映画

2016年10月20日 (木)

ピクニック・アット・ハンギングロック 見ているものが見られているものであること

10月20日

「ピクニック・アット・ハンギングロック」(Picnic at Hanging Rock )。以前から見たいと思っていた映画をGAOで見ることができた。

甘美なものとグロテスクなものの対比。なにからなにまで違和に満ちている。

私がこの映画に魅了されたのは、暗喩のようでいて、同時に暗喩でないものの凄みのある魅惑だ。

映画はヴァレンタインデーに起きた少女たちの失踪事件の話で、小説が元らしいが、日付は違っても似たような事件は実際にあったのかもしれないし、あっても不思議はない。

冒頭、ごうごうという風の音と砂埃と岩山。

「見えるものも――私たちの姿も――ただの夢 夢の中の夢・・・」

ポーの詩を少女が囁く声。

同時に映っているのは、金色に輝いて誘うように揺れるイネ科の細い草。枯れた花々。大きな西洋鬼薊(セイヨウオニアザミ)。これだけで私は引き込まれる。

寄宿学校の窓辺にも野性的で強烈な西洋鬼薊(ちなみに、この花は、ヨーロッパからオーストラリアにはいってきた外来種だ。)

たくさんの薔薇が生けられた洗面器の水で顔を洗うミランダ。ここで、薔薇の花びらが浮かんでいる水ではなく、たくさんの茎が浸かっている水であることが重要だ。

少女たちはヴィクトリア時代の繊細なレースの白い服。少女たちはそれぞれにヴァレンタインカードの愛の言葉を読み上げる。セーラはミランダに愛の詩を捧げたのだろう。

寄宿学校の中のヴィクトリア調の優雅な世界から、砂埃を上げて馬車は、決してヨーロッパの森や山ではないオーストラリアの荒々しい自然へ。

岩山のふもとに着いた時に、ミランダが少し顔をしかめて見上げる頭上に騒がしく飛んでいる鳥は、極彩色の鸚哥だ。

ざらざらした奇怪な岩山との対比で、繊細なレースの白い服が、異常なほどなよやかに映る。

ミランダが先生と別れて岩山の方へ登る時に、最後に見せた微笑の前にも薊。

「見て!」とミランダが、魅入られたように奇怪な尖った岩をさし示して(ミランダは、そこになにを「見た」のか、なぜ彼女は同行する少女たちもそれを共有できると思ったのか、)どんどん岩山の上に登って行く途中にも鮮やかな薊。

岩山の上で眠るミランダの横に、まるで岩山が手におえない生き物に変身して、これから彼女をどうしようか、と楽しそうに窺うかのような大きな蜥蜴。

ごうごうと唸る尖った奇怪な岩は、人間の制度や文化と関係ない「なま」のもの、人間の営みや生死とは違う次元のものであり、少女はたやすくそこを超えてしまえるのだろう。

靴も靴下も脱ぎ捨てた3人の少女が呼んでも振り返らずに岩の隙間に入って行く時、もう取り返しがつかないことが起きる恐怖の予感で絶叫するイーディス。

マイクルは少女を目撃したことを警官に尋ねられ、なぜ「4人」でなく「3人の少女」と言い間違えるのか。

そこに行けなかったイーディスは、嘘をついていないのか。

生還したアーマは頭部を強打していて、からだには傷がない。つまり誰かに頭を殴られたのだ。アーマは自分が見たことを隠していないのか。

生徒たちがダンスのレッスンを受けている時に、先生に連れられて来たアーマの、じきヨーロッパに旅立つという時の、自分だけが岩山の暗い裂け目から生還したことを誇示するかのような、眼を射るように真っ赤な帽子と真っ赤なマント。

それに対して生徒全員の冷たい目。非難と絶叫。

「死んだのよ!汚い洞窟で死んだのよ あの岩山で みんな死んで腐ってる!」と、ことさらにイーディスが絶叫するのは、そこに消えてしまって甘美な夢となることを、自分は拒否されたからではないのか。

セーラもまた少女であるのに、貧しい孤児という理由だけで、岩山にも行くことを許されず、ミランダのように人間的ではない世界へ行ってしまうことを許されなかった。

実の兄と近くにいながらも再会できず、彼女を誰もたすけることができない理不尽さ。

セーラにだけの扱いの残虐さも対比、違和。

セーラは、世の中の無慈悲さのいいなりになることを拒否して(ミランダの大好きな野菊の花をくれた庭師の世話している)温室の上に飛翔、逃亡。

冒頭のポーの詩は、「私たちが見ているものも――私たちがどう見られているかも――ただの夢」と、少女が、囁いている。

少女たちがなにを「見ている」のか、少女でない誰にもわかることはできない。

少女は、少女でないものには共有できないものを見、俗世の欲やしきたりと無縁の、無償の世界に行ってしまえるけれど、同時に「見られている」存在でもある。

そして「夢見るもの」が、「夢見られているもの」でもある、ということにおいて、この世では、どんな残虐な目に遭う危険もある。

マイクルが、なぜ、自分が見た少女は「3人」と言ったのか。

彼がミランダに魅せられて彼女に酷いことをしたことを警官に隠して、ミランダを人数に入れないで答えた可能性もある。

しかし、それよりも、イーディスは彼に「見られる」存在でなかったから、彼はイーディスを人数に入れなかったのではないのか。

イーディスは、奇怪な岩山の魅惑(夢)を「見る」ことができなかった。そして青年たちからも魅惑(夢)として「見られる」ことがなかった。だからイーディスは岩山の恐怖から逃げて帰って来て、この世を生きている。

