2017年3月29日 (水)

フローラとフォーナ / 書道

3月28日

堀辰雄の「フローラとフォーナ」を読んでいた。

「社會を描く作家を二種に分けてもいい。即ちそれを fauna として見て行かうとするものと flora として見て行かうとするものと。」――そしてクルチウスはプルウストを後者に入れて論じてゐる。」

「プルウストは人間を植物に同化させる。人間を植物(フローラ)として見る。決して動物(フォーナ)として見ない。」

ここで、人間社会をフローラとして見て行こうとする、という解釈が引っかかる。

これでは植物を見ても、動物を見ても、作家は結局、そこに人間しか見ていないことになってしまう。

それは、植物から、動物たちからの人間の収奪でしかない。

堀辰雄は、「僕はそんな風に花のことはちつとも知らない。しかし花好きでもあるし、小説の中で花を描くことも好きだ。僕なんかも flora 組かも知れない。」と書いている。

けれど私にはこの「フローラとフォーナ」の文章から、堀辰雄が花を好きな感じが伝わってこない。

プルウストの文章からは、彼がとても花を愛していることが伝わってくる。彼は、植物そのものを、その衝撃をちゃんと見ている。

それは、幼年時代の最初の記憶からずっと続く、暴力的なほどになまなましい、陽の光と風や雨の雫と植物の交信、植物が発する香気や響きあう色や質の運動の、強烈な生命の時間の体験だ。

植物を、植物として、強く体験できる人は非常に少ない。人工的なもの、人間的なものの、添え物のようにしか感じていない人は多い。このことは、私が大人になってから身に染みてわかったことだ。

幼い頃の私は、自分が興味を持つのと同じくらい、他の人も植物に興味を持っているのだと思っていた。

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最近の書道(きのう)。

「賞花釣魚」。

先生のお手本。

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下が私の字。初めて待望の「花」という字。「ヒ」の部分をもっとしなやかに書きたいが、バランスが難しい。次はぜったい、もっと柔らかく書きたい。

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先月の「温慈敬和」。

先生のお手本。「慈」という字の「いとがしら」の左右のかたちが同じではないのが不思議。右のほうが、三画目が長く、上の「一」の画に接している。

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下が私の字。「慈」という字の上の部分、「一」が長すぎた。

ちなみにこの「前」という字の上の部分と同じところは、「くさかんむり」ではなく、よび方がないらしい。

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墨汁のあまりを片づけている時、先生が「紙、使う?これ、書き損じ。」と出してくれた半紙の細筆の文字を見て「うわ、先生の書き損じ、かっこいい。」と、その紙をいただくのを辞退した。

いただいてくれば良かったのに、とすぐ後悔した。墨汁をぬぐうのにはとてももったいなくて使えないけれど、いただいてくれば私はそこから吸収するものがあった。

そこにある何がかっこいいと感じるのか、考えることができるから(これはすごく感覚的で重要なことだ)。

今、習っている楷書は、現代の字とかたちが違うこともよくあり、実務的に字がうまくなるかというと、よくわからない。

書道に惹かれるのは、筆と墨の造形と質感のなにか、水で絵の具をとく絵を描いていることと通じているたっぷりと豊かななにかを、強く感覚しているからなのだろう。

その時々の手本の四文字によって、字面のバランスをとるというのも面白い。

ゼロから考えるのではなく、手本を見てそれに倣うというのが、私には新鮮なのだ。

書道教室は、月一回、1時間半しかない。せめて2時間あれば、もう少し詰められるのに、と思う。

まわりの、いつもゲートボールの話ばかりしている奥様達にもめげず、最近は、最初からすっと入り込んで集中できるようになってきた。

私は、のめりこんでその瞬間にすごく集中したい性格ので、なんで書道教室に来て雑談ばかりしているのだろう?と、その奥様達が不思議でしかたないのだが。

最近はがんがん書いて、遠慮せずに、時間内に5、6回は先生に直していただきに行っている。

帰宅してすぐ、一度筆を洗ってから、その日に直されたところを注意しながら、もう一度自分で書いてみる。

まだ筆の扱いに慣れないので、自分なりに納得がいくまで書こうとしたら、なかなか終わらずエネルギーを使ってくたくたになる。

先生の家の書道教室に通うことも考えたが、そうすると書道にのめりこんでしまって絵が描けなくなりそうだ(それでなくても趣味が多いのに)。

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2017年3月19日 (日)

画集の打ち合わせ / 対人ストレス /  最近のちゃび

3月8日

水声社の編集さんと次の画集の打ち合わせ。

新宿3丁目の名曲喫茶らんぶる。広いのに、地下の禁煙席はほぼ満員だった。一階の紫煙が階段を伝ってくるのが難点。

次の本について、私がすごく気にしているのは、紙の質と絵のページ数。希望の紙の見本の本を2冊渡す。こんな触感の紙で、と。B7だけはイヤダ。

紙がすごく高かった場合、絵のページを増やすか、その時点で検討。

とにかくもう一度、絵を増やす方向で全体の構成をやり直してみること。

いろいろわからないことが多くて不安になった。

3月14日

S・YさんとM・Hさんと飲みに行く。

M・Hさんは心理学の専門家で、対人についていろいろアドバイスをもらう。

私が、誰かにものすごく不快な思いをさせられたことをブログに書くと、「絵を描く人は心がきれいって思っている人たちから非難されたりする」と言われたが、別にそんなことはどうだっていい。

その誰かが特定されると、それが事実であっても名誉棄損罪、もしくは侮辱罪に問われるらしい。

そんなことも、まあ私はどうだっていいのだが。

私を道具のように利用して自己愛を充たそうとする人がらされた耐え難く不快な体験をブログに書こうとすると、たいてい危険だと止められる。

私が表現をやる根本のところに関わる問題なので、そこを書かないとなにも表現にならない気がするのだが。

3月15日

高円寺の私の好きな古着屋さんの店主、O・Kさんと話す(私が高円寺を離れられない理由のひとつは素敵な古着屋が多いことだ)。

去年、彼女から購入したビリティスの黒いレースブラウスの釦が、外に着ていく前に取れて無くなってしまったので、適当な釦(私の好きな小さな貝釦)をつけていただいだ。

彼女と話しているとすごく楽て、救われたような感覚があった。

それは、彼女は服をつくって売るクリエイティヴな仕事に携わっているが、アートや絵をやっている人のような異常な自己顕示欲がないからだ。

仕事として望まれたことに対して親切に、ちゃんと応えてくれるだけで、余計な自己主張がない清々しさ。

彼女は背が高くて陶器のような白い肌の、おっとりしてきれいな人だ。

3月16日

久しぶりにGと西永福で食事。

去年、真っ白なユキヤナギで埋もれていた松ノ木グラウンド横を抜け、大宮八幡のへりの暗い道を通って行く。

ハナ動物病院の近くの桜がもう満開だった。

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最近のちゃび。

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朝の自撮り。

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最近のちゃびは、歳をとっているがなんとか元気で、おしゃべりが得意だ。

