フィギュアスケート

2017年4月16日 (日)

浅田真央引退  タラソワ  『仮面舞踏会』 『鐘』

4月13日

11日の夜に浅田真央の引退のニュースを聞いて、言葉が出て来なかった。もう少しのあいだは、彼女が闘う姿を見られると思っていたので、すごくショックだった。

彼女の演技のなにに、こんなにも惹きつけられたのか、それを表す言葉が新たに出てくるだろうか、とずっと考えていた。

12日のTVの『引退特別番組 浅田真央26歳の決断~今夜伝えたいこと~』を見た。

浅田真央自身がどれほど重いものを背負って死に物狂いでやってきたかを、近くにいて確かに知っている浅田舞が、直接、真央にむけて言葉を(選びながら、かみしめながら)かける、というシーンに泣けた。

彼女がやってきたことの価値も意味も少しもわからないタレントの頓珍漢なコメントや、大人げない記者の間抜けな質問は不快なだけだ。

タラソワについての思いを聞かせてくれる質問がほしかった。

・・・

私が浅田真央に痺れたのは、彼女が17~18歳で、タチアナ・タラソワに師事した時からだ。タラソワは、無邪気な浅田真央をがらりと変えた。

『仮面舞踏会』。この、なんとも妖しく豪奢な、速い3拍子の、繰り返したたみかけてくる旋律の曲を選んだタラソワのすごさ。

初めての舞踏会に浮き立つ少女、同時に運命の残酷さにまだ気づかない少女。

浅田真央が頬を染めて初々しく輝けば輝くほど、私には毒を盛られたことに気づかず舞踏会の夢で踊る少女、悶絶する最期を前に、死に神と手を取り合って高らかに舞う乙女にも見えてくる。

シャンデリアの煌めく大きな部屋、彼女のまわりにも光る絹やビロードの衣装と仮面をつけて、ざわざわとなにかささやきながら踊りに興じるたくさんの死者が見える。彼らの口元は微笑んでいるが、眼は隠されて見えない。

そのように、めくるめく多重のイメージを自分が演じていることを、この時の浅田真央は、気づいていないように見える。

タラソワはもちろんすべてわかっていて、浅田真央が(類い稀な身体能力を持つ天才で、かつ)無垢で可憐な少女だからこそ、このような暗く濃い色彩の、残酷で華麗な、夢幻劇が展開される曲を、彼女に振り付ける。

タラソワの振り付けは、文学的な意味ではなく、暗喩や象徴の極みとも言える身振りとして、見る者、ひとりひとりの内奥、記憶の深遠に直接訴える。

タラソワの深みの、情念を排除しない、いわば骨がらみの思想を顕在化するにあたって必然の、実際にそれを可能にする能力を持つ極めて稀な身体、その受難(パッション)のしるしを刻まれた人材、

夢見るような顔で難易度の高い振付を実現してくれる浅田真央の天才に、その千載一遇の邂逅に、タラソワはどんなに歓喜しただろうか。

浅田真央は自分が甘美な少女でありながら、死の舞踏を演じていること、自分が見るものをぞくっとさせる魅惑で、人々の眼を見開かせていることに気づかない。

だからこそ、『仮面舞踏会』の浅田真央は、この世のものではない、触れるこのできない美少女として輝く。

この時の綺麗な衣装は黒、紅薔薇色、黒紫、鮮やかなピンクと、4、5着あったように思う。衣装によっても舞踏会の情景や、そのドラマはその都度違って見えた。それほどに想像力を刺激するドラマチックなプログラムだった。

バンクーバーで紅薔薇色の衣装の浅田真央は最高に豪奢な『仮面舞踏会』を舞った。

そしてバンクーバーのクライマックスに、もっとも難しい『鐘』という曲を選んできたタラソワの思い、その感性。なんという良い曲を、タラソワは浅田真央という主役の、最高の舞台に選んだのだろう。

浅田真央でない凡庸な選手が『鐘』を演じたら、この曲の重厚さに押し潰されてしまい、ただの暗鬱でもったりした退屈なものになってしまう。

自分で自分の頬を叩いて怒りの形相をする真央のなんという斬新さ。

この凄まじい闘争、怒り、忍耐といったものを、ある濃い色彩や幅のある喚起力を伴う強烈に印象的な動作、変幻する鮮明な絵として具現化するタラソワの真骨頂。

この『鐘』の映像を見ながら、「この時が一番強い気持ちだった。毎日怒ってたもん、リンクで。」「負けたくないという気持ちが・・・鬼みたいだった」と浅田真央自身が言っていた。

それほどこの曲は浅田真央を最大限に生かし、鬼に、魔物に変容させた。

タラソワと浅田真央の『鐘』は、真にスリリングな生存の闘争のドラマであり、陰影の濃い叙事詩であり象徴詩だ。

タラソワの底知れぬ深みと卓越した感覚から生まれてくる詩が、浅田真央という素の天才の身体によって、現実に顕わされてくる瞬間、瞬間、その奇跡に、私は完全に魅入られてしまったのだと思う。