厳格で無慈悲で権力をふる女校長が不安に乱れて狂っていき、すべての鬱憤がセーラに向かい、破滅していくさまは、とても怖く、悲哀に満ちている。

この校長を素晴らしく演じたレイチェル・ロバーツ(Rachel Roberts)が、この当時、私生活でも離婚で傷つき、実際にアルコール依存症と鬱病で1980年に自殺していることを知ると、彼女はさらに、凄みがあって痛々しい。

ファンタジーと残虐な現実が同時に在る。本当にあった話なのか、フィクションなのか、事件に巻き込まれたのか、事故なのかはっきり描かないことによって、幾重にも想像力を掻き立て、この映画は素晴らしい緊迫感を獲得した。

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2015年1月18日 (日)

代々木 古い建物

1月17日

新宿郵便局に荷物を取りに行ったあと、友人とカメラを持って代々木方面を散歩する。

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昔、北新宿や西新宿のうちの近所にたくさんあった懐かしいアパート。今はなかなか見られない。外についている朱色のポストも素敵。

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ごちゃごちゃっとゴミが捨ててある片隅の、一番はじっこ。

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灰色のブロック塀と、忘れられた枯れ枝と、小さな朱色の実のなる枯れ蔓と・・・

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都会の隅っこの、こういう場所に一番抒情を感じる。ベルリンにもこんな感じのところがいっぱいあった。

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青灰色の壁の上を這う小さな朱色の実のいっぱい生った枯れ蔓。

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誰かが残した白と緑の色彩と去年のヒメムカシヨモギと。


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ここはその昔、ショーケンと水谷豊の「傷だらけの天使」を撮影したらしいビル。

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この破れて穴が開いてぼろぼろになった布のようなものの美しさに惹かれた。

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この襤褸布をアップで撮るために、またここに来るかもしれない。

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きょうは北風が冷たく皮膚を切るようだった。自然に猫背になってしまった。

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かつて極彩色だった、今はくすんだパステルカラーのビル。
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2列上段右から二番目のプレートのお店の名前が気になった。「うね女(うねめ)」かな?国立がんセンターの手前の交差点に「采女橋」というのがあったな・・・

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このビルとは違う、もうひとつの、古い塔のように見える建物のほうに行ってみようと言って歩いた。

ところがその塔は、新しいビルの中に埋もれていて、まわりを廻ってもたどりつけなかった。

狭い路地のデッドエンドにはヨーロッパ風のしゃれたカフェバーがあった。もう一度通りをまわって、古い飾りネオンのついた塔を眺めた。

いつか見た「かくれんぼ」という(連続ではなく1時間半くらいで完結した)アニメを思い出していた。深夜に偶然見て、濃厚な暗いノスタルジアに魅せられた。それからもう一度だけ、また深夜に再放送していたと思う。

戦後闇市の雰囲気が残る暗く寂びれた商店街を、親友を探してうろつきまわる少年(たしかネズミだったと思う)の話。

迷路のような路地を走ると、隙間から隙間に走り抜ける、やはり誰かを探しているような者たちが見える。

とても心細くて、不安で、懐かしくて、怖くて・・・最後は救いがない感じで怖い話だったのだけど、冒頭から中ごろまでの映像(絵)にとても惹かれた。

(「アニメなんか見るの?」とよく言われるのだが、アニメは好きだ。時間的にたくさんは見られないので選んで見るが、去年は「残響のテロル」は熱心に見ていた。絵もきれいだが音楽もよかった。)

・・・・

新宿南口まで凍えた手をさすりながら歩いて戻った。新宿サザンテラスのイルミネーション。昨年の暮れは慌ただしくて来られなかった。きょう初めて見た。

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2014年4月 6日 (日)

武井武雄 / 『薔薇の葬列』

4月2日

生誕120年記念「武井武雄の世界展」を見に日本橋高島屋へ。

武井武雄は、「童画」(大人が子供ために描いた絵)という言葉を最初に創った人らしいが、幼い頃に見た武井武雄の絵の強烈さは、私の感覚に一生影響している。

幼い頃見たアンソロジーの絵本で、10人くらいの画家が絵を描いている中で、武井武雄だけに惹きつけられたのを覚えている。いかにも子供向けの、ふわっと可愛い絵や、子供を丸々と健康的に描いた絵は大嫌いだった。

私が夢中になった武井武雄の魅力は、怖さを感じさせるほど強烈に奇妙で飽きない絵、ということだ。

なぜそう感じさせるかの理由に、すべてが不思議に満ちていることと、細部の緻密な描写がある。たとえば、ある町の絵(虫の町や妖精の村)があり、その中には不思議な植物が生え、いくつかの奇妙な建物があり、凝ったお店があり、それぞれに出入りして、遊んだり、仕事をしたり、買い物をしたり、しゃべったりしている奇妙な生き物たちがいる。その個々に性格があり、皆、生き生きと動きまわっている。

絵を見る者は虫や小動物のように小さくなり、町の中の面白い店を訪ねたり、そこで活動している生き物たちに話しかけたり、自由にいつまでも遊んでいることができる。

そこは空想的というよりむしろリアルで、皆が絡み合いながらたえず新しく何かが生まれている、興味の尽きない世界だ。子供の頃の私は、その絵の中を探検することに引きずりこまれた。

