音楽

2023年12月13日 (水)

斉藤哲夫さんに連れられて遠藤賢司さん宅へ

12月13日(水)快晴16℃

一週間くらい前の夜9時頃、私には珍しくケイタイ番号から電話があり、

「俺だよ。哲夫!」と言われて一瞬誰だかわからなかったが斉藤哲夫さんだった。

私の個展の時に約束したとおり、遠藤賢司さん宅に連れて行ってくれるという。

今日、昼の12時半に某駅の改札で待ち合わせ。

まずはドトールでお茶を飲みながらお互いの病気の近況を聞きあう。

それから10分ほど歩いて遠藤邸へ。

昭和の古くて個性的な作りのお家。白い木の窓枠。

「古」とつくものが大好きでいろいろ収集していた(私と同じだ)エンケンさんの感性がすごくしっくりきて感動。

玄関の中には黄色い木の雪印牛乳の配達箱。それと小さな猫の人形がいっぱい。

家に上がらせていただくと洋猫の混じった三毛の女の子ちゃんが迎えてくれた。お客に興味を持つが引掻くので注意とのこと。

はいってすぐのお部屋に遠藤賢司さんのお骨の箱があり、

そのまわりにはやはり小さな人形やら深大寺の角大師のお守り袋やら秋田の犬のかたちの飴人形やら張り子人形やら細かいものたちが

釈迦涅槃図の釈迦のまわりの動物たちのようにはべっている。

でも悲しそうではなくいつも一緒に、生き生きとして。

後ろの壁にはエンケンさんの写真がびっしり。

70年くらいの長い髪を真ん中分けにしてかわいい猫を抱き上げたエンケンさんの写真や、歴代猫やライブの写真や着物を着た写真や・・・。

それらの温かさとにぎやかな熱さとかわいさで、(来る前は泣いてしまうと予想していたのに)

もう亡くなっていることが信じられなくて、涙が出なかった。

ぐるりの棚にはたくさんのレコード、CD、記録のファイル、スケッチブック、そしてまだまだ猫のぬいぐるみや人形。

スケッチブックにはずっと詩や日記を書いておられたそうで「貴重」と表紙に書かれてある60年代の学生時代のノートなど見せていただいた。

学生時代のいろんな女の子の名前が出てくるたくさんの恋の詩とか、音符ひとつひとつが猫の顔になっている楽譜とか・・・

ご家族はエンケンさんの残したギターの話をされて、私はギターの名前(品番)を聞いてもちんぷんかんぷんだが、哲夫さんはもちろんよくわかってらした。

大切に有効に使ってくれる人に譲りたいと。

エンケンさんより年下のしっかりした(エンケンさんを敬愛する)アーティストのかたたちは、ネットで調べて適切な値段で買い取ってくれたが、

エンケンさんと同世代の友人は借りると言って持って行ってそのままの人もいると。

2020年に新宿のビームスでポップアップショップ「エンケン商店」が開催され、派手な衣装やブーツなどもろもろのものが売れたという。

知っていたら絶対に行っていたのに残念。

2021年にはディスクユニオンでポップアップショップが、ここでもエンケンさんの収集した数々のものが売られていたのに知らなくて残念。

そして今年の秋には新宿のポップアップギャラリーでポスター展があったらしい。

ご家族に私の名刺をお渡ししたら、私の名前をご存じだった。

エンケンさんが私の展覧会に来てくださったことをお話されていて「いい絵をかくんだ」と言ってくださっていたと聞いて感激。

エンケンさんが昔にくださったおはがきを、私はずっと大切に持っている。

私が描いたアネモネの絵を「美しいなあ~。ずっと机の上に飾ってるよ。」と書いてくださった。

今日はなんとも感慨深い一日だった。

エンケンさんのかわいがっていた猫ちゃん。
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斉藤哲夫さんはしょっちゅう高円寺に来られるので、今度、私の絵をかくところを見たいと言われた。

 

 

 

 

 

 

 

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2023年8月 9日 (水)

ポルトリブレ夏のコレクション市 

8月6日(日)

うちの近所のギャラリー、ポルトリブレ デ・ノーヴォで夏のコレクション市が開かれているので行ってみた。

(8月23日(火)まで。ただし12日(土)~17日(木)は休み。)

飾ってあるのはすべてオーナーの平井さんのコレクションで、まだ名札とお値段がついていなかったのだが、尋ねてみると「え?」という感じのお値段。

平井さんが購入した時の半額から3分の1くらいの値段で売られているらしい。

狭い画廊内に掘り出し物がびっしり。狭い階段の左側の壁面に飾られている絵も売り出し中とのこと。

きょうは平井さんが好きなシャンソン関係のお客様が多くいらしていた。

シャンソン歌手で女優の堀ひろこさんと、画家でギャラリーオーナーの平井勝正さん。

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堀ひろこさんが手に持ってくださっているのは、私の9月に行われる展示のチラシです。