浅田真央の身体は、理論や言葉ではなく、身体の感受性として、直接的に、非常に高度で難解なタラソワの振り付けの核心を受容し、理解してしまう。

浅田真央の身体の感受性のなににも染まっていない素直さ、柔軟さ、同時に頑迷とも言えるほどのひたむきさ、激しく一途で、困難に耐え、あえてリスクに挑む勇気、最高の難易度のことをやり遂げようとする向上心、その不屈の精神が、この『鐘』を体現した。

バンクーバーでは、エキシビションもタラソワが浅田真央のために最高に華やかな「カプリース」を用意していた。

どんな点数が出ようと、この大会で、浅田真央は明らかに主役であり、すべてにおいて、二度とあり得ないほど突出していた。

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タラソワが浅田真央に選んだ素晴らしい曲のひとつ『シュニトケのタンゴ』もまたよかった。

もの哀しいようで情熱的、格調高いステップ。

シュニトケは、前衛的な表現のためにソ連当局から弾圧された作曲家だ。私は詳しいことは知らないが、タラソワの亡くなったご主人(ピアニスト)に捧げた曲もいくつかあるらしい。

タラソワが浅田真央にシュニトケを演じさせることに深い思いがあったことは、おそらく間違いない。

「ロマノフ王朝の最期」(原題は「苦悶」)。この映画もまた破滅、最期がテーマだ。

このタンゴが使われている「愚者との生活」のヴィクトル・イェロフェーフェフ台本の歌劇のCDは実に興味深かった。

倒錯と狂気、ソ連当局を痛烈に批判する風刺に溢れながら、極めて詩的だ。

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タラソワがほかの選手に振り付けたプログラムにはどんなものがあるのか、少し調べていて、偶然、タラソワのアニバーサリーのショーの動画を見た。

名だたる選手がたくさん出演していたが、浅田真央の『鐘』や『仮面舞踏会』『ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番』ほどにすごいものは、ほかにないと感じた。

タラソワと浅田真央の出逢いが生みだした奇跡は、女子フィギュアの最高傑作だと思う。

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2017年4月 3日 (月)

世界フィギュア2017 FP 宇野昌磨ほか

4月1日

世界フィギュアFP。

本郷理華選手、身体的、精神的苛酷さに耐えてよくやりきったと思う。どんどん美しくなってきた。

綺麗な目に涙をいっぱいためて、いじらしすぎる。

若いふたりのがんばりにも瞠目した。

ポゴリラヤ、まさかの事故?というようなミス。思わず氷に頭をつけてうなだれる歎きの動作も劇的に美しく、彼女の表現になっている。

どうしようもなく「本物」を感じさせる身体表現、人並みはずれた力を受け止め解き放つ身体を持っていながら、ジャンプで失敗してしまう選手を、心から愛おしく、応援せずにはいられない。

点数がどうでも、私はあなたの美しさをずっと覚えていますよ、と言いたい。

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宇野昌磨FP「ブエノスアイレス午前零時 ロコへのバラード」。

ここ一番の大舞台で最高の演技。今回はSP、FPそろえてやりきった。

本当に、よくこんな曲を、と思う素晴らしい選曲。この選曲がよくないと言う人がいることが信じられない。

浅田真央の「鐘」の時にも、選曲が悪い、暗いとか言っていた人たちがいて、うわ、クソアホラシイと思ったが。

耳に心地よいとばかりは言えない平凡ではない楽曲、彼の年齢では踊りこなすことができないと思われるような難しい曲を、若い彼が、尋常ではない感性と、さらされつつだれにも見えない秘匿された身体によって踊りこなしてしまうこと、この奇跡にこそ、醍醐味があるのに。

都会の午前零時。時計の針は乾いた音を刻む。喧騒は遠ざかり、空気がしんと冷えてきて、冷たく固い街路に、ひとつひとつの物音がもの哀しく金属的にく響く時刻。

真夜中、零時から始まる熱いドラマの開幕。

どこにもない失われた時のドラマ、25時の夢幻劇だ。

時の流れは残酷だけれど、人の匂いにひきつけられ、酒を飲み、その時々の熱を交わし、叶えられない夢、喪失されてしまった大切なもの、愛した人の思い出・・・

そしてキーン!という音とともに時空は劇的に破壊され、

私だけのロコ、ロコ、ロコ、・・・それは目の前にいる愛くてたまらない恋人、いかれたあなた・・・

頭にはメロンをかぶり、素肌にシャツの模様を書き、

あるいは、とても辛い片思いの恋人、まだ見ぬあなた、空想のなかの愛しいあなた、

ピアンタオ、ピアンタオ、ピアンタオ(crasy、)・・・

さあ、私を愛して!おいで、一緒に飛ぼう、おいで!!

