動物

2017年5月18日 (木)

『デッサンの基本』 (ナツメ社) 第27刷 / 緘黙

5月15日

住宅街を歩くと、枯れかけたハゴロモジャスミンと、柑橘系(ザボンやミカン)の花の甘い香りと、薔薇の香りが風に混じっています。

『デッサンの基本』(ナツメ社)増刷、第27刷となりました。(本日、27刷目の本が、手元に届きました。)

購入してくださったかた、ありがとうございました。

どんなかたが『デッサンの基本』を手にとってくださったのだろう、といつも思いを巡らせています。

私が予想した人数をはるかに超えた人たちが、どこかで、この本をめくってくださっていることが、不思議でたまりません。

素描(デッサン)には、いろんなやりかたがあると思いますが、この『デッサンの基本』が、どこかで絵をかこうとするかたの、わずかなヒントやきっかけになれば、とても幸せです。

最近私が描いたもの。

4月3日の記事で写真を載せた、近所で思いがけずいただいた椿の花です。

http://chitaneko.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/index.html#entry-112790659

巨大輪椿(ツバキ)の素描着彩(デッサン)。

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フリージアの素描着彩(デッサン)。昔、フリージアと言えば、黄色と白のイメージでした。最近のフリージアの花色は多様。八重咲きも多く見られるようになりました。
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牡丹の素描着彩(デッサン)。散りかけの姿が美しいと思う。
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ちゃび(猫)の鉛筆素描(デッサン)。

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いつも私にくっついて眠るちゃび。
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「花」という言葉が花を覆い隠している

デッサンは花という言葉を剥ぎ取って

花という得体の知れない存在に近づこうとする

紙の上にワープして

花は「花」という言葉から自由になる

花が生きるように沈黙のうちに線も生きる

それがデッサンではないか

(谷川俊太郎さんが書いてくださった『デッサンの基本』の帯文です。)

5月は「緘黙(かんもく)」の啓発月間だそうです。

前にも書きましたが、私は対人緊張が強すぎて、幼稚園から高校くらいまで、家族やごく親しい友人とは話せても、大勢の前ではほとんど話せませんでした。そういうふうに(特定の関係を除いて、)人前で話せない状態を「場面緘黙」というのだそうです。

私は子供時代、自分の自分の思ったことや考え、好き嫌いなどが、周囲からおかしく思われるのではないか、変に思われるのではないか、とあれこれ考えすぎて、悩んでばかりいて、学校で表に出すことが恥ずかしくて、なかなかできなかったのです。

幼稚園や学校で自分の意思を表明したくてもできなかったせいで、また、理不尽なことを拒否できなかったせいで、たいへん苦しい経験が山ほどありました。

緘黙気質の人は、他の人が気づかないことに敏感に気づいたりすることも多いのですが、一方で傷つくことも人一倍激しい傾向にあるのではないでしょうか。

心の痛みや苦しさを、外に表すことができない(表したくてたまらないのに、なぜか拘束されたように、どうしてもできない)ので、身体の中にどんどん鬱屈したものがたまってしまいます。

(私の場合、無言の反発力があり、なんとか不登校にもならず、大人になってからも精神科に通ったことはありません。)

私は今も対人緊張の傾向はありますが、初対面の人に、自分から話しかけることもできます。

私は幼稚園に行く前から、絵を描くことと本を読むことは好きだったのですが、私自身の体験から言えば、そのことがどこかで「場面緘黙」の苦しみと闘うことと結びついているように思えます。

そして、私がすっと愛おしく思ってきた動物たちと植物が私をたすけてくれました。

ものをよく見て描くということは、その時にはおしゃべりはいらない、そのものがそれ自身から訴えかけてくる魅力を、おしゃべりをやめて静かに聴きとるということです。

言葉では表しきれない魅惑に、もっと接近すること、愛するものに寄り添って描いた時間が、絵になることは、それだけで自分を支えることになっているように思います。

自分が気になるものを、何回も、繰り返し描くのです。自分も変わり、相手も変わっていく、自分の描く絵も変わっていく。

また、私は、よく散歩をしては、気になるもの、面白いものを見つけ、そこに何度も通って、時間とともに移ろう様子を見たりします。

そのもののどういうところに自分が惹かれているのか、自分の感覚に注意しながら見て、記憶するのです。

そういうことを繰り返しているうちに、いつのまにか、自分の好きなもの、嫌いなもの、自分の意志を表明できるようになってきました。

緘黙に苦しむかたたちは、そのような自分の感じたこと、考えたことを絵や文章などにかきとめておくことは、生きていく上で、おそらくとてもよいことだと思います。

絵を描いている時の私は、しゃべれないのではなく、誰ともしゃべりたくないから、絵に集中したいからしゃべらない。そういう沈黙の時間を持つことによって、自分が本当にしゃべりたいときにしゃべれないこともなくなってきたように思います。

そのものをよく見れば見るほど、終わりのない、休めない、苦しいデッサン(素描)にはいっていくことになるにせよ、とりあえずそれによって、私はある意味では強くなっていったのです。

緘黙気質の人に大切なことは、その鬱屈によって押し潰されないようにやっていくこと、自分を生存のほうに向かわせる、それぞれのやりかたを見つけることで、これについては、参考になるかはわかりませんが、自分の経験から思うことを、これからも少しずつブログに書いていけたら、と思っています。

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2017年5月10日 (水)

ちゃびの定期健診 太田快作  猫 腎不全 否肉食

5月5日

ワクチン注射のため、ちゃびを動物病院に連れて行く。ついでに腎臓の(血液採取)検査。

腎不全の値は少し改善していた!

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体重も前回より少し増えていた!3.6kg。(すごく嬉しい)

うちのちゃびは、今年の6月か7月に20歳になる♀猫です。

最近はずっと1日おきに輸液(1回約160ml)、毎日、プロナミド1/2錠×2回(昼と晩)、ファモチジン1錠の1/5(昼)、ピモベハート1錠(晩)。

食事は、FKWにミヤリサンとデキストリンとレンジアレン、亜麻仁油またはえごま油少々を混ぜたものを70g~80gくらい給餌している。

私の体験からの、ごく個人的な見解だが、(無農薬)亜麻仁油、または(無農薬)えごま油を少々あげることによって、脳にもおなかにも良い影響があったような気がしている。あげていなかった時より便秘が改善し、運動能力も戻り、現在も,よく流し台の上にジャンプしている。

猫の腎不全に悩むかたの参考になれば幸いだ。

腎不全なので少し貧血気味(PCV 26.1)だが、まだ注射などはしなくていいと言われた。

また、爪の中にできた紫色の血豆のように見えるものは、垢がたまったようなものなので、痛くなく、心配しないでよいとのこと。

最近のちゃび。

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朝のちゃびと私(自撮り)
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朝、私が眼を開けると、至近距離で私の顔を見つめているちゃび。口と口がくっつくくらい間近にいる。

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給餌のときのちゃび(FKWが口のまわりについている)。
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無農薬カブの葉を食べるちゃび。
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5月1日

夕方、ちゃびの輸液と薬一式を買いに動物病院へ。

おとといの深夜、ちゃびが咳こんだことを相談。2年前くらいに、咳こむ時期があったが、最近はずっと咳はなかった。

「久しぶりに急に咳こんで1分くらい続いたので、窒息死したらどうしようって、どきどきして・・・」と言ったら、

「う~ん、犬は心臓悪いと咳するけど、猫はあんまりしないんだけどね。」

「窒息死とか、そういう死に方ってあります?」

「あんまり、そういう例は聞かないけどね。」(噎せた原因は、はっきりはわからないが、げっぷが出て、食べたものが咽喉のほうに戻って、一時的に噎せたのかもしれない、ということになった。)

「・・・俺も、きのう、ハナが咳してさあ・・・どきどきした。(笑)」と快作先生。

「高齢でしたっけ?」

「16歳。」

(ハナちゃんは、私はお目にかかったことはないが、快作先生のおうちのわんこだ。

先生のことを書いた本によると、彼女は快作先生が学生時代につくっていた「犬部」の頼れる部長さんで、ハナちゃんは子どもを産んだこともないのに奇跡的にお乳を出して、当時、ネグレクトされた犬の赤ちゃんたちにお乳を吸わせて命をたすけたりした立派なわんこだ。)

