絵画

2019年12月28日 (土)

『デッサンの基本』(ナツメ社)33刷り

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『デッサンの基本』がまた増刷になりました。

これで33刷りとなりました。

購入くださった方々、読んでくださった方、ありがとうございました。

来年はデッサン会をやりたいです。

皆様、楽しくデッサンしましょう!

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猫デッサン(プフ、チョビ、ちゅび)

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肥後菊、伊勢菊
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江戸菊、嵯峨菊
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江戸菊(春の霞、うたかた)
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2019年12月26日 (木)

宇野昌磨、高橋大輔

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全日本フィギュアの印象と個人的感想のメモ。

宇野昌磨『Great Spirit』

地を揺るがすように太古から響く、強烈なくり返しのリズム。濁りと振動。痺れるような高揚感。

よくこんな曲を見つけてきたと思える、スポイルされていない独特のプリミティブな力強さ、熱さ、ある種の純粋さを感じさせる宇野昌磨選手にぴったりな曲。

わかりやすい意味によって編まれたストーリーではなく、その場の臨場感、すさまじく動的な躍動がなければ成立しないプログラム。

「大いなる魂」に全身を浸し、狂ったように踊らされる者となる。原初的な感応力と、燃えるような熱を発する身体が、この瞬間にその能力を試される。

詩人の吉増剛造さんが、ずいぶん前に送ってくださった『アメリカン・インディアン口承詩』(金関寿夫 2000年 平凡社ライブラリー)(今は「ネイティブ・アメリカン」という呼称のほうが定着)を読み返していた。

ネイティヴ・アメリカンの言語の種類は千以上にのぼるという。種族も500を超えるそうで、文化は多種多様を極める。南西部の部族と南東部の部族が出会っても言葉は通じない、という言語学者もいるそうだ。

しかし、「彼等の神話や世界観にあらわれた本質的な同質性は、どうしても否定できない。」

文字をもたない彼らの言葉。発声。リズム。呪術的な響き。立ちのぼるいのち。

ゲイリー・スナイダーの言葉、「コヨーテの声は地霊の声だと信じてるんだよ。」

地霊の声に突き動かされるように、宇野昌磨は激しく魅力的に舞った。

・・・

宇野昌磨『Dancing On My Own』

最初に聞いた時は、ちょっときれいに流れすぎてとっかかりがないというのか、印象が弱い曲だと感じて心配だった。私がフィギュアで見たいのは、濁りや激しさ、不穏さのある強い曲だ。

しかし全日本の滑りを見た時の印象は、最初に聞いた時とはまるで違っていた。

今期、苦しみぬいた後にようやく訪れた眩しく暖かい恢復の光とともに、「悩みが多すぎて、うんと苦しんでボロボロになったけれど、それでも僕は踊り(滑り)続けるよ」と語りかけている曲に聞こえた。

「僕はずっと滑り続けるよ。何があっても・・」と、くり返し聞こえて、思わず涙。

・・・・・

高橋大輔『The Phoenix』

シングルのラストステージに、よくぞここまで体力を使う難しいプログラムを。

しんみりしっとりする曲ではなく、激しく攻める曲を選んでくれた、その心意気にほれぼれする。

だがいつでも彼は、ラストでありファーストであるようなステージで、この曲のタイトル通り火の中からの復活に賭けてきたのに違いない。

怪我による不調もあったろうに、心身のすべてを捧げて、極限の演技を見せてくれたと思う。ただただありがたい。

演技後のインタヴューにも高橋選手の真摯でシャイで温かい人柄が、すべて出ていた。

『Pale Green Ghosts』

妖艶であり、また不気味でさえあるだろう、音楽はまるで彼だけのために今流れるようだ。

氷上を一人で踊る高橋と二重写しとなって多くの亡霊たち(Ghosts)が戻ってくる。

今まで、ありとあらゆる感情の体験とともに、めくるめくイメージや色彩を見せてくれた高橋大輔選手。

猛烈な嵐に翻弄される小船のように狂おしく舞ったかと思えば、張りつめた冬の空に枝を広げる樹木のように静かに震え、次に顔をあげたときには燃えさかる火のように誘惑的で・・・。

日本人で、これだけ豊かな個性を持ったスケーターは二度と出ないだろう。

最後は、振付師が新しく振り付けたポーズではなく、やはり彼は手を天に精一杯伸ばしていた。

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伸び盛りの若手の瑞々しい演技もあり、今年の全日本はとてもどきどきして心に残る大会だった。

 

 

 

 

 

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2019年12月14日 (土)

岡田温司さんトークイベント「知識人と書斎――アガンベン自伝に見る書斎のかたち」

12月8日(日)

岡田温司さんのトークイベント「知識人と書斎――アガンベン自伝に見る書斎のかたち」を聞きに日本橋、コレド室町の中の誠品生活へ。

月曜社の小林さんより、月曜社の最初の本が『アウシュヴィッツの残りのもの』(上村忠男、広石正和訳)で、これが一番売れたとのこと。私もこの本で初めてアガンベンの思想に出会い、強く感銘を受けた。

岡田温司さんは予想していたより柔和なかたで、お話も軽妙で楽しかった。

『書斎の自画像』はハイデガーとの出逢いから始まり、それからは時系列ではなく、自分の書斎にあるものをアガンベンが見ることによって思いつくままに綴られている。

――お話の断片的メモ――

生きる形式と存在の様態が区別されないのはフーコーの影響。 

エピゴーネン・・・有限な存在であるということ。過去のテキストを独自の形式、新しい読み方で受け継ぐ考古学。発展可能性。

ハイデガーの存在論を乗り越える。存在と存在者を区別しない。

哲学と詩作。ポエジーの問題。コミュニケーション(伝達)に限定されない言葉。

岡田さんが最初に訳されたのは『スタンツェ』。

『イタリア的カテゴリー』「西洋の言語はますます哲学と詩のあいだで引き裂かれてしまい、一方は悦びなき認識へと、他方は認識なき悦びへと向かってきたのだが、いまや急を要するのは、哲学にそれ本来の悦びを、詩にそれ固有の認識を奪還することである。」

