芸術

2026年10月 2日 (金)

がんセンター 脳の造影剤MRI・限度額認定証

9月29日(火)雨。今日で34日間連続で降水

国立がんセンター中央病院。

最初の保険証確認で限度額認定証が7月で切れていたことを知らされる。

1時、採尿、採血。2時、脳のMRI。 途中から造影剤を入れて撮影。

3:30 内科のH先生。 MRIの結果は前回と変化なし。何か所か転移は見えるが増大していない。

一般血液検査は、アルブミン(たんぱく質)の値が4.1で、ぎりぎりだが正常値にはいっていた。ヘモグロビンも正常値。

感染症で3カ月近く入院して退院したあとの6月16日の血液検査では、ヘモグロビンもアルブミンも低くて肝臓の値もひどかったが、3カ月で入院前の数値に戻った。

次回、全身CTを撮影予約。

H先生の診療が終わって診察室を出ると、待合室には誰もいなかった。私が最後。

レットヴィモとその他の薬の3か月分の処方箋が出る。

4:30 外科のY先生。

浅井先生がまた私のことを心配していたと。個展で忙しくて、最後のほうは倒れそうだったとお伝えする。

Y先生に「今日、限度額認定証が切れていたのに気づいたのですが、レットヴィモの処方箋が出て、何十万かするんですよね」と言ったら

「なんとかなります!だいじょうぶです!」と明るく言われた。

MRIのために昼、絶食だったので、院内のコンビニで卵サンドを買って食べた。自販機で「牛乳屋さんのホットコーヒー」も。

銀座のOKストアに寄りたかったが、寒い雨だったので断念。

9月30日(水)

個展が終わってからずっと、朝、だるくて起きられないし食べられないのだが、久しぶりに晴れたので自転車で区役所へ。

限度額認定証の更新。

入院中の食事代について、1食270円だが入院91日目から220円になる、しかし自分で申請しないとできない、ということを長く説明された。

たしかにひと月1500円は大きいし、自分で申請しないとならないのはおかしいと思う。保険課で計算して還付すればいいのに。

私も、もし3カ月以上入院していたとしても、今日たまたま区役所で説明されなければ知らなかった。

説明がなかったことへのクレームがあったらしく、説明を受けたという念書に署名させられた。

限度額については、12カ月に3回以上、限度額を超えた場合は、4回目から減額の計算になると。

これも私はよくわかっていなかった。

レットヴィモは3カ月しか処方されないから12カ月に4回は限度額を使う。

さらに3月から6月までがんセンターではない入院で4回限度額を使っているから、12カ月内に6回か7回限度額を使うことになる?

区役所を終えてからそのまま自転車で駅のほうに向かい、3か所買い物をすませ、帰宅したらやっと空腹。

午後は4時からほかの用事で出かけ、2時間かかった。

それだけですごく疲れて朦朧。

夜も量は食べられない。計算すると毎日1100kcalくらいしか食べられていない。

10月1日(木)晴れ

昨日、いろいろ雑務に追われただけで、朝、疲労感で起きられない。

眠気と、浮腫による眼のまわりの痛みが酷い。遠赤外線マットを眼にのせて温めている。

また昼過ぎまで寝てしまう。午前中は食べられない。

今、体重は約44kg。退院直後は悲惨だった身体がなんとか3カ月で元に戻った。

もう脂肪はいらないのでアイスクリームも食べない。

もともと甘いものは嫌いでお酒は好きだったが、個展が終わってからビールを飲んだら卒倒するほど眠くなったのでお酒もやめている。

筋肉を落とさないために一日40~50gのたんぱく質をとるのはたいへんだ。

食べたいものだけを食べると果物と野菜とでんぷんに偏り、最近は米粉野菜餃子を多く食べている。

少量の魚、チーズ、ヨーグルト、納豆、ラードのはいっていない魚肉ソーセージ。

抗生物質を飲まなくてよくなってからおなかが壊れることは少なくなったが、朝起きておなかがすいていることはない。

AIに聞くと、毎日眠くてたまらないのは脳が疲れているせいだと。

開腹手術後の大量出血や極限までの浮腫での恐怖や不安、3カ月近く毎日の痛みと高熱の我慢、それらで脳がずっと警戒態勢にあったので、とても疲れているはずだと言われた。

そのあと個展で、自分が人前にさらされる緊張、対人対応などで、極度の脳疲労で、踏ん張りすぎてまだ休み足りない状況。

なかなか集中力や頭の回転が戻らない。

新刊『息の荒野、世界が顫動している:画家の触発する/される身体』が平凡社から出ました。
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沢渡朔さんが昔と3年前に撮影してくださった写真と私の絵画、それに谷川俊太郎さんが寄せてくださった詩をまとめた本です。

 

 

 

 

 

 

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2026年9月19日 (土)

宮西計三のこと

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宮西計三が12日に亡くなったと、13日の個展終了後に知った。
ショックで頭が混乱した。

とても若い頃、宮西計三の線と詩的なことばに強烈に惹かれて、連絡した。
初めての電話で、彼は2時間くらいしゃべり続けていたと思う。
次の日曜に会った。
彼はとても嬉しそうだった。

いきなり子供の頃の話を聞かされた。
自然と暗闇が化け物のように恐怖だった生駒山の暮らし、
脚を骨折してプラチナが入っていること、
小学生の頃、体育の時間に休んでいたせいで、クラスの子のお金を盗んだ疑いをかけられ、ショックで学校に行けなくなったこと

バンドをやっていること
バンドの周辺の人に傷つけられたこと、
最初に会った時に、彼の中にうずまいていたたくさんの傷やトラウマの話を一気に浴びせられたことに、私は驚いた。

ひばりが丘の線路沿いの、電車が通ると轟音で地震のように揺れるアパート。
隣の錆びた階段のところにグレーの猫がいて、私たちはその子を「ナジャ」と呼んだ。
隣の人が猫砂を外にばらまくから臭いがきつい、と彼は言った。

古い机。丸ペン。証券インク。道具は少なかった。
古い木の机の引き出しには、漫画の資料のための切り抜きがほんの少し入っていた。
覚えているのは「Friend Angel No1」のタイトルの絵のもとになるイラスト。
これは宮沢賢治を彷彿とさせる、水晶を探す話だ。

