ねこ

2017年12月 4日 (月)

ちゃびへの恋しさが止まらない

12月3日(日)

ちゃびが死んでしまったことを、なかなか受け入れることができない。

理性的にはしかたないこととわかっているが、身体が勝手に反応している。

冷たい北風の中から帰宅してドアを開けたとたん、湿った暖かい空気に包まれ、「ちゃび、遅くなってごめんね!」と駆け寄って抱きしめようとすると、ちゃびがいない。

この部屋の湿り気のある柔らかくて暖かい空気はちゃびそのものだ。涙が噴き出てくる。

自分が寝ているふとんをめくったり、あるいはふとんの端が見えたりした瞬間に、そこにいっしょに寝ているちゃびの茶色くて丸いからだが見え、「ああ、ここにいたの。潰しちゃいそうだった。」と思う。

ほっとした2秒後に、ちゃびがいない、という現実に引き戻され、胸の真ん中の骨のあたりがズン!と打擲されたように痛くなる。

それからどくん、どくん、と骨が飛び出してくるような痛みの感覚とともに「嫌だ、嫌だ、耐えられない。」という言葉が繰り返される。

日に何度か聞こえるカサカサッという音に、ちゃびが私のところに近づいてくるいつもの足音だと思い、ふふっと嬉しくなる。

次の瞬間、ちゃびがいないことに目の前がぐにゃりと暗くなる。

夢の中で何度も、「ああ、ここにいたの。」とちゃびに会い、その数秒後には、「やっぱりいない。嘘でしょ?!」とうろたえる。夢の中でさえ泣いている私がいる。

うなされて眼が覚め、「はあ、はあ、」とまるでセリフのように出てしまっている自分の声を聴く。着ている綿シャツはぐっしょり汗で濡れている。

朝、目覚めた時がもっとも緊張が強く、首や肩の凝りからの頭痛や動悸が苦しくて、レキソタンを飲もうかと迷う。

朝一番に精神安定剤を飲んで依存するのが怖くて、とりあえず、ゆっくりお茶を飲んでみる。それからさまざまな用事をかたずけるが、緊張のための頭痛と肩凝りは収まらない。結局タイレノールを1錠飲み、それでも苦しくてたまらない時には、昼くらいにレキソタン1mgを飲む。

ちゃびがいつも水を飲みにきていたお風呂場。黴を落とすのに強力な洗剤を使いながら、「ちゃびに毒だから、ちゃびが入ってくるまでに洗い流さなきゃ。」と思う。その2秒後に、「ちゃびはもういない」という現実に、胸と頭ががん、と打ちのめされる。

ちゃびのトイレを置いていた場所では、足が引っかからないようによけて歩いてから、もうそこにトイレはないのだと気づかされ、「あっ」と驚く。

外出する時には、ちゃびが玄関の土間に出ないように、洗面所のドアを開けっぱなしにして、玄関への道をふさいでおいた。今も、出かけようとするたびに、洗面所のドアを開けっ放しにしようとしてしまう。

週に1、2回は行っていた店の前を通ると、「トイレの砂はまだあったっけ?」と、いつもの習いで店に寄ろうとしてしまう。そしてまたその2秒後に、「もうちゃびはいないんだ、トイレの砂も、K/Dも買う必要がないんだ。」と気づき、真っ暗になる。

二度と関係ない?この疎外感。この虚しさ。

スーパーでマグロのお刺身を見ても、中トロを買ってきて、ナイフで細かくたたき、レンジアレンを混ぜてから、ちゃびにあげていたことを思い出す。今はマグロの刺身を見るのも辛い。

ちゃびにあげたお刺身の余りを私が食べるのが嬉しかった。自分だけのためになら、もう二度とマグロのお刺身は買いたくない。

いたるところでちゃびのために買っていたもの、買おうと思っていたものに出会うたびに涙が止まらない。

ちゃびの医療費はそうとうかかっていたが、数字としてどのくらいなのかまったく考えなかった。自分のためには食費も暖房費もなるべく使いたくないと思う。

ショックで自分を虐めたくなっているということではない。ただ、自分に余計なものを与えること自体がストレスになるので、極力そぎ落としたい。

ちゃびが私に美しい景色を見せていてくれたのだろうか。ちゃびがいないと、すべてのものごとから魅惑が消えていってしまうのだろうか。

幼少期から、生家には犬や猫たちがいた。だから、一緒に暮らしていた最愛の動物との死別は、これが初めてではない。だが、このようなショック時の過ごし方に慣れるということはない。

最愛の犬、チロとの死別で、私は初めて心身ともにおかしくなった。小学校6年の時。それから何度も悲しい別れを体験し、そのたびに死ぬほど泣いた。

もう一度ちゃびに会えること、強い愛情関係が見つかることしか欲しいものはない。

2007年。10歳の時のちゃびと私(自撮り)。

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私の絵の具箱(高さ110cmくらいのクリアケース引き出し)の上がお気に入りだった。

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いつも私をじっと見ていて、眼が合っただけでゴロゴロいっていたちゃび。Sdh000031

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どんな接写も嫌がらずに私にカメラ目線をくれていたちゃび。
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11月30日(木)

静かな雨。乾いた北風でなかったせいか、それほど寒さは感じなかった。

週に2回、保険外のほぐしマッサージに通っている。通りいっぺんの保険内治療より、一番苦しいところを重点的にほぐしてもらえて効果があると感じる。

11月29日(水)

池袋の公園で猫たちを眺めた。

サラリーマンの男性が食べ物をあげていた。そのあと、その男性が猫を膝にのせながら煙草を吸っていたのが気になった。

どこにもちゃびに似た子はいなかった。

そのあと大塚駅まで歩く。

桜の紅葉はほとんど地面の上。柿色、檜扇色、紅玉色、葉脈の際は山吹色で、山吹色と山吹色に挟まれた部分が朱色の葉など。

大塚駅で都電を見た。線路際に揺れていた黄花コスモスの淡い色。この花がなければ殺風景な線路だ。

今度、この都電に乗って、母がまだ元気だった頃、父と一緒に行ったと言っていた都電荒川遊園に行ってみたいと思う。

11月28日(火)

午前中、E藤さんより電話。「今、すぐ近くに来ているので昼食を一緒にとらない?。」と誘われる。

高円寺の名代そば茶屋で昼間から熱燗。

E藤さんはまったく飲まない人だったが、娘さんの通夜から、お酒をほんの少しずつ飲むようになったという。

蕎麦は、私には汁の醤油が濃すぎて出汁のうまみが感じられず、まずかった。

E藤さんが私の母に会った最後は10年くらい前、西新宿の旧駒ケ峰病院の前で、父と一緒に歩いている母が「これから食事に行くの。」と嬉しそうに言っていたそうだ。

母が病気で外出できなくなる前、父と都内のいろんなところに食べ歩きに行っていたらしい。その当時、母はとても幸せだったと思いたい。

そのあと、E藤さんを送って、E藤さんの家まで行き、娘さんの祭壇にお線香をあげた。

娘さんがかわいがっていたという2匹の猫(外猫)が、ベランダから家の中をのぞいていた。とてもガタイのいい猫だ。ベランダの戸を開けたら、ぱっと逃げてしまった。

誰にも触らせない、と聞いて驚いた。昔、何度か野良猫の世話をしたことがあるが、たいてい1、2か月で慣れて、向こうからすり寄ってきて、ゴロゴロ言いながら私に抱かれるようになっていた。

触らせない猫だったことにがっかりした。撫でるのを楽しみにしていたのに。

E藤さんから「家にいるのがよくない。旅行にでも行ったほうがいい。」としきりに勧められた。夜にネットで、一応、東京から近い島の宿などを調べ、そこに行った自分を想像してみたが、気持ちははずまない。

