哲学

2019年2月28日 (木)

G先生からのお言葉(次の本)/ 花輪さん、友人に感謝

2月15日

G先生から私の絵についてのお言葉(次に出す画集のための)が届いた。

文章をいただけたことがまだ信じられない。ありがたいのだが、いろいろ考えてしまい、緊張して恐ろしいのがまさる。

親友たちが本当に喜んでくれた。彼らの喜ぶ様子を見て、私も少しずつ嬉しくなってきた。

それでもまだ現実感がない。

2月13日

花輪和一さんと電話。気温は氷点下で、雪も溶けずに積もっているが、バスで出かけていたそうだ。

先日の私の絵に似すぎている絵を描いている学生の話について、花輪さんは私のブログを読んでくれていた。

「すっごい変なのがいるねえ。性格が異常だよねえ。そんなのの絵は絶対ものにならないでしょ。言ってることがDV男みたい。」と言われた。

「なんで最近の若い人はそんなにおかしいの?食べ物が悪いの?」と聞かれたけれど、おそらく現代の病で、やたらに自尊感情や承認欲求ばかりが高く、利己的、功利主義的に育ったのでしょう。

「ずばっと本当のことを言ってやってよかったんだよねえ。絶対に自分は悪くないってどんなにわめいて、言い張って見せても、「鎧通し」のように突き刺さってるから。」

「鎧通し」とは、格闘して敵を鎧の隙間から刺す、身幅が狭くて、手元に近いところはかなり厚みがあるが先は薄くなっている短刀だそうだ。

花輪さんは幼少期の愛情不足や虐待(ネグレクト)もあり、15歳の頃からひとりで生きて、苦労して絵(漫画)をかいてきたけど、自分が努力して道を伐り拓いてきた、とは決して言わない。そういうことを言うのはすごく恥ずかしい、と言う。

私は花輪さんの並外れた才能と謙虚な人柄を尊敬している。

花輪さんがすごいところは絵に嘘がないこと。

植物や動物へ愛情のこまやかさ、眼を通して細部のニュアンスまでとらえる力が突出していること。

仕事に対して効率よくお金を得ることは考えず、自分で納得できる作品を常に目指していること。

人への遠慮や気遣いがあること。

花輪さんとのつきあいも長いが、思えば、私はすごく尊敬している人から大切にされなかった経験があまりない。

もしかしたらこれはすごいことかもしれない、とありがたく思う。

昨年の7月、花輪さんに会いに北海道に行った時、(花輪さんの担当編集さんお気に入りの)少しだけ高級な寿司屋に行こうか、と言われ、私は食べ物に高いお金を使うことに躊躇があるので断ってしまったことを、今、少し後悔している。

花輪さんに会いに北海道に行くことも滅多にないのだし、特別な機会としてちょっとだけ贅沢してもよかったのかも、と。

だけど次に会いに行っても、やっぱり(お金を使うのが怖くて)高級寿司屋には行かずに、庶民的な居酒屋に行ってしまうのかもしれない。

私にとって最高においしい食事は、高級料理よりも、どれだけ素敵な人と食べるかが一番大切だと思うから。

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しばらくほっておいたツイッターを、またやり始めた。

なにもかもわからないことばかりで、全然気軽につぶやけないが、少しずつ。

無知な私に教えてくださったM子さま。久しぶりにお便りをくださったN子さま。

ツイッターがきっかけで知り合った女性の友人は皆、メールの文面も素晴らしくしっかりした思いやりのあるかたたちだ。

お知り合いになれて本当に嬉しい。

心から感謝します。

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2019年1月26日 (土)

鵜飼哲さんと打ち合わせ、現代の美術について

1月15日

次の本の打ち合わせで鵜飼哲さんと会う。

9月にイタリアに行って来た話をした。

オルヴィエトで、古代の井戸を訪れたときの話。入場料を払って、暗く深い井戸の底へと続く螺旋階段を降りていくのだが、階段の壁には、その町の画家とおぼしき現代作家の油絵が飾られていた。古い井戸の古色の肌合いを見るために中に入ったのに、すごく嫌だった、と言ったら、

鵜飼さんは「ヨーロッパのパブリックアートは日本よりもっとやりかたがまずいかもしれない。林の中に李禹煥(リ・ウーファン)があるとかならいいけど。」と言った。

こういう時に咄嗟に言葉が出なくて、私は帰宅してから悶々としてしまう。

私は林の中で李禹煥なんか見たくない。私は、林であれば、たぶんどんな林でも、細部まで一日中飽きずに楽しむことができる。しかし、だからこそ、せっかくの林の中で李禹煥の作品と鉢合わせしてしまったら、それが邪魔で、そうとうイライラするだろう。

どんな主体にとっての存在の無意味や意味なのか。

小難しい理論がなければ自然や、そこにある様々なものの細部に触れられないと思っている人にとってだけ、「もの派」は意味があるのだろうか。私には逆に、ただ自分の感覚の伸びやかな運動の邪魔になるだけだ。

古代の井戸だろうが、林だろうが、街中だろうが、私は見たくもないアートに出くわすのが嫌いだ。それらを見たいと思う人といっしょに、その「表現の自由」に似つかわしい、どこか狭い空間に閉じ込めておいてほしいと思う。

イタリアでは丘の上の廃墟を見た。あまりにも魅惑的な空間だった。私は廃墟でない人工物、アートが嫌いなのだ。

話の流れで、鵜飼さんの口にのぼった地方の女性画家の名を、帰宅してから検索した。某美大の学長にまでのぼりつめたというその画家の絵を見て、また嫌悪感で気持ち悪くなった。

美術史の中に組み込まれているものの中にも、好きな作家と、そうでない作家がいるが、なにも考えないでただ乏しい感性と惰性でやっていて、なぜか現在、権力を得ている人もさらに気持ち悪い。

私は嫌悪感を感じる作品を見ると、強い抑圧を受ける。その作品の向こうから襲いかかってくる鈍いもの、それを作った作家の病的な自己顕示欲に、窒息させられるような感覚に陥るのだ。

1月19日

2年ほど受けていなかった健康診断を受ける。

血液検査の結果は4週後。機器で測る骨年齢はC (平均)。血管年齢と肌年齢はA(平均マイナス13歳)だった。

思ったより良い結果だったのは、イタリアのチナミさんからいただいた早摘みオリーブオイルのおかげかな、と感謝。

終わってから中野に出て、ひとり天ぷらを食べた。検査のために絶食していて、とてもおなかがすいて寒かったので少々熱燗を飲んだ。

その後、肌触りがよくて余計な柄や飾りのない手袋をさがして街を歩いた。

グレーの無地のお気に入りの手袋を片方失くしたようなので、チクチクしないで温かい手袋が欲しかったが、見つからなかった。

ブロードウェイの地下は昔からほとんど変わらない闇市風というのか、アメ横みたいだ。もう松の内が過ぎてだいぶ経つのに、「初売り」という呼び込みで魚屋が賑わっていた。

8色ソフトクリームの店は1966年のブロードウェイ開業当時からやっているらしい。

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帰宅してから疲れて眠ってしまい、夜、起きたら鈴木創士さんから原稿が送られて来ていた。

『あんちりおん3』の時にも、締め切りにぴたりと合わせて原稿を送ってくださったのは鈴木創士さんだけだ。胸が痛くなる。

鈴木創士さんも「現代美術にはうんざり」と言う。彼にそう言われることで励まされる。

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2018年12月22日 (土)

