文学

2016年11月19日 (土)

出版四賞パーティー

11月18日

今年もFと集英社出版四賞のパーティー(帝国ホテル)へ。

ストール、ブラウス、スカート コート、靴まで全部古着。

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今年もFが仕事で遅れて来たので、授賞式は最後のスピーチと受賞者の花束贈呈のところだけ出席。ぎりぎり間に合ったので掲載誌はもらうことができた。

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そしてビュッフェ。私はぺスコベジタリアンなので、毎年、魚介の前菜が楽しみ。特にウニとカニとアワビ。お寿司もおいしかった。
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テーブルに勝手に肉の皿を置いていかれるのを断固拒否。こちらの会話がとぎれさせられるし、食べ物をとる時も邪魔なので、いい加減にパーティーコンパニオンは廃止してほしい(学生時代には私もこのバイトをしていたけど、今はそういう時代じゃないと思う)。
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Fには席に座っていてもらって、私がちょこちょこと二人分の好きな食べ物を運んでくるのが楽しい。逆に私は人が食べ物をとってくれたりたり、取り分けてくれたりするのが嫌いだ。

Fも私も肉とお菓子を食べない。食べ物で相手に気をつかわなくていいことは私にとってすごく楽。
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Fと会うと、話すことがいっぱいあるので、いつも弾丸のようにしゃべっている。文章のこと、絵のこと、人との関わりの質のこと、動物との関わりの質のこと。

次の私の画集にのせる文章に関して、絵にあう(植物についてなどの)文章でなくても、自分の気持ちが一番のって書ける内容を書けばいい、とFは言ってくれた。

私は表面的で当たり障りのない話をしてくる人がすごく苦痛で、核心的な話しか興味がない。Fにはいきなり核心の話をできるので、私は無味乾燥な会話をしている焦燥にかられることがないので嬉しい。

いつも私がなにに全身を動かされているか、どんなことにすごく苦しむかについてFはよくわかってくれているので、なにを話しても、ちゃんと重みのある対応がかえってくる。

最近、心底思うことは、なにに夢中になるか、なにに嫌悪を感じるか、根源的なところで話が通じる人に出会えるのは奇跡だということ。

心が通じる人は数回会っただけで通じるし、通じない人は何十年つきあっても無理だ。

普段は着ることのないアンティークレースのブラウスを着たので記念撮影。
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夜も明るい日比谷花壇のウインドウの前で。日比谷公園では菊花祭りで、たくさんの屋台が出、混雑していてた。
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かわいい桜の花が狂い咲きしていた。ソメイヨシノではない。暖かい夜だったのでお濠のほうへ歩いた。
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お濠には二羽の白鳥がゆったり泳いでいた。暗くて写真には写らなかったが、闇の中に優雅な生き物がひそんでいたことにどきっとした。

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しーんとした夜の都会の水際はカメラを通して見ると余計に美しかった。

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柱頭がライトアップされている東京商工会議所の重厚な建物。
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納戸色の空と光が反射した銀杏と、車の入れない、人もいない空間がすごく幻想的で素敵だった。

毛利武彦先生の「首都風景」や「秋映」という絵を思い出す。銀杏が金色に光るこの時期に都会の風景がしんと静まりかえり、違和を感じるほど見知らぬ場所になる、このはっとするような変容に惹かれたのだろう。
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反対側に東京駅。幅の広い道路と冷たい空気。ドイツやイギリスに行ったときの感覚がよみがえる。高円寺の細いミクロコスモスの路地も大好きだが、都心の冷たい風景も好きだ。

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丸の内のライティングの通りの横を抜けて東京駅から帰宅。

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2015年12月24日 (木)

毛利武彦先生の原稿と阿部弘一先生の書簡 / 西新宿

12月23日

わが師、毛利武彦先生の奥様から、レターパックが送られて来た。

なんだろう、と封を開けてみて、衝撃に打たれた。

詩人の阿部弘一先生から毛利武彦先生に宛てた手紙の束と写真、そして毛利先生の直筆原稿。その原稿は、おそらく阿部先生が現代詩人賞を受賞された時のスピーチのためのもの。

今さらながら、師、毛利武彦の筆跡のものすごさに圧倒される。知的で美しいというような形容をはるかに超えて、師の「絵」そのものだ。

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そして阿部弘一先生が毛利先生に宛てた、二人で詩画集をつくる計画の内容、装丁の相談の手紙。

阿部弘一先生が、フランシス・ポンジュの墓を訪ねた時の、青い海を背にした白いお墓の前での青年の阿部先生の写真。

この原稿、書簡、写真は、阿部先生が持っていらしたフランシス・ポンジュからの書簡などを追いかけるかたちで、世田谷文学館に保管してもらう予定である。

12月18日

長髪で美貌の一級建築士Sが、崩壊しそうな福山家の床下を見に来てくれた。

Sは、70年代の、まだ華奢だったジュリーをさらに女性っぽく、睫毛を長くして、鼻筋は丸ペンで引いた線のようにすうっとまっすぐに細く描いた感じ。

きょうのジュリーは作業着ではない。私服(ダウンジャケットにジーンズ)で汚れる作業をしてだいじょうぶなのか、と心配になる。

畳を上げるためにまず箪笥を移動。その瞬間、箪笥の後ろの罅がはいっていた壁が崩落。ものすごい土埃に「ギャーッ!!」と驚く私。

「土台の板が崩れたわけじゃないからだいじょうぶですよ。車から掃除道具持ってきますから。」と、てきぱきと処理するジュリー。

畳を上げてみて、猛烈に黴の臭気が漂う中、「これはまずい。床がこっちまでくっついてる。」とジュリー。

床板が大きくてはずせなかったため、一部を四角く電動のこぎりで切ることになった。

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板を打ちつけてある釘も古くて錆びていて、バールで引き抜こうとしても釘の頭がもげてしまう。

たいへんな作業だったが、素手で淡々とこなしていくジュリー。やっと床板の一部分を外すことができ、黴と埃で恐ろしく汚い床の上に、惜しげもなく私服で寝転んで床下を覗くジュリー。

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こんな汚くてたいへんな作業をしてくれるのか、とありがたく思うと同時に、いったいこの古い家をどのように修理、改築するのがいいのか暗澹とする。

12月7日

昔、西新宿でご近所だったEさんと「砂場」で昼食。

昔の西新宿の話、知り合いの消息を聞く。Eさんの若い頃の話も。

Eさんに会うたび、ご高齢になっても、どうしてこんなに若くて元気で頭がしっかりしているのだろう、と感動する。

八ヶ岳に行って来たお土産だと、甘いお菓子に興味のない私のために、ちびきゅうりの塩麹漬けをくれた(これがめちゃくちゃおいしかった)。

Eさんと話していて、長く忘れていた西新宿(昔の十二社)の商店街の記憶が蘇って来て、何とも言えない気持ちになる。

黒い土の上に部品が置いてあった瓦屋さん、少年まんが週刊誌を読みたくて通った甘味屋さん、水っぽい焼きそばとかき氷を食べたおでんやさん、楳図かずおの「おろち」に夢中になった貸本屋さん、ミセキというお菓子屋さん、ヒロセという魚屋さん、エビハラというパン屋さん・・・。