ダンテ論執筆への岡田さんの期待。

パゾリーニとの関係。

アガンベンは悲観的、黙示録的(「歴史の終わり」を語る)とジョルジュ・ディディ=ユベルマンにも言われているが、悲喜劇である。

コメディ・デラルテ、プルチネッラ・・・アイロニー、ペーソス、諧謔

トト(喜劇王)、人形劇仕立て

身振り・・・目的や意思にしばられない。ギャグ。

「大きな鳥と小さな鳥」・・・サン・フランチェスコの小鳥への説教。喜劇仕立て。

発想のアルケー。

ドゥルーズ追悼文においても「セルフ・エンジョイメント」の思想について言っている。

無為・・・無活性とは違う。常識的に考えていることを無為にする。行為する時の潜勢力。通常のやりかたをエポケーして別のやりかたでやる。

言語の別の使い方。

ジャン=リュック・ナンシー『無為の共同体』・・・共同体の別の可能性。

『書斎の自画像』の巻末・・「草」についての記述。ドゥルーズの動物の生成変化の向こうをはる。アガンベンの弟子エマヌエーレ・コッチャの著作『植物の生の哲学』。

植物は、世界があるとはどういうことか、生命が世界と結びうるもっとも基本的な関係を体現している。

ハイデガーの『放下 (Gelassenheit)』における星々 カント的・・・見上げるもの。それとは対称的な、草・・・足元の・・・。

京都からおいでになった岡田温司さんと。

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コレド室町というところに初めて来た。私には食べられそうな店が無かったので、キラキラしたイルミネーションだけを見て帰宅。
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2019年12月12日 (木)

鵜飼哲さんと会う 次の本の制作

12月7日(土)

制作進行中の私の次の本についての打ち合わせで、鵜飼哲さんとお会いする。

今朝はこの冬一番の寒さ。関東でも初雪。先週の金曜に発熱してからずっと頭痛と吐き気に悩まされていたので、冷気でぶり返さないように気を張りつめて外出。

3時に三鷹。駅からすぐの日本茶の店。窓から玉川上水の広葉樹に絡まる真っ赤な蔦が見えた。

鵜飼さんが頼んだ「濃い抹茶」と栗蒸し羊羹。
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編集Tさんの頼んだ「薄い抹茶」とクリーム大福。
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私の頼んだ抹茶ゼリー(和菓子など甘いものが苦手な私にもこれは優しい甘さでおいしかった)。
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「概念によらないで直接感応する」という若林奮先生がよく書いていらしたことについて、鵜飼さんに質問してみた。

旧石器時代に人類が初めて絵をかいた時のことは、私も若林先生の本で読んで想像し、またネットでいくつかの壁画の写真を見たりするだけなのだが、それらにもとづく思考もまた既成の「概念」を当てはめているに過ぎないのだろうか?

そのことについて鵜飼さんは「実際に現地の洞窟まで見に行っても、あまり何も感じられない人もいる。それよりも若林さんの本を読んだだけで、ここまで考え(感じ)られるということがすごいんです。」と、私の著書を手にとり、言ってくださった。

また、「すべての距離は3重である」ということについて。これは非常に難しい。

・・

2時間半くらい仕事の話をしたところで完全禁煙でお酒が飲める食事処に移動。「きょうはたくさん勉強しましたね。」とまずは熱燗で乾杯。

そのあと、私が強い嫌悪感を覚えるのは巨大な政治権力よりもむしろ、権力に抱きかかえられながら、それにおもねり、あるいは逆に抗うふりをしてみせる「アーティスト」たちと彼らが作る「アート」であることを、私としてはとても控えめにではあるが宣言させていただいた。

私の気質としては、私のいる日本の現況において表現の自由を勝ちとり守る闘いよりも、表現された「アート」と呼ばれているもののなかに私が興味を持てるものがあるのか、ということばかりが気になる。

政治的なメッセージが込められていようといなかろうと、「アート」はいつだってすでに政治的だ。

「アート」こそが、外(「アート」をめぐるおしゃべりの外)にいるものたちの無言の声、証言すべき経験を持っているものの声が発せられることを妨害している。その周りに群れ、つまらない御託をわめきたてる人たちが不快でたまらない。

心に残る作品は一瞬でわかる。そして作品の無言とともに、その無言が語る言葉があればそれにも当然興味がわく。

私が信頼する美術評論家は誰かと聞かれた。もうずいぶん前に亡くなられたかただが、詩人でもあった織田達朗さんのことが浮かび、織田さんと交わした言葉を少しだがお話しした。

丸木美術館にある「原爆の図」についてのずいぶん辛辣な批判も、私は織田さんからお電話でうかがっている。

聞けば鵜飼さんは丸木美術館の理事になったそうで、作品自体の評価はともかく、人が集まる場所として保存するのはよいのではないかと言われた。

また、私はもういい加減人生も終盤になったので、これからは「生」を侵害してきた相手、そうしていることさえ気づかずにいる相手に、(タイミングとしては随分と遅れてしまったとしても)面と向かって、こちらが非常に苦しめられている事実を伝えるように変わっていきたい、と話した。