またあらためてお知らせしますが、

今年は9月12日から10月1日まで、足利市立美術館の特別展示室で個展をしていただきます。

10月25日(水)から11月3日(金)には新高円寺駅(丸の内線)から2分のギャラリー工(こう)で個展をします。

皆様、どうかお立ち寄りください。

 

 

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2022年10月17日 (月)

ひろき真冬さんとお酒を飲む

10月15日(土)

ひろき真冬さんと夕方6時に中野で待ち合わせ、ひろきさんお気に入りのお店に連れて行っていただく。

私の個展のお祝いと言ってくださり、あまりに恐縮。

私が肉を食べられないのでお魚だけのお店。ビールの大瓶で乾杯。

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そして、なんと私のために、ひろき真冬さんのデビュー第2作「幻想鬼」や花輪和一さんの「怨獣」の載っている1974年の『ガロ』と、ひろきさんの最初の単行本『K,quarter』と宮谷一彦さんの新聞記事のコピーを持ってきてくださっていて大感激。

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『K,quarter』に関しては私も購入して持参していたので、それにサインしていただく。

ひろきさんの生い立ちのお話。それから、漫画に夢中になり高校生の時に宮谷一彦さんのところに遊びに行くようになったこと。

ひろきさんが高2の時に、宮谷さんのアシスタントだった宮代洋司(はっぴいえんど「風街ろまん」の内ジャケットの都電を描いた人、のちの空飛光一)さんが辞め、

さらに高3の夏休み前に残りのアシスタント全員が辞めてしまい、

宮谷一彦さんに「お前の夏休みをおれにくれ」と言われ、たいへんなことになったことなど、宮谷さんをめぐるたくさんのエピソードを伺う。

非常に細かく具体的に、当時の時代背景なども併せて話してくださるので、私はメモを必死にとりつつも、おいしいお魚を食べ、ビールはどんどん進む。

ひろきさんの言葉にはもったいぶりや飾ったところがなく、すべてが「証言」として、情景が私の身体を通して見えるように感じられた。

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大海老やニシンの炉端焼き、揚げ出し豆腐など食べ、ふたりで大瓶4(~5?)本飲んだ。私はいつもならそんなに飲むと気持ち悪くなるのだが、興奮していたせいか頭は冴え、それほど酔わなかった。

岡田史子さんや合田佐和子さんの思い出の貴重なお話も伺えた。

私は合田佐和子さんとお目にかかれたのは種村季弘先生によんでいただいたスパンアートギャラリーでの集まりで。

岡田史子さんとは、高円寺文庫センターのサイン会(すごくどきどきして行列に並んだ)で。いずれも2000年を少し過ぎた頃だったように思う。

ちなみに初めてスクリーントーンを削るテクニックを生み出したのはひろきさんだそうだ。その頃、ドットの印刷面が裏(紙に貼り付ける面)から表に変わったので、カッターで削れるようになった。それまではホワイトでドットを消していたとか。

2件目は中野のSと阿佐ヶ谷のDと高円寺の「なんとかバー」とどこがいい?と言われ、なんとかバー(素人の乱)が選択肢に入っているのにびっくりした。

今日のところは中野の隠れ家のような小さな白いバーへ。
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中野の私の好きな裏道にこんなお店があったの?と驚く。

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日本ではあまり手に入らないと言う珍しいジン「ノストラダムス」(青い瓶、ミント風味)のソーダ割を飲んだ。
左からひろきさんのボトル、緑色の瓶が「パラケルスス」(レモングラス風味)。
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話が盛り上がりすぎて、私は酔いで倒れないように途中、温かいお茶やレモンのソーダ割をいただく。ひろきさんは「なんでも(飲み物の)わがまま言って!」と言ってくださる。

「実は私、ひろきさんの最初のレコード持ってるんですよ。」と言うとすごく驚かれた。

「Onna」のレコードの「コルティジアーナ・ダル・ベーロ」と「胸をつつんで・・・」は、当時何度、繰り返して聞いたかしれない。

楽器を演奏しているようには思えないあまりにも不思議な音、妖しく美しい景色に全身が侵され、めまいする衝撃。

当時、私にこのレコードをくれたのは宮西計三だ。私はその頃、宮西計三の卓越した線と詩に心酔していた。

ひろきさんは宮西さんとの出会いと、どうやってこの不思議で刺激的な音ができたかを話してくださった。

マイクが無かったのでカセットデッキを録音状態にしてティアックの244に繋げたとか。

ひろきさんはバーボンのボトルを飲み干し、目の前で新しいボトルを入れていたので、空いたひろきさんのイラストの描いてある瓶を記念にいただいた。

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「胸をつつんで・・・」の最後のカラスの泣き声のリフレインも偶然で、声を録音している時に窓辺にカラスが来たんだ、と聞いて本当に驚いた。

