2025年3月28日 (金)

本のための絵の撮影 桜ほぼ満開

3月27日(木)

糸井さんが1時に絵を運びに車で来てくださった。

春の光の中をドライブ。普段通らない道を通るのがとても楽しい。

三鷹や小金井のあたり、けっこう広い生産緑地があったり、たまに去年の枯れ蔓が乱れる原っぱを見つけるとわあっと興奮する。

日向の桜はもう満開。玉川上水の新芽も、国際基督教大学のあたりもきれい。

西武線の青い列車が菜の花が満開の踏切を通り過ぎて行った。

糸井さんの写真スタジオにて、絵の撮影。

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大きい絵は立てて、レンズとの距離をとって撮影。

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私は撮影と同時にPCに送られてくる画像を見て「この銀箔の部分をもっと金属っぽく反射強くして下さい」とか「この青い色をもう少し濃く出してください」などとお願いして、イメージ通りの画像に近づけていく。

撮り方によっては銀箔の部分が白くなりすぎて平板になってしまうので、暗い部分と光があたった部分を一枚の絵の中にいれるようにしてもらう。

コントラストを上げたり、レフ板を使ったり。

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撮影風景を撮るのを忘れたが、いつもどおり小さい絵(SM)は真上から撮影した。

目視では薄暗い部屋の中で絵は黒茶色っぽくしか見えないのだが、カメラのフラッシュによって撮影された画像は細部までとてもクリアで、色の変化もよく出ていた。

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これは糸井さんのカメラではなくて私が撮ったのでピントがぶれて失敗した画像。

鬱金香(チューリップ)

・・

普段はお菓子を食べない私なのに、糸井さんが出してくれたFIKAというクッキーがあまりにおいしそうで、つい1枚いただいてしまった。

伊勢丹オリジナルの北欧クッキーらしいが、甘くなくてソフトでほろほろするタイプ。とてもおいしい。

朝、小松菜とバナナのジュースだけだったので、頭を使ったら急にお腹がすいてしまったみたい。

前に糸井さんのスタジオに来た時は、娘さんは中学生で、今は大学生で留学している。時がどんどん経っている。

・・

グリーンアパートという古い情緒のあるアパートの庭に、私の好きな野襤褸菊が満開だった。この花は目立たないけれどとても素敵な姿をしているのだ。あまり野襤褸菊を描いている人を見たことがないが、私は何度も描いている。

帰り道では「桜通り」というところを通った。ほぼ満開。

こういう風景を見ると、車の中からでは申し訳ないような気持ちで胸が痛む。花のそばに行って樹の肌合いを感じて匂いをかがないと。

春爛漫の直前の胸が苦しくなるような時間。

中央分離帯にはタンポポが満開。春紫苑はつぼみだった。

 

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2025年3月26日 (水)

ヒヤシンスの絵 / FODMAP 、ブレンダー 野菜ジュース

3月26日(水)

雪さまにリクエストいただいているヒヤシンスの絵、制作中。

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ヒヤシンスの花色は多いが、私は青色、水色、薄紫系統が一番好きだ。

ご注文いただいたかたからも青色系が希望だと言われたので嬉しかった。

淡い青だとスカイジャケット、ブルージャケット(花の根元が鮮やかな空色で花弁は紫がかった青)、デルフトブルー・・・などの種類のヒヤシンスをイメージして描きたい。

ヒヤシンスの詩と言えば、大手拓次である。

ヒヤシンスは特徴的な素晴らしい香りがあって、真珠や霜のように花弁が光って、幼い頃から大好きな花だが、大手拓次の詩を読んでさらにヒヤシンスが好きになった。

その詩は、ヒヤシンスに色をつけた時に載せようと思う。

・・

猫の絵を買ってくださったサヤカちゃん(30年来の友人)と、最近メールで久しぶりに話した。

サヤカちゃんも長く腸の病気に悩んでいる。彼女は高FODMAP食品を避けることを教えてくれた。

FODMAPというのは、小腸で吸収されにくい4種類の発酵性糖質を指す用語とのこと。

Fermentable➝発酵性
Oligosaccharides➝オリゴ糖
Disaccharides➝2糖類
Monosaccharides➝単糖類
AND
Polyols➝ポリオール

