動物

2018年6月12日 (火)

「岡本神草の時代展」、風太一族、動物からの収奪について

6月10日

台風で昼頃から雨の予想。陽射しがなく、人出が少ないこんな日こそ、私は出かけたくなる。

あの風太一族を、一度、見てみたいと思ってたので、千葉市動物公園へ。そのあと「岡本神草の時代展」を見に千葉市美術館へ。

羽村のかわいいソラは、風太の3番目の子、風美の子だ。

岡本神草は、今回は17歳くらいの時の素描(デッサン)着彩など、写生がたくさん見られるということで期待して行った。

9時頃家を出、約2時間で目的地へ。千葉市動物公園は初めて来たが、かなり広い。

レッサーパンダは暑さにとても弱いらしい。きょうは涼しいので、雨の中、樹の高い枝の上で寝ている子が多かった。

樹の上で寝るメイメイ(♀2007年生。風太の子、クウタのお嫁さんでユウのお母さん)のところに登るユウ。

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りんごを手で持って食べるメイメイ。手で持てないユウ。手で持てる子は左利きが多いそうだ。
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今年15歳になる風太。小屋の中で眠っていたが、「風太、お仕事だよ~」と起こされてりんごを食べるところを見せてくれた。ごめんね、風太。ありがとう。

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風太はチィチィ(♀2003年~2012年)とのあいだに8頭の子を生んだ。2017年12月現在で風太の子、孫、ひ孫、やしゃごは43名(?)。

今年、風太の15歳(人間で言うと70歳くらい)を祝う大きな記念イベントがあるそうだ。風太が疲れないようなイベントであることを祈るばかりだ。

動物園のイベントは興行であり、私はイベントのように人が集まる場所に行くことはまずないが、動物園、動物の「展示」というもののあり方、こうして見に来ている自分が「動物からの収奪」に加担しているのか、と内心はいろいろ考えて複雑だ。

私は一匹でも動物を殺すのが嫌なので、動物の肉を一切食べない。

大きな肉食獣を展示するために、人間が他の動物を殺して与えるのは、私個人は嫌なので、チーターなどは、わざわざ連れて来なくていいのに、と思う。

レッサーパンダには、今の飼育では動物は与えていないそうだ(スズメなどを食べてしまったことはあったそうだが)。

彼らを見たくて、動物園に来てしまう私も動物虐待に加担しているのかもしれない。この問いには、簡単に答えが出ることはない。

風太の立ち姿が一大ブームになっていた頃、日に3000人もの来園者があったらしい。

その頃、私にはちゃびがいた。ちゃびほど可愛い相手はいなかったので、ちゃびと暮らしているあいだ、私は動物園に行くことが一度もなかった。

ちゃびを失った今、人間的な倨傲と収奪そのものの「アート」界の瘴気に耐えられなくて、動植物に会わないと自分の生命的な活力が死んでしまいそうになるので、毎週遠出している。

リンゴを立って食べるみい(♀2013年生。クウタとメイメイの第4仔)。みいは長崎からお婿に来たライムと一緒にいるが、ライムはおとなしく、逆にみいはぴょんぴょん跳ねまわり、、木にじゃれついて転げウ~ッと木に怒ったりして、元気に遊んでいた。

土をどどどどっと掘って、虫を食べている(?)みいの姿も新鮮だった。
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クウタ(♂2008年生。風太の第6仔)は風太一家の跡取りで、メイメイとのあいだに8頭の子をもうけた。
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すごく愛嬌のあるメイタ(♀クウタとメイメイの第6仔)。お婿さん捜し中だそうだ。

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メイタという名前なのは、生まれた時にはオスと間違えられていたからだ。

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メイタは跳ぶのが得意で、1m20cmくらい上にあるリンゴをジャンプして取ることができる。

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3時半頃、動物公園を出る。

ずっとカメラ(望遠レンズと標準を使い分ける)を持って、少しの休憩もなく歩き回っていたので、かなり疲労し、肩と腰と足の裏が攣りそうになった。

私は動物や植物を見る時も、好きな絵を見る時も、のんびりおっとり見ることはまずなく、いつもぎりぎりまで体力を使い果たしてのめりこんで見るので、重労働になるのだ。

私は絵描きだけれど、人間の虚妄が集約されている「アート」を見るのが嫌いだ。嫌なものが身体になだれ込んで来てイライラする。

私にとって貴重な時間と心身ともにエネルギーを使ってまで見たい価値があるものは、すごく限られる。

「絵の範疇にはいらないもの」を得意気にやっている人を見ると、誰にも想像がつかないほどの激しい不快感、嫌悪感で、私は心身ともに損傷を受けるのだ。

その汚らわしさは、ずっと何年も身体損傷として残り、消えることはない。

・・・

「岡本神草の時代展」。

私は、いわゆる「大正デカダンス」の時代の画家の絵にはすごく惹かれるので、本物を見られる機会があれば、たいてい行っている(情報通ではないので、気がつかないうちに終わっている展覧会もあるが)。

岡本神草の10代の絵を見ることができたのが良かった。

17歳の時の「手鞠と追羽根」という絵に衝撃を受けた。手鞠と羽子板と羽根を写生し、紙を切り張りしつつ構成したものだ。

茶色い紙の上に描いた羽根の、ほとんど透明な胡粉の薄塗り、ところどころ細い線で起こしている筆跡。

小さな玩具から、ここまで弱弱しさ、柔らかさ、可憐さ、精妙さを見出すことのできる眼。それを「絵」に昇華させる力量に打ちのめされた。

羽根で隠されていて、隙間から見える羽子板の絶妙な量。朱と青の透明感と分量。

なぜ、この位置で紙が継がれているのか、なぜ、継ぎ目がずれているのか、作者の感性の謎に引き込まれる。

さりげないようでいて、すごく高度で、凡庸な人間にできるようなものでない、と感じさせる絵だ。

私は公募展に出すような大作よりも、むしろこういう小さくて個人の才能が迸るものに興味がある。

あとから年譜を見て知ったことだが、この「手鞠と追羽根」は、彼が美工絵専両校製作品競技展(校友会展)で銀牌を受けたものだった。

もう一つ、私がすごいと感じたのは21~23歳頃の「秋の野」の植物写生だ。ススキの葉の曲線のなまめかしさ、どこに向かって流れる線を選ぶか、これは私の感性が求めるもの、そのものだ。

人物の素描には、私の予想よりも幼いものも多くあった。夢二の模写、浮世絵の影響、マンガ的なデフォルメの研究。

「口紅」はたしかにすごく完成されていた。

美と醜、デザイン的なセンスとグロテスクのバランス。

か細くすんなりした幼い腕。焼けて黒く変色した銀箔の桜の簪。華美でありながら気品のある古典柄の衣装。

すっきりとしたフォルムの中に、びしっと緩みなく、濃密で冷たいような装飾的要素が詰まっている。

周到に着飾り、最後に「口紅」を塗る女の、陶酔したような、これから何をしでかそうをしているのかわからないほてった表情へと、画面のすべてがデモニッシュなものへと、渦を巻くように収斂していく。

