絵画

2017年5月18日 (木)

『デッサンの基本』 (ナツメ社) 第27刷 / 緘黙

5月15日

住宅街を歩くと、枯れかけたハゴロモジャスミンと、柑橘系(ザボンやミカン)の花の甘い香りと、薔薇の香りが風に混じっています。

『デッサンの基本』(ナツメ社)増刷、第27刷となりました。(本日、27刷目の本が、手元に届きました。)

購入してくださったかた、ありがとうございました。

どんなかたが『デッサンの基本』を手にとってくださったのだろう、といつも思いを巡らせています。

私が予想した人数をはるかに超えた人たちが、どこかで、この本をめくってくださっていることが、不思議でたまりません。

素描(デッサン)には、いろんなやりかたがあると思いますが、この『デッサンの基本』が、どこかで絵をかこうとするかたの、わずかなヒントやきっかけになれば、とても幸せです。

最近私が描いたもの。

4月3日の記事で写真を載せた、近所で思いがけずいただいた椿の花です。

http://chitaneko.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/index.html#entry-112790659

巨大輪椿(ツバキ)の素描着彩(デッサン)。

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フリージアの素描着彩(デッサン)。昔、フリージアと言えば、黄色と白のイメージでした。最近のフリージアの花色は多様。八重咲きも多く見られるようになりました。
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牡丹の素描着彩(デッサン)。散りかけの姿が美しいと思う。
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ちゃび(猫)の鉛筆素描(デッサン)。

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いつも私にくっついて眠るちゃび。
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「花」という言葉が花を覆い隠している

デッサンは花という言葉を剥ぎ取って

花という得体の知れない存在に近づこうとする

紙の上にワープして

花は「花」という言葉から自由になる

花が生きるように沈黙のうちに線も生きる

それがデッサンではないか

(谷川俊太郎さんが書いてくださった『デッサンの基本』の帯文です。)

5月は「緘黙(かんもく)」の啓発月間だそうです。

前にも書きましたが、私は対人緊張が強すぎて、幼稚園から高校くらいまで、家族やごく親しい友人とは話せても、大勢の前ではほとんど話せませんでした。そういうふうに(特定の関係を除いて、)人前で話せない状態を「場面緘黙」というのだそうです。

私は子供時代、自分の自分の思ったことや考え、好き嫌いなどが、周囲からおかしく思われるのではないか、変に思われるのではないか、とあれこれ考えすぎて、悩んでばかりいて、学校で表に出すことが恥ずかしくて、なかなかできなかったのです。

幼稚園や学校で自分の意思を表明したくてもできなかったせいで、また、理不尽なことを拒否できなかったせいで、たいへん苦しい経験が山ほどありました。

緘黙気質の人は、他の人が気づかないことに敏感に気づいたりすることも多いのですが、一方で傷つくことも人一倍激しい傾向にあるのではないでしょうか。

心の痛みや苦しさを、外に表すことができない(表したくてたまらないのに、なぜか拘束されたように、どうしてもできない)ので、身体の中にどんどん鬱屈したものがたまってしまいます。

(私の場合、無言の反発力があり、なんとか不登校にもならず、大人になってからも精神科に通ったことはありません。)

私は今も対人緊張の傾向はありますが、初対面の人に、自分から話しかけることもできます。

私は幼稚園に行く前から、絵を描くことと本を読むことは好きだったのですが、私自身の体験から言えば、そのことがどこかで「場面緘黙」の苦しみと闘うことと結びついているように思えます。

そして、私がすっと愛おしく思ってきた動物たちと植物が私をたすけてくれました。

ものをよく見て描くということは、その時にはおしゃべりはいらない、そのものがそれ自身から訴えかけてくる魅力を、おしゃべりをやめて静かに聴きとるということです。

言葉では表しきれない魅惑に、もっと接近すること、愛するものに寄り添って描いた時間が、絵になることは、それだけで自分を支えることになっているように思います。

自分が気になるものを、何回も、繰り返し描くのです。自分も変わり、相手も変わっていく、自分の描く絵も変わっていく。

また、私は、よく散歩をしては、気になるもの、面白いものを見つけ、そこに何度も通って、時間とともに移ろう様子を見たりします。

そのもののどういうところに自分が惹かれているのか、自分の感覚に注意しながら見て、記憶するのです。

そういうことを繰り返しているうちに、いつのまにか、自分の好きなもの、嫌いなもの、自分の意志を表明できるようになってきました。

緘黙に苦しむかたたちは、そのような自分の感じたこと、考えたことを絵や文章などにかきとめておくことは、生きていく上で、おそらくとてもよいことだと思います。

絵を描いている時の私は、しゃべれないのではなく、誰ともしゃべりたくないから、絵に集中したいからしゃべらない。そういう沈黙の時間を持つことによって、自分が本当にしゃべりたいときにしゃべれないこともなくなってきたように思います。

そのものをよく見れば見るほど、終わりのない、休めない、苦しいデッサン(素描)にはいっていくことになるにせよ、とりあえずそれによって、私はある意味では強くなっていったのです。

緘黙気質の人に大切なことは、その鬱屈によって押し潰されないようにやっていくこと、自分を生存のほうに向かわせる、それぞれのやりかたを見つけることで、これについては、参考になるかはわかりませんが、自分の経験から思うことを、これからも少しずつブログに書いていけたら、と思っています。

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2017年2月28日 (火)

本郷理華 「カルミナ・ブラーナ」 ・ 宇野昌磨 /  絵の撮影

2月26日

フィギュアスケート四大陸とアジア選手権が終わった。

本郷理華のSP「カルミナ・ブラーナ」の個人的な印象。

・・

「おお、フォルトゥナ!運命の女神よ。月のように、姿は移り変わり、……」

だがそれは、言葉ではない。無言の全重量と釣り合う、もはや誰のものでもない叫び。
合唱という匿名性によって名ざされ、召喚される、いまだ名もなきものの怒りにも似た静寂。
その魂ととともに立ち上がり、長い腕を掲げて天を仰ぐ出だしから、私はぐっと引き込まれた。

