動物

2026年9月 5日 (土)

福山知佐子個展 原宿NEW トーク概要とレセプションの様子

8月8日に私のXがのっとられて(メールアドレスを勝手に変更されて)しまいました。すぐにX公式フォームに申請し、メールで返事をもらい、そのメールにまたアカウントなどを書いて返信しましたがそれから返事がきません。

解決法がわかるかたは、私のHPの問い合わせか、ギャラリー十二社ハイデのHPの問い合わせからどうかアドバイスをお送りください。

よろしくお願いいたします。

9月4日(金)

トークとレセプションの様子です。

立って司会しているのがギャラリーのスタッフさん。真ん中に座っているのが私。私の隣が現代美術史研究家の篠原さん。

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トークの概要:

○今回の展示「異生の顫動」とは

「異生」とは人間でない者の生命です。

私はずっと、絵というのは自分の内側だけで閉じて作るものではなくて、自分の外に在るものと自分との関係のなかで、手を通して立ち上がってくるものだと感じています。

最初に観念や概念を置いて構成するという人間中心主義の考えよりも、人間ではない生命のかすかなふるえや、ごく微細な気配にこちらも感応して、自分自身もふるえるようにして線を引き、そこから絵画が派生していくことを大切にしています。

現代は概念や人工物や経済の論理がとても強い時代だと思います。
だからこそ、自分の外に在る生の気配に触れようとする絵は、古いのではなく、むしろ今あらためて重要なのではないかと感じています。

○若林奮さんの「振動」と、今回の「顫動」との違いは

若林奮先生には、人間でないものの生命をテーマにするという点で、本当に大きな影響を受けてきました。

若林奮先生の「振動尺」の「振動」は、難しいのですけど、自分と人間でないものとの間を行き来する振動、反響、そのあいだの(固定しない)距離、といったようなものかと思います。

私が今回使った「顫動」は、かすかにずっと震えている状態、怯え、過敏さ、はかなさ、わからなさ、見過ごされている息づかいや気配、というようなものです。

○どのようなものを見つめる中で生まれてきたのか 前の画集について

まずは植物の運動、変容の時間です。

私は物心ついたときから動植物に強く惹かれてきましたが、ある時期から、花瓶の中の植物が萎れて枯れて、ついには粉になっていくまでの時間の運動を、何度もデッサンするようになりました。

ここに、30年、植物の衰弱していく運動を描くのを繰り返しやって来たのをまとめた画集『花裂ける、廃絵逆めぐり』があります。

皆がその名前を知っていても実は見ていない植物の運動の時間、変化しつづける存在としての、時間を描きたかった。
私の絵を見た人から「これは想像の花ですか」「宇宙の花ですか」と言われることがあります。

けれど私にとってそれは空想ではなく、むしろ徹底して私の身体の体験の証言なのです。

つまり、私の絵が既存のイメージから外れて見えるのは、作為的に型を壊しているからではなくて、
人々の側の固定化された概念では捉えきれない、そこにむき出しで晒されているものが変容して動いている時間を描こうとしているからです。

私は最初からステレオタイプを崩すことを目的にした方法には、あまり惹かれません。
それは既存の意味や概念を別の意味や概念で置き換えているだけで、画家の身体や眼が何を見たのかということには、必ずしも触れていないと感じるからです。
もちろん、そうした作品には説明可能性があります。
聞けば理解できるし、意味として受け取ることもできる。

でも私には、その理解のしやすさ自体が、見ることの深さとは別の次元にあるように思えます。

私は、壊すために壊すのではなく、見ることの精度、というのか、自分の眼の力によって、結果的に壊す、結果的にステレオタイプから抜け出るということをやりたかったのです。

陳腐なものから抜け出るために「デッサン」というものには身体を開く革命の可能性があると思っています。
今の時代のアートの傾向ではデッサンは重要視されていませんが、概念ではなく身体の直接性と結びつくのがデッサンだと思っています。
画家とは本来、ふつうの人には見えていないものを見る眼をもつ存在で、
その眼は、奇をてらうためではなく、見慣れた名前の奥に隠れてしまった現実を、もう一度見えるようにするためにあるのだと思っています。

私が絵画に求めているのは、概念の巧みさではなく、見ることの切実さです。
本当に見た者にしか描けないものがあり、その痕跡こそが画面に現れるべきだと思っています。
だから私は、最初から意味を設計して成り立つ表現よりも、眼と身体が現実にさらされた結果として立ち上がってくる絵画に、より強く価値を感じます。

○「証言」について

私は「証言」の問題や「当事者性」の問題、つまり誰がそれを表現する立場にあるのかという点が重要と考えています。

たとえば、「人間中心主義を批判する」というコンセプトでアートを制作したとします。
けれども、その過程で人間ではない小さな生き物の命を利用したり、危害を加えたりする可能性があるなら、それはむしろ人間中心主義の再生産です。そうした行為は、「収奪」や「搾取」と呼ぶべきものだと思います。

同様に、「戦争」や「虐殺」、「差別」といった題材を扱う作品についても、それらの歴史や現実と長く向き合い、学び、自らの生き方とどのように照応しているのかを問い続ける必要があると思います。
そのうえで、その作品によって誰が利益を得るのかまで思慮されていない表現は、「収奪」と言いうるのではないかと思います。

私がもっとも忌避する人間中心主義とは、他者の痛みを表象の資源として用いながら、自らは安全圏にとどまる態度です。

私が見つめているのは、そのような人間的な暴力に先立ってある、ごく微細で持続する生の徴候です。
それは、出来事として強く語られるものではなく、むしろ見過ごされやすく、しかし消えきることなく続いている気配です。
私は、強い意味を与えることよりも、そのかすかな顫動を壊さずにとどめることのほうに、制作の必然を感じています。

人間の外にあるものは、人間の解釈や都合とは無関係に生きています。
私にとって重要なのは、まずその事実です。
だから、強い物語やわかりやすいメッセージによって対象をすぐ理解可能なものとして整理し、人間の意味の体系のなかに回収してしまうことに、私は強い違和感があります。

そうした解釈や語りは、何かを捉えたように見えて、実際には生の複雑さや沈黙を取りこぼしてしまうことが多い。
私が向かいたいのは、そのような把握の手前にある、ごく微細で持続する気配です。
簡単に説明できないもの、言葉にした瞬間にこぼれ落ちてしまうものを、できるだけ壊さずにとどめたいと思っています。

