身体

2025年10月25日 (土)

福山知佐子個展最終日

10月19日(日)

ギャラリー十二社ハイデでの個展も最終日。

この絵は割と最近出来たのだがすごく気に入っている。この絵とも淋しいけどさよなら。
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鬱金香

最初に高校の時の友人タカちゃんや小学校低学年の時の友人マリコが来てくれた。

マリコは茨城に住んでいて、何十年かぶりかに新宿西口に降りたので、新宿が変わり過ぎてまったく方向がわからなくて迷ってしまったと。私も破壊されている新宿が辛い。

6歳の頃、マリコが住んでいたのは十二社通りの野菜市場の2階。そこはマリコが引っ越してすぐに普通のビルになってしまった。

毎回来てくれる音大卒のS.Y君。Twitterでお知り合いになったM.Sさん。

鎌倉で絵を描いているT.Jさん。芸大のデザイン科卒のアキさん。

そして静かに長い時間見てくださるS.Hさん。S.Hさんは佇まいがすごく美しいかた。
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今日は5時から舞踏のパフォーマンスだが、あいにくの降りだしそうな空。

5時、十二社の階段。

村野正徳の挨拶。福山知佐子が愛着がある十二社の記憶、昔あった十二社の大きな池などをテーマに身体表現するそうだ。

村野正徳舞踏パフォーマンス  (youtube)

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吉田文憲さんの(私が一番好きな)詩、「生誕」を暗唱し、そのあとに舞踏パフォーマンス。
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※日本には「舞踏」という日本特有の前衛的な舞踊の形式があります。

西洋の軽やかで流れるようなダンスとは違い、地面に這いつくばるように情念や土着性などを表現するものです。

60年代に土方巽が創始、大野一雄などが発展させたもので、今は世界的にButohとして認知されています。
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途中、ばらばらと大粒の雨が降って来て、けっこうな大降りになる。

スマホが濡れたら壊れるのでは、とコートを頭から被ってスマホを庇いながら撮影。

見てくださっているお客様も濡れて申し訳なかった。傘を最初からお客様に用意するべきだった。

パフォーマンス終了後、村野君の予備校時代からのお友達が来て一緒に録画を見ていた。

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本人はミミズをイメージして踊ったそうだ。

そして私に若いお客様が。友人のサヤカちゃんの息子さんのK君と、その幼馴染のT君。

多摩美の院生のK君。
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レザーベイビーというバンドのドラムスのT君。
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私は何と言ったらいいのかわからないくらい、この若いおふたりに励まされた。

私のデッサンを見て、二人で(私に向かって言うのではなく)「すげえ!全部すげえ!絶対描けない!」って本当に驚いて言ってくれていたので。

「どういうところが?」と質問するとK君は「線の選び方がすごい。こんなふうには誰も描けない」と。

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スケッチブックを一枚ずつめくって見せたら、その一枚ごとのデッサンに、いちいち「すごい。全部すごい」と言ってくれて

そして枯れたチューリップを和紙の上に鉛筆で描いて岩絵の具を散らした絵を見て、「これが一番好きです。生命の揺らぎを感じる」と言ってくれて、画集まで買ってくれた。
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T君は絵をやっている人ではないにも関わらず、私の銀箔の絵を見て「すごい!これ、なんなんですか?」と真剣にくいついてきて、

「銀箔を腐食して、絵の具を使わずに絵を描いたの」と応えたら「すごい!誰もやってない。誰もやってないことを考えるのがすごい」と。

花の部分だけ塗っている紫のチューリップの絵を見て「どうして一部分だけしか色を塗ってないんですか?」と聞かれ

「花は一瞬ごとに動いているから、今の瞬間を描こうとすると全部塗れない。全部塗ると絵が固くなるから。

左のチューリップに比べて右のチューリップは早く無造作に描いているでしょ。無造作に描いた方が運動が描けるから」と応えたら

「すごい!それで動いているように見えるのか」と。
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なんで若い人がこんなに素直に、強く興味を持ってくれているのか、本当に驚いた。

なにか表現している特に若い人は、自分のやっていることが一番と思っていて、私のデッサンに興味を持ってくれる人などほとんどいないから。

現代アートをやっている人は設計図は描くかもしれないが、自分の外にある小さな生き物をよく見て鉛筆で描くことなど必要ないと思っているし、

絵をやっている人でも自分の絵のスタイルを作るのに熱心で、ものを見てものに寄りそうデッサンの質には興味がなかったり・・

私の絵を見て敵愾心丸出しで、私から話しかけても「ふん!」とそっぽを向いた同じ美大の同じ学科の10年も15年も後輩の女の子が何人もいたし、

だから、絵の世界とはそういう嫌な感情が渦巻く世界だとずっと昔から認識していたので、ふたりの素直さに愕然とした。

私は萎れて枯れていく植物の運動に寄り添って描くこと、そしていわゆる美大受験用の画一的なデッサンを抜け出て線で描くことを目指して30年やって来たのだけど

きょうは馬鹿の一念で続けて来たことが無駄ではなかったと思えた幸せな日だった。

7時に個展終了。すぐに絵5点を梱包して足利市立美術館に送る準備をした。

そのあと打上げ。昨日H.Mさんにごちそうしていただいたちょっと高級なイタリアンへ。

私がごちそうすると言っているのに、二人はすごく遠慮していた。今日ばかりはごちそうさせて欲しい。

シャブリのグラスで乾杯。マグロと紫玉ねぎのカルパッチョ。スモークサーモンのサラダ。ウニのクリームソースレモン添え。

アケミさんが、「花輪和一展と福山知佐子展を手伝えて、すごくたくさんのお客様と会えて楽しかった。それと知佐子さんのお客様がみんな優しくて素敵な人ばかりでびっくりした」と言ってくれたのが嬉しかった。

「芸術家ってみんなおかしな人ばかりかと思ってたから」と言われ、

「そんなことはないよ。一流の人は優しいよ。変な人って自己顕示欲がおかしくなってるんだと思う」

9日間、たくさんのかたとの出会いがあり、すごく目まぐるしくて体力的に大変だったけれど、幸せでした。

お運びくださった皆様、絵や本や絵葉書をご購入くださった皆様、本当にありがとうございました。

10月25日からは足利市立美術館でのコレクション展「いのちの寓話」に8点が展示されます。

新宿から2時間。空気も澄んでいて、とても良い美術館ですので、お近くのかた、興味がおありのかた、よろしくお願いいたします。

 

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2025年10月15日 (水)

福山知佐子個展4日目

10月14日(火)

