音楽

2017年5月15日 (月)

東京蚤の市 2017 

5月14日

東京蚤の市(東京オーヴァル京王閣)へ。

昼1時くらいに着いた。雨だったので、空いているかもしれないと思ったが、けっこうな人だった。

最近はあまり買わないけれど、私はアンティークというよりジャンク、古色のついたもの、古くてちっちゃくて不思議ながらくたが大好きだ。

入場してすぐ、蚤の市独特の匂い・・・古い木や紙や布や埃の懐かしい匂いがした。一瞬で、昔、夢中で行ったイギリスやドイツのアンティーク市の記憶に飛んでしまう。

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全体的にガラス瓶やガラスのお皿が多かった。コンポートガラス2000円均一。

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時刻が見えづらいけれど、一応針はついているおしゃれな時計。14000円。
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競輪場というところに初めて来たが、建物の古い部分はなかなか素敵だった。
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古いヘチマコロンの瓶。
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無造作にトランクに詰められたぬいぐるみたち。
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うちの人形に着せようかと思った白い綿レースのワンピースは10800円。人間用のレースのつけ衿は8640円。コンディションもよく、相場からしたら高くはないのだろうが、私にはちょっと手が出せない。
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右上の緑色のトイピアノ32400円。真ん中のお椀の中にグリークの写真。古い楽譜を売っていたお店。

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フロッピー(ぺたっと俯せに寝ころぶポーズ)のぬいぐるみが多く見かけられた。
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生の花(ラナンキュラスなど)が生けてある試験管。
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高価なアンティークドールのようなものは少なく、1000円くらいの品物が多く出品されていた。

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昔の薬などの広告。300円。
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階段を上がったところに休憩所があり、食べ物や飲み物を売っていたが、私はトイレに並ぶのが嫌で、結局、12時から6時過ぎまで飲まず食わずで歩き廻った。

かつてイギリスのブライトンの競馬場の5000店も出る巨大蚤の市に、ひとりで行った時のことを思い出していた。夢中になって朝6時から夕方5時まで一滴も飲まず食わず休まずで歩き廻っていたら、その夜、宿(B&B)で38.6度の高熱を出した。
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この写真によく似た、くたくたの茶色く変色したウサギのぬいぐるみを私は持っている。ロンドンのチョークファームで、17歳のかわいい女の子から「おばあちゃんが子どもの頃、かわいがっていた」という説明を聞いて買ったものだ。

アンティーク市に並んでいるものはどれも、私と同じように旅をしていて、かつての持ち主たちの記憶もたくさん詰まっている。私の知らない時間の記憶なのに、なぜか不思議と、なんとも懐かしく切ないような気持ちになる。
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雨が強くなり、中庭のような場所に出していた店の商品がずぶ濡れになった。
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古いガラス瓶や錆びて剥げた塗装の金属や、朽ちた木が雨に濡れて光って、すごく美しかった。その姿と匂いに強烈に旅情を呼びさまされて苦しくなるほどだった。

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ぬいぐるみの動物たちも、単なるモノとして見れずに感情移入しているので、動けないのに雨に濡れてかわいそう、と思ってしまう。黴がはえないかも心配。

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時計の中身。買ったらオブジェ作りに夢中になりそうなので今回は買わなかった。
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ドラゴンズブレスと呼ばれる偏光によって遊色が見えるヴィンテージガラスのアクセサリーパーツ。お店の名前を見たら、私が以前、ミリアム・ハスケルの1940年代のガラス(グラス)パールのパーツを通販で買ったle-meaceさんだった。

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昔の子どもたちの文房具。とってもかわいい。右上、ドイツ製、私の大好きなBONZO(犬のキャラクター)の固形絵の具セット。すごく心惹かれたが5000円近くしていたので今回は諦めた(少し未練あり)。

