2018年4月 9日 (月)

パラボリカ 森島章人トリビュート展 第2期のレセプション

4月7日

パラボリカ・ビスで開催中の森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念トリビュート展、第2期(部屋が変わり、展示も少し変更)のオープニングレセプション。

今回はけっこう文学関係のかたたちが来られていた。

乾杯の音頭を森島さんがとり、その時に集まった人たちの紹介と、ひとことずつの言葉があった。

私は『アネモネ・雨滴』の口絵を描いた画家として最初に紹介いただいたが、特に言葉は出て来ず(人前で急に言葉を求められると一切話せない)、「使っていただいて恐縮です」とだけ述べた。

クロソウスキーなどの訳で知られる小島俊明さんが「森島さんから歌集を送っていただいて初めて森島さんを知った。「抽斗(ひきだし)に海をしまへば生きやすき少年といふもろき巻貝」という歌が素晴らしかった。詩、ポエジーとは言葉だと思っていたが、ここに集まっている作品を作った人は言葉ではないポエジーを持っている。」とお話しされていたのが印象に残っている。

私の口絵について「アネモネの絵にはとても驚きました。暗い情熱に狂い咲く寸前の、凄絶な精神の美を感じます。歌と拮抗した緊張感に痺れました。」という手紙を森島さんにくださったという藤本真理子さんが滋賀からみえていた。

藤本さんは紬のお着物を素晴らしく着こなしていらっしゃったのだが、うっかり撮影させていただくのを忘れて残念。

今回、森島さん所蔵の絵を展示されていた画家の田谷京子さん(左)と田之上尚子さん(右)。お二人とも正直で柔和なお人柄で、すぐに打ち解け、話が盛り上がった。

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9時過ぎに詩人の林浩平さんがかけつけ、写真を撮ってくださった。真ん中が森島章人さん。森島さんの右は歌人の天草季紅さん。
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林浩平さん撮影の私。林さんは、今日はこの前に4つものイベントに出席されたという。
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2018年3月12日 (月)

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念 トリビュート展初日

3月11日

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念 トリビュート展初日。

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3面の壁をもらったので、ここに森島章人のために「アネモネ領」をつくった。

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短歌研究社の堀山和子さんが持っていらした暗い赤紫の珍しい色のアネモネ。とても神秘的。

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私がつくったアネモネのコサージュ。

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私が今までどうしても描けなかった、3月になってやっと描いたちゃびの絵(鉛筆)のコーナー。

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私は17時過ぎに行った。森島章人さんはもういらしていた。

12年ぶりくらいにお会いできて感激。前に私の四谷3丁目の展示に白と緑の野の花のような花束を抱えて来てくださって以来だ。

18:30からカフェでレセプション。

今野裕一さんお手製のカナッペ。トマト、モッツアレラチーズ、バジル、オリーブオイル。これはすごくおいしかった。

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森島章人さん。

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今野裕一さんがウンカに食われた茶葉などを自ら摘んでつくったお茶。たいへんおいしゅうございました。
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手作りのお茶について熱弁をふるう今野裕一さん。左は堀山和子さん。
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ミルキィ・イソベさんがモンドールのチーズを焼いた料理をふるまってくださった。
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3月12日

森島さんが長野に帰宅された後、夜、電話でお話しした。

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2018年3月10日 (土)

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念 トリビュート展

3月10日

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念 トリビュート展に参加しています。

私はレセプションの時にはギャラリーにおります。そのほかの在廊日はまだ未定です。

第Ⅱ期は第Ⅰ期よりも展示作品の数が少なくなります。

なるべく第Ⅰ期にお越しいただけたらと存じます。

私は小品もたくさん出しております。どうぞよろしくお願いいたします。

★レセプション 3/11、4/7 18:30~

2018年3月11日[日]〜4月2日[月]mattina 第Ⅰ期 
    4月6日[金]〜4月30日[祝]Costad'Eva 第Ⅱ期
★レセプション 3/11、4/7 18:30~

月、木、金/13:00~20:00 土日祝/12:00~19:00

火・水曜休館 (21日の春分の日も休館となります)


■入場料:500円(開催中の展覧会共通)
■会場:parabolica-bis(パラボリカ・ビス)
住所:東京都台東区柳橋2-18-1

電話:03-5835-1180

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歌が到来する一瞬がある。遠くて近い、そして近くて遠い場所から。
その一首のために刻まれた時間を消し去って、少年のように。(森島章人 跋より)

いろいろにあって、そして最後にあるのは少年。少年の物性。
覗きこめば少年の坂下腹部へ百の銀杏ころがり落ちる。(今野裕一 跋より)

