まんが

2016年8月24日 (水)

花輪和一 子どもの頃に親から受けたストレスと表現

8月22日 台風上陸

台風の激しい嵐が来た。朝、8時に電話のベルがなった。いったい誰だろう?と寝ぼけている私に、書道の先生から「台風が上陸するようなので本日の書道は中止」との連絡だった。

そのあとちゃびを抱いてふとんにくるまって寝た。ごおおお、ざあああという凄く強い雨の音。そのほかの世界の音が静まりきっていた。

雨の冷たさを生々しく感じながらちゃびといた。こんなに激しい雨の音を聞きながら、私はこの世界にちゃびと二匹(ふたり)きりのようだった。

あたたかいちゃびと抱きあって寝ていることをすごく幸せに感じた。激しい嵐の日に、私が必死で守るべきものが生きていること。ちゃびの命の息吹を強く感じながら寝ていた。

・・・

リオオリンピックが終わった。

私が興味があったのは、一番は体操。

私が昔からずっと一貫して興味があるのは、不安と緊張に打ち克つこと、追いつめられたところでの「集中」というもののありかた。

レミオロメンの歌にもあったけれど「目の前の一瞬にすべてを捧げて」ということ、それが実際にはどういうことなのか、いったいどういう境地なのか、どうしたらそうなれるのか(想像することは困難だけれど)、に興味がある。

私が不安と緊張がとても強いほうだからだ。予測する時間を極端に短くして、一瞬ごとに集中することができるのか、どうやればいいのか。

私の一生の大きなテーマのひとつは、不安と緊張と表現、ということなのだな・・・。

世間の評価も、追いつめられた状況も、直前の失敗も、すべて頭から追い出してしまえるほどに、瞬間の、自分のやるべきことに集中する境地。

それと演技のインターバルの、移動などのほんの数分には存分にリラックスする(そうしなければ持たない)。そういう私にはできないことにすごく興味がある。

祝!体操、悲願の団体金メダル。私はナショナリストではない。純粋にすごいもの、一瞬で終わってしまう美しいものへの想像を絶する努力、それと仲間の失敗から負わされる緊張に打ち克つことに魅了されて。

内村航平選手の個人総合金メダル。最終局面までライバルに追いつめられていることがわかっていても、自分の練習どおりの演技に集中できたことの凄みに魅せられた。

ほかにも水泳、卓球、バレーボール、陸上リレーと、非常に見どころが多く、夢中になれたオリンピックだった。

・・・・・

7月26日から5回ほど、断続的に花輪和一と電話で話していた。以下はその5回ほどの会話のほんの一部をかいつまんでまとめた記録。

「夜久弘さんが去年の1月に亡くなっていたこと、知ってた?」と尋ねる。花輪さんは亡くなってだいぶ経ってから聞いた、と言っていた。

私は、つい先日、たまたま、すごく遅ればせながら知って驚いた。マラソンをずっとやってらして、お元気だと思っていたからだ。

夜久さんは物静かで穏やかななかに情熱を秘めたかただった。お会いしたのは、すでに『COMICばく』が休刊していた頃で、夜久さんは、なんの利益もない相手である私にも丁寧に接してくださった。

(その直前に私は、わけ(自分の原稿を見てもらったのではない)あって、何人かのまんがの編集の人に会っていた。当時の有名どころの出版社の年若い編集の態度は、驚くほどに無知で傲慢で、まったく会話が成立しなかった。

夜久さんもそうだが、小学館の山本順也さんのように、すごい人ほど、こちらの気持ちを理解してくださって、それからずっと、信じられないほどよくしてくださった。すごい人ほど私をたすけてくれる、私から見て直観的に無知だと感じる人ほど私をばかにしてかかるという事実は、最初は衝撃だったけれど、そういうものなのだろう。

個人的にたいへんお世話になった、山本順也さんに関しては、あらためて書きたいと思う。)

私を花輪さんに会わせてくださったのは夜久さんだ。夜久さんのおかげがなければ、一生花輪さんと会うことはなかった。

(花輪さんと最初に会った時のことも、いつかちゃんと書こうと思っている。)

花輪さんは、その頃、夜久さんのことを「王貞治に似てるでしょ。」と言っていたのを覚えている。

最初に会った時に、花輪さんは25歳の頃のモノクロ写真を私にくれて、後日、その写真をを夜久さんに見せたら「すごい美男子ですね。」と感心していたことが印象に残っている。

25歳の頃の花輪さんは、長髪で役者のようにはっきりとした甘い顔立ちの美青年だった。誰に似ていたかというと、金城武のような感じだ。

夜久さんの事務所に伺った時、夜久さんの著書の『COMICばくとつげ義春』をくださった。つげ義春さんの奥様、藤原マキさんの本を見せてくださって、マキさんの絵がとても好きだと言ってらした。(私は面識はないが、藤原マキさんも亡くなっていることを最近になって知った。)

一度、夜久さんと花輪さんと3人で会ったことがある。そのあと、電車の中で花輪さんが私に「夜久さんの前で、あんまり、花輪さん、花輪さんって言わないほうがいいよ。夜久さん、さびしそうな顔してたから。」と言ったのを覚えている。

そのことを電話で言うと、「俺、人の気持ちわかるもん。」と花輪さん。「そうかな。でも女性の気持ちはわかんないよね。」と言うと、「まっっった~くわかんない!」と。

「勤めてた時、好きだった同僚の女性たち(姉妹)に雪玉を投げつけてたんだもんね。」と言うと、「あははは・・・そう。」

またその姉妹がいた会社のあと、25歳の頃に働いていた池袋の会社の社長の奥様が、『刑務所の中』の本が話題になり、TVでとりあげられていたのを見て、数十年ぶりに手紙をくれたことなどの話を聞いた。

「手紙になんて書いてあったの?」と聞くと、「あの頃は変な子だったよねって。」と。

それから、「最近はどう?お母さんに対する恨みは薄れてきた?」と聞くと、「ぜんっぜん、かわらず。」ということだ。

花輪さんに、私がこのような内面の苦しみの話を聞くのは興味本位からではない。私自身も父親に虐待されて育ったため、親から受けたストレスで萎縮してしまった心からどう立ち直るか、そこと、なにかを表現しようとすることや表現されたもの(また、表現されなかったもの)との関連に、常に関心があるからだ。

「ウィキペディアに両親に床下で育てられたとか書いてあったけど、そんなこと、どこかに書いてたっけ?」と言うと、「あはははは、まんがに描いたのかもね~、まあどうでもいいけど。」と笑っていた。

花輪さんから「サイコパスってどういうのを言うの?」と聞かれた。少し言葉に迷ったが「他者の痛みに対する同情心や共感能力がない人。他人や動物の心配とかまったくしなくて、逆に平気で残酷なことをするような無慈悲で冷たい人、かな。」と答えると、「うちの母親、サイコパスかもね。」と言う。

私が「なぐられたりはしてないんでしょ。」と聞くと、「なぐられはしないんだけど、神経が鈍いんだよね~。」と。

花輪さんは、かわいそうなことを見てもなんにも感じないような人、鈍感で濃やかさがない人が嫌いだ。悪気はなくても気持ちが回らない人、情の薄い人が嫌いだ。

田舎に帰った時、飼っていた犬の顔に、血を吸って大豆ほどの大きさになったダニがぼこぼこたかっているのを見て、どうしてこんなにかわいそうなことをして放っておくのか、と呆れたという。そういうところが母親は「粗くて鈍いんだよね~。なんでかわいそうってわかんないのかな~。」と言う。

「実のお母さんも義父も鈍くて、どうして花輪さんは動物に対する愛情が持てるようになったの?鈍い親に育てられた子供は感受性が影響されて、同じように鈍くなることもあるのじゃないの?」と聞くと、「そういうのはあると思うけど、なんでかそうはなんなかった。」と言う。