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このしっぽの立った黒猫には思い出がある。かつてロンドンのアンティーク市で買ったのだが、ぼろホテルの部屋に泥棒が入って盗まれてしまった。結局、そのあと買っていないのだが、時たま、どこかでまた似た子に出会うと、ああ、一度はうちに来ることになっていたあの子だ、と胸がきゅんとする。
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旧ソ連の猫バッジにも惹かれた。1600円でちょっとお高いので買わず。
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チェブラーシカのバッジたち。これらは2300円くらいだった。

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結局、私が買ったものは、まずこのヴィンテージ・グラスのジェリービーンズのようなシャンデリア・パーツ(フランス 1950年代)。5個400円のを2セット。なにに使うというのでもなく、小さくてとてもきれいだから。

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1800年代~1900年代のフランス紙ものアソート。古い新聞や楽譜などを購入。800円。
こちらは1923年のフランスの少女新聞。300円。

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それと、高知からいらしたという「花や草青む」という素敵な名前のお店で、直径4cmの小さなグラスを買った(日本酒をちびちび飲む用)。800円。

・・

3時過ぎに、夢中でグラスや御猪口を見て廻っていた時に、ギターの弾き語りでステージに立っていた男性歌手の高く柔らかな声が印象に残った。

帰りの電車の中で、蚤の市のガイドを見たら、Olde Worldeという人で、帰宅してからyoutubeで聞いてみた。そよそよした空気感があった。

「Daisies,Pears,The Sky」という曲。透明感があって、サイモン&ガーファンクルの「For Emily Whenever I May Found Her(エミリー・エミリー)」を初めて聴いたときのことを思い出した。

最近は、セクシー・ダヴィンチさんが「伊勢佐木町ブルース」で踊っていたのを見てから、青江三奈(特に初期)の歌声に痺れ、ずっと繰り返し聴いていて、続いて青山ミチの「恋のブルース」(野良猫ロック マシンアニマルのバージョンがすごく好き)を、毎日、聴きまくっていたのだが、久しぶりに軽やかなさわやか系の歌を聴いた。

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2016年8月31日 (水)

写真家、後藤真樹さんと打ち合わせ / 方南歌謡祭

8月25日

次の私の本のための絵の撮影について、写真家の後藤真樹さんと打ち合わせ。

特に箔をつかった作品について、なにを優先して撮影していただくか(銀箔のきれいな光の質感か、腐蝕部分の細かい線か、腐蝕部分の微妙な色か)、難しい問題がある。

また、写真をPCで調整しても、印刷物での再現は、それとはまったく違うノウハウになるそうだ。いろいろ想像して悩んでしまった。

・・・・

後藤さんは、座右宝刊行会代表として、書籍の執筆、編集、刊行も行っている。

座右宝刊行会という名称は、大正時代にさかのぼり、下のようないきさつがあるらしい。

(ホームページから引用します。)

「大正末期に作家・志賀直哉がコロタイプ印刷で作った自らの心眼に叶うものを集めた美術写真集「座右寶」を刊行する為に座右寶刊行會を創設しました。

大正15(1926)年に「座右寶」を刊行したのち、岡田三郎助氏の元で「時代裂」を刊行。その後、後藤眞太郎が引き継いで数々の文学書・美術書などを編集・出版。終戦の翌年、昭和21年には美術雑誌「座右寶」を創刊。

真太郎没後は、息子の後藤茂樹が引き継ぎ、美術全集の編集などを行い、日本の編集プロダクションの先駆けとなったが、1981年に解散。

現在の座右宝刊行会は、後藤眞太郎の孫にあたる写真家・後藤真樹が祖父と伯父の志のいくばくかを継ぎたいとして書籍の編集・出版を行っています。」

http://gotophoto.zauho.com/zauhopress/zauho.info.html

後藤さんとのご縁のきっかけは、私がハナ動物病院の待合室で、たまたま「座右宝」という薄い小冊子を見つけたことだ。

なんだろう?と読んでみたら快作先生の殺処分ゼロ運動のインタヴューと、高円寺ニャンダラーズ(猫レスキューのボランティアさんたち)のメンバーのかたの、福島での動物レスキューの現場体験を語る言葉がのっていた。

