植物

2018年1月13日 (土)

年末から新年

1月13日

昨年暮れから今までのこと。

次に出す本の作品撮影のため、12月28日に、カメラマンの糸井さんがスケッチブックをうちに取りに来てくれた。

近くのファミレスで本の概要や撮影についての希望を説明。

前のカメラマンさんの撮影データと合わせるための試作データが30日には送られて来、それから第2回補正、第3回補正と、色味や鉛筆の線の濃さの調整などのやりとりを正月中に、ずっとできていたのは、とてもありがたかった。

この仕事がなければ、なにひとつ充実しない淋しいお正月だった。

色味のニュアンスなど、感覚的なことを言葉で伝えるのはとても難しいのだが、糸井さんは軽妙で勉強熱心でコミュニケーションしやすいか人なので、彼のお人柄に感謝。

1月1日

福山家の菩提寺から年賀状が届いた!「謹んで新春のお慶びを申し上げます」に呆れて笑ってしまった。

昨年10月、母の火葬場まで若いお坊さんがお経を読みにいらしてくださったのに、そういう事実をちゃんと記録していないらしい。

(私が精神的に参っていたために)母の納骨を春頃まで待っていただきたいという電話をこちらからしないで、ずるずると年を越してしまった非礼を申し訳なく思っていたのだが、そんな気持ちも吹っ飛んでしまい、たいへん気が楽になった。

原宿で見たヤマガラ。

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素敵な枝ぶりの冬の樹。
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12月30日

話し合いのため、Y子のアパートへ。

2017年の年末も差し迫ってから、私にとって人生最大のストレスと言ってもいいほどの他人からの迷惑に対して闘わなければならない事件があった。

以前書いた、母の火葬の日に私の怒りが爆発してしまった件・・・知人H子が何十年も昔に私の父に保証人のハンコを押させていたH子の娘Y子の借金の件で、ついにY子に債権者側から裁判の準備段階として召喚される書類が届いたのだ。

(この顛末については詳細を後述する予定。)

世間一般のように仕事納めで解放される年末どころか、心身ともに酷使せずにはいられない年末となった。

疲労しすぎて帰宅前に駅前の居酒屋で休んだら、薬などのはいったポーチを席に忘れて来てしまった。翌日、店に電話したら感じよく対応してくれた。魚民さん、ありがとう。

・・。

2017年の年末は、大掃除も気力と体力の不充分によりできず、正月の準備、花飾りやおせちなどはなにひとつやらず。

マッサージと整骨にだけは通っていた。

新しい年の新鮮なまっさらになった喜びや、心身ともにひきしまる感じはなく・・・。

思えば母がパーキンソンの認知症になってから、おせちや雑煮など、もう10年以上食べたことがない。

私自身はおせちや雑煮に興味はないが、昔、毎年暮れに祖母が大釜で炊いていた煮物や、母の手作りのニシンの昆布巻きがたいそう嬉しかったことを思い出してしんみりした。

「一夜飾りはいけないのよ」と言って、28日までに千両や万両の赤い実に花を組み合わせた正月の生花を買っていた母。かいがいしく働きまわっていた母の姿を思い出す。

母がいなくなってから、私は正月のために花は買わない。

儀式などは関係なく、ただ、純粋に自分が描きたいという衝動が起きる花を見つけた時に買うだけ。

元日の朝、母のタンタンタン!と勢いよく階段を駆け上がって来る音を聞いた。ねぼけまなこの私を「知佐子!早く起きなさい!年賀状が来てるよ!」と起こしに来た母。

母が亡くなり、最愛のちゃびもいなくなった今、気ぜわしい色とりどりの年末や、真っ白に光り輝いて見えた元日の朝の光が、遠く鮮明な記憶の中だけのものになってしまった。

私にかつてそういうことがあったことが信じられないようにも、また同時に、失われてしまったことが信じられないようにも感じる。

まだどこかに強烈にあるのに、それをつかめない、全身で触れられない淋しさ、苦しさ。

初詣の時に、母とちゃびの健康と幸せを一心に願えないことが、どうしようもなく辛かった。

昨年、ちゃびが亡くなった11月の初めから、12月、私は人生で一番の危機に耐えた。動悸と悪夢、不眠が苦しかった。

眼の前は真っ暗、なにも楽しくなかったし、なにもやる気が起きなかった。

でも大切な相手を亡くした人は私だけではないはずだし、淋しい年末年始を過ごしている人も、この世にはたくさんいるだろう。

12月24日

図書館に行く細い道の途中にある寸断された樹。

頭にトタンのようなものがかぶせてあるのが気になる。

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曹洞宗鳳林寺にて。

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江戸時代からここにあるこれらの石仏にこめられた過去の出来事を思う。
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曹洞宗宿鳳山高円寺の白椿とメジロ。
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花の蜜を食べ、鴬色(渋い黄緑色)なのはメジロで、ウグイスではない。ウグイスは虫を食べ、地味な茶色で、花には来ない。
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2017年12月 2日 (土)

死別の苦しみ おばのこと

11月27日(月)

おばさん(母の弟の奥さん)から夜9時前に電話。(私が昼からずっと出かけていたので)「夜分遅くごめんなさい」と何度も言われる。(全然遅くないのに。)

私の送ったお花と手紙が着いたという。昨年亡くなった叔父(母の弟)と、それ以来ずっとふさぎこみがちなおばのために、私が送ったものだ。

お花について、「箱を開ける前からバラの香りがして、とても素敵だった。色合いもあなたが選んでくれたっていう感じがしたわ。」と言ってもらえた。

手紙についても、「あなたはすごい、本当の教養があるわ。胸がいっぱいになった。お義姉さんはよくあなたをここまで育て上げたわね。」と言ってくれた。

「ええっ?そんな。おばさんちの娘さん二人のほうがずっと優秀じゃないですか。」と返すと、おばは「あなたは謙遜するところも含めてすごいわ。」と言うのだった。

「そんなわけないですよ。おばさんちはどこから見ても理想の家庭だったじゃないですか。うちなんてすっごく雑で、酷い父親で。ほったらかし。」

それは正直な気持ちだった。でもおばは、「そんなことない。うちは・・・裏表があったんじゃない。」と言った。

「裏表」とまで言うということは、おばは、私にお世辞などではなく、本音を言っているのだ。

叔父が亡くなってからというもの、おばはよく、自分のことを「傲慢だった」と言う。そうまで言えるのはすごいと思う。昔のおばなら、感じはいいが、物事の上っ面をかすめるだけの中身のない会話に終始していたと思う。