明け方から朝、何度もトイレに行き、戻って来ては、私のふとんの中にはいりたいとにゃあ、にゃあ。私の耳元でおしゃべり。それでも私が起きないと、私の顔をお手々でぱんぱんと叩く。

朝、私の顔のすぐ前にあるちゃびの顔にちゅっちゅっと口づけると「ぐるにゃあああああ」とゴロゴロ爆裂。
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私の枕にまたがる。
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もうすぐ二十歳。がんばれちゃび。
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2017年2月28日 (火)

本郷理華 「カルミナ・ブラーナ」 ・ 宇野昌磨 /  絵の撮影

2月26日

フィギュアスケート四大陸とアジア選手権が終わった。

本郷理華のSP「カルミナ・ブラーナ」の個人的な印象。

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「おお、フォルトゥナ!運命の女神よ。月のように、姿は移り変わり、……」

だがそれは、言葉ではない。無言の全重量と釣り合う、もはや誰のものでもない叫び。
合唱という匿名性によって名ざされ、召喚される、いまだ名もなきものの怒りにも似た静寂。
その魂ととともに立ち上がり、長い腕を掲げて天を仰ぐ出だしから、私はぐっと引き込まれた。

それからなよやかに、ひそやかに、冷たい水の中をすべってゆく銀の細い魚のように、

天から零れ落ちてくるなにかを、手を伸ばして受けるように、

空気に舞う風媒の種子たちに触れるように、

あるいは中空に無言で語りかけ、自らの思いを差し出すように、

きわめて優雅に、麗しく、かつ伸びやかに、誰かの記憶に息を吹き込む

「常に満ち、欠け、生は忌まわしく無情に、時に戯れに癒して、貧困も、権力も、氷のように溶かしてしまう……」

古い建物の窓のすりガラスの光、ずっと揺れている、震えている灰色の細い木々の重なり、

記憶の中の、淋しく、なつかしい薄暗い風景のなかに、

時折、見え隠れしていた、なまめかしく、生命的なもの、

危うく無防備でありながら、誰にも触れられない、傷つけられないもの、

私はずっと覚えていて、いつでもそこに戻っていけるのだと告げるように、

刻々と移り変わる薄明光の階の下で、

鳥が一斉に飛び立つ羽音を聞き、旋回する影と交差しながら、

そして強い風にさらされて翻弄されながらも、その風に乗って、どこまでも遠くまで未知の場所に流離っていくように、

そんな女性的な、なにかとても美しいものを見ていた。

・・

私は、本郷選手の中で、このプログラムが一番好きだ。

彼女の端麗さが非常に際立つプログラムだと思う。

ジャンプの失敗はあったが、表現はとても洗練されてよくなっていると思う。

若く瑞々しい選手の、まさに表現が大人になる時に、ちょうどスランプの危機が来ることが非常に悩ましく、いとおしくも切なくなる競技だ。

夏から足首の怪我があったらしいが、今、跳べないのが精神的なものであるならば、次はよくなりますように、心より復活を願っています。

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男子は4回転ジャンプ合戦になったが、やはり宇野昌磨の表現に引き込まれた。

彼の演技はいつも、めくるめく情景を見せてくれる。

人それぞれの体験の重さ、想いの丈の際だった瞬間、その記憶、感覚を呼び覚ましてくれる喚起力がある。

2月24日

次の本の制作のための、絵の撮影。

1:30にカメラマンの糸井さん宅へ。

外の光はカーテンで遮断して(真っ暗ではなく、自然に薄暗い昼間の感じ)、ストロボは3つ。

前回の最後に撮影していただいた感じがすごくよかったので、今回の撮影の光のあてかたもそれに近くなるように、4回ほど光を微妙に調整して撮影していただく。

銀箔が全体にフラットに白っぽくなりすぎないように、斜め上に軽くスポットを当てて、絵の下側に行くにつれて少し暗い色になるように、銀の質感が生々しく出るようにしていただいた。

絵の線描が全部、バランスよく見えるように撮るのはセオリーだが、強い太陽光の下ではなく、そんなに明るくない小さな部屋の壁に掛けられているのを見ているリアルな感じを希望した。

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糸井さんは、光の違いによる絵の見えかたの微妙なニュアンス、雰囲気の違いを、とても理解してくれて話がすっと通じるので、初対面から仕事がすごくやりやすい。

万一、追加で新作を撮ってもらうことがあるかもしれないことを想定して、ストロボの出力など、今回の設定を記録しておいていただく。

途中、3:30頃、撮影予定だった絵が一枚足りないことに気づく。

Mに電話して、事務所から届けてもらった。Mは一時間後に到着。駅で待っていたら、急にすごく冷え込んできて、胃が痛くなった。

この時の冷えによって、次の日、吐いてしまい、一日具合が悪かった。撮影終了後に、Mと駅前の居酒屋に入り、空腹に梅干しサワーを飲んだのがよくなかったのかもしれない。

風邪やインフルだったらどうしようと焦って、友人に連絡し、会う予定を延期してもらったが、結局風邪ではなく、ただ胃腸の調子を崩しただけだったのでよかった。

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2017年1月19日 (木)