猫の絵、動物の犠牲について、デリダ

12月22日

猫の絵(Cat drawing, Dessin)

わずか100gちょっとで拾われた日のチョビ。初めて病院に行った日(135g)のチョビ。

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小さな犬のぬいぐるみだけに甘えていたチョビ。
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真菌によってしっぽ、手足、首の毛がはげたチョビ。特にしっぽが真っ赤で痛々しかった。
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ひとりぼっちではなくなったチョビとプフ。
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「〈殺すなかれ〉は、ユダヤ・キリスト教の伝統のなかでは、また明らかにレヴィナスによっても、〈生物一般を死なせてはならない〉という意味で解釈されたことは一度もない」。

「人間主義を超えて」存在の思考を推し進めたはずのハイデガーも、犠牲(サクリファイス)のエコノミーを問いなおすことはできなかった。

ハイデガーでもレヴィナスでも、「主体」とは、「犠牲が可能であり、生命一般の侵害が禁じられていない世界における、ただ人間の生命に対する、隣人である他者の、現存在としての他者の生命に対する侵害だけが禁じられている世界における人間なのだ」

(「〈正しく食べなくてはならない〉あるいは主体の計算――ジャン=リュック・ナンシーとの対話」)。

こうしてデリダが、ユダヤ=キリスト教も含めて、西洋形而上学の「肉食=男根ロゴス中心主義」を問題化する。

それは、現代の動物実験、生物学実験に至るまで、「肉食的犠牲が主体性の構造にとって本質的である」ような世界である。

いまからほど遠くない過去に、「われわれ人間」が「われわれ成人の、男性の、白人の、肉食の、供犠をなしうるヨーロッパ人」を意味した時代もあった(『法の力』)。

(高橋哲哉『デリダ――脱構築』(講談社)より引用)

・・・

「 問題は(略)動物が思考すること、推論すること、話すこと等々ができるかどうかではない。(略)先決的かつ決定的な問いは、動物が、苦しむことができるかどうかであるだろう。《Can they suffer?》

この問いは、ある種の受動性によっておのれを不安にする。それは証言する、それはすでに、顕わにしている、問いとして、ある受動可能性への、ある情念=受苦(passion)、ある非‐力能への証言的応答を。「できる」(can)という語は、ここで、《Can they suffer?》と言われるやいなや、たちまち意味および正負の符号を変えてしまう。

「それらは苦しむことができるか?」と問うことは、「それらはできないことができるか?」と問うことに帰着する。

(略)苦しむことができることはもはや力能ではない。それは力能なき可能性、不可能なものの可能性なのである。われわれが動物たちと分有している有限性を思考するもっとも根底的な仕方として、生の有限性そのものに、共苦(compassion)の経験に属する可死性は宿っているのである、この非‐力能の可能性を、この不可能性の可能性を、この可傷性の不安およびこの不安の可傷性を、分有する可能性に属する可死性は。」

(ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物)である』(鵜飼哲訳、筑摩書房)より引用)

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2018年1月25日 (木)

鵜飼哲 最終ゼミ 『原理主義とは何か』以後 於一橋大学佐野書院

1月20日(土)

Fと国立で待ち合わせ、鵜飼哲さんの最終ゼミを聞きに、一橋大学佐野書院へ。

会場の佐野書院へと急ぐ道すがら、「(私は)昨年の母とちゃびの死からずっと心が疲弊して頭の回転が悪い状態なのに、3時間も集中して難しい話を聞くことができるのかすごく心配。久しぶりに脳を酷使して、エネルギーを消耗しすぎて、途中でこと切れてこっくりこっくり寝たりしたらどうしよう」とFに尋ねる。

Fは「僕もそこまで長い間、集中力が続くわけではない」と、「あなたの頭はあなたが思っているほどには回転が悪いとは思えない」と言う。

「10月に母が死んで、そのあと11月にちゃびが死んでから、緊張とショックが大きすぎてほんとにずっと頭が回らなくて。いろんなものを失くしたりしてる。認知症になるんじゃないかと思って不安で。」と言ったら、

「20年前に出会ってからずっと、あなたが緊張して思いつめていなかったことはない」と言われた。

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『原理主義とは何か』(1996年、河出書房新社)から20年余りの世界の変容を語る、というテーマ(ちなみに私はその本を読んでない)。

会場は満杯で、前のほうの席しか空いていなかったので前から2番目に座る(集中せざるを得ない、うつらうつらはできない、プレッシャーを感じる状況)。

前半の1時間半を終えてからは、混んでいるのでもっと前に詰めてください、と言われて最前列のほぼ真ん中の席になった。

〈まとまりがないが、私個人のためのメモの抜粋〉(誰の発言だったか、メモが追いつかず、最後の方、特に不確かで、発言主を間違えて書いているところもあると思います。)

1995~1996年以降の世界・・・グローバリゼーション化によって抑圧された復讐が始まった年。

日本では歴史修正主義、日本会議の始まり、沖縄少女暴行などがあった。

西谷修さんの発言:

「西洋的なもの」も概念的でしかない。発案、作用、ディスコース、研究。

港千尋さんのやっていることは論理化、整理することだけではないリプレゼンテーション、そこに介入する、美術の市場に介入する、ここにこういう表現がある、というエクスポジションの場に晒していく、場のディレクターであり、マネージメントできない表出、提示。

描くこと、ラスコー、文字文化以前の世界との関係にかたちを与える、「明かしえぬ共同体」、なにを共有しているのか言うこともできない。

私は言語評論界の松本ヒロのようなもの。(お笑い芸人の名らしい)

鵜飼さんはデリダに波長があったのだと思うが、私が波長が合うのはデリダがバタイユを扱うあたりまで。そこからはレヴィナスでいい。

『構造と力』はチャート式に整理している、ポスト構造主義。思想のモードとしては実存主義対構造主義。

バタイユの「禁止と違反」に直結している。

哲学は普遍性を目指すが、ピエール・ルジャンドルは目指さない。言葉を使う生きものしか扱わない。

言語を使う生きものは、それがうまくいかない(言語という、あるオーダーが破綻してしまう)と狂気にしかならない。法のアルケー、コードの塊、ノーム、ノルマ。

理性とは、「Why」という問いに応えること。

我々の知恵は途上の知恵であり、内部観測でしかない。宇宙船から宇宙を見ているのであって、宇宙から宇宙船を見ているのではない。

アガンベンはラテン語2000年の歴史を肥やしにして生えてきた草。

我々が限定されていることの自覚、「終わりなき目的なき手段」であり、終わりは我々には不可能、今、ここで探索しているのであり、永遠に途上であること。

フランスにとっての他者はアラブ、イスラム世界。

ヨーロッパの知性、中心性。(フランス人一般は自分たちはヨーロッパの知性、中心だと当たり前に思っている。)

港さんの発言:

1992年にストラスブールで世界作家会議があった。

旧ユーゴの内戦やアルジェリアの内戦に知識人たちが反応した。

1995年は不気味なものが世の中に顕われてきた年。どの地名をとっても、地名を通して対話が可能となった。

世界遺産への批判。グローバルな土地の占有と結びついている。

ジオとは与えられた大地としての所与のものであって、そこに宗教、文明が生まれたのだが、今はジオそのものが人間と同等以上の力を持ち、ヒストリーやポリティクスに介入し始めている。

鵜飼哲さんの発言:

9.11事件の後、パレスチナ人に会って話を聞きたいと思った。2014年の事件の後、アルジェリア人に会って話を聞きたいと思った。

暗黒の10年に何があったのか、アルジェリアの内戦について、フランスの教養のある人でも記憶にない。アナロジーの作りようがない。隔絶。

アルジェの戦いの時に子供だった人は、フランスがまた侵攻してくるのではないかと思っている。

朝鮮、沖縄、中国を見なければ日本というものはわからない。

世界遺産に入りたいと思っている人は、サバルタンではない。

1994年、世界遺産奈良コンファレンス、オーセンティシティに関する奈良ドキュメント。

第二次世界大戦の時、奈良と京都だけは爆撃されなかった。

知床・・・アイヌの舞踊が無形文化財に指定されているだけ。

田浪亜央江さんの発言:

広島の学生はシリアなどの難民支援を志す人が多い。

呉世宗さんの発言:

沖縄では地名が人名になっている。旅とはある場所を持ち帰ってくること。

原理主義への対抗はトレランスではなくホスピタイティ。

会場からの質問:今は世界多発原理主義化と言えるのか?

