哲学

2016年10月26日 (水)

鵜飼哲さんと三浦半島の海岸へ 身体と思想について

10月22日

前から鵜飼哲さんと会う約束をしていたのだが、私の希望で三浦海岸へ貝拾いに行く。

12時45分に新宿で会い、湘南新宿ラインを横浜で京急に乗り換えて三浦半島へ。

行きの電車では、鵜飼さんが「シュルレアリスムの最後のアウラがある人」というアニー・ル・ブラン(Annie Le Brun)と会ったお話を聞く。

それから私は質問した。具体的な人名をあげてフェミニズムの話や日本会議の話、右翼、左翼、混沌としてなんとも判断がつきづらいニューウエイヴのことなど。しかし、私が質問のしかたを間違えてしまったのだろう。それらのことなど、私はどうでもよかったのだ。

私が聞きたいのは、思想の分化や分類の話ではなくではなく、それらの思想がそこから生まれるところの、というよりむしろ、思想が形を成す以前の身体感覚の話。

その人が自分の標榜している思想を裏切らない生き方をしているのか、などど問うべきでもない。

そうではなく、私はいつも、その人の身体はいかに思想そのものであるかを問いたいのだ。

瞬間ごとに変わる目の前の状況に対して、すぐれた舞踏のように、どのように臨機応変な態度をとれるか。

三崎口に着き、もう3時近かったので、体力と時間の温存のため、タクシーで行った。

鵜飼さんは貝拾いは初めてなので、私も貝の名に詳しくはないが、ごく基本の、よくある貝の名前などを教える。

これがタカラガイ、これがヘビガイ、これがヒオウギ、これがチリボタン、これがツノガイなど・・・。

あるわ、あるわ、タカラガイがうじゃうじゃ。私は生まれて初めてのすごい量のタカラガイに頭がくらっくらした。

Sdsc09638

私はもう夢中になってしまって、しゃがみこみながら蟹のように移動したり、その場にじっと座りこんだまま、拾い続けたりした。

Sdsc09660

「キャー!青い綺麗なガラス瓶、見つけたー!見てください、これ!」と私はすごく興奮。

私は同じ場所で拾い続け、気がつけば鵜飼さんはどんどん遠くに。

Sdsc09644

貝をさがす鵜飼さん。

Sdsc09647

どこらへんが穴場とかのなんの予備知識もなく、ただ来てみたのだが、岩場を超えてさらにすごい拾い物スポットにたどりつき、私は超興奮。

ふいに「これ、よかったらどうぞ。私、もうひとつ拾ったので。」の声に驚いて、見上げる。集中していたので、それまで周りにほかに人がいることも、その人が私のところに歩いてきていたことも、まったく気づかなかった。

先に来ていたらしい女性が私に、小さなピンクの巻貝をくださろうとしていた。「あ!ありがとうございます。」と応える。

わあ、珍しい薄桃色のベニフデガイじゃないですか!大きさ2cmほど。

Sdsc09677

小学校低学年の頃の気持ちで、しゃにむにタカラガイばかり拾っていた私に、レアなものをくださる優しいかたがいるなんて感激。

「たくさん拾っちゃいましたけど・・・」と言うと「ふふっ。夢中になってきりがなくなっちゃいますよね。」と微笑されて、その女性は去っていった。ビーチコーミングについて、もっと言葉を交わせばよかったのに~、とすぐに後悔した。

しばらくして、鵜飼さんは疲れたのか、岩の上に座って、ぼうっと海や岩の上の鳥を眺めていたりしていた。

「子供は帰りましょう。大人は、子供の安全を守りましょう。」という5時を告げるアナウンスが浜に響き、急激に薄暗くなるころ・・・

「ギャー!オミナエシ~!うわ!またでっかいの~!うわ!キイロダカラ~~!!」と思わず大きな声をあげてしまう私。

そして、ほとんどものの詳細が見えなくなるくらい闇に包まれた浜を、もと来た駐車場に帰ろうとする時、平板な岩の上を普通に歩いて渡っていたのに、岩に海藻類が薄くついてぬるぬるしていて、つるっと滑って転んでしまった。

一瞬、なにが起こったかわからなかったが、尾てい骨のあたりが酷く痛くて、立ち上がるのもたいへんだった。

鵜飼さんがスマホを持っていたのでタクシーを呼んでくださったが、私ひとりだったら携帯も持っていないので、歩けないのにタクシーを呼ぶこともできないのだな、と思う。そのくらいなんにもないところ。

タクシーがやっとこさ来て、駅前のお店に行ってもらい、食事。強く打ちつけたせいか腰だけでなく脚や腕も痛くて力がはいらず、申し訳ないが鵜飼さんにサワーのグレープフルーツを絞っていただいた(打撲にお酒はよくないのだが、飲んでしまった)。

地元のお魚をいただく。三浦海岸の名物、メトイカや鮪、カワハギがおいしかった。

食事中も、帰りの電車の中でも、ずっと話していた。現代詩について。動物をテーマにしたアートについて。

些末なことをことさらに面白がるような表現や、浮薄な観念に造形を与えて解釈を迫るようなもの、動物の命を救うのでなく人間の側への収奪そのものである表現、すべてが私にとっては、もともとある身体感覚を無感覚にしろ、と強制されるようで激しい抑圧となること。

・・・

本日の収穫。タカラガイばかりたくさん拾いすぎて未整理。

Sdsc09669

青いガラス瓶と陶片とビーチグラス(とツノガイ)。
Sdsc09667

いろいろなタカラガイと、赤いチリボタン、ヒオウギ、イモガイなど。
Sdsc09670

きょう、とっても嬉しかったもの。左からベニフデガイ、オミナエシダカラ、キイロダカラ。
Sdsc09672


|

2015年11月25日 (水)

出版四賞パーティー

11月20日

Fから久しぶりに集英社の出版四賞パーティーに行ってみようと誘われたので、夕方、会場のあるホテルへ。

ロビーで座って待っていると、テロ警戒のためか、警備の人が何度も金属探知機のようなもので花を飾ってある奥のほうをさぐっていた。

Sdsc07541

この植え込み、よく見るとススキやユリは本物だが、地面の石の上に散らしてある紅葉はビニール製だ。

Sdsc07546

きょうも上から下まで(コートも)古着の黒のベルベット。自作の布花の大きなコサージュを二つまとめて胸につけた。

Ssdsc07543
Fは仕事で遅れ、6時過ぎに来た。3階の会場に行くともう授賞式は終わっていて、立食パーティーがまさに始まるところ。(「いいタイミングだったネ」とにっこり)

Sdsc07537

「この余りまくっている料理を全部、日比谷公園のホームレスに持って行ってあげられたらなあ。」「ほんとにねえ。余るところには余ってるのにねえ。」

受賞者や出版社の人たちなどは、ほとんど何も食べないで話しまくっていて、豪華な料理がもったいない。貧乏な私たちは、とにかく久しぶりの栄養補給のためにも、ひたすら食べましょう、ということで。

Fは何人もの知り合いがいると思うが、誰とも顔を合わせず、挨拶することもなく、好きなものを食べて話しまくった。

Sdsc07538

動物を殺すのが嫌で肉類を一切食べないが、魚介は食べる。好物のエビ、カニ、オマールエビ、サザエ、アワビ、ホタテ。

Sdsc07535
またサザエ、カニ、オマールエビ、フルーツ。

Sdsc07539

またまたおかわり。このウニの殻にはいったウニのムースと、アワビのスモークがおいしかった。

Sdsc07540

夢中で話しながら食べていると、まだ空いていないお皿を下げられたり、席を立っているうちに、絶対食べられない肉類を勝手にテーブルに配られたりするのはストレスだ。

むこうが「決まりきった」「習慣の」サービスをしてくることがストレスになる。余計な労働はなくするべきだと思う。

フルーツをとりに行っても、門番のように給仕の人が立っていて、「おとりしましょうか?」と言われるのが鬱陶しい。いちいち種類を告げて皿に盛りつけてもらうのは、検閲されているようで苦痛だ。

コンパニオンの人にビールをつがれるのも嫌だ。すべて「けっこうです。自分でやります。そのままにしておいてください。」と言うしかない。

Fに、若き獣医師、快作先生の話をした。Fはたいへん興味を持ったようだった。

彼は動物の命を守ろうとする行動に対して、たくさん誹謗中傷(というような次元ではない暴力)を受けても、「それは当たり前のことだ。」と受け入れて、怯むことがない。

私がすごいと思うのは、まったく気持ちや考えが通じない相手にも、何度も話せば、必ず少しずつでも考えが通じると信じる強さだ。Fも「それはすごく強いね。」と感心していた。

(よくあることだが)会話の中で「・・・ですよね。」と、こちらの意思を確認せずに決めつけられてしまった時に、その場ですぐに、決して大きな声ではなく、明るく、ボソッと「それは違うと思いますけどね。」とさらっと言えること。

