身体

2017年5月 3日 (水)

高円寺大道芸2017  セクシーDAVINCI

4月29日

第9回高円寺びっくり大道芸。

涼しく晴れた日。日差しが強いので、紫外線アレルギーで顔中に湿疹ができる私は要注意なのだが、昼からセクシーDAVINCIさんが、うちの近所の狭い会場に出演されるとパンフにあったので、ウッカリ見に行ってしまった。

「高円寺に巻き起こす春のセクシー旋風!No Sexy No Life! 全ての人よ、セクシーであれ!」「とっても美しいお兄さんによる、とってもおバカなパフォーマンス。」と大道芸の公式パンフレットにある。そのままです・・・

セクシーさんが「ヘブンアーティスト」のライセンスを取得して高円寺大道芸に初参加した2008年に、たまたま通りがかった商店街の隅で演じていた彼の美しさにに「うわッ、この人いったいなに?」と思わずウッカリ目を奪われてしまい、それから毎年癖になって見に行っている。

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存在自体が華やかで、フレンドリーで、厳しくもてきとーで、とっても楽しい芸風。
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とってもきれいな自慢のおしり。セクシー年貢(投げ銭)をいっぱい納めると触らせてもらえます。
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折りたためるセクシー年貢をウッカリ納めてしまったら、ブロマイドをもらえた。

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記念撮影。このブロマイドはGACKT風?のゴージャスなイラスト風味。ブロマイドは400種類くらいあり、全種類を集めている人は日本に約2名いるそうだ。「自分のペースで集めてネッ」とのこと。

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私よりずっと白くて美しいもち肌のセクシーDAVINCIさん。無駄毛のまったくないすべすべの手足は天然で、脱毛などは「アタシ、そんなめんどくさいことしないわよッ」だそうです。

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午後1時、3時、5時くらいに、場所をかえて1日3回公演があるのだが、1回目の公演を見た後は家で仕事をして、ウッカリまた夕方5時の部を見にJR高円寺駅前へ行ってしまった。昼の場所よりずっと人が大勢でワイワイ。
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セクシー!!という皆の掛け声も最高潮に。

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いろんな演目があるが、私はこの黒い帽子をつかった「伊勢佐木町ブルース」の踊りが、仕草が本当に妖艶できれいで、一番好き。真っ白なつるつるの細いおなかが素敵。
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夕方6時前に、急に凍えるような強風。JR駅前でやっていた中国雑技団の人の椅子を積み上げた上でのバランス芸がゆらゆらして危なそうだった。

稲妻が光り、雷雨になった。

4月30日

高円寺びっくり大道芸2日目。きょうもきのうと同じ場所にウッカリ、セクシーさんを見にいってしまった。

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またもやウッカリ折りたためる年貢を納めてしまったために、ブロマイドをいただいた。

今度は、「花と一緒に写ってるやつをお願いします。」とおねだりして、私好みの綺麗な薔薇の花の中のセクシーさんの写真をゲット。

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夕方5時半ごろ、JR高円寺駅前のフィナーレ。頭に火をかぶって熱くないのかしら。黒い金剛力士がシッカリ火を怖がってよけている(画面左側)のが面白かった。

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大きな羊さん。
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毎年、このフィナーレの人だかり(高円寺駅前の都市計画で、人が集まれるスペースとして、この場所をちゃんと考えて確保しておいたらしい)にいると、この高円寺という街は本当に素晴らしいな、と思う。

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桔梗ブラザーズ(ジャグリング)のかっこいいお兄さんの背後に忍び寄るセクシーさん。
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ぶちゅ~っとやるセクシーさん。嬉しそう。
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芸人さんたちが退場するのが名残惜しい。
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びっくり大道芸のお祭りが終わって、喧騒が遠ざかる中、久しぶりに夕暮れの北中通りを散歩した。パイプや配線の交錯が面白い建物。
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新宿や渋谷みたいな人混みはないけれど、閑散としすぎているわけでもなく、細くてぼろい裏通りにはいつも、お酒を飲んで笑い合っている人たちがいる。

一見、廃屋みたいな建物に若い人たちがいて、なにかをやっているところが高円寺らしい。
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2017年5月 1日 (月)

入江紗代さんと会う 場面緘黙(かんもく)

4月20日に、入江紗代さんと会って話した。それは不思議なご縁での出会いだ。

先日、「遠藤さんという私の尊敬する人生の大先輩の女性が、荻窪の施設でボランティアをしているので、声をかけてあげてください。」と、その施設で働いていたIさんに久しぶりにメールしたのだが、Iさんはもうその施設をやめて故郷に帰っていた。

Iさんとは、12年前に私が早稲田大学で講演した時に知り合った。彼は当時の学生さんだ。

そのIさんが結婚されたのが、同じ大学で知り合った入江さんだ。入江さんとIさんは今、「かんもくの声」という「緘黙」の理解と認知を広めるための活動をされている。

入江さんは、幼稚園から大学くらいまで、人前で言葉や声を発することのできない症状(「場面緘黙症」)でたいへん苦しみ、今年の3月に「世界仰天ニュース」というテレビ番組の取材を受け、出演された。

私はIさんのFBを見て、ごく最近、そういう状態を「場面緘黙」(かんもく)というのだと知ったのだ。

幼稚園から高校くらいまで、人前で緊張しすぎて、うまく言葉を発することができなかったことは、私もそっくり同じだ。極度の人見知りというよりも、さらに重篤な不安症や恐怖症の一種、という感じだろうか。

そしてとても驚いたことに、入江さんは、私が12年前に早稲田大学で講演した時のことを強く覚えていて、私と話してみたいと思ってくださっていたという。

私が早稲田大学で話している姿を見て、入江さんは、

「震えながら話していて、こんなにも激しく情熱的で、逆に傷つくのも激しい、振り幅の大きい人を初めて見た」「あの頃の私は、今の何倍も苦しんでいて、(講演を聴いて)救われた気がした」

といったようなことを言ってくれた。

それが私にはすごく嬉しかった。

私は悲観的で、なにかを表現しても、それが誰にも届かず、徒労に終わってしまう、というさびしさや焦燥が強い。

けれど、私が気づかないところで、私の拙い話の向こうに痛みとして在る私自身を見つけてくれた人、スムーズに流通しない言葉の滞りや破れ目からでも共感してくれる人がいたこと、その人と12年も経て直接出会えたことが、奇跡のように思え、ありがたかった。

その後のメールでも入江さんは、

「幼い頃から、生きてること自体が葛藤みたいなことを感じてきたのですが、早稲田での福山さんの姿に、勝手ながら初めてそのような人に出会った!と感じ入った気がします。 」

「福山さんの持つ緊張感さえも魅力的で、はり裂けそうな人だという印象で憧れておりました。」

という、なんとも素敵な言葉使いで、私にとっては最高のほめ言葉をくださった。

入江さんは、頭がよくて謙虚で、私からはすごく話しやすい誠実なかただ。それなのに入江さんは「自己を肯定できるという感覚が分からない」という。それは痛ましいことだ。

入江さんの場合は、虐待やいじめにあったわけではなく、どうして幼稚園から外では話せなくなってしまったかは、わからないという(原因は、家庭環境と関係ない人も多いらしいが、日本では研究や調査があまりにもなされていないために、よくわかっていないそうだ。)。

私も、人前ではっきり意思表示ができないために、幼稚園から小学校、中学校は地獄だった。さらに私は肉食ができない(肉がはいっているおかずが苦痛で食べられない)ために、給食時間も地獄。

私の場合、さらに悪いことに、都会の真ん中、新宿駅にほど近い公立の幼、小、中で、特に中学は、教師も御せないほど荒れていて、滅茶苦茶な暴力にさらされた。(しかし私の場合、不登校になったことは一度もない)。

大人になってから対人緊張はだいぶ治ってきたが、私は今も、人に話しかける時に、相手やまわりの反応を考え過ぎ、心配しすぎ、逡巡しすぎて、くたくたになる傾向がある。

そうなった原因は、私の場合に限って言えば、最初は父親からの虐待だと思っている。実際に父は、私を脅かしたり、からかったり、ばかにしたりして、私が怯えるのを面白がるようなことがあった。

