絵画

2018年2月12日 (月)

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念展  / 宇野昌磨  団体戦 / 誕生日 ChinamiさんとSkype

2月7日

『夜想』(ペヨトル工房) の今野裕一さんからメールをいただいた。

森島章人さんの『アネモネ、雨滴』展について、出品のお誘い。

今野さんは森島章人さんの歌がとても好きで、ずいぶん前から歌で展覧会をやりたいと思っていたと言う。私も森島さんの歌を讃える展示に参加できて幸せです。

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念展

311日~42日 Ⅰ期 バラボリカビス・マッティナ

46日~430日 Ⅱ期 パラボリカビス・コスタディーバ

参加作家

相場るい児

麻生志保

亀田尚子

建石修志

田村京子

日野まき

福山知佐子

槙宮サイ

間村俊一

渡邊加奈子

素敵な展覧会になりますように。

2月9日

あっというまにオリンピック開幕。フィギュア団体戦。

宇野昌磨のSP(ビバルディの『四季』から『冬』)の生命感溢れる演技。

足替えのシットスピンからコンビネーションスピンにむかう時の燃え上がるような表情に胸が熱くなった。

2月10日

2月は私の誕生月なので友人Gがお祝いをしてくれた。

私の好きな完全禁煙のおさかなのお店で、1000円のお刺身定食のランチ。

そして昼間から鳳凰美田純米吟醸酒(華麗な名前のままにおいしかったです)と流輝(るか)純米吟醸無濾過生酒(こちらも果物のように華やかでおいしかったです)を飲んだ。

誕生祝に、とっくの昔に廃番になっているヴィンテージのスイカズラの香水と、昔の絵本をいただいた。超レアなものばかり。

私の好きな植物いっぱいの狭い路地にて。

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まだ足元に雪が残っている。私の好きなヒメムカシヨモギの立ち枯れと。
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偶然迷い込んだ狭い路地裏で、錆びた窓ガラスを発見。
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近所のたくさんの植木鉢と。
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・・・

夜10時。イタリア在住のChinamiさんと初めてskype ビデオ通話。

とても感激。

Chinamiさんは、昨年6月、私の母が経口摂取できなくなって、もう最期だと私が追い詰められた頃に、はるかイタリアから連絡をくださったかただ。

それからずっと、母が亡くなり、ちゃびも亡くなり、私がどん底の時に、毎日のようにメールのやりとりをして遠くから支えてくださった人。

Chinamiさんには感謝の言葉がとても追いつかない。正直、私にそんなにしてくださるかたがいることが信じられないというか、実感が足りない。

今年は秋にChinamiさんに会いにイタリアに行く予定。緊張症でだらしなくてうっかり者の私がすごくご迷惑をおかけしてしまうのが怖いけれど。

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2018年1月21日 (日)

変わり咲きのラナンキュラス / 大宮八幡神社

1月10日

1月8日に、久しぶりにオランダ屋さんに行ってアネモネを買ったら、「これ、日にちが経っちゃたんですけど、よかったら飾ってください。」とラナンキュラスを4本もおまけでくれた。

特に変わり咲きのラナンキュラスが素晴らしくて「わあ、それすっごく素敵!最近の種類ですか?」と大喜びしたら「喜んでもらえてよかったです。」と切り花用の水に入れる薬までいただいた。

このねじれた絞りの花弁のラナンキュラス。

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1月16日(火)

カメラマンさんに新しく撮影してもらった作品画像約100点の点検。

1月17日(水)

きょうは14~15℃くらいに暖かくなるという予報を信じて家を出てしまったらすごく寒い。

布花の資材を買いに中野へ向かった電車の窓から、現在の気温8.5℃という電光掲示板が見えた。

古本を4冊買い、いつもの天ぷら屋さんで食事。その後資材屋さんへ。

さらにもう一軒の資材屋さんを目指し、東中野へ。店員さんにいくつか質問した。

1月18日(木)

きのう暖かくなるのは予報間違いで、今日こそ暖かくなる、という予報を信じて家を出たら、すぐに陽が陰って寒い。今にも雨が降りそう。

善福寺川にはたくさんの鴨が来ていて、おしりをぷるぷるしながら水に潜っていた。高い樹の上にはツグミの巣があり、鳥たちが集まって騒いでいた。

もう何年もやっている護岸工事に気持ちが暗澹となる。川沿いの植物が繁茂していたひなびた細い道や小さな植え込みが滅茶苦茶に破壊されている。杉並区立郷土博物館の裏のテニスコートのあたりを全部潰して大きな貯水池をつくるらしい。

以前から気になっていたスダジイがまだあったので嬉しかった。この樹はサルノコシカケのような茸と湿った苔に覆われていて塀と門の間にどっしりと存在している。

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巨樹を見たくて大宮八幡神社へ。

私は俗に言われるパワースポットなどスピリチュアルなものを一切信じず、応仁天皇などへの信仰心はないのだが、鎮守の森の鬱蒼とした空気に触れたくて行ってみた。

神社が建ったのは1063年。ここは東京のへそにあたるそうだ。

大鳥居をくぐってすぐに森の木々の匂い。カエデ、シイ、クスノキ、カシワ・・・。数百年は生きている木々の下を歩くと落ち着く。

キエーッ、キエーッ、キチキチキチキチ・・・カァ、カァ、カァとヒヨドリ、ツグミ、カラスなどが枝のとても高いところで囀っていた。

男銀杏と女銀杏のてっぺんにはカラスがいっぱい。

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境内に咲いていたジュウガツザクラ。

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飼われているチャボ。

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お宮の横の森には去年の色とりどりの落ち葉。

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私は極度の末端冷え性なので、神社を出る頃は冷えすぎて手首から先が紫色になって痺れてきた。これはまずい、このままでは寒さで熱を出してしまいそう、と緊急避難で近くの不二家に飛び込んだ。

一杯の白ワインを飲んだら、すぐにちゃびのことを思い出して胸が苦しくなり涙がこぼれた。

そのあと永福町でサラダとお寿司と熱燗を少々。

1月19日(金)