そこには強烈な「わかり得ないもの」がある。

大きな下図を写して「塗って」いく「日本画」と呼ばれるものに、今の私はほとんど興味がないが、神草の「口紅」という作品には、「塗って」いるのにも関わらず、発散する妖気の「運動」があった。

神草は、下図よりもいわゆる「本画」と呼ばれているもののほうが、遥かに生気があること(これは逆になってしまうことも多い)、その落差に感嘆した。

大正デカダンスそのものの神草の若い頃の日記が展示されていたが、サタンを愛する者は・・のくだりが図録には載っていないようで残念だ。

この時代は、岡本神草や甲斐荘楠音が命を賭けた絵画の革新や、芸術運動というものが、まだ生きていた時代だ。

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2018年6月 7日 (木)

ふわふわのソラ、ミンごろう、マミー商店街

6月2日(土)

きょうも多摩川の中流方面へ。拝島からあきる野、秋川方面へ行ったが、私の求めている蔓草が絡まり合った薄暗い林や、小さな美しい水溜まりは見つからなかった。Googleマップの空撮で調べてから行ったのだが、この辺りは樹のない葦原ばかりで失敗だった。

小さな三日月湖のような水溜まりと倒木。最初に入ったここだけは少しよかった。

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27~28℃くらいだが日差しが強すぎて汗だくになった。

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くじら池。釣り人が何人もいた。
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きょうのレッサーパンダコーナーは、暑いせいか屋外には誰もいず、ガラスのお部屋の中にはソラちゃんだけがまったりとご飯を食べ、いろんなところにすりすりと匂いづけをしていた。

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多くの人が「あ!レッサーパンダだ!かわいいなあ。」と言った後に、「あれ?このレッサーパンダ、大きい。」などと付け加える。
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そう言えば・・・(笑)・・最近、ソラばかり見慣れていたせいか気づかなかったが、ソラは普通のレッサーパンダと違う、赤ちゃん(ジャイアントパンダのような)体形だ。

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ソラは、やたらにふわふわ、ぽわぽわ、まるまるしている。2月8日にラテと交尾が確認されたと書いてあったが、もしかして妊娠しているのかなあ。

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ラテとソラの赤ちゃんだったら、もう悶絶レヴェルにかわいいだろうなあ。

チリーフラミンゴのミンごろうちゃんは、1958年から2003年まで上野動物園にいたそうで、少なくとも59歳にはなっている。国内最長老のフラミンゴさんだ。エリック・ドルフィーのように額の部分が盛り上がっているのですぐ見分けがつく。
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団地の庭は花盛り。カシワバアジサイ。

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ホタルブクロ(カンパヌーラ・プンクタータ)。

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タチアオイとデルフィニウム・シネンシス。

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キツネノテブクロ(ジキタリス)。この花はイングランド湖水地方のベアトリクス・ポターの庭で見てから大好きになった。

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バスの窓から見てとても心惹かれていたレトロな商店街に行ってみた。団地に直結して昭和49年にできたもので、マミー商店街というらしい。
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ちょっとアメリカやヨーロッパの片田舎を思い出す雰囲気がある。
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きれいなオブジェのようになったゴミ置き場の壁のテープ。

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いろいろ種類のアジサイが咲き乱れている古い塾の建物。
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きょうは町中で様々な種類のアジサイを見た。最近のアジサイは八重や斑や覆輪の華やかなものも多く、100種類以上あるらしい。

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2018年5月29日 (火)

多摩川 アオサギ ノイバラ ウツギ(卯の花) / 右脚の怪我

5月27日

梅雨に入る前に、毎週、多摩川に行っては林の中を歩いている。

きょうは25℃の予報だったが、思ったより日差しが強く、私にはきつかった。

川に行く前に、駅前の「クーポール」というモンパルナスにある店(岡田史子の『ダンスパーティー』に出て来たのが印象深い)と同じ名前の店でビールを飲んだ。

日陰のない橋の上はぎらぎらで、木陰にはいるとほっとする。

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先週とは逆の川下のほうへ、林の中を歩けるところまで歩いてみる。ちょうどきれいな木漏れ日で斑になっている倒木。

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サンショウ(山椒)の樹。葉をちぎると香りはいいが、この樹にも棘がある。
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迫力のあるオブジェのような樹根。

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川下の林の細い道は、いくつかに分かれていたが、ある地点で途絶えていて、そこから先は手足を切るような草木で蔽われて進むことができなかった。

橋のたもとまで戻り、郷土博物館でトイレを借りた。

そこで、父が好きで全巻持っていた『大菩薩峠』(41巻未完)の作者、中里介山についてのビデオを見た。小説の主人公、机竜之介の虚無感、まさに父が好きなタイプの主人公だ。

4時を過ぎ、日差しも和らいでき、先週行った橋の川上の湿地のほうへ、また行ってみることにした。小さな木の橋を渡ったところで、すぐ近くにアオサギがいた。

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先週、カメラのISOボタンを誤って押してしまったせいで、画質が異常に荒くなってうまく撮影できていなかった場所。もう一度きれいな光で撮れて嬉しい。

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ここらへんの倒木の幹の得も言われぬ奇妙さは絵になる。
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スイカズラの花は銀から金に移り、日陰にほんの少し残っていた。キショウブはまだ咲いていた。

ノイバラが旺盛に繁茂してきていた。藪の中はよく目を凝らしながら歩かないと、ニセアカシア(ハリエンジュ)、ノイバラなど棘のある植物がいっぱいだ。

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去年のヤマイモの三角形のプロペラ状の種子がキラキラつややかに光ってきれい。
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川の向こう岸(中州)の枯れ蔓が傘のように絡まった樹のてっぺんにいたアオサギ。

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それから葦の原を押し分けて、隙間からの細い流れを、橋代わりの木ぎれや石の上をつたい上流へと渡ると、前に来た牛枠のあたりに出た。

ノイバラと「鏡の湖」(と私が呼んでいる水たまり)。
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ウツギと「鏡の湖」。
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夕日に光る一面のチガヤ。
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もう一度、先ほど来た細い流れの上を通って帰った。
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子どもの頃に読んだ『ムッドレのくびかざり』の、川を下る冒険のようでとてもわくわくする。
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堰の夕陽とアオサギ。きょうは何度もアオサギに会えた。

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5月29日

右脚の怪我の記録。

きょうは痛みも引いてきたので一週間ぶりにお風呂で湯舟につかった。

先週(5月20日の日曜)、動物園で、樹に登ったラテの表情を金網越しにカメラで追いかけていた時、振り返りざまに、檻の前に置いてあった大きな甕(土がいっぱいにはいって植物が植えてある)の縁に右脚の膝下を思いっきりぶつけてしまったのだ。