やはり今、寒い中で遠出すること、時間とお金と体力を使うことを想像すると、さらに疲弊する気がする。

なにかやるべきこと、大切なことの本筋からずれてしまうような焦燥感がある。自分の仕事が遅れていることに対する自己嫌悪。

結局、自分が思うところのやるべき仕事が進むことでしか自分を支えることはできない。

今は、遅々とした歩みでも、仕事と家の中の整理をしていたほうが精神的にいいように思う。

ちゃびが亡くなってから、部屋の中にいるのが怖くて、無理やりにでも電車に乗って出かけたりしていたが、陽のある時間は近所を歩き、あとは家の中にいたほうが心身の回復のためにいいのかもしれない。

外に出て余計なストレスを受けることを避けるほうがいいと今は思う。

11月27日(月)

書道の日。「呈祥献瑞」。淡々とお手本を見ながら忠実に書いたが、正月のおめでたい言葉。

今は書くのが虚しい。

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2017年11月26日 (日)

ちゃびのこと、猫(動物)の看取り、動物を愛するということ

11月22日(水)

お世話になった動物病院に未使用の輸液や薬を返却しに行く。

ちゃびが亡くなる前日に、まだ、すぐ亡くなるとは思っていなくて購入したものだ。

(亡くなると思っていなかった、ということを思い出すと、苦しくて発狂しそうになる。)

これから一生、猫と触れ合えない人生が考えられない、すごく苦しい、と快作先生に言ったら、今、病院のケージの中にいる治る見込みのない猫の看取りをやらないかとすすめられた。

野良猫で、悪性リンパ腫で、おそらく余命半年くらいで、絶えず下痢をしているキャラメルちゃん。外猫として世話をしていた人たちからも、誰の自宅でも飼えなくて、お金を払うから引き取ってほしい、と言われたという。

顔はちゃびとはまったく違うけれど、同じ茶トラなので、快作先生は私に引き取ってもらいたくて、「ね~、ちゃび。」とキャラメルちゃんに話しかけて見せたりしていた。

「温かい部屋にいて、近くに人がいて、テレビがついているような安心できる暮らしを死ぬ前に味あわせてやりたい」「看取りをしてくれる人がいたら、なによりも助かる」「預かってくれる人がいない」と快作先生に言われて、苦しすぎて、ただ涙が出た。

外猫(地域猫)で、食餌の世話をしていた人はいるが、病気までは面倒みきれなくて、ほっておかれて死んでしまっていたかもしれない猫で、とりあえず病院に連れて来てもらえて、病院のケージに入れられて、命拾いだけはした猫。

引き取って看取りをしてあげたいとは思う。しかし、今の私には、愛情を注ぐものがやせ衰えて死んでいく現実を受け止めて、全力で介護する覚悟とエネルギーがない。

心身共に、今の私の力では足りる気がしない。

やるからには全力で介護しないわけにはいかない。同時に、誰もそれをやりたがらないなら力不足でも誰かがやらないと、という気持ちもある。

それをやったら、私自身が精神崩壊しかねないのではないか、という懸念がある(実際はどうなるかはわからない。私は私自身が予測するより強いのか、弱いのかわからない)。

どうしたらいいのかわからない。ただ苦しくて涙が止まらない。

ちゃびと死別して、正直、自分の精神崩壊、うつやパニック障害になるのは嫌だ、とすごくおそれている。

私が愛情や思いやりを注げる相手が喪失した、その欠落に苦しんでいるのだ。

自堕落になる気もなく、サプリ(アスタキサンチン、ブルーベリー、タウリン、レシチンなど)を飲んだり、日がさしている時間帯にはとりあえず無理やりでも歩くようにしている。

街を歩いていても勝手に涙がこぼれる。酷く疲れた顔なので極力、人に会いたくない。

11月20日(月)

人生で一番悲しい時、自分自身がどういうふうに過ごして(生きて)いったらいいのか、また、人生で一番悲しい時の相手に、自分はどのように接していったらいいのか、どんな言葉をかけたらいいのか、そんなことばかりを考える毎日。

・・・

午前中、おばさん(私の母の弟の奥さん)に電話。数十年ぶりにA子ちゃん(母の妹の娘。つまり、私の従妹、おばさんにとってはやはり姪)と連絡がついたことを報告。

おばさんは叔父さんを亡くして1年と半年。まだなにもやる気が起きない、誰にも会いたくない、と言う。体重は40kgもないそうだ。月命日は毎回、おじさんのお参りに行っているという。

おばさんはうつだと言うが、話し方に快活で頭のよかった昔の感じはそのまま残っている。ただ、かすれて低い声の色が苦痛をものがたっている。話す内容が、もっと叔父にこうしてあげればよかった、という後悔ばかりになっている。

おばさんは私に「お義姉さんは、お義兄さんのことですごくたいへんなことがたくさんあっても、家族っていうものをつくっていく力があったと思う。」と言われ、「母があんなどうしようもない父に惚れたせいで、私にばっかりしわ寄せが来てますけどね。」と言ったら、

「知佐子ちゃんはものすごく苦しい時でも、それにうまく対応する能力がある。そういう大物感があるのよね。だって声から笑顔が浮かぶもの。」と言われた。

私は自分が心身ともに強いとはまったく思えないし、実際、心拍がおかしくなっているし、ほとんどうつの一歩手前だが、おばさんを慰めたいという気持ちだけはとてもある。

おばさんは叔父と本音をぶつけ合わなかったことを後悔していた。いろんなことを話さないうちに、「まるで交通事故のように」、すい臓がんの告知からすぐに別れになってしまったことをとても悔やんでいた。

癌性の脳梗塞が多発し、癌の治療が始まる前に会話できなくなってしまったことがものすごくショックだったのだ。

子どもに対して口うるさく言い過ぎたことも子育てに失敗した、とおばさんは言っていたが、同じように愛情を注がれても私と妹は全然違う性格になったのだから、親の育て方のせいとばかりは言い切れない。もともとの資質とか、わからないことは多い。

母は自分の感情を押し殺すタイプではなく、私にはヒステリックに言いたいことをぶつけてくることも多かった。母は働き者で忍耐強くもあったが、笑ったり、泣いたり、怒ったり、感情回路はストレートで激しかった。

母が元気で私が若い頃は激しく衝突することもあったが、思いっきりぶつかり合える関係は幸せだったのかな、と今は思う。

母は世間がうらやましがるような贅沢には興味がなくて、どんな環境でもその場で面白いことをさがして楽しめる人だったから、それだけは私にとって、すごくよかったのかな、と思う。

ちゃびが亡くなって、私もすごく精神的に辛すぎておかしい、とおばさんに話したら、「ペットロス」という言葉を使われ、すごく違和感があった。

ちゃびを「ペット」だと思ったことが一度もない。「子ども」「恋人」…、どういう言葉を使っていいのかわからない。ただ、狭い部屋にずっと一緒に暮らしていて、心身ともに激しく求めあう関係、お互いに相手のことはわかっている、理解していると思える存在だった。

おばさんは動物と一緒に暮らしたことがないそうなので、それ以上のことは言ってもしかたないと思った。

・・・

午後、ほぐし屋さんで、凝り固まった背中の筋肉をほぐしてもらう。

僧帽筋、脊柱起立筋も酷いが、菱形筋が特に凝り固まっている。

リンパの激しい痛みは治まったが、まだ乾いた咳があり、血の混じった痰が出る。洗える布製の抗ウイルスマスクをしている。

・・・

夕方5時に、生まれて初めて保護猫カフェに行ってみた。

正直、ちゃびと同じ「猫」という生きものとは思えない子たちばかりだった。「猫」ってこんなだっけ?と思うくらい、私が知っている「猫」とは違った。

成猫が皆、ちゃびの数倍もガタイがよくて、頭の大きさに対して体幹が大きすぎるのだ。

そして顔のバランスがものすごく違う。皆、顔がクサビ形で、鼻の筋が太くて長く、直線的だ。ピューマとかチータとかに近い雰囲気の子ばかりだった。

たまたま同じ兄弟の子が集まっているのかもしれないが、私にとっては「猫」というものが「ちゃび」とあまりに違うことに驚愕しかなかった。

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ちゃびのおでこから鼻にかけての柔らかな曲線が恋しくてたまらない。

