まんが

2023年7月19日 (水)

ボリジ、ノラニンジン、刑務所の中の日記

7月11日(火)雨

ここは札幌よりは高い位置にあるのでだいぶ涼しい。

夜、トイレに行くと窓の外の空気はしんしんと冷えていて寒いくらい。体感14℃くらい。

家の前に植えてある青紫の優美な花。田中未知さんがオランダから種を送って来たという。
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調べてみたらボリジ(瑠璃萵苣、ルリヂシャ)という植物らしい。

私もこの花を初めて行った時のベルリンの原っぱで見て忘れられなかった。聖母マリアの青い衣を描くときに使われ、マドンナブルーと言われるそうだ。

北海道の天気は目まぐるしく変わる。雷が鳴ってざあっと降って、晴れて曇って、また降って。

夕方、ひとりで家の周りを散歩した。どの家も植物を植えている。

ラベンダー、薔薇、ウマゴヤシ、マツムシソウ、タイマツバナ(ベルガモット・モナルダ)が満開。

そして道端に勝手に生えている美しいノラニンジン。初めてこのレースフラワーを道端で見た時、さすが北海道、とすごく感動した。Sdsc04585

ひとり、集落の端っこの階段を降りると、去年ふたりで歩いた最初に花輪さんが発見したイケマの道に出る。今はその道が破壊されていて、広大な農地にブルドーザーが入っているので泣きそうになる。

野生のフキの茎を折って齧ると、苦い懐かしい味に胸がつーんとする。

・・

「これ刑務所の中で書いてた日記。」と、私がねだったわけでもなく花輪さんが大学ノートを持ってきて見せてくれた。

あの名作『刑務所の中』が描かれる前のリアルなデッサン、スケッチと日々の記録。見た夢の記述も多い。

あまりに明確にデッサンした建物の中の絵は、刑務官によってきれいに切り取られて無くなっている。

しかしリアルに細かくデッサンしたことで建物内部の構造すべてが記憶に鮮明に残っていたから、あの漫画を描けたのだなあ、と感動。

『刑務所の中』のまんがに描かれたコマより数段繊細かつ劇的に、赤と青と黒のボールペンの線で描かれた風呂場の窓からの陽の光。光の中になにかがいる。(画像の無断転載は固くお断りします)

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ほかにも毎日、部屋から見える白樺の樹の成長と変容を描いたデッサン、読んだ雑誌の中にあった顔写真や絵(なぜかベルト・モリゾの絵)のスケッチ、見開きの記事ひとつそのまま写したもの(立花隆が書いているオウム関連の記事)・・・。

「なんでこんなに根気があるの?すごすぎる。こんなに根気がある人はいない。」と言うと

「だってやることがないんだもん。しかたないんだよ。」と。

ほかの皆がだらだら寝ている時に、ひとり絵を描かずにはいられなかった、すべてを克明に記録せずにはいられなかった、根っからの掛け値なしの表現者。

それは誰に見せることも意識していない純粋なノートで、天才過ぎて涙が出てくる。

しかし白樺の樹の変容を定点から描いたものを見ても、一般の人は何の感動もないのだろうな、結局、絵を描く人間どうしでしか感動しないのだろうな、と思ってしまう自分もいる。

7月12日(水)曇り

朝7時に起きて、深紅のラズベリージャムをこんもりつけたパンと紅茶。

8時45分発のバスで花輪さんに駅まで一緒に乗ってもらう。

駅で花輪さんに「いろいろお世話になりました。パソコンまで直してもらって。」と言われ、

「ええ?たいへんお世話になったのはこっちでしょう?いろいろすみませんでした。」

「福山さんは精神が強すぎるんだよね~。」

「ええ?どこが?」

「ものすごく精神が強すぎて、それにからだがついていけなくて、すごくやせちゃってて。俺なんてついていくのがやっとだよ。」

11:40発羽田行きの飛行機に、10:30にチェックインしたら、1席だけ残っていた窓際の席がとれた。

千歳の原生林と支笏湖が光るのを空の上から見るのをすごく楽しみにしていたのに・・・今日は厚い曇に覆われていて残念。

新千歳を飛び立ってから窓の外は真っ白。まあ、雨で雷雲の中に入ってしまったりしたら2、3時間も遅れることもあるらしいので、順調に飛行できて幸運と思わないといけない。

30分くらいしてからカーッと晴れて山脈が見え来て、東京に着く頃は36℃。

品川で電車を乗り換える時、温度差に順応できずに吐き気がした。

 

 

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2023年7月17日 (月)

71年藤尾毅アシスタント時代の花輪和一

7月9日(日)曇り

朝、庭のラズベリーを摘む花輪和一。
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ラズベリーはザルにいっぱい収穫でき、次の朝にはまた真っ赤に実る。摘んだ果実はすぐに土鍋で煮詰めてジャムを作る。

電話の横に71年の週刊プレイボーイ誌が3冊あり、「これ何?」と尋ねると、その当時、花輪さんがアシスタントをしていた藤尾毅のまんがが載っているという。捨てるというのでもらって帰ってきた。

藤尾毅「漂忍一族過去帳より 第2話 やまびこ卍」(週刊プレイボーイ1971年11月23日号 集英社)
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この焼け落ちる吊り橋の絵を花輪さんがひとりで描いたそうだが、当時デビュー前、24歳の花輪さんの描写力、やはり天才としか言いようがない。
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ちなみに3冊のプレイボーイは古本屋の店主がくれたものだという。

この1971年のプレイボーイの表紙の写真は、若い女性向けのファッション誌かと思うくらいおしゃれですっきりしている。

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8月24日号には「本誌編集部が映像の世代に敢えて問う 16歳の少年が1年間撮り続けた女ともだちのヌード」という巻頭グラビアが素敵で感心してしまった。

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8月31日号には「16歳の少年が1年間撮り続けた女ともだちのヌード」の第2弾が掲載されている。ポラロイドの光が美しい。少しもいやらしくないヌード。

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このSLの上に乗ったカラフルな服の女の子の写真、まったくプレイボーイぽくなくてNON・NOっぽい。

NON・NOは71年の5月に刊行された。NON・NOの表紙を撮った写真家と同じ人なのかなあ?と思う。

72年くらいからプレイボーイの表紙はタレントの顔のアップで全然おもしろくなくなる。

・・

私のリクエストで「護法童子」を描いてくれている花輪さん。
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2022年10月30日 (日)

北海道の花輪和一さんとの1週間の記録(4)

10月22日(土)

今日は道立自然公園野幌(のっぽろ)森林公園へ。

「野幌森林公園に行くのはどう?」と花輪さんに言われて、今度こそは一応PCで調べ、キツネやリスに会えるかもしれないと書いてあったので「行く行く!」と。

札幌駅から電車で15分ほどで森林公園駅へ。札幌中心部から意外に近い。駅を降り立つと赤錆色の北海道百年記念塔が見えるので、そこを目指して駅から15分くらい歩く。

森林公園へ行く緩やかな坂を上がり、入口少し手前、左側の高校のフェンスに目が覚めるほど鮮やかなヤマブドウの蔓が繁茂しているのを見つける。フェンスの中では高校生達が野球をしている。

公園の記念塔口に着いたのは11時過ぎ。素晴らしいことに入場無料。受付の地図をもらって、とりあえず森の中を大沢の池まで行ってみようかと歩き出す。

今日は真っ赤に紅葉したヤマブドウの葉を探して歩いた。

またキラキラした金色の道。しばらく歩くと、折れて傾いだ白樺に複雑に絡まりあったヤマブドウを見つけて興奮。

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ああ~素敵!と言いながら、それぞれの樹に絡まった無数のヤマブドウに出逢い、感激しながら林の中を歩く。

歩いても歩いても、原生林は地図で見た感覚よりずっと広かった。1時間半くらい歩き、やっと大沢口(目的地の大沢池までの半分の距離)に着いた時には頭の血が引いてくらくらするほど空腹で、とりあえず駐車場わきにあった自販機で藻岩山のてっぺんで飲んだのと同じカフェオレを買う。

カフェオレは牛乳入りで約160kcl。これを飲んだだけでそうとう元気になる。そのあとベンチでおいしそうにおにぎりを食べている家族を横目で見ながら、花輪さんが持ってきていたピーナッツを数粒食べる。「ああ、生き返るね~、こんなにピーナッツがおいしいと思ったことはないね。」と笑う。