新宿の銀行へ。そのあとMと会う。

『夕凪の街 桜の国』を読む。

阿佐ヶ谷で久しぶりにピザを食べる。

ここ10年以上、ずっと食べたいと思っていたが近所では売られていなかった八朔を高野青果で買う。

八朔の懐かしい苦みと香りがほっとする。みかんや甘夏よりずっと好きで、子供の頃はよく母と食べた。

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2017年12月28日 (木)

次の本の制作 カメラマンと打ち合わせ

12月28日

次に出す本に新たに加える絵画撮影のため、カメラマンさんにうちに絵を取りに来ていただいた。

既に以前、ほかのカメラマンに撮影してもらっている画像データが10年以上前の出版にしか対応できていないやりかた(保存形式など)であるということがわかった。

撮影済みデータと、今回新たに撮影してもらうデータを調整してもらうお願いをした。

出版、印刷のやりかた、それに対応するカメラマンのやりかたも、どんどん新しく変化しているらしい。

I井さんを信頼しておまかせする。

12月20日

昼から中野に出て造形材料と古本を買い、3時に阿佐ヶ谷でFと会う。

寒かったが、川北病院の裏の巨大な欅の古木を見、神明宮のあたりを少し歩いた。

小学校の金網のすぐ向こうに、丸い実が金色に光り、そこに薄茶色の枯れ蔓が絡みついていた。キカラスウリかと思ったら薔薇の実だった。その向こうにボール遊びをする子供が快活に踊っていた。

Fは、彼の母親と18歳で上京する時に別れ、それ以来、頻繁に交流することはなかった。亡くなってからは、自分が子どもだった頃の母親のことを鮮烈に思い出す、と言った。

私のように成人してからもずっと近くに母親がいたほうが稀なのかもしれない。ずっと近い関係であったほうが、亡くなった時に母親の記憶を思い出しにくい、と言われた。

そうかもしれない。

父が異常で、母や私に過度な負担を強いたせいで、私は少しでも母の苦しさを軽減したい、母を幸せにしたい、という思いに駆られて、必死になってきた。

必死になっていたことは覚えているのだが、その時々の具体的な母の様子が細かく思い出せない。

介護をずっとしてきたにも関わらず、母が危険な状態になった時から、私はなにか大切な母の記憶がどうしても思い出せないようなもどかしさに駆られ、苦しんでいる。

私は母が亡くなってから心身がおかしい。ちゃびが亡くなってから、さらに心身がおかしい。

母とちゃびが生きていた時には楽しく思えたことが楽しく思えない。今は、自分のために意欲を持つことが不可能に思える。

ただ生存のためにどうしたらいいのか、どうしたら生きていけるのか、それだけを真剣に考えている。

Fと知り合って、来年で20年になる。

歌人の森島章人さんからパラボリカ・ビスでの展示のお誘いがあったことを話した。

そしてステュディオ・パラボリカから復刊された雑誌『夜想』と、パラボリカ・ビスというギャラリーがどういう傾向で、どういう人たちをターゲットにしているのかを、それほど多くを知っているわけではないが、私が知っている範囲で、私なりに、Fに説明した。

FはPCもメールもやったことがない。インターネットで情報を知ることが一切ない人だ。現在の若い人たちの流行も、「アート」をめぐる現況も、ほとんどなにも知らない。

Fに対して、「ゴスロリ」の意味や、日本における「球体関節人形」の流行りなどのざっくりとした説明をした。

「それで、その展示、どうするの?やるの?」と聞かれたので、「だから、材料買って来たんでしょ。」と、あまり説明はせず、きょう買ってきた袋を見せた。なにをやるのかは、まだはっきり決めていない。

3時半、ひとまずカフェに入る。

まずFのために買っておいたメラトニンのサプリを渡した。眠剤がどんどん効かなくなってきて、かなり苦しんでいるそうだ。

私はちゃびがいなくなってから動悸や過緊張の肩凝りや頭痛にひどく苦しめられ、毎晩辛い記憶にうなされて安眠できないが、眠剤は飲んでいない。精神安定剤を飲むようになることが怖いので避けたい。

かつて私が、その並外れた芸術的才能ゆえに好きだった人が、「お金を貸して。」と言っては(返すはずもなく)、薬やたばこを買っていた。そのことが私の中で許せず、澱のように固まっているからだ。

Fは「バイラルメディア」や「Change.Org」、「Me Too」など、私がしゃべった単語をメモしていた。

今日の一番の目的、私が今作っている、次の本のカンプのようなもの(掲載順に絵を仮にならべたプリントの束)を見てもらった。

Fに最初に見てもらったおよそ3年前から、熟考の末、絵の量がはるかに増えている。それを見てどう感じるか、Fの感想を聞きたかった。

本に載せるための絵の撮影をいったんしてから、やはり自分の外に在るものに寄り添って描いた時間を取りこぼしては本をつくる意味がないと思い直し、これから新たに違うカメラマンに撮影を頼むことにした。

「すごくいいね。あなたにしか見えないもの、あなたにしかできないことだ。」とFは言った。

私は「そう言ってくれるのはFさんと、この世であと2人くらいだけどね。」と真面目に応えた。

Fは、私のことを「生涯でもっとも影響を受けた人だ」と言った。目のつけどころ、ものの見方、どれもが驚異で、私と散歩しているだけで、ほかの誰と歩くのともまったく違う世界が見える、と。

とりわけFがいる、「高踏的」とも形容してかまわないだろう文学の世界は、言葉を言葉で批評することだけですべてが回っているからだと思う。

彼らが思う「見る」ということと、私がものを見ることとは、言葉の意味などでなく、おそらく体験の内実が違う。

「アート」の世界はさらに絶望的なまでに自分の殻に閉じこもった病んだ精神が、自明なまでにそこでは主流になっているからだと思う。

私と関わり、影響を受けてから出した本のほとんどすべてで賞をとった、とFは言う。

私はおよそ賞といったものに縁がないが、Fがもらった最初の賞金で、カニを食べに行ったことを忘れていた。5万円くらいかかったという、私にとって人生で最も贅沢な会食だったのに、そういう楽しい記憶を私は忘れていることがすごくもったいない。