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アクセス:
「浅草橋」駅JR東口・徒歩6分/都営浅草線A6出口・徒歩4分
駅から:江戸通りを浅草方面に進み中華屋「川湘府」の角を右折。2本目の道を左、1本目の道を右に入る。tp://www.yaso-peyotl.com/archives/2018/03/morishima.html

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2018年3月 4日 (日)

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念トリビュート展の作品制作 / 次の本の打ち合わせ / 体調不良

3月3日(土)16℃

フジヤカメラに中古のミラーレス一眼レフを買いに行く。

若い女性店員のM尾さん、とても親切。

ずっと使っていたsonyαNEX-5NからファインダつきのαNEX-6に買い替える。

ステュディオ・パラボリカから森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念トリビュート展のフライヤーのデザインが届く。

新作は、絵じゃないほう(アネモネの布花)はほぼ完成。これとデッサンの新作を数点出すつもり。

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あいかわらず胃が痛くて食欲不振に悩まされているが、里芋やじゃがいもをチンしたものの上に、ほうれん草のゆでてあく抜きしたもの、パプリカのスライスなどをのせ、上にたっぷりナチュラルチーズをのせてもう一度チン。

これをくり返し食べていたら体重が1kg増えた。

飲み物は熱いミントティーに牛乳と蜂蜜を入れたものばかり飲んでいる。

2月28日(水)15℃

中野に展示のための材料を買いに行く。

まだ胃腸は本調子ではないが、やっと暖かくなったのでほっとする。

近所の梅が盛かりを過ぎて、枝垂れ梅の花が枝の先端から咲き始めている。

2月26日(月)10℃

月一回の書道の日。

気温は10℃くらいだが北風にあたった手がかじかんで痛くて、筆がうまく扱えない。すごくもどかしい。

おなかと腰に貼った使い捨てカイロに右手をこすりつけるが、指がなかなかか温まらない。

メンバーは全員女性で、70歳代以上のかたが多い。毎朝のゲートボールの話で盛り上がっていて、真夏も真冬も元気はつらつだ。

わたしだけがすごく寒がっている。末梢血行不良。

下が本部から来ているお手本。「人生清福」。

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下が私の先生のお手本。

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下が今日書いた私の字。どこを直されているのか明確に意識するために、赤の入ったものを載せておく。

「波法」(はらい)は、穂先を右上に向けて通して、(私は適切な用語を知らないのでうまく説明できないが)最後の筆の腹をつけている下の部分は真横に、穂先はかすかに上向きにカーブして(波を描くように)終わること。これはとても面白くてやる気が出る。

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「人」の一角めは上にしゃくりあげないでほぼ真っ直ぐに。「しめすへん」の点は斜めより気持ち下向きに。「福」は長年書いている字だが難しい。
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2月24日(土)~25日(日)

材料を使い果たしたのでとにかく休養。眼と胃腸が痛いので寝ている。1日に3回、お風呂にはいる。

2月23日(金)8℃

次に出す本について水声社のTさんと打ち合わせ。

新宿京王百貨店のアフタヌーンティーで2時に待ち合わせ。すごく混んでいて店舗前にけっこうな行列。私は甘いものに興味がないが、優雅にアフタヌーンティーを楽しみたい人がこんなにいるとはびっくりだ。

お店の人に名前を言って尋ねたが、Tさんは店内にいないようで焦る。

Tさんは遅れて来(私がケイタイを持っていないせいで連絡不能)、二人で9階のお好み食堂のようなところに移動した。懐かしい感じで、こっちのほうがずっと落ち着く。

Tさんに聞かれたので、母とちゃびが亡くなった話をざっくりした。私にとって最大、最悪の緊張が続き、そのあとの喪失感、空虚感で次の本のことを詰めるエネルギーが出てこなかったこと。

