絵画

2019年6月12日 (水)

 「毛利武彦詩画集『冬の旅』出版記念展、阿部弘一先生朗読会

6月10日(月)大雨

チョビのことが心配だったが、病院に預けるのが(チョビが恐怖でおかしくなりそうなので)かわいそうで、結局、家にプフと2匹で置いたまま、銀座うしお画廊へ。

地下鉄の駅を出てから横殴りの強い雨で服も靴もびしょ濡れ。こんな天候の日に、無事来られるのだろうか、と阿部弘一先生のことがすごく心配になる。

画廊の入り口前で毛利先生の奥様のやすみさんとお嬢様とお会いする。奥様の体調も心配だったが、とてもお元気そうでよかった。

会場は多くの人で賑わっていた。

阿部弘一先生は雪のように頭が白くなってらしたが、背筋もすらっと伸びてお元気そう。笑顔が見られて感激。ご子息にご紹介くださった。

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毛利先生のスケッチ。銅版画のように黒くて端的な線と、その分量。本画を想定して思索的に描かれていることに注意して見ていた。

森久仁子さん(春日井建さんの妹で毛利先生の従妹さん)にも、久しぶりにお目にかかることができてありがたかった。陶芸をやっている息子さんと一緒だった。

16時から朗読会が始まる前、阿部先生と、毛利先生の奥様と、朗読する藤代三千代さんのほかは、ほとんど全員が床に座った。その時、「毛利先生の画集だから。」とおっしゃられて、自分も(ステージ用の椅子ではなく)床に座ろうとする阿部先生。

まず最初に阿部弘一先生から、毛利先生と初めて会った時のお話。戦争が終わってから、慶応高校が日吉にできて、そこで出逢ったそうだ。

毛利先生は生前、慶應高校に勤めて何よりも良かったことは阿部先生と出会えたこと、とよく言ってらした、と奥様から伺っている。

藤代三千代さんが何篇か朗読された後に、阿部弘一先生自らが朗読されるのを生でお聴きする、という素晴らしく貴重な経験をさせていただいた。

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肉声で阿部弘一先生の詩を聴くという初めての体験は、言葉が絵と音として強く胸に響いて来、予想を超えた新鮮な衝撃だった。

阿部先生の詩をもっとたくさんの人に知ってほしいと心から思った。

阿部弘一先生が、ご子息に私を紹介してくださるときに、『反絵』の本にふれて、私のことを「厳しい文章を書く人」と言ってくださったことが信じられないほどありがたかった。

「最近は本屋に行って詩の棚を見ても辛くなりますね。」と嘆いていらした。

「ポンジュって知ってる?僕の友人が訳してるんだけど。」と毛利先生がご自宅の本棚から一冊の詩の本を見せてくださったのは、私が大学を出て少しした頃。

父の借金に苦しめられていて、世の中のすべてが暗く厚い不透明な壁に閉ざされて息ひとつするのもひどく圧迫されて苦しく、ただひとつの光に必死にすがるように、敬愛する恩師の家を訪ねた日のことだ。

それから阿部先生の現代詩人賞授賞式に誘ってくださった時のことも素晴らしい想い出(そこでは息も止まりそうな大野一雄先生の舞踏(その出現)があった)。ずっと私は夢中で阿部先生の著書を読み、私の絵を見ていただいてきた。

私にとって阿部弘一先生は、毛利先生と同じく、昔からずっと畏れを感じる存在、とても緊張する相手で、気安く話ができるかたではない。

阿部先生のような方と出会えたことが信じがたい僥倖だ。

「次の本はもうすぐ出ますか?」と覚えていてくださることもすごいことだ。

阿部先生のご子息は水産関係の研究をしてらっしゃるそうで、私のことを「そうか!この人は一切肉食べないんだよ。だから魚のほうの研究はいいんだ!」と、先生が笑って言われたこと、「植物の名前を本当によく知ってるんだ。今度、庭の樹を見に来てもらわなきゃ。」と言ってくださったことも嬉しかった。

「草や樹がどんどん増えてなんだかわからなくなってる。誰かさんがどっかからとってきて植えるから。」とご子息も笑っていらした。

阿部先生は、前々から、大きくて重たい椿図鑑をくださるとおっしゃっている。とりあえず阿部先生のご自宅のお庭の、68種類もある椿の名札をつけるのに、その図鑑を見ながらやる必要がある。

毛利先生のお嬢様に、原やすお(昔のまんが家で、毛利先生の奥様のお父様)の大ファンだった話をしたら、とても驚いて喜んでくださった。

毛利先生の奥様のご実家に原やすおさんのたくさんの本や切り抜が保存してあって、お嬢様がもらうつもりでいたのに、亡くなった時に全部処分されていてショックを受けたそうだ。

上野にある国立国会図書館国際子ども図書館で、いくつかの作品を見ることができるとのこと。

阿部先生の新刊、詩集『葡萄樹の方法』を出された七月堂の知念さんともお話しできた。

http://www.shichigatsudo.co.jp/info.php?category=publication&id=budoujyunohouhou

記念撮影。阿部先生と毛利やすみさん。

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阿部弘一先生の向かって左にはべっているのが私。

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慶應高校の毛利先生の教え子のかたが持って来てくださったらしい当時の写真。

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1964年夏の毛利武彦先生。

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1962年、裏磐梯の毛利武彦先生。

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当時の阿部弘一先生。

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皆様お元気で、お目にかかれて本当に幸せでした。

 

 

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2019年5月27日 (月)

ワイエス展 Andrew Wyeth / モロー展 Gustave Moreau

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/japanese-style-paintings-1-膠絵/