鵜飼哲さんの応答:

トランプや安倍晋三は原理主義とは見えない。原理主義の人たちにはもっと真剣なものがある。ポリティークの中では性格が違う現象。ひとつ間違うと原理主義的傾向になってしまう。

西谷修さんの発言:

資本主義というのはマルクス主義の枠組みの中のことであり、今の経済は資本主義とは言わない。

現在は科学技術開発、技術産業、市場のシステムが破綻し、これが経済を支えられない、国民経済の枠がない状態。

観光が最後の段階。これには資本がいらない。交通と飲み食いが経済になる。

それぞれの国の社会の在り方が壊される、社会が持たなくなる、原理主義でなくネガショニズム。世界戦争まで推し進めた勢力が歴史修正しながら出てくる。

原理主義とは宗教的キャピタルを持っているところ。

鵜飼さんの発言:

第二次大戦について、アジア太平洋で、なんでこんなにつながっていないのか。

トランプはオバマが持っていた解決しようという気を持っていない。

最低限、ろこつに空いているピ-スをはめてからでないと議論にならない。

西谷修さんの発言:

ITテクノロジーの問題。我々の情報、経験の質をどれだけ変えているか。

ハイデガーが「形而上学はサイバネティックスにとってかわられる」と言ったとおりになった。

港千尋さんの発言:

ITテクノロジーの問題は、我々の生命が変わるということ。

かつて、スマホ以前の時、ベルルスコーニのことを問題にしていた。今はトランプがそっくり同じことをやっている。

我々が知的な活動にさける時間は1日に数時間。マーケティング的に、その時間をいかにお金に変えられるかがテクノサイエンス。

ツイッターの情報が数千万人に渡ることは、形而上学的な話どころではない。

あらゆる戦争が民営化していった。敵味方の区別がデジタル化。

政治的なクライテリアがずれてきた。実際に何が起こっているのか簡単な図式では整理できない。

鵜飼哲さんの発言:

鈴木道彦先生と入れ違いに研究室を引き継いだ。

今やフランスが世界で一番ファノンの読まれない国。

『地に呪われたる者』「橋をわがものにする思想」、ファノンが橋。ファノンをわがものにできるか。

トランス・ポジション。翻訳と同時に置き換える。ファノンが他の文脈で読める。自分のポジションの正当化にならないために元の文脈に送り返した時に豊かになるように。

自分を人質の立場におく(レヴィナス)。

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私のような予備知識のない人間には、用語や人名などが聞き取りにくくて、今一つつかみ辛いところの多い討論だった。

帰りに、Fと三鷹で食事。私は「こなき純米」という鳥取のお酒を飲んだ。水木しげるのこなき爺のラベルがとっても素敵なお酒(Fは一滴も飲まない)。

「我々の知恵は途上の知恵であり、内部観測でしかない。宇宙船から宇宙を見ているのであって、宇宙から宇宙船を見ているのではない。」という西谷修さんの発言が印象に残っている。

ジャコメッティは見えないところまで描かない、ということを若林奮先生が言っていたと思う。俯瞰でものごとを見ない、実際には見えてもいないことを、さも見えているように言うべきではないということ。(それが、見えないものを無きものとしないことなのだと思う。)

誰でも自分の立ち位置、身体能力でしかものごとを感じることができない。だから想像力と配慮がいる。

これはものを考える時の基本であると思う。

・・・

「言語という、あるオーダーが破綻してしまうと」という西谷さんの言葉から、自分自身のトラウマともいうべき体験が連想されて、お酒が進んでしまった。

言語というオーダーが完全に破綻すべきところが、盗みによってのみあからさまにとりつくろわれて、自我の優越に開き直る、つまり現実認知がおかしく、手前勝手な妄想でいつも有頂天になっている・・・そういう人間たちに私はずっと苦しめられてきた。

その言語(というオーダー)が隠す「根源」があるとすれば、異様なまでの情動の停滞、感覚の鈍さ、あるいは知能の低さだろう。

とりわけ私を6年苦しめたP(パクリストーカー)は、あらゆる言語やものごとの理解がおかしく、抽象的な言葉がすべて自分中心(Pにだけ都合のいいように)歪んでいる。行動は衝動的、空疎で、「狂気」と呼ぶような豊かさは微塵も引き連れていない。

私を標的にして「見てもらいたいから」「惹かれたから」と言い、勝手に(衝動制御障害的に)侵害行為を続けてけてくるPのことがあまりに苦痛で、Pが怖くてたまらなかった。

彼は他人のものを自分のものと思い込んで「自分はすごい」「自分をほめろ」と強要してくる精神の病だ。

Pには無視が通じないのだ。私が黙っていると自分に都合のいい妄想を自己展開して行動がエスカレートする。私がはっきり「本当のこと」を言うと、Pは上から激昂して来た。

彼はどんなに人(他者)を傷つけても、絶対に自己嫌悪したり、内省したりすることがない。彼は激しすぎる自己愛からの妄想で、現実認識が逆に歪んでいて、本来なら恥を感じる場面で大得意になるのだ。

最低限のルールやマナーも身につけていないPに、小学生レヴェルのことを一から説明してわかってもらうことはほとんど不可能に近かった。何度注意しても理解されず、私自身が消耗しすぎて、心身ともにおかしくなるほどに追い詰められた。

Pにやられたことは「収奪」という言葉を使っていいと思うか、とFに尋ねたら、「それは収奪そのものなんじゃない?」と。

それにしてもFは心の病や発達障害などについての認識が信じられないほどに薄すぎる。

いつも「言語という、あるオーダー」が前提的に共有されている場所でしか自分を試されないからだと思う。

文学の内には、言語というオーダーがあり、また言語破壊というオーダーがある。いずれにせよ予定調和的に救われ、言語のそとのものが侵害されるわけではないからだ。

Pのことの経緯はいずれ詳しくブログに書こうと思っている。

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2016年10月26日 (水)

鵜飼哲さんと三浦半島の海岸へ 身体と思想について

10月22日

前から鵜飼哲さんと会う約束をしていたのだが、私の希望で三浦海岸へ貝拾いに行く。

12時45分に新宿で会い、湘南新宿ラインを横浜で京急に乗り換えて三浦半島へ。

行きの電車では、鵜飼さんが「シュルレアリスムの最後のアウラがある人」というアニー・ル・ブラン(Annie Le Brun)と会ったお話を聞く。

それから私は質問した。具体的な人名をあげてフェミニズムの話や日本会議の話、右翼、左翼、混沌としてなんとも判断がつきづらいニューウエイヴのことなど。しかし、私が質問のしかたを間違えてしまったのだろう。それらのことなど、私はどうでもよかったのだ。