おばは相当教育熱心だった。叔父もそうだったが、おばもまた、すごく細かいところまでしつけに厳しかった。

小学生だった頃、私は、叔父とおばの家に、母や妹といっしょによく遊びに行かせてもらっていた。ピアノや大きなステレオやソファーのあるハイクラスの家。

本棚には私が知らない外国作家の絵本などがあり、うらやましく思った。

それらと並んで、「やさしい女の子に育てる方法」といったタイトルの本があるのに私は驚いた。当時、いわゆる子育てのハウツー本のようなものは、それほど出まわってはいなかったと思う。こんな本まで読んでおばさんはがんばっているのか、と子どもながらに感心したのを覚えている。

田舎育ちで、食べていくために必死で働いていた私の母は、私に勉強やしつけに関して特になにも言わなかった。

私が育ったその頃の西新宿では、私のうちだけでなくまわりの家庭の多くが、やはり、食べていくのに精いっぱいで、子どもの教育などにそんなにかまっていられなかったように思う。私は子ども心にも、叔父の家は全然違う、と感じていた。

おばが今、苦しんでいるのは、元気でしっかりしていた叔父が急に亡くなったショックと同時に、(急なことで私は葬儀にもよばれなかったので、具体的な様子を見て知っているというわけではないが、)おばひとりが悲嘆にくれていて、娘二人が(冷淡とまでは言わないが、)悲しみに対して淡白だということもあるらしいのだ。

二人の娘にはそれぞれ家庭があり、子どももいて忙しく、おばはひとり取り残されたような気持になっているようだ。

「私が人に尽くすより自分のことが一番だったから、子供たちもそれを見ていて、人のことより自分が一番になった。でもお義姉さんは違う。だからあなたもお義姉さんに似て愛情が深い。」とおばは言う。

おばから見れば、私からずっと介護されていて、亡くなってからも恋慕われている私の母が、とても幸せに思えるのかもしれない。

しかし、違う観点から見れば、父親を亡くしても平常心を失わずマイペースで生きていく私の従妹たちのほうが、私よりずっとしっかりしていて頼もしいと言えるのではないか。

私は母の介護から解放されて自由になった、という気にまったくなれず、呆然とするくらい厭世的になっている。

元気な時の母の姿ばかりが思い出され、母の生命がこの世から消えたこと、激しくて一生懸命だった母と過ごした時間が過去になることが淋しくてたまらない。

母は必死で忙しく働いていたので、過保護だったとは思わないが、母の私に対する愛情が、私の心を弱くするほど、深すぎたのだろうか?

元気だった頃の母に、情熱的で、献身的で、働き者だった母に、子供の私が甘えすぎていたために、私はいまだ、精神的に自立できないのだろうか?

11月26日(日)

母とちゃびの喪失の悲しみが深すぎて、自分の感受性や認知力が衰えてしまうのではないか、それが怖くて、とにかく陽が暖かそうな日中は歩くようにしている。

色づいた樹々の下、東京国際フォーラムの大江戸骨董市を散歩。

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物を所有したいという欲望が無くなっている。ただ、古びた色、ところどころに欠損さえある、わずかにくずれかけた輪郭を見つけて、市の雰囲気を味わう。

Ooloo(私の大好きなGeorge StuddyのキャラクターBonzoの恋人猫)の人形に出会った。すごく珍しいもので48000円。

(BonzoとOolooのキャラクターに出会ったのは、もう20年以上も前、吉祥寺のLivesにあったアンティーク屋でだ。それから私はこの強烈で愛嬌のあるキャラクターに魅せられ、BonzoのSalt&Pepperを集めたり、ロンドンに行った時にはBonzo Annualの古本を買ったりした。

それもちゃびと出会う前の話だ。Bonzoの愛くるしさもちゃびの愛くるしさにはかなわない。)

そことは違う店だが、きれいな手編みレースや、陶器や、私の好きなシュタイフのぬいぐるみの隣に、本物の動物の骨(店によっては鳥の剥製まで)が置いてあるのに、すごく違和感がある。

以前行った多摩の骨董市で、「この骨、かわい~い。こういうちっちゃいの探してたんですよ!」と言っている若い女がいた。店員が「これ、かわいいですよね~。なかなかこういう小さいのはないんですよ~。」と応じているのを聞いて、ぞっとしたのを思い出した。

彼女たちには、動物の死体からとられた骨も、自分たちのための、おしゃれな飾り物としか見えない。

小さい骨は動物が幼くして死んだ、その亡き骸だという意識、はかなく短いその命を憐れむ感覚がない。

もしかしたら自然死ではなく、人間のおしゃれに利用するために殺されたかもしれない。たとえ自然死だったとしても、死体からとった骨を「かわいい~」という感覚に、私は激しい嫌悪しか持てない。

(肉食しないことはもちろん、私は普段の生活から革製品もなるべく遠ざけているが)、これはリアルファーとフェイクファーの区別が(感覚的に)つかない人と一緒なのだろう。

そのあと、ブリックスクエアを通り、丸の内のKITTEに入った。JPタワーで偶然、『植物画の黄金時代――英国キュー王立植物園の精華から』のポスターが目にとまり、これは私が見るべき展覧会だと思い、入った。

入場無料。

植物画と植物の標本(押し花のようなもの)が同時に展示してあり、興味深かった。

Franz Andreas Bauer(フランツ・アンドレアス・バウアー)の「ゴクラクチョウカ科ゴクラクチョウ属オーガスタ」(18世紀後半~19世紀前半)の、特に黄色ではなく白地に赤紫色がさしてあった絵に立ち止まる。

とても妖しくて胸がざわついた。

鬱に近い今の私でも、絵のよしあしははっきりわかった(少しほっとする)。

ポスターになっていたのはGeorg Dionysius Ehret(ゲオルク・デゥオニシウス・エーレト)のチューリップ。

植物画の特別展示のほかにも、学術文化総合ミュージアムの展示が並んでいたが、やはりそこでもたくさんの動物の骨を見るのが辛かったので、立ち止まることはなかった。

動物を愛することについてなにを、どう書くことができるか、今もちゃびに話しかけている。

11月25日(土)

晴れていたので、とにかく少しでも歩こうと吉祥寺に行ってみた。

中道通りを散歩。20年くらい前にコサージュを買った「カサギ」というお店がまだあった。笠置都さんというオーナーさんがコサージュをつくっているらしい。

中道通りの奥の蔦が絡まる古い「潤アパート」。

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三鷹まで歩く。

線路沿いに生産緑地があり、扇形に広がる雲がよく見えた。

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11月24日(金)