「福島被災猫レスキューの現場から」――西井えり(高円寺ニャンダラーズ)の全文は下のURLで読めます。

http://gotophoto.zauho.com/zauhopress/nishii-hisaineko.pdf

後藤さんは、たまたま被災猫の里親探しの活動に賛同し、譲渡会で出会った猫を引き取り、フクスケ(フクチン)と名付けた。

そして福島の警戒区域から保護された猫たちが、引きとった人々の元で幸せにくらしている姿をつづった物語つき写真集『おーい、フクチン! おまえさん、しあわせかい?――54匹の置き去りになった猫の物語』を刊行した。

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http://gotophoto.zauho.com/book/fukuchin.html

打ち合わせ中、フクチンは、うにゃ~お!うにゃ~お!と、すごく元気な声で、おしゃべりしてきていた。おなかがすいたみたい。フクチンは、ごはんをもらう前に、おすわりをして、お手!をする。

フクチンは福島で大けがをしたらしく、横隔膜が破れて内臓が肺を圧迫して呼吸ができなくて、内臓をもとに戻す大手術をしたそうだ。今は、そんなふうには全く見えないほど、元気だ。(ほかにアレルギー症状もあって、投薬によるコントロールが続いているそうだけど。)

後藤さんのお宅のまわりは、鬱蒼とした植物に囲まれていた。帰り道、コオロギたちが一斉に鳴いていた。もう秋だ。

8月27日

台風のせいで、雨がしとしと。その中、杉並区方南町の方南歌謡祭に行ってみた。

駅前の駐車場に、ステージカーが。その前に折りたたみ椅子をびっしり並べて、みんな雨合羽を着て座っていた。私は前から3番目の一番端っこの席。

熱心に見ているのは、70歳以上と思しき、元気なご高齢のかたが多いのにびっくり。駐車場の柵の外から、酔っぱらって大きな掛け声をかける男の人。柵によじ登る人。立ち見で煙草を吸っている人。全体的に、すごく自由というのか、無法地帯というのか、騒がしく、いなかっぽい雰囲気。

正直、高円寺の阿波踊りでは、考えられない感じだ。高円寺は、商店街の人の踊りが「芸能」まで高められているというのもあるが、観客も、もっと上品だ。

一番よかったのはフィンガー5の晃。歌もトークもすごくうまかった。

いきなり「・・・お祭りって、こんなんだっけ?」と。「なんか、すごく、いなかっぽいね。」とずばり。「すごい人だね。これ、お金とったらすごいけどね。タダだからね。」とも。

まずは「恋のダイヤル6700」。追っかけの人が10人くらい、最前列の真ん中に陣取っていてキャーッと黄色い(?)歓声。会場全体がすごい盛り上がり。「ここ、騒音対策、だいじょうぶ?俺、歌いながら帰ろうかと思っちゃった。」

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「個人授業」、晃の自作の沖縄ことばの歌も素晴らしかった。それから最後は「学園天国」。

彼はさすが、和製マイケル・ジャクソンとかつて言われただけのことはあって、歌唱から独自のソウルフルなものが伝わってくる。

(小学生にして、レコードデビューの時に、まわりの大人の耳がよくなくてつまらない、と言っていたらしい。)彼を見られたことは、とてもよかった。

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終わってから、方南通りを西永福まで歩いた。大宮八幡宮のあたりは人通りがなく、暗い湿った空気をふるわす虫の音がすごかった。

西永福の三崎丸で牡蠣のオイルづけや白子の天婦羅を食べ、生グレサワーを飲んだ。

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2014年12月31日 (水)

ちゃびの検査 猫の腎不全 / 音楽

12月30日

動物病院の今年最後の診療日に、ちゃびを検査に連れて行く。

朝、晩のアカルディ(オブラートに包んでいる)のおかげで、心臓の雑音はいい感じによくなっている。

体重は、前回3.32kgだったのが、今回3.38kgに増えていた!きのうの晩は輸液していないので、輸液分が増えたわけではない。

9月半ばに腎不全が発覚したときは2.8kgで、食欲がすごく落ちていて、もうだめかと思い、頭が真っ白になったのだが、

吐き気がするときはセレニア8mg(強烈な味なのでカプセルに入れて。これは一時間~2時間後に効き始め、24時間効く。)、それ以外の時は朝晩、まずはほんの2mmくらいのぺリアクチンを飲ませ、一時間以上経っても食べなかったら1.5mmほどのセルシンのかけらをシリンジで飲ますことによって、うまく食欲を出すことに成功している。