私が聞きたいのは、思想の分化や分類の話ではなくではなく、それらの思想がそこから生まれるところの、というよりむしろ、思想が形を成す以前の身体感覚の話。

その人が自分の標榜している思想を裏切らない生き方をしているのか、などど問うべきでもない。

そうではなく、私はいつも、その人の身体はいかに思想そのものであるかを問いたいのだ。

瞬間ごとに変わる目の前の状況に対して、すぐれた舞踏のように、どのように臨機応変な態度をとれるか。

三崎口に着き、もう3時近かったので、体力と時間の温存のため、タクシーで行った。

鵜飼さんは貝拾いは初めてなので、私も貝の名に詳しくはないが、ごく基本の、よくある貝の名前などを教える。

これがタカラガイ、これがヘビガイ、これがヒオウギ、これがチリボタン、これがツノガイなど・・・。

あるわ、あるわ、タカラガイがうじゃうじゃ。私は生まれて初めてのすごい量のタカラガイに頭がくらっくらした。

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私はもう夢中になってしまって、しゃがみこみながら蟹のように移動したり、その場にじっと座りこんだまま、拾い続けたりした。

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「キャー!青い綺麗なガラス瓶、見つけたー!見てください、これ!」と私はすごく興奮。

私は同じ場所で拾い続け、気がつけば鵜飼さんはどんどん遠くに。

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貝をさがす鵜飼さん。

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どこらへんが穴場とかのなんの予備知識もなく、ただ来てみたのだが、岩場を超えてさらにすごい拾い物スポットにたどりつき、私は超興奮。

ふいに「これ、よかったらどうぞ。私、もうひとつ拾ったので。」の声に驚いて、見上げる。集中していたので、それまで周りにほかに人がいることも、その人が私のところに歩いてきていたことも、まったく気づかなかった。

先に来ていたらしい女性が私に、小さなピンクの巻貝をくださろうとしていた。「あ!ありがとうございます。」と応える。

わあ、珍しい薄桃色のベニフデガイじゃないですか!大きさ2cmほど。

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小学校低学年の頃の気持ちで、しゃにむにタカラガイばかり拾っていた私に、レアなものをくださる優しいかたがいるなんて感激。

「たくさん拾っちゃいましたけど・・・」と言うと「ふふっ。夢中になってきりがなくなっちゃいますよね。」と微笑されて、その女性は去っていった。ビーチコーミングについて、もっと言葉を交わせばよかったのに~、とすぐに後悔した。

しばらくして、鵜飼さんは疲れたのか、岩の上に座って、ぼうっと海や岩の上の鳥を眺めていたりしていた。

「子供は帰りましょう。大人は、子供の安全を守りましょう。」という5時を告げるアナウンスが浜に響き、急激に薄暗くなるころ・・・

「ギャー!オミナエシ~!うわ!またでっかいの~!うわ!キイロダカラ~~!!」と思わず大きな声をあげてしまう私。

そして、ほとんどものの詳細が見えなくなるくらい闇に包まれた浜を、もと来た駐車場に帰ろうとする時、平板な岩の上を普通に歩いて渡っていたのに、岩に海藻類が薄くついてぬるぬるしていて、つるっと滑って転んでしまった。

一瞬、なにが起こったかわからなかったが、尾てい骨のあたりが酷く痛くて、立ち上がるのもたいへんだった。

鵜飼さんがスマホを持っていたのでタクシーを呼んでくださったが、私ひとりだったら携帯も持っていないので、歩けないのにタクシーを呼ぶこともできないのだな、と思う。そのくらいなんにもないところ。

タクシーがやっとこさ来て、駅前のお店に行ってもらい、食事。強く打ちつけたせいか腰だけでなく脚や腕も痛くて力がはいらず、申し訳ないが鵜飼さんにサワーのグレープフルーツを絞っていただいた(打撲にお酒はよくないのだが、飲んでしまった)。

地元のお魚をいただく。三浦海岸の名物、メトイカや鮪、カワハギがおいしかった。

食事中も、帰りの電車の中でも、ずっと話していた。現代詩について。動物をテーマにしたアートについて。

些末なことをことさらに面白がるような表現や、浮薄な観念に造形を与えて解釈を迫るようなもの、動物の命を救うのでなく人間の側への収奪そのものである表現、すべてが私にとっては、もともとある身体感覚を無感覚にしろ、と強制されるようで激しい抑圧となること。

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本日の収穫。タカラガイばかりたくさん拾いすぎて未整理。

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青いガラス瓶と陶片とビーチグラス(とツノガイ)。
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いろいろなタカラガイと、赤いチリボタン、ヒオウギ、イモガイなど。
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きょう、とっても嬉しかったもの。左からベニフデガイ、オミナエシダカラ、キイロダカラ。
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2015年11月25日 (水)

出版四賞パーティー

11月20日

Fから久しぶりに集英社の出版四賞パーティーに行ってみようと誘われたので、夕方、会場のあるホテルへ。

ロビーで座って待っていると、テロ警戒のためか、警備の人が何度も金属探知機のようなもので花を飾ってある奥のほうをさぐっていた。

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この植え込み、よく見るとススキやユリは本物だが、地面の石の上に散らしてある紅葉はビニール製だ。

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きょうも上から下まで(コートも)古着の黒のベルベット。自作の布花の大きなコサージュを二つまとめて胸につけた。

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Fは仕事で遅れ、6時過ぎに来た。3階の会場に行くともう授賞式は終わっていて、立食パーティーがまさに始まるところ。(「いいタイミングだったネ」とにっこり)

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「この余りまくっている料理を全部、日比谷公園のホームレスに持って行ってあげられたらなあ。」「ほんとにねえ。余るところには余ってるのにねえ。」

受賞者や出版社の人たちなどは、ほとんど何も食べないで話しまくっていて、豪華な料理がもったいない。貧乏な私たちは、とにかく久しぶりの栄養補給のためにも、ひたすら食べましょう、ということで。

Fは何人もの知り合いがいると思うが、誰とも顔を合わせず、挨拶することもなく、好きなものを食べて話しまくった。

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動物を殺すのが嫌で肉類を一切食べないが、魚介は食べる。好物のエビ、カニ、オマールエビ、サザエ、アワビ、ホタテ。

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またサザエ、カニ、オマールエビ、フルーツ。

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またまたおかわり。このウニの殻にはいったウニのムースと、アワビのスモークがおいしかった。

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夢中で話しながら食べていると、まだ空いていないお皿を下げられたり、席を立っているうちに、絶対食べられない肉類を勝手にテーブルに配られたりするのはストレスだ。

むこうが「決まりきった」「習慣の」サービスをしてくることがストレスになる。余計な労働はなくするべきだと思う。

フルーツをとりに行っても、門番のように給仕の人が立っていて、「おとりしましょうか?」と言われるのが鬱陶しい。いちいち種類を告げて皿に盛りつけてもらうのは、検閲されているようで苦痛だ。

