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2017年3月20日 (月)

鎌ヶ谷 初富 植物

3月17日

鎌ヶ谷の病院のがん定期健診。

とにかく遠い。JR、地下鉄、JRと乗り継ぐ。ジュネの「葬儀」(無削除限定私家版 生田耕作訳)を読みながら行った。

血液検査とレントゲンの日なのに30分遅刻してしまった。

1時半に血液検査を受け、その結果が出るのに、1時間かかる。

診察に呼ばれて「遅刻してすみませんでした。」と謝ると、「いえいえ、検査結果が出るのに、お待たせしてすみません。」と浅井先生はいつも優しい。

レントゲンも変わっていない、とのこと。肺の下のほうにぽつぽつ粟粒状の転移があるが、素人目には血管の節目の白く濃くなっている点々と見分けがつかない。

頸の手術跡のところを指して「ここの、特に右前の筋肉が、今も痺れていたいんです。」と言うと「すみませんね。」と謝られた。

どういうふうにマッサージをしたらいいか聞くつもりで、先生を責めるつもりはまったくなかったのだが、痺れが残ることと手術のやり方と関係あるのだろうか?

血液検査の機能の結果、けっこう薬の飲み忘れがあるにもかかわらず、血中のチラジン濃度が上がっているという。運動すると甲状腺ホルモンが消費されるから、運動不足かも、と言われる。

「お酒をよく飲んでいることはよくないですよね。」と聞くと「このがんに関してはあんまり関係ない。それよりもっと食ったほうが、・・いや食べたほうがいいですね。」と言われた。

あいかわらず筋肉がつかないのが悩み。162cm、44kg~45kg。

・・

いつも電車の窓から見下ろしている小さな森に行ってみようと、きょうはカメラを持ってきた。

何しろ、病院のある新鎌ヶ谷駅のまわりは、何もないアスファルトの上に、どーんと大きなイオンと大きな病院と市役所だけ建てたようなところで、昔からの商店も古い家も雑木林も川もない。味のある樹木一本も見えない。本当に息が詰まる。

駅の土手の金網の中、そこだけ草が生えているところ、枯れ蔓に名前も知らない鳥がひとりぼっちでいた。金網で隔絶されたこちら側は、なにもない、殺伐としたアスファルトだけだ。

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病院のある新鎌ヶ谷駅から、鎌ヶ谷駅の方面へ歩く。

途中、初富稲荷神社の前を通る。境内の土のグランドで子供たちがサッカーしていた。球技などしてはいけないという神社が多いのに、おおらかでいいな、と思う。

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初富を少し歩くと、小さな植木鉢がいっぱいはりついた定食屋さんを発見。ここらへんには、わずかだが花木のある庭が続く細い路地があるのを見て、すごく気が休まる。

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初富から道野辺へ。美しい地名をたどって。

そして森についた。森と呼ぶには小さいが、樹に人の手がはいっていない。様々な蔓の絡んだ野性的な風情に夢中になる。

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折しも日が暮れ、銀と藍色のせめぎ合う空。ドイツの森、イングラントの森の記憶、その時の空気の匂い、光、音、肌触りに感覚が飛ぶ。

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ひとりで鳥の声を聞きながら、空の銀箔を切り刻んでいる枝の曲線をひたすらつかまえる。
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誰にも邪魔されない、人と話さない、樹木や草や空や鳥とだけ交信する時間にしばし酔いしれる。

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生きている線と空気と、そこに流れる時間に集中することによって生かされる気がする。擦り切れてしまった神経が再生して創造力が充填されてくる。

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羽ばたきの音がした。土鳩が四羽、短い草の中のなにかを食べていた。そのあと、犬を連れた婦人が来た。この場所がとても好きだ。

小さな森の裏には畑と、花木のしげる庭のある古い家があった。

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若くて瑞々しい蕗の群生。蕗の薹は摘まれずに花が咲いていた。
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菜の花畑。
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古い電柱に寄り添っている樹が、ちょうど電柱の頭のところで枝を広げて、お互い会話しているのに目をひかれた。まるで宮沢賢治の世界。この道も一目で好きになった。
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民家の庭では早咲きの桜と名残りの梅、濃い緑の中に黄色の点々のアクセントの金柑、ぷっくりとした赤い椿の色がひしめき合っていたが、私は去年の枯れ花に目がいく。

枯れ紫陽花。
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鎌ヶ谷駅前の空き地。
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乾いて白いネコジャラシ(エノコログサ)の中にぽつんと咲いていたタンポポ。
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立ち枯れの小さなセイタカアワダチソウ。
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電車から見え、以前から気になっていた「かのこや薬局」。手すりが赤茶色に錆びているいい感じのお店。
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朝からミルクティーを飲んだだけで何も食べす、夕方6時に帰宅してから今日初めての食事。

次にいく時は、新鎌ヶ谷でパンを買って、かじりながらあの森に行こうと思う。

私はひとりだとあまり食べることに注意がいかない。

私はおいしい(私が好きな)人と一緒に食べるときだけ、いっぱい食べる。

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2017年2月28日 (火)

本郷理華 「カルミナ・ブラーナ」 ・ 宇野昌磨 /  絵の撮影

2月26日

フィギュアスケート四大陸とアジア選手権が終わった。

本郷理華のSP「カルミナ・ブラーナ」の個人的な印象。

・・

「おお、フォルトゥナ!運命の女神よ。月のように、姿は移り変わり、……」

だがそれは、言葉ではない。無言の全重量と釣り合う、もはや誰のものでもない叫び。
合唱という匿名性によって名ざされ、召喚される、いまだ名もなきものの怒りにも似た静寂。
その魂ととともに立ち上がり、長い腕を掲げて天を仰ぐ出だしから、私はぐっと引き込まれた。

