芸術

2019年10月 1日 (火)

次の本の制作 / 高田馬場

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9月24日(火)

私の次の本(画集)に載せるための評論(解説)の原稿を、編集さんが転送してくれた。鈴木創士さんに次いで、二番目に到着した鵜飼哲さんの原稿だ。

鈴木創士さんのときもそうだったが、鵜飼哲さんもまた、私が常にうまく言葉にできなくて苦しんでいること、私にとっての絵とは何かについて、厳密に言語化してくださっていて感激した。

正直に言えば、ここまで私という「個」の仕事に寄り添い、分け入って、精確に見て、書いてくださるとは思わなかった。

私の『反絵、触れる、けだもののフラボン』を、特にその中でも読みやすいとは言えないだろう若林奮論を、深く、微細なところまで読んだうえで書いてくださっていた。

概念によらないこと、その実践がどのようなものかを言葉にするためには、「言葉」とは何か、言葉でないものを「受容する」とはどういう身体の状態なのか、を言葉にしなければならない。

「前方にあるもの」との「三重の距離」・・それを概念に媒介されることなく、はかること。

素描の「リミット」。植物を描いていることの意味についても。

急に届いた私にとって最も嬉しい贈り物に戸惑い、恐ろしくて胸がざわざわした。

本当に、ありがたすぎて言葉にならず、御礼の言葉をすぐにはメールに書くことができなかった。

9月25日(水)

鵜飼哲さんに素晴らしい文章をいただいたことで、停滞していた思考回路から次の本の新たなアイディアが突如として生まれ出て来、編集さんを煩わせることとなった。

衝動が湧いてくると抑えられなくなり、今まで3、4年もかけて選択していた絵を入れ替えし、久しぶりに夜中まで夢中で仕事した。

深夜2時過ぎにお腹がすき、咽喉が乾いてたまらなくなり、冷凍の枝豆をおつまみに、1本だけとっておいた珍しいビールを飲んだ。

オールドトムというアルコール度8.5パーセントもある黒ビール。

「イギリスで最も古く、最も有名なビールの一つ」、「チョコレートやポートワイン、胡椒の風味を感じさせる、複雑で味わい深いビール」だそうだ。

10年くらい前は、明け方まで夢中で絵を描いていることもよくあった。3時や4時に気がつけばとてもお腹がすいて、食事をし(そんな時間ににカキフライなどを揚げてたべることも)、ビールをがんがん飲んで、外が明るくなってから眠りに着き、昼前に起きたりしていた。

ふとどこからともなく訪れるものを、自分で計画したりコントロールしたりできないので、顕現するものがあった時に、それを逃さないためために、すべてをそこに合わせる生活。頭が回転してくると、すごく楽しくなってきて、疲れも眠気もを感じない。

最近は体調を崩さないように思慮しなければやっていけず、夜に暴飲暴食はしたくないけれど、今日だけは。

9月26日(木)

高円寺でお世話になっていたマッサージ店が6月末に移転になってしまい、ずっと身体中が凝り固まっていたのだが、3か月ぶりにマッサージに行くことにした。電車を乗り継いで移転先へ。

以前お世話になったOさんはもう辞めてしまった。きょう初めてお会いするKさん。

「ここまで酷くなるまで我慢なんてちょっとすごすぎます。肩、背中の筋肉と皮膚ががちがちに固まってはり付いてしまっている。」と言われた。

首ががちがちで、頭皮が血行不良でぼこぼこしているそうだ。脚も冷えて固くむくみが酷い、と。

このところずっと頭の筋膜が凝って頭痛がするのを、鎮痛薬と神経ブロック注射でなんとか我慢してきた。とりあえず血行をよくする努力と、毎日10分でも運動をしようと思う。

高田馬場近くの、昔好きだった細い裏道を久しぶりに歩く。

とてもよい雰囲気の多摩旅館は健在。

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人ひとりがやっと通れてすれ違えないほど細い家と家の間の道。この道に面していた古い下宿屋のような素敵な建物が無くなって、原っぱになっていた。

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http://chitaneko.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-bd58.html#search_word=戸山 高田馬場

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2019年6月26日 (水)

チョビ抜糸、『ニンファ その他のイメージ論』ジョルジョ・アガンベン

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6月14日(金)

チョビの目薬(クロラムフェニコール)を使い切る。病院に電話すると、まだ続けて使ったほうがいいとのことでもらいに行く。

6月17日(月)

午後6時過ぎ、チョビ、(左目の眼瞼内反の手術の)抜糸。

まだ目のふちが赤く、目やにはほとんどないが、目薬のせいか、分泌物で左眼の周りがよごれている。

手術はうまくいっているとのこと。

場合によってはまだドキシサイクリン(抗生物質、チョビは副作用の下痢がひどい)を飲ませると言われていたので心配だったが、もう飲ませなくていいことになり、ほっとする。

なにかあったら連れて来てとのこと。

エリザベスカラーを病院に返し、やっと首が自由に。

帰宅したらすぐに、鎖骨あたりをいっしょうけんめい舐めていた。よしよし、ストレスだったね、と顎の下や耳、頬の周辺をかいてあげるとゴロゴロ爆裂。

そのあと放心したように私の布団で眠る。

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6月20日(木)

チョビとプフ、舐め合い、じゃれ合いの追いかけっこ、大運動会復活。チョビがエリザベスカラーをしていた2週間は、プフは神妙な距離感を保っていて、怖がったりもしないがじゃれたり噛んだりもしなかった。ほんとうにいい子。

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しおれた薔薇レイニーブルーを描く。

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6月21日(金)

がんの定期検診。

病院への往路2時間の電車と、会計の待ち時間で『ニンファ その他のイメージ論』(ジョルジョ・アガンベン 高桑和巳訳)をひととおり読み終える。

・・・

「イメージはどのようにして時間という負荷を帯びることができるのか?
(・・・)
アリストテレスは時間、記憶、想像力を緊密に一つに結びつけ、「時間を知覚する存在だけが、時間を知覚するのと同じところを用いて記憶する」と断言していた。つまり、想像力を用いて、ということである。じつのところ、記憶は「イメージ」がなければ不可能である。「イメージ」とは、感覚や思考の「触発」である。この意味で、記憶は何か身体的なものであり、想起はイメージを身体的なところにおいて探求することである。」

「イメージの問題についてのあらゆる探究は何よりもまず、この用語が私たちの文化においてはある不可能なものを表すものであるということを認めるところから始まるのでなければならない。じつのところイメージとは、西洋形而上学がそのまさに中心的な謎の解決を探し求めてきた当の場である。」

「(プラトンがイデアについて言っていることを、私たちは芸術の完了に関する教説として読むのでなければならない――哲学は最高のムーサの術であるとプラトンが言っているのはそのためである。フリードリッヒ・ニーチェと同じように、プラトンも芸術の思想家である。もしかすると真正な哲学はすべて、芸術の完了――芸術の終わり――の思考であるのかもしれない。)

「イデア(idea)という単語は、動詞の語源「id」から直接形成されている――のであって、名刺の語源「eid」から形成されているのではない。この単語は、見るという意味を最大限に表現している。だがイデアは、あらゆるイメージを超えたところにあるまた別のイメージではない。イデアとは言葉を見るということ、それぞれのイメージをイメージとして構成する当のものを見るということである。

それが私たちに見える点において、言葉は沈黙する。ここにおいてついに私たちに言語活動の沈黙が、言語活動の顔が見える。それは事物の顔と一致する。じつのところ、私たちに言語活動が見えるのはただ、私たちが言語活動から暇を取る点においてである。(・・・)」」

・・・

線路際の夏草が私の背よりも高く茂っていた。ススキとヒメムカシヨモギが大きい。ヤブカラシの砂糖菓子のような花。

帰りの電車ではどうしても疲れて眠ってしまう。

6月22日(土)