お腹によいとされているヨーグルトや納豆、はちみつやオリゴ糖も高FODMAPに含まれる。

玉ねぎ、にんにく、ブロッコリー、キムチ、マッシュルーム、豆類、絹ごし豆腐、さつまいもなど私の好きなものばかり。

そして私の大好きな果物、さくらんぼ、桃、りんご、梨、マンゴー、スイカ、アボカド、プルーン、あんず、ライチ、柿、西洋梨、いちじく、すいか、プラム、ドライフルーツ・・・これらは全部やめられない。

ずぼらな私にはFODMAPを避けるのは難しそう。

何十年も前から欲しかったのにまだ買っていないブレンダーを買って、生野菜ジュースを飲んでみたいです、と言うと、

サヤカちゃんから、ワット数の低いものだとうまくできないというアドバイスをいただき、一番安い150Wのを買おうとしていたのをやめて500Wのを買うことにした。

本日、ブレンダーが届き、仕事から帰宅して夜、生まれて初めての自分で作る生ジュース体験。

小松菜を2株と有機バナナ一本、それにラブレ1本を加えてジュースにしたら最高においしかった。

飲んだらすぐにおなかがきゅるきゅる・・と鳴ってしまったが。ミヤリサンとロペミンを飲みながらだましだまし飲んでいこうと思う。

・・

先日、卓球仲間のMさんに体重が減ったと言ったら「たいへん、甘いものいっぱい食べなきゃ」と言われたのだが、

私はもう30年くらい、好んで甘いものを食べたことがない。お菓子に興味がなく、ほとんど砂糖を摂らない。

がん細胞はまず糖を吸収するのは事実だが、甘いものを食べても癌の悪化には関係ない、とも言われている。

しかし癌の悪化に関係なくても、身体の糖化、酸化、炎症に関係あることは避けたいし、私は甘いものを食べたいという欲求がまったくない(お酒は時々飲みたくなるが)なので、勧められてもいただかない。

甘いものをお土産にいただいたら、友達にもらっていただいている。

ぶどう糖加糖液の入った飲料も飲まない。

同じく卓球仲間のKさんに「すごくおいしい」という揚げせんべいを持ってきているので食べないかと勧められたが、謹んでお断りした。炭水化物が揚げてあるお菓子は食べない。

癌が動き出してから、絶対に食べたくないものに無理してつきあうこともない。

・・・

明日はまた絵の撮影。

ちゃんと選んだはずなのに、あとから絵を修正したくなったり、選にもれた作品が重要に思えてきたり、どうしても感覚が微妙に変化するので一発で決定!というふうにはならない。

悩み、迷いながら修正を重ねて、頭が少しずつ冴えて、どうにか考えがまとまっていく感じ。時間がかかるのだ。

プロの撮影現場を見るのは楽しい。やりかたを見せていただいていろんな発見がある。

私が現場で、一番撮りたいところのポイント(ディテール、色味など)を説明して、そこに焦点を合わせて撮っていただいて、思い通りの撮影になっていくのがとても充実感がある。

 

 

 

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2025年3月25日 (火)

個展 7月 /  次の本の制作 / 体重減少

 

今年の個展の会期は

7月1日(火)〜7月26日(土)

13:00~19:00 毎週日月休み 

に決定しました。(日曜日に休みなのが気になるけど・・・)

ギャラリーから5月と言われていたが、5月では全く準備期間に余裕がなくて不安だったので、少しほっとした。

2022年に6月30日から3週間、神楽坂で個展をした時に、初日から36℃くらいの猛暑でたいへんだったのが強烈な思い出だ。

今年も7月は暑くなりそうなので、体力をつけないと。

3月22日(土)

次の本の制作。

先日の写真撮影にもれた絵で、やはり撮影しておいた方がいいものが数点あり、作品の補修をする。

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絵の順番とタイトルを決め、本のページを編集する作業が、うまく回らない頭にはすごくたいへんで時間がかかる。

無理やり絞り出したようなアイディアで進めたら、あとで後悔しそうで不安でたまらない。

 