「うちの母が今、ちょうど窒息死が危険て言われてるんですよ。しょっちゅう施設から電話があって。(だから動物も歳とったら噎せて窒息死があるのか?と私は疑問に思ったのだ。)」

「まあ、しかたないよね。人間の場合は寿命以上に生きてるからね。」

母について、この「(死んでも)しかたないよね」を、他の人に言われたら、無神経だな、とかちんとくるのだろう。しかし、快作先生に言われたら、逆に、ほっとするというのか、肩の荷が下りる気がした。

快作先生は、強い動物愛と、とてもまねできない超絶的な精神と身体によって、殺処分されたり実験に使われたりするたくさんの動物たちの命を救ってきた人で、私は彼を尊敬しているからだ。

母の死を怖がり過ぎても、それは私にはどうしようもできないことであり、ただ緊張して苦しんで、無駄に消耗するだけなのだ、と素直に思えて、少し救われる気がした。

「人間はしかたないけど、動物の命は救いたいよね。」と言われて、「そうですね。」と笑うことができた。

「そう言えば友人の住んでいる地域で、野良猫にえさをあげたら10万円の罰金という回覧板が回ってきたそうなんですけど、そういう地域ってありますか?」と質問したら、

「今はそういう地域はない。逆に餌やりの人を妨害したらいけない、という方向に変わってきているはず。その地域、どこ?」と快作先生は、その場でネットで検索しながら、「本当に行政側がそう言ったのなら教えて。すぐに電話するから。」と言ってくれた。本当に頼もしい・・・

(その友人とは漫画家の花輪和一のことだ。)

話の流れで、「その友人の出身は秩父で、蚕と兎を育てて売るのが主な産業だったんですって。それ聞いて、えっ、ウサギを食べるために繁殖?って、ゲッてなって。」と言うと、

「フランス料理にあるからね。」と快作先生は苦笑い。

そして「あなたの場合は、まったく、動物の肉が人間の肉と同じに見えてるからね。」と核心をついたことを言われた。それで、私は、やはり快作先生はすごい、と感心し、また安心することができた。

私が、動物を食べられない理由が、人間と同じ肉を持つ生き物に見えていること(その感覚)を、重要だと認めてくれたのは、過去に市村弘正先生だけだ。

以前、市村弘正先生と『attention1』という雑誌で対談した時、話の中盤で、「私は肉が一切食べられないんですよ・・・肉屋に吊り下げられている肉がホロコーストに見えて・・・」と言ったら、「なんでそんな重要なことを最初に言わないんですか!」とおっしゃった。

私の身体感覚を理解してくださったことが私にはとても嬉しかった。

市村弘正先生は、私のことを「ものすごく生き難い人。」と言ってくださった。そのあとに、すぐに続けて「僕もあなたほどではないけど生き難い」とおっしゃった。

快作先生も私のことを「この人は対人恐怖症だから。」と言ってくれたことがある。誰であれ、ほぼ初対面で、そういうことを直観的にわかってくれるなら、どんなにほっとするだろうか。

多くの人には、肉料理が動物を殺したものだということが意識できない。私にはむしろ、人間的な欲望や文化的慣習の覆い(保護膜)の剥がれたところにリアルが、逃れがたく見えてしまう。

「そう、私はものすごく緊張や不安が強くて、幼稚園から高校生くらいまで人前で話せなかったんですけど、最近、そういうのを『場面緘黙』と言うんだって知ったんですよ。」と快作先生に言ったら、先生は「かんもく?どういう字?」と言って、その場でネットで検索してくれた。

人前での酷い緊張や不安に怯えるようになったのは、私の場合は、父からの虐待のせいです、と言いつつ、

「昔、実家で飼っていた猫が、恐怖に怯えながら、二階の私の部屋までものすごい勢いで駆け込んで来て、ばたん、ばたんとのた打ち回っていたのが忘れられない。」と私は快作先生に言った。

父が猫のしっぽを洗濯ばさみではさんだせいだった。猫は、なにかに噛みつかれたと思い、びっくりして恐怖で必死に逃げていたのだ。怯えて全速力で走る猫を見て、父は面白がって笑っていた。

父が当時、子どもの私にやっていたのと同じこと、無力な相手を恐怖に怯えさせて楽しむことを、罪のない動物に対してもやっているのを目の当たりにして、怒りと憎悪で肩や胸がびりびり痺れるような感じがしたのを忘れられない。

「動物たちをたすける運動や、肉食しないことも、もっと発信していきたい、積極的に行動したいって思うんですけど、いろんなことを考えすぎて、対人緊張が強すぎて、ぱっぱと行動できない。どうして先生は怖がらずにできるんですか?」と聞いたら、

「俺も怖いけどね・・・(笑)」

「えっ、嘘。。。(笑)」

どんなに話が通じない(動物を虐待したり、殺すことに無感覚な)人が相手でも、相手も人間なのだから、何度も説得し、話し合えば、きっとわかってもらえる、よい方向に解決策が生まれる、これは変わらない快作先生の答えだ。その信念は強い。

傷つくことや、失敗があったとしても快作先生に言わせると「それならそれでしかたないよね。」ということだ。

確かに、この覚悟ができれば、いろいろなことにもっと積極的になれるのに、とは思う。しかし私は長くひきずり、苦しむ性格だ。

たとえば、どこか動物愛護の団体と関わって、啓発のためとはいえ、残酷な動物虐殺や虐待の画像がメールで送信されてきたりすると、私にはショックすぎて、身体的におかしくなるので、耐えられないのだ。

だから、動物愛護をしている人たちと、どこかでゆるく繋がっているという意識を持ちながら、(非常に微力な)できる範囲でしか、どうしても活動できない。

私は、いい大人になってもまだ、なににつけてもうまくバリアを張れないでいる。

情熱的で、時に破滅的なまでにのめりこんでしまう性質のくせに、超過敏で、人が当たり前に楽しくやっていることに、非常に違和を感じたり、激しく傷ついたりすることが多い。

生まれた時から私をたすけてくれた動物たちに、少しでも愛情を返したいとは思っている。

自分の弱さを踏まえて、動物たちの命のために何ができるか、どういうふうに関わったらいいか、いつも考えている。

「私は大人しく見られるせいか、ストーカー的な人にしつこく絡まれる確率が高くて怖い」と言ったら、

「そういう人を惹きつける要素があるんだろうね。そういう人は気持ち悪いことさえ我慢すればいいんだから。うまく仲良くしてお金を搾り取って動物のために使えば。(笑)」

「気持ち悪いことって一番我慢できないことじゃないですか。無理ですよ。(笑)」

私は聞き上手と思われ、心の病の傾向の人に依存されて困ることが過去によくあった、と言ったら、快作先生は、

「カウンセラーをやってお金とればいい。30分5000円くらいで。そのお金を動物たちのために使えばいい。(笑)」と言う。

私が人前で緊張したり不安を感じたりするのが、自分になにか特性があるためだとしたら、それを生かせるやりかたを見つけたい、と心から思う。

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2017年4月27日 (木)

クロアゲハ 菫 牡丹  母のこと

4月23日

17日にも、母が夕方から熱を出したと施設から電話があり、心臓がどきどきしたが、座薬により、次の日には熱が下がったとのことで、またもたすけていただいた。

去年と同じように牡丹を見せに、母を近くのお寺に連れていきたいと思い、おとといぐらいから、母の体調を施設に問い合わせていた。

今朝、副施設長から、「最近は痰がらみが多いのと、夕方に熱を出すので、朝10時前に短い時間なら外出可能」という電話をいただいた。

皆が一番恐れていることは、痰がらみ(おそらく、パーキンソンで喉の筋肉がこわばっていることも原因のひとつ)で窒息することで、私もそれが怖かった。

母本人が、外出したいと私に言っているわけではないので、無理して連れ出しても、私の自己満足のために、危険が増すだけかもしれないと思い、車椅子で連れ出すのを諦めた。

夕方に、去年、母と行った寺に寄ってから、母に会いに行った。

去年と同じ場所に咲く、濃い紫の花で尖った葉のスミレ。私も母も大好きな花。

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お寺の牡丹は黄色い花のほかは満開だった。

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去年も魅せられた珍しい斑の牡丹。
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ふくよかで甘い薄紫の牡丹。