暗渠の脇にくっついていた平べったい小さな家たち。

西新宿が開発されるとともに商店街も無くなり、小学校、中学校の時の友人は皆、遠くに引っ越してしまった。大通りから少し引っ込んだ坂の上の私の実家だけがボロボロになって残っている。

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2015年11月25日 (水)

出版四賞パーティー

11月20日

Fから久しぶりに集英社の出版四賞パーティーに行ってみようと誘われたので、夕方、会場のあるホテルへ。

ロビーで座って待っていると、テロ警戒のためか、警備の人が何度も金属探知機のようなもので花を飾ってある奥のほうをさぐっていた。

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この植え込み、よく見るとススキやユリは本物だが、地面の石の上に散らしてある紅葉はビニール製だ。

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きょうも上から下まで(コートも)古着の黒のベルベット。自作の布花の大きなコサージュを二つまとめて胸につけた。

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Fは仕事で遅れ、6時過ぎに来た。3階の会場に行くともう授賞式は終わっていて、立食パーティーがまさに始まるところ。(「いいタイミングだったネ」とにっこり)

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「この余りまくっている料理を全部、日比谷公園のホームレスに持って行ってあげられたらなあ。」「ほんとにねえ。余るところには余ってるのにねえ。」

受賞者や出版社の人たちなどは、ほとんど何も食べないで話しまくっていて、豪華な料理がもったいない。貧乏な私たちは、とにかく久しぶりの栄養補給のためにも、ひたすら食べましょう、ということで。

Fは何人もの知り合いがいると思うが、誰とも顔を合わせず、挨拶することもなく、好きなものを食べて話しまくった。

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動物を殺すのが嫌で肉類を一切食べないが、魚介は食べる。好物のエビ、カニ、オマールエビ、サザエ、アワビ、ホタテ。

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またサザエ、カニ、オマールエビ、フルーツ。

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またまたおかわり。このウニの殻にはいったウニのムースと、アワビのスモークがおいしかった。

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夢中で話しながら食べていると、まだ空いていないお皿を下げられたり、席を立っているうちに、絶対食べられない肉類を勝手にテーブルに配られたりするのはストレスだ。

むこうが「決まりきった」「習慣の」サービスをしてくることがストレスになる。余計な労働はなくするべきだと思う。

フルーツをとりに行っても、門番のように給仕の人が立っていて、「おとりしましょうか?」と言われるのが鬱陶しい。いちいち種類を告げて皿に盛りつけてもらうのは、検閲されているようで苦痛だ。

コンパニオンの人にビールをつがれるのも嫌だ。すべて「けっこうです。自分でやります。そのままにしておいてください。」と言うしかない。

Fに、若き獣医師、快作先生の話をした。Fはたいへん興味を持ったようだった。

彼は動物の命を守ろうとする行動に対して、たくさん誹謗中傷(というような次元ではない暴力)を受けても、「それは当たり前のことだ。」と受け入れて、怯むことがない。

私がすごいと思うのは、まったく気持ちや考えが通じない相手にも、何度も話せば、必ず少しずつでも考えが通じると信じる強さだ。Fも「それはすごく強いね。」と感心していた。

(よくあることだが)会話の中で「・・・ですよね。」と、こちらの意思を確認せずに決めつけられてしまった時に、その場ですぐに、決して大きな声ではなく、明るく、ボソッと「それは違うと思いますけどね。」とさらっと言えること。

「そうじゃないんです。そういうことはむしろ、すごく苦痛なんです。」とさらっと言うことができずに、その場を我慢して、どんどんストレスが溜まって、人と会うのが苦痛になってしまう私が学ぶべき才能だ。(心で激しく同調できないことを叫びながらも、いつも、どうしても言葉が出てこないのはなぜなのだろう。)

パーティーがひけてからも、ロビーの椅子に腰かけて話した。絵のこと、文章のこと、子供の頃、最初に衝撃を受けてずっと心に残っているものの話、幼い頃、強烈に魅せられた絵本を最近偶然手に入れたことなど。何が伝わるか、伝わらないのか。

Fは、ボソッと言った。「最近、思うんだけど、自分が書いた(文学)作品を、それを本当はどんな気持ちで書いたか、他人にわかることはないんじゃないかって。それが絵だったら、言葉でないだけ、なおさら、他人がわかることはないんじゃないかって。」

Fの言ったことは、私も、最近ずっと思っていることだ。

私がものすごく興味を持って、それがなければ生きていけないくらいに思っているもの(その多くは人間の文化に属さないものだ)が、他人にはまったく関心のない、その人たちの視界には存在しないようなものだと、嫌というほどわかってきた。また、そのギャップは、私が想像していたよりはるかに深く、埋められることはない、と、少しずつわかってきたのだ。

昔で言えば「トマソン」のような、人がほとんど興味を持たず、かえりみないものを徹底してコレクションしている人とも、たぶん感覚のありかたが、私は違う。それがどう違うのか言葉にするのは難しい。

それでもFは、私の絵を見ることができる(ということを実際に私に知らせてくれる)。

私の絵についてFは言った。「たとえば、虹色の華やかなパンジーの絵はぱっと人目を惹きつける。だけど、あなたらしい、あなたそのものなのは、ハルジョオンに絡みつくヒルガオやスズメノエンドウ、ノブドウやアオツヅラフジのような蔓草。そして腐蝕画だ。」と。

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2015年7月19日 (日)

『あんちりおん3』できました

7月18日

友人とつくっている雑誌『あんちりおん3』ができました。

今回は、友人が私の本『反絵、触れる、けだもののフラボン』に対する批評の特集号をつくってくれました。

私は表紙画をやっただけで文章を書いていません。

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『あんちりおん』3号 総特集:福山知佐子『反絵、触れる、けだもののフラボン』を読む

執筆者(あいうえお順)


阿部弘一(詩人、フランシス・ポンジュ研究)
鵜飼哲(フランス文学・思想)
斎藤恵子(詩人)
佐藤亨(イギリス・ アイルランド文学、アイルランド地域研究)
篠原誠司(足利市立美術館学芸員)
清水壽明(編集者)
鈴木創士(フランス文学・思想)
田中和生(文芸評論)
谷昌親(フランス文学・思想)
花輪和一(漫画家)
穂村弘(歌人)
堀内宏公(音楽評論)
水沢勉(神奈川県立近代美術館館長)
森島章人(歌人、精神科医)

+α・・・

興味を持ってくださるかたはこちらまでメールでお申し込みください。

http://blog.goo.ne.jp/anti-lion/e/9058c9bab36f1799e61dc98242d4c982

送料140円+カンパでお送りしております。

鈴木創士さんが図書新聞のアンケートに書いてくださいました。

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「『ANTI-LION3あんちりおん 総特集・福山知佐子『反絵、触れる、けだもののフラボン』を読む』(球形工房)