小学校低学年で、一緒に外出した時、父は人混みでわざと、どんどん先に行って、私が迷子になって恐怖するのを面白がったりした。そういうどうしようもない不安や恐怖を、父は幼かった私に毎日、植えつけた。

殴られて、本当に頭の中に火花のようなものが見えたことも何度もある。一方的に床に叩きつけられ、その痛みと同時に、激しい怒りと憎しみが湧き上がってきて、胸や首のあたりがびりびりした感覚を覚えている。

小学校、中学校時代、とても集中して描いてほめられた絵を学校から持ち帰っても、父は「グロテスクな絵だな。」とばかにした。「お前程度のやつは、掃いて捨てるほどいるんだ。」などと言われたり、作文も笑われたような記憶がある。

私はすっかり萎縮していた。人前で自分を表現することが怖くて、手を上げて自分の意見を言ったりするのが極端にいやだった。そうしていつも、ただ無防備に他人の目にさらされ、頬を紅潮させながら、「素の自分」を痛みとして思い知らされるのだ。

「緘黙」傾向のある人たちは、人それぞれ、話せない場面や程度、その発症要因も違うが、想像するに、いろいろ気疲れしすぎる性格の傾向は似ているような気がする。

けれど私は、それと同時に、自分は周りの子が気づいていないものに気づいていたり、まったく違う感じ方をしていることがある、そのため、周りの子たちに発言や振る舞いを合わせることに強い反感を持っている、という意識が、幼い頃からしばしばあった。

周りへの違和や、自分だけに見えているもの、激しく感じることを表現したいという欲求も、抑圧されてはいたが、強くあったのだ。

幼稚園の頃から、早く大人になりたいと思わざるを得なかった。少なくとも理不尽な暴力や画一的な強制からは、大人になればもっと自由になれると思うほかなかった。

(大人になってみれば、子どもならではの残虐さやむき出しの暴力によって傷つけられることはなくなったが、自我の欲望を満たすための搾取や収奪はむしろ日常となる。)

大人になるにつれてわかってきたことは、恥ずかしがらずにぺらぺらとしゃべる人は、会話によって本当にその人の生存のあり方が問われているのだ、と本人が意識していないので、平気でしゃべることができる、ということだ。

自分の個別の体験、自分の身体を通してしゃべっているわけではなく、まわり(地域社会や職場での関係、交友関係など)のレヴェルに合わせた習慣や、反射でしゃべっている、ということだ。

皆、役割演技をしていて、それに慣れてしまっているから、そんなに緊張もせず、恥ずかしくも感じていないのだと思う。

飾らない真の苦しみから出ることば、人と理解し合いたいという希求から出てくる言葉は、ぺらぺらと軽くなるわけがなく、思いが強すぎるからこそ、裸でさらされているようで、うまく話せないのだと思う。

言葉が真実であることが必然になってしまっているからこそ、話せない。

入江さんは、「福山さんがとてもお話しやすい方で驚きました。不思議と、普段はあまり言わないことや言えないことも自然と話していました。お話しながら福山さんのことをとても率直に感じ、そのせいか私も率直な面を出せたのだと思います。」と(メールで)おっしゃっていた。

そういえば、昔の早稲田での講演のあと、当時の図書新聞の編集、佐藤美奈子さんに

「私はそこに、本当に、はだかの、裸形の人を見ました。」と、すごく驚いたように言われたことを思い出す。

私の心にはすごく嫌なことも強烈に刻まれるが、美しいものも強烈に刻まれる。その過剰さを制御できない。

美しく儚いもの――動物たちや植物が、ずっと、私が生きることをたすけていてくれたと思う。

デッサンは「光の声」だと言ったのは詩人のアポリネールだが、入江さんにお会いして今、私も、私の仕事を通して、なにか「緘黙」に閉ざされた人たちの力になれたら、そんなふうに願っている。

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2017年3月16日 (木)

右上腕の怪我、過緊張、緘黙 

3月15日

きょうは、最後の寒波なのか、すごく冷えて身体が痛かった。

昨年の6月28日に、思いがけないことで右腕上腕を筋断裂してしまい、ずっと拘縮の痛みに苦しんでいる。整形外科、整骨院の電気治療、リラクゼーションサロンと、いろいろやってみているが、なかなかよくならない。

利き腕なので、いろんな作業に差し支えている。

おとといから新しい整骨院に通い始め、今日は二回目。

ここは前に通っていたところとはまったくやりかたが違う。マッサージはなく、深い指圧と、骨格の歪みの矯正。

私が整骨院やリラクゼーションサロンでもっとも重要に思うのは、余計なおしゃべりがないこと。世間話をされて治療師の見解に同意を求められた場合、ほぼ100パーセント同意も共感もできないでストレスになるので、言わないでほしい。

その点、ここはまあ合格。

3月3日

上半身の緊張が少しでもとれれば、と頸の神経ブロック注射をしに、久しぶりにSクリニックに行く。このクリニックはいつもすごく混んでいるので、冬の間はインフルをもらってしまいそうで怖くて行く気にならなかった。

頸の神経ブロックだけですぐ終わると思っていたら「久しぶりなので診察しますね。」と言われる。

ここの院長先生は、痩せていて派手な顔立ちで、30代のように若く見え、はっきりサバサバとものを言う、明るくてアグレッシヴでてきぱきした感じの人だ。

以前、頸と肩の凝りで頭痛や吐き気がしてどうしようもなくて、神経ブロック注射に通っていた時、「どんな仕事してるの?」と聞かれ、「今は、本をつくってます。」「へええ、どんな本?」「え・・・と・・・芸術系の・・・エッセイです。」と言ったら

「へえ~。すごいねえ!面白い仕事してる患者さんがくるね~。がんばってね!僕は応援してます!」と明るく言われ、私は赤面して苦笑。
「応援してる」とか軽く口先だけで言わなくていいのに、としか思わなかった。

ところが今日、驚いたことがあった。

昨年夏に怪我した右腕が拘縮して上がらない、なにかよい治療法はありませんか、とおずおずと尋ね、2、3週間前にほかの整形外科でCTを撮ったばかりで、そこでリハビリしていて「こうして相談すること自体が二重診療になってしまいますか?」と私が聞いたら、その院長先生は言った。

「「わたし」はねえ、すごくいつも、24時間緊張してるのよ。それで24時間、自律神経が休まらないのよ。いつも、診察の時に異常に緊張しているのが僕にはわかる。」

彼は「あなた」というところを「わたし」と言っていた。

「「わたし」はねえ、ものすごく頭が働いて、ほかの誰も気がつかないことを察知して、いつも、ものすごくたくさんのことを考え過ぎて、疲れすぎて緊張しすぎてるのよ。」と言われ、あまりにも私のことを正確に言われてびっくりした。

「その通りです、わたしは幼稚園の時からずっとそうです。」と応えた。

「今も保険の二重診療のこととか、「わたし」が考えなくていいことをものすごく考えすぎて心配してるのよ。日本の保険制度はおかしい。柔整は半グレ。いろんなこと、考え過ぎないで、絶対なんとかなるって思わなくちゃ。柔整の施術内容回答書も、出したくなければほっとけばいいのよ。なにからなにまで心配しないで。そっちの整形外科の滑車のリハビリもやってていいよ。」」と言われた。

「右腕の拘縮している箇所にブロック注射したら少しはほぐれませんか?」と聞いたら、

「「わたし」の場合、他の人ならなんでもないことも察知して激しく反応して、もっとひどくなることがありそうな気がする。それは僕がここに開院して17年間の直観。」と言われた。

短くしか言葉を交わしたこともなく、一見、軽そうにも見えて、私の性質など、もし気づいても面倒くさいと思うくらいだろうと私が思い込んでいた院長先生が、私の過敏で過剰な性質をちゃんと見ていて、それに寄り添って治療を考えてくれたことに、すごく驚いた。

