2026年5月25日 (月)

右腹部のドレーン抜ける / 次の本の絵の再校ゲラを見る / 腹帯がはずれる 5.9~5.13

5月9日(土)

外科のK先生がドレーン洗浄。

右の細く短いドレーンが抜かれる。絆創膏のみ。

次の本の絵の再校ゲラを見る。

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本物の絵(3号、SM)を3点持って来てくれて、デイルームで比べてみると、印刷のほうが彩度が上がりすぎていたり、

やはり私が印刷所でモニター校正しないと伝わらないと思う。

いつ退院できるのかわからないことが本当に辛い。

私が4月の最初にモニター校正に行けていれば6月刊行だったのにと思うとやりきれない。

5月10日(日)

0時スルバシリン、1時バンコマイシンの点滴、2時過ぎ、点滴終了時のルートにヘパリン水を流すので必ず起きてしまう。

だいたい0時から2時半前は眠れない。

ここ4、5日、ずっと毎日している腹帯の下の皮膚がかぶれてかゆくてたまらない。

綿とはいえ厚いキルティングで締め付けているのだからむれて当たり前だし、もう一月以上手術創やドレーンの傷の周りをシャワーしていないのだから。

がんセンターで右肺中葉を摘出した時、早い段階(何日か忘れた)で傷を洗えと言われてびっくりしたような・・。

一昨日のシャンプーでなぜかかぶれてしまい、かゆくてしかたないので、お湯だけで洗っていただく。

5月11日(月)

採血

10時K先生ドレーン洗浄の時に、ドレーンの周りの皮膚がかゆくてたまらないと訴えたら

「もう腹帯はずしていい」と言われる。

腹帯は手術創を安定させるためのもので、腹筋に力がはいると傷が痛むのを和らげるものらしいが、私の場合は常に上にずれてしまってたのであまり役に立っていなかったと思う。

CRP 1.92、WBC 4.7、γ‐GTP309

CRPすごく下がった。が、気持ち的には安心できない。

夕方からスルバシリンとバンコマイシンの点滴をやめて、錠剤のバクタとオーグメンチンに替えるとO先生に言われる。

2種類の点滴で、短くても5時間拘束されていたのが無くなったので、そうとう楽になった。

これで深夜起こされずに眠れる、と思ったが腹帯の中がかゆくて深夜2時間くらい目覚めてしまった。

5月12日(火)

右手についていた点滴のルートを抜く。

この日は割と安定。

深夜0時に左下腹部のドレーン液をボトルから抜きに来る時に目が覚めて、

そのあとおなかがかゆくてレスタミンを塗ってものでずっと掻いていた。

5月13日(水)

この日も割と安定。

最近、飢えがおさまってから病院の食事を完食するのがきつくなってきた。

味付けが、ほとんど味がないか甘いので。

それとずっと下痢なので空腹感がない。

 

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2026年5月24日 (日)

次の本の写真の再校を見る / 透視 ドレーンの先端の位置替え 5.5~5.8

5月5日(火)

7:30 セレコキシブ

今日は行事食。昼は天ぷらと豆ご飯、お吸い物が出た。

・・・

次の本の写真のゲラの再校を見る。

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地面に張り付いている花のようなロゼッタ(寒さに耐えようとして平になっている植物)。ハルノノゲシやタンポポやヨモギの赤ちゃん。

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21年前に撮ったものをデータ化したら、私が最初にもらったプリント(確かポジ専門の業者に出した)より植物が明確に出ていなかったので、

そこだけ「遺言だから」と言って、校正の時に印刷屋さんに少し明確に出していただくようお願いした。

あの時は3月の初め。気温8度でどんより曇りから雨。 

それでも沢渡さんに撮られているとどんどん自由になっていく。

凍える雨の中で春の最初の息吹の草たちの上に寝転ぶのも、沢渡さんに撮られたからとても自然に楽しくできた。

地面にぺったりはりついているハルノノゲシやタンポポのロゼッタが本当に緻密で美しくて。

雨と土と早春の若い芽吹きの匂いに涙が出そうで。

沢渡さんは私が喜ぶこと(草木との絡み合い)を知っていて、「こうしてみて」と言ってくれるから。

(私に似合わない濃い化粧をさせて言いたくない嘘のセリフを言わせた人とは大違い)

昔、撮影した時は、ポジだった。大きなカメラを使っていた記憶がある。

反射板を持ったアシスタントさんが二人いた。

その時はみんながデジタルカメラに移行していて、フィルムを使う人は少なくなっていたが、

沢渡朔さんはフィルムにこだわりたい、と言っていた。

丘の斜面で「こちらに向けて走ってきて」と言われた時はコンパクトで、シャッターと同時に撮れるカメラを使って、ファインダーを覗かずに手で被写体に角度を合わせていた。

この昔の写真と、2年前に撮っていただいた写真と、右肺中葉摘出後の写真と、それに私の前の画集に入らなかった絵のセレクトと

これらの写真を見て谷川俊太郎さんが書いてくださった詩を合わせて本に作っています。

・・・

15:30 アセトアミノフェン 左痛む

17:25 36.9℃ 148‐108 下が高い

19:20 セレコキシブ 痛み15時頃からずっとひかない

5月6日(水)曇り 21℃

6:40 血圧 170‐109 高すぎ 痛みのせい?

