チューリップ

2021年12月18日 (土)

福山知佐子画集『花裂ける、廃絵逆めぐり』発売されました

 

福山知佐子画集『花裂ける、廃絵逆めぐり』

水声社より発売されました。3500円+税

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帯「花とは何か?花は、生けるものが世界に向けてかくも開かれてあるところ、生けるものが我を忘れているところにある。
――ジョルジョ・アガンベン 巻頭文「花――福山知佐子の絵画のために」より

ほかに水沢勉さん、鵜飼哲さん、鈴木創士さんの論考掲載。全192ページ、うちカラー48ページ。


カバーの背側。カバーの背側。
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花の時間を追った膨大なデッサン(素描)の中から選んで、構成して、写真撮影をしていただいて、そのあとのきりのない修正、調整、校正・・・結局5、6年かかったような・・・あまりにも紆余曲折あって苦労しすぎて、まだ嬉しいという実感はわいてこなく・・

まだ張りつめた緊張のほうが強いです。

どうか多くのかたに手にとって見ていただけますように、祈っています。

水声社の本はアマゾンとは契約がありません。全国の書店から、在庫のない場合は注文で取り寄せでき、

あるいはアマゾン以外のhonto、e-hon、楽天ブックス、セブンブックス などなどのネット書店からお求めいただけます。

なにとぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

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2014年3月 8日 (土)

浅田真央、高橋大輔ドキュメンタリー / ミステリアスパロット

3月6日

初めて、やっと手に入れることができた最近出た新しい品種、ミステリアスパロット(チューリップ)の素描(クリックすると大きくなります)。

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大きく開く前は花被片に黄緑の部分が多い。外側の花被片に上向きと下向きの角のようなものがあるのが特徴。

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黒紫の花弁のブラックパロットとかたちはほとんど同じだが、ミステリアスパロットは花被片のギザギザ部分に白い縁どりがあり、モーブ(灰色がかった紫)と赤紫の混じった色。

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パロット(鸚鵡の羽)咲きのチューリップは一重咲きの突然変異で、1620年頃に現れたらしい。この花の中に在るたくさんの曲線を全部追いたい欲望にかられる。

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5日(水)の明け方から6日(木)にかけて体調はどん底で夕方まで起きられなかった。6日の夜からなんとか復活して夢中で描いた。

ここ十日以上、毎日同じ三分づきの無農薬玄米にグリーンピースを加えた豆ごはん(それにほんの少しのおかず)ばかり食べている。

3月5日

ソチオリンピックが終わってからの、浅田真央と高橋大輔のドキュメンタリーを見て。

「浅田真央 誰も知らなかった笑顔の真実」(2月28日 フジ)

・・・個人的に三宅正治アナが苦手なのでがっがり。競馬やプロレスの実況にはぴったりの人なのかもしれないが、浅田真央のインタビューにはふさわしいと思えない。

浅田真央がどれほどひたむきな努力家かは伝わったが、このオリンピックのプログラムの凄さはほとんど語られていない。他の選手にはできない、浅田真央にしかできないこと、どれほど難しいことを成し遂げたのかについて、トリプルアクセル以外についてもちゃんと説明できる人の発言がほしかった。

浅田真央にしか演じきれない芸術性についてのタラソワの言葉がもっと聞きたかった。浅田真央のすごさは、不幸や失敗から這い上がる強さだけではない。自ら高いリスクを冒して困難な道を選択することだけでも。浅田真央の成熟した表現能力について語れるのはタチアナ・タラソワしかいないと思う。

浅田真央の演技について子供っぽいなどと評価したフィギュア関係者がいるらしいが、よっぽど芸術的感性の欠けた、何を見てもまともに評価できる能力のない人間なのだろうと思う。

「高橋大輔 日本のエース”最後”の戦い」(3月2日 日テレ)

・・・ソチまであと何か月、あと何日、という緊迫した時間を追ったのは良かったと思う。

しかし何とも釈然としない終わり方。演出、構成、編集に問題があるのだろうが、確かに最後の質問は神経が死んでいるとしか思えない。

ソチが終わってすぐ、結果にショックを受け、悔しい気持ちを隠しきれない傷心の高橋が自らを語るのに対して。「うん、うん、うん・・・。」と相槌をうち、「じゃあ、今の日本のエースは?」と問いかける取材者。まったく不要な、不適切な質問だと思う。

怪我に苦しみ続け、血の滲むような努力を続けてきた体験も、特異な才能も、すべて高橋本人のもので、他人にはうかがい知れないもの、安易に言葉で触れてはいけないものだ。たまたま取材している人間がなんの権利があって、無礼で傲慢な質問をしているのだろうかと思う。何年か密着取材していてこういう言葉が出てくるってどういう感情の体系(または知能)なんだろう。

才能がある人間ほど向上心も強く、苦しみに耐えて努力する能力も高く、常に自分に対して完璧を求めるので、少しのミスも許せず、自分を責め、自虐的にもなる。

密着取材したスタッフは、採点と順位しか見ることができず、高橋本人の卓越した演技を目の当たりにしても、その凄さを理解できる能力、感嘆する能力、尊敬する能力がないのだろう。非常に一般的な鈍い制作者が、少しの人間の怒りをかおうとも、たくさんの視聴者の暇つぶしになる番組をつくれれば成功ということかもしれない。

ここでも「収奪」が行われている。他人の持っている尊いものを、その人のものとして尊重しないで、勝手にやりたいように扱って自分(制作側)の表現に利用してしまっている。本来やるべきことをやらないで、やってはいけないことをやっている感じがする。

私は今回のオリンピックの男子フィギュアでは高橋大輔の演技が傑出していたと思う。もし芸術性、見る者の感覚に強く訴える演技に高得点がつく採点基準だったなら、圧倒的に金メダルだったと思う。

私個人は高橋大輔という稀有な才能に惹かれるのであって、日本男子フィギュアの世代交代には興味がない。この先、日本人で高得点を出せる選手が現れても、こちらの感覚を激しく刺激するような芸術的な演技でない限り、全く興味がもてない。

3月4日

このところずっと苦しんで明け方まで作業していた古い写真の整理がとりあえず終わったので、髪を切りに行った。容貌は酷くなったけれど手入れは楽。

3月2日

3日前に、市場にはあったが高価のため、50本買い取りでないと入荷できないと言われて諦めていたミステリアスパロットを、10本お店に入れてくれた、とオランダ屋さんから電話があってびっくり。さっそく買い取りに行く。

