・・これも私が昔、大好きでよく撮っていた「緑荘」ではないか!まだあったんだ・・・

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もう人は住んでないようだが、思いもかけず懐かしい友達に会えたような気持ちで嬉しくてじーんとしてしまった。

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それから成子天神がどこにあったか、また迷って、やっと見つけた。

大きな銀杏の御神木。青い実がいっぱい落ちていた。柑橘の樹の若葉を一枚ちぎって爪で潰すと胸の奥までしみいる甘酸っぱい蜜柑の匂い。

成子天神の中にある富士山信仰の小山(溶岩がカラスウリやノブドウ、ススキ、あらゆる夏草で覆われている)にのぼる。

意外と高い。頂上に座って北の空のカオス雲がピカッ、ピカッと光るのをぼんやり見ていた。

ポツッ、ポツッと雨が来て、それから本降りになった。日傘を雨傘にして生家に戻る。

荷物を持って地下鉄で帰ったら、駅で耳をつんざく土砂降りになっていて、傘を差しても太腿のあたりまでずぶ濡れ。

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2024年3月 4日 (月)

ストレスと散歩

3月2日(土)10℃

画材店へ。

強い北風のホームで電車を待つだけで凍えてしまい、今、熱を出したらまずいと思い、駅に着いてからすぐに使い捨てカイロを買った。

新宿で昼食をとってからマッサージ店へ。

治療中、私のすぐ隣のベッドに入って来た女性がいきなり大声で話し始め、

「最初に首が酷く痛くなったのは20代の出産後で~私は首が長いんですって!ロングストレートネックなんですって!それから○○のマッサージに行ったんですよ。そしたらマッサージでなおるみたいで~、でもその先生が病気になっちゃったんですよ~、それから○○に行って~。その○○は~だったんですけど~そこが××で~!それから耳鳴りで耳鼻科にに行ったんですけど~酷いことを言われたんですよ!!耳鳴りを中和する音の出る補聴器をつけろって。そんなの老人がつけるようなやつで~!ねえ酷いと思いません?酷いですよね!!」

カーテン一枚隔てただけで、すぐ私の耳の横からうるさい声ががんがん響いてきて、ストレスで頭痛と吐き気がしてきた。話が長くて止まらない。しつこく同意を求める。

私にはこういうおしゃべりの騒音が一番ストレス。

5、6分我慢してから耐えられなくて両耳を塞いだら、担当の人に「頭が痛いんですか?」と聞かれ、

「そうじゃなくて、声が辛い・・」と言ったら

「そうですよね」と奥のベッドに変更してくれた。

私は自己顕示の強すぎるおしゃべりの人が本当に苦手。

個展の時に声が大きくて私となんの関係もないおしゃべりをする人が来ると、ストレスで倒れそうになる。

3月3日(日)14℃

撮影した画像にゴミが映るので、センサークリーニングをしてもらいに中野のカメラ屋へ。

前回、センサークリーニングをしてもらってから半年も経っていないし、レンズ交換もしていないのになぜセンサーにゴミが付くのか質問したら、

ズームする時に鏡筒の中のゴミが落ちているのではないかと言われた。

クリーニングが出来上がるまでブロードウエイで天ぷらを食べ、古くてレアな漫画の本を探し、

カメラを引き取ってから散歩。

趣のあった古い団地(水仙の群れがあった)が潰されたあとに建った巨大ビルの中を通り(テナントは空きが多かった)、

木造の小さなバブテスト教会の横の緩やかな階段坂が無事なのを確認し、

不思議なスペイン風の家の前を通り、SLのある公園の脇を上り、

明治時代の洋館(旧中村家)を囲む煤けた大谷石の塀をつたい、くねった坂を下る。

紅葉山の向かいの旧中野第9中学校は瓦礫になりつつあった。

私の好きな散歩道はどんどん破壊されていく。

帰りは少し寒かったが桃園川緑道を通って高円寺まで歩いた。

沈丁花が満開。

田中稲荷という小さな神社で、チョッピ―によく似たかわいいおキツネ様と出会った。
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桃園川緑道沿いの古いアパート。
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アパートの横にいた猫たち。片方の子は桜耳だった。
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昔はかわいい野良猫を見つけたら喜んだりしたけれど、野良猫は1、2年しか生きられないと知ってからは