「あの時はケミストリーが起きた。作ろうとしてやると構えてしまう。そうじゃなくて二人で落書きみたいにしてつくったから。」と。

ひろき真冬さんは「宮谷一彦先生と宮西計三君は似てる」と言った。その意味が私にはすごくわかる気がした。

また、私の絵に「シンとくる(沈黙させる)ものがある」と言ってくださった。

才能とエゴ、表現者どうしの共鳴と軋轢、作品と作者・・・私が常にもっとも関心がある問題を、信じられないほどストレートに語ってくださり、本当に濃くてありがたい時間だった。

ひろき真冬さんはたいへん紳士的なかたで、さりげなく濃やかなお気遣いが(私に対しても、店員さんに対しても)すごくて、その穏やかな明るさ、優しさはお酒を飲んでも少しも乱れない。

なによりもお酒が進んでもことばが的確で、核心からぶれない(フェアである)ことに驚嘆した。

ロックをやって絵を描いていて見た目もおしゃれで、それでいてこれだけ自然に話ができるかたと私は初めて出会った。

私もすごい量を飲んだのだがふらつきもせず、ちゃんと高円寺駅から歩いて帰った。家に着いたのは午前零時近かった。

 

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2021年7月 7日 (水)

中山ラビさんのこと

7月5日(月)

中山ラビさんが癌で亡くなったとのニュースに大ショック。

ラビさんは私が生まれて初めて熱狂した女性シンガーソングライターだ。

深い紫のビロードのような、淋し気で濃く湿った声。

狂ったように感覚的でかつ知的で、えぐるような、それでいて抱擁するような詩。

長いおかっぱの黒髪にジーパンで、少しぼそぼそしゃべる正直さと、素気なさと、色っぽさと。たっぷり謎めいていて。

大好きだった。私の少女期のあこがれの人。

ラビさんの最初のアルバム『私ってこんな』、それから『ひらひら』『女です』『もうすぐ』『なかのあなた』といったレコードを繰り返し聞いた。

一番好きな歌は選びきれない。「夢のドライブ」「じっとしてな」「あてのない一日」「橋が燃える」「立つ」のように暗い眩暈をもたらすような曲を、その頃のラビさん独特の、どこか身を硬くして冷めて突き放したような、それでいて壊れそうな激しさで叩きつけられるのにとことん痺れた。
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『私ってこんな』の中の「バッタのように」、『女です』の中の「その気になってるわ」、ラビさんひとりの弾き語りのアルバ『もうすぐ』の中の「あんた」や「念仏ぐらし」、『なかのあなた』の中の「色さめて」は、ギターでコピーしてよく歌っていた。

(19歳の頃、代々木にあったライブのできる喫茶店で私は「その気になってるわ」を歌った。知り合いの男性にギターを手伝ってもらったのだけど、何度も言ったのに、「ススキ野原をパン齧って越えてった」の1小節アルペジオが増えるところを、彼が間違えたのが今も悔しい。)


Dear ちさこちゃん Rabi ♡ in 裸美 とてもシャイ・・・ありがとう  とサインしてくださった『ラビ女です』のLP。

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国分寺のほんやら洞に尋ねて行った時、京都のフォークキャンプコンサートの時の、ボブ・ディランの「船がやってくる」「俺じゃだめ」(中山容 訳詞)を歌っていたラビさんのかわいい声の録音を渡した。(まだCD化されていなかったころで、LPレコードからCD-Rに焼いてあげたのだったか。何のためにそんな滑稽なことをしたか忘れてしまった。)

「ノンノンノン俺じゃあだめ ほおかにいぃいるだあろ・・」

それから私の個展に大きな花籠を持って来てくださった。
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私もよくライブに行った。野川のくじら山付近でやった「原っぱまつり」の時は出店を手伝い(ラビさんの昔の髪型と同じだね、と皆に言われた)、その後にご自宅のカニパーティーによんでいただいたりもした。

服のお下がりをいただいたり(「私は胸が大きいからぴったりしたセーターが似合わないのよ。」と言って黄色いセーターをくださった。ざっくりした木綿のチェリーピンクのストンと被るワンピースやモスグリーンのカーディガンも)、とてもかわいがっていただいた。