叔父を亡くしたショックでふさぎこんでいるおばを慰めるために、便箋3枚の手紙を書いた。

元気で真面目でしっかりしていて、男にしては心配性で、細かいところまで口うるさかった叔父。

「正江(私の母のこと。なぜか母の兄弟は互いを名前で呼び捨てにしていた。)のことをよろしく頼むよ。」といつも私に言っていた叔父。

(私は詳しいことは聞いていないけれど、おそらく)父の借金の時も援助してくれた叔父。

生前、母がたいへんお世話になったことは、叔父に対して、言葉に言い表せないほど感謝の気持ちでいっぱいであること。

いつまでも元気と思っていた叔父が急に亡くなったと聞いて、私も目の前が暗くなるほどショックだったこと、おばのショックは計り知れないだろうということ。

私の父は私を不安に追い込むことばかりをやる人だったが、しっかり者の叔父がいてくれて、叔父が母を思いやってくれていることが、ものすごく私の心の支えになっていたことを、思い知ったこと。

それらを手紙にして伝え、月曜に届くように花を送った。

花は薔薇を中心にクリーム色とアプリコット色のアレンジ。お供えにはとげのある薔薇はいけないそうだが、叔父が亡くなってからすでに1年半が経っており、目的はおばを慰めるためなので、あえて薔薇にした。

白っぽい花よりも温かみのある優しい色を選んだ。

11月21日(火)

詩人の阿部弘一先生に送る香典返しの品をさがしに、新宿のデパートへ。

高島屋、伊勢丹の贈答品売り場でお茶の銘柄を見てまわり、高級なお茶はどちらも同じ会社のものだった。「愛国製茶」という名前は嫌いな人は嫌いだろう、と思うのでやめた。

最後に小田急の地下に行ったら、阿部先生のお好きな椿の花の絵の意匠を凝らした箱入りのお茶があったので、それにした。

月曜(11月27日)に届くように指定して頼んだ。

新宿南口では、バスタの前のデッキをはじめ、そこここでイルミネーションがきらきらしていた。

クリスマスに向けた飾りつけを見ても、すごく淋しくて辛くなる。もともと人工的な華やかさをあまり楽しめない性質だが、今年はたまらなく淋しい。

かと言って、都会に灯りが乏しくなったら余計淋しく感じるのかもしれない。

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2017年4月27日 (木)

クロアゲハ 菫 牡丹  母のこと

4月23日

17日にも、母が夕方から熱を出したと施設から電話があり、心臓がどきどきしたが、座薬により、次の日には熱が下がったとのことで、またもたすけていただいた。

去年と同じように牡丹を見せに、母を近くのお寺に連れていきたいと思い、おとといぐらいから、母の体調を施設に問い合わせていた。

今朝、副施設長から、「最近は痰がらみが多いのと、夕方に熱を出すので、朝10時前に短い時間なら外出可能」という電話をいただいた。

皆が一番恐れていることは、痰がらみ(おそらく、パーキンソンで喉の筋肉がこわばっていることも原因のひとつ)で窒息することで、私もそれが怖かった。

母本人が、外出したいと私に言っているわけではないので、無理して連れ出しても、私の自己満足のために、危険が増すだけかもしれないと思い、車椅子で連れ出すのを諦めた。

夕方に、去年、母と行った寺に寄ってから、母に会いに行った。

去年と同じ場所に咲く、濃い紫の花で尖った葉のスミレ。私も母も大好きな花。

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お寺の牡丹は黄色い花のほかは満開だった。

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去年も魅せられた珍しい斑の牡丹。
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ふくよかで甘い薄紫の牡丹。

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母は、最近、傾眠と喉のこわばりが強くなってきて、食べられる量が減ってきている。

高齢で、パーキンソンで、もうそんなに長く生きられないことは自然なことで、肉親との別離も、たぶん親との別れの経験が幼少期だったりして、思い出せないような人もいるので、誰にでもあることなのだが、母が死ぬのが怖くて、胸が締め付けられ、身体が震えるような感じがする。

私は親しい人の死に、ものすごく苦しむ。そういうことにすごく弱い。

他人の感じ方を私が把握できるわけではないので、私が特に激しいとはいえないのかもしれないが、大切な人の死を知った時や、お葬式などの場面で、私は泣き過ぎて吐いたり、全身が痛くて、苦しすぎて卒倒しそうになったことが何度かある。

悲しみが強い身体的苦痛になり、全身がおかしくなるのだ。

感情の奔流にのまれやすいのだと思う。母もそういうところがあった。母もすごく涙もろかった。

母に認知症が少しずつ出てきて、介護するようになってから、ある日、母をショートステイに送って行くタクシーの中で、母がふとしゃべった。

「親が決めた結婚相手がいたのよ。近所の真面目な大工の人。その人と一緒に東京に出されたの。でも好きな人ができて飛び出したの。夜、鞄一つ持って、新橋の駅で。」と。

情熱的で激しいところが、私は母に似たのだ。

それにしても、田舎育ちで地味で生真面目な母が、駆け落ちまでして惚れた相手が、一見、ものをよく心得た優男だが、実は異常なほどわがままで、ギャンブル依存で浪費家で、母や私を殴る蹴るしていた父だ。

今になっても、父のようなろくでもない男に母が惚れないでくれていたら、と思うこともしばしばだ。

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東中野から中野まで、線路沿いの道を歩く。去年の立ち枯れの植物が私は好きだ。たくさんのことを思い起こさせてくれる。
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アスファルトの割れ目から、旺盛なタンポポ。
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そしてすごく美しいものが静かにそこにいた。

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クロアゲハ。弱っているのだろう。けれどストローのように伸びた口はしっかりタンポポの花の中に突き刺さっていた。
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ほとんど緑にかわった桜。まだ花びらが舞っていた。

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夕焼けに向かって錆びた線路が伸びていた。子どもの頃、無性に遠くに行きたかった気持ちがよみがえる。

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空地へと続くハルジオンの咲く細い道。なにか未知のものがひそんでいそうな片隅の風景。

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4月22日

西新宿で私の幼少期から母と親しくしてくださっていた遠藤さんの絵手紙の展示を見に、新宿中央公園のギャラリーへ。

遠藤さんの米寿を祝う絵手紙「新宿花の会」のかたたちの作品。

「新宿花の会の頼れるお母さん いくつになっても向上心持ちつづけている貴女のように年を重ねたい」「どなたにも気づかいが半端ではない人」などという言葉が贈られている。

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遠藤さんの日美絵画受賞作品(於国立新美術館)

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遠藤さんは、本当に米寿とは信じられないほどお若くて(実年齢より20歳くらい若く見える)、とても頭の回転が速くて、温かくて、聞き上手で、素晴らしい人だ。少しも押し付けがましくなく、相手の心によりそってくださる。私よりずっとエネルギッシュなかただ。