コンパニオンの人にビールをつがれるのも嫌だ。すべて「けっこうです。自分でやります。そのままにしておいてください。」と言うしかない。

Fに、若き獣医師、快作先生の話をした。Fはたいへん興味を持ったようだった。

彼は動物の命を守ろうとする行動に対して、たくさん誹謗中傷(というような次元ではない暴力)を受けても、「それは当たり前のことだ。」と受け入れて、怯むことがない。

私がすごいと思うのは、まったく気持ちや考えが通じない相手にも、何度も話せば、必ず少しずつでも考えが通じると信じる強さだ。Fも「それはすごく強いね。」と感心していた。

(よくあることだが)会話の中で「・・・ですよね。」と、こちらの意思を確認せずに決めつけられてしまった時に、その場ですぐに、決して大きな声ではなく、明るく、ボソッと「それは違うと思いますけどね。」とさらっと言えること。

「そうじゃないんです。そういうことはむしろ、すごく苦痛なんです。」とさらっと言うことができずに、その場を我慢して、どんどんストレスが溜まって、人と会うのが苦痛になってしまう私が学ぶべき才能だ。(心で激しく同調できないことを叫びながらも、いつも、どうしても言葉が出てこないのはなぜなのだろう。)

パーティーがひけてからも、ロビーの椅子に腰かけて話した。絵のこと、文章のこと、子供の頃、最初に衝撃を受けてずっと心に残っているものの話、幼い頃、強烈に魅せられた絵本を最近偶然手に入れたことなど。何が伝わるか、伝わらないのか。

Fは、ボソッと言った。「最近、思うんだけど、自分が書いた(文学)作品を、それを本当はどんな気持ちで書いたか、他人にわかることはないんじゃないかって。それが絵だったら、言葉でないだけ、なおさら、他人がわかることはないんじゃないかって。」

Fの言ったことは、私も、最近ずっと思っていることだ。

私がものすごく興味を持って、それがなければ生きていけないくらいに思っているもの(その多くは人間の文化に属さないものだ)が、他人にはまったく関心のない、その人たちの視界には存在しないようなものだと、嫌というほどわかってきた。また、そのギャップは、私が想像していたよりはるかに深く、埋められることはない、と、少しずつわかってきたのだ。

昔で言えば「トマソン」のような、人がほとんど興味を持たず、かえりみないものを徹底してコレクションしている人とも、たぶん感覚のありかたが、私は違う。それがどう違うのか言葉にするのは難しい。

それでもFは、私の絵を見ることができる(ということを実際に私に知らせてくれる)。

私の絵についてFは言った。「たとえば、虹色の華やかなパンジーの絵はぱっと人目を惹きつける。だけど、あなたらしい、あなたそのものなのは、ハルジョオンに絡みつくヒルガオやスズメノエンドウ、ノブドウやアオツヅラフジのような蔓草。そして腐蝕画だ。」と。

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2015年11月18日 (水)

鵜飼哲さんとまた多摩川を歩く

11月14日

きょう、鵜飼哲さんとお会いする約束だったが、午前中に鵜飼さんから電話があった。「ニュース見ていませんか?」と言われ、「見てません。何かあったんですか?」と応える。

パリでテロがあって百数十人が亡くなったという。鵜飼さんは夕方のTBSの報道番組に出演を頼まれたので、きょうの約束は明日に順延することになった。

夕方、ニュース番組を見て、鬱々となった。国家全体を憎むテロなら、どんなにしても防ぐことはできない。「テロとの戦い」も、復讐の連鎖をエスカレートさせるだけだ。

空爆や殲滅に反対している人たちも無差別に被害に遭うことこになるだろう。これが戦争だ。東京もいつテロの被害に遭うかわからない。

11月15日

鵜飼哲さんと多摩川のほとりを歩いた。7月以来だ。

是政橋付近の風景。

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堰の上にはアオサギやカワウが数羽いた。
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雨上がりの素晴らしい雲が水面に反射していた。異国のように美しかった。
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鵜飼さんに、パリのテロについてのお話を聞いた。2か月前に鵜飼さんが行ったレストランが襲撃されたそうだ。

パリは、ざっくり言うと、西側に裕福な人達、東側に多くの移民、貧しい人達が住んでいるそうだ。貧しい地域には、犬を抱いて暮らしている路上生活者もたくさんいるという。

数年前に私が訪ねたベルリンにもトルコ街があったが、フランスのように他国を植民地化してきた国が移民を受け入れているのとは、事情がまた大きく違うということだ。

・・・

是政で鳥を見た後、車でさらに私の好きな秘密の場所に移動してもらった。

かつてドイツのゲッティンゲン大学から日本に来ていたStefanを撮影した場所。

「オフィーリアの沼」と呼んでいた沼の手前にアメリカセンダングサ(アメリカ栴檀草)がびっしり生えていて、種子がチクチク痛くて危険なので近寄れなかった。この沼にはカワセミやアオサギが来る。

以前、真冬にひとりでここに来たときは、人っ子一人いなくて、ちょっと怖かった。寒い曇りの日だった。その日、この沼で、間近に舞い降りたアオサギが魚を獲るのを息が止まりそうになりながら動けないで見つめていた。

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きょうは、ちょうどツルウメモドキの実が鮮やかだった。黄色の実が割れて朱色の種子があらわになっている。
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ジャングルのように蔓草が絡まる原生林。あまりにも好きな、思い入れのある場所なので、変わってしまっていたらどうしよう、と心配だったが愛しい植物群と鳥たちは健在だったので本当に嬉しかった。

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ヤマイモの葉は黄色くなっていた。
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鵜飼さんの後ろ姿。きょうは光が眩しい。
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数人の大人たちがラジコンを飛ばして騒音をたてていたのですごく腹が立った。ここはあくまで植物と小さな動物たちと鳥たちの場所だ。人間は、そおっと鳥を脅かさないようにしていなければならない。

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朽ちた倒木のところで。

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桃色の実がびっしり生った檀(マユミ)の樹。

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葛や藤が絡まる大木がなんの樹なのか、葉を見ると桑や槐(えんじゅ)のようだった。
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私は朽ちた木や蔓草にものすごく惹かれる。錆、剥落、苔、ねじり絡まって増殖し、ちぎれて枯れる蔓にばかり心が奪われる。

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大きな柳の根元に棕櫚(しゅろ)が生えている。ここら辺一帯は、礫の上に生えた珍しい植物群らしい。
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まだ若い小さな樹の紅葉。鳥が実を食べて種が運ばれたのだろうか。

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「この青い実はなんですか?」と言われて、小さな瑠璃色(またはターコイズブルー)の実に気づく。私の大好きなノブドウだった(普通はひとつの房に4,5個の実がつくのだが、ひとつしかついておらず、とてもさびしい感じだったので写真には撮らなかった)。

車に乗ろうとして気づいたのだが、注意したはずなのに、運動靴にびっしりアメリカセンダングサの種子が刺さって靴がハリネズミのようになっていた。

扁平な種子の先端に二本の棘があり、棘には細かい逆歯がついているので、叩いてもとれない。ひとつずつ指で摘まんでとったが、数百も刺さっていて、いたるところがチクチクした。

ぎらぎらした陽が落ちる一瞬前に、橋の上から輝く雲と富士山が見えた。その後、5時半には真っ暗になった。

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鵜飼さんは昔、武蔵小金井に住んだことがあるそうで、貫井のリストランテ大沢という、旧家を改造したレストランに連れて行ってくださった。この家は平安時代からあったそうだ。お金持ちのすごい御屋敷に腰が引けた。

ここで、自分が今すすめている仕事についての助言をいただいた。

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庭には黄色い小菊が満開だった。

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2015年7月16日 (木)