まったく期待していなかった院長先生に、俄然、信頼感がわく。

「左頸にブロック注射してみようか。」と言われる。右頸に打つほうが当然効くが、私は甲状腺癌摘出手術で左の声帯と反回神経を切断してしまっているので、右頸に麻酔を打つと左右の気道が閉塞して息ができなくなるので、右には打てないのだ。

仰向けに寝て左頸に神経ブロック注射をして、ふわっと効いてきて顔や頸が熱くなってぼーっとしている間に、一生懸命右腕を上に上げたり肩を回してみたら、少し痛みがとれて、いつもより動く気がした。

過去に何回か神経ブロック注射の止血をみてもらったことのある若くてかわいい看護師さんに「右腕が痛くなってたんですねえ。ぜんぜん気がつきませんでした。」と親切にしていただいた。(右腕のこと、今日までこちらでは言ってないんだから、気がつくわけはないのですが。。。)

・・

私は何をやるにしても相手の反応や、その場の雰囲気、そのあとにどんなことが起きるかを考えて、逡巡しすぎて、ものすごく疲れて緊張する。

そして自分の率直な意思表示を飲み込んで、我慢してしまうことがものすごく多い。

結局なにも行動を起こさず、表情にも出さず、抑え込んでてしまう。

そんな風に緊張しながら、私が心身のエネルギーを使い果たしたことは、目の前の相手はもちろん、まわりの誰にも気づかれない。

私は、自分と正反対に、相手の反応おかまいなしに、自己展開して一方的に気持ちよくしゃべり続ける人が苦手だ。

逡巡や緊張なしに、ぺらぺらしゃべる人の話はたいてい酷くつまらなくて、私には同意も共感もできないからだ。

私は、耳を遮断して聞いているふりをすることができなくて、嫌なことも直接、身体の奥まではいってきてしまうから、恐ろしく疲れるのだと思う。

嫌だと感じることも、好きだと感じることと同じくらいに、激しく強烈に、私の中にはいってきてしまう。

私には自分が大切なものがはっきりしている。だから、そこにのめりこんで集中したい時に、誰かにそれを邪魔されるのがものすごくストレスになる。

また、自分の言いたいことが、伝達不可能だとわかっているのに、それをまったく違う意味に平準化され、「わかるわかる」と言われることが苦痛でたまらない。

「あなたには見たことも感じたこともないことを、私は今、言おうとしている、ということを認めてほしい」と相手に言っても伝わらない。

「自分にはわからない」ということを認めない人、なんでも「自分もわかる、自分のほうが上だ」と言いたがる人がすごく苦痛だ。

わりと最近まで知らなかった言葉だけれど、私の子ども時代は「場面緘黙」というのにぴったりだ。

幼稚園から高校くらいまで、ものすごくいろんなことを考えて、感情ははちきれそうだが、人前で話すことが死ぬほど嫌だった。

なにも言えなかった幼い頃の私も、自分が大切なものははっきりしていた。

私は口に出したくても言葉にならなかったこと、うまく言語化できない微妙な次元の、内面では激しく感じているリアルな私の生のために表現をやろうとしているので、たぶんこの不全感と焦燥と対人ストレスは一生続くのだろう。

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2016年12月15日 (木)

急性アトピーが一晩で治った ベジタリアンについて / 銀杏と黄カラスウリ

12月15日

顔のかぶれ(急性アトピーの炎症?)がプロトピックで酷くなったこと、それが食べ物で一晩で治ったこと。

私はもともアレルギー体質ではなく、花粉症の薬も飲んだことがない。

若い頃は「肌理が細かく白い肌」と言われていた。思春期でも皮脂過剰になったことがなく、ニキビができたこともなく、特にケアも気にしていなかった。

最近は、ほこりや紫外線で湿疹ができるので注意している。注射のあとのアルコール綿などにもかぶれる。

去年くらいから、顔がひりひり痛くなったり、ところどころ赤くかぶれたように痒くなることが多い。もともと(皮膚科の先生にも驚かれるほどに)皮膚が薄いのが、加齢のためにさらに乾燥が進み、バリア機能が弱くなったのが原因だと思っている。

最近も、瞼や頬がところどころ少し赤くて痒かったので、痒いところにロコイドを塗って、オロパタジンを朝晩飲んでいたのだが、特によくならなかった。

痒みが強くなったので12月9日に皮膚科に行った。「結構赤く出ていますね。」と言われる。「私の顔、肌理がなくなったビニール肌ってやつですか?」と聞くと「いや、かぶれて腫れてるだけだと思う。」とK・H先生(その日は院長でなく、若い男性の先生だった)。

「大人になってから食べ物のアレルギーになることは考えられますか?」と質問したら「痒みが出ているのが顔だけだから、食べ物ではないと思う。」と言われた。

「試しにロコイドから違う薬に替えてみますか。まずは幼児用の出しときましょう。」と出されたプロトピックを、夜、さっそく顔に塗ってみたら、たいへんなことになった。

プロトピックはステロイドではない抗炎症薬というので、すごく期待して塗ってみたら・・・真っ赤に腫れてものすごく痒くなり、顔中、掻きむしらないと我慢できない状態に!!!

すぐにお風呂で(100円の植物石鹸で)洗顔して落としてしまった。

とりあえず保湿し、オロパタジンを2錠飲んだ(すごく痒い時は一日4錠飲んでよいとK・H先生に言われている)。

その夜、ネットで調べまくり、脂肪酸(リノール酸とリノレン酸)のバランスと、ビタミンB類の不足で代謝しきれない過剰なたんぱく質が炎症の原因になるらしいことを知った。

私は、物心ついた頃(3歳くらい)からずっとぺスコベジタリアン(魚と卵と牛乳は食べるが、肉類は出汁も含め一切食べない)なので、たんぱく質の摂取量は少ない。

だが、ごく最近のたんぱく質過剰について、ものすごく思い当たることがあった。

ここ4~5日、いつもはまったく飲まないホエイプロテイン(ドラッグストアで買った一袋2000円くらいのココア味)を、朝晩、多めに、がばがば飲んだのだ。

飲んだ理由は、なかなか痛みが治らなくて辛い右上腕の筋膜断裂の負傷にプロテインが良いかもしれない、と軽く考えたことだった。

確かにプロテインを牛乳に溶いて、多めに飲んだ日くらいから、顔の赤味、痒みが増している。

12月9日の夜、いつもより大量の白菜と蕪(アブラナ科の野菜がよいと思う)に牡蠣を入れた玄米雑炊を食べて、ビタミンB(特にB6とB12)と葉酸のサプリを多めに飲み、えごま油(ちゃびのために買ったもの)を大匙一杯飲んだ。

すると、10日の朝には、顔がかゆくなく、なんと赤味もほとんど引いていた!今まで何か月もアレルギー反応で腫れていたのか、一夜にして顔全体のむくみもとれてきた。

今年の春先からずっと、時々顔がかぶれて、ロコイドを塗ってもかゆみがとれなくて悩ましかったのが、一気に治ってしまったのでびっくり。

あれから4、5日。塗薬もオロパタジンもやめてしまったが、痒くない。心なしか顔の皮膚がぴんとしてはりが戻っててきた。

調剤薬局で、薬剤師に、「プロトピックは、最初刺激が強くてぴりぴりするかもしれないけど、我慢して続けたらよくなりますから」と言われたが、独断で使用中止してよかったと思っている。

野菜と果物中心の食生活、ビタミンBのサプリとえごま油は続けている。

リノール酸過剰(によるアラキドン酸の過剰、エイコサノイドのバランスの崩れ)が非常にアトピーの炎症に悪いらしいが、かつてTVで、リノール酸を多く含むサフラワー油やグレープシード油は美容や健康に良いとさかんに言われていたような気がする。あれはなんだったのだろう。

最近の研究では、コレステロールを下げるよりも脂肪酸のバランスに気を付けたほうがいいらしい。

ちなみに私はもう20年くらい、調理にはオリーブオイル(オレイン酸を多く含む)しか使っていない。あとは最近、ちゃびのために、えごま油(または亜麻仁油)を買い始めただけ。家で摂るオイルはこの2種のみだ。

