絵画

2019年9月12日 (木)

チョビとプフ、1歳になる / 台風 / 結膜下出血

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/8-cats/

9月12日(木)

台風による千葉県の深刻な被害。友人のことが気がかりだ。

きょう、生協から届くはずの千葉県八千代市の低温殺菌牛乳も欠品だった。停電による乳業工場の停止や乳の廃棄も気の毒だが、暑さで牛たちの命がすごく心配だ。

・・・

きょうは、1年前、生まれたばかりのチョビと初めて対面した日。

チョビは9月10日に拾われ、翌日、Sさんが預かった。

Sさんと同じの社宅の人が、ご自身は猫アレルギーにも関わらず、保護してくれたそうだ。猫用ミルクをスプーンでやっても自力でなめることもできず、ぐったりして、眠ってばかりいたらしい。

後のことを考えずに、とにかく拾ってくれたかたに感謝です。すぐに拾われなければ死んでいただろうから。本当にチョビは頼りなくて、よたよたしていて、死にそうな赤ちゃんだった。

9月11日にSさんから電話を受けた時、私は飛び上がるほど驚いた。6月にちゅびが落ちていたのとまったく同じ場所に、またも生後10日くらいの猫の赤ちゃんがひとりぼっちで落ちているなんて、そうあることではないから。

拾われたばかり(2018年9月10日)のチョビ。

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そしてさらに9月30日、台風直前の雨の中で、プフがSさんに拾われた。

ほんの少しのタイミングがずれて、優しい人に拾ってもらえなければ、ちゅびも、チョビも、プフも、今頃生きてはいなかった。

その後、Sさんの住む社宅の裏に、避妊されていない野良猫の群れが住む場所が発見された。Sさんや保護団体の人たちによって、たくさんの野良猫たちが保護やTNRをされた。

最近のチョビ(鉛筆スケッチ、デッサン)。

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最近のチョビとプフ(鉛筆スケッチ、デッサン)

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近所のなぎ倒されていたオシロイバナ(白粉花)は全部引き抜かれて無くなっていた。枯れて花が緑色に変わっていたアジサイ(紫陽花)も、なにも残されていなかった。

9月10日(火)

結膜下出血していた右目の血はほとんど吸収された。

国産の鷹の爪や有機野菜を買いに阿佐ヶ谷まで自転車を走らせる。唐辛子は収穫されたてで、乾燥していないものしかなかった。

駅近くの、小さくて素敵な庭(かつてこの庭には「ご自由にお入りください」という札がかかっていて、私は喜んで入らせていただいた)。その古いお家の、私が好きだった胡桃の木が、台風で根から倒れてしまっていた。大きな葉の優しい樹だったのにショック。首都圏を直撃したのは観測史上最大の台風だったらしい。

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欅屋敷の敷地内に重機が入っていた。小学校側にあった3軒の素敵な建物、おしゃれな帽子屋さんと飲み屋さんの跡はもう駐車場になっていた。なんとも淋しい。

この貴重な生態系をも守っている屋敷林を、一部の人の金儲けのために潰すとしたら最悪の愚行だ。

https://waku2.hatenablog.jp/entry/20180623/p1

9月9日(月)

台風が去り、気温36℃。東京は9月としては27年ぶりの暑さだとか。

「血だまり」だった右目がやっと「酷く充血」の程度まで回復。2週間ぶりにクリニックに星状神経ブロック注射に行く。

カーテン越しに看護師さんとほかの患者さんの「きのうは怖かったですよねえ。3時頃から眠れずにずっとテレビを見てました。」という会話が聞こえた。朝、業務スーパーの大きな看板の半分が落ちていたと。

街路は踏みしだかれてチリチリになった青いイチョウの葉の芳しい匂い。まだつるつるした黄色いサクランボのような銀杏が落ちていて、見上げると枝には実がひとつも無かった。

毎年、咲き始めの頃から気にして見ている近所のオシロイバナは、そうとうへし折られ、なぎ倒されていた。

9月8日(日)

夜中から最大規模の台風が関東を直撃するという。空気がむんむんしている。昼に一度ざあっと雨が来て、すぐに地面が乾いた。

夕方5時、嵐の前にことさら高揚するように、近くを通る馬橋神社の山車のお囃子が大きく響いた。3匹の猫たちは一瞬びっくりしていた。

夜11時頃、大雨。まだ風は無く、垂直に打ちつけていた。

未明、3時過ぎに、風のうなり声が凄すぎて眼が覚めた。それから3時間くらい眠れなかった。

ちゅびは、私の右側に、プフは左側にべったりくっついて寝ていた。

チョビはゴロゴロ言いながら私の胸に乗っかってきてすりすり甘え、足元のほうに降りて行くのをくり返した。

5時前、アンティークの木製踏み台の上にちゅびが上り、外を見ていた。プフも続いて上り、狭い足場で押し合いながら目を丸くしていた。

私も一緒に、雨が打ちつける窓ガラスの向こうを見ると、吹き荒れる雨風に、街路の決して細くもしなやかでもない公孫樹が、激しく揺すぶられて狂った鞭のようにぶんぶんうなっていた。

植物たちは逃げることもできず、ただ晒されているしかできない恐ろしい光景。

プフがちゅびの背にまたがろうとして、踏み台のてっぺんから落ち、代わりにチョビが上って外を見ていた。

こんな日、外にいる猫たちはどこに隠れているのだろう。

台風や猛暑や雪の日があるたびに、今、どれだけの野良猫たちが死んでしまうのだろうか、と想像して、胃のあたりがぎゅっと痛くなる。

9月7日(土)

友人と出かける。まだ右目の血の色が異様なのでサングラスを使用。

9月3日(火)

朝、起きたら、右目が結膜下出血を起こしており、白目の半分以上が真っ赤。ホラー映画のよう。

以前に一度経験があり、眼科に行ったが検査だけで治療はなかった。視界は変化なく、痛くもないので眼科に行かずに様子を見ることにする。

温めたほうが速く吸収されるそうなので、お湯を入れたカフェオレボールを一日に何度も眼の上に当てていた。

 

 

 

 

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2019年8月23日 (金)

猫たちのこと

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8月23日(金)

夕方6時から、阿波踊りの前夜祭のお囃子が大きく響いた。うちの3匹はこのお囃子を聴くのが初めてだから、最初は少しびっくししていたようだ。

〇ちゅび、1歳と2.5ヶ月。6.2kg。キジ白。

一歳になった頃、はしばみ(薄茶)色で藍色の虹彩の周りだけが緑色に滲んでいた目が、緑色に変わった。

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おなかがすいた時にうるさく鳴くので困っている。朝6時に食事をあげた後も9時過ぎまで大声で鳴く。その後、私が眠ってしまうと、横に来てどかっと私の上に半身をのせるようにくっついて眠る。