5月16日

PCが修理から戻って来た(早い)。今回はスイッチボードを交換したそうだ。

1度めの修理は液晶画面。2度めはメインボード。3度めはスイッチボード。ほとんど全部交換されている。

・・・

午後から「アンドリュー・ワイエス展」(四谷3丁目の愛住館)へ。

私が展覧会を見に行くことは、もうほとんどないが、オルソン・ハウス・シリーズのデッサン(スケッチ)、習作を見るため。

私がワイエスを最初に好きになったのは中学生の時。見学に行った小さな美術研究所の階段の壁に貼ってあったポスター。いきなり強烈に痺れさせられた枯草の絵がワイエスだった。

枯れた植物を描きたい、と激しく思った。

今思えば、単なる枯草ではなく、あるなまめかしい数本の枯れた草が描かれていることに感応したのだろう。

日常の片隅にあって、誰にも見つめられることのない、異様で、静謐で、儚い、不思議な、捉えがたいもの。

そういうなにかをかいてみたい、と私も思った。

前回、ワイエスを見たのは1995年の東急文化村。そうとう大規模な展覧会だった。

その時の図録の高橋秀治「ワイエス――その内なる世界」のなかに、ワイエスの「正直私は自分を抽象画家だと思っているのです」という印象的な言葉がある。「別の核がある――明らかに抽象的な、気持ちの高まりという核。」

また高橋秀治が1993年11月にチャッズ・フォードを訪問した際に、ワイエス自身から、彼が評価しているのはマーク・ロスコである、と聞いた、という記述がとても興味深い。

そしてさらに、1945年の父親の不慮の死から、「悲哀の仕事」、「喪の仕事」がワイエスの大きな「核」を成していたとする。

「さらされた場所」(1965年 テンペラ)について、ワイエスは、「このもろく、からからに乾燥した骨のような家が、この世から消えていくのもそう遠いことではないと感じていた。私はこの世のはかなさというものに人一倍敏感である。すべては移り変わる。決して立ち止まりはしない。父の死が私にそう教えてくれたのである。」と述べている。

今回の展示にあった「納屋のツバメ」(「さらされた場所」の習作)のほうが、私にははるかに本画よりもいいと感じられた。

ツバメも、数本の草も、本画よりもずっとなまめかしく束の間の生を震えていて、白く光る木の壁の眩しさが哀しい。

私は「悲哀の仕事」、「喪の仕事」しか絵に求めていないのだと思う。

つねにすでに失われている儚い生命と交わす、ある幅をもった一瞬。

世の中に溢れるうるさくてはしゃいだアートが眼に入ってくると、そうした大切な時間が、そのなかにある追悼の静けさをふくめてまるごと蹂躙され収奪されるようなストレスを感じる。

会場の隅で上映されている映像で、ワイエスの生涯と、丸山芸術の森の須崎勝茂代表がワイエスのこれらの習作を買い入れた経緯などを見ることができた。

それによると、欧米では習作、スケッチ(デッサン)の価値はすごく低いそうだ。

私は現代美術として、習作、スケッチ(デッサン)と本画を分けることはするべきでないと思っている。

そしてむしろ私がいつも惹かれてしまうのは、スケッチ(デッサン)、習作そのもののほうだ。

5月23日

「ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち」(パナソニック汐留美術館)へ。

爛熟したもの、暗い中で煌めく謎や、強烈さ、重さと、繊細さの共存を見たかった。

私がパリのモロー美術館に行ったのはもう20年以上も前。癌の手術をして、少し回復してきた頃だ。

回転式に収蔵されている夥しい素描や水彩、その密度に激しく感動して興奮した思い出がある。

モローが住んでいた家の暗く妖しい雰囲気と、部屋にびっしり詰め込まれている、到底自分の身体で受け止めきれるはずもない巨大な重量の絵を一気に見ている奇妙な眩暈があり、何とも言えない強烈な美術館だった。(その強烈さは、邸内にしつらえられた階段の螺旋形をメタファーとしていた。)

今回の「刺青のサロメ」のエジプト、インド、そのほかの装飾からの文様の習作が面白かった。中にバッタがいた。

この絵は、あとから描き加えられた白と黒の細い線が、下の暗い色の輪郭とずれて宙に浮いているのがすごく斬新だ。すべてが亡霊のように輪郭をブレさせて見せる。残酷さ、重苦しさと同時に浮遊する感覚。

「一角獣」は、絶賛されたとおり、きらきらと透ける繊細な絵の具の使い方がすごかった。一角獣の無垢な愛らしさのせいなのだろうか、この絵には人を慰める力がある。

この絵はクリュニー中世美術館の「一角獣を連れた貴婦人」に影響を受けているそうだが、私が去年見て来た大好きな絵、ヴェローナのサンタナスタシア教会のピサネロの「聖ゲオルギウスと王女」の王女の服装とも関係があるらしい。

今回の展示は描きかけのままの油彩がけっこうあった。が、それは途中なのであって、端的にとらえるためにほかの部分は描かれていないスケッチ(デッサン)とは違う。途中であっても繊細で生き生きした幻想が動き出しているものと、そうでないものの差がけっこうあった。

モローの水彩をもっと見たかった。

 

 

 

 

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2019年5月12日 (日)

自転車またまた盗難 / 味戸ケイコさん個展 / チョビ病院/ PCまた修理

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/2-tulip/

 

4月15日(月)

高円寺に越してきた頃、私が愛していたクリがいた古い平屋の林檎の花が満開。

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あの頃、高円寺にたくさんいた野良猫たちのことを想うと胸が痛くなる。あの頃は快作先生もおらず、野良猫を見てもどうたすけたらいいのかわからず、かわいそうなことが多かった。

昨年から今年、この周りの私の大好きだった場所たち、有機的に植物と絡み合っていた家や魅力的な細道や庭がどんどん壊された。

この蔦に覆われた古くて小さな木の家だけは残っている。

4月16日(火)