「もう一度、ちゃびのような猫と暮らさない人生なんて考えらえない。」と言ったら、

「先生は守られるよりも守るほうが好きですか?」と聞かれて一瞬、答えにつまった。

私はずっとちゃびに守られていたのだと思う。

また、母と会話できなくても、生きていてくれることで母にも最期まで守ってもらっていた。

2月22日(木)2℃。

朝、雪がちらつく。

ここのところ、寒さで身体がしんどく、胃腸の調子を崩してしまった。なにを食べても胃が痛くて気持ち悪くなる。しばらく断酒。

寒い冬にも、いつも私にくっついていてくれた温かいちゃびが今年はいないことで、私の身体がおかしくなってしまったのだろう。

私は自堕落になりたくないし、苦しみすぎたくもないし、やつれたくもないのだが。

体重を久しぶりに測ったら42kgになっていた。ちょっとこれはまずいな、と思う。

細かい作業を何時間も続けたせいか眼の奥が痛くてたまらない。眼と肩の凝りと連動して吐き気が続く。どんなにしても身体が温まらない。

私の性格として、制作の時に必要以上に根をつめてエネルギーを使い果たしてしまうのがある。

一度のめりこむと、次々に新しいアイディアが浮かんできて、それを試さずにはいられなくなり、休めなくなる。

500パーセントくらい作業して、いろいろ試行錯誤して、そのうちのほんの一部を選んで発表する、というやりかたになっている。

いろいろ試してやはり最初につくったものがいい、と思える時もあるし、逆に最初とは比べ物にならないくらい、あとからのがよくなることもある。

しかし徒労が多い。

試行錯誤そのものは徒労でなくても、精一杯努力してなしえたことと、他人に伝わる可能性の落差に疲れ果ててしまうのだ。

ちょうど材料の布を使い果たした時点で、とりあえず制作作業を休んで、お風呂と睡眠をたっぷりとることにした。

今はとにかく身体の健康を優先したい。

2月20日

9月にイタリアのChinamiさんにお会いしに行く日程を決めて、航空券を予約するのに、ここ数週間、いろいろ悩んでいたが、ついに決行。

ネットで、あれこれ調べて迷いに迷い、刻々と値段が変動して上がっていくのに緊張してものすごく頭が疲労した。

当然、アリタリア・イタリア航空が直通で便利なのだが、倒産危機について旅行会社に電話で聞いたら、「前例がないのでわからない」との答え。

エールフランスは、乗り継ぎの時にシャルルドゴール空港で1時間20分は旅慣れない人には余裕がなくてきついとのこと。

乗り継ぎをアムステルダム・スキポールか、スイスのチューリッヒにするかと迷ったが、結局フランクフルトを選んだ。

航空券を購入したら、旅程も今から決めてしまってミラノ、ヴェローナ、ヴェネツィアの宿まで予約してしまった。

とりあえず決めたらすごくほっとした。

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2018年2月12日 (月)

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念展  / 宇野昌磨  団体戦 / 誕生日 ChinamiさんとSkype

2月7日

『夜想』(ペヨトル工房) の今野裕一さんからメールをいただいた。

森島章人さんの『アネモネ、雨滴』展について、出品のお誘い。

今野さんは森島章人さんの歌がとても好きで、ずいぶん前から歌で展覧会をやりたいと思っていたと言う。私も森島さんの歌を讃える展示に参加できて幸せです。

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念展

311日~42日 Ⅰ期 バラボリカビス・マッティナ

46日~430日 Ⅱ期 パラボリカビス・コスタディーバ

参加作家

相場るい児

麻生志保

亀田尚子

建石修志

田村京子

日野まき

福山知佐子

槙宮サイ

間村俊一

渡邊加奈子

素敵な展覧会になりますように。

2月9日

あっというまにオリンピック開幕。フィギュア団体戦。

宇野昌磨のSP(ビバルディの『四季』から『冬』)の生命感溢れる演技。

足替えのシットスピンからコンビネーションスピンにむかう時の燃え上がるような表情に胸が熱くなった。

2月10日

2月は私の誕生月なので友人Gがお祝いをしてくれた。

私の好きな完全禁煙のおさかなのお店で、1000円のお刺身定食のランチ。

そして昼間から鳳凰美田純米吟醸酒(華麗な名前のままにおいしかったです)と流輝(るか)純米吟醸無濾過生酒(こちらも果物のように華やかでおいしかったです)を飲んだ。

誕生祝に、とっくの昔に廃番になっているヴィンテージのスイカズラの香水と、昔の絵本をいただいた。超レアなものばかり。

ヴィンテージのAVONのハニーサクル。すごい郷愁の香り。

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『ネコジャラ市の11人』(原作:井上ひさし・山崎忠明・山本譲久/ 音楽:宇野誠一郎/ 人形:片山昌(ひとみ座))の絵本。ガンバルニャンがものすごくかわいい。

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私の好きな植物いっぱいの狭い路地にて。

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まだ足元に雪が残っている。私の好きなヒメムカシヨモギの立ち枯れと。
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偶然迷い込んだ狭い路地裏で、錆びた窓ガラスを発見。
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近所のたくさんの植木鉢と。
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・・・

夜10時。イタリア在住のChinamiさんと初めてskype ビデオ通話。

とても感激。

Chinamiさんは、昨年6月、私の母が経口摂取できなくなって、もう最期だと私が追い詰められた頃に、はるかイタリアから連絡をくださったかただ。

それからずっと、母が亡くなり、ちゃびも亡くなり、私がどん底の時に、毎日のようにメールのやりとりをして遠くから支えてくださった人。

Chinamiさんには感謝の言葉がとても追いつかない。正直、私にそんなにしてくださるかたがいることが信じられないというか、実感が足りない。

今年は秋にChinamiさんに会いにイタリアに行く予定。緊張症でだらしなくてうっかり者の私がすごくご迷惑をおかけしてしまうのが怖いけれど。

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2018年1月28日 (日)