また、言うまでもないがアールヌーボーやアールデコに繋がる得も言われぬ線の魅力がある。それは嵩のない、装飾的な、しかし生き生きとした生命体だ。

特に1922(大正11)年、彼が28歳の時に創刊された『コドモノクニ』の挿画には、細くて洗練された線と微妙な色使いの、痺れるような絵がたくさんあるが、今回の展覧会ではその時代のものが展示されていなかったので残念だった。

1928年の『アンデルセン童話集』に武井武雄が描いたチューリップの中にいるお姫様の絵(たぶん『親指姫』)や、1926年の『ラムラム王』の、薔薇の枝にまたがって笛を吹く少年の絵、1929年の「ドウブツ ノ エンクワイ」の絵などは、水彩の色使いも溜め息が出るほど素晴らしい。それらのカラーの絵をいつか見てみたいものだ。

展示はなかったが、絵葉書だけ売られていた「ドウブツ ノ エンクワイ」

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タッシェンが、2013年に世界の童画家や絵本作家が描いた絵を集めたアンデルセン童話集に、1928(昭和3)年に日本で出版された『アンデルセン童話集』に武井武雄が描いた挿画を掲載したという素敵なニュースがあった。しかし、それはモノトーンの線画作品のみのようだ。

1920年代の武井武雄は、流麗な線と淡くシックな色使いで恐ろしく洗練されているが、1960年代、70年代の絵は、より色彩が強烈で、線は「奇異」さを強調するように、いびつとも言えるようなとっかかりを見せてくる。それらは子供時代の私の心に激しくアピールした。

たとえば、きれいなチューリップの花びらの真ん中の花芯の部分に花の顔がある。武井武雄の描くその顔は、苦虫を噛み潰したようだったり、眉が吊り上って憮然としていたりする。花だからかわいい優しい顔をしているわけではない。こういう顔が、人間の都合の良いようには擬人化されない小さな生き物の魂を思わせる。

また、私の大好きな1971年の『したきりすずめ』の原画が見られたら最高だったのに、と思う。1970年代の『したきりすずめ』は、1928年の『舌切り雀』よりもずっと絵が自由に、面白くなっている。あでやかな着物を着て踊る雀たちの魅力も、大きいツヅラから出てきた様々なお化けの奇想天外な描写も、ずっと凝っている。

武井武雄の絵の中で、宮沢賢治の童話を読んでいる時に脳内に見えてくる、いろんな生き生きとした生き物に会うことも多い。

武井武雄は1894(明治27)年に生まれ、1983(昭和58)年に没している。宮沢賢治は、夭折したせいでずっと昔の人に感じるが、賢治のほうが3つ年上である。

武井武雄は、おもちゃをはじめ、いろいろなものを手作りしているが、小さなもの、小さな世界への愛情と、こまやかな手仕事に胸を打たれる。今回の展示の中で、特に私が感嘆したものは、戦後まもなく、紙がない頃に、娘のために、古葉書を使って一枚一枚手書きでつくったトランプだった。

「武井武雄をあいする会」というところで、武井武雄の生家を保存、活用を求める署名をやっているようです。

http://p.tl/eGSA

本に関連するデザインの熱狂的愛好者のWattsさんのページで武井武雄や『コドモノクニ』の絵を見ることができます。

http://50watts.com/Takei-No-Kuni

4月3日

強い雨。新宿のMで食事。雨の中見た高層ビル街の、今開いたばかりの欅(ケヤキ)の新芽がすごく美しかったので、明日写真を撮ろうと思う。

まったく更新していない私のFacebookをフォローしてきた外国の人が、好きな映画に松本俊夫の『薔薇の葬列』と実相寺昭雄の『哥』と『無情』をあげていたので驚いた。彼女の写真はヘラジカばかりだ。カナダの先住民の人らしい。

そういえば『薔薇の葬列』をまだ観てなかったな、と思って深夜に観だしたら、けっこう面白くて最後まで観てしまった。

素顔は別人のような(特に美少年でもなく、大人っぽくもない)若き日のピーターが、化粧でがらっと魔的な美女に変身する。新宿の小田急ハルク前が、まだ30cmくらいのコンクリートの四角い敷石でできていた頃。(68年の新宿騒乱で活動家たちがこの敷石を投げたので、その後、アスファルトになったと聞いたことがある。撮影時は直前だったのだろうか?)

今の小田急エースタウンでパンタロンファッションを見て、「素敵ねえ」と言ってから、うずたかく盛り上げられたソフトクリーム(おそらく小島屋)をなめながら闊歩するゲイの3人組。

幾度も出てくるゴーゴーのシーン。棒のようにスキニーなピーターが踊ると、すごくかっこいい。

「生涯の本質的な部分を歩くことに費やして、しかも歩く人ではないということもありうる。また逆に、結局少ししか歩いたことがなく、歩くことがたいして好きでもなく、上手に歩けた試しもないのに、それでも異論の余地なく、歩く人だということもありうる。」というル・クレジオの言葉が記憶に残る。

ピーターがパゾリーニの『アポロンの地獄』のポスターの前に立つシーンが出てくるのでパゾリーニを観ようと思った。おなじみのオイディプス王の話を何度も観るのはきついので、今度はジョルジョ・アガンベンが出演している『奇跡の丘』のほうを観ようと思う。

4月4日

きのうとうって変わって陽光の強い日。気温22度。

昼過ぎ銀座へ。泰明小学校の校舎にたくさんの鳩がいた。

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新宿駅の西口、京王プラザホテル前の欅の新緑。

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近所なのに上がったことがなかった都庁の展望台に上ってみた。中央公園と福山家の方を望む。ピンク色なのは公園の桜。