なぜかその甕は、縁がギザギザに割れているもの(発掘された土器のようなもの)だったので皮膚が破れて穴があいてしまい、けっこう出血していた。

びりびりと痛んだが、とりあえず事務所で絆創膏をもらい、せっかく遠くから来たので気にしないことにして川べりへと向かった。

川沿いの湿地帯で黴や苔の胞子をいっぱい浴びたせいか、そのあと傷が少し化膿したようで、月曜の朝には傷パワーパッドから漏れた血がシーツについていた。

傷の痛みは気にしないようにして火曜日には白州へ行った。

水曜、木曜には右脚の膝下が熱をもって傷がじんじんびりびり痛んだ。

金曜に医者に行って抗生物質をもらい、4日間飲んだら痛みがひいた。

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2018年5月13日 (日)

りんごが好きなソラ、倒木と枯れ蔓

5月12日

薄曇り。25℃。きょうもカメラをしょってラテたちに会いに出かけた。

きょうはラテ(男の子)は外に出たくないようで、早めに宿舎に入ってしまった。

3時頃になるとりんごをおねだりなのか、飼育員さんのほうに猛烈にアピールするソラ(女の子)。

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りんごをもらって上機嫌なソラ。
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ソラはとてもよく食べる。ラテよりも顔の毛が白っぽくて眉毛のような部分がはっきりしていず、ほんわかした顔。

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左耳が少し寝ているのが特徴。

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りんごを2切れいっぺんに持って食べようとしたソラ。1切れ床に落としたが、落としたりんごもちゃんと拾って食べました。

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多摩川へと歩く。

道すがら咲いていたヤクルマギク。ルドンの「グランブーケ」の花瓶の色。

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私がもっとも惹かれる情景、苔に覆われた倒木や絡まり合った蔓草を見つけた。

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スイカズラ(金銀花、忍冬、ハニーサクル)が満開。スイカズラはなぜかニセアカシアの樹が好きで、ニセアカシアにばかり絡んで高く枝をのぼっていた。
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森の中のそこここに私の大好きなスイカズラの香りが満ちていた。

幹から垂直に空に向かって何本も枝が伸びているのを見ると、ここに倒れてからかなり時を経ていることがわかる。

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この場所はまだまだハルジョオンが全盛だった。街中ではハルジョオン(春女苑)の細い花びらが乾いて茎も枯れかかって、ヒメジオン(姫紫苑)の花が満開になってきたのだが。
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もうひとつ満開だったのは白い野茨。棘がびっしりで手足を傷つける。

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最高に私の好きな蔓草の絡まった樹を見つけた。

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小さな沼が外国の風景のようだった。
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「牛枠の羽」というところ。

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「牛枠」とは牛を繋いだ枠ではなくて、古来からの川の水流の衝突部に設置して減勢、導流を行う設備。丸太材でつくり、牛のように見えるからそう呼ぶらしい。上の写真の上部、川べりに並んでいるこれ。

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この場所は地面が斜めに作られていた。

はるか遠くに来てしまったように感じさせる場所。ひとつの建物もない。人っ子一人いない。チガヤの白くツヤツヤした穂が光っていた。

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空と雲が映る水。
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2018年5月 7日 (月)

くるりんしっぽのラテ、多摩川

5月4日

昨晩雨が降ったあとの乾いた涼やかな空気。透明な風とひんやりした光にたまらなくなって1時間ほど電車に乗って出かけた。電車の窓から積乱となった雲が見えた。

小さな動物園。

食べるのに夢中なちっちゃなプレーリードッグ。

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人懐っこく、なんども近くに来て立ち上がるムツオビアルマジロのハナコ。

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真昼間の日差しに少しだるそうなミーアキャット。
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優しい眼をしたロバのアヤメちゃん。この子は頭をなでられるのが好きだそうで、たくさんなでた。
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そして一番長い時間、見つめ続けていたのはレッサーパンダのラテ。

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しっぽがくるりんと丸まっているのがラテのチャームポイントだ。

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ラテのふるまいや表情がちゃびに重なる。魂をわしづかみにされるあどけなさ。

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何度もすぐ近くまで来てくれた。ラテ、ありがとう。

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ラテの恋人のソラは、きょうは室内でお休み。

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樹皮が剥がれているとても魅力的な樹を発見。

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ホルスト・ヤンセンの「ニグロモンターヌス」の版画を思い起こさせる。ユーカリの類だとはわかったが、なんという樹なのかはっきりしなかった。

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帰宅してから調べたところ、ユーカリ(ユーカリプトス)の中のグロブルス ( Eucalyptus globlus ssp, globlus、ブルーガム)だとわかった。ユーカリは700を超える種類があるという。葉のかたちもいろいろだ。グロブルスは特に60m以上の大木に育つ種類だそうだ。

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劇的な雲を追いかけて多摩川べりまで歩いた。

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2018年1月13日 (土)

年末から新年

1月13日

昨年暮れから今までのこと。

次に出す本の作品撮影のため、12月28日に、カメラマンの糸井さんがスケッチブックをうちに取りに来てくれた。

近くのファミレスで本の概要や撮影についての希望を説明。

前のカメラマンさんの撮影データと合わせるための試作データが30日には送られて来、それから第2回補正、第3回補正と、色味や鉛筆の線の濃さの調整などのやりとりを正月中に、ずっとできていたのは、とてもありがたかった。

この仕事がなければ、なにひとつ充実しない淋しいお正月だった。

色味のニュアンスなど、感覚的なことを言葉で伝えるのはとても難しいのだが、糸井さんは軽妙で勉強熱心でコミュニケーションしやすいか人なので、彼のお人柄に感謝。

1月1日

福山家の菩提寺から年賀状が届いた!「謹んで新春のお慶びを申し上げます」に呆れて笑ってしまった。

昨年10月、母の火葬場まで若いお坊さんがお経を読みにいらしてくださったのに、そういう事実をちゃんと記録していないらしい。

(私が精神的に参っていたために)母の納骨を春頃まで待っていただきたいという電話をこちらからしないで、ずるずると年を越してしまった非礼を申し訳なく思っていたのだが、そんな気持ちも吹っ飛んでしまい、たいへん気が楽になった。

原宿で見たヤマガラ。

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素敵な枝ぶりの冬の樹。
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12月30日

話し合いのため、Y子のアパートへ。

2017年の年末も差し迫ってから、私にとって人生最大のストレスと言ってもいいほどの他人からの迷惑に対して闘わなければならない事件があった。

以前書いた、母の火葬の日に私の怒りが爆発してしまった件・・・知人H子が何十年も昔に私の父に保証人のハンコを押させていたH子の娘Y子の借金の件で、ついにY子に債権者側から裁判の準備段階として召喚される書類が届いたのだ。

(この顛末については詳細を後述する予定。)

