動物

2025年1月 6日 (月)

ベジタリアンレストラン ミルクランドの思い出

1月4日

鼻の中の傷が痛いのを2日くらい我慢していたら、左の鼻の穴から出血。

内側のカサブタが取れたようで、圧迫してもなかなか止まらず、ティッシュが何枚も真っ赤になった。

鼻血なんて何十年ぶりだろう、とちょっと驚いた。

1月3日

朝、顔の浮腫が酷い。

昨日、うっかり蕎麦を食べて汁を全部飲んで塩分過多のせいかと思う。

のどの痛みは治まったが鼻の中の傷がなかなか治らない。

午前中に食べられたのは柿ひとつ。年末になにも買いだめしておかなかったのだが、特になにも食べたくない。

少しでも浮腫を改善するためには塩分を制御して水分とカリウム(野菜、果物など)を摂ることなのだが、買い物もめんどう。

USBメモリの中の昔の写真を見ていたら、代々木のミルクランドが恋しくなる。

動物の肉を食べたくない私のようなベジタリアンにとっては天国の食堂、ほっとする場所だった。

無農薬、無化学肥料のとれたて野菜のおかずが6品と味噌汁、ご飯は玄米、白米、ミックスの中から選べて、味噌汁とご飯はお変わり自由。

これで900円。さらに黒ゴマ有機納豆100円。生乳90%のオリジナルコーヒー牛乳100円もあった。

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先代の小寺ときさんは「10,000坪の農場「青空農園」を開き、無農薬・無化学肥料の農産物自給。消費者団体「グループ青空」代表。「みんなの牛乳勉強会」創設代表者。」(著書掲載のプロフィールより)

ドイツにパスチャライズド(低温殺菌)牛乳の勉強に行った時の写真が壁に貼ってあった記憶がある。

最初、ときさんが切り盛りしていた時は一つ一つの小鉢が料亭のように上品すぎて、少し物足りなかったのを覚えている。

息子さん(?)の代になって、盛りだくさんの田舎料理になり、大繁盛していたように思う。

芋の揚げ団子の味噌仕立てに大根おろしをのせたおかずがおいしかった。

そのほかもボリュームがあって、よくこんなにヴァリエーションがあると感心してしまうような、毎日いろんな種類の野菜のおかず。

たまに卵がのっている時は「卵を食べたくない人は申し出てください」とに書いてあったり、とにかく丁寧だった。

店の棚では栃木の農園で収穫した野菜なども売られていた。

1995年から25年間もあんなに素晴らしく贅沢な内容で営業していてくれたことは、あり得ないことだったんだなと思う。

コロナ渦の2020年に感染予防のために休業して、そのまま閉店になってしまった時は、ショックすぎてなかなか受け入れられなかった。

本当に随分お世話になった。

私がベジタリアンの食べ物屋で満足したのはミルクランドだけだ。

厳格なヴィーガンの人には、牛乳搾取は牛への虐待であり、不満だということはわかっているけれど。

とりあえず動物を殺した肉を使っていないという点で安心できて、とにかくおいしかった。

 

 

 

 

 

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2025年1月 4日 (土)

ちゃびとプフ

1月2日

喉の痛みが和らいできたと思ったら、鼻の奥に傷がついたらしく、鼻をかむと血の塊がでてくる。
鼻の奥から眼の奥のほうに、つんと痛みが走るとこめかみまで痛くなる。

生まれて初めて買った加湿器(小さめの水筒のようなポータブルタイプ)が届いたが、ミストがなかなかでてこず調子が悪い。

USBメモリに入れたままの昔の写真を見ていた。

16歳越えた頃のちゃび。

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やっぱり普通ではない。眼の大きさとかたち。

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ちゃびは20年近く、ずっと私と一緒にいてくれて、いつも私の枕の左端に頭を載せて眠ってくれた。

最期は介護となり、ちゃびのことが心配過ぎていろいろ苦しかった。あまりに好きすぎて、ちゃびを失ったことがショック過ぎて、今もうまく思い出せなくなっている。

今は夜寝る時、必ずプフが来てくれて、私の体の上で足踏みしてから、枕の左端に頭を載せて眠ってくれる。

3匹一緒にいるせいか、ちゃびほど私を常に追いかけてきたりしないけれど、寝ている時は思いっきり赤ちゃんになって甘えている。

ちゃびとタイプは違うが、やっぱりとびきりの美少女プフ。
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ちゃびも、ちゅびおやチョッピーも、まだ乳離れできていないヨチヨチの時から私が哺乳瓶でミルクを飲ませて育てた。