アッハハハハハ・・・

孤独で、淋しくて、ぎりぎりに追いつめられて、甘くて、苦くて、自嘲しながらも、それでも思い切り自由に、一度きりの人生を生き抜く強い生命の讃歌。

最初から最後まで、権力の側にいるのではない、つましい人たちの、それでも必死に生き、人生を楽しむ夜の讃歌。魂が自由に飛ぶ真っ暗な夜の。素晴らしい楽曲。

宇野昌磨は、大人のはみ出し者の歌を、つまり他者の歌を、表面的ではなく、その深みから、危機と隣り合わせのバランスで、情感ともども救出した。

彼にしかできない奇跡。

FPで宇野のPCSが4番目というのがわからない。特に曲の解釈が4番目というのが納得できない。

(SPでもPCS・・・SS(スケート技術)、TR(要素のつなぎ)、PE(動作/身のこなし)、CH(振り付け/構成)、IN(曲の解釈)すべてがフェルナンデスより下なのには、今さら驚くようなことでもないが、あらためてうんざりしていた。FPの評価ではさらにげんなり。)

私としては、オリンピックでも、どうか世界中で彼だけが演じきれるような、個性的に際立った選曲でありますようにと願わざるをえない。

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2017年3月31日 (金)

世界フィギュア2017 SP 本郷理華 宇野昌磨

3月29日

本郷理華の「カルミナ・ブラーナ」。以前にも書いたが、私はこのプログラムがすごく好きだ。

私には今回の女子のSPの中でもっとも美しく見えた。

彼女の恵まれた容姿とダイナミックな動きを、これほど妖しく端麗に見せるプログラムはないのではないか。

ミステリアスな薄闇の、もの言わぬ何かたちのざわめきと、冷たい光に満ちている。

始まる前の、彼女のポーセリンのような額。おっとりとした少し哀しげな眉。宙を見つめる目と半開きの唇。

さあ、私を見てちょうだい、と観客にアピールする表情ではない、

おごそかに、これから訪れるものを待つ、あくまで静かで透明な表情がたまらない。

まるで、これから降りてくる激しい衝撃と苦しみを全身で受け止める覚悟のように。

そして彼女の白く長い腕を思いきり高くかざし、そこから壮大な旅が始まる。

畏れ。不協和音、軋みと同時に、優しく、幽かに震えているようなもの。

身体は力強くダイナミックに、顔はまるで放心したように、夢見るように、憂いを秘めて、甘く、うっとりと。

長い手足は伸びやかに躍動し、先端の指は瞬間、瞬間に花を咲かせ続ける。

希求しては、無言の声に耳を澄まし、無言で語りかけ、思いつめて追いかけている者が、同時に追われている者になり

あどけなくて無垢な少女が、はりつめて、戦慄するほど美しくなる。

冷たい空気の中に、たくさんの情景が錯綜して見え、

押し寄せてくるたくさんのものとの相克。最後は耐えぬいてて渾身の疾走、顔は微笑みながら炸裂する激しく迸る生命の讃歌だ。

まるで、自分の美貌がどれほど羨望と嫉妬の的になるのか気づいていないように、少年のようなしゃべりかたをする彼女にこそふさわしいプログラム。

苛酷な連戦と不調の中、彼女は乗り越えた。直前の公式練習で転倒していたのを見て、私の胸はすごくどきどきしたが、本番での集中は素晴らしかった。

私の感覚では点数が低すぎる気がした。もっと評価されていいのに。肉体的、精神的に疲れもピークだろうが、どうかFPも彼女らしく、楽しんでやりきってほしい。

今回の女子SPで、私が本郷選手の次に惹かれたのは、やはりアナ・ポゴリラヤだ。身長も体型も本郷選手と似ている。彼女の激しさと優雅さをかねそなえた身体表現は素晴らしい。

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宇野昌磨「ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジー 映画『ラヴェンダーの咲く庭で』より」。

この大舞台で最高の出来。

私が彼に魅せられるのは、単に音楽と表現が合っているからではなく、彼が大人の深い哀切の感情を身体で奏でることができるからだ。

このプログラムでは、個人的な悲しみの記憶が、ラヴェンダー、モーヴ、ヴァイオレットなどの変化し続ける色彩を伴って見えた。

今回の男子SPで、私が宇野選手の次に惹かれたのはジェイソン・ブラウン。この曲は彼独特の世界に合っている感じがした。

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2017年2月28日 (火)

本郷理華 「カルミナ・ブラーナ」 ・ 宇野昌磨 /  絵の撮影

2月26日

フィギュアスケート四大陸とアジア選手権が終わった。

本郷理華のSP「カルミナ・ブラーナ」の個人的な印象。

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「おお、フォルトゥナ!運命の女神よ。月のように、姿は移り変わり、……」

だがそれは、言葉ではない。無言の全重量と釣り合う、もはや誰のものでもない叫び。
合唱という匿名性によって名ざされ、召喚される、いまだ名もなきものの怒りにも似た静寂。
その魂ととともに立ち上がり、長い腕を掲げて天を仰ぐ出だしから、私はぐっと引き込まれた。

