芸術

2024年1月14日 (日)

寒中お見舞い申し上げます

1月14日(日)

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アネモネ(鉛筆、水彩)花弁はほぼ白い地にきれぎれの紫の線が脈に添って現れていた

寒中お見舞い申し上げます。

年末はエネルギーが切れてしまい、今年は1枚も年賀状を書くことができませんでした。

年賀状をくださったかた、ありがとうございます。申し訳ありません。

今年は私にとっては益々厳しい闘病の年になると思う。

 

 

 

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2023年10月13日 (金)

ギャラリー工

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10月25日(水)~11月3日(金)

12:00~19:00 最終日は17:00まで

丸の内線新高円寺駅からすぐ(JR高円寺駅からだと10~15分くらい)のギャラリー工で個展をします。

私は全日在廊する予定です。よろしくお願いいたします。

10月5日(木)

ギャラリー工へ。展示「birds」を見る。鳥をテーマにした木工、テキスタイル、陶器、鍛金の作品たち。

オーナーの始さんに、なんと車椅子のお母様を乗せて車で足利市立美術館まで私の展示を見に行ってくださったと聞いて驚く。

google検索では車で1時間半の距離と出るらしい。9月の連休で道路が混雑していたそうで恐縮。

足利は遠いので、私の友人、知人のかたたちは誰も行けなくて当然と思っていたのに、

詩人の飯島章さんとそのご友人、最近知り合えた声楽をやっておられるカナさんとそのご友人、大学時代の友人のアイコちゃん姉妹、陶芸家の新井さん、そしてギャラリー工の濱田始さんとお母様、拙著『反絵、触れる、けだもののフラボン』を読んで私を知ってくださったFさまとご友人

・・と、約11名は私のためにわざわざ見に行ってくださった。信じられない、本当にありがたいことです。

10月11日(水)

ギャラリー工へ。スペースが足りなくて絵の全部を展示しきれない可能性が高いので、窓の上にどうにかして展示できるかなどの確認。

窓に重ねてフェンスを取り付けて飾ることを試みたが、実際にやってみるとどうもあまり美しくない。

毎日、まだまだ作品を作って(破壊もして)いるので、どれだけの点数を出せるのかはまだ未定。

 

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2023年8月26日 (土)

足利市立美術館コレクション展2023レセプション

8月25日(金)

足利市立美術館コレクション展2023「色彩散歩」(8月26日~10月22日)のオープニング前日の特別公開を見に行く。

私はコレクション展と同時開催の「色彩の手ざわり」展で、9月12日から10月1日まで特別展示室(無料)で展示されます。

新宿11時40分発の湘南新宿ラインから東武伊勢崎線を乗り継ぐ。

電車の窓から見えた何もないのっぱらと広い空に気持ちは高揚する。
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1時半くらいに足利市駅に到着。美術館の特別公開は5時からなので、その前に足利を散歩。

真言宗大日派の本山鑁阿寺の門前蕎麦屋「菊屋」で韃靼そばを食べる。ルチン(ポリフェノール)が濃い緑色のお蕎麦。美味。

鑁阿寺は猫に優しいらしく、賽銭箱の上に外猫の写真と説明が掲示してあった。

そのあと、たくさんある古いお倉や古いお店、廃墟の写真を夢中で撮って歩いた。

古い塀。錆びたトタンの下から土が剥落している。
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篠崎印刷という古い小さな家の向こうに劇場通りというすごい看板を見つけて興奮。
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かつて劇場だった場所。
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劇場の正面の写真を撮り忘れた。また必ずここに来ようと思う。
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博仁堂薬局。
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お倉のスナック「ロマン」。
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「各種工業用金馬印ミシン糸」の看板がある古い木のお店。
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たくさん歩き回って写真を撮り、4時40分くらいに美術館へ。

一階の1室がすべて加納光於の「「波動説」ーintaglioをめぐって」の展示。それだけでも十分見ごたえがあるのに、大きな部屋全4室、プラス小さな特別展示室も展示がある。
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本日だけは撮影自由、SNSで発信するのも自由ということ。
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「色彩の手ざわり」展では3人の個展が順番に開催されるが、その1番手のさいとううららさんに篠原さんから紹介していただき、最近の版画の技巧についてのお話を聞いたりできて興味深かった。

5時半くらいから学芸員の篠原誠司さんによる作品解説があった。皆でぞろぞろ後をついて説明を聞く。

「波動説」全33点のうち30点を加納光於さんからまとめて寄贈されたとのこと。画像で見た時はデカルコマニーかと思ったが、全部銅版画で、しかも油彩画のような鮮やかさ。インクも加納さん本人が作っておられるそうだ。