次の本のための絵の画像調整 / 大雪とちゃび / 書道

1月27日

カメラマンさん宅にて、撮影していただいた絵の画像をチェックし、鉛筆の線の強さ、水彩の色味、紙のグレーの濃度などの調整。前のカメラマンさんの撮影した画像とのすり合わせ。

今度のカメラマンさんの機材はキャノン・イオス。画質調整用のソフトで見ると、印刷に適した自然に近い色に見える。特に朱色が、うちのウィンドウズの画面で見た時のぎらぎらして蛍光色っぽく見える朱色とは全く違う。

前のカメラマンさんの機材はフジフィルムのカメラだったらしい。

鉛筆の線のかすれを、キャノンは点でとらえ、フジは面でとらえる感じ。フジのカメラのほうが鉛筆の色がグレーっぽく写っている。

雪が解けずに残っていて、風もあり、とても寒い。都心は53年ぶりに2日連続でマイナス3℃を下回ったとか、48年ぶりにマイナス4℃を記録したとか・・・電車の中でも皆が寒波の話で持ち切り。

帰りにまた日本酒を飲んだ。「こなき純米」と「酔鯨純米吟醸」。禁酒したいが、寒いのでつい飲んでしまう。

なぜか店員さんは「こなき純米」ではなく「こなきじじい」と呼んで注文をとっている。飾ってあった一升瓶に「お化けもびっくりの辛口!」と書いてあった。

1月22日

東京は4年ぶりの大雪。

ボアネックロールで耳が冷えないようにし、洗える布製マスクをし、アンダーシャツの上に3か所使い捨てカイロを貼り、フリース、コート、エアテックパンツの下にスパッツをはいて書道に出かけた。

私の場合、耳がもっとも冷えやすく、耳が冷たく痛くなると同時に激しい頭痛と吐き気に苦しむので、ボアネックロールが非常に役に立った。

書道の記録。

壽似春山(壽の字のかたちが違うけれど)。先生のお手本。

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下が私の書いた字。
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「壽」の字は何度書いてもうまく書けず、ボロクソ。美しい「壽」のかたちを自分でうまくイメージできないので、上手に修正することができない。

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「はね」の部分は、最終的に提出した字では修正することができた。

先生からお年賀をいただいた。とってもかわいいわんちゃんの墨。こういうのはかわいそうで使う気になれないので飾っておくしかない。

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横殴りの雪の中をスニーカーでよたよた歩き、滑って転倒しそうになって脚の筋肉を傷めた。

帰宅してから、ちゃびがいた時のことを激しく思い起こして、涙が止まらなかった。

外がどんなに寒くて雪が降っていても、部屋の中にちゃびがいてくれて、オイルヒーターのところにまあるくなって寝ていてくれたから、冷たい外気も、ことさらに嬉しく感じられた。

4年前の雪の日、私はカメラを持って雪の中に繰り出して、写真を撮ることが楽しかった。

今は雪の写真を撮る気にもなれない。

ちゃびの存在はあまりにも大きすぎて、あの愛おしさ、あの愛情関係の充足感を知っている今は、なにもかもが、それより劣って虚しく感じる。

寒い日は特にちゃびが愛おしくて、苦しくてたまらない。

どうしても「今、どこにいるの?」とさがしてしまう。

宮西計三の「月の園」(けいせい出版『金色の花嫁』)のなかの、「あなたが死んだ私 すべてが恐いの!」というセリフが頭の中をめぐっている。

2015年、私の膝の上のちゃび。

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2014年のちゃび。

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2011年のちゃび。

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生まれて2か月目くらいのちゃびとコナ。

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2018年1月13日 (土)

年末から新年

1月13日

昨年暮れから今までのこと。

次に出す本の作品撮影のため、12月28日に、カメラマンの糸井さんがスケッチブックをうちに取りに来てくれた。

近くのファミレスで本の概要や撮影についての希望を説明。

前のカメラマンさんの撮影データと合わせるための試作データが30日には送られて来、それから第2回補正、第3回補正と、色味や鉛筆の線の濃さの調整などのやりとりを正月中に、ずっとできていたのは、とてもありがたかった。

この仕事がなければ、なにひとつ充実しない淋しいお正月だった。

色味のニュアンスなど、感覚的なことを言葉で伝えるのはとても難しいのだが、糸井さんは軽妙で勉強熱心でコミュニケーションしやすいか人なので、彼のお人柄に感謝。

1月1日

福山家の菩提寺から年賀状が届いた!「謹んで新春のお慶びを申し上げます」に呆れて笑ってしまった。

昨年10月、母の火葬場まで若いお坊さんがお経を読みにいらしてくださったのに、そういう事実をちゃんと記録していないらしい。

(私が精神的に参っていたために)母の納骨を春頃まで待っていただきたいという電話をこちらからしないで、ずるずると年を越してしまった非礼を申し訳なく思っていたのだが、そんな気持ちも吹っ飛んでしまい、たいへん気が楽になった。