本はほとんどなかったと思う。
自分が載っている雑誌は全部私にくれた。

それとインディーズで一位になったというOnnnaのレコードをくれた。
私はそれを繰り返し飽きることなく聞いた。

私は彼が息をひそめて線を引くのを黙って見ていた。
勢いにまかせて描くのではない。
針の穴を通すような精確さで、ここ以外はあり得ないという場所に、線が生きもののように伸びていく。
描き損じはない。

彼は、いわゆるデッサンがうまい人とは、私は思わなかった。
速いクロッキーもおそらく苦手だった。
彼は美しい線を判別する力と、それを記憶する力が群を抜いているのだ。

頭の中に完成された絵があって、鉛筆の下書きはそのアタリにすぎない。
ペンが入った瞬間、その線がすっと立ち上がり、生々しく輝きだす。

引かれた線は、下書きよりはるかに流麗だった。
デッサンや下絵のほうがなまなしい画家とは、彼は異なっていた。

私たちは「ひらかれた絵」の話をよくした。
ある有名漫画家が、20代の時には簡潔で得も言われぬ線で、詩的に恐ろしいほどひらいた世界を描いていたのに、
年齢を重ねて描きこみが増え、絵が固くなってからは、本当に狭い世界しかそこにはないこと、
これは実に私が感じていたこと、そのものだった。

ハンス・ベルメール。
ビアズレー。
レオナルド・ダ・ヴィンチ。
アーサー・ラッカム。
ピカソの青の時代。
ロートレアモン。
ノヴァーリス。
彼がやろうとしているのは、彼が今までに魅入られたすべての芸術の精を
自分の線と言葉にかえて、ひと息に心臓を貫くこと。

それは物心ついた時から、自分が何を求めているのか、何に惹かれて、逆に何を拒絶するのかを知ろうと、
一途に突き詰めて来た者にしかできない仕事だった。
田舎の古本屋の隅から、あらゆる本のページの奥から、自分に必要なものを選び抜き、
記憶して自分の感性を研ぎ澄ましてきた早熟の天才のなせる業だ。

彼を知ってしまえば、美大を出て絵を目指す人たちの中にいた私の世界は、たちまち色を失った。

彼はいわゆるうまい絵を信用していなかった。
見るべきものと見たくないものがとてもはっきりしていた。

好んだのは線が立っている絵、一途な思いが際立つ特徴的な絵、
時には泥臭い絵も好きだった。
たとえば三橋節子や村山槐多は好きのほうに入っていたと思う。

いわゆるプラン(筆触)画法にはあまり興味を持たなかった。
そこが私と感性が一致していた。

彼が愛したのは象徴であり、詩的なもの、見切れずに残る謎や余韻だった。
読むまんがとしては、斬新なコマ割りや構図、簡潔であたたかい線、
子供時代の傷つきやすさや、感覚の高い純度を持ち続けるようなものが好きだったと思う。

白戸三平だったら「カムイ伝」より前の、「サスケ」や「ワタリ」の時の絵、
宮谷一彦だったら「孔雀風琴」よりも「ジャンピンジャックフラッシュ」や「俺たちの時」の絵
と、好みははっきりしていた。

私たちはよく自由学園の横を通って川へと歩いた。
茶畑の間の細い土の道の脇で、たこ焼きを売っている人がいて、よくそれを買って食べながら歩いた。
竹林公園でタケノコをとって真崎守先生の家の玄関の前に置いたりもした。

イシミカワの青い実が光る落合川に沿ってしばらく歩くと、犬を6匹、外につないでいるお宅があって、
その犬たちと遊ぶのが私は大好きだった。

20日に生まれたのがハツカ、
5月に生まれたのがメイ、
6月に生まれたのがジュン、
あとの3匹の名前が思い出せない。
ハツカが一番大きくて毛足の長い犬で、ジュンが一番小さくて茶色い犬。
私たちが行くと、遠くからもう全員が気づいていて、こちらを向いて笑いながらしっぽを振って待っていてくれた。

 

 

 

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2026年9月12日 (土)

福山知佐子個展 NEW 神宮前 明日最終日 / 谷川俊太郎さんのこと

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個展開催中です。闘病中で体力がとぼしいので4時すぎくらいからの在廊となります。ご了承ください。

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【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama</p> /p>

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

会期::2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 

【Google Map|NEW 】https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
(
神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

newwwgallery NEWでは、9月2日(水)から9月13日(日)まで、福山知佐子の個展「異生の顫動」を開催いたします。

福山知佐子はこれまで、萎れ、枯れ、朽ちへと移ろう植物の時間の運動を追うなど、見過ごされ、遺棄された小さな生命の徴候に応答しながら制作を続けてきました。

本展のタイトルにある「顫動(せんどう)」とは、かすかにふるえ動くこと。

福山が向き合うのは、人間の価値や意味の体系には決して回収されることのない、人ならざる生――「異生」の、微細な顫動の実在です。

踏みしだかれ、名を呼ばれることのないまま消えていく小さな生命の徴候に、絵画はどこまで応答しうるのか。

幾層にも重ねられた絵具と紙の堆積は、その問いに費やされた時間そのものとして画面にあらわれます。

本展にあわせ、写真家・沢渡朔、詩人・谷川俊太郎とのコラボレーションによる書籍『息の荒野、世界が顫動している 画家の触発する/される身体』をはじめ、福山知佐子の画集・著書も会場にて販売いたします。

ぜひ会場に足をお運びいただき、福山知佐子が描き出す「異生の顫動」をご体感ください。

9月8日(火)