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若林奮先生の「SURHUR DRAWING NO.30」の一部。黄色い部分は硫黄で、実際に見ると盛り上がっている。
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若林奮先生の「飛葉」。葉は描かれてなく、葉が飛ぶ時のまわりの空気が描かれていると言われている。
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清水晃の「漆黒から」。よく見ると漁師が使う道具や漁船の計器類などがいっぱい。富山の海沿いで生まれ育った清水晃の原体験によるものだそう。
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全体で展示作品は110点もあったが、すべての作品を一点ずつ解説してくださった篠原さんのおかげで、いろいろ勉強になり、楽しい時間をすごさせていただいた。

カメラを持って歩きすぎたせいで、駅に向かう道で脚が攣りそうになり、もうふらふら。

8月19日(土)

足利市立美術館の特別展示室に9月12日から展示される作品の搬出。

篠原誠司さんが運搬業者さんと共に来てくださる。

美術運搬用の大きなトラックは一回10万円もするそうだが、荷台の内側を覗くと、床から50cmと1mくらいのところに作品を固定するバンドをつける装置がめぐらされてあり、なるほど作品が痛まない仕様の特別なトラックなのだとわかった。

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2023年5月28日 (日)

宇野亞喜良「蕉風展」、『オールド・ポッサムの抜け目なき猫たちの詩集』

5月21日(日)

Galerie LIBRAIRIE 6(シス書店)宇野亞喜良「蕉風展」へ。

『オールド・ポッサムの抜け目なき猫たちの詩集』(T.S.エリオット・詩、宇野亞喜良・画、佐藤亨・訳)を出版した球形工房さんと一緒に。

宇野亞喜良さんは私が小学生の頃から最高に憧れの絵描きさん。

私が生まれた新宿の、その頃のアングラで反体制でかっこいいイメージと宇野亞喜良さんの毒があって挑発的なイラストのイメージが重なる。

そして少女の頃に夢中で読んだ寺山修司とのコラボの新書館の詩集、どうしても、私は死ぬまであの頃の宇野亞喜良さんが見せてくれた気だるくて妖しい夢から抜け出せない。

宇野亞喜良さんと奥様の美恵子さんが到着し、訳者の佐藤亨さんと一緒に『オールド・ポッサムの抜け目なき猫たちの詩集』にサインしていただく。

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サインしてくだっさている間、左手で、本を90度傾けて宇野亞喜良さんが描く線に、その時間にすべてを見逃さないように眼を集中していた。
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ぞくぞくとお客さんが増えて、三枝子さんが「サイン会になってしまう」とおそれる。

宇野亞喜良さんと三枝子さんの沢渡朔さんが撮ったヒッピーぽい写真、最高に素敵で、大きなポスターにしたいくらい、と私が言うと、三枝子さんは「黒歴史よ~。でもあの頃があったから今が落ち着いていられるんだと思うわ~。」と。

三枝子さんは芸能界が合わなくて早くやめたかったそうだ。そして昔の原宿や表参道がどんなに素敵だったかのお話。

宇野亞喜良さんの絵はますます生気を帯び、華やかで、少女は愛らしく。

宇野亞喜良さんは正直で才能に溢れ、恐ろしく話が面白い。

劇団四季のミュージカル「ライオンキング」で、元の舞台では黒人が頭に草をつけて出てくる場面を、日本人が黒く塗らないでやったから面白くない、とか、「これ、文字読める?」とある本を開いて見せてくれて、ブックデザインがまずいことをはっきり指摘したり。

そういう芸術家そのものの宇野亞喜良さんのお話を聞いていると、私の心(頭)は嬉しくてたまらなく高揚する。

画家や文筆家でも、その道の「専門家」であって「芸術家」ではない人が多い。

この詩集はミュージカルCATSの原作になったものだが、宇野亞喜良さんはミュージカルとは違う、元の詩に寄せて、さらに元の詩からも少し違う宇野亞喜良独特のイメージを膨らませて自由に絵を描いておられる。
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佐藤亨さんは日本エリオット協会の会長で、原作を生かした意欲的な新訳。

 

 

 

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2023年3月18日 (土)

もうすぐ手術(甲状腺癌の肺転移)、合田佐和子展、椿園

3月14日(火)

手術前の執刀医との最終面談。

「手術後、痛くてもびっくりしないでくださいね。肋間神経を切るんで痛いのが当たり前なんで。」と念を押され、

こんなに何度も「手術後はすごく痛い」と言われると、余計痛く感じてしまうんじゃないかなあ、と思う。

そのあと麻酔科の先生から全身麻酔と硬膜外麻酔の説明。

説明されればされるほど、考えもしなかったリスクを知って不安になる。

生存するために必要な手術に伴う苦痛だから受容するだけ。手術できることをありがたく思わないといけない。

ちなみに最初の甲状腺癌摘出の手術では、耳の下から鎖骨の中央の上を通って反対側の耳の下まで首をU字に切って、上にはがして

甲状腺、副甲状腺、リンパ節転移多数を郭清したのだが、

首の前側の神経を多数切断したせいか、麻酔から目覚めても傷はまったく痛くなかった。

眼が覚めた瞬間に思わず「先生!」と主治医を呼ぶ声が出てしまい、自分の声が(左の声帯筋肉を切断したため)かすれて男性のように低かったのにびっくりしたのを覚えている。