5時半に食事ができる場所に移り、私は「七田」を飲んだ。

そこで初めてFに、なかなか口に出せなかったこと、ちゃびが11月に亡くなったことを告げた。話しているうちに、涙がまた溢れてきた。

Fは「そのことが気になっていたけど、なかなか聞けなかった。」と言った。

私はちゃびのいない世界で、なにひとつ自分の魂が高揚することがない。

そのことは、この世の誰にも信憑できることではないと思っている。

「愛情に際限がない」という言い方がもっとも私にあっている、とFは言った。性格がお母さんとすごく似てるんでしょ、と。

「精神疲労で頭が朦朧として回転が悪くなっている」と言ったら、「そんなことはない、昔から少しも変っていない」と言ってくれた。

それから最近興味深かった映画や漫画の話をした。Fは今日私が買ってきた漫画を借りたいと言った。まだその漫画を味わい尽くしていなかったので、私は貸すのを断わった。

12月11日

今年最後の書道。

「高談娯心」(楽廣)。「高尚なる談論をして心をたのしませる事」と本部からのお手本にある。

先生のお手本。

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私の書いた字。こうして写真に撮ってみると起筆の角度がおかしい(少し寝すぎている)。次から気をつけようと思います。

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今まで半年くらい、ふたつに割れてどうしようもない筆を使って書いていたので、そうとうな徒労があった。先日、安い(1600円くらいの)筆を新調したら、今までの苦労は何だったのかと思うほど楽に書けるようになった。

一度割れてしまった筆は、先生に筆の洗い方が不十分と言われ、どんなに洗っても元には戻らず、むしろぱさぱさになって余計割れるようになった。

昔、小学生の時、そんなに必死に筆を洗った覚えがなく、それでも数年同じ筆を使っていたような気がするので、もしかしたらむしろ洗いすぎだったのか?

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2017年12月15日 (金)

『デッサンの基本』第29刷

12月15日

12月8日に『デッサンの基本』第29刷りのお知らせをナツメ社さんからいただきました。

前回、第28刷り決定のお知らせをいただいたのは5月末でした。それからすぐ母が危ない状態になり、増刷についてブログに書けないまま、29刷りとなりました。

購入してくださったかたに、心より感謝申し上げます。

『デッサンの基本』の本が見知らぬどなたかのお役に立つことがあれば、これ以上に嬉しいことはありません。

もしデッサン(素描)に関する質問がありましたら、私のHPのコンタクトからメールいただけたら、私にわかることはお答えしたいと思っています。

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「デッサン」という言葉を、私は「自分の外にあるもの」をよく見て、感じて描く(自分勝手に頭の中で描かない)、といういうような意味にとらえています。

そういう意味では、「素描」も、「写生」も、「スケッチ」も、「ドローイング」も、(色をつけてもつけなくても)同じようなことだと思っています。

私は、「デッサン」(エチュウド)というものを、「本画」(タブロー)のための準備段階の絵であり「本画」より価値が低い、とはどうしても思えないのです。

古い優れた画家の仕事でも、「本画」(とよばれているようなもの)よりも、「デッサン」(素描)のほうに強烈に惹かれます。

例えば、ドラクロワも、私には、彼の油絵より、「デッサン」のほうがはるかに魅力的に思えるのです。

その他、ピサネロ、ロセッティ、ヤン・トーロップ、デゥーラー、クリムト、シーレ、フランツ・マルク、マネ、ゴヤ、スタンラン、ゲインズボロ、ラスキン、グウェン・ジョン、ポター、エドワード・リア、ロダン、ドガ、ロートレック、ゴッホ、ピカソ、ワイエス・・・デッサンに目を奪われる画家たちの名を思いつくままにあげても切りがないほどです。

私が「デッサン」に夢中になる理由は、「生命的なもの」をとらえたい、という欲求だと思います。

「デッサン」は、その「時間」を、より直接的にとらえているからです。

日常の中でとらえがたい「生命的なもの」の「時間」を、手作業によって、紙の上にとらえたもの(もしくは、とらえようとして逃したものの痕跡)が「絵」だと考えます。

日本の美大受験のためのデッサンは、すべての要素をくまなく平均的、客観的に描く、官僚的、権威主義的な方法と言えます。そのやりかたが絶対ではありません。

基本のやりかたを踏まえたあとで、自分の「物の見方」と、短い時間の中で端的にとらえる方法、生きた線を追求することが「デッサン」の醍醐味だと思います。

自分の理想としては、少ない線であっさり描いて、その時だけしか見ることのできない不思議なものが描けていたら一番よいと思います。

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毎年、12月末くらいから4月の最初くらいまで夢中で描いていたパロット系チューリップの素描。

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18年前に描いたチューリップ(ブラックパロット)・・・今見ると線が硬い。

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チューリップ(ブラックパロット)。

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チューリップ(モンテオレンジ)。

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小さなアネモネ。

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クルミとピーカンナッツ。小さくて手軽なモチーフで、曲線とリズム、鉛筆の強弱をつかむのが楽しいです。

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2017年5月18日 (木)

『デッサンの基本』 (ナツメ社) 第27刷 / 緘黙

5月15日

住宅街を歩くと、枯れかけたハゴロモジャスミンと、柑橘系(ザボンやミカン)の花の甘い香りと、薔薇の香りが風に混じっています。

『デッサンの基本』(ナツメ社)増刷、第27刷となりました。(本日、27刷目の本が、手元に届きました。)

購入してくださったかた、ありがとうございました。

どんなかたが『デッサンの基本』を手にとってくださったのだろう、といつも思いを巡らせています。

私が予想した人数をはるかに超えた人たちが、どこかで、この本をめくってくださっていることが、不思議でたまりません。

素描(デッサン)には、いろんなやりかたがあると思いますが、この『デッサンの基本』が、どこかで絵をかこうとするかたの、わずかなヒントやきっかけになれば、とても幸せです。

最近私が描いたもの。

4月3日の記事で写真を載せた、近所で思いがけずいただいた椿の花です。

http://chitaneko.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/index.html#entry-112790659

巨大輪椿(ツバキ)の素描着彩(デッサン)。

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フリージアの素描着彩(デッサン)。昔、フリージアと言えば、黄色と白のイメージでした。最近のフリージアの花色は多様。八重咲きも多く見られるようになりました。
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牡丹の素描着彩(デッサン)。散りかけの姿が美しいと思う。
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ちゃび(猫)の鉛筆素描(デッサン)。