ギャラリー十二社ハイデで福山知佐子個展の4日目。

今日は私の高校のA先輩が一番乗り。

A先輩の親友で、私が美大受験予備校に迷っていた時に、高校の一番近くの小さな美大予備校(もうとうの昔に無くなった)を紹介してくれたM子先輩が癌で亡くなったことを聞く。

言葉にならない。私と同じ武蔵野美術大の先輩でもあり、とても気持ちの優しいかただった。

その後斎藤哲夫さんが来てくださった。

哲夫さんは私の最初の個展の頃からずっと来てくださっている、芸能人的な気取りが無くて、本当に温かい人。

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スケッチブックのデッサンを真剣に見てくださって、枯れた花の絵に「華やかだ」と。

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ツアーから帰ったばかりなのに明後日手術とお聞きする。

私は最初に甲状腺癌に気づいた時には肺に粟粒状転移していて4期。その時に、15年くらい経ったら肺の粟粒上転移が急に活性化する時が来る可能性が高い、そうしたら成すすべはない、と最初の執刀医の浅井先生に伺っていて・・・

その転移の活性化が15年ではなくて30年後(忘れていた頃)に来たのだけれど、甲状腺癌の肺転移手術という前例のない(麻酔が切れた時に気が狂いそうなくらい痛い)手術を受け、

さらに脳転移にサイバーナイフを受け、認可になったばかりの分子標的薬レットヴィモ(30年前にはこんな薬ができるなんて想像もできなかった)を服用して、

まあなんとか元気に生きている、ということをお話したら「すごい経験をしてきてるね」とけっこう元気づけられたようだった。

12月からのツアーを全部キャンセルされたと聞いて「キャンセル料とかだいじょうぶなんですか?」と聞くと

「それがだいじょうぶなんだよね。ライブハウスはさ。これが大きな会場だったら死んででもやらなきゃいけなかった」と。

お互い頑張って生きようとハグ。

そのあといつも優しい古い友達が来てくれた。

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それから今日は私ひとりなので心細くて来てほしいとお願いしていた詩を書くUさん。Uさんはとても鋭敏なかたで、神経と言うのか・・話が通じるのが嬉しい。

いつもマッサージでお世話になっているWさん。

Uさんはなかなか食事ができない私のために柿を剥いて切ったものを容器に入れて持って来てくださった。

Wさんは私の生家の古い雰囲気をとてもいいと言ってくれて、それからナニワイバラとハゴロモジャスミンの絵をすごく気に入ってくれたそう。

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2025年8月18日 (月)

NEW AUCTIONギャラリー 沢渡朔『NANA』展 / 国立がん研究センター中央病院

8月17日(日)

沢渡朔さんの『NANA』展の最終日で13時から在廊されるとネットで見たので、ご挨拶に行って来た。

沢渡朔さんに撮っていただいた写真と谷川俊太郎さんの詩と私の絵を編集した本、1か月以上前に写真の出版社さんに入稿しているが、まだデータが来ていないことをお伝えした。

たぶんデータが来てから、私の修正希望がはいるので、今年中に本ができるのかはわからない。

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いつもながら静かでさり気なくてかっこいい沢渡朔さん。その写真は若々しくて生気に満ちる。モデルとの共鳴。

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一日半で一気に撮ったという本当にたくさんの写真。スタイリストがついていたそうで、何十種類もの服を着替えているので、そんなに短い日数で撮ったとは思えない。

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8月15日(金)

NEW AUCTIONギャラリーに11時に見学に行く。篠原さんも来てくださった。

表参道ヒルズの向かい側。裏原宿キャットストリートの側よりは静かな、大きなガラスから優しい光が差し込む地下のスペース。

12時過ぎに篠原さんが30年以上?も毎年企画しているというトキ・アートスペースのブックアート展へと移動。

灼熱の太陽の下、表参道を横切り、裏通りで古い昭和のマンションや夏草繁る廃屋を見つけたりしながら、ワタリウムの前を通り、外苑前のほうへ歩く。

足利市立美術館で11月にやるはずだったコレクション展が、市長がOKを出したのに会計課の人が予算を出さなくて中止になった話、また逆転して、今は市長のほうに分がある、と篠原さんに言われた。ええ?!

もしそうなら、すごく嬉しい(若林奮先生の絵の隣に私の絵を展示してもらえるかもしれない)のだけど、まだわかりません・・。

ブックアート展には、小学生の作った絵本から、製本のプロの作品まで、いろいろなかたちの本があった。

私が一番素敵だと思ったのはこちら。活版印刷の活字のような、しかし文節になっているもの。黒い鉛筆にも文字。入れ替え可能で詩になる。箱も手づくりだそうだ。
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吉田文憲さんの『原子野』(砂子屋書房)の装丁をした時、もう日本にはほとんど残っていない活版印刷の会社に行ったのを懐かしく思い出した。

『銀河鉄道の夜』のジョバンニがアルバイトで活字(これも星のメタファ)を拾う場面を思い出しながら、その時は印刷所にいた。

『原子野』の本の奥付を見たら内外印刷という会社だった。もうないのかもしれない。板橋のトレーニングセンターの近くだったのを覚えている。

・・・

夕方から夜、Mに舞踏の話をきく。

大きな場でなく細部の。

言葉もまた大きな言葉でないほうがいいのだろうと思う。

私の感覚では大きくて壮大な言葉ほど詩でなくなる。

デッサンする身体。

最近、人にデッサンを教えるようになって、私はデッサンのことばかり考えている。

基礎の基礎ととして構造を踏まえることはあるが、その先は

良いデッサンとはどういうものか。それは鈍くないもの、繊細で感情があって、捧げられたもの。

受動体となって、どこ(なに)が残されるのか、なのだが

おそらく身体感覚の強度や繊細にものを見る(あるいは気づく)力、線を選ぶ身体が「絵」であるデッサンを生み出すが、

「絵」になっているか、「絵」になっていない(絵未満)か、を見分けらえる人はあまりにも少なく、機械的で均質な「鉛筆画」のようなものが世間では絶賛され、人気が高い。それはデッサンでも「絵」でもない。

そしていわゆる現代アートをやっている人でデッサンを大切に考えている人は皆無だろう。

8月12日(火)

国立がん研究センター中央病院。

尿と血液検査。結果が出るまで時間がかかった。

若い男性のかたが採血してくれたのだが、「刺すときに痛いか痛くないかは、痛点に当たるかどうかで、技術とは関係ないのですか?」

と質問したら

「そのとおりです。それに針の太さも痛さと関係ないんですよ」と言われて驚いた。

普通に考えれば太いほうが痛点に当たりやすい気がするけど・・?さらに見た目で太い針の方が痛く感じてしまうというのはある。

いや、やはり太い針は痛いと思う。昔は点滴の針が太くて長時間すごく痛かった思い出が・・。

あまり細い針を開発しても、血液の成分が潰れてしまうのでだめだそうだ。

帰りにハイデに行く。

8月10日(日)