原宿で見たヤマガラ。

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素敵な枝ぶりの冬の樹。
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12月30日

話し合いのため、Y子のアパートへ。

2017年の年末も差し迫ってから、私にとって人生最大のストレスと言ってもいいほどの他人からの迷惑に対して闘わなければならない事件があった。

以前書いた、母の火葬の日に私の怒りが爆発してしまった件・・・知人H子が何十年も昔に私の父に保証人のハンコを押させていたH子の娘Y子の借金の件で、ついにY子に債権者側から裁判の準備段階として召喚される書類が届いたのだ。

(この顛末については詳細を後述する予定。)

世間一般のように仕事納めで解放される年末どころか、心身ともに酷使せずにはいられない年末となった。

疲労しすぎて帰宅前に駅前の居酒屋で休んだら、薬などのはいったポーチを席に忘れて来てしまった。翌日、店に電話したら感じよく対応してくれた。魚民さん、ありがとう。

・・。

2017年の年末は、大掃除も気力と体力の不充分によりできず、正月の準備、花飾りやおせちなどはなにひとつやらず。

マッサージと整骨にだけは通っていた。

新しい年の新鮮なまっさらになった喜びや、心身ともにひきしまる感じはなく・・・。

思えば母がパーキンソンの認知症になってから、おせちや雑煮など、もう10年以上食べたことがない。

私自身はおせちや雑煮に興味はないが、昔、毎年暮れに祖母が大釜で炊いていた煮物や、母の手作りのニシンの昆布巻きがたいそう嬉しかったことを思い出してしんみりした。

「一夜飾りはいけないのよ」と言って、28日までに千両や万両の赤い実に花を組み合わせた正月の生花を買っていた母。かいがいしく働きまわっていた母の姿を思い出す。

母がいなくなってから、私は正月のために花は買わない。

儀式などは関係なく、ただ、純粋に自分が描きたいという衝動が起きる花を見つけた時に買うだけ。

元日の朝、母のタンタンタン!と勢いよく階段を駆け上がって来る音を聞いた。ねぼけまなこの私を「知佐子!早く起きなさい!年賀状が来てるよ!」と起こしに来た母。

母が亡くなり、最愛のちゃびもいなくなった今、気ぜわしい色とりどりの年末や、真っ白に光り輝いて見えた元日の朝の光が、遠く鮮明な記憶の中だけのものになってしまった。

私にかつてそういうことがあったことが信じられないようにも、また同時に、失われてしまったことが信じられないようにも感じる。

まだどこかに強烈にあるのに、それをつかめない、全身で触れられない淋しさ、苦しさ。

初詣の時に、母とちゃびの健康と幸せを一心に願えないことが、どうしようもなく辛かった。

昨年、ちゃびが亡くなった11月の初めから、12月、私は人生で一番の危機に耐えた。動悸と悪夢、不眠が苦しかった。

眼の前は真っ暗、なにも楽しくなかったし、なにもやる気が起きなかった。

でも大切な相手を亡くした人は私だけではないはずだし、淋しい年末年始を過ごしている人も、この世にはたくさんいるだろう。

12月24日

図書館に行く細い道の途中にある寸断された樹。

頭にトタンのようなものがかぶせてあるのが気になる。

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曹洞宗鳳林寺にて。

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江戸時代からここにあるこれらの石仏にこめられた過去の出来事を思う。
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曹洞宗宿鳳山高円寺の白椿とメジロ。
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花の蜜を食べ、鴬色(渋い黄緑色)なのはメジロで、ウグイスではない。ウグイスは虫を食べ、地味な茶色で、花には来ない。
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2017年12月28日 (木)

次の本の制作 カメラマンと打ち合わせ

12月28日

次に出す本に新たに加える絵画撮影のため、カメラマンさんにうちに絵を取りに来ていただいた。

既に以前、ほかのカメラマンに撮影してもらっている画像データが10年以上前の出版にしか対応できていないやりかた(保存形式など)であるということがわかった。

撮影済みデータと、今回新たに撮影してもらうデータを調整してもらうお願いをした。

出版、印刷のやりかた、それに対応するカメラマンのやりかたも、どんどん新しく変化しているらしい。

I井さんを信頼しておまかせする。

12月20日

昼から中野に出て造形材料と古本を買い、3時に阿佐ヶ谷でFと会う。

寒かったが、川北病院の裏の巨大な欅の古木を見、神明宮のあたりを少し歩いた。

小学校の金網のすぐ向こうに、丸い実が金色に光り、そこに薄茶色の枯れ蔓が絡みついていた。キカラスウリかと思ったら薔薇の実だった。その向こうにボール遊びをする子供が快活に踊っていた。