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母は、最近、傾眠と喉のこわばりが強くなってきて、食べられる量が減ってきている。

高齢で、パーキンソンで、もうそんなに長く生きられないことは自然なことで、肉親との別離も、たぶん親との別れの経験が幼少期だったりして、思い出せないような人もいるので、誰にでもあることなのだが、母が死ぬのが怖くて、胸が締め付けられ、身体が震えるような感じがする。

私は親しい人の死に、ものすごく苦しむ。そういうことにすごく弱い。

他人の感じ方を私が把握できるわけではないので、私が特に激しいとはいえないのかもしれないが、大切な人の死を知った時や、お葬式などの場面で、私は泣き過ぎて吐いたり、全身が痛くて、苦しすぎて卒倒しそうになったことが何度かある。

悲しみが強い身体的苦痛になり、全身がおかしくなるのだ。

感情の奔流にのまれやすいのだと思う。母もそういうところがあった。母もすごく涙もろかった。

母に認知症が少しずつ出てきて、介護するようになってから、ある日、母をショートステイに送って行くタクシーの中で、母がふとしゃべった。

「親が決めた結婚相手がいたのよ。近所の真面目な大工の人。その人と一緒に東京に出されたの。でも好きな人ができて飛び出したの。夜、鞄一つ持って、新橋の駅で。」と。

情熱的で激しいところが、私は母に似たのだ。

それにしても、田舎育ちで地味で生真面目な母が、駆け落ちまでして惚れた相手が、一見、ものをよく心得た優男だが、実は異常なほどわがままで、ギャンブル依存で浪費家で、母や私を殴る蹴るしていた父だ。

今になっても、父のようなろくでもない男に母が惚れないでくれていたら、と思うこともしばしばだ。

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東中野から中野まで、線路沿いの道を歩く。去年の立ち枯れの植物が私は好きだ。たくさんのことを思い起こさせてくれる。
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アスファルトの割れ目から、旺盛なタンポポ。
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そしてすごく美しいものが静かにそこにいた。

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クロアゲハ。弱っているのだろう。けれどストローのように伸びた口はしっかりタンポポの花の中に突き刺さっていた。
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ほとんど緑にかわった桜。まだ花びらが舞っていた。

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夕焼けに向かって錆びた線路が伸びていた。子どもの頃、無性に遠くに行きたかった気持ちがよみがえる。

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空地へと続くハルジオンの咲く細い道。なにか未知のものがひそんでいそうな片隅の風景。

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4月22日

西新宿で私の幼少期から母と親しくしてくださっていた遠藤さんの絵手紙の展示を見に、新宿中央公園のギャラリーへ。

遠藤さんの米寿を祝う絵手紙「新宿花の会」のかたたちの作品。

「新宿花の会の頼れるお母さん いくつになっても向上心持ちつづけている貴女のように年を重ねたい」「どなたにも気づかいが半端ではない人」などという言葉が贈られている。

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遠藤さんの日美絵画受賞作品(於国立新美術館)

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遠藤さんは、本当に米寿とは信じられないほどお若くて(実年齢より20歳くらい若く見える)、とても頭の回転が速くて、温かくて、聞き上手で、素晴らしい人だ。少しも押し付けがましくなく、相手の心によりそってくださる。私よりずっとエネルギッシュなかただ。

私の母とはもう会話ができない状態なので、遠藤さんを、もうひとりの心の母のように思っている。ずっとお元気でいてほしい。

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2016年12月15日 (木)

急性アトピーが一晩で治った ベジタリアンについて / 銀杏と黄カラスウリ

12月15日

顔のかぶれ(急性アトピーの炎症?)がプロトピックで酷くなったこと、それが食べ物で一晩で治ったこと。

私はもともアレルギー体質ではなく、花粉症の薬も飲んだことがない。

若い頃は「肌理が細かく白い肌」と言われていた。思春期でも皮脂過剰になったことがなく、ニキビができたこともなく、特にケアも気にしていなかった。

最近は、ほこりや紫外線で湿疹ができるので注意している。注射のあとのアルコール綿などにもかぶれる。

去年くらいから、顔がひりひり痛くなったり、ところどころ赤くかぶれたように痒くなることが多い。もともと(皮膚科の先生にも驚かれるほどに)皮膚が薄いのが、加齢のためにさらに乾燥が進み、バリア機能が弱くなったのが原因だと思っている。

最近も、瞼や頬がところどころ少し赤くて痒かったので、痒いところにロコイドを塗って、オロパタジンを朝晩飲んでいたのだが、特によくならなかった。

痒みが強くなったので12月9日に皮膚科に行った。「結構赤く出ていますね。」と言われる。「私の顔、肌理がなくなったビニール肌ってやつですか?」と聞くと「いや、かぶれて腫れてるだけだと思う。」とK・H先生(その日は院長でなく、若い男性の先生だった)。

「大人になってから食べ物のアレルギーになることは考えられますか?」と質問したら「痒みが出ているのが顔だけだから、食べ物ではないと思う。」と言われた。

「試しにロコイドから違う薬に替えてみますか。まずは幼児用の出しときましょう。」と出されたプロトピックを、夜、さっそく顔に塗ってみたら、たいへんなことになった。

プロトピックはステロイドではない抗炎症薬というので、すごく期待して塗ってみたら・・・真っ赤に腫れてものすごく痒くなり、顔中、掻きむしらないと我慢できない状態に!!!

すぐにお風呂で(100円の植物石鹸で)洗顔して落としてしまった。

とりあえず保湿し、オロパタジンを2錠飲んだ(すごく痒い時は一日4錠飲んでよいとK・H先生に言われている)。

その夜、ネットで調べまくり、脂肪酸(リノール酸とリノレン酸)のバランスと、ビタミンB類の不足で代謝しきれない過剰なたんぱく質が炎症の原因になるらしいことを知った。

私は、物心ついた頃(3歳くらい)からずっとぺスコベジタリアン(魚と卵と牛乳は食べるが、肉類は出汁も含め一切食べない)なので、たんぱく質の摂取量は少ない。

だが、ごく最近のたんぱく質過剰について、ものすごく思い当たることがあった。

ここ4~5日、いつもはまったく飲まないホエイプロテイン(ドラッグストアで買った一袋2000円くらいのココア味)を、朝晩、多めに、がばがば飲んだのだ。

飲んだ理由は、なかなか痛みが治らなくて辛い右上腕の筋膜断裂の負傷にプロテインが良いかもしれない、と軽く考えたことだった。

確かにプロテインを牛乳に溶いて、多めに飲んだ日くらいから、顔の赤味、痒みが増している。

12月9日の夜、いつもより大量の白菜と蕪(アブラナ科の野菜がよいと思う)に牡蠣を入れた玄米雑炊を食べて、ビタミンB(特にB6とB12)と葉酸のサプリを多めに飲み、えごま油(ちゃびのために買ったもの)を大匙一杯飲んだ。

すると、10日の朝には、顔がかゆくなく、なんと赤味もほとんど引いていた!今まで何か月もアレルギー反応で腫れていたのか、一夜にして顔全体のむくみもとれてきた。

今年の春先からずっと、時々顔がかぶれて、ロコイドを塗ってもかゆみがとれなくて悩ましかったのが、一気に治ってしまったのでびっくり。

あれから4、5日。塗薬もオロパタジンもやめてしまったが、痒くない。心なしか顔の皮膚がぴんとしてはりが戻っててきた。

調剤薬局で、薬剤師に、「プロトピックは、最初刺激が強くてぴりぴりするかもしれないけど、我慢して続けたらよくなりますから」と言われたが、独断で使用中止してよかったと思っている。