アムロジピン

5階の屋上庭園に16時頃行ってみた。

カードタッチでガラスの扉ががーッと空いた時、すぐに庭園は見えず右側に壁がある通路を行くのだが、

少し湿った外の空気に触れたとたん、ふわっと花の香りがして泣きそうになった。

ネロリだ。

庭園の真ん中のオリーブの樹のうしろにひっそり咲いていた。レモンの花。

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うちの近所に何本かザボン(朱欒、文旦)の大きな樹があって、それは素晴らしい香りなのだが、

それとも少し違う、甘いのだけど瑞々しく透明な、本当に感動する香り。

花びらは実のように細長い。鋭く長く固い棘があるので安易に顔を寄せて嗅ぐことができない。

5月7日(木)

6:30 採血

14時 造影剤CT

白血球 3.04 CRP 3.37 Γ‐GTP 371 アルブミン2.5 だいぶ下がった

樹村みのり『冬の蕾 ベアテ・シロタと女性の権利』を読んでいた。

すごくあっさり描いてある本。戦争の描写もなし、日本の女性活動家の描写もなし。

田島陽子が解説を書いていたが日本の女性差別は大化の改新以降だと。

5月8日(金)

7時 140-80 アムロジピン

9:30 洗髪 仰向けでIさんがやってくれたがシャンプーでかぶれる

13時 アセトアミノフェン

13:30 透視室

ドレーンに造影剤を注入。

左のドレーンの先端ピッグテール(丸くなっている)そのままにし、洗浄でやっていく。

右のドレーン、浅く、短くする。中の腫瘍が縮んでいるため

 

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2026年4月 4日 (土)

入院中/ 次の本の制作

3月29日(日)

朝から激痛。37.2℃

8時に痛み止めの点滴アセリオ、なかなか効かない。

1時、鎮痛薬ジブロフェナク。

2時に痛み止めの点滴したら少し楽になる。

・・・

次の本の初校ゲラの写真について、20年前に沢渡朔さんが撮ってくださった時にポジのラボで現像したプリントと、

現在沢渡事務所に残っているデータ化されたものの写りが全く違っていて、

昔のプリントのほうが白黒飛んでいて、現在のデータのほうはコントラストが弱く全体に薄暗く、今回のゲラのもとになっている。

私は地面に芽生えたばかりの極細かい芽やロゼットが白く明確に移りこんでいる昔のプリントを、ものすごく美しいと思っていて、

自分の顔は飛んでしまって構わないから、この植物部分だけはもう少しはっきり出してほしいと願っていて

しかし毎回、打ち合わせに行っても、その植物のことが流されてしまう。

そもそもデザイナーの町口さんもアシスタントの塩原さんも、そのプリントを見たことがないし、

沢渡朔さんは昔のプリントを覚えていないだろう。

「遺言だから、そこを考慮して再校出してほしい」とお願いしたら

編集が今回の初校ゲラと昔のプリントを持って来てくれた。

ベッドの上にすべての写真と初校ゲラを広げて一枚ずつ比較チェック。

やはり春のまだ寒い時期に芽生えた繊細な植物が白く明確に写っている写真、これが私にとって一番大切な写真なのだ。

そのほかの写真は、沢渡朔さんがおっしゃるように現在のデータのほうがよいようだ。

明日の月曜日に、沢渡朔さんや印刷会社や出版元に、私が入院してしまったので印刷所に出張してモニター校正する日程が遅れてしまうことを伝えて頭を下げてくれるとのこと。

夜9時鎮痛剤点滴。

12時鎮痛薬錠剤。

朝4時 激痛で目がさめる、鎮痛剤点滴。

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2026年4月 3日 (金)

沢渡朔さんの事務所で次の本の初校のチェック

3月24日(火)

ちゅびが逝ってしまってからずっと下腹が痛む。

今日は沢渡朔さんの事務所にに12時集合なので割と早くから準備したつもりなのに、おなかが痛くてまともに歩けない。

あろうことか15分くらい遅刻してしまう。

デザイナーの町口さんに写真の余計な傷などチェックしていただく。

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沢渡さんは「こんなにいい本になるとは思わなかった」と何度も感慨深げに言ってくださった。

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とりあえず沢渡朔さんに「良い本」と言っていただけるように編集制作をがんばってきた。

まだ私には再校ゲラの確認修正と印刷所でのモニター修正という重要な仕事がある。

 

本棚に飾られている昔の沢渡朔さんのものすごくかっこいい写真。

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沢渡さんに「改憲されそうなんですよ。今度デモに行くつもりです」と言ったら

