フィギュアスケート

2024年3月30日 (土)

宇野昌磨 フィギュア世界選手権2024

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青紫の斑のアネモネ(風の薔薇)

ショートプログラム・・・映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』より「I Love You Kung Fu」

どうしても白い靄に光が差している中で踊っているのが見えてしまう。
静謐で人がいない世界。

湖の氷に何度も透明な声が反響する。
孤独で、怜悧で、溌剌として、一糸乱れぬ暴力的な
この1秒ごとに最大振り幅の生命が捧げられている舞踏。

至高の演技にただ驚嘆。
昨年の末に見た時より顔も体つきもずっと大人びて見えた。
そのとおりに演技も異様に洗練されて深みが増し、完全に異質なものになっていた。

敢えて透明で淡い音楽の中で、すべての動きをくっきりと
強烈に印象付ける挑戦的なプログラム。

時折激しくかぶりを振るような
絡みついてくるもろもろの迷いを振り払うような
ふっと力が抜けて落下する花びらのような
強靭さとしなやかさ、儚さと爆発。
踊り狂う身体は彼の制御を超えて、端正であると同時に予測不可能。

熾烈な争いと言われるが、宇野昌磨選手だけはまったくの別物。
異質であり、これぞ至高のフィギュアスケート。
今までのフィギュアスケートの域を超越して、(美しいジャンプを備えつつ)身体表現の極を行く。

 

フリープログラム・・・『Timelapse』~『鏡の中の鏡』

盛り上がる後半に「鏡の中の鏡」に入り込み、成功すれば度肝を抜くようなプログラム。

確かにジャンプを失敗したら、緊張の極の中での息が止まるような表現の美しさは見えづらくなってしまうけれど、
スケートとは何かを全身を使って伝えようとする彼にとって、それはもはや大きな問題ではなかっただろう。

フリープログラムでの演技に衰えは全く感じない。
これが彼の最後の試合だなんて思いたくはない。

彼がもう試合に出ないのなら、私はフィギュアスケートを観ることは無くなりそうだ。
私は絵でもなんでも、自分がエロスと詩情を感じないものに興味がないから。


昨年の世界フィギュア選手権フリーの日、私は癌研究センター中央病院で右肺中葉摘出の手術を受けていた。
動脈、静脈、硬膜外と3本の麻酔の管を繋がれ、激痛と嘔吐でどうしても観ることができなかった。
宇野昌磨選手の試合を見るにはそうとうなエネルギーがいる。
優勝したと知って安心したが、観たのは退院してだいぶ体力が戻ってからだ。

昨年のフリーは感情が入りやすかった。
曲は典雅なクラシックからたぎる情熱へ。
もっと!もっと!と激しさとスピードを増す動き。

終わった瞬間、倒れ込み、会場総立ち、鳴り響く拍手。
日本で開催されて、彼の演技に歓喜する観客に囲まれている宇野昌磨選手を見られるのも嬉しかった。
ステファンのワンダフォー!ワンダフォー!と繰り返す抱擁。
彼だけの良さが遺憾なく発揮された演技。

そして驚くべきことに、
今年のフリーの表現は、昨年よりさらに重厚さや深遠さを増していた。

昨年よりさらに「点数に評価されない次元」の高みへ向かおうとしていた。

高難度ジャンプ偏重のフィギュアスケートではなく、
フィギュアスケートの始原へ、

フィギュアスケートの域を超えた始原の未知の表現の深みへと。

またぜひとも情熱でたぎるような宇野昌磨の演技を見たい。

 

 

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2023年12月27日 (水)

宇野昌磨 2023全日本フリー「Timelapse」~「鏡の中の鏡」

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国花としてではなく、真冬の凍った空気の中の明滅としての菊(途中)

