2月24日
北川透さんからいただいた「別に詩人なんかでなくても、書くものすべてが詩になってしまう人がいます」という言葉がずっとひっかかっている。
書くものすべてが詩になってしまうなら「詩人」ではないのか?
その実態や内実ではなくて、本の表に「詩集」と書いたら詩人なのだろうか?詩集を何冊も出していても全然詩人でない人もいる、というのが私の経験からくる感覚だ。
画家と称していても描いているものが「絵」になっていない人もいるし、現代アートという呼称だけが先走っていて、べつに何も・・・と言う現象もある。才能のある人はすべての言動が違う、すべてにおいて鋭いというのが才能のある人を見て来た私の経験からくる感覚。
中野で見たアール・ブリュットの幾人かの作品はずっと心に残っている。日記を線の重なりとして残していた戸来貴規。誰にも見せず、その人の記録、記憶として。不思議な猫の絵を描いていた蒲生卓也。いつか本物を見られる機会があるだろう。
アール・ブリュットの作家たちのすごさは自己顕示欲や虚栄心がないこと、自分を大きく見せようとする醜悪なそぶりや押し付けがましさ、うるささ、余計なおしゃべりがないことだ。ただそこに集中したということ。それが「生(せい)」とも「なま」とも感じられる直接的なものだ。
詩にしても絵にしても、その成り立ちの条件として、「《知覚の不可能性の領域》に、身体の全感覚が触れてしまう」のはすべての基本ではないかと思う。
ここ10日ほど描き続けていたチューリップの鉛筆と水彩素描のまとめ(クリックすると大きくなります)。
八重咲きピンクのチューリップ(フラッシュポイント)と2月10日に京王で買った薄黄色のパロットチューリップ鉛筆素描(2月12日)。

上のフラッシュポイントの開いたところ後ろ向きと上の黄色のパロットの開いたところ(2月13日)。

2月10日に描いたエキゾチックパロットの画面左の花の花弁が落ちてしまったところを右下に逆方向から描いた(2月15日)。

13日にゼフィールで買ったチューリップ(アプリコットパロット)の水彩(2月14日)。左と中上の花は同じものを違う方向から描いたもので、右下は同じ花の17日の状態。