それからなよやかに、ひそやかに、冷たい水の中をすべってゆく銀の細い魚のように、

天から零れ落ちてくるなにかを、手を伸ばして受けるように、

空気に舞う風媒の種子たちに触れるように、

あるいは中空に無言で語りかけ、自らの思いを差し出すように、

きわめて優雅に、麗しく、かつ伸びやかに、誰かの記憶に息を吹き込む

「常に満ち、欠け、生は忌まわしく無情に、時に戯れに癒して、貧困も、権力も、氷のように溶かしてしまう……」

古い建物の窓のすりガラスの光、ずっと揺れている、震えている灰色の細い木々の重なり、

記憶の中の、淋しく、なつかしい薄暗い風景のなかに、

時折、見え隠れしていた、なまめかしく、生命的なもの、

危うく無防備でありながら、誰にも触れられない、傷つけられないもの、

私はずっと覚えていて、いつでもそこに戻っていけるのだと告げるように、

刻々と移り変わる薄明光の階の下で、

鳥が一斉に飛び立つ羽音を聞き、旋回する影と交差しながら、

そして強い風にさらされて翻弄されながらも、その風に乗って、どこまでも遠くまで未知の場所に流離っていくように、

そんな女性的な、なにかとても美しいものを見ていた。

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私は、本郷選手の中で、このプログラムが一番好きだ。

彼女の端麗さが非常に際立つプログラムだと思う。

ジャンプの失敗はあったが、表現はとても洗練されてよくなっていると思う。

若く瑞々しい選手の、まさに表現が大人になる時に、ちょうどスランプの危機が来ることが非常に悩ましく、いとおしくも切なくなる競技だ。

夏から足首の怪我があったらしいが、今、跳べないのが精神的なものであるならば、次はよくなりますように、心より復活を願っています。

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男子は4回転ジャンプ合戦になったが、やはり宇野昌磨の表現に引き込まれた。

彼の演技はいつも、めくるめく情景を見せてくれる。

人それぞれの体験の重さ、想いの丈の際だった瞬間、その記憶、感覚を呼び覚ましてくれる喚起力がある。

2月24日

次の本の制作のための、絵の撮影。

1:30にカメラマンの糸井さん宅へ。

外の光はカーテンで遮断して(真っ暗ではなく、自然に薄暗い昼間の感じ)、ストロボは3つ。

前回の最後に撮影していただいた感じがすごくよかったので、今回の撮影の光のあてかたもそれに近くなるように、4回ほど光を微妙に調整して撮影していただく。

銀箔が全体にフラットに白っぽくなりすぎないように、斜め上に軽くスポットを当てて、絵の下側に行くにつれて少し暗い色になるように、銀の質感が生々しく出るようにしていただいた。

絵の線描が全部、バランスよく見えるように撮るのはセオリーだが、強い太陽光の下ではなく、そんなに明るくない小さな部屋の壁に掛けられているのを見ているリアルな感じを希望した。

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糸井さんは、光の違いによる絵の見えかたの微妙なニュアンス、雰囲気の違いを、とても理解してくれて話がすっと通じるので、初対面から仕事がすごくやりやすい。

万一、追加で新作を撮ってもらうことがあるかもしれないことを想定して、ストロボの出力など、今回の設定を記録しておいていただく。

途中、3:30頃、撮影予定だった絵が一枚足りないことに気づく。

Mに電話して、事務所から届けてもらった。Mは一時間後に到着。駅で待っていたら、急にすごく冷え込んできて、胃が痛くなった。

この時の冷えによって、次の日、吐いてしまい、一日具合が悪かった。撮影終了後に、Mと駅前の居酒屋に入り、空腹に梅干しサワーを飲んだのがよくなかったのかもしれない。

風邪やインフルだったらどうしようと焦って、友人に連絡し、会う予定を延期してもらったが、結局風邪ではなく、ただ胃腸の調子を崩しただけだったのでよかった。

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2016年12月27日 (火)

フィギュア全日本2016 浅田真央 宇野昌磨 / アダム・リッポン

12月26日

浅田真央の全日本が終わった。

「リチュアルダンス」。赤い焔。

この艶やかさは真っ赤な衣装のせいでも、くっきりした化粧のせいでもなく、

ぎりぎりまで自分を追い込んで、不可能性の場所にかろうじて立っている人だけが、深い闇の中で放つ焔の燃えるような輝きだ。

幾度かのジャンプの失敗のあと、クライマックスで、レイバックスピンからステップにはいるところの、恐ろしく燃えあがる紅炎(プロミネンス)をまとった顔。

見ているこちらの胸にも炎が燃えうつる最高の表情。

そして運命に抗うステップ。全身全霊の彼女だけの際だった表現。

何度見ても、いい。

SPが跳梁する魔物で、FPが情熱的な女性だと思っていたが、FPこそが、めらめら燃える魔物に見えた。

今までずっとSPの黒い衣装のプログラムのほうが激しくて好きだったのだが、初めて、FPの真に燃える焔のリチュアルダンスを見せてもらえた。

投げいれられた花々を拾い、客席から差し出された花束を抱えきれないほどに受け取る浅田真央を見て、もしや引退かと胸が締め付けられたが、まだ続けてくれると聞いて、本当に嬉しかった。

今回の全日本で、私はまたも確かに、浅田真央という自転する美しい星を強烈に胸に焼き付けた。

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そして引き合うもうひとつの星。

宇野昌磨「ブエノスアイレス午前零時 ロコへのバラード」。

非常に難しい大人の曲。難しいプログラム。

黒い暗鬱な淋しい夜。始まりはあえて、残酷な時計の針が操る人形のような、幾何学的な無機質な動き。

曲調に合わせて徐々に熱を帯びる動線。

ヴォーカルが始まると同時に、大きく腕と胸を広げ、熱く柔らかい息を吹き込む。

たっぷりと優しく、哀しく。ローコ、ロコ、ロコ・・・と愛おしみ、追憶するように、包みこむように。

そして激しい叫び。これこそが私の人生、あっははは・・・と自嘲するように、讃えるように、強く訴え、クライマックスのクリムキンイーグル。

終わった時の感極まった表情、コーチに抱きついた時の閉じた眼と激しい息の音。

宇野昌磨には天性の表現力と、非常にイノセントな魅力を感じる。

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全日本ではないが、グランプリファイナルでのアダム・リッポンは素晴らしかった。彼が初めてファイナルに出場したことがとても嬉しかった。