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固い短毛。筋肉質。野性的。イエネコの原種であるリビアヤマネコの遺伝子構造に近い?甘えんぼうだが噛み癖が抜けない。

しばらく外にあずけられていて帰ってきた時、私やチョビ、プフにシャーシャーと怒った。臆病でわがまま。

 

〇チョビ、11.5  ヶ月。5kg。

赤ちゃんの頃は真菌でからだ中剥げていて、短毛かと思っていたが、プフよりさらに長毛。

雑種だが、「ターキッシュバン」というトルコの珍しい種類の猫にそっくりなことが最近判明。

(この下の画像はチョビではなく、ターッキッシュバンのWikipediaからお借りしたものだが、チョビによく似ている。)

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うちのチョビ。↓ 頭の耳のついている部分としっぽが茶トラ。毛が長くて信じられないほど柔らかいのもターキッシュバンの特徴と一致。

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6月の初めに眼瞼内転の手術をしてから眼の炎症はなくなった。

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真菌で身体中の皮膚がボロボロになっても、身体を洗って乾かすドライヤーにも、掃除機の爆音にも恐怖せず、おなかがすいても大声を出すこともなく、私のところに走って来てゴロゴロすりすりするだけ。とても賢く、我慢強く、素直で育てやすい子。

 

〇プフ、同じく11.5ヶ月。3.5kg。

赤ちゃんの時、青(右)と灰色(左)のオッドアイだったが、左目がトパアズ色に変わった。

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雑種だが、ペルシャ ターキッシュアンゴラの白にそっくり。

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チョビと同じ環境で同じ親のもとに生まれたので、真菌におかされていたが、チョビほど弱い個体でなく、抗生物質を飲ませる必要なく、しっぽが少し剥げていただけですぐに回復。

早熟で発育が良く、生後早い時期からでミルクを飲まずにカリカリを食べていた(赤ちゃんなのにすごいと言われた)。

初めてうちに来た時は、先輩猫2匹を押しのけてカリカリをガツガツ食べていたのは、サバイバルのために必死だったのか、最近はすっかりのんびりおっとりしてしまって、ひとりだけ食事の時間に食べないで寝ている。ほかの2匹からずっと遅れて、私にニャアニャア催促。

ちゅーるをのせないとカリカリを食べない。

現在は逆にチョビよりずっと小さくて、赤ちゃんぽい。

今になって充たされていなかった甘えの欲求が出ているのか、しょっちゅう私の膝に乗ってくる。ゴロゴロしならよく私のからだで足踏み。お母さんのおっぱいが恋しいみたい。

部屋の隅におしっこしていたことが発覚。床を掻きだしたらすぐに抱き上げて急いでトイレの砂の上にのせれば、そこでおしっこ(これではトイレの躾前の赤ちゃんと同じ)。

去年の12月2日のちゅびとプフ。ちゅびの眼の色はハシバミ色、プフの黄色い左眼はグレー だった。

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・・・

昨日、ツイッターで野良猫の話題に明るく応えることができなかった。それからずっと心がざわざわしっぱなし。

暑い夏ならノミによる貧血やパルボ、寒い冬なら風邪などで、外にいる赤ちゃん猫はあっけなく死んでしまう。

イタリアのアミアタ山の頂上で出逢ってしまった、亡きちゃびの面影の、茶白のちっちゃな女の子の姿が脳裏をぐるぐる巡って、たまらなく苦しい。

山の斜面の写真を撮ろうと、よじ登った巨岩の陰に、奇跡のようなあの子を見つけた時、心臓が止まるかと思った。

(茶白のメスは非常に少ない。そしてその子は本当にちゃびに似ていた。)

イタリアで、旅行の途中だっかたら、どうしようもできなかったのだけれど、本当にどうしようもできなかったのか、何かできることがあったのではないか、なんとも言い難い悔恨と自責の念で居ても立ってもいられないような気持ちになる。

 

 

 

 

 

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2019年7月26日 (金)

神代植物公園 日本固有のユリ

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/7-other-flowers-plants/

7月23日(火)

再び神代植物公園へ。午後からところどころ強い雨になるという予報だったので10時半くらいに到着。予報ははずれ、またも蒸し暑い日となった。

山野草園では先日よりも百合が開花していた。

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細長い林の中、点々と数十本のヤマユリ。まだ蕾もあるので、あと一週間は見頃。深大寺門近くの林の中にも数本咲いていた。

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一面緑の夏草の中に、うつむいた大きな白い花が見えるのがたまらない。

ユリの花を描いた絵で、私が子供の頃に最初に心惹かれたのは酒井抱一の「夏秋草図屏風」(風神雷神図の裏に描かれた絵)だった。その理由はススキの緑の葉の隙間から実に微妙な分量の白が見えていて、しかもうつむいているからだ。

子供の頃、山で、実際に何度かその状態のヤマユリを見て感動したことがあるので、抱一の描いたのはヤマユリだと思い込んでいたが、今見ると「夏秋草図屏風」のユリはテッポウユリだ。

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日本に自生するユリは15種で、そのうち日本固有種はヤマユリ、ササユリ、オトメユリ、サクユリ、カノコユリ、テッポウユリ、タモトユリ、ウケユリの8種。

・・・

最近、大好きなヤマユリとカノコユリについて調べていたら、ちょうど植物会館で、今日から「世界のなかで日本の植物が果たした役割と影響」という特別企画展をやっていた。

メモ。

17世紀に西欧諸国による貿易航路が整うと、まずイギリスからプラントハンターが各大陸へとやって来た。

トラデスカント親子(1570-1638と1608-1662)はプラントハンターのパイオニア。

フランシス・マッソン(1741-1805)はキューガーデンから最初に派遣されたプラントハンターで南アフリカからイギリスへ植物を送った。

日本は北半球の温帯地域の中でも植物の多様性がもっとも高い地域と言われる。

日本と北アメリカ東部はよく似た植物が多くみられる。これは「第三紀周極要素(第三紀周北極植物相)」と呼ばれ、6500万年~200万年前に広く北半球に分布していた植物が南下し、各大陸の中緯度地域に残存することになったもの。ヨーロッパではその多くが(寒冷化に伴う南下が阻まれたために)すでに絶滅。

長崎の出島にケンペル、トゥンベリィ(ツンベルク)、シーボルトの三学者に先立って日本の植物を研究していたクライエル(1634-1698)がいた。

クライエルは1682~83年、1685~86年の2回、来日。日本の画家に描かせた植物画1360枚をドイツ・ブランデンブルクに住むメンツェル(1622-1701)に送った。

当時のドイツの学術雑誌にクライエルが送った植物画をもとにしたメンツェルが執筆した日本植物レポートが掲載されている。そこにはヤマユリとカノコユリの図(「ヤマユリ」と「カノコユリ」とカタカナが添えられている)がある。