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FP「Timelapse」~「鏡の中の鏡」

「Timelapse」は、映画やテレビドラマの音楽を多く手がけているスウェーデンの作曲家ウーノ・ヘルメション(ウノ・ヘルマーソン)による作品。

「鏡の中の鏡」は、世界的に有名なエストニア生まれの作曲家アルヴォ・ペルトの作品。

「Timelapse」は一定間隔をあけて撮影した静止画を重ね合わせて動画をつくること(「コマ送り」)。

「鏡の中の鏡」は、文字通り、鏡に鏡を重ね合わせ、鏡に鏡を映すこと、あるいはつまり何も映さないこと。

「鏡の中の鏡」はもちろん、「Timelapse」にしろ、「瞬間」という前後を切り取られた、限りなく無に近い時間の幅に掬いとられたイメージをつなげることで

存在するものはなぜ出現するのか、それ(存在するもの)は本当に存在しているのかと問いかけてくる。

音楽というのは概して形而上学(メタフィジックス)と親和性が高いものだが、

それにしても「Timelapse」と「鏡の中の鏡」はどちらも、そうした音楽の真髄を探求した、きわめて形而上学的な作品と言えそうだ。

あらためてこの時期のフリーに「Timelapse」と「鏡の中の鏡」の2曲を持ってきたことにしびれる。

この2曲を演じることで、スケーターの形而下(フィジックス)にある身体は、身体そのものの限界へ、身体の超出(メタ)の寸前の境界へと連れて行かれる。

「Timelapse」で無の瞬間に消え入ろうとするおのれの身体をかろうじてこの世につなぎ止められていた宇野昌磨の精神力は、

「鏡の中の鏡」に入って、さらに苛烈な戦いを挑む。

ふいに投げ出される静寂の中に、異次元の作品世界。

透明なだけではない重み。

白く明るい光の中の透徹した動的結晶。

淡々とすごいものを見せつける。

 

聞いただれもが首をひねった宇野選手の今年の目標「自己満足」。

それは、宇野昌磨が自分の演技の中で、「生」の密度が最も極まった瞬間を感じとりたい、という願望のあらわれだったことを、彼の滑りを見た私たちは理解した。

当たり前だが、彼だけが別次元だと今更ながらに思い知らされるのだ。

「美とは痙攣的なものだろう、さもなくば存在しないだろう。 」

ブルトンの小説『ナジャ』の最後のこの言葉を、私は思い出した。

 

男子フリーの白熱勝負は素晴らしかった。

皆が気迫のこもった沸騰するほどの演技の中の最終滑走で、宇野昌磨選手が彼らしい演技で優勝できたことは本当に嬉しい。

世界フィギュアでは一層の完成度で素晴らしいものを見せてくれると信じている。

点数や勝敗のことはあまり書きたくないけれど、正直、世界では優勝してほしい。

高難度ジャンプばかりが高得点というフィギュアに疑問を投じる宇野昌磨の意志がジャッジ評価として認められて欲しいと思う。

芸術性に点数をつけるのが困難なのは、技術と違って客観性(間主観性)の基準がないからだ。

誰が芸術性を評価出来得るのかという問題になる。

それでもやはり、もっと芸術性の評価の幅を広げて、点数の比重を大きくしてくれたらと思う。

現状では宇野昌磨の最も評価されるべき面が点数に反映されていない。

 

 

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2023年11月26日 (日)

宇野昌磨 2023NHK杯

宇野昌磨、NHK杯の個人的感想。

宇野昌磨は今季の目標として「自己満足」と言った。
自己満足というのは他人の評価を気にしないという意味を含むので、たぶん言葉の的確な用い方としては違うのだろう。

ジャンプの難度ばかりが評価されるのではない、自分の内側で出会われる未知の身体がまずは自分を感動させること、
それと同時に、それが他者の心を強く揺さぶる表現となって顕れること、