それからなよやかに、ひそやかに、冷たい水の中をすべってゆく銀の細い魚のように、

天から零れ落ちてくるなにかを、手を伸ばして受けるように、

空気に舞う風媒の種子たちに触れるように、

あるいは中空に無言で語りかけ、自らの思いを差し出すように、

きわめて優雅に、麗しく、かつ伸びやかに、誰かの記憶に息を吹き込む

「常に満ち、欠け、生は忌まわしく無情に、時に戯れに癒して、貧困も、権力も、氷のように溶かしてしまう……」

古い建物の窓のすりガラスの光、ずっと揺れている、震えている灰色の細い木々の重なり、

記憶の中の、淋しく、なつかしい薄暗い風景のなかに、

時折、見え隠れしていた、なまめかしく、生命的なもの、

危うく無防備でありながら、誰にも触れられない、傷つけられないもの、

私はずっと覚えていて、いつでもそこに戻っていけるのだと告げるように、

刻々と移り変わる薄明光の階の下で、

鳥が一斉に飛び立つ羽音を聞き、旋回する影と交差しながら、

そして強い風にさらされて翻弄されながらも、その風に乗って、どこまでも遠くまで未知の場所に流離っていくように、

そんな女性的な、なにかとても美しいものを見ていた。

・・

私は、本郷選手の中で、このプログラムが一番好きだ。

彼女の端麗さが非常に際立つプログラムだと思う。

ジャンプの失敗はあったが、表現はとても洗練されてよくなっていると思う。

若く瑞々しい選手の、まさに表現が大人になる時に、ちょうどスランプの危機が来ることが非常に悩ましく、いとおしくも切なくなる競技だ。

夏から足首の怪我があったらしいが、今、跳べないのが精神的なものであるならば、次はよくなりますように、心より復活を願っています。

・・・・

男子は4回転ジャンプ合戦になったが、やはり宇野昌磨の表現に引き込まれた。

彼の演技はいつも、めくるめく情景を見せてくれる。

人それぞれの体験の重さ、想いの丈の際だった瞬間、その記憶、感覚を呼び覚ましてくれる喚起力がある。

2月24日

次の本の制作のための、絵の撮影。

1:30にカメラマンの糸井さん宅へ。

外の光はカーテンで遮断して(真っ暗ではなく、自然に薄暗い昼間の感じ)、ストロボは3つ。

前回の最後に撮影していただいた感じがすごくよかったので、今回の撮影の光のあてかたもそれに近くなるように、4回ほど光を微妙に調整して撮影していただく。

銀箔が全体にフラットに白っぽくなりすぎないように、斜め上に軽くスポットを当てて、絵の下側に行くにつれて少し暗い色になるように、銀の質感が生々しく出るようにしていただいた。

絵の線描が全部、バランスよく見えるように撮るのはセオリーだが、強い太陽光の下ではなく、そんなに明るくない小さな部屋の壁に掛けられているのを見ているリアルな感じを希望した。

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糸井さんは、光の違いによる絵の見えかたの微妙なニュアンス、雰囲気の違いを、とても理解してくれて話がすっと通じるので、初対面から仕事がすごくやりやすい。

万一、追加で新作を撮ってもらうことがあるかもしれないことを想定して、ストロボの出力など、今回の設定を記録しておいていただく。

途中、3:30頃、撮影予定だった絵が一枚足りないことに気づく。

Mに電話して、事務所から届けてもらった。Mは一時間後に到着。駅で待っていたら、急にすごく冷え込んできて、胃が痛くなった。

この時の冷えによって、次の日、吐いてしまい、一日具合が悪かった。撮影終了後に、Mと駅前の居酒屋に入り、空腹に梅干しサワーを飲んだのがよくなかったのかもしれない。

風邪やインフルだったらどうしようと焦って、友人に連絡し、会う予定を延期してもらったが、結局風邪ではなく、ただ胃腸の調子を崩しただけだったのでよかった。

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2017年1月19日 (木)

森島章人さんの第二歌集 / E藤さんと食事 祖母と母のこと

1月16日

昨年末に、森島章人(森島章仁、あるいは蘭精果)さんから、ついに、待ちに待った第二歌集『アネモネ・雨滴』を出すとのお知らせのお手紙と、原稿をいただいた。

第一歌集『月光の揚力』(1999年)からずいぶん経って、長い時が結晶した歌集。

『アネモネ・雨滴』というタイトルには、“衰滅の中の希望”という意をこめたという。

昔からのお約束通り、私の絵を本(扉)に使ってくださるとのこと。

そのことに関して、きょうまた、おはがきが届いた。

私の「風の薔薇 あねもね』(2002)を使用したいとのことだったのだが、この絵が強烈すぎるので、やはり「鬱金香」(1998)を使用したいとのこと。

私としては、どちらを使っていただいても、まったくかまわないのですが・・・。

『アネモネ・雨滴』という歌集には、やはりアネモネの絵のほうが合うのではないかな、と思い、その旨と、一応、私が今まで描いたアネモネの絵を数十点メールで送った。

森島章人さんは静かなかたで、(私は行ったことはないが)空気と水のきれいな、静かなところに住んでいる。

彼の歌は、微妙な光と影が煌めく、なまめかしく妖しいイメージと、冷たく澄んだ空気を感じさせる。

森島章人さんの歌をたくさんの人に読んでほしい。

バレリーナ地に伏せるとき薄幸の世界を許すみだらを許す――『月光の揚力』より

1月18日

朝、まだ眠っていた時、10時20分くらいにE藤さんから電話があった。E藤さんは、今、私の近くに住んでいて、昔の西新宿で母が親しくしていただいていたかた。今は私が親しくしていただいている人生の大先輩だ。

正月に、今も西新宿在住で、私が小1から小2くらいの時に仲良くしていた女友だち、Oさんのお母さんが亡くなられたとのこと。

Oさんのお母さんは70歳をすぎて子宮がんになったという。

Oさんとも、Oさんのお母様とも、私は小学生の頃以来、お会いしていないのだが、E藤さんはずっと親しく交流されていたそうだ。

E藤さんは親しくしていた人が急に亡くなってとてもさみしい、とおっしゃって、私をランチに誘ってくれた。それで私は寝ぼけまなこで即飛び起きて、支度した。

駅前の「すしざんまい」でランチ。母の具合が悪く、今年の正月はおせちどころではなかった私のために、「お正月のごちそうと思って、ランチビールも飲みなさいよ。」と言われて起きたばかりだけど、ビールもいただいた。

E藤さんは、私が幼い頃の母のこと、私の祖母のことを知っている。その話を聞くと胸がいっぱいになってしまう。

E藤さんは、結婚されてすぐ(20歳代の後半)に、小児麻痺だったご主人の妹さんの、たいへんな介護をされていたとのこと。

その妹さんが亡くなった時、私の母がふたりの近所の友人とともにE藤さんのお宅に伺ったそうだ。E藤さんは残り物で悪いけど、と、ちょうど3人分余っていたお寿司を出したのよ、と言う。