19時、高円寺駅前に、あの杉田水脈衆議院議員が(杉並区議選挙、松浦威明の応援に)来た。

予想通り、杉田議員に抗議する人たちが集まり「帰れ!帰れ!」の大合唱。

「三島由紀夫は同性愛を認めていたぞ!」(威明の威の字は三島由紀夫が命名)、「思想の問題じゃないんだよ!差別の問題なんだ!」といった怒号も飛んでいた。

しまいには松浦威明が「高円寺の皆様、本当に申し訳なく思っています。杉田水脈さんをよんだこと、後悔しております。」と謝罪。

奥さんも泣いて謝っていたが、それも滑稽だ。母親の松浦芳子と杉田水脈本人は平然としているのに。

4月20日(土)

梅護寺数珠掛桜の花の盛りがどんなものなのか興味があったので新宿御苑へ。

その前に新宿4丁目ビジネス旅館街へ行ってみた。もとは旭町というドヤ街だったらしい。

この中田荘は3階建てなのだろうか。

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おしゃれなAPARTMENT HOTEL SHINJYUKU。

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新宿御苑にて。

これが梅護寺数珠掛桜(バイゴジジュズカケザクラ)。まだ3分の1ほどつぼみだった。が、葉が一緒に出ているので、まるで散りかけの関山のように見える。

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・・・

夕方、買い物に出ようとして自転車置き場に行ったら、自転車が無かった。またまた盗まれた。

20年乗っていた白いミヤタ自転車を盗まれて青緑色の自転車を買い、青緑色の自転車が盗まれて薄黄緑(ワサビ)色の自転車を買い、青緑色の自転車が諦めた頃に戻って来、ワサビ色のほうが乗り慣れてきたところでまたまたワサビ色が盗難。

すぐに近所の交番に届け出る。

交番は留守で、電話で呼び出してもらった。来てくれたおまわりさん(この交番の人ではなく、ほかの地域の担当だそうだ)が要領を得ず、何度も同じことを聞かれ、PCの入力が異常に遅く、ちょっとイライラ。中古の自転車の値段設定などでもめる(自己申告に文句を言うなら決めてくれればいいのに、と思う)。

1時間20分もかかった。

あんまりまどろっこしいので、立ち上がっておまわりさんの入力している画面を見ようとしたら、「あっ、立ち上がらないで!記録を見せたらいけないんで。」と言われる。

自転車の色の説明で「薄い黄緑色」という私の表現に「黄緑はもともと薄いから!」と強く言われて私はついに反発。

「黄緑は鮮やかな色です。私のは灰色と黄緑のちょうど中間!灰色にも見える色なんです!」と大きな声を出したら急におまわりさんの態度が変わり、横柄さが弱まった。

4月22日(月)

スパンアートギャラリ―の味戸ケイコさんの個展へ。

味戸さんの親戚の80歳くらいのH子さんが絵を買われていた。3人で席でおしゃべり。

私は、今、自分の画集をつくるのに苦しんでいることを少し話した。味戸さんは(当然だが)、今まで出版社がすべてやってくれて、画集も数冊出ているので、絵を自分で管理したり、編集したりという経験がない。自分であれこれ苦しみながらつくる、そういうやりかたがまったくわからないと言う。もちろん味戸さんには、自分でギャラリーを捜して売り込んだような経験もない。

H子さんに「画家って好きな絵をかいて売って、自分が死ぬときは一緒に燃やしてくださいって言えば、それで幸せなんじゃないの?」と問われ、返答に困った。

また、「絵描きってみんな、自分のかいてる絵が大好きなんでしょ。」とも言われ、まったく言葉に詰まってしまった。

味戸さんは、「それはそうよね。自分の絵にうっとりする時があるわね。ちょっと違うなって思うのもあるけど、それをいいって言ってくれる人がいるからね。」とH子さんに同意。

確かに自分でいいと思えることしかしていないはずだが、私は自分の絵にほれぼれしたことはない。いつもこれではまだだめだと思う。不全感や焦燥に掻き立てられ、次の絵のことを考える。

さらに味戸さんは、意味不明の嫉妬や嫌がらせをされたり、敵愾心をぶつけられたりした経験もないそうだ。「お客さんはみんないい人ばかり」と言う。そんな幸せな絵描き人生があるのか、と、ちょっとうらやましく思った。

私とはまったく違う絵の人生だ。

4月23日(火)

チョビの左目が、このところ一週間ほどずっと目やにが出続けて治らないので、病院へ連れて行く。

待合室でほかの飼い主さんに「猫ちゃん?見ていいですか?」と声をかけられて、ケージの中を見せたら、「あ~ら、かわいい。ハンサムさんですねえ。」という声が返ってきて、ちょっと意外だった。チョビは猫らしくない妙に長いキツネ顔だ。やせていた若い頃の及川光博に似ていると思う。体操の萱和磨選手にも似ている。

片目だけ引っ掻いたのかと思っていたら、クラミジアと言われてショックを受ける。

他の子たちも当然クラミジア菌を持っている。症状が出た時に抗生物質を飲むしかないと、ドキシサイクリンを出される。

「すごく大きくなった。ふっわふわ!ノルウェイジャンみたい。」と看護師さんに驚かれる。毛で太さ15cmにもふくらんでいる自慢のしっぽを見てもらった。

快作先生も「ホリが深いね。」と。チョビは生後8か月で4.1kg。

「ちゅびのほうは、もっとすごく大きくて6kgあるんですよ。真夜中2時過ぎくらいに、「うにゅるう?」と疑問形でうるさく鳴きだすのですごく困っている」と言ったら、「手術する?」と言われ、「なんの手術?」と尋ねると、なんと、犬や猫の声帯除去手術をする人がいるのだそうだ。

「それか、もといた場所にリリースするか。」と言われて、苦笑。

4月26日(金)

3月15日に修理に出して75000円もとられたPCが、きょうまた、使用中に突然プツッと電源が切れて動かなくなった。

NECに電話して、いろいろやってみたが、だめ。3月のときも特に外傷を加えた覚えはないが、今回はいつも以上に順調に動いてくれていたところに、突然のアクシデント。これで高い修理代を請求されたりしたら、ちょっと耐えられないと思った。が、結論としては、メーカー3年保証がきいて無料とのこと。