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三学者の一人、ケンペル(1651-1716)は自ら描いた植物画(日本語による植物名が添えられている)とともに1695年にヨーロッパへ帰還。『廻国奇観』を1712年に出版。これはカール・フォン・リンネ(1707-1778)が1753年に『植物の種』を出版するより40年余り前。

イギリスの医師ハンス・スローンがケンペルの遺品・遺稿を買い取り、『日本誌』を1727年に出版。

トゥンベリィ(1743-1828)はリンネの愛弟子で、出島に滞在後1784年に『日本植物誌』を完成。

シーボルト(1796-1866)は1823年に来日。1830年7月に現ベルギーのアントワープに到着した時、積載した485種の植物のうち約260種が生き残っていた。それらをヘントの植物園に運び、2ヶ月滞在。

ベルギー独立戦争のさなか、ヘントのカノコユリは1832年に開花し、現地の人々はその美しさに驚嘆したという。

その後ベルギー独立戦争の余波を受けてシーボルトはオランダのライデンへ避難。戦争中、ヘントの植物園に残された日本の植物は、現地の園芸商に持ち出されて増殖・販売され、大部分が散逸してしまっていた。シーボルトは1839年の戦争終了後に返還を求め、80種を取り戻した。

シーボルトはドイツの植物学者ゲアハルト・ツッカリーニ(1797-1848)の協力を得、『日本植物誌』(二人の共著)の刊行は1835年にはじまった。(この中に素晴らしいカノコユリの図版がある。

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しかし刊行は1844年に中断。シーボルトとツッカリーニの死後、オランダの植物学者ミクェルによって第2巻の後半が刊行された。

ヤマユリ(Lilium auratum)が1862年にイギリスにもたらされると「驚嘆すべき美しさ」と大評判になった。auratumは「金色の」の意味。

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シーボルトらによる日本の植物の普及活動が欧米ではじまると、まずユリの評判が高まり、その需要に応えるため、1867年ごろには横浜を拠点としてユリ根の貿易を行う在留外国人があらわれた。

ボーマー(1843-1896)は北海道開拓使として来日したが横浜に転居し、ユリ根などを扱う貿易商を始めた。

鈴木卯兵衛(1839-1910)は横浜植木商会を設立。ユリ根の輸出を始め、1893年に園芸植物全般を扱う株式会社に発展。横浜植木商会の『LILLIES OF JAPAN』(1899年)の図版は素晴らしく魅力的。(左:表紙、中:サクユリ、右:丸葉カノコユリ。)

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ジョン・シンガー・サージェント(1856-1925)のぼうっと光り輝くヤマユリと提灯のを見た時、衝撃を受けたが、この絵が描かれたのは1886年。日本から入って来たばかりの金の帯と赤い斑のあるヤマユリは、さぞかし輝いて見えたことだろう。

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(この企画展では、ほかにも世界に渡った日本のサクラ、アジサイ、バラ、キク、ハナショウブについての展示があった。)

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私の一番好きなユリの絵といえば、やはり1900年頃に描かれたモンドリアンのヤマユリとカノコユリの水彩だ。たっぷりと涙を湛えたようなカノコユリの絵はすごいと思う。

モンドリアンはオランダで20代の頃に、日本から来たヤマユリやカノコユリを生まれて初めて見て、とても神秘的な美しさを感じたのかもしれないと思うと、感無量だ。

形骸的ではなく、張りつめたようでいてとても傷つきやすい百合の美しさを描くことができたら、と思う。百合を描くのはとても難しい。

植物センター内に貼ってあったサクユリの場所を職員さんに尋ね、植物多様性センターへ。サクユリは伊豆諸島に自生する伊豆諸島固有のユリで、世界最大のユリ。絶滅危惧種。

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植物多様性センターの中にもヤマユリが何本か生えていた。芝生の近くにとても背の高いヤマユリが。

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植物公園に戻り、再び職員さんにカノコユリはないか尋ねたら、なんと山野草園の入り口付近に、ほんとうに小さなつぼみがついたのが一本。カノコユリも絶滅危惧種。どうか無事に咲いて、増えてくださいますよう。

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このあと花蓮園できょう咲いている蓮の花を撮影、その後、野生種とオールドローズ園の薔薇をひとつひとつ丁寧に見て歩き、たまだ開花しないショクダイオオコンニャク(燭台大蒟蒻)を見に温室を訪ね、さらに薔薇園を歩き回ったのでクタクタ。

深大寺通りで9割蕎麦を食べた。3時頃から盆踊りの曲(三波春夫の「大東京音頭」)が流れ、太鼓の音が鳴り響いてきた。蕎麦屋に貼ってあるポスターには6時からと書いてあるが、太鼓の練習なのだろうか?

 

 

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2019年7月10日 (水)

G先生からお返事 / 自己中心的な人/ 白州から贈り物

7月5日(金)

夜10時過ぎ、G先生から待ちに待ったメールを受信してほっとする。今日、私のエアメイルが届いたのだろう。

嬉しいというより緊張で身が引き締まり、胸がどきどき(後悔しないような本づくりができるのか、いろいろ考えすぎて)したが、親友ふたりがとても喜んでくれたので、嬉しかった。

これで一つ滞りがなくなり、本づくりの仕事が進めやすくなる。

7月6日(土)

つい最近、私に多大なストレスを与えた男性(画家としての私に長年「憧れていた」という)に対して、彼の私への不可解な言動について、親友がメールでその意図を質してくれた。

あまりに自己中心的に歪んだ返答が戻ってきたため、親友は驚き呆れ、ふたたび私に代わって彼にメールしてくれた。

その男性とは6月末に一度だけ会食した。会わなければよかったと思う。会った時とそのあとの彼の言動に、私はひどく疲弊した。

「なにか失礼があったら言ってください」と言われたので、私がずっと我慢していたことをメールに正直に書いたら、いきなり会話を遮断された。

そして(私からフォローされてすごく嬉しかった、と彼が言っていたことを自ら全否定するように)、ツイッターでブロックされた。

私はここまで過剰反応されるとは思わなかった。彼は私よりはるかに年下だし、「失礼しました」で終わると思っていた。

が、彼は、正直に言ってしまった私を恨んでいるようだ。

彼に「あなたの態度は、傍から見ても明らかに配慮がなく、相手を軽んじている。自己認識がおかしい。」と私に代わって言ってくれた親友に、ただ感謝。

もうひとりの親友からは「自己中心的な妄想でいい気になってる相手に、まともに話したらダメ。危険すぎる。」と怒られた。

7月7日(土)