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きょうは、積乱雲と黒い雨雲が混在するような劇的な空だ。ヤコブの梯子も荘厳。宮沢賢治はこの現象を「光のパイプオルガン」と呼んだ。

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逆の窓から新宿御苑のほうを望む。あちらにも桜。

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この後、中央公園の中を歩き回っていたら、気温が急激に下がって大粒の冷たい雨が降ってきた。雹も少し降ったらしい。

センタービルのオーガニックカフェで食事。ここは静かな穴場だった。いろんなおかずに玄米も食べられて良かった。

夜、ジョルジョ・アガンベンの姿を見たくてパゾリーニの『奇跡の丘』を観た。

ピリポ役のアガンベンの顔はしっかり拝んだが、歩き疲れていたせいで、途中、うとうとしてしまった。1973年のテッド・ニーリーの『ジーザス・クライスト・スーパースター』は、好きで何度もくり返して観たが、『奇跡の丘』は、もう一度観ないといけない。

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2013年8月22日 (木)

サラ・ムーン監督 「アンリ・カルティエ=ブレッソン 疑問符」 /  介護

8月16日

サラ・ムーンが監督した「アンリ・カルティエ=ブレッソン 疑問符」(Henri Cartier-Bresson : POINT D'INTERROGATION 1995年公開)を観る。

「表に出ちゃいけないんだ 時代の流れの光に逆らい 物事を撮る いつも疑問符ばかりだ」

かわいらしい女の赤ちゃんに見える。これがアンリの幼少期。ワンピースを着た美少女。詩的な眼をした美少年。そして軍服。

「写真自体に興味があったことは一度もない ルポルタージュにひかれる」

「ある物を見つける いつシャッターを押すか もうすぐ、もうすぐ・・・感動の極みでシャッターを押す オルガスムスと似てる」

「瞬間で弾けて失敗する場合もある 一回きりなんだから」

「絵画は黙想、写真は射撃」

「写真は“そこにいなければ”という不安感がいつもつきまとう でも穏やかな不安感だ」

「スケッチが絵画の理解に役立つとゲーテは言った」

アンリ・カルティエ=ブレッソンのデッサンは彼の写真にそっくりだ。何を見ているのかがはっきりしていて余計なものがない。構図が直観的に決まっている。見たものをそのまま描いていながら、強烈な謎になっている。

棚畑、樹木、テーブルの上のカリフラワーと林檎。

「結局 何を見るかが大事なんだ」「やはり自分で描かないと無理だよ」

そしてまた写真の話。

「私は造型的に比率のとれていないものを見るのが我慢ならない」

撮れなかった写真は。「捕虜生活」

テリアードとの出会い。

「思い出はあるけど私だけのものだ 話す気はないよ」

「奇妙なことに偶然性には数多く助けられた」

「物の見方は意識下という概念・・・」「マンディアルグとは意見があった」

「一瞬で決まる時間との闘い つまり時間との闘いが内在する唯一の表現方法だ 指揮者もそうだが個々の音は彼のじゃない 

写真家は自ら創りあげる 一瞬にして・・・この位置、この高さでいいのか、リスクが多い」

「苦手なのはポートレート 内気なんだ 一つの目でのぞいて――じっと見つめている
被写体の人は話しかけられると思っている カメラを持ちバカなことを話しながら相手の内側にある沈黙をとらえようとする男なんて――どう見えるのか 簡単じゃないよ」 

「相手の沈黙を撮りたいんだ」

キュリー夫妻の娘夫婦

「人々が必ず持っている沈黙による表現を・・・そこに惹かれる」

フランシス・ベーコン、ジョルジュ・ルオー

「私は彼の前に一時間ひざまずいたままだった 彼は手をこすり合わせていた お互いに目をしばたたかせる」

エズラ・パウンド

「何もしゃべらずに」

コレットとポーリーヌ

「ポートレートは法則がないから好きだ」

ピエール神父

「直接の関係性が作れる」

アルフレッド・スティーグリッツ

「獲物を捕まえるが危険な目に遭うこともある」

トルーマン・カポーティの大きな里芋の葉の前でこちらを見つめている(私の大好きな)写真、

マチス、フランソワ・モーリアック、マンディアルグ、ボナール、ジャン・ランヴァン、ロバート・フラハティ、

犬とフォークナー、猫とソーン・スタインバーク

「昔に戻るんだ」 

ジャコメッティを彷彿させる筆致のマンディアルグの顔のデッサン。

「だが答えが見つかる問いかけではない 絵筆を使えば別だが・・・」

「アルベルトより小心者だが 私たちは似た者同士だ 人生や仕事に対し 同じような考え方を持っている」

1958年 中国の強烈な写真

「デッサンと写真は似通っている 黙想と行動の違いはある」

枯れ木が重なる沼の写真、

丘のデッサン、岩山、鉄橋、木立のトンネル、(博物館で描いたと思われる)マンモスの骨

「「時を考えた作品は時代を超す」ロダンだ」

白と黒のいくつかの二等辺三角形。斜めの線を異なる方向からの線が受け止め、また違う曲線がそれを受け止め、あるいは裁断する。ブレッソンはそこにあるものから直観的に、ただ一点の自分の眼の位置、高さ、角度を見いだし、トリミングなしに完璧な絵を抽出する。

そしてそこに通りかかる誰か(白と黒のぶちの犬、切り取られた光の窓の上を走るひとりの子ども、水たまりを飛び越える誰か、奇妙な何かを抱えた人)の瞬間を待つ。

ブレッソンの写真はルポルタージュでありながら完璧な絵、ピエロ・デラ・フランチェスカ、パオロ・ウッチェロ、バルテュスを思い起こさせる静かな、時に演劇のワンシーンのように想像を喚起する硬質な絵である。