そこで鵜飼さんと共通の知り合いのある人の名前を出すと、「あの人には何を言っても(理解できないから)無駄でしょう。」と。

私もその人に理解を求めても無駄なことは重々知っているが、なんであれ死活問題としてのしかかってくるのであれば、たとえ周りの誰もが何も感じていない状況であっても、私だけはそれに同調させないでほしい、と次からははっきり言うつもりだ。過去において勇気が出ずにその発言ができなかった自分を私はひどく後悔し、腹立たしく思っている。

鵜飼さんは、私の『反絵、触れる、けだもののフラボン』の中川幸夫先生について書いた文章から、「喉笛をかみ切る」というところをほめてくださった。喉笛をかみ切るためには普段は無言の植物であることのほうが望ましい。

『デッサンの基本』の増刷のお祝いに「酔鯨」の冷酒で乾杯してくださったあと、さらに「久保田」を飲んだ。

西洋のデッサンにはない呼吸の問題、ポンジュの言葉、ヘーゲル「花の宗教」、ジュネの昔の恋人の息子ジャッキー、現代詩、天皇制とキリスト教、女性崇拝、ロマ族・・・

話すことは尽きなくて、10時に閉まるまで店にいた。

駅のコンコースでも話は続いた。

鵜飼さんには次の本の制作に関して、また、私の宿痾ともいうべき性質(直感的に激しい違和や疑問を覚えることについて、追求しなければ気がすまないこと)について、言葉にできないほどお世話になっている。

あらためて心から感謝です。

 

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2019年10月 1日 (火)

次の本の制作 / 高田馬場

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9月24日(火)

私の次の本(画集)に載せるための評論(解説)の原稿を、編集さんが転送してくれた。鈴木創士さんに次いで、二番目に到着した鵜飼哲さんの原稿だ。

鈴木創士さんのときもそうだったが、鵜飼哲さんもまた、私が常にうまく言葉にできなくて苦しんでいること、私にとっての絵とは何かについて、厳密に言語化してくださっていて感激した。

正直に言えば、ここまで私という「個」の仕事に寄り添い、分け入って、精確に見て、書いてくださるとは思わなかった。

私の『反絵、触れる、けだもののフラボン』を、特にその中でも読みやすいとは言えないだろう若林奮論を、深く、微細なところまで読んだうえで書いてくださっていた。

概念によらないこと、その実践がどのようなものかを言葉にするためには、「言葉」とは何か、言葉でないものを「受容する」とはどういう身体の状態なのか、を言葉にしなければならない。

「前方にあるもの」との「三重の距離」・・それを概念に媒介されることなく、はかること。

素描の「リミット」。植物を描いていることの意味についても。

急に届いた私にとって最も嬉しい贈り物に戸惑い、恐ろしくて胸がざわざわした。

本当に、ありがたすぎて言葉にならず、御礼の言葉をすぐにはメールに書くことができなかった。

9月25日(水)

鵜飼哲さんに素晴らしい文章をいただいたことで、停滞していた思考回路から次の本の新たなアイディアが突如として生まれ出て来、編集さんを煩わせることとなった。

衝動が湧いてくると抑えられなくなり、今まで3、4年もかけて選択していた絵を入れ替えし、久しぶりに夜中まで夢中で仕事した。

深夜2時過ぎにお腹がすき、咽喉が乾いてたまらなくなり、冷凍の枝豆をおつまみに、1本だけとっておいた珍しいビールを飲んだ。

オールドトムというアルコール度8.5パーセントもある黒ビール。

「イギリスで最も古く、最も有名なビールの一つ」、「チョコレートやポートワイン、胡椒の風味を感じさせる、複雑で味わい深いビール」だそうだ。

10年くらい前は、明け方まで夢中で絵を描いていることもよくあった。3時や4時に気がつけばとてもお腹がすいて、食事をし(そんな時間ににカキフライなどを揚げてたべることも)、ビールをがんがん飲んで、外が明るくなってから眠りに着き、昼前に起きたりしていた。

ふとどこからともなく訪れるものを、自分で計画したりコントロールしたりできないので、顕現するものがあった時に、それを逃さないためために、すべてをそこに合わせる生活。頭が回転してくると、すごく楽しくなってきて、疲れも眠気もを感じない。

最近は体調を崩さないように思慮しなければやっていけず、夜に暴飲暴食はしたくないけれど、今日だけは。

9月26日(木)

高円寺でお世話になっていたマッサージ店が6月末に移転になってしまい、ずっと身体中が凝り固まっていたのだが、3か月ぶりにマッサージに行くことにした。電車を乗り継いで移転先へ。

以前お世話になったOさんはもう辞めてしまった。きょう初めてお会いするKさん。

「ここまで酷くなるまで我慢なんてちょっとすごすぎます。肩、背中の筋肉と皮膚ががちがちに固まってはり付いてしまっている。」と言われた。

首ががちがちで、頭皮が血行不良でぼこぼこしているそうだ。脚も冷えて固くむくみが酷い、と。

このところずっと頭の筋膜が凝って頭痛がするのを、鎮痛薬と神経ブロック注射でなんとか我慢してきた。とりあえず血行をよくする努力と、毎日10分でも運動をしようと思う。

高田馬場近くの、昔好きだった細い裏道を久しぶりに歩く。

とてもよい雰囲気の多摩旅館は健在。

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人ひとりがやっと通れてすれ違えないほど細い家と家の間の道。この道に面していた古い下宿屋のような素敵な建物が無くなって、原っぱになっていた。

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http://chitaneko.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-bd58.html#search_word=戸山 高田馬場

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2019年9月12日 (木)