森島章人さんの第二歌集 / E藤さんと食事 祖母と母のこと

1月16日

昨年末に、森島章人(森島章仁、あるいは蘭精果)さんから、ついに、待ちに待った第二歌集『アネモネ・雨滴』を出すとのお知らせのお手紙と、原稿をいただいた。

第一歌集『月光の揚力』(1999年)からずいぶん経って、長い時が結晶した歌集。

『アネモネ・雨滴』というタイトルには、“衰滅の中の希望”という意をこめたという。

昔からのお約束通り、私の絵を本(扉)に使ってくださるとのこと。

そのことに関して、きょうまた、おはがきが届いた。

私の「風の薔薇 あねもね』(2002)を使用したいとのことだったのだが、この絵が強烈すぎるので、やはり「鬱金香」(1998)を使用したいとのこと。

私としては、どちらを使っていただいても、まったくかまわないのですが・・・。

『アネモネ・雨滴』という歌集には、やはりアネモネの絵のほうが合うのではないかな、と思い、その旨と、一応、私が今まで描いたアネモネの絵を数十点メールで送った。

森島章人さんは静かなかたで、(私は行ったことはないが)空気と水のきれいな、静かなところに住んでいる。

彼の歌は、微妙な光と影が煌めく、なまめかしく妖しいイメージと、冷たく澄んだ空気を感じさせる。

森島章人さんの歌をたくさんの人に読んでほしい。

バレリーナ地に伏せるとき薄幸の世界を許すみだらを許す――『月光の揚力』より

1月18日

朝、まだ眠っていた時、10時20分くらいにE藤さんから電話があった。E藤さんは、今、私の近くに住んでいて、昔の西新宿で母が親しくしていただいていたかた。今は私が親しくしていただいている人生の大先輩だ。

正月に、今も西新宿在住で、私が小1から小2くらいの時に仲良くしていた女友だち、Oさんのお母さんが亡くなられたとのこと。

Oさんのお母さんは70歳をすぎて子宮がんになったという。

Oさんとも、Oさんのお母様とも、私は小学生の頃以来、お会いしていないのだが、E藤さんはずっと親しく交流されていたそうだ。

E藤さんは親しくしていた人が急に亡くなってとてもさみしい、とおっしゃって、私をランチに誘ってくれた。それで私は寝ぼけまなこで即飛び起きて、支度した。

駅前の「すしざんまい」でランチ。母の具合が悪く、今年の正月はおせちどころではなかった私のために、「お正月のごちそうと思って、ランチビールも飲みなさいよ。」と言われて起きたばかりだけど、ビールもいただいた。

E藤さんは、私が幼い頃の母のこと、私の祖母のことを知っている。その話を聞くと胸がいっぱいになってしまう。

E藤さんは、結婚されてすぐ(20歳代の後半)に、小児麻痺だったご主人の妹さんの、たいへんな介護をされていたとのこと。

その妹さんが亡くなった時、私の母がふたりの近所の友人とともにE藤さんのお宅に伺ったそうだ。E藤さんは残り物で悪いけど、と、ちょうど3人分余っていたお寿司を出したのよ、と言う。

「そんな時のことをすごく覚えているのに、もうそんな話をできる人もいなくなっちゃったわねえ。」と言われた。

私の母と祖母について「あなたのお母さんは本当によく働いてたものねえ。おばあさんはすごくきれいな人だった。おばあさんとよく魚屋さんで会ったわ。」と言われると涙が出てしまう。

人は皆、年老いて、記憶はどんどん時の彼方へ消えていってしまうけれど、私の祖母と母の元気な頃のことを覚えていて、私に話してくれる人がいることは、なんて幸せなことなのだろう、と思う。

「あなたはおばあさんによく似てるのかな。」と言われ、「いいえ、私は明るくて包容力のあるおばあちゃんが本当に大好きだったけれど、私と祖母は血がつながってないんですよ。」と応える。

「父はもらいっ子で、生まれてすぐもらわれてきて、本当の両親を知らない。あんなに優しかった祖母に甘やかされておかしくなった。」と。

(実際、祖母は私とは違う鼻筋のとおったはっきりした顔立ちだった。目や眉が似ていると子供の頃は信じていたけれど。大好きな祖母が私とは血のつながりがない、と母から聞いた時、二十歳くらいだった私はショックで泣いた。)

おばあちゃん(福山キョウ)と私。

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私が好きな写真。西新宿の熊野神社でおばあちゃんと。「ユキちゃんを見つけて嬉しそうにかけていきました。」と写真の裏に母の文字が書いてある。(ユキちゃんは幼なじみ)
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続く写真(ユキちゃんと私)。裏には「枝を得意そうにぽっきん、ぽっきん」という母の文字が書いてある。この頃から私は植物が大好きで、今とちっとも変わっていない。

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E藤さんは今年88歳だが、とても頭の回転が速く、新聞もよく読んでいて、とんとんと話が進む。

「それでね、その子は今、ヒッキーなんですって。」などといった言葉が飛び出す。「ヒッキー?あ、引きこもりのこと?」と言うと「そうよ。私、いろいろ若い人の言葉も知ってるの。」と。

感心するのは、話が回りくどくなくて、要旨が明解なことだ。頭がよく、人の気持ちがわかる人なので、こちらの悩み相談にものってくれる。本当に頼りになる先輩だ。

隙間のないきれいな歯も、全部、29本健在だという。それは本当にすごいことなのではないかと思う。

E藤さんは私なんかよりよっぽど元気だ。私とランチしたあと、荻窪でボランティアをするために電車で出かけていった。それも新聞で見つけて応募したそうだ。以前は新宿の老人福祉施設で絵手紙を教えていたそうだ。

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私は3時過ぎから母の施設へ。小口の預け金が足りなくなったようなので、10万円持って行った。

母は眠っていた。フロアリーダーのFさんがいらしたので、母の様子をきく。気管支炎はだいぶなおり、体調は安定してきて、昨日の夕食、今日の朝食、昼食はほとんど食べた、とのこと。

おやつと夕食の間の時間で、日誌をつけている職員さんたちにも挨拶と御礼。

エレベーターで一緒になった看護師さんに挨拶し、痰の吸引などお世話になっている御礼を言うと、「ああ、福山さん!年末がたいへんでしたね。きょうくらいから熱もちょうど落ち着いて、痰も少なくなりました。」と言われ、とても嬉しかった。

はきはきした小柄の看護師さん。「年末、年始、もうだめかとはらはらしていたのですが、先日、無事誕生日を迎えられて本当にありがとうございました。」と言うと「なぜか誕生日が鬼門なのよ。」と言われた。そんなこともあるのだろうか。

会議が終わって出て来たところの相談員のK島さんと、1階でお会いできた。先日、私が来た時よりも、今日のほうがずっと母の調子がいい、とK島さんも笑顔だった。

何度も何度も頭を下げた。

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少し気持ちが楽になったので、そのあと中野の材料店に行き、昔はあったが今は製造中止になった道具についてお話を聞いた。

古本屋さんに読みたかった70年代の本が入荷していたが、800円だったので今日は買うのを止めた(500円だったら買っただろう)。

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2016年11月19日 (土)