「ええ!そうなの?全然知らなかった。」

「新聞は今の政権の都合のいいことしか書いてないですよ。世の中が急速に悪いほうに変わってしまってるんです」

「女性のほうがそういうのはっきりしてるんだよな」と。

沢渡さんの妹さんが「だめよデモになんか行っちゃ!今、からだが悪いんだから。休めないと」と言ってくださった。

「もうゲバ文字のプラカードも書いてるんですよ」

帰り道、ちょっと耐えられないほどおなかが痛み(下痢になる痛みではない)、

駅のベンチでしばし動けなくなった。

それでも私はこの痛みは胃腸の痛みで、やりすごせばそのうち何とかなると思っていた。

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2026年3月 4日 (水)

ちゅび、自分でカリカリを食べる(奇跡) / 次の本のカヴァーデザインができてくる

3月4日(水)

11時に病院でS山先生に摘便してもらう。かぼちゃを食べてもカチカチ。

ステロイドのおかげで今になってから自分でカリカリを食べたことを報告するとS先生は「すごいね!」と驚いてくれた。

ほんとによくがんばってえらいね、と。

体重も奇跡的に前回3.15kgを上回る3.25㎏だった。

ステロイド注射は2週間持つということで今日はしなかった。

3月3日(火)

朝起きた時に頭が朦朧としていて、もう一度寝たら遅い午後に起きてしまった。

輸液、薬、給餌。

デザイナーさんから表紙と見返しと帯の色指定するように言われ、ネットでタントとDICの色見本を見ながら指定するのにすごく時間がかかった。

3案作った。タケオまでタントの実際の色を見に行くべきだが、最近、朝眠くてまともに動けない。

3月2日(月)

今日もちゅびが少量だがカリカリを自分で食べた!手術以来、自力で食べたのは3回目。
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吐き気も ないみたい。

手術後、本当に、6週間も食べられなくて体重も半分になり、もう二度と自分で食べてくれることはないと思っていたので奇跡だ。

おそらくステロイドのおかげなのだろう。手術後からずっと打っていなかったのは、耐性がすぐについてしまうからなのだろうか。

薬と給餌。ちゅーるばかりだと便がカチカチになるのでかぼちゃを食べさせるとよい、とネットに実例を書いている人がいたので、かぼちゃのスライスを買ってレンチン、潰して牛乳で溶いてシリンジで与えてみた。

・・・

選挙が終わってからずっと憂鬱で毎日Xを見ている。

今の悪夢のような状況にやはり激しいストレスを感じて言葉を発している人がたくさんいるのを読むと、止まらなくなる。

新しい戦争が始まったのも恐怖。どこまで酷くなるのか。

夜3時過ぎまで眠れなくて、なのに朝7時すぎに起きてしまったり、自律神経がおかしい。

3月1日(日)

ちゅびが今日も少量だがカリカリを自分で食べた!
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今日は薬と輸液と給餌。
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・・

テスト校正紙に赤を入れる。

問題はいつも同じだが、実際の絵よりもずいぶん色が沈んでしまうこと。

写真撮影で鈍くなり、4色分解でさらに鈍くなり、紙に印刷した時にインクが沈んでさらに鈍くなる。

だからデータ画像のサイドをどのくらい上げておくか、その加減を最終的には印刷会社さんに出向いてオペレーターさんと一緒に調整する予定。

・・・

ギャラリー十二社ハイデに寄り、搬出を見届け、久しぶりに自転車で来たアケミさんと中野坂上まで暗渠を歩いて話しながら帰った。

今日は寒くて、綿のコートでは震えてしまった。

2月28日(土)

ちゅびが少量だがカリカリを自分で食べた!奇跡。昨日のステロイドの効果?

手術してから1度も自分で食べることができなくて、シリンジで給餌していたので、信じられない。

手術しても食欲が戻らなかった時は絶望で真っ暗になり、2週間くらいしか生きられないかと思ったが、

介護して気がつけばもう6週間。

薬、給餌。

2月27日(金)