七夕。肌寒い雨。陽射しの少ない日は好きなので、高円寺を南から北の端まで散歩。

小さな野原でヨウシュヤマゴボウやヒオウギやハルノノゲシに光る雫をいっぱい見たあと、民家の軒下のヤマユリを見る。

大好きな花なので夢中で撮影していたら、通りすがりの老婦人に声をかけられた。「あら、これ、ヤマユリよねえ。うちも今年はこんなに大きなカサブランカが6つも咲いたのよ。やっぱり、好きな人がいるのねえ。」と。

私はよく夢中で花の写真を撮っている時に声をかけられる。たいていは私より年上のかたに「熱心ですね!」「花、好き?」と。

気象庁住宅の廃屋の近くには、棘が恐ろしい大きなアザミがいっぱいはえていた。

歩きすぎて、全身ずぶ濡れになり、身体が冷えてしまった。

7月8日(日)

陽に色褪せたアジサイ(紫陽花)。最近は雨の中でみずみずしく色づく紫陽花よりも、乾いて微妙な色になった紫陽花に情趣を感じる。

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きのう見たヤマユリ。

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7月9日(月)

白州の友人Sから贈り物が届いた。

興味しんしんのチョビとプフ。

桃、杏、ブルーベリー、アスパラ、カリフローレ(カリフラワーと違うらしい)、丸いズッキーニ・・・珍しい野菜がいっぱい。

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太くて柔らかいアスパラにも感激。

(昨年、北海道の花輪和一さんのところに遊びに行った時、スーパーで売っているアスパラが佐賀県産のだったのでびっくりした。北海道産の太いアスパラは高級みやげものとしてしか売られていなかった。)

 

Sさんが自宅の横に植えているブルーベリーの実がこんなにたくさん!

庭で育てているカモミールと姫薄荷も。とてもいい匂い(猫には薄荷は毒なので注意)。

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ちゅびも興味しんしんでソワソワくんくん。

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この野菜たちを、イタリアのチナミさんが送ってくださったウンブリアのオリーブオイルでいただけるなんて、最高に幸せ。

心優しい友人たちに心より感謝。

 

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2019年6月26日 (水)

チョビ抜糸、『ニンファ その他のイメージ論』ジョルジョ・アガンベン

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6月14日(金)

チョビの目薬(クロラムフェニコール)を使い切る。病院に電話すると、まだ続けて使ったほうがいいとのことでもらいに行く。

6月17日(月)

午後6時過ぎ、チョビ、(左目の眼瞼内反の手術の)抜糸。

まだ目のふちが赤く、目やにはほとんどないが、目薬のせいか、分泌物で左眼の周りがよごれている。

手術はうまくいっているとのこと。

場合によってはまだドキシサイクリン(抗生物質、チョビは副作用の下痢がひどい)を飲ませると言われていたので心配だったが、もう飲ませなくていいことになり、ほっとする。

なにかあったら連れて来てとのこと。

エリザベスカラーを病院に返し、やっと首が自由に。

帰宅したらすぐに、鎖骨あたりをいっしょうけんめい舐めていた。よしよし、ストレスだったね、と顎の下や耳、頬の周辺をかいてあげるとゴロゴロ爆裂。

そのあと放心したように私の布団で眠る。

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6月20日(木)

チョビとプフ、舐め合い、じゃれ合いの追いかけっこ、大運動会復活。チョビがエリザベスカラーをしていた2週間は、プフは神妙な距離感を保っていて、怖がったりもしないがじゃれたり噛んだりもしなかった。ほんとうにいい子。

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しおれた薔薇レイニーブルーを描く。

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6月21日(金)

がんの定期検診。

病院への往路2時間の電車と、会計の待ち時間で『ニンファ その他のイメージ論』(ジョルジョ・アガンベン 高桑和巳訳)をひととおり読み終える。

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「イメージはどのようにして時間という負荷を帯びることができるのか?
(・・・)
アリストテレスは時間、記憶、想像力を緊密に一つに結びつけ、「時間を知覚する存在だけが、時間を知覚するのと同じところを用いて記憶する」と断言していた。つまり、想像力を用いて、ということである。じつのところ、記憶は「イメージ」がなければ不可能である。「イメージ」とは、感覚や思考の「触発」である。この意味で、記憶は何か身体的なものであり、想起はイメージを身体的なところにおいて探求することである。」

「イメージの問題についてのあらゆる探究は何よりもまず、この用語が私たちの文化においてはある不可能なものを表すものであるということを認めるところから始まるのでなければならない。じつのところイメージとは、西洋形而上学がそのまさに中心的な謎の解決を探し求めてきた当の場である。」

「(プラトンがイデアについて言っていることを、私たちは芸術の完了に関する教説として読むのでなければならない――哲学は最高のムーサの術であるとプラトンが言っているのはそのためである。フリードリッヒ・ニーチェと同じように、プラトンも芸術の思想家である。もしかすると真正な哲学はすべて、芸術の完了――芸術の終わり――の思考であるのかもしれない。)

「イデア(idea)という単語は、動詞の語源「id」から直接形成されている――のであって、名刺の語源「eid」から形成されているのではない。この単語は、見るという意味を最大限に表現している。だがイデアは、あらゆるイメージを超えたところにあるまた別のイメージではない。イデアとは言葉を見るということ、それぞれのイメージをイメージとして構成する当のものを見るということである。

それが私たちに見える点において、言葉は沈黙する。ここにおいてついに私たちに言語活動の沈黙が、言語活動の顔が見える。それは事物の顔と一致する。じつのところ、私たちに言語活動が見えるのはただ、私たちが言語活動から暇を取る点においてである。(・・・)」」

・・・

線路際の夏草が私の背よりも高く茂っていた。ススキとヒメムカシヨモギが大きい。ヤブカラシの砂糖菓子のような花。

帰りの電車ではどうしても疲れて眠ってしまう。

6月22日(土)

手紙になにか絵を添えたいと思い、雑草を耳鼻科医院後の原っぱから摘んでくる。ハルノノゲシ(春の野芥子)、イヌビエ(犬稗)、スズメノチャヒキ(雀の茶引き)、ヒメジョオン(姫女苑)、ヒルガオ(昼顔)。

草を見て一番狂喜乱舞するのはプフ。夢中で机に乗ってきて齧ろうとする。

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越前和紙鳥の子の便箋3枚(かまくら社頭or香紙堂or鳩居堂)。

6月23日(日)

いい感じに雲っていたので阿佐ヶ谷近辺まで自転車で散歩。遊歩道で拾った杏。直径6cm。

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「赤いトマト」が閉店していた。すごくショック。レトロで大好きなお店だった(35年間営業)。初めて来た時、大昔のゲームつきのテーブルや、星占いの紙が出てくる赤銅色のおもちゃが置いてあったのを覚えている。

姫女苑でいっぱいだった野原も駐車場に変わっていた。

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都会では「原っぱ」というものが残ることはない。ビルが潰されたあとの、新しくビルが建てられるまでのほんの短い間に、どこからか運ばれて来たのか、あるいは土の中に潜在していたのか、種たちが一斉にふき出すのを私は見逃さないように追っている。田舎の広々した土地で見る植物以上に、そこに美しさを感じる。