つまり各入場口にひとつの売店も食事処もないのである。またまた軽率に、食事のことを考えないで来てしまった。

さすがの花輪さんも「疲れた・・」と言って、脚の調子を気遣ってそうとう念入りにストレッチしていた。

そのあと、大沢池に行ってこの場所に帰ってくるだけで2時間かかるから大沢池はやめよう、ということで近くの「自然ふれあい交流館」へ。

交流館の職員さんに「瑞穂の池まで行くのとふれあいコースで記念塔口まで戻るのと、どちらのコースがおすすめですか?」と尋ねると、「瑞穂連絡線は今、スズメバチが出て閉鎖されているのでふれあいコースがいいのでは。きれいな草原を行き、そのあとまた水が少し流れる林の中を行きます。」とアドバイスを受ける。

ふれあいコースを行き、すぐにまた素晴らしいヤマブドウを発見。青空を背景にたくさんの果実がなっているのが見える。

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ヤドリギの樹がある草原。

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草原を過ぎて、再び林の中へ。
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恐ろしいほどたくさんのヤマブドウを見る。今日はヤマブドウ天国。

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そうしてやっとこさ初めの記念塔口に帰ってきたのだが、ここで花輪さんが「どうする?まだ2時半でしょ。瑞穂の池まで行ってみる?」と言うのだ。

なんだか私もまだ行ける気がしてきて、バス停でバスを待っている人たちを通り過ぎてふたたび原生林の中へと下る。

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瑞穂池までのコースにはとても素敵な木橋があった。

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ここから山道を登り、北海道開拓村の横の細い道を通り、瑞穂池へと下る。

瑞穂池。
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瑞穂池前のあずまやでも花輪さんは煙草を吸う。

そこから開拓村前まで歩いて戻り「このバス停でバスを待つ?」と言ったが、やはり来る時に坂の途中にあった高校のフェンスの素晴らしく見事なヤマブドウを写真に撮って帰ろうということになる。もう陽が翳ってしまうので急いで早足で行く。

今時、警備が厳しいのに高校なんて入れるのだろうかと思ったが、すんなり入れた。フェンスの前は一般の自転車置き場にもなっているようだった。

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ヤマブドウ越しに北海道開拓100年の塔を望む。

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日の暮れた札幌に戻り、4年前に一緒に食事した時計塔の隣のビルの地下の店に行ってみたが、店の内容が変わっていた。

歩き疲れすぎたせいなのか私はなぜかまた食欲が出ず。

その店で少し言い争いになってしまった。私が「天然記念物や道立の自然林の中くらい煙草を我慢できないの?」と言ったからだ。

それに対して花輪さんは「福山さんにだってどうしてもやめられないものがあるでしょう?ビールとか。」と。

「私はお酒はやめられるよ。実際に風邪ひいたときなんかぜんぜん飲まないし。私がどうしても苦しくて我慢できなかったのはちゃび(猫)が死んだときだけ。猫のいない生活だけは耐えられなかった。」と言うと、

花輪さんは「それと同じだよ。」と。

これには頭に来てしまい、私はそれ以上食べられなかった。

また、明日朝9時に近所の老人たちが集まり、家の前の花を一斉に引き抜く作業をするというので、「まだ咲いているのになぜ抜くの?もうすぐ自然に枯れるでしょ?」と言うと

「それが毎年の決まりだから。」と。

悔しさがおさまらなくて帰りの地下鉄の中で少し涙が出てしまった。

家の近くのバス停に着くともう真っ暗だった。私は走って行ってまだ咲いている大きなコスモスを1本引っこ抜いて持ち帰り、玄関に置いて「バケツを貸して。」と言った。

すると花輪さんは「うちには花瓶なんておしゃれなものはないんですよ。高級な家じゃないんで。」と。

思わず「私は花瓶とはひとことも言ってない!このうちに花瓶がないことなんて百も承知!私はバケツと言ったの!私だって高級な暮らしなんかしてないんだから変なこと言うのやめて!」と強く言ってしまった。
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プラスチックの容器に入れたコスモス。見事な枝ぶり。

「さっき、花輪さんが煙草やめられないのと、私が猫を飼うのと同じと言ったけど、全然違う話でしょ?私は少なくとも4匹の赤ちゃん拾って、それは愛情関係なんだよ。花輪さんのはただの依存症、自分勝手なだけじゃない。」と言うと、

「そのくらい苦しいのは同じってこと!やめたくてもどうしようもできないってことだよ。軽いのにかえてるし、喫う時は離れてるでしょう。」と言われて、言い返すことができなかった。

意志の弱さの問題ではなくて、他人には計り知れないほどの闇、欠落、愛情の飢餓があるということなのだろうか。

そのあと私は引っこ抜いてきたコスモスを描いていた。

花輪さんとは言い合いになるのは珍しいことで、言い合いになっても引きずるということはない。

重要なことは、花輪さんが「言い返すことができる」人間は、おそらく私一人だということだ。

 

 

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2022年10月17日 (月)

ひろき真冬さんとお酒を飲む

10月15日(土)

ひろき真冬さんと夕方6時に中野で待ち合わせ、ひろきさんお気に入りのお店に連れて行っていただく。

私の個展のお祝いと言ってくださり、あまりに恐縮。

私が肉を食べられないのでお魚だけのお店。ビールの大瓶で乾杯。

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そして、なんと私のために、ひろき真冬さんのデビュー第2作「幻想鬼」や花輪和一さんの「怨獣」の載っている1974年の『ガロ』と、ひろきさんの最初の単行本『K,quarter』と宮谷一彦さんの新聞記事のコピーを持ってきてくださっていて大感激。

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『K,quarter』に関しては私も購入して持参していたので、それにサインしていただく。

ひろきさんの生い立ちのお話。それから、漫画に夢中になり高校生の時に宮谷一彦さんのところに遊びに行くようになったこと。

ひろきさんが高2の時に、宮谷さんのアシスタントだった宮代洋司(はっぴいえんど「風街ろまん」の内ジャケットの都電を描いた人、のちの空飛光一)さんが辞め、

さらに高3の夏休み前に残りのアシスタント全員が辞めてしまい、

宮谷一彦さんに「お前の夏休みをおれにくれ」と言われ、たいへんなことになったことなど、宮谷さんをめぐるたくさんのエピソードを伺う。

非常に細かく具体的に、当時の時代背景なども併せて話してくださるので、私はメモを必死にとりつつも、おいしいお魚を食べ、ビールはどんどん進む。

ひろきさんの言葉にはもったいぶりや飾ったところがなく、すべてが「証言」として、情景が私の身体を通して見えるように感じられた。

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大海老やニシンの炉端焼き、揚げ出し豆腐など食べ、ふたりで大瓶4(~5?)本飲んだ。私はいつもならそんなに飲むと気持ち悪くなるのだが、興奮していたせいか頭は冴え、それほど酔わなかった。

岡田史子さんや合田佐和子さんの思い出の貴重なお話も伺えた。

私は合田佐和子さんとお目にかかれたのは種村季弘先生によんでいただいたスパンアートギャラリーでの集まりで。

岡田史子さんとは、高円寺文庫センターのサイン会(すごくどきどきして行列に並んだ)で。いずれも2000年を少し過ぎた頃だったように思う。

ちなみに初めてスクリーントーンを削るテクニックを生み出したのはひろきさんだそうだ。その頃、ドットの印刷面が裏(紙に貼り付ける面)から表に変わったので、カッターで削れるようになった。それまではホワイトでドットを消していたとか。

2件目は中野のSと阿佐ヶ谷のDと高円寺の「なんとかバー」とどこがいい?と言われ、なんとかバー(素人の乱)が選択肢に入っているのにびっくりした。

今日のところは中野の隠れ家のような小さな白いバーへ。
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中野の私の好きな裏道にこんなお店があったの?と驚く。

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日本ではあまり手に入らないと言う珍しいジン「ノストラダムス」(青い瓶、ミント風味)のソーダ割を飲んだ。
左からひろきさんのボトル、緑色の瓶が「パラケルスス」(レモングラス風味)。
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話が盛り上がりすぎて、私は酔いで倒れないように途中、温かいお茶やレモンのソーダ割をいただく。ひろきさんは「なんでも(飲み物の)わがまま言って!」と言ってくださる。