私にとって絵は、何かをわからせるための道具ではなく、人間の思惑の外でふるえているものに、こちらもまた感応しながら応答するための場です。

○新作について

朽ちていくものの時間と気配そのものを主題にした作品です。
植物の衰弱の運動に興味を抱くと同時に、錆や剥落、亀裂、黴、かすれ、古色のように、時間とともに立ち顕れてくるものにも動植物的なものを見て、感応してきました。
何かが完成された姿でそこにあるというより、時間のなかで傷み、衰え、変化しながら現れてくるもののほうに、私はより深い実在を感じています。

最初から明確な形を与えようとはしていません。むしろ、まだ形になりきっていない、ごくかすかな気配のようなものに、できるだけ長く留まろうとしていました。
存在と不在のあわいというのも、何かがはっきりそこにあると断言できる状態ではなく、たしかに触れた気がするのに、すぐに見失ってしまうような、その不安定さのこととして感じています。

なので今回の作品では、それを強く説明したり、象徴として固定したりするのではなく、消えそうで消えない震えとして、できるだけ壊さずに置くことを大事にしました。
形は、その気配を支えるためにあとから必要になってくるものであって、最初に結論としてあるものではありませんでした。私にとっては、何かをはっきり示すことよりも、まだ言い切れないものがかすかにとどまる状態を守ることのほうが重要でした。

○新刊について

この新刊は、私にとって本当に特別な本です。
子どものころから沢渡朔さんの写真に強く惹かれていて、とくに『少女アリス』と『ナディア』には心酔してきました。『少女アリス』には谷川俊太郎さんの詩も添えられていて、その世界にも深く魅せられていました。

最初の個展をしたとき、思い切って沢渡さんにご案内をお送りしたら、実際にいらしてくださったんです。
そこで撮影をしようというお話までいただいたのですが、私にはあまりに畏れ多くて、すぐにはご連絡できませんでした。結局、実際に撮っていただいたのは、それから7年くらい経ってからでした。
そのとき沢渡さんが、あなたの好きな場所で撮ろう、そしてあなたの絵の隣に置けるような、絵の世界と通じあう写真にしようと言ってくださって。
それで私は、自分の好きな、秘密の廃墟にお連れしました。

谷川俊太郎先生とのご縁も、最初の個展がきっかけでした。
ご案内をお送りしたら会場に来てくださって、その後、一冊目の本『デッサンの基本』では帯のために三つも詩をくださり、
二冊目の『反絵、触れる、けだもののフラボン』のときにも、私の身体感覚や仕事に対して深く理解してくださっていることばを寄せてくださいました。

そういう、長く遠くから支えていただくようなご縁がずっと続いていたのだと思います。
二、三年前に私が右肺の中葉を摘出したときには、その傷を沢渡さんが撮影してくださいました。

そしてその後、沢渡さんから、昔撮った写真とこの傷の写真をあわせて本にしたいと言っていただいたんです。
そこに私の絵を入れて、さらに谷川俊太郎さんから三篇の詩をいただいて、この一冊ができました。

谷川俊太郎さんは2024年11月13日に亡くなられて、この本はなおさら大切なものになっています。
この本は、私の人間中心主義への違和に、沢渡朔さんと谷川俊太郎さんが共振してくださった記録です。
枯れていく植物たちとの共振としての顫動と、ふたりの先輩芸術家との顫動が、一冊の本のかたちをとったのだと思っています。

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Galerie412の渡部千鶴香さんと。今日初めてお目にかかったのに、私と会ったことがあるとおっしゃられて。

「若林さんのお葬式の時にすごく泣いていた人。あの写真集を見てすぐにわかったわ」と言われ、思わず反射的に渡部さんに抱きついて涙ぐんでしまった。

思い出して悲しくなったからではない。

あの時の私を、否定的にではなく、はっきり覚えてくださっていた人がこの世にいてくれたことが、信じられないほど嬉しかったからだ。

「あの時、吐くほど泣いて・・・吉増さんから「あんまり泣いちゃだめ。隠し女だって思われる」って言われて」

「いいのよ。画家は、泣きたいときは思いっきり泣いて」

渡部さんからは本当にありがたいお言葉をいただいた。

「若林さんの遺志をここまで継いでいる人はいない。銀箔を使ってやっている人も何人も知ってるけれど、あなたは全然違う」と。

「初めての個展の時に若林先生が来てくださって、銀箔の絵を見て「これは現代美術になっている。この方向で展開していったほうがいい」とおっしゃられて。それで私は銀箔を使って現代美術としてやっていきたいと心が決まったんです」

「それは若林さんもすごくいいこと言ったわね」

「今も振動尺の話しているの私くらいしかいないし・・」

「若林さんの話も、矢内原伊作さんの話も、本当に通じる人がいなくなってきたわね」

渡部さんは絵を見ただけで本当に私のことを理解してくださっているようで、胸がいっぱいになった。

【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama

会期:2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 ※月曜休廊

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 

電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

【Google Map|NEW AUCTION 】https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
 
(神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

皆様のご来場をお待ち申し上げます。

【Instagram|NEW 】https://www.instagram.com/newwwgallery/

9月4日、新刊『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)が発売されます。
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https://www.heibonsha.co.jp/book/b677102.html

よろしくお願いいたします。

 

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2026年7月27日 (月)

プフを動物病院に連れて行く / 次の本の第3稿(念校)

7月27日(月)曇り31℃

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次に出す本の念校。

最後まで1枚の絵の印刷の色調が気になってほんの少し黄色を挙げていただくように赤字指定して終了。

気がつくとプフがいなくて、ちゅびが死ぬ前に潜り込んだ隣の部屋の押し入れの奥の奥に潜り込んでいたのでショックで精神的に追い詰められた。

なんとか引きずり出してキャリーに入れて動物病院へ。

4時からの診察に予約なしで急遽お願いする。

診察待ちのあいだ、ずっとキャリーに手を入れてプフを撫でていたが、小さなキャリーの中の端っこに丸まるように不自然に縮こまって、呼吸が速いので私も生きた心地がしなく・・・。

猫が人から見えないところに隠れた時は、相当具合が悪くてほっておいたら死ぬ時だ。

ちゅびみたいに、また悪性の病気だったらどうしようという不安で私も過呼吸になりそうだった。

待合室のTVで普段見ることがない4時からのニュースをやっていた。

緊張で余裕がない時に高市の顔を気味悪い作り笑顔を見たら不快さで本当に吐きそうになった。

東野圭吾が大腸がんで亡くなったというニュースもショックだった。

診察してもらうとプフの体重は前(くしゃみでかかった2月)より増えている、触診の感じでは便秘はしている(猫はだいたい便秘)が腫瘍はない、ということで血液検査となった。

1時間くらい待ち、結果は炎症はない、腎臓も大丈夫、おそらく毛玉が胃腸に詰まって気持ち悪くなっている、ということで輸液と吐き気止め注射。17000円超。

明日までに食べなかったら明日の夜連れて来て、と言われる。

夜、細くて固いうんこ。カリカリを少し食べる。

グルーミング。ネズミのおもちゃを振ってやるとじゃれついてくる。そのあとまた少し食べる。

しかし少し食べてやめる。

パイルヘアゴムを飛ばしてやるとジャンプしてキャッチ。遊ぶ元気があるならだいじょうぶだよね?