これまた一人の画家の書いた本に捧げられた論集である。鵜飼哲、阿部弘一、花輪和一、吉田文憲ほかによる熱いオマージュ集。このこと自体が今では稀少なことであるが、一人の画家による文章の極度の繊細、犀利、真率、真摯、苦痛に、批評家たちは幸いにもやられっぱなしである。この女性画家を前にして、プロの書き手たちがなんだか可愛らしく見えてしまうのは私だけであろうか。」

上の文章は私にはもったいない、あまりに心苦しい、全身から汗が噴き出すようなお言葉であるが、鈴木創士さんがこんなにも書いてくださったことに対する、胸の痛みと心よりの感謝を表明するために、謹んでここに記しました。

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先日、『あんちりおん3』を、今月20日まで限定で復活している、リブロ池袋本店内の詩集・詩誌の専門店「ぽえむぱろうる」に置いていただきました。

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かつて詩が最もアクティヴな生命力を持っていた頃と比べて、今現在は、詩を取り巻く環境も、詩のありかた自体も恐ろしく変わってしまった。

きょう、7月18日、新宿の地下街の雑踏の中で、

「多くの人が必死で国が強硬に進める安保法制と闘っているこの時に、天皇に恩賜賞なんかもらっている詩人がいる。吐き気がした。」

と私の友人は言った(その友人も詩人である)。

その言葉に非常に励まされた。時代状況が最悪になっても、友人が変わっていなかったことにほっとした。

おかしいと思うことをおかしいと言えない、吐き気がすることを吐き気がすると言えない逼塞した現状でも、やはり、吐き気がすることは「吐き気がする」と言っていいのだと思った。

友人は「頭がよくても体質的に合わない、と感じる人に理解されようと努力しないでいい。わかってくれる人はどこかにいるはずだ。」と言った。

ちなみに、私の本『デッサンの基本』と『反絵、触れる、けだもののフラボン』の帯文を書いてくださった谷川俊太郎さんは、国家からの褒章を一切もらっていない。谷川さんも、そこらへんは非常にはっきりした人なのだと思う。

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詩人のパネルや詩についての記事など展示されているぽえむぱろうるの様子(7月13日撮影)。
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谷川俊太郎さんや田村隆一さんの若い頃のお姿。

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池袋のぽえむぱろうるに行った日(7月13日)、巣鴨に寄った。偶然見つけた廃屋の前で。

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この日の夕焼けは紫と金色が水平に幾重にもたなびいていた。

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2015年7月 3日 (金)

阿部弘一先生のお宅訪問 毛利武彦先生の画 

6月27日

朝、雨だった。午前中に家を出、阿部弘一先生のお宅へ。

阿部弘一先生は詩人で、ポンジュの『物の味方』(1965)、『表現の炎』(1982)、フランシス・ポンジュ詩選』(1982)なども訳された方だ。詩集は『野火』(1961)、『測量師』(1987)、『風景論』(1995)などがあり、現代詩文庫にもはいっている。

玄関で『あんちりおん3』への寄稿の御礼を申し上げた。

玄関には、阿部弘一先生のご親友であり、私の師である毛利武彦先生の版画がいっぱい飾ってある。阿部先生の詩集の装丁は、最初の詩集『野火』より以前の、同人誌『軌跡』の時から毛利武彦先生が画を描いている。

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上の画像の、壁の上段真ん中の絵が阿部弘一先生『測量師』のカバーの絵。

タンポポの穂綿を決して丸く描かず、種子が離れていく時のもっとも面白い瞬間を描いていることに、徹底して俗を嫌った毛利武彦らしさがある。

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毛利先生は非常に厳しい師であったが、多くの教え子に慕われていた。

阿部弘一先生はというと、今時どこにもいないほど敵意と拒絶の意志を持って文壇・詩壇との関わりを断った詩人であり、人の集まるような場所に出向くことはない。

私の個展はずっと見ていただいているが、こうして、やや強引にだがお宅を訪ねることによって、久しぶりにお目にかかれてたいへん嬉しかった。

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大正9年、阿部先生のお母様が教職についた頃に弾いていたという古い貴重なオルガン。このオルガンや、阿部先生のご両親についての文章、フランシス・ポンジュ訪問記などのエッセイは、同人誌『獏』に書かれ、現代詩文庫『阿部弘一詩集』(1998)に納められている。

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阿部先生が弾くと、抵抗感と温かみのある本当に大きな風の声のような荘厳な音が広がった。
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このオルガンは引き取ってくれる演奏者を探しているということだ。
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阿部弘一先生は椿がたいへんお好きで、椿の樹だけで70本もあるという古い庭を案内してくださった。

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椿の中では、やはり侘助が一番好きだと言われた。いくつかの椿の樹は紅を帯びた艶やかな実をつけていた。足もとには可憐なヒメヒオウギが咲いていた。

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美しい苔にまみれた梅の樹。「あなたは苔が好きなんだよね。」と笑って言われた。

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この日、たいへんなものをお預かりしてしまった。阿部弘一先生の詩集の装丁のために描かれた毛利武彦先生の画だ。

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上の画像は毛筆で書かれたあまりに美しい毛利武彦先生の文字。

下の画像は、使われなかった装丁案の画(黒い背景にヒメジョオンの花が白く描かれている)と、阿部弘一詩集『測量師」の中から、毛利武彦先生が抜き書きしたもの。

そこから 退いていった海

そこで氾濫しかえれなくなった河

砂になった水

そこにまだ到着していなかった 

人間の声          (「幻影」より)

では これが解なのか 

風よ 野を分けて行くものよ

だが 私たちにどうして

死と生と この涼しい風のひと吹き

の意味とを 識別することができる

だろう             (「夏」より)

            一昨年 ひめじおんの風播を試みて失敗してしまったのです

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『測量師』の中に幾度か「ヒメジョオン」ということばがでてくる。

阿部先生の未刊行詩編の中にも「ヒメジョオン」という詩がある。その「ヒメジョオン」という詩から少し抜き書きしてみる。

盲目の私たちのあかるすぎる視野いちめんに

おまえはそよぐ

おまえの無数の白い花でさえひろがりの果てで風にまぎれ

私たちの何も見えぬ視野をいっそう透き通らせて行く

それはかつて誰のまなざしの世界であったのだろう

夏の野に突然おまえを浮かび上がらせはるかな風を誘い出し

その広がりのままおまえから夏のおまえの野から不意に視覚をそむけてしまったのは

一体誰なのだろう そしておまえの野と向きあっている私たちのとは別の

もっと大きいどんな盲目にいまそのひとは耐えているのだろう どんな

内部の暗闇の星につらぬかれて深く視野の叫びを秘めているのだろう

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下の画像は『測量師』の別丁扉。

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下の画像は、その原画。

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下の2枚は、同じ別丁扉に使われなかった画。
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下の画像は、昭和31~32年頃、阿部弘一先生が28~29歳の時に、つくっていた文芸同人誌『軌跡』の表紙。