ゼフィールで2月13日に買ったアプリコットパロットが開いた。2月17日に新しく買ったアプリコットパロットとの比較(2月17日)。

2月22日に買ったチューリップ(モンテオレンジ)。鮮やかな緑のすじを描きたかった。

2月6日につぼみだったチューリップ(フラッシュポイント)の2月23日の状態。枯れてきた線が美しいと思う。

美しい線の流れをさがして角度を変えて何度も描く。


2月22日
中野のN病院。G・Kとデルソルで食事。プライベートでは話が通じて、相手の話の感覚の鋭さにわくわくするような相手としか話したくない。
2月19日
雪。積もらない。
2月18日
北川透さんからはがきをいただく。『反絵、触れる、けだもののフラボン』について、
「エッセイというより、全篇が散文詩だったことに驚きました。別に詩人なんかでなくても、書くものすべてが詩になってしまう人がいます。あなたもその種類の人のようです。みずから書いていらっしゃるように〈概念〉に頼って思考されないからでしょう。《知覚の不可能性の領域》に、身体の全感覚が触れてしまう。そんな印象でした。」と書いてくださった。
4時過ぎにN病院に行き、相談員に会いたいと受付で言う。二階の担当の人が不在で、三階の医療ソーシャルワーカーのKさんが話を聞いてくれた。
薬のこと、主治医のこと、勇気を出して話した。話してこれからどうなるのか、よい方向に向かうのか、もっと心労がかかるような事態になるのかわからない。けれど理不尽だと思うことを端的に訴えたのだ。
6時の夕食時、母は常食に近い食事になっていた。きょうの昼食時、ST(嚥下障害などを訓練、指導、助言するリハビリスタッフ)が評価したとのこと。2時間近く見守り、完食。
狸小路の赤ちゃん猫、4匹。もつ焼きやさんの前にケージを持って保護準備している人がいた。本当によかった。寒さで死んでしまったらどうしよう、と気が気ではなかった。
2月17日
14日に買ったチューリップ(アプリコット・パロット)をまた2本買った。N病院のことで胸がつぶれそうに苦しかったが素描に集中した。
2月16日 土
詩人の吉田文憲さんと新宿のRで食事。
私の書いている本や文章について、
「「内面を書いている、内的なことを書いている」というのはまったく間違いだ。」と吉田さんは言った。
「あなたの書いていることは、本当にものをつくる人間同士がつきあうとき、「お互いを生きる」ような関係性であって、そこにはむしろ「外部しかない」と言ったほうがいい。」「
「「内面」を書いている、と言うと「内部」だけでうごめいていて「外」がない人が、自分をわかってくれ、認めてくれと言って寄ってきてしまう。本当は中川幸夫さんがどんなことをしてきたかを見たら、凄い、という畏れを感じて自分は謙虚になるはずなんだけれど・・・。」
「中川幸夫さんが何をしてきたかを見ても、中川さんの厳しさや美しさ、頭の良さはまったく継承されない軽挙妄動の最悪のエピゴーネンもあるんだから、何を見ても何も感じない、何も学べない人間はどうしようもない。」
2月15日 金
N病院で母の主治医N・M医師(女性)との初面談。
あまりにも医師として不適切、人間としてどうかと思う態度にショックを受けた。
母が2階の一般病棟から3階のリハビリ病棟に移った日、顔が真っ赤になって胸が苦しいと言って、心電図や脳CTや血液検査をし、酸素吸入や点滴を受けていたことについて、「データには異常ないんだから、狼少年だ。」とN医師は言った。
パーキンソンは刺激によって状態が変動しやすい病気だが、手を煩わせられていらいらしたというような言い方をされた。「2階にいるときに(具合悪く)なってくれればいいのに。(3階に来られてから具合悪いとか言われて迷惑だ)」と。
「狼少年」というのは人の関心をひくために嘘を言うという意味だが、病気で苦しんでいる人間にどんな神経でそのたとえを使っているのだろうか。母は嘘をつく人間ではない。むしろ、そうとう我慢強いほうだ。
日によって体調のレヴェルが変わり、リハビリが効率よくできないことが気に入らないらしく、リハビリができないなら帰宅してほしい、といようなことを言われた。具合が悪い患者に対して慈悲どころか、面倒くさくて憎悪があるみたいだ。
そればかりか、今まで処方されたことのない副作用の危険な(死亡率があがる)薬を出したと言われ、愕然とした。
しかし昼食後、現場の若いリハビリスタッフにリハビリの現状を尋ねると、その場で「立ちましょうか。」と言って、後ろから補助して歩かせるところを見せてくれた。とても優しい。実際には予想以上にリハビリはうまくいっていることに驚いた。
「歩くことが好きなんですよね。ほかに好きだったことはありますか。」とそのかわいい療法士さんに聞かれ、「散歩が好きで、樹や草花が大好きでした。」と答えた。男性の療法士さんも、「お、きょうは調子いいねえ。」と声をかけてくれ、現場のスタッフはとっても親切。
狸小路の猫、もつ焼き屋さんの窓の外の棚の上にのっかて寄り添っている。毎日少し食べ物をもらっているようだが寒そうですごく心配。帰りに見たら一匹、薄茶の子がもつ焼き屋さんの二階へと登って行っていた。落ちませんように。
中野ブロードウェイで、日本のアール・ブリュットの展示を見た。初期のヤンセンの過密な線の版画のような、鉛筆で縦横に線を巡らせた作品に眼を奪われた。解説を読むと、これは個人の日記で、誰にも見せず、隠されて置いてあっただそうだ。よく見ると線の中に何月何日と書いてある。その上にゆっくり線を重ねていったのだ。
若林奮さんがやったのと偶然にも同じように、日を追ってきちんと紙を重ねて閉じてあったそうだ。すごいと思った。
帰宅後、夕方ケアマネさんに電話できょうのことを報告、相談した。彼女はN医師に対してすごく憤慨していた。N病院は進歩的な病院のはずだし、相談員に話してみたらどうか、と。