「実は私、ひろきさんの最初のレコード持ってるんですよ。」と言うとすごく驚かれた。

「Onna」のレコードの「コルティジアーナ・ダル・ベーロ」と「胸をつつんで・・・」は、当時何度、繰り返して聞いたかしれない。

楽器を演奏しているようには思えないあまりにも不思議な音、妖しく美しい景色に全身が侵され、めまいする衝撃。

当時、私にこのレコードをくれたのは宮西計三だ。私はその頃、宮西計三の卓越した線と詩に心酔していた。

ひろきさんは宮西さんとの出会いと、どうやってこの不思議で刺激的な音ができたかを話してくださった。

マイクが無かったのでカセットデッキを録音状態にしてティアックの244に繋げたとか。

ひろきさんはバーボンのボトルを飲み干し、目の前で新しいボトルを入れていたので、空いたひろきさんのイラストの描いてある瓶を記念にいただいた。

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「胸をつつんで・・・」の最後のカラスの泣き声のリフレインも偶然で、声を録音している時に窓辺にカラスが来たんだ、と聞いて本当に驚いた。

「あの時はケミストリーが起きた。作ろうとしてやると構えてしまう。そうじゃなくて二人で落書きみたいにしてつくったから。」と。

ひろき真冬さんは「宮谷一彦先生と宮西計三君は似てる」と言った。その意味が私にはすごくわかる気がした。

また、私の絵に「シンとくる(沈黙させる)ものがある」と言ってくださった。

才能とエゴ、表現者どうしの共鳴と軋轢、作品と作者・・・私が常にもっとも関心がある問題を、信じられないほどストレートに語ってくださり、本当に濃くてありがたい時間だった。

ひろき真冬さんはたいへん紳士的なかたで、さりげなく濃やかなお気遣いが(私に対しても、店員さんに対しても)すごくて、その穏やかな明るさ、優しさはお酒を飲んでも少しも乱れない。

なによりもお酒が進んでもことばが的確で、核心からぶれない(フェアである)ことに驚嘆した。

ロックをやって絵を描いていて見た目もおしゃれで、それでいてこれだけ自然に話ができるかたと私は初めて出会った。

私もすごい量を飲んだのだがふらつきもせず、ちゃんと高円寺駅から歩いて帰った。家に着いたのは午前零時近かった。

 

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2020年6月 3日 (水)

ジョージ秋山さん / F

6月1日(月)

ジョージ秋山さんが5月12日に亡くなっていたというニュース。

とても淋しい。

もうずいぶん前になるが事務所でお話しした。床にずらーっと同じ銘柄の空の酒瓶が並んでいた。40~50本もあるように見えた。

若い編集さんに「ウイスキーですか?」と聞くと、「ジンです」と答えたような気がする。

子供の頃に読んだ『現約聖書』がすごく強烈だったことをお伝えした。

金持ちの若旦那が、好いた娘が見ている前でみすぼらしい乞食に恵んでやる。娘は「なんて心の優しいかた・・」と若旦那との結婚を決意する。乞食は若旦那に感謝して涙を流す。しばらくして若旦那が病に倒れたと噂に聞いた乞食は高い山に薬草を採りに行き、何度も崖から落ち、瀕死の状態でやっと手にした薬草を届けに行き、お屋敷の前で息絶える。若旦那は「汚い乞食が死んでいる。さっさと片付けなさい。」と召使に告げる。

これほど残酷な話を小学生が読むまんが雑誌に書くとは・・・ショックだった。大人になって思い出せば、どこにでもある、しかしだれも直視しない当たり前の〈リアル〉でしかないのだろうが。

あの日、私に「絵を描くなんて、暗闇を手探りで歩くようなもんで、ものすごく苦しいだろうな。」といきなりおっしゃったジョージさんが忘れられない。

そのあとだったか、ジョージさんの奥様が癌で亡くなられて抜け殻のようになってる、と(「少女コミック」編集長だった)山本順也さんからうかがった記憶がある。

そして私のところにジョージさんから宅急便が届き、開けてみると奥様のために買った鮫の軟骨の健康食品が入っていた。ありがたくいただいた。

映画『美しき諍い女』のVTRを送ってくださったこともあった。画家のモデル(マリアンヌ)役のエマニュエル・ベアールの巨大に張ったおしりが、ジョージさんの描く女のようだと思った。

・・・

深夜12時すぎにFさんから電話。Fさんの次の本の装丁を私に頼みたいという。それと私の絵を50万円から100万円で買いたいと。

Fがなにか夢見ているようでおかしい。昔の記憶ばかりが鮮明で、今現在の現実感覚や問題意識が希薄。明らかに感覚も鈍麻していて以前の明晰さがない。

ここ何年も、Fが私との約束を反故にし、こちらがどんなに連絡しても無視して電話にも出ないで、しばらくすると少しも悪びれずに電話してくる神経が理解しがたく、私の強いストレスになっていた。

私の展覧会に来なかったことについて謝りもせず、あるいは弁解もせず、今になって平気で私の絵を買いたいと言う。私のことを生涯で最高に才能を感じる人だと言う。

耐えられなくなって、あれだけ待っていたのに展覧会にどうして来てくれなかったの?展覧会で新作を見てもらうことほど嬉しいことはない、それを無視しておいて今更なんなの、と責めてしまったが、F本人は記憶にないという。

私が本を作る時にも、自分から手伝うと言いだしておいて急に一切の連絡を絶ったり・・、今まで不気味すぎてはっきり聞けなかったけれど、なぜそんな不誠実なことをするのか、と問い詰めると、自分でもわからない、思い出せない、自分の行動が不可解だ、と言う。

恐ろしいことにFは、ここ数年の私に対する自分の言動を記憶していなかった。今日、私に強く問い詰められなければ、Fさんのために私が酷く傷ついていることを、F自身が知ることもなかった。F自身は昔から何も変わらず、私と信頼関係があると信じ込んでいた。

私は、Fの私に対する態度が酷く変わってしまったのは、もう私の才能を認めていないから、私に関心が無くなったからだと思っていた。そのことは私にとって酷く惨めで悲しいことだったが諦念するしかないと思っていた。

ことの次第が呑み込めなくて、私自身、困惑して朝7時まで眠れなかった。ビールを飲んでやっと寝た。

昼になり、共通の友人にそのことを話すと、「それは怒るようなことじゃない。Fは自分が鬱状態の時のことを覚えていない。乖離症。記憶障害。」と言われた。

夕方、Fに電話して、昨日の話を覚えているかと聞き、私が話すことをメモしてほしい、きちんとメモして数日後に忘れていないか確認してほしいと告げた。

それから、昼間友人が言っていたことを伝え、「鬱病、あるいは認知症、アルツハイマーの前段階。とにかく脳の活動が著しく抑えられていると思う。」ともはっきり告げた。

そして話しているうちに、はっと気づいたのは、Fさんが常用している睡眠薬も関係あるのではないかということ。

ゾムビデム。「脳の活動を抑える」。「精神症状や意識障害が起こる危険性がある」「もうろう状態、睡眠随伴症状(夢遊症状)」と副作用に注意喚起が追記された薬。

重大な副作用に

離脱症状 、 薬物依存 、 反跳性不眠 、 いらいら感 、 精神症状 、 意識障害 、 譫妄 、 錯乱 、 夢遊症状 、 幻覚 、 興奮 、 脱抑制 、 意識レベル低下 、 一過性前向性健忘 、 もうろう状態 、 服薬後入眠までの出来事を覚えていない 、 途中覚醒時の出来事を覚えていない 、 呼吸抑制 、 炭酸ガスナルコーシス 、 肝機能障害 、 黄疸・・・などなど記載されている。

確かにFさんの言動が私に理解できないほどおかしくなったのは、睡眠薬を飲み始めて少ししてからだ。おそらく年齢に対して薬物過剰摂取で、日中も十分に代謝されずに残っているのではないかと思う。

鬱自体が脳の活動を抑えられた状態であり、(鬱だから苦しくて不眠になり、睡眠薬を飲むのだが、)さらに睡眠薬が脳の活動を抑える。結局認知症と似た症状になる。

とりあえず糖質、揚げ物、添加物をなるべく摂らずにたんぱく質と野菜を多く摂ることをすすめた。おいおいナイアシンやメラトニン、DHAなど、不眠や不安、脳に効くサプリを送ると。

薬をやめる方向に持って行ったほうがいいと思うが、私は経験者ではないので、離脱症状についてはよく調べないとまだわからない。

 

 

 

 

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2018年7月23日 (月)

北海道の旅の記録 その2 札幌

7月16日

きょうも小雨と曇りで過ごしやすかった。昼は21℃、夜は16℃くらい。

曇りでも明かりとりの窓から入ってくる光が眩しくて、朝は6時過ぎに目覚める。

花輪さんがログインできなくて何年も使っていないというPCを使えるようにするため、9時を待ってNTTに電話(本人に頼まれて他人がやっているという証明のため、本人を一度、電話口に出さないと話を進めてくれなかった)。