これから先のフィギュアスケートのありかたとして、卓越した表現が評価されるようであってほしい、という願いのこもった言葉だと思う。

SPもFPもあえて静謐な曲を選び、音楽が駆り立てる情動の助けを借りず、
ひんやりした透明な空気の中にすべての動きを際立たせ、強烈に焼き付けるという挑戦。

フィギュアスケートの真髄としての、スポーツでありながらの詩、
宇野昌磨選手はそのレヴェルにまで到達したのだとしか思えない。

それほど彼の表現はひとり隔絶していた。


SP映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』より

湖の面に白い靄が立ち籠めるような冷気。

異語(グロソラリア)のように、アイラビュ、アイラビュという意味のわからない誰かの囁きは反響し、温かい息は白く凍りながら光る。

誰もいない静けさの中で激しく大きく躍動するステップ。

この世ならぬ光を受けて、靄と息が無数の煌く粒を散らす。

明らかに中国杯の時よりも大きく速く明確な動き。

見る者を黙らせる彼だけの表現の世界。

 

FP『Timelapse』 ~ アルヴォ・ペルト(作曲)『鏡の中の鏡』

構成を変えて来たことからも、芸術性を高めるだけでなく、本気で勝ちに来たことに胸が高鳴った。

始まる前のまっすぐな眼。不安でも緊張でもなく、ただこの瞬間に集中した表情。

音楽が始まり、静けさのなかで彼の気持ちがさざめき、沸き立つのがわかる。

きれいな4Lo。

抑制されながらもなめらかで華麗な動き。
4F。
3A.
3A-2A。
冷静なリカバリー・・

後半のアルヴォ・ペルトの楽曲はさらに静謐で張りつめた空気の3拍子。

沈黙や静寂そのものであり、激しさでもある。

鏡の中の鏡には自我が消えたフィギュアスケートの真髄だけが映し出されるように。

彼だけの身体表現の極致。

終わった時の「やった!」という笑顔。シュテファンコーチの高い歓声。
満足したシュテファンコーチに抱きしめられ安堵の表情。
キスクラに座った時の3人で手のひらを合わせて喜び合う仕草。

すべてが祝福に満ち、200点越えでの3連覇かと思った。

が、そうではなくて、なんともやるせない結果となった。
誰よりも高難度のことをやっていて、ジャンプも美しく(大きな乱れも転倒もなく)、他の選手とは明らかに次元の違う技と表現の両立、
それが点数としては評価されない。

浅田真央選手の『鐘』の時を思い出して辛い気持ちになった。
以前なら大きな加点がついていたジャンプが、急に加点ゼロになる理不尽さ。

本人が
「言えることは今日のジャンプ以上を練習でもできる気がしない。」と言っているのだから、なんらミスはしていないのだろう。

「やってきたことを体現出来た良い試合だったと思いますし、僕の過去を見てもこのような良い演技っていうのは数数えられるくらいしかないって演技をできたと僕は思う」

私も最高の演技だと思った。だから悲しい。

宇野昌磨選手は自己保身や自己愛のために何かを言う人ではない。

判定している側からの、フィギュアスケート競技のありかたとして目指す方向性と、判定結果の明確な説明がほしいところだ。

彼が「ジャンプだけではなくもっと表現を」「まず自分が満足して、見る人も感動する演技」と言ったことが実現されたはずなのに、

今回の結果としてはまったく逆に、ジャンプ(の飛び方、降り方)ばかりが厳密に(?)ジャッジされたことが本当に残念でならない。

 

 

 

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2022年12月30日 (金)

宇野昌磨『パダム パダム』~『メア トルメンタ、プロペラーテ!』

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年末は毎年ばたばたと時間に追われてしまうが、やっとメダリスト・オン・アイスを見ることができた。

