舞踏

2025年10月25日 (土)

福山知佐子個展最終日

10月19日(日)

ギャラリー十二社ハイデでの個展も最終日。

この絵は割と最近出来たのだがすごく気に入っている。この絵とも淋しいけどさよなら。
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鬱金香

最初に高校の時の友人タカちゃんや小学校低学年の時の友人マリコが来てくれた。

マリコは茨城に住んでいて、何十年かぶりかに新宿西口に降りたので、新宿が変わり過ぎてまったく方向がわからなくて迷ってしまったと。私も破壊されている新宿が辛い。

6歳の頃、マリコが住んでいたのは十二社通りの野菜市場の2階。そこはマリコが引っ越してすぐに普通のビルになってしまった。

毎回来てくれる音大卒のS.Y君。Twitterでお知り合いになったM.Sさん。

鎌倉で絵を描いているT.Jさん。芸大のデザイン科卒のアキさん。

そして静かに長い時間見てくださるS.Hさん。S.Hさんは佇まいがすごく美しいかた。
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今日は5時から舞踏のパフォーマンスだが、あいにくの降りだしそうな空。

5時、十二社の階段。

村野正徳の挨拶。福山知佐子が愛着がある十二社の記憶、昔あった十二社の大きな池などをテーマに身体表現するそうだ。

村野正徳舞踏パフォーマンス  (youtube)

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吉田文憲さんの(私が一番好きな)詩、「生誕」を暗唱し、そのあとに舞踏パフォーマンス。
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※日本には「舞踏」という日本特有の前衛的な舞踊の形式があります。

西洋の軽やかで流れるようなダンスとは違い、地面に這いつくばるように情念や土着性などを表現するものです。

60年代に土方巽が創始、大野一雄などが発展させたもので、今は世界的にButohとして認知されています。
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途中、ばらばらと大粒の雨が降って来て、けっこうな大降りになる。

スマホが濡れたら壊れるのでは、とコートを頭から被ってスマホを庇いながら撮影。

見てくださっているお客様も濡れて申し訳なかった。傘を最初からお客様に用意するべきだった。

パフォーマンス終了後、村野君の予備校時代からのお友達が来て一緒に録画を見ていた。

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本人はミミズをイメージして踊ったそうだ。

そして私に若いお客様が。友人のサヤカちゃんの息子さんのK君と、その幼馴染のT君。

多摩美の院生のK君。
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レザーベイビーというバンドのドラムスのT君。
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私は何と言ったらいいのかわからないくらい、この若いおふたりに励まされた。

私のデッサンを見て、二人で(私に向かって言うのではなく)「すげえ!全部すげえ!絶対描けない!」って本当に驚いて言ってくれていたので。

「どういうところが?」と質問するとK君は「線の選び方がすごい。こんなふうには誰も描けない」と。

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スケッチブックを一枚ずつめくって見せたら、その一枚ごとのデッサンに、いちいち「すごい。全部すごい」と言ってくれて

そして枯れたチューリップを和紙の上に鉛筆で描いて岩絵の具を散らした絵を見て、「これが一番好きです。生命の揺らぎを感じる」と言ってくれて、画集まで買ってくれた。
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T君は絵をやっている人ではないにも関わらず、私の銀箔の絵を見て「すごい!これ、なんなんですか?」と真剣にくいついてきて、

「銀箔を腐食して、絵の具を使わずに絵を描いたの」と応えたら「すごい!誰もやってない。誰もやってないことを考えるのがすごい」と。

花の部分だけ塗っている紫のチューリップの絵を見て「どうして一部分だけしか色を塗ってないんですか?」と聞かれ

「花は一瞬ごとに動いているから、今の瞬間を描こうとすると全部塗れない。全部塗ると絵が固くなるから。

左のチューリップに比べて右のチューリップは早く無造作に描いているでしょ。無造作に描いた方が運動が描けるから」と応えたら

「すごい!それで動いているように見えるのか」と。
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なんで若い人がこんなに素直に、強く興味を持ってくれているのか、本当に驚いた。