麻酔で寝がえりを打てなかったせいで、むしろ首の後ろ側のほうが凝りで痛すぎて、すぐには動けなかった。

首の前側の切断された神経はなかなか戻らず、10年以上、皮膚が麻痺して感覚がなかった。

3月16日(木)

手術前、最後の神代植物公園。枝垂桜の樹は3部くらい咲いていた。

椿園。早咲きの花はもう落ちていた。爛熟した空間の中で白い花に惹かれた。
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帰りはバスで三鷹に出て、コラルで食事し、三鷹美術館で合田佐和子展を見た。

すごく共感したのは、若い頃に台所やリビングで絵を描いていたこと。引きがとれなくて絵が歪んだだなんて素晴らしい。

私はいまだに台所で立ったまま描いている。アトリエなどない。

猫が3匹も狭いところを走り回っているので、静かに落ち着くすっきりとした場所などない。

初期の廃品のオブジェが手芸の本になっていたのに驚いた。廃品や貝殻やガラスを拾うのが好きなのも私と同じ。

合田佐和子のすごいところは、内容(人間を描いているとか情念がどうとかの言葉)がなく、視覚効果だけで、どす黒いものやぬるぬるしているのに強靭な何ものかを描けているところだと思う。

今流行りのイラストっぽい絵とは全く違う、分厚い抵抗感。凝縮したエロスと華やかさ。

瀧口修造にいかにも好かれそうだ。

合田佐和子さんはよくいる絵がうまい人とは明らかに違う、芸術家という感じがする。

何が違うかというと、生活と創造の境目がないこと、そして文章。

それが芸術家の文章なのか、単にちょっと絵がうまいだけの人の文章なのかは歴然としていて、一瞬で見分けがつく。

合田佐和子さんとは種村季弘先生に誘われたスパンアートギャラリーの集まりでお目にかかったことがある。

種村先生の泉鏡花賞受賞パーティーには、それこそ綺羅星のような芸術家たちが集まっていたけど、その時は合田さんは来てらっしゃらなかったと思う。

掲示されていた解説によると、合田さんはチャネリングとかスピリチュアルなものに傾倒されたり、精神を病んで入院されたこともあったらしい。

・・・

ギャラリーのことで悩んでいる。

今年の秋にうちの近所で、何も邪魔なものがないニュートラルでフラットな、ただ絵を展示できる少し広い場所を借りたかっただけなのに、

こんなに余計なストレスを与えられるとは夢にも思わなかった。

つまりは余計なノイズが入ってくるということ。

オーナーが絵に興味がなかろう(本人は興味があると言うだろうけど)が、余計なコンセプトを掲げようが、誰を応援していようが、私には何の関係もない。

しかし私が展示する場所に余計な(幼稚で他者の誤解を招くような)ものが関係してくる(関連付けられてしまう)となれば、私の展示に実害をもたらすので、私からは拒絶するよりほかない。

言うべきことはメールではっきり伝えた。あとは手術後までもう考えたくない。

 

 

 

 

 

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2023年2月17日 (金)

造影剤CTの結果 手術 / 東京画廊+BTAP 山本豊津さん

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プフ(左♀)とチョッピー(右♂) 代わる代わるにお互いを舐めあう

2月16日(木)

造影剤CTの結果と今後の方針を伺いに国立がん研究センター中央病院へ。

3時の予約の1時間以上前に再診受付をしたが4時近くまで待たされ、緊張で精神安定剤を飲んで待っていた。

私が一番怖かったことは脳転移だ。

前回、生まれて初めて「頭と」首と肺の造影剤CTを撮られたことで、私はもう脳転移を疑われる段階に来ているのかと思い、ここ数日はとても苦しんだ。

もう命の時間が残り少ないとして、どんな絵を描くのかと自問自答して追い詰められていた。

4時近くに呼び出しベルが鳴った時、からだが震えた。

Y本先生は手術が長引いて遅れられたとのこと。

結果、「脳はきれい」ということで、脳転移がないと知ってものすごく嬉しかった。

Y本先生は、A井先生から託されたCDの中にある私の手術から何十年分もの肺のレントゲン画像を見、A井先生からのお手紙をよく読んでくださったそうだ。

甲状腺と副甲状腺全摘の手術の時から存在していた肺の粟粒状転移については、造影剤CTの結果、ほとんどがそれほど大きくなっていなく、石灰化していると。

「石灰化」とは甲状腺癌の乳頭癌の特徴で、まわりのカルシウムを取り込んで固まる、そうなればあまり増殖しないで安定とのこと。

しかし私の右肺の真ん中の塊はここ数か月で1cmから4cmまで大きくなった、この部分は石灰化していない。この塊はほかの粟粒状転移とは性質が違い、それよりは悪性。

方針を決める会議で頭頸外科のY本先生と呼吸器外科の先生、放射線科の先生、病理科の先生などでミーティングしてくださった結果、呼吸器外科の先生も手術を勧めた、そして放射線科の先生も、私の場合広範囲の放射線照射になるので危険、と言われたそうで、そうなればもう手術しかないと。