私の母とはもう会話ができない状態なので、遠藤さんを、もうひとりの心の母のように思っている。ずっとお元気でいてほしい。

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2017年4月20日 (木)

新宿御苑 八重桜 ・ 枝垂れ桜

4月19日

八重桜を見に友人と新宿御苑へ。昨日が28℃にもなったので、一気に開いて散っていた。あと3、4日早く来られればよかったのだけど。

今日は強風で、もったいないくらい桜の花びらが空に舞っていた。

地面を花びらが埋め尽くしていた。空にも、髪にも花びら。松、欅、銀杏、ユリノキ、ハンノキ、風に混じるなまめかしい新緑の匂い。
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2時40分くらいに苑に着いたが、日射しがきつくて、友人は花粉症で頭が痛いと言い、私は紫外線アレルギーで湿疹が出そうだったので、まずは茶屋で冷たいお茶を飲んで休み、どの樹を見に行くかの計画をたてた。

「兼六園菊桜」、「簪桜」、「太白」、「白妙」はうまく樹を見つけることができなかった。次に来る時は、人が多くなる開花の前に来て、樹を確認しようと思う。

関山は、寒さに強いそうで、街中に一番多い八見慣れた濃い桃色の八重桜なのだが、御苑の樹は、地面すれすれまで花の枝が垂れて、とてもきれいだ。

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このつぼみの枝を間近に見たかった。

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葉が緑で淡い紅の花の一葉(いちよう)。
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一葉は、雌しべが葉のように変化して発達し、花の真ん中から一本伸びているから、このような名だが、花によっては一本のもの、二本のものといろいろだ。

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鶯色の花の鬱金。日が経つにつれて紅色を帯びてくる。

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つぼみが紅色で、花は外側の花びらだけが紅を帯び、内側の花弁は白い、すごくシックな普賢象。遅く来過ぎたと思ったが、まだつぼみが残っていて嬉しかった。

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普賢象。
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緑の縞がある珍しい御衣黄。

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大欅の新芽。

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私が大好きな八重桜、福禄寿。
その名のとおり、とてもふくよかにたっぷりと優しく甘い花。

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頬に涙のように花びらがついていた。
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きょうは26度もあり、紫外線が強かった。私は午後4時過ぎくらいの柔らかい光が好きだ。

閉園のアナウンスがあり、新宿門に向う途中、一瞬、眩しい陽が射した。綿のようにもこもこした淡い紅の一葉。

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陽が翳った時の青ざめて見える一葉。

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今年も艶やかな八重桜を見ることができてとても嬉しかった。帰り道、新宿通りの看板が強風で倒れたりして、眼も顔も痛いほどだったので、早々に地下道にはいった。

4月15日

近所のお寺の桜。

左に散りかけの枝垂れ桜。右に八重の普賢象。

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花の真ん中に葉化した蕊が二本、象の牙のようにあるから普賢象。このくらいつぼみが多い時期がすごくきれいでかわいいと思う。

一葉と花は似ているが、普賢象は葉が紅色なので簡単に区別がつく。
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「無常 散る桜 残る桜も 散る桜」 柔らかくて優しい字。この文字の姿は桜の花に寄り添っていて素敵だ。私もよい字が書けるようになりたい。

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4月13日

近所のお寺の桜。浅田真央選手の引退ニュースで、すごくさびしくなるなあ、と言う気持ちで、誰もいないお寺の境内で撮っていた。

左に満開の枝垂れ桜。右に八重の普賢象。

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このお寺の枝垂れ桜は、誰も見に来ないが本当に美しい。
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枝垂れ桜は、エドヒガンの栽培品種で、平安時代にはもうあったらしいが、よくもまあ、こんなに愛らしく華奢でなよやかな桜をつくったものだと思う。

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2017年4月10日 (月)

多摩川 新緑、セイヨウカラシナ、枯れ蔓、タンポポ 

4月8日

朝、雨の音がしていた。昼過ぎ、薄暗い曇り空。

きょうは花見のピークなようだ。匂いや音や空気がかき消されてしまうので、宴会をする人たちの横で花を見る気にならない。

友人と春の匂いをかぎに、少しだけ遠出して多摩川へ。

河原に行く道の途中で素晴らしい甘い香りを放っていた白い花。花びらが4枚の十字型でかたちも匂いもセンニンソウにそっくりだが、花も葉も大きい。葉は細長くてテッセンに似ている。

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ここ数日雨模様だったが、多摩川は大部分干上がっていて、かつて大水の時に樹の枝にひっかかって残った泥からセイヨウカラシナが伸び、黄色い花を咲かせていた。

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雲雀の声を聴く。草が生えていて鳥の声と川の音だけのだだっぴろい場所を歩くと、すごく気持ちがいい。

きょうはアオサギやダイサギが見えなかった。

健気にも石の下からのびて咲いていたかわいいヴィオラを発見。一輪だけ咲いているこの花の種子はどうやって運ばれてきたのだろう。
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木々の新芽の早緑がきれいだった。水辺に誰かが忘れた水色のボールがあった。

白茶けた石の上にとまって遊ぶ銀色のセキレイを見ていた。

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河原に咲いている黄色い花は、ほとんどがセイヨウカラシナのようだった。セイヨウカラシナは花が小さくてまばらで、茎は細くて固く、つるつるしていて紫色。

たまに、ほんの一株、二株、セイヨウナノハナが混じって生えていた。

セイヨウナノハナは花がひとまわり大きく、菜の花(アブラナ)のようにかたまってついている。茎が緑で、葉の縁がぎざぎざしていない。なによりカラシナよりアブラナのほうが、花の香りが華やかに匂う。

これはセイヨウアブラナ。本当に、こんなに素晴らしい香りだったろうか、と感激するような春の匂い。

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これはセイヨウカラシナ。
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これもセイヨウカラシナ。緑色のコートに黄色い花粉がいっぱいついた。私自身が動物媒になっているのだな、と思う。
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土手には、以前、沢渡朔さんに撮っていただいた時にもあった蔓。葛だろうか?絡まり方の偶然の造形の面白さにしばし夢中になる。

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駅に帰る道を間違えて遠回りしたら、お寺の横の空き地に一面にたんぽぽが咲いているのに出会った。
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子どもの頃、友達の家の裏の、2m四方ほどの小さな空き地にびっしりたんぽぽが咲いていて、穂綿を飛ばして遊んだ。「種が耳に入ると耳が聞こえなくなるよ。」と友達が言った。