次にNECに電話し、PCの初期化、初期登録を行う。必要なログインIDやパスワード、サポート窓口の電話番号などを書いた紙をPCの周りに貼り付ける。

午後、山道を15分ほど下ったところの(北海道ではポピュラーらしいセイコーマートという)コンビニにひとりで買い物に行く(ハイター、ファブリーズ、紅茶など)。

東京では5月に花期が終わったスイカズラがまだ咲いている。タンポポやハルジョオンも咲いていた。
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このあたりにはどこにでも生えている白いレースフラワーが可憐でとてもきれい。

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夕方、花輪さんが北海道で1998~1999年頃に水彩スケッチしたたくさんの植物の絵を見せてくれた。

カツラ、クルミ、コブシ、ホオノキ、ハリギリ、カシワ、ヤマブドウ、フキ、ノコンギク、ヤマノイモ、クマザサ、ヨモギ、サラシナショウマ、イタドリ、イヌタデ、ノイチゴ、オオバコ、ギシギシ、ススキ、シシウド・・・叢の細かい線の絡まりあいも妖艶に、響き合う豊かな色で溢れている素晴らしい絵たち。

ここに絵の写真を載せることはできないので、貧しい言葉で表現するしかないのだが・・その中でもっとも完成された一枚の絵。

一面のヤマブドウの葉。橙色、黄土、枯葉色、山吹色、黄緑のグラデーション。画面の中心に朱に黒紫の斑の一番美しく紅葉した数枚の大きな葉。その下に宝石のような藍色のヤマブドウの実を摘む少女。

脇役として繊細な白い花をつけるサラシナショウマやソヨソヨしたヨモギも描かれている。

この日は旅でのロスを埋めるため「風水ペット」の原稿のアシスタントをできる限りやった。かくのがすごく速いと言われる。

花輪さんはネットで画像を見て資料にするのではなく、自分が以前にスケッチブックに描いたデッサンを見て描いているのがすごい。

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2018年2月 3日 (土)

花輪和一さんと電話 / skype不具合から復活

2月3日

花輪さんとまた電話で話す。

『みずほ草子』の中で、表紙の絵にもなっている「河童星」の葉富鏡(ハットミキョウ)のお話がとても素敵だった、と感想を言う。

「水がしみ出してしるところ」に「ショウブやセリやギシギシなどが生い繁り、草の根元に鏡を二つ置いて、交わったところを葉富鏡で、のぞいたら、」という表現。植物や小さな生命たちへのこの常なる観察力、感応力、発想、絵のみずみずしさは花輪和一特有だ。

花輪さんの描くセリやギシギシやフキやイタドリは、植物をすごくよく見て愛している人の絵。

そして河童も、花輪さんはよく出会って、見慣れているのかもしれない。

「お盆」の話の中で、ホタルブクロの中に頭をつっこんで、花粉まみれになって「あ~~いいったっていいよ!あ~いい。」と言っている人は、お母さんだよね、と言ったら「癖で顔描いちゃってるから意識できなかった」と。

「お母さんのことを許したから幸せそうに描いたんじゃないの?」と聞いたら、「許すわけないでしょ~、あんな~。」と言われた。

でも最近はけっこう忘れていて、鬱や淋しさはないそうだ。

裏表紙の絵になっている「温動玉」の物の怪たちもとてもかわいい。

「お犬様」のニホンオオカミの子のあどけなさは異様。

秩父の三峰神社は、花輪さんの故郷の地元から近い神社で、私がいつか行きたいと思っている青梅の御岳神社と同じく、お犬様(ニホンオオカミ)を祀っている。

若林奮先生も動物を祀っている神社に注目していた。私も夏に体力が許したら行ってみたい。阿吽のかたちに向き合っているお犬様を見たい。

2月1日

雪になる前の雨。夜、

花輪和一さんから新しい本『みずほ草紙』が届く。

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「ご母堂様とチャッピイ様につつしんでごめいふくをお祈り致します。お二方ともに、つくしにつくされて、誠に幸せであったことでしょう。出会いがあれば別れがある。悲しみの現実。大事なものを二つとも失った悲しみは巨大で深いことと、ご推察致します。」とあった。

(花輪さんはなぜかちゃびのことを最初からチャッピイと呼んでいる。)

お礼の電話をしたら「きのう出したばかりなのにもう着いたの?」と驚いていた。

雨は夜、湿った雪に変わる。

1月31日

skypeについて、マイクロソフト社から24時間以内に届くと言われた回答のメールが来ない。

以前のskypeから来たメールからクリックして飛ぶと、やはりログインはできる。なんでマイクロソフト社の人がログインできないと言ってパスワード変更までさせられたのか不明。

しかたなくまたサポートに電話。午前中に電話したが、混んでいるので3:30過ぎにかけなおしてもらうことになった。

本日担当してくれた人が、web用のskypeアプリをダウンロードしてくれたら、あっさり解決。以前のアカウントで普通に使用できるようになった。

いったいおととい担当してくれたマイクロソフトの人は何をやっていたのだろう?

1月29日

花輪和一さんとすごく久しぶりに電話で話す。

いきなり「今年は初夏にそちらに行こうかな、と思うんだけど。」と都合を聞いてみる。「いいですよ~。」との返事。

北海道に行くとしたら、できたら道東のトドワラ(一度だけ行ったことのある私の大好きな場所)に行きたいけど、一緒には無理だよね、と聞いたらその時になってみたら、もしかしたら一緒に行くかも、という応え。

私はまだ心身ともに元気とは言えないので、飛行機に乗って遠くに旅するのはすごく怖いのだが、今、花輪さんに会いに行かないともう行けなくなる気がして、とりあえずお伺いを立ててみた。

この前、最後に花輪さんと電話で話したのは、昨年6月に母がもう経口摂取できなくなった時。「どうか、酷いことにならないように、とにかく母にとって悪いことにならないようにお祈りしてくれる?」とお願いした。

そしてその通り、母は6月に栄養をまったく採れなくなってから、ほんの少しの水分点滴だけで穏やかに、4か月植物のように生存し、10月の初めに亡くなった。

私はスピリチュアルなことは全く信じない人間だが、毎回、花輪さんが心をこめて祈ってくれたことだけは最高に成就すると信じている(私が花輪さん個人の人柄を信じているからだ)。

母が10月に、ちゃびが11月に亡くなったことを話す。

「たいへんだったねえ。」と。

それ以来、かつて楽しかったことに興味がなくなり、散歩して写真を撮ることにも、食べ物にも、古着屋をひやかすことにも全然心がときめかない、と言ったら、「ちゃびは幸せだったと思うよ~。今、お母さんといっしょのところにいる。」と。

「どこかの県の物産展とか見るともうだめ。ああこれも、あれも母に食べさせてあげたかったな、って思って涙が出てくる。私自身は特になにも食べたくないんだけど。」と言うと、「今、お母さん、いろんなごちそうおなかいっぱい食べてるよ。」と。

「ちゃびは病気だったの?」と聞かれて、「まあ20歳で、人間で言ったら96歳くらいだからいろいろ弱ってて病気にはなってたんだろうと思うけど・・・結局老衰なのかな・・・」

「私の性格として、不自然な延命はやりたくないと思いつつも、やはり必死になってしまって、ネットで毎日検索して、心臓や食欲増進の薬に輸液、強制給餌、腸内環境を整えるサプリや抗酸化のサプリ数種類、日々の体調に寄り添って、やりすぎないように微量な調整をし、とにかくやれることはすべてやったんだけど、それでも自分が許せなくて。

もっといろいろ方法があったのじゃないか、自分にもっと知恵があればもう数日でもちゃびの命を延ばせたんじゃないかって、毎日泣いてる。」と言った。

「自分のためには絶対買わない大トロや中トロをすりつぶしてシリンジであげたんだけど、今もスーパーでまぐろのお刺身を見るだけで胸が苦しくて・・・」と言ったら、「ちゃびは幸せだね~。」と言われた。

私にはまだ、ちゃびが幸せだった、と自分を許せる実感がない。

・・・・

1月24日に「skypeのクレジットを使わないと5日後に消滅します」というメールが来て、ものすごく久しぶりに友人にskypeしようとしたら、使うことができなくなっていて呆然。

まず、いつもデスクトップに設置していたはずの自分のskypeのアイコンがない。ワンクリックで使えたはずのskypeにアクセスできない。アイコンを出すことすらできない。

受信したメールからskypeに飛んでみたがログインできない。新しいPCを購入した時点でマイクロソフトが自動的に設置していた新しいskypeアカウント(自分の日本語の本名)に飛んでしまう。

いろんなところをクリックしていたら、やっと前のskypeアカウントの画面が出たが、友人のs

kypeネームにWeb電話できなくなっている(友人のskypeがオフライン状態)。

しかたなく同じ友人の家電にskypeからかけたら、相手が応じたらしいことはわかったが、相手の声がこちらには全く聞こえず会話不能。すぐに私の家電から友人の家電にかけて確認(本当にばかみたいな徒労だ)。

友人はskypeにちゃんとログインしていると言う。だったらどうして友人とskypeで会話できないのか?