2時に足利市立美術館の篠原さんがNEW AUCTIONギャラリーのAさんとギャラリー十二社ハイデに来られた。

篠原さんはギャラリー工事途中(ダクトレールがつく前)は見ていただいたが、完成してから来られるのは初めて。

Aさんは奈良美智のドローイングなど見ていただいた。

篠原さんは、次の本のために撮影した私の絵の画像をAさんに見せてくれた。

それと紐にクリップで吊るしていた私の鉛筆デッサンを「これ、すごくいいよ」と言ってくださった。

Aさんは私の絵を「錆にこだわった画家が日本にもいたんですね」と言われた。Aさんはキ-ファーや若林奮先生が好きだそうだ。

『デッサンの基本』を見て「懐かしい。これ受験の時に使ってました」と言われたので「この本、私が書いたんですよ」と言ったらすごく驚いていらした。

どこかで誰かが自分の本を読んでいてくださるのがとても不思議だ。

 

 

 

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2025年6月 8日 (日)

OSAKA INTERNATIONAL ART

5月30日(金)~6月1日(日)

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大阪城ホールでのアートフェア、OSAKA INTERNATIONAL ARTに、GALLERY KTO(ギャラリー・クトー)さんのブースから出展していただきました。

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私にとって素晴らしいことは、丹生谷貴志さんが見に来てくださったことだ。

そのことはいまだに信じられないほどありがたいことです。

丹生谷さんは文章を読むときにまず言葉が視覚になると言ってらした。それは私と同じだ。

私は小説などはすべて映像で記憶している。

難しい論理的な文章でも、意味がわからなくてもまず視覚的なものがはいってくる。意味を考えるのはそのあとだ。

自分が受容する身体であるということ。

丹生谷さんは自分の外にあるものを見るということと、アートという空虚について考えておられると思う。

どんなお話をされたのかはおいおいオーナーに伺おうと思う。

 

 

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2025年4月17日 (木)

沢渡朔さん「AWA no HIBI]」内覧会

4月10日(木)曇りのち雨

少女の頃から大好きな沢渡朔さんの写真展「AWA no HIBI」の内覧会に、Akio Nagasawa Gallery Aoyamaへ。おはがきをいただいていたので伺わせていただく。

青山骨董通りを散歩。ちょっと脇道に入ると、素晴らしくきれいな花々が飾られているウインドウに思わず駆け寄る。

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「青山フラワーマーケット」の本店だった。

6時から内覧会だが、5時半くらいに伺ったら立木義浩さんはもういらしていた。

それで私は27年も前のガーディアンガーデンとクリエイションギャラリーG8の「検証・沢渡朔の写真美学」展の時のことを思い出していた。
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6時を過ぎた頃からすごい数のお客様。ひとりひとりと話す沢渡朔さん。

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この日は少し肌寒くて、私は浮腫が酷く出てしまっていたので人に顔を見られたくなかった。

そうっと沢渡さんの近くに寄って、2.3m離れたところからお客様となにを話しているのか、わずかに聞こえてくる会話を伺ったりしていた。

「30歳の沢渡朔はまさにアンファンテリブル。『少女アリス』と『ナディア』は沢渡朔にしか撮れない。篠山紀信にもアラーキーにも撮れない」

と沢渡さんに熱弁しているお客様がいて、私がいつも沢渡さんに心からお伝えしていることと同じなので、

無言で沢渡さんに「本当にそのとおりですね」とにっこり目線を送ると

沢渡さんは昔から同じ仕草で、ちょっと困ったような恥ずかしそうな顔を私に返してくれる。

「いや、みんなもっとすごいの撮ってるわけだからさあ」と謙遜する沢渡さんは本当に繊細で気取りがなくて素敵な人。

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私を撮ってくださった時もそうだったが、ポーズをとらせるのではなく、自然な感じで女性を自由にさせて撮っていく。

その場所で、現場で、撮られる側と撮る側がなにか感じれば自然に絵になっていく感じが、沢渡さん特有の、女性を柔らかく自由にしていく無言の感応力、その信頼感が素晴らしいのです。

そして靄のような、小さく震える片隅の植物のような、その一瞬の場で出会うとらえがたいものを撮ってくださるから、私は沢渡朔さんの詩的な写真が大好きなのだ。

会場ではとても素敵なソムリエ(?)さんがワインなどの飲み物を配ってくれていた。

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この日はこのあとローソンのイートインで休んでいたら急に強い雨となり、傘を買って帰った。

・・

1998年「検証・沢渡朔の写真美学」展(Guardian Garden ガーディアンガーデンとクリエイションギャラリーG8の二会場)の時の沢渡朔さんと私。
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詩人の白石和子さんと沢渡朔さんと。
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この時のモノクロ写真は当時のアシスタントさんが撮ってくださっていた会場写真だと思うが、わざわざ自宅にお送りくださって、なんて丁寧なのかしらとたいへん感激したものだ。

この時、金子功ご夫妻が全身カネコイサオの服で現れて、うわ!すごい!ユリさんきれい!って衝撃を受けたのを覚えている。

今思うと、なんでお二方を撮れなかったのだろうと残念でたまらないのだが、緊張して慌てていたのか撮ることができなかった。

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写真家さんたちのトークがありました。女性を撮ることについてだったと思う。

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今も昔もかっこいい沢渡朔さんと立木義浩さん。

「検証・沢渡朔の写真美学」 この本は沢渡朔さんのお生まれの時のことから、「女性を撮ることに独自の美学を貫きとおす」沢渡朔さんのデビューから約20年の写真人生をまとめた素晴らしい本なのです。

当時いただいたサインも入っていて、とても大切にして時々読み返している。
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この本と2004年の「Natural Glow 特集沢渡朔 「NADIA 究極の愛との出会い」」は沢渡さんの感性のありかたがよくわかる。私の宝物。

今、私が編集制作中の本は、沢渡朔さんが撮ってくださった写真(20年前に廃墟で撮影、一昨年に癌で右肺葉を摘出した時の手術痕を撮影、昨年に枯れ野原で撮影)と、谷川俊太郎さんがくださった詩と、私の(1冊目の画集にはいらなかった)絵をまとめた本です。

 

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2023年5月23日 (火)