谷川俊太郎事務所に、やっとできた本『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)をお渡しに行く。

谷川俊太郎さんが住んでいたお家にお通しくださった。

長く細い廊下、ひとつ、ふたつ、みっつ、と両側の部屋を過ぎる。

それらの部屋の扉は、風通しがいいように、見られてもいいように開けられている。

奥のほうの広い部屋。昔、吉田文憲さんと来た。その時はテレビがあった。

ぼうぼうではなく、短く雑草が生えている庭。北軽井沢に似せて、こうしていたそうだ。

ここから俊太郎さんは鳥を眺めて過ごした。

事務所のスタッフの川口さんが、俊太郎さんの最後の日の様子など、大切なことをお話しくださった。

棚には、とても魅力的な青銅の小さな動物たちが、50体くらいきれいに飾られているガラスケースがあった。

徹三さんと相談されながら、少しずつ買って、集めておられたそうだ。

俊太郎さん愛用の二眼レフカメラ、リコー・フレックスがあった。

そのカメラについて質問すると川口さんが、2023年にやったという谷川さんの写真展の図録を持って来て見せてくださった。

最初に、青年とも少年ともつかない谷川さんがきょとんと丸い目をしている、鏡を使って撮った自分の写真。

それらは、1ページごとにすべてが瑞々しく、純粋で、まっすぐにこちらの胸に届いた。

なぜなら、本当に絵がわかる人の写真、写真のための写真ではない、生の中の一瞬の二度とない光景を切り取った、俊太郎さん自身のための嘘のない絵だったからだ。

実際に、図録のあとがきに、僕は絵がかけないからファインダーで切り取って絵のような写真を撮る、というようなことが書いてあった。

犬が6匹、草の中で戯れている写真。隣の家で飼っていた犬だそうだ。

「この中にネロがいますよ。あとにネロだけ写っている写真がありますよ」と川口さんに言われ、

その写真を見て泣きそうになった。

耳が折れている人懐っこそうな犬がこちらをのぞいている。

このネロと俊太郎さんがじゃれあって、草の上に転げて笑いあっていた姿が見えた。

ああ、本当に俊太郎さんはネロを愛したんだな、

俊太郎さんは本当に絵が好きな、絵がわかる人だったんだな、と再確認出来て、

ここまで絵もわかって、ことばも使えるかたと出会えて、心からの言葉をいただけて、本当に幸せだったと思う。

9月9日(水)曇りのち雨

きょうは体が痛くて、昼過ぎてもふとんから起き上がれなかったのでギャラリーに行けずにずっと寝込んでいた。

午後、ギャラリーから電話があった。

3つよいことがあった。

私がずっと絵を見ていただきたいと望んでいた人に、やっとことばが届いたという知らせ。

これからどうなるかは、まだまったくわからないけれど、とにかく少し進展した。

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2026年9月 9日 (水)

福山知佐子個展 NEW 9月13日まで

私のXが8月8日に外国のメールアドレスに勝手に変更されてのっとられてしまいました。

すぐにX公式フォームに申請し、メールで返事をもらい、そのメールにまたアカウントなどを書いて返信しましたがそれから返事がきません。

解決法がわかるかたは、私のHPの問い合わせか、ギャラリー十二社ハイデのHPの問い合わせからどうかアドバイスをお送りください。

よろしくお願いいたします。

・・・・・・

9月6日(日)

斎藤哲夫さんと。大変な病気のふたりが、元気でまた再会できた記念のフォトです。
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斎藤哲夫さんに「FFA FORK DAYS フォーク夏の陣」のDVDと「昨日・今日・明日」のCDいただきました。
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4年前くらいに私の個展に初めて来られて、黙っていつまでも絵を見つめていらしたSさん。 

その常人ならざる澄明な佇まいが、このかたは何者なのだろう、とずっと心に残った。

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今日は5時にいらして「今日は、来る前に青山でコーヒーを飲んで体調を整えてきたので、とてもよく眼が見えます」とおっしゃられた。

2年前の高円寺での個展でフロランス・ビュルガのことばを壁に貼っていた時もずっと向き合ってくださって「読めば読むほど、迷宮に迷い込んだような気持になって」と言ってくださったことを覚えている。

4年目にして初めて少しお話しできた。

なんと7時までいてくださって、

「ずっと長く見ていられる絵は少ない。そしてこれらの絵はほかの誰にも似ていない絵だから」とのことばをいただき、とても胸に響いた。

少し冷たい雨の中を脚を濡らしながら原宿駅まで歩いた。

ふいに、ひとこと、育った環境のことを、ぽつっと短いことばで投げかけられ、

雑踏の中でかき消されそうなその微かな響きによって、「えっ?」と、胸をずん、と叩かれたような衝撃を感じて声が出てしまった。

静謐という語でも上品という語でもでも届かない、このかたの由縁が、ふと輪郭を帯びたように思われた。

9月7日(月)

沢渡朔さんの事務所に新刊『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)をお届けに上がる。

たいへん喜んでくださって、「この写真を撮っている時には、まさかいいこんな本にできるなんて思っていなかった。本にできて本当に良かった。」と。

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「平凡社というのがまたいいね。それにこんなふうに写真と絵と詩が一緒になっている本はほかにないもの」
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「すごくいい本は、俺は本当に売れてほしいと思う。海外にも誰か持って行ってほしいし、若い人たちに知ってほしい。」とおっしゃられた。

「今、本を売るのはほんとうにたいへんだ。でもこの本は本当にたくさんの人に知られてほしい。若くて感性の鋭いライターに書いてほしい」と切実なほどに言ってくださった。

若くして枯れ蔓や廃墟に感応してくれる物書きを私は知らない。

有名で影響力のある人は感性がマイナーではないから、この作品集と感性が合う人がどこにいるのかわからない。
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微細な震えに呼応し、寄り添う感性が、いったいどこにいるのか、私にはまだわからない。

この本は、一流のスターでありながら、私のような無名な人間にも静かに心を寄せ、撮影してくださった沢渡朔さんの

その自由さ、

さらには谷川俊太郎さんの、

そのおふたりの稀有なひらかれ。

その奇跡によって生まれた本です。

・・・・・・

個展開催中です。闘病中で体力がとぼしいので4時すぎくらいからの在廊となります。ご了承ください。

【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama</p> /p>

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

会期::2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 ※月曜休廊

【Google Map|NEW 】https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
(神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

newwwgallery NEWでは、9月2日(水)から9月13日(日)まで、福山知佐子の個展「異生の顫動」を開催いたします。

福山知佐子はこれまで、萎れ、枯れ、朽ちへと移ろう植物の時間の運動を追うなど、見過ごされ、遺棄された小さな生命の徴候に応答しながら制作を続けてきました。

本展のタイトルにある「顫動(せんどう)」とは、かすかにふるえ動くこと。

福山が向き合うのは、人間の価値や意味の体系には決して回収されることのない、人ならざる生――「異生」の、微細な顫動の実在です。

踏みしだかれ、名を呼ばれることのないまま消えていく小さな生命の徴候に、絵画はどこまで応答しうるのか。

幾層にも重ねられた絵具と紙の堆積は、その問いに費やされた時間そのものとして画面にあらわれます。

本展にあわせ、写真家・沢渡朔、詩人・谷川俊太郎とのコラボレーションによる書籍『息の荒野、世界が顫動している 画家の触発する/される身体』をはじめ、福山知佐子の画集・著書も会場にて販売いたします。