野菜と果物中心の食生活、ビタミンBのサプリとえごま油は続けている。

リノール酸過剰(によるアラキドン酸の過剰、エイコサノイドのバランスの崩れ)が非常にアトピーの炎症に悪いらしいが、かつてTVで、リノール酸を多く含むサフラワー油やグレープシード油は美容や健康に良いとさかんに言われていたような気がする。あれはなんだったのだろう。

最近の研究では、コレステロールを下げるよりも脂肪酸のバランスに気を付けたほうがいいらしい。

ちなみに私はもう20年くらい、調理にはオリーブオイル(オレイン酸を多く含む)しか使っていない。あとは最近、ちゃびのために、えごま油(または亜麻仁油)を買い始めただけ。家で摂るオイルはこの2種のみだ。

また外食する時以外は白米は食べない。家では古代米の黒米を入れて炊いた無農薬玄米のみ(玄米はけっこうな量をどんぶりで食べている)。

お酒は好きでよく飲むが、甘いものやスナック菓子は好きでないので、まったく食べない。ジャンクフードは一切食べないので、ほとんどトランス脂肪酸を摂取することはないと思う。

食事は、種類や品目はあまり多くなく、いたってシンプル。無農薬の玄米かパスタと4、5種類の野菜と果物。海藻、豆類、牛乳、チーズ、卵、魚介少々。

私がベジタリアンであることの理由は、動物を殺して食べることが嫌だからで、健康のためではない。たとえ健康に悪くても(実際にはあり得ないが、たとえば「肉を食べないと癌が悪化する」と言われたとしても)私は絶対に肉を食べることができない。

健康や美容のためのベジタリアンではないのだが、「肉を食べないせいで肌や髪がきれい」と人に思われたほうが、一匹でも動物の命を救うためにはよい、そう人に言われるように努力すべきだ、と最近考えるようになった。

右腕の怪我の電気治療に通っているところの治療師の先生に、「福山さんの頭皮は珍しい青ですね。大きく分けて頭皮は、赤い人と青い人がいるんですが、青い人のほうがすごく少なくて、青い人はたいてい皮膚や髪の毛がきれいなんですよ。」と言われて嬉しかった。

私の長い髪が(年齢のわりに)まったく痛んでいなくて真っ直ぐなこともほめられた。ちなみに安いシャンプーで洗っているだけでトリートメントも何もしていない。美容院にもほとんど行ったことがない。

ベジタリアンは、日本では非常に生きづらいのだが、海外では特にロックミュージシャンなどに、動物虐待にはっきりと反対しているベジタリアンの人が多い。尖ったパンクスの人にベジタリアンが多いのは非常に励まされる。

・・・・

青梅街道の銀杏並木の黄葉(もみち)。(12月7日曇り)

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(12月7日曇り)
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(12月9日晴れ)
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(12月9日晴れ)今年は絵画館前の銀杏並木を友人と見に行きたかったのだけど、友人が風邪をひいたので行くのをやめた。青梅街道の銀杏並木もきれい。
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黄烏瓜(キカラスウリ)。毎年、葉が完全に枯れ落ちてからしか見つけることのない黄烏瓜の実を、今年は黄葉から見つけた
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カラスウリの実は赤いので葉が青いうちから目立つが、キカラスウリは葉も実も黄色いので、実が目立たないのでしょう。キカラスウリの実は小さなマクワウリのようで、つるんとしておいしそう。
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枯れたセイタカアワダチソウと鮮やかな蔦のコントラスト。
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2016年11月19日 (土)

出版四賞パーティー

11月18日

今年もFと集英社出版四賞のパーティー(帝国ホテル)へ。

ストール、ブラウス、スカート コート、靴まで全部古着。

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今年もFが仕事で遅れて来たので、授賞式は最後のスピーチと受賞者の花束贈呈のところだけ出席。ぎりぎり間に合ったので掲載誌はもらうことができた。

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そしてビュッフェ。私はぺスコベジタリアンなので、毎年、魚介の前菜が楽しみ。特にウニとカニとアワビ。お寿司もおいしかった。
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テーブルに勝手に肉の皿を置いていかれるのを断固拒否。こちらの会話がとぎれさせられるし、食べ物をとる時も邪魔なので、いい加減にパーティーコンパニオンは廃止してほしい(学生時代には私もこのバイトをしていたけど、今はそういう時代じゃないと思う)。
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Fには席に座っていてもらって、私がちょこちょこと二人分の好きな食べ物を運んでくるのが楽しい。逆に私は人が食べ物をとってくれたりたり、取り分けてくれたりするのが嫌いだ。

Fも私も肉とお菓子を食べない。食べ物で相手に気をつかわなくていいことは私にとってすごく楽。
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Fと会うと、話すことがいっぱいあるので、いつも弾丸のようにしゃべっている。文章のこと、絵のこと、人との関わりの質のこと、動物との関わりの質のこと。

次の私の画集にのせる文章に関して、絵にあう(植物についてなどの)文章でなくても、自分の気持ちが一番のって書ける内容を書けばいい、とFは言ってくれた。

私は表面的で当たり障りのない話をしてくる人がすごく苦痛で、核心的な話しか興味がない。Fにはいきなり核心の話をできるので、私は無味乾燥な会話をしている焦燥にかられることがないので嬉しい。

いつも私がなにに全身を動かされているか、どんなことにすごく苦しむかについてFはよくわかってくれているので、なにを話しても、ちゃんと重みのある対応がかえってくる。

最近、心底思うことは、なにに夢中になるか、なにに嫌悪を感じるか、根源的なところで話が通じる人に出会えるのは奇跡だということ。

心が通じる人は数回会っただけで通じるし、通じない人は何十年つきあっても無理だ。

普段は着ることのないアンティークレースのブラウスを着たので記念撮影。
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夜も明るい日比谷花壇のウインドウの前で。日比谷公園では菊花祭りで、たくさんの屋台が出、混雑していてた。
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かわいい桜の花が狂い咲きしていた。ソメイヨシノではない。暖かい夜だったのでお濠のほうへ歩いた。
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お濠には二羽の白鳥がゆったり泳いでいた。暗くて写真には写らなかったが、闇の中に優雅な生き物がひそんでいたことにどきっとした。

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しーんとした夜の都会の水際はカメラを通して見ると余計に美しかった。

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柱頭がライトアップされている東京商工会議所の重厚な建物。
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納戸色の空と光が反射した銀杏と、車の入れない、人もいない空間がすごく幻想的で素敵だった。

毛利武彦先生の「首都風景」や「秋映」という絵を思い出す。銀杏が金色に光るこの時期に都会の風景がしんと静まりかえり、違和を感じるほど見知らぬ場所になる、このはっとするような変容に惹かれたのだろう。
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反対側に東京駅。幅の広い道路と冷たい空気。ドイツやイギリスに行ったときの感覚がよみがえる。高円寺の細いミクロコスモスの路地も大好きだが、都心の冷たい風景も好きだ。

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丸の内のライティングの通りの横を抜けて東京駅から帰宅。

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2016年11月 8日 (火)

太田快作先生講演会 飼い主のいない犬猫 殺処分ゼロにする方法

11月5日

ハナ動物病院院長、太田快作先生の講演(調布市環境政策課主催)を聞きに、調布市の市民プラザへ。(画像はすべてクリックで大きくなります)

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地域猫についてと、殺処分ゼロにするにはどうしたらいいかの話。以下、内容を聞き書きでまとめたもの。

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理想主義と言われようと、すべての猫が飼われてほしいと思っている。その前段階として、とりあえず地域猫とする。

野良猫を減らすためにTNR(Trap、Neuter、Return。猫を捕獲して不妊手術してもとの場所に戻す)をすることの実際の難しさを、行政がわかっていない。問題意識がない。

個人のレヴェルでは手におえない。

野良猫に子猫が多いのを見たら、すぐ誰もがTNRを、と思いつくまでの啓蒙が必要。振り込め詐欺と同じくらい行政は啓蒙してほしい。

◎不妊手術などの助成金は上限なしにするべき。

捨てられて運よく生き延び、怖い思いをしながら繁殖している猫は、誰の猫でもない。最初に捨てた人が責めを負うべきだが、それが無理なら、行政が責任もって事態に対処していかなければならないはずだ。

