2018年12月22日 (土)

猫の絵、動物の犠牲について、デリダ

12月22日

猫の絵(Cat drawing, Dessin)

わずか100gちょっとで拾われた日のチョビ。初めて病院に行った日(135g)のチョビ。

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小さな犬のぬいぐるみだけに甘えていたチョビ。
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真菌によってしっぽ、手足、首の毛がはげたチョビ。特にしっぽが真っ赤で痛々しかった。
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ひとりぼっちではなくなったチョビとプフ。
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「〈殺すなかれ〉は、ユダヤ・キリスト教の伝統のなかでは、また明らかにレヴィナスによっても、〈生物一般を死なせてはならない〉という意味で解釈されたことは一度もない」。

「人間主義を超えて」存在の思考を推し進めたはずのハイデガーも、犠牲(サクリファイス)のエコノミーを問いなおすことはできなかった。

ハイデガーでもレヴィナスでも、「主体」とは、「犠牲が可能であり、生命一般の侵害が禁じられていない世界における、ただ人間の生命に対する、隣人である他者の、現存在としての他者の生命に対する侵害だけが禁じられている世界における人間なのだ」

(「〈正しく食べなくてはならない〉あるいは主体の計算――ジャン=リュック・ナンシーとの対話」)。

こうしてデリダが、ユダヤ=キリスト教も含めて、西洋形而上学の「肉食=男根ロゴス中心主義」を問題化する。

それは、現代の動物実験、生物学実験に至るまで、「肉食的犠牲が主体性の構造にとって本質的である」ような世界である。

いまからほど遠くない過去に、「われわれ人間」が「われわれ成人の、男性の、白人の、肉食の、供犠をなしうるヨーロッパ人」を意味した時代もあった(『法の力』)。

(高橋哲哉『デリダ――脱構築』(講談社)より引用)

・・・

「 問題は(略)動物が思考すること、推論すること、話すこと等々ができるかどうかではない。(略)先決的かつ決定的な問いは、動物が、苦しむことができるかどうかであるだろう。《Can they suffer?》

この問いは、ある種の受動性によっておのれを不安にする。それは証言する、それはすでに、顕わにしている、問いとして、ある受動可能性への、ある情念=受苦(passion)、ある非‐力能への証言的応答を。「できる」(can)という語は、ここで、《Can they suffer?》と言われるやいなや、たちまち意味および正負の符号を変えてしまう。

「それらは苦しむことができるか?」と問うことは、「それらはできないことができるか?」と問うことに帰着する。

(略)苦しむことができることはもはや力能ではない。それは力能なき可能性、不可能なものの可能性なのである。われわれが動物たちと分有している有限性を思考するもっとも根底的な仕方として、生の有限性そのものに、共苦(compassion)の経験に属する可死性は宿っているのである、この非‐力能の可能性を、この不可能性の可能性を、この可傷性の不安およびこの不安の可傷性を、分有する可能性に属する可死性は。」

(ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物)である』(鵜飼哲訳、筑摩書房)より引用)

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2018年11月19日 (月)

ミシェル・レリス 谷昌親訳 『ゲームの規則 Ⅳ 囁音』

11月17日

早稲田大学の谷昌親先生が今年の春に送ってくださったミシェル・レリス著、谷昌親訳 『ゲームの規則 Ⅳ 囁音』(平凡社)を、ずっと少しずつ読んでいる。

以前に、谷昌親先生がくださった『ロジェ・ジルベール=ルコント――虚無へ誘う風』(水声社 シュルレアリスムの25時)も、稀有な美しさを感じる本でした。

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 「論理的または年代的な一貫性をなすというよりも、以下の文章は――それが完成するか、外部の事情で中断されたとき――、群島か星座、血のほとばしりのイメージ、灰白質の爆発、最期の吐瀉物となり、それによって、わたしが倒れこむときに(その中断を、こうした突然の破局というかたちでしかわたしは想像できない)虚構の境界線が空に描かれるだろう。

 文章を並べ、移動し、配置し、トランプのゲームで勝ちをめざすのと同じこと。」     (P5)