世間一般のように仕事納めで解放される年末どころか、心身ともに酷使せずにはいられない年末となった。

疲労しすぎて帰宅前に駅前の居酒屋で休んだら、薬などのはいったポーチを席に忘れて来てしまった。翌日、店に電話したら感じよく対応してくれた。魚民さん、ありがとう。

・・。

2017年の年末は、大掃除も気力と体力の不充分によりできず、正月の準備、花飾りやおせちなどはなにひとつやらず。

マッサージと整骨にだけは通っていた。

新しい年の新鮮なまっさらになった喜びや、心身ともにひきしまる感じはなく・・・。

思えば母がパーキンソンの認知症になってから、おせちや雑煮など、もう10年以上食べたことがない。

私自身はおせちや雑煮に興味はないが、昔、毎年暮れに祖母が大釜で炊いていた煮物や、母の手作りのニシンの昆布巻きがたいそう嬉しかったことを思い出してしんみりした。

「一夜飾りはいけないのよ」と言って、28日までに千両や万両の赤い実に花を組み合わせた正月の生花を買っていた母。かいがいしく働きまわっていた母の姿を思い出す。

母がいなくなってから、私は正月のために花は買わない。

儀式などは関係なく、ただ、純粋に自分が描きたいという衝動が起きる花を見つけた時に買うだけ。

元日の朝、母のタンタンタン!と勢いよく階段を駆け上がって来る音を聞いた。ねぼけまなこの私を「知佐子!早く起きなさい!年賀状が来てるよ!」と起こしに来た母。

母が亡くなり、最愛のちゃびもいなくなった今、気ぜわしい色とりどりの年末や、真っ白に光り輝いて見えた元日の朝の光が、遠く鮮明な記憶の中だけのものになってしまった。

私にかつてそういうことがあったことが信じられないようにも、また同時に、失われてしまったことが信じられないようにも感じる。

まだどこかに強烈にあるのに、それをつかめない、全身で触れられない淋しさ、苦しさ。

初詣の時に、母とちゃびの健康と幸せを一心に願えないことが、どうしようもなく辛かった。

昨年、ちゃびが亡くなった11月の初めから、12月、私は人生で一番の危機に耐えた。動悸と悪夢、不眠が苦しかった。

眼の前は真っ暗、なにも楽しくなかったし、なにもやる気が起きなかった。

でも大切な相手を亡くした人は私だけではないはずだし、淋しい年末年始を過ごしている人も、この世にはたくさんいるだろう。

12月24日

図書館に行く細い道の途中にある寸断された樹。

頭にトタンのようなものがかぶせてあるのが気になる。

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曹洞宗鳳林寺にて。

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江戸時代からここにあるこれらの石仏にこめられた過去の出来事を思う。
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曹洞宗宿鳳山高円寺の白椿とメジロ。
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花の蜜を食べ、鴬色(渋い黄緑色)なのはメジロで、ウグイスではない。ウグイスは虫を食べ、地味な茶色で、花には来ない。
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2017年12月19日 (火)

森島章人さんから歌集刊行記念展へのお誘い  /  東中野、中野

12月16日

森島章人さんから丁寧に封書でお手紙が来ていた。

来年の2月から3月のいつかに、森島さんの歌集『あねもね・雨滴』刊行記念の展覧会をパラボリカでやるということ。そこに作品を出してくれないかとのこと。

私以外では、雑誌『夜想』の今野裕一さんが声をかけて作家さんたちを集めるそうだ。

森島さんの歌に喚起されるイメージでなにかできたらいいけれど・・・。

やる場所がパラボリカだということをふまえて、いつもの私とは違うやりかたでなにかやれたらいいのかもしれない、とも思う。

12月15日

遠くに住むデザイナーの友人、和美さんに、ちゃびが亡くなったことをなかなかメールで伝えられないでいた。

和美さんとは、何年もずっと、お互いの母親の介護のこと、猫の介護のこと、それらにまつわる悲喜こもごもをメールで会話していた。今までなんとかぎりぎりでがんばっていることを伝えてきたので、母が亡くなったことに続けて、ちゃびが亡くなったことを伝えることが辛かったのだ。

ひと月以上すぎて、メールで伝えると、

「たいへんなメールをいただきました。このメールが来るのをおそれていました。どんな慰めの言葉を書いていいのかわかりません。」という返事が来た。

和美さんも9年間で4匹の猫をみおくったが、「どの子たちもそれぞれが唯一の存在とはいえ、私の場合は他の猫たちがいることで救われているので、福山さんの心境はもっと深刻なものだろうと思います。」と。

美大時代の友人愛子ちゃんからも、「ちゃびさんは子供以上の存在なんだろうね。私は、飼ったことがなくてわからないんだけど、自分以上に愛おしい存在なんだろうなって。生きているからにはいつかはって思うと、ふっこがどうなるか凄く怖かった。」というメールが来た。

私がどれほどのダメージを受けるか、どれくらいおかしくなるかわかってくれていた友人がありがたかった。

12月12日

母のお世話になった施設へ最後の精算に行く。

駅からの階段を降りて道を渡ったところ、染物屋さんの工場の前にいつも寝ていた猫が亡くなったという貼り紙があり、花と食べ物が供えられていた。

14歳だったという。外猫にしてはすごく長生きだが、最期は交通事故だそうで、とても残念だ。

私が母の施設へ向かうこの横断歩道で、たまたま車道のほうへ出てきているこの子を、よいしょっと抱き上げて染物屋さんの前に運んでいる人を見かけていた。

地域の人に愛されていろんな名前で呼ばれていたらしい。

施設に着き、受付に行って、ケアマネのK島さんを待つ間に、母との思い出が溢れてきて、もう涙が出てきてしまった。

母が施設から病院に移る直前に買った介護用の室内履きや未使用の紙おむつなど、まだ新しくて使えるものをもらっていただいた。

最後の精算の書類に記入してからも涙。涙。

母とちゃびが死んでしまうことが怖くて、あまりに張りつめていた時が終わったが、少しも解放された感覚がなく、ただ悲しい。

そのあと友人と中野の裏道を歩く。

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駅前に2匹でつながれていた犬。とても人懐っこくて、しゃがんだら飛びついてきて、口をなめられた。けだもののぬくもりと匂い、息づかいが身体いっぱいになだれ込んで、たまらなくなる。

たまにこんなふうに往来につながれている犬に出会うが、「飼い主」は人目につくところにほっておいて心配じゃないのかと不思議だ。私なら、不安で、怖くて、とてもできない。しっぽや手足をカラーリングされているのも身体に悪いのじゃないかと心配。

少なくとも、カラーリングが、犬自身のためになること、犬の身体によいこと、犬にとって心地よいことにはなっていないのは確かだ。

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私は動物に対して「癒される」という言葉を使うことができない。相手に対して愛おしさと心配が激しすぎるからだ。「癒される」というのは、生きている存在に対して使う時、非常に手前勝手な収奪の言葉だと思う。そういう人間中心的な言葉遣いが嫌いだ。

鎧神社。オオミズアオの色の錆びた鉄の扉。薄青とチャコールグレーの混じった風景に酵公孫樹の山吹色が映えていた。

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昔の西新宿にあったような古いアパートと敷石。家の玄関までをコンクリートで固めないで、雑草が息をする土の上にこの石を置いただけの細い道が好きだ。

