2019年4月 1日 (月)

ジョナス・メカス展、水の塔、新井薬師

ココログのリニューアルにより数々の不明と不具合で、ブログを書くのが面倒になり、ずっとほっていた。新システムのやりかたを調べながら少しずつ書きます。

3月13日

本日は中野駅から、こうの史代『桜の国』に出て来た「水の塔」を訪ねた。

そのあとジョナス・メカス展を見に、中野区新井薬師駅近くのスタジオ35分へ。

中野駅北口。新井交差点のそば。まずは私の大好きな帽子材料と布花材料の店、ニシダさん近くの、駐車場のドアの前で撮影。

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中野駅から中野通りをひたすら北上。ビーンズという無農薬野菜の店とカイルズ・グッド・ファインズというアメリカン・パイの店を左手に通り過ぎ、新井天神北野神社の池を左手にに通り過ぎる。

思っていたより遠い(2kmくらい)。強い北風に鼻水が止まらない。

踏切を越し、哲学堂公園を右に通り過ぎ、椿咲く静かな蓮華寺の裏の細道を通って水の塔公園へ。

水の塔は「野方配水塔」というらしい。「空襲時の弾丸の傷跡が残されている配水塔です。関東大震災後、都市化による水の需要に応えるため、この地にあった給水塔に、配水塔がつくられました。この配水塔は1966(昭和41)に配水を止め、その後、災害用給水塔として使われてきました。中野区」と看板にある。

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水の塔公園の中の枯れ蔓が素敵だった。

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複雑に絡まった枯れ蔓を下から眺めながら、どこを切り取るかを考える。

自然にそこに生まれているものを見るほうが、現代美術のオブジェを見るよりはるかに自由な想像力をかきたてられて夢中になる。

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水の塔の弾丸の跡が見られるのは幼稚園の側から。

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「桜の国」というように新井薬師の周辺は桜(ソメイヨシノ)がいっぱいだが、まだ固い蕾。すべての開花の直前の寒さが身に沁みる。

古い団地の前にソメイヨシノではない早咲きの桜(マメザクラ?)が満開なのを見つけた。

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新井薬師まで途中、けっこうな坂を上り、高台から振り返ると水の塔の丸い頭だけが小さく見えた。上高田図書館の横を通る。

スタジオ35分のジョナス・メカス展は18時開場。町は宵闇に包まれつつあった。

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静かに見られてよかった。ギャラリーは元写真屋さんらしい。35分の看板を残したのはしゃれている。
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新井薬師の商店街は古い建物が残っていたのにびっくりした。高円寺でも、ここまで古いのはない。

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薬局だったらしい建物。「科」の前の文字は何だったのか。小さく「中野區歯科医〇〇〇」という札。(〇は読めない)

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やたらに懐かしい昭和の雰囲気の商店ばかり。「いげたばち お茶とのり」。
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金鳥とキンチョールの看板。「ぎふ屋」。

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新井薬師の踏切を超えて中野駅側へ。
「書籍 雑誌 すばる書店」。

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新井薬師の参道を抜ける。「日本一安い!!皆様の 泥棒 激安 泥棒市場」。。

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「文化堂金物店」。「傘と履物 叶屋履物店」。
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お煎餅屋さんがまだけっこうあった。ずいぶん昔に来たきりだが、(敷石は新しくなっていたが)店は昔とほとんど変わっていない印象。

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「天然温泉 中野寿湯温泉」。中野にも天然温泉があったとは。

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私の故郷、西新宿の十二社(じゅうにそう)天然温泉は、気づいたら2009年に営業を終えていて、すごく淋しい。

幼児の頃、よく祖母に連れられて行った黒い昆布が溶けたようなぬるぬるの十二社温泉が大好きだった。

上がってからは宴会場でサイダーを飲んで、ステージの上で浴衣で日本舞踊を踊る人たちを眺めながら、何時間もぼーっとすごしたのが夢のような思い出。

やっと中野ブロードウェイに着き、いつもの天ぷら屋さんで天ぷらと熱燗。空腹で冷え切ったからだを温める。

私の好きな天ぷら屋のご主人がお元気で揚げていらしたことに感激。たしか今年で81歳くらいだ。しばらくお顔を見ていなかったので心配だったが、きょうはすごく嬉しかった。