ちゅびがうんこが詰まって苦しそう、何度もトイレの砂を掻くので、午前中に病院に連れて行って摘便してもらう。

手術以降、脚の付け根が麻痺していて(手術のせいではなくてリンパ腫のせい?)自分でうんこができないのだ。

毎日、総合栄養ちゅーる3本程度しか食べていないのに、S山先生がおなかを触ると固い便が詰まっていた。

「一日おきに500ml皮下輸液しているのに、大量におしっこが出て、水分が腸のほうには行っていないんですか?」と質問すると

「口からも水をとったほうがいい」と言われた。

手術後、ちゅびは一度も自分で食べることも水を飲むこともできなくなっているので、水をシリンジで飲ませるのも嫌がって頭を振るのでたいへんなのだ。

輸液してもらい、そのあとS山先生に「ステロイド打っていい?炎症を抑える効果があるから楽になる。食欲も出るかもしれない」と言われ、お願いした。

帰りにリンゲル液3パックとラインと針を購入して今日の治療費は13000円超。

確かオリーブオイルと牛乳が猫の便秘に効くという記憶があり、ネットで調べるとやはりそのようなことが書いてあったので、午後に少量やってみることにする。

3時頃に給餌の際にオリーブオイルを混ぜると嫌がった。特有の味が嫌みたい。

牛乳もオイルほどではないがやはり嫌がる。

・・・

次の本のカヴァーと帯と表紙のデザインがデザイナーのM口さんから上がってきた。

私が回らない頭で苦しんで描いたラフすぎるスケッチから、それを具現化した素晴らしいデザインが出来てきたので感心した。

本当に私の頭の中のイメージを汲んでくださっている。

帯と表紙がピンク系だったのだけ、紫系に変更していただくお願いをした。

カヴァーと帯のデザインができてくると、次の本の全体像が俄然はっきりしてくる。

まだこの先、一番たいへんな仕事、中身の写真と絵の印刷の校正が待っている。

 

 

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2026年3月 1日 (日)

次の本のテスト校正を持って沢渡朔さんの事務所へ

2月26日(木)11.8℃

次に出す本の写真と絵のテスト校正(2種類の紙)が出来上がってきたので、それを沢渡朔さんに見せに行く。

今日は寒くて、四谷3丁目に早く着いてしまったので北風を避けてコンビニに入っていた。

富久町の、蔦と一体化したとても古くて魅力的な成女学園の建物が破壊されて無くなっていたのでショック。中に入ってみたかったのに。

1時に沢渡事務所へ。

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2024年に私を撮ってくださった写真の印刷を見る沢渡朔さん。

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マットコートとサンシオンの紙の印刷の仕上がり具合を比較する。

本として重厚感が出るのはサンシオン。私の絵の色が比較的沈まずに出るのはマットコート。

沢渡さんは本づくりに関してはあまり注文を出されない。

どんなかたちでもいいから本にして残しておきたい、とおっしゃっただけで、ここまで時間をかけて作るとは思っておられなかったと思う。

売れない本でも、とにかく作っておくことが大事。そうすればいつかどこかで誰かが手にとってくれるから、と。

まあ紙はどっちでもいいか・・という感じで、ローズヒップティーをいただき、いつもの雑談になる。

沢渡さんは相変わらず一日おきにジムに行かれていて、スポーツもよく見ているとのこと。

フィギュアスケートも見ていらした。若いスケーターの演技を「数年後にはうまくなるかもしれないけれど、もうあの演技はできない」と。

その瞬間にしか見られない無邪気さ、奔放さ、無意識で無造作でささやかな仕草、もう二度と見られない風景、

そういうものがお好きなんだと思う。

沢渡さんのすごいところは、本当に権威や勲章のようなものが好きではないところ。

昔からそこは徹底している。

そして私のような人間や、若い人に対してもまったく偉ぶらない。

本当に気取りがなくて、余計なものがない。

 

たくさんの写真展のポストカードが貼ってあるロッカー。黄色いピースパークのマグネットがかっこいい。

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亡くなったご友人の写真家さんが描かれたという絵。

まだ2月なのにベランダには満開のミモザが光っていた。

「南向きなのでとても日当たりがいいから」と。

妹さんが「切ってあげましょうか?」と言ってくださる。

でもこのかわいらしい鉢植えの花は、ここのベランダに咲いていたほうがいいと思った。

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2026年2月15日 (日)

ちゅび LGLリンパ腫

2月15日(日)

私が輸液。給餌。今日もゴロゴロ。

2月14日(土)

11時半から夜10時までずっとちゅびとふたりっきりで隔離部屋にいた。

私の顔を見ると「にゃあ!」とおしゃべりしてゴロゴロ。
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カーテンを開けて光の中で温まってゴロゴロ。私の腕をおててでおさえるちゅび。
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抗がん剤をやっていた時より明らかに気持ちよさそう。

でもすぐにリンパ腫の吐き気が襲ってくるのだろうか。

自力でトイレに入っておしっこして、自力で椅子の上にのぼれていた。

夕方6時。椅子の上に横座りではなく縦に伏せの姿勢にして、私が真後ろから抱え込むようにして押さえつつ、左手で頭を上に向けて吐き気止めを飲ませる。

その姿勢でなんとかちゅーる2本給餌。

2月13日(金)

プフがここ6日くらいくしゃみをしているので病院に連れて行った。

快作先生は「ちゅびじゃないの?」と。

プフは、2年前の同じ日、2月13日に同じくしゃみで受診していた。

その時は風邪ではなくアレルギーの注射をした。今日も同じ注射で様子を見ることになった。

プフは食欲もあり、最近はカリカリだけでは嫌でおやつちゅーるを欲しがってわがままに鳴くようになっている。

2月12日(木)