花輪さんが36歳の時にお母さんは亡くなった。

「15歳で家を出てから、ずっとお母さんを恨んでいた?」と聞くと、「恨むとか、わからなかった。自分がなんか苦しくても、なんで苦しいのかわからなかったから。」と言う。

「なんか、田舎は嫌~な感じなんだけどね。なんだかわかんないんだよね。それが普通だって思ってたから。」

花輪さんは自分がさびしいとか、愛情不足で充たされていないとか全然意識できず、「誰でもみんなこんなもんだろうと思っていた。ほかの人たちの家を知らないから。これが普通って思ってた。」と言う。

花輪さんの母親は花輪さんを抱き締めたり、撫でたりすることはなく「スキンシップはゼロ!」。心配したり、優しい言葉をかけたりすることもなかった。そして花輪さんのほうも、常に母親や義父に対する怯えと遠慮があって、なにひとつ甘えることができなかったそうだ。

「川で泳いで、耳に水がはいって、耳から膿が出るようになって、痛くても、医者に連れて行ってなんて言えなかったもん。」と言う。

「自分の苦しさを友だちには話せなかったの?」と聞くと、「話すような友達もいなかったし、話すという発想がなかった。」と。

「好きな絵を描くのも、義父が親戚の家に泊まりに行ってる日だけ。いたら怖くて描けないからさ~。チラシの裏に描いてた。」と言う。

「学校の先生に見せたらよかったんじゃない?」と言うと、「学校の先生に見せるなんて発想がないから。たいしてうまい絵でもないしさ。」

母親が死んで10年経ってから、やっと少しずつ自分自身の感情がわかってきたのだそうだ。

「すごいストレスを受け続けて、それが当たり前になっていると、自分の感情や状況判断が混乱するって言うよね。」

私がそう言うと、「そう、混乱してて、なにがなんだかわかんなかった。ばかだよね~。」と花輪さん。

また、私が「お母さんが生きているうちに、すごくさびしかった、傷つけられたって本人に言えてたらよかったんだよね。」と言うと、

「そうなんだよね。生きてるうちに恨みをはらしておけばよかったんだけどさ~。」と。

東京に出てきて、池袋からお茶の水のレモン画翠まで歩いて、聖橋の隣の橋(昌平橋?)の上から景色を眺めながら、「こんなに苦しくてさびしいのに、どうしてみんな生きてるんだろう、と思った。」と言う。

花輪さんは東京に出てきてから、自分の家とはまったく違ういろんな育ち方をした人がいることを初めて知ったそうだ。「親に仕送りしてもらって大学に行ってるなんて人がいてさ~、本当にびっくりした!世の中にはそんな人がいるのかっ!?て。」と言う。

「今、思えばね、母親は自分がいることが嫌だった、不安だったと思うんだよね。再婚したのに死んだ前夫の亡霊が近くにいるんだからさ。俺は母親に捨てられてたんだよね。」

「世の中には、何度も再婚して父親が違う兄弟どうしでも、仲良くてうまくいってる家族もあるんだけどね。」と私が言うと、

「それは親が成熟してたんだろうね。親がおかしいと子供は一生引きずるよね。」と花輪さん。

確かに親が歪んでいると子供は犠牲になり、どんなに歳をとっても子供の頃にすりこまれたこと、それでできた性格はなかなか変われないかもしれない。変わるためには意識的な努力がいる。

親からちやほやされていた子供は他人を怖がることなく、自分はほめられて当然と思っている。恥ずかしいという意識が低い。親から否定されて育った子供は自己評価が低くなる。私は父親からなぐる蹴るされていたので、どうしても対人緊張が強い。

「そういうのは歳とっても一生変われないよね。」と花輪さん。「でも福山さんは対人緊張があるように見えないけど。」と花輪さんは言う。

私は他人が怖いから無理する時がある。私とは逆に、まったく対人緊張がなくえんえん自分のことばかり話してくる人、そうした自分の態度についてわずかにも躊躇がない人がものすごく辛い、ストレスで倒れそうになる、と言ったら、

花輪さんが「そういう長くしゃべる人も異常なんだよねえ。聞くのは30分が限度、いや30分も絶対無理だよね。」と言った。

それから花輪さんの知人のことを聞かせてくれた。その知人は、自分のことばかり長く話す人に対して「お前、自分のことばかり、さっきからいったい何分しゃべってんのかわかってんのか?聞いてるほうはものすごく嫌で苦痛だってわかってんのか?いい加減にしろ!」と激怒して言い放ち、言われた人はその場を去って行ったという。その様子を花輪さんは目の前で見たそうだ。

「そう言えるのはすごいね。だけど私にはそういうのは怖くてできない。」と言ったら、「福山さんは人を見る目はあるのに、はっきり言えないよね。」と言われた。

(そう、私はものすごく嫌なことも、その瞬間には言えない傾向がある。たぶん私がACでHSPだから。そのせいでルサンチマンがたまる。その対応を考えなくては、と思っている。)

花輪さんがいつも言うのは、「鈍い人にはきつく言っても相手は感じない。だから思いっきりはっきり言っていい」ということだ。本当にそうだろうか。自分のふるまいが称賛されて、または許されて当然と思い込んでいる人は、否定されたら怒るのではないか。

「金持ち自慢、グルメ自慢とかする人ね、そういう人は家がよっぽどひどい問題抱えてるとかね、すごい劣等感とかあるんだろうね~、そういうのがないと自慢しないでしょう。そういう人たちもいつかひどい目にあいますよ。」と花輪さんは言う。

「そうかな~、鈍い人は気に病まないから楽しく長生きするんじゃない?他人や動物のこと心配しすぎたり、傷ついたり、優しすぎたりする人は疲れ果てて病気になるんじゃないの?そういうのが世の中の常でしょ。」と言うと、

「それでも、絶対、神経が鈍い人はひどい死に方しますよ!」と言う。花輪さんは因果応報を信じているそうだ。

私は業や輪廻というものをそこまで信じられないのだけど。ただの言葉ではなく、花輪さんの声で、花輪さんに言われると、なぐさめられる感じがする。

昔、私が「がんで死ぬかもしれない。怖い。」と言った時、花輪さんは「でも福山さんてすごく強運でしょう。だからだいじょうぶですよ。」と言ってくれた。花輪さんに「強運」と言われた時、悲観的で気に病みやすい私はその言葉を信じることができた。

「昔、サイン会でファンの人が来ると、怖くて嫌で、「も~お、なんでくるの?!」って思ってたと言ってたのは、最近はなおってきた?」と聞くと「やっぱり嫌だけどね。なんでだかはわからない。」と言う。「なんかお返ししなきゃならないみたいな気がして。」つまり気疲れがひどいということなのだろう。

「花輪大明神とか、あがめられる感じは?」と聞くと、「すごく嫌。だってありえないでしょ~。普通に花輪さんて言えばいいのにさ、そういうふうに言うのは、ばかにしてるんだよね。まあ、相手にしないけどね。そういうこと言う人とは関わりになりたくないっていうか。」という答えだ。

花輪さんに対して距離感がなく、失礼な態度をとるファンが多いということなのかもしれない。ファンなら作家本人の気持ちを尊重してほしいということだ。

花輪さんは最近は外で声をかけられたりすることもない、「隠れているのでいい」と言っていた。

ちなみに、昔、薄野の銀行に行った直後、「花輪さん!久しぶり!」と声をかけられたという。知らない人だったのに「ラーメン屋で会った」と言われ、ポケットからクリップでとめた札束(100万円くらい)を見せられた。競馬だか競輪だかでアタッチャッタ~!と上機嫌で、情報を教えると言われたので、興味がないから、と断ったそうだ。