腎不全で食欲のない猫を飼っている人の参考になるかもしれないので書いておきますと、

最近あげている食事は、

腎臓サポート、キドニーケア、ル・シャット(デトレ)などの腎臓療法食のカリカリ(ドライ)を適当に10g~15gくらいお皿に入れ、

その上に銀のスプーンジュレ15歳以上用を少々かけ、

そのジュレ部分に、ミヤリサン(またはビオフェルミンやアシドフィルス菌)を粉にしたものとデキストリン(食物ファイバー)を少々かけて(ファイバーは多いと下痢するのでほんの少量だけ入れます)少しスプーンでなじませ、

その上に少量のレンジアレンをかけ、さらにそのレンジアレンの上にひとつまみのかつおぶしをかけたもの

これを何回か繰り返してあげています。

一時期はモンプチ白身魚と野菜入り15歳(缶詰)を気に入ったり、鱈や鮪を欲しがったりしたが今は落ち着いている。

「輸液をやめていい」と言われることを期待していたのだが、輸液は当分、今と同じ、一日おきに170ml程度(3回で1パックを使い切る)やったほうがいいと言われた。

・・・・

輸液の時には、針を刺されるちゃびも、刺す私も緊張でぷるぷるするので、ちゃびと私の緊張を和らげる音楽をかけている。

ちゃびは、自分の声に近い声が好きで、男の人のボーカルが嫌いである。ハードロックや電子音なども嫌い。

私は、音楽マニアではないのだが、好きな音楽がすごく限られている。アコースティック系でシンプルなものが好きで、ヒットした曲はほとんど好きではない。マイナー系でだいたい1975年より昔のものしか聞かない。戦前の歌謡曲も好き。

60年代のシンプルなロックやガレージ系は私は好きだけど、ちゃびは嫌いだ。

今までに輸液の時に聴いていた曲・・・

最初の頃はジョニ・ミッチェル「Tin Angel」。窓の水差しの中の磨かれた草、サテンの箱の中のタペストリーの剥げたビーズ・・・という出だしが好きだ。

ジュリー・ロンドンの「Cry Me A River」。これは落ち着く。

マリア・カラスの若い頃の「ハバネラ」。これは美しいし、気分も上がるのだが、けっこう緊張も強いられる。

カルメンマキ&オズの最初の頃。この頃のマキさんの声は素晴らしくて、アレンジも私は大好きだけど、ちゃびは落ちつかない。

浅川マキ。彼女はうまい。彼女の声は哀しくて温かくて非常にインスパイアされる。だけどちゃびはどうなんだろ。

淡谷のり子や織井茂子は、私は大好きだが、最後にオーケストラが盛り上がったりするとちゃびが落ち着かない。

ポール・マクレーンの「Is It Okay To Call You Mine 」。これは1980年の曲(私が聴くにはあまりに最近のものすぎる)だけど声も歌詞も大好きな曲で、この頃の内向的で繊細な役者だった彼も大好きだ。この歌は男声なんだけど私もちゃびも落ち着く。

最近はシモンズ。これはちゃびが落ち着くような気がする。ウイッシュや麻里絵など女性二人組は何組かいるが、意外にもシモンズが一番透明感がある。

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2012年12月 1日 (土)

ハヤサスラヒメ 速佐須良姫 笠井叡 麿赤兒

11月30日

笠井久子さんのお誘いを受け、笠井叡×麿赤兒 天使館、大駱駝艦公演の「ハヤサスラヒメ」を観に、世田谷パブリックシアターへ。なかなかない公演だから、ぜひ観て、という久子様の言葉通り、すごいものであった。