パロット系で奇妙なかたちと紗がかかったような微妙な紫色がミステリアス。

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ここ数日、デジタル化するために昔の古い写真を捜している。 ものが積み重なった部屋の中を探索していたら、冷えたせいか右足の裏の拇指球の真ん中あたりが急に激しい 神経痛になってしまった。痛くて触れないし、うまく歩けない。お風呂にはいって温めたが治らず、お湯の中でも痛くて揉めない。靴下の上から使い捨てカイロを張って一晩寝たらやっと治った。

きのう、きょうといつもより早いPMSが最悪。肩、首、背中の緊張に加えて吐き気。

3月1日

東中野のKから中野へ。中野では探している古本に出会えなかった。空腹のまま食事せずに帰宅。

2月28日

新宿駅周辺へ。

落ち着く自然食の店で午後3時に今日初めての食事。

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きょうのメニュー。

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春の花はまだ梅と椿くらいしか咲いていないけど、線路脇の片隅に寒さにめげずに咲き続けるイエローマーガレットとラベンダーの花を発見。

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小田急フローリストでチューリップフェアをやっていた。ミステリアスパロットという札だけがあって、本体はなかった。優しい友人が、すかさず「ミステリアスパロットってここに書いてあるんですけど、以前は入ってたんですか?」と店員さんに聞いてくれた。1本500円で少し前には売られていたそうだ。

きのうオランダ屋さんから電話が来て、頼んでいたミステリアスパロットが市場にあったが、1本400円で、特注の場合、50本購入しないと仕入れられないと言われた。20000円のモチーフ代くらい許容すべきなのかもしれないが、チューリップ50本を生かしてやれる器も持ち合わせていないので涙をのんだ。雪の影響で国産の花は高騰しているそうだ。

しばらく前に買ったモンテオレンジ(八重のチューリップ)の開ききったところ。

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2月25日

四谷三丁目。坂の多い地形。須賀神社 参道を下り、谷底のくねった道を辿り、観音坂を上って大通りに戻った。

2月24日

浅田真央の外国人記者クラブの会見を見た。

司会をしていたのがデヴィッド・マクニールだったのでびっくり。

私が『デッサンの基本』という本をつくる時に、絵心をそそわれるモデルに出会うまでずっと街頭で行き交う人々を何か月も、のべ何万人も眺め続け、やっと心惹かれる人物に出会えて、ハントしたのがドイツ人の留学生シュテファンだった。そのシュテファンがとても性格の良い友人として紹介してくれたのが、アンドレア(イタリア系カナダ人)で、アンドレアが紹介してくれた魅力的な友人がアイルランドから来た外国人記者のデヴィッドだった。

デヴィッドはすごく知的で落ち着いた感じの人物だ。外国人記者として福島原発の近くや北朝鮮に取材に行ったりしていたのは知っていたが、こういう記事も書くのか。

偶然の巡り会いが関心がある人に繋がっていて、不思議な縁を感じる。

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2013年8月23日 (金)

枯れたチューリップの素描 /  スイカズラの素描

8月21日

今年の3月に買ったチューリップのカサカサになった状態の素描(クリックすると拡大されます)。

萎れてしまっても、パロットキング、エステララインヴェルト、フラッシュポイントなどのかたちの良いものを何本かとっておいたもの(シバンムシがわくので注意)。

2Bの鉛筆(uni)一本で描いた素描。

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葉や花びらの捩じれのニュアンス、ちゃんと見なければ描けないものに注意を払って描いた。

HBの鉛筆(uni)一本で描いた素描。

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これもHBの鉛筆(uni)一本で描いた素描。何ひとつ自明なもの、すでに知っているものなどない、と描いてみてはじめてわかる。

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最近魅せられた素描は、アンニーバレ・カラッチ(Annibale Carracci1560-1609)の「樹と根に浸食された川岸」のペン画。

カラッチは、Agostino Carracci、Ludovico Carracci とともにカラッチ一族と呼ばれ、マニエリスムと写実とも一線を画したらしいが、この樹と根の素描は、彼らのどのタブローともまったく異質な、異様に惹きつけるものがある。

アンニーバレは、これを確かに見ながら描いた。この不思議に捩じれて絡まり合い怪物のようなひとつの塊となった自然を、どうしても描き残したかったのだ。

8月22日

前田英樹先生から岩波現代全書『ベルクソン哲学の遺言』が送られて来た。私なんかに送っていただいて申し訳ない。真摯に読ませていただきます。

もう10年以上も前になるのだろうか、立教大の前田先生のベルクソンと絡めてセザンヌ、ジャコメッティ、マチスを学ぶ授業を聴講させていただいていた。セザンヌのサント・ヴィクトワール山をプランで描くやりかたとベルクソンの「持続」についての考え方のくだりが難しかったのを覚えている。

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母の夕食介助に施設Eに行く。

8月8日より持参した薬がなくなり、ドネペジルと抑肝散を止めて、メネシットのジェネリックと胃の薬だけになっているが、思ったより傾眠もなく、調子は悪くなさそう。

きのう37,7度の熱があったそうだが、冷やしたらきょうは平熱だそうだ(たぶんこもり熱)。

廊下のテーブルで母に食べさせていたら、TVで藤圭子が飛び降りたニュースをやっていた。私の生家から歩いて5分くらいのマンションなのでびっくりした。

デビュー曲「新宿の女」の時の事務所が西新宿にあったそうで、ここ数年はその当時の思い出の西新宿に住んでいたらしい。

楳図かずおの『おろち』の中の「血」で、おろちが薄幸の流しの少女になって歌い歩くシーンや、もりたじゅんの「しあわせという名の女」の主人公の幸という「怨歌」歌手は、あきらかにデビュー当時の藤圭子がモデルと思われる。とにかくすごく魅力的な歌手だったのに。