出版四賞パーティー

11月18日

今年もFと集英社出版四賞のパーティー(帝国ホテル)へ。

ストール、ブラウス、スカート コート、靴まで全部古着。

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今年もFが仕事で遅れて来たので、授賞式は最後のスピーチと受賞者の花束贈呈のところだけ出席。ぎりぎり間に合ったので掲載誌はもらうことができた。

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そしてビュッフェ。私はぺスコベジタリアンなので、毎年、魚介の前菜が楽しみ。特にウニとカニとアワビ。お寿司もおいしかった。
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テーブルに勝手に肉の皿を置いていかれるのを断固拒否。こちらの会話がとぎれさせられるし、食べ物をとる時も邪魔なので、いい加減にパーティーコンパニオンは廃止してほしい(学生時代には私もこのバイトをしていたけど、今はそういう時代じゃないと思う)。
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Fには席に座っていてもらって、私がちょこちょこと二人分の好きな食べ物を運んでくるのが楽しい。逆に私は人が食べ物をとってくれたりたり、取り分けてくれたりするのが嫌いだ。

Fも私も肉とお菓子を食べない。食べ物で相手に気をつかわなくていいことは私にとってすごく楽。
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Fと会うと、話すことがいっぱいあるので、いつも弾丸のようにしゃべっている。文章のこと、絵のこと、人との関わりの質のこと、動物との関わりの質のこと。

次の私の画集にのせる文章に関して、絵にあう(植物についてなどの)文章でなくても、自分の気持ちが一番のって書ける内容を書けばいい、とFは言ってくれた。

私は表面的で当たり障りのない話をしてくる人がすごく苦痛で、核心的な話しか興味がない。Fにはいきなり核心の話をできるので、私は無味乾燥な会話をしている焦燥にかられることがないので嬉しい。

いつも私がなにに全身を動かされているか、どんなことにすごく苦しむかについてFはよくわかってくれているので、なにを話しても、ちゃんと重みのある対応がかえってくる。

最近、心底思うことは、なにに夢中になるか、なにに嫌悪を感じるか、根源的なところで話が通じる人に出会えるのは奇跡だということ。

心が通じる人は数回会っただけで通じるし、通じない人は何十年つきあっても無理だ。

普段は着ることのないアンティークレースのブラウスを着たので記念撮影。
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夜も明るい日比谷花壇のウインドウの前で。日比谷公園では菊花祭りで、たくさんの屋台が出、混雑していてた。
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かわいい桜の花が狂い咲きしていた。ソメイヨシノではない。暖かい夜だったのでお濠のほうへ歩いた。
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お濠には二羽の白鳥がゆったり泳いでいた。暗くて写真には写らなかったが、闇の中に優雅な生き物がひそんでいたことにどきっとした。

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しーんとした夜の都会の水際はカメラを通して見ると余計に美しかった。

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柱頭がライトアップされている東京商工会議所の重厚な建物。
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納戸色の空と光が反射した銀杏と、車の入れない、人もいない空間がすごく幻想的で素敵だった。

毛利武彦先生の「首都風景」や「秋映」という絵を思い出す。銀杏が金色に光るこの時期に都会の風景がしんと静まりかえり、違和を感じるほど見知らぬ場所になる、このはっとするような変容に惹かれたのだろう。
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反対側に東京駅。幅の広い道路と冷たい空気。ドイツやイギリスに行ったときの感覚がよみがえる。高円寺の細いミクロコスモスの路地も大好きだが、都心の冷たい風景も好きだ。

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丸の内のライティングの通りの横を抜けて東京駅から帰宅。

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2016年11月14日 (月)

『デッサンの基本』 第26刷  次の本(画集)について

11月13日

9月末に『デッサンの基本』(ナツメ社)増刷のお知らせをいただきました。これで第26刷りとなります。

購入してくださったかた、本当にありがとう存じます。

なにか面白いものを見つけて、ありあわせの道具で描くことは、とても楽しいです。

また、描くことができない時も、ものをよく見る習慣がつくこと、そこからたくさんのことを感じ、記憶し、思い出し、味わえることは、それだけで楽しいことだと思います。

実際に絵を描くことによって、絶えず新しい発見があり、新しいアイディアがわいてきます。

描くことを通して、ものの見方が変わり、見ることの喜びが増すように思います。

『デッサンの基本』が、絵を描くことに興味がある人の、なにかの小さなきっかけ、ヒントに、もしお役に立つことがあれば、とてもありがたく嬉しいことです。

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10月29日(土)の夜、ちゃびに給餌していて、口の中にマグロを入れてあげるタイミングを間違い、牙で右手の人差し指を思い切り強く噛まれてしまい、大量出血。

(それにしてもマグロのお刺身をあげるようになってから、ちゃびの調子が戻ってきたので嬉しい!ドコサヘキサエン酸が脳神経に効いたのではないかと思っている。)

31日(月)の朝、病院に行き、抗生物質の錠剤と化膿止めの軟膏を出された。少し化膿し、すごく痛くて人差し指を使えないために、字も絵もうまくかけなくなってしまった。

PCのキーボードを打つにも人差し指が使えないために、変なところに力がはいり、右の上腕(三角筋?)が異常に凝った。

10日経ち、傷も治り、やっと絵が描けるようになりました。

最近描いた黄色いコスモス(イエローガーデン)の鉛筆デッサン(素描)。

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以前にデッサン(素描)したいろいろのコスモスから描いたコスモス水彩。コスモスによくいる青虫も、そのまま描いてみた。

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私の好きなコスモスは、薄曇りの薄い和紙をこしたような光の下で揺れているイメージ。または雨に濡れたコスモス。日が暮れかけたあわいの時間のコスモス。

私にとってのコスモスは、雨風に倒されてから起き上がったくねくねとうねった茎で、決してすっとまっすぐな茎ではない。

葉はちまちまと尖ったのは嫌いで、裂が少なくて刺繍糸のように長く優雅に伸びた葉のコスモスが好きだ。

自分にとって、もっとも心惹かれる佇まいのコスモスの絵を描きたくて、そこに近づきたくて、何枚も描いている。

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今、私は次の本を制作中です。

次は描き方の本ではなく、私がデッサン(素描)によってなにを見てきたかをまとめた本です。

これまで描き続けてきた植物の鉛筆デッサン(素描)の中から、一連の時間の流れと分断、なにを見るか、どのように見るかを考えながら百数十点を選び、それに素描着彩と銀箔を使った絵を加えたた画集です。

