5月28日(火)14℃ 曇り
明日帰るので家の周りの風景も名残惜しく、朝の光の中をひとりで散歩。
近所の素晴らしい白藤の樹。庭仕事をしていたご主人に「この樹、すごく素敵ですね」と声をかけると、樹齢30年にもなり、前に住んでいた家からこちらへ移植したのだという。

風になぶられてふわふわ揺れていた空色の亜麻の花。花弁は可憐、茎はすごく細くてしなやか。

花輪さんが最近描きかけの絵は、地中の樹の根に10匹のセミの幼虫、地上に続く穴から水が落下していて、その滝を龍が上っていく、それを見ている着物姿の女の人。
セミの幼虫だけは何度描いても飽きないらしい。
12号くらいのパネルに水張りがきれいにできている。「すごいじゃない。水張り、完璧!」と言うと、「ご指導の賜物です」と。
午後には曇ってしまったが、2時過ぎにまたひとりで緩やかな坂道のバス通りを行けるところまで下ってみた。
使い捨てカイロを貼って出かけたが寒い。
バスの中から見つけて絶対近くで見ようと思っていた廃中学校の藤。しばらくこの藤のそばにいた。

北海道のタンポポは大きくて野性的。太い茎がうねっているものも多い。


初日にバスの中から見て素敵だった濃いライラックの樹があるお庭。ここまで歩くのに40分ほど。

暖かければなんてことはないが、私は冷え性なのですっかり手足が冷えてしまった。
1時間半くらい歩きまわり、帰宅して花輪さんの腕に触れて「ぎゃ!氷みたい~」と言わせる。
熱いお風呂に入らせていただいた。プロパンでお湯が細くしか出ないので、お風呂のお湯を貯めるのに時間がかかる。
追い焚きできず、お湯がもったいなくて申し訳ないのであまり入らなかったのだが、今日は冷えたので。
花輪さんにひとつ嬉しい報告をした。2年前に二人で行ったイケマでいっぱいの野原は潰されて建物が立ってしまったけれど、その歩道側の縁には山ほどのイケマの蔓が芽吹いていたこと。
その少し先の郵便局の隣の小さな空き地にもイケマの大群。100本は蔓があったよ、と伝えると、「本当に~!もうだめだと思ってた」と喜んでもらえた。
北海道産のお蕎麦がおいしくて、夕食にはゴマと海苔と鰹節をたっぷりかけていただいた。
5月29日(水)
ついに帰宅の日。
朝7時に起きる。
一枚板のローテーブルで初めて癌のことを面と向かって聞かれた。今までもいきさつを話してはいるが、私が元気そうに見えるらしく以前のような寛解状態ではないことを理解していないようだ。
現実感が無いのだろうと思う。
近くに置いてあった『水精』の「まどわし神」をめくって「この夕日の逆光のススキ、子供たちの不気味な顔、カラカラカラという風のうねりの束、ものすごいよね。この1コマだけでもすでに天才。このススキを放り投げている後ろ姿の子供たちの絵もすごい。「その頃 足から出た血の上を 秋のコオロギが弱々しく横ぎって いったのだった」で終わる最後のコマも異常にすごい」と言うと、
花輪さんは「わからない」と言う。「ただ出て来た」だけで、それがすごいのかも、どういう気持ちで描いたかもわからないと。
いつもそうだが、ほめられることに実感がないようだ。
生きるか死ぬかの状況でやむにやまれぬ自己救済のために描かれた過去の作品たちは異様な煌きを放っているが、もっとも凄みのある美しさと哀しみに満ちた『護法童子』のような作品こそ、花輪さん自身は「見たくない」と言う。
その時の自分の苦しい精神状態が蘇ってくるからと。彼にとって母親や義父との精神的葛藤はいまだ生々しくて昔話になっていない。
花輪さんは中学を卒業してすぐ家を出て印刷会社で働いていた。そこは官報を印刷していたがとても忙しく、毎日夜10時過ぎまで残業だったそうだ。
「とにかく絵が描きたくてたまらなくって。でももうくたくたで描けなくて、そこでは5年頑張ったけどやめた」そうで、20歳すぎに勤め先は巣鴨紙器に変わり、25歳からは絵だけで食べて来た。
11:42発のバスで駅まで一緒に行ってくれた。別れる時に、去年言われたのと同じことを言われてしまう。
「福山さんはさ、俺とはレヴェルが違うんだから疲れるでしょ。レヴェルが同じ人とつきあったほうがいいよ。俺たちはただ絵だけが共通で、そのほかのことはすべてが合わないんだから」と。
「その絵の話ができるってすごいことでしょ。私には花輪さんのほかに絵や才能にすごく興味を持てる人がいないんだから」
「美大の友達とかいるでしょう」
「ぜんぜん。たまに話す人はいるけど、特に・・。花輪さんほど強烈で面白い人はいない。私は昔から天才とか異才にしか興味が持てないみたい」
花輪さんは「美大を出ているだけですごい」と、とんでもなく的外れなことを言う。私は全然そうは思えない。
私にとって美大出身者は、(そうでない人もいるけれど)自己顕示欲だけ強い凡庸な人が多いイメージしかない。
花輪さんのように15歳から自立(自活)して実力だけで自分の世界を作り上げて来た人とは比べようもない。
「福山さんはいつも張りつめているでしょう。だけど福山さんのペースにはついていけない。俺はばかなんだから、ばかはしょうがないと思って泳がせておいてほしい」と言われ、
私が一緒にいると、私が過集中で常にのめりこんでしまう傾向があるので、気を遣い過ぎの花輪さんにはすごくプレッシャーがかかって落ち着かないんだろうなと思う。
今の私は、来年どうなっているかわからない、もう二度と会えないかもしれないと思い、ついなんでも徹底的にやりたいという感じが出てしまう。
花輪さんは、私など足元にも及ばない超人的な集中力と天才的な閃きの人で、尊敬しているのだが、私と距離が近すぎると緊張して集中できないみたい。
札幌から新千歳に向かう電車の右側の窓から見える私の好きな景色。

来年はもう来られないかもしれない。もしかしたらまた来られるかもしれない。
先のことはわからない。