プフだけはミルクをあげていない。

外で生まれて、秋の雨の日に泥だらけで必死で泣いているところを保護されるまで、プフはひと月近くも過酷なサバイバルをしていた。かわいそうに。

同じ日に同じ親から生まれたチョッピーがミルクをいやいやしている赤ちゃんだった時に、プフはもう自立してカリカリを食べていた。

だからほかの3匹より少し警戒心が強いのかと思う。プフはあまり抱っこされない。寝ている時だけはべったり。

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(うちに来て2週間目くらいのプフ)

眠っているプフの額に頬をつけると、プフはそのまま動かない。くーっ、くーっと息の声がする。

眼を閉じたままゴロゴロ言い出し、腕を伸ばして私のからだに爪を立て、ふみふみとお乳をもむような仕草をする。

ちゃびはパイルヘアゴムをジャンプしてキャッチするのが好きだった。

パイルヘアゴムを咥えて私のところまで持って来て、私の前にポトリと落とし、「これやって」と催促した。
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プフもパイルヘアゴムキャッチが好き。これも不思議だ。

1月1日 雲一つない晴天

昼前から少し歩いてみようとJR駅の方へ。

古着屋が何軒か開いていた。さすが高円寺。

もう何十年も、自分にとって年末と正月ほど憂鬱な季節はないが、とにかく生きて歳を越せた。

家族団欒とか年中行事、目出度いとか、そういう雰囲気が苦手(自分とかけ離れていて)で具合悪くなってしまうのだが、季節の変化だけは生で感じる。

12月より明るくなった陽射し。

今、盛りの花は山茶花ばかり。花弁が白く長くてひねりのある種類が一番好きだ。

母を支えながら散歩していた時、山茶花を見ていたら、通りすがりの人に「これなんていう花なんですか?」と声をかけられたことを思い出す。

あれは谷川俊太郎さん宅の近くの塀だった。あの山茶花の木立ももう無い。

 

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2024年11月 1日 (金)

二匹展 2日目

10月31日(木)

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後ろの棚に展示してあるのは32枚の花輪和一さんの色紙です。

この日も花輪和一さんファンがたくさん訪れてくださいました。ありがとうございます!

どこで「二匹展」を知ってくださったのかお聞きすると面白い。

X(Twitter)が多いが、意外にも高円寺の何カ所か(古書店などなど)に貼らせていただいたチラシ(コピー)を散歩の途中で見た、というかたが・・。貼ってみるもんですねえ。

私は昨日に引き続き血行が悪く、からだが冷えてしまい、午後3時過ぎくらいから首肩の凝り、頭重、浮腫などに悩まされる。

だるくてだるくて、遠赤外線パックを腰にあてていても寒いし、体調は最悪とは言えないが元気はない。

今日、個人的に一番印象に残ったのは、夕方になって来てくれたWさん(私のマッサージをしてくれている人)だ。

Wさんは絵なんてほとんど見たことない、展覧会なんて行ったことがない人なのだが、何度か施術のためにうちに訪れてくれて、私の絵や写真を見るたびに「すごい!今まで知らなかった世界を見せてもらってる気がする!」と感動してくれる人。

Wさんは、玄関を入ってすぐにかけてあった私の暗くて渋い絵を見て、

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「すごい!と思った。あれを見てしまったら緊張して、あそこから廊下を通って中に入っていいのか、と思った。」と言った。

絵を見たことが無い人が、そこで衝撃を受けて立ち止まるタイプの絵ではない、と私本人は思っていたので、その発言にとても驚いた。

 

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もっと驚いたことは、Wさんは私の今回の展示の中で一番大きな絵を見て、
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「これすごい!」と言ってから。その絵の横に貼ってあった

「「動物を食べない」と私が言うと、「じゃあ植物は殺して食べていいの?」と反射的に返してくる人がいる。
私は「あなたは植物を切るように平気で生きた動物のからだを切ることができるのか?」と問いたいのだが。

だが死の恐怖や痛みを感じて身を震わし、泣き叫ぶ生命と、芽を切ってもさらに伸びたり、土の下の根から再生したりする植物の生命、ただそこに開かれてあり、種子を飛ばし、伸びるところまで伸び、眠る動物たちを覆って、風に揺らぐだけの生命とを同等に考えられないことは、本当は誰でもたぶん気づいている。」

という言葉を読んでいきなり涙をこぼしたことだ。

「・・・わっ・・ティッシュちょうだい。泣けてしまう。文章が上手すぎる。無駄がなくて、すごく胸に刺さる」と言ってWさんは泣いた。

wさんも動物の肉を食べられなくて、周りの人にいろいろ非難されたりするのが辛いと言っている人。

「この絵を見て、この文章を読むから余計泣けるのかもしれない」とWさんは言った。

私はそんな素直な反応をしてくれる人がまさかいるとは思ってもいなくて、Wさんが泣いてくれたことに泣きそうになった。

 ・・
「植物もやさしさを示したり、苦しみを味わったりする」と主張するのは、決して超えてはならない境界線を越えている。植物は苦しまない。
苦しみとは、個体としての生物によって「実際に経験されるもの」だ。
死とは、決して後戻りできない、絶対的で不可逆的な終末だ。
――フロランス・ビュルガ