6月24日(月)

ようやっと手紙を投函。エアメイルで110円。

チョビの左眼のまわり、だいぶきれいになってきた。しかし彫りが深すぎる。ホワイトライオンのような風情。

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カメラの紐を噛むチョビ。

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しっぽのふかふかの柔らかさは天下一品(しっぽの毛がほかの部分と違い、繊細なワッフルパーマのような状態になって空気を含んでいる)。

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同時に同じお母さんから生まれた妹なのに、まん丸目で鼻も短くまったく顔が違うプフ。

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6月25日(火)

神奈川近代美術館葉山館長の水沢勉先生よりお返事をいただく。

本づくりについてのスケジュールをOKしてくださった。

たいへんありがたく、ほっとした。

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2019年6月12日 (水)

 「毛利武彦詩画集『冬の旅』出版記念展、阿部弘一先生朗読会

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6月10日(月)大雨

チョビのことが心配だったが、病院に預けるのが(チョビが恐怖でおかしくなりそうなので)かわいそうで、結局、家にプフと2匹で置いたまま、銀座うしお画廊へ。

地下鉄の駅を出てから横殴りの強い雨で服も靴もびしょ濡れ。こんな天候の日に、無事来られるのだろうか、と阿部弘一先生のことがすごく心配になる。

画廊の入り口前で毛利先生の奥様のやすみさんとお嬢様とお会いする。奥様の体調も心配だったが、とてもお元気そうでよかった。

会場は多くの人で賑わっていた。

阿部弘一先生は雪のように頭が白くなってらしたが、背筋もすらっと伸びてお元気そう。笑顔が見られて感激。ご子息にご紹介くださった。

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毛利先生のスケッチ。銅版画のように黒くて端的な線と、その分量。本画を想定して思索的に描かれていることに注意して見ていた。

森久仁子さん(春日井建さんの妹で毛利先生の従妹さん)にも、久しぶりにお目にかかることができてありがたかった。陶芸をやっている息子さんと一緒だった。

16時から朗読会が始まる前、阿部先生と、毛利先生の奥様と、朗読する藤代三千代さんのほかは、ほとんど全員が床に座った。その時、「毛利先生の画集だから。」とおっしゃられて、自分も(ステージ用の椅子ではなく)床に座ろうとする阿部先生。

まず最初に阿部弘一先生から、毛利先生と初めて会った時のお話。戦争が終わってから、慶応高校が日吉にできて、そこで出逢ったそうだ。

毛利先生は生前、慶應高校に勤めて何よりも良かったことは阿部先生と出会えたこと、とよく言ってらした、と奥様から伺っている。

藤代三千代さんが何篇か朗読された後に、阿部弘一先生自らが朗読されるのを生でお聴きする、という素晴らしく貴重な経験をさせていただいた。

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肉声で阿部弘一先生の詩を聴くという初めての体験は、言葉が絵と音として強く胸に響いて来、予想を超えた新鮮な衝撃だった。

阿部先生の詩をもっとたくさんの人に知ってほしいと心から思った。

阿部弘一先生が、ご子息に私を紹介してくださるときに、『反絵』の本にふれて、私のことを「厳しい文章を書く人」と言ってくださったことが信じられないほどありがたかった。

「最近は本屋に行って詩の棚を見ても辛くなりますね。」と嘆いていらした。

「ポンジュって知ってる?僕の友人が訳してるんだけど。」と毛利先生がご自宅の本棚から一冊の詩の本を見せてくださったのは、私が大学を出て少しした頃。

父の借金に苦しめられていて、世の中のすべてが暗く厚い不透明な壁に閉ざされて息ひとつするのもひどく圧迫されて苦しく、ただひとつの光に必死にすがるように、敬愛する恩師の家を訪ねた日のことだ。

それから阿部先生の現代詩人賞授賞式に誘ってくださった時のことも素晴らしい想い出(そこでは息も止まりそうな大野一雄先生の舞踏(その出現)があった)。ずっと私は夢中で阿部先生の著書を読み、私の絵を見ていただいてきた。

私にとって阿部弘一先生は、毛利先生と同じく、昔からずっと畏れを感じる存在、とても緊張する相手で、気安く話ができるかたではない。

阿部先生のような方と出会えたことが信じがたい僥倖だ。

「次の本はもうすぐ出ますか?」と覚えていてくださることもすごいことだ。

阿部先生のご子息は水産関係の研究をしてらっしゃるそうで、私のことを「そうか!この人は一切肉食べないんだよ。だから魚のほうの研究はいいんだ!」と、先生が笑って言われたこと、「植物の名前を本当によく知ってるんだ。今度、庭の樹を見に来てもらわなきゃ。」と言ってくださったことも嬉しかった。

「草や樹がどんどん増えてなんだかわからなくなってる。誰かさんがどっかからとってきて植えるから。」とご子息も笑っていらした。

阿部先生は、前々から、大きくて重たい椿図鑑をくださるとおっしゃっている。とりあえず阿部先生のご自宅のお庭の、68種類もある椿の名札をつけるのに、その図鑑を見ながらやる必要がある。

毛利先生のお嬢様に、原やすお(昔のまんが家で、毛利先生の奥様のお父様)の大ファンだった話をしたら、とても驚いて喜んでくださった。

毛利先生の奥様のご実家に原やすおさんのたくさんの本や切り抜が保存してあって、お嬢様がもらうつもりでいたのに、亡くなった時に全部処分されていてショックを受けたそうだ。

上野にある国立国会図書館国際子ども図書館で、いくつかの作品を見ることができるとのこと。

阿部先生の新刊、詩集『葡萄樹の方法』を出された七月堂の知念さんともお話しできた。

http://www.shichigatsudo.co.jp/info.php?category=publication&id=budoujyunohouhou

記念撮影。阿部先生と毛利やすみさん。

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阿部弘一先生の向かって左にはべっているのが私。

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慶應高校の毛利先生の教え子のかたが持って来てくださったらしい当時の写真。

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1964年夏の毛利武彦先生。

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1962年、裏磐梯の毛利武彦先生。

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当時の阿部弘一先生。

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皆様お元気で、お目にかかれて本当に幸せでした。

 

 

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2019年5月27日 (月)

ワイエス展 Andrew Wyeth / モロー展 Gustave Moreau

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/japanese-style-paintings-1-膠絵/