作品補修に薫泥(燻した銀泥)を使った。昔よく使っていた薫泥の色が何番かわからなくなり、夕方、渋谷のウエマツに色見本を見に行った。

私の記憶では2番だと思った(ネットで色を見て調べた時も2番)が、色見本によると1番。色見本自体が変色していてよくわからない。

そのあと久しぶりに公園通りの坂道を上ったが、あまりにも昔の面影がなさすぎて、人が増えすぎていて、どこを歩いているのかわからなかった。

公園通りは昔、私が高校生の頃はジャンジャンの近くに瀟洒な喫茶店がいくつかあり、本当に素敵だった。

「僕の大好きな喫茶店は坂道の途中にあります・・」と歌になるくらい、情緒のある通りだったのに。

アップリンク(大野一雄さんの映画を観に来た)のあったあたりもすごく変わっていた。

ハンズのほうへ歩くと、昔、宇宙百貨があったあたりの小さな崖のような部分に草が生えているところだけ昔のままっだった。

古レコード屋があった裏通り、もう少し行けば、昔、とても素敵だったドリアン・グレイというアンティーク古着屋があった。ネットで調べると、なんとまだ存在しているみたい。明るい時に歩いてみたい。

・・

朝、体重を計ると41kgだった。BMI値が16。癌とは関係なく、胃腸の調子が悪いせい。

これは私が30代の時に子宮内膜症の治療で女性ホルモンを止めて一番具合が悪かった時の体重と同じ。

女性ホルモンを止めていた時は、人工的に急激な更年期を作り出していたので、頭痛、肩こり、吐き気、めまい、のぼせ、動悸、疲労倦怠で超絶に具合が悪く、起き上がるのもしんどかった。

その時の記憶に比べれば今は楽だけれど、冬からずっと胃腸が痛くて、食べるとお腹がさしこむのでなかなか多くは食べられない。

1日に700kカロリーくらいしか摂れてない日があったから少しずつやせてしまった。

なんとか体重を戻さなければ、と腸の炎症を抑える食べ物を調べたら、まずはDHA。

抗酸化、抗糖化、抗炎症の食べ物と言えば、やはり野菜(特にブロッコリー、トマト、玉ねぎ、ニンニク、小松菜など)、果物(バナナ、カシス、ブルーベリーなど)、そして発酵食品(ヨーグルト、カマンベールチーズ、キムチ、麹菌など)。

それと筋肉維持のために蛋白質を摂らなければ。私の場合は肉類を一切食べないので、最近はちくわとはんぺんとヨーグルトをよく食べている。

3月17日(月)すごく寒い。

一週間前の雪予報だった日は、風がなくて意外にもぜんぜん寒さを感じなかったのに、きょうは予報では暖かいはずが強い北風で体感4℃くらい。

レットヴィモの副作用が強く出て、眼の下の隈と顔の浮腫がひどくなり、頭痛。アートフェアの時に痛めた腰もまだ痛い。

夜間卓球に、久しぶりにデザイナーのアキさんが来てくれた。

私のブログを読んでくれて、体調のことを気にしてくれていたと聞いてとても嬉しかった。

腫瘍マーカーが急上昇と書いていたので、癌でない人はどう話しかけていいか困ると思う。

腫瘍マーカーがいったん下がったんで、今は話しやすいタイミングなのだ。

アキさんは絵を描いていないけど美大卒で、美術界のドロドロ話など通じやすく、さっぱりしていて話しやすい人。

帰り道、凍るような北風で耳も顔も痛く手もかじかんでしまったが、おしゃべりできて楽しかった。

 

 

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2025年1月23日 (木)

次の本の編集 / 詩人のTさん / 少し気持ちが落ち着く

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ちゅびのまだ小さい頃(鉛筆、水彩)。

22日(水)

次の本のための編集作業。

掲載したい絵の画像の順番をざっくり決め、タイトルと英訳をつける。けっこう時間がかかった。

途中、並べてみると少し色味がおかしい画像があり、連作として並べた時に地の色がおかしくないように再度調整。

1月21日(火)

Wさんに2週間ぶりにマッサージしてもらう。

左肩が痺れるほど凝っていた。

やはり腫瘍マーカー6400超のショックが大きくて、過緊張が半端なかったのだろう。

浅井先生にお話を伺ったおかげで、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。

今も浅井先生とご縁が切れていないことを心底ありがたいと思った。

過緊張が少しずつほぐれてくると、だるくて眠くて布団から立ち上がれなくなった。

1月20日(月)