「そんな時のことをすごく覚えているのに、もうそんな話をできる人もいなくなっちゃったわねえ。」と言われた。

私の母と祖母について「あなたのお母さんは本当によく働いてたものねえ。おばあさんはすごくきれいな人だった。おばあさんとよく魚屋さんで会ったわ。」と言われると涙が出てしまう。

人は皆、年老いて、記憶はどんどん時の彼方へ消えていってしまうけれど、私の祖母と母の元気な頃のことを覚えていて、私に話してくれる人がいることは、なんて幸せなことなのだろう、と思う。

「あなたはおばあさんによく似てるのかな。」と言われ、「いいえ、私は明るくて包容力のあるおばあちゃんが本当に大好きだったけれど、私と祖母は血がつながってないんですよ。」と応える。

「父はもらいっ子で、生まれてすぐもらわれてきて、本当の両親を知らない。あんなに優しかった祖母に甘やかされておかしくなった。」と。

(実際、祖母は私とは違う鼻筋のとおったはっきりした顔立ちだった。目や眉が似ていると子供の頃は信じていたけれど。大好きな祖母が私とは血のつながりがない、と母から聞いた時、二十歳くらいだった私はショックで泣いた。)

おばあちゃん(福山キョウ)と私。

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私が好きな写真。西新宿の熊野神社でおばあちゃんと。「ユキちゃんを見つけて嬉しそうにかけていきました。」と写真の裏に母の文字が書いてある。(ユキちゃんは幼なじみ)
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続く写真(ユキちゃんと私)。裏には「枝を得意そうにぽっきん、ぽっきん」という母の文字が書いてある。この頃から私は植物が大好きで、今とちっとも変わっていない。

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E藤さんは今年88歳だが、とても頭の回転が速く、新聞もよく読んでいて、とんとんと話が進む。

「それでね、その子は今、ヒッキーなんですって。」などといった言葉が飛び出す。「ヒッキー?あ、引きこもりのこと?」と言うと「そうよ。私、いろいろ若い人の言葉も知ってるの。」と。

感心するのは、話が回りくどくなくて、要旨が明解なことだ。頭がよく、人の気持ちがわかる人なので、こちらの悩み相談にものってくれる。本当に頼りになる先輩だ。

隙間のないきれいな歯も、全部、29本健在だという。それは本当にすごいことなのではないかと思う。

E藤さんは私なんかよりよっぽど元気だ。私とランチしたあと、荻窪でボランティアをするために電車で出かけていった。それも新聞で見つけて応募したそうだ。以前は新宿の老人福祉施設で絵手紙を教えていたそうだ。

・・・

私は3時過ぎから母の施設へ。小口の預け金が足りなくなったようなので、10万円持って行った。

母は眠っていた。フロアリーダーのFさんがいらしたので、母の様子をきく。気管支炎はだいぶなおり、体調は安定してきて、昨日の夕食、今日の朝食、昼食はほとんど食べた、とのこと。

おやつと夕食の間の時間で、日誌をつけている職員さんたちにも挨拶と御礼。

エレベーターで一緒になった看護師さんに挨拶し、痰の吸引などお世話になっている御礼を言うと、「ああ、福山さん!年末がたいへんでしたね。きょうくらいから熱もちょうど落ち着いて、痰も少なくなりました。」と言われ、とても嬉しかった。

はきはきした小柄の看護師さん。「年末、年始、もうだめかとはらはらしていたのですが、先日、無事誕生日を迎えられて本当にありがとうございました。」と言うと「なぜか誕生日が鬼門なのよ。」と言われた。そんなこともあるのだろうか。

会議が終わって出て来たところの相談員のK島さんと、1階でお会いできた。先日、私が来た時よりも、今日のほうがずっと母の調子がいい、とK島さんも笑顔だった。

何度も何度も頭を下げた。

・・

少し気持ちが楽になったので、そのあと中野の材料店に行き、昔はあったが今は製造中止になった道具についてお話を聞いた。

古本屋さんに読みたかった70年代の本が入荷していたが、800円だったので今日は買うのを止めた(500円だったら買っただろう)。

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2017年1月 9日 (月)

絵の撮影 / 母のこと(気管支炎)

1月5日

私の次に出す本(画集)のための銀箔の絵を、新たなカメラマンさんに撮影しなおしてもらう。

銀箔を貼った絵が、最初のカメラマンさんの撮影では、私が室内で肉眼で見た自然な感じとかけ離れていたので、本には使えないと判断したためだ。

一回目のカメラマンさんの撮影では、2か所から強い光をあてたのか、銀箔のぎらぎらした存在感は出ていたが、余計な情報過多で、肝心の手描きの線が見えなくなっていた(セオリー通りの撮影ではあるらしいが)。

今日初対面のカメラマンさん、I井さんのご自宅兼スタジオに伺い、撮影を見学させていただく。気さくなかたなのでよかった。

白い紙と黒い紙を使って、照り返しを調節するセットを組んでくださっていた。

けれど結局、白と黒の紙なしの、天井や壁や室内のものが映りこんだ状態で撮った最後の一枚が、一番自然に、銀箔の質感と手描きの線の両方が出た。

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何枚か光をあてる方向を変えて撮影し、その都度パソコンの画面で確認。

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最初のカメラマンさんは、なにを重要視して撮ってほしいかをこちらから言葉で伝えると、なんの画像確認もなしに自分の判断で、いきなり印刷したカンプを出してきたので、それでは絶対無理だと思った。

I井さんは、何回もやりかたをかえて撮影してくださり、その都度「ここの質感が出てきましたね。」「こちらがちょっと飛び過ぎですね。」「さっきのよりこっちのほうが雰囲気が出てますね。」など、私が絵のどこを見せたがっているのかを理解してくれて、コミュニケーションが成立した。

I井さんの仕事を見て、最新のやりかたはこんな風なのか、と感心した。

たとえ物撮りであっても、カメラマンは、いろんな工夫をして、それぞれに個性的なやりかたがあるのだろう。

ある種の冒険的な精神によって、見る者の主観の中でしか成立しない絵画であればなおさら、その撮影も通り一遍のやりかたでいいはずがない。

プロの現場を見学させていただいて、たいへん勉強になりました。

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最近の母のこと(気管支炎)。

1月8日

母に会いに、施設へ。

年末からずっと気管支炎で、痰がらみがあるので、誤嚥による窒息が心配で落ち着かない。

高齢だから、いつなにがあってもおかしくないのだが、きのうの夜からきょうは、熱はなんとか落ち着いてきて、36度8分から37度くらいだそうで、顔色も穏やかだったので、ひとまずはほっとした。