どうしてもそれを見過ごせない一般市民が全責任を負うのはおかしい。倒れた人をたすけた人がその後の治療費用まで負うのと同じ。

ボランティアは3Kの重労働。行政にとって、こんなありがたい人たちはいない。無料で教育もなしにやってくれている。本来は、交通費、謝礼までもあるべき。もしそんな人がいたら、行政が申し訳ないけど、とお願いすべきところ。

助成金に上限があると不妊が中途半端になり、また子猫が生まれ、結局、やっているふりになってしまう。

◎獣医が野良猫を診ないこと、手術代が高いことについて。

獣医師会は対応してくれない。獣医師は誰よりも専門知識があり、国家資格を持ち、動物を愛する人たちのおかげで飯を食っているのだから、社会的責任がある。

人間が動物を飼う文化があるかぎり、獣医師は動物の命についての協力は好き嫌い関係なくやるべき。

ボランティアさんが苦労や議論をすべきではない。行政と獣医師の責任。

◎殺処分をゼロにする方法。

平成27年の殺処分・・・犬と猫全部で8万匹。うち猫6万7千匹 うち8割が子猫。1日に200匹。10分に1匹。

不妊手術をしなければ、子猫は死ぬために生まれてきたようなことになってしまう。それはあまりにかわいそう。

殺したくないというのはボランティアをやっているかどうかと関係なく、人として当たり前の気持ち。

殺処分が去年より1万匹減少したのは、ひとえにボランティアさんたちのおかげ。

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○飼い犬の殺処分の8割は迷子。迷子とわかっていて処分される。

マイクロチップを法律で義務化すればよい。

○飼い犬の子犬の殺処分5千匹以上。

地方では不妊手術を知らない飼い主が多い。徹底的な啓蒙が必要。

○野犬

山口県周南市では野犬が増え、虐待が起きている。狂犬予防法により、捕獲したら放せない。近々現地に行ってTNRをしたい。議論を起こしたい。

(※周南市の野犬の事件について、私はこの快作先生のお話を聞いた時点で初めて知った。

帰宅してからネットで調べて見ると、本当に信じられないような野犬の大量虐殺が起きているようだ。聞いただけでショックで体調が悪くなり、怒りと嫌悪感で震えてしまうような動物虐待事件だ。

これについては少しでも拡散したほうがいいと思うのでリンクさせていただきます。

http://next.spotlight-media.jp/article/323850146902489446

周南市緑地公園の野犬を皆んなで守る会

https://www.facebook.com/Rykucicouen88/photos/a.543177579222627.1073741828.542340932639625/545252135681838/?type=3

市は巣穴を破壊し、餌やりを禁じて、犬たちを餓死させればいい、という、まったく罪のない命を軽視した、時代に逆行する野蛮な態度だ。一方虐待をしている人間は放置。

これに対して、快作先生がすごいのは、近々、現地に行ってTRNをするつもりだ、と明言したことだ。

TRNがすべての解決にはならないが、狂犬予防法に抵触してもやる、繁殖して虐待されないための一歩として、行動を起こすということだ。

後日(11月7日)、快作先生が現地に行くことをブログに書いていいのかを先生に確認すると、「隠すつもりはないから書いていい。問題提起をしたい。その行動に文句がある人は、自分の前に出てきてほしい。」と快作先生は言った。)

○飼い猫の殺処分は、1年で7千匹。各都道府県で月に10匹。

だめな飼い主のしりぬぐいをするのはおかしいが、TNRで減った分、里親探しをすればよい。

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◎見かた その1

飼育されている犬猫2千万匹超。寿命約14年。1年の殺処分8万匹。

新しく犬猫を飼う人のうち、17人に1人が捨て犬や捨て猫を飼えば、殺処分はゼロに!

実際は犬は30人に1人。猫は2人に1人。

そんなに簡単ではないが、猫はけっこういけるはず!

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◎見かた その2

8万匹を各都道府県に割ると1700匹。

年間、各都道府県が1700匹の里親探しを行えば、その年から殺処分ゼロに!

どこの動物病院でも、毎年8匹引き取ればよい。

費用は病院持ち。犬舎もあるし、専門知識や技術を持ったスタッフがいる。

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◎ボランティアさんへ。

いつも結果がともなうわけではないが、動物の神様はいつも見ている。

命が待っていることを思って、あと一歩の力をかしてほしい。

この社会が狂っている。いじめはだめ、と教えながら、最も弱者である動物の子どもをいじめて殺している。

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西山ゆう子獣医師が、アメリカはアニマルポリスをつくって素晴らしいと言っているが、2000万頭が300万頭に減っただけ。日本には法律もなく、ボランティアの気持ちだけで殺処分ゼロが見えてきたのはすごいこと。

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このあと休憩をはさんで質疑応答。

実際に傷ついた猫を保護して、たいへんな思いをされているかたの発言。行政への援助の要望や、捕獲の時期ややりかたなど快作先生への質問。

市へは、助成金が足りないこと、地域猫の世話について近所の住民に理解を求める説得を市の職員がやってほしいことなどの要望。

公園での地域猫のえさやりについて、

「ボランティアがやるのはおかしい。えさと掃除は公園の管理課がやればいい。えさ代、手術代、個人のボランティアがやって(負担して)あげている。なんとなくやってあげていると、人はどんどんそれが当たり前になってしまう。」

「助成金の予算に上限があるから(いわば行政のかわりにやってあげているボランティアが)下に見られる。これができない、これじゃ使えない、と市が嫌がるくらいに言ってください。無視すれば楽と思われたらだめ。無視すると楽じゃない、面倒くさいと思われるくらい言いまくると、行政は意外と変わる。」

と市の職員さんたちを前に言う快作先生。

超絶的な情熱と労力を、日々、動物の命を救うことに捧げている快作先生の、非常に具体的で明快な話で、素晴らしい講演会だった。

現場を知っているボランティアの人たちがたくさん来られていたようだ。本当は、こういう話をこれまでまったく聞いたことがないような若い人たちに、もっと聞かせたい話だ。快作先生は大学などでの講演も望んでいる。

私個人は、野生動物や産業動物について、命を救うにはどうしたらいいかの考えを太田快作先生にもっと聞いてみたい。

快作先生は不可能だと思われる現実を動かすための発想と行動力がある。彼の生き方は出口なしの憂鬱に希望を与えてくれる。

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初めて国領という駅に降りたので、講演後、少し散歩した。駅の周辺は古い建物はあまり残っていなかった。

西日に透けて光っている白い花がきれいだったので、撮影。白いコスモスかな、と思ったら秋明菊(シュウメイギク)だった。秋明菊は、キクではなくアネモネの仲間だ。

その下には淡い赤紫の小菊。端っこには夏の名残りのオレンジ色の百日草。

錆びた階段も、打ち捨てられた看板も、刈り取られて乾いた草も、私は好きだ。

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多摩川住宅の横の道。桜の紅葉が散っていた。きょうは比較的暖かかったので、私は左右非対称の変形サルエルパンツ。

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11月4日

『マンガで学ぶ動物倫理』(化学同人 伊勢田哲治:著 なつたか:マンガ)を読んでいた。

高校生がペット、肉食、動物実験、外来種、イルカ・クジラなど、動物たちの命の難問に挑むストーリー仕立てになっている。

頭で考えるとこうなる、という例。

動物の命が失われることに対するショックや、やむにやまれぬ身体感覚のようなものは、ほとんど描かれていないが、種差別についての疑問を提起するのに、まあわかりやすい本。

人間だけが人権という権利で守られる理由と根拠はなにか。

化粧品のような嗜好品のために動物実験をして動物を殺すことには反対意見が出てきているが、肉食も、やめても栄養に問題ないとしたら嗜好品と言えないか。

外来種は駆除してよいのか。そもそも外来種の定義とは江戸時代の日本の生態系についての言葉で、それが現代にあてはまるのか、などなど。

動物の権利についての考えは、イギリスが先んじていたということだが、ベンサムが功利主義の立場から動物の権利についても書いていたというのが、あらためて興味深いと思った。