それから胸が悪くなる汚染水漏れのニュース。たいへんな過酷事故だ。

8月25日

夕方、阿波踊りの喧騒から離れるように阿佐ヶ谷の方へ歩いて行った。2,3日前までの息もすえないような熱帯夜が嘘のように、涼しくなってきていた。

「赤いトマト」でピザを食べた。この店はたぶん70年代からあるのだと思う。昔のテーブル、ノーマン・ロックウェルのポスター、煤けたオリーブオイルの缶、地味で落ち着いたジャズの調べ。飾り気がなくてレトロ(昭和)な空間が落ち着く(ちょっと前まではインベーダーゲームが置いてあった)。ピザも今主流のナポリ風ピザではなく、六本木ニコラス(70年代に初めて日本でピザを始めた店)風で、チーズが多いのがお気に入り。

狭い遊歩道を戻る。

毎年、5月の半ばに、大好きな忍冬(スイカズラ)の花が咲き乱れるを楽しみにしている破れた塀の一角。蔓は生い茂り、葉は青々としていた。

なんと、8月なのに2本の枝に花が咲いていた。おおよそ6月には花が散っているはずなのに。一本は白い(銀)花の枝。もう一本は黄色い(金)花の枝。

よく見るとほかにも小さな莟がついている枝があった。2本の枝を連れて帰って、さっそく素描した。素晴らしい香り。

金銀花(スイカズラ)の素描。左が白い花、右が黄色い花。HB(uni) 

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いつものマルマンのスケッチブックの紙がなくなってしまったので、有り合わせの紙に描いたら、やや粉浮きしてHBでも濃いめに色が出た。

花弁は筒状で、先の方は上下2枚の唇状に分かれ、上唇はさらに4裂。

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2013年3月20日 (水)

フィギュア世界選手権2013  浅田真央 高橋大輔/ チューリップ(エステラ・ラインヴェルト、パロット・キング)素描

3月20日

十数年ぶりに会えた大好きな花、エステラ・ラインヴェルトがついに散ってしまった。

最近描いていたチューリップの素描のまとめ(画像はすべてクリックすると大きくなります)。

チューリップ(エステラ・ラインヴェルト)パロット咲き 買ってきた日(3月11日)

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エステラ・ラインヴェルト(3月12日~3月13日)
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エステラ・ラインヴェルト(3月16日)

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エステラ・ラインヴェルト(3月17日、3月19日)

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エステラ・ラインヴェルト(3月17日)
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ぱらりと散り出したエステラ・ラインヴェルト(3月17日) 肉厚の花弁

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茎についているものは少しひからびてきたエステラ・ラインヴェルト(3月20日)

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3月19日

17日のことになるが、すごく楽しみにしていた2013世界フィギュアが終わり、見ていてちょっと体力を消耗したのか胃腸が痛くなった。やはりPCSの根拠とか、GOEの基準とか、素人にはわかりにくい。誰がその説明責任者で、誰がきちんと解説してくれているのか・・・よくわからない。

だとしても、浅田真央は日々新しく生まれ変わり、「自分自身思っていたより良い演技で、良い結果を残すことができた。来季につながる良いシーズンだった。」と、誰よりも迷いなく、自分がやろうとしていることをどれだけできているのか、次に何をすればいいのか、ちゃんと自分でわかっているようだ。

実際『白鳥』(黒鳥)は素晴らしかった。最初にひとつ、ふたつジャンプのミスはあったにせよ、そのあとは集中力が高まり、身体がどんどん動き出して、音楽も高まっていった。

氷の上を滑る優雅でひんやりとした空気を放つフロストフラワーのような白鳥。陽の光とたわむれるなまめく白鳥。そして精緻に統御されながらも、誰よりも強く激しくはばたく高速のステップの黒鳥。溢れる生命力がほとばしる。身体がもっともっとと駆り立てる。息が切れるのも見せずに最後まで笑顔で大きく、美しく羽を光らせた。

ジャン!と両手をあげたときの勢いと輝くやりきった顔。フリーの点数が出たときも素直に嬉しそうだった。

ジャンプもつなぎの演技も、今の自分の限界を超えるような高難度のプログラムに挑戦し、それを完璧にやりきること。

彼女は自分の限界を極めたいと思っている。そのために、自分のすべてを一度破壊してゼロからやり直す必要があった。ゼロの場所に立つことの不安は並大抵ではない。ものすごく辛いこともいろいろあっただろうが、彼女には着実に自分自身が良い方向に変わってきている確信がある。

本当の意味であらゆることに「さらされている」人間は、ものごとの価値がわかっているし、ものごとを安易に考えない。自分の毎日一歩一歩進む道がどんなに困難かわかっていて、そこに自らをおいて、「練習の過程は最高のものだった。」と言う浅田真央は本当にすごいと思う。

友人の吉田文憲(詩人、宮沢賢治研究家)と、時々フィギュアスケートについて話すのだが、本当にひとりだけ突出して才能を持つ人間がいた場合、それがスポーツだとしても、もはや他人との勝ち負けとか関心がなくなってしまうだろう、それは当然だ、と言った。

フィギュアスケートはスポーツだけれども、芸術と非常に似ているのは、最高難度のことに挑戦する人間がいて、その人間が極めて突出していた場合、それを正当に評価できる人間がいない、あるいはそれを正当に評価したくない人間がいる、というところだと思う。最後は「誰がこれを正当に評価できるのか」という問題になる。

ここに「信憑」ということが出てくるのだが、結局誰がその価値をきちんと言葉にして救えるのか、ということだ。

「芸術性」ということがPCS(特につなぎ、身のこなし、振付、音楽の解釈)だとしたら、私の確信する芸術性とフィギュアスケートの採点が高く出るプログラムはまったく違うものだ。

高橋大輔も最高に芸術性の高いフィギュアスケーターだと思うが、あとはジャンプさえうまくいけば・・・。しかし「スポーツだから」とさえ言う必要はない。彼にとって、ジャンプが「うまくいく」とは、ゲーム(競技)の既存のルールの範囲で勝つこととは次元を異にするからだ。既存の言語では語りえない、あの身体表現の凄み、深み・・・こんなにすごい選手もいないと思うけれど。

見るものの「信憑」を成立させている構造には、深く身体が関わっている。目だけでなく、手さぐりの、身体の、いわば「盲目性」が――。

「宿命」――は見ることはできない。語ることもできない。見ることのうちの盲目性によって見られ、語ることのうちの沈黙によって語られ、「宿命」は革新となる。

浅田真央と高橋大輔にはあらゆる困難に耐えてものすごい境地に達する「宿命」、本物だからこそ背負わされた宿命のようなものを感じる。

スポーツだから採点がすべてなのだけれども、明らかにその次元を超えてしまっている存在。それは二人のどんな苦しいときにも甘えやナルシスティックなところがなく、淡々と努力する態度にも、言葉の正直さにもあらわれている。深さがあって虚飾がない。