きょうは昼食は食堂で、地方の訛りあるのちゃきちゃきした女性職員さん。やはり3人を同時に介助されていた。

母が今ほど噎せの危険がなく、私が介助して食べさせていた時は、廊下のテーブルでやっていたので、食堂での皆さんの食事風景を見るのはきょうが初めてだ。

母に声かけしながら、口を開けるのを待って、飲み込むのをじっくり待って、噎せないように少しずつ食べさせてくださっている。

うちのちゃび(19歳6か月の雌猫)に私は毎日、強制給餌しているのだが、ごっくんと飲み込むのを待って、次のをシリンジで入れるのとほぼ同じだ。

食堂でほかの皆さんを見ていたら、ひとりでちゃんと食べられる人は少ない。本当に職員さんたちのおかげだ。

ひとりの女性入居者が、立ち上がってスタスタとほかの女性入居者に近づき、びよ~んと下唇を引っ張る事件が起きた!

母を食事介助してくれていた職員さんが慌てて駆けつけ、「こら!なにしてんの。」と止めたら「やわらかいんだも~ん。」と。「まったく油断も隙もないんだから。」と職員さんたちが笑っていた。「下唇がとりわけぷっくりしているかたなので、引っ張ってみたくてやってるんですよ~。」ということ。

ほかにも、食事中になぜか「うわあ~~ん」と大声で泣き出す人(過去の哀しい夢を見ているのか?わからない)、食器をがんがん机に叩きつける人、ジェスチャーを繰り返してなにかしゃべっている人、いろんなかたがいるので、それはそれはたいへんだ。

職員さんに重々御礼を言って帰る。帰りに中野で天婦羅を食べた。

1月4日

K島さんに電話して母の調子を伺う。まあまあ、おだやかに過ごしているそうで、少し安心。引き続き痰の吸引。

1月2日

私はずっと自分が風邪気味で、咽喉の痛みが続いていたので、母にうつすのが怖くて、しばらく施設に行っていなかったのだが、久しぶりに会いに行った。

母の部屋のベッドのそばに痰の吸引器があった。

大柄の目のきれいな女性職員さんに、廊下で昼食介助していただいていた。ひとりで3人を同時に介助。

母はむせやすいので、見ていても窒息するのじゃないか、とはらはらする。本当に職員さんのお仕事はたいへんだ。生かしていただいていることを、実感する。

「39度近い熱が出た夜、(看護師さんがいないので)朝5時まで座薬もできなかったので、すごくかわいそうだったんですよ。」と言われた。

K島さんにくわしいお話をきく。体重は今、激減している感じではないので、肺に食べ物がはいって窒息するリスクを避けるため、無理して食べさせない方針とのこと。おまかせしますのでどうかくれぐれもよろしく、とお願いした。

ヘルパーさんひとりひとりに、御礼のご挨拶をしてから帰った。

すごく張りつめていたので、お酒が飲みたくなり、中野の立ち食い寿司で日本酒を飲んだ。私は日本酒を飲むことはなかったのだが、意外にも飲めてしまった。

今年も気持ちが落ち着かず、ゆったりとごちそうは食べられない正月。

12月30日

11:20頃、施設から電話。

また39度近い熱になりYメディカルセンターに連れて行ってくださった。危険な状態なのか、とすごく心臓が苦しくなった。

父が年末に亡くなったことを思い出して、何とも言えない暗く不安な気持ちになる。年末ぎりぎりに母が亡くなるのはすごく辛い。むしょうに怖かった。

午後3時半頃、電話があり、施設に戻ったとのこと。

ここでも、気管支炎と言われ、入院させるほどの状態ではない、とのことで、違う種類の抗生物質が出た。

長い時間をかけて病院に連れて行ってくださったTさんへお礼を言う。

30日と31日の夜、母が死んでしまうことを思いつめてうなされ、あまり眠れなかった。

12月28日

母のいる施設から電話。「病院に連れて行くので、入院になるようだったら来てください。」と言われた。

12月26日くらいから38.6度の熱を出し、抗生剤を投与しているとのこと。

下落合のS病院。結果は、肺はきれい。炎症反応はあるが、おそらく気管支炎だろうということ。抗生物質を出していただいた。入院する状態ではないと言われた。

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2016年10月 2日 (日)

宇野亞喜良展「綺想曲」 銀座 四谷

9月30日

友人と宇野亞喜良展「綺想曲」(銀座三越9月28日ー10月4日)のレセプションへ。

またも描き下ろし。宇野先生のエネルギーに感嘆。

このご案内はがきは正方形。タイトルは「ピカソとフジタとミロとわたしの猫、そしてコクトーの猫」。

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少女の右側には、下からピカソの描いた鳥をくわえた猫、その上に藤田嗣治の猫、その上にミロの猫。少女の薄黄色のワンピースにはコクトーの猫。少女の左側の下には、私の大好きな鳥の写生画を描いたエドワード・リア(1812-1888)のちょっとまったりした梟と猫の絵のコピー。

エドワード・リアが私の背筋がぞくぞくするほどの見事な鳥の写生画を描いたのは、14歳の頃だという。

宇野亞喜良先生のこの絵は、猫を魅力的に描いた才能たちへのオマージュでもあるだろう。

先人(画家、美術家)の絵のコラージュは続く。スペインのダリとピカソの本歌どり。王女マルゲリータ。ヘンリー・ダーガーの怪獣。エジプト風。昔の新書館風。

どれもメランコリックに、ごてごてしすぎずに、仕掛ける。30年前、40年前、50年前、それよりもっと前の、遥か昔の、ふっとした風、それぞれ秘密の個別の体験とノスタルジイ。

「ボディーペインティング」という絵。ネコ科の猛獣が三頭、体にペイントされている。猫を抱いた女の子は嬉しそうに絵筆を持っている。この絵が一番好きだった。もう売れていた。

魚の口から猫が飛び出している(食物連鎖が逆に描かれている)のの横に、白鳥が頭からはえたウロコの肌の女の絵、「ひとりぼっちのあなたに」。これも素敵だった。

夕刻5時から、よく冷えたフリュートグラスでワインなどの飲み物が出た。すきっ腹にスパークリングワインを飲んだら胃がきりきりした。つまみには私の(甘くて)苦手な苺色のマカロンだけが供されていたので手が出なかった。