宇野昌磨選手の『Padam, Padam』

もの悲しくて甘やかなメロディーは忘れがたい記憶を繰り返すように。

エキシビションとは思えないほどの濃さと緊張感。

暗闇の中に湧き上がってうねる熱い感情。

エディット・ピアフの滋味溢れる声色に負けない深み。

この衝迫するものと芸術的感性はジョン・メイヤーの比ではないと感じる。

そしてアンコールでは『Mea tormenta, properate!(メア トルメンタ、プロペラーテ!)』の最も盛り上がるステップ。

ヤクブ・ヨゼフ・オルリンスキの激しくも暖かく甘い歌声にのって

急かれて翻弄されるだけでなく、強い意志を示す動き。

このエキシのプログラムは何度見ても素晴らしすぎる。

・・・

「かなだい」、「りくりゅう」、最後までいろいろあったけれど笑顔のエキシを見られてよかった。

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2022年12月26日 (月)

フィギュア全日本2022 フリー 宇野昌磨

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菊花(和紙、膠、墨、岩絵の具)

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宇野昌磨選手FP『G線上のアリア』(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)~『Mea tormenta, properate!』(ヨハン・アドルフ・ハッセ、ヤクブ・ユゼフ・オルリンスキ)

今回はたくさんの新鮮な驚きと興奮があった。
後半の劇的な変化、臨機応変に対応してこれまでとは違うことをやってみせる身体への驚き、
さらには代表発表の場での宇野昌磨選手の発言の率直さに対する良い意味での驚き。

ゆったりなめらかに動き出し、しっかり4Lo。
典雅に厳かに・・・2S。
そして4Fの転倒にはちょっとびっくりしたが、
立ち上がった宇野昌磨選手は、いや、だいじょうぶ、と自己信頼を確かめるように左手を胸の上にあてていた。

いつもどおり大きな3A。
ぐっと背をそり、これから大きな翼を解放していくように柔らかな肩と腕を思い切り美しく見せる動作。
コレオ、スピン。

曲が変わり、ぼっと茜色の炎が燃え上がり、前半を取り戻す気迫の4T+3T。
オルリンスキの艶っぽくもひたむきなカウンターテナーが高らかに響くと、さらに4T+2T。

この声は最高に宇野昌磨の演技と共鳴しあう。
そして3A+2A+2A+SEQの3つ目の2Aには会場も沸いた。

もっと、もっとと炎は白熱して燃え上がり、ステップの舞は今までよりさらに激しく美しく。

最後のスピンは、時間オーバーしてでも最後まで要素をしっかりやって終えることを選んだ。
あまり見たことが無いほどの長い時間オーバーに思わず笑い声が上がるほど。

この全日本を見てから、私は初めて今年のルール改正についての記事を読み、ジャンプシークエンスの定義変更(シークエンスとして跳んだジャンプの基礎点が0.8倍から1.0倍に変更、アクセルジャンプの3連続も可能など)、
スピンについてレヴェル4の判定の変更(必須の要件特徴が6つになった) などを知った。
おそらく十分に準備してきたであろうそれらの成果を今回、見せてもらえてとても興奮。

島田高志郎選手とともにランビエールコーチを胴上げ。

しかし世界選手権代表を選ぶまで待たせる時間が長すぎ。フジは10時頃と予告しなければいいのに。
1時間以上待たせるなら、あらかじめ決まっている選考基準などの説明をフジのyoutubeで流せばいいのに。
選手たちも心情穏やかでなくずいぶん疲弊することでしょう。

こんなに長く待たせ、全日本選手権が代表選考会ではなく全日本の結果も含めて総合的に判断するというのなら、
全日本をどれほど重要視するのか、具体的な点数に関する説明を聞きたいし、
発表は全日本表彰式の直後ではなく翌日のエキジビションの前にすればいいのに、とも思えてくる。

やっと発表になり、マイクの反響音が非常に聞き取りづらく、何でこんなに放送する側が不手際なのか(私はyoutubeでしか見ていないが地上波では音声は良好だったのか?)。

宇野昌磨選手の厳しい表情と「選考基準っていうのは、どういったものか僕にはよく分からないけれど、あまりうれしく思えない部分はあります」という率直な発言と態度にも感銘を受けた。