他人にはわからない次元、採点されるかどうかわからない次元に挑戦している、とも言える。

ショートを新しいプログラム『月光』にかえたとき、「何が正解かはわからないんで、とりあえずその時、自分がいいと思ったことをやって、間違っていてもそれはそれで、自分のためにもなるし。」と高橋大輔が語っていたが、リスキーなことに挑戦して、良い結果にならなくても、その経験が身体の細胞をつくるように自身の深みになる人間はそんなにいない。それが深みになる人間を、本当に才能のある人間というのだと思う。

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最近描いたチューリップの素描のまとめ。

チューリップ(パロット・キング) 黄色が輝く花。(3月6日)

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パロット・キングとモンセラ。右上2本のモンセラは小型の八重咲き。黄に赤いスジのチューリップだがなぜかすぐ枯れてしまった。

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パロット・キング(3月9日~3月10日)

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大きく開花したパロット・キング。しなりの線のカーヴを見ている。(3月12日)

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かさかさして散ってきたパロットキング(3月13日)

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チューリップ(ライオンキング) フリンジ咲き。(3月2日)

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チューリップ(ゴリラ) フリンジ咲きで色はブラックパロットと同じ黒紫。(2月21日)

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ゴリラ(3月5日)

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チューリップ(フラッシュ・ポイント) 八重咲きの濃いピンクの花。葉の縁にも薄いピンクのすじがある。葉脈の白い線を描きたかった。(3月6日)

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2013年3月16日 (土)

高橋大輔 『月光』 / チューリップ(エステラ・ラインヴェルト) / 浅井先生ががんセンターをやめると聞く

3月16日

今日の夜は高橋大輔の最後の世界フィギュアのフリーと思うと淋しい。

2日前のショートの『月光』。勝つためにこの曲にかえた、そうでなければかえないと本人が言っていたが、本当に素晴らしかった。

ロックンロールメドレーもいいが、この『月光』はそれよりもずっと高橋大輔の凄み、深み、身体芸術ともいうべき確たるものが際立って見えた。今の高橋の深さにはこれくらいのシリアスで壮麗な曲が必要ということなのか。

新しい黒のシンプルな衣装は月の光とたわむれる夜の空気の精のよう。高橋の細い腰、体線をきれいに見せ、しなやかな身体の動きを見せるのにぴったりだ。

見ているほうはすごく緊張したが、曲が始まってからの高橋はすうっと吸い込まれるように自分と曲の世界にはいっていて、緊張や固さは感じられず、最初から光を放っていた。

四大陸のあとは凄まじいというほどの練習ぶりだったというが、どれだけの練習をこなしたらこうなるのか、と感心するほど落ち着いていて、人間の身体がすうっと作品に変わっていった。

この曲を自分のものにしているというよりも、曲に奏でられ、身体の中から音が溢れ出していて、そこには時間でない時間が流れた。

音を受容しながらも音を操り、奏で、もはやどういう技をやっているとか何かを演じているとは感じさせない状態。

キアスム。まさに終わりのない反転運動としての「主客未分の」状態(時間)。

ゆっくり重々しく始まり、静かに、しなやかに空間をたっぷりと見せながら、後半は怒涛のステップ。世界一のステップという言葉を超えてしまって身体が透明で激しく強靭な音を共鳴させた。

藍色のさざ波。大きな空間のうねり、どよめき。こんなに速く、激しく、美しいステップがあったろうか。

終わった瞬間の高橋大輔のなんとも嬉しそうな顔。すっとリンクの中央に滑って両手を掲げたときの、口を軽く結んだ微笑の、なんとも誇らしく晴れやかな美貌。

やった、やった!というよりも、ふっと力が抜けたような、真にやるべきことをやれてほっとした、という微笑が美しかった。

現行のフィギュアスケートの採点法では、今回の高橋の演技は、ジャンプの回転不足をとられたことが大きくひびいた。けれどそれは、ある時代のあるスポーツ文化の、ある決まりごととしての採点法での点数である。

あれだけのステップ、あれだけの全身を大きく激しく使ってのスケートがどれだけのドラマを見せてくれ、見るものの記憶を掻き見出し、詩情を感じさせるかは、あくまで一要素としてしか採点されないのだが、私はそちらのほうに評価を重く置く(もちろんこれだけのすごいことをやって見せてくれているのだから勝って笑顔を見せてほしいけれども)。

将来5回転をバンバン飛ぶような選手が出てきたとしても、高橋大輔のようにフィギュアスケートを身体芸術として見せてくれるような選手はもう二度と現れないと思う。

絶対的なものはどこにもないが、その儚さを瞬間、刹那の中に見せること。それがわかっているから、それをやれている苦しくも最高の瞬きの時間を体感しているから、高橋は終わった直後、あんな甘やかな微笑を見せた。

この日の空にはシロツメクサのような、細い爪のような鋭く繊細な月が輝いていた。

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3月15日

国立がんセンター。生理二日目なのに血液を4本抜かれて気分的に弱っているところに、主治医の浅井昌大先生の口からこの3月で国立がんセンターを退職されることを聞いて大ショック。執刀していただいてから長年ずっとお世話になっているとても信頼している先生だ。

鎌ヶ谷の病院に移られるとのこと。鎌ヶ谷ってどこだっけ?と思ったが、都営浅草線で直通の千葉の成田方面、と言われた。

10年くらい前に浅井先生が3年くらい千葉の姉ヶ崎の山の上にある病院に移られた時も、たいへん遠かったけれどそっちに通った(切り崩された山の方には人家もなく、海の方はすごい工業地帯で怖いみたいなところだった。しかし林の奥の道を抜けると100年も変わっていないような昔からの里山があったりした)。その時にくらべたらまだ近い。

浅井先生は静かな声でしゃべる人で、すっきりした頭のいい雰囲気のまま歳をとらない。昔から少しも変わっていない。(確か萬屋錦之助や勝新太郎も浅井先生が執刀したのだ。有名な先生ですごく人気があった。)とにかく命の恩人だし、大好きな先生なのでついて行こうと思う。