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蠱惑的で甘えっ子だったちゃび。
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11月19日(日)

保護猫譲渡会に行ってみた。

眼に障害がある子、四肢欠損の子、どの子もかわいく、愛情を感じた。

けれど、当たり前だが、「ちゃび」はいなかった。

夜、すごく苦しい感情が堰を切って溢れだし、爆発してしまった。

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2017年11月18日 (土)

ちゃびのこと

11月17日

母とちゃびを相次いで亡くし、今は私にとって人生で最大の喪失感に苦しむ時だ。

私にとって、ただ存在するだけで無条件に激しく暴力的に愛し愛された相手、私の命をかけて守りたいと必死になっていた相手が、この世からいなくなってしまったのだから。

このことを「乗り越える」ことは決してないだろう。大切な命が失われてしまった体験に対して、本来、「乗り越える」という言葉を使うべきでないと思う。

時が、ほんの少しずつ、心身の酷い痛みと動揺を和らげ、薄くしていってくれるのかもしれないとは思う。でも、それにしたって実際どうなるかは、この先経験してみないとわからない。

たいへんな「喪」の作業(世間一般の四十九日とか、読経とか、納骨とかとはまったく関係ない、私個人の)がいるだろう。

「喪」と名づけるべきでもない、私個人の喪失の体験の処し方、これこそがなにかを「表現する」ことそのものになっていないのであれば、私が生きていて表現する意味もないと思う。

毎日、ちゃびの写真をさがして整理している。

本にまとめるために過去の素描(デッサン)を整理した時と同じように、私自身にとって大切な発見がある。

20数年の記憶は、忘れていることも多く、断片的な記録や写真によって蘇り、リアルに追体験できたりもする。

私が絵を描いている時、ちゃびが、花瓶とスケッチブックを支えているちゃぶ台の上にどん、と乗っかって、絵を描くのを邪魔している写真。この絵を描いている時にも、ちゃびは私に絡みついてそばにいた。

(2000年のちゃび。この写真の時に描いた枯れたドクダミの素描(デッサン)がスケッチブックに残っている。当時、私はある小さな雑誌の表紙画を描いていた。)

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絵を描いている私の肩の上に乗っかって離れなかったり、私が絵に集中すると、自分のほうをかまえ、とことさらに激しく全身の力を込めて私の背中を蹴って、傷だらけにしたり…。

私が植物を持って帰るとすぐにちゃびは何の草かチェックしていた。薔薇やパンジーは買って来たら一瞬の隙にかじられていたので、かなり描くのがたいへんだった。

植物を氷水につけて流し台の中においても、必ずかじられるので、コップに生けて冷蔵庫の中にしまうしかなかった。

私の植物の絵を見ただけでは、ちゃびがそこにいることはわからないが、ちゃびは私と一体化するように、あまりに近くにいた。

私はちゃびと一緒に生きながら、蠱惑的な生命の秘密の世界で、植物の絵をたくさん描いた。

ちゃびが私に植物の絵を描かせてくれていたのだと思う。

私が誰かに会いに出かける時も、ちゃびは元気で留守番していてくれた(時には友人が、私の外出中はずっとちゃびを見ていてくれた)。

若林奮先生、種村季弘先生、毛利武彦先生、大野一雄先生、中川幸夫先生…私が心底慕った大切な先生たちがひとり、またひとりと亡くなって、私が激しく嗚咽してぼろぼろになっていた時も、いつもちゃびは元気で、私のそばにくっついていてくれた。

帰宅するとき、ちゃびが、私の階段を上る足音に飛び起きて、もう玄関に走って来ていて、ドアを開けた瞬間、嬉しそうにわあっと私にまとわりついてくる、そのことを、私はどれほどの奇跡だと自覚し、全身で味わうことができていたのだろうか?

幸せのさなかで、命が有限だと言うことをどれだけ意識できただろうか。

あまりに一心同体で、互いの身体の中に出入りするような関係だったから、ちゃびが生きているうちは、まるでナルシスティックな話にとられそうで、ちゃびのことを語ることが憚られた。

今、私は身体にちゃびを思い切り刻み付け、瘢痕を残したいと思う。

(2011年。13~14歳のちゃび。)

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常に私のことを眼で追い、私に甘えようとしていたちゃび
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私の絵の具箱(高さ110cmくらいのプラスチックの引きだし)の上がお気に入りだったたちゃび。この上から私の上にどーんとジャンプしてきた。

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とにかく元気で暴れまわっていた。

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(2012年。14~15歳のちゃび。)
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枕で私を待っているちゃび。

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私になでられるのが大好きだったちゃび。
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乾燥したカラスウリにじゃれているちゃび。
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11月15日

鼻の奥の炎症と頸部リンパの腫れを抑えるためにサワシリンを1日3回服用。毎日、少しずつだが頸のリンパの腫れは治まってき、きょうはずきずきしない。

そのかわりに、なぜか乾いた咳が出てきて苦しい。アステラス製薬に確認したが、抗生物質で細菌を抑制したから風邪のウイルスが優位になる、ということはない、と言われた。

また、サワシリンに関してはカルシウムとキレートをつくることはない(牛乳などの食べ合わせは気にしなくていい)、と。

このところずっと昼は温かい蕎麦にネギと卵を加えたもの、夜は日本酒とつまみ、という食事。それと毎日、スチューベン(野性的な酸っぱい葡萄)を食べている。

それ以外のものを食べる気になれない。

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2017年11月12日 (日)

20年前、ちゃびと最初に出会った場所

11月4日

ちゃびの火葬。

仏教徒でもなく、すべての宗教を特に信じない私は、移動火葬車を選んだ。

遺体を渡す時、ちゃびの亡骸と別れるのがあまりに辛すぎて、号泣してしまった。

未練が果てることなく、ちゃびの顔にちゅっちゅっと吸うように口づけると、けだもののちゃびの匂いがして、私の胸いっぱいに満ちて溢れ、身体に衝撃が走った。

匂いからは死んでいることがわからなかった。このまま、ずっとちゃびの遺体と暮らしていけたらどんなにいいだろうと思った。

「お骨を一緒に拾いますか?それともこちらでやりましょうか?」と聞かれて、吐きそうになって、「考えられない。」と答えてその場(近くの駐車場)にしゃがみこんで泣いた。

40分くらいして、火葬が終わったと電話がはいった時は、かすかに落ち着いていた。と言うより、現実がよくわからなくなっていたのかもしれない。

ちゃびの骨を拾って、骨壺に入れたが、私は泣いていなかった。もちろん悲しくないわけではなく、身体や心の痛みが消えてなくなったわけでもないのだが、一瞬、呆けたような、真っ白な、時間とも空間とも言えないどこかにはまりこんでしまっていた。

ちゃびのお骨をいったん自宅に置いてから、20年前にちゃびと出会った善福寺川のほとりまで自転車を引いて行った。最初の時にちゃびを自転車で連れて来たから、やはりそこへは自転車で行きたかったのだ。

ちゃびが捨てられていた善福寺川沿いの瓢箪池近くの土手の角に着いた時、激しい悲しみで泣き崩れてしまった。

あの時から20年が過ぎたこと、そのあいだにちゃびが人間で言えば100歳近くになっていたことが信じられなかった。その自分のふがいなさも、すべてが酷く悲しかった。

あの時、私は、先に保護した茶トラの赤ちゃん猫の「ちび」が、懸命の治療の甲斐もなく、たった17日で亡くなってしまったばかりで、あまりのショックに物凄くやつれていた。すっかり青ざめて、眼の下に真っ黒な隈をつくって、私はガリガリに痩せた幽霊のようになっていたと思う。