「もし、くるりと輪を描き、そこから出発した虚無に立ち返らなければならないとしたら、人生全体を要約すると雫――尾を噛む蛇あるいは環状鉄道――になってしまうのではないか。ただ、円環の内側の白さを黒く塗りつぶす何か、空虚を充実に転換させ、底なしの湖を島にする何かを書き殴る、という問題が残る・・・・・・。とはいえ、この雫は、わたしたちが拠り所とできるものが何もないと示しているのに、いったい何を書き殴ればいいのか。      (P61)

『ゲームの規則』という大衆的なミステリー小説かのようなタイトルのこの本は、まったくそういう内容ではなくて、「ゲーム」というのは「ものを描く」「ものを書く」ということ。

大衆に受け入れられてお金を稼ぐために書く(描く)こととは関係なく、根源的に、人はなぜものを書くのか、いったい何を書くことができるのか、いったい書くに値する何があるのか、書く方法があるのか、という問いかけに挑んだアッサンブラージュ。

厚い本のどの部分を開いて短い文章に集中して読んでも、ミシェル・レリスが観念的に論理や知識を組み立てるのではなく非常に怜悧かつ感覚的、あいまいで豊かなイメージが自分を超えて湧き立ち奔放な旅をする、そのあまりに言語化不可能な次元の境界を言語化しようとしていることがわかる。

貧しい感受性しかない人が、重箱の隅をつつくように末梢的なことをさも重大な発見のように書くことで、いかにも繊細で鋭敏な感受性があるように装う、薄っぺらな詩人気どりにありがちなパターンとは違う。

こういう本を読んだ時だけ、自分が次の本を出すことが虚しくないような気がする。

ネットからのあらゆるニュース、流行りのアートや文学やイヴェントの情報を眼にすると、心が躍るどころか厭世観で息が止まりそうになる。

なにを書いても(描いても)真意が伝わらない閉塞感。

11月18日

とりあえず3匹と共に新宿から高円寺の自宅に帰って来た。

ひと月ぶりに熱い湯舟にゆっくり浸かったら、すごくだるくなり、長い時間眠ってしまった。

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2018年10月30日 (火)

ちゅびとチョビとプフの記録 / 素晴らしい夕焼け

10月30日

次に出す本の編集、ゲラの修正。

ちかちかと明滅して暗闇に消えていく命。

一瞬と一瞬の錯綜する重なりあい、淡くて脆くて気まぐれで激しい記憶。自分もそのなかのひとつでしかない。

弱くて儚くて、誰もかえりみない小さなものの命ほど、愛おしく守りたく思う。

誰も興味を持たないが私は美しいと思ったもの、人間の自己愛からの妄想(自分に都合よく粉飾した世界)ではなく、「自分の外に在る」命の姿を見つめていきたい。

そのための本。

・・・・・

きょうのちゅび。

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きょうのチョビとプフ。

きのうはお互い警戒してウー、シャーッと威嚇し合っていたが、一晩寝たら今朝からは距離がぐっと縮まり、興味を持って触れ合い、遊びだした。

きょうは「ウー」と怒っているのはチョビのほうだけ。プフは威嚇していない。

自分よりずっとからだの大きいプフがどこにでもくっついて来て、マネしてくるのでチョビがちょっと警戒して怒っている。

チョビがトイレでうんこしようと紙砂を掘っている時も、プフが一緒にトイレに入ってくるのでチョビは怒っていた(誰にも邪魔されずにひとりで集中したい時間だよね)。

かまって、かまって、とチョビにくっついてくるプフ。

「えいっ!」「ウッ、やられた。」

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「お返しだ!」「ウッ。。」(のけぞるプフ。)
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「それならこうだ!」「ワッ!」
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ツッパリ同士の握手のような光景(逆光)。
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パイルヘアゴムを結んだ紐に夢中でじゃれるプフをじっと物陰で見つめるチョビ。Sdsc02133_2