しかし、いずれにしても、大切なデータが入っているので初期化だけはNG。明日、引き取りに来るそうだが、ちょうど大型連休にかかってしまうアンラッキー。

しかたなく古いPCを代わりに使用。フリーズしまくりで非常に使いづらい。OCNメールも、すぐに「くるくる読み込み」になってしまい、メール削除も、書くのも異常に時間がかかる。肩首が凝って頭痛がしてくる。

4月27日(土)

自転車が発見された。すぐに盗難届の取り消しに行く。

今度は二人のおまわりさん。ひとりは警視で、もうひとりは若い新人。届け出の証明番号が発行されていないとのことで、警視が署に電話で問い合わせる。

「ここに盗難届出したんですよね?どんな人でした?」と言われ、「ちょっと・・・むさくるしい感じの。」と正直に言ったら、二人で大笑いされ、「○○巡査長だ!」と。

4月28日(日)

自転車で駅向こうに買い物に行く。街路樹の植え込みにハルジオン(春紫苑)が美しく咲き乱れているの見て、すぐにカメラを取って来る。

雑草が抜かれていないのがすごく嬉しい。雑草のない街ほど嫌なものはない。

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毎年、ハルジオンの茎を手折った時のキク科の揮発するような香気を吸い込むと、愛おしくて、懐かしくて泣きたいような気持ちになる。

ハルジオンはヒメジョオン(姫女苑)よりも舌状花が細く弱い糸のようによれっていて、つぼみがいくつか集まって下を向いているところがたまらなく好きだ。

同じハルジオンでも、そのなかに個体差を感じさせるいろいろな際立った特徴がある。茎が細めで、つぼみの数が多すぎない、やや紅ががって可憐なものを探してしまう。

ハルジオンの花を描くのは難しい。かたちをとるのが難しいのではなくて、この花が自分に与えているものの強度、この花の生々しい生命力と柔らかさに絵が届くのがむずかしいのだ。

大仰で観念的な絵物語ではなくて、どこにでもある小さいものを、誰もが持ち得ない眼で描けたらすごいと思う。

ハルノノゲシ(春の野芥子)の風情も素晴らしい。ハルノノゲシは、街路樹の下、民家の植え込み、古い塀の元のセメントの割れ目など、いたるところから伸びている。ここにも、あそこにも、と、この花を眼で集める。

街を歩くとき、常にどこの、いつの個体が一番胸に迫るかを探している。丈、枝ぶり、花のどれほどが穂綿になった状態か、穂綿が飛んでいった後の状態があったほうがいいのか・・・。

この花の姿に目を凝らしている人はこの世にどれほどいるのだろう、と思いながら。

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ハルジオン、ハルノノゲシ、ナズナ(ペンペングサ)、ハナニラ、(鉛筆スケッチ、デッサン)

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5月2日(木)

PCが戻ってくる。結果は「メインポートの不具合、同部品交換」。PCの中に保存していたデータが消えなくて、ほっとした。

なぜかoutlookメールのアイコンだけが崩れていた。

 

 

 

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2019年4月26日 (金)

スミレ、鬱金の桜、梅護寺数珠掛桜など

きょう4月26日、(3月の半ばに修理に出したばかりの)PCが使用中にいきなり切れてしまって、明日またもやメーカーに修理に出すことになった。

戻って売るのはGW明け。

とりあえず古いPCで、最近の記録を書いている。何月何日頃になんの花が盛りだったか、私はどんな花に反応していたかの記録(画像挿入はPCが戻ってから)。

4月7日

昨日の夕方、散歩中、近所のハナ動物病院へ行く道の途中に、数種類のスミレをプランターいっぱいに植えているお宅を発見。すごく素敵。

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庭のある家に住んだことはないが、私が自分の庭に植えるとしたら、まずは濃い紫のスミレ。次に縁が白くて紫の線のあるスミレ。

菫を見るとなぜこんなに胸がしめつけられるのだろうかと思う。

スミレは小さくて、大胆な絵にするのが難しいが、昔のヨーロッパのニオイスミレの絵や、江戸時代の図譜などに素敵な絵がたくさんある。

100年くらい前のポスターや、アールヌーヴォーのガラスや、香水瓶のラベルにも、うっとりするほど魅惑的な菫がある。

ボーンチャイナに描かれたスミレ、よく見ると素敵な絵と、そうではない雑なのがある。

何にうっとりするのか、そのエッセンスを描けたら、と何度もスケッチブックに描いてみているが、なかなか難しい。

今日は紫のスイートピーも発見した。私がこの花に色気を感じるのは巻きひげの部分。

4月8日

近所の林檎の花が最高に素敵。少なくとも近所で3本の林檎の樹を知っている。

4月9日

水沢勉館長にお会いしに、神奈川県立美術館葉山へ。

4月11日

近所の禅寺の枝垂れ桜。

毎年見ている遊歩道近くのスミレ(ノジスミレやタチツボスミレではない、濃い紫の、葉が心形ではなくへら形の菫)。

4月13日

新宿御苑の八重桜。

梅護寺数珠掛桜。まだつぼみ。

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市原虎の尾桜。この樹は新宿御苑に一本しかない。

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福禄寿桜。

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鬱金桜。

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一葉。

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4月14日

御衣黄桜。

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琴平桜。

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簪(かんざし)桜。この樹も新宿御苑内に一本しかない。

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関山桜と明治の建物。

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水沢勉さんにお会いしに神奈川県立美術館葉山へ行く

記録しておくべきことがたまってしまった。だいぶ過去のことになるが、一冊の本をつくるための長く曲がりくねった道のりの途中。

4月9日

次に出す本のことで、水沢勉さんに相談しに神奈川県立美術館葉山へ。

だいぶ前に9日午後2時に約束をいただいていた。

地下鉄を使い、新宿3丁目で副都心線に乗り換え、直通で横浜まで。横浜から京急で新逗子へ。(最近は新宿から湘南ラインに乗るより便利。)