手紙になにか絵を添えたいと思い、雑草を耳鼻科医院後の原っぱから摘んでくる。ハルノノゲシ(春の野芥子)、イヌビエ(犬稗)、スズメノチャヒキ(雀の茶引き)、ヒメジョオン(姫女苑)、ヒルガオ(昼顔)。

草を見て一番狂喜乱舞するのはプフ。夢中で机に乗ってきて齧ろうとする。

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越前和紙鳥の子の便箋3枚(かまくら社頭or香紙堂or鳩居堂)。

6月23日(日)

いい感じに雲っていたので阿佐ヶ谷近辺まで自転車で散歩。遊歩道で拾った杏。直径6cm。

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「赤いトマト」が閉店していた。すごくショック。レトロで大好きなお店だった(35年間営業)。初めて来た時、大昔のゲームつきのテーブルや、星占いの紙が出てくる赤銅色のおもちゃが置いてあったのを覚えている。

姫女苑でいっぱいだった野原も駐車場に変わっていた。

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都会では「原っぱ」というものが残ることはない。ビルが潰されたあとの、新しくビルが建てられるまでのほんの短い間に、どこからか運ばれて来たのか、あるいは土の中に潜在していたのか、種たちが一斉にふき出すのを私は見逃さないように追っている。田舎の広々した土地で見る植物以上に、そこに美しさを感じる。

6月24日(月)

ようやっと手紙を投函。エアメイルで110円。

チョビの左眼のまわり、だいぶきれいになってきた。しかし彫りが深すぎる。ホワイトライオンのような風情。

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カメラの紐を噛むチョビ。

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しっぽのふかふかの柔らかさは天下一品(しっぽの毛がほかの部分と違い、繊細なワッフルパーマのような状態になって空気を含んでいる)。

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同時に同じお母さんから生まれた妹なのに、まん丸目で鼻も短くまったく顔が違うプフ。

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6月25日(火)

神奈川近代美術館葉山館長の水沢勉先生よりお返事をいただく。

本づくりについてのスケジュールをOKしてくださった。

たいへんありがたく、ほっとした。

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2019年2月28日 (木)

G先生からのお言葉(次の本)/ 花輪さん、友人に感謝

2月15日

G先生から私の絵についてのお言葉(次に出す画集のための)が届いた。

文章をいただけたことがまだ信じられない。ありがたいのだが、いろいろ考えてしまい、緊張して恐ろしいのがまさる。

親友たちが本当に喜んでくれた。彼らの喜ぶ様子を見て、私も少しずつ嬉しくなってきた。

それでもまだ現実感がない。

2月13日

花輪和一さんと電話。気温は氷点下で、雪も溶けずに積もっているが、バスで出かけていたそうだ。

先日の私の絵に似すぎている絵を描いている学生の話について、花輪さんは私のブログを読んでくれていた。

「すっごい変なのがいるねえ。性格が異常だよねえ。そんなのの絵は絶対ものにならないでしょ。言ってることがDV男みたい。」と言われた。

「なんで最近の若い人はそんなにおかしいの?食べ物が悪いの?」と聞かれたけれど、おそらく現代の病で、やたらに自尊感情や承認欲求ばかりが高く、利己的、功利主義的に育ったのでしょう。

「ずばっと本当のことを言ってやってよかったんだよねえ。絶対に自分は悪くないってどんなにわめいて、言い張って見せても、「鎧通し」のように突き刺さってるから。」

「鎧通し」とは、格闘して敵を鎧の隙間から刺す、身幅が狭くて、手元に近いところはかなり厚みがあるが先は薄くなっている短刀だそうだ。

花輪さんは幼少期の愛情不足や虐待(ネグレクト)もあり、15歳の頃からひとりで生きて、苦労して絵(漫画)をかいてきたけど、自分が努力して道を伐り拓いてきた、とは決して言わない。そういうことを言うのはすごく恥ずかしい、と言う。

私は花輪さんの並外れた才能と謙虚な人柄を尊敬している。

花輪さんがすごいところは絵に嘘がないこと。

植物や動物へ愛情のこまやかさ、眼を通して細部のニュアンスまでとらえる力が突出していること。

仕事に対して効率よくお金を得ることは考えず、自分で納得できる作品を常に目指していること。

人への遠慮や気遣いがあること。

花輪さんとのつきあいも長いが、思えば、私はすごく尊敬している人から大切にされなかった経験があまりない。

もしかしたらこれはすごいことかもしれない、とありがたく思う。

昨年の7月、花輪さんに会いに北海道に行った時、(花輪さんの担当編集さんお気に入りの)少しだけ高級な寿司屋に行こうか、と言われ、私は食べ物に高いお金を使うことに躊躇があるので断ってしまったことを、今、少し後悔している。

花輪さんに会いに北海道に行くことも滅多にないのだし、特別な機会としてちょっとだけ贅沢してもよかったのかも、と。

だけど次に会いに行っても、やっぱり(お金を使うのが怖くて)高級寿司屋には行かずに、庶民的な居酒屋に行ってしまうのかもしれない。

私にとって最高においしい食事は、高級料理よりも、どれだけ素敵な人と食べるかが一番大切だと思うから。

・・・

しばらくほっておいたツイッターを、またやり始めた。

なにもかもわからないことばかりで、全然気軽につぶやけないが、少しずつ。

無知な私に教えてくださったM子さま。久しぶりにお便りをくださったN子さま。

ツイッターがきっかけで知り合った女性の友人は皆、メールの文面も素晴らしくしっかりした思いやりのあるかたたちだ。

お知り合いになれて本当に嬉しい。

心から感謝します。

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2019年2月 4日 (月)

私をナルシスティックな欲望の道具にする人

2月3日

私に共感してくださるかたは、どうか私の絵を見てください。お願いいたします。

私がずっとどんな仕事(絵、文章など)をしてきたか、知っていてくださるかたがいるということが、私を支えてくれます。

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/japanese-style-paintings-1-膠絵/

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/pencil-drawing-watercolor-painting-1-tulip-anemone/

私は緘黙気質で、自分を強く前面に押し出していける性質ではありません。過敏で緊張が強く、考えすぎ、躊躇、逡巡して悩む性格です。

私の絵や文章は、私の生きづらさから生まれているものだと思っています。

ほとんど孤絶して、苦しみながら生み出されいる絵だからこそ標的にされ、このように「知る人ぞ知る画家」と書かれて道具にされたと思うと、苦しくてたまりません。

「私のものを自分のものと思い込む人」では誤解を生むので、「私をナルシスティックな欲望の道具にする人」と言ったほうが、より正確かもしれません。

もちろん「私のもの」と書いたのは単に枯れ花を描くことではないです。

彼は最後のメールで「福山さんの枯れ花への独占欲のようなものが理解できない。怒りを感じる。」と書いて来ました。

これについては、私が意見を聞いた複数の第三者の誰もが、この世にたくさんある枯れた花を描いた絵の中で、彼の絵だけが著しく、私の描いた絵に似ている、と言ってくれました。

他人との差別化には必死になりながら、私の絵に「似すぎていると自覚している」絵を発表、販売して、自分が私に与えている苦しみは理解しない、という彼の思考の構造が、私には理解できかねます。

「収奪」とは、自分の欲望を満たすことが他者を苦しめることに直結している、それでも平気で自分優先でやる、という意味です。

・・・・・・・・

今、トラウマが蘇り、苦しんでいる(2010年~16年に苦しめられた)パクリストーカーNも、私を彼のナルシスティックな欲望の道具にしていたという意味では同じです。

Nにも会ったことはありません。2010年に彼から熱烈な長いメールをもらいました。

「画家として、人間として純粋に生きようとされている福山知佐子氏の強さと繊細さ」

「物事に鋭くて、異次元のような、知的な世界をお持ちの方」

「是非ともお会いしたいです!画家として、人間として、真の芸術家の空気に触れてみたいと思います」

「先生の花は狂おしくて、病的な筆致、緻密で繊細、妖しくも格調高く、優雅なエロティシズムに満ちています。なにより、植物への愛情、その純度の高さにただ敬服します。」

「福山さんの誰よりも純粋で、(多分、誰しもが理解、共有しえない)研ぎ澄まされた少女が持つような刃は、稀有だと思います」

けれどNは一度も、メールに書いてきたような言葉を、N自身のブログに私の名前とともに書いて、公にしたことはありません。彼のブログの読者には、私に惹かれていることを隠していました。