とりあえずこれでクレジットのお金を少々使うことができた(表示金額が減っている)ので17€ほどのクレジット消滅の危機だけは免れた。

今日、朝一番にマイクロソフト・プレミアム・サポートに電話。通じるまで20ぷんくらいかかり、その後アカウントとプレミアム・サポートの有効期限の確認。

そのあと技術担当の人から2時間以内に折り返し電話が来ると言われ、「外出しなければならないので、とにかく急いでください」と伝える。

技術担当の人がリモートコントロールで私のPCを操作してくれたが、なぜかskypeアカウントがロックされていると言われた(つい昨日はログインできたのに?)。

(マイクロソフトが勝手に設置していた私にとって不要な)skypeアカウントにログインできないと言われ、マイクロソフトパスワードの変更を余儀なくされる。おかげでPCスリープ時に入力するパスワードが以前のよりも長くなり、めんどくさくなった。

リモートではどうにもskypeにログインできず(なぜ?)、その技術担当の人がマイクロソフトの別部門にメールで回答を求める、ということになってしまった。

その時に、いつも使用している以外のメールアドレスを求められ、私は携帯を持っていないので他にメルアドはない、と応えると、またまた問題になる。

新しいメルアドをつくることになり、技術担当の人が私名義のヤフーのメルアドを取得しようとしてなぜか失敗。

次にGメールのメルアドを取得するよう試みる。メルアドの最初のネームを何度か入力するも、「すでに使われている」という注意書きが表示される。そんなに急に言われても気の利いたメルアドが思い浮かばない。

咄嗟に浮かんだあまり気乗りしないメルアドが取得でき、やっとこさでマイクロソフト社のskype部門にメールで質問を送るところまでできた。

24時間以内に回答がGメールに来るという。悲観的な私は、これから送られて来る回答が理解不能で、これからまたずいぶん余計な苦労をしそうな予感に震える。

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2016年8月24日 (水)

花輪和一 子どもの頃に親から受けたストレスと表現

8月22日 台風上陸

台風の激しい嵐が来た。朝、8時に電話のベルがなった。いったい誰だろう?と寝ぼけている私に、書道の先生から「台風が上陸するようなので本日の書道は中止」との連絡だった。

そのあとちゃびを抱いてふとんにくるまって寝た。ごおおお、ざあああという凄く強い雨の音。そのほかの世界の音が静まりきっていた。

雨の冷たさを生々しく感じながらちゃびといた。こんなに激しい雨の音を聞きながら、私はこの世界にちゃびと二匹(ふたり)きりのようだった。

あたたかいちゃびと抱きあって寝ていることをすごく幸せに感じた。激しい嵐の日に、私が必死で守るべきものが生きていること。ちゃびの命の息吹を強く感じながら寝ていた。

・・・

リオオリンピックが終わった。

私が興味があったのは、一番は体操。

私が昔からずっと一貫して興味があるのは、不安と緊張に打ち克つこと、追いつめられたところでの「集中」というもののありかた。

レミオロメンの歌にもあったけれど「目の前の一瞬にすべてを捧げて」ということ、それが実際にはどういうことなのか、いったいどういう境地なのか、どうしたらそうなれるのか(想像することは困難だけれど)、に興味がある。

私が不安と緊張がとても強いほうだからだ。予測する時間を極端に短くして、一瞬ごとに集中することができるのか、どうやればいいのか。

私の一生の大きなテーマのひとつは、不安と緊張と表現、ということなのだな・・・。

世間の評価も、追いつめられた状況も、直前の失敗も、すべて頭から追い出してしまえるほどに、瞬間の、自分のやるべきことに集中する境地。

それと演技のインターバルの、移動などのほんの数分には存分にリラックスする(そうしなければ持たない)。そういう私にはできないことにすごく興味がある。

祝!体操、悲願の団体金メダル。私はナショナリストではない。純粋にすごいもの、一瞬で終わってしまう美しいものへの想像を絶する努力、それと仲間の失敗から負わされる緊張に打ち克つことに魅了されて。

内村航平選手の個人総合金メダル。最終局面までライバルに追いつめられていることがわかっていても、自分の練習どおりの演技に集中できたことの凄みに魅せられた。

ほかにも水泳、卓球、バレーボール、陸上リレーと、非常に見どころが多く、夢中になれたオリンピックだった。

・・・・・

7月26日から5回ほど、断続的に花輪和一と電話で話していた。以下はその5回ほどの会話のほんの一部をかいつまんでまとめた記録。

「夜久弘さんが去年の1月に亡くなっていたこと、知ってた?」と尋ねる。花輪さんは亡くなってだいぶ経ってから聞いた、と言っていた。

私は、つい先日、たまたま、すごく遅ればせながら知って驚いた。マラソンをずっとやってらして、お元気だと思っていたからだ。

夜久さんは物静かで穏やかななかに情熱を秘めたかただった。お会いしたのは、すでに『COMICばく』が休刊していた頃で、夜久さんは、なんの利益もない相手である私にも丁寧に接してくださった。

(その直前に私は、わけ(自分の原稿を見てもらったのではない)あって、何人かのまんがの編集の人に会っていた。当時の有名どころの出版社の年若い編集の態度は、驚くほどに無知で傲慢で、まったく会話が成立しなかった。

夜久さんもそうだが、小学館の山本順也さんのように、すごい人ほど、こちらの気持ちを理解してくださって、それからずっと、信じられないほどよくしてくださった。すごい人ほど私をたすけてくれる、私から見て直観的に無知だと感じる人ほど私をばかにしてかかるという事実は、最初は衝撃だったけれど、そういうものなのだろう。

個人的にたいへんお世話になった、山本順也さんに関しては、あらためて書きたいと思う。)

私を花輪さんに会わせてくださったのは夜久さんだ。夜久さんのおかげがなければ、一生花輪さんと会うことはなかった。

(花輪さんと最初に会った時のことも、いつかちゃんと書こうと思っている。)

花輪さんは、その頃、夜久さんのことを「王貞治に似てるでしょ。」と言っていたのを覚えている。

最初に会った時に、花輪さんは25歳の頃のモノクロ写真を私にくれて、後日、その写真をを夜久さんに見せたら「すごい美男子ですね。」と感心していたことが印象に残っている。

25歳の頃の花輪さんは、長髪で役者のようにはっきりとした甘い顔立ちの美青年だった。誰に似ていたかというと、金城武のような感じだ。

夜久さんの事務所に伺った時、夜久さんの著書の『COMICばくとつげ義春』をくださった。つげ義春さんの奥様、藤原マキさんの本を見せてくださって、マキさんの絵がとても好きだと言ってらした。(私は面識はないが、藤原マキさんも亡くなっていることを最近になって知った。)

一度、夜久さんと花輪さんと3人で会ったことがある。そのあと、電車の中で花輪さんが私に「夜久さんの前で、あんまり、花輪さん、花輪さんって言わないほうがいいよ。夜久さん、さびしそうな顔してたから。」と言ったのを覚えている。

そのことを電話で言うと、「俺、人の気持ちわかるもん。」と花輪さん。「そうかな。でも女性の気持ちはわかんないよね。」と言うと、「まっっった~くわかんない!」と。

「勤めてた時、好きだった同僚の女性たち(姉妹)に雪玉を投げつけてたんだもんね。」と言うと、「あははは・・・そう。」

またその姉妹がいた会社のあと、25歳の頃に働いていた池袋の会社の社長の奥様が、『刑務所の中』の本が話題になり、TVでとりあげられていたのを見て、数十年ぶりに手紙をくれたことなどの話を聞いた。