「ちび」は、たった17日で、掌にのるような赤ちゃんから、少し大きく成長していた。

死ぬ前に、私に撫でられて、「ちび」が安心したようにゴロゴロ言っていたのを鮮明に覚えている。どうしたらよかったのだろう、どうしたら救えたのだろう、と私は際限なく苦しんだ。

呑気に、無責任に、野良猫に食べ物をあげたりして満足しているのは、人間の無知とエゴでしかなく、ちっちゃな赤ちゃん猫が、野良猫のまま予防注射もされないでいれば、あっという間にパルボ(伝染性腸炎)などの病気で死んでしまう、という現実を、いやというほど思い知らされたのだ。

その数日後に、私はちゃびに出会った。

私は「ちび」を失った悲しさと苦しさに胸が潰れてしまいそうで、どうしようもなくて、無性に野良猫に会いたくて、自転車で善福寺川沿いに行った。そこで野良猫の世話をしている女性と、ふと言葉を交わしたのだ。

人に怯えていて捕獲するのがたいへんだった赤ちゃん猫を、やっと捕獲して、これから大切に育てようとしたのに、パルボで、入院させただけで死なせてしまった、と言ったら、その女性が教えてくれた。

「ちょうど今、捨てられたばかりの赤ちゃんがいるのよ。」と。

善福寺川沿いの土手の角の隅っこに、誰かが引っ越しの時に粗大ごみを不法投棄し、一緒に段ボールの中に猫の親子を入れて、その上に重しのようにテレビを乗せて捨てて行ったという。

猫たちの鳴き声を聞いて、その近くの植え込みに住んでいたホームレスの人が、段ボールの中から猫を助け出して植え込みの中に移動してくれた、と。

そして、その植え込みに連れて行ってもらって、私はちゃびと出会ったのだ。

お母さんとちゃび(1997年7月21日)。お母さんはいろいろミックスされた柄の子だった。

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ちゃびにはあと2匹の白い男の子と女の子の兄妹がいた。当時、お世話をしていた女性が2、3人いて、そのうちの一人と私とで引き取った。私はちゃびと白い男の子(コナと名づけた)をもらった。

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人を怖がらなくて、白い女の子とおっとりとポーズをとっていたちゃび。

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その植え込みのあったところは現在、駐車場の一部になっている。だからホームレスの人も住めない。

すべてが淋しくて悲しい。

11月5日

ちゃびがいないことが苦しすぎて受け入れられない。

2日で2kg痩せた(現在162cm、44kg)。

泣きすぎて眼の上と下の骨部分と眼窩がずきずきしてすごく痛い。

ドクン、ドクンという胸の真ん中を殴られるような動悸がして眠れない。呼吸が苦しくて「はあ、はあ、」と声に出てしまう。

夜中、幾度も「ちゃび!」と呼びたくなり、だけど呼ぶことでものすごく苦しい現実に塗りこめられてもっと苦しくなるので、声に出して呼びたくない。心の中だけで呼んでいる。

なににも慰められない。なにも欲しくない。

食べたくない。お酒だけは飲める。お酒を飲むと激しい動悸が収まって少しだけ楽になる。

・・

ちゃびのことを大切にしてくれた友人と西荻を歩いた。

ちゃびと出会う前に私は、わずかなあいだだが、西荻に住んでいて、その頃はアンティークに夢中だったので、当時のアンティーク屋が今もあるか気にかけながら歩いた。

アンティーク屋巡りをしても心が浮き立つとはまったく思えなかった。ただ、自宅にいて、ちゃびがいないという耐えがたい痛みと向き合うことから、ほんの一瞬でも逃避したかっただけだ。

当たり前だが、20年以上も時がたてば、街並みはずいぶん変わっている。真新しいものには興味はない。当時、よく目の保養に行っていたアンティーク屋さんは、ほとんど(fujiiya、ベビヰドヲル、ムーンフェイズ、アーバンアンティークスなどなど)なくなっていた。

信愛堂書店さんは小さくなって、新刊の書籍が減り、品ぞろえも変わっていた。

自分が住んでいた住所も正確には思い出せず、近辺を歩いてみたが、どうやらその建物はなくなっているようだった。

「地蔵坂下」という忘れていたバス停の名前。22年くらい前に、このバス停の名を楽しい気分で見たことははっきり覚えている。

日が暮れて風が冷たくなった時、急にちゃびがいないという現実に襲われて、通りを歩きながら激しく嗚咽してしまった。

老舗の酒屋さんで飲みなれている銘柄の日本酒の小瓶を買い、裏路地で一口飲んだ。激しい動悸を抑えるには今のところ、これしかないのだ。

私が住んでいた頃もあったはずの古い酒屋さん。当時はお酒なんて興味もなかったので酒屋があることにも気づかなかった。

当時と変わらず、(意外にも)なくなっていなかった駅前の「天下寿司」という回転寿司で、かつてお気に入りだったカリフォルニア巻(エビとアボカド)を食べた。

なにをしても、どうにもならない悲しみから逃げられなかった。

11月6日

E藤さんから電話。ずっと闘病中だった娘さんが3日に亡くなったと。

言葉が出なかったが、お通夜に伺うと伝える。

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2017年11月 8日 (水)

ちゃびが亡くなりました

11月2日

11月2日(木曜日)、午後12時30分、ちゃびが亡くなりました。

20歳と4か月(推定)でした。

1997年の7月、善福寺川のほとりに捨てられていた生まれたばかりの赤ちゃんちゃびと出会い、一目見て、私は魂全てを奪われてしまい、この子と暮らしたい激しい欲求を抑えることができませんでした。

(その直前に、近所で鳴いていた、ちゃびに似た茶トラの男の子の赤ちゃんをやっと保護したのに、その子がパルボにかかっていて、17日間の入院の甲斐なく看とることになったという、思い出すのも胸が潰れる経験がありました。)

死んでしまった「ちび」と同じ名前をつけて、この子を誰よりも大切にかわいがろうと、自分の部屋に連れて帰って来たのは7月24日でした。

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信じられないような美少女だったちゃび。
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それからちゃびは私の一番の宝もので、ちゃびにまさるものは何ひとつなくて、20年以上一緒に、ものすごく密に生きてきました。

いつでも、ちゃびがいつか先に死んでしまうことを思うと、とてもそんなことは1秒だって考え続けられなくて、頭がおかしくなりそうだった。

ちゃびがいなくなることがあまりにも苦しくて、頭がおかしくなって、今はまだおかしいまま、混乱したままです。

肋骨の真ん中とみぞおちが殴打されるような痛みに、吐きそうになって号泣してしまう。夜も苦しくて眠れない。

まだふっくらしていていつも一緒に寝ていた去年(2016年)のちゃび。

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眠る時、私のあごの下に頭をうずめてはゴロゴロ言っていた。(2016年10月16日)
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夜中に眼を覚ましたら、じっと私の顔を見ていたちゃび。(2016年12月23日)
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とにかくいつも私にべったりくっついて離れなかったちゃび。
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(2016年12月24日)
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私がPCを使っている時、いつも私のひざ(太もも)の上に乗っかってきたちゃび。

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私が仕事すると必ず邪魔したちゃび。本をつくるために整理中のスケッチブックの上に乗って、仕事よりも自分にかまって、とアピール。いつもすごく甘えっ子でご機嫌だったちゃび。
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去年の暮れ(当時19歳)はまだまだすごく元気でした。
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今年の8月くらいから、ちゃびは胃腸の具合が悪くなり、病院でも原因がわからないまま、私はできることはすべてしようと思った。

日々、激変するちゃびの体調を見ながら、必死で介護してきました。

亡くなる日の前日は、それ以前よりずっと調子がよく、快復傾向にあると信じていました。

まだちゃびがいないことをとても受け止められません。

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2017年5月10日 (水)

ちゃびの定期健診 太田快作  猫 腎不全 否肉食

5月5日

ワクチン注射のため、ちゃびを動物病院に連れて行く。ついでに腎臓の(血液採取)検査。

腎不全の値は少し改善していた!