ノスタルジックな旅。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年3月21日 (木)

G先生、次の本の制作、PC破損修理、サーバーのメール消滅

2月23日(土)

G先生から写真を送ってくれとのメールが来る。

前の私のメールへの返答はない。ただ「写真を送れる?」という短いメール。

G先生のエッセイに写真についての思いを書いたものがあるが、思索的な意味があるのか、わからない。とても不思議。

2月25日(月)

G先生に写真を送る。

送った後で、ずっと緊張しっぱなしで神経が疲れていたことが、なんだかおかしくなって笑い出したくなってきた。

とにかく先生は私の絵についてお言葉をくださったのだから。お言葉をいただいたことが重要で、あとはどうにかなるだろう。

・・・

鵜飼哲さんからメール。

研究室の片づけなども含め、原稿は8月以降になるとのこと。

2月26日

出版社に電話。

翻訳作業は水沢勉さんの原稿を出版社に送ったあと、文字数を数えた後でいいと言われた。

美術専門の英語翻訳家を紹介してもらえてほっとした。それで少し気が楽になった。

3月8日

ナツメ社のSさんから『デッサンの基本』重版のお知らせをいただく。

今度で32刷り。

Sさんは今年の6月に定年退職されるというので驚いた。

Sさんに担当していただいてもう10年。年月に実感がないことが怖い。

3月12日(火)

本とは別の仕事の件でHさんと電話。Hさんも、もう歳だから仕事をやめたいと言う。

ぶつっとやめるのは淋しいから、まばらにやったらいいのじゃない、と言ったら、そうだね、それがいいね、と。

3月13日(水)

ジョナス・メカスの写真展を見に、新井薬師の「スタジオ35分」へ。

中野から歩き、スタジオへ向かう前に、こうの史代『桜の国』に出てくる水の塔を見に行った。

陽が落ちたら急に寒くなり、一眼レフを持ったせいか左肩と首が痛くなる。新井薬師の商店街は昔にタイムスリップしたようだったが、北風に凍えて楽しめなかった。

3月15日(金)

机で書き物に集中するため、ノートPCを閉じて布団の上に置いていた。

ふとPCを開け、スイッチを入れると真っ暗な画面から「NEC」と書いた画面に移行せず、ガラスが割れたような放射状の亀裂と、極彩色の格子がちかちかする画面が出た。

これはもう絶対壊れたと一瞬でわかる。画面自体が割れているわけではなく、割れている画像が見えている状態。

3月16日(土)

NECに電話。

やはり液晶画面の破損、液漏れにほぼ間違いなさそう。

購入時に3年保証に入っていたが、液晶画面の交換はその補償に含まれないそう(ショック!)で、75000円かかると言われた。

子猫3匹が暴れまわる狭い部屋の中では、なにが起きても不思議ではない、こんなこともあるだろうと妙に納得していた。

(スカイプを使えないので)友人に電話したら「死ぬわけじゃないし」と言われて、ほっとした。

3月17日(日)

S急便の人が昼にPCを引き取りに来てくれる。PC専門の入れ物に、そっと入れてくださいと言われる。

古いPCを繋ぎ、OCNメール(サーバー)を見たら1000件ためていたメール履歴が全部消えていた。こちらのほうがPCの破損より理不尽に思え、すごいストレスになった。

OCNメールのリニューアルと同時に消えたようで、3月3日以降の40件ほどしか残っていない。これでは仕事にならない。

3月18日(月)

OCNに電話して尋ねると、「新しくなったOCNメールで、メール履歴が消える設定はない」という。ならどうして私だけが?

「聞いてきますのでちょっとお待ちください」と何度も言われ、3時間近くかかった。

メール検索など何度もかけたが、読み込みの問題ではなく、消えている。右上に40件と書いてあるのだからその数しかない。

古いPCで使っていたのはサポートがなくなったWindows Liveメールで、そこにはメール履歴が残っていたが、セキュリティがないので、へたにエキスポートなどしないほうがいいと思い、やめた。

Windows live メールの詳細設定を見たが、ちゃんと「サーバーにメールを残す」設定になっている。

OCNメールはなんとも迷惑だ。

さらに新しくなってからやたらに「読み込んでいます」というくるくる渦巻になって、書くのも削除するのも時間がかかるのでイライラ。

3月20日(水)