これほどまでのデッサンを描ける一流写真家がいただろうか。

何よりも「眼」だ。眼が何を追求すべきかを知っていて、余計なものがこそげ落ちた筆跡は必然を辿る。

静謐に整ったブレッソンの写真との対比で、ブレッソンのデッサンの筆跡の素晴らしさが際立つ。デッサンは修練によりある範囲の技量を獲得することが多いが、ブレッソンの場合は、彼の生来の資質によるところが大きいと思う。

控え目であること。もののどこを見ればいいか、最初からわかっていること。

サラ・ムーンはルポルタージュとはあまり関係がないファッション写真家だが、写真の絵画的アプローチを追及した人であり、人の心を震わせる黄昏のような感覚世界の中に見る人を誘惑する方法を心得ている人だ。

この映画も、ブレッソンの持つ特有の魅惑を押し付けがましくなく、うまく撮っていると思う。

ブレッソンの描いたデッサンの暗い木立の中に歩いていきたい(私の)気持ちを知っているかのように、デッサンの中の樹の陰のほうにそっといざなうように撮っていたのに感心した。

8月17日(土)

夕方、信じられない電話。

7月27日に電話したとき、あれほど取りつく島もなかった新宿区の施設Kから、母が「待機」(あと数人待ちくらいの状態)になれるという連絡をいただいた。

7月に電話を受けたTさんという女性相談員は施設の待機順番はわからない人で、きょう電話をくれた相談員のHさんがすべてやっているという。(Tさんはそういう言い方ではなく、けんもほろろだったのだが・・・)。

とにかく、きょう連絡をくれた相談員のHさんはすごく親切で親身になってくれる感じがしたので、夢のようだった。年内に移れるとかの具体的なことが約束されたわけではないが、これで、あと何年になるかわからない不安の中で老健を転々としなくてもいい、という希望が持てた。

郊外の施設Tを見学に行ったのが7月25日。その時はこの先どうなるか何も見えず、不安で身体が痛いほどだったが、なんとなく感覚的にしっくり来ず、施設Tにお願いする決心がつかなかった。悩み苦しんで断ったが、本当に郊外の施設Tを断ってよかったと今は思う。

8月19日

きょうから数十年ぶりにまた書道を習いにいくことにした。

ずっと絵筆の持ち方になってしまっていて、書道の筆の持ち方を忘れていたので、先生に直接修正していただきたかった。

最初、大恥かきそうで緊張したが、筆を持ったら不思議と昔の感覚が戻ってきた。ああ、この感じだったなあ。なんて気持ちいい。

「得魚忘筌」。よい言葉である。

筆さばき、力の入れ方など、具体的に修正すべき点がはっきりわかれば、繰り返し鍛錬するのが楽しくてたまらない。夢中であっというまに1時間半。けっこう二重丸もらっちゃいました。

小二の時、書道を始めて、毎年1月2日に全国大会で武道館に書き初めに行かされたのは緊張した楽しい思い出。たしか当時はけっこうトロフィーとかもらっていたのです。

8月20日

近所の金柑の樹が、今年4回目の花を咲かせている。

最初は5月の17日くらいから一週間。それから毎月20日前後に5日間くらい咲いて8月で4回目。

最初の花が受粉して小さな実がなってもまた新しいつぼみがつく不思議な樹。

毎回小さな白い花に鼻をくっつけて甘い匂いをかいでいる。

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2012年10月 5日 (金)

機械じかけの小児病棟 Fragle / イラつくメールについて

10月3日

第3校のPDFが戻ってくるちょっとした間に、リフレッシュのため(?)映画を見る。

最近高い評価のスペインのハイメ(ジャウマ)・パラゲロのホラーである。

「機械じかけの小児病棟」――原題は「Fragile」という私の大好きな言葉。格調高すぎてどんな映画かわからないと思ったのだろうか、「機械じかけの小児病棟」とはちょっと安っぽい邦題にしたものだ。

「Fragile」という原題はすばらしい。Fragileなのは子どもたちであり、心に傷を負った主人公であり、命であり、・・・この何とも言えない薄闇の病院の廃墟であり、そこに残された埃だらけの痙攣するぜんまい仕掛けの人形でもある。

病院の廃墟の映像を見られるだけでも、感動してしまった。廃墟には薄暗い緑の光が似合う。

キャリスタ・フロックハートはとても好きな女優なので久しぶりに見られて嬉しかった。アリー・マイ・ラブの時は摂食障害だったというが、華奢なのにすごくフル回転で演技していた。あの可憐さ、かわいさと同時に哀愁がある表情を持っている知的な雰囲気が好きだ。

まわりをとりまく病院関係者も皆少しずつアクがあり、全面的に信じていい味方は誰もいないところがリアルである。主人公に気があるのだがちょっとデリカシーに欠ける医師や、最初から全ての事情を知っていそうな病院長が、過去の遺恨の原因のキーパーソンではないか、と疑わしくなる。

中では一番いい人っぽい(幽霊に恨まれそうもない)黒人が殺されるのは、なぜ?という感じがする。

「眠れる森の美女」のアニメ(なぜか59年の美しいディズニー映画ではない、最近のディズニーっぽいが変な、美しくない絵のアニメ)を子供たちが見るときに嫌な予感がしていたのだが、最後に主人公が瀕死の状態になって蘇生術を受けるときに、あの俗物男の医師が口をつけて人工呼吸するんじゃないだろうな、そういうオチだけは許せないけど、と思ったら、最後に愛の口づけで救いに来たのはあの男ではなかった。ああ、よかった。