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下が毛利武彦先生の原画。よく見ると線の方向や人物らしき影の位置が違うので、下の画から、さらにヴァリエを制作して『軌跡』の表紙としたようだ。
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阿部弘一先生にたいへん貴重なものを預かったこと、私の心から尊敬する詩人がそれを私に託してくださったことはありがたいが、重い。

大切なものを保存、保管してくれるところがないこと、それを保管しても、誰が読み継いでいくのかということ。

私も、自分が何かを書いて、たいへんな思いをして本を作っても、誰が読んでくれるのだろうか、と常に考えている。絵を描いても、それを廃棄しなければならないかもしれないことを常に考える。

私の鬱の原因のほとんどが、この問題に起因する。

6月26日

アマゾンが本を2割引きで販売する話、大手出版取次業が倒産した話のニュース。

出版不況の閉塞感、絶望感に鬱々としてくる。

本当に読まれるべきもの、残すべきものが残せないで、一般に売れる本、つまり気晴らし的なものしか売れない世の中は恐ろしい。

6月25日

夕方、阿部弘一先生の家を訪ねたがお留守だった。

和田堀給水塔は、不思議な城のような、強烈に惹きつける古い建造物だ。一番古い部分は大正13年につくられたらしい。この敷地内にはいって自由に撮影できたらどんなにいいだろうと思ったが、残念なことに今は壊されているところで、柵の外からしか撮影できなかった。

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初めて降りたこの駅は不思議な場所だった。駅前に、ほんの少しだが戦後闇市のような小さな長屋のような食べ物屋が連なり、そのほかはこれと言った商店街はない。

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住宅街を歩く途中、ぽつんとある銭湯を見つけた。その壁にオロナミンCの錆びた看板が残っていた。

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下は裏から見たところ。
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小田急線の方へと歩いて行くと、先ほどの闇市とは対照的な、巨樹の影に瀟洒な建物が続く恐ろしいほど豪奢なお屋敷町となる。

木々は100年以上は生きていそうであり、「昔はあそこらへんは風のまた三郎が出て来そうなところでした。」と阿部弘一先生がおっしゃっていた。

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大きな熟れた実をつけた李の樹があったので撮っていたら、著名な批評家Hさんのお宅だった。

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2015年6月15日 (月)

宇野亜喜良全エッセイ『薔薇の記憶』 / 大日方明、志村立美

6月14日

80歳になっても謎めいて華麗な絵を描き続ける宇野亜喜良の感性の源をさぐるべく、彼のエッセイ、『薔薇の記憶』(2000年、東京書籍)を読んでいた。

印象に残るところは、たくさんあるのだが、非常に人間が好きで、人間がつくった文化に深く関心があるところが、まさに「イラストレーター」なのだと思った。

映画を見るときも、絵を見るときも、「メタファ」「形而上学」という言葉が何回も出てくる。つまり「読んで」いるのだ。

(私の場合は、人間が嫌いではないけれど、むしろ人間がつくったのではないもののほうに関心が向いているので、映画を見るときも、そこに意図なくして映りこんでいるもののほうに関心がいく。)

絵、イラストに関する印象に残った部分の覚書。

「イラストレーターは大衆の意識を科学的に反映させるのではなく、あくまで自分自身を大衆のなかの一人として認識し、快楽し、悲しむことによって獲得するのである。」(「夢二の絵に出会った日々」)

「ラッカムのように偉大なる巨木を育てたイギリスという国は、保守と前衛が不思議に共存する国で、パブなんかではシルクハットの老人と銀ラメのロックンローラーが同席して風景化しているようなところがあり・・・(中略)・・・マザーグースふうのおばあさんや、デパートのエスカレーターを走って駆け上がる紳士なんか日常に見ることができる」(「アーサー・ラッカムのこと」)

「モデルと、それを客体として二次元表現に置き換える芸術家との遊戯的関係において、ラルティーグとパスキンの二人に、共通の天才性を見つけることができる」(「ひとりごと裸体画論」)

「ぼくにとって人間が最も近しい風景と感じられる」(「九つのモノローグ」)

「あれは六〇年代、演劇のコンセプトなど話し合わなくても、感覚的な部分で連帯する同志であり、共犯者でもあるという、奇妙に幸福な時代だった。」(「ポスターという名の恐怖、あるいは懐かしい風」)

「ぼくも自分でやった仕事のなかで一番好きなものでもある。・・・(中略)・・・ボール紙のアルカイックな質感を感じていただいたあと、すべての光を吸い込む闇のような黒、それを日常にもどしてくれる光沢のあるマイカレイドの扉、そして本文にはいっていくという時間の儀式は、やはり平気で気障が演じられた若さという季節の産物であろう。」(「高橋睦郎詩集の装丁」)

「少年の背景にはなにひとつ描かれていなくて、白味がかった朱一色である・・・(中略)・・・紅や朱ほど感情的ではなく、春の曙を瞼の裏で知覚するような、あいまいな色彩、甘美な倦怠と気品の色彩である。」(「春信の色彩感覚」)

「やはり夢二の魅力は、感情がきわどいところで空間感覚や造形化に転化しているという、スリリングなバランスにあるような気がするのだ。」(「抒情画、あるいは鏡の国の少女たち」)

「『それいゆ』は、戦後のロマネスクの象徴だった。・・・(中略)・・・それが大人の目からは少女趣味と言われようと、機能だけで良い時代への反逆であり、ながい戦争の時代がなくしていた美しき心へのルネッサンスでもあったような気がする。」(「抒情画、あるいは鏡の国の少女たち」)

「創刊当時の『こどものとも』に好きな本がいくつかあって、たとえば長新太さんのものなどべらぼうに新鮮で、神様だけが喰べている果実のような、とても良い香りを発散していて」(「僕の好きな絵本」)

「西陵高校二年、十六歳の時、それまでに描き、創った作品ごと僕のことが新聞で取り上げられた・・・(中略)・・・僕はほとんど呆然としてしまい、しばらくはその出来事に浸りこんでいたが、それが醒めると、絵を描くことを自分の仕事にしようと決めたのだった。」(「父の記憶――昭和十年代後半」)

「僕は挿絵を小説の内容の視覚的な説明ではなく、もう少し別な性格を持ったもの、たとえば小説という台の上にデザインされたダイヤモンドのように、その位置において効果を発揮し、またそれ自体独立した光も所有するもの、そして、読者の気持ちをも映しこむようなそんなものを考えている。」(「イルフィルのこと――昭和39年」「僕の個人史」)

「「読むとディテールにこだわりすぎて、説明的なものになってしまいそうな気がするので、プロットだけを聞かせてください」と我儘を言い、今江さんはそれを気持ちよく承諾してくれた。・・・(中略)・・・今までの児童文学にはなかったタイプの絵だったらしく、今江さんは、もう一度原稿に手入れすると語り、一年後絵本『あのこ』は完成した。」(「『あのこ』との邂逅――昭和四十年)」「僕の個人史」 )

「ちょうどその頃、アートシアターのあった新宿の街は〈新宿ルネッサンス〉とでも言うべき時代のさなかで、僕はそこにのめりこんでもいたので、仕事と日常が境界を失くし、すべてがごたまぜになった不思議な一時期をすごしたのである。