首(特に左)が、がちがちになってしまい、ほぐしマッサージに行く。すごく固い凝りの塊があると言われる。

夕方、PCが戻って来た。予想より早い。

コンテナから出す時、やはりS急便の人は触ってはいけない決まりだった。

中のデータは元のままだったのでやっと安心。

久しぶりにブログにアクセスしたらniftyのココログも新しくなっていた。嫌だなあと思う。

このブログを書いただけでも、コピペできない、複数カテゴリが選べない、ツイッター連携できないなどの不具合だらけ。

PC、メール、ブログ、ツイッター・・こういうことに振り回されることは本当に嫌だ。

 

 

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2019年2月28日 (木)

G先生からのお言葉(次の本)/ 花輪さん、友人に感謝

2月15日

G先生から私の絵についてのお言葉(次に出す画集のための)が届いた。

文章をいただけたことがまだ信じられない。ありがたいのだが、いろいろ考えてしまい、緊張して恐ろしいのがまさる。

親友たちが本当に喜んでくれた。彼らの喜ぶ様子を見て、私も少しずつ嬉しくなってきた。

それでもまだ現実感がない。

2月13日

花輪和一さんと電話。気温は氷点下で、雪も溶けずに積もっているが、バスで出かけていたそうだ。

先日の私の絵に似すぎている絵を描いている学生の話について、花輪さんは私のブログを読んでくれていた。

「すっごい変なのがいるねえ。性格が異常だよねえ。そんなのの絵は絶対ものにならないでしょ。言ってることがDV男みたい。」と言われた。

「なんで最近の若い人はそんなにおかしいの?食べ物が悪いの?」と聞かれたけれど、おそらく現代の病で、やたらに自尊感情や承認欲求ばかりが高く、利己的、功利主義的に育ったのでしょう。

「ずばっと本当のことを言ってやってよかったんだよねえ。絶対に自分は悪くないってどんなにわめいて、言い張って見せても、「鎧通し」のように突き刺さってるから。」

「鎧通し」とは、格闘して敵を鎧の隙間から刺す、身幅が狭くて、手元に近いところはかなり厚みがあるが先は薄くなっている短刀だそうだ。

花輪さんは幼少期の愛情不足や虐待(ネグレクト)もあり、15歳の頃からひとりで生きて、苦労して絵(漫画)をかいてきたけど、自分が努力して道を伐り拓いてきた、とは決して言わない。そういうことを言うのはすごく恥ずかしい、と言う。

私は花輪さんの並外れた才能と謙虚な人柄を尊敬している。

花輪さんがすごいところは絵に嘘がないこと。

植物や動物へ愛情のこまやかさ、眼を通して細部のニュアンスまでとらえる力が突出していること。

仕事に対して効率よくお金を得ることは考えず、自分で納得できる作品を常に目指していること。

人への遠慮や気遣いがあること。

花輪さんとのつきあいも長いが、思えば、私はすごく尊敬している人から大切にされなかった経験があまりない。

もしかしたらこれはすごいことかもしれない、とありがたく思う。

昨年の7月、花輪さんに会いに北海道に行った時、(花輪さんの担当編集さんお気に入りの)少しだけ高級な寿司屋に行こうか、と言われ、私は食べ物に高いお金を使うことに躊躇があるので断ってしまったことを、今、少し後悔している。

花輪さんに会いに北海道に行くことも滅多にないのだし、特別な機会としてちょっとだけ贅沢してもよかったのかも、と。

だけど次に会いに行っても、やっぱり(お金を使うのが怖くて)高級寿司屋には行かずに、庶民的な居酒屋に行ってしまうのかもしれない。

私にとって最高においしい食事は、高級料理よりも、どれだけ素敵な人と食べるかが一番大切だと思うから。

・・・

しばらくほっておいたツイッターを、またやり始めた。

なにもかもわからないことばかりで、全然気軽につぶやけないが、少しずつ。

無知な私に教えてくださったM子さま。久しぶりにお便りをくださったN子さま。

ツイッターがきっかけで知り合った女性の友人は皆、メールの文面も素晴らしくしっかりした思いやりのあるかたたちだ。

お知り合いになれて本当に嬉しい。

心から感謝します。

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2018年12月22日 (土)

猫の絵、動物の犠牲について、デリダ

12月22日

猫の絵(Cat drawing, Dessin)