日当たりがよいせいかクサフジの群生も、早くも満開。

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夕方5時の鐘を聞いた。陽が落ちてしぼみかけたたんぽぽたち。ぺんぺん草(ナズナ)も真っ盛り。

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もっと輝く天候と時間に撮りたい。きょうは光が足りないけれど、それでも浮遊感のあるプーステブルーメ。
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春紫苑は、まだ咲いているのが少なかった。今度は春紫苑の群れの中から、際だってきれいなピンクがかったのを見つけよう。

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2017年4月 6日 (木)

巨大輪椿 桜

4月6日

紫外線アレルギーが心配だが、昼の日射しのうちに自転車を飛ばして川の方へ行ってみた。

ハナニラ満開。そのあいだにカラスノエンドウ。

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かつて阿佐ヶ谷住宅だったところを通ると、やはり胸が痛む。

あのうっそうとした植物群落、朽ちた木のベンチ、シロツメクサとネジバナが敷き詰められた静かな空間、真っ白な花が咲く大好きだったスモモの樹、金色のミモザの樹はもうない。

かつてハートマークの中に吊り上った目の顔の落書きの塀があったところから、川にはいる。

きょうはソメイヨシノ満開。毎年来ている「あいおい橋」。ここは変わらない。
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左岸の白いのはこれから咲く山桜。
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古い木枠の窓があった工場はもうない。

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鳥の声が騒いでいた。

今日は風が強く、高い枝の葉がざざざざ・・・と大きな音をたてていた。どの樹が鳴っているのだろうと見上げると、一番大きな音を出しているのはクスノキだった。

暗渠の上の蛇道のわきの畑も、煤けた美しい鏡をもらったゴミ焼き場も、もうない。

釣り堀武蔵野園は健在。

瓢箪池は、きょうはカワセミを撮りにカメラを構えている人が10人くらいいた。

瓢箪池のほとりには「猫たちが縁の下に向かって唸ってると思ったらね、狸がいたのよ。」と言っていたAさんのお宅。お元気でいらっしゃるだろうか。

葡萄棚のある家の近く、ちゃびを拾ったユキヤナギの茂みだったあたりは駐車場になっている。

「僕がいなくなっても世界はなくならない」とペンキで書き殴られていた落書きの塀ももうない。

2時くらいに陽が翳った。私は薄曇りの空のほうが気持ちがとても落ち着く。

お寺の裏の細い道。廃屋らしい家の椿の花びらが道をうめていた。

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4月3日

春が来た。ここ一週間、朝のちゃびの声が高く、大きくなってきた。

「あん、あん、うにゃ~~ん」と私の顔と首のあたりを何度もほじる。

近所の杏の花は枯れてしまった。真っ白なハナニラ、ユキヤナギ、モクレンが満開。春紫苑のつぼみもふっくらしてきた。

夕方4時半。カメラを2台持って川のほうへ。

川へ行く道にあるお宅の、毎年、巨大な花を咲かせる椿を撮影していたら、高い塀の中から「花、好き?今、切ってあげるわ。」と奥様の声。

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「もったいないから写真だけでいいですよ。」と言うと「いいのよ。どうせ枯れちゃうんだから。」と。
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「ありがとうございます!!」

赤と少し淡い赤と白の巨大輪椿(花の直径15~16cmもある!)をいただいてしまった。「花が終わったら、土に挿しておけば根が出るのよ。」と言われた。

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椿の花を傷つけないように気をつけながら、川べりへ自転車を飛ばす。

ソメイヨシノは、もうずいぶん咲いていた。

桜に関しての私の好みは、固いつぼみとほころびかけたつぼみと開いた花が同時にある枝。

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私は直線的な枝ではなく、下のように枝が柔らかくたわんだのが好きだ。

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枝の間からのぞく夕陽が蜜柑色できれいだった。このあと30分くらいで雨がぽつぽつ来て、雷雨になるとは思えなかった。

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木々の線と川の線。花の開花前の人のいない風景。

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きょうは普段使いのミラーレス一眼だけでなく、大きなデジタル一眼にマクロレンズをつけたのも持ってきたのでアオサギのアップ!

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魚はいるのだろうか。
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桜並木の下にアオサギがいる静かな風景。

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「アオサギがいるわ!」と通りすがりのご婦人に話しかけられた。「水の中の魚を見てるだけで、なかなか動かないのよね。羽を伸ばすとすごく大きいんだけどねえ。」と。

70歳代くらいのかただ。

グレーの帽子につけてらしたアールヌーボー調のパンジーのブローチが素敵だったので、「そのパンジー、とても素敵ですね。」と言うと「昔、働いていたところの社長がドイツのお土産に、みんなに買ってきてくれたの。」と。

「昔ね、社交ダンスやってたの。だから外反母趾がひどいんだけど、今も開脚でぺったりくっつくのよ。」と言われて、柵の上に片足をのせて見せてくれた。

180度開脚でぺったりとは羨ましい。最近、私は右肩の怪我に悩まされてから、柔軟ストレッチを真面目にやっている。前屈と後屈は、意外にも整骨院の患者の中ではトップクラスに柔らかいとほめられているのだが、どうせなら開脚にも挑戦していこうと思った。

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2017年3月29日 (水)

フローラとフォーナ / 書道

3月28日

堀辰雄の「フローラとフォーナ」を読んでいた。

「社會を描く作家を二種に分けてもいい。即ちそれを fauna として見て行かうとするものと flora として見て行かうとするものと。」――そしてクルチウスはプルウストを後者に入れて論じてゐる。」

「プルウストは人間を植物に同化させる。人間を植物(フローラ)として見る。決して動物(フォーナ)として見ない。」

ここで、人間社会をフローラとして見て行こうとする、という解釈が引っかかる。

これでは植物を見ても、動物を見ても、作家は結局、そこに人間しか見ていないことになってしまう。

それは、植物から、動物たちからの人間の収奪でしかない。

堀辰雄は、「僕はそんな風に花のことはちつとも知らない。しかし花好きでもあるし、小説の中で花を描くことも好きだ。僕なんかも flora 組かも知れない。」と書いている。

けれど私にはこの「フローラとフォーナ」の文章から、堀辰雄が花を好きな感じが伝わってこない。

プルウストの文章からは、彼がとても花を愛していることが伝わってくる。彼は、植物そのものを、その衝撃をちゃんと見ている。

それは、幼年時代の最初の記憶からずっと続く、暴力的なほどになまなましい、陽の光と風や雨の雫と植物の交信、植物が発する香気や響きあう色や質の運動の、強烈な生命の時間の体験だ。