・・

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「動物は他の動物を食べている。人間も人間以外の動物を犠牲にして生きるのが当たり前だ」と言う人がいる。
ライオンやトラが動物を食うのは本能だ。
肉食は単なる人間の文化にすぎない。動物を殺さない食文化もあり得るし、食べられない「本能」も私の中には確かにある。
・・

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〈動物のジェノサイド〉。〈これらのイマージュが「悲壮〔pathétiques〕」なのは、それらが悲壮にも、それこそパトスの、病理=感性的なも
の〔lepathologique〕の、苦痛の、憐れみの、そして共苦〔同情compassion〕の巨大な問いを開くからでもある〉。
            ――ジャック・デリダ 『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』より
・・

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〈先決的、かつ決定的な問いは、動物が、苦しむことができるかであるだろう〉という言葉をめぐって、語れる能力を持っていることを示すことではなくて、動物たち
の苦しみをどれだけ〈共に〉苦しむことが〈できる〉のか、どうしたらその苦しみを〈限界の周りで、限界によって〉〈養い〉、〈生成し、育成し、複雑にできる〉のか
ということだろう。」
——福山知佐子 「応鳴、息の犇めき——ジャック・デリダの動物論に寄せて」より
・・

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私は切断された植物のあいまいな生と死の瞬間を開く。

だが、植物に動物のような感情や痛みがあるとは思わないし、決して植物を擬人化したくはない。

私にはかつて生きていた動物の死骸の一部を展示するようなアートも収奪(動物の虐殺への加担)だと感じられる。

過剰な感覚身体で誰も見ようともしない遺棄されたものによりそい、誰も見ることのできないものを体験し、共通言語から遁れさる「パトスの、

病理=感性的なもの〔lepathologique〕の、苦痛の、憐れみの、そして共苦〔同情compassion〕」を証言することが私の絵の仕事だと思っている。

 

 

 

 

 

 

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2024年5月 1日 (水)

レットヴィモ再開 / 動物愛

4月30日(火)

今朝からレットヴィモ240㎎(朝と夕に40㎎×3)に減薬で再開。

金曜にがんセンターに行ってから今日まで、貴重な断薬の時間は極力、仕事に集中したくてそうしてきた。

ただ漫然と楽しくは描けない。頭が回転して新しいアイディアが出なければ制作にならない。

アイディアが出ない時は、今できる仕事を進める。

たとえば気に入らないところを潰したり、パネルの下張りをしたり。

制作している時は空腹も感じないが、制作を中断すると強い空腹感と同時にどっと疲労が押し寄せてくる。

以前より集中の時間が長く続かないのは、年齢のせいもあるが、レットヴィモを飲んでいる期間、頭の回転を止められているような癖が脳についてしまっているのかな、と思う。

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チョッピ―と。


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川沿いで摘んできたハルジオン、シロツメクサ、タンポポ

4月26日(金)

国立がん研究センター中央病院で採血、採尿。

診察を待つ間、待合の機械で血圧を測ると、119-69と本来の私の血圧に戻っていたので嬉しかった。服薬中は130~140-85くらい。160-90くらいが出ることもあった。

4月16日の採血での血液検査の結果、肝臓の値はそこそこ下がっていたので、レットヴィモを240㎎に減薬して再開すること、本日からでなく4月30日の火曜からでもいいと言われたのでそうすることになった。