Fは、彼の母親と18歳で上京する時に別れ、それ以来、頻繁に交流することはなかった。亡くなってからは、自分が子どもだった頃の母親のことを鮮烈に思い出す、と言った。

私のように成人してからもずっと近くに母親がいたほうが稀なのかもしれない。ずっと近い関係であったほうが、亡くなった時に母親の記憶を思い出しにくい、と言われた。

そうかもしれない。

父が異常で、母や私に過度な負担を強いたせいで、私は少しでも母の苦しさを軽減したい、母を幸せにしたい、という思いに駆られて、必死になってきた。

必死になっていたことは覚えているのだが、その時々の具体的な母の様子が細かく思い出せない。

介護をずっとしてきたにも関わらず、母が危険な状態になった時から、私はなにか大切な母の記憶がどうしても思い出せないようなもどかしさに駆られ、苦しんでいる。

私は母が亡くなってから心身がおかしい。ちゃびが亡くなってから、さらに心身がおかしい。

母とちゃびが生きていた時には楽しく思えたことが楽しく思えない。今は、自分のために意欲を持つことが不可能に思える。

ただ生存のためにどうしたらいいのか、どうしたら生きていけるのか、それだけを真剣に考えている。

Fと知り合って、来年で20年になる。

歌人の森島章人さんからパラボリカ・ビスでの展示のお誘いがあったことを話した。

そしてステュディオ・パラボリカから復刊された雑誌『夜想』と、パラボリカ・ビスというギャラリーがどういう傾向で、どういう人たちをターゲットにしているのかを、それほど多くを知っているわけではないが、私が知っている範囲で、私なりに、Fに説明した。

FはPCもメールもやったことがない。インターネットで情報を知ることが一切ない人だ。現在の若い人たちの流行も、「アート」をめぐる現況も、ほとんどなにも知らない。

Fに対して、「ゴスロリ」の意味や、日本における「球体関節人形」の流行りなどのざっくりとした説明をした。

「それで、その展示、どうするの?やるの?」と聞かれたので、「だから、材料買って来たんでしょ。」と、あまり説明はせず、きょう買ってきた袋を見せた。なにをやるのかは、まだはっきり決めていない。

3時半、ひとまずカフェに入る。

まずFのために買っておいたメラトニンのサプリを渡した。眠剤がどんどん効かなくなってきて、かなり苦しんでいるそうだ。

私はちゃびがいなくなってから動悸や過緊張の肩凝りや頭痛にひどく苦しめられ、毎晩辛い記憶にうなされて安眠できないが、眠剤は飲んでいない。精神安定剤を飲むようになることが怖いので避けたい。

かつて私が、その並外れた芸術的才能ゆえに好きだった人が、「お金を貸して。」と言っては(返すはずもなく)、薬やたばこを買っていた。そのことが私の中で許せず、澱のように固まっているからだ。

Fは「バイラルメディア」や「Change.Org」、「Me Too」など、私がしゃべった単語をメモしていた。

今日の一番の目的、私が今作っている、次の本のカンプのようなもの(掲載順に絵を仮にならべたプリントの束)を見てもらった。

Fに最初に見てもらったおよそ3年前から、熟考の末、絵の量がはるかに増えている。それを見てどう感じるか、Fの感想を聞きたかった。

本に載せるための絵の撮影をいったんしてから、やはり自分の外に在るものに寄り添って描いた時間を取りこぼしては本をつくる意味がないと思い直し、これから新たに違うカメラマンに撮影を頼むことにした。

「すごくいいね。あなたにしか見えないもの、あなたにしかできないことだ。」とFは言った。

私は「そう言ってくれるのはFさんと、この世であと2人くらいだけどね。」と真面目に応えた。

Fは、私のことを「生涯でもっとも影響を受けた人だ」と言った。目のつけどころ、ものの見方、どれもが驚異で、私と散歩しているだけで、ほかの誰と歩くのともまったく違う世界が見える、と。

とりわけFがいる、「高踏的」とも形容してかまわないだろう文学の世界は、言葉を言葉で批評することだけですべてが回っているからだと思う。

彼らが思う「見る」ということと、私がものを見ることとは、言葉の意味などでなく、おそらく体験の内実が違う。

「アート」の世界はさらに絶望的なまでに自分の殻に閉じこもった病んだ精神が、自明なまでにそこでは主流になっているからだと思う。

私と関わり、影響を受けてから出した本のほとんどすべてで賞をとった、とFは言う。

私はおよそ賞といったものに縁がないが、Fがもらった最初の賞金で、カニを食べに行ったことを忘れていた。5万円くらいかかったという、私にとって人生で最も贅沢な会食だったのに、そういう楽しい記憶を私は忘れていることがすごくもったいない。