金沢八景で乗り換えが初めてだったので、違うホームに行ってしまったりして階段を引き返した。途中、神武寺のあたりで見えた萌出たばかりの薄銀黄緑色の新芽の点描の樹々、倒木のある山の様子が素敵だった。新逗子からバス。途中の岩場で遊びたくてたまらなかった。

1時20分くらいに着いて受付に取り次いでいただく。約束は2時だが、急な来客が2時にあることになったそうで、「早く来てくれてよかった」と、先に館長室に通してくださった。

ISBNがつくことは重要なこと、国会図書館に入ることは文化遺産になるということだから、と言われた。

また英訳者さんを選ぶのがとても重要だと。水沢さんは偶然(美術館に来て)出会われたPさんを推していらした。水沢さんは知らなかったが、最近大きな賞をとったかた。

私はS社のNさんしか頭になかった(全然存じ上げないが、S社の仕事をいつもされているかただということで。)

二人に同じ短文を訳してもらって比較したほうがいいと言われた。ちょっと私にはそんなことはできそうもないが、お二人に振り分けてやっていただくことはありうると思った。

 

2時から3時半くらいまで、水沢さんが急な来客に対応しているあいだ、私は浜へ出たり、庭でぼーっとしたり。

富士山が大きく見えた。

 

水沢先生が私を待たせていることを気にして、2階からロビーの私に向かって手を振ってくださったりされていることに、たいへん申し訳なく思った。すごくお忙しいかたで、今回の2時の急な来客も、なにかトラブルで急用だったらしい。

文章を書く人が遅れてずるずるしないために、まず本の刊行日を今、ここで決めて、と言われる。なにかの記念日はないのか、と聞かれて困る。そこから逆算してすべてのスケジュールをはっきり決めないとだめだと。

本日、私が話したかった用件、文章の内容について、なかなか私の考えていることは言葉にできなかった。なぜ話せなかったか、その理由も、言語化すること自体が困難だし、そのことについてブログに公開できることはない。

帯になる文について、G先生にいただいた、ということを言ったら「ええ?!Gにもらったの?あなたの人生変わるよ。」とすごく驚かれていた。「どんな文章?暗唱してる?」と言われて困った。

私自身は、今回、私が水沢さんを訪問した理由を言語化できなかった理由も、毎回、私が自分の仕事について人になにかを話す時に苦しんでいる理由も、G先生にはすべて伝わって、文章をいただけたのだと信じている。

5時に美術館が終わってからもお話ししていた。7時過ぎに外に出ると空が藍色に澄んでいた。東京とは明らかに違う空気。潮の匂い。

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2019年3月21日 (木)

G先生、次の本の制作、PC破損修理、サーバーのメール消滅

2月23日(土)

G先生から写真を送ってくれとのメールが来る。

前の私のメールへの返答はない。ただ「写真を送れる?」という短いメール。

G先生のエッセイに写真についての思いを書いたものがあるが、思索的な意味があるのか、わからない。とても不思議。

2月25日(月)

G先生に写真を送る。

送った後で、ずっと緊張しっぱなしで神経が疲れていたことが、なんだかおかしくなって笑い出したくなってきた。

とにかく先生は私の絵についてお言葉をくださったのだから。お言葉をいただいたことが重要で、あとはどうにかなるだろう。

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鵜飼哲さんからメール。

研究室の片づけなども含め、原稿は8月以降になるとのこと。

2月26日

出版社に電話。

翻訳作業は水沢勉さんの原稿を出版社に送ったあと、文字数を数えた後でいいと言われた。

美術専門の英語翻訳家を紹介してもらえてほっとした。それで少し気が楽になった。

3月8日

ナツメ社のSさんから『デッサンの基本』重版のお知らせをいただく。

今度で32刷り。

Sさんは今年の6月に定年退職されるというので驚いた。

Sさんに担当していただいてもう10年。年月に実感がないことが怖い。

3月12日(火)

本とは別の仕事の件でHさんと電話。Hさんも、もう歳だから仕事をやめたいと言う。

ぶつっとやめるのは淋しいから、まばらにやったらいいのじゃない、と言ったら、そうだね、それがいいね、と。

3月13日(水)

ジョナス・メカスの写真展を見に、新井薬師の「スタジオ35分」へ。

中野から歩き、スタジオへ向かう前に、こうの史代『桜の国』に出てくる水の塔を見に行った。

陽が落ちたら急に寒くなり、一眼レフを持ったせいか左肩と首が痛くなる。新井薬師の商店街は昔にタイムスリップしたようだったが、北風に凍えて楽しめなかった。

3月15日(金)

机で書き物に集中するため、ノートPCを閉じて布団の上に置いていた。

ふとPCを開け、スイッチを入れると真っ暗な画面から「NEC」と書いた画面に移行せず、ガラスが割れたような放射状の亀裂と、極彩色の格子がちかちかする画面が出た。

これはもう絶対壊れたと一瞬でわかる。画面自体が割れているわけではなく、割れている画像が見えている状態。

3月16日(土)

NECに電話。

やはり液晶画面の破損、液漏れにほぼ間違いなさそう。

購入時に3年保証に入っていたが、液晶画面の交換はその補償に含まれないそう(ショック!)で、75000円かかると言われた。

子猫3匹が暴れまわる狭い部屋の中では、なにが起きても不思議ではない、こんなこともあるだろうと妙に納得していた。

(スカイプを使えないので)友人に電話したら「死ぬわけじゃないし」と言われて、ほっとした。

3月17日(日)

S急便の人が昼にPCを引き取りに来てくれる。PC専門の入れ物に、そっと入れてくださいと言われる。

古いPCを繋ぎ、OCNメール(サーバー)を見たら1000件ためていたメール履歴が全部消えていた。こちらのほうがPCの破損より理不尽に思え、すごいストレスになった。

OCNメールのリニューアルと同時に消えたようで、3月3日以降の40件ほどしか残っていない。これでは仕事にならない。

3月18日(月)

OCNに電話して尋ねると、「新しくなったOCNメールで、メール履歴が消える設定はない」という。ならどうして私だけが?