チョビとプフ、1歳になる / 台風 / 結膜下出血

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9月12日(木)

台風による千葉県の深刻な被害。友人のことが気がかりだ。

きょう、生協から届くはずの千葉県八千代市の低温殺菌牛乳も欠品だった。停電による乳業工場の停止や乳の廃棄も気の毒だが、暑さで牛たちの命がすごく心配だ。

・・・

きょうは、1年前、生まれたばかりのチョビと初めて対面した日。

チョビは9月10日に拾われ、翌日、Sさんが預かった。

Sさんと同じの社宅の人が、ご自身は猫アレルギーにも関わらず、保護してくれたそうだ。猫用ミルクをスプーンでやっても自力でなめることもできず、ぐったりして、眠ってばかりいたらしい。

後のことを考えずに、とにかく拾ってくれたかたに感謝です。すぐに拾われなければ死んでいただろうから。本当にチョビは頼りなくて、よたよたしていて、死にそうな赤ちゃんだった。

9月11日にSさんから電話を受けた時、私は飛び上がるほど驚いた。6月にちゅびが落ちていたのとまったく同じ場所に、またも生後10日くらいの猫の赤ちゃんがひとりぼっちで落ちているなんて、そうあることではないから。

拾われたばかり(2018年9月10日)のチョビ。

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そしてさらに9月30日、台風直前の雨の中で、プフがSさんに拾われた。

ほんの少しのタイミングがずれて、優しい人に拾ってもらえなければ、ちゅびも、チョビも、プフも、今頃生きてはいなかった。

その後、Sさんの住む社宅の裏に、避妊されていない野良猫の群れが住む場所が発見された。Sさんや保護団体の人たちによって、たくさんの野良猫たちが保護やTNRをされた。

最近のチョビ(鉛筆スケッチ、デッサン)。

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最近のチョビとプフ(鉛筆スケッチ、デッサン)

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近所のなぎ倒されていたオシロイバナ(白粉花)は全部引き抜かれて無くなっていた。枯れて花が緑色に変わっていたアジサイ(紫陽花)も、なにも残されていなかった。

9月10日(火)

結膜下出血していた右目の血はほとんど吸収された。

国産の鷹の爪や有機野菜を買いに阿佐ヶ谷まで自転車を走らせる。唐辛子は収穫されたてで、乾燥していないものしかなかった。

駅近くの、小さくて素敵な庭(かつてこの庭には「ご自由にお入りください」という札がかかっていて、私は喜んで入らせていただいた)。その古いお家の、私が好きだった胡桃の木が、台風で根から倒れてしまっていた。大きな葉の優しい樹だったのにショック。首都圏を直撃したのは観測史上最大の台風だったらしい。

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欅屋敷の敷地内に重機が入っていた。小学校側にあった3軒の素敵な建物、おしゃれな帽子屋さんと飲み屋さんの跡はもう駐車場になっていた。なんとも淋しい。

この貴重な生態系をも守っている屋敷林を、一部の人の金儲けのために潰すとしたら最悪の愚行だ。

https://waku2.hatenablog.jp/entry/20180623/p1

9月9日(月)

台風が去り、気温36℃。東京は9月としては27年ぶりの暑さだとか。

「血だまり」だった右目がやっと「酷く充血」の程度まで回復。2週間ぶりにクリニックに星状神経ブロック注射に行く。

カーテン越しに看護師さんとほかの患者さんの「きのうは怖かったですよねえ。3時頃から眠れずにずっとテレビを見てました。」という会話が聞こえた。朝、業務スーパーの大きな看板の半分が落ちていたと。

街路は踏みしだかれてチリチリになった青いイチョウの葉の芳しい匂い。まだつるつるした黄色いサクランボのような銀杏が落ちていて、見上げると枝には実がひとつも無かった。

毎年、咲き始めの頃から気にして見ている近所のオシロイバナは、そうとうへし折られ、なぎ倒されていた。

9月8日(日)

夜中から最大規模の台風が関東を直撃するという。空気がむんむんしている。昼に一度ざあっと雨が来て、すぐに地面が乾いた。

夕方5時、嵐の前にことさら高揚するように、近くを通る馬橋神社の山車のお囃子が大きく響いた。3匹の猫たちは一瞬びっくりしていた。

夜11時頃、大雨。まだ風は無く、垂直に打ちつけていた。

未明、3時過ぎに、風のうなり声が凄すぎて眼が覚めた。それから3時間くらい眠れなかった。

ちゅびは、私の右側に、プフは左側にべったりくっついて寝ていた。

チョビはゴロゴロ言いながら私の胸に乗っかってきてすりすり甘え、足元のほうに降りて行くのをくり返した。

5時前、アンティークの木製踏み台の上にちゅびが上り、外を見ていた。プフも続いて上り、狭い足場で押し合いながら目を丸くしていた。

私も一緒に、雨が打ちつける窓ガラスの向こうを見ると、吹き荒れる雨風に、街路の決して細くもしなやかでもない公孫樹が、激しく揺すぶられて狂った鞭のようにぶんぶんうなっていた。

植物たちは逃げることもできず、ただ晒されているしかできない恐ろしい光景。

プフがちゅびの背にまたがろうとして、踏み台のてっぺんから落ち、代わりにチョビが上って外を見ていた。

こんな日、外にいる猫たちはどこに隠れているのだろう。

台風や猛暑や雪の日があるたびに、今、どれだけの野良猫たちが死んでしまうのだろうか、と想像して、胃のあたりがぎゅっと痛くなる。

9月7日(土)

友人と出かける。まだ右目の血の色が異様なのでサングラスを使用。

9月3日(火)