肝心のサイログロブリンの値は、飲み始める前に2200くらいだったのが700に下がっていた。

飲み続ければもっと下がるとのこと。

血圧を下げる薬アジルサルダンが出た。薬局では頭重感は血圧と関係あるかもしれないと言われ、そうであればいいのだけど。

火曜までの時間が思いがけない贈り物のように思えた。この時間を大切にしたい。

・・

帰りに駅に向かう途中、築地本願寺の前の歩道の街路樹側にたくさんのポスターパネルが並べてあった。

なんだろう、と見ると、苦しむ動物たちの残虐な写真(死体もあったと思う)やショッキングなイラスト。

動物を救うための標語のような言葉が添えてある。つまり動物愛護の運動。

耐えがたくて絵面をじっくり見ることはできなかったが、言いたいことは一瞬で伝わった。

犬猫の保護は一般的に伝わりやすいが、畜産動物、産業動物について訴えるにはいろいろな意味でもっと勇気が必要だ。

「屠殺場がなくならない限り、戦場もなくならない。」トルストイ

「この世において、一番凶暴な凶器はフォークである。」マハトマ・ガンジー

50枚くらい並べてあったろうか、近くには関係者らしき外国人の金髪の女性がひとりいた。

もう少しソフトなやりかたでないと、誰からも見てもらえないのではないかと心配するくらい、観光地には不釣り合い。

私自身は動物を殺すのが嫌なので肉食はしない。革製品もファーも買わない。

世の中には犬や猫に愛情を注いでいる人は多いが、牛や豚や羊や鳥も、犬や猫と同じように苦しむと意識できる人は少ない。

食肉がもとは生きた動物だったと意識できる人も少ない。

それは人間中心主義の文化や慣習に培われた観念に骨の髄まで浸っていて、現実の感覚が麻痺しているからだ。

何人かのベジタリアンの友人に聞くと、皆、若い頃は普通に肉食していて、ある時にふと動物を殺してその死体を食べている残虐さに気づいて肉食できなくなったそうだが、そのきっかけは人それぞれだ。

菜食の人はすごいと思うが、私は菜食「主義」はあまり好きではない。

あくまで感覚によりたい。

イデオロギーになってしまえば、その「主義」を完璧にすることに躍起になり、観念のとりこになって、痛みの、あるいは憐みの、生の感覚から乖離する。

また、なによりも恐ろしいのは肉食しない人に敵意を持つ人だ。

私が肉を食べないと言っただけで「動物を殺さないのに野菜はいいの?」と私に(なぜか)激怒してきた人がいたが、

草を刈ることとを動物を殺すことを同等に感じるとしたなら精神異常だろう。

生き物すべての命の在り方を一律に考えるのは、デリダやフロランス・ビュルガも言っているが、間違っている。

植物には「命の重さ」という比喩がふさわしくなく、植物の命の在り方(たとえば茎を切っても根で生きていたり、剪定することでさらに伸びたり、「個体」がどこまでなのかがわからない、など)が動物とは違う。

「命の重さ」というのは、生誕と死によって限られて個体化されているものについて考えるべきもの。

動物を殺したくない理由は、ジェレミ・ベンサムのように「そのものは苦しむか?」だけで十分だ。

ひとりひとりがかすかにでも、動物が自分と同じように痛みを感じて苦しむことを想像することができたら、少しずつでも殺される動物が減っていくだろう。

 

 

 

 

 

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2024年4月14日 (日)

河畔林の新芽

4月13日(土)

レットヴィモ副作用のむくみと頭の濁りがある中でも、きのうと今日は比較的マシだった。

透き通った点々の新芽が見たくて出かけた。

朝起きた時は、全身倦怠と筋肉痛で、駅から歩いて行けるのかと不安だったが、今日は歩けた。先日の御苑に行った時よりは力がある。

早緑の点描の中に枯れ蔓の複雑な絡みの塊が残る。

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枯れ蔓が絡まる枯れ木はほとんどがサイカチで、よくみるとすべての枝だけでなく幹までもが鋭い棘で覆われている。怪我しそうでとても危険。
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昔、6月に来た時はぬかるんで運動靴がずぶずぶと沈んだ。

あの時は壮麗な花火のようなシシウドの花が美しかった。

林の中にはたくさんのカタツムリがいた。

2月にひとりで来た時は、凍えながら間近にアオサギを見た。

すべて、忘れることなく覚えている。私の好きな場所。

もう体力的に来られなくなるかもしれない。でも今日は来ることができた。

今日の乾いた原には雪の結晶のような、まだ若いカワラヨモギ。

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近くの藪の中からキジが飛び立った。

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前に沢渡さんと撮影した日曜日にもいたが、「ラジコン禁止」の看板があるのにラジコンを飛ばしている人たちがいる。

横を通ったが、けっこう年配の男性3人だった。看板はいくつか立っているが、ここは鳥獣保護区じゃないのだろうか?

さらに林全体に響く大音量で音楽を流していたのですごく腹が立った。青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」だった。

ウグイスやシジュウカラのかわいい鳴き声が聞こえない。

わざわざドラムセットを車で運んで来て、土手で反響するように大きな音で叩いて喜んでいる人にも何度か会っている。

静かな空気を壊す勝手で汚らしい自己顕示。そういう人たちが本当に嫌。

 

 

 

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2023年10月27日 (金)

個展開催中 新高円寺駅すぐのGALLERY工にて

10月26日(木)

きょうもいろんなお客様がいらしてくださった。

最初のほうにいつもメールでおしゃべりしてくれるAちゃん。気取りのない友達が来てくれてほっと一息。

イタリアの現代思想の紹介で著名な、私が感動したアガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』を訳された上村忠男先生、シモーヌ・ヴェイユの思想から現代への鋭い問いかけをされている今村純子さんと。