「聞いてきますのでちょっとお待ちください」と何度も言われ、3時間近くかかった。

メール検索など何度もかけたが、読み込みの問題ではなく、消えている。右上に40件と書いてあるのだからその数しかない。

古いPCで使っていたのはサポートがなくなったWindows Liveメールで、そこにはメール履歴が残っていたが、セキュリティがないので、へたにエキスポートなどしないほうがいいと思い、やめた。

Windows live メールの詳細設定を見たが、ちゃんと「サーバーにメールを残す」設定になっている。

OCNメールはなんとも迷惑だ。

さらに新しくなってからやたらに「読み込んでいます」というくるくる渦巻になって、書くのも削除するのも時間がかかるのでイライラ。

3月20日(水)

首(特に左)が、がちがちになってしまい、ほぐしマッサージに行く。すごく固い凝りの塊があると言われる。

夕方、PCが戻って来た。予想より早い。

コンテナから出す時、やはりS急便の人は触ってはいけない決まりだった。

中のデータは元のままだったのでやっと安心。

久しぶりにブログにアクセスしたらniftyのココログも新しくなっていた。嫌だなあと思う。

このブログを書いただけでも、コピペできない、複数カテゴリが選べない、ツイッター連携できないなどの不具合だらけ。

PC、メール、ブログ、ツイッター・・こういうことに振り回されることは本当に嫌だ。

 

 

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2019年2月28日 (木)

G先生からのお言葉(次の本)/ 花輪さん、友人に感謝

2月15日

G先生から私の絵についてのお言葉(次に出す画集のための)が届いた。

文章をいただけたことがまだ信じられない。ありがたいのだが、いろいろ考えてしまい、緊張して恐ろしいのがまさる。

親友たちが本当に喜んでくれた。彼らの喜ぶ様子を見て、私も少しずつ嬉しくなってきた。

それでもまだ現実感がない。

2月13日

花輪和一さんと電話。気温は氷点下で、雪も溶けずに積もっているが、バスで出かけていたそうだ。

先日の私の絵に似すぎている絵を描いている学生の話について、花輪さんは私のブログを読んでくれていた。

「すっごい変なのがいるねえ。性格が異常だよねえ。そんなのの絵は絶対ものにならないでしょ。言ってることがDV男みたい。」と言われた。

「なんで最近の若い人はそんなにおかしいの?食べ物が悪いの?」と聞かれたけれど、おそらく現代の病で、やたらに自尊感情や承認欲求ばかりが高く、利己的、功利主義的に育ったのでしょう。

「ずばっと本当のことを言ってやってよかったんだよねえ。絶対に自分は悪くないってどんなにわめいて、言い張って見せても、「鎧通し」のように突き刺さってるから。」

「鎧通し」とは、格闘して敵を鎧の隙間から刺す、身幅が狭くて、手元に近いところはかなり厚みがあるが先は薄くなっている短刀だそうだ。

花輪さんは幼少期の愛情不足や虐待(ネグレクト)もあり、15歳の頃からひとりで生きて、苦労して絵(漫画)をかいてきたけど、自分が努力して道を伐り拓いてきた、とは決して言わない。そういうことを言うのはすごく恥ずかしい、と言う。

私は花輪さんの並外れた才能と謙虚な人柄を尊敬している。

花輪さんがすごいところは絵に嘘がないこと。

植物や動物へ愛情のこまやかさ、眼を通して細部のニュアンスまでとらえる力が突出していること。

仕事に対して効率よくお金を得ることは考えず、自分で納得できる作品を常に目指していること。

人への遠慮や気遣いがあること。

花輪さんとのつきあいも長いが、思えば、私はすごく尊敬している人から大切にされなかった経験があまりない。

もしかしたらこれはすごいことかもしれない、とありがたく思う。

昨年の7月、花輪さんに会いに北海道に行った時、(花輪さんの担当編集さんお気に入りの)少しだけ高級な寿司屋に行こうか、と言われ、私は食べ物に高いお金を使うことに躊躇があるので断ってしまったことを、今、少し後悔している。

花輪さんに会いに北海道に行くことも滅多にないのだし、特別な機会としてちょっとだけ贅沢してもよかったのかも、と。

だけど次に会いに行っても、やっぱり(お金を使うのが怖くて)高級寿司屋には行かずに、庶民的な居酒屋に行ってしまうのかもしれない。

私にとって最高においしい食事は、高級料理よりも、どれだけ素敵な人と食べるかが一番大切だと思うから。

・・・

しばらくほっておいたツイッターを、またやり始めた。

なにもかもわからないことばかりで、全然気軽につぶやけないが、少しずつ。

無知な私に教えてくださったM子さま。久しぶりにお便りをくださったN子さま。

ツイッターがきっかけで知り合った女性の友人は皆、メールの文面も素晴らしくしっかりした思いやりのあるかたたちだ。

お知り合いになれて本当に嬉しい。

心から感謝します。

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2019年2月17日 (日)

宇野昌磨「月光」

遅くなりましたが、ごく個人的な感想を記録しておきます。

2月10日

右足首3度の捻挫。大会2日前に再々受傷。

試合前に「練習してきたわけではないので、自分を信じるとかではない」という発言。

SP後、「後悔しいといえるほど練習していない。悔しいという権利がない」と発言。

どれほど足の具合が悪いのか、どれほど練習不足なのか、その状態で試合に出ることがどれほどリスキーなことなのか、本人(とスタッフ)でなければわからないことだが、棄権する選択をしない彼に、ファンは全員、心臓に負担をかけて祈るような気持ちだったろう。