朝、起きたら、右目が結膜下出血を起こしており、白目の半分以上が真っ赤。ホラー映画のよう。

以前に一度経験があり、眼科に行ったが検査だけで治療はなかった。視界は変化なく、痛くもないので眼科に行かずに様子を見ることにする。

温めたほうが速く吸収されるそうなので、お湯を入れたカフェオレボールを一日に何度も眼の上に当てていた。

 

 

 

 

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2019年8月23日 (金)

猫たちのこと

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8月23日(金)

夕方6時から、阿波踊りの前夜祭のお囃子が大きく響いた。うちの3匹はこのお囃子を聴くのが初めてだから、最初は少しびっくししていたようだ。

〇ちゅび、1歳と2.5ヶ月。6.2kg。キジ白。

一歳になった頃、はしばみ(薄茶)色で藍色の虹彩の周りだけが緑色に滲んでいた目が、緑色に変わった。

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おなかがすいた時にうるさく鳴くので困っている。朝6時に食事をあげた後も9時過ぎまで大声で鳴く。その後、私が眠ってしまうと、横に来てどかっと私の上に半身をのせるようにくっついて眠る。

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固い短毛。筋肉質。野性的。イエネコの原種であるリビアヤマネコの遺伝子構造に近い?甘えんぼうだが噛み癖が抜けない。

しばらく外にあずけられていて帰ってきた時、私やチョビ、プフにシャーシャーと怒った。臆病でわがまま。

 

〇チョビ、11.5  ヶ月。5kg。

赤ちゃんの頃は真菌でからだ中剥げていて、短毛かと思っていたが、プフよりさらに長毛。

雑種だが、「ターキッシュバン」というトルコの珍しい種類の猫にそっくりなことが最近判明。

(この下の画像はチョビではなく、ターッキッシュバンのWikipediaからお借りしたものだが、チョビによく似ている。)

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うちのチョビ。↓ 頭の耳のついている部分としっぽが茶トラ。毛が長くて信じられないほど柔らかいのもターキッシュバンの特徴と一致。

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6月の初めに眼瞼内転の手術をしてから眼の炎症はなくなった。

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真菌で身体中の皮膚がボロボロになっても、身体を洗って乾かすドライヤーにも、掃除機の爆音にも恐怖せず、おなかがすいても大声を出すこともなく、私のところに走って来てゴロゴロすりすりするだけ。とても賢く、我慢強く、素直で育てやすい子。

 

〇プフ、同じく11.5ヶ月。3.5kg。

赤ちゃんの時、青(右)と灰色(左)のオッドアイだったが、左目がトパアズ色に変わった。

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雑種だが、ペルシャ ターキッシュアンゴラの白にそっくり。

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チョビと同じ環境で同じ親のもとに生まれたので、真菌におかされていたが、チョビほど弱い個体でなく、抗生物質を飲ませる必要なく、しっぽが少し剥げていただけですぐに回復。

早熟で発育が良く、生後早い時期からでミルクを飲まずにカリカリを食べていた(赤ちゃんなのにすごいと言われた)。

初めてうちに来た時は、先輩猫2匹を押しのけてカリカリをガツガツ食べていたのは、サバイバルのために必死だったのか、最近はすっかりのんびりおっとりしてしまって、ひとりだけ食事の時間に食べないで寝ている。ほかの2匹からずっと遅れて、私にニャアニャア催促。

ちゅーるをのせないとカリカリを食べない。

現在は逆にチョビよりずっと小さくて、赤ちゃんぽい。

今になって充たされていなかった甘えの欲求が出ているのか、しょっちゅう私の膝に乗ってくる。ゴロゴロしならよく私のからだで足踏み。お母さんのおっぱいが恋しいみたい。

部屋の隅におしっこしていたことが発覚。床を掻きだしたらすぐに抱き上げて急いでトイレの砂の上にのせれば、そこでおしっこ(これではトイレの躾前の赤ちゃんと同じ)。

去年の12月2日のちゅびとプフ。ちゅびの眼の色はハシバミ色、プフの黄色い左眼はグレー だった。

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・・・

昨日、ツイッターで野良猫の話題に明るく応えることができなかった。それからずっと心がざわざわしっぱなし。

暑い夏ならノミによる貧血やパルボ、寒い冬なら風邪などで、外にいる赤ちゃん猫はあっけなく死んでしまう。

イタリアのアミアタ山の頂上で出逢ってしまった、亡きちゃびの面影の、茶白のちっちゃな女の子の姿が脳裏をぐるぐる巡って、たまらなく苦しい。

山の斜面の写真を撮ろうと、よじ登った巨岩の陰に、奇跡のようなあの子を見つけた時、心臓が止まるかと思った。

(茶白のメスは非常に少ない。そしてその子は本当にちゃびに似ていた。)

イタリアで、旅行の途中だっかたら、どうしようもできなかったのだけれど、本当にどうしようもできなかったのか、何かできることがあったのではないか、なんとも言い難い悔恨と自責の念で居ても立ってもいられないような気持ちになる。

 

 

 

 

 

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2019年7月26日 (金)

神代植物公園 日本固有のユリ

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7月23日(火)

再び神代植物公園へ。午後からところどころ強い雨になるという予報だったので10時半くらいに到着。予報ははずれ、またも蒸し暑い日となった。

山野草園では先日よりも百合が開花していた。

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細長い林の中、点々と数十本のヤマユリ。まだ蕾もあるので、あと一週間は見頃。深大寺門近くの林の中にも数本咲いていた。

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一面緑の夏草の中に、うつむいた大きな白い花が見えるのがたまらない。