それからなよやかに、ひそやかに、冷たい水の中をすべってゆく銀の細い魚のように、

天から零れ落ちてくるなにかを、手を伸ばして受けるように、

空気に舞う風媒の種子たちに触れるように、

あるいは中空に無言で語りかけ、自らの思いを差し出すように、

きわめて優雅に、麗しく、かつ伸びやかに、誰かの記憶に息を吹き込む

「常に満ち、欠け、生は忌まわしく無情に、時に戯れに癒して、貧困も、権力も、氷のように溶かしてしまう……」

古い建物の窓のすりガラスの光、ずっと揺れている、震えている灰色の細い木々の重なり、

記憶の中の、淋しく、なつかしい薄暗い風景のなかに、

時折、見え隠れしていた、なまめかしく、生命的なもの、

危うく無防備でありながら、誰にも触れられない、傷つけられないもの、

私はずっと覚えていて、いつでもそこに戻っていけるのだと告げるように、

刻々と移り変わる薄明光の階の下で、

鳥が一斉に飛び立つ羽音を聞き、旋回する影と交差しながら、

そして強い風にさらされて翻弄されながらも、その風に乗って、どこまでも遠くまで未知の場所に流離っていくように、

そんな女性的な、なにかとても美しいものを見ていた。

・・

私は、本郷選手の中で、このプログラムが一番好きだ。

彼女の端麗さが非常に際立つプログラムだと思う。

ジャンプの失敗はあったが、表現はとても洗練されてよくなっていると思う。

若く瑞々しい選手の、まさに表現が大人になる時に、ちょうどスランプの危機が来ることが非常に悩ましく、いとおしくも切なくなる競技だ。

夏から足首の怪我があったらしいが、今、跳べないのが精神的なものであるならば、次はよくなりますように、心より復活を願っています。

・・・・

男子は4回転ジャンプ合戦になったが、やはり宇野昌磨の表現に引き込まれた。

彼の演技はいつも、めくるめく情景を見せてくれる。

人それぞれの体験の重さ、想いの丈の際だった瞬間、その記憶、感覚を呼び覚ましてくれる喚起力がある。

2月24日

次の本の制作のための、絵の撮影。

1:30にカメラマンの糸井さん宅へ。

外の光はカーテンで遮断して(真っ暗ではなく、自然に薄暗い昼間の感じ)、ストロボは3つ。

前回の最後に撮影していただいた感じがすごくよかったので、今回の撮影の光のあてかたもそれに近くなるように、4回ほど光を微妙に調整して撮影していただく。

銀箔が全体にフラットに白っぽくなりすぎないように、斜め上に軽くスポットを当てて、絵の下側に行くにつれて少し暗い色になるように、銀の質感が生々しく出るようにしていただいた。

絵の線描が全部、バランスよく見えるように撮るのはセオリーだが、強い太陽光の下ではなく、そんなに明るくない小さな部屋の壁に掛けられているのを見ているリアルな感じを希望した。

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糸井さんは、光の違いによる絵の見えかたの微妙なニュアンス、雰囲気の違いを、とても理解してくれて話がすっと通じるので、初対面から仕事がすごくやりやすい。

万一、追加で新作を撮ってもらうことがあるかもしれないことを想定して、ストロボの出力など、今回の設定を記録しておいていただく。

途中、3:30頃、撮影予定だった絵が一枚足りないことに気づく。

Mに電話して、事務所から届けてもらった。Mは一時間後に到着。駅で待っていたら、急にすごく冷え込んできて、胃が痛くなった。

この時の冷えによって、次の日、吐いてしまい、一日具合が悪かった。撮影終了後に、Mと駅前の居酒屋に入り、空腹に梅干しサワーを飲んだのがよくなかったのかもしれない。

風邪やインフルだったらどうしようと焦って、友人に連絡し、会う予定を延期してもらったが、結局風邪ではなく、ただ胃腸の調子を崩しただけだったのでよかった。

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2017年2月17日 (金)

絵の再生 / S・Yさんと会う / M・Mさんと会う / 母また熱 /ネットと電話、どうにか復活

2月16日

以前に絵を買っていただいたS・Yさんに、お借りしていて再生した絵を引き渡す。

〈薔薇の貌〉(2012)

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以前から気になっていた完全禁煙のヴィーガンカフェに行って一緒にランチを食べた。

天井からたくさんのドライフラワーがぶら下がっているこぎれいな店。

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この店の中にはとてもドライフラワーが多いのだが、一か所だけ生のチューリップが活けてあることに、とても眼を惹かれた。

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紅花のドライフラワーの隣に、葉がなくて丈の短い生のチューリップが活けてあった。沈んだ黒紫色の花と、その補色の快活な黄色の花と、八重の華麗な花と。

私にとってチューリップは特別に反応してしまう花。かわいく明るいイメージではなく、妖しく謎めいたイメージ。
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・・・

最近、次の本に載せるために、以前に描いた絵の加筆(再生)をしていた。修理や補修というべきではなく、絵が、日々、刻々と新たに生まれるための命を吹き込む作業というべきだと思うので、的確な言葉を模索している。

薫泥と黒泥を使っての加筆。その上から銀のこれ以上の急激な腐蝕を止めるための保護膜を張る。

<鬱金香――種村季弘に。>(2004)。この絵は、枯れたチューリップを見て、そのまま描いたもの。私は具象、抽象の区別をつけない。

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<Thisle>(2005)
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私とともに、私よりもゆっくり遅れて、あるいは私を待ちかまえているように、絵が朽ちて変化していくのは自然なことで、時間による生きている変化を含めてこそ作品だと思う。

しかし上に重ねていた薄紙が貼りついてしまっていたり、変なふうに目立つ剥落の部分だけ、ほんの少し加筆(再生)をした。

2月11日

宅配便でNTTからルーターが送られて来、本体と電源アダプタとモジュラーケーブルなどを自分ですべて交換し、(認証IDとパスワードが不明でちょっとごたごたしたが)初期登録をやりなおしたら、ネットと電話が復活。

(昨年の10月から何度もNTTやOCNに、通信の具合が悪いことを電話していたのに、もっと早くルーターを送ってくれればよかったのに、と思う。)

自分で全部操作したので、修理料金はただになった。

もし、ルーターを交換して直らなければ、壁の中を工事しなければならないかも、と言われて、すごく不安だったのだが、ほっとした。

ただ、メールの具合はおかしい。画像添付したものが送信できない。

OCNに相談すると、セキュリティソフトが効いているせいだと言われた。

2月9日

冷たい霙。こんな寒い日に母を病院に連れて行っていただくことが心配でたまらなかった。

午後2時。施設から電話があったが、通信の具合がおかしいので、出た瞬間に切れてしまった。すぐ外に出て、公衆電話からかけなおした。

母の熱が下がったこと、S病院に連れて行っていただいた結果、また少し炎症反応はあるが、肺炎でもインフルでもないとのこと。

本当に今度は危険なのではないかと、心配ですごく胸が苦しかったが、とりあえずほっとした。

また施設職員さんたちのおかげで、命拾いをさせていただいた。

2月8日

朝、M・Mさんの熱が平熱まで下がったと言うので、夕方4時頃会う。彼女とは初対面だ。

「運命に逆らって、会えた。」とM・Mさんは喜んでいた。

つくっていた布花を渡す。

M・Mさんは、東京出身で、今、大阪に住んでいる年下の絵の好きな女性だ。

彼女は(私とは部位が違う)がんの手術を経験して、今ちょうど1年。

ブログの暗い印象よりも、実物の彼女はずっと元気そうに見える。

内心の苦しさと見た目の元気さのギャップ、それによって周囲からいたわられないことも彼女の深刻な悩みのようだ。

私もがんを経験している。しかし違う部位のがんを経験したばかりの若い女性に、どういう言葉をかけていいのかわからない。人それぞれにがんの症状やタイプ、闘病の環境も違うので、なんと言っていいのか、非常に悩ましい。