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2016年10月26日 (水)

鵜飼哲さんと三浦半島の海岸へ 身体と思想について

10月22日

前から鵜飼哲さんと会う約束をしていたのだが、私の希望で三浦海岸へ貝拾いに行く。

12時45分に新宿で会い、湘南新宿ラインを横浜で京急に乗り換えて三浦半島へ。

行きの電車では、鵜飼さんが「シュルレアリスムの最後のアウラがある人」というアニー・ル・ブラン(Annie Le Brun)と会ったお話を聞く。

それから私は質問した。具体的な人名をあげてフェミニズムの話や日本会議の話、右翼、左翼、混沌としてなんとも判断がつきづらいニューウエイヴのことなど。しかし、私が質問のしかたを間違えてしまったのだろう。それらのことなど、私はどうでもよかったのだ。

私が聞きたいのは、思想の分化や分類の話ではなくではなく、それらの思想がそこから生まれるところの、というよりむしろ、思想が形を成す以前の身体感覚の話。

その人が自分の標榜している思想を裏切らない生き方をしているのか、などど問うべきでもない。

そうではなく、私はいつも、その人の身体はいかに思想そのものであるかを問いたいのだ。

瞬間ごとに変わる目の前の状況に対して、すぐれた舞踏のように、どのように臨機応変な態度をとれるか。

三崎口に着き、もう3時近かったので、体力と時間の温存のため、タクシーで行った。

鵜飼さんは貝拾いは初めてなので、私も貝の名に詳しくはないが、ごく基本の、よくある貝の名前などを教える。

これがタカラガイ、これがヘビガイ、これがヒオウギ、これがチリボタン、これがツノガイなど・・・。

あるわ、あるわ、タカラガイがうじゃうじゃ。私は生まれて初めてのすごい量のタカラガイに頭がくらっくらした。

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私はもう夢中になってしまって、しゃがみこみながら蟹のように移動したり、その場にじっと座りこんだまま、拾い続けたりした。

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「キャー!青い綺麗なガラス瓶、見つけたー!見てください、これ!」と私はすごく興奮。

私は同じ場所で拾い続け、気がつけば鵜飼さんはどんどん遠くに。

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貝をさがす鵜飼さん。

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どこらへんが穴場とかのなんの予備知識もなく、ただ来てみたのだが、岩場を超えてさらにすごい拾い物スポットにたどりつき、私は超興奮。

ふいに「これ、よかったらどうぞ。私、もうひとつ拾ったので。」の声に驚いて、見上げる。集中していたので、それまで周りにほかに人がいることも、その人が私のところに歩いてきていたことも、まったく気づかなかった。

先に来ていたらしい女性が私に、小さなピンクの巻貝をくださろうとしていた。「あ!ありがとうございます。」と応える。

わあ、珍しい薄桃色のベニフデガイじゃないですか!大きさ2cmほど。

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小学校低学年の頃の気持ちで、しゃにむにタカラガイばかり拾っていた私に、レアなものをくださる優しいかたがいるなんて感激。

「たくさん拾っちゃいましたけど・・・」と言うと「ふふっ。夢中になってきりがなくなっちゃいますよね。」と微笑されて、その女性は去っていった。ビーチコーミングについて、もっと言葉を交わせばよかったのに~、とすぐに後悔した。

しばらくして、鵜飼さんは疲れたのか、岩の上に座って、ぼうっと海や岩の上の鳥を眺めていたりしていた。

「子供は帰りましょう。大人は、子供の安全を守りましょう。」という5時を告げるアナウンスが浜に響き、急激に薄暗くなるころ・・・

「ギャー!オミナエシ~!うわ!またでっかいの~!うわ!キイロダカラ~~!!」と思わず大きな声をあげてしまう私。

そして、ほとんどものの詳細が見えなくなるくらい闇に包まれた浜を、もと来た駐車場に帰ろうとする時、平板な岩の上を普通に歩いて渡っていたのに、岩に海藻類が薄くついてぬるぬるしていて、つるっと滑って転んでしまった。

一瞬、なにが起こったかわからなかったが、尾てい骨のあたりが酷く痛くて、立ち上がるのもたいへんだった。

鵜飼さんがスマホを持っていたのでタクシーを呼んでくださったが、私ひとりだったら携帯も持っていないので、歩けないのにタクシーを呼ぶこともできないのだな、と思う。そのくらいなんにもないところ。

タクシーがやっとこさ来て、駅前のお店に行ってもらい、食事。強く打ちつけたせいか腰だけでなく脚や腕も痛くて力がはいらず、申し訳ないが鵜飼さんにサワーのグレープフルーツを絞っていただいた(打撲にお酒はよくないのだが、飲んでしまった)。

地元のお魚をいただく。三浦海岸の名物、メトイカや鮪、カワハギがおいしかった。

食事中も、帰りの電車の中でも、ずっと話していた。現代詩について。動物をテーマにしたアートについて。

些末なことをことさらに面白がるような表現や、浮薄な観念に造形を与えて解釈を迫るようなもの、動物の命を救うのでなく人間の側への収奪そのものである表現、すべてが私にとっては、もともとある身体感覚を無感覚にしろ、と強制されるようで激しい抑圧となること。

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本日の収穫。タカラガイばかりたくさん拾いすぎて未整理。

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青いガラス瓶と陶片とビーチグラス(とツノガイ)。
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いろいろなタカラガイと、赤いチリボタン、ヒオウギ、イモガイなど。
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きょう、とっても嬉しかったもの。左からベニフデガイ、オミナエシダカラ、キイロダカラ。
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2016年10月19日 (水)

ちゃびのこと 危機からの快復

10月19日

今朝7時すぎ、ちゃびの「うぎゃあ!うぎゃあ!」というゴロゴロ爆裂音で起きる。

日曜から、朝からずっと何時間もゴロゴロ言ってご機嫌になった。具合が悪い時には、爪とぎバリバリも、足で顎をかいたりもしなかったが、今は活動的。

私のひざの上に乗っかってきてはゴロにゃあ!とおしゃべり。

一週間くらい前に、すごく具合が悪くなり、もうだめかと思ったが、介護により元気に快復したちゃびの記録。

ちゃびがもうだめかと思った時は、私は生きた心地がしなくて、もう一度、ちゃびのゴロにゃあ!が聞けるなら、代わりになにを失ってもいいと思った。

今、ずっとゴロにゃあ!と言ってくれているちゃびが、奇跡のようで、胸がいっぱいだ。

ちゃびは現在、19歳と4か月だ。老猫の介護をされている人に、少しでもなんらかの参考になることがあれば、と具体的に書いておこうと思う。

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10月10日の祝日のことだ。

ちゃびが、すごく具合が悪くなって、食べ物のお皿に鼻をくっつけて食べたそうにしているのに食べられない、トイレに何回も行くのにうんこが出ない。

そう言えば「うぎゃあ!うぎゃあ!」とはげしく喜んでいた10月4日以来、ゴロゴロ言っていない。

11:15にプロナミド1/2錠、ぺリアクチン1/6錠をあげて、いつもなら食べていたのに食べないので、さらに12:30にセルシン(10mg)の1/6錠あげたが食べない。トイレとお皿の往復、何度もトイレに行って座り込んだり、食べ物のお皿に鼻をつけているが食べられないのを繰り返す。

13:30にさらにセルシン1/10錠(1mg)をあげたら3時に、腰がふらふらになって両足を開いた変な座り方をしながらk/dのカリカリと缶詰、ほんの少し食べ始めた。

夜21:20にセレニア。22:20に輸液170ml。23:10にピモベハート1/2錠。プロナミド1/2錠。23:50にセルシン。12時に亜麻仁油をシリンジであげた。

すごくぐったりしていて、顔つきがおかしい。

12:15~何度もトイレに行っては中に座り込む。

心配で頭がおかしくなりそうで、私は10日の夜は朝までよく眠れず、何度も全身びっしょりの汗でうなされて目覚めては、疲れた頭のまま、また寝た。頭と肩だけでなく、胸のほうの筋肉まで硬直して、ざわざわとした動悸と胸の痛みが苦しかった。