そのうちNは、私の書いた単語、言い回し、言葉の癖、好きな画家や愛読する作家、親密にさせていただいている芸術家の名前、好きな植物やものの名前までなにからなにまで真似てブログを書くようになりました。

彼に意味が理解できないだろう言葉や、読めるはずもないだろう作家の名前が目につくや、すぐに跳びついて写していました。

彼はあるがままのNとは似ても似つかない人に、ブログでなりすましているかのようでした。

言葉では語りがたいものをなんとか言葉にしようと、私が苦しんだ残余としての断片や言い回しが、何も考えていない彼に有頂天になる道具にされること、

私が自分に戒めている「自分が実感としてわからないことを、わかったように書かない」という自制の上での言葉が、

逆に、Nが知ったかぶりをして陶酔するために利用されていることが、気持ち悪くてたまりませんでした。

「現在を生き、常に事物(もの)の本質に迫り、また事物の深淵へと眼差しを向ける一人の画家のヴィジョンは、(いつまでも)私のヴィジョンにさえ、波紋のように静かな影響を与え、新たな風景を垣間見せてくれる契機となっていた。」

と、Nが私の名前をふせて書いているのを見て、私はぞっとしてしまいました。(実際の私は一度も本質主義など語ったことがないので、余計に気持ち悪いです。)

彼に、私の書く単語、固有名の後追いや、言い回し、言葉の癖などを真似するのをやめてください、と告げても、Nは私に言われている意味が理解できませんでした。

彼はすべて「無意識」で、ほぼ条件反射のように、夢中で真似ていたらしいのです。

いつのまにかNは、私よりはるかに偉い態度をとるようになっていました。

私は、話がまったく通じない相手にストーカーされている恐怖で心身ともに病みそうになりました。

Nは、自分が私のものを見て真似ている、という事実を認識できていなかった、と2016年に認めました(私への横柄で傲岸な態度は崩しませんでしたが)。

強く惹かれている相手のものをそっくり真似する人は、現実よりも、他人や自分に言い張っている嘘のほうを信じる、と私はNの経験から思いました。

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2018年10月14日 (日)

ちゅびとチョビの記録 / イタリアの旅の記録8(9月24日)

10月13日(土)

ちゅびとチョビの記録。

きょうのチョビ。

600gを超えたので朝、病院で血液検査と一回目のワクチン完了。

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ワクチンをしてから数時間ぐったりしてミルクを飲まなくなったが徐々に回復。

3種のウイルスを体内に入れるので、ちっちゃくて弱い子は特にアレルギー反応が出ることが多いらしい。

10月14日(金)

きょうのちゅび。

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ゴロゴロゴロ・・・

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イタリアのチナミさんが送ってくださったアンジェロ・トリッカ(1817-1884)によるピエロ・デッラ・フランチェスカの肖像彫刻の画像。

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イタリアの旅の記録8

9月24日(月)

きょうは、私が十代の頃から憧れていて、もう実物を見る機会はないだろうと諦めていたピエロ・デッラ・フランチェスカを見に、アレッツォに連れて行ってくださるという恐ろしい日。

私はアレッツォに着く前から緊張していた。

アレッツォに向かう途中の車からの風景。チーロさんに遠いところまで運転していただき、たいへん申し訳ない。

名残りのヒマワリ畑と秋のだんだら雲。
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アレッツォに着き(バルでコーヒーを飲んでトイレを借り、いよいよ聖フランチェスコ教会へ。

坂道を上がり、聖フランチェスコ教会の裏側を見ただけで背中と腕のあたりがぞわぞわと粟だった。

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聖フランチェスコ教会の中。入場8ユーロ。ピエロ・デッラ・フランチェスカの部屋だけは制限時間30分となる。そのほかは何時間いてもよい。フラッシュ禁止で撮影可。

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中央祭壇には「十字架のキリストとその足に接吻する聖フランチェスコ」(1250-60年 マエストロ・ディ・フランチェスコ)。
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その奥の後陣にピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖十字架伝説」(1447-1466年)。
天井。
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「聖木の礼拝・ソロモン王と芝の女王の会見」

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「十字架の発見と検証」。この幾何学的図形のある絵は、特に1400年代の絵とは思えない。宗教的な目的を超えて、謎めいて魅力的だ。
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「ヘラクリウス帝とホスロー王の戦い・ホスロー王の斬首刑」。
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とても不思議なことに気がついた。聖十字架の物語の絵の下に大理石のような模様がパネルのように描かれているのだ。
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その手描きの大理石模様の中に鳥や魚がいたのだ。これはすごく面白いと思った。
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ピエロ・デッラ・フランチェスカは絵画の中に斬新な面白さをこれでもか、というように詰め込んでいた。

遠近法や幾何学的構図を取り入れて、当時としては誰をも驚愕させるほど新鮮だったのだろう。

今現在から見ると、描きすぎていないことの気持ちよさ、単純化、明確化された形体、輪郭のリズムと色分けなど、絵画というもの本来の魅力、そのものに思えるのだ。

戦慄させる謎めいた表情。寓意的、天上的なるものと人間的なるもののせめぎ合い。キリスト教の歴史をよく知らない者から見て、ぞくっとするほど面白い。

くすんで落ち着いた色彩と澄明で清冽な色彩の響き合い。色の奥に幾重にも異なる色を含むこと。

怜悧な涼やかさと包み込むような温かさ、明晰さと素朴さを併せ持つ得も言われぬ魅力。

詩情とは何か、ということを問いかけられる。

ファサードになんの装飾もない質素な聖フランチェスコ教会の正面。

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ピエロ・デッラ・フランチェスカの「マグダラのマリア」が見られるドゥオモは午後3時まで休館していたので、それまでアレッツォの街を散歩。

脳天が焼かれるほど陽射しが強かったが、広場で急に黒雲からぽつぽつ雨。

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3時にドゥオモへ。

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一瞬、どこにピエロの絵があるかわからなかったので、教会内にあるお土産物屋のおばあさんに尋ねると「ここから2番目の柱の陰よ。こんな目立たないところにあるなんて嘆かわしいことよ。」(チナミさん訳)。

ひっそりとあった「マグダラのマリア」。

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チナミさんによると、この絵にはいろんな逸話があるそうだ。

「ピエロは、顧客(アレッツォの一番裕福な商人でありながら支払いを滞納していた)ルイジ・ジョバンニ・バッチへの腹いせから、彼の娘ボナンナを内密に、罪深きマグダラのマリアのモデルにした。

ところが想定外にピエロの弟、実直なマルコ(妻子ある名高い裁判官)がこの美しきボナンナに気も狂わんばかりになってしまった。(ピエロの介入により、幸いにも事が深刻化する前に落着。)

その約80年後、ジョルジョ・ヴァザーリが、ボナンナのひ孫、ニッコローザ・バッチとアレッツォのドゥオモで挙式、この絵にまつわる話を知る。

自分の親戚となった家の祖先に対するピエロの報復に、ヴァザーリは仕返しをするため、自分の著書のピエロの部分に根本的に修正を加え、多くの曖昧さを挿入し、ピエロの評価にダメージを与えた。」というようなことだそうです。

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単純化されてより清冽に見える伏目の表情、髪の毛の描き方など、さすがだった。グレーの中の白に近い光輪。影の部分の色に注意して見ていた。

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次に向かったのはピエロ・デッラ・フランチェスカが生まれ、晩年を過ごした町、サンセポルクロ。