最後に出る「死後もそばにいてくれた君へ」に泣ける。

10月2日

10月2日、skypeのSMSに、「知佐子さん、最近どう?」(英語)のメッセージが来る。もう話したくない相手なので無視していた。すると次の日、「あなたのskypeはオンになってるんだけど(どうして返事しないの?)最近どうなの?」というメールが来る。話したくないからですよ、とイラッときたが個展が近いのでものすごく忙しいです、とメールで返事する。すると「どこで個展するの?」とメールが来て、返事したら、その次に、「Would you be interested in a small illustration job?」というメッセージが来たので、忙しいって言ってるのに、とイラッとくる。何に関してのイラストレーションで、どういう条件なんですか?とメールを返信したら、返答が来ない。

すご~くイラッと来る。仕事の話を持ちかけるときは、内容、条件を書いて来るのが当然だと思うが。条件がわからないなら返答しようがないでしょ。それともただ私と関係を断ちたくなくて、絡んできてるだけなの?相変わらず相手の状況無視し、自分中心、懲りねえな~。

ほとんど年下(ごくたまに年上のバカもあり)の人にしか当てはまらないが、未知の人で、自分から話(メールなど)を仕掛けてきて、こちらから質問するとナシノツブテ、というのが何件もあり、すごく腹立たしく、全く意味不明だ。じゃあ、なんでそちらから連絡してくるの?こちらの質問にきちんと答える誠実さもないのなら、信用できないし、どんな人が判断しかねるので、付き合えるわけもない。完全に拒絶したい相手でない限り、私はわりとすぐに返事を出す。まして目上の人には文面に細心の注意をはらって、丁寧に返事する。目上の人には大抵はきちんとした文字で封書で手紙を書く。最近の若い人は自分から誘いをかけておいて、平気で返事を無視し、自分の気がむいたときにメールするのだろうか。

こちらの質問に返事がなかった時点で、私は向こうから拒絶の意味と取るのだが、期間が空いてから、何もなかったように、最近どう?みたいなメールとか、信じられない。本当にイライラする。一度こちらの意味のある質問メールを無視されてからの、しばらく経って意味のないメールをよこされても、私はもともと相手に興味ない。友人としてふさわしくない人と無駄話する余裕はない。用件はなんなの?仕事の話じゃないなら、うぜえんだよ、ボケ。

会話のキャッチボールができない人、こちらの質問には答えないで、自分の気分や感情だけをぶつけてくる人、本当に気持ち悪い。正直、なんで私にわざわざ話しかけてこようとするのか、わけがわからない。自分だけの世界に住んでいるなら、話かけて来ないで、勝手に自己完結していてほしい。

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2011年10月12日 (水)

映画 「遠野物語 」 中村貴之(NSP) 田渕純

10月11日

中野ブロードウェイの商店街で当たった映画「遠野物語」(1985年の作品 DVD未発売)の上映会へひとりで行く。

岩手県からの申し出で、岩手を盛り上げようということで、中野ブロードウェイ商店街振興組主催、中野サンプラザが協力してもうけたイヴェントらしいが、映画の主題歌を歌ったNSPの中村貴之と、元和田弘とマヒナスターズの最後のボーカル田渕純のミニライヴもあるという超濃いというか渋いというか、マイナーながら強烈なイヴェントであった。

まず、監督と脚本家のお話。監督は村野鐵太郎、脚本は高山由紀子という「月山」「国東物語」と同じコンビである。監督は無口でストイックそうな方で、「ただ遠野の春を撮りたかった。新幹線が通ると何もかも変ってしまうので、新幹線ができる前に撮りたかった。」とあっさり。

次に、遠野の本物の語り部の方のお話(もちろん遠野弁)。オシラ様の起源について。これがすごく怖い。昔、美しい娘が愛馬と結婚したいと言ったのに怒った父親が馬を気に吊るして、生きたまま生皮を剥いだ。激しく泣いて馬にすがりつく娘。一陣の突風が吹いて馬の皮が剥げ、娘をくるんで天高く飛び去った。天から娘は両親に、馬を吊るした樹の葉を取って30日(?ここよく聞き取れなかった)桶に入れて、そこから育った虫の出す糸で織り物をつくって売れ、と告げる。それからその木の枝を二本とって、ひとつは私の顔を、ひとつは馬の顔を彫ってくれ、と。これが養蚕とオシラ様のはじまり。

そして「遠野物語」上映。オシラ様の起源の話にもちなんだ悲恋の話。古い大きな茅葺の曲がり屋、齢千年をとうに超えて凄絶に満開の桜。民間信仰のほこら。ぼろぼろの廃屋。凍るような吹雪の荒野。映像はすばらしく美しい。そしてもろもろのエピソードのシーンは限りなく残酷で暗い(怖い)。

時は明治37年。飢饉のときに、実の子にひもじいから、と頼まれて鎌で子供を殺してから、さすらいの琵琶師になった男。日露戦争に行った息子の足が痛まないようにと河原で平べったい石を拾って、縄で干し柿のように結わいて祠に吊るす老母たち。先頭に幼い弟が戦死した兄の名誉の歌を高らかに歌いながら山道を行列する田舎の葬式。戦死した息子の嫁を犯す義父。貧富の差激しく、因習強く、呪術に頼るばかりの、あまりに悲惨な暮らしは、幻想的というよりはリアルな描きかたであった。