ただ、がんそのものと向きあうより、出来る範囲で自分の本当にやりたいことと向きあったほうが、免疫活性にのためによいのではないか、と私自身の経験からは思う。

・・・

夜、また、母が熱を出したことを知らされる。明日、病院に連れて行ってインフルなのか診てもらうとのこと。

先日、高熱を出したが肺炎でもインフルでもなく、なんとか命拾いさせていただいたのに、また同じ症状。とても不安でいたたまれなくなる。

メールも電話も通信不能の時に、母の具合が悪いことにとても苦しむ。

2月7日

ものすごい北風。とにかく寒い。

朝、今日、会う約束をしていたM・Mさんから電話。なんと早朝から38度の熱を出したと言う。

「這ってでも行って会いたい。」と言われて、なんと答えていいのか非常に困る。私も会いたいが、私はすごく弱くて熱を出しやすい。

今、私が風邪をひいてしまったら施設にいる母にも会いに行けないし、自分の仕事も滞ってしまう。また、私が手伝いをしてもらっている友人にうつったら、友人の仕事関係すべての人に迷惑がかかる。

その後、すぐに電話もネット(メール)も不通になる。

ほとんど不通なのだが、ごくたまにメールが送受信できるので、「きょうはすごく冷たい北風だから、とにかく明日以降にしましょう。」と通信。

OCNテクニカルサポートに公衆電話から連絡。なかなか通じなくて長く公衆電話ボックスにいると、道を通行中の人からは奇異な目で見られているようだ。

2月6日

昨年の10月くらいから、ひかり電話が通話中に急に切れて無音になったり、受話器を上げて番号をプッシュしてもかけることができなかったりすることがたまにあり、それがだんだん頻繁になって困っていた。

昨年から何度かOCNテクニカルサポートに電話したが、ルーターの再起動をするくらいで、きょうまでだましだましやってきた。

今日、ついに、電話だけでなく、PCのインターネットまでがほとんど通じなくなる。

(「ほとんど」というのは、たまに一瞬通じる時があるからだ。)

私は携帯を持ってないので、電話もメールも誰とも通信できない状態。

公衆電話からOCNテクニカルサポートに電話。

とりあえず壁からの線を抜いてルーターを再起動してみてくれとのこと。

訪問修理になると、訪問費用7500円を含め、最高で3万円かかるかもしれないと言われた。

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2017年1月16日 (月)

「村上肥出夫画集」

1月15日

きょうはすごく寒い日だった。

朝、ちゃびが少し吐いてしまい、その後、私の手から無農薬小松菜をおいしそうに食べた。

その直後、ちゃびが流し代に上がって、私が使っていた染料の皿に足をつっこんでしまったので、大慌てで、すぐにお風呂で洗い流した。

私も冷えたのか胃の調子が悪く、吐きそうになったので、夕方までふとんにくるまって寝ていた。

ちゃびも私と同じ枕に顔をのせて、私の口に自分の口をつけるようにして、ゴロゴロ言いながら寝ていた。

私は夜に起きて胃薬を飲み、豆腐と卵入りうどんを食べた。きょうは、朝からこれ一食のみ。

ちゃびも、きょうは吐き気がするのか給餌をいやがり、あまり食べなかった。

二匹は体調もシンクロしている。

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詩人の飯島章さんからいただいた『愛すべき天才画家 村上肥出夫画集』について。

昨年、飯島さんから、とても久しぶりに急にお電話をいただいて驚いた。飯島章さんとは、もうずいぶんお会いしていないが、昔、詩集の装丁をやらせていただいたりした。

お電話があってからすぐ、飯島さんが監修した『愛すべき天才画家 村上肥出夫画集』をお送りいただいた。それで私は村上肥出夫さんという画家を初めて知った。

画集にある文章によると、村上肥出夫さんは、1953年に岐阜から上京し、日雇いなどの仕事をしたり、橋の下で生活したりしながら絵を描き、1961年頃から銀座の路上で絵を販売していたそうだ。

それから村上肥出夫さんはマスコミに大騒ぎされ、時代の寵児となった。

飯島さんが村上さんに出会ったのは、1968年頃、飯島さんが19歳、村上さんが35歳の頃らしい。

1997年に自宅が火事になった時に精神に変調をきたし、現在、村上肥出夫さんは岐阜県高山市の病院で療養生活を続けておられるとのこと。

・・

画集を開くと、いろんな傾向、様々な技法の、村上肥出夫さんの絵がある。

60年代初頭の厚塗りの油彩の風景画。たしかに彼の油彩の中では、この時代の風景画が一番いい。

東京のどこを描いても、あるいはパリのモンマルトルやセーヌ、ニューヨークのブルックリン・ブリッジやレキシントン・アヴェニュー、フィレンツェのベッキオ橋を描いても、彼が描くと「廃墟」になっているからだ。

ビルであろうと、橋であろうと、あらゆる人工的な建造物に、たとえそれが今まさに建てられたばかりの新建築であっても、そこに「廃墟」を透視する眼。

上・・・大崎 1962  下・・・等々力 1962

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駅前交番 1961
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ポンテ・ベッキオ
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チャコールグレーや茶色に沈んだ色の中に、複雑で豊かな諧調の、ぬめぬめ、ちかちかした光の粒がある。

暗鬱で哀切を帯びているのに、なにか賑やかなような、細かい蠢くものに満ちた風景。

風景、空気のそこここに、ちかちかと何かを発信する微小の生命的なものがいる。

風景の中に人物は見えない。彼は風景自体と交信しているのだ。

70年になると、色彩が氾濫する。極彩色の厚塗りのタッチが粗い花。

私はここらへんが一番苦手だ。ねっとりと塗りつけられた極彩色の油絵の具そのものが見えすぎて、感覚的に気持ち悪くなるのだ。「売り絵」っぽくて村上肥出夫のよさが出ていない。これらの絵には、どこにも微小の不思議なものたちがいない。