「なんでおれの名前知ってたのかな~と思って。銀行で伝票を書いてるところをのぞき見されたんじゃないかな。それ、昔のことね。それから何年も経って、新宿でさ、まったく同じ手口でまた声かけられたんだよね~。」と言っていた。

食べ物の話になって、果物では、冬は林檎、「夏は深紅に熟れたソルダムが最高でしょ!」と言っていた。だいたい毎日タマネギや長ネギは食べているそうだ。「タマネギを薄く切ってさ、サバの缶詰と合わせるとうまいよ。」

そういえば昔、うちに来た時に、花輪さんが駅前の果物屋さんでドリアンを見つけ、好奇心から買って来て、私はその特徴的な香りにまったく食べられなくて、全部花輪さんに食べてもらったことがあったことをふと思い出した。その時も花輪さんは「うまいよ~」と食べていたな。

私の部屋で一緒に絵を描いた時の花輪和一さん。この時、銀箔の貼り方を教えた。2002年1月4日の写真があったので貼ってみました。

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一緒に野川にスケッチに行って、たまたま出会った猫たちをかわいがる花輪和一さん。

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私が「肉を食べないって書くだけで絡んでくる人もいるから怖い。」と言うと、「肉ばかり食うとがんになるよって言ってやれば。」と言われた。

「私が肉食をしないのは動物を殺すのが嫌だからで、健康のためではない、だから病気にならないために、ということは言いたくない。」と言うと「そう思えることがすごいよねえ。」と言われた。

山のほうはなんの花が咲いているの?という質問には「最近、山のほうに行ってないんだよね。ダニがいるから。前に首の後ろが痒いな、と思ったら大きいのがくっついてて腫れてたから。」と。

花輪さんが自分の庭で育てたトマトがもうそろそろ赤く熟れて収穫時だそうだ。

・・・・

花輪さんもそうだが、私が惹かれるのはいつも高い集中力と独自の表現力がありつつ、人間関係において政治的なところがない人だ。

花輪さんは自分の固有の苦しみの体験を生々しく描きこそすれ、他人の苦しみの体験を収奪して自分のお手柄にしようとは決してしない。つまり欺瞞的なところや卑劣さがない。

365日、私の頭を一瞬も離れないことは、ものを見ること、表現されたものの価値、同時にまた表現することの価値についてだ。「自信がない」と言いながら、すごいものをつくる人に興味がある。

私自身、どんなに集中してなにかをつくっても、こんなものではまだ全然足りない、自信がないと思ってしまう。

私がすごく惹かれる人はいつも、みずみずしい感受性、すごい才能を持っていて、それでかつ生き難さに苦しんでいる人、世間一般がお仕着せてくる価値観の暴力に苦しむ人だ。

その逆の、私から見てたいした才能がないのに自己肥大していて鈍い人、自信満々で自分の言動に不安を抱かない人には強い嫌悪感を抱いてしまう。

私が今まで知っている限り、才能を持っているのに自己評価が低く、生き難さに苦しんでいる人は、幼少期に親の愛情が少なかったり、虐待されていた傾向があり、さびしさや悔しさを知っている。

幼少期の不安感は、非常に憂鬱、鋭敏で濃密な感受性と、与えられなかったものを激しく希求するような性格をつくる。そこからいかに自由になるのか、どう闘うのかをいつも考えている。

・・・・

最近、私は毎日、たまたま見つけたGさんとCさんのブログを読んでいる。

ふたりとも私より年下の女性で、共通点は情緒的に未熟な酷い親に育てられ、うつ病になるくらい酷いストレスを受けていたことだ。Gさんはがんになった。Cさんは性暴力を受けた。

二人とも非常に頭がよく、感受性が鋭くてものを見る目がある、私から見てとても魅力のある女性。Gさんは濃い感受性と芸術的才能がある。Cさんは社会的考察が鋭く、批判能力がある。

二人とも正直で気取りがなく(むしろはらはらするほど自己開示していて)、欺瞞的なところがない。

私自身は幼い頃からずっと感受性過敏で悩んでいる。すごく美しいものも、すごく嫌なものも、どちらも強烈に自分の中にはいってきて、その体験が強く鮮明に記憶に残り、嫌なことは強烈なトラウマとなる。嫌なものにだけバリアを張ることは難しい(この性質はGさんとそっくりだ。)。

Gさんと私はほぼまちがいなくHSP( Highly Sensitive Person )だ。かつAC(Adult Children)。Gさんが痛々しくて(性格は似ているけど私の方が強いから)、私は彼女に連絡した。私は他人のブログを読んでメッセージを送ったのは初めてだ。

私の表現はどういう価値を目指すのか、ずっと考え続けている。

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2016年4月29日 (金)

一ノ関圭 手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞

4月28日

一ノ関圭先生が第20回手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞!!おめでとうございます。

一ノ関先生は、私が子どもの頃から心酔していた本当に大、大好きな漫画家さんです。

あまりに一ノ関圭先生の絵に惚れこんでていた私は、『デッサンの基本』をつくる時に、どうしても先生のデッサンを本に載せたくて、先生にわがままを言ってお願いした。

そして一ノ関先生とお会いして、お話を伺う機会を得た。

一ノ関圭先生は、思っていたとおり、とても聡明なかた。余計なものがなく、正直で、寡黙で、才能のある人ならではの、自分の創作に集中する激しさを秘めておられるかただった。

体験と思考が収斂して、それが深いところに集中していく感じというのか、この人は本当にすごい人だと思わせる空気。

本当にかっこいいかたです。

「裸のお百」の掲載されている『ビッグゴールド』を今も持っている。

ものがたりの最後で、お百が黒死病(ペスト)になってしまったところの「見ないで!あたしを見ないで!見ないで!」というネームのシーン、『ビッグゴールド』掲載時はミケランジェロの「瀕死の奴隷」の絵になっていたと思う。それがコミックス(単行本)に収められた時は頭を抱えてうずくまる女性の身体の絵にかえられていた。

私が激しく一ノ関圭に惹かれた理由に、もちろんなまめかしい人物の線と表情と、濃やかな心理描写というのは大きいのだが、女の生きざま、特に今よりもっと女性にとって厳しく生きづらい時代に、女がおのれの生を燃やし尽くして生きるありさまを描いたものがたりに惹かれる。

「らんぷの下」、「だんぶりの家」、「女傑往来」など。

特に「だんぶりの家」は、幼い頃から誰よりも頭がよくて、活発で、きかん気で、意志が強く努力家の、「かんな」という女の子がとても魅力的で、彼女が数々の困難を乗り越えて女医の道を歩んでいく話と思いきや、あっさりと東北の飢饉のせいで亡くなってしまう、涙なくしては読めない話。

もうひとつ、一ノ関圭にひどく惹かれた理由は、「絵を志す」人を描き切ったことだ。

本物の絵描きが描かない限り、「絵を志す」ものの凄惨さが描けるはずもなく、今まで数限りなくあった「絵を志す」人がテーマのマンガ(たとえば昨今の美大生が主要な登場人物であるものなど)はまともに読めないものが多かった。

一ノ関圭だけがその凄惨さを描いた。

「らんぷの下」は、当時、才能があっても女が絵で身を立てていくには厳しい時代、青木繁を愛し捨てられた女が、自分の絵の才能を開花させることを捨てて、青木繁のライバルに身を捧げる話(結局破局するが)。

「黒まんとの死」は、同じ画塾に通う主人公が、「黒まんと」の絵の才能に心底嫉妬し、その嫉妬が「黒まんと」を死に追いやる話。

絵の才能がある者と、才能がない者の、いかんともしがたい差と、軋轢と、さらによしんば才能があったとしても報われなかったり、あっけなくこの世を去ってしまったりすることの無情を、一ノ関圭は描き切っているのだ。