5月16日

PCが修理から戻って来た(早い)。今回はスイッチボードを交換したそうだ。

1度めの修理は液晶画面。2度めはメインボード。3度めはスイッチボード。ほとんど全部交換されている。

・・・

午後から「アンドリュー・ワイエス展」(四谷3丁目の愛住館)へ。

私が展覧会を見に行くことは、もうほとんどないが、オルソン・ハウス・シリーズのデッサン(スケッチ)、習作を見るため。

私がワイエスを最初に好きになったのは中学生の時。見学に行った小さな美術研究所の階段の壁に貼ってあったポスター。いきなり強烈に痺れさせられた枯草の絵がワイエスだった。

枯れた植物を描きたい、と激しく思った。

今思えば、単なる枯草ではなく、あるなまめかしい数本の枯れた草が描かれていることに感応したのだろう。

日常の片隅にあって、誰にも見つめられることのない、異様で、静謐で、儚い、不思議な、捉えがたいもの。

そういうなにかをかいてみたい、と私も思った。

前回、ワイエスを見たのは1995年の東急文化村。そうとう大規模な展覧会だった。

その時の図録の高橋秀治「ワイエス――その内なる世界」のなかに、ワイエスの「正直私は自分を抽象画家だと思っているのです」という印象的な言葉がある。「別の核がある――明らかに抽象的な、気持ちの高まりという核。」

また高橋秀治が1993年11月にチャッズ・フォードを訪問した際に、ワイエス自身から、彼が評価しているのはマーク・ロスコである、と聞いた、という記述がとても興味深い。

そしてさらに、1945年の父親の不慮の死から、「悲哀の仕事」、「喪の仕事」がワイエスの大きな「核」を成していたとする。

「さらされた場所」(1965年 テンペラ)について、ワイエスは、「このもろく、からからに乾燥した骨のような家が、この世から消えていくのもそう遠いことではないと感じていた。私はこの世のはかなさというものに人一倍敏感である。すべては移り変わる。決して立ち止まりはしない。父の死が私にそう教えてくれたのである。」と述べている。

今回の展示にあった「納屋のツバメ」(「さらされた場所」の習作)のほうが、私にははるかに本画よりもいいと感じられた。

ツバメも、数本の草も、本画よりもずっとなまめかしく束の間の生を震えていて、白く光る木の壁の眩しさが哀しい。

私は「悲哀の仕事」、「喪の仕事」しか絵に求めていないのだと思う。

つねにすでに失われている儚い生命と交わす、ある幅をもった一瞬。

世の中に溢れるうるさくてはしゃいだアートが眼に入ってくると、そうした大切な時間が、そのなかにある追悼の静けさをふくめてまるごと蹂躙され収奪されるようなストレスを感じる。

会場の隅で上映されている映像で、ワイエスの生涯と、丸山芸術の森の須崎勝茂代表がワイエスのこれらの習作を買い入れた経緯などを見ることができた。

それによると、欧米では習作、スケッチ(デッサン)の価値はすごく低いそうだ。

私は現代美術として、習作、スケッチ(デッサン)と本画を分けることはするべきでないと思っている。

そしてむしろ私がいつも惹かれてしまうのは、スケッチ(デッサン)、習作そのもののほうだ。

5月23日

「ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち」(パナソニック汐留美術館)へ。

爛熟したもの、暗い中で煌めく謎や、強烈さ、重さと、繊細さの共存を見たかった。

私がパリのモロー美術館に行ったのはもう20年以上も前。癌の手術をして、少し回復してきた頃だ。

回転式に収蔵されている夥しい素描や水彩、その密度に激しく感動して興奮した思い出がある。

モローが住んでいた家の暗く妖しい雰囲気と、部屋にびっしり詰め込まれている、到底自分の身体で受け止めきれるはずもない巨大な重量の絵を一気に見ている奇妙な眩暈があり、何とも言えない強烈な美術館だった。(その強烈さは、邸内にしつらえられた階段の螺旋形をメタファーとしていた。)

今回の「刺青のサロメ」のエジプト、インド、そのほかの装飾からの文様の習作が面白かった。中にバッタがいた。

この絵は、あとから描き加えられた白と黒の細い線が、下の暗い色の輪郭とずれて宙に浮いているのがすごく斬新だ。すべてが亡霊のように輪郭をブレさせて見せる。残酷さ、重苦しさと同時に浮遊する感覚。

「一角獣」は、絶賛されたとおり、きらきらと透ける繊細な絵の具の使い方がすごかった。一角獣の無垢な愛らしさのせいなのだろうか、この絵には人を慰める力がある。

この絵はクリュニー中世美術館の「一角獣を連れた貴婦人」に影響を受けているそうだが、私が去年見て来た大好きな絵、ヴェローナのサンタナスタシア教会のピサネロの「聖ゲオルギウスと王女」の王女の服装とも関係があるらしい。

今回の展示は描きかけのままの油彩がけっこうあった。が、それは途中なのであって、端的にとらえるためにほかの部分は描かれていないスケッチ(デッサン)とは違う。途中であっても繊細で生き生きした幻想が動き出しているものと、そうでないものの差がけっこうあった。

モローの水彩をもっと見たかった。

 

 

 

 

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2019年5月12日 (日)

自転車またまた盗難 / 味戸ケイコさん個展 / チョビ病院/ PCまた修理

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/2-tulip/

 

4月15日(月)

高円寺に越してきた頃、私が愛していたクリがいた古い平屋の林檎の花が満開。

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あの頃、高円寺にたくさんいた野良猫たちのことを想うと胸が痛くなる。あの頃は快作先生もおらず、野良猫を見てもどうたすけたらいいのかわからず、かわいそうなことが多かった。

昨年から今年、この周りの私の大好きだった場所たち、有機的に植物と絡み合っていた家や魅力的な細道や庭がどんどん壊された。

この蔦に覆われた古くて小さな木の家だけは残っている。

4月16日(火)

19時、高円寺駅前に、あの杉田水脈衆議院議員が(杉並区議選挙、松浦威明の応援に)来た。

予想通り、杉田議員に抗議する人たちが集まり「帰れ!帰れ!」の大合唱。

「三島由紀夫は同性愛を認めていたぞ!」(威明の威の字は三島由紀夫が命名)、「思想の問題じゃないんだよ!差別の問題なんだ!」といった怒号も飛んでいた。

しまいには松浦威明が「高円寺の皆様、本当に申し訳なく思っています。杉田水脈さんをよんだこと、後悔しております。」と謝罪。

奥さんも泣いて謝っていたが、それも滑稽だ。母親の松浦芳子と杉田水脈本人は平然としているのに。

4月20日(土)

梅護寺数珠掛桜の花の盛りがどんなものなのか興味があったので新宿御苑へ。

その前に新宿4丁目ビジネス旅館街へ行ってみた。もとは旭町というドヤ街だったらしい。

この中田荘は3階建てなのだろうか。

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おしゃれなAPARTMENT HOTEL SHINJYUKU。