植物を、植物として、強く体験できる人は非常に少ない。人工的なもの、人間的なものの、添え物のようにしか感じていない人は多い。このことは、私が大人になってから身に染みてわかったことだ。

幼い頃の私は、自分が興味を持つのと同じくらい、他の人も植物に興味を持っているのだと思っていた。

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最近の書道(きのう)。

「賞花釣魚」。

先生のお手本。

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下が私の字。初めて待望の「花」という字。「ヒ」の部分をもっとしなやかに書きたいが、バランスが難しい。次はぜったい、もっと柔らかく書きたい。

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先月の「温慈敬和」。

先生のお手本。「慈」という字の「いとがしら」の左右のかたちが同じではないのが不思議。右のほうが、三画目が長く、上の「一」の画に接している。

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下が私の字。「慈」という字の上の部分、「一」が長すぎた。

ちなみにこの「前」という字の上の部分と同じところは、「くさかんむり」ではなく、よび方がないらしい。

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墨汁のあまりを片づけている時、先生が「紙、使う?これ、書き損じ。」と出してくれた半紙の細筆の文字を見て「うわ、先生の書き損じ、かっこいい。」と、その紙をいただくのを辞退した。

いただいてくれば良かったのに、とすぐ後悔した。墨汁をぬぐうのにはとてももったいなくて使えないけれど、いただいてくれば私はそこから吸収するものがあった。

そこにある何がかっこいいと感じるのか、考えることができるから(これはすごく感覚的で重要なことだ)。

今、習っている楷書は、現代の字とかたちが違うこともよくあり、実務的に字がうまくなるかというと、よくわからない。

書道に惹かれるのは、筆と墨の造形と質感のなにか、水で絵の具をとく絵を描いていることと通じているたっぷりと豊かななにかを、強く感覚しているからなのだろう。

その時々の手本の四文字によって、字面のバランスをとるというのも面白い。

ゼロから考えるのではなく、手本を見てそれに倣うというのが、私には新鮮なのだ。

書道教室は、月一回、1時間半しかない。せめて2時間あれば、もう少し詰められるのに、と思う。

まわりの、いつもゲートボールの話ばかりしている奥様達にもめげず、最近は、最初からすっと入り込んで集中できるようになってきた。

私は、のめりこんでその瞬間にすごく集中したい性格ので、なんで書道教室に来て雑談ばかりしているのだろう?と、その奥様達が不思議でしかたないのだが。

最近はがんがん書いて、遠慮せずに、時間内に5、6回は先生に直していただきに行っている。

帰宅してすぐ、一度筆を洗ってから、その日に直されたところを注意しながら、もう一度自分で書いてみる。

まだ筆の扱いに慣れないので、自分なりに納得がいくまで書こうとしたら、なかなか終わらずエネルギーを使ってくたくたになる。

先生の家の書道教室に通うことも考えたが、そうすると書道にのめりこんでしまって絵が描けなくなりそうだ(それでなくても趣味が多いのに)。

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2017年3月20日 (月)

鎌ヶ谷 初富 植物

3月17日

鎌ヶ谷の病院のがん定期健診。

とにかく遠い。JR、地下鉄、JRと乗り継ぐ。ジュネの「葬儀」(無削除限定私家版 生田耕作訳)を読みながら行った。

血液検査とレントゲンの日なのに30分遅刻してしまった。

1時半に血液検査を受け、その結果が出るのに、1時間かかる。

診察に呼ばれて「遅刻してすみませんでした。」と謝ると、「いえいえ、検査結果が出るのに、お待たせしてすみません。」と浅井先生はいつも優しい。

レントゲンも変わっていない、とのこと。肺の下のほうにぽつぽつ粟粒状の転移があるが、素人目には血管の節目の白く濃くなっている点々と見分けがつかない。

頸の手術跡のところを指して「ここの、特に右前の筋肉が、今も痺れていたいんです。」と言うと「すみませんね。」と謝られた。

どういうふうにマッサージをしたらいいか聞くつもりで、先生を責めるつもりはまったくなかったのだが、痺れが残ることと手術のやり方と関係あるのだろうか?

血液検査の機能の結果、けっこう薬の飲み忘れがあるにもかかわらず、血中のチラジン濃度が上がっているという。運動すると甲状腺ホルモンが消費されるから、運動不足かも、と言われる。

「お酒をよく飲んでいることはよくないですよね。」と聞くと「このがんに関してはあんまり関係ない。それよりもっと食ったほうが、・・いや食べたほうがいいですね。」と言われた。

あいかわらず筋肉がつかないのが悩み。162cm、44kg~45kg。

・・

いつも電車の窓から見下ろしている小さな森に行ってみようと、きょうはカメラを持ってきた。

何しろ、病院のある新鎌ヶ谷駅のまわりは、何もないアスファルトの上に、どーんと大きなイオンと大きな病院と市役所だけ建てたようなところで、昔からの商店も古い家も雑木林も川もない。味のある樹木一本も見えない。本当に息が詰まる。

駅の土手の金網の中、そこだけ草が生えているところ、枯れ蔓に名前も知らない鳥がひとりぼっちでいた。金網で隔絶されたこちら側は、なにもない、殺伐としたアスファルトだけだ。

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病院のある新鎌ヶ谷駅から、鎌ヶ谷駅の方面へ歩く。

途中、初富稲荷神社の前を通る。境内の土のグランドで子供たちがサッカーしていた。球技などしてはいけないという神社が多いのに、おおらかでいいな、と思う。

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初富を少し歩くと、小さな植木鉢がいっぱいはりついた定食屋さんを発見。ここらへんには、わずかだが花木のある庭が続く細い路地があるのを見て、すごく気が休まる。

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初富から道野辺へ。美しい地名をたどって。

そして森についた。森と呼ぶには小さいが、樹に人の手がはいっていない。様々な蔓の絡んだ野性的な風情に夢中になる。

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折しも日が暮れ、銀と藍色のせめぎ合う空。ドイツの森、イングラントの森の記憶、その時の空気の匂い、光、音、肌触りに感覚が飛ぶ。

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ひとりで鳥の声を聞きながら、空の銀箔を切り刻んでいる枝の曲線をひたすらつかまえる。
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誰にも邪魔されない、人と話さない、樹木や草や空や鳥とだけ交信する時間にしばし酔いしれる。

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生きている線と空気と、そこに流れる時間に集中することによって生かされる気がする。擦り切れてしまった神経が再生して創造力が充填されてくる。

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羽ばたきの音がした。土鳩が四羽、短い草の中のなにかを食べていた。そのあと、犬を連れた婦人が来た。この場所がとても好きだ。