10月11日(火)

ハナ動物病院に連れて行った。

ちゃびの脚に針が刺されて採血されているあいだ、ちゃびの頭に口をつけながら涙が止まらなかった。私がちゃんとしていなかったせいで、腎不全の末期になってしまったのかと、検査結果が怖くてしかたなかった。

血液検査の結果、腎不全はBUN22.2(前回5月末は45.4)、CRE1.7(前回3.6)で、むしろ前回の半分の数値になるほど良くなっていた。

肝臓も心臓もすぐ危ないという数値ではなく、結局、脳神経だと言われ、とりあえず今すぐ絶望的な状態ではないと安堵する。

しかし、ふらふらして感情の反応がなくなってしまったちゃびに涙、涙。

夜10:40輸液170ml。

11:15からFKWを15回くらいに分けて少しずつ給餌。

10月12日(水)

6mlのシリンジが給餌に使いづらかったので、10mlのシリンジをもらいにハナへ。

給餌は初めてなので、ひと口にどのくらいの量まで入れていいのかを質問。

今まで投薬の時に私が勢いよく水を飲ませたせい、またきのう焦って亜麻仁油をシリンジで飲ませたりしたせいで肺炎になった可能性はあるのか、など聞いた。

血液検査の結果、炎症反応はないので肺炎にはなっていない、と先生に言われながらも涙、涙・・・。

嗚咽しているわけではなく、普通に会話はできるのだが、流れてくる涙と鼻水を止められなくて、しょっちゅうティッシュで眼を拭き、鼻をかみながら話していた。

急に悪くなったことが悲しくて。確かに今まで、何年も前に急に食べなくなって2日くらいで自然に治ったり、2年前に食べなくなった時も腎不全が原因ではないと言われた。

2:30から30分かけて、少しずつFKWをシリンジで給餌。計20gほど食べる。

3:45、ちゃびがカリカリのお皿の匂いをかいだ。かつおぶしとレンジアレンをほんのかすかにかけた部分を食べた。

夕方、また給餌。夜10時近く、少し元気になり、ふとんにはいってくる。

10月13日(木)

昼にFKW16mgほど給餌。深夜12時に家で初めての摘便。1.5cmほど。

深夜1:30までかけてFKWの残り全部を給餌。

10月14日(金)

朝7時、ちゃび、トイレに行くが出ない。私も飛び起きてネットでいろいろ調べる。

セルシンやぺリアクチンなど抗コリン薬や抗ヒスタミン薬は、消化管運動抑制作用がある、と書いてある。

プロナミド(セロトニン5-HT4受容体拮抗薬)は抗コリン薬投与の場合は投与間隔をあける、と。

抗コリン薬をやめてプロナミドとピモベハートだけにすること、今までの薬の飲ませかたが悪かったのではないかを相談しにハナへ。

快作先生は、ちゃびにやっていたセルシンやぺリアクチンはごく少量だからだいじょうぶ、また、プロナミドとぺリアクチンの投薬間隔をあけなかったことも、効かなくなることもあるということだからだいじょうぶ、と言う。

しかし、私としては、自分のやってきたことがよくなかったのではないかと、胸が痛くてたまらない。

プリンペランについて質問したら、プロナミドはプリンペランをさらに改良した薬というわけではなく、効果が違う薬で、猫にはプロナミドのほうが効くと言われている、とのこと。

とりあえず私の考えとして、投薬はプロナミド(消化管運動促進薬)とピモベハート(強心薬)のみにする。

3時、FKW20g給餌。この日、朝9:30に1.5cm、夜8時に3.5cmの太いうんこが出た。おしっこの出もまあまあ。

夜10:30から12:30くらいまで、数回に分けてFKWの残りを給餌。

10月15日(土)

昼1:50 プロナミド1/2、ピモベハート1/2。

2:30~3時 少しずつ何回かFKW給餌。

夕方4時すぎ、私がドーナツ座布団で寝ているちゃびに、「ちゃび~、ちゅっ、ちゅっ」と口をつけると「うにゅ~ん、うにゅ~ん、うにゅ~ん」と反応あり。

夜9時 プロナミド1/2、ピモベハート1/2。爪とぎの上で伸びをする。

9:20 輸液170ml。

10:30 うんこ5cm。

11:35 ついにドーナツ座布団でゴロゴロ爆発!

11:50~ 鮪のお刺身2切れ、叩いてミンチにしたもの、レンジアレン。FKW1パックの残り全部(シリンジで7本)給餌。

10月16日(日)

朝9時 うんこ12cm分くらいの軟便。

シャワーしておしり拭く。

9:47 私がうとうとしていたらうぎゃあ!うぎゃあ!とゴロゴロ爆発の声で起こされる。だっこして一緒に寝る。私に抱かれたまま、ずっとゴロゴロ。

1時 うんこ2.5cm。

4時 プロナミド1/2。

4:30  うんこ10cm。

8:50 プロナミド1/2、ピモベハート1。 

9:40~10:40 FKW1パックの残り全部、少しずつ(シリンジで7~8回)給餌。

10月17日(月)

朝8:20 ぐるにゃあ!ぐるにゃあ!の大きな声で起こされる。私の布団にはいって来て、またのあいだでゴロゴロ言いながら寝る。

10時 お勝手に寝転がっている。触ったらすぐにゴロゴロ。

11:40 ハナ動物病院にFKWをもらいに行くが品切れ。快作先生に、すごく元気になったと報告。「躁鬱だね。」と言われ、「本当に躁鬱?胃腸のせいじゃないの?」と言うと「わかんない。」と。やはり一緒に暮らしている者が観察して判断しないと、と思う。

12:48 PCをやっている私のひざに乗っかってきてゴロゴロ。

1:30 FKWシリンジ1本分。暴れる。

2:05 うんこ1cm。

夜9時 ドーナツで眠っていたところを触るとゴロゴロ爆発。

9:30 プロナミド1/2。ピモベハート1。

9:58 輸液170ml。

10:27 うんこ3cm。

10:40~11:40 ヒルズk/d缶 100gほど給餌。

10月18日(火)

朝9時 ごろにゃあ!ごろにゃあ!と爆発。私の布団にはいって来て、またのあいだでゴロゴロ言いながら寝る。

10時 うんこ5cm。

11:45 うんこ2.2cm。

12:58 うんこ2.5cm。ずっとゴロゴロ。

1:07 プロナミド1/2。

その後、ドーナツ座布団でゴロゴロ。私がトイレに行くと、ついて来てゴロゴロ。

2:45 ヒルズk/d缶8gほど給餌。元気になってきたので給餌を拒否して暴れる。

夜8時 うんこ2.5cm。

9時 プロナミド1/2、ピモベハート1。

9:30~11:50 ヒルズk/d缶をシリンジで何回も給餌。マグロ中トロ2切れ、サーモン1切れを細かくしてレンジアレンと混ぜたものを口に入れてやる。

11時 うんこ2.3cm。

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2016年9月12日 (月)

貝拾い(散牡丹 チリボタン) 

9月11日

少し涼しそうな雨もよいの日。鎌倉近辺に貝拾いに行く。

私は幼稚園児の頃からきれいな貝や石を黙々と拾うのが大好きだ。浜で拾いものを楽しむことを「ビーチコーミング」と言うらしいことを知ったのはつい最近。

新宿から午後2時30分ごろの電車に乗る。紫外線アレルギーで4月から顔がずっと痛いままなので、遅い出発。

「江ノ電のりおりくん」を買い、4時頃、由比ヶ浜に降りる。浜に歩く頃、雨が降り出して、少し身体が冷えてしまった。

昔から由比ヶ浜には桜貝(サクラガイ)が多い。浜に打ち上げられたたくさんの茶色い昆布に絡まったけっこうたくさんのサクラガイを見つけた。夢中で拾ううちに雨もやんだ。

カラスがやたらに集まっていて(30羽くらい)ギャアギャア鳴いていて、ちょっと怖かった。集まっているほうをよく見ると、砂浜に横幅が50cmくらいの白いエイが打ち上げられていて、それをつついていた。