外に暮らしている猫を見つけるだけで保護しなければ死んでしまう、という心配でストレスになる。

すぐ向かいに保護猫活動をしている家があったのでほっとした。

 

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2023年11月11日 (土)

沢渡朔さんのためのロケハン / 額

11月8日(水)

沢渡朔さんが追加で私を撮りたいと言ってくださったので、蔓草の絡まる場所を探してロケハンに行った。

昔、私がドイツ人のシュテファンをモデルに写真を撮った場所。

まだ存在しているか心配だったが、少しずつ変容しつつ確かにそこにあった。

 土手の上から沼の上に翡翠(カワセミ)の青緑色が煌くのが見えた。翡翠は沼の縁と沼の中ほどの東独の上を行ったり来たりしていた。

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朱や黄に色づいてきたウルシやヌルデと、鋭い針坊主になりかけのアメリカセンダングサを避けながら藪の中を歩く。

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道なき道を行き、私の好きな枯れ蔓が絡まる場所を発見する。

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出版社のMさんと打ち合わせしてから来年3月くらいに撮ると言われているけれど、私はその頃元気でいられるのだろうか?

11月5日(日)

ご購入いただいた絵を保護するための額縁を見に行く。

私が最も気に入っている一番シンプルで安い額は、受注生産で、出来上がるまでに2,3か月かかると言われた。

 

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2023年11月 9日 (木)

花輪和一さんと高円寺を散歩

11月4日(土)

花輪さんが昼過ぎに新高円寺に来てくれて、高円寺北のほうまで散歩した。

まず、私がものすごく喜んだことがあった。

昨日、東京で再会した時から、花輪和一は煙草をやめて(やめることができて)いたのだ。

ギャラリー工の玄関脇のヒイラギにセミの抜け殻を4つ発見して、私は花輪さんが見たら喜ぶと思って知らせるのを楽しみにしていた。

花輪さんに見せると「まだあるんだ~」と喜んで、すぐに近所のコンビニにプラスチック瓶の牛乳を買いに行き、その容器を洗って抜け殻を丁寧に採取していた。

その時、いつもならここで喫煙タイムになる、と思ったのに花輪さんは煙草を吸わなかった。

私が送った禁煙ガムを小さくちぎって何度にも分けて噛んでいた。

「偉い!あんなに禁煙できなかったのに、ついにできたんだね~すごい!これで新幹線にも安心して乗れるね」

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「絶対に顔のせちゃだめ~」と言われたので顔を隠しました。(画像の無断転載をお断りします)

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高円寺茶房で花輪さんはコーヒーがおいしいとおかわりしていた。

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階段の錆が美しい古いアパートの前で。

高円寺をぶらぶらあてもなく歩きながら、昨日の私の個展の感想をいただいた。

「長い時間、黙ってじっといつまでも絵を見ている人たちがいたでしょ。それがすごいことだと思った。」と言われた。

「それと、ここが○○にも見える、とか言ってた人がいたでしょ。私もそういう深みのある絵を描きたいと思った。偶然のしみとか、はねとか」

「え・・と・・ずっと前から私言ってたよね。何もかもを細かく描き込みすぎないで、抜くところを作って含みを持たせたほうがいいって。そのほうがいいでしょ。もう眼も疲れるし」

「そうでした」

立ち寿司横丁で(座って)スパークリングワインで乾杯。

おなかいっぱいお寿司を食べてで二人で3500円くらいだった。「札幌の狸小路だと安いところでもひとり4000円くらいでしょ?どう?東京の安いお寿司の味は」と尋ねると

「すごく安いね。それにおいしい」

「私一人で食べると750円くらいでおなかいっぱいなんだよね」

「へたするとコンビニ弁当よりも安くお寿司が食べられちゃうんだね」

明日の朝、上野から函館行の新幹線で帰るという。「ちゃんと起きられるか心配~」と言ったら「各部屋に目覚まし時計がついてるからだいじょうぶですよ」と。

花輪さんはサウナが好きなのだが、脱水にならないのかな、とかいろいろ心配してしまう。

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2023年9月14日 (木)