手術で塊を摘出すれば、塊が甲状腺がんの(より悪性に)変化したものなのか、それとも肺癌なのか、組織を分析することができ、今後の治療に役立つとのこと。

血液検査の結果、甲状腺がんのマーカー、サイグロブリンは高い、だから肺癌ではない?

甲状腺癌の未分化癌(乳頭癌よりはるかに悪性)に変化したわけではない、未分化癌ならばサイログロブリンは高くならないとのこと。

まわりの粟粒状転移より増殖が速いので、できれば早く切除した方がいいというお話で、すべておまかせします、とお願いした。

私が肺の切除手術についてすごく怖がっていると呼吸器外科のY倉先生から聞いているらしく、

「手術は必ず3人くらいの外科医がつきます。ベテランの医師がそばで指導しながら若手の医師が執刀するほうがうまくいったりします。その病院のチームが優秀なら誰が執刀しようとも大丈夫です。」と言われた。

来週、呼吸器外科のY倉先生と面談して、手術の申し込みを確定し、順番待ちになる。国立がん研究センター中央病院は全国から肺の手術の希望者が集中しているので、おそらく早くても3月末か4月頃になるのではないか、とのこと。

Y本先生は「ぞくりゅう(粟粒)」状転移のことを「アワつぶ?クリつぶ?いやクリじゃないですよね。米と木の違いでしたっけ。」と言われたので笑ってしまった。「クリじゃ大きすぎますよ。」「老眼なんでよく見えなくて。」

笑わせようとしてわざと言っているのか本当にわからないのだが、とても気さくなY本先生はこう見えて国立がん研究センター中央病院の副院長だ。

とりあえずまだ延命できそうなので少しほっとした。

・・

すぐ近くなので帰りに東京画廊+BATPの山本豊津さんを尋ねた。

東洋的な絵画、素材とそれを生かす技法についてのお話。「最近の日本画はただのイラストになっている。」とのお言葉。とてもよくわかる。

コンセプチュアルアートには素材がない(素材が関係ない)、それらはテキストだけでよくて、作品(もの)はいらない、

「身体がない、感触がないということですよね。」と言うと「そのとおり。」

中野弘彦さんの最晩年の絵についてのお話。

中野さんは創画展に出されていて(創画展は恩師、毛利武彦先生や麻田鷹司先生が会員で、昔は必ず見に行っていた。春季創画展には私も何度か出していた。)、とても気になる画家さんであったが、その最晩年の筆致の無い絵に山本豊津さんはとても惹かれたそうだ。

つまりありふれたやりかたではなく考えぬかれた独自のやりかたで素材にアプローチすることによって、

出現するもの、作為や意図を超えた出現について話しておられるのだと思う。

「人は意味を見てしまうので作品そのものを見られない」と言われたこともそのとおりだ。

絵を「わかる」と言っている知識人が、実際はまったく絵を見ることができないで、ただそこから読み取ることのできる「言葉」や来歴だけで判断して「よい絵」と言っているのを嫌というほど見てきて失望した。

その絵と作者の来歴、美術史上の位置を知らないで、その絵の良しあしを初見の一瞬で把握できる知識人にほとんど出会ったことがない。

ごく少数だが私がぞっこんだった芸術家たちはそれが当たり前にできたし、私を感嘆させる詩的な言葉で、その作品を短く端的に表してくれもした。そのたびに私は心底うっとりした。

「ことば」でないものを見たい、という人は多い。が、「ことば」でない「もの」を見ることのできる人はほとんどいない。

・・・

帰宅して玄米豆ご飯と釜揚げシラスでビールを飲んだ。お酒も特に控える必要はないと言われたのでひとりで乾杯。

 

 

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2022年10月30日 (日)

北海道の花輪和一さんとの1週間の記録(4)

10月22日(土)

今日は道立自然公園野幌(のっぽろ)森林公園へ。

「野幌森林公園に行くのはどう?」と花輪さんに言われて、今度こそは一応PCで調べ、キツネやリスに会えるかもしれないと書いてあったので「行く行く!」と。

札幌駅から電車で15分ほどで森林公園駅へ。札幌中心部から意外に近い。駅を降り立つと赤錆色の北海道百年記念塔が見えるので、そこを目指して駅から15分くらい歩く。

森林公園へ行く緩やかな坂を上がり、入口少し手前、左側の高校のフェンスに目が覚めるほど鮮やかなヤマブドウの蔓が繁茂しているのを見つける。フェンスの中では高校生達が野球をしている。