筋肉の疲れがどっと出た。全身に乳酸が溜まっている感じ。

夜は2週間ぶりに卓球に行った。今日は全部で7人だった。

Aさんに「顔が腫れてる」と言われた。寝てばかりいるせいか顔の浮腫が酷い。

左足の捻挫はまだ完全には治っていない(少し腫れているし、足首を動かす方向によっては少し痛む)が、ほぼ自由に動けた。

5勝で1番だった。

6時半頃に雷の音がして、激しい雨となり、7時半になっても止まなかった。

受付にいたかたが優しくて、忘れ物の傘を貸してくださったので助かった。以前に別の人が受付の時に、やはり雨で「忘れ物の傘を貸していただけませんか」とお願いしたら「忘れ物なので貸せません」と言われたことがある。

1月19日(日)

昨年の「二匹展」に来てくださった詩人のTさんにメールしたら、もう20年も前から私を知ってくださっていたとのこと、また「鬱金香をはじめとする絵に惹かれている」と伺ってたいへん感激した。

腫瘍マーカーが急上昇して、ネガティヴで絶望しやすい私は、過去の生き生きした瞬間のことを忘れてしまって、どうしようもない厭世観や無力感に襲われたりもしていたのだが・・

メールのやりとりをするうちに、昔のことが鮮やかによみがえって来て、とてもありがたく思った。

過去の、死の恐怖にすくんだりせずに精一杯燃焼していた時のことを思い出すと、自分の人生は空虚ではないと思えてきた。

その頃は、今よりもっと絵を描くことに緊張していて、どんなに懸命にやってもまだ足りないと思いこみ、焦燥でいっぱいで・・・激しく求める性格はあまり変わっていないので絵を描くことを楽しんだりはできていなかったのだが・・今、思えば、ありがたいこともたくさんあった。

絵を描くことを思いつめすぎて、辛くてもうやめたいと思った時期も長くあったが、結局は細々とでも発表を続けて来たおかげで、いろんな素敵な人たちと巡り合うことができた。

私に絵と文章が無かったら、死を前にして、もっと力なく、途方に暮れていただろう。

そして不安で張りつめていた私を支えてくれた、もう会うことのできない人たちのことを思い出して涙が出た。

今日は少しずつ気持ちが落ち着き、やっと何枚かのスケッチを描くことができた。

 

 

 

 

 

 

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2024年12月24日 (火)

次の本のための絵の撮影

12月23日(月)

カメラマンの糸井さんが私の(次の本のための)絵を撮影していただくのに立ち会う。

大きな絵から順に撮影。

一番大きな50号の撮影には、2つの大きなライトを天井に向けて照らし、天井の反射で撮る。

目視と画像の色が違ったり、線が暗く潰れて見えなくなっている箇所がないかを私がチェック。

一枚撮って、暗いところには近くにレフ板を置いたりしながら調整していく。

銀箔を使っていない作品は一発でうまく撮れた。

銀箔を使っている作品は平均に光が当たってのっぺりしないように、きらきらした質感を出すためにあえて一部だけ強く光らせる場所を決めて、私がモニターを見ながら指示を出す。

50号2枚一組の作品は、1枚ずつ撮影して2枚つなげた時に光が不自然にならないように考えて何度も撮影していただいた。

次に30号の作品。

きのう急に仕上げた銀箔を腐食した作品は、どこの色を一番大切にするかを決めて色の深みや重厚感を出すのが微妙だった。

光を吸収する黒い服を着ている人はエアバブル(プッチンプッチン)を体の前に広げて反射するようにした。

10号の作品は、セッティングをかえ、背景紙に作品を立てて2つのライトを両脇の傘に向けて照らし、その反射で撮る。

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少し暗すぎた部分に白いレフ板を添える。

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最後に一番小さい作品は下に置いて、真上から撮る。この時の照明2つはまた天井に向ける。

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光らせたい部分に使うレフ板には白、金色、銀色があり、かたちもいくつかあった。

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糸井さんにカメラマンの仕事についていろいろ聞いたのだが、大学を出てから大手出版社の下請けでたくさんのカメラマンのアシスタントをし、いろんな撮影のやり方を学んだそうだ。

旅のムックの仕事、結婚式の撮影などでの苦労話も。

片付けの後、すべての機材を台車に載せて駐車場まで運ぶのだが、機材が100アイテム近くあり、とても覚えきれないし、やたらに重いし、ものすごい体力がいる仕事だ。

帰りは糸井さんの車で新高円寺まで送っていただいた。

今日は充実していたので、なんとか死の恐怖から逃れ、虚無を感じずにすんだ。

12月22日(日)