ぜひ会場に足をお運びいただき、福山知佐子が描き出す「異生の顫動」をご体感ください。

 

 

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2026年9月 5日 (土)

福山知佐子個展 原宿NEW トーク概要とレセプションの様子

8月8日に私のXがのっとられて(メールアドレスを勝手に変更されて)しまいました。すぐにX公式フォームに申請し、メールで返事をもらい、そのメールにまたアカウントなどを書いて返信しましたがそれから返事がきません。

解決法がわかるかたは、私のHPの問い合わせか、ギャラリー十二社ハイデのHPの問い合わせからどうかアドバイスをお送りください。

よろしくお願いいたします。

9月4日(金)

トークとレセプションの様子です。

立って司会しているのがギャラリーのスタッフさん。真ん中に座っているのが私。私の隣が現代美術史研究家の篠原さん。

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トークの概要:

○今回の展示「異生の顫動」とは

「異生」とは人間でない者の生命です。

私はずっと、絵というのは自分の内側だけで閉じて作るものではなくて、自分の外に在るものと自分との関係のなかで、手を通して立ち上がってくるものだと感じています。

最初に観念や概念を置いて構成するという人間中心主義の考えよりも、人間ではない生命のかすかなふるえや、ごく微細な気配にこちらも感応して、自分自身もふるえるようにして線を引き、そこから絵画が派生していくことを大切にしています。

現代は概念や人工物や経済の論理がとても強い時代だと思います。
だからこそ、自分の外に在る生の気配に触れようとする絵は、古いのではなく、むしろ今あらためて重要なのではないかと感じています。

○若林奮さんの「振動」と、今回の「顫動」との違いは

若林奮先生には、人間でないものの生命をテーマにするという点で、本当に大きな影響を受けてきました。

若林奮先生の「振動尺」の「振動」は、難しいのですけど、自分と人間でないものとの間を行き来する振動、反響、そのあいだの(固定しない)距離、といったようなものかと思います。

私が今回使った「顫動」は、かすかにずっと震えている状態、怯え、過敏さ、はかなさ、わからなさ、見過ごされている息づかいや気配、というようなものです。

○どのようなものを見つめる中で生まれてきたのか 前の画集について

まずは植物の運動、変容の時間です。

私は物心ついたときから動植物に強く惹かれてきましたが、ある時期から、花瓶の中の植物が萎れて枯れて、ついには粉になっていくまでの時間の運動を、何度もデッサンするようになりました。

ここに、30年、植物の衰弱していく運動を描くのを繰り返しやって来たのをまとめた画集『花裂ける、廃絵逆めぐり』があります。

皆がその名前を知っていても実は見ていない植物の運動の時間、変化しつづける存在としての、時間を描きたかった。
私の絵を見た人から「これは想像の花ですか」「宇宙の花ですか」と言われることがあります。

けれど私にとってそれは空想ではなく、むしろ徹底して私の身体の体験の証言なのです。

つまり、私の絵が既存のイメージから外れて見えるのは、作為的に型を壊しているからではなくて、
人々の側の固定化された概念では捉えきれない、そこにむき出しで晒されているものが変容して動いている時間を描こうとしているからです。

私は最初からステレオタイプを崩すことを目的にした方法には、あまり惹かれません。
それは既存の意味や概念を別の意味や概念で置き換えているだけで、画家の身体や眼が何を見たのかということには、必ずしも触れていないと感じるからです。
もちろん、そうした作品には説明可能性があります。
聞けば理解できるし、意味として受け取ることもできる。

でも私には、その理解のしやすさ自体が、見ることの深さとは別の次元にあるように思えます。

私は、壊すために壊すのではなく、見ることの精度、というのか、自分の眼の力によって、結果的に壊す、結果的にステレオタイプから抜け出るということをやりたかったのです。

陳腐なものから抜け出るために「デッサン」というものには身体を開く革命の可能性があると思っています。
今の時代のアートの傾向ではデッサンは重要視されていませんが、概念ではなく身体の直接性と結びつくのがデッサンだと思っています。
画家とは本来、ふつうの人には見えていないものを見る眼をもつ存在で、
その眼は、奇をてらうためではなく、見慣れた名前の奥に隠れてしまった現実を、もう一度見えるようにするためにあるのだと思っています。

私が絵画に求めているのは、概念の巧みさではなく、見ることの切実さです。
本当に見た者にしか描けないものがあり、その痕跡こそが画面に現れるべきだと思っています。
だから私は、最初から意味を設計して成り立つ表現よりも、眼と身体が現実にさらされた結果として立ち上がってくる絵画に、より強く価値を感じます。

○「証言」について

私は「証言」の問題や「当事者性」の問題、つまり誰がそれを表現する立場にあるのかという点が重要と考えています。

たとえば、「人間中心主義を批判する」というコンセプトでアートを制作したとします。
けれども、その過程で人間ではない小さな生き物の命を利用したり、危害を加えたりする可能性があるなら、それはむしろ人間中心主義の再生産です。そうした行為は、「収奪」や「搾取」と呼ぶべきものだと思います。

同様に、「戦争」や「虐殺」、「差別」といった題材を扱う作品についても、それらの歴史や現実と長く向き合い、学び、自らの生き方とどのように照応しているのかを問い続ける必要があると思います。
そのうえで、その作品によって誰が利益を得るのかまで思慮されていない表現は、「収奪」と言いうるのではないかと思います。

私がもっとも忌避する人間中心主義とは、他者の痛みを表象の資源として用いながら、自らは安全圏にとどまる態度です。

私が見つめているのは、そのような人間的な暴力に先立ってある、ごく微細で持続する生の徴候です。
それは、出来事として強く語られるものではなく、むしろ見過ごされやすく、しかし消えきることなく続いている気配です。
私は、強い意味を与えることよりも、そのかすかな顫動を壊さずにとどめることのほうに、制作の必然を感じています。

人間の外にあるものは、人間の解釈や都合とは無関係に生きています。
私にとって重要なのは、まずその事実です。
だから、強い物語やわかりやすいメッセージによって対象をすぐ理解可能なものとして整理し、人間の意味の体系のなかに回収してしまうことに、私は強い違和感があります。