上映後にブロードウェイ推奨アーティスト、「ムード歌謡の貴公子と言われています。」と登場した田渕純。華奢でかわいい顔と高いしゃべり声から、歌うと一変。「北上夜曲」という曲を私は知らなかったのだが、情感たっぷり、よく響く声、ものすごい歌唱力に感動。

NSPの中村貴之登場。懐かしいNSPの「17才」、そして「遠野物語」のテーマを熱唱。最後は田渕純と「雨は似合わない」をハモって歌った。

帰宅してyoutubeを見たら、田渕純は「青い部屋」などにも出演していて、若いのにムード歌謡からジャックスの「からっぽの世界」やタイガースの「青い鳥」やクロード・チアリの「私だけの十字架」なども歌いこなす人であった。

周りは年配のかたばかりだったが盛り上がっていた。思いかけずコアなイヴェントに行ってよかった~

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2011年1月30日 (日)

サラ・ムーンのミシシッピー・ワン / 蝶の舌

1月29日

レンタルで借りたVTRとDVDを見る。ひとつは以前から見たかった「サラ・ムーンのミシシッピー・ワン」。もうひとつは以前一回見て、もう一度見たかった「蝶の舌」。

ミシシーッピー・ワン。サラ・ムーンは昔から好きな写真家。キャシャレルの暗い草地の映り込んだ写真が好きだ。ミシシッピー・ワンのフォトブックのほうを持っていて、ずっと映画を見たいと思っていた。

うちのTVでは画面左上のほうが青っぽく、画面右下にかけてセピア色にグラデーションに見えた。

心の病を患っている神経の細い青年が8歳の少女を誘拐する。予想通り、特に大きな展開はなく、離別に向かってただもの哀しく、けだるいモノトーンの映像が続く。映像と音の微妙さに興味がわかない人にはひどく退屈な映画と思う。

回転木馬。新しい靴。「走れる?」 暗い夜。逃げる雨足と追いかける雨足。

電話ボックス。海鳥が激しく鳴く桟橋の上。足首にまとわる波しぶきの中を海にさらわれそうに無防備に歩く影。車のフロントガラスに映り、歪んで流れていく木漏れ日。廃屋。シャワーを浴びているばかりの青年。ゴム飛び。蛇腹の古いカメラ。剃刀。包帯。石畳。シーツ。

サーカスの虎。サーカスの回転するポニー。三角のひらひらする旗。ピストル。幾度も繰り返される女性ボーカル(ヴィヴァルディ)。「もう遊びはいや・・・。」

Vivaldi詩篇第126番『主が家を建てられるのでなければ(ニシ・ドミヌス)Nisi Dominus aedificaveret Dominum』RV.608から第4曲〈主は愛する者に眠りを与えられるであろうCum dederit dilectis suis somnum〉

http://www.youtube.com/watch?v=KDCwK-E1yh4&feature=related

蝶の舌。いくつもの忘れがたいシーンで最後まで強烈に惹きつける。

小児喘息で人見知りの少年。ゴリヨン(スズメ)。木のうろ。古い橋。仕立屋。薬局。居酒屋。アンソールを思い出させる村祭りの仮面。決して自説を押し付けない教師。ラ・リングァ・デ・マリポサス。

ルカルス・ゼウルス(クワガタの一種)。果樹園の青い林檎の実。「これは秘密だが、死んでも地獄はない。」

本棚から革命の本を手に取りながら「宝島」を手渡す先生。優しいお兄ちゃんの吹くサキソフォン。ガリシアの青の楽団。宿の老人が焼いた小動物を食べるときのパキパキいう音が恐ろしい。

夏の光。ミクロ・スコルピオ。水浴びをする少女たち。ティロノロンコ(鳥の一種)のように女の子に花をあげなさい。

「地獄を生むのは人間の残虐さ。」アテオ(無神論者)。

教師役のフェルナンド・フェルナン・ゴメスは「ミツバチのささやき」に出ていた人で、残念ながら2007年に亡くなっている。才能と魅力のある人。

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2010年8月17日 (火)

「地の群れ」 動物 / トケイソウ

8月16日

夜になっても、息を吸うのも苦しいほどの蒸し暑さ。オオマツヨイグサ(大待宵草、月見草)とトケイソウ(時計草、パッション・フルーツ)を見たくて、暗い中、近所の小学校のフェンスを通り、川の近くまで行く。

小学校のフェンスには、去年より繁殖してすごい群れになったトケイソウたくさんの蕾をつけていた。カエルレアというトケイソウの中でも最も一般的な種類だと思う。花柱、雄蕊とも魅力的だが、とくに副花冠に惹かれる。副花冠がくねくね折れ曲がっている種、紫のアメジステイナ、インセンスなどにぜひともお目にかかってみたいものである。

川べりはメヒシバ(雌日芝)、オヒシバ(雄日芝)でいっぱい。立ち葵はほとんど枯れていた。サルスベリ(百日紅)は元気に満開。紅や白もいいけど、淡いモーヴ色の花が美しかった。団地(寮)の周りに小さなマツヨイグサ。

そのあと、映画「地の群れ」(1970年公開)を見る。いい映画だと思う、が、冒頭と最後の、鼠の群れに食われる生きた鶏、その鼠を炎で一瞬に焼き尽くすシーンには耐えられないものがあった。人間の残酷さ、実際に起こっている殺しあいや原爆を描く、その演出として生きている動物を実際に虐殺して見せる手法。

何が有効か。何を犠牲にするのか。作者(視点)(それから、あえて実際の生身の身体)はどの位置にいるのか?