(この画像、何度やり直しても画像が勝手に横に倒れてしまうのでそのままにしてあります。)

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東中野のムーンロード。大きな塊のアーチになった羽衣ジャスミン。冬でも緑の葉が茂っている。4月にはここは白い花の香りでむせかえるだろう。

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懐かしい雰囲気の中野の仲道通り。「文化堂」というレコード屋も健在。20年くらい前に、この入り口にあった「めりけん吉田」というとても面白い看板の古道具屋でブリヂストンの中古自転車を買った。

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「新鮮 蔬菜」と書いてある八百政の看板。「蔬」というのはキノコという意味らしい。ここでも季節外れの丸葉朝顔の葉が青々と生い茂っている。東京では冬も完全な立ち枯れにはならない。

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2017年12月 4日 (月)

ちゃびへの恋しさが止まらない

12月3日(日)

ちゃびが死んでしまったことを、なかなか受け入れることができない。

理性的にはしかたないこととわかっているが、身体が勝手に反応している。

冷たい北風の中から帰宅してドアを開けたとたん、湿った暖かい空気に包まれ、「ちゃび、遅くなってごめんね!」と駆け寄って抱きしめようとすると、ちゃびがいない。

この部屋の湿り気のある柔らかくて暖かい空気はちゃびそのものだ。涙が噴き出てくる。

自分が寝ているふとんをめくったり、あるいはふとんの端が見えたりした瞬間に、そこにいっしょに寝ているちゃびの茶色くて丸いからだが見え、「ああ、ここにいたの。潰しちゃいそうだった。」と思う。

ほっとした2秒後に、ちゃびがいない、という現実に引き戻され、胸の真ん中の骨のあたりがズン!と打擲されたように痛くなる。

それからどくん、どくん、と骨が飛び出してくるような痛みの感覚とともに「嫌だ、嫌だ、耐えられない。」という言葉が繰り返される。

日に何度か聞こえるカサカサッという音に、ちゃびが私のところに近づいてくるいつもの足音だと思い、ふふっと嬉しくなる。

次の瞬間、ちゃびがいないことに目の前がぐにゃりと暗くなる。

夢の中で何度も、「ああ、ここにいたの。」とちゃびに会い、その数秒後には、「やっぱりいない。嘘でしょ?!」とうろたえる。夢の中でさえ泣いている私がいる。

うなされて眼が覚め、「はあ、はあ、」とまるでセリフのように出てしまっている自分の声を聴く。着ている綿シャツはぐっしょり汗で濡れている。

朝、目覚めた時がもっとも緊張が強く、首や肩の凝りからの頭痛や動悸が苦しくて、レキソタンを飲もうかと迷う。

朝一番に精神安定剤を飲んで依存するのが怖くて、とりあえず、ゆっくりお茶を飲んでみる。それからさまざまな用事をかたずけるが、緊張のための頭痛と肩凝りは収まらない。結局タイレノールを1錠飲み、それでも苦しくてたまらない時には、昼くらいにレキソタン1mgを飲む。

ちゃびがいつも水を飲みにきていたお風呂場。黴を落とすのに強力な洗剤を使いながら、「ちゃびに毒だから、ちゃびが入ってくるまでに洗い流さなきゃ。」と思う。その2秒後に、「ちゃびはもういない」という現実に、胸と頭ががん、と打ちのめされる。

ちゃびのトイレを置いていた場所では、足が引っかからないようによけて歩いてから、もうそこにトイレはないのだと気づかされ、「あっ」と驚く。

外出する時には、ちゃびが玄関の土間に出ないように、洗面所のドアを開けっぱなしにして、玄関への道をふさいでおいた。今も、出かけようとするたびに、洗面所のドアを開けっ放しにしようとしてしまう。

週に1、2回は行っていた店の前を通ると、「トイレの砂はまだあったっけ?」と、いつもの習いで店に寄ろうとしてしまう。そしてまたその2秒後に、「もうちゃびはいないんだ、トイレの砂も、K/Dも買う必要がないんだ。」と気づき、真っ暗になる。

二度と関係ない?この疎外感。この虚しさ。

スーパーでマグロのお刺身を見ても、中トロを買ってきて、ナイフで細かくたたき、レンジアレンを混ぜてから、ちゃびにあげていたことを思い出す。今はマグロの刺身を見るのも辛い。

ちゃびにあげたお刺身の余りを私が食べるのが嬉しかった。自分だけのためになら、もう二度とマグロのお刺身は買いたくない。

いたるところでちゃびのために買っていたもの、買おうと思っていたものに出会うたびに涙が止まらない。

ちゃびの医療費はそうとうかかっていたが、数字としてどのくらいなのかまったく考えなかった。自分のためには食費も暖房費もなるべく使いたくないと思う。

ショックで自分を虐めたくなっているということではない。ただ、自分に余計なものを与えること自体がストレスになるので、極力そぎ落としたい。

ちゃびが私に美しい景色を見せていてくれたのだろうか。ちゃびがいないと、すべてのものごとから魅惑が消えていってしまうのだろうか。

幼少期から、生家には犬や猫たちがいた。だから、一緒に暮らしていた最愛の動物との死別は、これが初めてではない。だが、このようなショック時の過ごし方に慣れるということはない。

最愛の犬、チロとの死別で、私は初めて心身ともにおかしくなった。小学校6年の時。それから何度も悲しい別れを体験し、そのたびに死ぬほど泣いた。

もう一度ちゃびに会えること、強い愛情関係が見つかることしか欲しいものはない。

2007年。10歳の時のちゃびと私(自撮り)。

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私の絵の具箱(高さ110cmくらいのクリアケース引き出し)の上がお気に入りだった。

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いつも私をじっと見ていて、眼が合っただけでゴロゴロいっていたちゃび。Sdh000031

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どんな接写も嫌がらずに私にカメラ目線をくれていたちゃび。
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11月30日(木)

静かな雨。乾いた北風でなかったせいか、それほど寒さは感じなかった。

週に2回、保険外のほぐしマッサージに通っている。通りいっぺんの保険内治療より、一番苦しいところを重点的にほぐしてもらえて効果があると感じる。

11月29日(水)

池袋の公園で猫たちを眺めた。

サラリーマンの男性が食べ物をあげていた。そのあと、その男性が猫を膝にのせながら煙草を吸っていたのが気になった。

どこにもちゃびに似た子はいなかった。

そのあと大塚駅まで歩く。

桜の紅葉はほとんど地面の上。柿色、檜扇色、紅玉色、葉脈の際は山吹色で、山吹色と山吹色に挟まれた部分が朱色の葉など。

大塚駅で都電を見た。線路際に揺れていた黄花コスモスの淡い色。この花がなければ殺風景な線路だ。

今度、この都電に乗って、母がまだ元気だった頃、父と一緒に行ったと言っていた都電荒川遊園に行ってみたいと思う。

11月28日(火)