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いつも私にくっついて眠るちゃび。
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「花」という言葉が花を覆い隠している

デッサンは花という言葉を剥ぎ取って

花という得体の知れない存在に近づこうとする

紙の上にワープして

花は「花」という言葉から自由になる

花が生きるように沈黙のうちに線も生きる

それがデッサンではないか

(谷川俊太郎さんが書いてくださった『デッサンの基本』の帯文です。)

5月は「緘黙(かんもく)」の啓発月間だそうです。

前にも書きましたが、私は対人緊張が強すぎて、幼稚園から高校くらいまで、家族やごく親しい友人とは話せても、大勢の前ではほとんど話せませんでした。そういうふうに(特定の関係を除いて、)人前で話せない状態を「場面緘黙」というのだそうです。

私は子供時代、自分の自分の思ったことや考え、好き嫌いなどが、周囲からおかしく思われるのではないか、変に思われるのではないか、とあれこれ考えすぎて、悩んでばかりいて、学校で表に出すことが恥ずかしくて、なかなかできなかったのです。

幼稚園や学校で自分の意思を表明したくてもできなかったせいで、また、理不尽なことを拒否できなかったせいで、たいへん苦しい経験が山ほどありました。

緘黙気質の人は、他の人が気づかないことに敏感に気づいたりすることも多いのですが、一方で傷つくことも人一倍激しい傾向にあるのではないでしょうか。

心の痛みや苦しさを、外に表すことができない(表したくてたまらないのに、なぜか拘束されたように、どうしてもできない)ので、身体の中にどんどん鬱屈したものがたまってしまいます。

(私の場合、無言の反発力があり、なんとか不登校にもならず、大人になってからも精神科に通ったことはありません。)

私は今も対人緊張の傾向はありますが、初対面の人に、自分から話しかけることもできます。

私は幼稚園に行く前から、絵を描くことと本を読むことは好きだったのですが、私自身の体験から言えば、そのことがどこかで「場面緘黙」の苦しみと闘うことと結びついているように思えます。

そして、私がすっと愛おしく思ってきた動物たちと植物が私をたすけてくれました。

ものをよく見て描くということは、その時にはおしゃべりはいらない、そのものがそれ自身から訴えかけてくる魅力を、おしゃべりをやめて静かに聴きとるということです。

言葉では表しきれない魅惑に、もっと接近すること、愛するものに寄り添って描いた時間が、絵になることは、それだけで自分を支えることになっているように思います。

自分が気になるものを、何回も、繰り返し描くのです。自分も変わり、相手も変わっていく、自分の描く絵も変わっていく。

また、私は、よく散歩をしては、気になるもの、面白いものを見つけ、そこに何度も通って、時間とともに移ろう様子を見たりします。

そのもののどういうところに自分が惹かれているのか、自分の感覚に注意しながら見て、記憶するのです。

そういうことを繰り返しているうちに、いつのまにか、自分の好きなもの、嫌いなもの、自分の意志を表明できるようになってきました。

緘黙に苦しむかたたちは、そのような自分の感じたこと、考えたことを絵や文章などにかきとめておくことは、生きていく上で、おそらくとてもよいことだと思います。

絵を描いている時の私は、しゃべれないのではなく、誰ともしゃべりたくないから、絵に集中したいからしゃべらない。そういう沈黙の時間を持つことによって、自分が本当にしゃべりたいときにしゃべれないこともなくなってきたように思います。

そのものをよく見れば見るほど、終わりのない、休めない、苦しいデッサン(素描)にはいっていくことになるにせよ、とりあえずそれによって、私はある意味では強くなっていったのです。

緘黙気質の人に大切なことは、その鬱屈によって押し潰されないようにやっていくこと、自分を生存のほうに向かわせる、それぞれのやりかたを見つけることで、これについては、参考になるかはわかりませんが、自分の経験から思うことを、これからも少しずつブログに書いていけたら、と思っています。

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2017年2月28日 (火)

本郷理華 「カルミナ・ブラーナ」 ・ 宇野昌磨 /  絵の撮影

2月26日

フィギュアスケート四大陸とアジア選手権が終わった。

本郷理華のSP「カルミナ・ブラーナ」の個人的な印象。

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「おお、フォルトゥナ!運命の女神よ。月のように、姿は移り変わり、……」

だがそれは、言葉ではない。無言の全重量と釣り合う、もはや誰のものでもない叫び。
合唱という匿名性によって名ざされ、召喚される、いまだ名もなきものの怒りにも似た静寂。
その魂ととともに立ち上がり、長い腕を掲げて天を仰ぐ出だしから、私はぐっと引き込まれた。