きょう、撮影のためにカメラマンに預けていたたくさんのスケッチブックとパネルに貼った絵の返却があった。

絵を撮影するにあたって、撮影する人との意思の疎通が非常に難しいことを知った。

特に銀箔を使った絵は、撮影する時の光の加減により、どんな色にも変わってしまう。どの部分(腐蝕の微妙なトーン、線の流れなど)を大切にするかを端的な言葉で重々伝えたつもりだが、まったく伝わらなかった。

絵の雰囲気をどう感受するかで、写真の撮り方も、プルーフの出し方もまったく違ってくる。

どのように(一般的な、あるいは文学的な)言葉で伝えようとも、絵をわからない人にはまったく共有されない。

どのようなトーン、コントラストでとらえたいかは、私の絵の雰囲気をよく知る人が撮影するか、作者である私自身が、CMYKに変換分解後の印刷用補正をしなければどうしようもないのだとわかった。

昔から信頼しているデザイナーのS・Kさんにメールで絵の印刷について質問した。

S・Kさんはやはり私が求めていることを理解してくれていて、非常にためになる話をいろいろ伺うことができた。

やはりカメラマンで印刷用の補正について詳しい人はあまりいないそうだ。 昔は補正のプロがいたが、今は商売にならないのでいなくなってしまったとのこと。

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2016年8月31日 (水)

写真家、後藤真樹さんと打ち合わせ / 方南歌謡祭

8月25日

次の私の本のための絵の撮影について、写真家の後藤真樹さんと打ち合わせ。

特に箔をつかった作品について、なにを優先して撮影していただくか(銀箔のきれいな光の質感か、腐蝕部分の細かい線か、腐蝕部分の微妙な色か)、難しい問題がある。

また、写真をPCで調整しても、印刷物での再現は、それとはまったく違うノウハウになるそうだ。いろいろ想像して悩んでしまった。

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後藤さんは、座右宝刊行会代表として、書籍の執筆、編集、刊行も行っている。

座右宝刊行会という名称は、大正時代にさかのぼり、下のようないきさつがあるらしい。

(ホームページから引用します。)

「大正末期に作家・志賀直哉がコロタイプ印刷で作った自らの心眼に叶うものを集めた美術写真集「座右寶」を刊行する為に座右寶刊行會を創設しました。

大正15(1926)年に「座右寶」を刊行したのち、岡田三郎助氏の元で「時代裂」を刊行。その後、後藤眞太郎が引き継いで数々の文学書・美術書などを編集・出版。終戦の翌年、昭和21年には美術雑誌「座右寶」を創刊。

真太郎没後は、息子の後藤茂樹が引き継ぎ、美術全集の編集などを行い、日本の編集プロダクションの先駆けとなったが、1981年に解散。

現在の座右宝刊行会は、後藤眞太郎の孫にあたる写真家・後藤真樹が祖父と伯父の志のいくばくかを継ぎたいとして書籍の編集・出版を行っています。」

http://gotophoto.zauho.com/zauhopress/zauho.info.html

後藤さんとのご縁のきっかけは、私がハナ動物病院の待合室で、たまたま「座右宝」という薄い小冊子を見つけたことだ。

なんだろう?と読んでみたら快作先生の殺処分ゼロ運動のインタヴューと、高円寺ニャンダラーズ(猫レスキューのボランティアさんたち)のメンバーのかたの、福島での動物レスキューの現場体験を語る言葉がのっていた。

「福島被災猫レスキューの現場から」――西井えり(高円寺ニャンダラーズ)の全文は下のURLで読めます。

http://gotophoto.zauho.com/zauhopress/nishii-hisaineko.pdf

後藤さんは、たまたま被災猫の里親探しの活動に賛同し、譲渡会で出会った猫を引き取り、フクスケ(フクチン)と名付けた。

そして福島の警戒区域から保護された猫たちが、引きとった人々の元で幸せにくらしている姿をつづった物語つき写真集『おーい、フクチン! おまえさん、しあわせかい?――54匹の置き去りになった猫の物語』を刊行した。

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http://gotophoto.zauho.com/book/fukuchin.html

打ち合わせ中、フクチンは、うにゃ~お!うにゃ~お!と、すごく元気な声で、おしゃべりしてきていた。おなかがすいたみたい。フクチンは、ごはんをもらう前に、おすわりをして、お手!をする。

フクチンは福島で大けがをしたらしく、横隔膜が破れて内臓が肺を圧迫して呼吸ができなくて、内臓をもとに戻す大手術をしたそうだ。今は、そんなふうには全く見えないほど、元気だ。(ほかにアレルギー症状もあって、投薬によるコントロールが続いているそうだけど。)

後藤さんのお宅のまわりは、鬱蒼とした植物に囲まれていた。帰り道、コオロギたちが一斉に鳴いていた。もう秋だ。

8月27日

台風のせいで、雨がしとしと。その中、杉並区方南町の方南歌謡祭に行ってみた。

駅前の駐車場に、ステージカーが。その前に折りたたみ椅子をびっしり並べて、みんな雨合羽を着て座っていた。私は前から3番目の一番端っこの席。

熱心に見ているのは、70歳以上と思しき、元気なご高齢のかたが多いのにびっくり。駐車場の柵の外から、酔っぱらって大きな掛け声をかける男の人。柵によじ登る人。立ち見で煙草を吸っている人。全体的に、すごく自由というのか、無法地帯というのか、騒がしく、いなかっぽい雰囲気。

正直、高円寺の阿波踊りでは、考えられない感じだ。高円寺は、商店街の人の踊りが「芸能」まで高められているというのもあるが、観客も、もっと上品だ。

一番よかったのはフィンガー5の晃。歌もトークもすごくうまかった。

いきなり「・・・お祭りって、こんなんだっけ?」と。「なんか、すごく、いなかっぽいね。」とずばり。「すごい人だね。これ、お金とったらすごいけどね。タダだからね。」とも。

まずは「恋のダイヤル6700」。追っかけの人が10人くらい、最前列の真ん中に陣取っていてキャーッと黄色い(?)歓声。会場全体がすごい盛り上がり。「ここ、騒音対策、だいじょうぶ?俺、歌いながら帰ろうかと思っちゃった。」

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「個人授業」、晃の自作の沖縄ことばの歌も素晴らしかった。それから最後は「学園天国」。

彼はさすが、和製マイケル・ジャクソンとかつて言われただけのことはあって、歌唱から独自のソウルフルなものが伝わってくる。

(小学生にして、レコードデビューの時に、まわりの大人の耳がよくなくてつまらない、と言っていたらしい。)彼を見られたことは、とてもよかった。

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終わってから、方南通りを西永福まで歩いた。大宮八幡宮のあたりは人通りがなく、暗い湿った空気をふるわす虫の音がすごかった。