プフが紐のほうに夢中になっている時にダッと後ろから襲いかかってバシッとパンチをしては、さっと逃げてまた物陰に隠れるチョビ。
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チョビはこの戦法を何度もやっていた。まるで自分よりずっと大きい相手を爽快に打ちのめすツッパリのギャグまんがの主人公のように、狡い頓智を生み出したチョビ(おりこうさん)。

チョビが大好きなペンギン(チョビが生後一週で拾われた時から与えられているお気に入り)のぬいぐるみで遊んでいるのをじ~っと見ているプフ。
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じ~っと見ていたけど、相手にしてくれないなら「ええい!」と襲うプフ。
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なんで邪魔するの~?!も~!。。
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チョビのペンギンのぬいぐるみを奪い取って大事に抱きかかえるプフ。
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結局、チョビに相手にしてもらいたいだけのプフ。
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窓辺の眩しい光の中でうっとり。
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幸せ。
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きょうは素晴らしい夕焼けだった。

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金色、枇杷色、銀鼠から少しずつ薔薇色と紫に変わっていく雲を、ずっと12階の非常階段から見ていた。
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紺色の空に淡い薔薇が散っていた。
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ふわふわと風に浮かんで蒸発していくうたかたの薔薇。

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最後は柿色の地平線に沿って、紫鼠色の雲が長く伸びる。納戸色の空。
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2018年9月 2日 (日)

ちゅび(ぴょんすけ)の記録 (8月24日~8月31日)、がん定期健診、フランソワ・マトゥロン

8月24日(金)

中川幸夫先生の映画を見るため、友人にちゅびを見てもらって夕方4:40に外出。帰宅は夜10時。

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8月25日(土)

夜7時2分前、まさに動物病院の診療時間が終わる瞬間を見計らうように、楽しそうにプラボールで遊んでいたちゅびに事件が起きた。

「ぎゃあ!ぎゃああ!」と、今まで出したことのない異様な声で叫び、身をよじってばたんばたんと苦悶に狂ったように大騒ぎ。

すごい速度で跳ねているので、なにがあったのかわからなかったが、プラボールが手から離れないのだ。

「ちゅび!どうしたの?」とはずしてあげようとしたら私の右手の指に激痛。キバが刺さったらしく、ぱあっと出血。

19:01に動物病院に電話したら、時間外料金がかかるが診てもらえるというので、急いで病院へ。阿波踊りの雑踏を抜けて走る。

なんと、診察台の上に乗ったら急に神妙な顔でおとなしくなり、あっさり、快作先生がプラボールをはずした。

プラスチックが折れて指に食い込んでいるのかとあせったのに、指がプラとプラの間に挟まっただけだった。

時間外診療代2836円だったが、1000円まけてくれた。 

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これがちゃびを恐怖に陥れたプラスチックボール。

夜、8時半、阿波踊りの熱が冷めやらぬ高円寺の街を自転車で走る。高円寺という寺の門前通りの飲み屋が、いつになく賑やかだった。

9時からアニメーション(のヒップホップ寄りのアーバン)ダンス。FKJの「Skyline」という曲に合わせて振り付け。帰りは11時過ぎ。

8月26日(日)36℃。

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夜7時、イタリアのChinamiさんとSkype。9月にはお会いできる緊張と興奮。

深夜、0時過ぎに、ちゅび、興奮。2回目のうんこ。

8月27日(月)36℃。

25日くらいから和柄の首輪をしているちゅび。鈴はどうしても取ろうとして暴れたのではずした。

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男の子だけど鼻の色と同じピンクが似合う。
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8月28日(火)

朝、8:35に家を出、9時ぴったりに新宿都庁着。パスポートの申請。10分で終了。

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5:30~7時、D先生のLockレッスン。私ひとり。上げる腕の肘角度を90度にしないとダメ、などスパルタ(笑)。できるまでずっとくり返し。疲れたので8:30からのソウル、パンキングはお休みした。

8月29日(水)

昼、うんこの中に刺身のツマのようなものがあった。蟯虫か?と思ったが動いていない。下痢もしていないし虫ではなさそう。

ちゅび~、いったい何を食べたの?