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今村純子さんはずっとお会いしたかったかたで、今村さんも私のブログを読んでくださっていたと知ってびっくり。

しかも私を知っていただいた最初が、映画だったと知って本当にびっくり。

美術評論家の中野中さんと。
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谷川俊太郎さん事務所の川口恵子さん。

肺の手術の時に猫2匹を預かってくれたSさん。Sさんはうちの3匹の命の恩人(拾い主)。

6時50分くらいになり、ひとりでビールを飲んでいたらお客様が来られた。誰かわからなかったが、芳名帳へのサインを見たら美大でのI先輩だった。

ご案内をお送りしたS先輩からメールで私の個展のことを知らされたという。

お顔ははっきり覚えていたが年も離れていてあまり深く話したこともない先輩が、ご案内ハガキに書かれていた私の病気のことを心配してわざわざ個展を見に来てくださったので感激した。

何十年も時を経て、いきなり心を割ってお話できていることが信じられなかった。

10月25日(水)

個展初日。

最初に私よりずっと年上だが美大の懐かしい同級生が来てくれた。恩師のお葬式以来、10数年ぶりに再会。

彼の絵は私とはまったく違うタイプの絵(性格もまったく違う)なのに、私が自分で一番気に入っていて非売にしている絵をぴたりと当てた。

「こういう画面から血の滲むような感じ。体質だと思う。そこが毛利先生に似ている。」と言われた。

荻窪の古書店のNさん。とても長い時間、熱心に見てくださり、絵の感想をくださった。

そしてかな書道の先生。「ひとつのことを徹底してやり続けるのはすごいことね。」と言われた。

『戦争と児童文学』(みすず書房)の著者、繁内理恵さんと友人のぱせりさん。繁内さんとも初対面だがいろいろお話を伺って感激。

もう何十年もお会いしていない美大のU先輩も。容貌はすっかり貫禄になられていたが、絵に対する気持ちは変わらず。

卓球のおともだち。(私は、肺の手術後半年は卓球は無理、と主治医に言われていたのだが、1か月後には痛む傷口を左手で押さえながら卓球に復活していた。すごくへたなのだが、卓球をやっていると癌のことを忘れられるので。)

画家の伊藤ゲンさんに花かごをいただいた。

夕方に鵜飼哲さんとみすず書房の尾方邦雄さん、筑摩書房の大山悦子さんが来られた。

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みすず書房の尾方さんは、鵜飼さんがみすずから出された論文集『いくつもの夜、いくつもの砂漠』に、私の仕事について鵜飼さんが論じた文章が、私の絵とともに収録されることになったときのご縁で。

(収録されているのは、私のエッセイ集『反絵、触れる、けだもののフラボン』についての文章と画集『花裂ける、廃絵逆めぐり』のための文章の2本です。)

筑摩書房の大山さんは、もうすぐ、ちくま学芸文庫として刊行される鵜飼さん訳のジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』の巻末に付される、私が書かせていただいたエッセイの担当編集さん。

ちなみに、今回の個展のタイトル「応鳴、息の犇めき」は、そのエッセイのタイトルから借り受けてきています。

鵜飼さんはこのあと芸大での「イスラエル・ハマス戦争をめぐる討議vol. 01」に向かわれた。

ポルトリブレで知り合った絵描きの太田国穂さんも。「わびさびは金属が錆びるのと同じ語源だと思う。人間も錆びる。さびは出そうと思って出せるものではない。錆びを持っているというのはすごいことだ。」

10月24日(火)

GALLERY工で個展の設営。

たいへん難しかったが、午後3時過ぎに足利市立美術館の篠原さんがいらして、プロのワザで設営を手伝ってくださった。

数多い小品の位置決め、写真の展示の方法や位置決め、照明の調整など、今まで数百の展示をやってきた篠原さんの手慣れた要領でどんどん進んだ。

まさか公立美術館の学芸員さんに個展の設営をやっていただくとは思わなかった。心より感謝。

 

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2023年7月16日 (日)

花輪和一と小樽天狗山リス園

7月8日(土)

今回の旅で、私がずっと楽しみにしていた小樽天狗山山頂のリス園へ。

本当は平日に行きたかったのだけど、天気が不安定で月曜は雨になるかもしれなかったので急遽出発することにした。

札幌を出発し、思ったより早く、25分くらいで真っ青な海が見えた。車窓のすぐ近くを飛んで行く石ばかりの狭い浜。錆びたトタン屋根に眼を奪われる。

昼に小樽着。天狗山ロープウエイ乗り場までバスで20分くらい。

頂上に着き、ついに来ました!夢にまで見たエゾシマリス園。リスたちはとてもすばやく走り回る。白い綿状のものはポプラの花(穂綿)。

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この表情はうちのちゅびお(キジトラの♂猫)に似ている気がする。
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フードは入り口のところにあるカプセルガチャでヒマワリの種300円を購入。