彼は完璧に美しい容姿だけでも驚異的なのに、異様に研ぎ澄まされた表現力を持っている。

SPの「Let Me Think About It」。ジェフリー・バトルの振り付けなのですね。これでもか、と彼にしかできない高度でチャーミングな動きを詰め込んだプログラム。

そしてFPの「Bloodstream」。傷ついた鳥の命の羽ばたきのエロス。

今回はジャンプの失敗はあった(フランス杯の時はうまくいった)が、鍛え抜かれた鋼の肉体から紡がれるこの端正さ、なよやかさ。この紗がかかったような、光のベールを纏ったような魅惑は尋常ではない。

「リッポン、これ以上ないくらいに最高。傷ついた鳥なんだから、ジャンプはこれでいいんだよ!」と友人。

彼の内側の最深部(つまり内部の外部)から溢れる力と形象(フィギュア)に心奪われた者は、だれでもそう納得するはずだ。

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2016年10月28日 (金)

フィギュアアメリカ大会 浅田真央 宇野昌磨 アダム・リッポン

10月22日

遅ればせながら22日に見たアメリカ大会の話です。

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浅田真央「リチュアルダンス」。

私はこの不穏にしてだんだん高まっていく炎のような曲が好きだ。

素晴らしいプログラム。特に私はショートの黒のプログラムが好きだ。

(ローリーの振付けた「素敵なあなた」や「アイ・ガット・リズム」は、正直、浅田真央が演じるからこそ興味を持って見、応援したが、プログラムとしては苦手だ。)

まるで素肌から黒い羽が生えたようななまめかしくも野性的な衣装。とても美しさを際立たせる衣装だと思う。

まがまがしい魔物が跳梁するような浅田真央は素晴らしく魅力的だ。

シーズンの最後にはピークを合わせて、最高の出来を見せてくれるのでしょう。シーズン最初には、このくらいまだ出来上がっていないほうがむしろ安心な感じがした。

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宇野昌磨「ブエノスアイレス午前零時・ロコへのバラード」。

よくぞこんなにも大人びた哀愁のある曲を選び、それをここまで踊りこなして、と驚愕。彼はどんどん、めざましく表現力がよくなる。

真夜中のもの哀しい都会。そして世の中からはじき出された者への哀切に満ちながらも熱く燃え上がる愛情の賛歌。

なんとも難しい曲を宇野昌磨は繊細に情感こめて、しかもダイナミックに演じた。

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また、私が今回、すごく惹かれたのはアダム・リッポンのFP、「映画『The Crimson Wing: Mystery of the Flamingos』サウンドトラックより」だ。

彼は白鳥のように見えたが、映画のテーマからするとフラミンゴなのだろう(フィギュアを鑑賞するにはどちらでもよいことだ)。

身体、精神ともに激しい苦痛や困難を負いながらも、表現として優雅で、乳白色の紗や靄がかかったようなミステリアスでロマンティックな雰囲気として見せているように感じ、ぞくっとした。

彼のお母さんはバレエダンサーだったと聞いて、なるほどと思う。彼は鍛え抜かれた強靭な肉体を持ちながら、腕や手首、指先。首などの表現が信じがたいほど詩情に満ちている。

アダム・リッポンのこのプログラムには香気を感じた。

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2016年4月 4日 (月)

フィギュア世界選手権2016

4月4日

フィギュア世界選手権の個人的な感想。

浅田真央の「素敵なあなた」。鮮やかなつつじ色の衣装で、華やかに女っぷりを見せつけるプログラム。ジャンプのミスは惜しかったが、表現がより大胆に魅力的になっていた。

そしてFPの「蝶々夫人」。

正直、私は最初、あまりこのプログラムに期待を持てなかった。それは彼女がこの曲に思い入れがあるとしても、それが動作としては外に伝わりにくく、非常に「内面的」「観念的」なプログラムだと感じたからだ。

「日本人的なもの」の概念は常に不明であるし、そこにオペラ作品として盛り上がる悲劇のカタルシスがあったとしても、ヒロイン「蝶々夫人」の生き方に日本人女性的な素晴らしさがあるのか、よくわからないからだ。

しかし、シーズン最後の浅田真央の「蝶々夫人」の演技は、今までで最も力強くダイナミックに、張りつめた想いと強い意志が顕われていた。

軽やかで優雅なだけではない、これまでの道のりの重み。

後半の曲調が変わる部分。激しく腕を振り、もろもろの不安や迷い、気弱な気持ちを振り切り、思いのたけで前へ駆け出す。そして最大限に息を吸い込み、風を切って氷の上を疾走。