大きな耐熱ガラスボウルに入れた水を電子レンジで熱くして、そこに500mlのリンゲル液をつけて温める。

10年ぶりに私が輸液。

リンゲル液が常温でも冷えているので、ボウルのお湯をけっこう熱くしないとぬるくなってしまい、ボウルのお湯をもう一度レンチンしてやりなおし。

その間に吐き気止めの錠剤(メトクロプラミドを4分の1にハサミで切ったもの)を飲ませる。

輸液セットを組み立てるのも、(雑菌がついたら終わりなので)絶対に針に指を触れないように緊張。

ものすごい緊張でなかなか針を刺せない。

ちゅびがガリガリにやせているので皮膚が縦にしぼんでしまって、つまんでもふくらまないので、貫通してしまいそうで刺すのが怖い。

背中の丸みの一番高いところの皮膚に針を刺した時、そこをブルブルッと震わせて痛がったので、私は汗だくに。

昔は滴が落ちるのをじっと見つめてがんばっていたが、皮下なので滴でなくスーッと流して大丈夫だそうなので500ml一気に入れる。

そのあと栄養ちゅーる2本とこうカロリーちゅーる1本給餌。

終わってから首の両脇の筋肉とこめかみの筋肉ががちがちになったまま、頭痛が酷かった。

ちゅびはそのあとゴロゴロ気持ちよさそうに寝ていた。

2月11日(水)

午前中、快作先生は、「S山先生と相談したけど、ちゅびにはどうしたらいいかわからない」と。

L‐アスパラキナーゼに関しては、ネットでは猫に効いた例があげられているが、先生の経験ではほとんと効かなかったそうだ。

「私が吐き気止めを飲ませてきました」と申告して給餌してもらう。

いつも吐き気止め注射してすぐには吐き気はおさまらず30分くらいかかるので、吐き気止め注射の後すぐ給餌はかわいそうだから。

とりあえず抗がん剤はやめて、明日から自分で輸液すると申し出て6回分のセットを購入した。

快作先生の説明だと「肩甲骨の間ではなく、一番背骨の丸みの出っ張っているところに打つ。

三角形のテント型に皮膚を引っ張るのではなく、皮膚をつまんで、そこに(針穴を上に向けて)針の先端だけ刺し、

クランメを緩めて液を入れて皮膚が膨らんできたら、針の近くでなく管に近い位置を持ってすっと奥まで入れる」と。

「youtubeで見たのと違う」と言ったら「youtubeは間違っている」と。

管のほうを持って刺すのは、「そうしたほうが皮膚2枚を貫通しにくいから」と。それはけっこう難しそう。

10年前、ちゃびの時は「肩甲骨の間の皮膚を三角形のテント状に引っ張って、テントの下のほうに直角に刺す」と教わった気がする。

が、

「それだと前足ばかりに液が入って足がむくんでしまう。おなかに液を入れるためにはもっと下。肩甲骨の間のほうが痛みは感じないんだけどね」と言われ、

そう言えばちゃびの時は、もろに前足がむくんでいたと思う。

2月10日(火)

ミヤリ酸を溶かしたぬるま湯をシリンジに入れ、それで吐き気止めを飲ませてから30分で給餌。

給餌自体は嫌がるのでたいへんだが、その前と後はゴロゴロ。

次の本の副題と帯文とあとがきについて考えるように言われたが、頭が朦朧としてまったく思いつかない。

2月9日(月)晴れ

雪が固く残り、つーんと冷えた空気の中、ちゅびを病院に連れて行くのがかわいそう。

今日はS山先生という初めての女性の先生の診察。そのせいか午前中、すいていたので話しやすかった。いつもは超混雑で、落ち着いて質問したり確認したりしづらいので。

強い抗がん剤でぐったりしているちゅびを見るとすごくかわいそうだから、もう抗がん剤をやめるか、弱い抗がん剤(L‐アスパラキナーゼ)だけにしようかと思います、と相談する。

S山先生はそれでもいいんじゃないか、と。

「私が11月中に連れて来ていたら・・・」と後悔で涙してしまったらS山先生は

「病気の質が悪すぎる。11月に血液検査しても出なかったと思う」と。

それでも先生ならリンパが腫れていたのに気づいたと思う・・。それを思うと私の精神が崩壊してしまいそう。

輸液はしてもらったが、吐き気があるようなので給餌してもらえなかった。

吐き気止めを打ってもらって、帰宅してから給餌。

選挙の結果で鬱気味。ちゅびのことの悲しみと自責で胸がふさがれっぱなし。

Xを見ていたら、高額医療の限度額を上げるという政府の恐ろしく残酷な企ての関連で、齊藤樺嵯斗(さいとうかざと)さんという、悪性リンパ腫で医大の5年生で亡くなられてしまったかたの記事にたどりついた。

そのかたは激しく辛い闘病をされた。もちろん私も同じだが、高額医療の限度額制度に助けられてこそ治療ができた、とご家族のかたたちも高額医療制度の改悪に反対しておられる。