柵の中にはリスたちの巣穴(土に堀った穴)があるので立ち入り禁止。家族連れとカップルが多い。

「リスが怖がるので追いかけたりしないでください」と書いてあるのに、 大声で叫びながらリスを追いかける子供たちにげんなりする。

暑いので日傘を差してしゃがんで静かに見ていたら、私の日傘の影に入って来た子。

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膝に置いた上着に乗ってきて、布の影に入って休んでいた。かわいすぎてたまらない~。
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夢中でシマリスを撮り続け、汗をかき、喉はカラカラ。自動販売機で冷たい飲み物を飲んだ。マーガレットが咲く斜面。
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2匹並んでいるのは、たぶん親子。
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左の小さい子は、まだ眼が開いていないようで、ずっと眼を閉じて動かずモグモグ食べて、そのあと巣穴に入って行った。
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こちらの子はブタナの長く伸びた茎を引っ張ったり、噛んだりして遊んでいた。
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茎をおまたにはさんでみたり・・
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お手手で莟を引っ張ったり・・リスは若い草の芽も食べる。
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水飲み場で飲んでいる子をしゃがんでじっと見ていたら、また私のほうに近づいて来た。
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静かにしていたら手首に乗って来て、このあと肩まで乗って来た。まわりの子供たちに騒がれたくないので、日傘で隠してじっとしていた。

(注意 感染症注意のため、手から直接に餌をあげてはいけないこと、木のスプーンでやることになっています。)
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1時に山頂に着いて日暮れまで4時間以上、私は水分補給とトイレのほか休憩なしてずっとシマリスを撮っていた。

私には夢のような体験だったのだけど、またもいつもの理由で花輪さんと喧嘩してしまった。

最初の20分くらいで花輪さんが私に黙っていなくなり、すぐに気づいてリス園の外に出ると、思ったお通り、端っこで煙草を吸っていたのだ。

「なんで黙っていなくなるの?」

「邪魔しちゃ悪いと思ったから。リスに興味ないし。」

「嘘!煙草の禁断症状でおかしくなってるだけじゃない。ここ禁煙だよ。まわりに誰一人吸ってる人いないし。」

「どこにも禁煙て書いてないから。」と言われて頭に来て、売店の人にはっきり聞いてくる、と言って走って行ったらやはりドアのところに「敷地内禁煙」と書いてあった。

花輪さんにはレストランハウスで好きなものを食べて待っていてもらった。

5時過ぎにロープウエイで下山しバスを待つ時も、花輪さんは即、木陰の方に行ってタバコを吸う。

「さっき吸ってたのにもう我慢できないの?」と聞くと「だってさっきは半分しか吸えなかったんだよ~。」と。

3月に私が右肺の中葉切除の手術を受ける報告をして、もう死ぬかもしれないから煙草をやめてほしい、と言ったときは「わかりました。やめます。」と言ったのに。

帰りは私の大好きな「石狩挽歌」に出てくる「朝里の浜」に降りてみたいと思ったのだけど、そうすると帰宅が相当遅くなってしまうので、車窓から流れる景色を撮るだけで諦めた。

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岩の上に鵜がいる寂しい海の景色。

この日、札幌からの地下鉄には浴衣の若い女の子が多く、真駒内公園で花火大会だと話しているのが聞こえた。

スーパーで買い物をしてバス停でバスを待つ時もまだ、8時半くらいまで花火が上がっていた。

 

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2022年12月 7日 (水)

羽村、レッサーパンダ(ラテ、ソラ、アル、リンリン)

12月4日(日)

今日は特に暖かく17℃になる予報だったので、久しぶりに羽村市動物園に行ってみることにした。

夕方の寒さをおそれ、先に動物園とは逆方向、多摩川の羽村大橋を渡って川沿いの林の方へ。思ったより樹が裸でちょっと寂しい風景。

土手沿いを「羽村の羽」まで歩いたが、向こう岸に並んでいた「牛枠」(昔の丸太でできた水防装置)が無い!数年前の大雨で流されてから復元されていないみたい。

動物園に着くと、久しぶりのラテとソラ!ふたり仲良く絡み合ってぴょんぴょんしているのを見られて感激。ふたりとも木などにおしりを擦り付けるマーキングの仕草が見られた。
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ラテ(2013年6月11日生)はくるりんと回転して立っているシッポが本当にかわいい男の子。
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ソラ(2014年6月12日生)は白っぽくて横にふわっと広がったおっとり顔がかわいい女の子。左耳が折れ曲がっているのもチャームポイント。
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このほわんほわんした感じ、どうもソラはうちのプフに様子が似ている。