眼から入ってくるもの、脳の疲労と意識、銀座奥野ビル

手術してからずっと脳の疲労がすごくてブログを書くのが遅れている。

ストレスを感じると眼の奥から後頭部が重く痛み、その場で昏睡しそうになる。

とにかく余計なおしゃべりが辛い。

脳が疲れると翌日は朝5時に目が覚め、そこから二度寝、三度寝をして10時間以上眠らないと頭が働かない。

5月11日に沢渡朔さんとお会いした。一昨日は宇野亞喜良さんとお会いした。

こども時代から本当にあこがれ続けた人たち。

その人たちの話を聞いている時は、すべてが芸術的示唆に満ちていて、さりげなくて正直なひとことひとことに最高に心がときめいた。

そういう時だけは幸せで傷の痛みも脳の疲労も取り除かれる気がする。

5月13日(土)

銀座奥野ビルの堀田展造写真展「無感覚物体」へ。

私にとっては知らない人だが、なぜ行く気になったかというと、4月にナツメ社気付でこの写真展の案内が送られて来たからだ。

「無感覚物体(phantom)=架空のダンス」という長い文章が印刷されてある。

文章の意味は何となく理解できたつもりだ。

「冷徹な非幻視の眼=写真」「架空と暗喩を暴く」「語を否定する語」「つねに取り残される暗喩の根深さ」・・・

案内状に書いてあったメルアドに、今は癌の手術後の痛みがあり、脳へのサイバーナイフを受けたばかりでエネルギーがないので、行けるかどうかわかりませんが・・・なぜ私にお送りくださったのでしょうか?と書いて送ったが返事は来なかった。

銀座に行くと酷く疲れそうで迷ったが、

名前で検索すると1945年生まれでずっと写真館をやっていた人であること、私の好きな奥野ビルでやっていることが行ってみる気になった理由だ。

奥野ビルの2回の端のギャラリー一兎庵。真っ暗な写真はビルと部屋の雰囲気にはあっていた。

挨拶して、なぜ私に案内を送ったのか(しかも水声社でなくナツメ社気付)尋ねてみると、

「なんでだろう。アルトーの関係かな?」と。

アルトーは出版記念のイベントに行っただけ。あと映画の中で朗読したけれど堀田さんが知るわけない。

「なんでだろう。ミステリーだね。」と言われ「はあ?」としか言いようがない。

「たぶんなにかで検索してブログを見て、変わってる人だなあ、すごくはっきりものを言う人だなあって思ったんだ。適当に出すわけない。」

そうですか。変わってるのは堀田さんのほうだ。強い文章と詩を書き、写真集をつくり、このエネルギーはなんなのだろう。

展示されている真っ黒な写真たち(ほとんど全部同じ)を見ていると、てきめんに脳が疲労してきた。

「無感覚物体」なのだから無感覚な写真を見せられて正解なのだろうが、私の身体(脳)はついついなんらかの感覚的な刺激、ときめき、快感、新鮮な驚き、感情などを求めてしまって、それが抑圧されると辛すぎて卒倒しそうになる。

哲学を勉強している人なら容易にわかり、軽くおしゃべりしあえるようなことを眼から入ってくる表現でやられると、私はものすごく疲弊する。テキストだけで十分なのに、と思ってしまうのだ。

たいていの人が私のように目で見る表現からストレスを受けることはない(ように私の長年の経験からは見える)。

絵にそれほど興味があるわけではないから、絵や眼から入っている表現に嫌悪や不快を催してしまう感覚がないからだ。

これは一般の人たちだけでなく、いわゆるお勉強のできる人たちも同じだ。言語や論理に精通している人たちはなおさら平気で無感覚な人が多い気がする。

まずい、すごく眠いと思いながら机の上にある過去の写真集を見せてもらった。

やはりどれも黒っぽい。喫茶店にいる奥様の写真も、暗いうえに左上と左下から三角色の闇が迫っている。

「この影は偶然?」と質問すると

「あとからフォトショップでやったんだ。デジカメの写真なんてフォトショップで作りこまないと意味ない。フォトショップが発売された頃からずっとパソコンでやってる。」と。

自分の頭が朦朧とするのがわかった。

夕暮れの海を撮った写真があった。「これは素敵ですね。雲の光がすごくきれいで、しかもカモメのすべてにぴったりピントが合ってる。」

「だいたいこの辺ていうところにピントを合わせて鳥が来るのを待った。」

この写真は私の好きな淋しげな海の景色で、私はその写真からポエジーを感じたから正直に素敵と言えた。

「少し上の方の階も見てきます」と部屋を出ようとすると、「福山さん、これ見て。定点観測。」と言われてデジカメの中にある奥野ビルの前で撮ったたくさんの写真を見せられたが、申し訳ないけれど「ああ・・」としか応えられなかった。

奥野ビルは昔は二つの並んだビルだったらしいです、と言うと「福山さんはその頃から生きてたりして。」と冗談を言われたが、疲れすぎて愛想笑いができない。

本当に精神のエネルギー切れ。

階段で上へ。6階までどんなになっているのか各部屋をちらりちらりと覗いてきた。

奥野ビルの素晴らしい古色の雰囲気とまったく合わない、とんでもなく酷い絵を飾ってある部屋もあった。仲間内の盛り上がりに入室できる空気もない。

一兎庵に戻ると谷昌親さんがいらしていて驚いた。

以前に詩人の浜田優さんと堀田さんがコラボ展をやった時からのお知り合いとのこと。

堀田さんが「写真やってる人たちが言うのは白黒の諧調とピントが合ってないと写真じゃないと。」というようなこを言って、

谷さんは「えっ?それじゃ森山大道がやったこうやってパシャパシャって撮ったのは写真じゃないってこと?」と。

私はもう質問する気力もなく、立っているのが不思議なくらい。

谷さんは、なにか写真論について書いた冊子を堀田さんに渡していらした。

「谷先生!写真とはなんですか?」と堀田さんが質問して、谷さんは「えっ・・これはロラン・バルトについて書いたものですけど、今の時代にそれがあてはまるかどうか・・」ともっともな対応。

堀田さんは帰り際に「福山さん、これ、もらってもらえるかな。」と私家版の詩集をくださった。

堀田さんは某哲学者が来てくれた、ととても喜んでいた。その人は写真の話はせずに、ずっと堀田さんが大学を卒業してから何をしていたかを聞いていたとという。

私も堀田さんの若い頃の話を聞けばよかった。個人の経験の話の方が写真論よりはるかに興味がある。

ちゃんと感想を言えなくて失礼だったかな、と気にしていたが、私の個展の時に来る人も絵の感想をひとこともくれず、どうでもいい雑談や、自分の話ばかりををしてくる人が多い。

そのことを私自身がすごく辛く思っているからこそ、他人の個展ではなにか感想を言わないと失礼だと思ってしまい、それがちゃんとできない自分がだめに思えて余計に精神が疲弊してしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020年6月13日 (土)