午前中、E藤さんより電話。「今、すぐ近くに来ているので昼食を一緒にとらない?。」と誘われる。

高円寺の名代そば茶屋で昼間から熱燗。

E藤さんはまったく飲まない人だったが、娘さんの通夜から、お酒をほんの少しずつ飲むようになったという。

蕎麦は、私には汁の醤油が濃すぎて出汁のうまみが感じられず、まずかった。

E藤さんが私の母に会った最後は10年くらい前、西新宿の旧駒ケ峰病院の前で、父と一緒に歩いている母が「これから食事に行くの。」と嬉しそうに言っていたそうだ。

母が病気で外出できなくなる前、父と都内のいろんなところに食べ歩きに行っていたらしい。その当時、母はとても幸せだったと思いたい。

そのあと、E藤さんを送って、E藤さんの家まで行き、娘さんの祭壇にお線香をあげた。

娘さんがかわいがっていたという2匹の猫(外猫)が、ベランダから家の中をのぞいていた。とてもガタイのいい猫だ。ベランダの戸を開けたら、ぱっと逃げてしまった。

誰にも触らせない、と聞いて驚いた。昔、何度か野良猫の世話をしたことがあるが、たいてい1、2か月で慣れて、向こうからすり寄ってきて、ゴロゴロ言いながら私に抱かれるようになっていた。

触らせない猫だったことにがっかりした。撫でるのを楽しみにしていたのに。

E藤さんから「家にいるのがよくない。旅行にでも行ったほうがいい。」としきりに勧められた。夜にネットで、一応、東京から近い島の宿などを調べ、そこに行った自分を想像してみたが、気持ちははずまない。

やはり今、寒い中で遠出すること、時間とお金と体力を使うことを想像すると、さらに疲弊する気がする。

なにかやるべきこと、大切なことの本筋からずれてしまうような焦燥感がある。自分の仕事が遅れていることに対する自己嫌悪。

結局、自分が思うところのやるべき仕事が進むことでしか自分を支えることはできない。

今は、遅々とした歩みでも、仕事と家の中の整理をしていたほうが精神的にいいように思う。

ちゃびが亡くなってから、部屋の中にいるのが怖くて、無理やりにでも電車に乗って出かけたりしていたが、陽のある時間は近所を歩き、あとは家の中にいたほうが心身の回復のためにいいのかもしれない。

外に出て余計なストレスを受けることを避けるほうがいいと今は思う。

11月27日(月)

書道の日。「呈祥献瑞」。淡々とお手本を見ながら忠実に書いたが、正月のおめでたい言葉。

今は書くのが虚しい。

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2017年12月 2日 (土)

死別の苦しみ おばのこと

11月27日(月)

おばさん(母の弟の奥さん)から夜9時前に電話。(私が昼からずっと出かけていたので)「夜分遅くごめんなさい」と何度も言われる。(全然遅くないのに。)

私の送ったお花と手紙が着いたという。昨年亡くなった叔父(母の弟)と、それ以来ずっとふさぎこみがちなおばのために、私が送ったものだ。

お花について、「箱を開ける前からバラの香りがして、とても素敵だった。色合いもあなたが選んでくれたっていう感じがしたわ。」と言ってもらえた。

手紙についても、「あなたはすごい、本当の教養があるわ。胸がいっぱいになった。お義姉さんはよくあなたをここまで育て上げたわね。」と言ってくれた。

「ええっ?そんな。おばさんちの娘さん二人のほうがずっと優秀じゃないですか。」と返すと、おばは「あなたは謙遜するところも含めてすごいわ。」と言うのだった。

「そんなわけないですよ。おばさんちはどこから見ても理想の家庭だったじゃないですか。うちなんてすっごく雑で、酷い父親で。ほったらかし。」

それは正直な気持ちだった。でもおばは、「そんなことない。うちは・・・裏表があったんじゃない。」と言った。

「裏表」とまで言うということは、おばは、私にお世辞などではなく、本音を言っているのだ。

叔父が亡くなってからというもの、おばはよく、自分のことを「傲慢だった」と言う。そうまで言えるのはすごいと思う。昔のおばなら、感じはいいが、物事の上っ面をかすめるだけの中身のない会話に終始していたと思う。

おばは相当教育熱心だった。叔父もそうだったが、おばもまた、すごく細かいところまでしつけに厳しかった。

小学生だった頃、私は、叔父とおばの家に、母や妹といっしょによく遊びに行かせてもらっていた。ピアノや大きなステレオやソファーのあるハイクラスの家。

本棚には私が知らない外国作家の絵本などがあり、うらやましく思った。

それらと並んで、「やさしい女の子に育てる方法」といったタイトルの本があるのに私は驚いた。当時、いわゆる子育てのハウツー本のようなものは、それほど出まわってはいなかったと思う。こんな本まで読んでおばさんはがんばっているのか、と子どもながらに感心したのを覚えている。

田舎育ちで、食べていくために必死で働いていた私の母は、私に勉強やしつけに関して特になにも言わなかった。

私が育ったその頃の西新宿では、私のうちだけでなくまわりの家庭の多くが、やはり、食べていくのに精いっぱいで、子どもの教育などにそんなにかまっていられなかったように思う。私は子ども心にも、叔父の家は全然違う、と感じていた。

おばが今、苦しんでいるのは、元気でしっかりしていた叔父が急に亡くなったショックと同時に、(急なことで私は葬儀にもよばれなかったので、具体的な様子を見て知っているというわけではないが、)おばひとりが悲嘆にくれていて、娘二人が(冷淡とまでは言わないが、)悲しみに対して淡白だということもあるらしいのだ。

二人の娘にはそれぞれ家庭があり、子どももいて忙しく、おばはひとり取り残されたような気持になっているようだ。

「私が人に尽くすより自分のことが一番だったから、子供たちもそれを見ていて、人のことより自分が一番になった。でもお義姉さんは違う。だからあなたもお義姉さんに似て愛情が深い。」とおばは言う。

おばから見れば、私からずっと介護されていて、亡くなってからも恋慕われている私の母が、とても幸せに思えるのかもしれない。

しかし、違う観点から見れば、父親を亡くしても平常心を失わずマイペースで生きていく私の従妹たちのほうが、私よりずっとしっかりしていて頼もしいと言えるのではないか。

私は母の介護から解放されて自由になった、という気にまったくなれず、呆然とするくらい厭世的になっている。

元気な時の母の姿ばかりが思い出され、母の生命がこの世から消えたこと、激しくて一生懸命だった母と過ごした時間が過去になることが淋しくてたまらない。

母は必死で忙しく働いていたので、過保護だったとは思わないが、母の私に対する愛情が、私の心を弱くするほど、深すぎたのだろうか?

元気だった頃の母に、情熱的で、献身的で、働き者だった母に、子供の私が甘えすぎていたために、私はいまだ、精神的に自立できないのだろうか?