当然あるべき選考過程の説明がないことと、過去の選考(特に記憶に新しいのは昨年の全日本重視)との整合性、そのようなスケート連盟の一貫しない姿勢に選手が振り回されて苦しむことへの疑問を吐露したのだろうが、
多くの視聴者が見つめ、スケート連盟の選考した当時者がいる前で、今、スケート連盟の選考の不鮮明さへの疑問を発することができるのは立場上自分しかいないというこの場でこそ、今まで飲み込んできたことを発語しようという覚悟の上の態度だったと思える。

 

 

 

 

 

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2022年12月24日 (土)

フィギュア全日本2022 宇野昌磨SPほか

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菊花(未完部分 和紙、銀箔、膠、墨、岩絵の具)
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フィギュア全日本選手権SPの個人的な感想メモ

宇野昌磨SP「GRAVITY」

ひとり別次元の出来。
演技順が早いので見ている私は心の準備ができなかったが、宇野昌磨選手は落ち着いていた。
ブルース風味のロッカバラード(と言っていいのだろうか)の音質が物足りなく感じるほどの、ソリッドで大人の演技。

黒い衣装と俯く額にかかる長い髪があでやか。
憂いから覚醒するように始まり、
力みすぎず、ゆったりと入って完璧な4F。
何かを大切に捧げ持つような動き、そして何かを振り切るような烈しい動き、
あるいは甘く崩れ落ちるような一瞬、
気だるい旋律と共に繊細なニュアンスの様々な色を見せる表現。

3A以降の高音の声と同時に身体表現も加速。
ぐっと前へ手を伸ばしながら求めるものをつかみ取ろうとするような動き。
熱くなりすぎず中空を静かに見つめる眼がなんとも魅惑的。
はじけまくるのではなく、選び抜かれたくっきりとシャープな動線の美しさ、
彼の身体の動きが奏でる視覚的な音楽には十分に強度があった。

朝の練習の時に違和感があったという。
「朝は体が動かないのか、氷の感触が違ったのか、コスチュームが動きにくかったのか。複数の理由があると何が原因か分からないので、選択肢を1つつぶした。(演技直前の)6分間練習で『衣装じゃないんだな』と分かった。一番リラックスした方法を模索した結果が、あの演技でした」(日刊スポーツ)

「自信をつける、つけないというところに、僕はもういない。」というあまりにも頼もしい発言が嬉しかった。

個人的には、このSP曲は競技には難しい(盛り上がりに欠ける)という感覚があったのだが、
今の彼は、以前のように不安に駆られながら過剰に身体に負担をかけてしゃにむに突き進むのではなく、
自分の現在の状態を俯瞰して見る冷静さ、それに臨機応変に対応する力も今は十分という自負があり、

涼しい眼で自分の身体を操り、たっぷりと魅惑的に見せる、
そのクールさこそが大人の色気そのものであり、まるでそれを見せつけるために、この気だるい曲を選んだとでもいうようだ。

「プログラムとしてはまだまだ表現できたと思うが、今できる最大限の演技ができた」(中日スポーツ)
表現として圧巻だったのに、これでも表現はまだまだできると言ってくれていることに嬉しい驚き。

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島田高志郎選手「シング・シング・シング」
会心の演技で2位おめでとうございます。
ジュニアの時にすごくかわいくて輝いていたのが印象的だったが、シニアからはスタイルがすらっとして脚が長くなりすぎたのが競技的に不利ではないかと心配だった。
ランビエールコーチもたいへん喜んでいることでしょう。

鍵山優馬選手「ビリーバー」
演技直前の表情が不安そうに見えて心配だったが、まだ怪我が完治せず正和コーチに止められたのを押し切っての全日本出場だったということ。
曲と振付はパワーがあって新しい魅力を感じたが、とにかく怪我が悪化しないかが心配。

佐藤駿選手『キャロル・オブ・ザ・ベル』
このたたみかけるような曲は佐藤駿選手に合っているように感じる。
不愛想なほどひたむきに突っ走っているようで、以前よりなめらかさやしなやかさが出て来た。