それにしても食べる量が少ない。

とても少ない量を何度も食べた。少しずつ調子よくなっている?

明日も目が離せない。

7月25日(土)

4時に家を出、西新宿に着いたら梔子の花と紫陽花の花がどうなったかを見るために中央公園の中を歩き回る。

ショックだったのは枯れて色あせた紫陽花の花がすべて刈り込まれて葉だけになっていたこと。

梔子の花もなかった。枯れた花を全部切り捨てられていた。

5時に屋根修理の3件目の見積もりの業者さんが来た。

すごく若くてこの道13年という人で、今までで一番話しやすい人だった。

私が「作品が黴てしまうことが一番怖いんですよね」と言ったら

絵にすごく興味があるという。

私の画集を見せたらすごく喜んでいた。不思議だけど本当に絵に興味があるみたい。

6時からデッサン教室。

近くにあった古いアパートの一角が潰されて夏草ぼうぼうの空き地になっていたので、そこから洋種山牛坊(ヨウシュヤマゴボウ)を採って来た。

ヨウシュヤマゴボウの茎に山鳩がとまっていたのでどきっとした。

その株だけ、下のほうの実が黒く熟していたから食べていたのだ。

ほとんどのヨウシュヤマゴボウの実はまだ青くて、先端には白い小さな花が咲いている。

秋には実が黒紫色に熟すだけでなくて葉も鮮やかなフーシャピンクがかった赤紫になり、ものすごく美しくなる。

その時にもう一度デッサンしたい。

I君が私が買い逃して残念がっていた『一ノ関圭本』を持って来てくれたので感激。

 

 

 

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2026年6月28日 (日)

鎌ヶ谷の病院・ジャンクフード

プフ
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6月26日(金)雨

朝、えんどう豆でできたパスタ、明太子、シラス、海苔。桃。

鎌ヶ谷の病院へ。

東武線の線路沿いに割と広大な空き地(野原)があって、無数の雀たちが集まってホソアオゲイトウやギシギシの種を食べていて、

一羽が飛び立つと皆がそれに連れて一斉に飛び立つ、その大騒ぎの声を聴き、ざわざわ伝播する茎の振動を見るのが好きだったのだけど、

その細長い空き地ぎりぎりいっぱいに巨大なビルが建っていたので悲しい。こんな田舎で借りる人が埋まるのだろうか。

病院の手前の植え込みにモジズリ(捩花、ネジバナ)が咲いていた。モジズリは大好きな花。本当にきれいだと思う。

浅井先生に半年以上ご無沙汰した失礼をお詫びし、病状を報告する。

愛猫ちゅびの悪性リンパ腫介護から、ちゅびが死んで、気づかずにいた腹膜炎での救急入院、手術。大量出血、浮腫、筋肉の衰えなど端的にお伝えした。

浅井先生はすごく困ったような顔をされていた。

「一番心配なのは入院中、チラジンとレットヴィモをきちんと忘れずに飲んでいたのかということです」とおっしゃられ、

「それはもうきちんと管理されていて朝8時と夜8時にレットヴィモを飲んでいました」と言うと

「それならよかった」

せっかく来たから、と首の触診。リンパが腫れていないか、しこりがないか。

太りたい、筋肉を増やしたい、どうしたらいいですかと言うと

「腸の付近に酷い炎症がずっとあったんだから下痢になるのは当たり前で、そんなにすぐに太れないのは当たり前」

「ロートエキス出していただけませんか?今のところロートエキスしか下痢に効かないので」

「ロートエキスは難しい薬でね、まだ本当に下痢を止めてしまっていいのか、入院していた病院の先生に確認したほうがいい」とのこと。

とりあえずレットヴィモ休薬日だけに飲むから、ということで胃酸過多を抑えるプロトポンプ阻害薬のタケキャブを処方していただいた。

筋トレに関しても、壁腕立てをほんの少し、スクワットやつま先立ちをほんの少ししかやっていないのだが、浅井先生は

「とにかく自分の体調をよくみて、運動や仕事ををやりすぎないように。昔からなんでも集中して一生懸命やりすぎる傾向にあるから、加減して」と何度も言われた。

病院まで電車で片道2時間もかかるので、出かける前に下痢の危険防止のためロートエキス(ストッパ)を飲んで出かけたので、3時過ぎに病院を終えた頃には珍しく空腹感があった。

駅前のショッピングモールでたこ焼きを買ったら、すごくまずくて後悔した。

たこ焼きは外がカラッと、中がトロトロで、出汁のうまみが効いていて、山ほどキャベツがはいっていて、ほんの少し紅ショウガが入っているものと思ったが、単なるうどん粉の塊の中に小さなタコがはいっていた。

しかも焦げていて、醤油がすごく塩辛かった。売っている人に容器のごみを渡すので残せなかった。

そのあとサーティーワンに行ってスモールのダブルコーンを食べた。おいしかった。

今日は病院で疲れたので信じられないジャンクフードを食べてしまった。

・・

地元駅に戻れたのは6時過ぎ。そのままの脚て期日前投票へ。

投票用紙を持っていなかったので免許証を見せようとしたら、住所と名前と生年月日を紙に記入して照合するだけだった。

せめて写真付きの免許証を見せないと、似たような年齢の別人がなりすまして投票できてしまうのではないか。

駅前で桃とアサリを買った。

・・

帰宅してからえんどう豆でできたパスタ、アサリ、明太子、シラス、海苔。豆腐と白菜の煮物。

Aiに今日のジャンクフードについて聞いてみたら、いきなりアイスクリームを食べても乳脂肪分が高いので急激にインスリンが上昇することはない、

たこ焼きはよい食事ではないが、太りたいならそのくらい糖質と油を摂ってもアリ、焦げのアクリルアミドは毎日でないのでだいじょうぶだけど捨てたいなら捨てていいと言われた。

おいしいタコ焼きなら後悔しないが、卵サンドのほうがましだったと思う。

バーガンディーチェリーに赤色と青色の着色料が使われていたのはショックだったが、6月限定なので食べてしまった。

きょうはさらに牛乳を飲んで、トータル1500calくらいいけた。

すごく久しぶりに脚に熱感と筋肉痛があり、ふにゃふにゃだった脹脛に張りが戻って、つかむと筋肉が触れるようになっていた。

今日、鎌ヶ谷まで電車を乗り継ぐだけで階段の上り下りを計12回やっているので、運動としては十分かもしれない。

6月25日(木)