それからなよやかに、ひそやかに、冷たい水の中をすべってゆく銀の細い魚のように、

天から零れ落ちてくるなにかを、手を伸ばして受けるように、

空気に舞う風媒の種子たちに触れるように、

あるいは中空に無言で語りかけ、自らの思いを差し出すように、

きわめて優雅に、麗しく、かつ伸びやかに、誰かの記憶に息を吹き込む

「常に満ち、欠け、生は忌まわしく無情に、時に戯れに癒して、貧困も、権力も、氷のように溶かしてしまう……」

古い建物の窓のすりガラスの光、ずっと揺れている、震えている灰色の細い木々の重なり、

記憶の中の、淋しく、なつかしい薄暗い風景のなかに、

時折、見え隠れしていた、なまめかしく、生命的なもの、

危うく無防備でありながら、誰にも触れられない、傷つけられないもの、

私はずっと覚えていて、いつでもそこに戻っていけるのだと告げるように、

刻々と移り変わる薄明光の階の下で、

鳥が一斉に飛び立つ羽音を聞き、旋回する影と交差しながら、

そして強い風にさらされて翻弄されながらも、その風に乗って、どこまでも遠くまで未知の場所に流離っていくように、

そんな女性的な、なにかとても美しいものを見ていた。

・・

私は、本郷選手の中で、このプログラムが一番好きだ。

彼女の端麗さが非常に際立つプログラムだと思う。

ジャンプの失敗はあったが、表現はとても洗練されてよくなっていると思う。

若く瑞々しい選手の、まさに表現が大人になる時に、ちょうどスランプの危機が来ることが非常に悩ましく、いとおしくも切なくなる競技だ。

夏から足首の怪我があったらしいが、今、跳べないのが精神的なものであるならば、次はよくなりますように、心より復活を願っています。

・・・・

男子は4回転ジャンプ合戦になったが、やはり宇野昌磨の表現に引き込まれた。

彼の演技はいつも、めくるめく情景を見せてくれる。

人それぞれの体験の重さ、想いの丈の際だった瞬間、その記憶、感覚を呼び覚ましてくれる喚起力がある。

2月24日

次の本の制作のための、絵の撮影。

1:30にカメラマンの糸井さん宅へ。

外の光はカーテンで遮断して(真っ暗ではなく、自然に薄暗い昼間の感じ)、ストロボは3つ。

前回の最後に撮影していただいた感じがすごくよかったので、今回の撮影の光のあてかたもそれに近くなるように、4回ほど光を微妙に調整して撮影していただく。

銀箔が全体にフラットに白っぽくなりすぎないように、斜め上に軽くスポットを当てて、絵の下側に行くにつれて少し暗い色になるように、銀の質感が生々しく出るようにしていただいた。

絵の線描が全部、バランスよく見えるように撮るのはセオリーだが、強い太陽光の下ではなく、そんなに明るくない小さな部屋の壁に掛けられているのを見ているリアルな感じを希望した。

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糸井さんは、光の違いによる絵の見えかたの微妙なニュアンス、雰囲気の違いを、とても理解してくれて話がすっと通じるので、初対面から仕事がすごくやりやすい。

万一、追加で新作を撮ってもらうことがあるかもしれないことを想定して、ストロボの出力など、今回の設定を記録しておいていただく。

途中、3:30頃、撮影予定だった絵が一枚足りないことに気づく。

Mに電話して、事務所から届けてもらった。Mは一時間後に到着。駅で待っていたら、急にすごく冷え込んできて、胃が痛くなった。

この時の冷えによって、次の日、吐いてしまい、一日具合が悪かった。撮影終了後に、Mと駅前の居酒屋に入り、空腹に梅干しサワーを飲んだのがよくなかったのかもしれない。

風邪やインフルだったらどうしようと焦って、友人に連絡し、会う予定を延期してもらったが、結局風邪ではなく、ただ胃腸の調子を崩しただけだったのでよかった。

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2017年2月17日 (金)

絵の再生 / S・Yさんと会う / M・Mさんと会う / 母また熱 /ネットと電話、どうにか復活

2月16日

以前に絵を買っていただいたS・Yさんに、お借りしていて再生した絵を引き渡す。

〈薔薇の貌〉(2012)

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以前から気になっていた完全禁煙のヴィーガンカフェに行って一緒にランチを食べた。

天井からたくさんのドライフラワーがぶら下がっているこぎれいな店。

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この店の中にはとてもドライフラワーが多いのだが、一か所だけ生のチューリップが活けてあることに、とても眼を惹かれた。

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紅花のドライフラワーの隣に、葉がなくて丈の短い生のチューリップが活けてあった。沈んだ黒紫色の花と、その補色の快活な黄色の花と、八重の華麗な花と。

私にとってチューリップは特別に反応してしまう花。かわいく明るいイメージではなく、妖しく謎めいたイメージ。
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最近、次の本に載せるために、以前に描いた絵の加筆(再生)をしていた。修理や補修というべきではなく、絵が、日々、刻々と新たに生まれるための命を吹き込む作業というべきだと思うので、的確な言葉を模索している。

薫泥と黒泥を使っての加筆。その上から銀のこれ以上の急激な腐蝕を止めるための保護膜を張る。

<鬱金香――種村季弘に。>(2004)。この絵は、枯れたチューリップを見て、そのまま描いたもの。私は具象、抽象の区別をつけない。

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<Thisle>(2005)
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私とともに、私よりもゆっくり遅れて、あるいは私を待ちかまえているように、絵が朽ちて変化していくのは自然なことで、時間による生きている変化を含めてこそ作品だと思う。

しかし上に重ねていた薄紙が貼りついてしまっていたり、変なふうに目立つ剥落の部分だけ、ほんの少し加筆(再生)をした。

2月11日

宅配便でNTTからルーターが送られて来、本体と電源アダプタとモジュラーケーブルなどを自分ですべて交換し、(認証IDとパスワードが不明でちょっとごたごたしたが)初期登録をやりなおしたら、ネットと電話が復活。

(昨年の10月から何度もNTTやOCNに、通信の具合が悪いことを電話していたのに、もっと早くルーターを送ってくれればよかったのに、と思う。)

自分で全部操作したので、修理料金はただになった。

もし、ルーターを交換して直らなければ、壁の中を工事しなければならないかも、と言われて、すごく不安だったのだが、ほっとした。

ただ、メールの具合はおかしい。画像添付したものが送信できない。

OCNに相談すると、セキュリティソフトが効いているせいだと言われた。

2月9日

冷たい霙。こんな寒い日に母を病院に連れて行っていただくことが心配でたまらなかった。

午後2時。施設から電話があったが、通信の具合がおかしいので、出た瞬間に切れてしまった。すぐ外に出て、公衆電話からかけなおした。

母の熱が下がったこと、S病院に連れて行っていただいた結果、また少し炎症反応はあるが、肺炎でもインフルでもないとのこと。

本当に今度は危険なのではないかと、心配ですごく胸が苦しかったが、とりあえずほっとした。

また施設職員さんたちのおかげで、命拾いをさせていただいた。

2月8日

朝、M・Mさんの熱が平熱まで下がったと言うので、夕方4時頃会う。彼女とは初対面だ。

「運命に逆らって、会えた。」とM・Mさんは喜んでいた。

つくっていた布花を渡す。

M・Mさんは、東京出身で、今、大阪に住んでいる年下の絵の好きな女性だ。

彼女は(私とは部位が違う)がんの手術を経験して、今ちょうど1年。

ブログの暗い印象よりも、実物の彼女はずっと元気そうに見える。

内心の苦しさと見た目の元気さのギャップ、それによって周囲からいたわられないことも彼女の深刻な悩みのようだ。

私もがんを経験している。しかし違う部位のがんを経験したばかりの若い女性に、どういう言葉をかけていいのかわからない。人それぞれにがんの症状やタイプ、闘病の環境も違うので、なんと言っていいのか、非常に悩ましい。