「そうじゃないんです。そういうことはむしろ、すごく苦痛なんです。」とさらっと言うことができずに、その場を我慢して、どんどんストレスが溜まって、人と会うのが苦痛になってしまう私が学ぶべき才能だ。(心で激しく同調できないことを叫びながらも、いつも、どうしても言葉が出てこないのはなぜなのだろう。)

パーティーがひけてからも、ロビーの椅子に腰かけて話した。絵のこと、文章のこと、子供の頃、最初に衝撃を受けてずっと心に残っているものの話、幼い頃、強烈に魅せられた絵本を最近偶然手に入れたことなど。何が伝わるか、伝わらないのか。

Fは、ボソッと言った。「最近、思うんだけど、自分が書いた(文学)作品を、それを本当はどんな気持ちで書いたか、他人にわかることはないんじゃないかって。それが絵だったら、言葉でないだけ、なおさら、他人がわかることはないんじゃないかって。」

Fの言ったことは、私も、最近ずっと思っていることだ。

私がものすごく興味を持って、それがなければ生きていけないくらいに思っているもの(その多くは人間の文化に属さないものだ)が、他人にはまったく関心のない、その人たちの視界には存在しないようなものだと、嫌というほどわかってきた。また、そのギャップは、私が想像していたよりはるかに深く、埋められることはない、と、少しずつわかってきたのだ。

昔で言えば「トマソン」のような、人がほとんど興味を持たず、かえりみないものを徹底してコレクションしている人とも、たぶん感覚のありかたが、私は違う。それがどう違うのか言葉にするのは難しい。

それでもFは、私の絵を見ることができる(ということを実際に私に知らせてくれる)。

私の絵についてFは言った。「たとえば、虹色の華やかなパンジーの絵はぱっと人目を惹きつける。だけど、あなたらしい、あなたそのものなのは、ハルジョオンに絡みつくヒルガオやスズメノエンドウ、ノブドウやアオツヅラフジのような蔓草。そして腐蝕画だ。」と。

|

2015年11月18日 (水)

鵜飼哲さんとまた多摩川を歩く

11月14日

きょう、鵜飼哲さんとお会いする約束だったが、午前中に鵜飼さんから電話があった。「ニュース見ていませんか?」と言われ、「見てません。何かあったんですか?」と応える。

パリでテロがあって百数十人が亡くなったという。鵜飼さんは夕方のTBSの報道番組に出演を頼まれたので、きょうの約束は明日に順延することになった。

夕方、ニュース番組を見て、鬱々となった。国家全体を憎むテロなら、どんなにしても防ぐことはできない。「テロとの戦い」も、復讐の連鎖をエスカレートさせるだけだ。

空爆や殲滅に反対している人たちも無差別に被害に遭うことこになるだろう。これが戦争だ。東京もいつテロの被害に遭うかわからない。

11月15日

鵜飼哲さんと多摩川のほとりを歩いた。7月以来だ。

是政橋付近の風景。

Sdsc07463

堰の上にはアオサギやカワウが数羽いた。
Sdsc07465

雨上がりの素晴らしい雲が水面に反射していた。異国のように美しかった。
Sdsc07466

鵜飼さんに、パリのテロについてのお話を聞いた。2か月前に鵜飼さんが行ったレストランが襲撃されたそうだ。

パリは、ざっくり言うと、西側に裕福な人達、東側に多くの移民、貧しい人達が住んでいるそうだ。貧しい地域には、犬を抱いて暮らしている路上生活者もたくさんいるという。

数年前に私が訪ねたベルリンにもトルコ街があったが、フランスのように他国を植民地化してきた国が移民を受け入れているのとは、事情がまた大きく違うということだ。

・・・

是政で鳥を見た後、車でさらに私の好きな秘密の場所に移動してもらった。

かつてドイツのゲッティンゲン大学から日本に来ていたStefanを撮影した場所。

「オフィーリアの沼」と呼んでいた沼の手前にアメリカセンダングサ(アメリカ栴檀草)がびっしり生えていて、種子がチクチク痛くて危険なので近寄れなかった。この沼にはカワセミやアオサギが来る。

以前、真冬にひとりでここに来たときは、人っ子一人いなくて、ちょっと怖かった。寒い曇りの日だった。その日、この沼で、間近に舞い降りたアオサギが魚を獲るのを息が止まりそうになりながら動けないで見つめていた。

Sdsc07469

きょうは、ちょうどツルウメモドキの実が鮮やかだった。黄色の実が割れて朱色の種子があらわになっている。
Sdsc07472

ジャングルのように蔓草が絡まる原生林。あまりにも好きな、思い入れのある場所なので、変わってしまっていたらどうしよう、と心配だったが愛しい植物群と鳥たちは健在だったので本当に嬉しかった。

Sdsc07481

ヤマイモの葉は黄色くなっていた。
Sdsc07482

鵜飼さんの後ろ姿。きょうは光が眩しい。
Sdsc07483

数人の大人たちがラジコンを飛ばして騒音をたてていたのですごく腹が立った。ここはあくまで植物と小さな動物たちと鳥たちの場所だ。人間は、そおっと鳥を脅かさないようにしていなければならない。

Sdsc07487

朽ちた倒木のところで。

Sdsc07489

Sdsc07495

桃色の実がびっしり生った檀(マユミ)の樹。

Sdsc07496

葛や藤が絡まる大木がなんの樹なのか、葉を見ると桑や槐(えんじゅ)のようだった。
Sdsc07498

私は朽ちた木や蔓草にものすごく惹かれる。錆、剥落、苔、ねじり絡まって増殖し、ちぎれて枯れる蔓にばかり心が奪われる。

Sdsc07500

Sdsc07504

大きな柳の根元に棕櫚(しゅろ)が生えている。ここら辺一帯は、礫の上に生えた珍しい植物群らしい。
Sdsc07509
まだ若い小さな樹の紅葉。鳥が実を食べて種が運ばれたのだろうか。

Sdsc07511


Sdsc07516

「この青い実はなんですか?」と言われて、小さな瑠璃色(またはターコイズブルー)の実に気づく。私の大好きなノブドウだった(普通はひとつの房に4,5個の実がつくのだが、ひとつしかついておらず、とてもさびしい感じだったので写真には撮らなかった)。

車に乗ろうとして気づいたのだが、注意したはずなのに、運動靴にびっしりアメリカセンダングサの種子が刺さって靴がハリネズミのようになっていた。

扁平な種子の先端に二本の棘があり、棘には細かい逆歯がついているので、叩いてもとれない。ひとつずつ指で摘まんでとったが、数百も刺さっていて、いたるところがチクチクした。

ぎらぎらした陽が落ちる一瞬前に、橋の上から輝く雲と富士山が見えた。その後、5時半には真っ暗になった。

Sdsc07517

鵜飼さんは昔、武蔵小金井に住んだことがあるそうで、貫井のリストランテ大沢という、旧家を改造したレストランに連れて行ってくださった。この家は平安時代からあったそうだ。お金持ちのすごい御屋敷に腰が引けた。

ここで、自分が今すすめている仕事についての助言をいただいた。

Sdsc07518
庭には黄色い小菊が満開だった。

Sdsc07519

|

2015年7月16日 (木)

鵜飼哲さんと多摩川を歩く  表現について

7月5日

小雨が上がって曇り。最近、陽に当たると湿疹が出てしまうので、私にとっては絶好の散歩日和だった。

鵜飼哲さんと多摩川を歩く。

中央線から西武多磨川線に乗り換えたとたん、線路沿いの夏草はぼうぼうに茂り、景色は急に昔の片田舎のように懐かしい感じになる。

3時に終点で電車を降りると、すぐに広い川べりに出る。是政橋の上から、向こうに見えるのは南武線の鉄橋。沢胡桃の樹には青い実がびっしり生っていた。

Sdsc06295

日の当たる土手にはアカツメクサとヒメジョオンが多く咲いていた。

Sdsc06304

下はアカツメクサの変わり咲き。とても淡い赤紫色の花。

Sdsc06300

下は、めずらしい(たぶん)ヒメジョオンの変わり咲き。花弁(舌状花)の部分が大きく、紫色でとてもきれいだった。画像の真ん中の小さな白い花が本来のヒメジョオン。
Sdsc06307

この先が行き止まりの突端まで歩いた。

Sdsc06306

大丸(おおまる)用水堰。水の浅い場所にたくさんの水鳥がいた。望遠レンズを持っていないので写真にはうまく撮れなかったが、白鷺(ダイサギ)は多数、大きな青鷺が写真に写っているだけでも6羽。この辺りには鳶もいるらしい。

