手術してからずっと脳の疲労がすごくてブログを書くのが遅れている。
ストレスを感じると眼の奥から後頭部が重く痛み、その場で昏睡しそうになる。
とにかく余計なおしゃべりが辛い。
脳が疲れると翌日は朝5時に目が覚め、そこから二度寝、三度寝をして10時間以上眠らないと頭が働かない。
5月11日に沢渡朔さんとお会いした。一昨日は宇野亞喜良さんとお会いした。
こども時代から本当にあこがれ続けた人たち。
その人たちの話を聞いている時は、すべてが芸術的示唆に満ちていて、さりげなくて正直なひとことひとことに最高に心がときめいた。
そういう時だけは幸せで傷の痛みも脳の疲労も取り除かれる気がする。
5月13日(土)
銀座奥野ビルの堀田展造写真展「無感覚物体」へ。
私にとっては知らない人だが、なぜ行く気になったかというと、4月にナツメ社気付でこの写真展の案内が送られて来たからだ。
「無感覚物体(phantom)=架空のダンス」という長い文章が印刷されてある。
文章の意味は何となく理解できたつもりだ。
「冷徹な非幻視の眼=写真」「架空と暗喩を暴く」「語を否定する語」「つねに取り残される暗喩の根深さ」・・・
案内状に書いてあったメルアドに、今は癌の手術後の痛みがあり、脳へのサイバーナイフを受けたばかりでエネルギーがないので、行けるかどうかわかりませんが・・・なぜ私にお送りくださったのでしょうか?と書いて送ったが返事は来なかった。
銀座に行くと酷く疲れそうで迷ったが、
名前で検索すると1945年生まれでずっと写真館をやっていた人であること、私の好きな奥野ビルでやっていることが行ってみる気になった理由だ。
奥野ビルの2回の端のギャラリー一兎庵。真っ暗な写真はビルと部屋の雰囲気にはあっていた。
挨拶して、なぜ私に案内を送ったのか(しかも水声社でなくナツメ社気付)尋ねてみると、
「なんでだろう。アルトーの関係かな?」と。
アルトーは出版記念のイベントに行っただけ。あと映画の中で朗読したけれど堀田さんが知るわけない。
「なんでだろう。ミステリーだね。」と言われ「はあ?」としか言いようがない。
「たぶんなにかで検索してブログを見て、変わってる人だなあ、すごくはっきりものを言う人だなあって思ったんだ。適当に出すわけない。」
そうですか。変わってるのは堀田さんのほうだ。強い文章と詩を書き、写真集をつくり、このエネルギーはなんなのだろう。
展示されている真っ黒な写真たち(ほとんど全部同じ)を見ていると、てきめんに脳が疲労してきた。
「無感覚物体」なのだから無感覚な写真を見せられて正解なのだろうが、私の身体(脳)はついついなんらかの感覚的な刺激、ときめき、快感、新鮮な驚き、感情などを求めてしまって、それが抑圧されると辛すぎて卒倒しそうになる。
哲学を勉強している人なら容易にわかり、軽くおしゃべりしあえるようなことを眼から入ってくる表現でやられると、私はものすごく疲弊する。テキストだけで十分なのに、と思ってしまうのだ。
たいていの人が私のように目で見る表現からストレスを受けることはない(ように私の長年の経験からは見える)。
絵にそれほど興味があるわけではないから、絵や眼から入っている表現に嫌悪や不快を催してしまう感覚がないからだ。
これは一般の人たちだけでなく、いわゆるお勉強のできる人たちも同じだ。言語や論理に精通している人たちはなおさら平気で無感覚な人が多い気がする。
まずい、すごく眠いと思いながら机の上にある過去の写真集を見せてもらった。
やはりどれも黒っぽい。喫茶店にいる奥様の写真も、暗いうえに左上と左下から三角色の闇が迫っている。
「この影は偶然?」と質問すると
「あとからフォトショップでやったんだ。デジカメの写真なんてフォトショップで作りこまないと意味ない。フォトショップが発売された頃からずっとパソコンでやってる。」と。
自分の頭が朦朧とするのがわかった。
夕暮れの海を撮った写真があった。「これは素敵ですね。雲の光がすごくきれいで、しかもカモメのすべてにぴったりピントが合ってる。」
「だいたいこの辺ていうところにピントを合わせて鳥が来るのを待った。」
この写真は私の好きな淋しげな海の景色で、私はその写真からポエジーを感じたから正直に素敵と言えた。
「少し上の方の階も見てきます」と部屋を出ようとすると、「福山さん、これ見て。定点観測。」と言われてデジカメの中にある奥野ビルの前で撮ったたくさんの写真を見せられたが、申し訳ないけれど「ああ・・」としか応えられなかった。
奥野ビルは昔は二つの並んだビルだったらしいです、と言うと「福山さんはその頃から生きてたりして。」と冗談を言われたが、疲れすぎて愛想笑いができない。
本当に精神のエネルギー切れ。
階段で上へ。6階までどんなになっているのか各部屋をちらりちらりと覗いてきた。
奥野ビルの素晴らしい古色の雰囲気とまったく合わない、とんでもなく酷い絵を飾ってある部屋もあった。仲間内の盛り上がりに入室できる空気もない。
一兎庵に戻ると谷昌親さんがいらしていて驚いた。
以前に詩人の浜田優さんと堀田さんがコラボ展をやった時からのお知り合いとのこと。
堀田さんが「写真やってる人たちが言うのは白黒の諧調とピントが合ってないと写真じゃないと。」というようなこを言って、
谷さんは「えっ?それじゃ森山大道がやったこうやってパシャパシャって撮ったのは写真じゃないってこと?」と。
私はもう質問する気力もなく、立っているのが不思議なくらい。
谷さんは、なにか写真論について書いた冊子を堀田さんに渡していらした。
「谷先生!写真とはなんですか?」と堀田さんが質問して、谷さんは「えっ・・これはロラン・バルトについて書いたものですけど、今の時代にそれがあてはまるかどうか・・」ともっともな対応。
堀田さんは帰り際に「福山さん、これ、もらってもらえるかな。」と私家版の詩集をくださった。
堀田さんは某哲学者が来てくれた、ととても喜んでいた。その人は写真の話はせずに、ずっと堀田さんが大学を卒業してから何をしていたかを聞いていたとという。
私も堀田さんの若い頃の話を聞けばよかった。個人の経験の話の方が写真論よりはるかに興味がある。
ちゃんと感想を言えなくて失礼だったかな、と気にしていたが、私の個展の時に来る人も絵の感想をひとこともくれず、どうでもいい雑談や、自分の話ばかりををしてくる人が多い。
そのことを私自身がすごく辛く思っているからこそ、他人の個展ではなにか感想を言わないと失礼だと思ってしまい、それがちゃんとできない自分がだめに思えて余計に精神が疲弊してしまうのだ。