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体重も前回より少し増えていた!3.6kg。(すごく嬉しい)

うちのちゃびは、今年の6月か7月に20歳になる♀猫です。

最近はずっと1日おきに輸液(1回約160ml)、毎日、プロナミド1/2錠×2回(昼と晩)、ファモチジン1錠の1/5(昼)、ピモベハート1錠(晩)。

食事は、FKWにミヤリサンとデキストリンとレンジアレン、亜麻仁油またはえごま油少々を混ぜたものを70g~80gくらい給餌している。

私の体験からの、ごく個人的な見解だが、(無農薬)亜麻仁油、または(無農薬)えごま油を少々あげることによって、脳にもおなかにも良い影響があったような気がしている。あげていなかった時より便秘が改善し、運動能力も戻り、現在も,よく流し台の上にジャンプしている。

猫の腎不全に悩むかたの参考になれば幸いだ。

腎不全なので少し貧血気味(PCV 26.1)だが、まだ注射などはしなくていいと言われた。

また、爪の中にできた紫色の血豆のように見えるものは、垢がたまったようなものなので、痛くなく、心配しないでよいとのこと。

最近のちゃび。

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朝のちゃびと私(自撮り)
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朝、私が眼を開けると、至近距離で私の顔を見つめているちゃび。口と口がくっつくくらい間近にいる。

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給餌のときのちゃび(FKWが口のまわりについている)。
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無農薬カブの葉を食べるちゃび。
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5月1日

夕方、ちゃびの輸液と薬一式を買いに動物病院へ。

おとといの深夜、ちゃびが咳こんだことを相談。2年前くらいに、咳こむ時期があったが、最近はずっと咳はなかった。

「久しぶりに急に咳こんで1分くらい続いたので、窒息死したらどうしようって、どきどきして・・・」と言ったら、

「う~ん、犬は心臓悪いと咳するけど、猫はあんまりしないんだけどね。」

「窒息死とか、そういう死に方ってあります?」

「あんまり、そういう例は聞かないけどね。」(噎せた原因は、はっきりはわからないが、げっぷが出て、食べたものが咽喉のほうに戻って、一時的に噎せたのかもしれない、ということになった。)

「・・・俺も、きのう、ハナが咳してさあ・・・どきどきした。(笑)」と快作先生。

「高齢でしたっけ?」

「16歳。」

(ハナちゃんは、私はお目にかかったことはないが、快作先生のおうちのわんこだ。

先生のことを書いた本によると、彼女は快作先生が学生時代につくっていた「犬部」の頼れる部長さんで、ハナちゃんは子どもを産んだこともないのに奇跡的にお乳を出して、当時、ネグレクトされた犬の赤ちゃんたちにお乳を吸わせて命をたすけたりした立派なわんこだ。)

「うちの母が今、ちょうど窒息死が危険て言われてるんですよ。しょっちゅう施設から電話があって。(だから動物も歳とったら噎せて窒息死があるのか?と私は疑問に思ったのだ。)」

「まあ、しかたないよね。人間の場合は寿命以上に生きてるからね。」

母について、この「(死んでも)しかたないよね」を、他の人に言われたら、無神経だな、とかちんとくるのだろう。しかし、快作先生に言われたら、逆に、ほっとするというのか、肩の荷が下りる気がした。

快作先生は、強い動物愛と、とてもまねできない超絶的な精神と身体によって、殺処分されたり実験に使われたりするたくさんの動物たちの命を救ってきた人で、私は彼を尊敬しているからだ。

母の死を怖がり過ぎても、それは私にはどうしようもできないことであり、ただ緊張して苦しんで、無駄に消耗するだけなのだ、と素直に思えて、少し救われる気がした。

「人間はしかたないけど、動物の命は救いたいよね。」と言われて、「そうですね。」と笑うことができた。

「そう言えば友人の住んでいる地域で、野良猫にえさをあげたら10万円の罰金という回覧板が回ってきたそうなんですけど、そういう地域ってありますか?」と質問したら、

「今はそういう地域はない。逆に餌やりの人を妨害したらいけない、という方向に変わってきているはず。その地域、どこ?」と快作先生は、その場でネットで検索しながら、「本当に行政側がそう言ったのなら教えて。すぐに電話するから。」と言ってくれた。本当に頼もしい・・・

(その友人とは漫画家の花輪和一のことだ。)

話の流れで、「その友人の出身は秩父で、蚕と兎を育てて売るのが主な産業だったんですって。それ聞いて、えっ、ウサギを食べるために繁殖?って、ゲッてなって。」と言うと、

「フランス料理にあるからね。」と快作先生は苦笑い。

そして「あなたの場合は、まったく、動物の肉が人間の肉と同じに見えてるからね。」と核心をついたことを言われた。それで、私は、やはり快作先生はすごい、と感心し、また安心することができた。

私が、動物を食べられない理由が、人間と同じ肉を持つ生き物に見えていること(その感覚)を、重要だと認めてくれたのは、過去に市村弘正先生だけだ。

以前、市村弘正先生と『attention1』という雑誌で対談した時、話の中盤で、「私は肉が一切食べられないんですよ・・・肉屋に吊り下げられている肉がホロコーストに見えて・・・」と言ったら、「なんでそんな重要なことを最初に言わないんですか!」とおっしゃった。

私の身体感覚を理解してくださったことが私にはとても嬉しかった。

市村弘正先生は、私のことを「ものすごく生き難い人。」と言ってくださった。そのあとに、すぐに続けて「僕もあなたほどではないけど生き難い」とおっしゃった。

快作先生も私のことを「この人は対人恐怖症だから。」と言ってくれたことがある。誰であれ、ほぼ初対面で、そういうことを直観的にわかってくれるなら、どんなにほっとするだろうか。

多くの人には、肉料理が動物を殺したものだということが意識できない。私にはむしろ、人間的な欲望や文化的慣習の覆い(保護膜)の剥がれたところにリアルが、逃れがたく見えてしまう。

「そう、私はものすごく緊張や不安が強くて、幼稚園から高校生くらいまで人前で話せなかったんですけど、最近、そういうのを『場面緘黙』と言うんだって知ったんですよ。」と快作先生に言ったら、先生は「かんもく?どういう字?」と言って、その場でネットで検索してくれた。

人前での酷い緊張や不安に怯えるようになったのは、私の場合は、父からの虐待のせいです、と言いつつ、

「昔、実家で飼っていた猫が、恐怖に怯えながら、二階の私の部屋までものすごい勢いで駆け込んで来て、ばたん、ばたんとのた打ち回っていたのが忘れられない。」と私は快作先生に言った。

父が猫のしっぽを洗濯ばさみではさんだせいだった。猫は、なにかに噛みつかれたと思い、びっくりして恐怖で必死に逃げていたのだ。怯えて全速力で走る猫を見て、父は面白がって笑っていた。

父が当時、子どもの私にやっていたのと同じこと、無力な相手を恐怖に怯えさせて楽しむことを、罪のない動物に対してもやっているのを目の当たりにして、怒りと憎悪で肩や胸がびりびり痺れるような感じがしたのを忘れられない。

「動物たちをたすける運動や、肉食しないことも、もっと発信していきたい、積極的に行動したいって思うんですけど、いろんなことを考えすぎて、対人緊張が強すぎて、ぱっぱと行動できない。どうして先生は怖がらずにできるんですか?」と聞いたら、