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8月30日(木)

「ぷふい。」

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旅行の保険に加入しに行く。

日暮れ時、阿佐ヶ谷の古い大きなお屋敷の横の道を自転車で通る。長く続く大谷石の塀の上にカラスウリの白い花が咲いていた。
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8月31日(金)

11:30に家を出て鎌ヶ谷の病院へ。血液検査とレントゲン。1時間後に結果が出る。

血液検査の結果、甲状腺ホルモンの値は良好。「栄養状態も良好です。」と言われた。普段は調べることがないが、前回、私がやつれていたのを心配して先生は栄養まで計測してくれたらしい。

レントゲン結果も変化なし。

去年からすごく気落ちしていたが、ちゅびが6月に来てからとても忙しくて元気になった、と言ったら「守るものがあるほうがいいんですよね。」と。

運動(ダンス)を始めたことと、9月にひとりでイタリアに行くことを「活力があるのが一番です。」と、とても喜んでくれた。「なにか持っていきますか?」と、ビタミンとミヤBを出してくれた。浅井先生は優しい。

『もはや書けなかった男』(フランソワ・マトゥロン著、市田良彦訳、航思社)とちゅび。

「事後的」にではなく、「生(なま)の苦しみ」を語る言葉。「証言」ではなく、「証言」をさえ対立させる「経験」。くり返し問いかけられる、「誰が身体を知っているというのか、その力能と無力を」。

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私の縫った噛み癖防止ミトンとちゅび。
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2018年8月13日 (月)

ホームページが消えていた / 次の本、 アートへの拒絶反応

8月13日

午後3時前から激しい雷雨。

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8月9日に友人が教えてくれて初めて、自分のホームページが自分の名前で検索してもウェブ上に出てこないことに気づき、愕然。

過去のjimdoからのメールを検索して、ホームページへのアクセス方法が変わったことを知る。

昨年末から編集画面にお知らせが出ていたらしいが、ログインしていないのでまったく気づかず。

ずっとホームページを更新も確認もしていなかった自分のうかつさが嫌になった。

あらためてアカウントをつくらないといけないらしく、メールアドレスを確定するとドイツ語のページへとんだ。

(jimdoはハンブルクの会社だということに気づく。Horst Janssenの家を訪ねた懐かしいハンブルクだ。あの丘の上の小さな家・・・向こう岸がかすんで見えない灰色のエルベ川の景色が浮かぶ。)

とりあえずアカウントをつくり自分のホームページと接続した。が、名前で検索してもいっこうに出てこない。

グーグルコンソールに登録。プロパティの確認、HTMLタグがなんたら・・・でけっこうな手間がかかった。

ホームページがないと、初めて会う人に自分の絵を見てもらうことができない。

自分のやってきたことの証明とまでは言わないが、名刺がわりのものが消えてしまったようで、たいへん気落ちした。

言葉で「絵をかいています」と言っても、なにも伝わらない。絵をかいていることは重要でははなく、どんな絵をかいているかが重要だから。

私は、自分の仕事、絵を見てもらえなくて、ブログだけを見られることに、惨めで恥に耐えない感覚がある。

12日になって、やっと検索に出てくるようになった。

(ブログの横のバーにホームページのリンクが貼ってあります。クリックして見ていただけたら幸いです。)

・・

6月にちゅび(ぴょんすけ)がうちに来てから、次の本をつくる作業がずっとストップしていた。

(ゲラとカンプ。作業中。)
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ちゅびに夢中で、二度と来ない赤ちゃん時代を存分に胸に焼き付けたい、という思いが激しい。そのことに関してはなにも迷うことがない、素直な欲望だ。

仕事のほうがおろそかになるのは、本をつくることが自分にとって有益なことなのかどうか、気持ちが揺れてしまうからだ。

常に、本をつくってもなにになるのだろう、誰が手にとってくれるのだろう、理解してくれる人なんているのだろうか?という思いにふさがれてしまう。

ここ20年、私はアートと呼ばれるものやそのシーンに対する拒絶反応が、いよいよひどくなってしまった。

絵が大好きで、2歳から夢中で絵を描き続けてきたのに。

クソつまらなくて吐き気がするどころではなく、アートは、動植物や弱く小さいもの、はかないものと直接深く交わる私の力をむしろ抑圧してくる。私の身体は耐えがたいストレスを感じる。