サンセポルクロの町の手前にはタバコ畑が多かった。

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サンセポルクロ到着。ピエロ・デッラ・フランチェスカの家へ。ここは現在ピエロの研究所になっているらしい。陽気な学芸員さん。

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「手すりのこの部分は上半分は修復したけど、下半分は元来のものだから、数百年前にピエロが触っていたままよ。」(チナミさん訳)と学芸員さんに言われて、手すりに触る私。

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地下室へ。
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地下。井戸。
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下水と馬屋のようなにおいが生々しく残っている。
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地下ではピエロのスライド上映中。

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家の壁の装飾は非常にあっさり、細くなよなよと描かれていた。
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「日本から来たということをサイン帳に残していってね。漢字の名前、大好きだから。」(チナミさん訳)と学芸員さんはおっしゃった。

次に向かうのは市立美術館(元市庁舎の建物)。

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ピエロ・デッラ・フランチェスカのミゼリコルディアの多翼祭壇画「慈悲の聖母」。
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この顔。

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サンセポルクロの町を救った(イギリス軍の砲撃を思いとどまらせた)と言われるピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの復活」。
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残念ながら修復前の画像(お借りしてきました)と見比べると、やはり修復前のほうが複雑な古色による重厚さ、深遠さ、微細なニュアンスがすごく美しい。修復後はすっきり軽くなりすぎている。

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ピエロ・デッラ・フランチェスカ、「聖ルドヴィーコ」。
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チナミさんが左手の甲にある傷のような印はなにか、と学芸員さんに尋ねた。単なるひび割れ、という応えだったが、とてもそうは見えない。

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ピエロ・デッラ・フランチェスカ、「聖ジュリアーノ」。背景の黒緑の中にある夥しい薄緑の線が気になった。時を経て出て来た傷なのだろうか。

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次に向かったのはピエロ・デッラ・フランチェスカの「出産の聖母」があるモンテルキ。

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モンテルキの「Madonna del Parto(出産の聖母」)美術館。
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左に見えるのが美術館。向かいの建物に標識の看板がくっついている。一番下の茶色い札に「Madonna del Parto(マドンナ・デル・パルト 出産の聖母)」とある。
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美術館の真向かいにあった、(看板が付いている)とても雰囲気のある古い建物は、チナミさんによると、

ピエロ・デッラ・フランチェスカの「Madonna del Parto(マドンナ・デル・パルト 出産の聖母)」がもともとあった場所から移される際に、所蔵場所の選択肢のひとつになった「聖ベネディクト教会」だそうだ。

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「Madonna del Parto(マドンナ・デル・パルト 出産の聖母)」は撮影禁止だった。

この1点だけに集中して対峙することで、より作品を深く強烈に味わうことができる。

ピエロの中でも特に美しい、素朴にして高貴、涼やかでいて温かい顔。

幾何学的に正三角形にも、正五角形にも、正六角形にも整えられている構図。色の左右交互対象。

非常に余計なものが無く、すっきりとしていて訴えるものが強烈で、戦慄を覚える作品。

車から振り返るモンテルキの町。
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名残惜しいモンテルキ。
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9月24日のちゅび。

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2018年10月 6日 (土)

ちゅびとチョビの記録 / イタリアの旅の記録 1(9月17日)

10月6日(土)

友人と共同で預かっている野良猫の赤ちゃんチョビ(仮名)に会いに行く。かわいい盛り。

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真菌の感染が酷く(ちゅびの時よりも重症)、しっぽがずる剥け、手足と首の毛も抜けて禿げている。私がイタリアへ旅立った後、一時は下痢やくしゃみで(パルボかカリシか原因不明の)重篤かと懸念されたそうだ。

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お気に入りのぬいぐるみとチョビ。
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ケージ上にのぼり、前にこけて落ちそうになり、歯でネットを噛んで止めるチョビ。
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まだ離乳できず、一回目の3種混合ワクチンを打つこともできない。体重が軽すぎ、真菌用の抗生物質を飲ませることもできない。まだまだいろいろと手がかかり、心配はつきない。

このチョビを私が預かることになるかも。

・・・

(当たり前だが)ちゅびが大きくなっていた!私が帰宅してすぐは私の匂いを嗅ぎまくり、肌着をなめまくり。

夜になってやっとリラックスしたようでゴロゴロ言いまくり。ごはんを食べたあと、タタッと走って来て、どん!と私の膝に乗っかって甘えまくり。

10月6日のちゅび。

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10月5日(金)

ちゅび、15:20のうんこに虫が出る。

数カ月前に、一度だけ、うんこに半透明の薄黄色の細い線状のものが出た。動いていなく、切れた輪ゴムにそっくりだったので、輪ゴムを噛んで呑み込んだのだと思っていた。

今回もそれとそっくり同じ、だがとてもゆっくりだが動いていた(生命反応あり)。

・・・・・・

イタリアの旅(9月17日~10月3日)の記録1。

9月17日(月)

新宿発9:39の成田エクスプレスに乗るため、緊張して家を早く(8:40に)出すぎた。30分以上ホームで待つ。

成田発13:15アリタリア・イタリア航空ローマ行き。

機内食は、私は肉食がまったくできないため、シーフードを注文していた。朝6時に起きて以来、ミルクティーしか口にしていなかったので空腹だった。食事はとてもおいしかった。

特別食シーフード。白身魚のホワイトソース焼き。ふんわり柔らかいポテト添え。

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間食におにぎりかパニーニも出た。私はおにぎり(昆布入り)を選択。

夜が明けて朝の食事。これはすっきりさっぱりして私好みで、とてもおいしかった。

エビ、白身魚の蒸したの。小エビ、サーモンのマヨネーズあえ。グレープフルーツ、りんご、パン。

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夜7時にローマ着。不安でそわそそわしながら出口(ウシータ)へ。出口で待っている数十人の人々の中から千浪さんが飛び出して来て肩を抱いてくださった。

千浪さんとはこの時が初対面。

昨年、イタリアからSNSで連絡して来てくださり、そのあと毎日のようにメールを交わし、様々のこと、画家としての悩みや私生活の悩みも打ち明けて来たが、お会いしたのは初めてだ。

千浪さんのだんなさんチーロさんが高速を運転してくださり、長距離を車にのせていただいている間も申し訳なくて、緊張で胸がざわざわ。

お宅に着いたのは夜10時過ぎだったろうか。

想像などはるかに及ばない、中世の面影を残すの石でできた建物(1646年築の修道院の一部)のお宅、そして私が泊めていただくお部屋に驚愕。

とにかく昔のイタリアの田舎にタイムスリップしたような感覚だった。

私が2週間を過ごさせていただいたお部屋の一部。

壁は千浪さんがご自身でペイントされたそう。柔らかなアンティークの灯り。

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この部屋で私は、生き馬の目を抜くような東京都心の生活、そして羞恥も躊躇もない、あからさまな謀略と嫉妬に満ちたアートの世界とは180度異なる、イタリア中部ウンブリアとトスカーナの境界の丘陵の、豊かでおおらかな生活に触れさせていただいた。

17日間、普段の東京の生活では想像もできないものを見、たくさんの信じられないような体験をした。

そういう中で、私がおおらかに解放されていたかというと、やはりそうではなくて・・・、出会うものすべてに対して、どこに留意して見るべきか、その瞬間に何をつかむのか、それをどのように絵に生かすか、どのように記録するかを考えて、瞬間ごとに興奮と同時にかなり緊張していた。

日常と違う一期一会の体験を無為にしたくない、という思いで強い焦燥にかられてしまう。

これは宿痾のようなもの、というか私の性質だと思う。

4日に帰国してからも一日は興奮と緊張が解けずに胸がざわざわしていた。

それから変則的に睡眠をとり、普段の私のように日に何度もアールグレイのミルクティーを飲み、今、やっと少し身体が落ち着いてきた。

・・・

9月17日(友人宅にて友人撮影)のちゅび。

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2018年8月13日 (月)