また外食する時以外は白米は食べない。家では古代米の黒米を入れて炊いた無農薬玄米のみ(玄米はけっこうな量をどんぶりで食べている)。

お酒は好きでよく飲むが、甘いものやスナック菓子は好きでないので、まったく食べない。ジャンクフードは一切食べないので、ほとんどトランス脂肪酸を摂取することはないと思う。

食事は、種類や品目はあまり多くなく、いたってシンプル。無農薬の玄米かパスタと4、5種類の野菜と果物。海藻、豆類、牛乳、チーズ、卵、魚介少々。

私がベジタリアンであることの理由は、動物を殺して食べることが嫌だからで、健康のためではない。たとえ健康に悪くても(実際にはあり得ないが、たとえば「肉を食べないと癌が悪化する」と言われたとしても)私は絶対に肉を食べることができない。

健康や美容のためのベジタリアンではないのだが、「肉を食べないせいで肌や髪がきれい」と人に思われたほうが、一匹でも動物の命を救うためにはよい、そう人に言われるように努力すべきだ、と最近考えるようになった。

右腕の怪我の電気治療に通っているところの治療師の先生に、「福山さんの頭皮は珍しい青ですね。大きく分けて頭皮は、赤い人と青い人がいるんですが、青い人のほうがすごく少なくて、青い人はたいてい皮膚や髪の毛がきれいなんですよ。」と言われて嬉しかった。

私の長い髪が(年齢のわりに)まったく痛んでいなくて真っ直ぐなこともほめられた。ちなみに安いシャンプーで洗っているだけでトリートメントも何もしていない。美容院にもほとんど行ったことがない。

ベジタリアンは、日本では非常に生きづらいのだが、海外では特にロックミュージシャンなどに、動物虐待にはっきりと反対しているベジタリアンの人が多い。尖ったパンクスの人にベジタリアンが多いのは非常に励まされる。

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青梅街道の銀杏並木の黄葉(もみち)。(12月7日曇り)

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(12月7日曇り)
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(12月9日晴れ)
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(12月9日晴れ)今年は絵画館前の銀杏並木を友人と見に行きたかったのだけど、友人が風邪をひいたので行くのをやめた。青梅街道の銀杏並木もきれい。
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黄烏瓜(キカラスウリ)。毎年、葉が完全に枯れ落ちてからしか見つけることのない黄烏瓜の実を、今年は黄葉から見つけた
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カラスウリの実は赤いので葉が青いうちから目立つが、キカラスウリは葉も実も黄色いので、実が目立たないのでしょう。キカラスウリの実は小さなマクワウリのようで、つるんとしておいしそう。
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枯れたセイタカアワダチソウと鮮やかな蔦のコントラスト。
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2016年10月26日 (水)

鵜飼哲さんと三浦半島の海岸へ 身体と思想について

10月22日

前から鵜飼哲さんと会う約束をしていたのだが、私の希望で三浦海岸へ貝拾いに行く。

12時45分に新宿で会い、湘南新宿ラインを横浜で京急に乗り換えて三浦半島へ。

行きの電車では、鵜飼さんが「シュルレアリスムの最後のアウラがある人」というアニー・ル・ブラン(Annie Le Brun)と会ったお話を聞く。

それから私は質問した。具体的な人名をあげてフェミニズムの話や日本会議の話、右翼、左翼、混沌としてなんとも判断がつきづらいニューウエイヴのことなど。しかし、私が質問のしかたを間違えてしまったのだろう。それらのことなど、私はどうでもよかったのだ。

私が聞きたいのは、思想の分化や分類の話ではなくではなく、それらの思想がそこから生まれるところの、というよりむしろ、思想が形を成す以前の身体感覚の話。

その人が自分の標榜している思想を裏切らない生き方をしているのか、などど問うべきでもない。

そうではなく、私はいつも、その人の身体はいかに思想そのものであるかを問いたいのだ。

瞬間ごとに変わる目の前の状況に対して、すぐれた舞踏のように、どのように臨機応変な態度をとれるか。

三崎口に着き、もう3時近かったので、体力と時間の温存のため、タクシーで行った。

鵜飼さんは貝拾いは初めてなので、私も貝の名に詳しくはないが、ごく基本の、よくある貝の名前などを教える。

これがタカラガイ、これがヘビガイ、これがヒオウギ、これがチリボタン、これがツノガイなど・・・。

あるわ、あるわ、タカラガイがうじゃうじゃ。私は生まれて初めてのすごい量のタカラガイに頭がくらっくらした。

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私はもう夢中になってしまって、しゃがみこみながら蟹のように移動したり、その場にじっと座りこんだまま、拾い続けたりした。

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「キャー!青い綺麗なガラス瓶、見つけたー!見てください、これ!」と私はすごく興奮。

私は同じ場所で拾い続け、気がつけば鵜飼さんはどんどん遠くに。

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貝をさがす鵜飼さん。

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どこらへんが穴場とかのなんの予備知識もなく、ただ来てみたのだが、岩場を超えてさらにすごい拾い物スポットにたどりつき、私は超興奮。

ふいに「これ、よかったらどうぞ。私、もうひとつ拾ったので。」の声に驚いて、見上げる。集中していたので、それまで周りにほかに人がいることも、その人が私のところに歩いてきていたことも、まったく気づかなかった。

先に来ていたらしい女性が私に、小さなピンクの巻貝をくださろうとしていた。「あ!ありがとうございます。」と応える。

わあ、珍しい薄桃色のベニフデガイじゃないですか!大きさ2cmほど。

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小学校低学年の頃の気持ちで、しゃにむにタカラガイばかり拾っていた私に、レアなものをくださる優しいかたがいるなんて感激。

「たくさん拾っちゃいましたけど・・・」と言うと「ふふっ。夢中になってきりがなくなっちゃいますよね。」と微笑されて、その女性は去っていった。ビーチコーミングについて、もっと言葉を交わせばよかったのに~、とすぐに後悔した。

しばらくして、鵜飼さんは疲れたのか、岩の上に座って、ぼうっと海や岩の上の鳥を眺めていたりしていた。

「子供は帰りましょう。大人は、子供の安全を守りましょう。」という5時を告げるアナウンスが浜に響き、急激に薄暗くなるころ・・・

「ギャー!オミナエシ~!うわ!またでっかいの~!うわ!キイロダカラ~~!!」と思わず大きな声をあげてしまう私。

そして、ほとんどものの詳細が見えなくなるくらい闇に包まれた浜を、もと来た駐車場に帰ろうとする時、平板な岩の上を普通に歩いて渡っていたのに、岩に海藻類が薄くついてぬるぬるしていて、つるっと滑って転んでしまった。

一瞬、なにが起こったかわからなかったが、尾てい骨のあたりが酷く痛くて、立ち上がるのもたいへんだった。

鵜飼さんがスマホを持っていたのでタクシーを呼んでくださったが、私ひとりだったら携帯も持っていないので、歩けないのにタクシーを呼ぶこともできないのだな、と思う。そのくらいなんにもないところ。

タクシーがやっとこさ来て、駅前のお店に行ってもらい、食事。強く打ちつけたせいか腰だけでなく脚や腕も痛くて力がはいらず、申し訳ないが鵜飼さんにサワーのグレープフルーツを絞っていただいた(打撲にお酒はよくないのだが、飲んでしまった)。

地元のお魚をいただく。三浦海岸の名物、メトイカや鮪、カワハギがおいしかった。

食事中も、帰りの電車の中でも、ずっと話していた。現代詩について。動物をテーマにしたアートについて。

些末なことをことさらに面白がるような表現や、浮薄な観念に造形を与えて解釈を迫るようなもの、動物の命を救うのでなく人間の側への収奪そのものである表現、すべてが私にとっては、もともとある身体感覚を無感覚にしろ、と強制されるようで激しい抑圧となること。