Sdsc06312
これがアオサギ。

Dsc06314

道が行き止まりになる突端で野鳥を見てから、道を引き返す。


Sdsc06317

ハルシャギク(波斯菊)と姫女苑。
Sdsc06309

Sdsc06311

是政橋を戻り、駅側の岸へ。

青々と茂った草叢にヤブカンゾウ(籔萱草)の花が咲いていた。Sdsc06322

ヤブカンゾウには、同じ季節に咲くキスゲやユウスゲのようなすっきりした涼やかさや端正な美しさはないが、花弁の質感がしっとりと柔らかく厚みを持ち、少しいびつに乱れた様子が野性的で絵になる花だと思う。

Sdsc06323

土手を下り、先ほど水鳥がいたところへと反対の岸を歩く。
Sdsc06324
一面、なんとも可憐なハルシャギク(波斯菊)の野原が続く。ハルシャという発音がなんとも柔らかくフラジルな感覚を誘うが、波斯とはペルシャのこと。蛇の目傘にそっくりなのでジャノメキクともいうらしい。

Sdsc06332
ここらへんは、川岸に降りてしまうとあまり周辺の建物も見えず、果てない草原にいるような、うんと遠くに来たような気持ちになる。

Sdsc06333

草原を奥へと進むと、薄紫のスターチスに似た小さな花をつけた背の高い野草が多くなる。

Sdsc06336

イネ科の薄茶色の細い線とハルシャギクの黄色い点とが震えて戯れている空間に、ギシギシの焦げ茶色の種子が縦にアクセントをつけている絵。

Sdsc06340


多摩川が支流に分かれている場所。多摩川の本流は、きょうは水かさが増して烈しく流れていたが、この場所は水流が静かだった。鯉だろうか、大きな黒っぽい魚がゆったり泳いでいた。

Sdsc06344

堰のところまで行って水鳥を見た。しばらくセメントで固めた斜めの土手に座っていたが、河が増水して速くなっているのが怖かった。

そのあと2m以上もあるススキの中を分けて道路まで戻った。ススキの青い刃が鋭くて手や顔が切れそうで怖かった。道なきススキの中を行く途中、幾度かキジくらいの大きさの茶色っぽい鳥が慌てて飛び立った。

車道に出ると美しく剥落した壁を発見。古い建材倉庫だった。

私は人の手によって描かれた絵よりも、自然の中のマチエールに惹かれる。

Sdsc06346

これも私の眼には美術作品と見える水色のペンキと赤茶の錆の対比が鮮やかな柵。
Sdsc06348

この日、3時に鵜飼さんに会ってから、ずっと話しながら歩いた。時には小さく、時には弾丸のように私は話していたと思う。

まずデリダも書いている動物についてのこと、非肉食についてのこと。

鵜飼さんは昨年から一年間パリに行っておられたが、フランスでは、最近、動物に関する議論は盛んにおこなわれているという。

今まで人間が殺して食べて当然、人間が搾取して当然だった動物の生に対して疑問を呈する意見が多数あがってきているということだ。

しかし一方で、今まではお洒落できれいな客間の裏側に隠されていた動物の(頭の)解体方法などを、わざわざポスターを貼って、食事をする客に得意気に図解して見せる日本のフランス料理店の話もした。すべてをあからさまにして、それが当たり前のこととするのが今時のトレンドなのかもしれない。

話題にのぼったそのレストランでは、そうしたポスターを見て、猛烈な吐き気を催す私のような人間もいることをまったく考慮していない。店のオーナーは、感覚的に動物を殺して食べることに拒絶反応を示す人間がいることを認めていない。

肉食をする人も、自分で屠殺しなければならないことになれば、もう食べなくなるだろう・・・というのは、もはや幻想に過ぎない。犬や猫を目に入れても痛くないほど可愛がっている人が、豚や牛に関しては、自分で殺してでも食べるのだろう。

「食べなくては生きてはいけない、動物だって他の動物を殺して食べているんだ・・・」そのくらい人間の語る言語は無意味なおしゃべりと化し、疑問を挟むものを生かす余地がない。

根こそぎの欲望がそれと結びついた経済のうちで肯定される。

そのことと無関係であるはずはないが、現在、日本の一億人の誰もがアーティストであり、誰もが表現者である。その中で商業主義の波にのるものと、そこからこぼれたものがいるだけだ。いずれにしろ美術批評も無駄なおしゃべりに堕してしまっているように見える。

ナルシシズムの増殖が安易で、そのスピードが極めて速い時代であり、誰も実作の「質(作者と呼ばれるものの身振り、その無言が指し示すなにか)」について問おうとしていない。

大学から人文系の学部をなくそうという動きまであるということだ。あまりに酷い世の中だ。

もし今、ランボーが詩人として登場しても、時代はランボーと彼の才能を埋もれさせてしまうだろう。ランボーの詩が残ることはないだろう・・・、と鵜飼さんは言った。

6時過ぎに鵜飼さんの車にのせてもらい、大沢のレストランに移動した。

レストランではパエリヤを注文した(一切の肉や肉の出汁を入れないように頼んで)。

鵜飼さんが私の本『反絵、触れる、けだもののフラボン』と、できたばかりの『あんちりおん3』を持ってきてくださっていたのに感激したが、私の性分として悲観的なため、すごく申しわけないような恥ずかしいような気持ちになった。

レストランのラストオーダーをとりに店員さんがまわって来たのが10時半、それからもまだ話していた。(当たり前だが、鵜飼さんが車なので、私も一滴もお酒を飲んでいない。喉が渇いて、氷のはいった水を何倍も飲んでいた。)鵜飼さんが家まで車で送ってくださった。家に着いたのは12時近かっただろうか。

3時から8時間以上話していたようだ。すべてが私にとって重要な話であり、記憶に強く残るが、そのほとんどの内容が非常に書くことが難しくて、このブログには書くことができない。

7月4日

きょうも高校時代からの友人みゆちゃんと会う。

まず(初めての)「カラオケの鉄人」に午前中11時から行ってみたが、ここはすこぶる安くて良かった。

ポップコーンなどの二人分のおつまみを無料でつけてくれて会員登録代は330円、それで30分90円。一見ホスト風の派手なお兄さん二人は、話し方はとても丁寧で親切。

みゆちゃんが私のリクエスト、フランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy)をしっかり練習してきて歌ってくれた。

私の大好きな「もう森になんか行かない」(Ma Jeunesse Fout Le Camp )は難しくて無理、ということで「さよならを教えて」(Comment Te Dire Adieu?)をフランス語で歌ってくれた。科白の部分が、すごくかっこよくて感激。

「私って一度始めたことはずっと続くみたいなの。だから大学は大したことなかったけど、その頃から習ってるフランス語は今も習ってる。この歌、フランス語の先生とカラオケ行って発音直してもらったの。」とさらっと言うみゆちゃんは、やっぱりすごくかっこいい。

その夜、youtubeでフランソワーズ・アルディの曲をたくさん聞いて、画像を見ていた。つくりすぎない、甘すぎない、媚びない、さりげないスタイルはやはりかっこよかった。

|

2015年2月26日 (木)

肉食について 殺処分ゼロ

2月20日(金)

夜7時、ハナ動物病院の太田快作医師と話す。

太田先生(先生と言ってもまだ若い。20代と言っても通るかも)は犬猫殺処分ゼロの運動に身を投じている獣医師だ。

大学時代は、外科実習(保健所から払い下げられた生きた犬を手術の練習に使い、使ったあと安楽死させる)にひとりで反対して、「動物実験代替法」導入を提案し、大学側と闘ったという。

太田先生に、地方に行ってしまった私の親しい友人が参加できるような殺処分ゼロのボランティアを紹介してしてもらえたら、とお願いをした。

先生の知り合いのボランティア団体、動物のために自分でできる活動の話から、「肉食」の話に及んだ。

太田先生が「僕は肉食べないんですよ。」とふと言ったので、思わず「ええ!?本当ですか!?いつからですか!?」と身を乗り出してしまった(快作先生はゆる~いベジタリアンらしい)。

動物愛護の運動に関わっていても、それが肉食をしないこととは繋がらない人の方が圧倒的に多いと思うので、びっくりしたのだ。たいていの人は、目に入れても痛くないほど犬や猫をかわいがっていても、牛や豚は単に「食べ物」だと思っている。

だから私は自分が肉食をしない(できない)ことについて、自分からは、あまり人に話すことはない。私は魚介は食べるのでぺスコ・ベジタリアン、ペスキタリアン、またはノー・ミート・イーターである。

「私、2歳の頃からずっと肉食べられないんですよ。私が生まれた時から、うちには犬や猫がいたんで。・・・・・・私の場合、肉を焼く匂いや、肉屋のガラスケースの中を見ても吐きそうになるんで、小学校、中学校の給食は本当に地獄でした。好き嫌いはわがままだとか言われて。」と言ったら

「天才ですね。」と言われた。

(私の場合、動物を殺して食べている、という認識が身体化しているのだ。

自分のような(生きづらい)人に会ったことがないのだが、私は、夕方、焼き鳥店が営業し始めると、煙の匂いで吐きそうになるので、遠回りして、その道を避けて買い物に行ったりしている。スーパーのチラシの肉の写真を見るのも、すごく気持ち悪い。)