ネットに詳しくない私が、どうにかライストを捜し、見るほうの心の準備もできないままにフリーの本番。

厳かにピアノのひんやりとした音色が流れ、彼が滑り出したとたん、硬質で透明で、とても強いものが動き出し、ぐんと加速するのが見えた。

そこからは、ごちゃごちゃと外国の言葉で埋め尽くされるライストの画面も、ざわめきも、なにも気にならずに見入ってしまった。

しんと静まった藍色の薄闇の中を、熱を放つ生き物が疾走していて、時折聞こえるブレードの音に、私の眼の奥の冬の樹々の尖った枝たちも共振するようだった。

眼はなにかをじっと見つめている。

思い定めた先にあるその核心は、無限を孕んだ点のように小さく凝縮しているがゆえに、なににも、少しも乱されないようだった。

顔は淡々とした表情のままだが、腕や肩、首、腰、指先まで、身体は自分のなすべきことを知っていて、未明と喪失の残響を、重く、あるいは鋭く、力強く奏でながら、一瞬一瞬を輝かしい奇跡に変えていった。

終わった瞬間、崩れ落ちた彼は、気を失ったのかと見えた。

それほど集中し、演技中は苦しいことを苦しいとさえ感じられない境地に入っていたのかと思えた。

追いつめられて、自身が呑み込まれてしまいそうな身体の闇に対峙させられながら、不安でたまらない場面で、どうしたら「無心」(あるいは「無我」というのだろうか)になることができるのか。

「身体を開く」とはどういうことなのか。

「気合」「自分を信じる」と、どんなに念じても、不安はぬぐえず、恐怖心はどこまでも追いかけてくるのではないだろうか。

「無心」、「無我」・・・どうしたら、ある状態を超えてそこに出られるのか、それは本人にしかわからない、言語化不可能のことだ。

繊細で大胆。こちらの息もとまりそうなほど張りつめた『月光』。

優勝、おめでとうございます。

シーズン最初の頃は、よくこんな難しい曲を選んだなあ、と思ったが、その頃聞いた同じ演奏者のピアノとは思えないほど、眼に見えるものとともに音も劇的に胸に迫ってきた。

Sdsc06612
Fading Rose (しおれゆくバラ、薔薇の散策、水彩、Pencil Drawing, Watercolor)

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2019年2月 4日 (月)

私をナルシスティックな欲望の道具にする人

2月3日

私に共感してくださるかたは、どうか私の絵を見てください。お願いいたします。

私がずっとどんな仕事(絵、文章など)をしてきたか、知っていてくださるかたがいるということが、私を支えてくれます。

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/japanese-style-paintings-1-膠絵/

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/pencil-drawing-watercolor-painting-1-tulip-anemone/

私は緘黙気質で、自分を強く前面に押し出していける性質ではありません。過敏で緊張が強く、考えすぎ、躊躇、逡巡して悩む性格です。

私の絵や文章は、私の生きづらさから生まれているものだと思っています。

ほとんど孤絶して、苦しみながら生み出されいる絵だからこそ標的にされ、このように「知る人ぞ知る画家」と書かれて道具にされたと思うと、苦しくてたまりません。

「私のものを自分のものと思い込む人」では誤解を生むので、「私をナルシスティックな欲望の道具にする人」と言ったほうが、より正確かもしれません。

もちろん「私のもの」と書いたのは単に枯れ花を描くことではないです。

彼は最後のメールで「福山さんの枯れ花への独占欲のようなものが理解できない。怒りを感じる。」と書いて来ました。

これについては、私が意見を聞いた複数の第三者の誰もが、この世にたくさんある枯れた花を描いた絵の中で、彼の絵だけが著しく、私の描いた絵に似ている、と言ってくれました。

他人との差別化には必死になりながら、私の絵に「似すぎていると自覚している」絵を発表、販売して、自分が私に与えている苦しみは理解しない、という彼の思考の構造が、私には理解できかねます。

「収奪」とは、自分の欲望を満たすことが他者を苦しめることに直結している、それでも平気で自分優先でやる、という意味です。

・・・・・・・・

今、トラウマが蘇り、苦しんでいる(2010年~16年に苦しめられた)パクリストーカーNも、私を彼のナルシスティックな欲望の道具にしていたという意味では同じです。

Nにも会ったことはありません。2010年に彼から熱烈な長いメールをもらいました。

「画家として、人間として純粋に生きようとされている福山知佐子氏の強さと繊細さ」

「物事に鋭くて、異次元のような、知的な世界をお持ちの方」

「是非ともお会いしたいです!画家として、人間として、真の芸術家の空気に触れてみたいと思います」

「先生の花は狂おしくて、病的な筆致、緻密で繊細、妖しくも格調高く、優雅なエロティシズムに満ちています。なにより、植物への愛情、その純度の高さにただ敬服します。」

「福山さんの誰よりも純粋で、(多分、誰しもが理解、共有しえない)研ぎ澄まされた少女が持つような刃は、稀有だと思います」

けれどNは一度も、メールに書いてきたような言葉を、N自身のブログに私の名前とともに書いて、公にしたことはありません。彼のブログの読者には、私に惹かれていることを隠していました。

そのうちNは、私の書いた単語、言い回し、言葉の癖、好きな画家や愛読する作家、親密にさせていただいている芸術家の名前、好きな植物やものの名前までなにからなにまで真似てブログを書くようになりました。

彼に意味が理解できないだろう言葉や、読めるはずもないだろう作家の名前が目につくや、すぐに跳びついて写していました。

彼はあるがままのNとは似ても似つかない人に、ブログでなりすましているかのようでした。

言葉では語りがたいものをなんとか言葉にしようと、私が苦しんだ残余としての断片や言い回しが、何も考えていない彼に有頂天になる道具にされること、

私が自分に戒めている「自分が実感としてわからないことを、わかったように書かない」という自制の上での言葉が、

逆に、Nが知ったかぶりをして陶酔するために利用されていることが、気持ち悪くてたまりませんでした。

「現在を生き、常に事物(もの)の本質に迫り、また事物の深淵へと眼差しを向ける一人の画家のヴィジョンは、(いつまでも)私のヴィジョンにさえ、波紋のように静かな影響を与え、新たな風景を垣間見せてくれる契機となっていた。」