・・・

本日の収穫。タカラガイばかりたくさん拾いすぎて未整理。

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青いガラス瓶と陶片とビーチグラス(とツノガイ)。
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いろいろなタカラガイと、赤いチリボタン、ヒオウギ、イモガイなど。
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きょう、とっても嬉しかったもの。左からベニフデガイ、オミナエシダカラ、キイロダカラ。
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2014年9月18日 (木)

ちゃび 動物 肉食について / 乳がん再検査

9月17日

ちゃびがきのうから全く何も食べていない。うんこもしていない。4日くらい前から急に食が細くなり、秋バテかな?と思ったが、ゴロゴロ言っているし、水は飲んでいるし、具合悪い感じでもないので様子を見ていた。

しかし丸1日以上、なんにも食べないのはおかしいので、すごく不安になって、H動物病院に電話してみた。水は飲んでいるか、おしっこの量は、など聞かれ、高齢なのでもっとも考えられるのは腎臓が悪くなっていることで、なるべく早く来た方がいいと言われた。

きょうは私の乳がんの再検査の日で、時間がどうなるかと思ったが、夕方急いで帰宅して行くことにした。

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さて、区の健診を受けた新宿のクリニックにて乳がんの再検査。カルテをつくったりするのにけっこう時間がかかった。「この前撮ったのと別の角度で、もう一度マンモグラフィ撮りますか?嫌なら先生と相談で。」と言われ「相談させてください。」と応える。

まず臨床検査師の人にエコーを撮られる。検査の時、いつも「くすぐったいかもしれません。」と言われるが、私の場合は押されたりこすられたりすると痛いので緊張する。

画像を何枚も撮られ、ピッピッと音がして、見ると検査師の人が気になるところにやたらしるしを付けているので「そんなにいっぱい疑わしいスポットが?」と思い全身から汗が出てきた。

先生の診察でもう一度右胸のエコー。気になるのはマンモに写っている右胸の白いところ。だがエコーと触診ではだいじょうぶそうなので、乳腺がここに飛んでるだけかもしれない、と言われる。水がたまっている細かいふくろはたくさんあるが、それは問題なし。

3か月後にまたエコーをし、その時は両胸のマンモもしっかりやって検査しましょう、とのこと。そこで疑わしかったら細い針を刺して細胞診。さらに疑わしかったら太い針を刺して、確定になったら全身麻酔の手術だそうだ。

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5時すぎ帰宅して、ちゃびを病院に連れて行く準備。タクシーでH動物病院へ。

H動物病院は最近新しくできた病院で、高円寺ニャンダラーズへの協力や、殺処分をなくす講演や、一貫して動物愛護の活動をしている院長さんだという記事を読んでいたので、何かあったらここに行くと決めていて場所の下見をしておいたところだ。

H動物病院に着いてびっくり。玄関の前にも、中にもびっしり待っている人と、大きな犬がいっぱい。こんなに混んでいる動物病院を初めて見た。おむつをして床に寝ている犬もいた。

ちゃびはほとんど外に出たことがないので、緊張してかわいそうだったのだが、まわりにいる犬や猫をキャリーの中から観察しているようだった。

ちゃび2800g。昔から小柄だ。診察台の上に乗せられるちゃびは、本当に怯えているので「ちゃび~、だいじょうぶよ~」と上半身を抱いて撫でながら・・・しかし25ccも採血されて痛がるちゃびを見て私もどきどきして汗まみれに。

検査結果が出るまで再び待合室で待機。お客さんはひっきりなしに来て、ちゃびよりも先輩の21歳という猫ちゃんも来た。

結果、腎臓が悪くて脱水症状を起こしている、と言われ、皮下点滴をしてもらう。明日はH動物病院は休みなので、これで食欲が出なかったらどうしよう、と不安にかられる。心臓も弱っていると言われ、飲ませられたらやってください、と薬を3錠出された。

いつまでも赤ちゃんの時と変わらずに、紐にじゃれて走ったり、パイルヘアゴムを飛ばすとキャッチしたりしているちゃびが、実際は人間に換算できないくらい歳をとっているということをつきつけられたようで、胸が苦しくてたまらない。

帰宅すると7時45分。とにかく何か柔らかいちゃびが食べそうなものを、と8時閉店の店へ走る。店はもう片付けをしていたが「すみませ~ん!」と飛び込んで「銀のスプーンプレミアム 三ツ星グルメ15歳以上用」というのを2種類とまたたび粉を買った。

ちゃびは、皮下注射の液がたまったところが脇の方にぷよぷよぶら下がっていた。お願いだから元気になって!!と涙が出る。

深夜、ちゃびに「銀の・・・」を袋からしぼってあげてみたら、食べた!!!すごくおねだりするようにして完食!

総合栄養食のほうは少ししか食べなかったが、まずはよかった。これからいろいろ気をつけてあげないといけない。

最近のちゃび。これは9月3日。すごく元気だった。

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9月7日のちゃび。私の薬袋にはいって、穴があいてるところから顔を出してみていた。

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9月15日のちゃび。ちょっと食が細い気がしたが、普通に元気だった。うんこ少量。

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動物について、

Bに「日本では、私が肉を食べられないと言うと攻撃してくる人がいる。外国ではすんなり通るのに。」と言ったら、

「欧米では狩猟民族の歴史が2000年以上続いていて、その中で逆に動物を殺して食べることに反対する人たちも出て来、さらにいろんな考え方も出てくる。日本では肉食の歴史が浅く、いろんな議論も全く成熟していないから」と言われて、なるほどと思った。

欧米ではベジタリアンというと卵やミルクはOKの人が多いようで、完全に動物を食べない人をヴィーガンという。さらに進んで、人間生活のあらゆる面で、動物を利用することを完全にやめるべきとする人たちがいて、過激な活動をしていたりする。

言葉にするのは困難だが、私が思うのは、すべてを厳格にしようと理屈で考えていくのはよくないということだ。すべてを単純に分類していくと感覚はどんどん死んでいく。それは身体感覚から発するものではなくなって、「信条」「イデオロギー」になって硬直する。

しかし、常に感じながら何かに向き合うということは、非常にしんどいことだ。だからほとんどの人はあるやりかた、やりすごしかたを覚える。

一度線引きをし、分類したものごとが決まり事になり、ルーティーンになると、本当の微妙さ、誠実さ、割り切れない感情は死んでしまう。

そういうふうに思うのは私が「活動家」ではないからだ。「活動家」であれば、現実に対しての有効性を考えるのは当然だ。

たとえばH病院の先生だって、犬猫の殺処分ゼロの運動をしている人たちだって、肉食をしないかどうかはわからない。犬猫をかわいがっている人でも牛豚鶏の命にはほとんど関心がないのは、まあ一般的だと思う。いろんな関わり方、考え方はあるが、自ら実践として活動している人たちについては尊敬せざるを得ない。

日本などでは「文化」的に習慣化し、固着してしまった「牛、豚、鶏は食べ物であり、そこに生き物に対するシンパシーは不要」という意識を根底から問い直すことは一般的には難しいのだろう。

もちろん肉食している人でも尊敬する人、大好きな人はいるし、肉食を絶対しないという人でも好きになれない人はいる。

かわいがられる動物と、殺される動物、殺されるために飼育される動物の区分、その差が激しすぎることが、本当に恐ろしいことなのだが・・・裕福すぎる人間と、命を尊重されない人間の差が激しすぎること以上に、その理不尽は途方もない。

私個人に関して言えば、最初に身体感覚が肉食を拒否し、その後で言葉が来た。

最初にいわゆる肉を食べられなくなったのはたぶん4、5歳のころだ。気持ち悪くて吐きそうになったのだ。その頃から、家には犬も猫もいた。

動物が自分に近い存在であり、個性(個々の生命)を持つこと、かわいがっている犬や猫と食肉にされる動物はいったいどこが違うのだろうか、という問題意識がはっきり(言語化)したのは、もっと後になってからだ。