フリーがとても楽しみだが、皆のここ一番に賭ける緊張が伝わってきすぎてどきどきする。

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2022年12月14日 (水)

グランプリファイナル2022 宇野昌磨ほか

「見えない猫」(銀箔、岩絵の具、膠彩)
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野葡萄(ノブドウ、水彩、デッサン、スケッチ)
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グランプリファイナル。

宇野昌磨選手の素晴らしい演技にふさわしい言葉を見つけるのに苦しみ、なかなか簡単に書くことができませんでした。

SP『Gravity』(ジョン・メイヤー)

華麗に、小粋に、たっぷりと艶やかに大人の演技。
おしゃれで今風のアレンジの曲。ジョン・メイヤーは有名なミュージシャンらしいが、私はこの曲を最初に聞いた時、あまりピンとこなかった。
というのは、宇野昌磨選手の演技の鋭さや凄みに釣り合うには音の重厚さや濁り、滋味が足りない気がして。
今回、宇野昌磨選手の素晴らしく魅力的な演技によって、曲も魅力的に感じられてきたが、それでもやはり演技に比して曲の方が役不足に感じてしまう。
それほどまでに宇野昌磨選手の演技は強度と気韻があった。

FP『G線上のアリア』(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)~『Mea tormenta, properate!』(ヤクブ・ユゼフ・オルリンスキ)

このフリーはよくぞここまで今の宇野昌磨にふさわしい曲を選んだ!と思うほど最高のプログラムと思える。
前半の典雅と後半の燃え上がる瑞々しさ。

緊張する場面ではあったが、リンクに登場して、力みを抜くために両手を下に振り、首を回したときに、風格と余裕すらも感じられた。

青灰色の靄の中にうずくまる艶やかな鳥が、大きく翼を広げ、立ち上がる。
深い靄は濃く水平に棚引き、そこに透明な光が差しこみ、靄の粒子は灰色から薄紫、金色に。
そこに舞い踊る動物は静かに優雅にのびやかに、大きな動きほど繊細に。
宇野昌磨ならではの濃やかな美しい体線、動線の推移。

そして後半の、ぼっと鮮やかに燃え立つ炎。
もっともっとと急かして追い立てるバーミリオンの炎。
見ている側も激しく鼓舞されざるを得ない身体の白熱。

演技直後に尻もちをつくように後ろに倒れるほどの焼き尽くした演技。
まだコンビネーションをやり切っていない、まだまだ伸びしろのある段階でこれほど見ている者を引き込む演技であることがとても喜ばしい。

「(今のルールに従っていきたいが)芸術家の道を諦めたつもりはない」という宇野昌磨選手本人の言葉に感激した。
彼本人から「芸術家」という言葉、現代においては死語かもしれない「芸術家」という言葉が出たことが嬉しかった。
私個人としてはスポーツの中にも何か芸術性として刺激、感化される選手にとても興味を持つ。
1ファンとして、今のルールに従ってさらに(コンビネーションジャンプなどを)鍛錬した上でも宇野昌磨選手の芸術的表現を追求する力はまったくやわらぐことはないと思うので、彼の目指すところのさらに上の段階を見られたらとても嬉しい。

さらに研ぎ澄まされた全日本が楽しみ。

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山本草太選手、三原舞依選手、三浦璃来 木原龍一ペア、計り知れない艱難を乗り越えてきての喜び・・・
きれいな涙。
本当に心からおめでとうございますとしか言えない。
今回のグランプリファイナルは素晴らしい大会でした。
全日本を楽しみにしています。

 

 

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2022年11月20日 (日)

宇野昌磨 ほか NHK杯

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札幌市の真駒内川沿いで採取した野葡萄(スケッチ、水彩)。

10月26日に北海道から帰宅したらエッセイのお仕事が来ていて、花輪和一へのオマージュを書くことにした。

それがとても難しくて、ブログやTwitterをする余裕もなく、必死で書いているうちにフィギュアグランプリシリーズが始まっていた。

あれ、真駒内のリンクでやっているんだ、今頃花輪さんちへ行っていればエキシビションを見ることができたのかな、などと思いつつ・・。

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11月19日(土)

宇野昌磨選手のフリー。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ『G線上のアリア』~ ヤクブ・ユゼフ・オルリンスキ『Mea tormenta, properate! 』

宇野昌磨選手を生かすなんと素晴らしい選曲!