公園の記念塔口に着いたのは11時過ぎ。素晴らしいことに入場無料。受付の地図をもらって、とりあえず森の中を大沢の池まで行ってみようかと歩き出す。

今日は真っ赤に紅葉したヤマブドウの葉を探して歩いた。

またキラキラした金色の道。しばらく歩くと、折れて傾いだ白樺に複雑に絡まりあったヤマブドウを見つけて興奮。

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ああ~素敵!と言いながら、それぞれの樹に絡まった無数のヤマブドウに出逢い、感激しながら林の中を歩く。

歩いても歩いても、原生林は地図で見た感覚よりずっと広かった。1時間半くらい歩き、やっと大沢口(目的地の大沢池までの半分の距離)に着いた時には頭の血が引いてくらくらするほど空腹で、とりあえず駐車場わきにあった自販機で藻岩山のてっぺんで飲んだのと同じカフェオレを買う。

カフェオレは牛乳入りで約160kcl。これを飲んだだけでそうとう元気になる。そのあとベンチでおいしそうにおにぎりを食べている家族を横目で見ながら、花輪さんが持ってきていたピーナッツを数粒食べる。「ああ、生き返るね~、こんなにピーナッツがおいしいと思ったことはないね。」と笑う。

つまり各入場口にひとつの売店も食事処もないのである。またまた軽率に、食事のことを考えないで来てしまった。

さすがの花輪さんも「疲れた・・」と言って、脚の調子を気遣ってそうとう念入りにストレッチしていた。

そのあと、大沢池に行ってこの場所に帰ってくるだけで2時間かかるから大沢池はやめよう、ということで近くの「自然ふれあい交流館」へ。

交流館の職員さんに「瑞穂の池まで行くのとふれあいコースで記念塔口まで戻るのと、どちらのコースがおすすめですか?」と尋ねると、「瑞穂連絡線は今、スズメバチが出て閉鎖されているのでふれあいコースがいいのでは。きれいな草原を行き、そのあとまた水が少し流れる林の中を行きます。」とアドバイスを受ける。

ふれあいコースを行き、すぐにまた素晴らしいヤマブドウを発見。青空を背景にたくさんの果実がなっているのが見える。

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ヤドリギの樹がある草原。

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草原を過ぎて、再び林の中へ。
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恐ろしいほどたくさんのヤマブドウを見る。今日はヤマブドウ天国。

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そうしてやっとこさ初めの記念塔口に帰ってきたのだが、ここで花輪さんが「どうする?まだ2時半でしょ。瑞穂の池まで行ってみる?」と言うのだ。

なんだか私もまだ行ける気がしてきて、バス停でバスを待っている人たちを通り過ぎてふたたび原生林の中へと下る。

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瑞穂池までのコースにはとても素敵な木橋があった。

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ここから山道を登り、北海道開拓村の横の細い道を通り、瑞穂池へと下る。

瑞穂池。
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瑞穂池前のあずまやでも花輪さんは煙草を吸う。

そこから開拓村前まで歩いて戻り「このバス停でバスを待つ?」と言ったが、やはり来る時に坂の途中にあった高校のフェンスの素晴らしく見事なヤマブドウを写真に撮って帰ろうということになる。もう陽が翳ってしまうので急いで早足で行く。

今時、警備が厳しいのに高校なんて入れるのだろうかと思ったが、すんなり入れた。フェンスの前は一般の自転車置き場にもなっているようだった。

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ヤマブドウ越しに北海道開拓100年の塔を望む。

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日の暮れた札幌に戻り、4年前に一緒に食事した時計塔の隣のビルの地下の店に行ってみたが、店の内容が変わっていた。

歩き疲れすぎたせいなのか私はなぜかまた食欲が出ず。

その店で少し言い争いになってしまった。私が「天然記念物や道立の自然林の中くらい煙草を我慢できないの?」と言ったからだ。

それに対して花輪さんは「福山さんにだってどうしてもやめられないものがあるでしょう?ビールとか。」と。

「私はお酒はやめられるよ。実際に風邪ひいたときなんかぜんぜん飲まないし。私がどうしても苦しくて我慢できなかったのはちゃび(猫)が死んだときだけ。猫のいない生活だけは耐えられなかった。」と言うと、