なにか表現している特に若い人は、自分のやっていることが一番と思っていて、私のデッサンに興味を持ってくれる人などほとんどいないから。

現代アートをやっている人は設計図は描くかもしれないが、自分の外にある小さな生き物をよく見て鉛筆で描くことなど必要ないと思っているし、

絵をやっている人でも自分の絵のスタイルを作るのに熱心で、ものを見てものに寄りそうデッサンの質には興味がなかったり・・

私の絵を見て敵愾心丸出しで、私から話しかけても「ふん!」とそっぽを向いた同じ美大の同じ学科の10年も15年も後輩の女の子が何人もいたし、

だから、絵の世界とはそういう嫌な感情が渦巻く世界だとずっと昔から認識していたので、ふたりの素直さに愕然とした。

私は萎れて枯れていく植物の運動に寄り添って描くこと、そしていわゆる美大受験用の画一的なデッサンを抜け出て線で描くことを目指して30年やって来たのだけど

きょうは馬鹿の一念で続けて来たことが無駄ではなかったと思えた幸せな日だった。

7時に個展終了。すぐに絵5点を梱包して足利市立美術館に送る準備をした。

そのあと打上げ。昨日H.Mさんにごちそうしていただいたちょっと高級なイタリアンへ。

私がごちそうすると言っているのに、二人はすごく遠慮していた。今日ばかりはごちそうさせて欲しい。

シャブリのグラスで乾杯。マグロと紫玉ねぎのカルパッチョ。スモークサーモンのサラダ。ウニのクリームソースレモン添え。

アケミさんが、「花輪和一展と福山知佐子展を手伝えて、すごくたくさんのお客様と会えて楽しかった。それと知佐子さんのお客様がみんな優しくて素敵な人ばかりでびっくりした」と言ってくれたのが嬉しかった。

「芸術家ってみんなおかしな人ばかりかと思ってたから」と言われ、

「そんなことはないよ。一流の人は優しいよ。変な人って自己顕示欲がおかしくなってるんだと思う」

9日間、たくさんのかたとの出会いがあり、すごく目まぐるしくて体力的に大変だったけれど、幸せでした。

お運びくださった皆様、絵や本や絵葉書をご購入くださった皆様、本当にありがとうございました。

10月25日からは足利市立美術館でのコレクション展「いのちの寓話」に8点が展示されます。

新宿から2時間。空気も澄んでいて、とても良い美術館ですので、お近くのかた、興味がおありのかた、よろしくお願いいたします。

 

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2025年10月22日 (水)

福山知佐子個展5日目~7日目

10月17日(金)

ギャラリー十二社ハイデでの個展もあと3日。

1階の窓越しの光。カーテンには蔦の影がまだらになって揺れている。

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元平凡社の「太陽」や「コロナブックス」の編集長、清水壽明さんがいらしてくださった。

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横浜の港の見える丘あたりもずいぶん変わったそうで、古くて素敵な教会がマンションになったとか・・・ショック!山下公園近くの人形館はまだあるそうだ。

それから花を愛する桃子さん、スパイダー咲きのガーベラがお好きだと聞いて、伊勢ナデシコや伊勢菊、変化朝顔などを画像検索でお見せしたら喜んでくださった。

細い花弁が絡まり合っている不思議な花は描きたい心を刺激する。

木彫りの彫刻をやっておられる高屋敷哲さんと写真家の黒瀬輝智志さんと。

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高屋敷さんはとてもリアルな動物の木彫りの作品画像を見せてくださって感動。

黒瀬輝さんは「今までのハイデの展示で一番良かった。花輪さんのより良かった。これだけの世界をつくっているのがすごい」と言ってくださった。

以前、レコード会社の財団にお勤めで、音楽関係にとても詳しい堀内さん、堀内さんは足利市立美術館の私のトークにも来てくださると言う。堀内さんが気に入ってくださったのはこちらの絵。

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明後日パフォーマンスがある「十二社の階段」でカメラテスト。暗いかも?

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7時過ぎ、看板を入れてもう閉めようとしていたら、ポルトリブレの平井勝正さんが来られた。プリントした地図をお渡ししていたが、道に迷ったそうだ。

「グーグルマップに載ってる」と言ったら「グーグルマップを見る習慣がない」と。

10月16日(木)

寒くて暗い雨で、お客様がほとんど来られなかったので、アケミさんに絵の前で動画を撮ってもらった。

アケミさんの大好きな一粒万倍日なので、面白いことを考えてふたりで笑っていた。

10月15日(水)

新高円寺でお世話になっているギャラリー工の濱田さんが来てくださった。

濱田さんは十二社のあたりは初めてだそうで、もう何年か、せめて1年前に来られたらかつての料亭っぽい場所も見せられたのに、残念。

 

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2025年8月31日 (日)

大野一雄「美と力」上映会

8月30日(土)