11月26日(日)

母とちゃびの喪失の悲しみが深すぎて、自分の感受性や認知力が衰えてしまうのではないか、それが怖くて、とにかく陽が暖かそうな日中は歩くようにしている。

色づいた樹々の下、東京国際フォーラムの大江戸骨董市を散歩。

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物を所有したいという欲望が無くなっている。ただ、古びた色、ところどころに欠損さえある、わずかにくずれかけた輪郭を見つけて、市の雰囲気を味わう。

Ooloo(私の大好きなGeorge StuddyのキャラクターBonzoの恋人猫)の人形に出会った。すごく珍しいもので48000円。

(BonzoとOolooのキャラクターに出会ったのは、もう20年以上も前、吉祥寺のLivesにあったアンティーク屋でだ。それから私はこの強烈で愛嬌のあるキャラクターに魅せられ、BonzoのSalt&Pepperを集めたり、ロンドンに行った時にはBonzo Annualの古本を買ったりした。

それもちゃびと出会う前の話だ。Bonzoの愛くるしさもちゃびの愛くるしさにはかなわない。)

そことは違う店だが、きれいな手編みレースや、陶器や、私の好きなシュタイフのぬいぐるみの隣に、本物の動物の骨(店によっては鳥の剥製まで)が置いてあるのに、すごく違和感がある。

以前行った多摩の骨董市で、「この骨、かわい~い。こういうちっちゃいの探してたんですよ!」と言っている若い女がいた。店員が「これ、かわいいですよね~。なかなかこういう小さいのはないんですよ~。」と応じているのを聞いて、ぞっとしたのを思い出した。

彼女たちには、動物の死体からとられた骨も、自分たちのための、おしゃれな飾り物としか見えない。

小さい骨は動物が幼くして死んだ、その亡き骸だという意識、はかなく短いその命を憐れむ感覚がない。

もしかしたら自然死ではなく、人間のおしゃれに利用するために殺されたかもしれない。たとえ自然死だったとしても、死体からとった骨を「かわいい~」という感覚に、私は激しい嫌悪しか持てない。

(肉食しないことはもちろん、私は普段の生活から革製品もなるべく遠ざけているが)、これはリアルファーとフェイクファーの区別が(感覚的に)つかない人と一緒なのだろう。

そのあと、ブリックスクエアを通り、丸の内のKITTEに入った。JPタワーで偶然、『植物画の黄金時代――英国キュー王立植物園の精華から』のポスターが目にとまり、これは私が見るべき展覧会だと思い、入った。

入場無料。

植物画と植物の標本(押し花のようなもの)が同時に展示してあり、興味深かった。

Franz Andreas Bauer(フランツ・アンドレアス・バウアー)の「ゴクラクチョウカ科ゴクラクチョウ属オーガスタ」(18世紀後半~19世紀前半)の、特に黄色ではなく白地に赤紫色がさしてあった絵に立ち止まる。

とても妖しくて胸がざわついた。

鬱に近い今の私でも、絵のよしあしははっきりわかった(少しほっとする)。

ポスターになっていたのはGeorg Dionysius Ehret(ゲオルク・デゥオニシウス・エーレト)のチューリップ。

植物画の特別展示のほかにも、学術文化総合ミュージアムの展示が並んでいたが、やはりそこでもたくさんの動物の骨を見るのが辛かったので、立ち止まることはなかった。

動物を愛することについてなにを、どう書くことができるか、今もちゃびに話しかけている。

11月25日(土)

晴れていたので、とにかく少しでも歩こうと吉祥寺に行ってみた。

中道通りを散歩。20年くらい前にコサージュを買った「カサギ」というお店がまだあった。笠置都さんというオーナーさんがコサージュをつくっているらしい。

中道通りの奥の蔦が絡まる古い「潤アパート」。

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三鷹まで歩く。

線路沿いに生産緑地があり、扇形に広がる雲がよく見えた。

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11月24日(金)

叔父を亡くしたショックでふさぎこんでいるおばを慰めるために、便箋3枚の手紙を書いた。

元気で真面目でしっかりしていて、男にしては心配性で、細かいところまで口うるさかった叔父。

「正江(私の母のこと。なぜか母の兄弟は互いを名前で呼び捨てにしていた。)のことをよろしく頼むよ。」といつも私に言っていた叔父。

(私は詳しいことは聞いていないけれど、おそらく)父の借金の時も援助してくれた叔父。

生前、母がたいへんお世話になったことは、叔父に対して、言葉に言い表せないほど感謝の気持ちでいっぱいであること。

いつまでも元気と思っていた叔父が急に亡くなったと聞いて、私も目の前が暗くなるほどショックだったこと、おばのショックは計り知れないだろうということ。

私の父は私を不安に追い込むことばかりをやる人だったが、しっかり者の叔父がいてくれて、叔父が母を思いやってくれていることが、ものすごく私の心の支えになっていたことを、思い知ったこと。

それらを手紙にして伝え、月曜に届くように花を送った。

花は薔薇を中心にクリーム色とアプリコット色のアレンジ。お供えにはとげのある薔薇はいけないそうだが、叔父が亡くなってからすでに1年半が経っており、目的はおばを慰めるためなので、あえて薔薇にした。

白っぽい花よりも温かみのある優しい色を選んだ。

11月21日(火)

詩人の阿部弘一先生に送る香典返しの品をさがしに、新宿のデパートへ。

高島屋、伊勢丹の贈答品売り場でお茶の銘柄を見てまわり、高級なお茶はどちらも同じ会社のものだった。「愛国製茶」という名前は嫌いな人は嫌いだろう、と思うのでやめた。

最後に小田急の地下に行ったら、阿部先生のお好きな椿の花の絵の意匠を凝らした箱入りのお茶があったので、それにした。

月曜(11月27日)に届くように指定して頼んだ。

新宿南口では、バスタの前のデッキをはじめ、そこここでイルミネーションがきらきらしていた。

クリスマスに向けた飾りつけを見ても、すごく淋しくて辛くなる。もともと人工的な華やかさをあまり楽しめない性質だが、今年はたまらなく淋しい。

かと言って、都会に灯りが乏しくなったら余計淋しく感じるのかもしれない。

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2017年11月26日 (日)

ちゃびのこと、猫(動物)の看取り、動物を愛するということ

11月22日(水)

お世話になった動物病院に未使用の輸液や薬を返却しに行く。

ちゃびが亡くなる前日に、まだ、すぐ亡くなるとは思っていなくて購入したものだ。

(亡くなると思っていなかった、ということを思い出すと、苦しくて発狂しそうになる。)

これから一生、猫と触れ合えない人生が考えられない、すごく苦しい、と快作先生に言ったら、今、病院のケージの中にいる治る見込みのない猫の看取りをやらないかとすすめられた。

野良猫で、悪性リンパ腫で、おそらく余命半年くらいで、絶えず下痢をしているキャラメルちゃん。外猫として世話をしていた人たちからも、誰の自宅でも飼えなくて、お金を払うから引き取ってほしい、と言われたという。