ラビさんの歌にはわけのわからない歌詞があって、そこがなんともかっこよくて

たとえば「あんた」の語り。

「締めっぽく蔦が絡む曲がり具合に貧困をなじって 胸をそらすと かっこいいTシャツの若者が

締めっぽく蔦が絡む曲がり具合に貧困をなじって 胸をそらすと 

かっこいいカーキ色の服は夕日を映し その下には派手なTシャツがのぞいて

まるで若者に見える仕草で でも歳は告げずに

なぜだか一人満たされ テーブルを叩くと飛び出し

ネオンの町に消えた

すると隙間風が流れて 私は口元だけの笑顔をつくり うなずいてしまった」

 

たとえば「バッタのように」。

「人がへしあい押し合いながら 流れてゆくよ

樹にかかったあなたの首が呼んでいるから

ベロだしベロロ 土もぐり」

「人がへしあいつっつきあって 笑って消える自分の影に 

かくれ才蔵しっぽチョン切り キリキリ舞いさ 矛盾同着

おちゃのこさいさい渡ってゆくよ

バッタのように ハイツクバッテ

バッタのように なむあみだぶつ

足すりあわせ バッタのように

夜をよぶ バッタのように」

わかりがたい魅力を持っていたラビさん。

「ちさちゃん、ラビです。」という麗しい声を消さずに、大切に留守電に残したまま。

 

 

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2017年10月27日 (金)

エンケン(遠藤賢司)さんを悼む

10月27日

母が亡くなってからもうひと月が経とうとしているが、喪失感で息苦しい。

この前の台風で12℃まで冷えた日から風邪を引いてしまい、まだ微熱と喉痛に悩まされている。

おととい10月25日、遠藤賢司さんが亡くなられたと聞き、絶句・・・。

「ほんとだよ」が好きで、1stアルバム『niyago』がすごく好きで、昔からよく、絵を描いている時に繰り返し聞いていました。

非常にセンスのいいギターと、微風のように囁く甘い声が本当に素敵で、、何気ないようで無限に広がる強烈で詩的な情景を見せてくれる歌。

佐々木昭一郎脚本のドラマ「さすらい」に出ていた姿をもう一度見たい。たしか15年くらい前?に再放送され、うちのどこかに録画テープがあるはずだ。

個展の時におはがきを出したら来てくださった。

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私の描いたチューリップの絵(写真で後ろに展示してある絵)を見て、エンケンさんは「これは宇宙の花?」と言った。

「いえ、これ、チューリップをそのまま写生して描いたんですよ。」と言ったら驚いていらした。

アネモネの絵を描いたおはがきを出したら「美しいなァ・・・部屋に飾っています。」と書いたお返事をいただいて、すごく嬉しかった。

何度かエンケンバンドのライブに行った。ものすごいエネルギーにあふれたステージで、途中で酸素の缶を吸ったりしていた。スタイルも、とにかくかっこよかった。

演奏の合間のおしゃべりで「ヒロ・ヤマガタの絵は、なんてひどい絵なんだ!!!」と言っていたので、友人と顔を見合わせて笑ってしまったのを覚えている。

猫に似ているからフクロウも好きで、フクロウの人形や小物を集めていると言っていたので、ちっちゃなフクロウの陶人形をプレゼントしたこともあった。

少ししか話したことはないけれど、気どりや偉そうなところがない少年のような人だった。

好きな人がまたひとり、この世を去ってしまった。ものすごく淋しい。

・・・

新潟のおじ(母の妹の旦那さん)から、母の生家の写真が届いた。

山奥の古い茅葺の家。母がこんなところから東京に出て来て、激動の新宿で生きたと思うとすごく不思議だ。

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2017年5月15日 (月)

東京蚤の市 2017 

5月14日

東京蚤の市(東京オーヴァル京王閣)へ。

昼1時くらいに着いた。雨だったので、空いているかもしれないと思ったが、けっこうな人だった。

最近はあまり買わないけれど、私はアンティークというよりジャンク、古色のついたもの、古くてちっちゃくて不思議ながらくたが大好きだ。

入場してすぐ、蚤の市独特の匂い・・・古い木や紙や布や埃の懐かしい匂いがした。一瞬で、昔、夢中で行ったイギリスやドイツのアンティーク市の記憶に飛んでしまう。

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全体的にガラス瓶やガラスのお皿が多かった。コンポートガラス2000円均一。

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時刻が見えづらいけれど、一応針はついているおしゃれな時計。14000円。
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競輪場というところに初めて来たが、建物の古い部分はなかなか素敵だった。
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古いヘチマコロンの瓶。
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無造作にトランクに詰められたぬいぐるみたち。
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うちの人形に着せようかと思った白い綿レースのワンピースは10800円。人間用のレースのつけ衿は8640円。コンディションもよく、相場からしたら高くはないのだろうが、私にはちょっと手が出せない。
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右上の緑色のトイピアノ32400円。真ん中のお椀の中にグリークの写真。古い楽譜を売っていたお店。