明日、絵の撮影なので、急だが新しく仕上げられる絵は仕上げようとした。

昔の50号の銀箔を貼った上にチューリップを描いていた絵、端のほうが破れてしまったために剥がして30号のパネルに貼り直し、

その上に銀箔を貼り足し少しずつ腐蝕して、ずっと何か月も放置していたものに一気に筆を入れて一日で仕上げた。

さらに銀箔だけ貼って何年も置いていた絵に手を入れて、数時間で2点仕上げた。

夜の12時過ぎまでかかり、気がつけばけっこう疲れていた。

こういう過集中の過労が癌にいけないと浅井先生に言われそうだが、夢中になっている時は癌のことから気がそれている。

絵が描けない時はいくらがんばっても描けない。閃きや衝動は努力でどうにかなるものではない。

だから描ける時は描いたほうがいい。

 

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2024年11月20日 (水)

谷川俊太郎さんのこと

谷川俊太郎さんが亡くなった。
今作っている次の本——沢渡朔さんが撮影してくださった私の写真と、それに寄せてくださった谷川俊太郎さんの詩と、私の絵をまとめた本の完成を見ていただくことができなかったのがとても残念だ。

少女の頃、あまりに衝撃を受けた『二十億光年の孤独』。
「ネロ」は泣けて泣けて暗唱するほど読んだ。

私の最初の個展の時にご案内を出したら見に来てくださった。
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谷川俊太郎さんには大変お世話になっている。
2009年に作った『デッサンの基本』の帯文をお願いした時には4つも文をくださった。

・・・

「花」という言葉が花を覆い隠している
デッサンは花という言葉を剥ぎ取って
花という得たいの知れない存在に近づこうとする
            *
紙の上にワープして
花は「花」という言葉から
自由になる
花が生きるように沈黙のうちに線も生きる
それがデッサンではないか

            *

目前の具体物を紙の上に抽象化する過程で失われるもの
それを惜しむことで何かを得るのがデッサンかもしれない
            *
「写す」のは写真でもできる
デッサンは「移す」のだ
花を紙の上に

・・・

どれも谷川俊太郎さんの『定義』という詩集にも関わっている、
言葉で覆い隠されている物への「不可能な接近」「邂逅」についての問いを提起する谷川さんにしか書けないことばだ。

『反絵、触れる、けだもののフラボン』の帯文をお願いした時、この本について「とても面白い」とお宅の玄関先で言ってくださったことが忘れられない。
私はこの本でいわゆる「現代詩」とよばれる現代詩手帖に載っている詩のようなものではなく、私にとってのポエジィとは何なのかを、絵ではなく言語のかたちにして問うてみたかったのであり、その文章を谷川俊太郎さんがほめてくださったことはこの上ない恩寵だった。

「この書物をオビにするのは、至難の業です。
書いても描いても尽せない
いのちの豊穣に焦がれて
ヒトの世を生きる福山知佐子は
どこまでも濃密なエロスの人だ。」

吉田文憲さんと一緒にご自宅にお邪魔させていただいたこともある。
端的で示唆に富んだ言葉。
吉田さんはいつもの感じで打ち解けていたけれど、谷川さんの人に対する絶妙な距離感を察しすぎて私はとても緊張していた。

その日、『なおみ』という沢渡朔さんの写真とタッグを組んだとても印象的な絵本をくださった。
あの日、谷川さんと一緒に撮っていただいた写真はどこにいったのだろう。

フェリス緑園都市校での谷川さんの講演も素晴らしかった。
人がまったくいない光景にポエジィを感じると谷川さんは言った。

立場は全く違うが、人疲れするという意味でなんとなく通じていると感じていた。
あの時も大学職員の人が谷川さんにあびせるくだらない質問に、私は傍ではらはらしてしまっていた。
もちろん谷川さんはそういうことに慣れっこで淡々とこなすのだけど。

電車でお会いしても、私はごあいさつした後、隣の席に座ってただ黙って揺られていたりした。
谷川さんはしつこく話しかけられたりすることがとてもお嫌だろうと思っていたからだ。

今作っている本への詩をお願いする時、今までいろいろお世話になり、そのたびに胸が震えたことを手紙でお伝えした。
「谷川先生はもう覚えていらっしゃらないと存じますが」という私に、
「もちろん全部覚えています」とお伝えくださって泣けた。

谷川俊太郎先生、ずっと多くのものを与えてくださり、そのありがたさはことばになりません。

・・・・・・

11月20日(水)