「俺も怖いけどね・・・(笑)」

「えっ、嘘。。。(笑)」

どんなに話が通じない(動物を虐待したり、殺すことに無感覚な)人が相手でも、相手も人間なのだから、何度も説得し、話し合えば、きっとわかってもらえる、よい方向に解決策が生まれる、これは変わらない快作先生の答えだ。その信念は強い。

傷つくことや、失敗があったとしても快作先生に言わせると「それならそれでしかたないよね。」ということだ。

確かに、この覚悟ができれば、いろいろなことにもっと積極的になれるのに、とは思う。しかし私は長くひきずり、苦しむ性格だ。

たとえば、どこか動物愛護の団体と関わって、啓発のためとはいえ、残酷な動物虐殺や虐待の画像がメールで送信されてきたりすると、私にはショックすぎて、身体的におかしくなるので、耐えられないのだ。

だから、動物愛護をしている人たちと、どこかでゆるく繋がっているという意識を持ちながら、(非常に微力な)できる範囲でしか、どうしても活動できない。

私は、いい大人になってもまだ、なににつけてもうまくバリアを張れないでいる。

情熱的で、時に破滅的なまでにのめりこんでしまう性質のくせに、超過敏で、人が当たり前に楽しくやっていることに、非常に違和を感じたり、激しく傷ついたりすることが多い。

生まれた時から私をたすけてくれた動物たちに、少しでも愛情を返したいとは思っている。

自分の弱さを踏まえて、動物たちの命のために何ができるか、どういうふうに関わったらいいか、いつも考えている。

「私は大人しく見られるせいか、ストーカー的な人にしつこく絡まれる確率が高くて怖い」と言ったら、

「そういう人を惹きつける要素があるんだろうね。そういう人は気持ち悪いことさえ我慢すればいいんだから。うまく仲良くしてお金を搾り取って動物のために使えば。(笑)」

「気持ち悪いことって一番我慢できないことじゃないですか。無理ですよ。(笑)」

私は聞き上手と思われ、心の病の傾向の人に依存されて困ることが過去によくあった、と言ったら、快作先生は、

「カウンセラーをやってお金とればいい。30分5000円くらいで。そのお金を動物たちのために使えばいい。(笑)」と言う。

私が人前で緊張したり不安を感じたりするのが、自分になにか特性があるためだとしたら、それを生かせるやりかたを見つけたい、と心から思う。

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2017年3月19日 (日)

画集の打ち合わせ / 対人ストレス /  最近のちゃび

3月8日

水声社の編集さんと次の画集の打ち合わせ。

新宿3丁目の名曲喫茶らんぶる。広いのに、地下の禁煙席はほぼ満員だった。一階の紫煙が階段を伝ってくるのが難点。

次の本について、私がすごく気にしているのは、紙の質と絵のページ数。希望の紙の見本の本を2冊渡す。こんな触感の紙で、と。B7だけはイヤダ。

紙がすごく高かった場合、絵のページを増やすか、その時点で検討。

とにかくもう一度、絵を増やす方向で全体の構成をやり直してみること。

いろいろわからないことが多くて不安になった。

3月14日

S・YさんとM・Hさんと飲みに行く。

M・Hさんは心理学の専門家で、対人についていろいろアドバイスをもらう。

私が、誰かにものすごく不快な思いをさせられたことをブログに書くと、「絵を描く人は心がきれいって思っている人たちから非難されたりする」と言われたが、別にそんなことはどうだっていい。

その誰かが特定されると、それが事実であっても名誉棄損罪、もしくは侮辱罪に問われるらしい。

そんなことも、まあ私はどうだっていいのだが。

私を道具のように利用して自己愛を充たそうとする人がらされた耐え難く不快な体験をブログに書こうとすると、たいてい危険だと止められる。

私が表現をやる根本のところに関わる問題なので、そこを書かないとなにも表現にならない気がするのだが。

3月15日

高円寺の私の好きな古着屋さんの店主、O・Kさんと話す(私が高円寺を離れられない理由のひとつは素敵な古着屋が多いことだ)。

去年、彼女から購入したビリティスの黒いレースブラウスの釦が、外に着ていく前に取れて無くなってしまったので、適当な釦(私の好きな小さな貝釦)をつけていただいだ。

彼女と話しているとすごく楽て、救われたような感覚があった。

それは、彼女は服をつくって売るクリエイティヴな仕事に携わっているが、アートや絵をやっている人のような異常な自己顕示欲がないからだ。

仕事として望まれたことに対して親切に、ちゃんと応えてくれるだけで、余計な自己主張がない清々しさ。

彼女は背が高くて陶器のような白い肌の、おっとりしてきれいな人だ。

3月16日

久しぶりにGと西永福で食事。

去年、真っ白なユキヤナギで埋もれていた松ノ木グラウンド横を抜け、大宮八幡のへりの暗い道を通って行く。

ハナ動物病院の近くの桜がもう満開だった。

・・・

最近のちゃび。

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朝の自撮り。

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最近のちゃびは、歳をとっているがなんとか元気で、おしゃべりが得意だ。

明け方から朝、何度もトイレに行き、戻って来ては、私のふとんの中にはいりたいとにゃあ、にゃあ。私の耳元でおしゃべり。それでも私が起きないと、私の顔をお手々でぱんぱんと叩く。

朝、私の顔のすぐ前にあるちゃびの顔にちゅっちゅっと口づけると「ぐるにゃあああああ」とゴロゴロ爆裂。
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私の枕にまたがる。
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もうすぐ二十歳。がんばれちゃび。
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2016年12月25日 (日)

宇野亞喜良展《絵本の城》 / ちゃび

12月23日

宇野亞喜良さんの個展《絵本の城》へ。

その前に、3時頃、外苑前を少し散歩した。

きょうは真冬なのに20度にもなった異常に暖かい日。そのせいか黒雲と入道雲が混じるような不思議な空模様だった。

外苑のあたりには、欅、スダジイ、松などの巨樹。

グレーの諧調で光る背景に並んだ欅の細枝を見て、モンドリアンの描いた水辺の木々の絵を思い出した。

それと象徴派の画家で生け垣を何枚も描いていた人(名前を思い出せない)。穴澤一夫先生が解説を書いた展覧会で見た絵だ。

細い血管のような線の先端が溶けてつながっていた。

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しだれ桜も象徴派の線のように垂れていた。

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このあたり、都会には珍しくビルがなく空が広い。イギリスやドイツの小さな町を歩いた時の記憶が蘇る。サイレンセスター、バーミンガム、バーモンジー、バース、オルテンブルク、ハンブルク、ベルリン・・・と記憶が飛ぶ。

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絵画館前の銀杏並木はすっかり裸になっていた。シンメトリーの風景をマラソンする人たちが速いスピードで横切って行った。
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ユリノキ(リリオデンドロンチューリッピフィラ)の黄葉。
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駅に戻る時、黒雲から雨がぽつぽつ。陽に光っているほうの雲は明るい。めまぐるしくてコントラストの強いバルセロナやフィゲラスの雲を思い出す。

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電車で新宿に移動。地下道から伊勢丹にはいると、いつになくすごく混んでいた。毎年意識しないので気づかなかったが、クリスマスの直前だからなのか。

宇野亞喜良さんの個展《絵本の城》は、『白猫亭 追憶の多い料理店』(小学館)と『おばあさんになった女の子は』(講談社)の絵本原画展示。

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会場はとても盛況だった。2時から5時まで、ひとり2分としても3時間以上。100人にも丁寧にサインをしている宇野亞喜良さんはすごい。

5時を過ぎてもなかなかサインが終わらないようなので、きょうは奥様にだけご挨拶をした。

撮影OKの場所は、このコーナーともうひとつTVのあるコーナーのみ。

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TVでは宇野亞喜良先生の昔の実験的なフィルムが流れていた。60年代後半の絵だろうか。「あのこ」を思い出す馬の絵のボディペインティング。