「先生はなぜ?」と聞くと「俺は自分がいかに卑怯か、わかったから。」と言う。

「大学の時、世話をしてかわいがっていた牛がハイエナ病という病気になって、解体して食べることになった、その時、僕はその牛を食べられなかった。それまでは、牛を食べる、となると、わーい、なんて言ってたのに。」と。

(私の場合、こういう話を聞くだけで、怖くてオエッと吐き気がしてくるのだ。)

「最近は肉食をしない人のための店、増えてますよ。昔よりずっと。ここに来てる人も隠れヴィーガンの人多いですよ。」と言われ、

「でも日本では、肉を食べないと言うと、なぜか攻撃されることありませんか?おいしいから食べてみなよってしつこくされたり。」

「ああ、そういう奴最低ですね、なぐっていいですよ。食べる、食べないは個人の自由。なんにも悪いことしてないんですから。よく野菜も殺してるじゃないか、とか言う人いるけどね。」

「そのよくある詭弁が一番嫌ですね。打ち上げとか、飲み会とか、すごく困るんですよ。鍋物に肉が入ってると、その匂いで吐きそうになって、一口も何も食べられるものがないのに会費5000円とか。」

「店の人に言ったらいいんですよ、すいません、ここひとり、肉食べられないんで、何かそれ用につくってください、って。そういう人もいるんだって伝えていくことが大事。禁煙も、昔は全部喫煙席だったんですから。煙草が嫌な人がいるって店側に伝える人がいて、分煙、禁煙の店ができてきたんですから。」

「ネットで肉食しないことを言うと、ネトウヨのように、なぜか攻撃的に絡んでくる人いませんか?」と言うと

「ああ、俺、そういう奴、だ~い好き!」と快作先生は元気ににっこりした。

「どんどん発信していったほうがいいですよ。昔は。日本は肉を食べない文化もあったんだから。斬り捨て御免なんていう文化が通った時代もあった、そんなのが正しい時代もあったんだから(世間のメジャーな風潮が正しいとはいつの時代も言えないのだから)、自分がいいと思ったことは言わないと。」と快作先生に言われると、とても気持ちが楽になってくる。

「肉食べてた人が急にヴィーガンになろうとして、食べるものがなくなって挫折することが多いからね、僕はあまり食べないけど魚や鳥は食べたり、牛乳と豆乳があったら豆乳を選ぶ、とかね、楽にやっていったほうがいいね。」

さすが、学生時代から誹謗中傷にもめげず、ずっとタフに意志を貫いてきた人は違う、と思った。

もちろんこれはアニマルライツに関わる意識と、生き方の問題だから、靴や鞄などの革製品を買わないこと、動物実験をしている化粧品を買わないこと、動物園のありかたなど、いろいろなことが含まれる。それぞれ個人で考え方も違うと思う。

けれどイデオロギーをつくるのではなく、「できるかぎり」「なるべく」「動物の命を大切にする」という姿勢が望ましいと思う。

ベジタリアン、ヴィーガン、アニマルライツについては、いろんな考え方がある。自分でどう実践していくかは自由だと思う。いろんな考えの人と、柔軟に、静かに、楽に交流していけたらいいと思う。

私は「アート」という人間がつくったものに関わる限り、人間以外の「動物」の生命を尊重するとはどういうことか、これを考えないではすまされないと思う。

私は動物を殺して利用して何かをつくり、それが「アート」だと言うような人に耐えられない。

・・・・

私が肉食しないのは健康のためではなく、動物を殺すのが嫌だからなので、ロハスとかマクロビとか、そういう店にお世話になることもあるが、美容と健康によいおしゃれなことを得々と語る人は、あまり好きではない。美容や健康にまったく関心がないわけではないが、そればかり言う人が苦手なのだ。

それより動物を殺すこと、犬猫の殺処分、ブリーダーの存在のほうがずっとずっと気になる。

私の食生活について少し書いてみると、気に入るとそればかり食べている傾向にある。だが偏食というのとは違うと思う。極力シンプルに、好きなものを、好きな時に、好きなだけ食べている。

(絵を描いて夢中になってしまうと、夜中の2時、3時におなかがすごくすいて、眠れないのでがっちり食べることもあります。)

(健康に関心ある人が、肉食を控えるきっかけになるかもしれないので、一応書くと、健康診断の結果、私の善玉コレステロールは一般基準値より多め、悪玉コレステロールは一般基準値より少な目です。ちなみに162.2cm44kgです。)

最近は玄米を炊いてジャーに保温しっぱなしにして、お腹がすいた時に「八菜」(はっぱ)というふりかけをかけて食べている。

おかずは最近は蕪と揚げの煮物、山芋のとろろ、牡蠣の紫蘇巻揚げ、野菜の天婦羅などが多い。

去年の夏は毎日カレーだった。市販のよくあるカレールーはラードがはいっていて食べられないので、動物性油脂や肉エキスが一切はいっていないカレーパウダーの大瓶を買ってきて、玉ねぎをオリーブ油で飴色に炒め、いろんな野菜を加えて、カレー粉、ケチャップ、牛乳、昆布粉などで味をととのえる。エビやツナを入れることもある。

去年の春は、アサリ、野菜、ニンニク、オリーブオイル、トマトペーストの玄米リゾットばかり食べていた。野菜をインゲンやブロッコリーや、いろいろかえて、時にはナチュラルチーズをかけて3か月くらい食べていた。

玄米は固いのを噛むのが快感で、大好きなので、一食につきどんぶりに山盛り1~2杯食べる。

|

2014年1月23日 (木)

マーク・ロスコ 『ロスコ 芸術家のリアリティ』

1月22日

マーク・ロスコの美術論集『ロスコ 芸術家のリアリティ』(中村和雄訳 みすず書房)を読んでいる。

2003年に佐倉のDIC川村記念美術館で若林奮先生の展覧会があったとき、期せずしてロスコ作品の実物と対峙する機会があった。大きく静かな色面には非常に微妙なニュアンスがあり、色と色がさざ波のように蠢いている感じもあった。いったい何を考えていた画家なのだろうとずっと気になっていた。

ロスコは1903年に生まれ1970年に自殺した。

1970年にロスコとその妻が亡くなった時、この本の編者であるロスコの息子クリストファー・ロスコは6才だった。それからこの原稿が編集され本になるまでに35年がかかった。

すぐれた画家の書いた文章は、例外なく非常に興味深い際立った文章だと言えると思う。そこにすぐれた実作者個人の特異な思索と苦悩があり、一般化して共通理解できるような言葉ではない。浅薄な言葉しか書けないが絵だけはすごいという画家を見たことがない。気どりだけで「何も言っていない言葉」を書く作者、神経が鈍いと感じさせる作者の作品はやはり何も見るべきものがない。

「単なる形の定まらない抽象と見えかねない」絵で有名になったロスコが何を思索していたのか。この本はロスコの絵が完全な抽象になる10年も前に書かれたものであり、また、彼自身の絵の秘密に関しては直接書かれておらず、「芸術家は何をしているのか」が書かれている。しかし「見かけ上空虚にも思える彼の絵画が多くの意味内容に満ちていることをわからせようと奮闘する」論考でもある。

多分に観念的であり、言葉づかいも独特でわかりにくいところも多いが、確かに絶えず絵画について考え続け、実作し続けた人の文章だ。

1940年初頭には、ロスコは理解されていなかった。評価されず、誤解されていることへの痛切な思いと、生活の不幸と鬱のなかで「真の芸術的な動機」について彼の哲学を彼の言葉で書こうとし、この本が書かれた。

クリストファー・ロスコの序によると、ロスコの代表的抽象絵画についてロスコ自身の考えは、「それ以前の芸術からの革命的離反」などではなく、「彼が言うところの「造形過程」、すなわち芸術の発展は、内在的な展開の過程なのである。」

「ロスコが抽象という時、」「視覚を通して知覚される対象にではなく、芸術家自身にとってのリアリティに従おうとする営みのことを意味していたと考えられる。」

ロスコは「絵画を成り立たせるため」の「まったく異なった2つの方法」を、「便宜上」、「触知的な造形性」と「視覚的あるいはイリュージョン的な造形性」と呼んだ。

昨年末に行った「〈外〉の千夜一夜」の講演で、宇野邦一さんがドゥルーズのリトルネロについて話していた。その時、視覚の中に触覚がいかに介入してくるかという例で、エジプト壁画についてロスコが書いた美術論に言及されていたことが、この本を読むきっかけとなった。「造形性」や「空間」の章を読むと、ロスコの身体感覚の強度がわかる。

「概括的に言えば、エジプトの壁画は混じり気のない造形的[触知的]空間の例であり、ペルジーノの絵画は完璧なイリュージョン空間の創出を目指していたということができる。」