西永福の三崎丸で牡蠣のオイルづけや白子の天婦羅を食べ、生グレサワーを飲んだ。

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2016年6月12日 (日)

『デッサンの基本』 第25刷 素描や絵画をめぐる遠くて近い記憶

6月10日

『デッサンの基本』(ナツメ社)が、また増刷となりました!これで第25刷となりました。

買ってくださったかた、ありがとうございます。

自分がつくった本を、どこかで読んで(見て)くれている誰かがいる、と思うと本当に嬉しく、ありがたく思います。

『デッサンの基本』が、どなたかのデッサン(素描)のためのヒントやきっかけになることがあれば、これほど喜ばしいことはありません。

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素描について

なにかを描こうと思う時、うまく描こうと思うことより、その対象のどこに惹かれるのかを「意識して」、それを大切に描くことだけが肝心だと思います。

私が敬愛するドイツの画家は言います、「私は愛するように素描する」と。

短い時間でなにかを素描するとき、もっとも大切な「自分がその対象に惹かれる理由」だけが描かれて、あとのものが抜け落ちてしまえば、最高に「絵」になるのに、と思う。

しかし、それがなかなか難しい。

「思い込み」を離れて「自分が見たものから導かれる線」を引くことが大切だと思います。

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素描や絵画をめぐる遠くて近い記憶

植物をよく見て、鉛筆の線だけの絵を描いて、楽しかった最初の記憶がある。

小学5年生のはじめに、新しく転任してきたY先生が担任になり、最初の授業が、自由に絵を描くというものだった。

皆、絵の具を使って思い思いに絵を描いたが、私はHBの鉛筆だけで、教壇の上の花瓶に活けられていたカーネーションの束を見ながら描くことに決めた。

私はその時一番前の席で、そのカーネーションのちまちました花の塊と細い茎、細いなよやかな葉をきれいだと思っていたからだ。

そして大雑把に省略してごまかさないで、できるかぎり細かく見たままを線で描く、というのをやってみたかったのだ。

カーネーションの花弁は複雑で、縁にギザギザがあって、茎も細くて節があり、葉の付け根も繊細すぎて、かたちをとるのがとても難しかった。

ひとつの花から描き始め、下のほうまで茎を追って線を引くうちに、葉のつきかたや茎の重なりなどの位置関係のつじつまが合わなくなってしまう。

見た通りに、ごまかさずに描こうとすればするほど、眼も頭も疲れて、とても苦しかったのを覚えている。

しかし同時に、そこに自分の眼の体験を確かに刻んだような達成感があった。

その時、全体のつじつまは合わなくても、自分が美しいと感じているもの、自分がカーネーションの中に見つけた「たくさんの細い線」を、自分なりに鉛筆で紙の上に残せたことに激しい喜びを覚えた。

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小学6年生の時、図工の先生が石井先生だったのは幸運だったと思う。

その日のテーマは「友だち」だった。花にかぎらずなんであれ細部に魅力を感じ夢中になってしまう私は、図工の時間内に絵を仕上げることができなかった。

石井先生は、そんな私に、(先生が採点したあと)、放課後、図工室に残って気がすむまで絵を仕上げていい、と言ってくださった。

私はそれから何日も居残りさせてもらうことで、友だちが着ている服の皺の微妙な反射の色を、じっくり時間をかけて描いた。私は机に向かう友達の後ろ姿を描いていた。

しーんと静かな図工室の絵の具や接着剤の汚れが染みついた、年季のはいった分厚い黒い木の机。そこでひとりぼっちで絵に集中できたのは本当に素晴らしい体験だった。

そこで、眼の体験に迷い込む喜びとともに、どこにこだわるのかで絵は無限に変わり、絵がいつ終わるのかを自分ではわからないことを知った。

「絵画鑑賞」の時間に、ダリの「記憶の固執(柔らかい時計)」や、ベン・シャーンの「赤い階段」を見せてくださったのも石井先生だ。小学生の時にこれらの絵から受けた衝撃は今もずっと残り続けている。

小学生だった自分を子ども扱いしないで美術の体験をさせてくださったことに、とても感謝している。

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10代、20代の頃はなかなか柔らかい線が引けなかった。高校3年生の一年間、美大受験予備校に通った弊害かもしれない。

今でも自在に線は引けなくて苦しいが、若い頃は今よりもっとゆっくりと、硬いたどたどしい線しか引けなくて不自由だった記憶がある。

「かたち」を一生懸命追っているので、けっこう集中力を要し、すごく疲れてしまう。

18歳の頃に描いたアジサイの素描。あたりをつけてから葉を描いている。

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20歳くらいの時に描いたマーガレットの素描。これも「かたち」を一生懸命とっている。正円を基(もと)にしたかたちの花ではなく、めくれたり歪んだりする花びらのしなやかさを追う気持ちで描いているのだが、硬い線。

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硬い、しなやかさが足りない。

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20歳くらいの時に描いた八重のチューリップ、アンジェリーケの素描(鉛筆、色鉛筆)。自分なりに格闘して描いたが、硬い線。

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昔から、八重のチューリップと、花の下にある葉とも花弁とも言えない部分に惹かれていた。神秘的な感じがするからです。

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このアンジェリーケという種類は、薔薇や牡丹のように桃色の花弁が重なったとても豪華で華やかなチューリップだ。花弁の色の微妙な濃淡をよく見て描いた。

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20歳の頃に描いたスプレー菊。薄ピンクの小さな花の中に微妙な色の変化を見つけることを意識して描いた。

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描くことに疲れてしまって、描くことが苦しくつらくなってしまったことがよくあった。

「こういう描き方すると疲れるでしょう。」とも言われた。

しかし、「隅々までよく見たとおりに」、「自分が面白さを感じたままに」描きたかった。それは受験予備校で習ったやりかたではなかったが、「単純化したり、くずしたり」することにはなおさら興味を感じられなかった。

今も「見たとおりに」描きたいことに変わりはない。

見たものが絵の中で「運動」し、「変容」することは、「絵を崩す」こととは違う。

そして私は素描を「本画」のための「下描き」や「習作」とは考えない。

植物を描くとき、一瞬の「不安定さ」、「個体の有限な生」の中の「非限定的なもの、わからないもの」を描くことで、一枚の絵の中に「運動」を描くことができると思う。

今は、昔よりは疲れずに鉛筆で描くことができます。

ひとつの理由は、鉛筆を持つ手に力を入れ過ぎないでも線を引けるようになってきたからです。

昔は強く鋭い線に惹かれたけれど、今は以前よりずっと筆圧の弱いあえかな線を引くことや「描かない部分」に興味があるから、とも言える。

 