ホームページが消えていた / 次の本、 アートへの拒絶反応

8月13日

午後3時前から激しい雷雨。

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8月9日に友人が教えてくれて初めて、自分のホームページが自分の名前で検索してもウェブ上に出てこないことに気づき、愕然。

過去のjimdoからのメールを検索して、ホームページへのアクセス方法が変わったことを知る。

昨年末から編集画面にお知らせが出ていたらしいが、ログインしていないのでまったく気づかず。

ずっとホームページを更新も確認もしていなかった自分のうかつさが嫌になった。

あらためてアカウントをつくらないといけないらしく、メールアドレスを確定するとドイツ語のページへとんだ。

(jimdoはハンブルクの会社だということに気づく。Horst Janssenの家を訪ねた懐かしいハンブルクだ。あの丘の上の小さな家・・・向こう岸がかすんで見えない灰色のエルベ川の景色が浮かぶ。)

とりあえずアカウントをつくり自分のホームページと接続した。が、名前で検索してもいっこうに出てこない。

グーグルコンソールに登録。プロパティの確認、HTMLタグがなんたら・・・でけっこうな手間がかかった。

ホームページがないと、初めて会う人に自分の絵を見てもらうことができない。

自分のやってきたことの証明とまでは言わないが、名刺がわりのものが消えてしまったようで、たいへん気落ちした。

言葉で「絵をかいています」と言っても、なにも伝わらない。絵をかいていることは重要でははなく、どんな絵をかいているかが重要だから。

私は、自分の仕事、絵を見てもらえなくて、ブログだけを見られることに、惨めで恥に耐えない感覚がある。

12日になって、やっと検索に出てくるようになった。

(ブログの横のバーにホームページのリンクが貼ってあります。クリックして見ていただけたら幸いです。)

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6月にちゅび(ぴょんすけ)がうちに来てから、次の本をつくる作業がずっとストップしていた。

(ゲラとカンプ。作業中。)
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ちゅびに夢中で、二度と来ない赤ちゃん時代を存分に胸に焼き付けたい、という思いが激しい。そのことに関してはなにも迷うことがない、素直な欲望だ。

仕事のほうがおろそかになるのは、本をつくることが自分にとって有益なことなのかどうか、気持ちが揺れてしまうからだ。

常に、本をつくってもなにになるのだろう、誰が手にとってくれるのだろう、理解してくれる人なんているのだろうか?という思いにふさがれてしまう。

ここ20年、私はアートと呼ばれるものやそのシーンに対する拒絶反応が、いよいよひどくなってしまった。

絵が大好きで、2歳から夢中で絵を描き続けてきたのに。

クソつまらなくて吐き気がするどころではなく、アートは、動植物や弱く小さいもの、はかないものと直接深く交わる私の力をむしろ抑圧してくる。私の身体は耐えがたいストレスを感じる。

私の生きる希望や活力を潰しに来るアートに、これ以上ないほどの憎悪を感じる。

アートのほうでも、私の仕事を認めることはないだろうが。

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なぜアートが気持ち悪いか。それはとどまるところを知らない自己顕示欲、自己愛そのものだからだ。

人間だけが持つ嫌らしさの権化だ。

他人の不幸を餌にして成り上がろうとする人たち。

「相手のために」「思いを込めて」という欺瞞。

自己利益のためなのに、「無償性」を騙る厚かましさ。

対峙するべき現実があるにもかかわらず、アートにかまけている、鈍くて傲岸な人たち。

アーティストもアート好きのスノッブもそうだ。

そこに金儲けが絡まり、計算高い人たちが群がり、アートシーンができあがる。

(いまだに「アートのためのアート」の信仰にしがみついている人たちについては、ここでも触れないでおく。)

たとえば、どこかの旅先で素敵な懐かしい景色を見つけても、そこに趣味の悪いアートが鎮座ましましていたら、パチンコ屋やキャバクラの看板よりもずっとずっと私は不快だ。

人工物のない荒涼とした光景、土と植物と動物だけの景色が私の憧れの心象だ。

私は、そこに在るものを鋭く見ることができる人、柔らかな感性を持つ人にしか憧れることはない。

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福島のヤノベケンジの件、アートを飾れば復興にプラスになる、みんなが喜ぶ、という馬鹿げた思い込みが気持ち悪い。

そこにアートはいらない。なにかを置きたいなら大きな線量計を置けばいい。

自己都合のこじつけ解釈ができるオブジェなどむしろ邪魔だ。一つの局面でしかないにしろ、現実をそのまま多くの人に伝えることに力を注ぐべきだ。

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2018年3月 6日 (火)

平昌オリンピック ザキトワ メドベージェワ ほか

3月4日

だいぶ前に終わった平昌オリンピックについて個人的な感想とメモ。

スピードスケート女子が輝いていた。高木姉妹の、最大のライバルであり、かつ以心伝心の最高に信頼できるチームメイトでもある関係性が素晴らしかった。

小平奈緒の落ち着き。結城匡啓コーチが13年かけてカーボン素材のスケート靴を開発し続けてきたという話に感銘を受けた。

平野歩夢。彼には非常にエレガンスを感じた。

飛んでいる時の「表現」はもちろんだが、内向的なしゃべりかた。普段から24時間、自分のやるべきことについてよく考えている人だと思った。

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フィギュア。

アダム・リッポンがやっとオリンピックに出られて、彼の喜ぶ顔を見ることができて嬉しかった。彼は生き方、発言、すべて含めて本物の表現力を持った人。

SPは明るく遊び心も見せて色気たっぷりに、FPは生命のひたむきさをリアル、かつ幻想的に。FPの首をくっと曲げる鳥の仕草。野生の鳥の本能と洗練されたダンスの両方。

長洲未来は団体戦でトリプルアクセル成功。

彼女も表現がとても洗練された。名前を呼びあげられて手をふり、おじぎをする時の仕草が完璧に美しく演じられているのに感心した。

ネイサン・チェン。SPを失敗した原因は本人にしかわからないが、自国の利権の思惑のプレッシャーに潰されたのだとしたら皮肉だ。FPでの盛り上がりは素晴らしかった。

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田中刑事の表現が全日本の時よりはるかによくなっていると感じた。

たとえば肘の使い方だけでも、すごく柔らかく豊かになっていた。高橋大輔にみっちり教わったのだろうか。

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ザキトワのエキシ。「火のプリステス(女神官)」。

これは面白い。このエキシを自分で考えたのなら、彼女はきっとすごい才能があるに違いない。

非常にプリミティブな、生命の根源的なもの。アニミズム。資本主義にも、近代以前の私有制にもにからめとられない、まだいきいきとなまめかしかった初原の身体。

オリンピックという世紀の経済イベント、この歴史の終わりに資本主義の欲望が化け物のように膨れ上がった祭典で、金メダルを(図らずも)勝ち獲ったザキトワが、経済イベントとは対極の、はるか歴史のあけぼのの、人間とも動物ともつかない生命のおののきを表現するとは。

その動物は火におののき、火をあがめ、火と交感していた。

彼女は決してセクシーな女性を演じたかったわけではない。

彼女は「火のプリステス(女神官)というものを考えています。これ以上は言えません。」と答えた。

彼女自身、巨大な組織や、大人の思惑に巻き込まれていくなかで、なにものにも縛り付けられない生身の身体や生命、その発露のようなものを大切にしたいと願い、その自分の核にあるものを安い言葉でマスコミに汚されたくなかったのではないか。