(しかし一ノ関圭が描いた、絵の才能をもつ者に対するもたない者の嫉妬というテーマも、経済のもとになにもかも平準化されてしまう今の時代には、わかりにくいテーマになっているのかもしれない。)

「裸のお百」の主要人物「らくだ」(弥平)が作中で描いた絵(挑戦的な人体群像)が素晴らしいのに、黒田清輝だけが反対して白馬会の展覧会に飾られなかったことが、自分のことのようにショックだったので、どうしてもその絵を『デッサンの基本』に載せたかった。

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2014年8月13日 (水)

鶏頭 ソルダム / シモンの夏

8月10日

最近描いた鶏頭の素描。ケイトウの英名はCockscombで、やっぱり雄鶏のとさか。

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ケイトウは、茎は直立していてあまり絵にならないのだが、その分花と葉がたっぷりと奇妙で面白味がある。

オレンジやピンクの綺麗な色のは、葉の柄のついているところから出ている鮮やかな花の断片のようなもの、深い紅色のは葉の中で混じっている紅色と緑の諧調を追うのが面白い。

いろんなかたちのケイトウを素描していきたい。

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60年代~70年代初頭のまんがに好きな作品がたくさんあるが、最近、ずっと昔から気になっていた作品を読むことができた。

水野英子の『シモンの夏』(1970)。

私が小学校の低学年の時に、知り合いのお姉さんの家で前半まで読ませてもらって、何がかいてあるのかよく理解できなかったのだが、強烈な印象を受け、その後何十年も、あれはなんだったのだろう、と気になっていた作品。

絵を描く若い女性が主人公で、夏に海辺でシモンという少年に出会う。シモンはなぜかその女性のことを「あなたはちっともきれいじゃない」と言う。

シモンは女性の恋人である老芸術家の顔を腐った木切れでつくり、腐った魚の骨や海藻できたならしいオブジェをつくって女性に「それがあなただよ!」と叫ぶところで前半終わり。

画面に大きく描かれたそのオブジェの印象は凄絶で、幼い私の眼の記憶には、それが海辺にうちあげられた腐ったものすべてを集めてつくった、どす黒く臭う恐ろしいものとして残った。そしてシモンという少年がどうしてそんなに猛然と女性を批判しているのか、それを知りたい、この続きを読みたいという気持ちがずっと心に残った。

つい最近、『シモンの夏』がサンコミックスの『ファイヤー!』第4巻の巻末に収録されていることを知って購入した。『ファイヤー!』は小学館文庫版を持っていたのでサンコミのほうを持っていなかった。

さて、今、この『シモンの夏』を通して読むと、すごい作品だと思う。この話のテーマは「芸術の虚偽」だからだ。

主人公24才のディアーヌは、多くのアーティストと競い、ニースの海岸に立つ総合センターをかざる大壁画を描く仕事を勝ち取った。「この壁画をだれに描かせるかは 世界中をわかせたものだった あらゆる 有名アーティストの名があげられ 選択がくりかえされ その売りこみも いちじは気違いじみていたものだ」。ディアーヌについて「その破天荒な創作態度は 世のアーティストたちを瞠目せしめ 形式にとらわれない自由さは 羨望の的となった 若さなのだとだれもがいった」

ディアーヌは大人数のスタッフを指揮し、巨大壁画「1000光年の神々」の制作を始める。それを崖の上から見て、シモンは「あの絵はまるで見栄のかたまりだな 自分の力をいっしょうけんめい見せつけようとしている 自分は こんな仕事が できるんだって どうだ どうだってね だれの絵か知らないけど……疲れるよ そう思わない?」とディアーヌ本人に向かってつぶやく。ディアーヌが「……わたしの絵よ」と言うと、シモンは「そう!? そうなのか! そういえばあなたに似てる」と言う。

ディアーヌの住まいを見てもシモンは「これがあなたの家? やっぱりあなたに似てるんだなあ でっかくて… がんばってるくせに どこか空しくて…」と言う。そしてディアーヌが10才の頃に描いたという絵を見つけて「ああ これはいいな! かわいいよ わすれな草だね だんだん空しくなってきてるんだね 今の絵は…」と言う。

それから例のどろどろに腐った海の漂流物のオブジェをディアーヌのアトリエにつくって「わかった? ディアーヌ それがあなただよ あなたのなかは虚栄でいっぱいだ いいかえればなんにもないんだ あなたはウソつきなんだよ 自分で気がついてないだけさ!」と叫ぶ。

ディアーヌは激昂するがシモンを追い出すことができず、シモンの言葉について考えるようになる。そして大壁画を仕上げる手が止まってしまう。

最後にディアーヌはシモンの言ったとおり、自分の絵は「虚栄のかたまりでしかない ひじを張った はったり屋のからっぽ」「なぜみなあの絵をほめるのよ なぜだれも気付かないの」「ビエンナーレも美術館も消えっちまえ!」と叫んで壁画を破壊しようとするが「壁画は夜空に黒ぐろとそびえたち わたしの小さな力で破壊することはすでに不可能だった」

そしてディアーヌは自分が描きためてきた絵と家に火を放ち、旅に出た。

物語の冒頭で、ディアーヌは教会の彩色をたのまれたときにペンキを建物にぶちまけて「わたしにとって神は最高の偽善者にすぎない」と言ったり、博覧会の記念碑をワラでつくって「記念碑ってのはなに? たしかなものはなにひとつないのになんとかしてそれにしがみつこうとする人間のおろかさよ」と言ったりしている。

しかし、そんな自分が「1000光年の神々」というただ威圧的なだけの巨大壁画を制作していることの矛盾には気づかない。

世俗的な権威でしかないにしろ、自分を大きな権威と同一視し、自分が力を持ち、自由にふるまっているという錯覚と優越感が(地位を保つための役割分担としての範囲で)、「アート」と呼ばれる大量のゴミを生んでいる。

この頃、水野英子はロックをテーマにしたまんが『ファイアー!』(1969~1971)を描いていた。少女が憧れるかっこいいロックスターを甘い夢のように描くのではなく、体制に反抗するものであるロックが、やがて体制側に打ちのめされ、主人公は純粋さを貫き通すがゆえに疲弊し、最後は正気を失ってしまうというという話。

水野英子のすごいところは、まんがというジャンルのなかで、人気ロックスターや有名アーティストにのぼりつめるストーリーを夢物語としてではなく、ロックやアートの意味や価値、腐敗した権威や経済システムの虚偽を問う話として描いたところだ。しかもすでに1970年に。

こういうまんがをのせていた当時の「週刊セブンティーン」の編集さんもすごいと思う。

この時代は反体制を貫き通すことがひとつの価値に成り得た。しかし今現在は、反体制や反権威などの立ち位置をとっても、それがひとつのスタイルにしかならず、そのまま体制側に吸収されてしまう。どんなに先鋭であろうとしても、闘う場所がない。

そして「アート」において、反体制を気どった「にせの問題提起」が、空しい商売をつくる。そこが問題なのだと思う。

60年代、70年代に活躍した私の好きな漫画家たち、岡田史子、水野英子、あすなひろし、矢代まさこ、北島洋子、上村一夫、宮谷一彦・・・、私が反応したのは、まずその「絵」、「線」の妙だった。

モノトーンの世界で、皆、変幻する線の表情から生まれる世界の深みがすごい。

8月9日(土)