花輪さんは「それと同じだよ。」と。

これには頭に来てしまい、私はそれ以上食べられなかった。

また、明日朝9時に近所の老人たちが集まり、家の前の花を一斉に引き抜く作業をするというので、「まだ咲いているのになぜ抜くの?もうすぐ自然に枯れるでしょ?」と言うと

「それが毎年の決まりだから。」と。

悔しさがおさまらなくて帰りの地下鉄の中で少し涙が出てしまった。

家の近くのバス停に着くともう真っ暗だった。私は走って行ってまだ咲いている大きなコスモスを1本引っこ抜いて持ち帰り、玄関に置いて「バケツを貸して。」と言った。

すると花輪さんは「うちには花瓶なんておしゃれなものはないんですよ。高級な家じゃないんで。」と。

思わず「私は花瓶とはひとことも言ってない!このうちに花瓶がないことなんて百も承知!私はバケツと言ったの!私だって高級な暮らしなんかしてないんだから変なこと言うのやめて!」と強く言ってしまった。
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プラスチックの容器に入れたコスモス。見事な枝ぶり。

「さっき、花輪さんが煙草やめられないのと、私が猫を飼うのと同じと言ったけど、全然違う話でしょ?私は少なくとも4匹の赤ちゃん拾って、それは愛情関係なんだよ。花輪さんのはただの依存症、自分勝手なだけじゃない。」と言うと、

「そのくらい苦しいのは同じってこと!やめたくてもどうしようもできないってことだよ。軽いのにかえてるし、喫う時は離れてるでしょう。」と言われて、言い返すことができなかった。

意志の弱さの問題ではなくて、他人には計り知れないほどの闇、欠落、愛情の飢餓があるということなのだろうか。

そのあと私は引っこ抜いてきたコスモスを描いていた。

花輪さんとは言い合いになるのは珍しいことで、言い合いになっても引きずるということはない。

重要なことは、花輪さんが「言い返すことができる」人間は、おそらく私一人だということだ。

 

 

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2022年10月17日 (月)

ひろき真冬さんとお酒を飲む

10月15日(土)

ひろき真冬さんと夕方6時に中野で待ち合わせ、ひろきさんお気に入りのお店に連れて行っていただく。

私の個展のお祝いと言ってくださり、あまりに恐縮。

私が肉を食べられないのでお魚だけのお店。ビールの大瓶で乾杯。

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そして、なんと私のために、ひろき真冬さんのデビュー第2作「幻想鬼」や花輪和一さんの「怨獣」の載っている1974年の『ガロ』と、ひろきさんの最初の単行本『K,quarter』と宮谷一彦さんの新聞記事のコピーを持ってきてくださっていて大感激。

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『K,quarter』に関しては私も購入して持参していたので、それにサインしていただく。

ひろきさんの生い立ちのお話。それから、漫画に夢中になり高校生の時に宮谷一彦さんのところに遊びに行くようになったこと。

ひろきさんが高2の時に、宮谷さんのアシスタントだった宮代洋司(はっぴいえんど「風街ろまん」の内ジャケットの都電を描いた人、のちの空飛光一)さんが辞め、

さらに高3の夏休み前に残りのアシスタント全員が辞めてしまい、

宮谷一彦さんに「お前の夏休みをおれにくれ」と言われ、たいへんなことになったことなど、宮谷さんをめぐるたくさんのエピソードを伺う。

非常に細かく具体的に、当時の時代背景なども併せて話してくださるので、私はメモを必死にとりつつも、おいしいお魚を食べ、ビールはどんどん進む。

ひろきさんの言葉にはもったいぶりや飾ったところがなく、すべてが「証言」として、情景が私の身体を通して見えるように感じられた。

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大海老やニシンの炉端焼き、揚げ出し豆腐など食べ、ふたりで大瓶4(~5?)本飲んだ。私はいつもならそんなに飲むと気持ち悪くなるのだが、興奮していたせいか頭は冴え、それほど酔わなかった。

岡田史子さんや合田佐和子さんの思い出の貴重なお話も伺えた。

私は合田佐和子さんとお目にかかれたのは種村季弘先生によんでいただいたスパンアートギャラリーでの集まりで。

岡田史子さんとは、高円寺文庫センターのサイン会(すごくどきどきして行列に並んだ)で。いずれも2000年を少し過ぎた頃だったように思う。

ちなみに初めてスクリーントーンを削るテクニックを生み出したのはひろきさんだそうだ。その頃、ドットの印刷面が裏(紙に貼り付ける面)から表に変わったので、カッターで削れるようになった。それまではホワイトでドットを消していたとか。

2件目は中野のSと阿佐ヶ谷のDと高円寺の「なんとかバー」とどこがいい?と言われ、なんとかバー(素人の乱)が選択肢に入っているのにびっくりした。

今日のところは中野の隠れ家のような小さな白いバーへ。
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中野の私の好きな裏道にこんなお店があったの?と驚く。