足利市立美術館 福山知佐子展「異貌の花々」

9月12日(火)

足利市立美術館の個展の初日。

朝、9時前に家を出、新宿から湘南新宿ラインで出発。11過ぎに足利市駅に着く。
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学芸員の篠原さんに展示状況の動画を撮っていただいた。

1時ごろ、詩人の飯島章さんとご友人が来られて、タイミングよくお会いすることができた。

その後、篠原さんが若林奮先生のコレクターであるうなぎ屋さんに連れてってくれた。

うなぎ鳥井支店さん。大正時代の建物だという。

壁に若林先生のドローイングが飾ってある。
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店の中には、ほかにもいくつか現代美術が本当にさりげなく置いてある。

うな重は肝吸い付きで3000円。とろけるように柔らかくて小骨もない極上のうなぎ。

熱心なコレクターのご主人と奥様。

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そのあと昔の花街だった雪輪町の細い路地を歩く。
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この前来た時に取り忘れた廃屋の劇場の正面。存在感のあるおしゃれな建物。
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劇場の建物の1階左側にかつての飲み屋らしき店の入り口があり、犬の頭を持つ女性のようなオブジェがついている。
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3時過ぎに篠原さんは六本木のギャラリーに行くということで、一緒に電車に乗った。

篠原さんはチューハイ、私は端麗グリーンで発車と同時に乾杯。

篠原さんによる窓の外の景色の解説を聞きながら写真を撮る。

トチセンの捺染工場の煉瓦の建物とか、アニメらき☆すたの舞台になった古墳時代から続いている神社とか、・・。

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2023年8月 4日 (金)

銀座、暴風雨、西新宿

8月1日(火)ゲリラ雷雨

家を出る前に雷、1時に銀座に着き、地下道から鳩居堂の前に出ようとした時に暴風雨となる。

なんとかメルサまで歩き、フォルム画廊の宮忠子追悼展へ。

2週間ほど前にがんセンターの帰りに寄った銀座の画廊に置いてあった個展案内ハガキの、モノクロの樹木の絵が気になっていて、本物を見たかった。

はがきの絵やネットでの画像を見るとコンテと鉛筆で描いたかに見え、実物を見ると麻紙に墨で、細い面相筆で描いてある。

細かいタッチでなぎ倒される草、風が通るのを描いた絵が素敵。

娘さんと少しお話した。昔の批評家や美術館の学芸員さんの名前が出て、知っていますと言うと、なかなか知っている人が少ないから、と驚いておられた。

リアナで食事をしてから奥野ビルに寄った。この頃には晴れていた。

奥野ビルの玄関の郵便受けの巷房のところに個展案内はがきが貼ってあり、一目で北海道の川だとわかったので見たいと思った。

白石ちえこさんの写真展。35ミリフィルムで撮って大きく引き伸ばして現像しているのだという。

岸に並んだ植物のシルエットがきれいに出ている写真が好きだった。船の上から撮ったと言う。

外に出た時は5時過ぎで、もうほとんどの雲が陽に溶けてしまっていたが、速いスピードで動く空を見たくて都庁の展望台に寄ることにした。

西新宿で降りて歩く。久しぶりのふるさと。

街路のケヤキには大勢のミンミンゼミが鳴いていた。

なんと都庁展望台は休みだった。第一火曜は休みだと知らなかった。ついてない。また来よう。

 

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2023年7月19日 (水)

ボリジ、ノラニンジン、刑務所の中の日記

7月11日(火)雨

ここは札幌よりは高い位置にあるのでだいぶ涼しい。

夜、トイレに行くと窓の外の空気はしんしんと冷えていて寒いくらい。体感14℃くらい。

家の前に植えてある青紫の優美な花。田中未知さんがオランダから種を送って来たという。
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調べてみたらボリジ(瑠璃萵苣、ルリヂシャ)という植物らしい。