私の生きる希望や活力を潰しに来るアートに、これ以上ないほどの憎悪を感じる。

アートのほうでも、私の仕事を認めることはないだろうが。

・・

なぜアートが気持ち悪いか。それはとどまるところを知らない自己顕示欲、自己愛そのものだからだ。

人間だけが持つ嫌らしさの権化だ。

他人の不幸を餌にして成り上がろうとする人たち。

「相手のために」「思いを込めて」という欺瞞。

自己利益のためなのに、「無償性」を騙る厚かましさ。

対峙するべき現実があるにもかかわらず、アートにかまけている、鈍くて傲岸な人たち。

アーティストもアート好きのスノッブもそうだ。

そこに金儲けが絡まり、計算高い人たちが群がり、アートシーンができあがる。

(いまだに「アートのためのアート」の信仰にしがみついている人たちについては、ここでも触れないでおく。)

たとえば、どこかの旅先で素敵な懐かしい景色を見つけても、そこに趣味の悪いアートが鎮座ましましていたら、パチンコ屋やキャバクラの看板よりもずっとずっと私は不快だ。

人工物のない荒涼とした光景、土と植物と動物だけの景色が私の憧れの心象だ。

私は、そこに在るものを鋭く見ることができる人、柔らかな感性を持つ人にしか憧れることはない。

・・

福島のヤノベケンジの件、アートを飾れば復興にプラスになる、みんなが喜ぶ、という馬鹿げた思い込みが気持ち悪い。

そこにアートはいらない。なにかを置きたいなら大きな線量計を置けばいい。

自己都合のこじつけ解釈ができるオブジェなどむしろ邪魔だ。一つの局面でしかないにしろ、現実をそのまま多くの人に伝えることに力を注ぐべきだ。

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2018年4月 9日 (月)

パラボリカ 森島章人トリビュート展 第2期のレセプション

4月7日

パラボリカ・ビスで開催中の森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念トリビュート展、第2期(部屋が変わり、展示も少し変更)のオープニングレセプション。

今回はけっこう文学関係のかたたちが来られていた。

乾杯の音頭を森島さんがとり、その時に集まった人たちの紹介と、ひとことずつの言葉があった。

私は『アネモネ・雨滴』の口絵を描いた画家として最初に紹介いただいたが、特に言葉は出て来ず(人前で急に言葉を求められると一切話せない)、「使っていただいて恐縮です」とだけ述べた。

クロソウスキーなどの訳で知られる小島俊明さんが「森島さんから歌集を送っていただいて初めて森島さんを知った。「抽斗(ひきだし)に海をしまへば生きやすき少年といふもろき巻貝」という歌が素晴らしかった。詩、ポエジーとは言葉だと思っていたが、ここに集まっている作品を作った人は言葉ではないポエジーを持っている。」とお話しされていたのが印象に残っている。

私の口絵について「アネモネの絵にはとても驚きました。暗い情熱に狂い咲く寸前の、凄絶な精神の美を感じます。歌と拮抗した緊張感に痺れました。」という手紙を森島さんにくださったという藤本真理子さんが滋賀からみえていた。

藤本さんは紬のお着物を素晴らしく着こなしていらっしゃったのだが、うっかり撮影させていただくのを忘れて残念。

今回、森島さん所蔵の絵を展示されていた画家の田谷京子さん(左)と田之上尚子さん(右)。お二人とも正直で柔和なお人柄で、すぐに打ち解け、話が盛り上がった。

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9時過ぎに詩人の林浩平さんがかけつけ、写真を撮ってくださった。真ん中が森島章人さん。森島さんの右は歌人の天草季紅さん。
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林浩平さん撮影の私。林さんは、今日はこの前に4つものイベントに出席されたという。
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2018年3月12日 (月)

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念 トリビュート展初日

3月11日

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念 トリビュート展初日。

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3面の壁をもらったので、ここに森島章人のために「アネモネ領」をつくった。