午前中に電話があって、誰かと思ったらフヂヤ薬局の澄子さんだった。

「きのう、あまりにたいへんな闘病されてたんでびっくりしちゃって・・・ほら私がいつも飲んでるあれ、どうかと思って」

「レバコールですよね・・あれ、保存料の安息香酸ナトリウムがはいってるからちょっとだめなんですよ。今は刺激になりすぎると吐き気が出ちゃうんで。わざわざ心配してくれてありがとうございます」

「そう」

「枇杷のことなんですけど、来年、青いうちに採りたいって人が来たら、熟れてから採りたい人がいるからって言ってもらえませんか。低い位置の私が摂れるいくつかでいいんで。そしたら私、すごく元気になりますよ」とお願いしたら

「わかった!来年ね」と。

それで私はすっかり嬉しくなってしまった。

・・

5月の頭くらいから飲んでいた抗生物質の薬、オーグメンチンとバクタが今日で終了。

抗生物質を飲むのをやめれば下痢が改善される可能性がある。

 

 

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2026年6月22日 (月)

次の本のスケジュール、絵の修正

6月20日(土)雨

先日、次の本のスケジュール案を印刷会社さんからいただいた。

私が出張するモニター校正は7月の半ば。

本の刊行は9月の頭の予定(もう少し早くなるかも)。

私が入院さえしなければ4月にモニター校正して6月に刊行、6月か7月に個展の予定だったが、

個展は10月になる模様。そのほうが落ち着いてよい季節にできると思う。

ナフサ不足はやはり関係してきているそうで、インクよりも箔押しに影響が出ているとか(タイトル文字が箔押し)。

とにかくモニター校正の時に感覚が冴えている元気な状態で臨めるように、身体を治すことに集中。

・・・

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描きかけのままどうしても気に入らないで見えるところに置いていた絵の、メインの花の部分を、ぬるま湯をつけたティッシュでこすり落とす。

背景の灰色とその下の銀箔も削り取られる。貼ったりこすり落としたりで微細なマチエールができる。

最初に描いた時からずいぶん時間が経っているが、ようやく何が気に入らなかったのか、自分の感覚(具体的な線と色)が見えてくる。

見えてくれば、以前に描いていた絵が、よくこんな風に軽薄に描いていたものだと恥ずかしくなってくる。

茎のカーブが感覚と違うことが大きいが、色彩も今は以前とは感覚が違う。

常に今現在の感覚に合わせて修正していく、

その修正の過程でできる傷、亀裂、染み、擦れ、破れ、継ぎはぎのようなものが絵だと思っている。

3か月ぶりにはっきり絵が見えてきた。

少し頭の回転が戻ってきた?

入院中の私は苦しすぎて本当にどうしようもできなかった。もう元に戻れないのでは、と怖かった。

栄養不足で寝てばかりでは本当にフレイルの認知症になってしまいそう。

・・・

朝 とろろそば’(ウズラの卵)、大根の炒め物少々、メロン、パプリカのぬかづけ。

退院した日に買ったプリンスメロンが固かったので10日も追熟したが、結局熟れが足りなかったので糠漬けにしてみた。

昼 お茶漬け(梅、かつおぶし、昆布だし、海苔、わさび)。メロン。

きょうは土曜で明日市場が休みなので夕方、駅前に真っ赤なソルダムを買いに行こうと決めていたが、ドアを開けたら大雨だったので断念。

プフが可愛く寝ている。涼しければ私のからだにくっついてくれる。

夕食、入院してからずっとカニクリームコロッケが食べたくて、いろいろ冷凍食品を調べたが全部、チキンエキスやブイヨンが入っているので食べられず、自分で小麦粉を炒めてホワイトソースを作った。

キノコスープの素とツナを加え、コロッケにして揚げるのが面倒だったので野菜パンにはさんだものを2つ食べた。

7時くらいに食べ終わり、油のせいか少し吐き気がしたので寝てしまった。

8時半に起きて、プリンスメロンのぬか漬け、マカデミアナッツアイス。

とにかくカロリー摂取を増やそうとエビスティック(冷凍の細い春巻き)5本。

アクリルアミドを極力摂りたくないので焼き色のついたものは一切食べない。

春巻きは低温のオリーブオイルで揚げて、皮が少し硬くなって中身が温まったらそれ以上は火を通さない。

きょうは一度も家を出ず、買い物に行けなかったが頑張って食べた。

 

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2026年3月 4日 (水)

ちゅび、自分でカリカリを食べる(奇跡) / 次の本のカヴァーデザインができてくる

3月4日(水)

11時に病院でS山先生に摘便してもらう。かぼちゃを食べてもカチカチ。

ステロイドのおかげで今になってから自分でカリカリを食べたことを報告するとS先生は「すごいね!」と驚いてくれた。

ほんとによくがんばってえらいね、と。

体重も奇跡的に前回3.15kgを上回る3.25㎏だった。

ステロイド注射は2週間持つということで今日はしなかった。

3月3日(火)

朝起きた時に頭が朦朧としていて、もう一度寝たら遅い午後に起きてしまった。

輸液、薬、給餌。

デザイナーさんから表紙と見返しと帯の色指定するように言われ、ネットでタントとDICの色見本を見ながら指定するのにすごく時間がかかった。

3案作った。タケオまでタントの実際の色を見に行くべきだが、最近、朝眠くてまともに動けない。

3月2日(月)

今日もちゅびが少量だがカリカリを自分で食べた!手術以来、自力で食べたのは3回目。
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吐き気も ないみたい。

手術後、本当に、6週間も食べられなくて体重も半分になり、もう二度と自分で食べてくれることはないと思っていたので奇跡だ。

おそらくステロイドのおかげなのだろう。手術後からずっと打っていなかったのは、耐性がすぐについてしまうからなのだろうか。

薬と給餌。ちゅーるばかりだと便がカチカチになるのでかぼちゃを食べさせるとよい、とネットに実例を書いている人がいたので、かぼちゃのスライスを買ってレンチン、潰して牛乳で溶いてシリンジで与えてみた。

・・・

選挙が終わってからずっと憂鬱で毎日Xを見ている。

今の悪夢のような状況にやはり激しいストレスを感じて言葉を発している人がたくさんいるのを読むと、止まらなくなる。

新しい戦争が始まったのも恐怖。どこまで酷くなるのか。

夜3時過ぎまで眠れなくて、なのに朝7時すぎに起きてしまったり、自律神経がおかしい。

3月1日(日)