昭和四十五年には、新宿厚生年金会館小ホールで、寺山修司作・演出による『千一夜物語・新宿版』の美術を手がけた。

『千夜一夜物語』の性と幻想の世界は、その当時の新宿の街にもっともふさわしいものだったようで、僕は社会的なものの自然感情の反映のようなイメージが次から次へと出てくる舞台をつくることを試みたのだった。

同じ年の十一月、アートシアター新宿文化で上演された『星の王子さま』は、レスビアン・バーのマスター(女性)が勢揃いして歌舞伎の『白浪五人男』のなかの稲瀬川の場のパロディ劇をするといった幕間狂言もあり、見世物小屋的な極彩色の装置をつくった。作・演出は寺山修司である。

三作品とも、ある興奮状態のさなかにあった新宿の街を抜きにしては考えられず、その時代の私もまた、二十四時間、得体の知れぬ何かに熱狂していたようだった。

ひとつの街が自分の体に密着するようにしてあった、という経験はそれ以後はない。」(「『あのこ』との邂逅――昭和四十年)」「僕の個人史」 )

・・・

宇野亜喜良さんが子どもの頃に好きだった挿絵画家、石井鶴三、宮本三郎、松野一夫、河目悌二、木村壮八、『それいゆ』に描いていた中原淳一、玉井徳太郎、村上芳正・・・

この中で、村上芳正の絵はジャン・ジュネの文庫本カヴァーなどでおなじみだ。

そして、なんと玉井徳太郎の絵本を私は持っていたのである。講談社の絵本ゴールド版『アルプスの少女』。眼はすごく大きいわけではないのに睫毛が長い、個性的なきりっとした少女の顔を描く画家。明治41年生まれとある。

昔の講談社の絵本ゴールド版で、私が大好きだった画家は大日方明と志村立美だ。

以前にも書いたが、特に大日方明の『しあわせの王子』と志村立美の『安寿と厨子王』には魂を奪われた。

下が玉井徳太郎画『アルプスの少女』。ハイジが夢遊病になるシーン。(画像はすべてクリックすると大きくなります)

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下が大日方明画『しあわせの王子』。大日方明は明治35年生まれで、普門暁に師事、元商業図案家だったらしい。
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表紙裏に「(前略)・・・この「しあわせの王子」は道徳さえもあざ笑って踏みにじるという、唯美主義者のワイルドの心の底に、ただ一つ、さんぜんとして輝いていた人間愛の結晶をつかみ出して、子どもたちのために、懸命に書いたものにちがいありません。したがって、哀れにも美しい物語は、幼いものにも、心暖まる、深い感銘を与えることでしょう。」と土家由岐雄の文がある。

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しかし、幼い私には、ツバメがあまりにもかわいそうで、かわいそうで・・・たいへんショックな話だった。

大日方明の色彩はシックで抒情的で、デザイナーでもあっただけあって、「塗り」がすごくきれいなのに驚かされる。

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下は志村立美画、山手樹一郎文の『安寿と厨子王』。山手樹一郎は明治32年生まれで「桃太郎侍」を書いた作家である。

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志村立美は、明治40年生まれで、18歳で雑誌の挿絵を描き始め、丹下左膳、人妻椿、投節弥之など、一世を風靡した傑作の挿絵を描いた人。下の絵の構図など、恐ろしく大胆でうまい。

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下の絵は、幼い私の脳裏に強烈に残って、やはり幼い頃に見た東映動画の『安寿と厨子王』というアニメの映像と混然一体となってしまっている。アニメの中でも桜吹雪の下を厨子王が歩いていたような記憶があるが、実際どうだったのかわからない。

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下のシーンの菫色と金色の夕焼けの光、雪の中に立つ冬の痩せた木々、右手の樹の幹に吹き溜まった雪、静寂の中を進む馬・・・、こうして見ると幼い頃に見た絵本の記憶が、いかに今の自分の感性をかたちづくっているかがわかる。

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志村立美は晩年「美人画」を描いていたようだが、なんと言っても「挿絵」のほうが魅力的だ。

下は佐多稲子文、大日方明画の『人魚姫』。頬に光のハイライトが入っているのが新鮮だった。

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6月8日

母の昔の友人(私の幼なじみの親)Nさんが母に会いたいと言うので、駅で待ち合わせて施設まで案内する。

6月9日

O・Hさんと会う。いつも通り帝国ホテルをご指名。地下の「天一」で食事のあとロビーでお茶。ここのロビーは珈琲でも紅茶でも1380円もする。おかわり自由らしいが、なんだかお茶を飲むのがもったいなかったので生ビールを一杯いただいた。

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2015年6月 7日 (日)

毛利やすみ展 森久仁子様、 春日井建

6月3日

師、毛利武彦の奥様、毛利やすみさんの絵を見に銀座の画廊へ。

銀座の中心あたり、大きなビルが無くなっていたせいで、昔はすっと目的地に行けたのに風景に違和感があって、不覚にも迷ってしまった。2時過ぎに着いたら、画廊はお客さんで混んでいた。

森久仁子様(早熟の天才歌人、春日井建の妹君で、毛利先生の従妹)にお声をかけていただく。久しぶりに対面、またお目にかかりたいとずっと願っていたので、運よくお会いできて感激する。

久仁子さんは、古いスケッチブックを持参されていて、毛利武彦先生が戦後すぐに描いたという幼い久仁子様の素描や、17歳のふくよかな少女の久仁子様を描いた素描など、たいへん貴重な絵を私に見せてくださった。

毛利武彦先生30歳の頃の、先生らしい力強く温かい太い鉛筆の線に感動した。

若い頃の春日井建さんと久仁子さんを建さんのご友人が描いた素描もあった。建さんが私が本で見たお顔とそっくりに描けていたのでびっくり。

森久仁子さんは、しゃべりかた、立居振舞が素敵で、それに文字も恐ろしく美しくて魅力的なかただ。少し話しただけでも、明るくて頭がよくて周りへの気遣いがスマートで、こんな人はなかなかいないと感じる。

さすが毛利先生の従妹で、春日井健さんの妹さん、と感動する。

春日井建は、利発で文学や芸術にも造詣の深い妹をどんなに愛したことだろう。

春日井建歌集には、幾度か毛利武彦先生の絵が装丁に使われている。

下は第七歌集『白雨』(1999年短歌研究社)。この装丁では毛利先生の絵の上に大きな文字と原画にはない斜線がかかっているのが私としては残念だ。

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カヴァーの絵は毛利武彦「ひとりの騎手」(1976年 40F)。

実際は微妙な色彩を含みながら石に刻んだような堅牢な空間を持つ抵抗感のある画だ。下の画像は『毛利武彦画集』(求龍堂)。

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「薄明のもののかたちが輪郭をとりくるまでの過程しづけし」