「手紙になんて書いてあったの?」と聞くと、「あの頃は変な子だったよねって。」と。

それから、「最近はどう?お母さんに対する恨みは薄れてきた?」と聞くと、「ぜんっぜん、かわらず。」ということだ。

花輪さんに、私がこのような内面の苦しみの話を聞くのは興味本位からではない。私自身も父親に虐待されて育ったため、親から受けたストレスで萎縮してしまった心からどう立ち直るか、そこと、なにかを表現しようとすることや表現されたもの(また、表現されなかったもの)との関連に、常に関心があるからだ。

「ウィキペディアに両親に床下で育てられたとか書いてあったけど、そんなこと、どこかに書いてたっけ?」と言うと、「あはははは、まんがに描いたのかもね~、まあどうでもいいけど。」と笑っていた。

花輪さんから「サイコパスってどういうのを言うの?」と聞かれた。少し言葉に迷ったが「他者の痛みに対する同情心や共感能力がない人。他人や動物の心配とかまったくしなくて、逆に平気で残酷なことをするような無慈悲で冷たい人、かな。」と答えると、「うちの母親、サイコパスかもね。」と言う。

私が「なぐられたりはしてないんでしょ。」と聞くと、「なぐられはしないんだけど、神経が鈍いんだよね~。」と。

花輪さんは、かわいそうなことを見てもなんにも感じないような人、鈍感で濃やかさがない人が嫌いだ。悪気はなくても気持ちが回らない人、情の薄い人が嫌いだ。

田舎に帰った時、飼っていた犬の顔に、血を吸って大豆ほどの大きさになったダニがぼこぼこたかっているのを見て、どうしてこんなにかわいそうなことをして放っておくのか、と呆れたという。そういうところが母親は「粗くて鈍いんだよね~。なんでかわいそうってわかんないのかな~。」と言う。

「実のお母さんも義父も鈍くて、どうして花輪さんは動物に対する愛情が持てるようになったの?鈍い親に育てられた子供は感受性が影響されて、同じように鈍くなることもあるのじゃないの?」と聞くと、「そういうのはあると思うけど、なんでかそうはなんなかった。」と言う。

花輪さんが36歳の時にお母さんは亡くなった。

「15歳で家を出てから、ずっとお母さんを恨んでいた?」と聞くと、「恨むとか、わからなかった。自分がなんか苦しくても、なんで苦しいのかわからなかったから。」と言う。

「なんか、田舎は嫌~な感じなんだけどね。なんだかわかんないんだよね。それが普通だって思ってたから。」

花輪さんは自分がさびしいとか、愛情不足で充たされていないとか全然意識できず、「誰でもみんなこんなもんだろうと思っていた。ほかの人たちの家を知らないから。これが普通って思ってた。」と言う。

花輪さんの母親は花輪さんを抱き締めたり、撫でたりすることはなく「スキンシップはゼロ!」。心配したり、優しい言葉をかけたりすることもなかった。そして花輪さんのほうも、常に母親や義父に対する怯えと遠慮があって、なにひとつ甘えることができなかったそうだ。

「川で泳いで、耳に水がはいって、耳から膿が出るようになって、痛くても、医者に連れて行ってなんて言えなかったもん。」と言う。

「自分の苦しさを友だちには話せなかったの?」と聞くと、「話すような友達もいなかったし、話すという発想がなかった。」と。

「好きな絵を描くのも、義父が親戚の家に泊まりに行ってる日だけ。いたら怖くて描けないからさ~。チラシの裏に描いてた。」と言う。

「学校の先生に見せたらよかったんじゃない?」と言うと、「学校の先生に見せるなんて発想がないから。たいしてうまい絵でもないしさ。」

母親が死んで10年経ってから、やっと少しずつ自分自身の感情がわかってきたのだそうだ。

「すごいストレスを受け続けて、それが当たり前になっていると、自分の感情や状況判断が混乱するって言うよね。」

私がそう言うと、「そう、混乱してて、なにがなんだかわかんなかった。ばかだよね~。」と花輪さん。

また、私が「お母さんが生きているうちに、すごくさびしかった、傷つけられたって本人に言えてたらよかったんだよね。」と言うと、

「そうなんだよね。生きてるうちに恨みをはらしておけばよかったんだけどさ~。」と。

東京に出てきて、池袋からお茶の水のレモン画翠まで歩いて、聖橋の隣の橋(昌平橋?)の上から景色を眺めながら、「こんなに苦しくてさびしいのに、どうしてみんな生きてるんだろう、と思った。」と言う。

花輪さんは東京に出てきてから、自分の家とはまったく違ういろんな育ち方をした人がいることを初めて知ったそうだ。「親に仕送りしてもらって大学に行ってるなんて人がいてさ~、本当にびっくりした!世の中にはそんな人がいるのかっ!?て。」と言う。

「今、思えばね、母親は自分がいることが嫌だった、不安だったと思うんだよね。再婚したのに死んだ前夫の亡霊が近くにいるんだからさ。俺は母親に捨てられてたんだよね。」

「世の中には、何度も再婚して父親が違う兄弟どうしでも、仲良くてうまくいってる家族もあるんだけどね。」と私が言うと、

「それは親が成熟してたんだろうね。親がおかしいと子供は一生引きずるよね。」と花輪さん。

確かに親が歪んでいると子供は犠牲になり、どんなに歳をとっても子供の頃にすりこまれたこと、それでできた性格はなかなか変われないかもしれない。変わるためには意識的な努力がいる。

親からちやほやされていた子供は他人を怖がることなく、自分はほめられて当然と思っている。恥ずかしいという意識が低い。親から否定されて育った子供は自己評価が低くなる。私は父親からなぐる蹴るされていたので、どうしても対人緊張が強い。

「そういうのは歳とっても一生変われないよね。」と花輪さん。「でも福山さんは対人緊張があるように見えないけど。」と花輪さんは言う。

私は他人が怖いから無理する時がある。私とは逆に、まったく対人緊張がなくえんえん自分のことばかり話してくる人、そうした自分の態度についてわずかにも躊躇がない人がものすごく辛い、ストレスで倒れそうになる、と言ったら、

花輪さんが「そういう長くしゃべる人も異常なんだよねえ。聞くのは30分が限度、いや30分も絶対無理だよね。」と言った。

それから花輪さんの知人のことを聞かせてくれた。その知人は、自分のことばかり長く話す人に対して「お前、自分のことばかり、さっきからいったい何分しゃべってんのかわかってんのか?聞いてるほうはものすごく嫌で苦痛だってわかってんのか?いい加減にしろ!」と激怒して言い放ち、言われた人はその場を去って行ったという。その様子を花輪さんは目の前で見たそうだ。

「そう言えるのはすごいね。だけど私にはそういうのは怖くてできない。」と言ったら、「福山さんは人を見る目はあるのに、はっきり言えないよね。」と言われた。

(そう、私はものすごく嫌なことも、その瞬間には言えない傾向がある。たぶん私がACでHSPだから。そのせいでルサンチマンがたまる。その対応を考えなくては、と思っている。)

花輪さんがいつも言うのは、「鈍い人にはきつく言っても相手は感じない。だから思いっきりはっきり言っていい」ということだ。本当にそうだろうか。自分のふるまいが称賛されて、または許されて当然と思い込んでいる人は、否定されたら怒るのではないか。

「金持ち自慢、グルメ自慢とかする人ね、そういう人は家がよっぽどひどい問題抱えてるとかね、すごい劣等感とかあるんだろうね~、そういうのがないと自慢しないでしょう。そういう人たちもいつかひどい目にあいますよ。」と花輪さんは言う。

「そうかな~、鈍い人は気に病まないから楽しく長生きするんじゃない?他人や動物のこと心配しすぎたり、傷ついたり、優しすぎたりする人は疲れ果てて病気になるんじゃないの?そういうのが世の中の常でしょ。」と言うと、

「それでも、絶対、神経が鈍い人はひどい死に方しますよ!」と言う。花輪さんは因果応報を信じているそうだ。

私は業や輪廻というものをそこまで信じられないのだけど。ただの言葉ではなく、花輪さんの声で、花輪さんに言われると、なぐさめられる感じがする。

昔、私が「がんで死ぬかもしれない。怖い。」と言った時、花輪さんは「でも福山さんてすごく強運でしょう。だからだいじょうぶですよ。」と言ってくれた。花輪さんに「強運」と言われた時、悲観的で気に病みやすい私はその言葉を信じることができた。

「昔、サイン会でファンの人が来ると、怖くて嫌で、「も~お、なんでくるの?!」って思ってたと言ってたのは、最近はなおってきた?」と聞くと「やっぱり嫌だけどね。なんでだかはわからない。」と言う。「なんかお返ししなきゃならないみたいな気がして。」つまり気疲れがひどいということなのだろう。