二匹展で対人緊張などで胃が受け付けなくなり4kgやせ、42kgになった。

その後、少しずつだましだまし食べ、やっと少し体重が戻ってきたが、昨日から寒くなったらてきめんに体調が悪い。

顔が冷たい風にあたると浮腫が酷くなり、眼がちゃんと開かないし、首や眼の奥が痛くて頭が重くて・・とにかく苦しい。

人に会えないレベル。

11月19日(火)

がん研究センター。採血5本。

少し肝臓の数値が上がっていて「お酒を少し飲みました」と言うとY本先生に「関係ないですね。薬を続けているせいでしょう」と言われた。

お酒を飲みたくなるのは緊張がとれないのと寒いせいで、飲んだとしても1杯だけ。

サイログロブリン値が上がっていないかが恐怖なのだが、その結果は来月。

 

 

 

 

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2024年11月11日 (月)

二匹展 6日目(最終日)の記録

11月4日(祝日)の記録

今日最終日、もう本当に体力ギリギリで頭朦朧だったので今朝もレットヴィモ休薬。

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私の西新宿の古い家を改築してくれた村野正徳君。
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いつも変わらずあたたかい斎藤哲夫さん(シンガーソングライター)。
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今日は中塚正人の「風景」を歌ってくださった。
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このシンプルな曲はいろんな人がカバーしているが、哲夫さんの今日のギターと歌唱は一番泣けました。

いずれyoutubeにアップします。

たくさんのお客様。
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昨日来られて「『反絵、触れる、けだもののフラボン』にサインが欲しいんで、明日持って来ていいですか?」と言われた小説家のM・Kさん。ビーチサンダル姿が印象に残った。

私はこの本を小説家のかたにほめていただくのは初めてなので、たいへん感激した。比喩や観念を入れない、見えるものをそのまま描写することに共鳴してくださったとしたら稀有なことだ。


早稲田大学の谷昌親先生。「美容師にそそのかされちゃって」と髪を伸ばしてパーマをかけたヘアで、すごくおしゃれ。
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ポスターハリスカンパニー代表で寺山修司記念館副館長の笹目浩之さん。映画「田園に死す」の中での花輪さんの描いた看板は、寺山修司が撮影の際に火をつけて燃やそうとしたが、スタッフがそれは忍びない、と言って救ったとか。いいお話を聞かせていただいた。
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笹目さんも「とにかくこの絵が最高にいい」とおっしゃっていたペン画。これは30年以上前の花輪さんの個展で一番の大作で、その時に私が譲り受けた宝物なのです。あまりにも繊細で、かわいくて神々しい。
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安部慎一のドキュメンタリー映画を制作中の外川凌さん。

フルーテイスト、篠笛奏者の藤原雪さん。一緒にお写真を撮っていただきたかったのに撮り忘れてしまいました。

とにかくお客様いっぱい。
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昨日、外から大きなガラス窓越しに私の絵を見て、今日見に来てくださったという元モデルのHamさん。Sdsc01008_20241110130901

詩人の中本道代さん。
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シモーヌ・ヴェイユを主軸に芸術、詩学を探求されている今村純子さん。
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5時になった瞬間、テーブルに突っ伏してしまった。肩首背の筋肉が緊張しすぎて強い吐き気がして。

レットヴィモを飲みながら、サンダルで立ちっぱなしで血行不良の姿勢で連日はきつかった(寒気がするので腰と背中に使い捨てカイロを貼っていた)。

そして花輪さんファンのかたたちの熱い思いに触れ、対応する喜びと緊張感、半端なかったです。

ご来場いただいた皆様、熱心に見てくださった皆様、本や絵葉書など購入いただいた皆様、本当にありがとうございました。

新たな出会いも僥倖でした。

 

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2024年11月10日 (日)

二匹展 5日目の記録

花輪和一ネットオークション、本日11月10日夕方5時終了です。

https://blog.goo.ne.jp/anti-lion

・・・

11月3日(「二匹展」5日目)の記録

だるくて身体が持たないので昨夜からレットヴィモ休薬。

わりと早めの時間に伊藤ゲンさんがいらして私の絵を買ってくださった。

今日はありがたいことに、お客様がたくさんいらしてバタバタしていました。

舞踏の興行の会社にいたというマニアックなマンが好きの、とても面白いK野さんがすごく笑わせてくれたり、

私の旧友たちが来てくれたり・・・花輪さんファンのかたがたはいっぱ~い・・

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画家の高須賀優さん。
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彦坂尚嘉先生がまたいらしてくださった。彦坂さんと平田星司さんと颯田さん。