わずか100gちょっとで拾われた日のチョビ。初めて病院に行った日(135g)のチョビ。

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小さな犬のぬいぐるみだけに甘えていたチョビ。
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真菌によってしっぽ、手足、首の毛がはげたチョビ。特にしっぽが真っ赤で痛々しかった。
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ひとりぼっちではなくなったチョビとプフ。
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「〈殺すなかれ〉は、ユダヤ・キリスト教の伝統のなかでは、また明らかにレヴィナスによっても、〈生物一般を死なせてはならない〉という意味で解釈されたことは一度もない」。

「人間主義を超えて」存在の思考を推し進めたはずのハイデガーも、犠牲(サクリファイス)のエコノミーを問いなおすことはできなかった。

ハイデガーでもレヴィナスでも、「主体」とは、「犠牲が可能であり、生命一般の侵害が禁じられていない世界における、ただ人間の生命に対する、隣人である他者の、現存在としての他者の生命に対する侵害だけが禁じられている世界における人間なのだ」

(「〈正しく食べなくてはならない〉あるいは主体の計算――ジャン=リュック・ナンシーとの対話」)。

こうしてデリダが、ユダヤ=キリスト教も含めて、西洋形而上学の「肉食=男根ロゴス中心主義」を問題化する。

それは、現代の動物実験、生物学実験に至るまで、「肉食的犠牲が主体性の構造にとって本質的である」ような世界である。

いまからほど遠くない過去に、「われわれ人間」が「われわれ成人の、男性の、白人の、肉食の、供犠をなしうるヨーロッパ人」を意味した時代もあった(『法の力』)。

(高橋哲哉『デリダ――脱構築』(講談社)より引用)

・・・

「 問題は(略)動物が思考すること、推論すること、話すこと等々ができるかどうかではない。(略)先決的かつ決定的な問いは、動物が、苦しむことができるかどうかであるだろう。《Can they suffer?》

この問いは、ある種の受動性によっておのれを不安にする。それは証言する、それはすでに、顕わにしている、問いとして、ある受動可能性への、ある情念=受苦(passion)、ある非‐力能への証言的応答を。「できる」(can)という語は、ここで、《Can they suffer?》と言われるやいなや、たちまち意味および正負の符号を変えてしまう。

「それらは苦しむことができるか?」と問うことは、「それらはできないことができるか?」と問うことに帰着する。

(略)苦しむことができることはもはや力能ではない。それは力能なき可能性、不可能なものの可能性なのである。われわれが動物たちと分有している有限性を思考するもっとも根底的な仕方として、生の有限性そのものに、共苦(compassion)の経験に属する可死性は宿っているのである、この非‐力能の可能性を、この不可能性の可能性を、この可傷性の不安およびこの不安の可傷性を、分有する可能性に属する可死性は。」

(ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物)である』(鵜飼哲訳、筑摩書房)より引用)

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2018年11月19日 (月)

ミシェル・レリス 谷昌親訳 『ゲームの規則 Ⅳ 囁音』

11月17日

早稲田大学の谷昌親先生が今年の春に送ってくださったミシェル・レリス著、谷昌親訳 『ゲームの規則 Ⅳ 囁音』(平凡社)を、ずっと少しずつ読んでいる。

以前に、谷昌親先生がくださった『ロジェ・ジルベール=ルコント――虚無へ誘う風』(水声社 シュルレアリスムの25時)も、稀有な美しさを感じる本でした。

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 「論理的または年代的な一貫性をなすというよりも、以下の文章は――それが完成するか、外部の事情で中断されたとき――、群島か星座、血のほとばしりのイメージ、灰白質の爆発、最期の吐瀉物となり、それによって、わたしが倒れこむときに(その中断を、こうした突然の破局というかたちでしかわたしは想像できない)虚構の境界線が空に描かれるだろう。

 文章を並べ、移動し、配置し、トランプのゲームで勝ちをめざすのと同じこと。」     (P5)

「もし、くるりと輪を描き、そこから出発した虚無に立ち返らなければならないとしたら、人生全体を要約すると雫――尾を噛む蛇あるいは環状鉄道――になってしまうのではないか。ただ、円環の内側の白さを黒く塗りつぶす何か、空虚を充実に転換させ、底なしの湖を島にする何かを書き殴る、という問題が残る・・・・・・。とはいえ、この雫は、わたしたちが拠り所とできるものが何もないと示しているのに、いったい何を書き殴ればいいのか。      (P61)