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日本ではあまり手に入らないと言う珍しいジン「ノストラダムス」(青い瓶、ミント風味)のソーダ割を飲んだ。
左からひろきさんのボトル、緑色の瓶が「パラケルスス」(レモングラス風味)。
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話が盛り上がりすぎて、私は酔いで倒れないように途中、温かいお茶やレモンのソーダ割をいただく。ひろきさんは「なんでも(飲み物の)わがまま言って!」と言ってくださる。

「実は私、ひろきさんの最初のレコード持ってるんですよ。」と言うとすごく驚かれた。

「Onna」のレコードの「コルティジアーナ・ダル・ベーロ」と「胸をつつんで・・・」は、当時何度、繰り返して聞いたかしれない。

楽器を演奏しているようには思えないあまりにも不思議な音、妖しく美しい景色に全身が侵され、めまいする衝撃。

当時、私にこのレコードをくれたのは宮西計三だ。私はその頃、宮西計三の卓越した線と詩に心酔していた。

ひろきさんは宮西さんとの出会いと、どうやってこの不思議で刺激的な音ができたかを話してくださった。

マイクが無かったのでカセットデッキを録音状態にしてティアックの244に繋げたとか。

ひろきさんはバーボンのボトルを飲み干し、目の前で新しいボトルを入れていたので、空いたひろきさんのイラストの描いてある瓶を記念にいただいた。

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「胸をつつんで・・・」の最後のカラスの泣き声のリフレインも偶然で、声を録音している時に窓辺にカラスが来たんだ、と聞いて本当に驚いた。

「あの時はケミストリーが起きた。作ろうとしてやると構えてしまう。そうじゃなくて二人で落書きみたいにしてつくったから。」と。

ひろき真冬さんは「宮谷一彦先生と宮西計三君は似てる」と言った。その意味が私にはすごくわかる気がした。

また、私の絵に「シンとくる(沈黙させる)ものがある」と言ってくださった。

才能とエゴ、表現者どうしの共鳴と軋轢、作品と作者・・・私が常にもっとも関心がある問題を、信じられないほどストレートに語ってくださり、本当に濃くてありがたい時間だった。

ひろき真冬さんはたいへん紳士的なかたで、さりげなく濃やかなお気遣いが(私に対しても、店員さんに対しても)すごくて、その穏やかな明るさ、優しさはお酒を飲んでも少しも乱れない。

なによりもお酒が進んでもことばが的確で、核心からぶれない(フェアである)ことに驚嘆した。

ロックをやって絵を描いていて見た目もおしゃれで、それでいてこれだけ自然に話ができるかたと私は初めて出会った。

私もすごい量を飲んだのだがふらつきもせず、ちゃんと高円寺駅から歩いて帰った。家に着いたのは午前零時近かった。

 

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2022年10月 5日 (水)

個展最終日の記録

10月2日

吉祥寺ギャラリー・リテイルでの個展最終日。

きょうはtwitterでゆるく繋がりながらもお顔を知らなかった「ちゃっく」さん、「くらげなす」さん、「踏」さんらが来てくださった。初めて対面させていただけて感激。皆さん、とても魅力的なかたでした。

画家の宮本能成さんと。
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音楽家のすずきみゆきさんと。みゆきさんは音楽家の桑原洋明さんの奥様。
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私が桑原洋明さんと知り合ったのはまだ20代の頃で、桑原さんは浮世離れしているほど芸術家らしいかたで、「虚飾は排さなければならないんですよ」といつもおっしゃっていた。絵を諦めそうになっていた私は何度も励まされた。

上村松園の絵、「焔」を見て、源氏物語の葵上の嫉妬をテーマにした楽曲を作曲し、その発表会に連れて行っていただいた思い出がある。尺八奏者が何人か並んで吹くのだが、あえて音を出さないように、微かな息(風)の音だけで演奏する非常に個性的な曲で、強く印象に残っている。

その演奏会のパンフレットに桑原洋明さんは「思うことは苦しい。それは限りなく背反律から遠ざかるからです。」という文章を書いていたのも記憶に残っている。

ほかにも私のブログを読んでくださっているという方が来られて、感想をいただいて本当にありがたかった。私の文章の「美しいもの」について書いている部分も好きと言ってくださり、感激。

ポルトリブレ デ・ノーヴォで私の銀箔シリーズ3点をお買い上げくださったお客様、Tさんも、お忙しいのに来てくださった。

そして私の恩師、毛利武彦先生の娘さんご夫妻がお見えになったので、すごく驚いて涙が出てしまった。毛利先生の奥様宛にご案内はがきを送っていたので、それをご覧になってわざわざお運びくださったのだ。

スマホのビデオ通話のアプリで、毛利先生の奥様のやすみ先生と繋いでくださった。やすみ先生は92歳になられたそうだが、想像していたよりはるかに明るくてお元気で、楽しいおしゃべりがお変わりなく、お顔を見て話すことができて本当に嬉しかった。