この時代は、風景のパステルのほうがいい。

80年代の少女の絵は興味深い。ちょっと怖い感じで眼が見開いている。

90年代の絵は精神的に安定を欠いている。ルイ・ウェインの晩年を思い起こすバラバラな感じ。

ペンで描いた風景の素描。タイムズスクエア、セントラルパーク、ウエストサイド、シテ、モンマルトル遠望、ポンヌックで・・・ここらへんが一番好きだ。

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彼は聖堂も、噴水も、塔も、細い曲線でとらえている。その隙間と線のかすれの中に、やはりちかちかと光るものがある。

私は塗りたくった絵より、細い曲線でそよそよと描かれた絵が好きなようだ。

そして時間そのものの織りなす襞の微細なニュアンスをとらえている絵。

全体を通して見えるのは、内向的で正直な人だということだ。村上肥出夫さんの絵は、外の世界にあるものに畏怖を感じている彼の心が見える。

彼の著書を読んでいないので、よくわからないが、対人恐怖や不安障害もあったらしい。

画集に載っている若い頃の村上肥出夫の顔写真を見ると、とても大人しそうで、人なつっこそうな眼をしている。

・・・

その写真の大人しそうな眼を見て、斎藤隆さんを思い出した。もうずいぶんお会いしていないが、お元気だろうか。

斎藤隆さんとは、一目で通じるものがあった。私も極度ではないが、人見知りで内向する性格だ。

斎藤隆さんもひどい対人恐怖に苦しんでいた。そのために、よくお酒を飲んでいて、朝、すごく早くに電話しないと、昼に電話したらもうぐでんぐでんに酔っていて、話にならなかった。

酔っていない時はシャイで繊細で正直な人だ。優しくしてくれた思い出もある。ずかずかと図々しく上がり込んでくるような人が嫌いだ、と私に言っていた。

ネットで調べたら、福島民友に震災後の斎藤隆さんの記事が載っていた。また声をお聞きしたいと思う。

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2017年1月 9日 (月)

絵の撮影 / 母のこと(気管支炎)

1月5日

私の次に出す本(画集)のための銀箔の絵を、新たなカメラマンさんに撮影しなおしてもらう。

銀箔を貼った絵が、最初のカメラマンさんの撮影では、私が室内で肉眼で見た自然な感じとかけ離れていたので、本には使えないと判断したためだ。

一回目のカメラマンさんの撮影では、2か所から強い光をあてたのか、銀箔のぎらぎらした存在感は出ていたが、余計な情報過多で、肝心の手描きの線が見えなくなっていた(セオリー通りの撮影ではあるらしいが)。

今日初対面のカメラマンさん、I井さんのご自宅兼スタジオに伺い、撮影を見学させていただく。気さくなかたなのでよかった。

白い紙と黒い紙を使って、照り返しを調節するセットを組んでくださっていた。

けれど結局、白と黒の紙なしの、天井や壁や室内のものが映りこんだ状態で撮った最後の一枚が、一番自然に、銀箔の質感と手描きの線の両方が出た。

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何枚か光をあてる方向を変えて撮影し、その都度パソコンの画面で確認。

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最初のカメラマンさんは、なにを重要視して撮ってほしいかをこちらから言葉で伝えると、なんの画像確認もなしに自分の判断で、いきなり印刷したカンプを出してきたので、それでは絶対無理だと思った。

I井さんは、何回もやりかたをかえて撮影してくださり、その都度「ここの質感が出てきましたね。」「こちらがちょっと飛び過ぎですね。」「さっきのよりこっちのほうが雰囲気が出てますね。」など、私が絵のどこを見せたがっているのかを理解してくれて、コミュニケーションが成立した。

I井さんの仕事を見て、最新のやりかたはこんな風なのか、と感心した。

たとえ物撮りであっても、カメラマンは、いろんな工夫をして、それぞれに個性的なやりかたがあるのだろう。

ある種の冒険的な精神によって、見る者の主観の中でしか成立しない絵画であればなおさら、その撮影も通り一遍のやりかたでいいはずがない。

プロの現場を見学させていただいて、たいへん勉強になりました。

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最近の母のこと(気管支炎)。

1月8日

母に会いに、施設へ。

年末からずっと気管支炎で、痰がらみがあるので、誤嚥による窒息が心配で落ち着かない。

高齢だから、いつなにがあってもおかしくないのだが、きのうの夜からきょうは、熱はなんとか落ち着いてきて、36度8分から37度くらいだそうで、顔色も穏やかだったので、ひとまずはほっとした。

きょうは昼食は食堂で、地方の訛りあるのちゃきちゃきした女性職員さん。やはり3人を同時に介助されていた。

母が今ほど噎せの危険がなく、私が介助して食べさせていた時は、廊下のテーブルでやっていたので、食堂での皆さんの食事風景を見るのはきょうが初めてだ。

母に声かけしながら、口を開けるのを待って、飲み込むのをじっくり待って、噎せないように少しずつ食べさせてくださっている。

うちのちゃび(19歳6か月の雌猫)に私は毎日、強制給餌しているのだが、ごっくんと飲み込むのを待って、次のをシリンジで入れるのとほぼ同じだ。

食堂でほかの皆さんを見ていたら、ひとりでちゃんと食べられる人は少ない。本当に職員さんたちのおかげだ。

ひとりの女性入居者が、立ち上がってスタスタとほかの女性入居者に近づき、びよ~んと下唇を引っ張る事件が起きた!