救急搬送(頭を殴られたような頭痛と嘔吐)

6月11日(木)

昼間、寝不足で横になっていたら、またもや後ろ頭をがん!と強く拳で殴られたような激しい痛み(この発作は3回目。7日が生まれて初めて)。直後に頭がかーっと熱くなり、ズキン!ズキン!と激しい脈動性頭痛で頭が割れそうになる。

台所で激しく嘔吐。涙も鼻水もぐしゃぐしゃ。今すぐに頭を身体から切り離したいほどのきつい痛み。後頭部、こめかみ、眼も痛い。

これはまずい、意識不明になるかも、と友人に電話。「苦しすぎてPCを見られないから調べてくれる?」と。友人は、くも膜下出血か髄膜炎かも、すぐに救急車を呼べと。

自分で119番に電話。すぐに折り返し、救急車の中から電話がかかってくる。ピーポー音に負けない声でしゃべらないと救急隊員さんに聞こえないのだが、脈動性頭痛が苦しすぎて大きな声が出ない。はあはあと肩で喘ぎながら、やっとこさしゃべる。「入院の準備をしてください」と言われ、保険証、近くにあったTシャツと綿ジャージ2枚ずつ、タオル2枚、ティッシュ、常用している薬の袋を大きなバッグに詰める。

10分くらいで救急車が建物の前に到着。割れそうな頭を押さえながらドアの外で待った。

救急車が出るまでに15分くらい色々聞かれた。救急隊員さんの大きな声が頭にがんがん響いて、とにかく頭が痛い、痛い、と悶えながら、なんとか応えつつ何度も嘔吐。

血圧188-82。異常に高い。

私の意識状態を確かめる意味もあるのか、病院を選ばせてくれたので、(母の介護の時に非常に嫌な思いをした)中野K立病院と高円寺の(うちから一番近い)K川病院だけは嫌だとお伝えする。

結局、野方の東京警察病院へ。まずは脳のCT。「2分くらいがんばれますか?」と言われても「ちょっと待ってください。今吐きそう。」と嘔吐が止まらない。

CTの結果は異常なし。

そのあと頭痛が起きた状況や、「痛みを言葉で表すと?」などいろいろ聞かれる。がん!と鈍器で殴られたあと、ズキンズキンで、顔がすごく熱く、二日酔いの時の100倍くらい痛い、一番痛いのは首の後ろ(頭の付け根)、脈動の痛みはこめかみや眼や頭全体と応える。

結局、救急医は首を傾げ、診断はつかない。「後頭神経痛かも」と言われ、神経痛のビリッと電気が走るような痛みとは全然違う、神経痛のわけないです、と言いたいけれど、興奮して声を出すと脈動性頭痛が酷くなるので我慢。

カロナール(アセトアミノフェン)を2錠飲まされて、2時間ほど硬いERのベッドで横になっていた。帰宅を勧められたが、まだのぼせと脈動性頭痛がおさまらず、歩けるか不安だったので、もう少し横にならせてほしいとお願いする。

カロナールと吐き気止めを処方され、17時半頃、タクシーで帰宅(1100円)。徐々に痛みは引いたが深夜まで頭のほてりと脈動のズキズキは収まらず。

6月12日(金)

朝からまだ頭がほてり、少し脈動性頭痛があり、普通の状態ではなかった。急激に血圧が上昇した高血圧脳症ではないか?とも考えてみる。

救急車の中での血圧は聞いたが、病院のERでの血圧の数値を聞いていないことに気づき、東京警察病院に電話して尋ねると「個人情報保護のため教えることはできない」と。「本人が自分自身である証明に、氏名、住所、電話番号を言って、折り返しそちらから電話をいただいて、そのうえで教えていただくことはできないか」と尋ねても、「できない」の一点張り。

14:30、がんの主治医、浅井先生から(以前より予約していた)電話診察で常用薬(チラジン、アルファロール)の処方箋を出していただく。昨日の救急搬送のことをお伝えする。

浅井先生のご意見は「血圧急上昇で頭痛が起きたのではなくて、逆かも」と。「脳の誤作動の血管けいれんで頭痛発作が起きている場合、それ専用の薬がある」と。とにかく内科を受診したほうがいいと。

もう一度発作が起きそうな嫌な予感がし、高円寺のSクリニック(脳神経科)へ。

診察まで40分待つ。今回の症状や既往症など記入。薬のアレルギーは総合感冒薬(ルル、ベンザエースなど)。

S先生の診断は「筋緊張性頭痛」。

筋緊張性頭痛は昔からずっと辛くて、甲状腺癌のリンパ節転移のため首の筋肉を切除してから特に酷く、たまにアセトアミノフェンやレキソタンを飲んで我慢していたが、緊張性頭痛で急に殴られるような痛みの発作が起きるなんて聞いたことはない。

S先生が言うには、強い凝りが慢性になり、我慢していたのが閾値を越えて発作が起きたと(最初の後頭部を殴られるような痛みのメカニズムは何?)。

S先生は激しい頭痛になるほどの血圧は200を超えた時で、私のは190くらいだから高血圧頭痛にはならないという(たった10の差で頭痛にならない?)。また、S先生は救急車に乗ったから不安と緊張で血圧が上がったのだと言うが、私はそうは思わない。痛みで悶え苦しんではいたが、ずっとパニックではなかったし、救急車が着いてからはむしろ逆にほっとして、救急隊にすべておまかせしていた。

診察室で血圧を測ると上が154だった。

(きのうCT撮影したばかりなので、レントゲンは最初断っていたが、正確な判断ができないと言われ、)首のレントゲンを7枚撮影。

重い頭を無理に支えているので骨が変形しているとの説明。何十年も首痛に苦しんできているから当たり前と思う。

跳んだり走ったりの運動も、首の筋肉がしっかりしていない状態でやるのは首肩を痛めるのでよくないと。コロナの自粛期間中、ひとりで跳んだりの運動(HIIT)をがんばっていたこともよくなかった?