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短歌研究社の堀山和子さんが持っていらした暗い赤紫の珍しい色のアネモネ。とても神秘的。

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私がつくったアネモネのコサージュ。

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私が今までどうしても描けなかった、3月になってやっと描いたちゃびの絵(鉛筆)のコーナー。

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私は17時過ぎに行った。森島章人さんはもういらしていた。

12年ぶりくらいにお会いできて感激。前に私の四谷3丁目の展示に白と緑の野の花のような花束を抱えて来てくださって以来だ。

18:30からカフェでレセプション。

今野裕一さんお手製のカナッペ。トマト、モッツアレラチーズ、バジル、オリーブオイル。これはすごくおいしかった。

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森島章人さん。

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今野裕一さんがウンカに食われた茶葉などを自ら摘んでつくったお茶。たいへんおいしゅうございました。
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手作りのお茶について熱弁をふるう今野裕一さん。左は堀山和子さん。
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ミルキィ・イソベさんがモンドールのチーズを焼いた料理をふるまってくださった。
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3月12日

森島さんが長野に帰宅された後、夜、電話でお話しした。

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2018年3月10日 (土)

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念 トリビュート展

3月10日

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念 トリビュート展に参加しています。

私はレセプションの時にはギャラリーにおります。そのほかの在廊日はまだ未定です。

第Ⅱ期は第Ⅰ期よりも展示作品の数が少なくなります。

なるべく第Ⅰ期にお越しいただけたらと存じます。

私は小品もたくさん出しております。どうぞよろしくお願いいたします。

★レセプション 3/11、4/7 18:30~

2018年3月11日[日]〜4月2日[月]mattina 第Ⅰ期 
    4月6日[金]〜4月30日[祝]Costad'Eva 第Ⅱ期
★レセプション 3/11、4/7 18:30~

月、木、金/13:00~20:00 土日祝/12:00~19:00

火・水曜休館 (21日の春分の日も休館となります)


■入場料:500円(開催中の展覧会共通)
■会場:parabolica-bis(パラボリカ・ビス)
住所:東京都台東区柳橋2-18-1

電話:03-5835-1180

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歌が到来する一瞬がある。遠くて近い、そして近くて遠い場所から。
その一首のために刻まれた時間を消し去って、少年のように。(森島章人 跋より)

いろいろにあって、そして最後にあるのは少年。少年の物性。
覗きこめば少年の坂下腹部へ百の銀杏ころがり落ちる。(今野裕一 跋より)

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アクセス:
「浅草橋」駅JR東口・徒歩6分/都営浅草線A6出口・徒歩4分
駅から:江戸通りを浅草方面に進み中華屋「川湘府」の角を右折。2本目の道を左、1本目の道を右に入る。tp://www.yaso-peyotl.com/archives/2018/03/morishima.html

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2018年3月 4日 (日)

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念トリビュート展の作品制作 / 次の本の打ち合わせ / 体調不良

3月3日(土)16℃

フジヤカメラに中古のミラーレス一眼レフを買いに行く。

若い女性店員のM尾さん、とても親切。

ずっと使っていたsonyαNEX-5NからファインダつきのαNEX-6に買い替える。

ステュディオ・パラボリカから森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念トリビュート展のフライヤーのデザインが届く。

新作は、絵じゃないほう(アネモネの布花)はほぼ完成。これとデッサンの新作を数点出すつもり。

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あいかわらず胃が痛くて食欲不振に悩まされているが、里芋やじゃがいもをチンしたものの上に、ほうれん草のゆでてあく抜きしたもの、パプリカのスライスなどをのせ、上にたっぷりナチュラルチーズをのせてもう一度チン。