『ゲームの規則』という大衆的なミステリー小説かのようなタイトルのこの本は、まったくそういう内容ではなくて、「ゲーム」というのは「ものを描く」「ものを書く」ということ。

大衆に受け入れられてお金を稼ぐために書く(描く)こととは関係なく、根源的に、人はなぜものを書くのか、いったい何を書くことができるのか、いったい書くに値する何があるのか、書く方法があるのか、という問いかけに挑んだアッサンブラージュ。

厚い本のどの部分を開いて短い文章に集中して読んでも、ミシェル・レリスが観念的に論理や知識を組み立てるのではなく非常に怜悧かつ感覚的、あいまいで豊かなイメージが自分を超えて湧き立ち奔放な旅をする、そのあまりに言語化不可能な次元の境界を言語化しようとしていることがわかる。

貧しい感受性しかない人が、重箱の隅をつつくように末梢的なことをさも重大な発見のように書くことで、いかにも繊細で鋭敏な感受性があるように装う、薄っぺらな詩人気どりにありがちなパターンとは違う。

こういう本を読んだ時だけ、自分が次の本を出すことが虚しくないような気がする。

ネットからのあらゆるニュース、流行りのアートや文学やイヴェントの情報を眼にすると、心が躍るどころか厭世観で息が止まりそうになる。

なにを書いても(描いても)真意が伝わらない閉塞感。

11月18日

とりあえず3匹と共に新宿から高円寺の自宅に帰って来た。

ひと月ぶりに熱い湯舟にゆっくり浸かったら、すごくだるくなり、長い時間眠ってしまった。

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2018年10月30日 (火)

ちゅびとチョビとプフの記録 / 素晴らしい夕焼け

10月30日

次に出す本の編集、ゲラの修正。

ちかちかと明滅して暗闇に消えていく命。

一瞬と一瞬の錯綜する重なりあい、淡くて脆くて気まぐれで激しい記憶。自分もそのなかのひとつでしかない。

弱くて儚くて、誰もかえりみない小さなものの命ほど、愛おしく守りたく思う。

誰も興味を持たないが私は美しいと思ったもの、人間の自己愛からの妄想(自分に都合よく粉飾した世界)ではなく、「自分の外に在る」命の姿を見つめていきたい。

そのための本。

・・・・・

きょうのちゅび。

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きょうのチョビとプフ。

きのうはお互い警戒してウー、シャーッと威嚇し合っていたが、一晩寝たら今朝からは距離がぐっと縮まり、興味を持って触れ合い、遊びだした。

きょうは「ウー」と怒っているのはチョビのほうだけ。プフは威嚇していない。

自分よりずっとからだの大きいプフがどこにでもくっついて来て、マネしてくるのでチョビがちょっと警戒して怒っている。

チョビがトイレでうんこしようと紙砂を掘っている時も、プフが一緒にトイレに入ってくるのでチョビは怒っていた(誰にも邪魔されずにひとりで集中したい時間だよね)。

かまって、かまって、とチョビにくっついてくるプフ。

「えいっ!」「ウッ、やられた。」

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「お返しだ!」「ウッ。。」(のけぞるプフ。)
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「それならこうだ!」「ワッ!」
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ツッパリ同士の握手のような光景(逆光)。
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パイルヘアゴムを結んだ紐に夢中でじゃれるプフをじっと物陰で見つめるチョビ。Sdsc02133_2

プフが紐のほうに夢中になっている時にダッと後ろから襲いかかってバシッとパンチをしては、さっと逃げてまた物陰に隠れるチョビ。
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チョビはこの戦法を何度もやっていた。まるで自分よりずっと大きい相手を爽快に打ちのめすツッパリのギャグまんがの主人公のように、狡い頓智を生み出したチョビ(おりこうさん)。

チョビが大好きなペンギン(チョビが生後一週で拾われた時から与えられているお気に入り)のぬいぐるみで遊んでいるのをじ~っと見ているプフ。
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じ~っと見ていたけど、相手にしてくれないなら「ええい!」と襲うプフ。
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なんで邪魔するの~?!も~!。。
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チョビのペンギンのぬいぐるみを奪い取って大事に抱きかかえるプフ。
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結局、チョビに相手にしてもらいたいだけのプフ。
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窓辺の眩しい光の中でうっとり。
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幸せ。
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きょうは素晴らしい夕焼けだった。