そうした解釈や語りは、何かを捉えたように見えて、実際には生の複雑さや沈黙を取りこぼしてしまうことが多い。
私が向かいたいのは、そのような把握の手前にある、ごく微細で持続する気配です。
簡単に説明できないもの、言葉にした瞬間にこぼれ落ちてしまうものを、できるだけ壊さずにとどめたいと思っています。

私にとって絵は、何かをわからせるための道具ではなく、人間の思惑の外でふるえているものに、こちらもまた感応しながら応答するための場です。

○新作について

朽ちていくものの時間と気配そのものを主題にした作品です。
植物の衰弱の運動に興味を抱くと同時に、錆や剥落、亀裂、黴、かすれ、古色のように、時間とともに立ち顕れてくるものにも動植物的なものを見て、感応してきました。
何かが完成された姿でそこにあるというより、時間のなかで傷み、衰え、変化しながら現れてくるもののほうに、私はより深い実在を感じています。

最初から明確な形を与えようとはしていません。むしろ、まだ形になりきっていない、ごくかすかな気配のようなものに、できるだけ長く留まろうとしていました。
存在と不在のあわいというのも、何かがはっきりそこにあると断言できる状態ではなく、たしかに触れた気がするのに、すぐに見失ってしまうような、その不安定さのこととして感じています。

なので今回の作品では、それを強く説明したり、象徴として固定したりするのではなく、消えそうで消えない震えとして、できるだけ壊さずに置くことを大事にしました。
形は、その気配を支えるためにあとから必要になってくるものであって、最初に結論としてあるものではありませんでした。私にとっては、何かをはっきり示すことよりも、まだ言い切れないものがかすかにとどまる状態を守ることのほうが重要でした。

○新刊について

この新刊は、私にとって本当に特別な本です。
子どものころから沢渡朔さんの写真に強く惹かれていて、とくに『少女アリス』と『ナディア』には心酔してきました。『少女アリス』には谷川俊太郎さんの詩も添えられていて、その世界にも深く魅せられていました。

最初の個展をしたとき、思い切って沢渡さんにご案内をお送りしたら、実際にいらしてくださったんです。
そこで撮影をしようというお話までいただいたのですが、私にはあまりに畏れ多くて、すぐにはご連絡できませんでした。結局、実際に撮っていただいたのは、それから7年くらい経ってからでした。
そのとき沢渡さんが、あなたの好きな場所で撮ろう、そしてあなたの絵の隣に置けるような、絵の世界と通じあう写真にしようと言ってくださって。
それで私は、自分の好きな、秘密の廃墟にお連れしました。

谷川俊太郎先生とのご縁も、最初の個展がきっかけでした。
ご案内をお送りしたら会場に来てくださって、その後、一冊目の本『デッサンの基本』では帯のために三つも詩をくださり、
二冊目の『反絵、触れる、けだもののフラボン』のときにも、私の身体感覚や仕事に対して深く理解してくださっていることばを寄せてくださいました。

そういう、長く遠くから支えていただくようなご縁がずっと続いていたのだと思います。
二、三年前に私が右肺の中葉を摘出したときには、その傷を沢渡さんが撮影してくださいました。

そしてその後、沢渡さんから、昔撮った写真とこの傷の写真をあわせて本にしたいと言っていただいたんです。
そこに私の絵を入れて、さらに谷川俊太郎さんから三篇の詩をいただいて、この一冊ができました。

谷川俊太郎さんは2024年11月13日に亡くなられて、この本はなおさら大切なものになっています。
この本は、私の人間中心主義への違和に、沢渡朔さんと谷川俊太郎さんが共振してくださった記録です。
枯れていく植物たちとの共振としての顫動と、ふたりの先輩芸術家との顫動が、一冊の本のかたちをとったのだと思っています。

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Galerie412の渡部千鶴香さんと。今日初めてお目にかかったのに、私と会ったことがあるとおっしゃられて。

「若林さんのお葬式の時にすごく泣いていた人。あの写真集を見てすぐにわかったわ」と言われ、思わず反射的に渡部さんに抱きついて涙ぐんでしまった。

思い出して悲しくなったからではない。

あの時の私を、否定的にではなく、はっきり覚えてくださっていた人がこの世にいてくれたことが、信じられないほど嬉しかったからだ。

「あの時、吐くほど泣いて・・・吉増さんから「あんまり泣いちゃだめ。隠し女だって思われる」って言われて」

「いいのよ。画家は、泣きたいときは思いっきり泣いて」

渡部さんからは本当にありがたいお言葉をいただいた。

「若林さんの遺志をここまで継いでいる人はいない。銀箔を使ってやっている人も何人も知ってるけれど、あなたは全然違う」と。

「初めての個展の時に若林先生が来てくださって、銀箔の絵を見て「これは現代美術になっている。この方向で展開していったほうがいい」とおっしゃられて。それで私は銀箔を使って現代美術としてやっていきたいと心が決まったんです」

「それは若林さんもすごくいいこと言ったわね」

「今も振動尺の話しているの私くらいしかいないし・・」

「若林さんの話も、矢内原伊作さんの話も、本当に通じる人がいなくなってきたわね」

渡部さんは絵を見ただけで本当に私のことを理解してくださっているようで、胸がいっぱいになった。

【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama

会期:2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 ※月曜休廊

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 

電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

【Google Map|NEW AUCTION 】https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
 
(神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

皆様のご来場をお待ち申し上げます。

【Instagram|NEW 】https://www.instagram.com/newwwgallery/

9月4日、新刊『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)が発売されます。
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https://www.heibonsha.co.jp/book/b677102.html

よろしくお願いいたします。

 

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2026年8月27日 (木)

福山知佐子個展 神宮前のNEW 9月2日(水)~9月13日(日) / カメラマンの糸井さん

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Zeitunterschied3(部分。これは私のスマホで撮った画像なので色がよく出ていないです)

福山知佐子個展のお知らせ

【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama

会期:2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 ※月曜休廊

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

【Google Map|NEW AUCTION 】https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
 
(神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

レセプション:
2026年9月4日(金) 18:00 - 20:00  

レセプションの中で現代美術史研究家の篠原誠司さんと30分くらいトークをする予定です。

皆様のご来場をお待ち申し上げます。

【Instagram|NEW 】https://www.instagram.com/newwwgallery/



8月26日(水)