「日表の水の雲母(きらら)をおしわけて水禽の小さき胸はふくらむ」

「この春に夫を亡くせし妹と母をともなふ日照雨(そばへ)なす坂」

「つ、と翔びて、つ、つと尾羽を上下する鶺鴒を点景としての川の床」

「木漏れ日にみどりの水分(みくまり)渦なせり母は別れをいくつ見て来し」

「目とづれば乳の実あまた落ちつづく狂はずにをられざりし祖父かも」

「朔の月の繊きひかりが届けくる書けざるものなどなしといふ檄」

下は第八歌集『井泉』(2002年砂子屋書房)。春日井建の咽喉に腫瘍が見つかったときに作った歌が収めてある。

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カヴァーの絵は毛利武彦「公園の雪どけ」(1987年 50F)。

この絵ははっとするほど斬新な構図で、冬の公園の水の中に棲んでいる噴水の垂直の躍動と、それに対比して水面に水平に浮かぶ雪の静けさを描いている。下の画像は『毛利武彦画集』(求龍堂)。

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「エロス――その弟的なる肉感のいつまでも地上にわれをとどめよ」

「冬瓜の椀はこび来る妹よ患(や)みてうるさきこの兄のため」

「表情は怯えをらねど顫へたる膝を見たりき額のそとの膝」

「ひとりきなふたりきなみてきなよってきな 戻らぬ子供を呼ばふ唄とぞ」

「外敵より身を守るため天上に生くるといへり宿痾のごとし」

「細き枝を風に晒せる柳葉のさながら素描といふ感じして」

春日井建の歌は、言葉は強靭だが、非常にか弱いもの、脆弱なもの――植物、鳥、光などの微細な運動を見つめているところ、歳を重ねても少年らしい傷つきやすさが失われないところが、私の感覚を激しく揺さぶる。

・・・

たくさんいたお客さんが一段落したところで毛利やすみさんと記念撮影。お元気でおかわりなくて嬉しい。

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この「神無月」という毛利やすみさんの絵は、非常に黙想的で素晴らしかった。赤いアネモネ一輪とワレモコウと葡萄と鳩笛がテーブルの上にあり、月夜の闇に溶け込んでいるのだが、すべてが追悼の祈りに捧げられているように見える。

青い色は空間が透明になりすぎて使うのが難しいのだが、やすみさんは青を使ってもそこに何ものかが充満して漂う空間を描くことができるのがすごいと思う。

私はなかなか着る機会のないアンティークの刺繍のブラウスに、自作のスズランのコサージュを着けて行った。実は画廊にはいる直前の雨に打たれて、真っ白いブラウスにコサージュの緑色が溶け出して移染してしまったので、黒い上着を脱ぐことができなかった。(そのアンティークブラウスは、帰宅してすぐ色がついた箇所を漂白剤につけたらきれいになりました。)

やすみさんにも「トイレの棚に置いてください」とシロツメクサのコサージュを持参した。布花のコサージュ、とてもお好きだそうで、帽子につけてくださったので良かった。

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2015年2月 9日 (月)

ブログについて 「私性」をさらすこと 文学

2月8日

本名と顔をさらしてブログを書くことのリスクと意味を、自分なりに考えている。

最近は、時間が空いた時には、読書と並行して、主に闘病ブログや介護のブログ、猫の介護のブログなどを読んでいる。そこでとても得るものがある。

同時に「文学」の価値について考えている。不特定の他人の目にさらされている、という点において比較可能だ。

こんなにも文章が上手くて、かつ有意義な体験をもとにブログを書き残している人がいるのに、現在の「文学」とは何が違うのか、と。

文芸雑誌をいただくので、最近の若い人の小説を読む機会はあるのだが、面白いと思ったことがない。私が気に入って読んでいる何人かのブログのほうが圧倒的に「面白い」。

何が面白いか。そこには苦しみや困難と向き合うためのヒント、生きるためのヒントと同時に、個人の生き生きとした、時間とともに変動する、また多面性を持って揺れ動く「生」があるからだ。

「公共性」の外延を揺さぶっているのは、もちろん、そうしたブログのほうだ。

ブログを書き、少々だがネットをやることにより、よい出会いもある。

しかし、(本名と顔、曖昧で、ピントがはずれたことしか伝わらないにせよ、なんらかの「私性」をさらすことのリスクからして)当然ながら、嫌なこともある。

私に対して、私の感覚ではあきらかにおかしいとしか思えない人が、私に自分のエゴをぶつけてくることがあとを絶たないので、それが私の一番のストレスになっている。

その人たちに共通する特徴は、自分自身の思い込み、いわば自己愛に没頭していることだ。「心の病」なのかな、と思う。

彼らの中では、意識されていないまでも自分がやっていることが正当化されていて、「正しいこと」「よいこと」「役立つこと」「相手のためにしていること」「素敵な魅力的なこと」「思慮深いこと」になっている。

私に対して、彼らがやってくることは「自分を認めろ」「自分を称賛しろ」「自分を甘えさせろ」ということの強要だ。

彼らは、それを必ず「相手のために」とすり替えてくる。

彼らには相手が真剣に打ち込んでいることがわからない。相手が大切にしているものに、まったく関心がない。自分が相手を軽視して、相手の大切なものを無視し、妨害していることが意識できない。

彼らは相手ではなく、自分の中の葛藤やコンプレックスに関心があるだけで、それを解消する「装置」「道具」として、私をターゲットにしてくる。

相手の気持ちを推し量る能力の「欠落」。または心のどこかではわかっていても、自分のエゴを押さえられないのだろう。それを正直に私が指摘すると、大抵逆上してくるから始末が悪い。

「悪気はない」という人の硬直した頭の鈍さほど恐ろしいものはない。一度や二度、おかしな言動をされたくらいでは、私は相手に指摘することは、まずないから、私が直接はっきり言う時は、そうとう度重なるストレスが積もり積もった時だ。

私は、「良い仕事をしたい」ということしか望みはない。体力も時間もないので、極力やることを選んで、好きな人たちと交流して、出来る限り仕事をしたい。

私の本を買ってくれたり、絵を見てくれる人、私が仕事をすることを応援してくれる人に心から感謝しています。

私が望んでいないことを勝手にやってきて、私の神経をズタズタにする人に仕事を邪魔されることが一番苦痛です。

父が死んでから、これまでの人生が、父に滅茶苦茶にされるがままだったことについて、後悔の念に激しく責め苛まれ、これからは極力自分の人生を大切にしようと思った。

そのためには、自分が理不尽だと思うことをされたら、もう黙って我慢はしたくない、たとえ相手には私の気持ちが理解されなくても、「あなたが私にしてくることは、あなたに悪気はなくても、私には、そういうことは耐え難いストレスです」ということを正直に伝えよう、と決心した。

私はたいてい大人しく見られる。父のような「異常性格者」の暴力に耐えて我慢してきたことが、「長女の忍耐強い性格」をかたちづくってしまい、それが雰囲気に出ているのかと思う。

私は、嫌なことをされ、それが過大なストレスになっても、今まで、すぐにそのことを相手に言葉にすることはなかなかできなかった。

(悪い意味で)理解不能なこと、あまりにも不快なことをされても、むしろ私は相手が何をしたいと思っているのか、その疑問を考えるくせがついている。

しかしその結果、、私のストレスは相手には一向に伝わらない。私が素っ気ない態度をとっても、相手は自分が嫌がられているとは夢にも思わないでエスカレートする、ということの繰り返しだった。