これをくり返し食べていたら体重が1kg増えた。

飲み物は熱いミントティーに牛乳と蜂蜜を入れたものばかり飲んでいる。

2月28日(水)15℃

中野に展示のための材料を買いに行く。

まだ胃腸は本調子ではないが、やっと暖かくなったのでほっとする。

近所の梅が盛かりを過ぎて、枝垂れ梅の花が枝の先端から咲き始めている。

2月26日(月)10℃

月一回の書道の日。

気温は10℃くらいだが北風にあたった手がかじかんで痛くて、筆がうまく扱えない。すごくもどかしい。

おなかと腰に貼った使い捨てカイロに右手をこすりつけるが、指がなかなかか温まらない。

メンバーは全員女性で、70歳代以上のかたが多い。毎朝のゲートボールの話で盛り上がっていて、真夏も真冬も元気はつらつだ。

わたしだけがすごく寒がっている。末梢血行不良。

下が本部から来ているお手本。「人生清福」。

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下が私の先生のお手本。

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下が今日書いた私の字。どこを直されているのか明確に意識するために、赤の入ったものを載せておく。

「波法」(はらい)は、穂先を右上に向けて通して、(私は適切な用語を知らないのでうまく説明できないが)最後の筆の腹をつけている下の部分は真横に、穂先はかすかに上向きにカーブして(波を描くように)終わること。これはとても面白くてやる気が出る。

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「人」の一角めは上にしゃくりあげないでほぼ真っ直ぐに。「しめすへん」の点は斜めより気持ち下向きに。「福」は長年書いている字だが難しい。
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2月24日(土)~25日(日)

材料を使い果たしたのでとにかく休養。眼と胃腸が痛いので寝ている。1日に3回、お風呂にはいる。

2月23日(金)8℃

次に出す本について水声社のTさんと打ち合わせ。

新宿京王百貨店のアフタヌーンティーで2時に待ち合わせ。すごく混んでいて店舗前にけっこうな行列。私は甘いものに興味がないが、優雅にアフタヌーンティーを楽しみたい人がこんなにいるとはびっくりだ。

お店の人に名前を言って尋ねたが、Tさんは店内にいないようで焦る。

Tさんは遅れて来(私がケイタイを持っていないせいで連絡不能)、二人で9階のお好み食堂のようなところに移動した。懐かしい感じで、こっちのほうがずっと落ち着く。

Tさんに聞かれたので、母とちゃびが亡くなった話をざっくりした。私にとって最大、最悪の緊張が続き、そのあとの喪失感、空虚感で次の本のことを詰めるエネルギーが出てこなかったこと。