また、由比ヶ浜ではたくさんの小さなチリボタンを見つけた。小さなタカラガイもけっこう拾った。

1時間ほど拾ってから江ノ電で移動。もう夕暮れなので、どこに降りるか迷ったが、一度も降りたことのない「腰越」に行ってみることにした。

腰越に降りて港のほうに歩いてみた。シラス漁で有名なところだ。(下の画像の緑の崖からでっぱった枝にトンビ)

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腰越港から江の島を望む。

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港の入口の左側が崖になっていて、地層の筋が美しい。

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この崖からでっぱった樹の裸の枝に、6羽くらいの大きな鳶(トンビ)がいた。その野生の美しさに胸を奪われた(画面右の枝に三羽、左上の枝に一羽、画面左下に一羽飛び立ったところです)。しばし鳶に見とれていた。
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漁師小屋から出てきたご婦人が「魚を待ってるのよ。」と言って小魚を地面にまいていた。

それから細い坂道を通って浜に降りた。スペインのフィゲラスに行った時のことを思い出した。観光地化されていない、うねって煤けた素晴らしい道。

この腰越の浜では、3cmもある大きいタカラガイを見つけた。ここではサクラガイはひとつも拾えなかった。チリボタンも大きいのばかり拾った。

遠くのオレンジ色の灯りのほかは華やかな色のない、青と菫と灰色の滲んだ夕暮れ。静かですごくいい。江ノ電の窓から眺めた藍色の空気も素敵だった。

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きょうの収穫。1cm以下のサクラガイなどは薄くて繊細すぎて、並べている時に割ってしまったりした。シーグラスはほんの少々しか見つからなかった(画面右下)。

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チリボタン(散牡丹 カキ目ウミギク科)とはよく名づけたものだ。鮮やかな赤や朱の花びらのような二枚貝。
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こちらも上と同じチリボタン。2枚貝の片方が厚く、膨らみが強く、細長いひしゃげたしずくのようなかたちで、もう片方は薄く丸い花弁のような扇型。
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1cm~2cmくらいの小さな貝殻たち。左の列はアズマニシキ?左から2列目の一番上はイタヤガイ。2番目はヒオウギ?

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左側の大きいタカラガイは腰越で、あとの小さいタカラガイはほとんど由比ヶ浜で拾った。

大きいタカラガイの左から3番目はナシジダカラ?小さいタカラガイの薄茶色のはチャイロキヌタ。右側の3列の黒紫色のはメダカラ?

(左下に2個置いたのはカキ?)。

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貝の分類と名前については少しずつ勉強中です。

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2016年8月31日 (水)

写真家、後藤真樹さんと打ち合わせ / 方南歌謡祭

8月25日

次の私の本のための絵の撮影について、写真家の後藤真樹さんと打ち合わせ。

特に箔をつかった作品について、なにを優先して撮影していただくか(銀箔のきれいな光の質感か、腐蝕部分の細かい線か、腐蝕部分の微妙な色か)、難しい問題がある。

また、写真をPCで調整しても、印刷物での再現は、それとはまったく違うノウハウになるそうだ。いろいろ想像して悩んでしまった。

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後藤さんは、座右宝刊行会代表として、書籍の執筆、編集、刊行も行っている。

座右宝刊行会という名称は、大正時代にさかのぼり、下のようないきさつがあるらしい。

(ホームページから引用します。)

「大正末期に作家・志賀直哉がコロタイプ印刷で作った自らの心眼に叶うものを集めた美術写真集「座右寶」を刊行する為に座右寶刊行會を創設しました。

大正15(1926)年に「座右寶」を刊行したのち、岡田三郎助氏の元で「時代裂」を刊行。その後、後藤眞太郎が引き継いで数々の文学書・美術書などを編集・出版。終戦の翌年、昭和21年には美術雑誌「座右寶」を創刊。

真太郎没後は、息子の後藤茂樹が引き継ぎ、美術全集の編集などを行い、日本の編集プロダクションの先駆けとなったが、1981年に解散。

現在の座右宝刊行会は、後藤眞太郎の孫にあたる写真家・後藤真樹が祖父と伯父の志のいくばくかを継ぎたいとして書籍の編集・出版を行っています。」

http://gotophoto.zauho.com/zauhopress/zauho.info.html

後藤さんとのご縁のきっかけは、私がハナ動物病院の待合室で、たまたま「座右宝」という薄い小冊子を見つけたことだ。

なんだろう?と読んでみたら快作先生の殺処分ゼロ運動のインタヴューと、高円寺ニャンダラーズ(猫レスキューのボランティアさんたち)のメンバーのかたの、福島での動物レスキューの現場体験を語る言葉がのっていた。

「福島被災猫レスキューの現場から」――西井えり(高円寺ニャンダラーズ)の全文は下のURLで読めます。

http://gotophoto.zauho.com/zauhopress/nishii-hisaineko.pdf

後藤さんは、たまたま被災猫の里親探しの活動に賛同し、譲渡会で出会った猫を引き取り、フクスケ(フクチン)と名付けた。

そして福島の警戒区域から保護された猫たちが、引きとった人々の元で幸せにくらしている姿をつづった物語つき写真集『おーい、フクチン! おまえさん、しあわせかい?――54匹の置き去りになった猫の物語』を刊行した。

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http://gotophoto.zauho.com/book/fukuchin.html

打ち合わせ中、フクチンは、うにゃ~お!うにゃ~お!と、すごく元気な声で、おしゃべりしてきていた。おなかがすいたみたい。フクチンは、ごはんをもらう前に、おすわりをして、お手!をする。

フクチンは福島で大けがをしたらしく、横隔膜が破れて内臓が肺を圧迫して呼吸ができなくて、内臓をもとに戻す大手術をしたそうだ。今は、そんなふうには全く見えないほど、元気だ。(ほかにアレルギー症状もあって、投薬によるコントロールが続いているそうだけど。)

後藤さんのお宅のまわりは、鬱蒼とした植物に囲まれていた。帰り道、コオロギたちが一斉に鳴いていた。もう秋だ。

8月27日

台風のせいで、雨がしとしと。その中、杉並区方南町の方南歌謡祭に行ってみた。

駅前の駐車場に、ステージカーが。その前に折りたたみ椅子をびっしり並べて、みんな雨合羽を着て座っていた。私は前から3番目の一番端っこの席。

熱心に見ているのは、70歳以上と思しき、元気なご高齢のかたが多いのにびっくり。駐車場の柵の外から、酔っぱらって大きな掛け声をかける男の人。柵によじ登る人。立ち見で煙草を吸っている人。全体的に、すごく自由というのか、無法地帯というのか、騒がしく、いなかっぽい雰囲気。

正直、高円寺の阿波踊りでは、考えられない感じだ。高円寺は、商店街の人の踊りが「芸能」まで高められているというのもあるが、観客も、もっと上品だ。

一番よかったのはフィンガー5の晃。歌もトークもすごくうまかった。

いきなり「・・・お祭りって、こんなんだっけ?」と。「なんか、すごく、いなかっぽいね。」とずばり。「すごい人だね。これ、お金とったらすごいけどね。タダだからね。」とも。

まずは「恋のダイヤル6700」。追っかけの人が10人くらい、最前列の真ん中に陣取っていてキャーッと黄色い(?)歓声。会場全体がすごい盛り上がり。「ここ、騒音対策、だいじょうぶ?俺、歌いながら帰ろうかと思っちゃった。」

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「個人授業」、晃の自作の沖縄ことばの歌も素晴らしかった。それから最後は「学園天国」。

彼はさすが、和製マイケル・ジャクソンとかつて言われただけのことはあって、歌唱から独自のソウルフルなものが伝わってくる。

(小学生にして、レコードデビューの時に、まわりの大人の耳がよくなくてつまらない、と言っていたらしい。)彼を見られたことは、とてもよかった。

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終わってから、方南通りを西永福まで歩いた。大宮八幡宮のあたりは人通りがなく、暗い湿った空気をふるわす虫の音がすごかった。

西永福の三崎丸で牡蠣のオイルづけや白子の天婦羅を食べ、生グレサワーを飲んだ。

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