ただ、がんそのものと向きあうより、出来る範囲で自分の本当にやりたいことと向きあったほうが、免疫活性にのためによいのではないか、と私自身の経験からは思う。

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夜、また、母が熱を出したことを知らされる。明日、病院に連れて行ってインフルなのか診てもらうとのこと。

先日、高熱を出したが肺炎でもインフルでもなく、なんとか命拾いさせていただいたのに、また同じ症状。とても不安でいたたまれなくなる。

メールも電話も通信不能の時に、母の具合が悪いことにとても苦しむ。

2月7日

ものすごい北風。とにかく寒い。

朝、今日、会う約束をしていたM・Mさんから電話。なんと早朝から38度の熱を出したと言う。

「這ってでも行って会いたい。」と言われて、なんと答えていいのか非常に困る。私も会いたいが、私はすごく弱くて熱を出しやすい。

今、私が風邪をひいてしまったら施設にいる母にも会いに行けないし、自分の仕事も滞ってしまう。また、私が手伝いをしてもらっている友人にうつったら、友人の仕事関係すべての人に迷惑がかかる。

その後、すぐに電話もネット(メール)も不通になる。

ほとんど不通なのだが、ごくたまにメールが送受信できるので、「きょうはすごく冷たい北風だから、とにかく明日以降にしましょう。」と通信。

OCNテクニカルサポートに公衆電話から連絡。なかなか通じなくて長く公衆電話ボックスにいると、道を通行中の人からは奇異な目で見られているようだ。

2月6日

昨年の10月くらいから、ひかり電話が通話中に急に切れて無音になったり、受話器を上げて番号をプッシュしてもかけることができなかったりすることがたまにあり、それがだんだん頻繁になって困っていた。

昨年から何度かOCNテクニカルサポートに電話したが、ルーターの再起動をするくらいで、きょうまでだましだましやってきた。

今日、ついに、電話だけでなく、PCのインターネットまでがほとんど通じなくなる。

(「ほとんど」というのは、たまに一瞬通じる時があるからだ。)

私は携帯を持ってないので、電話もメールも誰とも通信できない状態。

公衆電話からOCNテクニカルサポートに電話。

とりあえず壁からの線を抜いてルーターを再起動してみてくれとのこと。

訪問修理になると、訪問費用7500円を含め、最高で3万円かかるかもしれないと言われた。

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2017年1月16日 (月)

「村上肥出夫画集」

1月15日

きょうはすごく寒い日だった。

朝、ちゃびが少し吐いてしまい、その後、私の手から無農薬小松菜をおいしそうに食べた。

その直後、ちゃびが流し代に上がって、私が使っていた染料の皿に足をつっこんでしまったので、大慌てで、すぐにお風呂で洗い流した。

私も冷えたのか胃の調子が悪く、吐きそうになったので、夕方までふとんにくるまって寝ていた。

ちゃびも私と同じ枕に顔をのせて、私の口に自分の口をつけるようにして、ゴロゴロ言いながら寝ていた。

私は夜に起きて胃薬を飲み、豆腐と卵入りうどんを食べた。きょうは、朝からこれ一食のみ。

ちゃびも、きょうは吐き気がするのか給餌をいやがり、あまり食べなかった。

二匹は体調もシンクロしている。

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詩人の飯島章さんからいただいた『愛すべき天才画家 村上肥出夫画集』について。

昨年、飯島さんから、とても久しぶりに急にお電話をいただいて驚いた。飯島章さんとは、もうずいぶんお会いしていないが、昔、詩集の装丁をやらせていただいたりした。

お電話があってからすぐ、飯島さんが監修した『愛すべき天才画家 村上肥出夫画集』をお送りいただいた。それで私は村上肥出夫さんという画家を初めて知った。

画集にある文章によると、村上肥出夫さんは、1953年に岐阜から上京し、日雇いなどの仕事をしたり、橋の下で生活したりしながら絵を描き、1961年頃から銀座の路上で絵を販売していたそうだ。

それから村上肥出夫さんはマスコミに大騒ぎされ、時代の寵児となった。

飯島さんが村上さんに出会ったのは、1968年頃、飯島さんが19歳、村上さんが35歳の頃らしい。

1997年に自宅が火事になった時に精神に変調をきたし、現在、村上肥出夫さんは岐阜県高山市の病院で療養生活を続けておられるとのこと。

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画集を開くと、いろんな傾向、様々な技法の、村上肥出夫さんの絵がある。

60年代初頭の厚塗りの油彩の風景画。たしかに彼の油彩の中では、この時代の風景画が一番いい。

東京のどこを描いても、あるいはパリのモンマルトルやセーヌ、ニューヨークのブルックリン・ブリッジやレキシントン・アヴェニュー、フィレンツェのベッキオ橋を描いても、彼が描くと「廃墟」になっているからだ。

ビルであろうと、橋であろうと、あらゆる人工的な建造物に、たとえそれが今まさに建てられたばかりの新建築であっても、そこに「廃墟」を透視する眼。

上・・・大崎 1962  下・・・等々力 1962

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駅前交番 1961
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ポンテ・ベッキオ
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チャコールグレーや茶色に沈んだ色の中に、複雑で豊かな諧調の、ぬめぬめ、ちかちかした光の粒がある。

暗鬱で哀切を帯びているのに、なにか賑やかなような、細かい蠢くものに満ちた風景。

風景、空気のそこここに、ちかちかと何かを発信する微小の生命的なものがいる。

風景の中に人物は見えない。彼は風景自体と交信しているのだ。

70年になると、色彩が氾濫する。極彩色の厚塗りのタッチが粗い花。

私はここらへんが一番苦手だ。ねっとりと塗りつけられた極彩色の油絵の具そのものが見えすぎて、感覚的に気持ち悪くなるのだ。「売り絵」っぽくて村上肥出夫のよさが出ていない。これらの絵には、どこにも微小の不思議なものたちがいない。