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資生堂マジョリカマジョルカのイラスト。パーツをどのように組み合わせても絵になるように色彩と線の分量のバランスがうまくできているのが鮮やか。
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12月24日

ちゃびの検査結果を聞きに行く。体重が増えると同時にまた少し腎臓の数値が上がってしまったようだ。BUN36.3 CRE3.0。

でも最近は元気だ。

13日と14日に2日連続でほんの少し黄色い唾液を吐いたので、14日に病院に電話したら「連れて来て。」と快作先生に言われたので、青くなって連れて行った。

診てもらったら「おなかに毛玉がつまってる」と言われ、バリウムと吐き気止めを飲まされた。

受付の看護師さんに聞いたら「うちの子もしょっちゅう黄色い胆汁吐くけど、けろっとしてるんでほっといてますよ~」とも言われた。

大事なくてよかったのだが、ついでにワクチンが切れていないかの検査と、腎臓などの検査一式をしたので、いつもの輸液セットと薬と合わせて、この日は25000円もかかった。

毎朝、私のふとんにはいってきて、私の口に自分の口を近づけ、大きな声でゴロニャア!爆発のちゃび。顔にチュッとやると「ウギュルルウウウ~」とゴロゴロの爆音で大きくお返事。

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真夜中、ふと目を開けると、私の顔を見つめてゴロゴロ言っているちゃびの顔が目の前に。
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体調がいい時ほど激しく甘えてくる。

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私の左腕に顔をのせて、さらにお手々で私の腕の付け根を押さえて、嬉しそうなちゃび。

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息で鼻を膨らませたちゃび。

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2016年12月 1日 (木)

ちゃび 19歳5か月 給餌の試行錯誤 / 書道

12月1日

試行錯誤により、ちゃび(19歳5か月)の体調が戻ってきたメモ。(老猫が食べられなくなったり、強制給餌に悩んでいるかたの参考に、少しでもなれたら幸いだ。)

10月10日に、ちゃびが自分で食べることができなくなり、一時はもうだめか、と思われた。自分で水を飲むことも、毛づくろいもしなくなってしまった。

今も自分では食べないので、一日一回、夜にシリンジ6~7本くらいの給餌をしている。

快作先生によると、猫は自分で食べることを忘れてしまうのは、珍しいことではなく、がんばって給餌してあげていると、ふとまた自分で食べるようになる子も珍しくない、ということだ。

ちゃびに関して私が生みだしたやりかたは、給餌を暴れて嫌がる場合は、セルシンを一錠(10mg)の1/6ほど飲ませ、10分くらいしたタイミングで給餌することだ。

ちゃびはFKW(スペシフィックの腎不全、肝不全、心不全用)があまり好きでないようで、シリンジであげると、半分量くらい舌で口の外に押し出してしまう。

試しにマグロのお刺身を叩いてすりつぶして、亜麻仁油、レンジアレン、ミヤリサン、デキストリン少々を混ぜてシリンジであげたら、このほうがよく呑み込む。

とりあえずマグロと亜麻仁油を毎日あげていたら、DHAが脳に効いたのか、以前のように生き生きしてきて、ゴロにゃあ!と爆裂するようになり、自分で水を飲み、毛づくろいもするように戻り、、便秘もなおって、吐かなくなった!

きのうは10cmの直線一本のうんこをして、朝、私にそれを知らせるために、うにゃあ!うにゃあ!と元気に私を起こした。きょうも7cmのうんこでうにゃあ!うにゃあ!

私が外から帰宅すると、すぐに膝の上にきてゴロゴロ甘えておしゃべり。

そしてなんと19歳と5か月にしてジャンプ力が戻った。

今年の2月くらいにはまだジャンプして上っていたが、夏には上れなくなった私の絵の具箱の引き出し(高さ1m)の上や、流し台の上に、また乗っかるようになった。

無農薬のカブの葉っぱもまた食べるようになった。

体重も一番具合の悪かった時の3.2kgから3.4kgに増えた。(老猫だから維持だけで増えるのは無理、と快作先生に言われていたのに・・・)

ネットで調べると、お刺身など生魚は、チアミン欠乏症(ビタミンB1の破壊)や黄色脂肪症(ビタミンEの破壊)の危険があるので、あげすぎはよくないと書いてある。

快作先生に聞いたところは、まだ、あげすぎというほどではないから、だいじょうぶ、と言われたが。

とりあえずFKWかk/dのウエットと、マグロには亜麻仁油またはえごま油とオリーブオイル(ビタミンE)を少量混ぜてあげて、様子をみようと思う。

きのうのちゃび。

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私の(ジャージの)ひざの上にしょっちゅう乗ってきて甘えるちゃび。

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・・・・

最近の書道。「月落烏啼風傳鴈信」。月落ち烏啼き風は鴈信を傳う。

本部からのお手本には「ふうふがんしん」と書いてある。「ふうでんがんしん」ではないのか?鴈という字はわりとうまくいったと思うが、傳の「寸づくり」が左に曲がってしまった。

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「かいちつほうきん」。「帙を開き琴を抱く」(陳方)。「開」の門構えがすごく難しくて苦手。特に「右反跳勢」という縦画がなかなかうまくいかない。

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6月28日に痛めた右上腕の筋膜がずっと痛くて、11月から新しい治療法を求めて治療院をかえ、本格的な電気治療に通っている。

(治療院をかえたもうひとつの大きな理由は、客への楽しいサービスだと勘違いしているうるさいおしゃべり、院長が従業員を侮蔑、揶揄する大声のしゃべりが、あまりに不快で我慢できなかったからだ。)

ちょっとひねった右腕の損傷がこんなに大事になるとは思わなかった。絵を描くのにも筆や鉛筆を持つ右腕なので、常に嫌な感じの痛みがあると本当に辛くて、夜寝る時にも痛いので困っている。

どうしても治らないようならMRIを撮影して筋膜断裂の状態を診て、場合によっては手術、と言われている。

右腕を上に伸ばしたり、背中のほうに腕を曲げるストレッチなどが痛くてできない状態なので、背中の筋肉も凝って苦しい。

傷めたところにカイロを貼ってあたためて、少しずつ稼働域を広げるリハビリを前向きにがんばっている。

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2016年11月 8日 (火)

太田快作先生講演会 飼い主のいない犬猫 殺処分ゼロにする方法

11月5日

ハナ動物病院院長、太田快作先生の講演(調布市環境政策課主催)を聞きに、調布市の市民プラザへ。(画像はすべてクリックで大きくなります)

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地域猫についてと、殺処分ゼロにするにはどうしたらいいかの話。以下、内容を聞き書きでまとめたもの。

・・・・

理想主義と言われようと、すべての猫が飼われてほしいと思っている。その前段階として、とりあえず地域猫とする。

野良猫を減らすためにTNR(Trap、Neuter、Return。猫を捕獲して不妊手術してもとの場所に戻す)をすることの実際の難しさを、行政がわかっていない。問題意識がない。

個人のレヴェルでは手におえない。

野良猫に子猫が多いのを見たら、すぐ誰もがTNRを、と思いつくまでの啓蒙が必要。振り込め詐欺と同じくらい行政は啓蒙してほしい。

◎不妊手術などの助成金は上限なしにするべき。

捨てられて運よく生き延び、怖い思いをしながら繁殖している猫は、誰の猫でもない。最初に捨てた人が責めを負うべきだが、それが無理なら、行政が責任もって事態に対処していかなければならないはずだ。

どうしてもそれを見過ごせない一般市民が全責任を負うのはおかしい。倒れた人をたすけた人がその後の治療費用まで負うのと同じ。

ボランティアは3Kの重労働。行政にとって、こんなありがたい人たちはいない。無料で教育もなしにやってくれている。本来は、交通費、謝礼までもあるべき。もしそんな人がいたら、行政が申し訳ないけど、とお願いすべきところ。