 

 

 

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2016年6月 5日 (日)

沢渡朔展 「Rain」、「Nadia」、「少女アリス」、代官山蔦屋書店、東雲

6月4日

沢渡朔さんの新作「Rain」の展覧会(YUKA TSURUNO GALLERY)のご案内をいただいたので、久しぶりに沢渡さんにお会いしたく、行くことにする。

その前に代官山蔦屋書店の沢渡朔さんの「Rain」、「Nadia」、「少女アリス」の展示を見てから行こうと、すごく久しぶりに代官山へ。

昔は、ひっそりとした古い住宅とぽつぽつとあるシックなアンティークの店が好きで、たまに散歩に行っていたが、町はだいぶ派手に変わっていた。

旧山手通り、ヒルサイドテラスは人がいっぱいで、高級感ありすぎで、息苦しくなってくる。

HRMの横のディスプレイ。ここだけは何気なくてよかった。

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どこかで拾ったのだろう熟して腐った梅の実が素敵。
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なぜか中南米原産のジャカランダの樹を発見。ジャカランダの樹を実際見たのは初めてだったので興奮。一瞬、桐の花かと思ったが、近づくと葉がネムノキにそっくりで桐の葉とは全然違う。キリモドキ属らしい。花も桐よりも小さくてたくさんついていて、薄紫色にくすみがない。
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代官山蔦屋書店、派手な建物で、中の喫茶店も高級でびっくり。少しでも本を買う人が増えるのはとてもよいことだけども、面展示が多いぶん、置いてある本は限られるのかな、と思った。

沢渡朔さんの写真展示のコーナーには、Nadiaの直筆の日本語で描かれた手紙がガラスケースの中に展示してあった。

以前にも見たことがあるが、この手紙は本当に胸が痛くなるような作品。自分を捨てた沢渡さんへの恨み言を書いているのだが、なまなましくも美しい詩と絵になっている。

「Nadia」の大きなプリントが一枚売れていた。(60万円だか70万円だかだった。)

自分だったらどれを選ぶだろう、と思いながら見る。「少女アリス」の汽車の窓から曇り空を見上げているアリスか、古い廃屋の棚の中にいるアリスか。

見終わってから駅の裏側の高台をフラフラ散歩。昔、好きだったアンティーク屋はなくなっていた。コンビニでおにぎりを買ってかじりながら歩く。

このガードレールの手前だけぽっかり空間があいている。ちょっと不思議な場所。

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古いアパートの横の坂を下り、渋谷駅に向かって歩く。

坂の脇に紫のブッドレア(フサフジウツギ)が咲いていた。そう言えば5月、6月は薄紫の花が多いみたい。ジャカランダやブッドレアのほかにもアジサイ、リラ、ラベンダー、クレマチス、アイリス、ヤグルマギクなどなど。

線路沿いの道は廃れた感じの古い建物が残っている。坂の上の華やかさとの落差がすごい。

なぜか残ったままのボロボロの看板。

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この豆腐屋の建物も昔からある。
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5時過ぎ、渋谷駅に着く。

渋谷から東雲駅まで大崎経由のりんかい線直通で550円もすることに驚く。

東雲駅に降りて、ほとんどまったく人気のないがらんとした倉庫街だったので、さらに驚く。

目指すギャラリーは巨大倉庫のひとつの中にあった。暗い階段を上る。

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「Rain」の展示会場。入り口に藤城清治さんからのお花があった。
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久しぶりに沢渡朔さんにお会いできて嬉しい。「ここ、すごく遠かったでしょう。」と言ってくださる。
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「ここに来る前に代官山の蔦屋書店の展示を見て来ました。」と言うと「いつも見てくれて申し訳ない。」と困ったように笑う沢渡さん。

「ギャラリー内の撮影はまずいですか?」と聞くと「いいんじゃない。」とおっしゃったので展示会場を歩く沢渡さんを何枚か撮っていたら「相変わらずだね・・・」と笑う。

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雨の写真は10年くらい前から撮り続けていたのだそう。沢渡さんは女性を撮ることが多いが、雨にけぶるものたちや情景にエロティークなものを感じて撮っている感覚が伝わってくる。

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ライトが暗闇に滲んだ絵を描く黒い夜の雨と、ほの暗く青い昼の雨とがある。どれもメランコリックな都会の雨だ。

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鉄塔や、工事中の機材や、街灯や、公園の動物のかたちをした古ぼけた遊具や細い木々たちが、雨にけぶって、記憶をたどる詩的なものに変容していく。

かんかん照りが苦手で、曇りや夕暮れや雨の薄暗く滲んだ空気が好きな私には、たまらなく共感できる世界だった。

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ギャラリーのある倉庫の2階から海が見えるかと窓を開けて覗いていたら、いきなり隣に沢渡さんが。「何が見えるの?」と言われ「もっと海が見えるかと思ったんですけど、あまりいい景色じゃありませんでした。」と。

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沢渡朔さんは初めてお会いした時からまったく変わらない。好奇心旺盛で、ふとさりげなく面白いものを見つけることに興味があって、気取りがなくて、口数が少なくて、好き嫌いがはっきりしていて、正直で、若々しくて、権威的なところがない。

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先日宇野亜喜良さんにお会いしたことなどお話しする。「宇野さんとはよく会うんだよ。あの人は本当に変わらないねえ。」とおっしゃっていた。

7時頃、「それでは失礼します。」と帰る挨拶をすると「福山さん、元気でね。」と心のこもった言葉をいただいた。私が身体が弱くてしょっちゅう体調を崩しているので心配してくださっているみたい。

帰り道に見つけた倉庫。白いペンキがなぜか連続水玉模様に剥げているところ、シャッターも斜め連続模様に錆の絵ができている不思議な造形に惹かれた。

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海を見るために新末広橋を途中まで上ってみる。

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さびしい風景。海風が強いのに堤防の上でひとり釣りをしている人がいた。

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遠くに葛西臨海公園の光る観覧車が見えた。

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2016年5月26日 (木)