この時代は、風景のパステルのほうがいい。

80年代の少女の絵は興味深い。ちょっと怖い感じで眼が見開いている。

90年代の絵は精神的に安定を欠いている。ルイ・ウェインの晩年を思い起こすバラバラな感じ。

ペンで描いた風景の素描。タイムズスクエア、セントラルパーク、ウエストサイド、シテ、モンマルトル遠望、ポンヌックで・・・ここらへんが一番好きだ。

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彼は聖堂も、噴水も、塔も、細い曲線でとらえている。その隙間と線のかすれの中に、やはりちかちかと光るものがある。

私は塗りたくった絵より、細い曲線でそよそよと描かれた絵が好きなようだ。

そして時間そのものの織りなす襞の微細なニュアンスをとらえている絵。

全体を通して見えるのは、内向的で正直な人だということだ。村上肥出夫さんの絵は、外の世界にあるものに畏怖を感じている彼の心が見える。

彼の著書を読んでいないので、よくわからないが、対人恐怖や不安障害もあったらしい。

画集に載っている若い頃の村上肥出夫の顔写真を見ると、とても大人しそうで、人なつっこそうな眼をしている。

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その写真の大人しそうな眼を見て、斎藤隆さんを思い出した。もうずいぶんお会いしていないが、お元気だろうか。

斎藤隆さんとは、一目で通じるものがあった。私も極度ではないが、人見知りで内向する性格だ。

斎藤隆さんもひどい対人恐怖に苦しんでいた。そのために、よくお酒を飲んでいて、朝、すごく早くに電話しないと、昼に電話したらもうぐでんぐでんに酔っていて、話にならなかった。

酔っていない時はシャイで繊細で正直な人だ。優しくしてくれた思い出もある。ずかずかと図々しく上がり込んでくるような人が嫌いだ、と私に言っていた。

ネットで調べたら、福島民友に震災後の斎藤隆さんの記事が載っていた。また声をお聞きしたいと思う。

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2017年1月 9日 (月)

絵の撮影 / 母のこと(気管支炎)

1月5日

私の次に出す本(画集)のための銀箔の絵を、新たなカメラマンさんに撮影しなおしてもらう。

銀箔を貼った絵が、最初のカメラマンさんの撮影では、私が室内で肉眼で見た自然な感じとかけ離れていたので、本には使えないと判断したためだ。

一回目のカメラマンさんの撮影では、2か所から強い光をあてたのか、銀箔のぎらぎらした存在感は出ていたが、余計な情報過多で、肝心の手描きの線が見えなくなっていた(セオリー通りの撮影ではあるらしいが)。

今日初対面のカメラマンさん、I井さんのご自宅兼スタジオに伺い、撮影を見学させていただく。気さくなかたなのでよかった。

白い紙と黒い紙を使って、照り返しを調節するセットを組んでくださっていた。

けれど結局、白と黒の紙なしの、天井や壁や室内のものが映りこんだ状態で撮った最後の一枚が、一番自然に、銀箔の質感と手描きの線の両方が出た。

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何枚か光をあてる方向を変えて撮影し、その都度パソコンの画面で確認。

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最初のカメラマンさんは、なにを重要視して撮ってほしいかをこちらから言葉で伝えると、なんの画像確認もなしに自分の判断で、いきなり印刷したカンプを出してきたので、それでは絶対無理だと思った。

I井さんは、何回もやりかたをかえて撮影してくださり、その都度「ここの質感が出てきましたね。」「こちらがちょっと飛び過ぎですね。」「さっきのよりこっちのほうが雰囲気が出てますね。」など、私が絵のどこを見せたがっているのかを理解してくれて、コミュニケーションが成立した。

I井さんの仕事を見て、最新のやりかたはこんな風なのか、と感心した。

たとえ物撮りであっても、カメラマンは、いろんな工夫をして、それぞれに個性的なやりかたがあるのだろう。

ある種の冒険的な精神によって、見る者の主観の中でしか成立しない絵画であればなおさら、その撮影も通り一遍のやりかたでいいはずがない。

プロの現場を見学させていただいて、たいへん勉強になりました。

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最近の母のこと(気管支炎)。

1月8日

母に会いに、施設へ。

年末からずっと気管支炎で、痰がらみがあるので、誤嚥による窒息が心配で落ち着かない。

高齢だから、いつなにがあってもおかしくないのだが、きのうの夜からきょうは、熱はなんとか落ち着いてきて、36度8分から37度くらいだそうで、顔色も穏やかだったので、ひとまずはほっとした。

きょうは昼食は食堂で、地方の訛りあるのちゃきちゃきした女性職員さん。やはり3人を同時に介助されていた。

母が今ほど噎せの危険がなく、私が介助して食べさせていた時は、廊下のテーブルでやっていたので、食堂での皆さんの食事風景を見るのはきょうが初めてだ。

母に声かけしながら、口を開けるのを待って、飲み込むのをじっくり待って、噎せないように少しずつ食べさせてくださっている。

うちのちゃび(19歳6か月の雌猫)に私は毎日、強制給餌しているのだが、ごっくんと飲み込むのを待って、次のをシリンジで入れるのとほぼ同じだ。

食堂でほかの皆さんを見ていたら、ひとりでちゃんと食べられる人は少ない。本当に職員さんたちのおかげだ。

ひとりの女性入居者が、立ち上がってスタスタとほかの女性入居者に近づき、びよ~んと下唇を引っ張る事件が起きた!

母を食事介助してくれていた職員さんが慌てて駆けつけ、「こら!なにしてんの。」と止めたら「やわらかいんだも~ん。」と。「まったく油断も隙もないんだから。」と職員さんたちが笑っていた。「下唇がとりわけぷっくりしているかたなので、引っ張ってみたくてやってるんですよ~。」ということ。

ほかにも、食事中になぜか「うわあ~~ん」と大声で泣き出す人(過去の哀しい夢を見ているのか?わからない)、食器をがんがん机に叩きつける人、ジェスチャーを繰り返してなにかしゃべっている人、いろんなかたがいるので、それはそれはたいへんだ。