鵜飼哲さんと多摩川を歩く  表現について

7月5日

小雨が上がって曇り。最近、陽に当たると湿疹が出てしまうので、私にとっては絶好の散歩日和だった。

鵜飼哲さんと多摩川を歩く。

中央線から西武多磨川線に乗り換えたとたん、線路沿いの夏草はぼうぼうに茂り、景色は急に昔の片田舎のように懐かしい感じになる。

3時に終点で電車を降りると、すぐに広い川べりに出る。是政橋の上から、向こうに見えるのは南武線の鉄橋。沢胡桃の樹には青い実がびっしり生っていた。

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日の当たる土手にはアカツメクサとヒメジョオンが多く咲いていた。

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下はアカツメクサの変わり咲き。とても淡い赤紫色の花。

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下は、めずらしい(たぶん)ヒメジョオンの変わり咲き。花弁(舌状花)の部分が大きく、紫色でとてもきれいだった。画像の真ん中の小さな白い花が本来のヒメジョオン。
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この先が行き止まりの突端まで歩いた。

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大丸(おおまる)用水堰。水の浅い場所にたくさんの水鳥がいた。望遠レンズを持っていないので写真にはうまく撮れなかったが、白鷺(ダイサギ)は多数、大きな青鷺が写真に写っているだけでも6羽。この辺りには鳶もいるらしい。

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これがアオサギ。

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道が行き止まりになる突端で野鳥を見てから、道を引き返す。


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ハルシャギク(波斯菊)と姫女苑。
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是政橋を戻り、駅側の岸へ。

青々と茂った草叢にヤブカンゾウ(籔萱草)の花が咲いていた。Sdsc06322

ヤブカンゾウには、同じ季節に咲くキスゲやユウスゲのようなすっきりした涼やかさや端正な美しさはないが、花弁の質感がしっとりと柔らかく厚みを持ち、少しいびつに乱れた様子が野性的で絵になる花だと思う。

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土手を下り、先ほど水鳥がいたところへと反対の岸を歩く。
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一面、なんとも可憐なハルシャギク(波斯菊)の野原が続く。ハルシャという発音がなんとも柔らかくフラジルな感覚を誘うが、波斯とはペルシャのこと。蛇の目傘にそっくりなのでジャノメキクともいうらしい。

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ここらへんは、川岸に降りてしまうとあまり周辺の建物も見えず、果てない草原にいるような、うんと遠くに来たような気持ちになる。

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草原を奥へと進むと、薄紫のスターチスに似た小さな花をつけた背の高い野草が多くなる。

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イネ科の薄茶色の細い線とハルシャギクの黄色い点とが震えて戯れている空間に、ギシギシの焦げ茶色の種子が縦にアクセントをつけている絵。

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多摩川が支流に分かれている場所。多摩川の本流は、きょうは水かさが増して烈しく流れていたが、この場所は水流が静かだった。鯉だろうか、大きな黒っぽい魚がゆったり泳いでいた。

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堰のところまで行って水鳥を見た。しばらくセメントで固めた斜めの土手に座っていたが、河が増水して速くなっているのが怖かった。

そのあと2m以上もあるススキの中を分けて道路まで戻った。ススキの青い刃が鋭くて手や顔が切れそうで怖かった。道なきススキの中を行く途中、幾度かキジくらいの大きさの茶色っぽい鳥が慌てて飛び立った。

車道に出ると美しく剥落した壁を発見。古い建材倉庫だった。

私は人の手によって描かれた絵よりも、自然の中のマチエールに惹かれる。

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これも私の眼には美術作品と見える水色のペンキと赤茶の錆の対比が鮮やかな柵。
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この日、3時に鵜飼さんに会ってから、ずっと話しながら歩いた。時には小さく、時には弾丸のように私は話していたと思う。

まずデリダも書いている動物についてのこと、非肉食についてのこと。

鵜飼さんは昨年から一年間パリに行っておられたが、フランスでは、最近、動物に関する議論は盛んにおこなわれているという。

今まで人間が殺して食べて当然、人間が搾取して当然だった動物の生に対して疑問を呈する意見が多数あがってきているということだ。

しかし一方で、今まではお洒落できれいな客間の裏側に隠されていた動物の(頭の)解体方法などを、わざわざポスターを貼って、食事をする客に得意気に図解して見せる日本のフランス料理店の話もした。すべてをあからさまにして、それが当たり前のこととするのが今時のトレンドなのかもしれない。

話題にのぼったそのレストランでは、そうしたポスターを見て、猛烈な吐き気を催す私のような人間もいることをまったく考慮していない。店のオーナーは、感覚的に動物を殺して食べることに拒絶反応を示す人間がいることを認めていない。

肉食をする人も、自分で屠殺しなければならないことになれば、もう食べなくなるだろう・・・というのは、もはや幻想に過ぎない。犬や猫を目に入れても痛くないほど可愛がっている人が、豚や牛に関しては、自分で殺してでも食べるのだろう。

「食べなくては生きてはいけない、動物だって他の動物を殺して食べているんだ・・・」そのくらい人間の語る言語は無意味なおしゃべりと化し、疑問を挟むものを生かす余地がない。

根こそぎの欲望がそれと結びついた経済のうちで肯定される。

そのことと無関係であるはずはないが、現在、日本の一億人の誰もがアーティストであり、誰もが表現者である。その中で商業主義の波にのるものと、そこからこぼれたものがいるだけだ。いずれにしろ美術批評も無駄なおしゃべりに堕してしまっているように見える。

ナルシシズムの増殖が安易で、そのスピードが極めて速い時代であり、誰も実作の「質(作者と呼ばれるものの身振り、その無言が指し示すなにか)」について問おうとしていない。

大学から人文系の学部をなくそうという動きまであるということだ。あまりに酷い世の中だ。

もし今、ランボーが詩人として登場しても、時代はランボーと彼の才能を埋もれさせてしまうだろう。ランボーの詩が残ることはないだろう・・・、と鵜飼さんは言った。

6時過ぎに鵜飼さんの車にのせてもらい、大沢のレストランに移動した。

レストランではパエリヤを注文した(一切の肉や肉の出汁を入れないように頼んで)。

鵜飼さんが私の本『反絵、触れる、けだもののフラボン』と、できたばかりの『あんちりおん3』を持ってきてくださっていたのに感激したが、私の性分として悲観的なため、すごく申しわけないような恥ずかしいような気持ちになった。

レストランのラストオーダーをとりに店員さんがまわって来たのが10時半、それからもまだ話していた。(当たり前だが、鵜飼さんが車なので、私も一滴もお酒を飲んでいない。喉が渇いて、氷のはいった水を何倍も飲んでいた。)鵜飼さんが家まで車で送ってくださった。家に着いたのは12時近かっただろうか。

3時から8時間以上話していたようだ。すべてが私にとって重要な話であり、記憶に強く残るが、そのほとんどの内容が非常に書くことが難しくて、このブログには書くことができない。

7月4日

きょうも高校時代からの友人みゆちゃんと会う。

まず(初めての)「カラオケの鉄人」に午前中11時から行ってみたが、ここはすこぶる安くて良かった。

ポップコーンなどの二人分のおつまみを無料でつけてくれて会員登録代は330円、それで30分90円。一見ホスト風の派手なお兄さん二人は、話し方はとても丁寧で親切。

みゆちゃんが私のリクエスト、フランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy)をしっかり練習してきて歌ってくれた。