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フロッピー(ぺたっと俯せに寝ころぶポーズ)のぬいぐるみが多く見かけられた。
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生の花(ラナンキュラスなど)が生けてある試験管。
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高価なアンティークドールのようなものは少なく、1000円くらいの品物が多く出品されていた。

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昔の薬などの広告。300円。
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階段を上がったところに休憩所があり、食べ物や飲み物を売っていたが、私はトイレに並ぶのが嫌で、結局、12時から6時過ぎまで飲まず食わずで歩き廻った。

かつてイギリスのブライトンの競馬場の5000店も出る巨大蚤の市に、ひとりで行った時のことを思い出していた。夢中になって朝6時から夕方5時まで一滴も飲まず食わず休まずで歩き廻っていたら、その夜、宿(B&B)で38.6度の高熱を出した。
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この写真によく似た、くたくたの茶色く変色したウサギのぬいぐるみを私は持っている。ロンドンのチョークファームで、17歳のかわいい女の子から「おばあちゃんが子どもの頃、かわいがっていた」という説明を聞いて買ったものだ。

アンティーク市に並んでいるものはどれも、私と同じように旅をしていて、かつての持ち主たちの記憶もたくさん詰まっている。私の知らない時間の記憶なのに、なぜか不思議と、なんとも懐かしく切ないような気持ちになる。
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雨が強くなり、中庭のような場所に出していた店の商品がずぶ濡れになった。
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古いガラス瓶や錆びて剥げた塗装の金属や、朽ちた木が雨に濡れて光って、すごく美しかった。その姿と匂いに強烈に旅情を呼びさまされて苦しくなるほどだった。

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ぬいぐるみの動物たちも、単なるモノとして見れずに感情移入しているので、動けないのに雨に濡れてかわいそう、と思ってしまう。黴がはえないかも心配。

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時計の中身。買ったらオブジェ作りに夢中になりそうなので今回は買わなかった。
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ドラゴンズブレスと呼ばれる偏光によって遊色が見えるヴィンテージガラスのアクセサリーパーツ。お店の名前を見たら、私が以前、ミリアム・ハスケルの1940年代のガラス(グラス)パールのパーツを通販で買ったle-meaceさんだった。

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昔の子どもたちの文房具。とってもかわいい。右上、ドイツ製、私の大好きなBONZO(犬のキャラクター)の固形絵の具セット。すごく心惹かれたが5000円近くしていたので今回は諦めた(少し未練あり)。

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このしっぽの立った黒猫には思い出がある。かつてロンドンのアンティーク市で買ったのだが、ぼろホテルの部屋に泥棒が入って盗まれてしまった。結局、そのあと買っていないのだが、時たま、どこかでまた似た子に出会うと、ああ、一度はうちに来ることになっていたあの子だ、と胸がきゅんとする。
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旧ソ連の猫バッジにも惹かれた。1600円でちょっとお高いので買わず。
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チェブラーシカのバッジたち。これらは2300円くらいだった。

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結局、私が買ったものは、まずこのヴィンテージ・グラスのジェリービーンズのようなシャンデリア・パーツ(フランス 1950年代)。5個400円のを2セット。なにに使うというのでもなく、小さくてとてもきれいだから。

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1800年代~1900年代のフランス紙ものアソート。古い新聞や楽譜などを購入。800円。
こちらは1923年のフランスの少女新聞。300円。

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それと、高知からいらしたという「花や草青む」という素敵な名前のお店で、直径4cmの小さなグラスを買った(日本酒をちびちび飲む用)。800円。

・・

3時過ぎに、夢中でグラスや御猪口を見て廻っていた時に、ギターの弾き語りでステージに立っていた男性歌手の高く柔らかな声が印象に残った。

帰りの電車の中で、蚤の市のガイドを見たら、Olde Worldeという人で、帰宅してからyoutubeで聞いてみた。そよそよした空気感があった。

「Daisies,Pears,The Sky」という曲。透明感があって、サイモン&ガーファンクルの「For Emily Whenever I May Found Her(エミリー・エミリー)」を初めて聴いたときのことを思い出した。

最近は、セクシー・ダヴィンチさんが「伊勢佐木町ブルース」で踊っていたのを見てから、青江三奈(特に初期)の歌声に痺れ、ずっと繰り返し聴いていて、続いて青山ミチの「恋のブルース」(野良猫ロック マシンアニマルのバージョンがすごく好き)を、毎日、聴きまくっていたのだが、久しぶりに軽やかなさわやか系の歌を聴いた。

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2016年8月31日 (水)