これまでも困難を乗り越えてきたように、これから何があろうと、自分の意志を貫き、やれるところまで惜しみなくやりぬく、と言っているように私には見えた。これは浅田真央の物語なのだと。

演技を終えた時の素晴らしい汗。精一杯やり終えた、という安堵の表情。この晴れ晴れと輝く顔を見られて嬉しい。復帰してくれたことが本当にありがたい。

そして一日経ったエキシビションの後に、彼女は「悔しい気持ち方が大きい」と言った。来年はもっとすごいものを見せてくれる、と。さすが浅田真央だ。

競技選手でいられる時間が有限であればこそ、個人的には、次こそいわゆるきれいさ、透明感を見せるプログラムよりも、多少奇矯なくらいの重厚さ、濃密、深遠を見せる意外性のあるプログラムをのぞんでいる。

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宇野昌磨の「トゥーランドット」。武者震いが伝わってくる気迫。まさかのジャンプの失敗。そのあとの渾身の演技。そしてインタヴューでの涙。

あまりにも彼のアスリートとして、表現者としての、気高さそのものを見せられて、もらい泣きしてしまった。今回の大会で男子で最も魂を奪われた演技だった。

インタヴューで、彼は、まったく顔を歪めなかった。まっすぐに眼を見開いたまま、彼は感情を抑えて淡々と答えた。呆然としていたのかもしれない。涙は彼自身にも気づかれていないかのように、ぽたぽたと垂直に落ちた。

浅田真央のオリンピックの「鐘」の演技が終わった後の、すべての思いを押さえて声を飲み込んで「あっというまに終わってしまいました。」と答えた時の、彼女の頬をつたった涙を思い出した。

彼にはまったく余計なものがない。

彼は若くして思慮深く、気概があり、どんな動きも美しく人間の目を奪うつやつやした野生動物のようだ。どっしりとした確たるものを感じさせる稀有なスケーターだと思う。

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また、ポゴリラヤのSP、「ヴァイオリンと管弦楽のためのボレロ」に魅了された。

直前のグレイシーゴールドが素晴らしい出来で、非常に高い得点が出た直後、しかも最終滑走だった。

確かにグレイシーは美しく完璧な演技だった。しかしポゴリラヤにはそれ以上の、内側から発する、彼女独自の、表現の魂のようなものがある。

ポゴリラヤが音と同調して滑りながら、肩、肘、指先までも絶妙に動かして呪文をかけるたびに、赤い蒸気が空中にぼわっと噴き出す。そして彼女の演技は激しいと同時に、空気の上に乗っかっているように柔らかい。

ほんの微かなひねり、ほんの僅かな角度で違って見える優雅のニュアンスを、ほとんど無意識に彼女は心得ている。彼女の身体は、陽炎が立つように妖しい女性的な表現力を持っている。

そしてポゴリラヤのエキシビションに鳥肌がたった。「ロマノフ王朝の最期」。これは私が大好きなプログラム、タラソワが浅田真央に振付けた「シュニトケのタンゴ」だ。

しかもポゴリラヤが演じたのは、おそらく、このタンゴが使われた私の大好きな演劇「愚者との生活」(エロファーエフ台本)にインスパイアされたプログラムだ。

「愚者との生活」は国家に対する揶揄や寓意でもあるが、自分自身が愚者に翻弄されるうちに、愚者に惹かれ、妻と愚者をとりあい、愚者は妻を殺して去り、残された自分は愚者そのものになるという、めくるめく意味とイメージの刺激的な芝居だ。

半身の真っ赤なドレスは、愚者にはさみで首を切り落とされた妻の亡霊で、もう半身の白い(拘束衣にも見える)衣服は愚者なのか。真っ赤な半身は血潮、情念、若い女性、白い半身は狂気、とも見える。

狂気に苛まれながら、狂気から逃亡しようともがくが、狂気から救ってくれるはずの熱い情念の力が、自分をさらに追い込んでいくようにも見える。

狂気。痛み。分身。恐怖。焦燥。情念。生命力。不条理。シニカル。切望。分裂。逃亡。喪失。倦怠。静寂。

マルセル・プルーストの亡霊。愚者が捧げ持つチューリップの花。愚者が持っているはさみ。首を切る仕草。

17歳のポゴリラヤが、ここまで通俗を排した、まさに私が見たいと望んでいたプログラムを見せてくれたことに驚愕した。

浅田真央のタンゴが見たい!!

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アダム・リッポン。彼もとても不思議な魅力を持った選手だ。母国開催の大会で嬉しそうな笑顔が見られてよかった。

最近は髪型も、プログラムも精悍な感じになってきたが、私の一番好きだったのは「牧神の午後」だ。あの何とも言えない神秘的な雰囲気のプログラムは彼にしかできないと思う。

私は彼の紗がかかったような、神話的な空気に惹かれる。

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2016年2月29日 (月)

フィギュア四大陸2016

2月28日

もうずいぶん前に終わってしまったフィギュア四大陸についての個人的感想。

ケヴィン・レイノルズ選手、復活おめでとう。不思議な雰囲気を持つキュートな選手。

男子の上位選手はミスもほとんどなく、素晴らしい出来だった。パトリック、ボーヤン、ハンヤン、それぞれ個性が強烈な選手が白熱した演技を見せ、とても面白い試合だった。無良崇人選手も、最近、一段と表現力が増し、見ている者の胸を昂揚させる素晴らしい演技だった。