3月13日

N病院の帰り花屋に寄ったら、エステラ・ラインヴェルトが3本残っていた。おととい私が7本買ってから誰も買っていなかったのだと思う。その3本を買って帰った。

3月11日

チューリップ(エステラ・ラインヴェルト)パロット咲き Parrot Tulip Estella Rijnveld 3月11日

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誰がつけたのだろう。エステラ・ラインヴェルトという凛とした名前を。

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エステラとは星のこと。花の真ん中に薄青紫の星のかたちが見える。

N病院の帰り、オランダ屋に行っていつものようにっチューリップの入荷をチェックしたら、もう14年くらい毎年さがし続けていたパロット咲きのチューリップ、エステラ・ラインヴェルトがはいっていたので眼を疑った。

本当に毎年見られる限りの花屋を、この花をさがして歩いて、花卉市場にまで行ったこともあったがめぐり会えなかった。一本210円。かたちが変わっているものを選んで7本買った。

この花の特徴はパロット咲きチューリップの中でも花弁の裂が深くて、花弁の捩じれや折れ曲がりや外側のこぶもはっきりしていて、予想を超えた奇妙な美しい線を見せてくれることである。肉厚の花弁に白地に濃いフーシャピンクの愛らしい縞。

帰宅してから夢中で水彩で描いていたら朝になってしまった。

3月9日

震災からもうすぐ2年、各地で反原発デモをやっている。私も明治公園の「さよなら原発」集会に行きたかったのだが、腰痛で断念。最近、背中と肩と腰がひどく痛い。

黄砂や砂ほこりのせいか外に出ると顔の皮膚も痛い。

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2013年2月20日 (水)

知覚の不可能性の領域 / チューリップ素描 / N女医の母への人権侵害

2月24日

北川透さんからいただいた「別に詩人なんかでなくても、書くものすべてが詩になってしまう人がいます」という言葉がずっとひっかかっている。

書くものすべてが詩になってしまうなら「詩人」ではないのか?

その実態や内実ではなくて、本の表に「詩集」と書いたら詩人なのだろうか?詩集を何冊も出していても全然詩人でない人もいる、というのが私の経験からくる感覚だ。

画家と称していても描いているものが「絵」になっていない人もいるし、現代アートという呼称だけが先走っていて、べつに何も・・・と言う現象もある。才能のある人はすべての言動が違う、すべてにおいて鋭いというのが才能のある人を見て来た私の経験からくる感覚。

中野で見たアール・ブリュットの幾人かの作品はずっと心に残っている。日記を線の重なりとして残していた戸来貴規。誰にも見せず、その人の記録、記憶として。不思議な猫の絵を描いていた蒲生卓也。いつか本物を見られる機会があるだろう。

アール・ブリュットの作家たちのすごさは自己顕示欲や虚栄心がないこと、自分を大きく見せようとする醜悪なそぶりや押し付けがましさ、うるささ、余計なおしゃべりがないことだ。ただそこに集中したということ。それが「生(せい)」とも「なま」とも感じられる直接的なものだ。

詩にしても絵にしても、その成り立ちの条件として、「《知覚の不可能性の領域》に、身体の全感覚が触れてしまう」のはすべての基本ではないかと思う。

ここ10日ほど描き続けていたチューリップの鉛筆と水彩素描のまとめ(クリックすると大きくなります)。

八重咲きピンクのチューリップ(フラッシュポイント)と2月10日に京王で買った薄黄色のパロットチューリップ鉛筆素描(2月12日)。

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上のフラッシュポイントの開いたところ後ろ向きと上の黄色のパロットの開いたところ(2月13日)。

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2月10日に描いたエキゾチックパロットの画面左の花の花弁が落ちてしまったところを右下に逆方向から描いた(2月15日)。

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13日にゼフィールで買ったチューリップ(アプリコットパロット)の水彩(2月14日)。左と中上の花は同じものを違う方向から描いたもので、右下は同じ花の17日の状態。

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ゼフィールで2月13日に買ったアプリコットパロットが開いた。2月17日に新しく買ったアプリコットパロットとの比較(2月17日)。
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2月22日に買ったチューリップ(モンテオレンジ)。鮮やかな緑のすじを描きたかった。

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2月6日につぼみだったチューリップ(フラッシュポイント)の2月23日の状態。枯れてきた線が美しいと思う。

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美しい線の流れをさがして角度を変えて何度も描く。

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2月22日

中野のN病院。G・Kとデルソルで食事。プライベートでは話が通じて、相手の話の感覚の鋭さにわくわくするような相手としか話したくない。

2月19日

雪。積もらない。

2月18日

北川透さんからはがきをいただく。『反絵、触れる、けだもののフラボン』について、

「エッセイというより、全篇が散文詩だったことに驚きました。別に詩人なんかでなくても、書くものすべてが詩になってしまう人がいます。あなたもその種類の人のようです。みずから書いていらっしゃるように〈概念〉に頼って思考されないからでしょう。《知覚の不可能性の領域》に、身体の全感覚が触れてしまう。そんな印象でした。」と書いてくださった。

4時過ぎにN病院に行き、相談員に会いたいと受付で言う。二階の担当の人が不在で、三階の医療ソーシャルワーカーのKさんが話を聞いてくれた。

薬のこと、主治医のこと、勇気を出して話した。話してこれからどうなるのか、よい方向に向かうのか、もっと心労がかかるような事態になるのかわからない。けれど理不尽だと思うことを端的に訴えたのだ。

6時の夕食時、母は常食に近い食事になっていた。きょうの昼食時、ST(嚥下障害などを訓練、指導、助言するリハビリスタッフ)が評価したとのこと。2時間近く見守り、完食。

狸小路の赤ちゃん猫、4匹。もつ焼きやさんの前にケージを持って保護準備している人がいた。本当によかった。寒さで死んでしまったらどうしよう、と気が気ではなかった。

2月17日

14日に買ったチューリップ(アプリコット・パロット)をまた2本買った。N病院のことで胸がつぶれそうに苦しかったが素描に集中した。

2月16日 土

詩人の吉田文憲さんと新宿のRで食事。

私の書いている本や文章について、

「「内面を書いている、内的なことを書いている」というのはまったく間違いだ。」と吉田さんは言った。

「あなたの書いていることは、本当にものをつくる人間同士がつきあうとき、「お互いを生きる」ような関係性であって、そこにはむしろ「外部しかない」と言ったほうがいい。」「