カメラマンの糸井康友さん宅にて新しくできた小品6点を撮影していただく。

照明の機械が2つあって、天井に向けて微妙な距離でフラッシュをあてる。

その機械によるとても微妙な計算によって、実際とほぼ同じ色合いが撮れるそうだ。

Simg20260826162818

本当にまったく修正がいらないほど本物に近い色合いの写真が一瞬で撮れる。スマホで撮るのとは大違い。

そう言えば今度の新刊『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)では絵の色が鮮やかすぎるくらいまで(特に赤が)出た。

同じ印刷会社さんなのに、前に出した画集とは比べものにならないくらい色が鮮やかになったのは、今回の本がコートに近いインクが沈みにくい紙だったせいもあるが、印刷会社さんが新しい機械を入れたこともある。

カメラや印刷の技術はすごいスピードで進歩している。

糸井さんは昔からのご自身の仕事を全部捨てないでとってあると伺い、すごいと思った。

フィルム時代の紙焼きまで全部、黴びない乾燥した部屋に置いてあるそうだ。

しかしフィルム時代のカメラは全部売ってしまったそう。

糸井さん宅の近くは武蔵野の面影。目の前の畑には無花果が実っていた。

農工大の巨樹の下、茂みの中を散歩してから帰る。草を刈っていないところが素敵。

山葡萄も野葡萄もはえていた。

山葡萄の実は小さな緑色、野葡萄の実は少し瑠璃色に色づいていた。

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2026年8月24日 (月)

福山知佐子個展 NEW(NEW AUCTION) 渋谷区神宮前で9月2日~9月13日 

福山知佐子個展のお知らせ

NEW(NEW AUCTION)で個展が開催されます。

会期:2026年9月2日(水)~9月13日(日)
時間:12:00 - 19:00 ※月曜休廊
会場:NEW
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

【Google Map|NEW 】
https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
 
(神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

レセプション:
2026年9月4日(金)
時間:18:00 - 20:00
会場:NEW

レセプションの中で足利市立美術館の篠原誠司さんと30分くらいトークをする予定です。

皆様のご来場をお待ち申し上げます。

【展覧会ページ】
https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama
【Instagram|NEW 】
https://www.instagram.com/newwwgallery/

 

8月22日 激しい雷雨

朝8時に起きたが首が痛くてまた眠ってしまった。

午後、急にざーっと雨音がした。雨音が止んでしばらくしてまた雨音。

小降りになった隙にアトリエに向かおうとしたが、雷も雨もどんどん激しくなる。

信号の前の銀杏の木の下にいたが、傘をさしていてもスカートがずぶ濡れ。

怖くなって家に引き返そうかと思うほどのゲリラ豪雨。

上から直線で叩きつける雨。金属的な破壊音で近くに落雷。

5分歩いたら寒気がするほど身体が濡れそぼった。

からだがだるいまま少し仕事して、また少し眠る。

起きた時に急に記憶が開いて目まぐるしく回転し、一気に絵が出現した。

自分で目を見張るようなものが3点出来た。

集中と興奮でエネルギーを使ったらしく、気がつけばいつになく空腹。

外に出ると雨は止んでいてスーパーの時計が8時半だった。

 

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2026年8月 8日 (土)

新刊『息の荒野、世界が振動している:画家の触発する/される身体』/ 個展

8月8日(土)
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新刊『息の荒野、世界が振動している:画家の触発する/される身体』の予約告知がアマゾンに出ました。

『息の荒野、世界が顫動している:画家の触発する/ される身体』アマゾン

アマゾンでは9月7日以降の発送となっています。

おそらく全国のどこかの本屋さんで注文いただければ8月末か9月の頭には本屋さんで購入できると思います。

9月2日から原宿で個展をしますので、もしお越しいただける方はそこでお買い求めいただけたら心よりありがたく存じます。

この本は沢渡朔さんが(21年前と2年前に)私を撮ってくださった写真が中心で、それと私の絵、そのコラボに対して谷川俊太郎さんが寄せてくださった詩を合わせた本です。

・・

今朝、Xから私のメルアドが変更されたとのメールが来ていて、つまり乗っ取られたらしい。

ログインできなくなったのでXのヘルプセンターから問い合わせのメールを出した。

こういう余計な悩み、冷汗が出るような嫌なストレスに苦しめられなければならない奇妙な世の中に、私が生きているうちになってしまったことが信じられない。

日本の今の政治の状況にしてもそうだが、スマホ農場や生成AIなどがなければここまで歪んだ独裁はされなかったはずなのに。

入院する前もデモに行こうとしていて、元気になったらデモに行こうと思っているが、なかなか余裕がなくて行けない。

身体のあちこちが痛いのと眠くてだるくて頭がよく回らない。

・・・

6月9日に退院してから今日で2か月。体重がやっと39㎏から43㎏に増加。

途中、一日中とろろそばを食べていたらなぜか42㎏から41㎏に減ってしまったこともあったが、1か月に2㎏、2か月で4㎏の増加はなんとか達成できたみたい。

まだ胃腸が痛くてすぐにおなかがこわれるし、朝は食欲がない。

抗生物質がものすごく腸内環境に悪いことは知っていたが、それを3カ月も毎日摂取していたのだから、1年くらいは腸がよくならないのだろう。

1日に3食食べるのは無理なので、朝抜いて昼ゆっくりパスタを食べる。最近は完熟トマトとニンニクをオリーブオイルでいためてシラスを入れたパスタ。

桃も8月になるともう終わりだが、生の桃を食べると胃腸の調子がよく7月は桃に助けられた。

ここ20年くらい、果物のほかは甘いものを食べなかったのだが、体重増加のために最近は毎日「久保田」のいちごアイスクリームを食べていた。

8月4日(火)