レセプションはたいへんな盛況だった。奥様の三枝子様にもご挨拶できた。先日、たまたま奥様がお留守の時に、宇野先生のお仕事場にお邪魔したことのお詫びを申し上げた。

有名なファッションデザイナーや寺山修司の演劇関係のかたもいらしていた。蘭妖子さんは、私が子どもの頃に見た寺山修司の映画のお姿とあまり変わらなかった。

残念ながらレセプションのスナップも、写真撮影は一切禁止だった。

そのあと、友人と夜の銀座に遊びに出た。

銀座の夜を遊ぶと言っても、飲んだり食べたりは一切せず、裏通りを探検して、なにか不思議な面白いものを見つける遊び。お金はかからず、どこに行っても外国に行った時となんらかわらない。

私は、ものを見る楽しさを知っている友人と、おなかをすかせたまま町をほっつき歩くのが大好きだ。

後ろに泰明小学校の建物が見える公園。岡本太郎のオブジェの前で。

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まるでゴシック。耽美な雰囲気のある夜の泰明小学校の建物の前で。

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裏通りでビルの暴かれた内臓のような黒く煤けた壁面を見つけた。

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ドイツやイングランドで、数百年を経た煤けた建物の壁面を夢中で撮っていたことを思い出す。ロンドンのバーモンジーの蚤の市の近くで素晴らしく古い建物を撮っていたら、「ロンドンで最も古いアパートなんだよ。」と現地の人に話しかけられた。
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走り抜けて行った三毛猫。この直前に狭い裏路地で、私の足もとを駆け抜けて行った鼠を見た。からだは茶色っぽくて、とても素早かったので確認できなかったが赤いプチトマトのようなものをくわえていたように見えた。
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そのあと四谷に出て、いきつけの庶民的な店で食事。

四谷に来たとき、私は必ず立ち止まって、この駅前の橋の上から、また地下鉄のホームから、暗い谷をのぞく。ここだけひんやりした空気がたまっていて、鬱蒼とした植物の中に無数の虫の音が響いているから。

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橋のたもとの街灯も、店の光がにじむのも外国のよう。都会の駅前なのに静かな空間。

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スズメウリの蔓が幾重にも垂れ下がっているのを見つけて嬉しくなっているところ。

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きょうの服装はBlitis A un Cher Amiの黒いフランスレースのロングチュニックとアシンメトリースカートの重ね着(靴もコサージュも含め全部古着)。秋になり、レースとベルベットの古着で思いっきり奇妙な重ね着をするのが楽しみだ。

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2016年8月31日 (水)

写真家、後藤真樹さんと打ち合わせ / 方南歌謡祭

8月25日

次の私の本のための絵の撮影について、写真家の後藤真樹さんと打ち合わせ。

特に箔をつかった作品について、なにを優先して撮影していただくか(銀箔のきれいな光の質感か、腐蝕部分の細かい線か、腐蝕部分の微妙な色か)、難しい問題がある。

また、写真をPCで調整しても、印刷物での再現は、それとはまったく違うノウハウになるそうだ。いろいろ想像して悩んでしまった。

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後藤さんは、座右宝刊行会代表として、書籍の執筆、編集、刊行も行っている。

座右宝刊行会という名称は、大正時代にさかのぼり、下のようないきさつがあるらしい。

(ホームページから引用します。)

「大正末期に作家・志賀直哉がコロタイプ印刷で作った自らの心眼に叶うものを集めた美術写真集「座右寶」を刊行する為に座右寶刊行會を創設しました。

大正15(1926)年に「座右寶」を刊行したのち、岡田三郎助氏の元で「時代裂」を刊行。その後、後藤眞太郎が引き継いで数々の文学書・美術書などを編集・出版。終戦の翌年、昭和21年には美術雑誌「座右寶」を創刊。

真太郎没後は、息子の後藤茂樹が引き継ぎ、美術全集の編集などを行い、日本の編集プロダクションの先駆けとなったが、1981年に解散。

現在の座右宝刊行会は、後藤眞太郎の孫にあたる写真家・後藤真樹が祖父と伯父の志のいくばくかを継ぎたいとして書籍の編集・出版を行っています。」

http://gotophoto.zauho.com/zauhopress/zauho.info.html

後藤さんとのご縁のきっかけは、私がハナ動物病院の待合室で、たまたま「座右宝」という薄い小冊子を見つけたことだ。

なんだろう?と読んでみたら快作先生の殺処分ゼロ運動のインタヴューと、高円寺ニャンダラーズ(猫レスキューのボランティアさんたち)のメンバーのかたの、福島での動物レスキューの現場体験を語る言葉がのっていた。

「福島被災猫レスキューの現場から」――西井えり(高円寺ニャンダラーズ)の全文は下のURLで読めます。

http://gotophoto.zauho.com/zauhopress/nishii-hisaineko.pdf

後藤さんは、たまたま被災猫の里親探しの活動に賛同し、譲渡会で出会った猫を引き取り、フクスケ(フクチン)と名付けた。

そして福島の警戒区域から保護された猫たちが、引きとった人々の元で幸せにくらしている姿をつづった物語つき写真集『おーい、フクチン! おまえさん、しあわせかい?――54匹の置き去りになった猫の物語』を刊行した。

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http://gotophoto.zauho.com/book/fukuchin.html

打ち合わせ中、フクチンは、うにゃ~お!うにゃ~お!と、すごく元気な声で、おしゃべりしてきていた。おなかがすいたみたい。フクチンは、ごはんをもらう前に、おすわりをして、お手!をする。

フクチンは福島で大けがをしたらしく、横隔膜が破れて内臓が肺を圧迫して呼吸ができなくて、内臓をもとに戻す大手術をしたそうだ。今は、そんなふうには全く見えないほど、元気だ。(ほかにアレルギー症状もあって、投薬によるコントロールが続いているそうだけど。)

後藤さんのお宅のまわりは、鬱蒼とした植物に囲まれていた。帰り道、コオロギたちが一斉に鳴いていた。もう秋だ。

8月27日

台風のせいで、雨がしとしと。その中、杉並区方南町の方南歌謡祭に行ってみた。

駅前の駐車場に、ステージカーが。その前に折りたたみ椅子をびっしり並べて、みんな雨合羽を着て座っていた。私は前から3番目の一番端っこの席。

熱心に見ているのは、70歳以上と思しき、元気なご高齢のかたが多いのにびっくり。駐車場の柵の外から、酔っぱらって大きな掛け声をかける男の人。柵によじ登る人。立ち見で煙草を吸っている人。全体的に、すごく自由というのか、無法地帯というのか、騒がしく、いなかっぽい雰囲気。