問題意識はさらに強く身体を変化させるので、意識してからは、動物を殺すのは厭だという感覚、肉食に吐き気を覚える感覚は、相互作用でどんどん強くなっていった。

たとえば牧場などで、牛や羊と遊びながらその横で肉を食べる観光や、食べ物としての動物のユーモラスな戯画、そういった、文化的コードによる一見のどかで無垢な環境への翻訳が、私にはとても怖いのだ。特に「仔羊」や「仔牛」という名前のつく料理があるのを見ると、ものすごく怖い。仔羊や仔牛を見て、触れて、本当にかわいいと思ったことがあるからだ。

私の場合、その恐怖によって、肉を焼く煙やにおいでも吐きそうになるし、ハム、ベーコンなどの加工品や、ラード、ブイヨンなどの出汁、チキンと一緒に揚げたポテトなどもまったくだめだ。

かと言って、「ロハス」や「マクロビ」などの言葉が好きかと言われると好きではない。「ロハス」は経済用語だし、「マクロビ」は別に動物への思いやりがあるわけではなく、ただ自分の美容と健康のために称揚している人が多いからだ。

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話は少しずれるが、たちが悪いのは、頭がよくて言語操作に長け、最初から懐疑的無関心のうちにいる人たちだと思う。「偽の問題意識」でディスカッションし、一見、微細なところまで踏み込んで考えているふりをするが、実際は多くの議論が本質的なところで無関心をさらしている。

たとえば虐殺や飢えをテーマにした講演や展示をしたすぐ後に、関係者で焼肉三昧の宴会をする人たち。せめてそのイヴェント直後だけでも慎めばいいのに、それすらできない。彼らは、ただ知的遊戯を楽しんでいるのであり、虐殺する者、される者の話をしながら、少しの吐き気も感じない。

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2013年4月18日 (木)

2013フィギュアスケート国別 浅田真央 高橋大輔

4月15日

浅田真央がソチで引退というニュースに大ショック。とにかくソチを集大成としたい、そこにすべてをかける、ということだと思うが、本当に「いろいろ」たいへんな負荷がかかっているのだろう。

彼女にしかわからない負荷に心身ともに耐えながら、ブレることもなく、人に甘えることもせずに、誰よりも高いレヴェルの難しいことに挑戦し続けてきた浅田真央が、今、ここで口に出すのであれば、それは彼女にとって必然だったに違いない。

テレビで、あるコメンテイターが浅田真央について愚劣な発言をしたらしいが、まったく「下衆」という形容がふさわしい。フィギュアスケートをめぐる言説の最もうわべの末梢的なところだけに関わりながら、さも本質を言い当てたかのような、思い上がった、恥知らずなハラスメント。

浅田真央のすごいところは、むしろ「老成」という言葉が出てきそうなほど、いろいろな過酷さをのみこんでしまうところだと思う。彼女の闘う姿勢には、むしろあらゆる意味で「甘さ」がない。本当に稀少な選手だと思う。

浅田真央は言葉で考えているのではない、とは言わない。ただ、彼女は、一般的な概念という仲介物に頼って考えるのではなく、身体の言葉で、いわば「直観的に」考えていると思う。正直だが余計なおしゃべりはしない。彼女は言うべきでないことを言わない、ということがわかっている、と感じる。

彼女の競技姿勢には、余計なナルシシズムがない、もっとも大切なことに集中したいという強烈な欲求は、彼女の実像と乖離していない。「ストイック(禁欲的)」であること、そこには作為も滑稽さもなく、ただ、あるがままにして神秘的な光を放つ。

最後の「白鳥」。

凛として滑り出し、なよやかに羽を震わせ、最後の激しいステップのときは笑顔もつくらず、渾身の力で羽ばたいた。もっと体調のよいときの勢いのあるステップではなかったけれど、それでも乱れず、端正さを失わず、誰よりも美しく香気のある舞い。

彼女のまわりは氷った湖と、透明な光と、ネージュ(雪)だけ。

瀕死の白鳥。

息ができなくても激しく羽ばたく彼女の舞いは、躍動と同時に静謐な世界。

浅田真央の魅力は、「私を見て!」と誇示するのではなく、自身のすべてを演技の瞬間に消滅させてしまうような透明な次元、そこから紡がれる硬質な抒情だと思う。

ダイナミックな身体の空間性と繊細な所作の生成。余計なものが削ぎ落とされ、しかも緊密に詰まった演技の瞬間に、艶と香気が醸される。生と死のエロス。

この静かで硬質な演技のできる不世出の選手、浅田真央の闘う姿が見られなくなる日がいつか来るのだろうが、今はソチで彼女の最高の演技が見られることを楽しみにしたい。

高橋大輔の『月光』。

最初の4回転は失敗なのかもしれないが、見ているほうにはまったく気にならない素晴らしい演技。プログラム曲を途中変更というリスキーな冒険に出たことが嘘のように、完全に自分の世界をつくりあげていた。

深い藍色の闇と、静かで冷たい月の光の世界。

激しい動きの合間に、ふっと手を斜めに天の月に向けて伸ばすようなところ、両手をふわっと広げるような仕草のところなど、最初に披露した時とは比べものにならないほど、美しく完璧に仕上がっていたように見えた。

ステップでは高橋大輔ならではの、首から上を遠心力にのって振り回すような、高難度の迫力ある踊りを見せてくれた。この細い重心軸で身体全体を振り回すような難しい演技が、高橋の色気を増大させていると思う。

彼にしかできない深いエッジとも関係していると思うが、斜めに大きく揺すれるダイナミズム、倒れそうな姿勢で力強く安定している危うさと危なげのなさが、まさにセクシーだ。

『道化師』。

直前のメンショフが怪我で棄権というアクシデントで、高橋がたったひとり、リンクで2分間のウォーミングアップを滑っているときは見ながら緊張してどきどきした。

しかし、高橋は落ち着いていた。最後の『道化師』は本人も「やった・・・。」と口に出、自らパンパンと拍手が出る素晴らしい出来。

気持ちのこもった演技で一位をとることができて、本当によかった。

エキシビションの『ブエノスアイレスの春』。

いろんな選手がこの曲を演じていると思うが、高橋は世界一ピアソラの似合うスケーターだと思う。ぐっとためる動きと激しく速い動き、感情たっぷりなところとふっと抜くところの緩急。何回も見せてもらっている演目だが、また凄みを増したようだ。

『マンボ』は、もう何も言うこともない。今季最後に素晴らしい演技を見せてもらえて本当にありがたかった。

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2013年3月20日 (水)

フィギュア世界選手権2013  浅田真央 高橋大輔/ チューリップ(エステラ・ラインヴェルト、パロット・キング)素描

3月20日

十数年ぶりに会えた大好きな花、エステラ・ラインヴェルトがついに散ってしまった。

最近描いていたチューリップの素描のまとめ(画像はすべてクリックすると大きくなります)。

チューリップ(エステラ・ラインヴェルト)パロット咲き 買ってきた日(3月11日)

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エステラ・ラインヴェルト(3月12日~3月13日)
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エステラ・ラインヴェルト(3月16日)

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エステラ・ラインヴェルト(3月17日、3月19日)

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エステラ・ラインヴェルト(3月17日)
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ぱらりと散り出したエステラ・ラインヴェルト(3月17日) 肉厚の花弁

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茎についているものは少しひからびてきたエステラ・ラインヴェルト(3月20日)

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3月19日

17日のことになるが、すごく楽しみにしていた2013世界フィギュアが終わり、見ていてちょっと体力を消耗したのか胃腸が痛くなった。やはりPCSの根拠とか、GOEの基準とか、素人にはわかりにくい。誰がその説明責任者で、誰がきちんと解説してくれているのか・・・よくわからない。

だとしても、浅田真央は日々新しく生まれ変わり、「自分自身思っていたより良い演技で、良い結果を残すことができた。来季につながる良いシーズンだった。」と、誰よりも迷いなく、自分がやろうとしていることをどれだけできているのか、次に何をすればいいのか、ちゃんと自分でわかっているようだ。

実際『白鳥』(黒鳥)は素晴らしかった。最初にひとつ、ふたつジャンプのミスはあったにせよ、そのあとは集中力が高まり、身体がどんどん動き出して、音楽も高まっていった。