どうして、闘病の苦しみでもう限界ぎりぎりのところからお金をとろうとするのだろう。

本来使ってはいけないようなところに多額の税金がが使われているというのに。

どうにもやりきれない気持ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2026年2月 7日 (土)

ちゅび、LGLリンパ腫 / 次の本の制作(カバー)

2月7日(土)雪

ちらつく雪の中、動物病院へ。キャリーの内側に何枚も使い捨てカイロを仕込み、バスタオルでちゅびをぐるぐる巻きにして。

今日は昨日とは違って、声が出ていた。

昨日はひどくぐったりしていたと伝えると、副作用を和らげる薬(アンサー。調べると白血球減少を抑える)を打ってくれた。先日も打ったという。

3.45kg。プフよりも軽くなってしまった。

おととい鼻水が出て昨日かたまりをぬるま湯でふやかしてとった、と言うと、鼻水を培養することになった。

今日はアンサー注射と鼻水培養と輸液と給餌で13000円超。

2月6日(金)16℃

今日は暖かい。でも今までで一番具合が悪そう。

私と眼は合うのだが、呼んでも頭が動かず、お返事の声が出ない。ぐったりしている。

それでもしっぽだけでお返事してくれる。

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水曜に打った抗がん剤の副作用だと思う。

あまりにおとなしく寝ているので、このまま死んでしまうのではないかと怖くなる。

吐き気止めを飲ませて、給餌。

口の周りのよごれをきれいに拭いたあと、鼻の穴の上に乾いて固まっていた鼻水をぬるま湯でふやかして少しずつ取り除いた。

今日も昨日に引き続き輸液がないのでシリンジで少し多めに水を飲ませた。

本当なら夜11時くらいにもう一度給餌したいのだが、自主的に食べられないのに無理に食べさせるのはかわいそうなのだろうか。

いろいろ迷って悩むことばかり。

ちゅびの前では泣いていないが、ひとりで雑踏を歩く時、緩んだ蛇口のように涙がこぼれる。

明日が雪予報なので動物病院の夕方の予約を変更しなければと思い、ネット予約を見たらかろうじて11時半が一つ空いていた。

・・・

午後のラジオで金子勝さんの話を聞いた。お金を使って人気があるように見せるやりかたがナチスの時と酷似していると。

もうひとりのコメンテイターの人(名前失念)も、前の参院選と違うのはSORA2があることだと。フェイク動画が簡単にできてしまう。恐ろしい時代。

究極の、最悪の、人間(強者)中心主義。

2月5日(木)12.8℃

昼のうちに期日前投票へ。

・・・ 

今日は口を少しペチャペチャさせて唾液を出すしぐさが見られる。

昨日の抗がん剤のせいで吐き気があるのかと思う。

お日様を浴びて。

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・・・・

次の本の副題、考えていたのがおかしいかもしれないのだが、修正する能力がない。

頭が回らなくて言葉が出てこない。

私はいつもぎりぎりになると、どこからかアイディアが落ちてくるのだが、今回は朦朧としている。

カヴァーのラフを描いたが、これでよいとは思えない。

写真集と画集が合体している本なのでどのように考えていいのかわからない。

今日は私も食欲がなくて、朝ミルクティを飲んだだけで、夕方までお茶さえ飲めなかった。

精神的な疲労だと思うが、頭、首、肩の痛みと肋間神経痛。

顔の浮腫が酷くて眼輪筋が痛い。

過緊張で血行が悪くなっているのだと思う。

2月4日(水)

採決して白血球を計ったら12000に上がっていた。

それで抗がん剤をすることになった。

採決の針が入る時、痛そうにするので辛い。麻痺しているのは足の付け根だけということ。

吐き気がある様子なので先生は給餌しなかった。

うんこをしぼってもらう。ほんの少量で固い。

検査、抗がん剤、輸液で16000円超。明日と明後日は通院させないで私が給餌することになった。

病院から自宅に戻って薬を飲ませて、タオルケットで抱いていた時に地鳴りのように私のからだに響く振動の感覚があった。

確かにゴロゴロ言っていた。つかの間の喜び。

そのタイミングで給餌。

2月3日(火)

脚の付け根が麻痺して、ぐにゃっと曲がったまま前足で移動していて、座っているときも脚が異様な方向に出ている。

脚が付け根から折れているように見えて胸が痛くてたまらないが、自分では痛くはないみたい。

トイレ(低くしてある)にも自分で入れるが、片脚だけ入れないのを入れてやる。

だらっと横すわりになったままおしっこする。

便意があるのか一生懸命砂を掻いていたが下半身が麻痺しているので出すことができない。

明日、先生に絞ってもらうしかない。

2月2日(月)

白血球の検査で4000に下がっていたので今日は抗がん剤は打てず。

輸液。給餌。

 

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2026年2月 3日 (火)

ちゅび 悪性リンパ腫 / 次の本の制作

2月1日(日)