正直、高円寺の阿波踊りでは、考えられない感じだ。高円寺は、商店街の人の踊りが「芸能」まで高められているというのもあるが、観客も、もっと上品だ。

一番よかったのはフィンガー5の晃。歌もトークもすごくうまかった。

いきなり「・・・お祭りって、こんなんだっけ?」と。「なんか、すごく、いなかっぽいね。」とずばり。「すごい人だね。これ、お金とったらすごいけどね。タダだからね。」とも。

まずは「恋のダイヤル6700」。追っかけの人が10人くらい、最前列の真ん中に陣取っていてキャーッと黄色い(?)歓声。会場全体がすごい盛り上がり。「ここ、騒音対策、だいじょうぶ?俺、歌いながら帰ろうかと思っちゃった。」

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「個人授業」、晃の自作の沖縄ことばの歌も素晴らしかった。それから最後は「学園天国」。

彼はさすが、和製マイケル・ジャクソンとかつて言われただけのことはあって、歌唱から独自のソウルフルなものが伝わってくる。

(小学生にして、レコードデビューの時に、まわりの大人の耳がよくなくてつまらない、と言っていたらしい。)彼を見られたことは、とてもよかった。

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終わってから、方南通りを西永福まで歩いた。大宮八幡宮のあたりは人通りがなく、暗い湿った空気をふるわす虫の音がすごかった。

西永福の三崎丸で牡蠣のオイルづけや白子の天婦羅を食べ、生グレサワーを飲んだ。

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2016年6月21日 (火)

多摩川 干上がった川底を歩く

6月19日

夏至近い蒸し暑い日の夕方。久しぶりに友人Mと多摩川へ。

駅から川まで歩く道で、電線にとまって、ツーピー、ツーピーときれいな声で鳴いている鳥(シジュウカラ?)がいた。

「若さえずり」というのだろうか、その澄んだ大きな声があまりに清らかだった。

川はだいぶ干上がっていて、端っこのほうに細く流れていた。増水の時に川底だった部分はすっかり乾いて、いろんな植物が生えていた。

恐竜の骨にも、細い船にも見える白茶けた大きな流木。怒涛の流れの中にいることを想いながら川底にいた。

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ハルシャギク(波斯菊、蛇の目草)の黄色が散らばる乾いた空間。花は陽のほうを向いているので、薄い陽を背にして撮れば、花は空中に浮遊した小さな陽の正円の集まりとなる。

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ぽつんと咲いていた可憐なムシトリナデシコ。雨が降って川が満ちたら、この花は流れの中に沈んでしまう。
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燕たちが、河原を低く速く旋回していた。空の高いところには大きな凧のように浮かぶトンビがいた。

水辺には優雅なダイサギが。

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干上がった堰の上を歩く。

まっすぐに続く鉄橋と巨大なチョコレートのようなコンクリートの造形。

このシンプルなかたちの繰り返しに、なにか未知の方向へつながっているような、子供の頃のよくわからない憧憬のような気持ちになる。

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太い灰色の柱と銀色に光る水平の水たまりがシュールに見える場所。

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小さい頃、空き地に残された家の土台の部分や、古びた階段や、崩れた塀、かつて何かだったものに植物が絡み合う場所が好きでたまらなかった。

そこに見えない不思議な建物や大きな宮殿を見つけて、えんえんと飽きずに遊び続けることができたからだ。

今でも廃墟と植物が大好きで、レジャーランドのようなところが嫌いなのに変わりはない。

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きょうの目的のひとつだった「忘れ草」(デイリリー、ヤブカンゾウ)がぽつんと咲いているのを、川底の白い泥の中に見つけた。

子どもの頃、「忘れ草」という美しい名の花を題材にした物語を読んだ。山道でこの花の美しさに惹かれて手折った若者が、すべてを忘れて戻れなくなってしまい、少女はいつまでも若者を待ち続けている、という話。

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沢渡朔さんの60年代の写真に憧れて、人のいない忘れ去られたような、何気なくてちょっと不思議な場所で、なにか物語がそこに動いているような写真を撮る試み(遊び)をMと共謀してやった。

空の皺のように視点を吸引する光る雲があった。同時に汚泥の腐敗した匂いがあった。

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それぞれの草たちがふるえ、なびき、「細かい様相が絡まりあい、おびただしい線と点とが混じりあう絵」である川沿いの野原。その中でじっと草の息をかいでいるのは幸せだ。
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駅の方へ戻る道で、来たときに鳴いていた鳥(シジュウカラ?)が、まだ同じ電線の上で健気に鳴いていた。

6時頃、場所を移動して、バードサンクチュアリのほうへ。

浅川の橋のないところ、飛び石の上を渡ったのだが、川の真ん中の流れが速いところで、水流に隠れた石に(表面がぬるぬるして滑りそうに見えたので)うまく飛び移れなくて、足をふたつの石にかけて開いたまま往生してしまい(笑)、あとから筋肉痛になった。

かつて「オフィーリアの湖」と名前をつけていた沼が、緑の藻に覆われて澱んでいた。

かつてこの沼でアオサギが魚を捕るのを息を殺して見つめていた思い出があるが、今の沼の状態では魚が住めなさそうだ。

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鬱蒼とした木陰に咲く白いレースのようなシシウドの花を撮りたかったのだが、すでに夏の繁茂に覆われていて森の中にはいれなかった。

ここは保護区域なので、この辺りではバイクの乗り入れやラジコンはもちろん、草刈りも禁止、という立札があった。たまにここで出会うラジコンを飛ばしている4、5人のグループの人たちは、鳥たちのストレスになるので本当にやめてほしい。

ハルジオン(春紫苑)の季節が終わり、土手はヒメジョオン(姫女苑)でいっぱいだった。

春紫苑と姫女苑は葉と茎と花のつきかたの違いで見わけがつく。実際の見た目の雰囲気は、「春咲く紫苑」のハルジオンよりも「姫」「女」とつくヒメジョオンのほうが、ずっと直線的で固く乾いた感じで男性的に感じる。

私にとって春紫苑は、その茎の匂いも官能的な春の最初を感じさせる花であり、姫女苑は夏へと動いている季節と風を感じさせる花である。

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2016年6月 5日 (日)