「アメノウズメのダンスは闇を光に変え」、「ハヤサスラヒメは光輝く闇をもって、人のすべてを受胎以前の闇の中に引き戻す。」

闇の中に浮かび上がる上半身裸に銀ラメの黒いロングパンツの笠井叡。それに向かって客席後方からにじり寄るプラチナ色のラメのボンバーヘッドに、やはり裾がラメの白いロングドレスの麿赤兒。

そして笠井叡率いる天使館の四人は、皆ガリガリの手足の長い美少年であり、金髪振り乱しし、白い薄布のスカートを翻し、のけぞりながらふわっと飛翔と回転を繰り返す天上的な踊り。

それに対する麿赤兒率いる大駱駝艦の四人は、皆筋骨隆々のずんぐりした男臭い体型と大きな坊主頭を持ち、全身白塗りで、大地をだんだん!と踏みしめ、痙攣するような踊り。

四人ずつのグループが、それぞれグループごとに体型(骨格や筋肉のつきかた)だけでなく、顔つきまで似ていることに驚いた。(表情のつくりかたで顔ができていくということなのだろうか。)

ベートーベンの第九、全楽章にのせて、ふたつの練り上げあれ研ぎ澄まされた個性がぶつかりあい、錯綜する。

笠井叡は攻撃的ながら少し茶目っ気もある踊り。麿赤兒は動きを抑えて表情を見せる踊り。

中盤、衣装を替えた二人は笠井叡はピンクの短めのチュチュとレオタード、麿赤兒は黒の長めのチュチュでかわいくコケティッシュに絡み合った。

終盤はオイリュトミーの女性群も登場で「喜びの歌」で大いに盛り上がる。

今回の公演はそれぞれの50年間やってきたことがお二方の今の身体そのものに顕われ、その才能の成果がお弟子さんたちにもつぶさに顕われいた、その対比や緩急、意外性など楽しめる舞台だったと思う。

また、特に驚愕したのは、久しぶりに見る笠井禮示さんの身体が、以前よりずっと削ぎ落とされ骨格標本のように細くなりながら、動きの切れがすごくなっていたことだった。あの細身でよく激しく動ける、と思う限界ぎりぎりを見せられたような気がした。

また、私の隣の隣の席に、昔から好きな俳優さん、若松武史(昔の名前は若松武)がいた。彼は黒いタートルのイメージだが、そのまんま黒いタートルセーターを着ていて、微笑しながら拍手している仕草にすごくどきどきした。(正確に言うと、私が子供のころは色気がありすぎる俳優で少し苦手だったのだが、お互いに歳を取るにつれて、個性的ですごくかっこいいと思うようになった。)

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家に帰るとちゃびが淋しがっていた。ひとりぼっちにしてごめん。

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余談だが、なかなか使う機会のないアンティークのEUGENE(ユージーン)のブローチをして行った。ユージーンはミリアム・ハスケルの工房にいて後に独立した人で、1950年代、わずか10年足らずで工房を閉めたため、作品は数が少ないという。これは一目惚れして買ったブローチ。黒いガラスに絡みついた薊の花の形象がすごく気に入っている。

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2011年12月 7日 (水)

ASPIRE ONE D260

12月7日

ASPIRE ONE D260 が起動しないのでエイサーのサポートに電話。言われたとおりACアダプタやケーブルを外して、バッテリーを外して、スイッチを10回トントンと押したら直った。静電気を逃がす作業だそう。

12月6日

朝、ASPIRE ONE D260をつけようとしたら起動しないので焦る。去年、ドイツに行く前に日本との通信用に買った小さいモバイルPC。これにはカメラが付いているので、今はもっぱらSkype用に使っている。

Vさんから電話。S.Mさんから電話。仕事が少しずつだが動いている。

夜、Julie London の Cry Me a River ばかり繰り返し聴いている。すごく美しくて声も魅惑的な人だと思う。希望は過去にしかない。

12月5日

夜、Yさんから仕事についての電話。この電話を待っていた。

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2011年10月12日 (水)