ラテとソラには、私が先代の愛猫ちゃびを失った欠落感で真っ暗になっていた時に気持ちを救ってもらった。レッサーパンダを見に行ったのはその時が初めて。

室内には2020年に新しく来たアル君(2013年8月15日生)がくつろいでいた。アルは白内障で眼がよく見えないのだが、とても賢くて、またTVのイケメンレッサーパンダ選手権で優勝したそうだ。

3時半頃、リンゴタイム。このシッポの毛の薄さは、なんと21歳のリンリンではないか!元気でいてくれたんだ。嬉しい。Sdsc01852
リンリン(玲玲)は2001年6月19日生まれで、あの有名な風太(2003年7月5日生)より年長さん。今年9月に国内最高齢のファンファン(花花1999年7月9日生)が多摩動物公園で死亡したそうだが、リンリンには長生きしてほしい。

最後はアルが外でリンゴをもらって笑顔。
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今日は会えなかったがもう1頭、まだ4歳の女の子、リーリー(梨梨、2018年7月11日生)が今年、旭山動物園から来たそうだ。ラテとソラになかなか子供が生まれないので遠くにやられてしまったら淋しいと思っていたのだが、繁殖のためにアルとリーリーが来て賑やかになったみたい。

羽村動物園は冬季4時閉園なので、4時2分発のバスで羽村駅に戻る。

西友の中にあるクーポールで食事しようと思ったら、なんともう片付けをしていた。確か8時まで営業のはずなのに愕然。ここはとてもリーズナブル(パスタ、グラタン類700円程度なのにお味はしっかり)なレストランなので絶対に潰れてほしくない。

空腹でどうしようもなかったので西友で手巻き寿司とビールを買い、羽村の史跡「まいまいず井戸」のほとりで食べた。

 

 

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2022年8月27日 (土)

E藤さんと会える、胃腸が治ってきた

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ヤマユリ(部分、銀箔、岩絵の具、膠)

2022年9月26日(月) ~ 10月2日(日)
吉祥寺の gallery re:tail で個展をします。
  
9月26日(月)  15:00~20:00(初日15時から20時まで)
9月27日(火) ~ 10月1日(土) 12:00~19:00
10月2日(日) 12:00~17:00(最終日17時まで)

よろしくお願いいたします。

8月20日

私の高円寺のお母さんのような存在のE藤さん(西新宿に住んでいた頃の母の友人で、そこから高円寺に引っ越して娘さん夫婦と同居)に久しぶりにお会いできて嬉しかった。

コロナ禍の状況が悪くなってからはずっとお会いしていなかった。

知人からいただいたお菓子を持って(私は甘いものを食べないのでもらっていただいた)自転車で伺う。家の前で少しおしゃべり。7月末にコロナに罹ってしまったことなどのご報告。

E藤さんはいつも明るく何があっても落ち着いていて、他人に親切で活動的だ。悲惨な戦争体験を持っておられることなども関係しているかもしれない。

E藤さんのご主人はずいぶん前に突然死された。朝、目が覚めたら亡くなっていたという。その時のことをE藤さんは「とにかくびっくりした」と言った。

私の母の亡くなる少し前、母が亡くなることが怖くて悲しくてものすごく思いつめていた私に、「(そういう時は)流れにまかせる」と言ってくれたのはE藤さん。どうにもならないことを必死で思いつめないこと。

E藤さんの同居していた娘さんは肝硬変で40代で亡くなり、私も葬儀に参列した。娘さんは長く闘病していたので、「心の準備はあった」とE藤さんは言った。

そして昨年末、同居していた娘さんのお婿さんが頭の血管が切れて倒れてしまい、90代のE藤さんが娘婿さんを介護することになった。このことを電話で聞いた時、私はものすごくショックを受けたのだが、E藤さんは「だいじょうぶよ。介護には慣れてるから。」と。

いろいろな手続きをしたり、病院やリハビリに付き添ったり。

すごく心配していたのだが久しぶりにお会いできたE藤さんはお元気で、まったく認知も衰えていず、「個展のはがきを持ってきたのかと思った。個展、ぜひ行くから知らせてね。」と。(涙)

「でもお忙しいでしょう?」と言う私に、「気晴らしも必要よ!ぜひ行くわ!」と。

本当にE藤さんはすごい。それからすぐに絵手紙のはがきを送ってくださった。

強いアザミの絵に「コロナも近づけぬ防衛力 この夏の心がまへはあざみです」という言葉。表書きには「先日はおいしいお菓子を有難とう御座居ました。アット云ふ間に頂きました。いつもすみません。病気したと聞き、驚きました。充分養生して体力を持ち治してください。少々痩せていらしたので心配です。作品展是非知らせて下さいね。お大切にね。」ときれいでしっかりした文字。