ザキトワ自身が、なぜこのようなものを演じているのか明確に意識できていないのかもしれない。彼女の即物的な直観から生まれているようで興味深い。

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メドベージェワとザキトワの頂上決戦。

私の感覚ではショートはザキトワ、フリーはメドベージェワのほうがよかった。

メドベージェワはマイムの芝居が得意すぎて、それがかちすぎてしまうために、彼女自身のやむにやまれぬもの、内発的なものが見えにくい。

それによって、プログラム全体が芝居がかって見え、身体的、感情的なリアリティを共有しにくくなるきらいがある。

ザキトワは驚異の身体能力を無造作に見せる。ことさらに感情表現をしているわけではないが、雑味も含めてはつらつとした身体運動そのものの魅力がある。

フリーでは、初めてメドベージェワのなかの何かが破れてあふれ出すようなものが見えた。

アンナカレーニナの不安に追いつめられていく神経、そして破滅する人生に、メドベージェワ自身が否応なく呼応し、そこからどんなに逃れたくても乗り移らざるをえなくて苦悶してしているようだった。

極上の夢と、熱狂と、破滅にむかう恐怖、そして自分が鉄道に飛び込む幻を見てメドベージェワは泣き出したのかのように見えた。

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2017年12月28日 (木)

次の本の制作 カメラマンと打ち合わせ

12月28日

次に出す本に新たに加える絵画撮影のため、カメラマンさんにうちに絵を取りに来ていただいた。

既に以前、ほかのカメラマンに撮影してもらっている画像データが10年以上前の出版にしか対応できていないやりかた(保存形式など)であるということがわかった。

撮影済みデータと、今回新たに撮影してもらうデータを調整してもらうお願いをした。

出版、印刷のやりかた、それに対応するカメラマンのやりかたも、どんどん新しく変化しているらしい。

I井さんを信頼しておまかせする。

12月20日

昼から中野に出て造形材料と古本を買い、3時に阿佐ヶ谷でFと会う。

寒かったが、川北病院の裏の巨大な欅の古木を見、神明宮のあたりを少し歩いた。

小学校の金網のすぐ向こうに、丸い実が金色に光り、そこに薄茶色の枯れ蔓が絡みついていた。キカラスウリかと思ったら薔薇の実だった。その向こうにボール遊びをする子供が快活に踊っていた。

Fは、彼の母親と18歳で上京する時に別れ、それ以来、頻繁に交流することはなかった。亡くなってからは、自分が子どもだった頃の母親のことを鮮烈に思い出す、と言った。

私のように成人してからもずっと近くに母親がいたほうが稀なのかもしれない。ずっと近い関係であったほうが、亡くなった時に母親の記憶を思い出しにくい、と言われた。

そうかもしれない。

父が異常で、母や私に過度な負担を強いたせいで、私は少しでも母の苦しさを軽減したい、母を幸せにしたい、という思いに駆られて、必死になってきた。

必死になっていたことは覚えているのだが、その時々の具体的な母の様子が細かく思い出せない。

介護をずっとしてきたにも関わらず、母が危険な状態になった時から、私はなにか大切な母の記憶がどうしても思い出せないようなもどかしさに駆られ、苦しんでいる。

私は母が亡くなってから心身がおかしい。ちゃびが亡くなってから、さらに心身がおかしい。

母とちゃびが生きていた時には楽しく思えたことが楽しく思えない。今は、自分のために意欲を持つことが不可能に思える。

ただ生存のためにどうしたらいいのか、どうしたら生きていけるのか、それだけを真剣に考えている。

Fと知り合って、来年で20年になる。

歌人の森島章人さんからパラボリカ・ビスでの展示のお誘いがあったことを話した。

そしてステュディオ・パラボリカから復刊された雑誌『夜想』と、パラボリカ・ビスというギャラリーがどういう傾向で、どういう人たちをターゲットにしているのかを、それほど多くを知っているわけではないが、私が知っている範囲で、私なりに、Fに説明した。

FはPCもメールもやったことがない。インターネットで情報を知ることが一切ない人だ。現在の若い人たちの流行も、「アート」をめぐる現況も、ほとんどなにも知らない。

Fに対して、「ゴスロリ」の意味や、日本における「球体関節人形」の流行りなどのざっくりとした説明をした。

「それで、その展示、どうするの?やるの?」と聞かれたので、「だから、材料買って来たんでしょ。」と、あまり説明はせず、きょう買ってきた袋を見せた。なにをやるのかは、まだはっきり決めていない。

3時半、ひとまずカフェに入る。

まずFのために買っておいたメラトニンのサプリを渡した。眠剤がどんどん効かなくなってきて、かなり苦しんでいるそうだ。

私はちゃびがいなくなってから動悸や過緊張の肩凝りや頭痛にひどく苦しめられ、毎晩辛い記憶にうなされて安眠できないが、眠剤は飲んでいない。精神安定剤を飲むようになることが怖いので避けたい。

かつて私が、その並外れた芸術的才能ゆえに好きだった人が、「お金を貸して。」と言っては(返すはずもなく)、薬やたばこを買っていた。そのことが私の中で許せず、澱のように固まっているからだ。

Fは「バイラルメディア」や「Change.Org」、「Me Too」など、私がしゃべった単語をメモしていた。

今日の一番の目的、私が今作っている、次の本のカンプのようなもの(掲載順に絵を仮にならべたプリントの束)を見てもらった。

Fに最初に見てもらったおよそ3年前から、熟考の末、絵の量がはるかに増えている。それを見てどう感じるか、Fの感想を聞きたかった。

本に載せるための絵の撮影をいったんしてから、やはり自分の外に在るものに寄り添って描いた時間を取りこぼしては本をつくる意味がないと思い直し、これから新たに違うカメラマンに撮影を頼むことにした。

「すごくいいね。あなたにしか見えないもの、あなたにしかできないことだ。」とFは言った。

私は「そう言ってくれるのはFさんと、この世であと2人くらいだけどね。」と真面目に応えた。

Fは、私のことを「生涯でもっとも影響を受けた人だ」と言った。目のつけどころ、ものの見方、どれもが驚異で、私と散歩しているだけで、ほかの誰と歩くのともまったく違う世界が見える、と。

とりわけFがいる、「高踏的」とも形容してかまわないだろう文学の世界は、言葉を言葉で批評することだけですべてが回っているからだと思う。

彼らが思う「見る」ということと、私がものを見ることとは、言葉の意味などでなく、おそらく体験の内実が違う。

「アート」の世界はさらに絶望的なまでに自分の殻に閉じこもった病んだ精神が、自明なまでにそこでは主流になっているからだと思う。

私と関わり、影響を受けてから出した本のほとんどすべてで賞をとった、とFは言う。

私はおよそ賞といったものに縁がないが、Fがもらった最初の賞金で、カニを食べに行ったことを忘れていた。5万円くらいかかったという、私にとって人生で最も贅沢な会食だったのに、そういう楽しい記憶を私は忘れていることがすごくもったいない。

5時半に食事ができる場所に移り、私は「七田」を飲んだ。

そこで初めてFに、なかなか口に出せなかったこと、ちゃびが11月に亡くなったことを告げた。話しているうちに、涙がまた溢れてきた。

Fは「そのことが気になっていたけど、なかなか聞けなかった。」と言った。

私はちゃびのいない世界で、なにひとつ自分の魂が高揚することがない。

そのことは、この世の誰にも信憑できることではないと思っている。

「愛情に際限がない」という言い方がもっとも私にあっている、とFは言った。性格がお母さんとすごく似てるんでしょ、と。

「精神疲労で頭が朦朧として回転が悪くなっている」と言ったら、「そんなことはない、昔から少しも変っていない」と言ってくれた。

それから最近興味深かった映画や漫画の話をした。Fは今日私が買ってきた漫画を借りたいと言った。まだその漫画を味わい尽くしていなかったので、私は貸すのを断わった。

12月11日

今年最後の書道。

「高談娯心」(楽廣)。「高尚なる談論をして心をたのしませる事」と本部からのお手本にある。

先生のお手本。

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私の書いた字。こうして写真に撮ってみると起筆の角度がおかしい(少し寝すぎている)。次から気をつけようと思います。

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今まで半年くらい、ふたつに割れてどうしようもない筆を使って書いていたので、そうとうな徒労があった。先日、安い(1600円くらいの)筆を新調したら、今までの苦労は何だったのかと思うほど楽に書けるようになった。

一度割れてしまった筆は、先生に筆の洗い方が不十分と言われ、どんなに洗っても元には戻らず、むしろぱさぱさになって余計割れるようになった。

昔、小学生の時、そんなに必死に筆を洗った覚えがなく、それでも数年同じ筆を使っていたような気がするので、もしかしたらむしろ洗いすぎだったのか?