私の大好きな「もう森になんか行かない」(Ma Jeunesse Fout Le Camp )は難しくて無理、ということで「さよならを教えて」(Comment Te Dire Adieu?)をフランス語で歌ってくれた。科白の部分が、すごくかっこよくて感激。

「私って一度始めたことはずっと続くみたいなの。だから大学は大したことなかったけど、その頃から習ってるフランス語は今も習ってる。この歌、フランス語の先生とカラオケ行って発音直してもらったの。」とさらっと言うみゆちゃんは、やっぱりすごくかっこいい。

その夜、youtubeでフランソワーズ・アルディの曲をたくさん聞いて、画像を見ていた。つくりすぎない、甘すぎない、媚びない、さりげないスタイルはやはりかっこよかった。

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2015年2月26日 (木)

肉食について 殺処分ゼロ

2月20日(金)

夜7時、ハナ動物病院の太田快作医師と話す。

太田先生(先生と言ってもまだ若い。20代と言っても通るかも)は犬猫殺処分ゼロの運動に身を投じている獣医師だ。

大学時代は、外科実習(保健所から払い下げられた生きた犬を手術の練習に使い、使ったあと安楽死させる)にひとりで反対して、「動物実験代替法」導入を提案し、大学側と闘ったという。

太田先生に、地方に行ってしまった私の親しい友人が参加できるような殺処分ゼロのボランティアを紹介してしてもらえたら、とお願いをした。

先生の知り合いのボランティア団体、動物のために自分でできる活動の話から、「肉食」の話に及んだ。

太田先生が「僕は肉食べないんですよ。」とふと言ったので、思わず「ええ!?本当ですか!?いつからですか!?」と身を乗り出してしまった(快作先生はゆる~いベジタリアンらしい)。

動物愛護の運動に関わっていても、それが肉食をしないこととは繋がらない人の方が圧倒的に多いと思うので、びっくりしたのだ。たいていの人は、目に入れても痛くないほど犬や猫をかわいがっていても、牛や豚は単に「食べ物」だと思っている。

だから私は自分が肉食をしない(できない)ことについて、自分からは、あまり人に話すことはない。私は魚介は食べるのでぺスコ・ベジタリアン、ペスキタリアン、またはノー・ミート・イーターである。

「私、2歳の頃からずっと肉食べられないんですよ。私が生まれた時から、うちには犬や猫がいたんで。・・・・・・私の場合、肉を焼く匂いや、肉屋のガラスケースの中を見ても吐きそうになるんで、小学校、中学校の給食は本当に地獄でした。好き嫌いはわがままだとか言われて。」と言ったら

「天才ですね。」と言われた。

(私の場合、動物を殺して食べている、という認識が身体化しているのだ。

自分のような(生きづらい)人に会ったことがないのだが、私は、夕方、焼き鳥店が営業し始めると、煙の匂いで吐きそうになるので、遠回りして、その道を避けて買い物に行ったりしている。スーパーのチラシの肉の写真を見るのも、すごく気持ち悪い。)

「先生はなぜ?」と聞くと「俺は自分がいかに卑怯か、わかったから。」と言う。

「大学の時、世話をしてかわいがっていた牛がハイエナ病という病気になって、解体して食べることになった、その時、僕はその牛を食べられなかった。それまでは、牛を食べる、となると、わーい、なんて言ってたのに。」と。

(私の場合、こういう話を聞くだけで、怖くてオエッと吐き気がしてくるのだ。)

「最近は肉食をしない人のための店、増えてますよ。昔よりずっと。ここに来てる人も隠れヴィーガンの人多いですよ。」と言われ、

「でも日本では、肉を食べないと言うと、なぜか攻撃されることありませんか?おいしいから食べてみなよってしつこくされたり。」

「ああ、そういう奴最低ですね、なぐっていいですよ。食べる、食べないは個人の自由。なんにも悪いことしてないんですから。よく野菜も殺してるじゃないか、とか言う人いるけどね。」

「そのよくある詭弁が一番嫌ですね。打ち上げとか、飲み会とか、すごく困るんですよ。鍋物に肉が入ってると、その匂いで吐きそうになって、一口も何も食べられるものがないのに会費5000円とか。」

「店の人に言ったらいいんですよ、すいません、ここひとり、肉食べられないんで、何かそれ用につくってください、って。そういう人もいるんだって伝えていくことが大事。禁煙も、昔は全部喫煙席だったんですから。煙草が嫌な人がいるって店側に伝える人がいて、分煙、禁煙の店ができてきたんですから。」

「ネットで肉食しないことを言うと、ネトウヨのように、なぜか攻撃的に絡んでくる人いませんか?」と言うと

「ああ、俺、そういう奴、だ~い好き!」と快作先生は元気ににっこりした。

「どんどん発信していったほうがいいですよ。昔は。日本は肉を食べない文化もあったんだから。斬り捨て御免なんていう文化が通った時代もあった、そんなのが正しい時代もあったんだから(世間のメジャーな風潮が正しいとはいつの時代も言えないのだから)、自分がいいと思ったことは言わないと。」と快作先生に言われると、とても気持ちが楽になってくる。

「肉食べてた人が急にヴィーガンになろうとして、食べるものがなくなって挫折することが多いからね、僕はあまり食べないけど魚や鳥は食べたり、牛乳と豆乳があったら豆乳を選ぶ、とかね、楽にやっていったほうがいいね。」

さすが、学生時代から誹謗中傷にもめげず、ずっとタフに意志を貫いてきた人は違う、と思った。

もちろんこれはアニマルライツに関わる意識と、生き方の問題だから、靴や鞄などの革製品を買わないこと、動物実験をしている化粧品を買わないこと、動物園のありかたなど、いろいろなことが含まれる。それぞれ個人で考え方も違うと思う。

けれどイデオロギーをつくるのではなく、「できるかぎり」「なるべく」「動物の命を大切にする」という姿勢が望ましいと思う。

ベジタリアン、ヴィーガン、アニマルライツについては、いろんな考え方がある。自分でどう実践していくかは自由だと思う。いろんな考えの人と、柔軟に、静かに、楽に交流していけたらいいと思う。

私は「アート」という人間がつくったものに関わる限り、人間以外の「動物」の生命を尊重するとはどういうことか、これを考えないではすまされないと思う。

私は動物を殺して利用して何かをつくり、それが「アート」だと言うような人に耐えられない。

・・・・

私が肉食しないのは健康のためではなく、動物を殺すのが嫌だからなので、ロハスとかマクロビとか、そういう店にお世話になることもあるが、美容と健康によいおしゃれなことを得々と語る人は、あまり好きではない。美容や健康にまったく関心がないわけではないが、そればかり言う人が苦手なのだ。

それより動物を殺すこと、犬猫の殺処分、ブリーダーの存在のほうがずっとずっと気になる。

私の食生活について少し書いてみると、気に入るとそればかり食べている傾向にある。だが偏食というのとは違うと思う。極力シンプルに、好きなものを、好きな時に、好きなだけ食べている。

(絵を描いて夢中になってしまうと、夜中の2時、3時におなかがすごくすいて、眠れないのでがっちり食べることもあります。)

(健康に関心ある人が、肉食を控えるきっかけになるかもしれないので、一応書くと、健康診断の結果、私の善玉コレステロールは一般基準値より多め、悪玉コレステロールは一般基準値より少な目です。ちなみに162.2cm44kgです。)