もうこれ以上ストレスをため込んで自分の心身が痛まないように、これは変えるべきだと思う。たとえ相手が逆上しようとも淡々と自分の気持ちを述べたいと思う。

今度、私に大きなストレスを与えた、あきらかにおかしい、としか思えない人たちの例を具体的に書いて行こうと思う。

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2014年9月17日 (水)

青紫のベロア / 戸山 諏訪町 / 文学

9月15日

友人Bと戸山を散歩する。

新宿駅で午後3時頃の丸ノ内線に乗って、東新宿で降り、副都心線に乗り換えて東新宿へ。降りてしばらくしてから、ものすごく思い出のあるお気に入りのジャケットを電車に忘れたことに気づいてうろたえてしまった。

東新宿駅の忘れ物係りに届け、捜してもらったが見つからなかった。ものすごくショック。

私にとっては、亡くなってしまったあまりに大切な人たち、若林奮先生、種村季弘先生、毛利武彦先生と会うとき、そして日隅一雄さんのパーティーの時など、特別の時に着ていた一張羅といえるジャケットだったので、すごくショック。高円寺の庶民的な店で2900円で買ったものだが、個人的には濃密な記憶が詰まっている。

とりあえず気持ちを休めようと、なにか似たようなものはないか検索してみたが、青紫のベロアのジャケットはオークションにもどこにもなかった。(似たような古着でもどこかで売っていたら教えてください!)

昔、大切な友人の授賞式にて、私が着ていた青紫のベロアジャケットの写真です

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気を取り直して戸山の片隅の私の大好きな小さな花園に行く。

前は春と初夏に来て、ニゲラ、デルフィニウム、アイリス、ハナビシソウ、薔薇などが咲き乱れていた。今は枯れた向日葵に百日草、彼岸花、鶏頭、それに小さな葡萄など、秋の気配に満ちていた。

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彼岸花は赤いのと、白いのと、薄黄色の花が咲いていた。

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これは白でなく薄黄色の彼岸花。

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百日草はいろんな色の花がいっぱい。
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この鶏頭は赤ではなく、おしゃれなワイン色。
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薄荷の繊細な薄紫の花。

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いろんな花と雑草の陰にひっそりとかわいい葡萄が実っていた!色のグラデーションが微妙でとてもきれい。

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紅蜀葵(こうしょっき)、またの名は紅葉葵(もみじあおい)。ヨモギやヤブカラシなどの雑草が刈り取られすぎていないところがとても素敵だと思う。

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箱根山の頂上近くにある教会と、数百年も生きていると見える大欅を見、かつて731部隊の人体実験の証拠となる人骨が出たという戸山公園を抜け、国立感染症研究センターの脇の道を下り、早稲田のほうへ。

早稲田通りを高田馬場方面へ歩く。ここはかつて素敵な昭和の喫茶店「らんぶる」が会った場所。

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「らんぶる」が無くなってとても淋しいが、夏草が彩っていてくれることに少し慰められる。
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「らんぶる」のすぐ横の私の大好きだった古い階段。
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早稲田通りから少し左にはいった諏訪町あたり。古い階段を上ると真っ直ぐな細い道がある。ついこの前来た時は、この写真左側には小さな古いアパートがあったのに壊されていた。

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この細い道を行くと薄ピンクの塀に沿って野生の草花が咲いている。塀の罅割れの穴からドクダミや薄荷が伸びて花をつけているのは、フラワーアレンジメントやへたな生け花より美しいと思う。


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抽象画のような錆びた板。

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これも、素晴らしいタッチ、見事なマチエールの絵に見えるが、地下鉄のホームの柱。人間が意図的に作ったのではないもののほうに絵画的な感動を覚える。

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Bに「私は文学がまったくわからないのかもしれない。現代的だと言われ評価されている作品を読んでも、面白いどころかものすごいストレスを感じることが多いから。私にはみんなが評価するものを理解する能力がない。」と言ったら、

「理解できないのは悪いこととは言えない。」

「今は、表現のすべてがやられつくされた、新しい表現はもうないと言われる時代で、何かをやろうとするとアイロニカルにならざるを得ない。アイロニカルとは些末なところに価値を見いだす「身振り」であり、現実、実質と向き合うより文化的対象と向き合っているから。しかしアイロニーはアイロニー以上の価値を生まない。」と言われた。

アイロニーとは、対象と距離がないとできないことで、私のように関わっている存在すべてが同じ強度になってしまう人間にはできない、と。

たとえばある詩人が旅をしている文章を読んでも、どうしても私には彼がなにかを見たり、発見したりしていると思えない、と言ったら「彼は、歩くことによっての暴力的な驚きではなく、一定の価値を獲得している文化的対象(たとえば芭蕉など)を読み直し、再解釈することをしているから。ひかれた文脈のレールの中でものを言っている。」と言った。

私が見ているものや対象との関わり合いについて、過去に、ある文学者が知的言語によって攻撃や抑圧をしてきたことについて、「彼らは征服欲、支配欲で商売をしている。自分がわからないものを否定して勝ったような気になる。それをやらないと彼らは商売にならないんだ。」と。

Bは私なんかと違って、20代の時から著名な文学者たちと関わりがあり、刺激しあう仲間がいた。そのことを私はずっとうらやましく思っていた。しかしBに「あなたと知り合ってから「本物」の人たちと会えた。あんなに近い距離で話せるなんて有り得ないことだ。それはあなたが常にそういう志向性を持っているからだと思う。」と言われて驚いた。

9月14日

母のいる施設の敬老の日イベント。

バイキングが11時30分から、というので行ってみたら、高い帽子をかぶっったホテルのシェフみたいな人が3人も来ていて、中央のテーブルに豪華なオードブルなどが並べられていたのでびっくり。

母に料理をとってあげないといけないと思って来たのだが、母には職員さんが柔らかくしたものを持ってきてくれた。バイキングと言っても、立ち上がって自由にとる人はいなくて、それぞれに職員さんが彩りよく盛り合わせて持ってきてくれるので、きょうはたくさんの人手がいるようだ。

テリーヌ2種、ブロッコリーとアスパラのゼリー寄せ、グラタン、ハンバーグ、松茸ご飯(おかゆ)、お吸い物、ミニケーキ、など。

食堂ではシェフの人たちが、フライパンから炎を上げてステーキを焼いて見せるパフォーマンスで拍手が上がっていたが、私は肉を焼くにおいが苦手で、本当に吐きそうになってしまうので、廊下の家族用のテーブルで母に食事介助した。

途中、母は傾眠になってしまい、松茸ご飯だけ残りそうになったが、せっかくのハレの日のごちそうなんだからと、お吸い物でさらにゆるく溶いて、ゆっくり食べさせた。時間はかかったが完食。食べ終わってから眼が覚めたようだ。