私もこの花を初めて行った時のベルリンの原っぱで見て忘れられなかった。聖母マリアの青い衣を描くときに使われ、マドンナブルーと言われるそうだ。

北海道の天気は目まぐるしく変わる。雷が鳴ってざあっと降って、晴れて曇って、また降って。

夕方、ひとりで家の周りを散歩した。どの家も植物を植えている。

ラベンダー、薔薇、ウマゴヤシ、マツムシソウ、タイマツバナ(ベルガモット・モナルダ)が満開。

そして道端に勝手に生えている美しいノラニンジン。初めてこのレースフラワーを道端で見た時、さすが北海道、とすごく感動した。Sdsc04585

ひとり、集落の端っこの階段を降りると、去年ふたりで歩いた最初に花輪さんが発見したイケマの道に出る。今はその道が破壊されていて、広大な農地にブルドーザーが入っているので泣きそうになる。

野生のフキの茎を折って齧ると、苦い懐かしい味に胸がつーんとする。

・・

「これ刑務所の中で書いてた日記。」と、私がねだったわけでもなく花輪さんが大学ノートを持ってきて見せてくれた。

あの名作『刑務所の中』が描かれる前のリアルなデッサン、スケッチと日々の記録。見た夢の記述も多い。

あまりに明確にデッサンした建物の中の絵は、刑務官によってきれいに切り取られて無くなっている。

しかしリアルに細かくデッサンしたことで建物内部の構造すべてが記憶に鮮明に残っていたから、あの漫画を描けたのだなあ、と感動。

『刑務所の中』のまんがに描かれたコマより数段繊細かつ劇的に、赤と青と黒のボールペンの線で描かれた風呂場の窓からの陽の光。光の中になにかがいる。(画像の無断転載は固くお断りします)

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ほかにも毎日、部屋から見える白樺の樹の成長と変容を描いたデッサン、読んだ雑誌の中にあった顔写真や絵(なぜかベルト・モリゾの絵)のスケッチ、見開きの記事ひとつそのまま写したもの(立花隆が書いているオウム関連の記事)・・・。

「なんでこんなに根気があるの?すごすぎる。こんなに根気がある人はいない。」と言うと

「だってやることがないんだもん。しかたないんだよ。」と。

ほかの皆がだらだら寝ている時に、ひとり絵を描かずにはいられなかった、すべてを克明に記録せずにはいられなかった、根っからの掛け値なしの表現者。

それは誰に見せることも意識していない純粋なノートで、天才過ぎて涙が出てくる。

しかし白樺の樹の変容を定点から描いたものを見ても、一般の人は何の感動もないのだろうな、結局、絵を描く人間どうしでしか感動しないのだろうな、と思ってしまう自分もいる。

7月12日(水)曇り

朝7時に起きて、深紅のラズベリージャムをこんもりつけたパンと紅茶。

8時45分発のバスで花輪さんに駅まで一緒に乗ってもらう。

駅で花輪さんに「いろいろお世話になりました。パソコンまで直してもらって。」と言われ、

「ええ?たいへんお世話になったのはこっちでしょう?いろいろすみませんでした。」

「福山さんは精神が強すぎるんだよね~。」

「ええ?どこが?」

「ものすごく精神が強すぎて、それにからだがついていけなくて、すごくやせちゃってて。俺なんてついていくのがやっとだよ。」

11:40発羽田行きの飛行機に、10:30にチェックインしたら、1席だけ残っていた窓際の席がとれた。

千歳の原生林と支笏湖が光るのを空の上から見るのをすごく楽しみにしていたのに・・・今日は厚い曇に覆われていて残念。

新千歳を飛び立ってから窓の外は真っ白。まあ、雨で雷雲の中に入ってしまったりしたら2、3時間も遅れることもあるらしいので、順調に飛行できて幸運と思わないといけない。

30分くらいしてからカーッと晴れて山脈が見え来て、東京に着く頃は36℃。

品川で電車を乗り換える時、温度差に順応できずに吐き気がした。

 

 

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