ちゅびが今日も少量だがカリカリを自分で食べた!
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今日は薬と輸液と給餌。
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・・

テスト校正紙に赤を入れる。

問題はいつも同じだが、実際の絵よりもずいぶん色が沈んでしまうこと。

写真撮影で鈍くなり、4色分解でさらに鈍くなり、紙に印刷した時にインクが沈んでさらに鈍くなる。

だからデータ画像のサイドをどのくらい上げておくか、その加減を最終的には印刷会社さんに出向いてオペレーターさんと一緒に調整する予定。

・・・

ギャラリー十二社ハイデに寄り、搬出を見届け、久しぶりに自転車で来たアケミさんと中野坂上まで暗渠を歩いて話しながら帰った。

今日は寒くて、綿のコートでは震えてしまった。

2月28日(土)

ちゅびが少量だがカリカリを自分で食べた!奇跡。昨日のステロイドの効果?

手術してから1度も自分で食べることができなくて、シリンジで給餌していたので、信じられない。

手術しても食欲が戻らなかった時は絶望で真っ暗になり、2週間くらいしか生きられないかと思ったが、

介護して気がつけばもう6週間。

薬、給餌。

2月27日(金)

ちゅびがうんこが詰まって苦しそう、何度もトイレの砂を掻くので、午前中に病院に連れて行って摘便してもらう。

手術以降、脚の付け根が麻痺していて(手術のせいではなくてリンパ腫のせい?)自分でうんこができないのだ。

毎日、総合栄養ちゅーる3本程度しか食べていないのに、S山先生がおなかを触ると固い便が詰まっていた。

「一日おきに500ml皮下輸液しているのに、大量におしっこが出て、水分が腸のほうには行っていないんですか?」と質問すると

「口からも水をとったほうがいい」と言われた。

手術後、ちゅびは一度も自分で食べることも水を飲むこともできなくなっているので、水をシリンジで飲ませるのも嫌がって頭を振るのでたいへんなのだ。

輸液してもらい、そのあとS山先生に「ステロイド打っていい?炎症を抑える効果があるから楽になる。食欲も出るかもしれない」と言われ、お願いした。

帰りにリンゲル液3パックとラインと針を購入して今日の治療費は13000円超。

確かオリーブオイルと牛乳が猫の便秘に効くという記憶があり、ネットで調べるとやはりそのようなことが書いてあったので、午後に少量やってみることにする。

3時頃に給餌の際にオリーブオイルを混ぜると嫌がった。特有の味が嫌みたい。

牛乳もオイルほどではないがやはり嫌がる。

・・・

次の本のカヴァーと帯と表紙のデザインがデザイナーのM口さんから上がってきた。

私が回らない頭で苦しんで描いたラフすぎるスケッチから、それを具現化した素晴らしいデザインが出来てきたので感心した。

本当に私の頭の中のイメージを汲んでくださっている。

帯と表紙がピンク系だったのだけ、紫系に変更していただくお願いをした。

カヴァーと帯のデザインができてくると、次の本の全体像が俄然はっきりしてくる。

まだこの先、一番たいへんな仕事、中身の写真と絵の印刷の校正が待っている。

 

 

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2026年2月15日 (日)

ちゅび LGLリンパ腫

2月15日(日)

私が輸液。給餌。今日もゴロゴロ。

2月14日(土)

11時半から夜10時までずっとちゅびとふたりっきりで隔離部屋にいた。

私の顔を見ると「にゃあ!」とおしゃべりしてゴロゴロ。
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カーテンを開けて光の中で温まってゴロゴロ。私の腕をおててでおさえるちゅび。
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抗がん剤をやっていた時より明らかに気持ちよさそう。

でもすぐにリンパ腫の吐き気が襲ってくるのだろうか。

自力でトイレに入っておしっこして、自力で椅子の上にのぼれていた。

夕方6時。椅子の上に横座りではなく縦に伏せの姿勢にして、私が真後ろから抱え込むようにして押さえつつ、左手で頭を上に向けて吐き気止めを飲ませる。

その姿勢でなんとかちゅーる2本給餌。

2月13日(金)

プフがここ6日くらいくしゃみをしているので病院に連れて行った。

快作先生は「ちゅびじゃないの?」と。

プフは、2年前の同じ日、2月13日に同じくしゃみで受診していた。

その時は風邪ではなくアレルギーの注射をした。今日も同じ注射で様子を見ることになった。

プフは食欲もあり、最近はカリカリだけでは嫌でおやつちゅーるを欲しがってわがままに鳴くようになっている。

2月12日(木)

大きな耐熱ガラスボウルに入れた水を電子レンジで熱くして、そこに500mlのリンゲル液をつけて温める。

10年ぶりに私が輸液。

リンゲル液が常温でも冷えているので、ボウルのお湯をけっこう熱くしないとぬるくなってしまい、ボウルのお湯をもう一度レンチンしてやりなおし。

その間に吐き気止めの錠剤(メトクロプラミドを4分の1にハサミで切ったもの)を飲ませる。

輸液セットを組み立てるのも、(雑菌がついたら終わりなので)絶対に針に指を触れないように緊張。

ものすごい緊張でなかなか針を刺せない。

ちゅびがガリガリにやせているので皮膚が縦にしぼんでしまって、つまんでもふくらまないので、貫通してしまいそうで刺すのが怖い。

背中の丸みの一番高いところの皮膚に針を刺した時、そこをブルブルッと震わせて痛がったので、私は汗だくに。

昔は滴が落ちるのをじっと見つめてがんばっていたが、皮下なので滴でなくスーッと流して大丈夫だそうなので500ml一気に入れる。

そのあと栄養ちゅーる2本とこうカロリーちゅーる1本給餌。

終わってから首の両脇の筋肉とこめかみの筋肉ががちがちになったまま、頭痛が酷かった。

ちゅびはそのあとゴロゴロ気持ちよさそうに寝ていた。

2月11日(水)