映画 「遠野物語 」 中村貴之(NSP) 田渕純

10月11日

中野ブロードウェイの商店街で当たった映画「遠野物語」(1985年の作品 DVD未発売)の上映会へひとりで行く。

岩手県からの申し出で、岩手を盛り上げようということで、中野ブロードウェイ商店街振興組主催、中野サンプラザが協力してもうけたイヴェントらしいが、映画の主題歌を歌ったNSPの中村貴之と、元和田弘とマヒナスターズの最後のボーカル田渕純のミニライヴもあるという超濃いというか渋いというか、マイナーながら強烈なイヴェントであった。

まず、監督と脚本家のお話。監督は村野鐵太郎、脚本は高山由紀子という「月山」「国東物語」と同じコンビである。監督は無口でストイックそうな方で、「ただ遠野の春を撮りたかった。新幹線が通ると何もかも変ってしまうので、新幹線ができる前に撮りたかった。」とあっさり。

次に、遠野の本物の語り部の方のお話(もちろん遠野弁)。オシラ様の起源について。これがすごく怖い。昔、美しい娘が愛馬と結婚したいと言ったのに怒った父親が馬を気に吊るして、生きたまま生皮を剥いだ。激しく泣いて馬にすがりつく娘。一陣の突風が吹いて馬の皮が剥げ、娘をくるんで天高く飛び去った。天から娘は両親に、馬を吊るした樹の葉を取って30日(?ここよく聞き取れなかった)桶に入れて、そこから育った虫の出す糸で織り物をつくって売れ、と告げる。それからその木の枝を二本とって、ひとつは私の顔を、ひとつは馬の顔を彫ってくれ、と。これが養蚕とオシラ様のはじまり。

そして「遠野物語」上映。オシラ様の起源の話にもちなんだ悲恋の話。古い大きな茅葺の曲がり屋、齢千年をとうに超えて凄絶に満開の桜。民間信仰のほこら。ぼろぼろの廃屋。凍るような吹雪の荒野。映像はすばらしく美しい。そしてもろもろのエピソードのシーンは限りなく残酷で暗い(怖い)。

時は明治37年。飢饉のときに、実の子にひもじいから、と頼まれて鎌で子供を殺してから、さすらいの琵琶師になった男。日露戦争に行った息子の足が痛まないようにと河原で平べったい石を拾って、縄で干し柿のように結わいて祠に吊るす老母たち。先頭に幼い弟が戦死した兄の名誉の歌を高らかに歌いながら山道を行列する田舎の葬式。戦死した息子の嫁を犯す義父。貧富の差激しく、因習強く、呪術に頼るばかりの、あまりに悲惨な暮らしは、幻想的というよりはリアルな描きかたであった。

上映後にブロードウェイ推奨アーティスト、「ムード歌謡の貴公子と言われています。」と登場した田渕純。華奢でかわいい顔と高いしゃべり声から、歌うと一変。「北上夜曲」という曲を私は知らなかったのだが、情感たっぷり、よく響く声、ものすごい歌唱力に感動。

NSPの中村貴之登場。懐かしいNSPの「17才」、そして「遠野物語」のテーマを熱唱。最後は田渕純と「雨は似合わない」をハモって歌った。

帰宅してyoutubeを見たら、田渕純は「青い部屋」などにも出演していて、若いのにムード歌謡からジャックスの「からっぽの世界」やタイガースの「青い鳥」やクロード・チアリの「私だけの十字架」なども歌いこなす人であった。

周りは年配のかたばかりだったが盛り上がっていた。思いかけずコアなイヴェントに行ってよかった~

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2010年7月15日 (木)

三善晃 / 梔子 紫陽花

7月15日

毛利武彦先生がお好きだった三善晃を聞いている。ピアノ・ソナタを聞いていると気持ちが落ち着く。レクイエムを聞いていると気持ちが乱れる。(レクイエムは、私には歌声が強烈で戦争のイメージが視覚的に訴えてきすぎてしまうから。)