「「内面」を書いている、と言うと「内部」だけでうごめいていて「外」がない人が、自分をわかってくれ、認めてくれと言って寄ってきてしまう。本当は中川幸夫さんがどんなことをしてきたかを見たら、凄い、という畏れを感じて自分は謙虚になるはずなんだけれど・・・。」

「中川幸夫さんが何をしてきたかを見ても、中川さんの厳しさや美しさ、頭の良さはまったく継承されない軽挙妄動の最悪のエピゴーネンもあるんだから、何を見ても何も感じない、何も学べない人間はどうしようもない。」

2月15日 金

N病院で母の主治医N・M医師(女性)との初面談。

あまりにも医師として不適切、人間としてどうかと思う態度にショックを受けた。

母が2階の一般病棟から3階のリハビリ病棟に移った日、顔が真っ赤になって胸が苦しいと言って、心電図や脳CTや血液検査をし、酸素吸入や点滴を受けていたことについて、「データには異常ないんだから、狼少年だ。」とN医師は言った。

パーキンソンは刺激によって状態が変動しやすい病気だが、手を煩わせられていらいらしたというような言い方をされた。「2階にいるときに(具合悪く)なってくれればいいのに。(3階に来られてから具合悪いとか言われて迷惑だ)」と。

「狼少年」というのは人の関心をひくために嘘を言うという意味だが、病気で苦しんでいる人間にどんな神経でそのたとえを使っているのだろうか。母は嘘をつく人間ではない。むしろ、そうとう我慢強いほうだ。

日によって体調のレヴェルが変わり、リハビリが効率よくできないことが気に入らないらしく、リハビリができないなら帰宅してほしい、といようなことを言われた。具合が悪い患者に対して慈悲どころか、面倒くさくて憎悪があるみたいだ。

そればかりか、今まで処方されたことのない副作用の危険な(死亡率があがる)薬を出したと言われ、愕然とした。

しかし昼食後、現場の若いリハビリスタッフにリハビリの現状を尋ねると、その場で「立ちましょうか。」と言って、後ろから補助して歩かせるところを見せてくれた。とても優しい。実際には予想以上にリハビリはうまくいっていることに驚いた。

「歩くことが好きなんですよね。ほかに好きだったことはありますか。」とそのかわいい療法士さんに聞かれ、「散歩が好きで、樹や草花が大好きでした。」と答えた。男性の療法士さんも、「お、きょうは調子いいねえ。」と声をかけてくれ、現場のスタッフはとっても親切。

狸小路の猫、もつ焼き屋さんの窓の外の棚の上にのっかて寄り添っている。毎日少し食べ物をもらっているようだが寒そうですごく心配。帰りに見たら一匹、薄茶の子がもつ焼き屋さんの二階へと登って行っていた。落ちませんように。

中野ブロードウェイで、日本のアール・ブリュットの展示を見た。初期のヤンセンの過密な線の版画のような、鉛筆で縦横に線を巡らせた作品に眼を奪われた。解説を読むと、これは個人の日記で、誰にも見せず、隠されて置いてあっただそうだ。よく見ると線の中に何月何日と書いてある。その上にゆっくり線を重ねていったのだ。

若林奮さんがやったのと偶然にも同じように、日を追ってきちんと紙を重ねて閉じてあったそうだ。すごいと思った。

帰宅後、夕方ケアマネさんに電話できょうのことを報告、相談した。彼女はN医師に対してすごく憤慨していた。N病院は進歩的な病院のはずだし、相談員に話してみたらどうか、と。

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2013年2月12日 (火)

高橋大輔『月光』  浅田真央

2月10日

チューリップ(エキゾチック・パロット)の水彩素描(2月10日)。八重咲きではないが葉のような萼のような花弁のようなものがついている。(画像はクリックすると大きくなります)

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フィギュアスケート四大陸選手権2013。祝!浅田真央トリプルアクセル成功。

高橋大輔は浅田真央とは明暗を分ける結果となったが、、非常に高いリスクを背負って、自身のぎりぎりまでレヴェルを上げて新たな次元に挑戦したことは同じだろう。

高橋大輔の『月光』。瑞々しく澄明な冴えた音。エフゲニー・キーシンの演奏だと知り、キーシンの12歳の時のリサイタルの動画を見てみたが、素晴らしい音を奏でる神童、しかも美少年(現在は41歳)。

藍色の闇のように厳かに始まるおなじみの旋律。身体の線を長く見せて、最高に優雅に、雰囲気たっぷりに流れながらジャンプ。そして後半の星が一気に砕け散るような高速のピアノの音の洪水。速く力強く劇的な難しいステップ。

高橋大輔の魅力は、ただ激しく速い動きをやれるという以上に、「パッション」を生きる、というのか、激情と同時に「受苦」の宿命を踊って見せることができるフィギュアスケーターは彼しかいない、と感じさせるところだと思う。

演技しているというより内側から湧いて出てくる動きの織りなす色や情感が深く濃やかであり、この有名なクラシックも彼独特のシリアスで熱のこもった強烈なものにしてしまうだろう。

失敗はあったにせよ、まだ変更してから時間が浅いということで、これからの練習ですごいものになるという期待がふくらむプログラム。何よりも競技人生初めてシーズンの途中でプログラムを変更したというものすごいリスキーな挑戦、そのあくなき向上心にほれぼれする。

フリーはめずらしくジャンプの失敗があったが、ファンというものは決してがっかりしたりしないのである。次の世界選手権が最高の舞台となるように、今回の試合はそのためのステップだったと思う。

浅田真央、あんなにも望んでいた3Aの成功、おめでとう。じぶんだけの武器を一度失って、苦しんで苦しんで、長い時を耐えて努力して、ついにまた取り戻した気持ちはどんなに晴れやかだろう。

ショートの直前の6分間練習の時、背中が美しい、と思って見ていた。細くそがれた身体についたしなやかな筋肉が美しい。調子は上向き。

始まる前の微笑んで上を向いたポーズ。ガーシュインの曲が始まって驚いたような振り、笑顔で肩をすくめるポーズ、しかしスピードをつけて滑り出しだ顔は全然笑っていない。3Aが決まってからあとの笑顔は心からほっとして思わず出てしまう本当の笑顔。

最後のステップの時は余裕すら感じさせる解放された笑顔。アナウンサーは「楽しかったですね~!」と言ったが、私は「身体表現」、「生成する造形」として見てしまうので「楽しい」とは感じず、「キレがいい」「速くて端正」「かっこいい」「難しいことを涼しい顔でやっている」と感じる。

リンクから上がる時、佐藤久美子コーチに抱きついて「ああ~っ」と声を漏らしながら満面の笑み。

本当に心から充実した笑顔が出てよかった!!