5時半に食事ができる場所に移り、私は「七田」を飲んだ。

そこで初めてFに、なかなか口に出せなかったこと、ちゃびが11月に亡くなったことを告げた。話しているうちに、涙がまた溢れてきた。

Fは「そのことが気になっていたけど、なかなか聞けなかった。」と言った。

私はちゃびのいない世界で、なにひとつ自分の魂が高揚することがない。

そのことは、この世の誰にも信憑できることではないと思っている。

「愛情に際限がない」という言い方がもっとも私にあっている、とFは言った。性格がお母さんとすごく似てるんでしょ、と。

「精神疲労で頭が朦朧として回転が悪くなっている」と言ったら、「そんなことはない、昔から少しも変っていない」と言ってくれた。

それから最近興味深かった映画や漫画の話をした。Fは今日私が買ってきた漫画を借りたいと言った。まだその漫画を味わい尽くしていなかったので、私は貸すのを断わった。

12月11日

今年最後の書道。

「高談娯心」(楽廣)。「高尚なる談論をして心をたのしませる事」と本部からのお手本にある。

先生のお手本。

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私の書いた字。こうして写真に撮ってみると起筆の角度がおかしい(少し寝すぎている)。次から気をつけようと思います。

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今まで半年くらい、ふたつに割れてどうしようもない筆を使って書いていたので、そうとうな徒労があった。先日、安い(1600円くらいの)筆を新調したら、今までの苦労は何だったのかと思うほど楽に書けるようになった。

一度割れてしまった筆は、先生に筆の洗い方が不十分と言われ、どんなに洗っても元には戻らず、むしろぱさぱさになって余計割れるようになった。

昔、小学生の時、そんなに必死に筆を洗った覚えがなく、それでも数年同じ筆を使っていたような気がするので、もしかしたらむしろ洗いすぎだったのか?

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2017年12月19日 (火)

森島章人さんから歌集刊行記念展へのお誘い  /  東中野、中野

12月16日

森島章人さんから丁寧に封書でお手紙が来ていた。

来年の2月から3月のいつかに、森島さんの歌集『あねもね・雨滴』刊行記念の展覧会をパラボリカでやるということ。そこに作品を出してくれないかとのこと。

私以外では、雑誌『夜想』の今野裕一さんが声をかけて作家さんたちを集めるそうだ。

森島さんの歌に喚起されるイメージでなにかできたらいいけれど・・・。

やる場所がパラボリカだということをふまえて、いつもの私とは違うやりかたでなにかやれたらいいのかもしれない、とも思う。

12月15日

遠くに住むデザイナーの友人、和美さんに、ちゃびが亡くなったことをなかなかメールで伝えられないでいた。

和美さんとは、何年もずっと、お互いの母親の介護のこと、猫の介護のこと、それらにまつわる悲喜こもごもをメールで会話していた。今までなんとかぎりぎりでがんばっていることを伝えてきたので、母が亡くなったことに続けて、ちゃびが亡くなったことを伝えることが辛かったのだ。

ひと月以上すぎて、メールで伝えると、

「たいへんなメールをいただきました。このメールが来るのをおそれていました。どんな慰めの言葉を書いていいのかわかりません。」という返事が来た。

和美さんも9年間で4匹の猫をみおくったが、「どの子たちもそれぞれが唯一の存在とはいえ、私の場合は他の猫たちがいることで救われているので、福山さんの心境はもっと深刻なものだろうと思います。」と。

美大時代の友人愛子ちゃんからも、「ちゃびさんは子供以上の存在なんだろうね。私は、飼ったことがなくてわからないんだけど、自分以上に愛おしい存在なんだろうなって。生きているからにはいつかはって思うと、ふっこがどうなるか凄く怖かった。」というメールが来た。

私がどれほどのダメージを受けるか、どれくらいおかしくなるかわかってくれていた友人がありがたかった。

12月12日

母のお世話になった施設へ最後の精算に行く。

駅からの階段を降りて道を渡ったところ、染物屋さんの工場の前にいつも寝ていた猫が亡くなったという貼り紙があり、花と食べ物が供えられていた。

14歳だったという。外猫にしてはすごく長生きだが、最期は交通事故だそうで、とても残念だ。

私が母の施設へ向かうこの横断歩道で、たまたま車道のほうへ出てきているこの子を、よいしょっと抱き上げて染物屋さんの前に運んでいる人を見かけていた。

地域の人に愛されていろんな名前で呼ばれていたらしい。

施設に着き、受付に行って、ケアマネのK島さんを待つ間に、母との思い出が溢れてきて、もう涙が出てきてしまった。

母が施設から病院に移る直前に買った介護用の室内履きや未使用の紙おむつなど、まだ新しくて使えるものをもらっていただいた。

最後の精算の書類に記入してからも涙。涙。

母とちゃびが死んでしまうことが怖くて、あまりに張りつめていた時が終わったが、少しも解放された感覚がなく、ただ悲しい。

そのあと友人と中野の裏道を歩く。

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駅前に2匹でつながれていた犬。とても人懐っこくて、しゃがんだら飛びついてきて、口をなめられた。けだもののぬくもりと匂い、息づかいが身体いっぱいになだれ込んで、たまらなくなる。