母に会いにKへ。

母は37.4度の熱だった。8月5日(火)から熱が出て、高い時で37.5度で、下がった時もあったらしいが、微熱が出る繰り返し。

今までもこもり熱は毎年あったので、大事はないと思うが心配だ。

夕食はなんとか完食。加えて「極みプリン」を食べさせる。熱があるので、なるべく水分を摂らせたかったのだが、お茶は飲みきれなかった。

Oさんが、「3日の夕涼み会の時はすごく元気で、立ち上がりそうなくらいだったんですよ。」と言ってくれた。盆踊りや花火を見たそうだ。

私は胃が痛くて具合が悪かったせいもあるのだが、本当にうっかり3日の夕涼み会に参加するのを忘れてしまっていて、とても後悔。

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2013年8月 7日 (水)

花輪和一 『風童』 『みずほ草子』 / 江戸の園芸

8月7日

おととい、花輪和一から新刊『風童』(かぜわらし)、『みずほ草紙』と寺山修司の写真絵葉書が届いた。

連載は2008年からだったが、ずっと本が出なくて、どうなってるのかな、と思っていたが、急に2冊とも・・・祝!!単行本化。しかも、てかてかしたちょっと豪華な装丁(祖父江慎)。

子ども時代の、どうしようもないさみしさと、不安で恐ろしくてたまらない感じ。

愛情をもって保護してくれる親はいない。

近くにいるのは、風や雨を喜ぶ樹や草や、泥鰌や亀や蛙やタガメと、ときどきふっと現れる風の子や、人の顔をした梟。

花輪和一の描いてきたのは、いつも不安で心細い子供、8才くらいの女の子だ。

いろんな大人を見ても、自分がどう生きて行ったらいいのかわからない。

最近の話は、昔よりも勧善懲悪、因果応報の傾向がさらに薄れ、わからないのが人生、考えても考えてもわからない、だから苦しい、そしてこの世は奇妙で不思議という話。

決して、子供がのびのびと元気いっぱい暴れて周囲を巻き込んで大騒動になる、という話ではない。子供は常に受動する側であり、怯えながらも、あらゆるものをちゃんと見ている。そこが花輪和一のすごいところだ、と思う。

それに今回の2冊の本は、特に、人が年老いた時、いかに死を迎えるか、というテーマが加わっている。

最近は手や眼が疲れて、ルーペがないと描けないと言うが、これだけの描写をたったひとりでやっているんだから、長年の疲労がたまるのも当たり前だと思う。

花輪和一は23才の頃、山川惣治のアシスタントをしていたそうだ。「あなたは天分があるから、うちにいらっしゃい。」と言われたということだ(さすが)。

生きた線、動植物や雲の描写、少年少女のなまめかしいところなどが継承されながらも、さらにすごい独特な作家になっている。

ちなみに、花輪和一が子どものころ好きだったのは、小松崎茂、高荷義之、樺島勝一、岡友彦、伊藤彦造・・・・。

漫画家ではなく、絵物語の挿絵画家になりたかったそうだ。

昔、いくつかの原稿を手伝ったことがある。植物の部分の描写と、トーン貼りと、トーンをカッターで削ったり、消しゴムかけたり。細かい線のペン画というのは、ものすごく難しいと思った。

(余談だが、花輪和一が大嫌いなのは、竹久夢二、太宰治、石川啄木、相田みつを・・・などなどだそうだ。)

8月6日

「花咲く 江戸の園芸」展を観に、江戸東京博物館へ。

お目当ては江戸時代の植物画、(特に変化朝顔)だったが、展示内容は浮世絵が多かった。

江戸時代の人々が熱狂した植物の中でも、「奇品」文化は特に興味深く、屋に行っても奇形のばかり選んでしまう自分にとって、まさに感性の合う世界である。

江戸の植物画、特に「奇品」を描いた画に惹かれるのは、苦心して類まれなる植物を育てたという情熱、その珍しさ、面白さを記録しておきたいという欲求が、そのまま「画(絵)」になっていて、そこに「絵」の本来の「絵」たる魅力を感じるからなのだと思う。

写真のない時代、作者は面白い植物を見た感嘆を記録したかったので、主役はあくまで植物であり、作者は体験を受容し残そうとする側で、見たまま、ありのままを描こうとする中にも、作者の視点(見どころ)、感性がにじみ出る。

現代アートにひしめく人々のように、自己顕示欲がインフレーションを起こし、ただ虚妄の自分を他人に承認させたいがために、作品行為の存在理由をこじつけ、生きている動植物から収奪し、侵害しまくるのとはまったく逆の行為である。

空想でも虚妄でもない実際に生きた植物を育て、そこから生れ出た珍しいものに驚き、喜ぶ、その体験が、さらに「絵」という手仕事で残されているからなのだと思う。

武士の愛した「奇品」植物を描いた画で、面白かったのは「椿図屏風」。年代作者不詳である。二十数種類の様々な品種の椿を横一列に並べて描いているが、花の美しさ、面白さの比較と同時に、当時流行っていたらしい椿の接ぎ木の技術を記録しているのが素晴らしかった。

だが、学芸員の説明書きがわかりにくかった。椿の品種の読み方を提示したほうがいいと思う。「ひときわ目をひく○○は・・・」と書いてあったが、どれを指しているのかわからなかった。

「松葉蘭譜」。マツバランとはシダの仲間の着生植物(古生代からの生き残りと言われる)で、葉も花もなく、奇妙な枝振りや模様を楽しむもので、当時、熱狂的な園芸ブームがあったそうだ。

枝振りのうねりの面白さを丁寧にとらえた画に惹かれた。

変化朝顔に関しては、『あさがほ叢』(四時庵形影、1817)、『三都一朝』(成田屋留次郎著、田崎草雲画、1854)、『朝顔三十六花撰』(万花園主人撰、服部雪斎画、1854)などの一部を見ることができた。

『朝顔三十六撰』の中の「鞠水州浜葉照千花笠フクリン数切獅子牡丹度咲」の画が素晴らしかった。

しゅうすい(葉の色、葉の模様)、すはまば(葉のかたち)、てるてるちはながさ(花の色)、覆輪(花の模様)、すうきり(花の模様)、ししぼたんどさき(花の咲き方、形)。

展覧会の図録は買わなかったが、江戸の花に関する資料を買った。

私は珍奇植物の写真には情報としてしか惹かれないが、花の珍しさを描いた画にはすごく惹かれる。

「大和絵」「浮世絵」の様式から、西洋画のものの見方が入ってきて、写実的、科学的なボタニカルアートに至る、そのはざまの江戸の植物画に、現在「日本画」と呼ばれる死んだ様式の中にはない新鮮な魅力を感じる。

逆に、植物学的、博物学的に正確に描かれた西洋のボタニカルアートの歴史を見ると、1700年代、1800年代のボタニカルアートに、ある様式美や、写実だけではない作者の並外れた感覚を感じ、やはり現代のボタニカルアートにはない強い魅力を感じる。

たとえばヨハン・ヴァインマン(1683-1741)の『薬用植物図譜』は江戸末期に日本に伝わり、岩崎灌園が模写し、『本草図譜』に加えられたという。

思いつきで描いた模様ではなく、生きている植物に接したという生の感覚と、そのものを正確に伝えようとする「眼」と、そこにひそむ謎のようなものを描きたいという執念が「手仕事」の力で、ある緊張感を持って、線や色として現れる。

ただの写実的な絵にはまったく惹かれないのだが、個体の持つ鋭い感覚によって、ものとの関係性のなかに写実以上の何かが生まれる過程のなかに「絵」があるように思う。

8月2日(金)

母のいる老健Eからきのう電話があり、薬の件で家族の了承を得るためというので、きょう面談に行く。

行ったら、まず相談員さんに面談室に呼ばれ、新しい薬に切り替える話ではなく、老健の医師がメネシットを含め全部の薬をなしにしたいと言っている、と聞き、唖然。

相談員Oさんも、「メネシットを切るなんてとんでもない、どうしてもここの医師には任せられないと思ったら、よそに移ってくれていいですから。」と言うが、このクソ暑い時に、弱っている母を遠くの施設に移動させたくはない。