と、Nが私の名前をふせて書いているのを見て、私はぞっとしてしまいました。(実際の私は一度も本質主義など語ったことがないので、余計に気持ち悪いです。)

彼に、私の書く単語、固有名の後追いや、言い回し、言葉の癖などを真似するのをやめてください、と告げても、Nは私に言われている意味が理解できませんでした。

彼はすべて「無意識」で、ほぼ条件反射のように、夢中で真似ていたらしいのです。

いつのまにかNは、私よりはるかに偉い態度をとるようになっていました。

私は、話がまったく通じない相手にストーカーされている恐怖で心身ともに病みそうになりました。

Nは、自分が私のものを見て真似ている、という事実を認識できていなかった、と2016年に認めました(私への横柄で傲岸な態度は崩しませんでしたが)。

強く惹かれている相手のものをそっくり真似する人は、現実よりも、他人や自分に言い張っている嘘のほうを信じる、と私はNの経験から思いました。

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2019年1月30日 (水)

激しい怒りの長い長いメールをもらった

1月30日

(私はPCしか持っていないのですが、スマホではサイドバーが見えないそうなので、今年から)署名として自分の絵のホームページを載せることにします。

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/pencil-drawing-watercolor-painting-1-tulip-anemone/

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/

・・・・

前回のブログに書いた事実について、若い学生画家は私に激怒し、

「返信しないつもりでしたがやっぱりこれを最後にします」という一方的に上から目線の、私に対する激しい怒りを、えんえんとぶつけてくる長い長いメールをよこした。

彼の自己正当化だけを書きまくって、これで終わり!「何を話し合うのか、会う目的がわからない」と言う。

美人画をやっていた彼が、急に私にそっくりな絵を描いているのに気づいて吐き気がするほどショックを受けた私の苦しみには、彼は一切興味がないそうだ。

私の苦しみには興味ないが、私の苦しみから生まれている絵の表面には、ついつい似すぎた絵を描いていまうほど利用しやすい道具として興味があるのか。

「福山さんの考えかたが好きでそれこそ『深層部に至るほど』の衝撃を受けました」と、彼はまた書いて来ているが、

私は、つきあいのある画家に対して相手が不快に思うレヴェルまで似ている絵は発表も販売もしない。

そんな失礼で、恥知らずなことはできない。それが私の「考えかた」であり、私の神経だ。

私は好きな作家に関しては、その人の名前と、作品のどんなところが好きかを、なるべく自分の言葉でブログ(公)に書くようにしている。

言葉に書くのが難しくても、その人の名を出して書くことが、その作品と作家が生き延びるチャンスであると思うからだ。

「他者」とは語り得ないものだが、それでもなお、相手の作家の名を出して、語り尽くせないものに対して言葉を尽くそうと努力することが、「他者」からの「贈り物」に対する「礼」ではないかと私は思う。

彼は私の絵も「考え方」も好きだといいながら、私の気持ち、作品の命を尊重する気はまったくないと言う。そういう感覚が私にはまったく理解できない。

SNSに対して無知でよくわからなかったから私の名前をふせたと彼は言うが、今までいくらでも私にメールで話しかけて相談してくれるチャンスはあったが、彼はやらなかった。

彼はどこまでも「無意識に」利己的で、狡くて、自己正当化しか考えていない。

彼は私とは全く逆の考えかた、感じ方をする人間だ。彼は私だったらとても恥ずかしくて言えない言葉を平気で吐き、私が激しく痛みを感じるところでなんにも感じない。

「枯れ花を描き始めた時点に関しては福山さんの影響ではない」、

「僕は福山さんの絵が好きでしたが、僕の絵とは関係のないことです」、

「悩んでいるといったのは福山さんを心配してではなく今の自分の絵が福山さんの絵に似た雰囲気を醸し出していることについてです。そもそもそういう意味で書いたつもりです」

「福山さんの考えかたが好きでそれこそ『深層部に至るほど』の衝撃を受けましたがそれに己を重ねるつもりはなくその画家としての姿勢を学ぶ気はありません」

「真似と言われる筋合いもありません。これが収奪だとも思えません。」

「ナルシズムへの転換も何もそんなものはありません」

「あれは絵が良かったというよりは「藝大」という学校名とその値段の手軽さで売れたのです」

「無意識に似たとはいえ苦労してつくったものに違和感や恥を感じる意味がわかりません」

「そもそも人物を描くことに自分の何か重要な要素を感じることもありませんし、合わなかったからまた植物に戻っただけのことです」

「福山さんは途中からの要素でありそもそもの『枯れ花を描く』を作ったのは自分です」

「枯れ花は」「僕が一浪の時」、「もう2年以上前のこと」「受験対策用に家でこそこそやっていました。」「ですから枯れ花を描くのをやめる気はありません。」

「時間を掛けて自力で道を切り開いてきました。その程度の努力はできる人間であるつもりです。」

はあ?道理もつじつまも、私にはよく理解できないのですが。

二十歳そこそこで、こんな姑息なやりかたをしながら「人の心に何か少しでも揺さぶりをかけることができたらと思って絵をかいています」と言われても・・・。

確かに私が嫌悪感で激しく動揺するほど、あなたは人の心に揺さぶりをかけることに成功していますよ、としか言えない。

この件について、第3者に判断を委ねるつもりだ。

・・・

この400字詰め原稿用紙何十枚もある長い長い「絶対に自分は悪くない」という激昂メールも、まるで、以前はりつかれたN・Sというパクリストーカーのデジャブだ。

もちろん、今回と前回はあらゆる点が異なるが、しかし「福山さんに言われる筋合いはない」というようなセリフまでそっくり同じだ。

まったく共感能力がない異常性を感じる。

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