助成金に上限があると不妊が中途半端になり、また子猫が生まれ、結局、やっているふりになってしまう。

◎獣医が野良猫を診ないこと、手術代が高いことについて。

獣医師会は対応してくれない。獣医師は誰よりも専門知識があり、国家資格を持ち、動物を愛する人たちのおかげで飯を食っているのだから、社会的責任がある。

人間が動物を飼う文化があるかぎり、獣医師は動物の命についての協力は好き嫌い関係なくやるべき。

ボランティアさんが苦労や議論をすべきではない。行政と獣医師の責任。

◎殺処分をゼロにする方法。

平成27年の殺処分・・・犬と猫全部で8万匹。うち猫6万7千匹 うち8割が子猫。1日に200匹。10分に1匹。

不妊手術をしなければ、子猫は死ぬために生まれてきたようなことになってしまう。それはあまりにかわいそう。

殺したくないというのはボランティアをやっているかどうかと関係なく、人として当たり前の気持ち。

殺処分が去年より1万匹減少したのは、ひとえにボランティアさんたちのおかげ。

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○飼い犬の殺処分の8割は迷子。迷子とわかっていて処分される。

マイクロチップを法律で義務化すればよい。

○飼い犬の子犬の殺処分5千匹以上。

地方では不妊手術を知らない飼い主が多い。徹底的な啓蒙が必要。

○野犬

山口県周南市では野犬が増え、虐待が起きている。狂犬予防法により、捕獲したら放せない。近々現地に行ってTNRをしたい。議論を起こしたい。

(※周南市の野犬の事件について、私はこの快作先生のお話を聞いた時点で初めて知った。

帰宅してからネットで調べて見ると、本当に信じられないような野犬の大量虐殺が起きているようだ。聞いただけでショックで体調が悪くなり、怒りと嫌悪感で震えてしまうような動物虐待事件だ。

これについては少しでも拡散したほうがいいと思うのでリンクさせていただきます。

http://next.spotlight-media.jp/article/323850146902489446

周南市緑地公園の野犬を皆んなで守る会

https://www.facebook.com/Rykucicouen88/photos/a.543177579222627.1073741828.542340932639625/545252135681838/?type=3

市は巣穴を破壊し、餌やりを禁じて、犬たちを餓死させればいい、という、まったく罪のない命を軽視した、時代に逆行する野蛮な態度だ。一方虐待をしている人間は放置。

これに対して、快作先生がすごいのは、近々、現地に行ってTRNをするつもりだ、と明言したことだ。

TRNがすべての解決にはならないが、狂犬予防法に抵触してもやる、繁殖して虐待されないための一歩として、行動を起こすということだ。

後日(11月7日)、快作先生が現地に行くことをブログに書いていいのかを先生に確認すると、「隠すつもりはないから書いていい。問題提起をしたい。その行動に文句がある人は、自分の前に出てきてほしい。」と快作先生は言った。)

○飼い猫の殺処分は、1年で7千匹。各都道府県で月に10匹。

だめな飼い主のしりぬぐいをするのはおかしいが、TNRで減った分、里親探しをすればよい。

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◎見かた その1

飼育されている犬猫2千万匹超。寿命約14年。1年の殺処分8万匹。

新しく犬猫を飼う人のうち、17人に1人が捨て犬や捨て猫を飼えば、殺処分はゼロに!

実際は犬は30人に1人。猫は2人に1人。

そんなに簡単ではないが、猫はけっこういけるはず!

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◎見かた その2

8万匹を各都道府県に割ると1700匹。

年間、各都道府県が1700匹の里親探しを行えば、その年から殺処分ゼロに!

どこの動物病院でも、毎年8匹引き取ればよい。

費用は病院持ち。犬舎もあるし、専門知識や技術を持ったスタッフがいる。

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◎ボランティアさんへ。

いつも結果がともなうわけではないが、動物の神様はいつも見ている。

命が待っていることを思って、あと一歩の力をかしてほしい。

この社会が狂っている。いじめはだめ、と教えながら、最も弱者である動物の子どもをいじめて殺している。

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西山ゆう子獣医師が、アメリカはアニマルポリスをつくって素晴らしいと言っているが、2000万頭が300万頭に減っただけ。日本には法律もなく、ボランティアの気持ちだけで殺処分ゼロが見えてきたのはすごいこと。

・・・・

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このあと休憩をはさんで質疑応答。

実際に傷ついた猫を保護して、たいへんな思いをされているかたの発言。行政への援助の要望や、捕獲の時期ややりかたなど快作先生への質問。

市へは、助成金が足りないこと、地域猫の世話について近所の住民に理解を求める説得を市の職員がやってほしいことなどの要望。

公園での地域猫のえさやりについて、

「ボランティアがやるのはおかしい。えさと掃除は公園の管理課がやればいい。えさ代、手術代、個人のボランティアがやって(負担して)あげている。なんとなくやってあげていると、人はどんどんそれが当たり前になってしまう。」

「助成金の予算に上限があるから(いわば行政のかわりにやってあげているボランティアが)下に見られる。これができない、これじゃ使えない、と市が嫌がるくらいに言ってください。無視すれば楽と思われたらだめ。無視すると楽じゃない、面倒くさいと思われるくらい言いまくると、行政は意外と変わる。」

と市の職員さんたちを前に言う快作先生。

超絶的な情熱と労力を、日々、動物の命を救うことに捧げている快作先生の、非常に具体的で明快な話で、素晴らしい講演会だった。

現場を知っているボランティアの人たちがたくさん来られていたようだ。本当は、こういう話をこれまでまったく聞いたことがないような若い人たちに、もっと聞かせたい話だ。快作先生は大学などでの講演も望んでいる。

私個人は、野生動物や産業動物について、命を救うにはどうしたらいいかの考えを太田快作先生にもっと聞いてみたい。

快作先生は不可能だと思われる現実を動かすための発想と行動力がある。彼の生き方は出口なしの憂鬱に希望を与えてくれる。

・・・

初めて国領という駅に降りたので、講演後、少し散歩した。駅の周辺は古い建物はあまり残っていなかった。

西日に透けて光っている白い花がきれいだったので、撮影。白いコスモスかな、と思ったら秋明菊(シュウメイギク)だった。秋明菊は、キクではなくアネモネの仲間だ。

その下には淡い赤紫の小菊。端っこには夏の名残りのオレンジ色の百日草。

錆びた階段も、打ち捨てられた看板も、刈り取られて乾いた草も、私は好きだ。

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多摩川住宅の横の道。桜の紅葉が散っていた。きょうは比較的暖かかったので、私は左右非対称の変形サルエルパンツ。

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11月4日

『マンガで学ぶ動物倫理』(化学同人 伊勢田哲治:著 なつたか:マンガ)を読んでいた。

高校生がペット、肉食、動物実験、外来種、イルカ・クジラなど、動物たちの命の難問に挑むストーリー仕立てになっている。

頭で考えるとこうなる、という例。

動物の命が失われることに対するショックや、やむにやまれぬ身体感覚のようなものは、ほとんど描かれていないが、種差別についての疑問を提起するのに、まあわかりやすい本。

人間だけが人権という権利で守られる理由と根拠はなにか。

化粧品のような嗜好品のために動物実験をして動物を殺すことには反対意見が出てきているが、肉食も、やめても栄養に問題ないとしたら嗜好品と言えないか。

外来種は駆除してよいのか。そもそも外来種の定義とは江戸時代の日本の生態系についての言葉で、それが現代にあてはまるのか、などなど。

動物の権利についての考えは、イギリスが先んじていたということだが、ベンサムが功利主義の立場から動物の権利についても書いていたというのが、あらためて興味深いと思った。

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