面談中、やはりここの医師はおかしい。耄碌と、最初から専門外についてすごく無知なのに断言したがるのと両方だ(パーキンソンの薬を抗鬱剤だと思っていて、副作用があるからやめさせたいと言う)。

なんとかなだめすかして、メネシットだけは切らないよう、お願いする。

まともじゃない他人のせいで、どうしてこうも余計なストレスがかかることが多いんだろう、と思う。

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2012年10月22日 (月)

牧野富太郎生誕150周年 植物画コレクション / まんまの樹の下

10月21日

個展まであと2週間ほどしかなく、忙しさも大詰めなのだが、牧野富太郎のコレクションした江戸後期から明治期の植物画を見たくて、牧野記念庭園記念館へ。

きょうは日焼けしそうな眩しい日差しの日だった。どこに行っても満開の木犀が香った。

阿佐ヶ谷からバスに乗って、荻窪、井草、石神井公園のほうを通って、大泉学園駅へ。バスの中まで木犀の匂いが漂ってきた。東京の街には、本当に金木犀が多い。今年はまだ銀木犀の花を見ていない。

大泉学園駅の近くに区の農園があり、いろんな野菜や片隅の植物が光にまみれていた。その向かいの道を右折すると鬱蒼とした牧野記念庭園記念館。

入場は無料なのであった(すごい)!受付で入場者名簿に名前を書いている間に蚊にがんがん食われる。牧野富太郎生誕記念150年記念誌、300円を買う。

受付の横にあったこの庭園での収穫物。

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牧野富太郎の使った画材が展示されていた。誰の銘だったかメモし忘れたが、名人の作った蒔絵筆が3本くらい。ウィンザー&ニュートンの固形水彩。

くるくると渦巻が巻いて、最後に「の」という字になっている恐ろしくセンスの良い自作のはんこ。

手書きの知性と画才あふれる年賀状。すごくラフに描いているのに、装飾のための植物に朝顔や藤を描く構想が決まっていたことがわかる植物図譜ペンのスケッチ。

そういうリアルなものを見て、もう興奮に次ぐ興奮。ただ真っ直ぐな探究心と、ほとばしる知性、やっていることの美しさにただ頭が下がる。

そしてすごく見たかった服部雪斎と関根雲停の植物画。

服部雪斎の画でまず感心したのはキキョウの仲間の植物。いわゆるありきたりの葉のつきかたをしていない。つまりこの個体をそのままよく見て描いている。その誠実さ。

とにかく目の前にある個体を細かいところまで、見ることのできる限界まで見て、描写している。だから、その個体のリアリティがすごい。なまめかしいまでに生命を持っている。適当に楽に簡略化してお決まりの陳腐な造形になっていない。

服部雪斎で、もうひとつ見入ってしまったのは、「マミラリア属の一種」疣疣のてっぺんから棘はびっしり生えている小さな仙人掌の画だった。ひとつひとつの棘を細い蒔絵筆できっちり起こしている。当時(1800年代)の絵の具で、緑色の仙人掌の構造の上にこれだけ細くぴっちり棘を浮き立たせられるのはどんな絵の具なのだろう。胡粉で蒔絵筆で一筆でこんなにきれいに線が立つだろうか。

関根雲停の画で魂を奪われたのは「蒔羅(ジラ)イノンド」(私の大好きなディルというハーブのこと)だった。一本一本の葉の細い線が全部うねっていた。そして葉の色が微妙に色が変化していた。

絵葉書が駅前の雑居ビルの本屋で売られていると掲示されていたので、駅前ビル4階の本屋に行って聞くと、そこにはなく、もうひとつの小さな小さな1階の本屋のレジのところに売られていた。6枚セットの絵葉書を買ったが、関根雲停の「蒔羅」がなくて残念。服部雪斎の「ケレウス属の一種(セレウス)」は、柱仙人掌の一種の真紅の花の画だが、絵葉書だと蕊の線がつぶれてしまっている(インクが濃くのりすぎ)。実物は大きなポスターに拡大しても絵のアラがまったく見えないほどの稠密さ。

余談だが、私の購入した絵葉書は一枚が文字の版ずれ、一枚が表書きの文字がまったく抜けていた(白紙)。これはラッキーアイテムかな、と思う。

農園のフェンスのところに、大好きなオオケタデが咲いていた。この花は「まんま」と言われる花(イヌタデやオオイヌタデ)の中でも、ひときわ花が美しくて、私にはむしろ豪華な花に感じられる。ほんとに幼い頃の感動の強烈な思い出から、ずっと大好きな花なのだ。

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矢代まさこの作品に「まんまの樹の下」というのがあったな~。睦月とみ名義だったか、大好きな作品で、何度も読み返したのでネームを全部ソラで言えるくらい。「まんまの樹のした」の収録された作品集は「ピースバードストーリー」だったか、友人に貸して返ってこなかった。私にはすごく大切な本で、まんだらけでもなかなかお目にかかれないが、いつか再会したいと強く願っている。

そのあと石神井公園にまわる。石神井公園の池は、猛暑のせいか緑の藻が繁殖して、どろどろの青汁のスープみたいになっていた。鳥は少なかった。鴨たちに甘食をちぎって投げながら歩く。

三宝寺池を一周する。こちらの池のほうが原生に近い感じで好きだ。ドイツのベルリンの公園の風景を思い出す。

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遠くにコサギが3、4羽飛び立つ中、アオサギが一羽、じっと立っているのが見えた。

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杭の上に五位鷺がいた。驚かさないように息をひそめて撮った。

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2011年12月13日 (火)

花輪和一 / 絵、公共(パブリック)

12月12日

午前中、花輪和一と電話。「また花輪さんの昔の原稿が古本屋の作品便覧に載ってたよ。『どんどろ百鬼図』と『本邦の妖怪便覧』各315000円。花輪さんが27歳のときの。」と言うと「ええ~~!!」と驚いていた。「『月の光』の時代の、あのどろどろぎねぎねしたタッチで、すごくいい絵だよ。」

お詫びと修正: 花輪さん本人から連絡があり、この件に関して少年画報社は関係ないそうです。少年画報社の責任ではないので、花輪和一ファンのかたは抗議などしないようにお願いいたします。「ええと・・・その当時描いてたのどこだっけ・・・」と花輪さんが不確かな記憶を辿るように話していたのを、そのまま書いてしまった私が軽率だったと反省しています。少年画報社は、花輪さんにとって、たいへんお世話になり、ありがたい思い出多い出版社ということです。花輪さんが「ろくな人生にはならない」と言ったのは、むしろ今現在その原稿を販売しているほうです。蛇足ですが、私も少年画報社の編集さんにお会いしたこともあり、過去に出版された作品も素晴らしい仕事であり、尊敬する出版社です。)

以前、中野のまんだらけでも、花輪さんの昔の原稿2作品が売られていたのを見た。ひとつの作品名は確か「吸血草」と「猿回し」だったように記憶している。2作品で百万円の値が付けられていた(と思う)。

その後、数人の漫画家たちが「漫画原稿を守る会」の裁判を起こし、「原稿の所有権の確認を怠っていたとして」漫画原稿を販売していたまんだらけが敗訴したはずである。そのとき、裁判を起こしていた漫画家たちには原稿を返却したらしいがが、裁判に参加しなかった花輪さんの原稿は返却されていない。