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2016年9月 4日 (日)

対論:未知のアントナン・アルトー 

9月2日

室伏鴻アーカイヴカフェ、SHYでのイヴェント「対論:未知のアントナン・アルトー」に(編集のOさんと)行ってきた。出演は宇野邦一さん、 鈴木創士さん、荒井潔さん、岡本健さん。

早稲田にある、かわいい小さな喫茶店は超満員。定員15名くらいと聞いていたのに、40人くらい(?)集まった。今日はひどく暑く、会場は熱気むんむん。

河出書房新社から『アルトー後期集成 2』が出たので、それに関わるお話。

写真は左から荒井潔さん、岡本健さん、鈴木創士さん、宇野邦一さん。

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私の心がすごく顫動した話は、

「ピエロ・デラ・フランチェスカの塵と光」

フランチェスカには光る不思議な粒子があると思う。色の中の色。色の外の色。

「アルトーは崩壊そのものを詩的体験としてつぶさに描き続けた」ということ。

「狂気と言われる状態で、同時にアルトー、ニーチェ、ゴッホははっきりとヴィジョンが見えていた」ということ。

「アルトーは常に書いていた。地下鉄でもデッサン、線を引いていた。ベケットも常に書いていた。散歩、息、食べ方、沈黙、すべてが文章になる稀有な詩人」ということ。

そして「アルトーは自分の経験の固有性が盗まれることを極端に嫌った。決して言語以前の世界を目指しているわけではない」ということ。

私は、共有不可能な固有の体験がどのようなものであるか想像しようともせずに、私の言葉のうわずみだけを有頂天で盗用したり、私の身体にかかる重圧を面白がって収奪した人間を殺してやりたいほど憎んでいる。

私は自分たちはなにひとつ身体に損傷を負わずに、当事者を置き去りにして「知のおしゃべり」を楽しむ人たちが大嫌いだ。なんでもすぐに「わかります、わかります」と言ってくる人が嫌いだ。

不安で心細く張りつめた真に自由の旅ではなく、「漫遊」をしてものを書く人が嫌いだ。

立ち止まって眼を凝らして見ることさえせずに、些末なことについて、さも何か感じたように大袈裟なそぶりをして見せる人が嫌いだ。神経が死んでいるのだと思う。

そういう体験がよみがえってきて、胸が焼けつくような感じがした。

・・・・

4人のかたがたのお話は、たいへん内容が濃く、私は聞き書きしていたが、A4の紙、3枚の表と裏にびっしり書いても足りなくて、そのあとは小さな余白に書き連ねた。

その聞き書きの中から、ほんの一部を自分のためのメモとして、ここに抜き書きしておきたい。

宇野邦一さん・・・

アルトーの生誕120年になり、アルトーの読み方はどんどんかわってきている。

アルトーは実験演劇の提唱者として世界中で読まれた時期があった。寺山修司は影響を受け、成功。

精神病院でデッサンとともに書き続けた400冊のノートに触発されて、デリダ、ドゥルーズ、ガタリなど新しい哲学が生まれた。

荒井潔さん・・・

第3巻(『アルトー後期集成 3』)、『カイエ』について。

フランスでも大きな動き。『カイエ全集』が2012年、2015年にまとめて出る。

第2巻(『アルトー後期集成 2』)、『手先と責苦』。最後の作品集。死後30年。反社会、反宗教。

乱暴な言葉も細心の注意を払って書かれている。何度も推敲。口述筆記。断片。

『冥府の臍』、『神経の秤』、あえて雑然。

3部構成と序文。1947。序文の語りが奇妙。非人称。予言者。

第1部「断片化」。8つの独立したテクスト。

息もたえだえに行われる文化。身体を持つ前に根絶やしにされたひとつの文化。

トーテム。手に負えない獣性の深い穴。私の殺されたトーテムたちを寄せ集める。

損傷された身体をなんとか再集結しようとしているみじめな胃袋。

人間以前のけもの。まだ生まれていないが、大地が与えてくれるであろうもの。

現存の文化の外に立つ。

文盲。神秘。人間の生まれていないトーテム。

ポポカテペトル。文化の再検討。人間と身体の根本から見直し。

一者と自我・・・己を見ない。

二者・・・常に見る。

鏡像という分身を拒絶。砕け散った、内側から生きられない身体。それを見る眼。死の模造。

ヨーロッパのシミュラークルを離れ、自分の生きた身体をもって横断する。

「家畜小屋の母たち」。ロートレアモンについての手紙。ふくれあがった魂の袋。血を流す肉色の袋。

6つ追記。女性たちが死体として。アフォリズムではない、ヴィジョン。私は見た。動詞。

フラグマンタシオン。「断片化」されたもの。間隙。

不可視の統一体。身体の作業。

第2部「書簡」。手紙の受け取り手は生き証人。相手に態度決定を迫る。

1.閉ざされた世界、夢、葛藤。

2.外界の人に訴える。

3.社会への反撃。言礫(ことつぶて)。アンテルジェクシオン。

第3部「言礫」。いわゆる正常な、しかし空疎な意味を削ぎ落とし、凝縮した言葉をちぎっては投げかける。

三幕の復讐ドラマ。出版計画がとん挫したことで一冊になった。書物が必然的にまとう身体構造が明らかになった・・・「残酷」。晩年、3という数字を激しく嫌悪。

『手先と責苦』。ノートの裏。構成主義的側面。論理を構築する。

ポール・テヴナン・・・意味で読めるものとしての『カイエ』。

ローラン・ド・ブルイエ(?)・・・読み方を3つくらいに分けた。1、理論でまとめる。2、反復になるが、これは正しいとつき従う。3、理性的な読み、つまづいて止まる。ブルイエとしては3。

アルトーは意味を突き抜けてしまうくらい意味がある人。極端に意味の人。身体の叫びなんだから意味なんて考えなくていい、というのは怠惰。

鈴木創士さん・・・

ポール・テヴナン、「わが心の娘たち」。女優。その娘、幼児、ドミニーヌ。晩年のアルトー、52歳、手をつないで幼稚園。

ジャック・リヴィエール。ガリマール社に詩を拒絶されたことを批判した書簡集。

思考ができない。ものを考えることの中心、思考の崩壊。生理的次元。

思考の中心には崩壊がある。過激。

『へリオガバルス』・・・構成、古典的。

『ヴァン・ゴッホ』・・・古典的とは言えないが理解できる。詩的だが、構文的にはおかしくない。

『タマウマラ』・・・メキシコ。人類学的な旅とは違う。ペヨーテ、ペヨトルの儀式に関わる。麻薬。コールリジ、ドラッグをしながらものを書くことにおいてアルトーに匹敵するのはバロウズ。

「この私の肉体という最悪。」「私の中へ脱臼。」

アルトー・・・自分自身の「中の外」へ出て行くため、分裂を繰り返す。「断片化」。

文化人類学者・・・自分自身の中に入る。

アンリ・ミショー。ヒッピー、中に入って拡大。

演劇的。演劇とはなにか。構成と分裂。極端にあらわれる。

ギリシャ悲劇の戯曲。

最後の『手先と責苦』。

寺山修司。この演劇を支配しているのは誰か。演劇によって演劇を(黒子が)ぶっつぶす。当時は、外で闘争やってるのに舞台でなにやってるんだろう、と腹がたったけれど、今にして思えば天才的。