写真家、後藤真樹さんと打ち合わせ / 方南歌謡祭

8月25日

次の私の本のための絵の撮影について、写真家の後藤真樹さんと打ち合わせ。

特に箔をつかった作品について、なにを優先して撮影していただくか(銀箔のきれいな光の質感か、腐蝕部分の細かい線か、腐蝕部分の微妙な色か)、難しい問題がある。

また、写真をPCで調整しても、印刷物での再現は、それとはまったく違うノウハウになるそうだ。いろいろ想像して悩んでしまった。

・・・・

後藤さんは、座右宝刊行会代表として、書籍の執筆、編集、刊行も行っている。

座右宝刊行会という名称は、大正時代にさかのぼり、下のようないきさつがあるらしい。

(ホームページから引用します。)

「大正末期に作家・志賀直哉がコロタイプ印刷で作った自らの心眼に叶うものを集めた美術写真集「座右寶」を刊行する為に座右寶刊行會を創設しました。

大正15(1926)年に「座右寶」を刊行したのち、岡田三郎助氏の元で「時代裂」を刊行。その後、後藤眞太郎が引き継いで数々の文学書・美術書などを編集・出版。終戦の翌年、昭和21年には美術雑誌「座右寶」を創刊。

真太郎没後は、息子の後藤茂樹が引き継ぎ、美術全集の編集などを行い、日本の編集プロダクションの先駆けとなったが、1981年に解散。

現在の座右宝刊行会は、後藤眞太郎の孫にあたる写真家・後藤真樹が祖父と伯父の志のいくばくかを継ぎたいとして書籍の編集・出版を行っています。」

http://gotophoto.zauho.com/zauhopress/zauho.info.html

後藤さんとのご縁のきっかけは、私がハナ動物病院の待合室で、たまたま「座右宝」という薄い小冊子を見つけたことだ。

なんだろう?と読んでみたら快作先生の殺処分ゼロ運動のインタヴューと、高円寺ニャンダラーズ(猫レスキューのボランティアさんたち)のメンバーのかたの、福島での動物レスキューの現場体験を語る言葉がのっていた。

「福島被災猫レスキューの現場から」――西井えり(高円寺ニャンダラーズ)の全文は下のURLで読めます。

http://gotophoto.zauho.com/zauhopress/nishii-hisaineko.pdf

後藤さんは、たまたま被災猫の里親探しの活動に賛同し、譲渡会で出会った猫を引き取り、フクスケ(フクチン)と名付けた。

そして福島の警戒区域から保護された猫たちが、引きとった人々の元で幸せにくらしている姿をつづった物語つき写真集『おーい、フクチン! おまえさん、しあわせかい?――54匹の置き去りになった猫の物語』を刊行した。

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http://gotophoto.zauho.com/book/fukuchin.html

打ち合わせ中、フクチンは、うにゃ~お!うにゃ~お!と、すごく元気な声で、おしゃべりしてきていた。おなかがすいたみたい。フクチンは、ごはんをもらう前に、おすわりをして、お手!をする。

フクチンは福島で大けがをしたらしく、横隔膜が破れて内臓が肺を圧迫して呼吸ができなくて、内臓をもとに戻す大手術をしたそうだ。今は、そんなふうには全く見えないほど、元気だ。(ほかにアレルギー症状もあって、投薬によるコントロールが続いているそうだけど。)

後藤さんのお宅のまわりは、鬱蒼とした植物に囲まれていた。帰り道、コオロギたちが一斉に鳴いていた。もう秋だ。

8月27日

台風のせいで、雨がしとしと。その中、杉並区方南町の方南歌謡祭に行ってみた。

駅前の駐車場に、ステージカーが。その前に折りたたみ椅子をびっしり並べて、みんな雨合羽を着て座っていた。私は前から3番目の一番端っこの席。

熱心に見ているのは、70歳以上と思しき、元気なご高齢のかたが多いのにびっくり。駐車場の柵の外から、酔っぱらって大きな掛け声をかける男の人。柵によじ登る人。立ち見で煙草を吸っている人。全体的に、すごく自由というのか、無法地帯というのか、騒がしく、いなかっぽい雰囲気。

正直、高円寺の阿波踊りでは、考えられない感じだ。高円寺は、商店街の人の踊りが「芸能」まで高められているというのもあるが、観客も、もっと上品だ。

一番よかったのはフィンガー5の晃。歌もトークもすごくうまかった。

いきなり「・・・お祭りって、こんなんだっけ?」と。「なんか、すごく、いなかっぽいね。」とずばり。「すごい人だね。これ、お金とったらすごいけどね。タダだからね。」とも。

まずは「恋のダイヤル6700」。追っかけの人が10人くらい、最前列の真ん中に陣取っていてキャーッと黄色い(?)歓声。会場全体がすごい盛り上がり。「ここ、騒音対策、だいじょうぶ?俺、歌いながら帰ろうかと思っちゃった。」