ちゅびへの思いに塞がれて回転が鈍くなっている頭で、次の本のタイトルを必死に考える。

今まで編集してできているもの、沢渡朔さんの写真を1ページ目から順番に見て、谷川俊太郎さんの詩を読んで、私の絵を順番に見て、

全体のイメージから直接浮かんでくる言葉をいくつか書き留める。

・・・

午前中に動物病院へ。

今日で最後の抗生物質注射2種類(手術の傷のため)。

明日、月曜に血液検査で白血球が正常であれば2回目の抗がん剤を打つと言われた。

午後。窓辺の陽射しをいっぱい浴びたちゅびは、しっかり私の眼を見つめて、大きな声で私を呼んで、私が喉をなでるとはっきりゴロゴロ言ってくれた。

がりがりにやせてしまった(あっという間に2kg以上減)けれど、お日様を浴びすぎて暑くなると脚を引き摺りながら部屋の中を移動することもできる。

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ゴロゴロ言って、私の顔を見つめてにゃあ、にゃあ、と呼んでくれて・・・つかの間でも幸せな時間。
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(自撮り)

そしてなんと、私がトイレに立つと「シャー!」と怒った。

ちゅびの「シャー!」を聞いたのは久しぶり(涙)。

甘えん坊全開中に私が席を立つと「シャー!」と怒る、すごくわがままないつものちゅびに戻っていた。

本来のちゅびは、おやつをもらえなくて普通のカリカリだけの時も「シャー!」と怒って、カリカリの上におやつをかけてあげるとガツガツ食べていたのだけれど・・・今は自主的に食べてくれない。

リンパ腫のせいで吐き気があって食欲が戻らない。

それでも抗がん剤が少し効いているのかもしれないと思う。

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1月30日(金)

ちゅびの首にチューブを通す手術をするか、に「しない」選択をしたことを伝える。

もう一度全身麻酔をして身体に負担をかけるのがかわいそうだと思った。

それと首に穴を開けてチューブをしているちゅびを見るのが怖かった。

チューブを入れてまで延命することは、人のエゴではないか、と・・・

もちろん、食べられないでだんだん衰弱して死に至るちゅびを見るのはものすごく辛いし、怖いのだけど・・・

1月29日(木)

今日は病院の休日だが、輸液と抗生物質の注射2本と強制給餌をしてもらうためにちゅびを連れて行く。

通常の治療費に加え、休日診療費2600円がプラスになる。いくらかかろうと気にせず、快作先生のリスペクトとしてお金を捧げる気持ちでないとやっていけない。

1月28日(水)

抗がん剤をやっても自主的に食べてはくれない。

「効いてないのかな」と言われて大ショック。

もう一度全身麻酔をして、首にチューブを入れる手術をするか、と聞かれて倒れそうになる。

チューブをすれば自分で給餌も投薬もできるので通院しなくてもよいから、と言われる。

確かに真冬の寒さの中を病院に通うのはちゅびにとってすごくストレスだろう。

けれどもう一度全身麻酔をして、首に穴を開けてチューブを通すなんて・・・残酷すぎる気がして決心がつかない。

そもそもなぜ抗生物質の注射と強制給餌を受けに2週間毎日通わなければならないかと言えば、

ちゅびが暴れて抗生物質の錠剤を飲ませられないからで、こんなに痩せて両足が麻痺していても、4本の脚で蹴って暴れる元気はあるのだ。

抗がん剤で食欲が戻ることはなかったが、副作用で吐いたりぐったりしたりということもなかった。

1月26日(月)

「抗がん剤をするかしないか決めて」と言われ、「副作用で苦しませたくないから、一番副作用の弱い抗がん剤(Lアスパラキナーゼ)を・・」と言ったら

「抗がん剤をやるなら「CHOP療法」の一択しかない」と言われた。

 3種類の抗がん剤(シクロフォスファミド・ドキソルビシン・ビンクリスチン)とステロイド(プレドニゾロン)の併用。

Lアスパラギナーゼ単独ではあまり効かないと。

すごく効くのか、強く副作用で苦しむのか、あるいは効かないのか、やってみないとわからない、と。

その場でどうしたらよいのか頭が回らなくて苦しくて涙が出たが、CHOPを一度やってみることにした。 

「ごめんね!ちゅび・・」と思わず口に出してしまったら

「泣いたらダメ!治療すると決めたら笑顔でいないと、自分のせいで大好きな人を苦しめてると思われる」と先生に怒られた。

輸液、抗がん剤、抗生物質2種、強制給餌。

今日は18000円超。

 

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2026年1月26日 (月)