午前中、快作先生は、「S山先生と相談したけど、ちゅびにはどうしたらいいかわからない」と。

L‐アスパラキナーゼに関しては、ネットでは猫に効いた例があげられているが、先生の経験ではほとんと効かなかったそうだ。

「私が吐き気止めを飲ませてきました」と申告して給餌してもらう。

いつも吐き気止め注射してすぐには吐き気はおさまらず30分くらいかかるので、吐き気止め注射の後すぐ給餌はかわいそうだから。

とりあえず抗がん剤はやめて、明日から自分で輸液すると申し出て6回分のセットを購入した。

快作先生の説明だと「肩甲骨の間ではなく、一番背骨の丸みの出っ張っているところに打つ。

三角形のテント型に皮膚を引っ張るのではなく、皮膚をつまんで、そこに(針穴を上に向けて)針の先端だけ刺し、

クランメを緩めて液を入れて皮膚が膨らんできたら、針の近くでなく管に近い位置を持ってすっと奥まで入れる」と。

「youtubeで見たのと違う」と言ったら「youtubeは間違っている」と。

管のほうを持って刺すのは、「そうしたほうが皮膚2枚を貫通しにくいから」と。それはけっこう難しそう。

10年前、ちゃびの時は「肩甲骨の間の皮膚を三角形のテント状に引っ張って、テントの下のほうに直角に刺す」と教わった気がする。

が、

「それだと前足ばかりに液が入って足がむくんでしまう。おなかに液を入れるためにはもっと下。肩甲骨の間のほうが痛みは感じないんだけどね」と言われ、

そう言えばちゃびの時は、もろに前足がむくんでいたと思う。

2月10日(火)

ミヤリ酸を溶かしたぬるま湯をシリンジに入れ、それで吐き気止めを飲ませてから30分で給餌。

給餌自体は嫌がるのでたいへんだが、その前と後はゴロゴロ。

次の本の副題と帯文とあとがきについて考えるように言われたが、頭が朦朧としてまったく思いつかない。

2月9日(月)晴れ

雪が固く残り、つーんと冷えた空気の中、ちゅびを病院に連れて行くのがかわいそう。

今日はS山先生という初めての女性の先生の診察。そのせいか午前中、すいていたので話しやすかった。いつもは超混雑で、落ち着いて質問したり確認したりしづらいので。

強い抗がん剤でぐったりしているちゅびを見るとすごくかわいそうだから、もう抗がん剤をやめるか、弱い抗がん剤(L‐アスパラキナーゼ)だけにしようかと思います、と相談する。

S山先生はそれでもいいんじゃないか、と。

「私が11月中に連れて来ていたら・・・」と後悔で涙してしまったらS山先生は

「病気の質が悪すぎる。11月に血液検査しても出なかったと思う」と。

それでも先生ならリンパが腫れていたのに気づいたと思う・・。それを思うと私の精神が崩壊してしまいそう。

輸液はしてもらったが、吐き気があるようなので給餌してもらえなかった。

吐き気止めを打ってもらって、帰宅してから給餌。

選挙の結果で鬱気味。ちゅびのことの悲しみと自責で胸がふさがれっぱなし。

Xを見ていたら、高額医療の限度額を上げるという政府の恐ろしく残酷な企ての関連で、齊藤樺嵯斗(さいとうかざと)さんという、悪性リンパ腫で医大の5年生で亡くなられてしまったかたの記事にたどりついた。

そのかたは激しく辛い闘病をされた。もちろん私も同じだが、高額医療の限度額制度に助けられてこそ治療ができた、とご家族のかたたちも高額医療制度の改悪に反対しておられる。

どうして、闘病の苦しみでもう限界ぎりぎりのところからお金をとろうとするのだろう。

本来使ってはいけないようなところに多額の税金がが使われているというのに。

どうにもやりきれない気持ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2026年2月 7日 (土)

ちゅび、LGLリンパ腫 / 次の本の制作(カバー)

2月7日(土)雪

ちらつく雪の中、動物病院へ。キャリーの内側に何枚も使い捨てカイロを仕込み、バスタオルでちゅびをぐるぐる巻きにして。

今日は昨日とは違って、声が出ていた。

昨日はひどくぐったりしていたと伝えると、副作用を和らげる薬(アンサー。調べると白血球減少を抑える)を打ってくれた。先日も打ったという。

3.45kg。プフよりも軽くなってしまった。

おととい鼻水が出て昨日かたまりをぬるま湯でふやかしてとった、と言うと、鼻水を培養することになった。

今日はアンサー注射と鼻水培養と輸液と給餌で13000円超。

2月6日(金)16℃

今日は暖かい。でも今までで一番具合が悪そう。

私と眼は合うのだが、呼んでも頭が動かず、お返事の声が出ない。ぐったりしている。

それでもしっぽだけでお返事してくれる。

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水曜に打った抗がん剤の副作用だと思う。

あまりにおとなしく寝ているので、このまま死んでしまうのではないかと怖くなる。

吐き気止めを飲ませて、給餌。

口の周りのよごれをきれいに拭いたあと、鼻の穴の上に乾いて固まっていた鼻水をぬるま湯でふやかして少しずつ取り除いた。

今日も昨日に引き続き輸液がないのでシリンジで少し多めに水を飲ませた。

本当なら夜11時くらいにもう一度給餌したいのだが、自主的に食べられないのに無理に食べさせるのはかわいそうなのだろうか。

いろいろ迷って悩むことばかり。

ちゅびの前では泣いていないが、ひとりで雑踏を歩く時、緩んだ蛇口のように涙がこぼれる。

明日が雪予報なので動物病院の夕方の予約を変更しなければと思い、ネット予約を見たらかろうじて11時半が一つ空いていた。

・・・

午後のラジオで金子勝さんの話を聞いた。お金を使って人気があるように見せるやりかたがナチスの時と酷似していると。

もうひとりのコメンテイターの人(名前失念)も、前の参院選と違うのはSORA2があることだと。フェイク動画が簡単にできてしまう。恐ろしい時代。

究極の、最悪の、人間(強者)中心主義。

2月5日(木)12.8℃

昼のうちに期日前投票へ。

・・・ 

今日は口を少しペチャペチャさせて唾液を出すしぐさが見られる。

昨日の抗がん剤のせいで吐き気があるのかと思う。

お日様を浴びて。

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・・・・

次の本の副題、考えていたのがおかしいかもしれないのだが、修正する能力がない。

頭が回らなくて言葉が出てこない。

私はいつもぎりぎりになると、どこからかアイディアが落ちてくるのだが、今回は朦朧としている。

カヴァーのラフを描いたが、これでよいとは思えない。

写真集と画集が合体している本なのでどのように考えていいのかわからない。

今日は私も食欲がなくて、朝ミルクティを飲んだだけで、夕方までお茶さえ飲めなかった。

精神的な疲労だと思うが、頭、首、肩の痛みと肋間神経痛。

顔の浮腫が酷くて眼輪筋が痛い。

過緊張で血行が悪くなっているのだと思う。

2月4日(水)