宇野昌磨は、今回ジャンプのミスが出てしまって残念だった。

しかし身体表現という意味で、私が特別ななにものかを感じるのは、パトリックより宇野昌磨だ。

パトリックは確かに今回、彼の今までにないくらい良い出来だと感じた。彼らしい成熟した滑り、ジャンプの成功に加え、以前の振り付けをいかにも「やっています」という感じから、力が抜けて自然な流れで演じているように見えた。休養期間を経て、誇示するように有り余る筋肉が少しやせたのがうまく作用したのかもしれない。

しかし、いまだ私が気になるのは、パトリックの顎、首から体幹までの固定した感じと、体幹から真横に腕を広げた平板なイメージだ。

パトリックの滑りは芸術的なのかもしれないが、上半身の身体表現にはあまり「芸術性」を感じない。(私個人はパトリックは決して嫌いではない、素敵だと思う選手です。)

宇野昌磨のエキシビション「ヴァイオリンソナタ第9番」。試合が終わって表現に集中して思いっきり演じることができたのだろう。実に素晴らしかった。

宇野昌磨は肩、腕、肘、手首、指先はもちろん、顎、首、胸、腰も、ひときわしなやかに、微細に、また大胆に表現する。

彼の身体は、ほんの少し角度や重心をずらしたり、微かにタイミングをずらしたりして濃く激しい感情の色彩を鮮やかに発するやりかたを心得ている。

ただ音楽の強弱に合わせる動きではなく、感情の機微と深みに動きを合わせて「印象的に見せる」ことを知っている身体表現だ。

宇野選手は「やっている」のではない、音楽とせめぎ合いながら変化しているのだ。

「宇野選手の場合には、その点では、まだまだ甘い。「SP《レジェンド》はアップテンポの曲、FS《トゥーランドット》は重い感じの曲」という大ざっぱな捉え方では、音楽と演技の動きを合わせたことにはならない。」「私は、宇野選手の表現に一番欠けているのは、そうした1つのプログラム内での緩急や、感情の抑揚だと思うのです。」と書いてある記事を、あるスポーツ専門のサイトでたまたま読んで、すごい違和感を感じた。

宇野昌磨選手ほどに、若くして「1つのプログラム内での緩急や、感情の抑揚」がうまい選手はなかなかいない、と私は思っていたので、唖然とした。

この記事は、あくまで「1つのプログラム内での」いわば強(動)の部分と弱(静)の部分の差を、もっと大きくすべきだという意見なのかもしれない。

この記事は「「見て、見て、見て、というだけではなくて、〈引く演技〉も大切」だと。」と書いてあるだけで、「表現」の質については書いていない。

この記事の筆者は「結局、自筆譜から校訂譜を起こすのも、音楽の音楽のニュアンスをフィギュアスケートやバレエのように身体で表現するのも、音楽の解釈という意味では同じだということに気付いてしまうのですよね。」と書いている。

だが、解釈が刷新されるとき、そこで新たに解釈したり、または解釈を断念したりしているのは、はたして「だれか」といったことを、あるいは、「解釈」の主体のあとに「だれ」がくるのかをまったく考えていない。

解釈をめぐる闘争は、それ自体が音楽になる。 ニーチェを持ち出すまでもなく、それは悲劇的に響く。

たとえば、「鐘」での浅田真央が、一瞬、体勢を崩し、倒れそうになるときの、そのミスでさえ、音楽に変えてしまうように。

「思い切り、遠くに投げたつもりのブーメランは、ぐるっと回って自分の許に戻ってきて、自分の世界が完結してしまったようです。」と書いている筆者は、どこまでも、ものの見え方が開かれることなく自己完結するのだろう。

私が表現のきわだった才能として注目しているのは、男子では、高橋大輔選手の次に宇野昌磨選手だ。

フィギュアの採点がどう評価するかはわからない。しかし宇野選手の表現力は今も突出しているし、これから、もっともっと凄みを増すだろう。

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2015年12月29日 (火)

フィギュア全日本

12月28日

フィギュア全日本のごく個人的な感想。

浅田真央の「蝶々夫人」。不安を抱えながらのフリー。

冒頭にミスはあったが、それから先は、今しかできないこと、今やれることを精一杯出し切ることに心と身体の動きが収斂されていき、ただ一筋に、震えるように高く張りつめた音を全身が奏でていった。

終始、思いつめたような表情。

土壇場になって、余計なものが剥がれ落ち、研ぎ澄まされていく姿を見せてくれた。

「想い」を演じるのではなく、もがき苦しみながら一途に、その瞬間に集中する身体の流れが、そのままそこで濃縮された「演技」となった。

空を見上げる鳥のように両腕を広げた終わりのポーズ、曲が消えたあとの、眼を閉じて、もう一度きゅっと眉を顰めながら、がくっと下を向いた顔が、非常に感動的だった。

自分に大きく頷きながら、「終わった。」と小さくつぶやいているように見えた。

そして軽やかな笑顔ではない、静かな笑みと涙。毎回、この瞬間に最高の演技を、と自分に過度な負荷をかけ、思いつめているからこその真摯な表情だ。

それは自分にとって最高な演技がどのようなものか、わかっている卓越したアスリートだからこそだ。

「今季一番良いフリーができた」と本人が満足する演技で全日本を締めくくれて、本当に良かった。

他を寄せ付けないほどに強い姿だけを見たいとは思わない。追い詰められた自分のぎりぎりの限界にありながらも、その苦悶のさなかに顕現する別次元の姿、それこそ輝かしく、また、ありがたいと思う。