阿部弘一先生からの原稿 / 顔の湿疹

5月24日

詩人の阿部弘一先生より荷物が届く。たいへん大切なものだ。

阿部弘一詩集『測量師』、『風景論』などの原稿、それらの詩集の毛利武彦の表紙絵。

私の師である毛利武彦先生からの阿部弘一先生への長年にわたる書簡。

ていねいに分類して年代順にまとめて、それぞれを紙紐で結んであった。

これらは、拝読させていただいてから世田谷文学館に収めたいと思っている。

阿部先生に電話し、大切なお荷物を拝受したことを伝える。奥様の介護がたいへんなご様子だったが、とても久しぶりに阿部先生のお元気な声を聞けてほっとする。

阿部先生のお話によると、1948年に慶應義塾高等学校が発足したときから、毛利武彦先生は美術の教師を勤められ、その2、3年後に阿部先生は事務職として同校に勤められたそうだ。

もともと絵がお好きだった阿部先生は美術科の部屋を訪れ、毛利先生と親しくなられた。そして阿部弘一第一詩集『野火』を出されるときに毛利先生が装丁をしてくれることになったそうだ。

お二人とも学生だった時に戦争を体験され、戦争が終わった20歳代に知り合って、その後、一生親友となる。

阿部弘一の詩がもっと多くの人に読まれるように、願いをこめて書影をのせておきます。装幀、カバー絵はすべて毛利武彦。

阿部弘一第一詩集『野火』(1961年)奥付及び扉は「世代社」となっている。詩集『野火』の中身が刷り上がり、あとはカバーだけという時に、社名が「思潮社」に改称された。

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詩集『測量師』(1987年思潮社)。

この毛利先生の描いたたんぽぽの穂綿は、私の大好きな絵だ。

たんぽぽの穂綿を描いた絵は数多くあるが、さすがに毛利武彦は冠毛の描き方が非凡だと思う。もっとも不思議で、すべてをものがたる冠毛の形状と位置を選んで描かれている。
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詩集『風景論』(1996年思潮社)
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帯があるとわかりにくいが、左向きの馬の絵だ。遠くにも人を乗せて走る馬がいて、手前の馬のたてがみは嵐にたなびく草のようにも見える。

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この『風景論』で阿部弘一先生は第14回現代詩人賞を受賞された。

この授賞式に毛利先生ご夫妻に誘われて伺った私は、その会場で、間近に踊る大野一雄の「天道地道」を見て、魂を奪われた。

毛利やすみ先生から毛利武彦先生の書いた阿部弘一先生の受賞に寄せるお祝いの言葉の原稿を送っていただいているので、ここにのせておく。私は師毛利武彦の文字を見るたび、師の絵と同じ質の知性と美しさと力強さに圧倒されて胸が苦しくなってしまうのです。

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阿部弘一先生が翻訳された本にはフランシス・ポンジュ『物の見方』、『表現の炎』などがある。また思潮社の現代詩文庫『阿部弘一詩集』がある。

阿部先生と電話でお話しさせていただいてとても嬉しかったことは、『風景論』からあとの詩をまとめることについて、本にしたい、と確かにおっしゃったことだ。

「もし、まとめられたら。本にして知り合いに配りたいけど、みんな死んじゃったからなあ。ポンジュも亡くなったしね・・・。」とおっしゃられたが、未知の読者のために本をつくってほしい。「嶋岡晨はいるな。あいつは昔から暴れん坊だった。」とも。

阿部先生は、彫刻家毛利武士郎(私の師毛利武彦の兄弟)の図録や、巨大な椿図鑑も、「自分が持っていてもしかたないから、渡したい」と私におっしゃる。

椿図鑑は宮内庁がまとめたもので、宅急便では送れないほど巨大なのだそうだ。私などがいただいてよいのか自信がない。うちはすごく狭いので、貴重な大きな図鑑をきれいに見る大きな机もないし、大切に保管するスペースがないのだ。

私は椿の花が好きだが、椿図鑑に関しては、私より、その本にふさわしい人がどこかにいそうだ。

大切にしていたものを誰かに託したい、という気持ちを、私は私で、最近切実に感じることが多くなっている。

自分が持っているより、それを使って生き生きする人に、それを託したい、と思う気持ち。

私の持ち物(絵画作品や本)は、いったい誰がもらってくれるのだろう、と考えることがよくある。それを考えるとすごく苦しくなる。

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毎年、春になると苦しめられる顔の皮膚の乾燥と湿疹について。

昨晩、唇にプロペト(白色ワセリン)をべたべたに塗って寝たが、唇が痛いと同時に唇のまわりがかゆくて安眠できなかった。

朝、鏡を見たら口のまわりに真っ赤な痒い湿疹ができていた。

唇は皮が剥けて、縦皺がなくなるくらいパンパンに真っ赤に腫れあがり、唇の中にも爛れたような湿疹ができている。

プロペトとヒルドイドクリームを塗るがおさまらない。どんどんじくじくしてきて、爛れがひどくなってくる。

唇全体が傷のようになってしまい、痛くて口をすぼめたり広げたりすることができない。しゃべるのも食べるのも苦痛。口を動かさなくてもじんじんと痛い状態。

毎年、4月、5月になると皮膚が乾いてチクチク、ピリピリ痛み、特に唇が酷く乾燥して真っ赤に剥けてしまう。常に唇にべったりプロペトを塗っているのだが治らない。

きのうあたりから唇の荒れがますます酷く、歯磨き粉が口のまわりに沁みて涙が出るほど。味噌汁など塩分のあるものも沁みて飲めない。口にする何もかもが刺激物となり、皮膚が炎症を起こして爛れてしまったみたい。

紫外線にかぶれる体質なので5時30分頃を待ち、マスクをして皮膚科に行く。

タリオン(抗ヒスタミンH1拮抗薬)10mg朝夕

ビブラマイシン(抗生物質)100mg夕

ロコイド軟膏0.1パーセント

夕食はハンペンとパンケーキ、豆乳、ヨーグルトですませ、夜9時にタリオンとビブラマイシンを飲んだら、10時半には痛みと痒みが少しおさまってきた。

5月23日

31度。真夏のように暑い日。

このところ、ずっと顔が乾いて、特に唇が痛くてたまらない。

とにかく洗顔で顔をこするのをやめようと思い、2週間くらい日焼け止めも塗らないで夕方5時以降しか外に出ないようにしようと決めていた。

しかし今日は2時から書道の日だったので、紫外線吸収剤フリーの日焼け止めを塗って日傘を差して、1時半頃に出かけた。

その後、唇の痛みが酷くなり、まともに食事ができない。

夜中、寝ているあいだ、やたらに口のまわりがざらざらして痒い。寝ているあいだに顔を掻いてしまう。

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