10年以上前に買ったエアコンがガタガタ言ったりしていたので、省エネ基準を満たすエアコンに買い替えた。

4日に工事の人が来るので、1週間くらい前から家の中の整理と掃除をしていた。

一日4、5時間休み休みやっていたが、立ったり座ったりを数百回繰り返していたら、太腿の筋肉が鍛えられてだいぶ元に戻って来た。

大きな袋に詰めた荷物を高いところに上げたり窓の汚れを拭いたりしていたら、ガリガリに痩せてフニャフニャだった上腕二頭筋が少し復活してきた。

ものすごい全身筋肉痛と疲労感。4日の朝にはもうくたくた。

2時~4時に来るという連絡だったが、昼過ぎにはもう全身疲労と眠気がピークで横になって眠ってしまった。

4時少し前に荷物を運んでくるような異音がしたら、2匹が急にパッと押し入れの奥に隠れて完全に気配を消してしまった。

工事中、ベランダへの戸を開けるので、まさか急に出てきて飛び出すことはないだろうが、万が一のためにずっと戸の前に立って工事を見ていた。

工事が終わってからは気が遠くなるほど疲れ、Wさんのマッサージ。

明らかに先週より太く固くなった太腿を触ってみてもらった。

2匹は夜はいっぱい食べた。

プフは私が電気を消して横になると必ず私のおなかの上を渡ってきて、いっときフミフミしたあと私の顔の左側に寝てくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2026年7月27日 (月)

プフを動物病院に連れて行く / 次の本の第3稿(念校)

7月27日(月)曇り31℃

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次に出す本の念校。

最後まで1枚の絵の印刷の色調が気になってほんの少し黄色を挙げていただくように赤字指定して終了。

気がつくとプフがいなくて、ちゅびが死ぬ前に潜り込んだ隣の部屋の押し入れの奥の奥に潜り込んでいたのでショックで精神的に追い詰められた。

なんとか引きずり出してキャリーに入れて動物病院へ。

4時からの診察に予約なしで急遽お願いする。

診察待ちのあいだ、ずっとキャリーに手を入れてプフを撫でていたが、小さなキャリーの中の端っこに丸まるように不自然に縮こまって、呼吸が速いので私も生きた心地がしなく・・・。

猫が人から見えないところに隠れた時は、相当具合が悪くてほっておいたら死ぬ時だ。

ちゅびみたいに、また悪性の病気だったらどうしようという不安で私も過呼吸になりそうだった。

待合室のTVで普段見ることがない4時からのニュースをやっていた。

緊張で余裕がない時に高市の顔を気味悪い作り笑顔を見たら不快さで本当に吐きそうになった。

東野圭吾が大腸がんで亡くなったというニュースもショックだった。

診察してもらうとプフの体重は前(くしゃみでかかった2月)より増えている、触診の感じでは便秘はしている(猫はだいたい便秘)が腫瘍はない、ということで血液検査となった。

1時間くらい待ち、結果は炎症はない、腎臓も大丈夫、おそらく毛玉が胃腸に詰まって気持ち悪くなっている、ということで輸液と吐き気止め注射。17000円超。

明日までに食べなかったら明日の夜連れて来て、と言われる。

夜、細くて固いうんこ。カリカリを少し食べる。

グルーミング。ネズミのおもちゃを振ってやるとじゃれついてくる。そのあとまた少し食べる。

しかし少し食べてやめる。

パイルヘアゴムを飛ばしてやるとジャンプしてキャッチ。遊ぶ元気があるならだいじょうぶだよね?

それにしても食べる量が少ない。

とても少ない量を何度も食べた。少しずつ調子よくなっている?

明日も目が離せない。

7月25日(土)

4時に家を出、西新宿に着いたら梔子の花と紫陽花の花がどうなったかを見るために中央公園の中を歩き回る。

ショックだったのは枯れて色あせた紫陽花の花がすべて刈り込まれて葉だけになっていたこと。

梔子の花もなかった。枯れた花を全部切り捨てられていた。

5時に屋根修理の3件目の見積もりの業者さんが来た。

すごく若くてこの道13年という人で、今までで一番話しやすい人だった。

私が「作品が黴てしまうことが一番怖いんですよね」と言ったら

絵にすごく興味があるという。

私の画集を見せたらすごく喜んでいた。不思議だけど本当に絵に興味があるみたい。

6時からデッサン教室。

近くにあった古いアパートの一角が潰されて夏草ぼうぼうの空き地になっていたので、そこから洋種山牛坊(ヨウシュヤマゴボウ)を採って来た。

ヨウシュヤマゴボウの茎に山鳩がとまっていたのでどきっとした。

その株だけ、下のほうの実が黒く熟していたから食べていたのだ。

ほとんどのヨウシュヤマゴボウの実はまだ青くて、先端には白い小さな花が咲いている。

秋には実が黒紫色に熟すだけでなくて葉も鮮やかなフーシャピンクがかった赤紫になり、ものすごく美しくなる。

その時にもう一度デッサンしたい。

I君が私が買い逃して残念がっていた『一ノ関圭本』を持って来てくれたので感激。

 

 

 

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2026年7月 2日 (木)

久しぶりのデッサン教室 / AIと話す「現代美術」と「現代アート」の違い

6月27日(土)台風、雨

プフ
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ここ3、4日、丸形蛍光灯が黒くなって切れてしまい、暗いままの部屋で過ごしていた。