「花輪大明神とか、あがめられる感じは?」と聞くと、「すごく嫌。だってありえないでしょ~。普通に花輪さんて言えばいいのにさ、そういうふうに言うのは、ばかにしてるんだよね。まあ、相手にしないけどね。そういうこと言う人とは関わりになりたくないっていうか。」という答えだ。

花輪さんに対して距離感がなく、失礼な態度をとるファンが多いということなのかもしれない。ファンなら作家本人の気持ちを尊重してほしいということだ。

花輪さんは最近は外で声をかけられたりすることもない、「隠れているのでいい」と言っていた。

ちなみに、昔、薄野の銀行に行った直後、「花輪さん!久しぶり!」と声をかけられたという。知らない人だったのに「ラーメン屋で会った」と言われ、ポケットからクリップでとめた札束(100万円くらい)を見せられた。競馬だか競輪だかでアタッチャッタ~!と上機嫌で、情報を教えると言われたので、興味がないから、と断ったそうだ。

「なんでおれの名前知ってたのかな~と思って。銀行で伝票を書いてるところをのぞき見されたんじゃないかな。それ、昔のことね。それから何年も経って、新宿でさ、まったく同じ手口でまた声かけられたんだよね~。」と言っていた。

食べ物の話になって、果物では、冬は林檎、「夏は深紅に熟れたソルダムが最高でしょ!」と言っていた。だいたい毎日タマネギや長ネギは食べているそうだ。「タマネギを薄く切ってさ、サバの缶詰と合わせるとうまいよ。」

そういえば昔、うちに来た時に、花輪さんが駅前の果物屋さんでドリアンを見つけ、好奇心から買って来て、私はその特徴的な香りにまったく食べられなくて、全部花輪さんに食べてもらったことがあったことをふと思い出した。その時も花輪さんは「うまいよ~」と食べていたな。

私の部屋で一緒に絵を描いた時の花輪和一さん。この時、銀箔の貼り方を教えた。2002年1月4日の写真があったので貼ってみました。

Sphoto2

一緒に野川にスケッチに行って、たまたま出会った猫たちをかわいがる花輪和一さん。

Sphoto1

私が「肉を食べないって書くだけで絡んでくる人もいるから怖い。」と言うと、「肉ばかり食うとがんになるよって言ってやれば。」と言われた。

「私が肉食をしないのは動物を殺すのが嫌だからで、健康のためではない、だから病気にならないために、ということは言いたくない。」と言うと「そう思えることがすごいよねえ。」と言われた。

山のほうはなんの花が咲いているの?という質問には「最近、山のほうに行ってないんだよね。ダニがいるから。前に首の後ろが痒いな、と思ったら大きいのがくっついてて腫れてたから。」と。

花輪さんが自分の庭で育てたトマトがもうそろそろ赤く熟れて収穫時だそうだ。

・・・・

花輪さんもそうだが、私が惹かれるのはいつも高い集中力と独自の表現力がありつつ、人間関係において政治的なところがない人だ。

花輪さんは自分の固有の苦しみの体験を生々しく描きこそすれ、他人の苦しみの体験を収奪して自分のお手柄にしようとは決してしない。つまり欺瞞的なところや卑劣さがない。

365日、私の頭を一瞬も離れないことは、ものを見ること、表現されたものの価値、同時にまた表現することの価値についてだ。「自信がない」と言いながら、すごいものをつくる人に興味がある。

私自身、どんなに集中してなにかをつくっても、こんなものではまだ全然足りない、自信がないと思ってしまう。

私がすごく惹かれる人はいつも、みずみずしい感受性、すごい才能を持っていて、それでかつ生き難さに苦しんでいる人、世間一般がお仕着せてくる価値観の暴力に苦しむ人だ。

その逆の、私から見てたいした才能がないのに自己肥大していて鈍い人、自信満々で自分の言動に不安を抱かない人には強い嫌悪感を抱いてしまう。

私が今まで知っている限り、才能を持っているのに自己評価が低く、生き難さに苦しんでいる人は、幼少期に親の愛情が少なかったり、虐待されていた傾向があり、さびしさや悔しさを知っている。

幼少期の不安感は、非常に憂鬱、鋭敏で濃密な感受性と、与えられなかったものを激しく希求するような性格をつくる。そこからいかに自由になるのか、どう闘うのかをいつも考えている。

・・・・

最近、私は毎日、たまたま見つけたGさんとCさんのブログを読んでいる。

ふたりとも私より年下の女性で、共通点は情緒的に未熟な酷い親に育てられ、うつ病になるくらい酷いストレスを受けていたことだ。Gさんはがんになった。Cさんは性暴力を受けた。

二人とも非常に頭がよく、感受性が鋭くてものを見る目がある、私から見てとても魅力のある女性。Gさんは濃い感受性と芸術的才能がある。Cさんは社会的考察が鋭く、批判能力がある。

二人とも正直で気取りがなく(むしろはらはらするほど自己開示していて)、欺瞞的なところがない。

私自身は幼い頃からずっと感受性過敏で悩んでいる。すごく美しいものも、すごく嫌なものも、どちらも強烈に自分の中にはいってきて、その体験が強く鮮明に記憶に残り、嫌なことは強烈なトラウマとなる。嫌なものにだけバリアを張ることは難しい(この性質はGさんとそっくりだ。)。

Gさんと私はほぼまちがいなくHSP( Highly Sensitive Person )だ。かつAC(Adult Children)。Gさんが痛々しくて(性格は似ているけど私の方が強いから)、私は彼女に連絡した。私は他人のブログを読んでメッセージを送ったのは初めてだ。

私の表現はどういう価値を目指すのか、ずっと考え続けている。

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2016年4月29日 (金)

一ノ関圭 手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞

4月28日

一ノ関圭先生が第20回手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞!!おめでとうございます。

一ノ関先生は、私が子どもの頃から心酔していた本当に大、大好きな漫画家さんです。

あまりに一ノ関圭先生の絵に惚れこんでていた私は、『デッサンの基本』をつくる時に、どうしても先生のデッサンを本に載せたくて、先生にわがままを言ってお願いした。

そして一ノ関先生とお会いして、お話を伺う機会を得た。

一ノ関圭先生は、思っていたとおり、とても聡明なかた。余計なものがなく、正直で、寡黙で、才能のある人ならではの、自分の創作に集中する激しさを秘めておられるかただった。

体験と思考が収斂して、それが深いところに集中していく感じというのか、この人は本当にすごい人だと思わせる空気。

本当にかっこいいかたです。

「裸のお百」の掲載されている『ビッグゴールド』を今も持っている。

ものがたりの最後で、お百が黒死病(ペスト)になってしまったところの「見ないで!あたしを見ないで!見ないで!」というネームのシーン、『ビッグゴールド』掲載時はミケランジェロの「瀕死の奴隷」の絵になっていたと思う。それがコミックス(単行本)に収められた時は頭を抱えてうずくまる女性の身体の絵にかえられていた。

私が激しく一ノ関圭に惹かれた理由に、もちろんなまめかしい人物の線と表情と、濃やかな心理描写というのは大きいのだが、女の生きざま、特に今よりもっと女性にとって厳しく生きづらい時代に、女がおのれの生を燃やし尽くして生きるありさまを描いたものがたりに惹かれる。

「らんぷの下」、「だんぶりの家」、「女傑往来」など。

特に「だんぶりの家」は、幼い頃から誰よりも頭がよくて、活発で、きかん気で、意志が強く努力家の、「かんな」という女の子がとても魅力的で、彼女が数々の困難を乗り越えて女医の道を歩んでいく話と思いきや、あっさりと東北の飢饉のせいで亡くなってしまう、涙なくしては読めない話。

もうひとつ、一ノ関圭にひどく惹かれた理由は、「絵を志す」人を描き切ったことだ。

本物の絵描きが描かない限り、「絵を志す」ものの凄惨さが描けるはずもなく、今まで数限りなくあった「絵を志す」人がテーマのマンガ(たとえば昨今の美大生が主要な登場人物であるものなど)はまともに読めないものが多かった。

一ノ関圭だけがその凄惨さを描いた。

「らんぷの下」は、当時、才能があっても女が絵で身を立てていくには厳しい時代、青木繁を愛し捨てられた女が、自分の絵の才能を開花させることを捨てて、青木繁のライバルに身を捧げる話(結局破局するが)。