三善晃の戦争体験、毛利先生の戦争体験を想像したせいか、大切なひとたちが亡くなってしまったことをまだ受け止められない、どうしたらいいのかわからない不安で胃や肩が痛く、妙に緊張が続いているせいか、怖い夢を見て汗を掻いた。私の見る怖い夢は半端でなく怖い。怖すぎてここに書けないくらいに。

言葉であったとしてもそこからはみ出すもの(たとえば絵や彫刻、たとえば動植物との交接)の価値を書こうとして、そのために言語についての本を読んでいて、ずっと強いストレスを感じているせいかもしれない。

梔子の花は、白く生々しい花が少なくなり、ほとんどが枝についたまま化石化してきた。それぞれに捻じれて不定形に固まって茶色くなり、艶のある濃緑の葉の上に点在する茶色の花を美しいと思う。

白くプロペラのように整っていたときは強烈な甘い匂いでたくさんの葉虫を寄せ、気だるい夕暮れに厚みのある花弁が黄ばみ、張りつめていた力が抜けてくると、梅雨が明ける。

紫陽花は乾いて青紫色が緑色に変わってきた。

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2009年8月 5日 (水)

Marilyn Manson Sweet Dreams / Capote ANSWERD PRAYERS

8月4日

角筈の区役所へ行く。そのあと十二社へ。

夜はきのうからずっとMarilyn Mansonの動画を見ている。特にSweet Dreamsが気に入ってしまって、何回見ても飽きない。なんて歌がうまいのだろう。この曲を聞いていると気持ちが落ち着く。

Capoteの「叶えられた祈り」を夢中でよんでいる。

「叶えられなかった祈りより、叶えられた祈りのうえにより多くの涙が流される」――聖テレサ

センシティビティがかき消されないように。

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2009年7月13日 (月)

Andrea  映画 写真 歌

7月12日

疲れがどっと出て、少し発熱。節々も痛いし、これはまずい、このまま、また風邪になるのかと思ったが、Andreaと7時に約束して、彼と話していたら、いつのまにか治った。気持ちが張ったのと、食べたのが良かったのだろうか。

Andreaにどんな映画になるの?と聞かれて、英語で答えるのが難しかったが、一本は、special momentを撮るのが目的、と答えた。a storyではなくて、mystiicでlyricalなatmosphereを撮る。とてもparticularでsecretな場所で。感覚的なもの全てと短い台詞と声が重要。

もう一本は、全然違う内容で、何人かのcontemporary philosopherに同じ質問をする。そのなまなましさを撮る。つまり、2本目のthemaは、「inconsistent」なんでしょ、とAndraは言った。

写真に関しても、Andreaは私が撮りたがっている「写真」がわかるようである。何についててprofessionalでありたがっているのか、この点は言語を超える。

movieの場合は、takeじゃなくて、shootを使うと教わる。

Andreaは、カナダに住んでいた時に、映画の中ではっぴいえんどの「風を集めて」を聞いて、すごくいい歌だと思ったそうだ。

24歳なのに、50年代60年代の曲が好きなのである。「「渋い」って英語でなんていうの?」ときくと、「あんまり使わないけど、dandy。]と言われて「なんかちょっとニュアンス違うみたい。」と笑った。

日本の歌を、なにか教えて、と言われて、適当にギターを弾く。はっぴいえんどと荒井由実と中山ラビなど。こうしてみると中山ラビのは、すごく日本語が難しい。「木にかかったあなたの首が呼んでいるから、ベロ出しベロロ土もぐり・・・」とか「隠れさいぞうシッポちょんぎり、きりきり舞いさ矛盾撞着 オチャノコサイサイ進んでゆくよ」なんて英語で説明できない。Andreaは、「意味はよくわかんないけど、すごくきれい。」というのである。吉田拓郎の「旅の宿」は、「すごくかっこいい。」と言う。「えーほんと?なんで?」と聞くと、「外人でもかっこいいのはわかるよー。」と言った。

あと、今日新しく覚えたお気に入りの単語はmatureとbarbed wire。

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