近くに残る古い店の建物。「マルマス味噌」の看板が蔦に埋もれている。

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きょうは陽射しの強い日だった。

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2014年8月 2日 (土)

コロのけが / LE DE GIVENCHY

7月31日(木)

34度。

新宿でセール(3240円均一)のスニーカーを買う。3Eで24~24.5のサイズに足が慣れてしまっているので、なかなか合うものが見つからなくて苦労した。

夕方、H.Tさんのお見舞いに井荻へ。初めて降りる駅。

陽が落ちても息が詰まるような蒸し暑さ。

大きな通りを延々歩いていたら、途中で素敵に絵になる家を見つけた。階段と二階のドアに惹きつけられた。

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7月29日(火)

3時すぎ、新宿の無農薬ベジタリアンのお店できょう初めての食事。
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おかずは全部おいしいが、写真真ん中のゴーヤとズッキーニのみそ炒めが特においしかった。

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友人と仕事の話をしたあと、デパートにスニーカーを見に行く。今履いているものの底がすり減っていて足の裏が痛くてたまらないので。捜したが今履いているものと似たような黒のスニーカーはどこにもなかった。

金柑の花がまた枯れている。6月の終わりに最初に咲いた1回目の花の実がひとつ、はや金色に熟している。ほかに2回目の花の実なのか青い小さな実がいくつか。

7月28日(月)

歯科。痛みがおさまらないのでかたどり延期。

コロ、動物病院から帰還。手術したら術後の消毒などのケアが必要で、傷口を舐めないためのエリザベスカラーも外に出て歩き廻る猫には危険なので使用できないとのことで、結局、手術できなかった。本日3000円プラスで、2日で計15500円だったそう。

私になついてはいないが、コロが心配だ。外を歩いていて狭い場所で引っかかってしまった傷ではないかということ。

コロの食欲は落ちていないそうなので良かった。

7月27日(日)

35度。夕方から激しい雷雨。

父の猫コロが怪我をしているとの連絡が来、無責任な父と体調不良の私に変わって、私の友人が雷雨の中、コロを動物病院に連れて行ってくれた。

コロは一週間家に帰ってこなくて、帰ってきたらけがをしていたと初めて聞いてショック。

コロは野良猫だったのを父が拾ったのだが、けっこう大きくなってから拾ったので私にも体を触らせない。鋭い爪で引っ掻くので危険な猫だ。

そんな野性的なコロをなぜ友人がキャリーに入れて運ぶことができるのかというと、6月に父が入院しているあいだ、友人がコロの食事をあげていてくれたからだ。私が行っても引っ掻かれるだけ、ということで、今回も友人が行ってくれた。

一泊して傷に薬を塗ってもらい、抗生物質の注射と、ノミの滴下薬、爪切り。医師が不在だったので、その後手術したら25000円との見積もりをもらったが、本日払ったのはとりあえず12500円。

7月26日(土)

35度。

夕方、近所のアンティーク屋さんにふらっと立ち寄ってみたら、なんと、ずっと捜していて、もう絶対めぐり会えないだろうと諦めていた廃番になった昔の香水(オーデトワレ)があったので驚いた。

ル・ド・ジバンシィLE DE GIVENCHYという香水(オーデトワレ)。枯れたブラックパロットチューリップとちゃびの抜けた髭と。一緒に撮影。

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調べてみると、LE DE GIVENCHYは、1957年に発売された古典的な花の香りで、トップノートはベルガモット、マンダリン、コリアンダー、ヒートノート(ミドルノート?)はジャスミン、バラ、カーネーション、ライラック、ユリ、スズランを含んだ繊細な花の香り、ベースノートはアンバーとモスで甘くした柔らかなサンダルウッド、グアヤウッド、残り香は甘くパウダリー・・・・(のような香り。)

私が大好きなアールグレイ紅茶とベルガモットが共通している。

家にいくつかの香水の見本の古い瓶があり、それは70年代に母が香水の売り場で働いていた時にいくつかの香水の見本をもっらてきた時のものだ。まだ香水に興味があるような歳ではなかった幼い私が、もっとも惹かれたのは、定番だがディオールのディオリッシモと、シャネルの19番、サンローランのリブ・ゴーシュ(今は廃番)、それとジバンシィのル・ド・ジバンシィだった。

ディオリッシモは百合系(ユリ、スズラン)の花の香り、リブ・ゴーシュはイランイランや薔薇の花の香り、シャネルの19番は草の香りの印象だったのだけれど、このル・ド・ジバンシィは、なんの花の香りといいにくい不思議な香りだ。、

鬱蒼とした暗緑色の森の中の花々のような、甘ったるさが残らないなんとも神秘的な落ち着く香り。

昔、子供の頃、ル・ド・ジバンシィの香りを嗅ぐと、未知への期待と不安で、めまいがするような気がした。香りはもっとも原始的な力で時の記憶を戻してしまう。

このル・ド・ジバンシィは、つけないでもっぱら嗅ぐだけ。

7月25日(金)

東京36度。

ここ一週間くらい、胃酸で喉が焼けそう。首も頭も痛いし、吐き気がして、活動的になれない。

7月24日(木)

今まで行ったことのない区の健康診断の予約をとる。

今現在かかっている癌のマーカーしか定期検査しておらず、ほかの部分が癌になっていない保証はまったくないのだが、なんとなく身体全体の健康診断は受けないまま何年も過ぎている。最近、すごく疲れやすく不調なので診断を受けることにした。

もしかして、さらにほかの病気、たとえば婦人科系の癌だったらどうしよう・・・・。そんな不安の中で、癌経験者の闘病記のブログをいくつか読んでみた。

人気の高いブログの人の文章は、皆、素晴らしい。時に笑いもまじえながら、治療の具体的な方法や、データなど、本当に詳細に書いてくれている。

そういうまったく他人事ではない、切羽詰まった、これ以上現実的な苦しみはないぎりぎりのところで書かれた文章、しかも苦しみとの闘い以上に、個の生の魅力に満ちた文章を読むと、「文学」っていったいなんなんだろう、と思ってしまう。

無料で読めるブログがたくさんあるのに、売り物として本になっているものには、もっとつまらないものがごまんとある。買ったり借りたりして読んでみた小説で、途中まで読んで耐えきれなくなってやめてしまったものはたくさんある。

「詩」も、生と死に密接に関わっているものだと思っていたのだが、とてもそう思えないものがたくさんある。

現代そのものなのかもしれないが、なにも「感じない」ことを延々述べている人も多い。何も「感じていない」のだが、何を書いても「私を見て。私を認めて。私を愛して。」の一点張りの人。

自我の維持と拡大以外に関心のない、生命にはなんの関心ない「病」なのだろうか。まわりには苦しんでいる人や動物がいっぱいいるのに、「私はこんなにすごい」と威嚇してくる人ほど気持ち悪いものはない。

7月23日(水)

体調はあいかわらず悪い。ずっと微熱がある感じで脳天がズキズキする。

金柑の花が、今年3回目か4回目かの満開。7月14日くらいにも満開で、その後、4、5日で枯れた。

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