かすかに水色を感じさせる灰色の静かな靄のような衣装。

靄が水平にゆっくりと流れ、その中から息づき動き出すもの。

後半からは、情熱をを急かせる楽器の音と魅惑的な的な声の熱唱に

ぼっと燃え上がり濃いオレンジ色の炎に変わる。

我が苦しみよ急げ!と少しの悲惨さもなく情熱で、自ら痛みの劫火の中に飛び込もうとする歌なのだろうか。

今回は練習で苦しんでナーヴァスになりそうなところをステファンコーチに救われたそうだが、

そのような精神状態だったことが嘘のよう、

フリーはこの時期とは思えないほど完成度が高く、ひとりだけ別次元の表現力だった。

信頼するステファンコーチのほんのひとこと(「完璧を求めすぎてはいけない」)で焦燥がリラックスや意欲、集中力へと変わり、身体の制御と解放度が変わるとはすごいことだ。

ステファンコーチの熱い言葉で、宇野昌磨選手の心も灰色からオレンジ色に燃え上がった。

山本草太選手の点数がどうなってしまうのか、どきどきしたが、2位と結果が出た時の宇野選手の喜び方が素晴らしかった。

最後に選手たち、コーチたちの、最高に喜び合い、称えあう姿が見られて最高の大会。

三浦璃来&木原龍一組の快挙も素晴らしかった。このふたりの清涼感は特別。

村元哉中&高橋大輔組のリズムダンス (『Conga Is Gonna Get You』ほか)もことのほか素晴らしかったし、これからが楽しみ。

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2022年3月29日 (火)

宇野昌磨「ボレロ」世界フィギュアスケート選手権

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(銀箔、膠彩、岩絵の具、部分 未完)

 

宇野昌磨選手「ボレロ」の個人的な感想です。

 

ついにやりとげた!あまりに素晴らしい「ボレロ」。感無量でした。

 