・・・

この激しく殴られたような痛みと脈動頭痛の発作は3回目。

最初は6月7日(日)。

6月1日深夜にFからの電話の受け、個展にFが来てくれなかったことを思い出し、その時のショックと辛さがよみがえって来て、不眠になった。

さらにここ10年の辛かったこと(母と愛猫ちゃびの介護と看取り、父の借金のことなど)思い出してしまい、激しいストレスを感じ、涙が出た(かすかに身体に力が入った)瞬間に、後頭部をがん!と殴られたような痛みを感じ、嘔吐。
その後、6~7時間、激しい脈動頭痛に襲われた。

2度目は6月9日(水)。

ひとつ前のPCから画像データをUSBに移す作業をして、眼ももう限界なほど疲れ、首も凝り、吐き気がしていた。亡くなった母やちゃびの写真を見て苦しくなり、涙が出た瞬間(そんなに力んでもいないのに)、再び後頭部にがん!と痛みが来て脈動性頭痛で吐いた。

プフの眼が4月から抗菌目薬でもよくならず、6月3日にアレルギー注射をしてもよくならず、4日にクシャミを頻繁にし始めてからはドキシサイクリンを毎日飲ませているのに、まだ眼がよくならない不安も私の首凝りの原因。

発作が激しいストレスと首の緊張に関係していることだけは確かだ。

 

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2017年5月 3日 (水)

高円寺大道芸2017  セクシーDAVINCI

4月29日

第9回高円寺びっくり大道芸。

涼しく晴れた日。日差しが強いので、紫外線アレルギーで顔中に湿疹ができる私は要注意なのだが、昼からセクシーDAVINCIさんが、うちの近所の狭い会場に出演されるとパンフにあったので、ウッカリ見に行ってしまった。

「高円寺に巻き起こす春のセクシー旋風!No Sexy No Life! 全ての人よ、セクシーであれ!」「とっても美しいお兄さんによる、とってもおバカなパフォーマンス。」と大道芸の公式パンフレットにある。そのままです・・・

セクシーさんが「ヘブンアーティスト」のライセンスを取得して高円寺大道芸に初参加した2008年に、たまたま通りがかった商店街の隅で演じていた彼の美しさにに「うわッ、この人いったいなに?」と思わずウッカリ目を奪われてしまい、それから毎年癖になって見に行っている。

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存在自体が華やかで、フレンドリーで、厳しくもてきとーで、とっても楽しい芸風。
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とってもきれいな自慢のおしり。セクシー年貢(投げ銭)をいっぱい納めると触らせてもらえます。
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折りたためるセクシー年貢をウッカリ納めてしまったら、ブロマイドをもらえた。

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記念撮影。このブロマイドはGACKT風?のゴージャスなイラスト風味。ブロマイドは400種類くらいあり、全種類を集めている人は日本に約2名いるそうだ。「自分のペースで集めてネッ」とのこと。

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私よりずっと白くて美しいもち肌のセクシーDAVINCIさん。無駄毛のまったくないすべすべの手足は天然で、脱毛などは「アタシ、そんなめんどくさいことしないわよッ」だそうです。

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午後1時、3時、5時くらいに、場所をかえて1日3回公演があるのだが、1回目の公演を見た後は家で仕事をして、ウッカリまた夕方5時の部を見にJR高円寺駅前へ行ってしまった。昼の場所よりずっと人が大勢でワイワイ。
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セクシー!!という皆の掛け声も最高潮に。

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いろんな演目があるが、私はこの黒い帽子をつかった「伊勢佐木町ブルース」の踊りが、仕草が本当に妖艶できれいで、一番好き。真っ白なつるつるの細いおなかが素敵。
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夕方6時前に、急に凍えるような強風。JR駅前でやっていた中国雑技団の人の椅子を積み上げた上でのバランス芸がゆらゆらして危なそうだった。

稲妻が光り、雷雨になった。

4月30日

高円寺びっくり大道芸2日目。きょうもきのうと同じ場所にウッカリ、セクシーさんを見にいってしまった。

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またもやウッカリ折りたためる年貢を納めてしまったために、ブロマイドをいただいた。

今度は、「花と一緒に写ってるやつをお願いします。」とおねだりして、私好みの綺麗な薔薇の花の中のセクシーさんの写真をゲット。

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夕方5時半ごろ、JR高円寺駅前のフィナーレ。頭に火をかぶって熱くないのかしら。黒い金剛力士がシッカリ火を怖がってよけている(画面左側)のが面白かった。

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大きな羊さん。
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毎年、このフィナーレの人だかり(高円寺駅前の都市計画で、人が集まれるスペースとして、この場所をちゃんと考えて確保しておいたらしい)にいると、この高円寺という街は本当に素晴らしいな、と思う。

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桔梗ブラザーズ(ジャグリング)のかっこいいお兄さんの背後に忍び寄るセクシーさん。
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ぶちゅ~っとやるセクシーさん。嬉しそう。
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芸人さんたちが退場するのが名残惜しい。
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びっくり大道芸のお祭りが終わって、喧騒が遠ざかる中、久しぶりに夕暮れの北中通りを散歩した。パイプや配線の交錯が面白い建物。
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新宿や渋谷みたいな人混みはないけれど、閑散としすぎているわけでもなく、細くてぼろい裏通りにはいつも、お酒を飲んで笑い合っている人たちがいる。

一見、廃屋みたいな建物に若い人たちがいて、なにかをやっているところが高円寺らしい。
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2017年5月 1日 (月)

入江紗代さんと会う 場面緘黙(かんもく)

4月20日に、入江紗代さんと会って話した。それは不思議なご縁での出会いだ。

先日、「遠藤さんという私の尊敬する人生の大先輩の女性が、荻窪の施設でボランティアをしているので、声をかけてあげてください。」と、その施設で働いていたIさんに久しぶりにメールしたのだが、Iさんはもうその施設をやめて故郷に帰っていた。

Iさんとは、12年前に私が早稲田大学で講演した時に知り合った。彼は当時の学生さんだ。

そのIさんが結婚されたのが、同じ大学で知り合った入江さんだ。入江さんとIさんは今、「かんもくの声」という「緘黙」の理解と認知を広めるための活動をされている。

入江さんは、幼稚園から大学くらいまで、人前で言葉や声を発することのできない症状(「場面緘黙症」)でたいへん苦しみ、今年の3月に「世界仰天ニュース」というテレビ番組の取材を受け、出演された。

私はIさんのFBを見て、ごく最近、そういう状態を「場面緘黙」(かんもく)というのだと知ったのだ。

幼稚園から高校くらいまで、人前で緊張しすぎて、うまく言葉を発することができなかったことは、私もそっくり同じだ。極度の人見知りというよりも、さらに重篤な不安症や恐怖症の一種、という感じだろうか。

そしてとても驚いたことに、入江さんは、私が12年前に早稲田大学で講演した時のことを強く覚えていて、私と話してみたいと思ってくださっていたという。

私が早稲田大学で話している姿を見て、入江さんは、

「震えながら話していて、こんなにも激しく情熱的で、逆に傷つくのも激しい、振り幅の大きい人を初めて見た」「あの頃の私は、今の何倍も苦しんでいて、(講演を聴いて)救われた気がした」