「エジプトの例においては、」「すべての人物は一本の水平線上にいる。」

「エジプトの壁画には、空間の後退を示そうとする努力がまったく払われていない。」

「にもかかわらず、これらの絵を見る時、私たちは、人物が空間の中に存在している、と感じるのである。

単色で描かれたこれらの神秘的な人物たちの周囲の色彩には、空気の――あるいはむしろ色のついた空気の――質感がある。人物たちはその空気の中に浸っているのである。それはまさしく、人物たちを埋め込んだ一種の粘液、あるいはゼリー状の物質と言い得るものである。

つまりここでは空間は、人物像の背後にある何かの性質としてではなく、触知できる容積を持ち、人物像とともに壁の面に向かって前進してくる実態として描かれているのだ。」

クリストファーの言葉を引用すれば、「『芸術家のリアリティ』の真価は、その論拠の完璧さにも、それが論戦にどれほど耐え抜き得るのかといった点にもない。むしろここで貴重なのは、一人の芸術家の、めったにはうかがい知れない世界観が、極めて詳細にわたって論じられているという点である。」

そして画家は自分の絵画が「誤解され、」「何も考えない大衆にによって踏みにじられてしまう」ことをいつも恐れている。

「極めて個人的な性質のもの」であり、「彼の生命に直結した内的なもの」である絵画を、公衆の面前に送り出すことは常に彼の傷つきやすさと怒りと直結する。

ロスコは美術教育の社会的責任に高い関心を持ち、左翼的政治立場でありながら、自らを徹底した個人主義者だと言明しているところも共感するところだ。

1月21日

気温10度を超えた日、なんとか風邪も治ってきて、久しぶりの外出。

北新宿にまだ残る「染物洗張」と書いた暖簾の店の前を通る。

Sdsc02553

私が小さい頃、祖母が和裁の仕事をして、よく一緒に連れられて麻布の近くの染物洗張のお店に行った。着物の染め色の見本帳を見るのが面白くてたまらなかった。「あらいはり」という不思議な言葉を聞いただけでわくわくした。

あの頃、西新宿にも何軒かあった染物洗張の店も、最近はどこにもないので、たまに出会うと嬉しくなってしまう。

Sdsc02554

北新宿の住宅街に一軒ポツンとあるかつてのお味噌屋さん。「マルマス味噌」の看板。

Sdsc02555

枯れ蔦の絡まるものを見つけるといつも立ち止まってしまう。何の作為もなく人の手も入らず、植物に浸食されている状態に惹かれるのだ。それも熱帯の繁殖力旺盛な植物ではなく、都会でもよく見られる蔦。

西新宿の古いアパートも、窓が開かなくなるほど蔦に覆われているものをかつてよく見た。12月には紅葉して美しかった。2005年くらいに再開発で全部潰されてしまったが懐かしい記憶の風景だ。

Sdsc02556

駅のフェンスのキカラスウリ(黄烏瓜)。擦過する中央線。
Sdsc02557

新宿に出、久しぶりに充実した食事。

Sdsc02559_2

この店のメニューは完全にNoMeatなので私には安心。真ん中のお皿の「里芋と崩し豆腐の揚げ団子」が抜群においしかった。

Sdsc02561_2


Sdsc02562

1月20日

佐藤亨さんより新刊『北アイルランドのインターフェイス』(水声社)が届く。ありがたく拝読。

Sdsc02572

|

2014年1月16日 (木)

ハル・フォスター編 『視覚論』

1月16日

ここ数日、風邪で重い頭でハル・フォスター編の視覚論を読んでいた。

絵画について、視覚について、私がずっと気になってきたことについての考え方のヒントがこの本にあるかもしれないと思って読み始めた。

「近現代における視覚表象文化を考えるときに必ずぶつかる議論を良質な論文に凝縮させた」とあとがきにあるが、私が感じている絵画の閉塞状況を救うような言葉があったかというと微妙だ。

序文を読んだときに、事実としての「視覚の差異」、視覚の個体差についてもっと書かれている本かと思ってしまった。

しかし視覚能力の個人差(個体差)は無みされたまま、一般的な視覚が論じられ、あるいは、当たり前だが視覚はそれが論じられるときには一般化されてしまう。1枚の特異な絵によって議論が中断されるということもない。

すべてが議論の展開のために奉仕させられている。

・・・・・・・・

「視覚論」に関するメモ――

視覚(肉体的メカニズムから形成される)と視覚性(社会的事実から形成される)を自然対文化として対立させるべきではない。

「なぜなら視覚は社会的・歴史的でもあるし、視覚性は身体や精神に分かちがたく結びついているからだ。とはいえ、視覚と視覚性はまったく同じものでもない。」

視覚的なもの内には「差異」がある。

・・・「肉体的な視覚のメカニズムと歴史的に形成される技法との差異」

  「視覚データと言語化との差異」

  「どのようにものが見えるのか、どのように見ることが可能になり、許され、強いられるのか、そのなかでどうしたら見る行為そのものや不可視なものをとらえられるのか、そこにも差異、たくさんの差異があるのだ。」

「ところが、それぞれの視の制度は、それ固有の修辞や表象によって、そのような差異を排除しようとする。」

「「デカルト的遠近法主義」は主体と客体とを分離したうえで、主体を超越か、客体を受動化し、それによって形而上学的思考、経験科学、資本主義的論理をいっきょに規定してきた」。

「また、芸術表現のカテゴリー分割」により「「視覚芸術では純粋に視覚的なものが特権化され、絵画もこの形式的原理にくりかえし従属させられてきた。このような分割は、それが近代合理主義に対する批判として提示された場合でも、実のところは表裏一体だったのである。」

マーティン・ジェイ

 「経験的に正しく普遍的に妥当とみなされる遠近法と、「象徴形式」としての遠近法の裂け目。」

 「遠近法の伝統に批判対抗的な異形の視覚モード」・・・17世紀オランダ絵画の「描写術」、バロック芸術の「見ることの狂気」。

デカルト的遠近法主義の制度がいつも抑圧的な政治と手を組んでいるとは限らない。それがどう使われるかによる。

ジョナサン・クレーリー

 「19世紀初頭において、幾何学的光学から視覚の生理学への理論の配置転換が生じた。」

 「主体と客体との分割によって対象を正しく認識させるカメラ・オブスクーラのパラダイムから、外的な対象に無関係の視覚をも生じさせる身体モデルへの変換」。

ロザリンド・クラウス 

 デュシャン、エルンスト、ジャコメッティらのリズム、ビート、パルスは、視覚の自律性という概念の上に視覚芸術を基礎づけようとするモダニズムの野心に正面から意義を申し立てた。 

ノーマン・ブライソン

 「ポロックの絵では、形態に対する支配を無作為性をともなうイメージによって放棄しているにもかかわらず、その支配は結局復活させられています。中心的な主体の位置が修復されているのです。たとえば、無作為性それ自体が彼のスタイルになるというように。自己制御が放棄されるまさにそのときに、自己制御が彼個人のスタイルとして復活してしまいます。まさに脱中心化の瞬間=[要因]において、再中心化がなされるのです。」

ジャクリン・ローズ

 「ポストモダニズムとそれが否定する「全体性」をめぐる議論の多くは、心的な比喩を土台にしていることが明らかになってきている」

  「ポストモダンにおける主観性の「喪失」を政治的空間の終焉とみなす理論や、主体の崩壊ないし自己破壊として視覚的空間の政治学を展開する理論はともに、言語記号の透明性ないし参照物が根本的に喪失していることを、肯定的にであれ否定的にであれ認識している。」

 「自我であれ無意識であれ、それをあたかも一方が他方なしでも実在しうるかのように物象化することは、とうてい不可能」である。

 「無意識の理想化がありえないのは、無意識には負の側面があるという理由のみならず、無意識に対立する自我のカテゴリーがなければ、われわれは無意識を思考することができないからである。」

「心的にと言うのみならず、理論的にも、代替的な視覚的形式を探し求める際に、弁証法の一方の項のみを取り上げることはできないのである。」

ハル・フォスター

 「視覚はまさに、主体とイメージの配置/置換を媒介する構造として論じられている」。

 「フェミニズム的視点(心的なものに性的なものと視覚的なものとが重なり合っていることに着目する)は、記号学的視点(差異化され、欲望によって引き裂かれている記号の場として視覚的なものをとらえる)とともに重要である。

 「このようなアプローチによって、「知覚主義的な」美術史、特に「フオーマリズム」と呼ばれる美術理論が脱構築されていくのである。」

1月14日

蕪と大根とはんぺんのおでんにキムチを加えたものをつくる。湯気で少しでも部屋を温めている。真冬の蕪が甘くてとにかくおいしい。それと内麦のスコーン。これから数日はこのメニューで行こうと思う。