・・・・・

夜、親友と電話。

「もともと脱構築ってヨーロッパの思想の話なんじゃないの?日本みたいに最初からヤオヨロズのところでそれを言ったら、それこそなんでもありの、味噌もクソも一緒のエクスキューズになっちゃう。」と言ったら、「そのとおり。ユダヤ的掟、砂漠の掟の中ではすごく有効だと思うけど。」と彼は言った。

「パブリック(公共)」に関してどう思うか、と私は聞いた。「作品については、いつも必ず「当事者性」ということが重要だと思う。どれだけ生身でその苦痛を味わっているかどうか。原爆や殺戮に関して軽々に引用、コラージュしているものには軽薄と嫌悪を感じる。発言として原水爆禁止や原発反対を言うのとは違うと思う。」と私は言った。

彼は「コラージュとは記号の引用であり、そういう意味で流通言語である公共の空間にはのる。けれど生身のクライシスを感じない作品には何も感じないし、収奪と言えると思う。」と言った。

「パブリック(公共)の場では虐げられたものに耳を傾けるというようなことを、厳密に、詩的に言っていて、生身の生存の場ではまったくそういう生き方をしていない、と感じる文学者は?」と聞くと。「言葉というものがそもそもそういう性質のものだ。だから実際、そうなっていると思う。」と言った。

「ものすごく大雑把に言うとポストモダンの良いところは戦争しないということでしょう?だけどポストモダン的なことを強弁しながら自分だけのお手柄を立てるために他を暴力的に支配して復讐心をあおる人は、結局モダンの一番悪いところを実践しているんじゃないの?」と私は言った。彼は「それが彼の一番悪いところだ。鋭敏なコピーライター的な、まさに80年代以降的な才がありながら、全共闘世代的、党派的、権威主義な感じがある。」と言った。

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2011年8月12日 (金)

花輪和一 反原発 若林奮

8月12日

きょう、福島県内の農林水産業関係者約3000人が東電本社前で抗議デモのニュース。

花輪和一よりもらった手紙を読み返していた。

「反!原発」をテーマに10月に札幌芸術の森美術館で「アートから出て、アートに出よ。」という展覧会に出品する絵を現在描いているそう。

手紙の内容は痛快。さすが花輪さん、と惚れ惚れする。

「キレイぶりっこ、アカデミズムぶりっこ、芸術ぶりっこ」の絵が大嫌いとのこと。

「描き終わったカケジクを福島原発の見える所まで持参し、そこの路上に広げ、(絵の描いた面を下にして)思いきり踏んづけ、ボロボロにして、津波の中からひろってきたような状態の姿で出品してやりたいと思うが、」(気持はそうだが実際どうやるのかは思案中)

電話で、原発の欺瞞で殺された動物たちに対する怒りをぶつけあい、また、こんな状態でも関係なく、何も考えずにつまらない絵を描いて商売している人たちへの胸糞悪さをぶちまけあった。

「花輪さんの個展だったら見に行きたいけど、ほかの人が出ると思うと(誰が出るのか知らないが)、想像しただけでもう無理。」と私は言った。

あまり何も感じずにいろんな展覧会を見に行けたのは、いつの頃だったろうか?記憶にあるのは18歳の頃、今ならおぞ気だつような大嫌いな画家の絵があっても、その前をスルーして好きなものだけを見た。今ほど嫌悪を感じるものが少なかった(何もわかってなかったのだと思う)。

今は、歳月が堆積して、良いものと悪いものをたくさん見て、人生が濃くなったせいか、厭なものを見ると厭なものが身体に入ってくるような気がして、直接的な激しいストレスを感じる。「生きれば生きる程、読むべき本は増え、考えるべきことは積み重なる」ということが少しはわかったてきたのかもしれない。

吐き気がするような絵(または立体やパフォーマンス)とはどんなものかと言うと、「収奪」としか言いようがないもの。うまい下手は関係ない。むしろ手慣れていない頼りない線には魅力を感じる。

嫌いなのは手癖がついていて、紋切り型のものの見方と技巧が固着したもの。陳腐で、なんの疑問も怯えも感じずに絵を描くのが好きだと言う手慣れた人を見ると吐き気がする。生きている動植物の生命をコンクリづけにしていくような塗り固めた絵。現代美術の問題の重荷を背負わない自覚なき自己表現。

またはテキストだけがあれば作品はいらないもの。口先だけの倫理。身体感覚なしのパフォーマンス。

若林奮の言葉を借りれば、自分の「外」と関係がないものである。

ベルリンのアートフェアで、その場で鉛筆一本で記憶の風景を描いていた6歳の子供の絵を見たときの衝撃を思い出す。彼には鈍さがなかった。さり気なくて、鋭くて、危うかった。

それが記憶であったとしても外を見ようとしているもので、常に柔軟に変化するもの、類型でないもの、形式化されないもの、また、ある種の過敏さ、過激さに惹かれる。これは、まさにそういう人間の生き方に惹かれるということだ。

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↑花輪和一が送ってくれた北海道新聞(夕刊)「原発の毒火はいらない」

さすが地方紙。個性的で面白い記事が載せられるのはいい。

10月からの展示に出すものはこれよりさらに過激になるという絵の構想を聞いた。

若林奮が生きていたら、どんな行動を起こしたかと毎日考えながら、彼の残した難解な言葉を繰り返し読んでいる。何十回、何百回と読んでも、やはりすごい言葉だと思う。いわゆる文学者にも、美術批評家にも書けない言葉。唯一無二の思考力と実践力。

作品として「何ができるか」よりも「何ができないか、何をしてはいけないか」を問うこと。

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2010年12月 5日 (日)

絵画 絵具 メディウム

12月5日

ベルリンのNさんから、2日で雪が20cmも積もったというメールが来る。雪のベルリンはさぞかし美しいだろう。体温調節がきかない私には歩くことは無理だろうが。記憶の中の森が白い雪に埋まって、木々が黒々と佇んでいるのを想像するだけでぞくっとくる。

12月4日

あらゆる紅葉の落ち葉が混然となって道を埋めている。杏の紅葉に初めて注目した。桜のように紅色にならず、ほんとに杏色(くすんだ濃いオレンジ色)だった。

金柑の葉がだいぶ食べられている。どこにいるのか、いっとき立ち止まって枝から枝へ眼を這わせていたら、いたいた・・・まだ青虫になっていない黒と白の地味なアゲハの幼虫。どうか蝶になるまでがんばってほしい。

ジェッソを使うのが初めてなので、厚さをどうするかに迷っている。何パターンもやり方を替えるが、地の感触に満足できない。石板のような硬質な感じにするか、布の目に絵具の粒子を引っ掛けるようにくっつけるのか、質感をはっきりさせたい。

1枚はアクリルの黒の上に透明な赤の発色のさせかたの実験。赤の色味の加減と透明度の加減によってはすごく汚く俗っぽくなる。

もう1枚はアクリル絵の具を混色して水で薄めて塗ったら、黒の粒子が分離して下に沈み、薔薇色だけが浮き上がって黒の粒子と混ざらずに滴りの形をつくった。下にセルリアンブルーのにじみを残し、絵具の反応が自分の意図しない絵をつくった。実験としての1枚はここで、もう手を加えないほうがいい。けれど発表するためには面の中に強い物質性の部分をつくらないといけない。やることは見えているのだが、位置と分量に迷って眠れなくなる。

12月3日

素晴らしい天気だった。朝方は耳をつんざく豪雨。昼過ぎからは強く透き通る日差しで23℃まで上昇。そして午後から夕方には屋根も吹っ飛ぶような強風。

3時頃、青梅街道は山吹色の公孫樹の絨毯だった。時折、小さな竜巻が起きて、空高くまで公孫樹の落ち葉の高速回転スクリューが昇っていた。この細い激しい黄色い竜巻を写真にとればよかった、と後で思った。