ユリの花を描いた絵で、私が子供の頃に最初に心惹かれたのは酒井抱一の「夏秋草図屏風」(風神雷神図の裏に描かれた絵)だった。その理由はススキの緑の葉の隙間から実に微妙な分量の白が見えていて、しかもうつむいているからだ。

子供の頃、山で、実際に何度かその状態のヤマユリを見て感動したことがあるので、抱一の描いたのはヤマユリだと思い込んでいたが、今見ると「夏秋草図屏風」のユリはテッポウユリだ。

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日本に自生するユリは15種で、そのうち日本固有種はヤマユリ、ササユリ、オトメユリ、サクユリ、カノコユリ、テッポウユリ、タモトユリ、ウケユリの8種。

・・・

最近、大好きなヤマユリとカノコユリについて調べていたら、ちょうど植物会館で、今日から「世界のなかで日本の植物が果たした役割と影響」という特別企画展をやっていた。

メモ。

17世紀に西欧諸国による貿易航路が整うと、まずイギリスからプラントハンターが各大陸へとやって来た。

トラデスカント親子(1570-1638と1608-1662)はプラントハンターのパイオニア。

フランシス・マッソン(1741-1805)はキューガーデンから最初に派遣されたプラントハンターで南アフリカからイギリスへ植物を送った。

日本は北半球の温帯地域の中でも植物の多様性がもっとも高い地域と言われる。

日本と北アメリカ東部はよく似た植物が多くみられる。これは「第三紀周極要素(第三紀周北極植物相)」と呼ばれ、6500万年~200万年前に広く北半球に分布していた植物が南下し、各大陸の中緯度地域に残存することになったもの。ヨーロッパではその多くが(寒冷化に伴う南下が阻まれたために)すでに絶滅。

長崎の出島にケンペル、トゥンベリィ(ツンベルク)、シーボルトの三学者に先立って日本の植物を研究していたクライエル(1634-1698)がいた。

クライエルは1682~83年、1685~86年の2回、来日。日本の画家に描かせた植物画1360枚をドイツ・ブランデンブルクに住むメンツェル(1622-1701)に送った。

当時のドイツの学術雑誌にクライエルが送った植物画をもとにしたメンツェルが執筆した日本植物レポートが掲載されている。そこにはヤマユリとカノコユリの図(「ヤマユリ」と「カノコユリ」とカタカナが添えられている)がある。

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三学者の一人、ケンペル(1651-1716)は自ら描いた植物画(日本語による植物名が添えられている)とともに1695年にヨーロッパへ帰還。『廻国奇観』を1712年に出版。これはカール・フォン・リンネ(1707-1778)が1753年に『植物の種』を出版するより40年余り前。

イギリスの医師ハンス・スローンがケンペルの遺品・遺稿を買い取り、『日本誌』を1727年に出版。

トゥンベリィ(1743-1828)はリンネの愛弟子で、出島に滞在後1784年に『日本植物誌』を完成。

シーボルト(1796-1866)は1823年に来日。1830年7月に現ベルギーのアントワープに到着した時、積載した485種の植物のうち約260種が生き残っていた。それらをヘントの植物園に運び、2ヶ月滞在。

ベルギー独立戦争のさなか、ヘントのカノコユリは1832年に開花し、現地の人々はその美しさに驚嘆したという。

その後ベルギー独立戦争の余波を受けてシーボルトはオランダのライデンへ避難。戦争中、ヘントの植物園に残された日本の植物は、現地の園芸商に持ち出されて増殖・販売され、大部分が散逸してしまっていた。シーボルトは1839年の戦争終了後に返還を求め、80種を取り戻した。

シーボルトはドイツの植物学者ゲアハルト・ツッカリーニ(1797-1848)の協力を得、『日本植物誌』(二人の共著)の刊行は1835年にはじまった。(この中に素晴らしいカノコユリの図版がある。

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しかし刊行は1844年に中断。シーボルトとツッカリーニの死後、オランダの植物学者ミクェルによって第2巻の後半が刊行された。

ヤマユリ(Lilium auratum)が1862年にイギリスにもたらされると「驚嘆すべき美しさ」と大評判になった。auratumは「金色の」の意味。

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シーボルトらによる日本の植物の普及活動が欧米ではじまると、まずユリの評判が高まり、その需要に応えるため、1867年ごろには横浜を拠点としてユリ根の貿易を行う在留外国人があらわれた。

ボーマー(1843-1896)は北海道開拓使として来日したが横浜に転居し、ユリ根などを扱う貿易商を始めた。

鈴木卯兵衛(1839-1910)は横浜植木商会を設立。ユリ根の輸出を始め、1893年に園芸植物全般を扱う株式会社に発展。横浜植木商会の『LILLIES OF JAPAN』(1899年)の図版は素晴らしく魅力的。(左:表紙、中:サクユリ、右:丸葉カノコユリ。)

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ジョン・シンガー・サージェント(1856-1925)のぼうっと光り輝くヤマユリと提灯のを見た時、衝撃を受けたが、この絵が描かれたのは1886年。日本から入って来たばかりの金の帯と赤い斑のあるヤマユリは、さぞかし輝いて見えたことだろう。

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(この企画展では、ほかにも世界に渡った日本のサクラ、アジサイ、バラ、キク、ハナショウブについての展示があった。)

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私の一番好きなユリの絵といえば、やはり1900年頃に描かれたモンドリアンのヤマユリとカノコユリの水彩だ。たっぷりと涙を湛えたようなカノコユリの絵はすごいと思う。