吉田文憲さんの教え子の詩人の田中さとみさんと。
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クローズ前にやはり吉田文憲さんの教え子の紫衣さんがタクシーで駆けつけてくれた。一緒に写真を撮るのを忘れて残念。

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最後にギャラリーオーナーの申さんに「お世話になりました」とご挨拶。申さんは私の絵を「とても素敵で哲学的。大好き。」と言ってくださった。

私はこのギャラリーの外観の「修復していないところが、ものすごく好きで、希少だと思う」とお伝えすると、「そんなことを言ってくれる人こそ希少」とたいへん喜んでくださった。

ずっと不思議に思っていたこと、「re:tailという名前はどういう意味なんですか?」と質問すると、どこかで飲んだワインのボトルにそんな名前があった?とか。

re は「再生」を表す意味で、tail(しっぽ)は「私はシャイだから真正面から握手して人とつながるのは難しいけど、しっぽとしっぽならつながれるかな・・と思った」ということです。

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2022年10月 1日 (土)

個展4日目、5日目、吉祥寺ギャラリー・リテイル(gallery re:tail)吉田文憲さんがやっと来廊

9月30日(金)

Twitterで知りあったOさんが来てくださった。出版、印刷などに深く関係するお仕事だとお聞きして、ご縁を感じた。とても詩がお好きでお詳しく、楽しい時を過ごさせていただいた。

吉田文憲さんのごく初期の詩集『人の日』や『遭難』などまで持っておられると聞いて感激した。

また、美術展示をよく回ってらっしゃる昔からのお知り合いの福太郎さん。

そして2時過ぎ、ずっと来ていただきたかった(脚を悪くされていて長く外にでられなかった)詩人の吉田文憲さんが、ついにタクシーと車椅子で個展会場に来てくださった。

私の絵のために吉田文憲さんがくださった文章を、その絵の前で朗読していただき、感無量。
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たまたまタイミングよくいらした詩人の林浩平さんと3人で撮影。
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同じ武蔵野美術大学の日本画学科の先輩である画家、下村貢さん。お忙しいのに来ていただけてたいへん恐縮。愛のあるご指導いただきました。
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さらにTwitterや『デッサンの基本』で私を知ってくださった絵を描いているJさん、『反絵、触れる、けだもののフラボン』も読んでいてくださり、やはりパステル画を描かれているTさん、とても熱心に長い時間をかけて絵を見てくださり、お話しできて本当にありがたかった。

平凡社の「太陽」や「コロナブックス」などの編集長さんだった清水壽明さん。
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昔、永田耕衣に清水さんがインタビューした記事のコピーをくださり、沢渡朔さん撮影の高橋睦郎さん宅の写真集を持ってきて見せてくださったり、本当に私の喜ぶものを厳選して持ってきてくださったことに至極感激。1ページ、1ページ、大切に見させていただいた。

Twitterで知ってくださった吉祥寺の近所の方もみえた。

そして6時半を過ぎた頃に、とてもおしゃれなただ者ではない雰囲気の方が入って来られて、いったい誰だろうと思った。熱心に見て下さったあとに、漫画家で画家で音楽家のひろき真冬さんとお聞きして驚嘆。
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宮谷一彦さんが亡くなった時の私のツイートを読んで「これは正しいと思った」と言ってくださり、私の絵をWEBで見てくださったそうだ。

宮谷一彦さんの作品について、やはり初期の作品が一番好き、と共鳴し、私の知らないことをいろいろ教えてくださり、昔の漫画の話などでたいへん盛り上がった。ビールをご一緒させていただいた。

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私よりはるかに画力のある方なのに、私などの絵を認めて下さってとてもありがたく思った。

9月29日(木)

シヴァカフェを目指して来たという通りすがりのとてもおしゃれな若い女性Nさん。あまり絵など見慣れない方らしいのに熱心に見て下さってお話した。

そして美大時代からの友達A子ちゃんが来てくれて、重いお茶の買い出しや食事の差し入れをしてくれ、本当にありがたかった。個展中はずっと緊張しているが、彼女がいてくれた時間だけは心から安心できた。

歌人で『さて』の同人の天草季紅さんと。
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そして高校の時、「アトム」(髪が二本の角のようにカールして立っていた)と呼ばれていた物理の先生と奥様。
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アトム先生のおかげで高2の時に物理の面白さに目覚め、理系でない私がなぜか物理の成績だけはよかったのは嬉しい思い出。

教え方が抜群にシンプルでスマートで、私は先生の授業に魅せられていた。歳を経てからも君が代と国旗掲揚に反発したりしていたと聞いて、さすがアトム!と思う。

ポルトリブレ・デ・ヌーヴォの平井勝正さんのご紹介で来られた画家で版画家の大島一兵さんとも、若林奮さんついてや銅版画の話など、長くお話しした。

 

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