深い青(群青)の衣装。襟があり、はずしたボタンが胸もとに見える。黒の衣装も素敵だったけれど、今回の衣装は凛としたなかに、しなやかで甘い魅力を引き出している。

身体は引き締まって手足が長く見える。

いつものように両手を一度振り下ろし、首をまわして余分な力を抜く。左手を胸にあてて目を伏せた時にはもう、落ち着いて集中しているようだった。

始まるすべてを受け入れる、薄い刃(ブレード)の上に立った挑戦のポーズ。

音楽とともに炎が生まれる。揺らめく炎が氷の上を滑走する。

リンクいっぱいに周りながら加速して大きな4F。そのあとは、爆ぜるようにシュパッと決まる4S。

どこか古代めいた「ボレロ」の旋律に煽られ、美しい渦を巻く4Tー2T。長く残像の尾を引く幅のある3A。

無限に遠ざかりながら、同時にみずからのうちに収斂しつづける火柱のスピン。そのあとに力強いポーズ。

女声のコーラスが原始から力を呼ぶと、怒涛のうねりを腕でつかみ、空間をたぐり寄せ、また放ち、

宇野選手のコレオシークエンスはどこまでも雄大な大平原あるいは海原を滑っていく。高い4F。

4Tのあと、さらに音楽は高まり、その絶頂で、最後の3連続ジャンプをミスしたあとには笑みがこぼれる。

自分のすべてを捧げて、この短い瞬間を燃やし尽くしている輝く笑顔。

軸のぶれない高速スピン。ラストに向けてもう一度、コーラスの高まり。

そして見る者の熱狂と興奮が頂点に達する炎、炎。

はねて弾けて、旋回し、伸び上がり、天を衝き、蹴り上げ、空間をすべて連れていく激しいステップ。

そのたびに大輪の華が開き、飛沫がはね、翻り、その余韻が残る中にさらに開花と爆発が重なっている。

歓喜、充溢、限りなくうねって、炸裂するもの。。

見ているすべての人を熱狂させ、左手をまっすぐ掲げてクリムキンイーグル、天を仰いでフィニッシュ。

ランビエールコーチも思わず握った両の拳を掲げる至高の「ボレロ」。

この反復音楽によって、宇野選手は瞬間瞬間に、死にまた生まれ変わる炎そのものになった。あるいはむしろ、全身で炎のように生きたと言ったほうが合っているだろう。

2019年にひとりで涙を見せたフランスで、あれから想像を超えた2年を耐え、ついに最高のFP。

高難度と、見る者に強く訴える芸術性をかねそなえた、文句のつけようがない優勝。

本人は点数が出た瞬間も、はじける笑顔だけで、涙を見せなかったのがすごい。この瞬間も通過点、あるいは新しい始まりということだろう。

見ているほうは涙し、いつまでも興奮が続いた。

 

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2022年3月25日 (金)

宇野昌磨「オーボエコンチェルト」世界フィギュアスケート選手権2022

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ビオラ ラビット 水彩

3月24日

宇野昌磨選手のSPの個人的な感想です。

予想をはるかに超えた「オーボエコンチェルト」!待ちに待っていた宇野選手の最高の笑顔。

「今季が最高」で、しかもこのひと月で「練習はこれ以上ない、思い残すことないまでにやりきった」と本人が語ったとおりの渾身の演技。

スタート位置に着くまでに首を一度回し、両腕を下に振り下ろして力を抜く。

身体はひと月前よりもさらにすらりと引き締まっている。気力も充実して、非常によい集中のように見えた。

しんと静まり返る中、顔を上げる。厳そかで懐かしい旋律から、澄明な力が横溢し、それがぐんぐん加速して完璧なジャンプ。

どこにも不安や力みのない爆発。身体のどこにも苦しさがないように、やっと解き放たれた跳躍と着氷。

全身からほとばしるすべてが、重厚さはそのままに、これまでにないほどなめらかで濃やか、端正にして大胆。

後半のビバルディでは、今まででもっとも、滑る喜びと生命力がはじけ、溢れだして止まらないようだった。

上体を低くしてから高く伸び上がり、天を仰ぐように上を見上げ、大きく広げた両手を斜めに回転させ、その瞬間、瞬間の動作が、以前よりもはるかに鮮やかに、あまりに艶やかに。

上半身のしなり、ゆっくりとためる動作と激しく刻む動作の強弱も、

そよぐ花のような指の表現も、以前よりはるかに訴えていた。

宇野昌磨選手の潜勢力が最高の状態で発揮された。

音楽との共振により具現されていく世界の眩暈がするほどの濃さ、遠いところまで連れて行く魔的な力は、圧倒的だと感じる。

 

ポール・ヴァレリーはかつて、ダンスにおける「持続の装飾」について語った。

ダンスとは、ヴァレリーにとって、空間的な「文様の反復」や「文様のシンメトリー」の広がりに比されるような、時間にうちに描かれる一連の動作の美しい連続文様なのだ。

それは「ある別の生き方」であり、「私たちの生活のなかでも最も稀な瞬間だけに満たされ、私たちの能力の極限値だけによって構成されたものである。」

そうヴァレリーが述べるとき、私は宇野昌磨選手の演技を思わずにはいられない。

 

私の感覚では、もう少し高い得点が出ると思った。

フリーの「ボレロ」では体力と精神力の限界への挑戦となるだろうが、どうかこれまでの練習通りに、すべてがうまくいきますように。

ランビエールコーチと喜び合う姿が見たい。

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