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「個人授業」、晃の自作の沖縄ことばの歌も素晴らしかった。それから最後は「学園天国」。

彼はさすが、和製マイケル・ジャクソンとかつて言われただけのことはあって、歌唱から独自のソウルフルなものが伝わってくる。

(小学生にして、レコードデビューの時に、まわりの大人の耳がよくなくてつまらない、と言っていたらしい。)彼を見られたことは、とてもよかった。

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終わってから、方南通りを西永福まで歩いた。大宮八幡宮のあたりは人通りがなく、暗い湿った空気をふるわす虫の音がすごかった。

西永福の三崎丸で牡蠣のオイルづけや白子の天婦羅を食べ、生グレサワーを飲んだ。

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2014年12月31日 (水)

ちゃびの検査 猫の腎不全 / 音楽

12月30日

動物病院の今年最後の診療日に、ちゃびを検査に連れて行く。

朝、晩のアカルディ(オブラートに包んでいる)のおかげで、心臓の雑音はいい感じによくなっている。

体重は、前回3.32kgだったのが、今回3.38kgに増えていた!きのうの晩は輸液していないので、輸液分が増えたわけではない。

9月半ばに腎不全が発覚したときは2.8kgで、食欲がすごく落ちていて、もうだめかと思い、頭が真っ白になったのだが、

吐き気がするときはセレニア8mg(強烈な味なのでカプセルに入れて。これは一時間~2時間後に効き始め、24時間効く。)、それ以外の時は朝晩、まずはほんの2mmくらいのぺリアクチンを飲ませ、一時間以上経っても食べなかったら1.5mmほどのセルシンのかけらをシリンジで飲ますことによって、うまく食欲を出すことに成功している。

腎不全で食欲のない猫を飼っている人の参考になるかもしれないので書いておきますと、

最近あげている食事は、

腎臓サポート、キドニーケア、ル・シャット(デトレ)などの腎臓療法食のカリカリ(ドライ)を適当に10g~15gくらいお皿に入れ、

その上に銀のスプーンジュレ15歳以上用を少々かけ、

そのジュレ部分に、ミヤリサン(またはビオフェルミンやアシドフィルス菌)を粉にしたものとデキストリン(食物ファイバー)を少々かけて(ファイバーは多いと下痢するのでほんの少量だけ入れます)少しスプーンでなじませ、

その上に少量のレンジアレンをかけ、さらにそのレンジアレンの上にひとつまみのかつおぶしをかけたもの

これを何回か繰り返してあげています。

一時期はモンプチ白身魚と野菜入り15歳(缶詰)を気に入ったり、鱈や鮪を欲しがったりしたが今は落ち着いている。

「輸液をやめていい」と言われることを期待していたのだが、輸液は当分、今と同じ、一日おきに170ml程度(3回で1パックを使い切る)やったほうがいいと言われた。

・・・・

輸液の時には、針を刺されるちゃびも、刺す私も緊張でぷるぷるするので、ちゃびと私の緊張を和らげる音楽をかけている。

ちゃびは、自分の声に近い声が好きで、男の人のボーカルが嫌いである。ハードロックや電子音なども嫌い。

私は、音楽マニアではないのだが、好きな音楽がすごく限られている。アコースティック系でシンプルなものが好きで、ヒットした曲はほとんど好きではない。マイナー系でだいたい1975年より昔のものしか聞かない。戦前の歌謡曲も好き。

60年代のシンプルなロックやガレージ系は私は好きだけど、ちゃびは嫌いだ。

今までに輸液の時に聴いていた曲・・・

最初の頃はジョニ・ミッチェル「Tin Angel」。窓の水差しの中の磨かれた草、サテンの箱の中のタペストリーの剥げたビーズ・・・という出だしが好きだ。

ジュリー・ロンドンの「Cry Me A River」。これは落ち着く。

マリア・カラスの若い頃の「ハバネラ」。これは美しいし、気分も上がるのだが、けっこう緊張も強いられる。

カルメンマキ&オズの最初の頃。この頃のマキさんの声は素晴らしくて、アレンジも私は大好きだけど、ちゃびは落ちつかない。

浅川マキ。彼女はうまい。彼女の声は哀しくて温かくて非常にインスパイアされる。だけどちゃびはどうなんだろ。

淡谷のり子や織井茂子は、私は大好きだが、最後にオーケストラが盛り上がったりするとちゃびが落ち着かない。

ポール・マクレーンの「Is It Okay To Call You Mine 」。これは1980年の曲(私が聴くにはあまりに最近のものすぎる)だけど声も歌詞も大好きな曲で、この頃の内向的で繊細な役者だった彼も大好きだ。この歌は男声なんだけど私もちゃびも落ち着く。