といったようなことを言ってくれた。

それが私にはすごく嬉しかった。

私は悲観的で、なにかを表現しても、それが誰にも届かず、徒労に終わってしまう、というさびしさや焦燥が強い。

けれど、私が気づかないところで、私の拙い話の向こうに痛みとして在る私自身を見つけてくれた人、スムーズに流通しない言葉の滞りや破れ目からでも共感してくれる人がいたこと、その人と12年も経て直接出会えたことが、奇跡のように思え、ありがたかった。

その後のメールでも入江さんは、

「幼い頃から、生きてること自体が葛藤みたいなことを感じてきたのですが、早稲田での福山さんの姿に、勝手ながら初めてそのような人に出会った!と感じ入った気がします。 」

「福山さんの持つ緊張感さえも魅力的で、はり裂けそうな人だという印象で憧れておりました。」

という、なんとも素敵な言葉使いで、私にとっては最高のほめ言葉をくださった。

入江さんは、頭がよくて謙虚で、私からはすごく話しやすい誠実なかただ。それなのに入江さんは「自己を肯定できるという感覚が分からない」という。それは痛ましいことだ。

入江さんの場合は、虐待やいじめにあったわけではなく、どうして幼稚園から外では話せなくなってしまったかは、わからないという(原因は、家庭環境と関係ない人も多いらしいが、日本では研究や調査があまりにもなされていないために、よくわかっていないそうだ。)。

私も、人前ではっきり意思表示ができないために、幼稚園から小学校、中学校は地獄だった。さらに私は肉食ができない(肉がはいっているおかずが苦痛で食べられない)ために、給食時間も地獄。

私の場合、さらに悪いことに、都会の真ん中、新宿駅にほど近い公立の幼、小、中で、特に中学は、教師も御せないほど荒れていて、滅茶苦茶な暴力にさらされた。(しかし私の場合、不登校になったことは一度もない)。

大人になってから対人緊張はだいぶ治ってきたが、私は今も、人に話しかける時に、相手やまわりの反応を考え過ぎ、心配しすぎ、逡巡しすぎて、くたくたになる傾向がある。

そうなった原因は、私の場合に限って言えば、最初は父親からの虐待だと思っている。実際に父は、私を脅かしたり、からかったり、ばかにしたりして、私が怯えるのを面白がるようなことがあった。

小学校低学年で、一緒に外出した時、父は人混みでわざと、どんどん先に行って、私が迷子になって恐怖するのを面白がったりした。そういうどうしようもない不安や恐怖を、父は幼かった私に毎日、植えつけた。

殴られて、本当に頭の中に火花のようなものが見えたことも何度もある。一方的に床に叩きつけられ、その痛みと同時に、激しい怒りと憎しみが湧き上がってきて、胸や首のあたりがびりびりした感覚を覚えている。

小学校、中学校時代、とても集中して描いてほめられた絵を学校から持ち帰っても、父は「グロテスクな絵だな。」とばかにした。「お前程度のやつは、掃いて捨てるほどいるんだ。」などと言われたり、作文も笑われたような記憶がある。

私はすっかり萎縮していた。人前で自分を表現することが怖くて、手を上げて自分の意見を言ったりするのが極端にいやだった。そうしていつも、ただ無防備に他人の目にさらされ、頬を紅潮させながら、「素の自分」を痛みとして思い知らされるのだ。

「緘黙」傾向のある人たちは、人それぞれ、話せない場面や程度、その発症要因も違うが、想像するに、いろいろ気疲れしすぎる性格の傾向は似ているような気がする。

けれど私は、それと同時に、自分は周りの子が気づいていないものに気づいていたり、まったく違う感じ方をしていることがある、そのため、周りの子たちに発言や振る舞いを合わせることに強い反感を持っている、という意識が、幼い頃からしばしばあった。

周りへの違和や、自分だけに見えているもの、激しく感じることを表現したいという欲求も、抑圧されてはいたが、強くあったのだ。

幼稚園の頃から、早く大人になりたいと思わざるを得なかった。少なくとも理不尽な暴力や画一的な強制からは、大人になればもっと自由になれると思うほかなかった。

(大人になってみれば、子どもならではの残虐さやむき出しの暴力によって傷つけられることはなくなったが、自我の欲望を満たすための搾取や収奪はむしろ日常となる。)

大人になるにつれてわかってきたことは、恥ずかしがらずにぺらぺらとしゃべる人は、会話によって本当にその人の生存のあり方が問われているのだ、と本人が意識していないので、平気でしゃべることができる、ということだ。

自分の個別の体験、自分の身体を通してしゃべっているわけではなく、まわり(地域社会や職場での関係、交友関係など)のレヴェルに合わせた習慣や、反射でしゃべっている、ということだ。

皆、役割演技をしていて、それに慣れてしまっているから、そんなに緊張もせず、恥ずかしくも感じていないのだと思う。

飾らない真の苦しみから出ることば、人と理解し合いたいという希求から出てくる言葉は、ぺらぺらと軽くなるわけがなく、思いが強すぎるからこそ、裸でさらされているようで、うまく話せないのだと思う。

言葉が真実であることが必然になってしまっているからこそ、話せない。

入江さんは、「福山さんがとてもお話しやすい方で驚きました。不思議と、普段はあまり言わないことや言えないことも自然と話していました。お話しながら福山さんのことをとても率直に感じ、そのせいか私も率直な面を出せたのだと思います。」と(メールで)おっしゃっていた。

そういえば、昔の早稲田での講演のあと、当時の図書新聞の編集、佐藤美奈子さんに

「私はそこに、本当に、はだかの、裸形の人を見ました。」と、すごく驚いたように言われたことを思い出す。

私の心にはすごく嫌なことも強烈に刻まれるが、美しいものも強烈に刻まれる。その過剰さを制御できない。

美しく儚いもの――動物たちや植物が、ずっと、私が生きることをたすけていてくれたと思う。

デッサンは「光の声」だと言ったのは詩人のアポリネールだが、入江さんにお会いして今、私も、私の仕事を通して、なにか「緘黙」に閉ざされた人たちの力になれたら、そんなふうに願っている。

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2017年3月16日 (木)

右上腕の怪我、過緊張、緘黙 

3月15日

きょうは、最後の寒波なのか、すごく冷えて身体が痛かった。

昨年の6月28日に、思いがけないことで右腕上腕を筋断裂してしまい、ずっと拘縮の痛みに苦しんでいる。整形外科、整骨院の電気治療、リラクゼーションサロンと、いろいろやってみているが、なかなかよくならない。