3日前にベルリンの天気予報を見ると12月1日の予報最高気温-9℃、最低気温-16℃となっていたのでびっくりしたが、実際にはそれよりは少しだけ暖かいようだ。それにしても夜中に-9℃くらいまでは下がっている模様。友人たちは寒さに負けず元気なのだろうか。

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2010年11月12日 (金)

絵画 花輪和一 フィギュアスケート サンプル百貨店個人情報流出 

11月11日

久しぶりに電話で花輪和一と話す。 ドイツの旅の報告と絵について。花輪和一は、「くだらないものつくって、そのとき話題になって、お金もうけたって、なんにもいいことないでしょ。自分に満足いくようにやることだけ考えたほうがいい。」と言った。その言葉が私を楽にしてくれた。

帰国してから、ずっと、毎日時間に追われながら制作していて気が休まらない、小さな作品に、あまりにエネルギー過剰、費やす時間が過剰で、と言ったら、今はしかたがない、と彼は言った。

彼は、人間的な欲(金に対する効率や売名)に興味がない。だから、非常に、あっさりと話が通じるので気持ちがいい。そして対人恐怖症・・・・・・これも私と同じ。欲の深い人、慈悲の気持ちがない人を非常に嫌う(これは彼の作品の内容と同じ)。植物と動物が大好き。これも私と同じ。彼はTVを持っていない。パソコンも、オーディオ関係の機器も。冷蔵庫も。彼が持っているのは小さな机と年季のはいった仕事道具。

11月10日

長いメールで、英語で、日本語でも説明困難な内容のことを話し合う。

芸術について。ジャンルについて。マテリアルについて。あの作家について、あのキュレイターについて、どう思うか。日本人に日本語で話したって、ほとんどの人はわかってくれないだろう。一瞬でわかってくれていた人たち・・・・・若林奮先生、種村季弘先生、毛利武彦先生はもう亡くなってしまった。

できない英語で、こんな困難なコミュニケーションに挑んだことがあったろうか。でも質問をしてくれるのは、ありがたいことだ。ここでも、思考のレヴェル、感覚のレヴェルがすべて問われるだろう。高校以来、一度も英語を習ったことのない私が、今ここで、必然的に英語のレヴェルが上がらざるを得ないのは、苦しいけれどもラッキーチャンスというものだ。

そして、こういうぎりぎりのコミュニケーションは、どちらかが相手をくだらない、話すに値しない、と思ったら急速に離れてしまうような、危険なものだと思う。

11月7日

私はこういう話題について書くことはあまりないのだが、あまりに怒り心頭なので書いておく。

最近、サンプル百貨店というサイトから、顧客の名簿が派遣社員によって流出(売買)された、とのメールが来た。それで、最近、生まれて初めて、毎日私の実名あての迷惑メールが20通も来る理由を知った。

以前、なんとなく登録してしまったが、一度もサンプルをもらったこともないのに、この被害。

私の実名で、出会い系サイトからのメールがひっきりなしに来るストレスは計り知れない。こちらはパソコンに触ってからまだ3年、ケイタイも持たないITシロウトである。殺意が湧くほど頭に来ている。

今までメールをブロックした経験もなかったので、OCNのサポートに電話で聞きながらメールフィルターを操作。それでもまだまだ迷惑メールが来る。次の日、もう一度OCNに問い合わせ。操作の調整。それでも、まだまだ来る。3日目、もう一度OCNに電話。細かい設定が間違っていたらしく、もう一度詳細設定やりなおし。

サンプル百貨店の対応ダイヤルに電話すると、若い俄かアルバイトらしき女性の対応が、問題外の失礼さ。こちらが怒っているのに笑ったりしている。まったく謝罪の気持ちなし。例によってまともな日本語(口のきき方)を知らない頭の悪さ。

11月6日

フィギュアアスケートの気になる人の演技を見ながら、あいだにバレーボール女子の試合を見たくて、カチャカチャとチャンネルを替えながらTVを見る。

最高に緊張する瞬間に、いかに自分らしくやれるのか、その瞬間を目撃することに興味がある。

フィギュアスケートの場合は、もちろんスポーツなのだからリスキーな技を美しく決めてくれる瞬間にぞくっとする。同時にすぐれた舞踏を見るときとおなじように、身体全体の動きのイメージ喚起力のようなものを見てしまう・・・・・とくに上半身の表現と体線・・・身体の反り方、首の角度や腕の振り方の緩急や指先を見る。

(もちろん、すぐれた舞踏は、練習時の動きとは別の、きわめて未知の時間の身体を巻き込むものではあるが・・・・・・)

バレーボールの場合は、一瞬一瞬にかわる状況判断に、身体をどう反応させているのかに興味がある。追い詰められた時の身体・・・・・すぐれて直感的な反応。頭の回転と身体反応との関係。

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2010年7月 6日 (火)

若林奮 / 宮西計三展

7月5日

宮西計三展の最終日(『夜想』のギャラリー、「パラボリカ・ビス」)に行って来る。

久しぶりに宮西計三と会ったが、一時期より元気そうで、歯も補修されていてよかった。

昔、私があげたホルベインの透明水彩をまだ使ってくれていた。あいかわらずの鉛筆と丸ペンとインクと、たまに透明水彩のみの画材。生活もいろいろたいへんだが、ライヴ(「Onna」というバンド)をするのが息抜きと言う。

旧いつきあいであり、「頭上に花をいただく物語」から「エステル」の頃、懇意にしていた。私は彼の絵を描く動作の一部始終を見ていたので、その気の遠くなるような作業の時間を貫いてぶれない最初の、制作の前のイメージの強度と、その欲求のパッシオンに打たれ、本物(死語)の絵描き魂を見ていたものだった。

「バルザムとエーテル」(まんが)の後半のほうで、線の筆勢がなくなって、線の流れに必然性が無くなってきて、ぐねぐね、ちまちまして来た(と私には見える)時、どうなることかと心配したが、また流線の勢いを持ちなおして来たようだ。

私が持っている原画。(写真の精度が悪いですが、クリックしてみてください。全部「点描」で描いてあります。)

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点描で時間をかけたから価値があるわけではなく、そのパッシオンの源の「眼」がすごい(と感じる)から惹かれるのであり、宮西計三の絵には、思いつきのアバンギャルドや、「ちょっとした真実味や、たいして意味のない発見」ではなかった。堅牢にしてほとばしるものがあった。描かなくては生きていけない本当に少数の人間だったのだ。

線が非常にのびやかだった頃の宮西計三作品。(クリックしてみてください。)

「よろこびふるえる」(「少年時代」けいせい出版)より。

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私が望むのは宮西計三の「線」が死なないこと。

「おとぎの空」(1985)(「頭上に花をいただく物語」フロッグ社)より。 白と黒のバランスも美しい。(写真の精度悪いですがどうぞクリックしてみてください。)

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ちなみに、私たちがつくっている同人誌「あんちりおん」の1号も宮西計三の表紙で、中には「宮西計三の言葉抄」が載っています。(一部1000円。残部僅少。もし興味のあるかたはTwitterで連絡ください。)

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夜、また若林奮の資料を読んでいた。若林奮は難解だと言われていて、誰もが「わからない」のに評価されている。私は本人を知っているので、人物の魅力に惹かれすぎていて、そこをさっぱりと差し引いて作品の魅力だけを言葉にするのは、なかなかに困難である。

作品自体は、そのタイトルから具象物(たとえばデイジーという花)を連想するのは、普通に考えて無理だと思う。けれど、自分の身体の「個人的体験」から、若林さんの身体の「個人的体験」を想像することはできるような気がする。そこから「彫刻」に到る道筋を想像することは可能な気がする。しかし、それはまったく一般的には共有されないことだと思う。

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