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金色、枇杷色、銀鼠から少しずつ薔薇色と紫に変わっていく雲を、ずっと12階の非常階段から見ていた。
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紺色の空に淡い薔薇が散っていた。
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ふわふわと風に浮かんで蒸発していくうたかたの薔薇。

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最後は柿色の地平線に沿って、紫鼠色の雲が長く伸びる。納戸色の空。
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2018年9月 2日 (日)

ちゅび(ぴょんすけ)の記録 (8月24日~8月31日)、がん定期健診、フランソワ・マトゥロン

8月24日(金)

中川幸夫先生の映画を見るため、友人にちゅびを見てもらって夕方4:40に外出。帰宅は夜10時。

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8月25日(土)

夜7時2分前、まさに動物病院の診療時間が終わる瞬間を見計らうように、楽しそうにプラボールで遊んでいたちゅびに事件が起きた。

「ぎゃあ!ぎゃああ!」と、今まで出したことのない異様な声で叫び、身をよじってばたんばたんと苦悶に狂ったように大騒ぎ。

すごい速度で跳ねているので、なにがあったのかわからなかったが、プラボールが手から離れないのだ。

「ちゅび!どうしたの?」とはずしてあげようとしたら私の右手の指に激痛。キバが刺さったらしく、ぱあっと出血。

19:01に動物病院に電話したら、時間外料金がかかるが診てもらえるというので、急いで病院へ。阿波踊りの雑踏を抜けて走る。

なんと、診察台の上に乗ったら急に神妙な顔でおとなしくなり、あっさり、快作先生がプラボールをはずした。

プラスチックが折れて指に食い込んでいるのかとあせったのに、指がプラとプラの間に挟まっただけだった。

時間外診療代2836円だったが、1000円まけてくれた。 

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これがちゃびを恐怖に陥れたプラスチックボール。

夜、8時半、阿波踊りの熱が冷めやらぬ高円寺の街を自転車で走る。高円寺という寺の門前通りの飲み屋が、いつになく賑やかだった。

9時からアニメーション(のヒップホップ寄りのアーバン)ダンス。FKJの「Skyline」という曲に合わせて振り付け。帰りは11時過ぎ。

8月26日(日)36℃。

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夜7時、イタリアのChinamiさんとSkype。9月にはお会いできる緊張と興奮。

深夜、0時過ぎに、ちゅび、興奮。2回目のうんこ。

8月27日(月)36℃。

25日くらいから和柄の首輪をしているちゅび。鈴はどうしても取ろうとして暴れたのではずした。

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男の子だけど鼻の色と同じピンクが似合う。
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8月28日(火)

朝、8:35に家を出、9時ぴったりに新宿都庁着。パスポートの申請。10分で終了。

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5:30~7時、D先生のLockレッスン。私ひとり。上げる腕の肘角度を90度にしないとダメ、などスパルタ(笑)。できるまでずっとくり返し。疲れたので8:30からのソウル、パンキングはお休みした。

8月29日(水)

昼、うんこの中に刺身のツマのようなものがあった。蟯虫か?と思ったが動いていない。下痢もしていないし虫ではなさそう。

ちゅび~、いったい何を食べたの?

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8月30日(木)

「ぷふい。」

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旅行の保険に加入しに行く。

日暮れ時、阿佐ヶ谷の古い大きなお屋敷の横の道を自転車で通る。長く続く大谷石の塀の上にカラスウリの白い花が咲いていた。
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8月31日(金)

11:30に家を出て鎌ヶ谷の病院へ。血液検査とレントゲン。1時間後に結果が出る。

血液検査の結果、甲状腺ホルモンの値は良好。「栄養状態も良好です。」と言われた。普段は調べることがないが、前回、私がやつれていたのを心配して先生は栄養まで計測してくれたらしい。