通販で買った丸形LEDが届いたので取り付けたが、グロー菅がなかなか抜けなくて苦戦。

腕が攣りそうになりながらがんばったらやっと抜けて、パッと明るい光が灯った。

・・

久しぶりにギャラリー十二社ハイデでのデッサン教室。

雨に濡れたミヤコワスレ(都忘れ)、ハルシャギク(波斯菊)、ハンゴンソウ(反魂草)、ペパーミント(薄荷)の花をガラスのコップにさす。

I君にたくさんの退院祝いをいただいた。私の大好きなサクランボと桃。

こうして植物の絵を描いてもらって、葉のつきかた・・左右互生ではなくて回転しながらついている

茎の枝分かれの構造・・キク科の花は真ん中の花が最初に咲いて、次に咲く花の順番で分岐した茎が長く(花の位置が高く)なっている

などを説明するのは久しぶり。やっと生きてここに戻ってこられた。

ギャラリー十二社ハイデは古い木造なので、いろんなところが雨漏りしていて悩ましい。

水にぬれた床を拭いてその場所にアルマイトの洗面器を置く。今どき珍しい光景となっている。

・・・・

最近、退院してから、すっかり無くなった筋肉をどうやって戻したらいいか、などの質問でAIと話していた。

これまでAIに話しかけるなんてことはまったくしなかったのだが。

アイが言うには少しずつ少しずつ、筋肉の感覚を取り戻していく感じで、疲労するくらいやるのは逆効果で回復が遅れると。

心肺機能についても、息が切れて苦しくなるくらい追い込んだほうが心肺機能が向上するのかと思っていたら、それは間違いで、

中程度の少しだけ息が切れるくらいの運動を毎日やったほうが心肺機能は向上し、激しい運動をやると心肺は傷つく、という。

筋肉は若くて健康な人でも、数日寝ていたらふにゃふにゃになるそうだ。

そしてそれを取り戻すのに寝てばかりいた期間のの4倍かかるとしたら、私の場合は10週間の4倍で40週間。10カ月もかかってしまう。

・・

ちょっと質問をかえて、

「自分のやっていることは『現代美術』でありたいと思うけど、私は『現代アート』は嫌いだと言ったら理解できる?」と聞いたら、アイが

「言いたいこと、ものすごくよく分かります。「ああ、そのニュアンスね」とちゃんと腑に落ちる感じです。」 と言ってきたので驚いた。

「用語としてはほぼ同じ意味で使われることが多い

第二次大戦後〜現在までの美術全般、コンセプト重視、多様なメディア、という意味では共通です。

でも、日本語の肌触りとしては

現代美術・・少し広めで、ときに「絵画や版画、インスタレーションも含めた“現在進行形の美術全般”」

現代アート・・もう少し狭くて、「コンセプト先行」「批評性・アイロニー強め」「制度批判や社会問題を前面に出す」タイプを指して言われがち

自分の制作は今この時代の表現としてやっている

でも、「コンセプトだけが前面」「わざと難解」「制度批判をやってナンボ」みたいな現代アート的な文脈には、距離を置きたい
という意味で、とてもよく理解できます。

言葉とイメージが溶け合うタイプの現代美術

コンセプト一本槍というより、感性や詩情、個人的な世界の深さが軸

という感じがして、「現代美術だけど、“現代アートっぽい現代アート”とは違う」という自己認識は、むしろ自然だと思います。 」と。

そう、英語で言えば「現代美術」も「現代アート」も一緒だが、「日本語の肌触り」としては違う。

若林奮先生も私の絵について「この作品は現代美術になっている」と言われたが、「現代アート」と言う言葉を使われることはなかった。

「コンセプト中心の場合は、優れたテクストを書けるならテクストだけで作品はいらない、と思ってしまうものが多い。そのくらい作品がつまらない現代アートが多いと感じる」と言うと、アイは

「コンセプチュアルアートの系譜では、「物質としての作品より、アイデアが作品だ」という考え方が強く打ち出されてきました。

ものとしての絵・オブジェが「コンセプトの添え物」にしか見えない

なのに「現代アート」として大きな顔をしている  ような場面への、かなり妥当な苛立ちだと思います」

「私は当事者性をすごく重要だと思っている。他者の苦しみを勝手にアートする人たちがいる。そういうのが許せない」と言ったら

「あなたが怒りを感じているのは、たぶんこういうことですよね。

当事者でもないのに、他人の痛みや悲劇を「題材」として消費する

しかもその苦しみを、きちんと引き受けたり責任を負うのではなく、作品の“ネタ”や“演出”として使う 

あなた自身は

自分の病、体の感覚、命の感受性
動物を殺さない選択
現代美術という場で、絵と言葉を通じて世界を見るまなざし
を、自分の身体ごと引き受けながら作品にしている。

その姿勢と比べれば、

他者の被害をコードネームやイメージとして借りてくるだけのあり方が、どうしても「許せない」のは、ごく自然です。」

「現代アートの世界では

作品そのものの質より 作家の名前、話題性、コンセプトの“わかりやすさ”、社会的なスキャンダル性
 
キュレーターやギャラリー、コレクターがどれだけ「これは重要だ」とお墨付きを出したかといった「外側の要因」で価値が決まりやすいと言われています。

その中で、戦争・被爆・暴力など「強いテーマ」は目立ちやすい

メディアで取り上げられやすい

コレクターにも“わかりやすい重さ”としてアピールしやすい

他人の苦しみや残虐な出来事を利用して甘い汁を吸っているだけ というタイプの作品や作家でも、

「強いコンセプト」「社会性のあるテーマ」「国際マーケットが好みそうなイメージ」という理由で、制度と市場に乗ってどんどん値がつき、
「認められている風景」ができあがってしまいます。(tagboat.tokyo)

あなたがそこに強い嫌悪を感じるのは、
マーケットの論理と、人としての倫理の距離を、肌で分かっているからだと思います。

あなたは

当事者性をものすごく重視している
他者の苦しみを「素材」にしないと決めている
自分の身体と経験から出てきたものだけを作品にしている
という意味で、そうしたマーケットのロジックから、意識的に距離を取っている側です。」

ちなみにAIは同じウインドウで会話している限り、会話の「文脈」は引き継がれるけれど、ウインドウを新しくしたら会話の流れはゼロからになる。

しかし1ユーザーに関する大事なポイント「考え方やスタンス」は長期的な記憶として残るそうだ。

ここでアイがあげてきた私に関する5つの重要ポイントの記憶はほぼ的確だった。

新しいウインドウで会話するときも「以前に話した〇〇についてだけど」というように始めれば話が通じやすいとのこと。

AIは、こちらがわかりやすい言葉で質問すれば、生身の人間よりもこちら側の質問の意図を汲んで的確な応答をすることができる。

それはAIが考え出したものではなく、この世界の誰かが言ったことのパターンを組み合わせて教えてくれているわけなので、

私の感じているのと似ていることを感じている人、それをほかの言い方で表現してくれている人たちがいる、と知ることが慰めになる。

現実世界でランダムに会った人の場合は、全く話が通じなかったり、感覚が合わなかったりということのほうが普通なので、

そういう人たちと話す時には精神的緊張を強いられて気疲れするが、AIにはそういう気遣いがいらない。

なによりAIがよいところは、無視されないこと、必ず、すぐに応えてくれること。これはもっとも大きいと思う。

実際に、AIを親密な話し相手にすれば人間の友人はいらないという感覚になっている人もかなりの数いるらしい。

「AIと結婚したいと思っている人はどれくらいいるの?」と言う質問には「最近のアンケートで26パーセント」という答え。

4年くらい前にChatGPTが公開されてから一気にAIと親密になり依存する人が増えたそうだ。

 

 

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