利き腕なので、いろんな作業に差し支えている。

おとといから新しい整骨院に通い始め、今日は二回目。

ここは前に通っていたところとはまったくやりかたが違う。マッサージはなく、深い指圧と、骨格の歪みの矯正。

私が整骨院やリラクゼーションサロンでもっとも重要に思うのは、余計なおしゃべりがないこと。世間話をされて治療師の見解に同意を求められた場合、ほぼ100パーセント同意も共感もできないでストレスになるので、言わないでほしい。

その点、ここはまあ合格。

3月3日

上半身の緊張が少しでもとれれば、と頸の神経ブロック注射をしに、久しぶりにSクリニックに行く。このクリニックはいつもすごく混んでいるので、冬の間はインフルをもらってしまいそうで怖くて行く気にならなかった。

頸の神経ブロックだけですぐ終わると思っていたら「久しぶりなので診察しますね。」と言われる。

ここの院長先生は、痩せていて派手な顔立ちで、30代のように若く見え、はっきりサバサバとものを言う、明るくてアグレッシヴでてきぱきした感じの人だ。

以前、頸と肩の凝りで頭痛や吐き気がしてどうしようもなくて、神経ブロック注射に通っていた時、「どんな仕事してるの?」と聞かれ、「今は、本をつくってます。」「へええ、どんな本?」「え・・・と・・・芸術系の・・・エッセイです。」と言ったら

「へえ~。すごいねえ!面白い仕事してる患者さんがくるね~。がんばってね!僕は応援してます!」と明るく言われ、私は赤面して苦笑。
「応援してる」とか軽く口先だけで言わなくていいのに、としか思わなかった。

ところが今日、驚いたことがあった。

昨年夏に怪我した右腕が拘縮して上がらない、なにかよい治療法はありませんか、とおずおずと尋ね、2、3週間前にほかの整形外科でCTを撮ったばかりで、そこでリハビリしていて「こうして相談すること自体が二重診療になってしまいますか?」と私が聞いたら、その院長先生は言った。

「「わたし」はねえ、すごくいつも、24時間緊張してるのよ。それで24時間、自律神経が休まらないのよ。いつも、診察の時に異常に緊張しているのが僕にはわかる。」

彼は「あなた」というところを「わたし」と言っていた。

「「わたし」はねえ、ものすごく頭が働いて、ほかの誰も気がつかないことを察知して、いつも、ものすごくたくさんのことを考え過ぎて、疲れすぎて緊張しすぎてるのよ。」と言われ、あまりにも私のことを正確に言われてびっくりした。

「その通りです、わたしは幼稚園の時からずっとそうです。」と応えた。

「今も保険の二重診療のこととか、「わたし」が考えなくていいことをものすごく考えすぎて心配してるのよ。日本の保険制度はおかしい。柔整は半グレ。いろんなこと、考え過ぎないで、絶対なんとかなるって思わなくちゃ。柔整の施術内容回答書も、出したくなければほっとけばいいのよ。なにからなにまで心配しないで。そっちの整形外科の滑車のリハビリもやってていいよ。」」と言われた。

「右腕の拘縮している箇所にブロック注射したら少しはほぐれませんか?」と聞いたら、

「「わたし」の場合、他の人ならなんでもないことも察知して激しく反応して、もっとひどくなることがありそうな気がする。それは僕がここに開院して17年間の直観。」と言われた。

短くしか言葉を交わしたこともなく、一見、軽そうにも見えて、私の性質など、もし気づいても面倒くさいと思うくらいだろうと私が思い込んでいた院長先生が、私の過敏で過剰な性質をちゃんと見ていて、それに寄り添って治療を考えてくれたことに、すごく驚いた。

まったく期待していなかった院長先生に、俄然、信頼感がわく。

「左頸にブロック注射してみようか。」と言われる。右頸に打つほうが当然効くが、私は甲状腺癌摘出手術で左の声帯と反回神経を切断してしまっているので、右頸に麻酔を打つと左右の気道が閉塞して息ができなくなるので、右には打てないのだ。

仰向けに寝て左頸に神経ブロック注射をして、ふわっと効いてきて顔や頸が熱くなってぼーっとしている間に、一生懸命右腕を上に上げたり肩を回してみたら、少し痛みがとれて、いつもより動く気がした。

過去に何回か神経ブロック注射の止血をみてもらったことのある若くてかわいい看護師さんに「右腕が痛くなってたんですねえ。ぜんぜん気がつきませんでした。」と親切にしていただいた。(右腕のこと、今日までこちらでは言ってないんだから、気がつくわけはないのですが。。。)

・・

私は何をやるにしても相手の反応や、その場の雰囲気、そのあとにどんなことが起きるかを考えて、逡巡しすぎて、ものすごく疲れて緊張する。

そして自分の率直な意思表示を飲み込んで、我慢してしまうことがものすごく多い。

結局なにも行動を起こさず、表情にも出さず、抑え込んでてしまう。

そんな風に緊張しながら、私が心身のエネルギーを使い果たしたことは、目の前の相手はもちろん、まわりの誰にも気づかれない。

私は、自分と正反対に、相手の反応おかまいなしに、自己展開して一方的に気持ちよくしゃべり続ける人が苦手だ。

逡巡や緊張なしに、ぺらぺらしゃべる人の話はたいてい酷くつまらなくて、私には同意も共感もできないからだ。

私は、耳を遮断して聞いているふりをすることができなくて、嫌なことも直接、身体の奥まではいってきてしまうから、恐ろしく疲れるのだと思う。

嫌だと感じることも、好きだと感じることと同じくらいに、激しく強烈に、私の中にはいってきてしまう。

私には自分が大切なものがはっきりしている。だから、そこにのめりこんで集中したい時に、誰かにそれを邪魔されるのがものすごくストレスになる。

また、自分の言いたいことが、伝達不可能だとわかっているのに、それをまったく違う意味に平準化され、「わかるわかる」と言われることが苦痛でたまらない。

「あなたには見たことも感じたこともないことを、私は今、言おうとしている、ということを認めてほしい」と相手に言っても伝わらない。

「自分にはわからない」ということを認めない人、なんでも「自分もわかる、自分のほうが上だ」と言いたがる人がすごく苦痛だ。

わりと最近まで知らなかった言葉だけれど、私の子ども時代は「場面緘黙」というのにぴったりだ。

幼稚園から高校くらいまで、ものすごくいろんなことを考えて、感情ははちきれそうだが、人前で話すことが死ぬほど嫌だった。

なにも言えなかった幼い頃の私も、自分が大切なものははっきりしていた。

私は口に出したくても言葉にならなかったこと、うまく言語化できない微妙な次元の、内面では激しく感じているリアルな私の生のために表現をやろうとしているので、たぶんこの不全感と焦燥と対人ストレスは一生続くのだろう。

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