沢渡朔展 「Rain」、「Nadia」、「少女アリス」、代官山蔦屋書店、東雲

6月4日

沢渡朔さんの新作「Rain」の展覧会(YUKA TSURUNO GALLERY)のご案内をいただいたので、久しぶりに沢渡さんにお会いしたく、行くことにする。

その前に代官山蔦屋書店の沢渡朔さんの「Rain」、「Nadia」、「少女アリス」の展示を見てから行こうと、すごく久しぶりに代官山へ。

昔は、ひっそりとした古い住宅とぽつぽつとあるシックなアンティークの店が好きで、たまに散歩に行っていたが、町はだいぶ派手に変わっていた。

旧山手通り、ヒルサイドテラスは人がいっぱいで、高級感ありすぎで、息苦しくなってくる。

HRMの横のディスプレイ。ここだけは何気なくてよかった。

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どこかで拾ったのだろう熟して腐った梅の実が素敵。
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なぜか中南米原産のジャカランダの樹を発見。ジャカランダの樹を実際見たのは初めてだったので興奮。一瞬、桐の花かと思ったが、近づくと葉がネムノキにそっくりで桐の葉とは全然違う。キリモドキ属らしい。花も桐よりも小さくてたくさんついていて、薄紫色にくすみがない。
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代官山蔦屋書店、派手な建物で、中の喫茶店も高級でびっくり。少しでも本を買う人が増えるのはとてもよいことだけども、面展示が多いぶん、置いてある本は限られるのかな、と思った。

沢渡朔さんの写真展示のコーナーには、Nadiaの直筆の日本語で描かれた手紙がガラスケースの中に展示してあった。

以前にも見たことがあるが、この手紙は本当に胸が痛くなるような作品。自分を捨てた沢渡さんへの恨み言を書いているのだが、なまなましくも美しい詩と絵になっている。

「Nadia」の大きなプリントが一枚売れていた。(60万円だか70万円だかだった。)

自分だったらどれを選ぶだろう、と思いながら見る。「少女アリス」の汽車の窓から曇り空を見上げているアリスか、古い廃屋の棚の中にいるアリスか。

見終わってから駅の裏側の高台をフラフラ散歩。昔、好きだったアンティーク屋はなくなっていた。コンビニでおにぎりを買ってかじりながら歩く。

このガードレールの手前だけぽっかり空間があいている。ちょっと不思議な場所。

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古いアパートの横の坂を下り、渋谷駅に向かって歩く。

坂の脇に紫のブッドレア(フサフジウツギ)が咲いていた。そう言えば5月、6月は薄紫の花が多いみたい。ジャカランダやブッドレアのほかにもアジサイ、リラ、ラベンダー、クレマチス、アイリス、ヤグルマギクなどなど。

線路沿いの道は廃れた感じの古い建物が残っている。坂の上の華やかさとの落差がすごい。

なぜか残ったままのボロボロの看板。

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この豆腐屋の建物も昔からある。
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5時過ぎ、渋谷駅に着く。

渋谷から東雲駅まで大崎経由のりんかい線直通で550円もすることに驚く。

東雲駅に降りて、ほとんどまったく人気のないがらんとした倉庫街だったので、さらに驚く。

目指すギャラリーは巨大倉庫のひとつの中にあった。暗い階段を上る。

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「Rain」の展示会場。入り口に藤城清治さんからのお花があった。
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久しぶりに沢渡朔さんにお会いできて嬉しい。「ここ、すごく遠かったでしょう。」と言ってくださる。
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「ここに来る前に代官山の蔦屋書店の展示を見て来ました。」と言うと「いつも見てくれて申し訳ない。」と困ったように笑う沢渡さん。

「ギャラリー内の撮影はまずいですか?」と聞くと「いいんじゃない。」とおっしゃったので展示会場を歩く沢渡さんを何枚か撮っていたら「相変わらずだね・・・」と笑う。

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雨の写真は10年くらい前から撮り続けていたのだそう。沢渡さんは女性を撮ることが多いが、雨にけぶるものたちや情景にエロティークなものを感じて撮っている感覚が伝わってくる。

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ライトが暗闇に滲んだ絵を描く黒い夜の雨と、ほの暗く青い昼の雨とがある。どれもメランコリックな都会の雨だ。

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鉄塔や、工事中の機材や、街灯や、公園の動物のかたちをした古ぼけた遊具や細い木々たちが、雨にけぶって、記憶をたどる詩的なものに変容していく。

かんかん照りが苦手で、曇りや夕暮れや雨の薄暗く滲んだ空気が好きな私には、たまらなく共感できる世界だった。

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ギャラリーのある倉庫の2階から海が見えるかと窓を開けて覗いていたら、いきなり隣に沢渡さんが。「何が見えるの?」と言われ「もっと海が見えるかと思ったんですけど、あまりいい景色じゃありませんでした。」と。

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沢渡朔さんは初めてお会いした時からまったく変わらない。好奇心旺盛で、ふとさりげなく面白いものを見つけることに興味があって、気取りがなくて、口数が少なくて、好き嫌いがはっきりしていて、正直で、若々しくて、権威的なところがない。

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先日宇野亜喜良さんにお会いしたことなどお話しする。「宇野さんとはよく会うんだよ。あの人は本当に変わらないねえ。」とおっしゃっていた。

7時頃、「それでは失礼します。」と帰る挨拶をすると「福山さん、元気でね。」と心のこもった言葉をいただいた。私が身体が弱くてしょっちゅう体調を崩しているので心配してくださっているみたい。

帰り道に見つけた倉庫。白いペンキがなぜか連続水玉模様に剥げているところ、シャッターも斜め連続模様に錆の絵ができている不思議な造形に惹かれた。

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海を見るために新末広橋を途中まで上ってみる。

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さびしい風景。海風が強いのに堤防の上でひとり釣りをしている人がいた。

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遠くに葛西臨海公園の光る観覧車が見えた。

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2016年4月11日 (月)

百草ファーム 六地蔵 多摩川

4月9日

Mと百草の山を歩く。

まずは、気になっていた六地蔵を目指して、人気のない細い山道を登る。

木々の新芽は、今まさに開いて空気に触れたばかりの淡い黄緑。山藤の蔓が大蛇のように小楢の幹に絡まっていた。

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踏みしだく土の上には、どこを歩いても桜の花びらが散りばめられているのに、桜の木はどこにあるのか見えない。