フリーの『白鳥』。

第一パート、気高く、端然とはじまり、無表情のままトリプルループ、意思の強さを秘め、運命のトリプルアクセル。有名な旋律は繰り返し徐々に荘厳に力強さを増し、スピンで大きく盛り上がる。

第2パート、細く繊細で高いバイオリンの調べにのって抒情的に。このパートのなよやかな動き、特に腕と手首のゆらめくような動きに感心した。ここまでしなやかに動物的、植物的、妖精的な浅田真央のなまめかしい動きを見たのはこのプログラムが初めてのように思う。

第3パート、軽やかに飛び跳ねて舞う動き。優雅にリズミカルに。

第4部、ラストは黒鳥のグラン・フェッテ(フェッテ・ロン・ドゥ・ジャンプ・アン・トゥールナン?)荘重で華やかに力強く。実際はものすごく難しいことをやっているのだろうが見た目は思いっきり解放されたように、回転、回転の細かいステップ。

浅田真央の魅力は何と言っても最高に難しいことを端然とやるところ、振付以上に身体の内から湧き上がる美しい身のこなし、余計な肉のない体線と細長い手足の切り裂く空間、わざとらしさやこびがなく、身体の動きそのものが醸し出す透明感と硬質な抒情。

初雪のような新しい衣装も輝いていた。本人の自信とやる気が眩しい。200点越えにバンクーバー五輪の時の興奮が蘇ってきた。世界選手権ではさらに完璧な演技になるだろう。

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浅田真央『鐘』の芸術性について書いた「もっとも劇的な雲、異空間の生成――浅田真央『鐘』に」が収録されている『反絵、触れる、けだもののフラボン――見ることと絵画をめぐる断片』もよろしくお願いします。

ものを見るということはなにか、眼からはいってきて胸を震わすものについて、私が出会った(もう亡くなってしまった)真の芸術家について書いた本です。谷川俊太郎さんが帯文を書いてくださっています。

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チューリップ(フラッシュ・ポイントとフレミング・フラッグ)の素描。フラッシュ・ポイントは葉の縁にピンクのすじがはいっている(2月6日)。

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開花したフラッシュ・ポイント(2月8日~2月9日)。

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2013年1月31日 (木)

チューリップ(モンテ・オレンジ)水彩素描 

2月7日

ここ2週間ほど日を追って描いていたチューリップの素描(クリックすると大きくなります)。時系列は上から順番。

オレンジの八重のチューリップはモンテ・オレンジ。少し花弁が尖っている赤の八重のチューリップは、名前不明。全部で10本。

1月24日の開きかけ。チューリップは同花被花(萼と花弁の区別のはっきりした異花被花に対し、萼と花弁の区別のない花。内側3枚の花びらが花弁で外側3枚が萼)。

特に八重咲きやパロット咲きのチューリップには、萼のような葉のような花びらのようなものがついていることが多い。そういう奇形に美しさを感じるので、そういう個体をよく選んで買っている。(画像はクリックすると大きくなります)

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チューリップの花の裏側のツヤとガラスのように張った感じ。

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モンテ・オレンジと赤い八重のチューリップの正面。花弁に雄蕊がくっついていたり、花弁だが蕊だかわからない状態に混じったもの多数。

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花びらが開いて逆反りになって少しつっぱったような力の線に美しさを感じる。

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つっぱった力がしなだれてきた頃。個体によっては乾いて縮れてきた。

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かさかさ、ぱらぱらになった頃。

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夕方N病院へ。3Fのリハビリ病棟に移ったと聞いて、快復に向かったのかと期待したのに個室にいて鼻から酸素吸入していたのでショックを受ける。朝10時に移動させてから顔が真っ赤になり、心筋梗塞かと思ったが、血圧が188まで上がっていた、あとは脳にも血液にも異常なし、と言われた。

私が着いた時にはしっかりしていて、私に「起こして。」と言った。私の手を両手で握って、「かわいそうに氷みたい。代わってあげられればいいのに。私は寝てばっかりいるから温かいのに。」と言った。

食事の許可が出たので食べさせるが、クリップみたいなもので指に留めている酸素濃度を計測する機械の数値が95まで下がったら呼び出しボタンを押してください、と看護師さんに言われる。

食事中、なんとかおかずと林檎のすりおろしを食べたが、途中で眠ってしまう。そのあと少し譫妄。食べ物が口に入ったまま起きないので看護師さんに言うと、強く起こしたが起きないので口の中に棒の先にスポンジが着いたものを入れて掻き出そうとしたが口を開けない。チューブで吸引しようとしたが嫌がる。そのあと一瞬眼が開いたのでお茶を飲ませてなんとか口の中の食べ物を嚥下させる。

2月6日

雪は予想より少なく、雨に変わった。寒い日。駅の向こうの花屋に行く途中で耳がキンキンに冷えてズキズキした。

八重のピンクのチューリップ(フラッシュポイント)と白地に紫のすじのはいったチューリップ(フレミングフラッグ)を買う。

2月5日

N病院での介護認定に立ち会う。きょうは夕食時も傾眠で眼が開かないままだったのでどうしようかと思いながら食べさせる。カリウムとカルシウムの補給のため昆布の顆粒(無塩)を食事に混ぜる。

食事50分くらい経ってから眼が開く。急に調子がよくなり、おかゆを自分で完食。

2月4日

N病院。夕食時調子がよく、母の小さかった頃の母の両親のことなどよくしゃべる。母は麻の糸をつくって染め、機を織って着物をつくっていたこと。父はすごい根気と丁寧さをもってきめ細かい炭を焼いていたこと。父の名前の話で、母がすごく久しぶりに笑ったのを見た。

TVの画面で、小田原の海に立った大きな虹の映像を見て、「きれい」と母が言った(ここ5年くらい母がTV画面に反応したことがなかったので嬉しかった。)