採決して白血球を計ったら12000に上がっていた。

それで抗がん剤をすることになった。

採決の針が入る時、痛そうにするので辛い。麻痺しているのは足の付け根だけということ。

吐き気がある様子なので先生は給餌しなかった。

うんこをしぼってもらう。ほんの少量で固い。

検査、抗がん剤、輸液で16000円超。明日と明後日は通院させないで私が給餌することになった。

病院から自宅に戻って薬を飲ませて、タオルケットで抱いていた時に地鳴りのように私のからだに響く振動の感覚があった。

確かにゴロゴロ言っていた。つかの間の喜び。

そのタイミングで給餌。

2月3日(火)

脚の付け根が麻痺して、ぐにゃっと曲がったまま前足で移動していて、座っているときも脚が異様な方向に出ている。

脚が付け根から折れているように見えて胸が痛くてたまらないが、自分では痛くはないみたい。

トイレ(低くしてある)にも自分で入れるが、片脚だけ入れないのを入れてやる。

だらっと横すわりになったままおしっこする。

便意があるのか一生懸命砂を掻いていたが下半身が麻痺しているので出すことができない。

明日、先生に絞ってもらうしかない。

2月2日(月)

白血球の検査で4000に下がっていたので今日は抗がん剤は打てず。

輸液。給餌。

 

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2026年1月26日 (月)

早稲田での発表 / ちゅびのリンパ腫が悪性だった

22日にちゅびの細胞診の結果が出て、「LGLリンパ腫」、リンパ腫の中でもたちが悪いものと知って、頭が殴られたようになり、文字通り倒れていた。

手術後、抗がん剤をやってもあまり延命できないかも、という記事を読み(それもちゃんとは頭に入って来ない)、精神疲労マックスになり、朦朧とした。

早稲田での発表のための準備に根を詰め、ずっと過緊張で頭痛や動悸、そこにちゅびのことで、まともに言葉が出てこない感じ。

毎日のちゅびの通院には行っている。

手術後、一度も自主的に食べてくれなくなってしまい、毎回、抗生物質の注射(抗生物質の薬を抵抗して飲ませられないため)と輸液と強制給餌をしてもらっている。

後ろ脚の神経が麻痺して引きずっているが、強制給餌の時には4本の脚で先生を思い切り蹴ってくるので、私が前脚を押さえている。

頭はよく動くし、表情はしっかりしていて、私の呼びかけにも応える。

私は悲しすぎて心臓も胃も頭も全身の筋肉も痛い。

ちゅびがかわいくてたまらない。

1月22日(木)

早稲田大学 谷昌親先生の授業で発表。

塚原史先生も聞きに来てくださった。

「画家の身体」 

〇絵はなんのためにあるのか 画家の身体とは
画家の身体は普通の人が見ていない、あるいは見えないものを見ているということ

〇自我、主観、主体、あるいはそれらの主権、理性、さらに客体化された論理、習慣、常識、そこで繰り返され循環するステレオタイプ、ありふれたもの・・・、そうしたものから逸脱は可能か

〇デッサンは自分の外にあるものを見て、自分が受容体になることで、主客未分の状態になる
「証言」

〇言語でないもの、人間の外にある生命、文化の外にあるもの、遺棄されたものへ寄り添う

〇絵であるものと絵でないもの 絵は自分の外にあるものとの関係性 
具象という意味ではない

〇絵が「現代美術」としてあるためには、「問いかけ」が必要

〇若林奮 「人間に興味を持たない」、作品の「相手は」「犬であるかも知れない」、「自分の現在と最初期との接近を考え、その間にある歴史を不要としたい」

〇革命

〇アルトー ブルトンへの批判、シュルレアリスム、画家の身体

〇視覚芸術と無意識について

〇人は「現実」=「むき出しのままの表層」こそを見ていない、ということ

〇シュルレアリスムの目指した可能性を現代に生きるには

〇「現代美術」と「現代アート」(仮)

〇デリダの残したもの 動物、共苦、人間中心主義への批判 懐疑不可能なものに先行する 

ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(ちくま学芸文庫 鵜飼哲訳)

・・・・

結局、誰にも理解されない問題を発表したのだと思う。

でも、自分にしか発表できないことを発表したのだからよしとする。

死ぬ前に一番言っておきたかったことを、まあまあ言えた。

Z世代の学生さんが助けてくれて動画撮影はできたのだが、それを私が短く編集してYOUTUBEにアップするには、そうとう時間がかかるだろう。

20年前、私は早稲田大学のけっこう大きい教室で発表をさせていただき、そのあと谷昌親先生の授業でも発表したのだが、

その当時、吉田文憲さんが早稲田で教えていて、吉田さんが塚原史先生や谷昌親先生につないでくださったのだ。

この「画家の身体」という発表も、吉田文憲さんが聞いたら、なにを言っているのかわかってくれたかもしれない。

20年前、私は吉田さんに常に「画家の身体」の話をしていて、それはアルトー的な「宿痾」だと言われていたから。

・・・・・

アルトーの「アンドレ・ブルトンへの手紙」(1947)鈴木創士訳

「私は秘密の世界や、世界に隠された何かがあるなどとは信じない。見かけの現実的なものの下に、観念、知覚、実在性、あるいは真理の、埋もれた、あるいは抑圧された初段階があるとは信じない。
すべてはそしてとりわけ本質的なものは、むき出しのまま表層にあったのだし、それが垂直に、そして奥底に沈みこんだのは、人間たちがあくまでそう主張するすべを知らず、そう望まなかったからだと私は思っている。」

「秘法伝授を誕生させたのは現実的なものへの恐怖である。(…)もしシュルレアリスム(超現実主義)が現実的なものでないなら、いったいそれが何になるのか? 
だが、そうであっても、もうたくさんだ。いかなる外観のもとにあろうと私はもう芸術には我慢がならない。芸術、すなわちひとつの打撃、糞、殺戮、戦闘、決定的な一掃でないものは。」

・・・・・・

福山知佐子「応鳴、息の犇めき──ジャック・デリダの動物論に寄せて」『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(ちくま学芸文庫)あとがきエッセイより

〈先決的、かつ決定的な問いは、動物が、苦しむことができるかであるだろう〉という言葉をめぐって、語れる能力を持っていることを示すことではなくて、動物たちの苦しみをどれだけ〈共に〉苦しむことが〈できる〉のか、どうしたらその苦しみを〈限界の周りで、限界によって〉〈養い〉、〈生成し、育成し、複雑にできる〉のかということだろう。
 
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打ち上げのサイゼリヤにて塚原史先生と谷昌親先生と
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2026年1月19日 (月)

ちゅびのリンパ腫の手術、成功

1月18日(日)