レントゲン結果も変化なし。

去年からすごく気落ちしていたが、ちゅびが6月に来てからとても忙しくて元気になった、と言ったら「守るものがあるほうがいいんですよね。」と。

運動(ダンス)を始めたことと、9月にひとりでイタリアに行くことを「活力があるのが一番です。」と、とても喜んでくれた。「なにか持っていきますか?」と、ビタミンとミヤBを出してくれた。浅井先生は優しい。

『もはや書けなかった男』(フランソワ・マトゥロン著、市田良彦訳、航思社)とちゅび。

「事後的」にではなく、「生(なま)の苦しみ」を語る言葉。「証言」ではなく、「証言」をさえ対立させる「経験」。くり返し問いかけられる、「誰が身体を知っているというのか、その力能と無力を」。

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私の縫った噛み癖防止ミトンとちゅび。
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2018年8月13日 (月)

ホームページが消えていた / 次の本、 アートへの拒絶反応

8月13日

午後3時前から激しい雷雨。

・・

8月9日に友人が教えてくれて初めて、自分のホームページが自分の名前で検索してもウェブ上に出てこないことに気づき、愕然。

過去のjimdoからのメールを検索して、ホームページへのアクセス方法が変わったことを知る。

昨年末から編集画面にお知らせが出ていたらしいが、ログインしていないのでまったく気づかず。

ずっとホームページを更新も確認もしていなかった自分のうかつさが嫌になった。

あらためてアカウントをつくらないといけないらしく、メールアドレスを確定するとドイツ語のページへとんだ。

(jimdoはハンブルクの会社だということに気づく。Horst Janssenの家を訪ねた懐かしいハンブルクだ。あの丘の上の小さな家・・・向こう岸がかすんで見えない灰色のエルベ川の景色が浮かぶ。)

とりあえずアカウントをつくり自分のホームページと接続した。が、名前で検索してもいっこうに出てこない。

グーグルコンソールに登録。プロパティの確認、HTMLタグがなんたら・・・でけっこうな手間がかかった。

ホームページがないと、初めて会う人に自分の絵を見てもらうことができない。

自分のやってきたことの証明とまでは言わないが、名刺がわりのものが消えてしまったようで、たいへん気落ちした。

言葉で「絵をかいています」と言っても、なにも伝わらない。絵をかいていることは重要でははなく、どんな絵をかいているかが重要だから。

私は、自分の仕事、絵を見てもらえなくて、ブログだけを見られることに、惨めで恥に耐えない感覚がある。

12日になって、やっと検索に出てくるようになった。

(ブログの横のバーにホームページのリンクが貼ってあります。クリックして見ていただけたら幸いです。)

・・

6月にちゅび(ぴょんすけ)がうちに来てから、次の本をつくる作業がずっとストップしていた。

(ゲラとカンプ。作業中。)
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ちゅびに夢中で、二度と来ない赤ちゃん時代を存分に胸に焼き付けたい、という思いが激しい。そのことに関してはなにも迷うことがない、素直な欲望だ。

仕事のほうがおろそかになるのは、本をつくることが自分にとって有益なことなのかどうか、気持ちが揺れてしまうからだ。

常に、本をつくってもなにになるのだろう、誰が手にとってくれるのだろう、理解してくれる人なんているのだろうか?という思いにふさがれてしまう。

ここ20年、私はアートと呼ばれるものやそのシーンに対する拒絶反応が、いよいよひどくなってしまった。

絵が大好きで、2歳から夢中で絵を描き続けてきたのに。

クソつまらなくて吐き気がするどころではなく、アートは、動植物や弱く小さいもの、はかないものと直接深く交わる私の力をむしろ抑圧してくる。私の身体は耐えがたいストレスを感じる。

私の生きる希望や活力を潰しに来るアートに、これ以上ないほどの憎悪を感じる。

アートのほうでも、私の仕事を認めることはないだろうが。

・・

なぜアートが気持ち悪いか。それはとどまるところを知らない自己顕示欲、自己愛そのものだからだ。

人間だけが持つ嫌らしさの権化だ。

他人の不幸を餌にして成り上がろうとする人たち。

「相手のために」「思いを込めて」という欺瞞。

自己利益のためなのに、「無償性」を騙る厚かましさ。

対峙するべき現実があるにもかかわらず、アートにかまけている、鈍くて傲岸な人たち。

アーティストもアート好きのスノッブもそうだ。

そこに金儲けが絡まり、計算高い人たちが群がり、アートシーンができあがる。

(いまだに「アートのためのアート」の信仰にしがみついている人たちについては、ここでも触れないでおく。)