母を食事介助してくれていた職員さんが慌てて駆けつけ、「こら!なにしてんの。」と止めたら「やわらかいんだも~ん。」と。「まったく油断も隙もないんだから。」と職員さんたちが笑っていた。「下唇がとりわけぷっくりしているかたなので、引っ張ってみたくてやってるんですよ~。」ということ。

ほかにも、食事中になぜか「うわあ~~ん」と大声で泣き出す人(過去の哀しい夢を見ているのか?わからない)、食器をがんがん机に叩きつける人、ジェスチャーを繰り返してなにかしゃべっている人、いろんなかたがいるので、それはそれはたいへんだ。

職員さんに重々御礼を言って帰る。帰りに中野で天婦羅を食べた。

1月4日

K島さんに電話して母の調子を伺う。まあまあ、おだやかに過ごしているそうで、少し安心。引き続き痰の吸引。

1月2日

私はずっと自分が風邪気味で、咽喉の痛みが続いていたので、母にうつすのが怖くて、しばらく施設に行っていなかったのだが、久しぶりに会いに行った。

母の部屋のベッドのそばに痰の吸引器があった。

大柄の目のきれいな女性職員さんに、廊下で昼食介助していただいていた。ひとりで3人を同時に介助。

母はむせやすいので、見ていても窒息するのじゃないか、とはらはらする。本当に職員さんのお仕事はたいへんだ。生かしていただいていることを、実感する。

「39度近い熱が出た夜、(看護師さんがいないので)朝5時まで座薬もできなかったので、すごくかわいそうだったんですよ。」と言われた。

K島さんにくわしいお話をきく。体重は今、激減している感じではないので、肺に食べ物がはいって窒息するリスクを避けるため、無理して食べさせない方針とのこと。おまかせしますのでどうかくれぐれもよろしく、とお願いした。

ヘルパーさんひとりひとりに、御礼のご挨拶をしてから帰った。

すごく張りつめていたので、お酒が飲みたくなり、中野の立ち食い寿司で日本酒を飲んだ。私は日本酒を飲むことはなかったのだが、意外にも飲めてしまった。

今年も気持ちが落ち着かず、ゆったりとごちそうは食べられない正月。

12月30日

11:20頃、施設から電話。

また39度近い熱になりYメディカルセンターに連れて行ってくださった。危険な状態なのか、とすごく心臓が苦しくなった。

父が年末に亡くなったことを思い出して、何とも言えない暗く不安な気持ちになる。年末ぎりぎりに母が亡くなるのはすごく辛い。むしょうに怖かった。

午後3時半頃、電話があり、施設に戻ったとのこと。

ここでも、気管支炎と言われ、入院させるほどの状態ではない、とのことで、違う種類の抗生物質が出た。

長い時間をかけて病院に連れて行ってくださったTさんへお礼を言う。

30日と31日の夜、母が死んでしまうことを思いつめてうなされ、あまり眠れなかった。

12月28日

母のいる施設から電話。「病院に連れて行くので、入院になるようだったら来てください。」と言われた。

12月26日くらいから38.6度の熱を出し、抗生剤を投与しているとのこと。

下落合のS病院。結果は、肺はきれい。炎症反応はあるが、おそらく気管支炎だろうということ。抗生物質を出していただいた。入院する状態ではないと言われた。

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2016年12月25日 (日)

宇野亞喜良展《絵本の城》 / ちゃび

12月23日

宇野亞喜良さんの個展《絵本の城》へ。

その前に、3時頃、外苑前を少し散歩した。

きょうは真冬なのに20度にもなった異常に暖かい日。そのせいか黒雲と入道雲が混じるような不思議な空模様だった。

外苑のあたりには、欅、スダジイ、松などの巨樹。

グレーの諧調で光る背景に並んだ欅の細枝を見て、モンドリアンの描いた水辺の木々の絵を思い出した。

それと象徴派の画家で生け垣を何枚も描いていた人(名前を思い出せない)。穴澤一夫先生が解説を書いた展覧会で見た絵だ。

細い血管のような線の先端が溶けてつながっていた。

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しだれ桜も象徴派の線のように垂れていた。

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このあたり、都会には珍しくビルがなく空が広い。イギリスやドイツの小さな町を歩いた時の記憶が蘇る。サイレンセスター、バーミンガム、バーモンジー、バース、オルテンブルク、ハンブルク、ベルリン・・・と記憶が飛ぶ。

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絵画館前の銀杏並木はすっかり裸になっていた。シンメトリーの風景をマラソンする人たちが速いスピードで横切って行った。
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ユリノキ(リリオデンドロンチューリッピフィラ)の黄葉。
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駅に戻る時、黒雲から雨がぽつぽつ。陽に光っているほうの雲は明るい。めまぐるしくてコントラストの強いバルセロナやフィゲラスの雲を思い出す。

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電車で新宿に移動。地下道から伊勢丹にはいると、いつになくすごく混んでいた。毎年意識しないので気づかなかったが、クリスマスの直前だからなのか。

宇野亞喜良さんの個展《絵本の城》は、『白猫亭 追憶の多い料理店』(小学館)と『おばあさんになった女の子は』(講談社)の絵本原画展示。

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会場はとても盛況だった。2時から5時まで、ひとり2分としても3時間以上。100人にも丁寧にサインをしている宇野亞喜良さんはすごい。

5時を過ぎてもなかなかサインが終わらないようなので、きょうは奥様にだけご挨拶をした。

撮影OKの場所は、このコーナーともうひとつTVのあるコーナーのみ。

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TVでは宇野亞喜良先生の昔の実験的なフィルムが流れていた。60年代後半の絵だろうか。「あのこ」を思い出す馬の絵のボディペインティング。

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資生堂マジョリカマジョルカのイラスト。パーツをどのように組み合わせても絵になるように色彩と線の分量のバランスがうまくできているのが鮮やか。
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12月24日

ちゃびの検査結果を聞きに行く。体重が増えると同時にまた少し腎臓の数値が上がってしまったようだ。BUN36.3 CRE3.0。

でも最近は元気だ。

13日と14日に2日連続でほんの少し黄色い唾液を吐いたので、14日に病院に電話したら「連れて来て。」と快作先生に言われたので、青くなって連れて行った。

診てもらったら「おなかに毛玉がつまってる」と言われ、バリウムと吐き気止めを飲まされた。

受付の看護師さんに聞いたら「うちの子もしょっちゅう黄色い胆汁吐くけど、けろっとしてるんでほっといてますよ~」とも言われた。

大事なくてよかったのだが、ついでにワクチンが切れていないかの検査と、腎臓などの検査一式をしたので、いつもの輸液セットと薬と合わせて、この日は25000円もかかった。

毎朝、私のふとんにはいってきて、私の口に自分の口を近づけ、大きな声でゴロニャア!爆発のちゃび。顔にチュッとやると「ウギュルルウウウ~」とゴロゴロの爆音で大きくお返事。

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真夜中、ふと目を開けると、私の顔を見つめてゴロゴロ言っているちゃびの顔が目の前に。
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体調がいい時ほど激しく甘えてくる。

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私の左腕に顔をのせて、さらにお手々で私の腕の付け根を押さえて、嬉しそうなちゃび。

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息で鼻を膨らませたちゃび。

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2016年11月14日 (月)