ちゅびのリンパ腫の手術、一応成功。
一応というのは、小腸を塞いでいた一番大きな腫瘍だけ摘出できたということ。

腫瘍がほかの臓器と絡んでいるがゆえに摘出できず、小腸のバイパス手術、みたいな恐ろしいことにならなくてよかった。
小さい腫瘍はいろいろあったみたい。詳しく聞いてないが。
それは抗がん剤に頼るということになるのだろう。

あとよかったのは、首に栄養を入れる管を入れられていなかったこと。
「内臓の色がきれいだったからだいじょうぶそう」みたいなことを言われた。

それと、押し入れの奥で発見された時から今現在までの中では一番元気そうだったこと。
麻酔のせいか低いどら声になっていたけど、頭を大きく動かしてすごく声が出て、キャリーの中で少し暴れていた。
もっとぐったりしているのかと思ったので、それには感動した。

明日まで絶食、明後日から食べさせてよい。栄養ちゅーるでもなめてくれればいいが。

飲ませなければいけない抗生物質の錠剤を2種類出された。

ちゅびが押し入れの奥の奥で発見されて病院に連れて行ったのが14日、

そこでリンパ腫のがんと言われてから、今日の手術までにかかったお金、ゆうに50万円近く。

(手術はしかたないが、CTの料金が高すぎると思う。全身麻酔CTと細胞診で16万以上かかった。)

私の飲んでいる癌の分子標的薬レットヴィモは1錠保険で8000円近くし、私はそれを毎日6錠飲んでいるので、ざっと月に140万円くらいかかっている計算になるが、高額医療の限度額制度を受けている。

ちゅびの医療費は私の年間にかかっている医療費をたった4日で超えてしまった。

最初はあまりのショックで、奈落の底に突き落とされた気持ちだったが、

今まで本当にこつこつと使わないで貯めてきたお金が、ちゅびの命のために使うことができた、と思うと少しすっきりした。

私が貯金ゼロで、そのせいでちゅびの腸が破れて死ぬような死なせ方をしたら、おそらくそうとう自分を責めてしまうだろうから。

1月19日(月)

ちゅび、昼くらいまではきのうの手術当日よりはぐったりしていた。疲れが出たのか?

しかし夕方には抗生物質を飲ませようとしたら暴れて飲ませられなかった。

結局、病院まで連れて行って、先生に飲ませてもらおうとしたら・・なんと暴れて先生でさえ飲ませることに失敗し、抗生物質の注射をしてもらった。

 

 

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2026年1月18日 (日)

ちゅびが末期がんだった

1月18日(日)

うちの長男のちゅびが今頃、おそらく手術中。

病院にちゅびを預ける直前に、キャリーの中のちゅびをなぜて、ちゅび、ちゅびと何度も呼んで泣いた。

眼もしっかりしているし、頭は元気そうに動いていた。

1月12日の夜、ちゅびが私の布団に入って来なくて、あれ?と思ったが、そんなに深刻に考えられなかった。

1月13日、私は国立がん研究センターにMRIの結果を聞きに行っていた。

夕方、マッサージを受けて帰宅してもちゅびが近くにいない。その夜も私の布団に入って来ず、どこで寝ているのだろう?もしかしたら急死?と急に不安になった。

14日、家じゅうを探していなくて、動物病院に電話したら、どこかで瀕死の状態になっているかもしれないから、とにかく探して、と言われ、

必死になって探したら、奥の部屋の押し入れの奥の奥にいた。頭が動いていた。とにかく生きていた。

すぐに病院に連れて行き、先生の触診で「おなかになにかあるね」と言われ、信じられなかった。

「腫瘍ってがんとは限らないんですよね?」と思わず聞いて「がんだと思う」と言われ、レントゲンを撮って、5㎝で腸を塞いでいると言われ、

ショックすぎて気持ちが追いつかなかった。

だって数日前まで、おやつを要求して私を嚙んだり、お風呂の蓋の上でお湯につかっている私の頭に頭をがつんがつんなすりつけてゴロゴロ喜んでいたり、プフを後ろから羽交い絞めにして怒られていたり、チョッピーにいたずらを仕掛けられて家じゅうを走り回ったりしていたのだから。

一昨日までは普通に食べていたと思うが、4.6㎏になっていた。今まではずっと6㎏。

腫瘍自体の痛みはないらしい。

2か月前くらいから、少量の胃液を吐くことがあったが、そのあとには食欲旺盛でけろっとしていたので、空腹で吐いたのかと思っていた。

それが腸に腫瘍があるからだなんて、とても考えられないほど元気だったから。

15日に浦和のCTができるところで検査。おそらくリンパ腫と言われた。

ほかにもいろいろ病気が広がっているみたいだが、頭に入って来ない。

全身麻酔の後遺症なのか、脳の神経まで病気が広がったのか、検査から戻ったちゅびは足が立たなかった。

私がイメージしたのは、とにかく緩和ケア(猫にそういう治療があればだが)・・・

16日に病院によばれ、抗がん剤か手術か、と言われ、その時もいろいろわからなすぎて、何も想像ができなかった。

「抗がん剤は割と効果がある、今日から打とうか」と言われ、それでいい、と最初思ったが

「いや、これだけの大きい腫瘍が抗がん剤ですごく小さくなるとは思えない」

「手術をしないと、このままでは腸が破けてしまう可能性がある、腸が破けたらそうとう痛い、もう助からない」

「けれど手術をしたら2週間は抗がん剤はできない、そのあいだに衰弱して死ぬかも」

「いや、手術後に弱い抗がん剤をやる手もあるな」

「手術自体で死ぬこともあるんですよね?」「もちろんあるよ」

先生もどうしたらいいか、すごく迷われていて、もう先生の決断におまかせするしかなくて・・・

手術をして、同時に首から栄養を入れる管を入れることができる、と言われたが、もうかわいそうすぎて、どう受け止めたらいいかわからなかった。

前のちゃびの時、あまりにもちゃびが死ぬことが怖すぎて、最後は1日おきに輸液したり、食欲増進薬を飲ませたり、給餌したりしたけれど、

不自然だったのかもしれない、エゴだったのかもしれない、とすごく悩んだから

3匹と暮らし始めたときは、今度は何かあってもやりすぎない、と心に決めていたのに。

しかしちゅびはまだ7歳だということで、手術にかけてみることになった。

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2026年1月15日 全身麻酔でCTを撮ったあとのちゅび。

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2006年1月4日 私の脚のあいだにべったりで電気毛布で温まるちゅび。

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2025年12月28日 お風呂の蓋の上で蛇口に顔をすりすりしてご機嫌なちゅび。

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2025年11月21日 プフのおなかに顔をうずめて眠る幸せなちゅび。

 

 

 

 

 

 

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