「もう一度、ちゃびのような猫と暮らさない人生なんて考えらえない。」と言ったら、

「先生は守られるよりも守るほうが好きですか?」と聞かれて一瞬、答えにつまった。

私はずっとちゃびに守られていたのだと思う。

また、母と会話できなくても、生きていてくれることで母にも最期まで守ってもらっていた。

2月22日(木)2℃。

朝、雪がちらつく。

ここのところ、寒さで身体がしんどく、胃腸の調子を崩してしまった。なにを食べても胃が痛くて気持ち悪くなる。しばらく断酒。

寒い冬にも、いつも私にくっついていてくれた温かいちゃびが今年はいないことで、私の身体がおかしくなってしまったのだろう。

私は自堕落になりたくないし、苦しみすぎたくもないし、やつれたくもないのだが。

体重を久しぶりに測ったら42kgになっていた。ちょっとこれはまずいな、と思う。

細かい作業を何時間も続けたせいか眼の奥が痛くてたまらない。眼と肩の凝りと連動して吐き気が続く。どんなにしても身体が温まらない。

私の性格として、制作の時に必要以上に根をつめてエネルギーを使い果たしてしまうのがある。

一度のめりこむと、次々に新しいアイディアが浮かんできて、それを試さずにはいられなくなり、休めなくなる。

500パーセントくらい作業して、いろいろ試行錯誤して、そのうちのほんの一部を選んで発表する、というやりかたになっている。

いろいろ試してやはり最初につくったものがいい、と思える時もあるし、逆に最初とは比べ物にならないくらい、あとからのがよくなることもある。

しかし徒労が多い。

試行錯誤そのものは徒労でなくても、精一杯努力してなしえたことと、他人に伝わる可能性の落差に疲れ果ててしまうのだ。

ちょうど材料の布を使い果たした時点で、とりあえず制作作業を休んで、お風呂と睡眠をたっぷりとることにした。

今はとにかく身体の健康を優先したい。

2月20日

9月にイタリアのChinamiさんにお会いしに行く日程を決めて、航空券を予約するのに、ここ数週間、いろいろ悩んでいたが、ついに決行。

ネットで、あれこれ調べて迷いに迷い、刻々と値段が変動して上がっていくのに緊張してものすごく頭が疲労した。

当然、アリタリア・イタリア航空が直通で便利なのだが、倒産危機について旅行会社に電話で聞いたら、「前例がないのでわからない」との答え。

エールフランスは、乗り継ぎの時にシャルルドゴール空港で1時間20分は旅慣れない人には余裕がなくてきついとのこと。

乗り継ぎをアムステルダム・スキポールか、スイスのチューリッヒにするかと迷ったが、結局フランクフルトを選んだ。

航空券を購入したら、旅程も今から決めてしまってミラノ、ヴェローナ、ヴェネツィアの宿まで予約してしまった。

とりあえず決めたらすごくほっとした。

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2018年2月12日 (月)

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念展  / 宇野昌磨  団体戦 / 誕生日 ChinamiさんとSkype

2月7日

『夜想』(ペヨトル工房) の今野裕一さんからメールをいただいた。

森島章人さんの『アネモネ、雨滴』展について、出品のお誘い。

今野さんは森島章人さんの歌がとても好きで、ずいぶん前から歌で展覧会をやりたいと思っていたと言う。私も森島さんの歌を讃える展示に参加できて幸せです。

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念展

311日~42日 Ⅰ期 バラボリカビス・マッティナ

46日~430日 Ⅱ期 パラボリカビス・コスタディーバ

参加作家

相場るい児

麻生志保

亀田尚子

建石修志

田村京子

日野まき

福山知佐子

槙宮サイ

間村俊一

渡邊加奈子

素敵な展覧会になりますように。

2月9日

あっというまにオリンピック開幕。フィギュア団体戦。

宇野昌磨のSP(ビバルディの『四季』から『冬』)の生命感溢れる演技。

足替えのシットスピンからコンビネーションスピンにむかう時の燃え上がるような表情に胸が熱くなった。

2月10日

2月は私の誕生月なので友人Gがお祝いをしてくれた。

私の好きな完全禁煙のおさかなのお店で、1000円のお刺身定食のランチ。

そして昼間から鳳凰美田純米吟醸酒(華麗な名前のままにおいしかったです)と流輝(るか)純米吟醸無濾過生酒(こちらも果物のように華やかでおいしかったです)を飲んだ。

誕生祝に、とっくの昔に廃番になっているヴィンテージのスイカズラの香水と、昔の絵本をいただいた。超レアなものばかり。

ヴィンテージのAVONのハニーサクル。すごい郷愁の香り。

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『ネコジャラ市の11人』(原作:井上ひさし・山崎忠明・山本譲久/ 音楽:宇野誠一郎/ 人形:片山昌(ひとみ座))の絵本。ガンバルニャンがものすごくかわいい。

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私の好きな植物いっぱいの狭い路地にて。

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まだ足元に雪が残っている。私の好きなヒメムカシヨモギの立ち枯れと。
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偶然迷い込んだ狭い路地裏で、錆びた窓ガラスを発見。
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近所のたくさんの植木鉢と。
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・・・

夜10時。イタリア在住のChinamiさんと初めてskype ビデオ通話。

とても感激。

Chinamiさんは、昨年6月、私の母が経口摂取できなくなって、もう最期だと私が追い詰められた頃に、はるかイタリアから連絡をくださったかただ。

それからずっと、母が亡くなり、ちゃびも亡くなり、私がどん底の時に、毎日のようにメールのやりとりをして遠くから支えてくださった人。

Chinamiさんには感謝の言葉がとても追いつかない。正直、私にそんなにしてくださるかたがいることが信じられないというか、実感が足りない。

今年は秋にChinamiさんに会いにイタリアに行く予定。緊張症でだらしなくてうっかり者の私がすごくご迷惑をおかけしてしまうのが怖いけれど。

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