モンドリアンはオランダで20代の頃に、日本から来たヤマユリやカノコユリを生まれて初めて見て、とても神秘的な美しさを感じたのかもしれないと思うと、感無量だ。

形骸的ではなく、張りつめたようでいてとても傷つきやすい百合の美しさを描くことができたら、と思う。百合を描くのはとても難しい。

植物センター内に貼ってあったサクユリの場所を職員さんに尋ね、植物多様性センターへ。サクユリは伊豆諸島に自生する伊豆諸島固有のユリで、世界最大のユリ。絶滅危惧種。

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植物多様性センターの中にもヤマユリが何本か生えていた。芝生の近くにとても背の高いヤマユリが。

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植物公園に戻り、再び職員さんにカノコユリはないか尋ねたら、なんと山野草園の入り口付近に、ほんとうに小さなつぼみがついたのが一本。カノコユリも絶滅危惧種。どうか無事に咲いて、増えてくださいますよう。

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このあと花蓮園できょう咲いている蓮の花を撮影、その後、野生種とオールドローズ園の薔薇をひとつひとつ丁寧に見て歩き、たまだ開花しないショクダイオオコンニャク(燭台大蒟蒻)を見に温室を訪ね、さらに薔薇園を歩き回ったのでクタクタ。

深大寺通りで9割蕎麦を食べた。3時頃から盆踊りの曲(三波春夫の「大東京音頭」)が流れ、太鼓の音が鳴り響いてきた。蕎麦屋に貼ってあるポスターには6時からと書いてあるが、太鼓の練習なのだろうか?

 

 

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2019年7月10日 (水)

G先生からお返事 / 自己中心的な人/ 白州から贈り物

7月5日(金)

夜10時過ぎ、G先生から待ちに待ったメールを受信してほっとする。今日、私のエアメイルが届いたのだろう。

嬉しいというより緊張で身が引き締まり、胸がどきどき(後悔しないような本づくりができるのか、いろいろ考えすぎて)したが、親友ふたりがとても喜んでくれたので、嬉しかった。

これで一つ滞りがなくなり、本づくりの仕事が進めやすくなる。

7月6日(土)

つい最近、私に多大なストレスを与えた男性(画家としての私に長年「憧れていた」という)に対して、彼の私への不可解な言動について、親友がメールでその意図を質してくれた。

あまりに自己中心的に歪んだ返答が戻ってきたため、親友は驚き呆れ、ふたたび私に代わって彼にメールしてくれた。

その男性とは6月末に一度だけ会食した。会わなければよかったと思う。会った時とそのあとの彼の言動に、私はひどく疲弊した。

「なにか失礼があったら言ってください」と言われたので、私がずっと我慢していたことをメールに正直に書いたら、いきなり会話を遮断された。

そして(私からフォローされてすごく嬉しかった、と彼が言っていたことを自ら全否定するように)、ツイッターでブロックされた。

私はここまで過剰反応されるとは思わなかった。彼は私よりはるかに年下だし、「失礼しました」で終わると思っていた。

が、彼は、正直に言ってしまった私を恨んでいるようだ。

彼に「あなたの態度は、傍から見ても明らかに配慮がなく、相手を軽んじている。自己認識がおかしい。」と私に代わって言ってくれた親友に、ただ感謝。

もうひとりの親友からは「自己中心的な妄想でいい気になってる相手に、まともに話したらダメ。危険すぎる。」と怒られた。

7月7日(土)

七夕。肌寒い雨。陽射しの少ない日は好きなので、高円寺を南から北の端まで散歩。

小さな野原でヨウシュヤマゴボウやヒオウギやハルノノゲシに光る雫をいっぱい見たあと、民家の軒下のヤマユリを見る。

大好きな花なので夢中で撮影していたら、通りすがりの老婦人に声をかけられた。「あら、これ、ヤマユリよねえ。うちも今年はこんなに大きなカサブランカが6つも咲いたのよ。やっぱり、好きな人がいるのねえ。」と。

私はよく夢中で花の写真を撮っている時に声をかけられる。たいていは私より年上のかたに「熱心ですね!」「花、好き?」と。

気象庁住宅の廃屋の近くには、棘が恐ろしい大きなアザミがいっぱいはえていた。

歩きすぎて、全身ずぶ濡れになり、身体が冷えてしまった。

7月8日(日)

陽に色褪せたアジサイ(紫陽花)。最近は雨の中でみずみずしく色づく紫陽花よりも、乾いて微妙な色になった紫陽花に情趣を感じる。

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きのう見たヤマユリ。

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7月9日(月)

白州の友人Sから贈り物が届いた。

興味しんしんのチョビとプフ。

桃、杏、ブルーベリー、アスパラ、カリフローレ(カリフラワーと違うらしい)、丸いズッキーニ・・・珍しい野菜がいっぱい。

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太くて柔らかいアスパラにも感激。

(昨年、北海道の花輪和一さんのところに遊びに行った時、スーパーで売っているアスパラが佐賀県産のだったのでびっくりした。北海道産の太いアスパラは高級みやげものとしてしか売られていなかった。)

 

Sさんが自宅の横に植えているブルーベリーの実がこんなにたくさん!