職員さんに重々御礼を言って帰る。帰りに中野で天婦羅を食べた。

1月4日

K島さんに電話して母の調子を伺う。まあまあ、おだやかに過ごしているそうで、少し安心。引き続き痰の吸引。

1月2日

私はずっと自分が風邪気味で、咽喉の痛みが続いていたので、母にうつすのが怖くて、しばらく施設に行っていなかったのだが、久しぶりに会いに行った。

母の部屋のベッドのそばに痰の吸引器があった。

大柄の目のきれいな女性職員さんに、廊下で昼食介助していただいていた。ひとりで3人を同時に介助。

母はむせやすいので、見ていても窒息するのじゃないか、とはらはらする。本当に職員さんのお仕事はたいへんだ。生かしていただいていることを、実感する。

「39度近い熱が出た夜、(看護師さんがいないので)朝5時まで座薬もできなかったので、すごくかわいそうだったんですよ。」と言われた。

K島さんにくわしいお話をきく。体重は今、激減している感じではないので、肺に食べ物がはいって窒息するリスクを避けるため、無理して食べさせない方針とのこと。おまかせしますのでどうかくれぐれもよろしく、とお願いした。

ヘルパーさんひとりひとりに、御礼のご挨拶をしてから帰った。

すごく張りつめていたので、お酒が飲みたくなり、中野の立ち食い寿司で日本酒を飲んだ。私は日本酒を飲むことはなかったのだが、意外にも飲めてしまった。

今年も気持ちが落ち着かず、ゆったりとごちそうは食べられない正月。

12月30日

11:20頃、施設から電話。

また39度近い熱になりYメディカルセンターに連れて行ってくださった。危険な状態なのか、とすごく心臓が苦しくなった。

父が年末に亡くなったことを思い出して、何とも言えない暗く不安な気持ちになる。年末ぎりぎりに母が亡くなるのはすごく辛い。むしょうに怖かった。

午後3時半頃、電話があり、施設に戻ったとのこと。

ここでも、気管支炎と言われ、入院させるほどの状態ではない、とのことで、違う種類の抗生物質が出た。

長い時間をかけて病院に連れて行ってくださったTさんへお礼を言う。

30日と31日の夜、母が死んでしまうことを思いつめてうなされ、あまり眠れなかった。

12月28日

母のいる施設から電話。「病院に連れて行くので、入院になるようだったら来てください。」と言われた。

12月26日くらいから38.6度の熱を出し、抗生剤を投与しているとのこと。

下落合のS病院。結果は、肺はきれい。炎症反応はあるが、おそらく気管支炎だろうということ。抗生物質を出していただいた。入院する状態ではないと言われた。

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2016年12月25日 (日)

宇野亞喜良展《絵本の城》 / ちゃび

12月23日

宇野亞喜良さんの個展《絵本の城》へ。

その前に、3時頃、外苑前を少し散歩した。

きょうは真冬なのに20度にもなった異常に暖かい日。そのせいか黒雲と入道雲が混じるような不思議な空模様だった。

外苑のあたりには、欅、スダジイ、松などの巨樹。

グレーの諧調で光る背景に並んだ欅の細枝を見て、モンドリアンの描いた水辺の木々の絵を思い出した。

それと象徴派の画家で生け垣を何枚も描いていた人(名前を思い出せない)。穴澤一夫先生が解説を書いた展覧会で見た絵だ。

細い血管のような線の先端が溶けてつながっていた。

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しだれ桜も象徴派の線のように垂れていた。

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このあたり、都会には珍しくビルがなく空が広い。イギリスやドイツの小さな町を歩いた時の記憶が蘇る。サイレンセスター、バーミンガム、バーモンジー、バース、オルテンブルク、ハンブルク、ベルリン・・・と記憶が飛ぶ。

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絵画館前の銀杏並木はすっかり裸になっていた。シンメトリーの風景をマラソンする人たちが速いスピードで横切って行った。
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ユリノキ(リリオデンドロンチューリッピフィラ)の黄葉。
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駅に戻る時、黒雲から雨がぽつぽつ。陽に光っているほうの雲は明るい。めまぐるしくてコントラストの強いバルセロナやフィゲラスの雲を思い出す。

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電車で新宿に移動。地下道から伊勢丹にはいると、いつになくすごく混んでいた。毎年意識しないので気づかなかったが、クリスマスの直前だからなのか。

宇野亞喜良さんの個展《絵本の城》は、『白猫亭 追憶の多い料理店』(小学館)と『おばあさんになった女の子は』(講談社)の絵本原画展示。

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会場はとても盛況だった。2時から5時まで、ひとり2分としても3時間以上。100人にも丁寧にサインをしている宇野亞喜良さんはすごい。

5時を過ぎてもなかなかサインが終わらないようなので、きょうは奥様にだけご挨拶をした。

撮影OKの場所は、このコーナーともうひとつTVのあるコーナーのみ。

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TVでは宇野亞喜良先生の昔の実験的なフィルムが流れていた。60年代後半の絵だろうか。「あのこ」を思い出す馬の絵のボディペインティング。

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資生堂マジョリカマジョルカのイラスト。パーツをどのように組み合わせても絵になるように色彩と線の分量のバランスがうまくできているのが鮮やか。
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12月24日

ちゃびの検査結果を聞きに行く。体重が増えると同時にまた少し腎臓の数値が上がってしまったようだ。BUN36.3 CRE3.0。

でも最近は元気だ。

13日と14日に2日連続でほんの少し黄色い唾液を吐いたので、14日に病院に電話したら「連れて来て。」と快作先生に言われたので、青くなって連れて行った。

診てもらったら「おなかに毛玉がつまってる」と言われ、バリウムと吐き気止めを飲まされた。

受付の看護師さんに聞いたら「うちの子もしょっちゅう黄色い胆汁吐くけど、けろっとしてるんでほっといてますよ~」とも言われた。

大事なくてよかったのだが、ついでにワクチンが切れていないかの検査と、腎臓などの検査一式をしたので、いつもの輸液セットと薬と合わせて、この日は25000円もかかった。

毎朝、私のふとんにはいってきて、私の口に自分の口を近づけ、大きな声でゴロニャア!爆発のちゃび。顔にチュッとやると「ウギュルルウウウ~」とゴロゴロの爆音で大きくお返事。

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真夜中、ふと目を開けると、私の顔を見つめてゴロゴロ言っているちゃびの顔が目の前に。
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体調がいい時ほど激しく甘えてくる。

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私の左腕に顔をのせて、さらにお手々で私の腕の付け根を押さえて、嬉しそうなちゃび。

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息で鼻を膨らませたちゃび。

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