E藤さんが元気でいてくださることで、どんなに私が支えられているかしれない。

・・・

コロナ後遺症の胃腸の方はだいぶ良くなり、ほぼコロナ前の食欲に戻ったが、相変わらず固くないスープのようなものが食べやすい。

保護猫活動を続けておられる「猫スペースきぶん屋」さんを応援したくて、ベジニャンカレーを購入した。

https://kenkoshukan.stores.jp/items/6267b61c84ec6e29c7f8b8db

https://twitter.com/nekocafekibunya

猫スペースきぶん屋さんを知ったのは「癌と闘わずに」「猫と癌と諸々と。。」のmikaさんのブログからだ。

ベジニャンカレーは、私の好みでは断然、日陰茶屋チャヤマクロビのヴィーガンカレー(520円)よりもおいしい。チャヤのはカボチャがごろごろ入っているのが甘くて苦しかった。ベジニャンカレーはカボチャは入ってなくて赤ピーマンが入っている。

しかもベジニャンカレーは350円でお値打ち。殺される動物が少しでも減りますように。

玉ねぎを炒め、ベジニャンカレーを入れ、さらに私は、カレーパウダー、昆布出汁、ニンニクすりおろし、牛乳を加え、卵を落とし、ふにゃふにゃのマンナンご飯にかけて毎日夕方に食べる。

それといただいたひとつ1500円もする清水白桃を一日にひとつずつと、シャインマスカットを数粒ずつ食べている。

 

 

 

 

 

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2022年5月15日 (日)

癌の定期検診 / ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(鵜飼哲訳 筑摩書房)

5月13日(金)

夢中でおもちゃをつかまえるプッピィ(プフ)。まんがのような顔。
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癌の定期検診のために鎌ケ谷の病院へ。午後1時に着くためには11時に家を出ないといけないのに、遅刻してしまった。

血液検査とレントゲンを受け、血液の結果が出るまで1時間待つ。

そのあいだ、デリダの『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』を最初からゆっくり読み返していた。

血液検査もレントゲンも、前回(3か月前)とほとんど変化なしだが、サイログロブリンは少し増加。

右肺の転移は29mm(左肺にも細かく散らばっている)。右肺の塊を手術でとるには、脇などに3か所穴を開けて、立体的に見ながら内視鏡の手術となるが、それを技術的にできる先生がいるかが問題と言われた。

もしうまくできなくて右肺全摘となるのなら、それで命が延びるかはわからない(左肺の容量は心臓があるため4割、右肺が6割なので、右肺全摘したら4割の肺となり呼吸は苦しくなる)。

甲状腺がんの抗がん剤は最近開発されたばかりだが、受けた患者さん(国立がんセンターから回ってきた患者さん)は高い確率で脳梗塞になっているとのこと(私は受けるつもりはない)。

9月に個展をするので忙しくなってきましたと言うと、「とにかく仕事に集中しすぎて薬を飲み忘れるのが心配。なので、注意喚起のためにも、次回もまた検査します」と言われた。

・・・

ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(鵜飼哲訳 筑摩書房)。

デリダの全作品を通じて、「動物」の問いが顕著に執拗に現れているのは、

「特異で激烈なある感受性、哲学がもっとも蔑視あるいは失念してきた動物的な生の諸側面と、おのれが「共感している」と感じるある種の適性であろう。ジェレミー・ベンサムが動物について、「それらは苦しむのか[Can they suffer]?」と問うたことに、彼が非常におおきな重要性をみとめるのもそれゆえである。」

デリダが動物の苦しみ、動物の命についてこのような言葉を残してくれて、本当にありがたいと切実に思う。

「脱構築は忍耐強く差異を多数化して、「人間」と「動物」の伝統的対立を基礎づけうるものとあまりに長く信じられてきた、この「固有のもの」の前提的な境界の数々の脆弱性、多孔性を現わしめるのである。」

(まえがき マリ=ルイーズ・マレ)

デリダの言葉は「はじめに――私は私を委ねたい、ありうることなら、裸である言葉たちに。」で始まる。

「裸であるような言葉」とはどんな言葉だろうか?そんな言葉が存在するのだろうか。

「それらは苦しむのか[Can they suffer]?」

「この回答の否認不可能なもの(その通り、あのものたちは苦しむ、あのものたちのために、あのものたちとともに苦しむ私と同様に)の前では、他の一切の問いに先行するこの回答の前では、問題構成の土壌と土台が変わるのである。」

この本は迂回する言い回しが非常にわかりにくいのだが、読めば読むほどあらたな発見があり、今は私の根本的な生き方を支えてくれて、失望からつなぎとめてくれる本になっている。

 

 

 

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