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4時くらいに来られて、ずっと黙って長い時間、大きな絵と連作6枚を見てくださったS藤さん。昨年も来られたという。黒一色のファッションがすっきり決まっていて俳優さんかと思ったが、一般のかただという。

「絵も、文章も、見れば見るほど迷宮にはまる」と言ってくださった。そんなに長い時間黙ってみてくださるかたはいないので感激した。

玄関入ってすぐに展示した私の絵「エロスとテロル」の前でかっこよく佇むひろき真冬さん。
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平田星司さんのお父様(前衛歌人)が昔、SM雑誌に小説を書いていたという話で盛り上がる平田さんとひろきさん。Sdsc00924

平田星司さんのお父様、織裳雪夫さん。当時、売れっ子の団鬼六が皆を引き連れて慰安旅行に行った時の記事とか。Sdsc00925

ポルトリブレの平井勝正さん。
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根本敬さん。
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閉廊前は彦坂尚嘉先生と語り・・
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軽く夕食をご一緒しました。

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2024年11月 2日 (土)

二匹展 4日目

11月2日(土)雨

二匹展、後半となりました。

寒い雨となり、夕方からは土砂降りになったりしたが、予想よりもお客様が来られた。

今日も花輪和一ファンの皆様がたくさん来られました。

カップルで来られた花輪ファンのかた、少しお話してから、男性のかたから「『デッサンの基本』を買いました」と聞いてびっくり。

花輪さんに会いに行ったことを書いていた私のブログから、私のことを知って購入してくださったという。

ものすごく驚いたのは女性のかたが、「きょうは福山さん本人がいらして感激しました。昔、中野ZEROで花輪さんと福山さんが対談されてた時に見ていました」と言われたことだ。

2006年?中野ZEROで映画上映した時、対談したんだっけ・・?花輪さんがスーツで来て、私が壇上で(確か当時の講談社の花輪さん担当の編集者さんからの)質問に答えたこと、花輪さんも質問に答えていたことは覚えている。

そんなレアなイベントをなぜ動画に記録しておかなかったのか、そのへんの記憶があいまい。「東京Walker」にイベント広告が載ったような・・。その当時、私はまだパソコンというものさえ持ってなく、ネットで宣伝した記憶はない。

花輪さんファンのかたたちは本当に息が長くて、よく調べてらっしゃるかたばかり。

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いつもとっても素敵なレトロファッションをお召しのタケイミナコさん。
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いつもとても丁寧な、編集者の鑑、佐藤美奈子さん。
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2回目にお友達を連れて来てくださった漫画家のドブリン!さん。
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右が筑摩書房の編集者の大山悦子さんの後ろ姿。美術について話が盛り上がったのに、お写真を撮り忘れてしまった。大山さんは現代アートをとてもよく見ておられる。
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それから母のケアマネをしてくださっていたMさんが来てくださった。Mさんは昔、演劇をされていたかた。Mさんは何年経っても全然変わらず若々しく見えた。

最後に来られたKさんは彦坂尚嘉さんのお知り合いで、私に興味を持たれたそう。絵を描かれているが、舞踏や役者さんを長くやられていたかた。

Kさんは15年くらい前に十二社の、まさに私の生家のすぐ近くのアパートに住んでいたと聞いて話が盛り上がった。共通の知り合いも多く、不思議なご縁だ。

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2024年11月 1日 (金)

二匹展 2日目

10月31日(木)

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後ろの棚に展示してあるのは32枚の花輪和一さんの色紙です。

この日も花輪和一さんファンがたくさん訪れてくださいました。ありがとうございます!