早稲田での発表 / ちゅびのリンパ腫が悪性だった

22日にちゅびの細胞診の結果が出て、「LGLリンパ腫」、リンパ腫の中でもたちが悪いものと知って、頭が殴られたようになり、文字通り倒れていた。

手術後、抗がん剤をやってもあまり延命できないかも、という記事を読み(それもちゃんとは頭に入って来ない)、精神疲労マックスになり、朦朧とした。

早稲田での発表のための準備に根を詰め、ずっと過緊張で頭痛や動悸、そこにちゅびのことで、まともに言葉が出てこない感じ。

毎日のちゅびの通院には行っている。

手術後、一度も自主的に食べてくれなくなってしまい、毎回、抗生物質の注射(抗生物質の薬を抵抗して飲ませられないため)と輸液と強制給餌をしてもらっている。

後ろ脚の神経が麻痺して引きずっているが、強制給餌の時には4本の脚で先生を思い切り蹴ってくるので、私が前脚を押さえている。

頭はよく動くし、表情はしっかりしていて、私の呼びかけにも応える。

私は悲しすぎて心臓も胃も頭も全身の筋肉も痛い。

ちゅびがかわいくてたまらない。

1月22日(木)

早稲田大学 谷昌親先生の授業で発表。

塚原史先生も聞きに来てくださった。

「画家の身体」 

〇絵はなんのためにあるのか 画家の身体とは
画家の身体は普通の人が見ていない、あるいは見えないものを見ているということ

〇自我、主観、主体、あるいはそれらの主権、理性、さらに客体化された論理、習慣、常識、そこで繰り返され循環するステレオタイプ、ありふれたもの・・・、そうしたものから逸脱は可能か

〇デッサンは自分の外にあるものを見て、自分が受容体になることで、主客未分の状態になる
「証言」

〇言語でないもの、人間の外にある生命、文化の外にあるもの、遺棄されたものへ寄り添う

〇絵であるものと絵でないもの 絵は自分の外にあるものとの関係性 
具象という意味ではない

〇絵が「現代美術」としてあるためには、「問いかけ」が必要

〇若林奮 「人間に興味を持たない」、作品の「相手は」「犬であるかも知れない」、「自分の現在と最初期との接近を考え、その間にある歴史を不要としたい」

〇革命

〇アルトー ブルトンへの批判、シュルレアリスム、画家の身体

〇視覚芸術と無意識について

〇人は「現実」=「むき出しのままの表層」こそを見ていない、ということ

〇シュルレアリスムの目指した可能性を現代に生きるには

〇「現代美術」と「現代アート」(仮)

〇デリダの残したもの 動物、共苦、人間中心主義への批判 懐疑不可能なものに先行する 

ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(ちくま学芸文庫 鵜飼哲訳)

・・・・

結局、誰にも理解されない問題を発表したのだと思う。

でも、自分にしか発表できないことを発表したのだからよしとする。

死ぬ前に一番言っておきたかったことを、まあまあ言えた。

Z世代の学生さんが助けてくれて動画撮影はできたのだが、それを私が短く編集してYOUTUBEにアップするには、そうとう時間がかかるだろう。

20年前、私は早稲田大学のけっこう大きい教室で発表をさせていただき、そのあと谷昌親先生の授業でも発表したのだが、

その当時、吉田文憲さんが早稲田で教えていて、吉田さんが塚原史先生や谷昌親先生につないでくださったのだ。

この「画家の身体」という発表も、吉田文憲さんが聞いたら、なにを言っているのかわかってくれたかもしれない。

20年前、私は吉田さんに常に「画家の身体」の話をしていて、それはアルトー的な「宿痾」だと言われていたから。

・・・・・

アルトーの「アンドレ・ブルトンへの手紙」(1947)鈴木創士訳

「私は秘密の世界や、世界に隠された何かがあるなどとは信じない。見かけの現実的なものの下に、観念、知覚、実在性、あるいは真理の、埋もれた、あるいは抑圧された初段階があるとは信じない。
すべてはそしてとりわけ本質的なものは、むき出しのまま表層にあったのだし、それが垂直に、そして奥底に沈みこんだのは、人間たちがあくまでそう主張するすべを知らず、そう望まなかったからだと私は思っている。」

「秘法伝授を誕生させたのは現実的なものへの恐怖である。(…)もしシュルレアリスム(超現実主義)が現実的なものでないなら、いったいそれが何になるのか? 
だが、そうであっても、もうたくさんだ。いかなる外観のもとにあろうと私はもう芸術には我慢がならない。芸術、すなわちひとつの打撃、糞、殺戮、戦闘、決定的な一掃でないものは。」

・・・・・・

福山知佐子「応鳴、息の犇めき──ジャック・デリダの動物論に寄せて」『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(ちくま学芸文庫)あとがきエッセイより

〈先決的、かつ決定的な問いは、動物が、苦しむことができるかであるだろう〉という言葉をめぐって、語れる能力を持っていることを示すことではなくて、動物たちの苦しみをどれだけ〈共に〉苦しむことが〈できる〉のか、どうしたらその苦しみを〈限界の周りで、限界によって〉〈養い〉、〈生成し、育成し、複雑にできる〉のかということだろう。
 
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打ち上げのサイゼリヤにて塚原史先生と谷昌親先生と
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