風邪で具合が悪くて非活動的な毎日。せめて読書を進めたいのだが寒気がして気力が続かない。薬が切れる時間になると咽喉の痛みと咳がぶりかえしてくる感じ。

1月13日

咽喉の痛みと鼻水に加えて乾いた咳。だるくて熱っぽいが頭がズキズキするほどの熱ではない。

買い物も食事メニューを考えるのもしんどいので、もう4日ほどほとんど同じものを食べている。卵とキムチと麦ご飯の焼き飯。それに昆布100パーセントのだしを加え、ときどき菜花のみじん切りを加えたり。

あいかわらず1日に食べる食材の種類が少ない生活。そのほかに飲食しているものはミルクティーと発泡酒くらい。

1月11日

咽喉の痛みと鼻水。ちゃびと寝ている。とにかく寒い。暖房はオイルヒーターのみ。身体が冷えたらお風呂。1日3回以上お風呂に入っている。

去年、熱が1か月半も下がらなかったとき、近所のクリニックで最後に出されたリンゲリース(非ステロイド系抗炎症剤)とアレジオキサ(胃の薬)が7日分そのまま残っていたので飲み始めた。

1月10日

すごい寒気到来とともに咽喉が猛烈に痛くなる。予想通り、免れることなく具合が悪くなった。8日に母のところに行っておいてよかった。

1月8日

母に会いに行く。

雨模様で、PMSのピークの日で、のどの痛みも少しあったので、どうしようかと迷った。私が母に風邪をうつしたりする元凶になり、それで母の命に関わるのが怖かった。しかしあさってから寒波が来るし、明日は生理痛の予定なので、きょう行くしかないと思い、5時過ぎに出かけた。

昼間、傾眠があったそうで、私が行ったときには母はわりとはっきりしていて、夕食とプリンを完食。プリンの容器に極(きわみ)と書いてある文字を見て「極ってなに?」と聞かれたりした。

昔の写真を見て笑顔も見られた。手や腕のリハビリをしたり、鏡餅のところに飾ってあった駒をまわそうと試みたりして遊んだ。

職員の人たちが皆親切で、本当にありがたいと思った。2時間ほどいて七時半くらいに外に出ると、けっこう雨が降っていて、長いスカートがじっとり濡れたが寒いと感じなかった。

花屋に寄って、日本水仙10本の束とピンクの薔薇を一輪買った。水仙は部屋中に漂う早春の香りを味わうため。

1月4日

西新宿の家の近くの中央公園の端っこにある奇妙なデザインの交番。後ろに都庁が見える。

Sdsc02494

この交差点から新宿駅に向かって坂を上ったところ、新宿警察の横、アイランドタワーのイルミネーションが色を変えていた。

Sdsc02498

Sdsc02499

Sdsc02500

LOVEのオブジェの前で外国人が写真を撮っていた。

Sdsc02501

この交差点は、円形のレールみたいに見える輪っかに信号機がついている。昔から不思議だと思っていた。西新宿の高層ビル街の中で、ちょっとだけしゃれているのだがたいして人も多くないこの一角が昔から好きだ。

Sdsc02502

|

2013年11月26日 (火)

〈外〉の千夜一夜 / フィギュアロシア大会

11月24日

室伏鴻プロデュースによる〈外〉の千夜一夜のトークイベント、「裏返しのダンス」 鈴木創士×丹生谷貴志、 「リトルネロと外の身体」 宇野邦一 を聴きに横浜赤レンガ倉庫へ。

・・・・・

「裏返しのダンス」 鈴木創士×丹生谷貴志に関するメモ。

フランスの哲学は「外」を問題にする(アメリカの分析哲学は「外」を問題にしない)。

「外」と「外部」は違う。

「器官なき身体」とは、有機的に構成されていない身体、腐った粘液上のものをイメージする人がいるが、それは間違いで、身体を砂漠のように感じることもある。

「外」とは死からの逃走、生からの逃走。臨死状態。こっち側、あっち側ではない中間。皮膜。

・・・・・・・・・

「外」をめぐるトークについて。

私は「外」にいる。

いつも激しく恋しているから。

・・・・・・・・・・

「リトルネロと外の身体」 宇野邦一に関するメモ。

「リトルネロ」とは『千のプラトー』(ドゥルーズ、ガタリ)の真ん中辺の奇想天外な文章であり、リフレイン、繰り返しが帰ってくる、と言うような意味。

子どもが口笛を吹く、鼻歌を歌う、カオスの状態からほんのちょっとした繰り返し(秩序)を抽出する、領土(テリトリー)が形成される、

音楽史以前、小鳥の歌をテーマにしている。庭師鳥(舞台をつくる鳥)。葉を集めて裏返しにし、その色彩を操る。鳥がアートをやっている。

ガタリは色々な概念を毎日提供し続けた。ドゥルーズは(やり方は複雑ではあったが)それらをまとめた。

『失われた時を求めて』(プルースト)を分析するときにリトルネロを重視。

マーラー、ドビュッシー、バルトーク・・・ロマン派から現代音楽に移行する時に面白い作曲家が出ている。

オデットの顔をリトルネロに結びつけるガタリの発想、読解。

リトルネロは領土化、家を持つこと。創造性の始まり。

マイナスの人を閉じ込めてしまう、そこからどうやって外に出るのか。

ヴァン、懐かしいオデットの顔と結びついた外に出る契機。

ロマン派:大地を発見した。ロマン派後:宇宙に向かう。クレー。

リトルネロから始まり、民衆、大地、大きく展開。

非定型で非物質的なエネルギー。壮大な芸術史。

現代社会は非定型なエネルギーにさらされ、その中で表現(アーティスト)はある種の戦争。

「この地上で殺し屋として生きるのか、詩人として生きるのか。」(ヘンリー・ミラーがランボーについて書いた引用)殺し屋の顔をした詩人。詩人の顔をした殺し屋。

アルトーのリトルネロについて。

若い頃のアルトーは輝くばかりの顔、眼をしている、とル・クレジオも指摘。

これからアルトーを読もうという人に、(宇野さんが)何よりもまず読んでほしいのは『冥府の臍』『神経の秤』『芸術と思考』。

神経の波動をはからなければならないということ。思考とは波動の強度。

「私は考えることができない。」「私は思考を生まれさせなければならない。」

「私は先天的な生殖性である。」「私は自分自身の生殖性を鞭打たなければならない。」

「私は先天的な自己を信じない。」「私は自分自身を生み出さなければならない。」

思考とはなにか。自己とは何か。

思考のイメージ。思考にはイメージがない。否定的なイメージ。

生殖性を鞭打つ、神経をはかる、とは、アンチ・オイディプス。父母は関係ない。自分で自分を生み出すこと。

この妄想がたいへんな生産性を持つ。

「器官なき身体」について。パターンは10くらいあげられると思う。

器官のない闇、暗黒。晩年の精神病院での文章に頻出。

皇帝ヘリオガバルス。政治的アナーキーだけでなく性的アナーキー。もろもろの器官を敷き詰めた道を通って神の道に向かうことは難しい。これらの器官は、我々を拘束し、排他的な現象を押し付ける。

器官(オーガンヌ)に対する凄まじい警戒感。

すべてのエクリチュールは破廉恥である。名作、戯曲を演じていればいいと思っている。残酷劇の意味。

思考不可能性とは、思考を取り戻せばいいと言うことではない。
思考=神経。非定型、非物資的なエネルギー。

土方巽『美貌の青空』のなかの「アルトーのスリッパ」。肉体を打ち切る思考。非常に捩じれた繊細な文章。アルトーのスリッパが最後の思考。

「器官なき身体」の意味はとても難しい。樹木すれすれ。リゾーム←→樹木 両義性。
経絡、樹木、気の流れも、ひとつのパターンだと思う。ほど遠いものではない。それがどう体験されるか。

アルトーが一番神秘的になるのは、病院に入る前。キリスト教を含む神秘思想にのめりこんだ。それに対する逆批判。キリストがなぜ現れたのか。リインカーネーション、肉となって現れる。

『神の裁きと訣別するため』 神秘主義者になって、そこから抜け出す、自分自身で実験。

狂気の歴史の中でアルトーは滅多にないケース。ヘルダーリンなどと違い、アルトーはかえって来る。

自己治癒の力。少し醒めていないと、どこがぎりぎりかもわからない。

視角の中に触覚がいかに介入してくるか。

マーク・ロスコが生きているときに書いた美術史論。

絵画は遠近法のときから変になった。幻覚。エジプト絵画には奥行きがない。横向きの人物。空気の中に人間がいる触感に忠実な表現としてとらえている。これはニジンスキーと関係あるかもしれない。ロスコの色彩。体感。

ドゥルーズのベーコン論。具象でも抽象でもない。非有機的伝統。ごつごつした。イスラム。ゴシック。地中海ではない。「装飾」という領域に、そういうものが絡んでいる。運動と時間。