どこで「二匹展」を知ってくださったのかお聞きすると面白い。

X(Twitter)が多いが、意外にも高円寺の何カ所か(古書店などなど)に貼らせていただいたチラシ(コピー)を散歩の途中で見た、というかたが・・。貼ってみるもんですねえ。

私は昨日に引き続き血行が悪く、からだが冷えてしまい、午後3時過ぎくらいから首肩の凝り、頭重、浮腫などに悩まされる。

だるくてだるくて、遠赤外線パックを腰にあてていても寒いし、体調は最悪とは言えないが元気はない。

今日、個人的に一番印象に残ったのは、夕方になって来てくれたWさん(私のマッサージをしてくれている人)だ。

Wさんは絵なんてほとんど見たことない、展覧会なんて行ったことがない人なのだが、何度か施術のためにうちに訪れてくれて、私の絵や写真を見るたびに「すごい!今まで知らなかった世界を見せてもらってる気がする!」と感動してくれる人。

Wさんは、玄関を入ってすぐにかけてあった私の暗くて渋い絵を見て、

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「すごい!と思った。あれを見てしまったら緊張して、あそこから廊下を通って中に入っていいのか、と思った。」と言った。

絵を見たことが無い人が、そこで衝撃を受けて立ち止まるタイプの絵ではない、と私本人は思っていたので、その発言にとても驚いた。

 

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もっと驚いたことは、Wさんは私の今回の展示の中で一番大きな絵を見て、
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「これすごい!」と言ってから。その絵の横に貼ってあった

「「動物を食べない」と私が言うと、「じゃあ植物は殺して食べていいの?」と反射的に返してくる人がいる。
私は「あなたは植物を切るように平気で生きた動物のからだを切ることができるのか?」と問いたいのだが。

だが死の恐怖や痛みを感じて身を震わし、泣き叫ぶ生命と、芽を切ってもさらに伸びたり、土の下の根から再生したりする植物の生命、ただそこに開かれてあり、種子を飛ばし、伸びるところまで伸び、眠る動物たちを覆って、風に揺らぐだけの生命とを同等に考えられないことは、本当は誰でもたぶん気づいている。」

という言葉を読んでいきなり涙をこぼしたことだ。

「・・・わっ・・ティッシュちょうだい。泣けてしまう。文章が上手すぎる。無駄がなくて、すごく胸に刺さる」と言ってWさんは泣いた。

wさんも動物の肉を食べられなくて、周りの人にいろいろ非難されたりするのが辛いと言っている人。

「この絵を見て、この文章を読むから余計泣けるのかもしれない」とWさんは言った。

私はそんな素直な反応をしてくれる人がまさかいるとは思ってもいなくて、Wさんが泣いてくれたことに泣きそうになった。

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「植物もやさしさを示したり、苦しみを味わったりする」と主張するのは、決して超えてはならない境界線を越えている。植物は苦しまない。
苦しみとは、個体としての生物によって「実際に経験されるもの」だ。
死とは、決して後戻りできない、絶対的で不可逆的な終末だ。
――フロランス・ビュルガ

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「動物は他の動物を食べている。人間も人間以外の動物を犠牲にして生きるのが当たり前だ」と言う人がいる。
ライオンやトラが動物を食うのは本能だ。
肉食は単なる人間の文化にすぎない。動物を殺さない食文化もあり得るし、食べられない「本能」も私の中には確かにある。
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〈動物のジェノサイド〉。〈これらのイマージュが「悲壮〔pathétiques〕」なのは、それらが悲壮にも、それこそパトスの、病理=感性的なも
の〔lepathologique〕の、苦痛の、憐れみの、そして共苦〔同情compassion〕の巨大な問いを開くからでもある〉。
            ――ジャック・デリダ 『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』より
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〈先決的、かつ決定的な問いは、動物が、苦しむことができるかであるだろう〉という言葉をめぐって、語れる能力を持っていることを示すことではなくて、動物たち
の苦しみをどれだけ〈共に〉苦しむことが〈できる〉のか、どうしたらその苦しみを〈限界の周りで、限界によって〉〈養い〉、〈生成し、育成し、複雑にできる〉のか
ということだろう。」
——福山知佐子 「応鳴、息の犇めき——ジャック・デリダの動物論に寄せて」より
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私は切断された植物のあいまいな生と死の瞬間を開く。

だが、植物に動物のような感情や痛みがあるとは思わないし、決して植物を擬人化したくはない。

私にはかつて生きていた動物の死骸の一部を展示するようなアートも収奪(動物の虐殺への加担)だと感じられる。

過剰な感覚身体で誰も見ようともしない遺棄されたものによりそい、誰も見ることのできないものを体験し、共通言語から遁れさる「パトスの、

病理=感性的なもの〔lepathologique〕の、苦痛の、憐れみの、そして共苦〔同情compassion〕」を証言することが私の絵の仕事だと思っている。

 

 

 

 

 

 

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