たとえば、どこかの旅先で素敵な懐かしい景色を見つけても、そこに趣味の悪いアートが鎮座ましましていたら、パチンコ屋やキャバクラの看板よりもずっとずっと私は不快だ。

人工物のない荒涼とした光景、土と植物と動物だけの景色が私の憧れの心象だ。

私は、そこに在るものを鋭く見ることができる人、柔らかな感性を持つ人にしか憧れることはない。

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福島のヤノベケンジの件、アートを飾れば復興にプラスになる、みんなが喜ぶ、という馬鹿げた思い込みが気持ち悪い。

そこにアートはいらない。なにかを置きたいなら大きな線量計を置けばいい。

自己都合のこじつけ解釈ができるオブジェなどむしろ邪魔だ。一つの局面でしかないにしろ、現実をそのまま多くの人に伝えることに力を注ぐべきだ。

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2018年4月 9日 (月)

パラボリカ 森島章人トリビュート展 第2期のレセプション

4月7日

パラボリカ・ビスで開催中の森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念トリビュート展、第2期(部屋が変わり、展示も少し変更)のオープニングレセプション。

今回はけっこう文学関係のかたたちが来られていた。

乾杯の音頭を森島さんがとり、その時に集まった人たちの紹介と、ひとことずつの言葉があった。

私は『アネモネ・雨滴』の口絵を描いた画家として最初に紹介いただいたが、特に言葉は出て来ず(人前で急に言葉を求められると一切話せない)、「使っていただいて恐縮です」とだけ述べた。

クロソウスキーなどの訳で知られる小島俊明さんが「森島さんから歌集を送っていただいて初めて森島さんを知った。「抽斗(ひきだし)に海をしまへば生きやすき少年といふもろき巻貝」という歌が素晴らしかった。詩、ポエジーとは言葉だと思っていたが、ここに集まっている作品を作った人は言葉ではないポエジーを持っている。」とお話しされていたのが印象に残っている。

私の口絵について「アネモネの絵にはとても驚きました。暗い情熱に狂い咲く寸前の、凄絶な精神の美を感じます。歌と拮抗した緊張感に痺れました。」という手紙を森島さんにくださったという藤本真理子さんが滋賀からみえていた。

藤本さんは紬のお着物を素晴らしく着こなしていらっしゃったのだが、うっかり撮影させていただくのを忘れて残念。

今回、森島さん所蔵の絵を展示されていた画家の田谷京子さん(左)と田之上尚子さん(右)。お二人とも正直で柔和なお人柄で、すぐに打ち解け、話が盛り上がった。

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9時過ぎに詩人の林浩平さんがかけつけ、写真を撮ってくださった。真ん中が森島章人さん。森島さんの右は歌人の天草季紅さん。
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林浩平さん撮影の私。林さんは、今日はこの前に4つものイベントに出席されたという。
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2018年3月12日 (月)

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念 トリビュート展初日

3月11日

森島章人『アネモネ・雨滴』出版記念 トリビュート展初日。

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3面の壁をもらったので、ここに森島章人のために「アネモネ領」をつくった。

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短歌研究社の堀山和子さんが持っていらした暗い赤紫の珍しい色のアネモネ。とても神秘的。

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私がつくったアネモネのコサージュ。

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私が今までどうしても描けなかった、3月になってやっと描いたちゃびの絵(鉛筆)のコーナー。

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私は17時過ぎに行った。森島章人さんはもういらしていた。

12年ぶりくらいにお会いできて感激。前に私の四谷3丁目の展示に白と緑の野の花のような花束を抱えて来てくださって以来だ。

18:30からカフェでレセプション。

今野裕一さんお手製のカナッペ。トマト、モッツアレラチーズ、バジル、オリーブオイル。これはすごくおいしかった。

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森島章人さん。

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今野裕一さんがウンカに食われた茶葉などを自ら摘んでつくったお茶。たいへんおいしゅうございました。
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手作りのお茶について熱弁をふるう今野裕一さん。左は堀山和子さん。
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ミルキィ・イソベさんがモンドールのチーズを焼いた料理をふるまってくださった。
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3月12日

森島さんが長野に帰宅された後、夜、電話でお話しした。

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