『デッサンの基本』 第26刷  次の本(画集)について

11月13日

9月末に『デッサンの基本』(ナツメ社)増刷のお知らせをいただきました。これで第26刷りとなります。

購入してくださったかた、本当にありがとう存じます。

なにか面白いものを見つけて、ありあわせの道具で描くことは、とても楽しいです。

また、描くことができない時も、ものをよく見る習慣がつくこと、そこからたくさんのことを感じ、記憶し、思い出し、味わえることは、それだけで楽しいことだと思います。

実際に絵を描くことによって、絶えず新しい発見があり、新しいアイディアがわいてきます。

描くことを通して、ものの見方が変わり、見ることの喜びが増すように思います。

『デッサンの基本』が、絵を描くことに興味がある人の、なにかの小さなきっかけ、ヒントに、もしお役に立つことがあれば、とてもありがたく嬉しいことです。

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10月29日(土)の夜、ちゃびに給餌していて、口の中にマグロを入れてあげるタイミングを間違い、牙で右手の人差し指を思い切り強く噛まれてしまい、大量出血。

(それにしてもマグロのお刺身をあげるようになってから、ちゃびの調子が戻ってきたので嬉しい!ドコサヘキサエン酸が脳神経に効いたのではないかと思っている。)

31日(月)の朝、病院に行き、抗生物質の錠剤と化膿止めの軟膏を出された。少し化膿し、すごく痛くて人差し指を使えないために、字も絵もうまくかけなくなってしまった。

PCのキーボードを打つにも人差し指が使えないために、変なところに力がはいり、右の上腕(三角筋?)が異常に凝った。

10日経ち、傷も治り、やっと絵が描けるようになりました。

最近描いた黄色いコスモス(イエローガーデン)の鉛筆デッサン(素描)。

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以前にデッサン(素描)したいろいろのコスモスから描いたコスモス水彩。コスモスによくいる青虫も、そのまま描いてみた。

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私の好きなコスモスは、薄曇りの薄い和紙をこしたような光の下で揺れているイメージ。または雨に濡れたコスモス。日が暮れかけたあわいの時間のコスモス。

私にとってのコスモスは、雨風に倒されてから起き上がったくねくねとうねった茎で、決してすっとまっすぐな茎ではない。

葉はちまちまと尖ったのは嫌いで、裂が少なくて刺繍糸のように長く優雅に伸びた葉のコスモスが好きだ。

自分にとって、もっとも心惹かれる佇まいのコスモスの絵を描きたくて、そこに近づきたくて、何枚も描いている。

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今、私は次の本を制作中です。

次は描き方の本ではなく、私がデッサン(素描)によってなにを見てきたかをまとめた本です。

これまで描き続けてきた植物の鉛筆デッサン(素描)の中から、一連の時間の流れと分断、なにを見るか、どのように見るかを考えながら百数十点を選び、それに素描着彩と銀箔を使った絵を加えたた画集です。

きょう、撮影のためにカメラマンに預けていたたくさんのスケッチブックとパネルに貼った絵の返却があった。

絵を撮影するにあたって、撮影する人との意思の疎通が非常に難しいことを知った。

特に銀箔を使った絵は、撮影する時の光の加減により、どんな色にも変わってしまう。どの部分(腐蝕の微妙なトーン、線の流れなど)を大切にするかを端的な言葉で重々伝えたつもりだが、まったく伝わらなかった。

絵の雰囲気をどう感受するかで、写真の撮り方も、プルーフの出し方もまったく違ってくる。

どのように(一般的な、あるいは文学的な)言葉で伝えようとも、絵をわからない人にはまったく共有されない。

どのようなトーン、コントラストでとらえたいかは、私の絵の雰囲気をよく知る人が撮影するか、作者である私自身が、CMYKに変換分解後の印刷用補正をしなければどうしようもないのだとわかった。

昔から信頼しているデザイナーのS・Kさんにメールで絵の印刷について質問した。

S・Kさんはやはり私が求めていることを理解してくれていて、非常にためになる話をいろいろ伺うことができた。

やはりカメラマンで印刷用の補正について詳しい人はあまりいないそうだ。 昔は補正のプロがいたが、今は商売にならないのでいなくなってしまったとのこと。

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2016年10月29日 (土)

鈴木其一展 四季花鳥図屏風

10月27日

前期に行った時に見られなかった「四季花鳥図屏風」を見に、サントリー美術館の鈴木其一展へ。

鈴木其一「四季花鳥図屏風」 江戸琳派の旗手展図録より。

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第三展示室の「朝顔図屏風」の向かいに、それはあった。

「あっ、これだ!」と気づいた瞬間、胸が高鳴った。長年、ずっと見たかった絵で、やっと見ることができ、本物に初めて対峙する期待。

六曲一双に四季の花々を描いた屏風。

右隻(うせき)には春から夏にかけての花。辛夷(コブシ)、蕨(ワラビ)、蒲公英(タンポポ)、菫(スミレ)、蓮華(レンゲ)、躑躅(ツツジ)、紅花(ベニバナ)、立葵(タチアオイ)、燕子花(カキツバタ)、罌粟(けし)など。

左隻(させき)には秋から冬にかけての花。朝顔、鶏頭、葉鶏頭、菊、女郎花(オミナエシ)、石蕗(艶蕗、ツワブキ)、山茶花(サザンカ)、梅、紅葉した蔦など。

私がとても感動したのは、菊、燕子花、水の渦巻く表現などが琳派のやりかたを踏襲して図案化されて描かれているのに対し、その同じ画面に、その当時珍しかったであろう植物が、実際に写生してしか描くことができないやりかたで、生々しくリアルに描かれていたことだ。

特に胸が震えたのは、私の大好きな「まんまの樹」、大毛蓼(オオケタデ、オオベニタデ)が夏の花として堂々と描かれていたことだ。私はこの花が大好きだが、あまり絵のモチーフになる花ではない。

この花は、桜の花をもっと小さく桃色を濃く花弁も厚くしたような、最高に愛らしい花で、穂状花序のなよやかに垂れた房になる。

美術館での解説文には「犬蓼」と書いてあったが、断じてこれは犬蓼(イヌタデ、アカマンマ)ではなく大毛蓼である。犬蓼は20cm~50cmにしかならないが、大毛蓼は1~2mにもなり、人が見上げるほどの高さになる。

其一が、大毛蓼の花の中の黒い小さな種を、ぽつぽつと細い筆で描写しているのを見た時、涙が出そうになった。これは実物の絵を見なければわからなかったことだ。

そう、この花は、鮮やかな薄紅色の花の中に黒々とした丸い種が熟しているのがはっきり見えることが、すごい魅力なのだ。可憐さの中に充溢した生命力を見せてくれる花で、其一もこの花を見て何かを強く感じたのだなあ、と思うと泣けてきてしまった。