最近はシモンズ。これはちゃびが落ち着くような気がする。ウイッシュや麻里絵など女性二人組は何組かいるが、意外にもシモンズが一番透明感がある。

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2012年12月 1日 (土)

ハヤサスラヒメ 速佐須良姫 笠井叡 麿赤兒

11月30日

笠井久子さんのお誘いを受け、笠井叡×麿赤兒 天使館、大駱駝艦公演の「ハヤサスラヒメ」を観に、世田谷パブリックシアターへ。なかなかない公演だから、ぜひ観て、という久子様の言葉通り、すごいものであった。

「アメノウズメのダンスは闇を光に変え」、「ハヤサスラヒメは光輝く闇をもって、人のすべてを受胎以前の闇の中に引き戻す。」

闇の中に浮かび上がる上半身裸に銀ラメの黒いロングパンツの笠井叡。それに向かって客席後方からにじり寄るプラチナ色のラメのボンバーヘッドに、やはり裾がラメの白いロングドレスの麿赤兒。

そして笠井叡率いる天使館の四人は、皆ガリガリの手足の長い美少年であり、金髪振り乱しし、白い薄布のスカートを翻し、のけぞりながらふわっと飛翔と回転を繰り返す天上的な踊り。

それに対する麿赤兒率いる大駱駝艦の四人は、皆筋骨隆々のずんぐりした男臭い体型と大きな坊主頭を持ち、全身白塗りで、大地をだんだん!と踏みしめ、痙攣するような踊り。

四人ずつのグループが、それぞれグループごとに体型(骨格や筋肉のつきかた)だけでなく、顔つきまで似ていることに驚いた。(表情のつくりかたで顔ができていくということなのだろうか。)

ベートーベンの第九、全楽章にのせて、ふたつの練り上げあれ研ぎ澄まされた個性がぶつかりあい、錯綜する。

笠井叡は攻撃的ながら少し茶目っ気もある踊り。麿赤兒は動きを抑えて表情を見せる踊り。

中盤、衣装を替えた二人は笠井叡はピンクの短めのチュチュとレオタード、麿赤兒は黒の長めのチュチュでかわいくコケティッシュに絡み合った。

終盤はオイリュトミーの女性群も登場で「喜びの歌」で大いに盛り上がる。

今回の公演はそれぞれの50年間やってきたことがお二方の今の身体そのものに顕われ、その才能の成果がお弟子さんたちにもつぶさに顕われいた、その対比や緩急、意外性など楽しめる舞台だったと思う。

また、特に驚愕したのは、久しぶりに見る笠井禮示さんの身体が、以前よりずっと削ぎ落とされ骨格標本のように細くなりながら、動きの切れがすごくなっていたことだった。あの細身でよく激しく動ける、と思う限界ぎりぎりを見せられたような気がした。

また、私の隣の隣の席に、昔から好きな俳優さん、若松武史(昔の名前は若松武)がいた。彼は黒いタートルのイメージだが、そのまんま黒いタートルセーターを着ていて、微笑しながら拍手している仕草にすごくどきどきした。(正確に言うと、私が子供のころは色気がありすぎる俳優で少し苦手だったのだが、お互いに歳を取るにつれて、個性的ですごくかっこいいと思うようになった。)

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家に帰るとちゃびが淋しがっていた。ひとりぼっちにしてごめん。

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余談だが、なかなか使う機会のないアンティークのEUGENE(ユージーン)のブローチをして行った。ユージーンはミリアム・ハスケルの工房にいて後に独立した人で、1950年代、わずか10年足らずで工房を閉めたため、作品は数が少ないという。これは一目惚れして買ったブローチ。黒いガラスに絡みついた薊の花の形象がすごく気に入っている。

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2011年12月 7日 (水)

ASPIRE ONE D260

12月7日

ASPIRE ONE D260 が起動しないのでエイサーのサポートに電話。言われたとおりACアダプタやケーブルを外して、バッテリーを外して、スイッチを10回トントンと押したら直った。静電気を逃がす作業だそう。

12月6日

朝、ASPIRE ONE D260をつけようとしたら起動しないので焦る。去年、ドイツに行く前に日本との通信用に買った小さいモバイルPC。これにはカメラが付いているので、今はもっぱらSkype用に使っている。

Vさんから電話。S.Mさんから電話。仕事が少しずつだが動いている。

夜、Julie London の Cry Me a River ばかり繰り返し聴いている。すごく美しくて声も魅惑的な人だと思う。希望は過去にしかない。

12月5日

夜、Yさんから仕事についての電話。この電話を待っていた。

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