最近は玄米を炊いてジャーに保温しっぱなしにして、お腹がすいた時に「八菜」(はっぱ)というふりかけをかけて食べている。

おかずは最近は蕪と揚げの煮物、山芋のとろろ、牡蠣の紫蘇巻揚げ、野菜の天婦羅などが多い。

去年の夏は毎日カレーだった。市販のよくあるカレールーはラードがはいっていて食べられないので、動物性油脂や肉エキスが一切はいっていないカレーパウダーの大瓶を買ってきて、玉ねぎをオリーブ油で飴色に炒め、いろんな野菜を加えて、カレー粉、ケチャップ、牛乳、昆布粉などで味をととのえる。エビやツナを入れることもある。

去年の春は、アサリ、野菜、ニンニク、オリーブオイル、トマトペーストの玄米リゾットばかり食べていた。野菜をインゲンやブロッコリーや、いろいろかえて、時にはナチュラルチーズをかけて3か月くらい食べていた。

玄米は固いのを噛むのが快感で、大好きなので、一食につきどんぶりに山盛り1~2杯食べる。

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2014年1月23日 (木)

マーク・ロスコ 『ロスコ 芸術家のリアリティ』

1月22日

マーク・ロスコの美術論集『ロスコ 芸術家のリアリティ』(中村和雄訳 みすず書房)を読んでいる。

2003年に佐倉のDIC川村記念美術館で若林奮先生の展覧会があったとき、期せずしてロスコ作品の実物と対峙する機会があった。大きく静かな色面には非常に微妙なニュアンスがあり、色と色がさざ波のように蠢いている感じもあった。いったい何を考えていた画家なのだろうとずっと気になっていた。

ロスコは1903年に生まれ1970年に自殺した。

1970年にロスコとその妻が亡くなった時、この本の編者であるロスコの息子クリストファー・ロスコは6才だった。それからこの原稿が編集され本になるまでに35年がかかった。

すぐれた画家の書いた文章は、例外なく非常に興味深い際立った文章だと言えると思う。そこにすぐれた実作者個人の特異な思索と苦悩があり、一般化して共通理解できるような言葉ではない。浅薄な言葉しか書けないが絵だけはすごいという画家を見たことがない。気どりだけで「何も言っていない言葉」を書く作者、神経が鈍いと感じさせる作者の作品はやはり何も見るべきものがない。

「単なる形の定まらない抽象と見えかねない」絵で有名になったロスコが何を思索していたのか。この本はロスコの絵が完全な抽象になる10年も前に書かれたものであり、また、彼自身の絵の秘密に関しては直接書かれておらず、「芸術家は何をしているのか」が書かれている。しかし「見かけ上空虚にも思える彼の絵画が多くの意味内容に満ちていることをわからせようと奮闘する」論考でもある。

多分に観念的であり、言葉づかいも独特でわかりにくいところも多いが、確かに絶えず絵画について考え続け、実作し続けた人の文章だ。

1940年初頭には、ロスコは理解されていなかった。評価されず、誤解されていることへの痛切な思いと、生活の不幸と鬱のなかで「真の芸術的な動機」について彼の哲学を彼の言葉で書こうとし、この本が書かれた。

クリストファー・ロスコの序によると、ロスコの代表的抽象絵画についてロスコ自身の考えは、「それ以前の芸術からの革命的離反」などではなく、「彼が言うところの「造形過程」、すなわち芸術の発展は、内在的な展開の過程なのである。」

「ロスコが抽象という時、」「視覚を通して知覚される対象にではなく、芸術家自身にとってのリアリティに従おうとする営みのことを意味していたと考えられる。」

ロスコは「絵画を成り立たせるため」の「まったく異なった2つの方法」を、「便宜上」、「触知的な造形性」と「視覚的あるいはイリュージョン的な造形性」と呼んだ。

昨年末に行った「〈外〉の千夜一夜」の講演で、宇野邦一さんがドゥルーズのリトルネロについて話していた。その時、視覚の中に触覚がいかに介入してくるかという例で、エジプト壁画についてロスコが書いた美術論に言及されていたことが、この本を読むきっかけとなった。「造形性」や「空間」の章を読むと、ロスコの身体感覚の強度がわかる。

「概括的に言えば、エジプトの壁画は混じり気のない造形的[触知的]空間の例であり、ペルジーノの絵画は完璧なイリュージョン空間の創出を目指していたということができる。」

「エジプトの例においては、」「すべての人物は一本の水平線上にいる。」

「エジプトの壁画には、空間の後退を示そうとする努力がまったく払われていない。」

「にもかかわらず、これらの絵を見る時、私たちは、人物が空間の中に存在している、と感じるのである。

単色で描かれたこれらの神秘的な人物たちの周囲の色彩には、空気の――あるいはむしろ色のついた空気の――質感がある。人物たちはその空気の中に浸っているのである。それはまさしく、人物たちを埋め込んだ一種の粘液、あるいはゼリー状の物質と言い得るものである。

つまりここでは空間は、人物像の背後にある何かの性質としてではなく、触知できる容積を持ち、人物像とともに壁の面に向かって前進してくる実態として描かれているのだ。」

クリストファーの言葉を引用すれば、「『芸術家のリアリティ』の真価は、その論拠の完璧さにも、それが論戦にどれほど耐え抜き得るのかといった点にもない。むしろここで貴重なのは、一人の芸術家の、めったにはうかがい知れない世界観が、極めて詳細にわたって論じられているという点である。」

そして画家は自分の絵画が「誤解され、」「何も考えない大衆にによって踏みにじられてしまう」ことをいつも恐れている。

「極めて個人的な性質のもの」であり、「彼の生命に直結した内的なもの」である絵画を、公衆の面前に送り出すことは常に彼の傷つきやすさと怒りと直結する。

ロスコは美術教育の社会的責任に高い関心を持ち、左翼的政治立場でありながら、自らを徹底した個人主義者だと言明しているところも共感するところだ。

1月21日

気温10度を超えた日、なんとか風邪も治ってきて、久しぶりの外出。

北新宿にまだ残る「染物洗張」と書いた暖簾の店の前を通る。

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私が小さい頃、祖母が和裁の仕事をして、よく一緒に連れられて麻布の近くの染物洗張のお店に行った。着物の染め色の見本帳を見るのが面白くてたまらなかった。「あらいはり」という不思議な言葉を聞いただけでわくわくした。

あの頃、西新宿にも何軒かあった染物洗張の店も、最近はどこにもないので、たまに出会うと嬉しくなってしまう。

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北新宿の住宅街に一軒ポツンとあるかつてのお味噌屋さん。「マルマス味噌」の看板。

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枯れ蔦の絡まるものを見つけるといつも立ち止まってしまう。何の作為もなく人の手も入らず、植物に浸食されている状態に惹かれるのだ。それも熱帯の繁殖力旺盛な植物ではなく、都会でもよく見られる蔦。

西新宿の古いアパートも、窓が開かなくなるほど蔦に覆われているものをかつてよく見た。12月には紅葉して美しかった。2005年くらいに再開発で全部潰されてしまったが懐かしい記憶の風景だ。

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駅のフェンスのキカラスウリ(黄烏瓜)。擦過する中央線。
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新宿に出、久しぶりに充実した食事。

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この店のメニューは完全にNoMeatなので私には安心。真ん中のお皿の「里芋と崩し豆腐の揚げ団子」が抜群においしかった。

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1月20日

佐藤亨さんより新刊『北アイルランドのインターフェイス』(水声社)が届く。ありがたく拝読。

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