小さな森の裏には畑と、花木のしげる庭のある古い家があった。

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若くて瑞々しい蕗の群生。蕗の薹は摘まれずに花が咲いていた。
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菜の花畑。
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古い電柱に寄り添っている樹が、ちょうど電柱の頭のところで枝を広げて、お互い会話しているのに目をひかれた。まるで宮沢賢治の世界。この道も一目で好きになった。
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民家の庭では早咲きの桜と名残りの梅、濃い緑の中に黄色の点々のアクセントの金柑、ぷっくりとした赤い椿の色がひしめき合っていたが、私は去年の枯れ花に目がいく。

枯れ紫陽花。
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鎌ヶ谷駅前の空き地。
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乾いて白いネコジャラシ(エノコログサ)の中にぽつんと咲いていたタンポポ。
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立ち枯れの小さなセイタカアワダチソウ。
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電車から見え、以前から気になっていた「かのこや薬局」。手すりが赤茶色に錆びているいい感じのお店。
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朝からミルクティーを飲んだだけで何も食べす、夕方6時に帰宅してから今日初めての食事。

次にいく時は、新鎌ヶ谷でパンを買って、かじりながらあの森に行こうと思う。

私はひとりだとあまり食べることに注意がいかない。

私はおいしい(私が好きな)人と一緒に食べるときだけ、いっぱい食べる。

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2016年12月15日 (木)

急性アトピーが一晩で治った ベジタリアンについて / 銀杏と黄カラスウリ

12月15日

顔のかぶれ(急性アトピーの炎症?)がプロトピックで酷くなったこと、それが食べ物で一晩で治ったこと。

私はもともアレルギー体質ではなく、花粉症の薬も飲んだことがない。

若い頃は「肌理が細かく白い肌」と言われていた。思春期でも皮脂過剰になったことがなく、ニキビができたこともなく、特にケアも気にしていなかった。

最近は、ほこりや紫外線で湿疹ができるので注意している。注射のあとのアルコール綿などにもかぶれる。

去年くらいから、顔がひりひり痛くなったり、ところどころ赤くかぶれたように痒くなることが多い。もともと(皮膚科の先生にも驚かれるほどに)皮膚が薄いのが、加齢のためにさらに乾燥が進み、バリア機能が弱くなったのが原因だと思っている。

最近も、瞼や頬がところどころ少し赤くて痒かったので、痒いところにロコイドを塗って、オロパタジンを朝晩飲んでいたのだが、特によくならなかった。

痒みが強くなったので12月9日に皮膚科に行った。「結構赤く出ていますね。」と言われる。「私の顔、肌理がなくなったビニール肌ってやつですか?」と聞くと「いや、かぶれて腫れてるだけだと思う。」とK・H先生(その日は院長でなく、若い男性の先生だった)。

「大人になってから食べ物のアレルギーになることは考えられますか?」と質問したら「痒みが出ているのが顔だけだから、食べ物ではないと思う。」と言われた。

「試しにロコイドから違う薬に替えてみますか。まずは幼児用の出しときましょう。」と出されたプロトピックを、夜、さっそく顔に塗ってみたら、たいへんなことになった。

プロトピックはステロイドではない抗炎症薬というので、すごく期待して塗ってみたら・・・真っ赤に腫れてものすごく痒くなり、顔中、掻きむしらないと我慢できない状態に!!!

すぐにお風呂で(100円の植物石鹸で)洗顔して落としてしまった。

とりあえず保湿し、オロパタジンを2錠飲んだ(すごく痒い時は一日4錠飲んでよいとK・H先生に言われている)。

その夜、ネットで調べまくり、脂肪酸(リノール酸とリノレン酸)のバランスと、ビタミンB類の不足で代謝しきれない過剰なたんぱく質が炎症の原因になるらしいことを知った。

私は、物心ついた頃(3歳くらい)からずっとぺスコベジタリアン(魚と卵と牛乳は食べるが、肉類は出汁も含め一切食べない)なので、たんぱく質の摂取量は少ない。

だが、ごく最近のたんぱく質過剰について、ものすごく思い当たることがあった。

ここ4~5日、いつもはまったく飲まないホエイプロテイン(ドラッグストアで買った一袋2000円くらいのココア味)を、朝晩、多めに、がばがば飲んだのだ。

飲んだ理由は、なかなか痛みが治らなくて辛い右上腕の筋膜断裂の負傷にプロテインが良いかもしれない、と軽く考えたことだった。

確かにプロテインを牛乳に溶いて、多めに飲んだ日くらいから、顔の赤味、痒みが増している。

12月9日の夜、いつもより大量の白菜と蕪(アブラナ科の野菜がよいと思う)に牡蠣を入れた玄米雑炊を食べて、ビタミンB(特にB6とB12)と葉酸のサプリを多めに飲み、えごま油(ちゃびのために買ったもの)を大匙一杯飲んだ。

すると、10日の朝には、顔がかゆくなく、なんと赤味もほとんど引いていた!今まで何か月もアレルギー反応で腫れていたのか、一夜にして顔全体のむくみもとれてきた。

今年の春先からずっと、時々顔がかぶれて、ロコイドを塗ってもかゆみがとれなくて悩ましかったのが、一気に治ってしまったのでびっくり。

あれから4、5日。塗薬もオロパタジンもやめてしまったが、痒くない。心なしか顔の皮膚がぴんとしてはりが戻っててきた。

調剤薬局で、薬剤師に、「プロトピックは、最初刺激が強くてぴりぴりするかもしれないけど、我慢して続けたらよくなりますから」と言われたが、独断で使用中止してよかったと思っている。

野菜と果物中心の食生活、ビタミンBのサプリとえごま油は続けている。

リノール酸過剰(によるアラキドン酸の過剰、エイコサノイドのバランスの崩れ)が非常にアトピーの炎症に悪いらしいが、かつてTVで、リノール酸を多く含むサフラワー油やグレープシード油は美容や健康に良いとさかんに言われていたような気がする。あれはなんだったのだろう。

最近の研究では、コレステロールを下げるよりも脂肪酸のバランスに気を付けたほうがいいらしい。

ちなみに私はもう20年くらい、調理にはオリーブオイル(オレイン酸を多く含む)しか使っていない。あとは最近、ちゃびのために、えごま油(または亜麻仁油)を買い始めただけ。家で摂るオイルはこの2種のみだ。

また外食する時以外は白米は食べない。家では古代米の黒米を入れて炊いた無農薬玄米のみ(玄米はけっこうな量をどんぶりで食べている)。

お酒は好きでよく飲むが、甘いものやスナック菓子は好きでないので、まったく食べない。ジャンクフードは一切食べないので、ほとんどトランス脂肪酸を摂取することはないと思う。