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新宿御苑にて。

これが梅護寺数珠掛桜(バイゴジジュズカケザクラ)。まだ3分の1ほどつぼみだった。が、葉が一緒に出ているので、まるで散りかけの関山のように見える。

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・・・

夕方、買い物に出ようとして自転車置き場に行ったら、自転車が無かった。またまた盗まれた。

20年乗っていた白いミヤタ自転車を盗まれて青緑色の自転車を買い、青緑色の自転車が盗まれて薄黄緑(ワサビ)色の自転車を買い、青緑色の自転車が諦めた頃に戻って来、ワサビ色のほうが乗り慣れてきたところでまたまたワサビ色が盗難。

すぐに近所の交番に届け出る。

交番は留守で、電話で呼び出してもらった。来てくれたおまわりさん(この交番の人ではなく、ほかの地域の担当だそうだ)が要領を得ず、何度も同じことを聞かれ、PCの入力が異常に遅く、ちょっとイライラ。中古の自転車の値段設定などでもめる(自己申告に文句を言うなら決めてくれればいいのに、と思う)。

1時間20分もかかった。

あんまりまどろっこしいので、立ち上がっておまわりさんの入力している画面を見ようとしたら、「あっ、立ち上がらないで!記録を見せたらいけないんで。」と言われる。

自転車の色の説明で「薄い黄緑色」という私の表現に「黄緑はもともと薄いから!」と強く言われて私はついに反発。

「黄緑は鮮やかな色です。私のは灰色と黄緑のちょうど中間!灰色にも見える色なんです!」と大きな声を出したら急におまわりさんの態度が変わり、横柄さが弱まった。

4月22日(月)

スパンアートギャラリ―の味戸ケイコさんの個展へ。

味戸さんの親戚の80歳くらいのH子さんが絵を買われていた。3人で席でおしゃべり。

私は、今、自分の画集をつくるのに苦しんでいることを少し話した。味戸さんは(当然だが)、今まで出版社がすべてやってくれて、画集も数冊出ているので、絵を自分で管理したり、編集したりという経験がない。自分であれこれ苦しみながらつくる、そういうやりかたがまったくわからないと言う。もちろん味戸さんには、自分でギャラリーを捜して売り込んだような経験もない。

H子さんに「画家って好きな絵をかいて売って、自分が死ぬときは一緒に燃やしてくださいって言えば、それで幸せなんじゃないの?」と問われ、返答に困った。

また、「絵描きってみんな、自分のかいてる絵が大好きなんでしょ。」とも言われ、まったく言葉に詰まってしまった。

味戸さんは、「それはそうよね。自分の絵にうっとりする時があるわね。ちょっと違うなって思うのもあるけど、それをいいって言ってくれる人がいるからね。」とH子さんに同意。

確かに自分でいいと思えることしかしていないはずだが、私は自分の絵にほれぼれしたことはない。いつもこれではまだだめだと思う。不全感や焦燥に掻き立てられ、次の絵のことを考える。

さらに味戸さんは、意味不明の嫉妬や嫌がらせをされたり、敵愾心をぶつけられたりした経験もないそうだ。「お客さんはみんないい人ばかり」と言う。そんな幸せな絵描き人生があるのか、と、ちょっとうらやましく思った。

私とはまったく違う絵の人生だ。

4月23日(火)

チョビの左目が、このところ一週間ほどずっと目やにが出続けて治らないので、病院へ連れて行く。

待合室でほかの飼い主さんに「猫ちゃん?見ていいですか?」と声をかけられて、ケージの中を見せたら、「あ~ら、かわいい。ハンサムさんですねえ。」という声が返ってきて、ちょっと意外だった。チョビは猫らしくない妙に長いキツネ顔だ。やせていた若い頃の及川光博に似ていると思う。体操の萱和磨選手にも似ている。

片目だけ引っ掻いたのかと思っていたら、クラミジアと言われてショックを受ける。

他の子たちも当然クラミジア菌を持っている。症状が出た時に抗生物質を飲むしかないと、ドキシサイクリンを出される。

「すごく大きくなった。ふっわふわ!ノルウェイジャンみたい。」と看護師さんに驚かれる。毛で太さ15cmにもふくらんでいる自慢のしっぽを見てもらった。

快作先生も「ホリが深いね。」と。チョビは生後8か月で4.1kg。

「ちゅびのほうは、もっとすごく大きくて6kgあるんですよ。真夜中2時過ぎくらいに、「うにゅるう?」と疑問形でうるさく鳴きだすのですごく困っている」と言ったら、「手術する?」と言われ、「なんの手術?」と尋ねると、なんと、犬や猫の声帯除去手術をする人がいるのだそうだ。

「それか、もといた場所にリリースするか。」と言われて、苦笑。

4月26日(金)

3月15日に修理に出して75000円もとられたPCが、きょうまた、使用中に突然プツッと電源が切れて動かなくなった。

NECに電話して、いろいろやってみたが、だめ。3月のときも特に外傷を加えた覚えはないが、今回はいつも以上に順調に動いてくれていたところに、突然のアクシデント。これで高い修理代を請求されたりしたら、ちょっと耐えられないと思った。が、結論としては、メーカー3年保証がきいて無料とのこと。

しかし、いずれにしても、大切なデータが入っているので初期化だけはNG。明日、引き取りに来るそうだが、ちょうど大型連休にかかってしまうアンラッキー。

しかたなく古いPCを代わりに使用。フリーズしまくりで非常に使いづらい。OCNメールも、すぐに「くるくる読み込み」になってしまい、メール削除も、書くのも異常に時間がかかる。肩首が凝って頭痛がしてくる。

4月27日(土)

自転車が発見された。すぐに盗難届の取り消しに行く。

今度は二人のおまわりさん。ひとりは警視で、もうひとりは若い新人。届け出の証明番号が発行されていないとのことで、警視が署に電話で問い合わせる。

「ここに盗難届出したんですよね?どんな人でした?」と言われ、「ちょっと・・・むさくるしい感じの。」と正直に言ったら、二人で大笑いされ、「○○巡査長だ!」と。

4月28日(日)

自転車で駅向こうに買い物に行く。街路樹の植え込みにハルジオン(春紫苑)が美しく咲き乱れているの見て、すぐにカメラを取って来る。

雑草が抜かれていないのがすごく嬉しい。雑草のない街ほど嫌なものはない。

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毎年、ハルジオンの茎を手折った時のキク科の揮発するような香気を吸い込むと、愛おしくて、懐かしくて泣きたいような気持ちになる。

ハルジオンはヒメジョオン(姫女苑)よりも舌状花が細く弱い糸のようによれっていて、つぼみがいくつか集まって下を向いているところがたまらなく好きだ。

同じハルジオンでも、そのなかに個体差を感じさせるいろいろな際立った特徴がある。茎が細めで、つぼみの数が多すぎない、やや紅ががって可憐なものを探してしまう。

ハルジオンの花を描くのは難しい。かたちをとるのが難しいのではなくて、この花が自分に与えているものの強度、この花の生々しい生命力と柔らかさに絵が届くのがむずかしいのだ。