差別される人間同士が互いに憎悪し、差別しあう現実の残酷さの前には、動物の生命はかえりみられない。

「人間中心主義」批判を書く学者たちは実践としてはどう生きるのか?

「唯言論」から脱出しようとして小説を書き、「書く」という行為そのもの、「運動」を生きようとしたある学者は、「絵をかく」ことを小説のテーマにしたせいで、実際はおそろしく観念的な身体しか持っていないことを露呈してしまった。

彼は、花のかたちは(風のようなものとは違って)「あらかじめ存在している」と思っていたのだ。花もたえず運動、変化していること、自分の眼も変化せざるを得ないことを「身体」が感受できなかったのだ。(ただし、この学者は、学者としては素晴らしいし、悪い人ではないと思うが。)

現代詩の最先端がどんなコノテーションをしようとも、言語の外にあり刻々と変化する(はずの)受容器としての身体がスカスカだと感じられる文字列を私は(異常にストレスに感じるので)読むことができない。この点で自分が読める詩と読めない詩は歴然としてくるだろう。

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2010年1月22日 (金)

沼沢地 冬

1月20日

珍しくとても温かくなると予報で言っていたので、ひとりでカメラを担いで、夏、フィルムを撮った沼沢地に行く。

1時半に家を出、3つの電車を乗り継ぎ、現地の駅に着いたのが3時。撮影場所まで20~30分近く歩く。

枯れ木、枯れ草、枯れ蔓は刈られていなかった。7月28日に撮影した、まさにその樹、大きな何本かの古樹と、それに絡む藤蔓や、葛、野茨、獅子独活、山の芋・・・・。

オフィーリアの沼、と呼んでいたところは、だいぶ土が乾いていたが、鳥と魚は健在。つがいの翡翠(カワセミ)がいた。夏よりひとまわり大きく見えた。そして、大好きな、憧れの、大きくて優美な、青鷺(アオサギ)が近くの樹の枝の上に・・・・。

アオサギはスチールを使わず、ずっと息をひそめて手持ちで動画で撮っていた。

きょうは、(重いので)タムロンのマクロレンズを持って行かなかった。動画のほうをマクロ的な眼で撮り、スチールのほうは、遠景を意識して撮った。フレーミングというものを意識しながら、動画を撮った。ずるずるとパーンしないで、スチールのように、フレーミングをきっちり感覚で決める。それで一旦切ってまたフレーミング、というふうに。

いつも、自分が見ている感覚の強烈さよりも、写真や映像が鈍くなることだけは、堪えられないと思う。

7月の沼地。――靴もジーンズもどろどろになった。蚊が多かった。

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今の同じ場所。

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2009年9月 3日 (木)

市村弘正

9月3日

午後2時くらいに市村弘正さんに電話してみたが、誰も出なかった。3時過ぎにもう一度してみたら、ご本人が出て、今起きたばかりで、ご飯を食べていると言う。30分後にかけなおしてくださり、久し振りにお話する。ずっと、お身体のことが気になっていたが、4か月も外国に行かれていたと聞き、とにかく声が聞きたかった。

電話する前は、すごく緊張したが、話していたら、以前お会いしたときの感じ、(初めてお話した時からまるで昔からのなじみのような感じだった)に戻る。結局1時間半くらい話していた。

生まれて初めてお話した時から、私たちの話の内容はいつも同じ。「お互い社会性がない、鎧を何重にも着て社会に溶け込んでいる人もいるけど、あなたの場合は「剥き出し」っていうんですか、社会に需要のないことばかりやってるから生活が苦しいんですよ」と言われる。

塗炭の錆びのつくる絵を眼で追いながら撮ったり、なめくじの這った痕を探したり、一番絵になる蜘蛛の巣を求めて、いくつもいくつも蜘蛛の巣を探して歩いたりするのが一番楽しい、と言うと、「スーザン・ソンタグの「エロティクス」そのものをやってるわけだから。「反解釈」の「反」は、「アンチ」じゃなくて「アゲインスト」なんですよ。社会的解釈を加えられていないもの、まだいじられていないもの、と言う意味。」と言われた。つまり、社会市民的にはまったく理解されないということ。

スーザン・ソンタグも映画を撮った、と言われて、「エロティクスなもの、そのものを撮ったんですか?」と聞いたら、「いや、彼女は全然芸術の才能がないから、理論ずくめのことを映画にして失敗した。」と笑っていた。

市村さんも私も身体的にはいつもぎりぎりである。病院といろんな薬のお世話になっている(私の場合は、全く不眠にもならず、身体は弱いが精神は動物並みに健康と言われるが)。けれど市村さんと話すといつも感じるのは、烈しい生命の何かである。その生命の激しさで、(お互いに)我が身を転げ回らせるほど苦しめているのだが、すっと、核心に入ってしまう会話が、同類として、すごく端的で気持ち良い。

(特に弱い者に対して)とおりいっぺんの対応でなく、心の奥の本性において、冷たくない人である。そしてなんとも言えないキュートな魅力を持っている。さまざまな屈折と、あらゆる局面で割り切れないような、不器用で曲がりくねっった性格が、ユーモアと不思議な色気で人を惹きつける。

「書いていないとおかしくなってしてしまうから、書かずにいられない。あなたが絵を描かなければいられないように。このことを見つけたのが最大の良いこと。」

「仕事で、行きたくないのに行くのは最悪の行き方だけれど、外国は、行きたいと思ったときはすぐに行ったほうがいい。何か変わろうとして行くなら、必ず何か変わるから。」と言われた。

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