食事は、種類や品目はあまり多くなく、いたってシンプル。無農薬の玄米かパスタと4、5種類の野菜と果物。海藻、豆類、牛乳、チーズ、卵、魚介少々。

私がベジタリアンであることの理由は、動物を殺して食べることが嫌だからで、健康のためではない。たとえ健康に悪くても(実際にはあり得ないが、たとえば「肉を食べないと癌が悪化する」と言われたとしても)私は絶対に肉を食べることができない。

健康や美容のためのベジタリアンではないのだが、「肉を食べないせいで肌や髪がきれい」と人に思われたほうが、一匹でも動物の命を救うためにはよい、そう人に言われるように努力すべきだ、と最近考えるようになった。

右腕の怪我の電気治療に通っているところの治療師の先生に、「福山さんの頭皮は珍しい青ですね。大きく分けて頭皮は、赤い人と青い人がいるんですが、青い人のほうがすごく少なくて、青い人はたいてい皮膚や髪の毛がきれいなんですよ。」と言われて嬉しかった。

私の長い髪が(年齢のわりに)まったく痛んでいなくて真っ直ぐなこともほめられた。ちなみに安いシャンプーで洗っているだけでトリートメントも何もしていない。美容院にもほとんど行ったことがない。

ベジタリアンは、日本では非常に生きづらいのだが、海外では特にロックミュージシャンなどに、動物虐待にはっきりと反対しているベジタリアンの人が多い。尖ったパンクスの人にベジタリアンが多いのは非常に励まされる。

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青梅街道の銀杏並木の黄葉(もみち)。(12月7日曇り)

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(12月7日曇り)
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(12月9日晴れ)
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(12月9日晴れ)今年は絵画館前の銀杏並木を友人と見に行きたかったのだけど、友人が風邪をひいたので行くのをやめた。青梅街道の銀杏並木もきれい。
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黄烏瓜(キカラスウリ)。毎年、葉が完全に枯れ落ちてからしか見つけることのない黄烏瓜の実を、今年は黄葉から見つけた
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カラスウリの実は赤いので葉が青いうちから目立つが、キカラスウリは葉も実も黄色いので、実が目立たないのでしょう。キカラスウリの実は小さなマクワウリのようで、つるんとしておいしそう。
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枯れたセイタカアワダチソウと鮮やかな蔦のコントラスト。
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2016年11月14日 (月)

『デッサンの基本』 第26刷  次の本(画集)について

11月13日

9月末に『デッサンの基本』(ナツメ社)増刷のお知らせをいただきました。これで第26刷りとなります。

購入してくださったかた、本当にありがとう存じます。

なにか面白いものを見つけて、ありあわせの道具で描くことは、とても楽しいです。

また、描くことができない時も、ものをよく見る習慣がつくこと、そこからたくさんのことを感じ、記憶し、思い出し、味わえることは、それだけで楽しいことだと思います。

実際に絵を描くことによって、絶えず新しい発見があり、新しいアイディアがわいてきます。

描くことを通して、ものの見方が変わり、見ることの喜びが増すように思います。

『デッサンの基本』が、絵を描くことに興味がある人の、なにかの小さなきっかけ、ヒントに、もしお役に立つことがあれば、とてもありがたく嬉しいことです。

・・・

10月29日(土)の夜、ちゃびに給餌していて、口の中にマグロを入れてあげるタイミングを間違い、牙で右手の人差し指を思い切り強く噛まれてしまい、大量出血。

(それにしてもマグロのお刺身をあげるようになってから、ちゃびの調子が戻ってきたので嬉しい!ドコサヘキサエン酸が脳神経に効いたのではないかと思っている。)

31日(月)の朝、病院に行き、抗生物質の錠剤と化膿止めの軟膏を出された。少し化膿し、すごく痛くて人差し指を使えないために、字も絵もうまくかけなくなってしまった。

PCのキーボードを打つにも人差し指が使えないために、変なところに力がはいり、右の上腕(三角筋?)が異常に凝った。

10日経ち、傷も治り、やっと絵が描けるようになりました。

最近描いた黄色いコスモス(イエローガーデン)の鉛筆デッサン(素描)。

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以前にデッサン(素描)したいろいろのコスモスから描いたコスモス水彩。コスモスによくいる青虫も、そのまま描いてみた。

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私の好きなコスモスは、薄曇りの薄い和紙をこしたような光の下で揺れているイメージ。または雨に濡れたコスモス。日が暮れかけたあわいの時間のコスモス。

私にとってのコスモスは、雨風に倒されてから起き上がったくねくねとうねった茎で、決してすっとまっすぐな茎ではない。

葉はちまちまと尖ったのは嫌いで、裂が少なくて刺繍糸のように長く優雅に伸びた葉のコスモスが好きだ。

自分にとって、もっとも心惹かれる佇まいのコスモスの絵を描きたくて、そこに近づきたくて、何枚も描いている。

・・

今、私は次の本を制作中です。

次は描き方の本ではなく、私がデッサン(素描)によってなにを見てきたかをまとめた本です。

これまで描き続けてきた植物の鉛筆デッサン(素描)の中から、一連の時間の流れと分断、なにを見るか、どのように見るかを考えながら百数十点を選び、それに素描着彩と銀箔を使った絵を加えたた画集です。

きょう、撮影のためにカメラマンに預けていたたくさんのスケッチブックとパネルに貼った絵の返却があった。

絵を撮影するにあたって、撮影する人との意思の疎通が非常に難しいことを知った。

特に銀箔を使った絵は、撮影する時の光の加減により、どんな色にも変わってしまう。どの部分(腐蝕の微妙なトーン、線の流れなど)を大切にするかを端的な言葉で重々伝えたつもりだが、まったく伝わらなかった。

絵の雰囲気をどう感受するかで、写真の撮り方も、プルーフの出し方もまったく違ってくる。

どのように(一般的な、あるいは文学的な)言葉で伝えようとも、絵をわからない人にはまったく共有されない。

どのようなトーン、コントラストでとらえたいかは、私の絵の雰囲気をよく知る人が撮影するか、作者である私自身が、CMYKに変換分解後の印刷用補正をしなければどうしようもないのだとわかった。

昔から信頼しているデザイナーのS・Kさんにメールで絵の印刷について質問した。

S・Kさんはやはり私が求めていることを理解してくれていて、非常にためになる話をいろいろ伺うことができた。

やはりカメラマンで印刷用の補正について詳しい人はあまりいないそうだ。 昔は補正のプロがいたが、今は商売にならないのでいなくなってしまったとのこと。

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