2月3日

N病院。母に昔の写真を見せたら反応があった。私の赤ん坊のときの写真や母の母と5才の私が母の生家の庭の池でお皿を洗っている写真など。久しぶりに話が通じているので涙が出た。(やはり栄養不足で神経回路が悪かったのかと思う。)

夕食、1時間以上かかったが、入院後初めての完食。最後は自分でスプーンでおかゆを食べることができた。

2月2日

N病院へ。妹は、母に対して、愛情や同情や共感がないのであれば介護するふりなんてしないでほしいと思う。本人の感覚では自覚がないのだろうが。

狸小路の子猫たちが飲み屋のウィンドウの前の棚のところに座っていた。かわいがられているなら本当に良かった。

夜。K・Tに電話。気持ちが通じない人だというストレスで気分が悪くなったら、胃の下のほうが痙攣して夕食を全部嘔吐。頭痛に耐えて寝る。

2月1日

昨日歩き廻ったせいか筋肉痛。治療院ですごく硬くなっていると言われる。

6時にN病院へ。なんとかおかずのみ完食。いろいろ苦しそうでたいへんだった。

8時頃帰宅してからきょう初めての食事。きのう読んだ本につられて、柚子の香りのする天婦羅蕎麦をつくる。

1月31日

母の病室へのG歯科の訪問診療に立ち会うため、4時にN病院へ。

診療後、6時まで中野ブロードウェイをうろつく。3Fで探していた某漫画家の1970年頃のコミックスを315円で発見。あまり見たことがないレア本なので購入。その後、水木しげるのレターセットや工作キット、楳図かずおのTシャツなどを見、ドイツ製のビザーレのポストカードをチェックし、大好きなコサージュ作家の作品やミリアム・ハスケルのネックレスやローズ・オニールのQPを見、地下に降りて昭和の雰囲気そのままの商店街を見て歩いた。8段もある390円のソフトクリームや、スナックと飲み物セットで300円のお店や、いろんな鉱物結晶を売るお店を眺めて歩いた。

暮れた狸小路の蕎麦屋の横にに3匹の赤ちゃんの野良猫がいた。どうかかわいがられていますように。

6時にN病院に戻り、母に夕食を食べさせる。なんとかおかずのみ完食。

1月30日

宮沢賢治『蜘蛛となめくじと狸』から『寓話 洞熊学校を卒業した三人』への変貌。

これは生き物が生き物を食って大きくなろうとする残虐な殺戮の話だが、「なるほどそうしてみると三人とも地獄行きのマラソン競争をしていたのです。」という一行で終わる初期の『蜘蛛となめくじと狸』のほうが、私の心には強く響いた。

1月29日

母、転院。9時30分にH病院へ行き、会計清算。ケアマネのMさんが書類を届けに来てくれる。Mさんは顔中に怪我。大雪の後の凍結した上をいつものように自転車で走って転倒し、同じくH病院でCTを撮ったそうだ。介護の仕事も命がけだ。

10時に介護タクシーが来る。中川幸夫先生が住んでいた近くを通り、紅葉山下を通って中野へ。N病院まで6020円。母がレントゲンを撮っているあいだ壁に貼られたN病院便りを見ていると、反原発デモに手作り横断幕で参加しているリハビリ職員さん達の写真があった。12時から昼食を50分かけて母に食べさせる。おかずのみ完食。

そのあとピザの店で休んだが、きのう眠れなかったせいで喉を通らない。

1月27日

25日にベルリンからメールがあり、新年の挨拶とスカイプで話したいと書いてあった。忙しいので、まず用件をメールで書いてください、と返事すると返事が来ない。

他人から一方的に甘えられること、理不尽な要求をされることが、もう本当にうんざりなので、用件のみを聞くようにすることが今年の決意。

1月26日

母の夕食の介護に行くと、向かいのベッドのマーガレットさんに呼ばれ、左手にキスされた。1947年くらいに日本に来た宣教師さんらしい。

1月24日

名古屋のいずみ画廊の小山さんより藤田嗣治展のご案内に添えて丁寧なお便りをいただく。「浅田真央さんは、2年前、世界選手権で不調だった時、小塚崇彦君といっしょに食事しました。テレビで見るとおりの聖女でした。」とのこと。

1月23日

チューリップ(モンテ・オレンジ)を買う。

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2010年5月14日 (金)

ブラックパロット チューリップ 素描 「デッサンの基本」重版 第6刷り

5月14日

「デッサンの基本」重版 第6刷りの連絡が来ました。

表紙だけではわからないと思うので、詳しい内容の紹介を以前に書いていましたので、よろしかったら……

http://anti-lion.no-blog.jp/blog/2009/07/post_70bd.html

http://anti-lion.no-blog.jp/blog/2009/07/post_070d.html

私個人としての素描。一時期、ブラックパロット(ブラックリリーと表示している花屋もあった)というチューリップに狂っていた。

黒い花で、パロット系の中でもちょっとごつごつしていて、六角形がシャープな、とびきり神秘的な、大人っぽいチューリップである。(すべてクリックすると大きくなります)

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花弁の一枚が緑の葉に変形しているもの。しかし、もともと本来は花弁6枚で、真上から見ると内側の3枚がやや幅ひろく、外側の3枚はシャープな三角形をつくっている。

この花は7枚目の花弁と葉の混じったようなものがあるので、気にいって花屋で買った。

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黒紫のはなびらに緑の部分が浸入しているのが美しいと思う。

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2010年5月 8日 (土)

絵 素描 デッサン 鬱金香

5月8日

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きのうに引き続き、ヴェルデパロット。(クリックすると大きくなります)

1mも引きをとれないゴミゴミした部屋で、蛍光灯のみ(普通どおりの状態)で撮ってみたので、暗い。

この奇妙で個性的なチューリップの魔的な魅力を所有したかった。チューリップだけでも何百枚かは素描している。いつもだいたいパロット系で、思いきり奇妙なものしか描きたくない。

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次のは、枯れたチューリップの運動を身体的に感受するつもりで描いたもの。とにかく衰微しつつあるものの、一瞬一瞬の運動と変化に惹かれる。(クリックすると大きくなります)

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大野一雄先生が個展にいらしてくださったとき、やはり個展のチラシを見て、舞踏に見えた、というようなことをおっしゃってくださり、衰微する鬱金香の絵の前で踊ってくださった。

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これも衰微していくチューリップのシリーズ。(クリックすると大きくなります)

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