・・・・・・・・・・・・

故若林奮先生が旧石器時代の洞窟壁画についての話の中で、「「装飾」という言葉を考え直さなければならない」と言っていたことが強烈に蘇ってきた。

・・・・・・・・・・・・

赤煉瓦倉庫。ずっと昔、横浜を歩いていて偶然ここに迷いこんだ時の衝撃、素晴らしく隔絶した異空間は失われてしまった。あの時の眼を射た古い門。錆びれた引き込み線。雑草。頬を切るような北風。今は眼の前にあるものよりもずっと強烈な、記憶の中の風景。

記憶の中の「新港埠頭保税倉庫」は強烈に魅惑的だ。
(下は観光地化された現在の赤煉瓦倉庫。)

Sdsc02232

Sdsc02230

11月24日

グランプリシリーズのロシア大会も終了。いろいろ波乱の多いロシア大会だった。

村上佳菜子は曲のかけ間違いが気の毒すぎるし、14才の頃の「アストゥリアス」の魅力が凄かったトゥクタミシェワは、なかなか調子が戻らないし、残念・・・。

町田樹だけは、よくがんばった。

「「timshel(ティムシェル)汝、治むることを能う、自分の運命は自分で切り開く!」 と哲学的な言葉をテーマに挙げた町田は、「この timshel(ティムシェル)という言葉に、凄くインスパイアされたので、大きなテーマとして掲げ、グランプリファイナルを目指したい!」 と他の選手の度肝を抜き 」というGPS前の会見の記事。この「他の選手の度肝を抜き」というところ、何度読んでも笑ってしまうのだが、本人が大真面目にしゃべっていることに、ちゃんと優勝という結果が出てよかった。

今までの発言を読むと、え?と思うことも多いが本当に面白い人だ。正直だし、よく工夫しているし、思い入れと同時に冷静さもある。

ABTのバレエダンサー、フィリップ・ミルズに振付を依頼したというが、SPの出だしのところの両手を前に掲げて、ぐっ、ぐっ、と握り拳を胸に引き寄せる動き、あそこが妙に印象に残りすぎるのは私だけなのだろうか。

思い入れたっぷりに演じるところと、いわば即物的に、淡々と動きを見せるところの変化をつけたほうが表現的には良くなると思うが・・・。

ロシア女子のソチ代表争いも気になる。トゥクタミシェワとソトニコワがずっと好きだったのだけど、やや調子悪いの心配。NHKフィギュアのエキシビションのラジオノワのゾンビ―ダンスがすごくよかったので、ラジオノワも好きだが、ラジオノワはまだソチには出られない年齢なのであんなに無邪気な滑りができるのだろうか。

・・・

今年最後のコスモス素描。

Ssdsc02222_2
11月16日

夕方、高円寺の北口のちょっとぼろいビルの2階の小さなイタリアンの店「I」の前を通り、いつものように看板が出ていなかったので確認しに階段を上がってみたら、「閉店」の無造作な張り紙があったので滅茶苦茶ショック。

すごくお気に入りで、この「I」くらいしか外食できる店がなかったのに。まさか夜○○?としか思えない状況。

「I」は無口な初老のマスター一人で切り盛りしていて、15年くらい前はJRガード下の、3人くらいしか座れない屋台のような店だった。こんなところに本格イタリアンが?と驚いたものだ。

蟹のクリームパスタ1400円くらいだったから、私の生活水準からしたら高くて、たまにしか来られなかったのだが、原材料の高水準ぶりを考えると安いと思えた。

私が大好きな食べ物屋さんはつぶれることが多い・・・・・。

11月13日

2日間チラジンを飲むのを止めた。それと関係あるのかわからないが、微熱がなおってきた。

甲状腺摘出以来、一応毎日3錠の甲状腺ホルモン剤を飲んでいるが、飲み忘れたり、飲んだのを忘れて過剰に飲んでしまったり、かなりいい加減だったが、熱が出たことも頭痛がしたこともない。

だから今までの微熱の原因はよくわからないが、最初のきっかけは喉の炎症だったと思う。現在、喉の痛みは完全治癒。

11月11日

五日間、抗菌薬とアレルギーの薬を飲み続けたのに、今朝熱を計ると37度あった。少し脳天に頭痛。顔と頭が相変わらず熱い。

午後3時からの診察で先週の血液検査の結果を聞く。

白血球もCRP(炎症と細胞破壊)も正常値。白血病でも、何かの炎症でもなさそう、ということだ。よくわからない、と言われ、膠原病の血液検査をするか、と聞かれて断った。膠原病「かもしれない」ということでステロイド剤なんかを処方されたら、それこそものすごく体調を崩しそうだからだ。結局、またリンゲリース(ロキソニンのジェネリック)を出された。

FT3とFT4(甲状腺ホルモン)の値が高め。私はもうずいぶん前に甲状腺がんで甲状腺を摘出しているので甲状腺ホルモン剤を毎日飲んでいるが、今はちょっと強く効きすぎている状態ということなのだろうか?

9月に鎌ヶ谷の病院で採血した結果を聞いていなかったので、がん転移の活性化と関係あるのかどうか、A先生に電話で尋ねてみた。検査の結果、6月に異常に高くなっていた腫瘍マーカー値は、以前と同じくらいまで戻っていた、と聞いてほっとした。とりあえず、1か月半も続く熱は、がんのせいではないと思っていい、と言われた。

甲状腺機能亢進を調べてみると、微熱、動悸、倦怠感、筋力低下などは私の今の症状とあっている。でも、頭痛という記述はない。A先生も頭痛はしないはず、と言っていた。

近所のクリニックの院長に、いかにも神経が細そうだから気のせいの頭痛かも、と言われて腹が立った。緊張性の頭痛ではなく、発熱した時の頭痛だから困っているのだ。とりあえず苦しくて堪らない時だけ痛み止めを飲むことにして、様子を見ることにした。

ここ数週間、命に関わる状態を宣告されることを考えていた。その時に何を書き残したいかずっと考えていた。

どういうふうに書いたらいいのか、あまりに難しくて、今までも充分に書けていないのは、言語に絡め取られないもの、動物の命についてだ。

自分の本も、今まで書いてきたあらゆる文章も、絵も、すべてそのことを書いて(描いて)きたつもりだが、ごくたまに何か通じる人もいるようだが、通じない人にはまったく通じない。

|

2013年10月 2日 (水)

アンリ・ベルグソン /  時間、記憶、絵画

10月2日

『ベルグソン哲学の遺言』(前田英樹、岩波現代全書)をやっと読了。

若林奮先生と前田英樹先生の『対論・彫刻空間―物質と思考』刊行記念の対談を聴きに行ったのが初めての出会いで、前田先生のベルグソン哲学でセザンヌ、ジャコメッティ、マティスなどを考える授業を立教大に聴講させていただきに行ったのは、もう10年以上前のことだ。

授業の中で、ほんの一握りの芸術的天才が、哲学よりも早く、その時代の問題を察知して作品をつくる、というような言葉が、ものすごく印象に残り、また、はじめて触れるベルグソン哲学も、本当に新鮮だった。

今回、私などにまで『ベルグソン哲学の遺言』を送ってくださったのは、ベルグソン哲学が、まさに「持続」においてものをとらえる実践としての「絵画」と関わりが深いからであると思われ、実際に絵を描いている人間の体験からくる言葉に興味がある、と言われていた前田先生に少しでも応えられるよう、自分にとっての時間、記憶、絵、素描の体験をたどりながら、一生懸命本を読んだ。

アンリ・ベルグソン(1859-1941)の主要著書は、『意識の直接与件に関する試論』(1889)、『物質と記憶』(1896)、『創造的進化』(1907)、『道徳と宗教の二源泉』(1932)の4冊である。

1922年に書き終えられ、1934年刊行の『思想と動くもの』の「序論」は、もうひとつの遺書と言える。この「序論」は、「哲学に最も欠けているもの、それは正確さである。」という言葉で始まっている。

ベルグソンの言う「持続」とは、時間のことであり、

 「絶え間なく自分自身を作っている、ということ」。「持続はただの連続ではない。」
 「時間には繰り返しがない」。
 「持続」は、「予測不可能な新しい事態の到来とともにしか成り立たない」。
 「持続」の中に、持続の連続変化が作りだすさまざまな特異点」と言える「開始や飛躍や創造や死の「瞬間」」がある。  

 「人間の目から「持続」という障碍物を覆い隠してしまうのに、一番大きな役割を果たしているのは「言語(langage)」である。」

 「持続」は、「心理的な、もしくは現象学的な時間ではない。それ自体で在るものだ。」
 

 「持続」は、「在るものの在り方一切」である。

 「「持続」とは、新しいものがどの瞬間も、絶えることなく創造される運動を言う。」

 「私たちひとりひとりの生の持続は、この身体の外にある世界と、言わば宇宙の持続を何らかの仕方で深く共有する」。「この共有には、〈生命的傾向〉と〈物質的傾向〉との間の膨大な「調整」を実は必要とする。が、私たちの知性は、この事実に容易に気づかない。」