日本の舞踏家たちへの影響。自分の中に出て行く。原理とのたたかい。

土方巽。「肉体の中にはしごをかけて降りて行く。」

全ての帝国は滅ぶ。アナーキー。古代原理の闘争。太陽神、アマテラス、アポロ。

『へリオガバルス』。アナーキーとは統一の感覚を持つことだ。塵の感覚でもある。

歴史はカオス。事物の分裂。事物の多様性。統一の感覚。

ルネサンス芸術。ルーカス・ファン・ライデン「ロトと娘たち」が演劇のイメージ。アルトーは近親相姦のこだわりも強い。火山の爆発。船が沈んでいる。

アンジェリコ、フランチェスカ、マンテーニャをルネサンスから分ける。

演劇・・・音声、身振り、ルネサンス的。

自身の身体がバラバラになって、また寄せ集める。

ルネサンス・・・ボッティチェリが思い浮かぶが、ボッティチェリはメディチ家を批判した坊さんを支持。晩年はバロック。渡辺一夫や大江健三郎のように人文主義と考えるのはよくない。

映画『神々の黄昏』。地球から500年遅れている。ルネサンスもそんなだったかも。ペスト。ダンテはフィレンツェに帰ると火あぶり。そうした状況で『神曲』は書かれた。

フランチェスカ・・・光。塵。知覚。バルテュス(アルトーが絶賛)への影響。

ものすごく繊細。

フランス人におけるアンティゴネー。ソフォクレス、エウリピデス。死ぬまでギリシャ悲劇を読んでいた。分裂と構成。

アルトーのひげを剃る人に『ヴァン・ゴッホ』を献呈。イヴリーの庭、庭師とよく話す。一般の人にはすごくやさしい。ユーモアの人。

カフカと少し似ている。日記ということ。

アルトーは常に書いていた。地下鉄でもデッサン、線を引いていた。ベケットも常に書いていた。散歩、息、食べ方、沈黙、すべてが文章になる稀有な詩人。

フーコー『狂気の歴史』。狂気とは営みの不在である。アルトー、ニーチェ、ゴッホはそれが同時に起こっている。

岡本健さん・・・

理性のありかたが疑問視される。20世紀は一世紀だけで、有史から19世紀までの戦死者の数をはるかに超える。優生――理性。

狂気、非理性の側から、理性が問い直される。

フーコー。狂気とは患者との関係性。反精神医学。

個人的体験。糞尿。恨み。この世の便器。

1歳8か月前の人間は五感のすべてを使い経験。その後、言葉以前の世界と融和させる。直接的経験。

言葉とは他者のもの。ズキズキ・・・判断を共有しているにすぎない。

自分の経験の固有性が盗まれる。固有性を維持するためにグロスバリ(?)言葉をつくる。

言語以前の世界を目指しているわけではない。自分の体験の独自性を盗まれないことを目指す。

展覧会の壁に視覚、聴覚、香り、ゴッホの絵。

「アルトー・モモ(子ども、ガキ)」。鼻たれ言葉のアルトー。言語をもって、言語を超えた世界をつくる。

言語の他者性。他者のなかで受肉して脅かす。

発語しているのは誰か。「キ・スイ・ジュ? 」(アンドレ・ブルトン『ナジャ』の書き出し)私とは誰か、私は誰を追っているのか。

私を名づけてくれる人。他者を排除するのではなく、名指す、名指される関係を再構築する。俺は俺の父、母。

宇野邦一さん・・・

出発点は初期の書簡。思考の不可能性。崩壊。身体の麻痺。若い頃の仕事、生き延びるため。

哲学の体験。既成のいかなる哲学とも似ていない。

崩壊と同時に構成。したたかに続ける。

ドゥルーズ『差異と反復』・・・思考のイメージ(ほとんど「表象」と同じ意味でつかわれている)が崩壊。「表象」がない思考が体験される。

アルトー・・・崩壊そのものを詩的体験としてつぶさに描き続けた。

マラルメ・・・自殺の危機。崩壊。新しい言語空間。アルトーとは似ていない。

アルトーは不可能性そのものから詩を生み出す。イメージをしっかりつかんでいる。崩壊を絵画のように描き出すことができた。

ドゥルーズの言うイメージとは違う意味。映画論の新たな独自のイメージとはひっかかる。

アルトーはあらゆる危機を生き延びた。新しい思考のかたちを提出できた。

「私の職業はカリカチュリスト(風刺画家)である。」

人間の顔はうつろな力、死の畑。身体とは一致したところがなく、顔を描くことをアカデミックであると批判を与えるのは馬鹿げている。

かたちをすりつぶしているにすぎない。顔は身体に対応していない。

人間の顔はフェズ(?聞き取り不明)を見つけておらず、それを発見するのは画家。永遠の死。

あるがままの顔面は、顔をさがしている。顔にその固有の線を返してやることで、画家が顔を救う。

アルトーにとって、デッサン、顔、死とはなにか。

アルトーの人類学。バリ島に行ってフィールドワークなどしていない。パリに来たバリの舞踏団。ヨーロッパ世界の外の生き方。読解。精神の中の運河。非人称化。

タマウマラ。山の岩石の上で責め苛まれる身体。記号の山。山なのか、私なのか。岩石そのものが苦しめられる身体。偽造された身体とともに生まれた。

被害妄想を突き進んでいく。そのまま受け取らないと。そのまま理解する。

テヴナン、統合失調に光をあてた一大叙事詩『アンチ・オイディプス』に激怒。ドゥルーズは臨床例ない。あまり自分のテリトリーから出ない。ガタリは臨床ともつきあっている。

『へリオガバルス』。太陽神信仰。論文のような小説。D.H.ロレンス、へリオガバルスに興味。精神分析を否定。両性。せめいぎあいは永遠に続く。

古代エトルリアはかなり不思議な文明、ローマは批判。

「スノードロップのような(清らかなみずみずしい)へリオガバルス」を批判したらだめだ。破廉恥、女装、乱交。

アニミズムとはなにか。動物と人間の境がない。すべてが主体。

レヴィ・ストロースの構造主義は、もうすっかり終わらざるを得ない時代。

客席から、「もっとわれわれにとって有意義な(「有益な」だったかもしれない)議論の枠組みを」みたいなサジェスチョンも入る。だが、アントナン・アルトーの失望と怒りの声を(彼の評伝から)ここに控えめに書き写して、今回のイヴェントの、私なりのささやかなまとめとしておきたい。

「彼らはいつでもなにかについて知りたがる。『演劇とペスト』についての客観的な会議なら許せるというわけだ。けれどわたしは彼らに経験そのものを、ペストそのものを与えてやりたい。彼らが恐怖を感じ、覚醒するように。」(アナイス・ニンの日記に残されたアルトーの言葉)

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この室伏鴻アーカイヴカフェ、SHYには、室伏鴻さんが持っていたたくさんの本や、CDなどもあります。

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本は数千冊ありそう。ここにはいらなかったのもあるそうです。

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ほとんど考えられないくらい充実した現代思想に関する蔵書。多くの本の背には、室伏さんの自筆で書名と著者名が書かれています。
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室伏鴻さん所有のCD。やはりすごく多い。

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イヴェント後、室伏鴻アーカイヴカフェ SHYの窓を外から撮った写真。

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サインに応える鈴木創士さん。
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カフェに来た自分の記念写真を撮ってもらうのを忘れていたので、高田馬場へと向かう裏道できょうの記念に撮影。

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高田馬場の細い裏道が好きだ。「多摩旅館」と書いてある古い旅館があった。

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私の好きな階段。いつ来ても、また、この階段の上にはなにがあるのだろう、階段を上ったらいったい何が待っている(見える)のだろう、と思う場所。

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私は黒くくすんだ細い階段が大好きだ。セメントの狭い亀裂からのびているヒメジョオン。メヒシバ。オヒシバ。フェンスに絡まるヒルガオ。虫の声。

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