氷の上を滑る優雅でひんやりとした空気を放つフロストフラワーのような白鳥。陽の光とたわむれるなまめく白鳥。そして精緻に統御されながらも、誰よりも強く激しくはばたく高速のステップの黒鳥。溢れる生命力がほとばしる。身体がもっともっとと駆り立てる。息が切れるのも見せずに最後まで笑顔で大きく、美しく羽を光らせた。

ジャン!と両手をあげたときの勢いと輝くやりきった顔。フリーの点数が出たときも素直に嬉しそうだった。

ジャンプもつなぎの演技も、今の自分の限界を超えるような高難度のプログラムに挑戦し、それを完璧にやりきること。

彼女は自分の限界を極めたいと思っている。そのために、自分のすべてを一度破壊してゼロからやり直す必要があった。ゼロの場所に立つことの不安は並大抵ではない。ものすごく辛いこともいろいろあっただろうが、彼女には着実に自分自身が良い方向に変わってきている確信がある。

本当の意味であらゆることに「さらされている」人間は、ものごとの価値がわかっているし、ものごとを安易に考えない。自分の毎日一歩一歩進む道がどんなに困難かわかっていて、そこに自らをおいて、「練習の過程は最高のものだった。」と言う浅田真央は本当にすごいと思う。

友人の吉田文憲(詩人、宮沢賢治研究家)と、時々フィギュアスケートについて話すのだが、本当にひとりだけ突出して才能を持つ人間がいた場合、それがスポーツだとしても、もはや他人との勝ち負けとか関心がなくなってしまうだろう、それは当然だ、と言った。

フィギュアスケートはスポーツだけれども、芸術と非常に似ているのは、最高難度のことに挑戦する人間がいて、その人間が極めて突出していた場合、それを正当に評価できる人間がいない、あるいはそれを正当に評価したくない人間がいる、というところだと思う。最後は「誰がこれを正当に評価できるのか」という問題になる。

ここに「信憑」ということが出てくるのだが、結局誰がその価値をきちんと言葉にして救えるのか、ということだ。

「芸術性」ということがPCS(特につなぎ、身のこなし、振付、音楽の解釈)だとしたら、私の確信する芸術性とフィギュアスケートの採点が高く出るプログラムはまったく違うものだ。

高橋大輔も最高に芸術性の高いフィギュアスケーターだと思うが、あとはジャンプさえうまくいけば・・・。しかし「スポーツだから」とさえ言う必要はない。彼にとって、ジャンプが「うまくいく」とは、ゲーム(競技)の既存のルールの範囲で勝つこととは次元を異にするからだ。既存の言語では語りえない、あの身体表現の凄み、深み・・・こんなにすごい選手もいないと思うけれど。

見るものの「信憑」を成立させている構造には、深く身体が関わっている。目だけでなく、手さぐりの、身体の、いわば「盲目性」が――。

「宿命」――は見ることはできない。語ることもできない。見ることのうちの盲目性によって見られ、語ることのうちの沈黙によって語られ、「宿命」は革新となる。

浅田真央と高橋大輔にはあらゆる困難に耐えてものすごい境地に達する「宿命」、本物だからこそ背負わされた宿命のようなものを感じる。

スポーツだから採点がすべてなのだけれども、明らかにその次元を超えてしまっている存在。それは二人のどんな苦しいときにも甘えやナルシスティックなところがなく、淡々と努力する態度にも、言葉の正直さにもあらわれている。深さがあって虚飾がない。

他人にはわからない次元、採点されるかどうかわからない次元に挑戦している、とも言える。

ショートを新しいプログラム『月光』にかえたとき、「何が正解かはわからないんで、とりあえずその時、自分がいいと思ったことをやって、間違っていてもそれはそれで、自分のためにもなるし。」と高橋大輔が語っていたが、リスキーなことに挑戦して、良い結果にならなくても、その経験が身体の細胞をつくるように自身の深みになる人間はそんなにいない。それが深みになる人間を、本当に才能のある人間というのだと思う。

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最近描いたチューリップの素描のまとめ。

チューリップ(パロット・キング) 黄色が輝く花。(3月6日)

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パロット・キングとモンセラ。右上2本のモンセラは小型の八重咲き。黄に赤いスジのチューリップだがなぜかすぐ枯れてしまった。

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パロット・キング(3月9日~3月10日)

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大きく開花したパロット・キング。しなりの線のカーヴを見ている。(3月12日)

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かさかさして散ってきたパロットキング(3月13日)

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チューリップ(ライオンキング) フリンジ咲き。(3月2日)

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チューリップ(ゴリラ) フリンジ咲きで色はブラックパロットと同じ黒紫。(2月21日)

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ゴリラ(3月5日)

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チューリップ(フラッシュ・ポイント) 八重咲きの濃いピンクの花。葉の縁にも薄いピンクのすじがある。葉脈の白い線を描きたかった。(3月6日)

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2013年3月16日 (土)

高橋大輔 『月光』 / チューリップ(エステラ・ラインヴェルト)

3月16日

今日の夜は高橋大輔の最後の世界フィギュアのフリーと思うと淋しい。

2日前のショートの『月光』。勝つためにこの曲にかえた、そうでなければかえないと本人が言っていたが、本当に素晴らしかった。

ロックンロールメドレーもいいが、この『月光』はそれよりもずっと高橋大輔の凄み、深み、身体芸術ともいうべき確たるものが際立って見えた。今の高橋の深さにはこれくらいのシリアスで壮麗な曲が必要ということなのか。

新しい黒のシンプルな衣装は月の光とたわむれる夜の空気の精のよう。高橋の細い腰、体線をきれいに見せ、しなやかな身体の動きを見せるのにぴったりだ。

見ているほうはすごく緊張したが、曲が始まってからの高橋はすうっと吸い込まれるように自分と曲の世界にはいっていて、緊張や固さは感じられず、最初から光を放っていた。

四大陸のあとは凄まじいというほどの練習ぶりだったというが、どれだけの練習をこなしたらこうなるのか、と感心するほど落ち着いていて、人間の身体がすうっと作品に変わっていった。

この曲を自分のものにしているというよりも、曲に奏でられ、身体の中から音が溢れ出していて、そこには時間でない時間が流れた。

音を受容しながらも音を操り、奏で、もはやどういう技をやっているとか何かを演じているとは感じさせない状態。

キアスム。まさに終わりのない反転運動としての「主客未分の」状態(時間)。

ゆっくり重々しく始まり、静かに、しなやかに空間をたっぷりと見せながら、後半は怒涛のステップ。世界一のステップという言葉を超えてしまって身体が透明で激しく強靭な音を共鳴させた。

藍色のさざ波。大きな空間のうねり、どよめき。こんなに速く、激しく、美しいステップがあったろうか。

終わった瞬間の高橋大輔のなんとも嬉しそうな顔。すっとリンクの中央に滑って両手を掲げたときの、口を軽く結んだ微笑の、なんとも誇らしく晴れやかな美貌。

やった、やった!というよりも、ふっと力が抜けたような、真にやるべきことをやれてほっとした、という微笑が美しかった。

現行のフィギュアスケートの採点法では、今回の高橋の演技は、ジャンプの回転不足をとられたことが大きくひびいた。けれどそれは、ある時代のあるスポーツ文化の、ある決まりごととしての採点法での点数である。

あれだけのステップ、あれだけの全身を大きく激しく使ってのスケートがどれだけのドラマを見せてくれ、見るものの記憶を掻き見出し、詩情を感じさせるかは、あくまで一要素としてしか採点されないのだが、私はそちらのほうに評価を重く置く(もちろんこれだけのすごいことをやって見せてくれているのだから勝って笑顔を見せてほしいけれども)。

将来5回転をバンバン飛ぶような選手が出てきたとしても、高橋大輔のようにフィギュアスケートを身体芸術として見せてくれるような選手はもう二度と現れないと思う。

絶対的なものはどこにもないが、その儚さを瞬間、刹那の中に見せること。それがわかっているから、それをやれている苦しくも最高の瞬きの時間を体感しているから、高橋は終わった直後、あんな甘やかな微笑を見せた。