物質について、

「純然たる物質それ自体というものは、実在しない。そういうものは、抽象に過ぎない。」
「物質には、惰性的に自分を繰り返す傾向がある。その傾向によって、物質は記憶を用いることも、形成することもしない。」
「科学は物質的傾向を対象にする。」

生命について、

「記憶は生命の傾向をあらわす特性にほかならず、これあるがゆえに、生き物は危険を避け、有益さを選び、成長や行動に結びつくことができる。」
「生命の傾向」は、「みずからの性質を変えることなしには、決して分岐することはない。」

「生き物の身体は、一面は生命から、もう一面は物質からなる。」

「ベルグソンにとっては、経験と認識とは、同じものである。実在は、経験のなかにしか与えられていない。だから、「物自体」の認識は、「物自体」についての浅くも深くもなる経験のなかにだけ与えられることになる。」

「たとえば、極度に浅い経験は、身体のほとんど反射的な行動のなかで成り立っている。深い経験は、「物自体」のなかに深く入り込んでいかなくては成し遂げられない行動のなかで成り立っている。」

「「物自体」が直接に与えられる経験は、「物自体」の性質に従うことによって、それが変化する方向に寄り添うことによってしか成り立たない。」「この経験は、」「惰性的にも、創造的にもなる。」

ベルグソンの言う「直観」について、

「直観」は、「多くの哲学者においては、絶対への瞬間的な飛躍を意味している。」「この飛躍は、時間を超えて、その外でなされる。」 

 「ベルグソンが方法として述べる「直観」は、哲学用語の歴史のなかにその前例を持っていない。」「それは時間の内に復帰する」。

 「持続を対象とする「直観」は、哲学の方法であると同時に、それ自体が緊張、弛緩する持続、あるいは生の運動にほかならない。」

 「持続」自身をとらえる「持続」の働き、内的努力のことを、べルグソンは仕方なく「直観」と呼んでいる」。

記憶について、 

 「記憶には、それを必要としている行動の性質に応じて、無数の「水準」があり、それらは絶え間なく形成されている。」

 「記憶は、それを包み込む生き物の行動に従って、絶え間なく膨張と収縮戸を繰り返している。」

 「「記憶内容」は、「記憶」の膨張、収縮に応じて、根本からその内容を変え続ける。」 

 「私の行動がもっと複雑になり、その対象への注意が細やかになっていくほど、その対象とそれを取り巻く世界は、多数の分岐に入り込んでいく。私の行動次第で、それに用いられる「記憶内容」は、ニュアンスを持ち、色合いを持ち、やがて判別し難い相互浸透を起こすようにもなる」。

 「私を取り巻くあらゆるものが、そのように膨張、収縮する私の記憶との関係で現れる。言い換えれば、私は自分が働きかけるその同じ対象を、記憶の無数の水準を通して捉えることになる。私が、何かを見たり、知ったり、わかったりするのには、その都度、記憶の異なる諸水準が用いられる。というのは、どんなものであれ、対象についての私の〈認識〉は、そのものに対する私の限りない行動の仕方、働きかけの可能性と決して切り離せないからである。」

『思想と動くもの』に収められた講演「変化の知覚」(1911)でベルグソンが持ち出している「芸術家」の例 

 「芸術家は、芸術特有の記号を使って勝手な想像やファンタジーを織るのではない。彼のする仕事は、まず何よりも、自然への知覚を、実在と身体との直接の接触を、生活への注意から解放することにある」。

・・・

絵画について考えるとき、

「物体を同じままにしておき、私がそれを同じ側から、同じ角度で、同じ光のもとに視るとする。それでも、私が得る視覚像は、直前の視覚像とは異なっているほかはない。なぜなら、その視覚像は一瞬で古びるからだ。私の記憶がそこにあり、この現在のうちにあの過去のうちの何ものかを押し込む。」(『創造的進化』1907)

というベルグソンの言葉を意識しながら描くのは、何も考えずに描いていた状態とは、ものの見えかたが明らかに異なる。視る対象が「持続」していて、視ている私も「持続」していること、直前の線を修正せざるを得ないことは、ただ対象を見ているときには体験できず、注意深く対象を視て描いているときに初めて「実在性」として体験できる。

また、たとえば、ある植物を視ているとき、今、私が得ている視覚像に含まれているのは、直前の視覚像だけではなく、過去に描いた植物の限りない記憶、さらには過去に見た様々の線のニュアンスや無名の色などの記憶が混じっていることを、確かに体験できるのも、実際に描いているときである。

この、「物自体」の経験と認識の深さが、絵画の持つ深さと密接に関わると思われる。しかし、その絵を描くのに費やされた時間(たとえば下塗り、マチエールづくりなど)は、絵画の持つ深さとは直接は関係がない。

私にとって、対象を「限りなく多様」に、「細部に溢れたもの」として記憶する習慣が、絵を「開かれた」ものにし、実際に描くこと、あるいは言語化不可能なものを言葉で素描しようと試みることが、複雑なものをそのまま記憶しようとする知覚の深化への努力につながると思う。

ベルグソンの最後の主著『道徳と宗教の二源泉』における「神秘主義」という(はなはだしく誤解されてきたという)言葉が、「考えることをやめた人間」の「迷信」、「妄想」などの意味ではなく、「一切の物語が消去されたところに働く強い直観の力」と考えるとき、それは、共同体ごとの「仮構機能」どうしの争いを乗り越えるための「さらに強い生の飛躍」と考えられる。

それが「物質を対象とする知性の能力」の限界から、「生命の傾向に向けて、もう一度折り返そうとする」力だとすると、やはり、「絵画」と深く関わっていると思う。

ここで言う「絵画」とは、あくまで「開かれた」ものであり、いわゆる現代アートによくあるような、逆に「生命の傾向」を激しく抑圧してくるものとはまったく違うものである。

10月1日

父の担当者会議のため実家に行くが、まだ熱があり苦しい。

9月30日

朝、目が覚めたら38度近い発熱。猛烈に喉が痛い。

書道の日なので、なんとか出かけたが、ふらふらで、立っているのが苦しい。

それでも字はしっかり書けた。「和敬静寂」。楷書なのだが、実際書いているのは、フォントでは表せないすごく不思議な書体なのだ。なんという書体なのか、今度先生に聞いてみようと思う。

9月29日

母の施設のお祭り。1時過ぎに家を出、2時半ごろ着。

要太鼓保存会の子どもたちによる太鼓を見た。とっても健気でよかった。

4時過ぎに屋上で母にダリアや薔薇を見せたが傾眠。その後、夕食は完食。

帰り道、強烈に喉が痛くなる。疲れたのか食欲が消滅。やばい。風邪だ・・・

 

 

 

 

 

 

|

2013年9月10日 (火)

枯れたチューリップの素描 / アンリ・ベルグソン(Henri Bergson)

9月8日

枯れたチューリップの素描(2回目)

捩じれのディテイルをよく見ておきたかったので、再び枯れたチューリップの素描。

Sdsc01894

構図は意識せずに、今見ておかなければ二度と見ることができない(時間とともに絶え間なく変化している)ところ、今の時点でのクライマックスを眼で追う。

Sdsc01901

前後に並べた二つのガラスのコップに挿してあるチューリップを一気に見、眼がたどるべきと選択したところを線でなるべく誠実にたどる。

Sdsc01903

前田英樹先生が送ってくださった『ベルグソン哲学の遺言』をずっと読んでいる。

難しい言葉づかいが多く、なかなか進まず、やっと半分まで読んだところ。

ベルグソンは難解で、簡単に要約できるような内容ではないが、私の理解としては、まさに「絵画」の問題、まさに「素描(デッサン)」の問題、そのものを言っている、ということだ。

アンリ・ベルグソン(Henri Bergson)は1859年にパリで生まれ、4冊の主著と2冊の論文集、そのほか2著を刊行し、1941年にパリで亡くなった。

ベルグソンが言う「持続」とは、まず時間には繰り返しがないことを強調したい、ということである。

「しかし、この持続というもの、科学が振るい落とし、思い描くことも表現することも困難なこの持続というもの、人はそれを感じ、それを生きているのだ。それが何かを探究すれば、どうなるか。それは意識にどう現れてくるか。」

「私が視る視覚像は、直前の視覚像とは異なっているほかない。なぜなら、その視覚像は一瞬で古びるからだ。私の記憶がそこにあり、この現在のうちにあの過去のうちの何ものかを押し込む。私の心の状態は、時間の経路を進みながら、みずからに積み重ねる持続で絶え間なく膨らんでいく。」
(アンリ・ベルグソン「序論(第一部)、『思想と動くもの』所収)

「〈観る〉努力を省いて〈理解する〉人は、「持続において思考」しない。」

(前田英樹『ベルグソン哲学の遺言』 第Ⅵ章〈器官についての考え方〉 1哲学はいかに〈努力する〉のか p142)

|

より以前の記事一覧