離れたところに点在する山桜の樹から花びらは強い風に乗って運ばれ、まんべんなく山道を埋めていた。

山の中を通って百草園の正面に出た。入園せずに横を通り過ぎたが、百草園の斜面は今、澄んだ薄紫のミツバツツジ(三葉躑躅)が満開だった。

百草八幡の前を左折して丘を下る。

ソメイヨシノの花びらはほとんど枝に残っておらず、空中を舞っていた。どこもかしこも早緑、鶸色、 灰桜の点描。

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しばらく行くと、ぽっかりと畑が広がる場所があり、畑の向こうに赤いよだれかけが六つ見えた。下は六地蔵側から畑を見た景色。

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百草の六地蔵。真ん中には観音像のようなものが。一番右のお地蔵さまは、欠けて顔も身体もわからないただの石のようになっている。

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六地蔵のところからさらに丘を下る。斜面にはタチツボスミレ、タンポポ。

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下はカラスノエンドウと濃い紫のキランソウ(金瘡小草)。

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百草ファーム。小学生の女の子が二人、先に窓から牛舎を見ていて「今、ちょうど搾乳のところ。」と振り返って私に教えてくれた。

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一頭だけいた山羊。
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幼い仔牛。

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下はファームの近くにいた牛と同じ柄のにゃんこ。

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下は山道を下りきったところにいたレッサーパンダのような顔のわんこ。
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それから多摩川に出た。川べりにも春が来ていた。

ツグミの大群がピィピィ、キャッ、キュウ、と騒がしく鳴きながら、大きな樹の枝枝から草原へ、また中空へ、と一斉に移動していた。

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河原は一面にセイヨウアブラナ。

柔らかな菜の花と違い、茎と葉が硬くつるつるしていて緑が濃い。向こう岸に真っ白いダイサギが3羽いた。

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大栗川のほとり。鳥を撮影している人がいた。

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地層と川の水平と、貴石の粉をまいたような微細な新芽の色のグラデーションが美しかった。

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2016年4月 8日 (金)

桜 / S木R太との仕事が大きな山を越える

4月8日

きょう、ひとつの大きな仕事が山を越えた。

R太が昨晩2時過ぎまで、今朝も朝から頑張ってくれたおかげで、私自身のやることは少なかった。

この二か月、普段の私にはあり得ないほど、たくさんの人(自分の仕事関係とは、まったく違う世界の人たち)と会い、落ち着いて絵もかけないほど慌ただしくしていた。私のまったくの専門外のことで、的確にサポートしてくれる人を捜していたのだ。

皆、それぞれ違う見解を提示する中で、誰が私にとって最も有益な提案をするか、誰が誠実かの判断を迫られた。

その中でS木R太が本当によく対応してくれた。

最初電話で話した時は、舌足らずのしゃべりで、どんな浮ついた男が来るのかと思ったが、実際の容貌はすごく落ち着いていて、仕事熱心だった。顔立ちは要潤に似ている。顎がしっかりしている骨格の構造上、舌足らずになっているみたいだ。

彼は歳を隠していたので32才くらいかと思ったら、何回か会ったあとて24才と聞いて驚いた。

彼は私が好奇心にまかせてする専門的な知識に関しての質問にも、迅速かつ的確に、過不足なくメールで応えてくれた。

私にとって重要なこと、これだけは譲れないことについて、ほとんど理解されることがないので普段、あまり人に話すことはない。

それが意外なほど話しやすかったのは、R太が非常に正直で、かつ温和で柔軟な性格であり、面倒な仕事を物ともせず、馬車馬のように働くことを楽しいと感じるような人だったからだ。

彼には私の細かさ、気難しさを苦とも思わず対応してくれる誠実さと、理解力、判断力、行動力があった。

打ち合わせの時は、どこにいても禁煙で肉料理の匂いのしない店をさっと選んで連れて行ってくれた。それで私は人と会う時の過剰なストレスを感じないですんだ。

R太の実家の室内で飼っていたゴールデンレトリバーの姫ちゃんは、すごく大切にされて、子宮癌の手術も乗り越え、大型犬は寿命が短いにも関わらず18歳まで生きたそうだ。

動物が結んでくれた縁だと思っている。

彼の母親は、イギリス人の血が混じる非常にヴァイタリティのある自立した女性だそうだ。そのせいか彼も小学生の頃から自立心旺盛だったらしい。

4月3日

善福寺川沿いの桜を見に行く。薄灰色の空の下、桜は紅を増して見えた。

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松ノ木グラウンドの近く。毎年、淡い刺繍糸のような細い若葉がそよぐのを見るのを楽しみにしていた大きな柳の木が切られてしまっていたのが悲しい。
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両脇に籔椿と乙女椿が咲き、天井は桜のアーチになっている、私の好きな場所。曇り空で写真ではわかりにくいが、桜の花で空が塞がれている。

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昔は花見客のための旅館が連なっている一大観光地だっという瓢箪池の横を抜け、川に沿って荻窪方面へ歩く。

いくつかの子ども公園を過ぎ、五日市街道を渡ると、ここらへんにこんなに人が住んでいたのかと思うほどたくさんの人が、川の両脇の道にシートを広げてお花見をしていた。

毎年桜の季節にここに来る、相生橋からの眺め(川下側)。両側にびっしりソメイヨシノ。
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相生橋からの眺め(川上側)。こちら側には緑と白の点描の山桜が多い。

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大好きだった阿佐ヶ谷住宅(前川國男1905-1986が設計した今はない集合住宅)の近くの川べり。
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4月1日

所用で九段下に行く。帰りにお堀の桜を見た。

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お堀の柵には、たくさんの人が乗り出して桜の写真を撮っていたが、お堀の中は人が入れないので、とても静かな写真が撮れる。

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曇り空。強風。咲いたばかりなのに、灰緑の水の上には花筏が浮かんでいた。

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桜の下に一面の蕗の薹の花。

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きょうはS田さんとの打ち合わせだった。

R太の上司のS田さんもまだ27歳で、容貌はR太以上に華やかな チャームを持っている。彼もまた、親 がロシアとのハーフだそうだ。S田さんは仕事に厳しく、可愛い顔をして「鬼軍曹」と呼ばれているらしい。

3月27日

桜より一足早く満開になった雪柳と。

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ミモザの花は3月の半ばに満開だった。今は茶色い金平糖のようになって枝にくっついたままだ。

大宮八幡宮の桜は三分咲きだった。

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