ほかに、特に其一が実物を見て、その面白さ、不思議さを特に心をこめて描いたと思われる花は、藪萱草(忘れ草、ヤブカンゾウ)と捩花(ネジバナ、モジズリ)、著莪(射干、胡蝶花、シャガ)だ。

捩花は、花の色は大毛蓼とよく似た鮮やかな桃色だが、ごく小さな蘭のかたちの花が螺旋状にねじれた花序で咲く、とても丈が低くて目立たない、琳派では描かれない植物だ。私はモジズリの花が胸が締め付けられるほど好きなので、其一が描いていたと知ってすごく嬉しい。

藪萱草と著莪は正面性を重視した丸いデザインされたかたちではなく、非常に乱れ、捩じれ、うねる不思議でリアルな花のかたちが描かれている。其一は本当に見て、その花の個性的な魅力を描いたということに鳥肌が立つ。

藪萱草と絡むように竹似草(タケニグサ)が描かれている。タケニグサは私が幼い頃に「マニュキアの樹」と呼んで茎を折ると出るオレンジ色の汁を爪に塗って遊んでいた草だ。

その藪萱草と竹似草のすぐ上に描かれている三羽集う鳥の、うちの二羽がひとつの虫をついばんでいるのに気付いて、さらに感動。

先達の流れをくんでデザイン化されている部分もあるが、其一はさらに瞬間ごとに過ぎてしまう生命の躍動の一瞬を描いていると感じて、胸が締め付けられた。

そのほか、「水辺家鴨図屏風」や「水辺蘆鴨図」でも、鳥の真後ろ向きの姿や、一羽の鳥の向こうにもう一羽のおしりだけが見えるところなどを、あえて選んで描いているところに、其一が生命の瞬間をとらえている姿勢を感じる。

「林檎図」でも、丸い林檎の姿をどこにも描かず、旺盛な緑の葉の下から林檎の実がちらっと見えているところが、非常に生命的なエロスを感じる。

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この日、私が出かけているあいだにちゃびの具合が悪くなったらどうしよう、と出かけることを躊躇した。ちゃびが心配なので、もし現場が混んでいたら、並んで時間を使ってまでは見に行きたくないと、行くかやめるか悩んだ。しかし、思い切って行ってみたら、案外混んでいなかったので良かった。

帰宅してすぐになでたら、ちゃびはゴロゴロ爆発して調子がよさそうだったのでほっと一息ついた。

10月25日(火曜日)

22日(土曜日)に岩盤に思いきり叩きつけた尾骶骨あたりが痛くてたまらないので、近くのクリニックにレントゲンを撮りに行く。

おしりを見られるのが嫌だったが、まったく見られないで、服のままレントゲンを撮って判断された。

「尾骶骨に罅がはいっていても不思議ではないが、このレントゲンでははっきりわからない」とのこと。レントゲンの説明を聞くと、やってしまった失敗についての後悔でなおさら具合が悪くなる。詳しく状態を知るためにMRTを撮りたいかと尋ねられて、「必要ありません」と応える。

骨盤を固定するバンドを出されたが、バンドを締めると怪我の部位が圧迫されて激痛がするので、結局帰宅してからはずしてしまった。

メロキシカム(消炎鎮痛剤の錠剤)と、セレガスロン(胃薬の錠剤)を出されたが、私は消炎鎮痛剤に敏感に反応して胃痛と下痢になり、あまり腰の痛みに効果がなかったので一回だけ飲んで飲むのをやめてしまった。

次の日、ちゃびの容態のことで相談しに動物病院に行った時、今、私が腰を強打して痛くてたまらないと言うと「打ったのが背骨でなくてよかった。背骨だったら骨髄神経の危険があったけど、尾骶骨なら治るからね。」と言われて安堵した。

人間の医者より、動物の医者である快作先生に言われる方がずっと安心する。

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2016年10月23日 (日)

味戸ケイコ「夕暮れの少女」展 / 原宿裏通り

10月20日

味戸ケイコ「夕暮れの少女」展(10月29日まで)を見に、北青山のギャラリーハウスマヤへ。

この新作のひまわりと一緒の少女は、名作「ひぐれのひまわり」の絵を思い出す。

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味戸ケイコさんの絵を少女の頃に見てから、ずっとその味戸さんの少女の世界と、無言の交信を繰り返しながら、行き来しているような感じだ。

味戸ケイコさんの魅力は、何と言っても鉛筆で描かれた微妙な光と、さびしいけれど、静かで豊かなもので満ちた空間だ。

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下のススキの野原にぽつんといる女の子。地平線近くにほんの少しの柿色。夕暮れの不安で淋しい空に、すべて包まれてしまう感じがとても好きだ(撮影時、絵の右がわの空間に向かいの壁の額が映りこんでしまいました)。
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下の絵は、女の子が空に近い岩山のてっぺんに座っている。まわりは雲の海だけれど、飛んでいるのはカモメ。

最近見たばかりの「ピクニック・アット・ハンギングロック」を思い出した。

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幼稚園の頃から、私は野原でいつまでも草花を摘んだり、きれいな貝や石をさがして一日中拾ったり、夕焼けの雲が刻々と変化していくのをじっと見つめているのが大好きだった。

自由時間があれば、絵を描いているか、本を読んでいるかが好きで、お遊戯や、みんなで元気に校庭で遊びなさい、と言われるのが苦痛だった。

なにかを夢中で見ていたり、雨や風や波の音、鳥の声を聞いていたりするのが好きな子なら、味戸ケイコさんの世界はとてもはいりこめて、安心できる世界だと思う。

味戸ケイコさんと。
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味戸さんは、私が子どもの頃からずっと味戸さんの絵が好きだったことを、とても喜んでくださる。

私が『白樺のテーブル』の女の子の顔が一番好きです、と言ったら、「あの絵、怖いって言われるの。」と。「全然。あの絵は特に髪の毛の表現がすごく繊細で、きれいで、大好きです。」と言うと、「あれを怖いって言う人がいるのよね。怖いとは思わないのは、やっぱり福山さんは私と似てるのよね。」と言われた。

下の絵。この絵を「怖い」と言う人がいることが、私には驚きだが、そんな人もいるのだろうか。味戸さんの絵は、最近よくあるような、あからさまにホラー的なものを見せつける絵ではまったくない。

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『白樺のテーブル』(安房直子/作 味戸ケイコ/ 絵)は偕成社より復刊されています。素晴らしい本なので、皆さん、ぜひ買ってください。