たまにこんなふうに往来につながれている犬に出会うが、「飼い主」は人目につくところにほっておいて心配じゃないのかと不思議だ。私なら、不安で、怖くて、とてもできない。しっぽや手足をカラーリングされているのも身体に悪いのじゃないかと心配。

少なくとも、カラーリングが、犬自身のためになること、犬の身体によいこと、犬にとって心地よいことにはなっていないのは確かだ。

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私は動物に対して「癒される」という言葉を使うことができない。相手に対して愛おしさと心配が激しすぎるからだ。「癒される」というのは、生きている存在に対して使う時、非常に手前勝手な収奪の言葉だと思う。そういう人間中心的な言葉遣いが嫌いだ。

鎧神社。オオミズアオの色の錆びた鉄の扉。薄青とチャコールグレーの混じった風景に酵公孫樹の山吹色が映えていた。

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昔の西新宿にあったような古いアパートと敷石。家の玄関までをコンクリートで固めないで、雑草が息をする土の上にこの石を置いただけの細い道が好きだ。

(この画像、何度やり直しても画像が勝手に横に倒れてしまうのでそのままにしてあります。)

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東中野のムーンロード。大きな塊のアーチになった羽衣ジャスミン。冬でも緑の葉が茂っている。4月にはここは白い花の香りでむせかえるだろう。

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懐かしい雰囲気の中野の仲道通り。「文化堂」というレコード屋も健在。20年くらい前に、この入り口にあった「めりけん吉田」というとても面白い看板の古道具屋でブリヂストンの中古自転車を買った。

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「新鮮 蔬菜」と書いてある八百政の看板。「蔬」というのはキノコという意味らしい。ここでも季節外れの丸葉朝顔の葉が青々と生い茂っている。東京では冬も完全な立ち枯れにはならない。

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2017年10月29日 (日)

『アネモネ・雨滴』 森島章人歌集

10月29日

10月19日に森島章人さんから、歌集『アネモネ・雨滴』が届く。

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一本のアネモネあらば希望なる言葉かすかに雨滴のごとし

第一歌集『月光の揚力』から18年、待望の第二歌集です。

跋に、「砕かれる寸前の形、火を上げながらなお立っている形が歌であればよいと願う。」とある。

雛罌粟(ひなげし)の揺るる向かうをしめらせて今宵阿修羅が足洗う音

きみの掌(て)になぜに集まるふはふはと舞ひそびれたる花粉、雪など

一色に胸塗りつぶしわが行くにサルビア園、傘乱立の夏

赦(ゆる)されて生を享(う)けたるけだものよ赦(ゆる)しえぬ世に金の尾立てよ

ひそかなる空の耳あり成し遂げしものなきなげき抱きとむるごと

にごりゆく記憶の底にくもりなき夏誰(た)がかざすをりをりは匕首

きちきちと空気の中を鳴るものよそこに骨などないはずなれど

氷菓溶けだす前に言はむ 炎天を裂けばすがしき半裸の言葉

森島さんの歌は透明な光と微かに囁く声、静かな追憶の世界。死の歌が多いが、声高に叫んだりはせず、どろどろした情念がたぎるような歌にはならない。

この本の中には私の画「風の薔薇・あねもね」を口絵として使ってくださっている。

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この歌集の世界に入りこみ、遠くて哀しいところを彷徨えば、いたるところに「アネモネ通り」や「アネモネ領」への入り口が隠されている。

暗きところをかすかに上(のぼ)りやがて咲くあなたの息がアネモネと言ふ

なだるるは歌のみならず昨夜(きぞ)こころなだるるなかにひらくアネモネ

もとより庭などありませんが天心のアネモネを少しだけなら

おさがしの玩具さびしきドラムならアネモネ通りにたしかあるはず

アネモネ通りつきあたり 猫町の噴水春を濡らして帰せ

きみ照らすアネモネ通り西はづれ火を売る店を捜しにゆかむ

アネモネ領 きみの瞳の奥にあり門ひとつなし北へと続く

私は母を失って、強烈に蘇るまだ元気な母と一緒にいた頃の身体感覚とともに、この歌たちを読んでいる。

そしてやはりあまりに近くにいすぎて、失われることなどどうしても考えられなかった愛猫の介護に切羽詰まりながら。

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