庭で育てているカモミールと姫薄荷も。とてもいい匂い(猫には薄荷は毒なので注意)。

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ちゅびも興味しんしんでソワソワくんくん。

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この野菜たちを、イタリアのチナミさんが送ってくださったウンブリアのオリーブオイルでいただけるなんて、最高に幸せ。

心優しい友人たちに心より感謝。

 

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2019年6月26日 (水)

チョビ抜糸、『ニンファ その他のイメージ論』ジョルジョ・アガンベン

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/

6月14日(金)

チョビの目薬(クロラムフェニコール)を使い切る。病院に電話すると、まだ続けて使ったほうがいいとのことでもらいに行く。

6月17日(月)

午後6時過ぎ、チョビ、(左目の眼瞼内反の手術の)抜糸。

まだ目のふちが赤く、目やにはほとんどないが、目薬のせいか、分泌物で左眼の周りがよごれている。

手術はうまくいっているとのこと。

場合によってはまだドキシサイクリン(抗生物質、チョビは副作用の下痢がひどい)を飲ませると言われていたので心配だったが、もう飲ませなくていいことになり、ほっとする。

なにかあったら連れて来てとのこと。

エリザベスカラーを病院に返し、やっと首が自由に。

帰宅したらすぐに、鎖骨あたりをいっしょうけんめい舐めていた。よしよし、ストレスだったね、と顎の下や耳、頬の周辺をかいてあげるとゴロゴロ爆裂。

そのあと放心したように私の布団で眠る。

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6月20日(木)

チョビとプフ、舐め合い、じゃれ合いの追いかけっこ、大運動会復活。チョビがエリザベスカラーをしていた2週間は、プフは神妙な距離感を保っていて、怖がったりもしないがじゃれたり噛んだりもしなかった。ほんとうにいい子。

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しおれた薔薇レイニーブルーを描く。

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6月21日(金)

がんの定期検診。

病院への往路2時間の電車と、会計の待ち時間で『ニンファ その他のイメージ論』(ジョルジョ・アガンベン 高桑和巳訳)をひととおり読み終える。

・・・

「イメージはどのようにして時間という負荷を帯びることができるのか?
(・・・)
アリストテレスは時間、記憶、想像力を緊密に一つに結びつけ、「時間を知覚する存在だけが、時間を知覚するのと同じところを用いて記憶する」と断言していた。つまり、想像力を用いて、ということである。じつのところ、記憶は「イメージ」がなければ不可能である。「イメージ」とは、感覚や思考の「触発」である。この意味で、記憶は何か身体的なものであり、想起はイメージを身体的なところにおいて探求することである。」

「イメージの問題についてのあらゆる探究は何よりもまず、この用語が私たちの文化においてはある不可能なものを表すものであるということを認めるところから始まるのでなければならない。じつのところイメージとは、西洋形而上学がそのまさに中心的な謎の解決を探し求めてきた当の場である。」

「(プラトンがイデアについて言っていることを、私たちは芸術の完了に関する教説として読むのでなければならない――哲学は最高のムーサの術であるとプラトンが言っているのはそのためである。フリードリッヒ・ニーチェと同じように、プラトンも芸術の思想家である。もしかすると真正な哲学はすべて、芸術の完了――芸術の終わり――の思考であるのかもしれない。)

「イデア(idea)という単語は、動詞の語源「id」から直接形成されている――のであって、名刺の語源「eid」から形成されているのではない。この単語は、見るという意味を最大限に表現している。だがイデアは、あらゆるイメージを超えたところにあるまた別のイメージではない。イデアとは言葉を見るということ、それぞれのイメージをイメージとして構成する当のものを見るということである。

それが私たちに見える点において、言葉は沈黙する。ここにおいてついに私たちに言語活動の沈黙が、言語活動の顔が見える。それは事物の顔と一致する。じつのところ、私たちに言語活動が見えるのはただ、私たちが言語活動から暇を取る点においてである。(・・・)」」

・・・

線路際の夏草が私の背よりも高く茂っていた。ススキとヒメムカシヨモギが大きい。ヤブカラシの砂糖菓子のような花。

帰りの電車ではどうしても疲れて眠ってしまう。

6月22日(土)

手紙になにか絵を添えたいと思い、雑草を耳鼻科医院後の原っぱから摘んでくる。ハルノノゲシ(春の野芥子)、イヌビエ(犬稗)、スズメノチャヒキ(雀の茶引き)、ヒメジョオン(姫女苑)、ヒルガオ(昼顔)。

草を見て一番狂喜乱舞するのはプフ。夢中で机に乗ってきて齧ろうとする。

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越前和紙鳥の子の便箋3枚(かまくら社頭or香紙堂or鳩居堂)。

6月23日(日)

いい感じに雲っていたので阿佐ヶ谷近辺まで自転車で散歩。遊歩道で拾った杏。直径6cm。

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「赤いトマト」が閉店していた。すごくショック。レトロで大好きなお店だった(35年間営業)。初めて来た時、大昔のゲームつきのテーブルや、星占いの紙が出てくる赤銅色のおもちゃが置いてあったのを覚えている。

姫女苑でいっぱいだった野原も駐車場に変わっていた。

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都会では「原っぱ」というものが残ることはない。ビルが潰されたあとの、新しくビルが建てられるまでのほんの短い間に、どこからか運ばれて来たのか、あるいは土の中に潜在していたのか、種たちが一斉にふき出すのを私は見逃さないように追っている。田舎の広々した土地で見る植物以上に、そこに美しさを感じる。

6月24日(月)

ようやっと手紙を投函。エアメイルで110円。

チョビの左眼のまわり、だいぶきれいになってきた。しかし彫りが深すぎる。ホワイトライオンのような風情。

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カメラの紐を噛むチョビ。

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しっぽのふかふかの柔らかさは天下一品(しっぽの毛がほかの部分と違い、繊細なワッフルパーマのような状態になって空気を含んでいる)。

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同時に同じお母さんから生まれた妹なのに、まん丸目で鼻も短くまったく顔が違うプフ。

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6月25日(火)

神奈川近代美術館葉山館長の水沢勉先生よりお返事をいただく。

本づくりについてのスケジュールをOKしてくださった。

たいへんありがたく、ほっとした。

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