楳図かずおさんの『おろち』の小学館漫画文庫の味戸さんのカヴァー画の話、まんがの話など。私が『おろち』が大好きで、ストーリーやセリフをほとんど覚えていることに驚いてらした。

味戸さんの住んでらっしゃるところは山の斜面で、近くに秋草が咲き乱れる野原はいっぱいあるそうだ。最近、山百合の球根を鹿が掘り返して食べてしまったそう。

味戸さんも私も青梅街道のすぐそばに住んでいる、青梅街道は山のほうから新宿のほうまでずっとつながっている、という話。

新聞に映画「悪童日記」についてのインタヴューが載ったが、記者の編集により、自分が大切に思っている部分ではなく、どうでもいい部分を掲載されてしまった、という話。

絵描きにとって、自分の絵を大切にしてくれる人がいることがなによりも嬉しい、という話。自分の絵に興味を持って見てくれる人、好きになって、買って、手元においてくれる人。

絵には、絵を生み出すための困難、悩みや迷いの時間、じっと待機しなければならない時間、静かに集中する時間、それ以前の身体の記憶、大切な人や動物や植物やものとの深い関わりや思いなど、それに関わるすべてのものが含まれる。

そのことが理解できない人、他人の作品がどういうものか想像できず、他人の作品をぞんざいに扱ったり、ファンと言いながら、相手の貴重な時間も、相手の神経も、尊重しないで滅茶苦茶にしてしまう人がいる、という話。私もさんざんいやな思いはしてきたが、味戸さんにもそういうことがあったのだなあ、と、非常に共感した。

久しぶりに味戸さんとたくさんお話できて嬉しかった。

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帰りに友人Oと外苑西通りから原宿まで散歩。

都会の真ん中にありながら昔ながらの都営住宅の雰囲気がとても素敵だった霞ヶ丘アパートはどうなったか見てみた。すっかり工事の柵に覆われ、かつて素晴らしかった植物たちはもう失われていた

柵の外側から、この廃墟を見るだけで、私はかつて西新宿にあった都営角筈アパートや、南阿佐ヶ谷にあった阿佐ヶ谷住宅の記憶で胸がいっぱいになってしまうのだ。

私が通った小学校のすぐ裏にあった角筈アパートには、同級生の友達が何人もいた。罌粟やダリアや向日葵、雛菊、オイランソウ、色とりどりの植物が咲き乱れていた。

阿佐ヶ谷住宅は、こういうアパートに加え、前川國男が設計した、たくさんの低いテラスハウスが曲がりくねった道に配置され、李、梨、枇杷、蜜柑、柘榴など実の生る樹や、桜、ミモザ、野薔薇、紫陽花、芙蓉、カンナ、葉鶏頭、白粉花、彼岸花、蕗、白詰草、モジズリ、春女苑など、植物の迷宮だった。
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ビクタースタジオの前を通って、裏道を一周。

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「リカリスイ」っていったいなんだろう?不思議な看板を発見。飲み屋さんのようだが、かなりマイペースな雰囲気。細い柳も素敵。

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神宮前の裏通りの商店街は、なんとなく高円寺に似ているような、古い木の家と変なお店がいくつかあった。
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キラー通り、原宿通り、少し道に迷いながらアートスクール表参道の建物をさがし、Mさんの彫金作品を見た。

キディランドの裏の曲がりくねった細い路地を散歩しながら、コンビニで買った鮭おにぎりとビール。

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派手で大づくりな表参道の裏道には、意外にも植物でいっぱいの狭い路地や、古いアパートが残っていた。
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2016年10月 4日 (火)

鈴木其一展(サントリー美術館) 

10月3日

サントリー美術館の「鈴木其一 江戸琳派の旗手展」へ。

「蓮に蛙図」・・・これはぱっと見て衝撃があった。観念的な蓮ではなく、柔らかく乱れ、しおれかけたなまめかしい蓮。蓮の花弁の輪郭の墨の筆の表現に豊さがある。

「木蓮小禽図」・・・今回の展示中で最も妖しい美しさを感じた花の絵。中心の大きな二輪、特に左の花は観念では描けない。花弁をよく写生して、一番妖艶な、めくれかた、うねりかたを選んで、意識して描いている。図録ではわからないが黒紫の色の濃さ、艶やかさも素晴らしかった。

「群禽図」・・・今回の展示で一番好きな絵。左右幅それぞれに十三羽ずつの鳥。左幅のミミズクに向かって集まってきている。

「藤花図」・・・前期の展示では青味がかった花のほうの一幅だけ展示されていた。もう一幅の赤味がかった花の図と一緒に並べて展示してほしかった。固いつぼみが多いところに非常に清冽な美しさがある。蔓の先端のかたちも決まっている。

第一展示室に酒井抱一の「藤図扇面」があった。短時間でちゃっちゃと描かれていたが、小さい扇面の中、左右に青味がかった藤と赤味がかった藤の二種類の花を描いていたことに注意がいった。薄紫の微妙な色相を意識して味わうことができるように、青味の薄紫と赤味の薄紫を横に並べて描いているのだと思う。

「朝顔図屏風」・・・強烈なアズライト。今回の展覧会の目玉作品のようだが、私はあまり関心を惹かれなかった。

江戸時代に人々が熱狂した変化朝顔の奇妙さ、妖しさのほうにすごく惹かれるので、真ん丸の青一色(おそらく朝顔の原種に近い)が一面に描かれた絵は、単調に感じるのだ。葉のかたちもあまりに図形化されていて単純で面白くない。私は構図より個体の変化に目を奪われる人間だからだ。

私の見たかった「四季花鳥図屏風」や「秋草図屏風」は、今回(前期)の展示にはなかった。

今回、面白くて笑ってしまったのは、鈴木其一の書状だった。パトロンに宛てて、好きな漬物を送ってくださってありがたい、今回はほかからあまり送られて来なかったから、とか、、家の修理ができないでずっと寒くて体調が悪い、とか、コレクション向けの作品の真贋を見ながら紹介できるから値段を聞いてから興味があったら言ってください、とか。

現代と変わらない画家の生活の悩みの、とてもリアルな手紙だったので、思わずその場でアハハハハと笑ってしまった。

この日も夕方までなにも食べていなかったので、サントリー美術館の中にある加賀麩のお店、不室屋というところであんかけ丼を食べた。

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鳥など肉類がはいっていると私は食べられないので、よく聞いてから注文した。見た目がすごくきれい。お吸い物はほとんど味がないほど淡白。麩と湯葉のあんかけ丼はまあまあおいしかった。

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