足利市立美術館コレクション展2025「いのちの寓話」トーク
10月26日(日)
アケミさんと9時過ぎに待ち合わせて11時半くらいには足利市駅に着くはずだったのに、しゃべっていて、気がついたら終点の宇都宮。
小山まで戻って両毛線。篠原さんに1時間以上遅れることを電話。
足利駅に着いたらなんと館長さんと篠原さんが美術館の車で迎えに来てくれていた。アケミさんを蕎麦屋に送って私は美術館へ。

十二社ハイデに展示していた時は大きく見えたのに、美術館の空間ではそうとう小さく見えるあねもね。
2年前に篠原さんが「次のコレクション展には若林奮先生のドローイング(「Blue Daisy」)の向かい側に展示する」と言ってくれたのが、本当に叶った。
「まずチューリップが私が最初に題材にした植物で、それはなぜかと言うと
チューリップというのは歌にもあって、筒型に咲いているイメージがあるけれど、
実際はチューリップが開いてからは、薔薇のようにも牡丹のようにもなり、さらに萎れてからは曲線の運動を描くんですね。
それでその、萎れていく曲線の運動というものに、非常に・・時間というものに惹かれて
チューリップが萎れてまた水分がさらに蒸発してカサカサに枯れて、虫に食われてという・・
2年くらいそれをとっておいて毎日描いて行くというデッサンを30年続けてやっていたんですね。
その過程で、アネモネというのも、この絵はアネモネなんですけど、非常にその花びらや葉が細かくこう運動する、
絡み合ったり、しなだれたり力が抜けたりとか、枯れていく時に乾燥して拘縮したりするんですね。
その運動がわかりやすい植物として、最初にチューリップ、次にアネモネに興味を持ったという・・
若林先生が私に残してくれた最大の言葉というのは・・・
美術は人間と人間の間にだけあるものではない、
人工物と人工物、テクノロジーのの発展、そうものではなくて、
自分の美術作品は人間ではない生命のためにあってもいいんじゃないか、ということを若林先生が言われていたことが、ものすごく自分にとって強烈に残っていて、
若林先生は自分の彫刻を見るのは犬であってもいい、と言っていて、
旧石器時代の絵から今までの美術の歴史をすべてゼロにする、とまでおっしゃって、
旧石器時代の「人間が初めて洞窟の壁面に自分の手の跡をつけた、その瞬間から現在の自分までのあいだをゼロにして自分のありかた考える」とまで言った、
それで私は手仕事で、植物が萎れて・・みんなが盛りと言ってきれいと言ってからゴミ箱に捨ててしまう、それからが私にとっての一番描きたい植物の時間が始まるので
それから腐るまでとか、乾燥して虫に食われて粉になるまでを描くということが
その中ですごく生命の運動の時間というのでしょうか・・・
そこにすごく美しさを感じて、それで30年やってきたんですけど
そのデッサンの中で色を付けて描いたのがこれらの作品です。
若林先生は、今はテクノロジーの時代になって最初から情報でしかものを知っていないんですけども、自分で知っているような気になっているともおっしやっていたと思うんですけども・・
自分で直に見た花の姿、植物の姿というものが、非常に独特で、奇妙で、固定概念の花ではない、非常に奇妙なものだというそのリアリティを描きたくて、
銀箔の腐蝕は、それも自分の予想を超えた変化が顕われるということ、人間の力の及ばない外の変化や運動というものと
人間以外の植物とか動物という弱い生命の運動を自分で見る、経験する、ということがテーマです。
ありがとうございました。」
トークが終わってから江尻潔さんに話しかけられた。
「いやあ、若林さんの話、懐かしかった。いろいろ思い出しました」と。
若林先生にもっとたくさんいろいろな話を聞いておけばよかった、と。本当に後悔ばまりだ。
若林先生が私に「ぜひお見せしなきゃ」と何度も言ってくださっていた服のモデルをした写真も、結局見られなかったのものすごく残念。
「Yギャラリーならその写真を持っているという話も聞いたんですけど・・」
「Yギャラリーね、あそこは話しかけづらいね」と。
やはり美術館の学芸員さんでも話しづらいギャラリーがあるのだな。
・・・
小雨の中、アケミさんと散歩に出る。
私の大好きだった古い映画館(「今夜ロマンス劇場で」という映画のロケに使われた建物)が跡形も無く更地になっていたのを見て大ショックで
その手前の駐車場でつまづいて前に転倒してしまった。
両手をつき、両膝を強くコンクリートに打った。
右膝が痛くて立てなくて、またも篠原さんに電話。すごく申し訳ないのだが美術館まで5分くらいの道を車で迎えに来ていただいた。
それから5時半の閉館まで図書コーナーのベンチに座らせていただき、保冷剤を貸していただいて冷やしていたら、だんだん痛みが弱まった。
帰りも駅まで車で送ってくださった。本当に美術館のかたがたにはご迷惑かけまくり、お世話になりっぱなし。
膝のお皿に罅がはいっていたら、とぞっとしたが、擦り傷と打撲だったみたいだ。
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