この日の空にはシロツメクサのような、細い爪のような鋭く繊細な月が輝いていた。

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3月15日

国立がんセンター。生理二日目なのに血液を4本抜かれて気分的に弱っているところに、主治医の浅井昌大先生の口からこの3月で国立がんセンターを退職されることを聞いて大ショック。執刀していただいてから長年ずっとお世話になっているとても信頼している先生だ。

鎌ヶ谷の病院に移られるとのこと。鎌ヶ谷ってどこだっけ?と思ったが、都営浅草線で直通の千葉の成田方面、と言われた。

10年くらい前に浅井先生が3年くらい千葉の姉ヶ崎の山の上にある病院に移られた時も、たいへん遠かったけれどそっちに通った(切り崩された山の方には人家もなく、海の方はすごい工業地帯で怖いみたいなところだった。しかし林の奥の道を抜けると100年も変わっていないような昔からの里山があったりした)。その時にくらべたらまだ近い。

浅井先生は静かな声でしゃべる人で、すっきりした頭のいい雰囲気のまま歳をとらない。昔から少しも変わっていない。(確か萬屋錦之助や勝新太郎も浅井先生が執刀したのだ。有名な先生ですごく人気があった。)とにかく命の恩人だし、大好きな先生なのでついて行こうと思う。

3月13日

N病院の帰り花屋に寄ったら、エステラ・ラインヴェルトが3本残っていた。おととい私が7本買ってから誰も買っていなかったのだと思う。その3本を買って帰った。

3月11日

チューリップ(エステラ・ラインヴェルト)パロット咲き Parrot Tulip Estella Rijnveld 3月11日

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誰がつけたのだろう。エステラ・ラインヴェルトという凛とした名前を。

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エステラとは星のこと。花の真ん中に薄青紫の星のかたちが見える。

N病院の帰り、オランダ屋に行っていつものようにっチューリップの入荷をチェックしたら、もう14年くらい毎年さがし続けていたパロット咲きのチューリップ、エステラ・ラインヴェルトがはいっていたので眼を疑った。

本当に毎年見られる限りの花屋を、この花をさがして歩いて、花卉市場にまで行ったこともあったがめぐり会えなかった。一本210円。かたちが変わっているものを選んで7本買った。

この花の特徴はパロット咲きチューリップの中でも花弁の裂が深くて、花弁の捩じれや折れ曲がりや外側のこぶもはっきりしていて、予想を超えた奇妙な美しい線を見せてくれることである。肉厚の花弁に白地に濃いフーシャピンクの愛らしい縞。

帰宅してから夢中で水彩で描いていたら朝になってしまった。

3月9日

震災からもうすぐ2年、各地で反原発デモをやっている。私も明治公園の「さよなら原発」集会に行きたかったのだが、腰痛で断念。最近、背中と肩と腰がひどく痛い。

黄砂や砂ほこりのせいか外に出ると顔の皮膚も痛い。

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2012年1月23日 (月)

日隅一雄 / David / 表現

1月24日

かわいい雪だるま。誰かを待っているのかな。

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1月23日

日隅一雄さんと木野龍逸さんの新刊【検証 福島原発事故記者会見 東電・政府は何を隠したのか』が届く。発売前に増刷が決まったそうで、おめでとうございます。今、半分くらいまで読んだところ。

夜11時過ぎに外に出てみた。アパートのベランダの柵の上には6cmくらい積っていた。裏通りは足跡が少なくて、白、白。枯れ木の上に真新しい雪が光っていた。空は赤灰色。

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1月22日

David McNeill が講演をするというのでカフェ・ラヴァンデリアへ。Davidはアイルランド出身のフリージャーナリストで、英インディペンデント紙を中心に執筆している。彼と、彼のガールフレンドとボスニア出身のSurejmanと、何人かの外国から来た人たちと高円寺で飲んでいたのは震災の前のことだ。きょうは久しぶりに彼ら夫妻と会え、彼らの赤ちゃん(去年の6月生まれ)にも対面した。

Davidは東北大震災後の原発関連の取材も精力的にしているそうで、福島の現地の人達のリポート、自主避難した人たちのたいへんさなどの話と質疑応答。外国から来た日本語の上手な人がたくさん来ていた。

「日本の大手メディアは震災直後、福島に行かなかった。それは会社が行くなと命令したからで、日本の記者はジャーナリストとしてのアイデンティティよりも会社に帰属しているというアイデンティティのほうが強いから。イギリスだったら、会社に禁じられてもその禁を破って現場に行くジャーナリストは必ずいると思う。そこが日本が決定的に違うところ。」という言葉が強く心に残った。「たとえ禁を突破してスクープをとったとしても、それを会社が喜ばない。握り潰されて報道できないのが日本の現状かも。」と。

ジャーナリスト魂と言えば、日隅一雄さんのブログが今年にはいってからさらに衝撃的になっていて、私にはショックと胸の痛みの連続で、言葉が出てこないのだが、やはり彼は凄いと思う。及びがたいものを感じる。

一月6日からついに麻薬系の鎮痛剤の投与が始まったとのこと。オピウムとの再会からおみくじの「託宣」まで、この文章はすごい。

http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/d/20120108

最近のお身体の写真【胆のう末期癌宣告後236日目】ペインコントロール初期の状況その5&最新のデータ(1月15日)

「冒頭の写真は、撮りたてのスクープ(笑)。事実をそのまま伝えるべきだ、それが遺体であっても、その情報を伝えるべきだ(もちろん、時間帯、メディアの種類で一定の自粛はありうるが…)とマスメディアを批判してきた私の渾身の一枚です(笑)。」とある。

http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/d/20120115

「自分で納得しないと済まされない性格なので…。悪い情報でもいいから、納得できれば、それは受け止めることができるんだけど…。」と1月18日のブログに書いておられる。自分の体内のどこがどういう状態で激しい痛みになっているのかを検証したいのだ。知りたい、知った上でどう対処するか決めたいという気持ちはすごくわかる(私も手術のときに医師を質問攻めにした)。けれどここまで自分のたいへんな状態ををさらしながら感情を抑えて、しかも軽快に、ナルシスティックでない明晰な文章が書けるだろうか。

自分のやっていることを冷静に見つめられること。あきらめないで眼をそらさないこと。

「表現」について。「自己表現」という言葉を使うとき、本来「自己表現」自体は悪いことではないのだが、仲間うちでは「表現の価値がないものを自己満足で表現している」という意味で使われるのが慣用になっている。もちろん人それぞれに価値基準が違うから、その表現に惹かれる人どうしが集まって、それぞれにふさわしい共通の価値基準の友人ができるのだろう。

自分は自分の絵や文章をさらすとき、恐怖を感じずにはいられない。自分にはあまりに及びがたい者(もの)が存在しているからだ。その厳しさの前で震撼してしまう。それと同時に毎日の現実のリアリティ(日隅さんのことを読むリアリティ、母を介護するリアリティ、自分の身体の痛みのリアリティ、友人と弾丸のように語り合うリアリティ、動物や植物とつきあうリアリティ、何かを夢中で見つめているときのリアリティetc....)に比べてあまりにもそぐわない乖離症的表現が眼から身体に否応なく入ってくるときにストレスを感じずにはいられない。私にとっては現実の毎日がスペクタクルなのだ。大切なものにじっくりつきあうために、それと対峙するために自由で率直でいなければならない。

日隅さんの表現は究極の表現だ。リアルそのものを記録として提示しようとしている。そこには茶番がはいる余地がない。初めにもっともリアルな「死」があって、そこから何をするのか必死で考えなければならないとき(私もスピードは遅いが手術不適応癌患者であるというリアリティは常に持っている)、何を選ぶか。彼は全身全霊ジャーナリストであることを選んだ。

日隅一雄さんが自分の闘病生活をここまで公開してくれることを、胸が痛みながらもありがたく思う。なぜなら私は彼の誰にもまねできない生き方に非常に関心があり、苦しくても彼のことを見たいし、知っていたいからだ。

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