大仰で観念的な絵物語ではなくて、どこにでもある小さいものを、誰もが持ち得ない眼で描けたらすごいと思う。

ハルノノゲシ(春の野芥子)の風情も素晴らしい。ハルノノゲシは、街路樹の下、民家の植え込み、古い塀の元のセメントの割れ目など、いたるところから伸びている。ここにも、あそこにも、と、この花を眼で集める。

街を歩くとき、常にどこの、いつの個体が一番胸に迫るかを探している。丈、枝ぶり、花のどれほどが穂綿になった状態か、穂綿が飛んでいった後の状態があったほうがいいのか・・・。

この花の姿に目を凝らしている人はこの世にどれほどいるのだろう、と思いながら。

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ハルジオン、ハルノノゲシ、ナズナ(ペンペングサ)、ハナニラ、(鉛筆スケッチ、デッサン)

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5月2日(木)

PCが戻ってくる。結果は「メインポートの不具合、同部品交換」。PCの中に保存していたデータが消えなくて、ほっとした。

なぜかoutlookメールのアイコンだけが崩れていた。

 

 

 

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2019年4月26日 (金)

スミレ、鬱金の桜、梅護寺数珠掛桜など

きょう4月26日、(3月の半ばに修理に出したばかりの)PCが使用中にいきなり切れてしまって、明日またもやメーカーに修理に出すことになった。

戻って売るのはGW明け。

とりあえず古いPCで、最近の記録を書いている。何月何日頃になんの花が盛りだったか、私はどんな花に反応していたかの記録(画像挿入はPCが戻ってから)。

4月7日

昨日の夕方、散歩中、近所のハナ動物病院へ行く道の途中に、数種類のスミレをプランターいっぱいに植えているお宅を発見。すごく素敵。

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庭のある家に住んだことはないが、私が自分の庭に植えるとしたら、まずは濃い紫のスミレ。次に縁が白くて紫の線のあるスミレ。

菫を見るとなぜこんなに胸がしめつけられるのだろうかと思う。

スミレは小さくて、大胆な絵にするのが難しいが、昔のヨーロッパのニオイスミレの絵や、江戸時代の図譜などに素敵な絵がたくさんある。

100年くらい前のポスターや、アールヌーヴォーのガラスや、香水瓶のラベルにも、うっとりするほど魅惑的な菫がある。

ボーンチャイナに描かれたスミレ、よく見ると素敵な絵と、そうではない雑なのがある。

何にうっとりするのか、そのエッセンスを描けたら、と何度もスケッチブックに描いてみているが、なかなか難しい。

今日は紫のスイートピーも発見した。私がこの花に色気を感じるのは巻きひげの部分。

4月8日

近所の林檎の花が最高に素敵。少なくとも近所で3本の林檎の樹を知っている。

4月9日

水沢勉館長にお会いしに、神奈川県立美術館葉山へ。

4月11日

近所の禅寺の枝垂れ桜。

毎年見ている遊歩道近くのスミレ(ノジスミレやタチツボスミレではない、濃い紫の、葉が心形ではなくへら形の菫)。

4月13日

新宿御苑の八重桜。

梅護寺数珠掛桜。まだつぼみ。

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市原虎の尾桜。この樹は新宿御苑に一本しかない。

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福禄寿桜。

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鬱金桜。

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一葉。

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4月14日

御衣黄桜。

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琴平桜。

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簪(かんざし)桜。この樹も新宿御苑内に一本しかない。

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関山桜と明治の建物。

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水沢勉さんにお会いしに神奈川県立美術館葉山へ行く

記録しておくべきことがたまってしまった。だいぶ過去のことになるが、一冊の本をつくるための長く曲がりくねった道のりの途中。

4月9日

次に出す本のことで、水沢勉さんに相談しに神奈川県立美術館葉山へ。

だいぶ前に9日午後2時に約束をいただいていた。

地下鉄を使い、新宿3丁目で副都心線に乗り換え、直通で横浜まで。横浜から京急で新逗子へ。(最近は新宿から湘南ラインに乗るより便利。)

金沢八景で乗り換えが初めてだったので、違うホームに行ってしまったりして階段を引き返した。途中、神武寺のあたりで見えた萌出たばかりの薄銀黄緑色の新芽の点描の樹々、倒木のある山の様子が素敵だった。新逗子からバス。途中の岩場で遊びたくてたまらなかった。

1時20分くらいに着いて受付に取り次いでいただく。約束は2時だが、急な来客が2時にあることになったそうで、「早く来てくれてよかった」と、先に館長室に通してくださった。

ISBNがつくことは重要なこと、国会図書館に入ることは文化遺産になるということだから、と言われた。

また英訳者さんを選ぶのがとても重要だと。水沢さんは偶然(美術館に来て)出会われたPさんを推していらした。水沢さんは知らなかったが、最近大きな賞をとったかた。

私はS社のNさんしか頭になかった(全然存じ上げないが、S社の仕事をいつもされているかただということで。)

二人に同じ短文を訳してもらって比較したほうがいいと言われた。ちょっと私にはそんなことはできそうもないが、お二人に振り分けてやっていただくことはありうると思った。

 

2時から3時半くらいまで、水沢さんが急な来客に対応しているあいだ、私は浜へ出たり、庭でぼーっとしたり。

富士山が大きく見えた。

 

水沢先生が私を待たせていることを気にして、2階からロビーの私に向かって手を振ってくださったりされていることに、たいへん申し訳なく思った。すごくお忙しいかたで、今回の2時の急な来客も、なにかトラブルで急用だったらしい。

文章を書く人が遅れてずるずるしないために、まず本の刊行日を今、ここで決めて、と言われる。なにかの記念日はないのか、と聞かれて困る。そこから逆算してすべてのスケジュールをはっきり決めないとだめだと。

本日、私が話したかった用件、文章の内容について、なかなか私の考えていることは言葉にできなかった。なぜ話せなかったか、その理由も、言語化すること自体が困難だし、そのことについてブログに公開できることはない。

帯になる文について、G先生にいただいた、ということを言ったら「ええ?!Gにもらったの?あなたの人生変わるよ。」とすごく驚かれていた。「どんな文章?暗唱してる?」と言われて困った。

私自身は、今回、私が水沢さんを訪問した理由を言語化できなかった理由も、毎回、私が自分の仕事について人になにかを話す時に苦しんでいる理由も、G先生にはすべて伝わって、文章をいただけたのだと信じている。

5時に美術館が終わってからもお話ししていた。7時過ぎに外に出ると空が藍色に澄んでいた。東京とは明らかに違う空気。潮の匂い。

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