「黒まんとの死」は、同じ画塾に通う主人公が、「黒まんと」の絵の才能に心底嫉妬し、その嫉妬が「黒まんと」を死に追いやる話。

絵の才能がある者と、才能がない者の、いかんともしがたい差と、軋轢と、さらによしんば才能があったとしても報われなかったり、あっけなくこの世を去ってしまったりすることの無情を、一ノ関圭は描き切っているのだ。

(しかし一ノ関圭が描いた、絵の才能をもつ者に対するもたない者の嫉妬というテーマも、経済のもとになにもかも平準化されてしまう今の時代には、わかりにくいテーマになっているのかもしれない。)

「裸のお百」の主要人物「らくだ」(弥平)が作中で描いた絵(挑戦的な人体群像)が素晴らしいのに、黒田清輝だけが反対して白馬会の展覧会に飾られなかったことが、自分のことのようにショックだったので、どうしてもその絵を『デッサンの基本』に載せたかった。

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2014年8月13日 (水)

鶏頭 ソルダム / シモンの夏

8月10日

最近描いた鶏頭の素描。ケイトウの英名はCockscombで、やっぱり雄鶏のとさか。

Sdsc03827

ケイトウは、茎は直立していてあまり絵にならないのだが、その分花と葉がたっぷりと奇妙で面白味がある。

オレンジやピンクの綺麗な色のは、葉の柄のついているところから出ている鮮やかな花の断片のようなもの、深い紅色のは葉の中で混じっている紅色と緑の諧調を追うのが面白い。

いろんなかたちのケイトウを素描していきたい。

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60年代~70年代初頭のまんがに好きな作品がたくさんあるが、最近、ずっと昔から気になっていた作品を読むことができた。

水野英子の『シモンの夏』(1970)。

私が小学校の低学年の時に、知り合いのお姉さんの家で前半まで読ませてもらって、何がかいてあるのかよく理解できなかったのだが、強烈な印象を受け、その後何十年も、あれはなんだったのだろう、と気になっていた作品。

絵を描く若い女性が主人公で、夏に海辺でシモンという少年に出会う。シモンはなぜかその女性のことを「あなたはちっともきれいじゃない」と言う。

シモンは女性の恋人である老芸術家の顔を腐った木切れでつくり、腐った魚の骨や海藻できたならしいオブジェをつくって女性に「それがあなただよ!」と叫ぶところで前半終わり。

画面に大きく描かれたそのオブジェの印象は凄絶で、幼い私の眼の記憶には、それが海辺にうちあげられた腐ったものすべてを集めてつくった、どす黒く臭う恐ろしいものとして残った。そしてシモンという少年がどうしてそんなに猛然と女性を批判しているのか、それを知りたい、この続きを読みたいという気持ちがずっと心に残った。

つい最近、『シモンの夏』がサンコミックスの『ファイヤー!』第4巻の巻末に収録されていることを知って購入した。『ファイヤー!』は小学館文庫版を持っていたのでサンコミのほうを持っていなかった。

さて、今、この『シモンの夏』を通して読むと、すごい作品だと思う。この話のテーマは「芸術の虚偽」だからだ。

主人公24才のディアーヌは、多くのアーティストと競い、ニースの海岸に立つ総合センターをかざる大壁画を描く仕事を勝ち取った。「この壁画をだれに描かせるかは 世界中をわかせたものだった あらゆる 有名アーティストの名があげられ 選択がくりかえされ その売りこみも いちじは気違いじみていたものだ」。ディアーヌについて「その破天荒な創作態度は 世のアーティストたちを瞠目せしめ 形式にとらわれない自由さは 羨望の的となった 若さなのだとだれもがいった」

ディアーヌは大人数のスタッフを指揮し、巨大壁画「1000光年の神々」の制作を始める。それを崖の上から見て、シモンは「あの絵はまるで見栄のかたまりだな 自分の力をいっしょうけんめい見せつけようとしている 自分は こんな仕事が できるんだって どうだ どうだってね だれの絵か知らないけど……疲れるよ そう思わない?」とディアーヌ本人に向かってつぶやく。ディアーヌが「……わたしの絵よ」と言うと、シモンは「そう!? そうなのか! そういえばあなたに似てる」と言う。

ディアーヌの住まいを見てもシモンは「これがあなたの家? やっぱりあなたに似てるんだなあ でっかくて… がんばってるくせに どこか空しくて…」と言う。そしてディアーヌが10才の頃に描いたという絵を見つけて「ああ これはいいな! かわいいよ わすれな草だね だんだん空しくなってきてるんだね 今の絵は…」と言う。

それから例のどろどろに腐った海の漂流物のオブジェをディアーヌのアトリエにつくって「わかった? ディアーヌ それがあなただよ あなたのなかは虚栄でいっぱいだ いいかえればなんにもないんだ あなたはウソつきなんだよ 自分で気がついてないだけさ!」と叫ぶ。

ディアーヌは激昂するがシモンを追い出すことができず、シモンの言葉について考えるようになる。そして大壁画を仕上げる手が止まってしまう。

最後にディアーヌはシモンの言ったとおり、自分の絵は「虚栄のかたまりでしかない ひじを張った はったり屋のからっぽ」「なぜみなあの絵をほめるのよ なぜだれも気付かないの」「ビエンナーレも美術館も消えっちまえ!」と叫んで壁画を破壊しようとするが「壁画は夜空に黒ぐろとそびえたち わたしの小さな力で破壊することはすでに不可能だった」

そしてディアーヌは自分が描きためてきた絵と家に火を放ち、旅に出た。

物語の冒頭で、ディアーヌは教会の彩色をたのまれたときにペンキを建物にぶちまけて「わたしにとって神は最高の偽善者にすぎない」と言ったり、博覧会の記念碑をワラでつくって「記念碑ってのはなに? たしかなものはなにひとつないのになんとかしてそれにしがみつこうとする人間のおろかさよ」と言ったりしている。

しかし、そんな自分が「1000光年の神々」というただ威圧的なだけの巨大壁画を制作していることの矛盾には気づかない。

世俗的な権威でしかないにしろ、自分を大きな権威と同一視し、自分が力を持ち、自由にふるまっているという錯覚と優越感が(地位を保つための役割分担としての範囲で)、「アート」と呼ばれる大量のゴミを生んでいる。

この頃、水野英子はロックをテーマにしたまんが『ファイアー!』(1969~1971)を描いていた。少女が憧れるかっこいいロックスターを甘い夢のように描くのではなく、体制に反抗するものであるロックが、やがて体制側に打ちのめされ、主人公は純粋さを貫き通すがゆえに疲弊し、最後は正気を失ってしまうというという話。

水野英子のすごいところは、まんがというジャンルのなかで、人気ロックスターや有名アーティストにのぼりつめるストーリーを夢物語としてではなく、ロックやアートの意味や価値、腐敗した権威や経済システムの虚偽を問う話として描いたところだ。しかもすでに1970年に。

こういうまんがをのせていた当時の「週刊セブンティーン」の編集さんもすごいと思う。

この時代は反体制を貫き通すことがひとつの価値に成り得た。しかし今現在は、反体制や反権威などの立ち位置をとっても、それがひとつのスタイルにしかならず、そのまま体制側に吸収されてしまう。どんなに先鋭であろうとしても、闘う場所がない。

そして「アート」において、反体制を気どった「にせの問題提起」が、空しい商売をつくる。そこが問題なのだと思う。

60年代、70年代に活躍した私の好きな漫画家たち、岡田史子、水野英子、あすなひろし、矢代まさこ、北島洋子、上村一夫、宮谷一彦・・・、私が反応したのは、まずその「絵」、「線」の妙だった。

モノトーンの世界で、皆、変幻する線の表情から生まれる世界の深みがすごい。

8月9日(土)

母に会いにKへ。

母は37.4度の熱だった。8月5日(火)から熱が出て、高い時で37.5度で、下がった時もあったらしいが、微熱が出る繰り返し。

今までもこもり熱は毎年あったので、大事はないと思うが心配だ。

夕食はなんとか完食。加えて「極みプリン」を食べさせる。熱があるので、なるべく水分を摂らせたかったのだが、お茶は飲みきれなかった。

Oさんが、「3日の夕涼み会の時はすごく元気で、立ち上がりそうなくらいだったんですよ。」と言ってくれた。盆踊りや花火を見たそうだ。

私は胃が痛くて具合が悪かったせいもあるのだが、本当にうっかり3日の夕涼み会に参加するのを忘れてしまっていて、とても後悔。

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