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村上佳菜子のSP「ロクサーヌのタンゴ」、好きなプログラムだ。

大人びた暗い情念を爆発させるようなプログラムで、思いっきり叫びながら激しく畳み掛けるようなステップがすごくよかった。

だからなおさら、今年最後の締めの演技になるフリーでは、失敗したあとの表情がちょっと残念だった。

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男子のプログラムでは無良崇人のSP「黒い瞳」がとても印象に残っている。

無良選手のスケートは男性的で鷹揚な魅力があるが、この「黒い瞳」では、速さや細かさも見せつけて、ぐっと洗練されていた。

武骨なイメージから、どんどん繊細で複雑な表現を手に入れて、今の無良選手には、柔和さやけだるい色気もある。

男子のSPで、ほかに印象に強く残ったのは磯崎大介「マシュケナダ」。

最初の数小節の演技だけで人を引き込むセンスと気概があった。よほどダンスや曲をよく研究している選手なのだろう。

それと服部瑛貴「ダウンヒルスペシャル」。

スイングジャズをフィギュアスケートで踊るのは、けっこう難しいと思うのだが、ポーズがいちいちかっこよく決まっていた。手首も柔らかく、指まで印象的に演技していた。

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全日本と同じ頃、ロシアの少女たちの熾烈な闘いもあったようだ。

アンナ・ポゴリラヤが、以前に何回も、激しく身体を氷に打ち付ける転び方をするのを見て、すごく気になっていたのだが、彼女のSPが素晴らしかった。

ウォルター・タイエブ作曲の「ヴァイオリンと管弦楽のためのボレロ 」。

深紅の衣装も美しく、始まりのポーズからなんとも優雅。特にステップからは、激しい動きに連れて赤い花が空中に次々に爆発していくような、めくるめく展開。凄みと同時に詩情があった。前の「火の鳥」よりも、さらに演技に磨きがかかっているようだった。

彼女は脚の使い方がほかの選手と違っていると思う。内腿がすっとくっついているというのか、彼女独特の優雅な姿勢と動作がある。

17歳とはとても思えない内側から溢れてくる香気を放つ動き。それと、あの雰囲気のある唇。

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2015年12月15日 (火)

グランプリファイナル

12月13日

グランプリファイナルが終わった。ごく個人的な感想。

浅田真央、胃腸炎でしたか。

体調不良で苦しい状態でもあれだけできる、とわかって、よかったのではないかと思う。

急な体調不良など、様々な難事がふりかかるなかで、それをどう受け止め、どう闘うのか。最高レヴェルの選手が、(まだ引退しないで)その額に輝く汗を見せてくれるのは、本当にありがたい。

あまりいろんなことを気にしすぎずに、ただ自分が満足するまでやりきってほしいと思った。

今回、一番見惚れたのは宇野昌磨。

よく使われる「トゥーランドット」なのに、あの清新さ。

無垢な顔と演技中の豹変。大胆、壮麗、素晴らしいスケール感。

彼は、与えられた振付をただこなしているのではなく、身体と世界を十全に感じながら、自分がどのような美しいフォルムをそこに開いて見せているのかをよくわかっている(に違いない)。

曲と一体化し、勇壮さを見せつけるにも、強さや激しさだけではなく、しなやかさ、思慮深さのようなものを感じさせる。

立ちふさがる重い大きな扉を叩いて、その先に進んで行こうとする勇気と気骨に溢れた若者(少年)。ラストのすごいスピードの場面で光り輝く大海原が見えた。

それからまた、ロシアの少女たちはさすがだった。あんなにかわいかったラジオノワが、女性らしい情緒のようなものを身につけていた。

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次は全日本。

私が今季、とても心惹かれたのは、村上佳菜子のショートプログラム「ロクサーヌのタンゴ」だ。私はこのドラマティックな振付が好きだ。

哀愁や妖しさ、暗い輝きも演じられるようになり、彼女は表現力がどんどんよくなってきていると思う。彼女も引退なんか考えないで、まだ見せてほしいと願っている。

それから小塚崇彦「レスペート・イ・オルグージョ~誇りと敬意~(ファルーカ)」。

股関節や足の痛みがあって十分には演じきれなかったのかもしれないが、私は好きだった。

以前の素っ気ないすーっすーっと風を切るような表現ではなく、重いものを押しのけようとする「抵抗感」が出てきたように感じた。身体の苦痛に耐え、さらに新しいものに挑戦しようとする意志が、彼の演技に出ているように私には見えた。

怪我や病気や不調もあるだろうが、どうか全日本では悔いのない演技をしてほしいと願っています。

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