顔はちゃびとはまったく違うけれど、同じ茶トラなので、快作先生は私に引き取ってもらいたくて、「ね~、ちゃび。」とキャラメルちゃんに話しかけて見せたりしていた。

「温かい部屋にいて、近くに人がいて、テレビがついているような安心できる暮らしを死ぬ前に味あわせてやりたい」「看取りをしてくれる人がいたら、なによりも助かる」「預かってくれる人がいない」と快作先生に言われて、苦しすぎて、ただ涙が出た。

外猫(地域猫)で、食餌の世話をしていた人はいるが、病気までは面倒みきれなくて、ほっておかれて死んでしまっていたかもしれない猫で、とりあえず病院に連れて来てもらえて、病院のケージに入れられて、命拾いだけはした猫。

引き取って看取りをしてあげたいとは思う。しかし、今の私には、愛情を注ぐものがやせ衰えて死んでいく現実を受け止めて、全力で介護する覚悟とエネルギーがない。

心身共に、今の私の力では足りる気がしない。

やるからには全力で介護しないわけにはいかない。同時に、誰もそれをやりたがらないなら力不足でも誰かがやらないと、という気持ちもある。

それをやったら、私自身が精神崩壊しかねないのではないか、という懸念がある(実際はどうなるかはわからない。私は私自身が予測するより強いのか、弱いのかわからない)。

どうしたらいいのかわからない。ただ苦しくて涙が止まらない。

ちゃびと死別して、正直、自分の精神崩壊、うつやパニック障害になるのは嫌だ、とすごくおそれている。

私が愛情や思いやりを注げる相手が喪失した、その欠落に苦しんでいるのだ。

自堕落になる気もなく、サプリ(アスタキサンチン、ブルーベリー、タウリン、レシチンなど)を飲んだり、日がさしている時間帯にはとりあえず無理やりでも歩くようにしている。

街を歩いていても勝手に涙がこぼれる。酷く疲れた顔なので極力、人に会いたくない。

11月20日(月)

人生で一番悲しい時、自分自身がどういうふうに過ごして(生きて)いったらいいのか、また、人生で一番悲しい時の相手に、自分はどのように接していったらいいのか、どんな言葉をかけたらいいのか、そんなことばかりを考える毎日。

・・・

午前中、おばさん(私の母の弟の奥さん)に電話。数十年ぶりにA子ちゃん(母の妹の娘。つまり、私の従妹、おばさんにとってはやはり姪)と連絡がついたことを報告。

おばさんは叔父さんを亡くして1年と半年。まだなにもやる気が起きない、誰にも会いたくない、と言う。体重は40kgもないそうだ。月命日は毎回、おじさんのお参りに行っているという。

おばさんはうつだと言うが、話し方に快活で頭のよかった昔の感じはそのまま残っている。ただ、かすれて低い声の色が苦痛をものがたっている。話す内容が、もっと叔父にこうしてあげればよかった、という後悔ばかりになっている。

おばさんは私に「お義姉さんは、お義兄さんのことですごくたいへんなことがたくさんあっても、家族っていうものをつくっていく力があったと思う。」と言われ、「母があんなどうしようもない父に惚れたせいで、私にばっかりしわ寄せが来てますけどね。」と言ったら、

「知佐子ちゃんはものすごく苦しい時でも、それにうまく対応する能力がある。そういう大物感があるのよね。だって声から笑顔が浮かぶもの。」と言われた。

私は自分が心身ともに強いとはまったく思えないし、実際、心拍がおかしくなっているし、ほとんどうつの一歩手前だが、おばさんを慰めたいという気持ちだけはとてもある。

おばさんは叔父と本音をぶつけ合わなかったことを後悔していた。いろんなことを話さないうちに、「まるで交通事故のように」、すい臓がんの告知からすぐに別れになってしまったことをとても悔やんでいた。

癌性の脳梗塞が多発し、癌の治療が始まる前に会話できなくなってしまったことがものすごくショックだったのだ。

子どもに対して口うるさく言い過ぎたことも子育てに失敗した、とおばさんは言っていたが、同じように愛情を注がれても私と妹は全然違う性格になったのだから、親の育て方のせいとばかりは言い切れない。もともとの資質とか、わからないことは多い。

母は自分の感情を押し殺すタイプではなく、私にはヒステリックに言いたいことをぶつけてくることも多かった。母は働き者で忍耐強くもあったが、笑ったり、泣いたり、怒ったり、感情回路はストレートで激しかった。

母が元気で私が若い頃は激しく衝突することもあったが、思いっきりぶつかり合える関係は幸せだったのかな、と今は思う。

母は世間がうらやましがるような贅沢には興味がなくて、どんな環境でもその場で面白いことをさがして楽しめる人だったから、それだけは私にとって、すごくよかったのかな、と思う。

ちゃびが亡くなって、私もすごく精神的に辛すぎておかしい、とおばさんに話したら、「ペットロス」という言葉を使われ、すごく違和感があった。

ちゃびを「ペット」だと思ったことが一度もない。「子ども」「恋人」…、どういう言葉を使っていいのかわからない。ただ、狭い部屋にずっと一緒に暮らしていて、心身ともに激しく求めあう関係、お互いに相手のことはわかっている、理解していると思える存在だった。

おばさんは動物と一緒に暮らしたことがないそうなので、それ以上のことは言ってもしかたないと思った。

・・・

午後、ほぐし屋さんで、凝り固まった背中の筋肉をほぐしてもらう。

僧帽筋、脊柱起立筋も酷いが、菱形筋が特に凝り固まっている。

リンパの激しい痛みは治まったが、まだ乾いた咳があり、血の混じった痰が出る。洗える布製の抗ウイルスマスクをしている。

・・・

夕方5時に、生まれて初めて保護猫カフェに行ってみた。

正直、ちゃびと同じ「猫」という生きものとは思えない子たちばかりだった。「猫」ってこんなだっけ?と思うくらい、私が知っている「猫」とは違った。

成猫が皆、ちゃびの数倍もガタイがよくて、頭の大きさに対して体幹が大きすぎるのだ。

そして顔のバランスがものすごく違う。皆、顔がクサビ形で、鼻の筋が太くて長く、直線的だ。ピューマとかチータとかに近い雰囲気の子ばかりだった。

たまたま同じ兄弟の子が集まっているのかもしれないが、私にとっては「猫」というものが「ちゃび」とあまりに違うことに驚愕しかなかった。

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ちゃびのおでこから鼻にかけての柔らかな曲線が恋しくてたまらない。

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蠱惑的で甘えっ子だったちゃび。
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11月19日(日)

保護猫譲渡会に行ってみた。

眼に障害がある子、四肢欠損の子、どの子もかわいく、愛情を感じた。

けれど、当たり前だが、「ちゃび」はいなかった。

夜、すごく苦しい感情が堰を切って溢れだし、爆発してしまった。

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