ギャラリー十二社ハイデで大野一雄さんのVHS「美と力」の上映会。

土方巽演出の衝撃的な「ラ・アルヘンチーナ頌」(ジャン・ジュネの『花のノートルダム』のディヴィーヌ)・・・

大野さんが初めてアルヘンチーナの踊りを生で見てダンスをやろうと思ったという、希少な実際のアルヘンチーナの舞踊映像・・

明るく愛らしくふくよかで軽快に跳ね回るアルヘンチーナの踊りに感激し、

アルヘンチーナを頌える踊りとして、生と死のはざまの男老娼ディヴィーヌを踊る、その凄まじさ。

死にゆくことで生きるような、拈華微笑のような・・・とてつもない妖艶。

そして大野一雄さんの生い立ち、土方巽との「バラ色ダンス」など盛りだくさんの内容。

1時間見たところで、あまりのエネルギーに圧倒され「休憩していいですか」の声が上がる。

VHSなのでいつでも止めて休憩できるのです。

お茶とサンドイッチをとってしばし、だらける。

上映再開。そして後半50分。

「わたしのお母さん」。赤い朱塗りの御膳をお母さんに見立てる。これもすごいのだけど・・・

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そして私もまだ生々しく覚えている1998年の「愛の夢」。

大野一雄先生の舞踏は何度も見に行っているので、場所ははっきり覚えていないが、テアトルフォンテ「わたしのお母さん」の舞台のラストで踊られたものだったのだろうか・・。

この時、大野さんは92歳。もっとも身体がドラマティックに動いていたように見え、まさに「愛の夢」に向かって駆けだすように、切なくも希望に満ちた笑顔を中空に向けて力強く舞ったのを私は間近で見たのだ。

すぐ近くに座っていた高橋睦郎さんが頬に幾筋もの涙を流しているのを見た。

名状しがたい激しい感動。

98年には「天道 地道」も見に行っている。

そしてこの年の10月には、私の銀座での個展にもいらしてくださって、絵の前で踊ってくださった。

画廊に電話があって、私が出ると「おーのです」と言われて、一瞬誰だろう?と思ったら「おーのです。今から踊りに行きます」と言われて仰天したのだった。

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曲目は大野慶人さんが持ってらした小さなカセットデッキでかけられたマヘリヤ・ジャクソン「I believe」とエルヴィス・プレスリーの「愛さずにはいられない」。ただ号泣しかなかった。

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画家だった大野一雄さんの叔父様の絵の資料をくださって、本当に感無量でした。

そう、その前に1996年の阿部弘一先生の『風景論』が現代詩人賞を受賞された時の、受賞式における大野一雄さんの舞が、恐ろしく感動的だったのを、また思い出す。

阿部弘一先生は私の恩師である毛利武彦先生の御親友で、ポンジュなどを訳されてもいる詩人。

あの時も授賞式会場の後ろのドアからゆっくりとにじり寄るように登場された。

もう息をのんでしまって・・・

ディヴィーヌの衣裳ではなかったが、舞の雰囲気は似ていて、生成りのアンティークドレスだったように思うのだが・・・

スポットライトも段差もない、詩人たちがただ椅子に座ってる会場が、まったく違う、大野一雄さんの世界一色に変貌してしまって・・・それは凄まじい体験。

舞踏の最中は遠慮して写真を撮れなかったが、あまりに心身を持って行かれて涙が止まらなくて、どうしようもなかった。

・・・

この大野一雄上映会に、40℃近い猛暑の中を、ギャラリー十二社ハイデにいらしてくださったお客様に心より感謝申し上げます。

かなり前から私の文章を好きでいてくださって、私の文章の緊張感によってすごく緊張すると言ってくださったことに言葉もないほど感激しました。

また、この日、帰宅途中、西新宿駅近くの舗道でMが踊ってくれて、そのあと十二社の石段まで戻って、またそこで踊ってくれた。

ヒメムカシヨモギ、アレチノギク、オヒシバ、メヒシバ、エノコログサ、ヤブカラシ、ヒルガオ・・・

むせるような夏の終わり。

 

 

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2025年8月18日 (月)

NEW AUCTIONギャラリー 沢渡朔『NANA』展 / 国立がん研究センター中央病院

8月17日(日)

沢渡朔さんの『NANA』展の最終日で13時から在廊されるとネットで見たので、ご挨拶に行って来た。

沢渡朔さんに撮っていただいた写真と谷川俊太郎さんの詩と私の絵を編集した本、1か月以上前に写真の出版社さんに入稿しているが、まだデータが来ていないことをお伝えした。

たぶんデータが来てから、私の修正希望がはいるので、今年中に本ができるのかはわからない。

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いつもながら静かでさり気なくてかっこいい沢渡朔さん。その写真は若々しくて生気に満ちる。モデルとの共鳴。

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一日半で一気に撮ったという本当にたくさんの写真。スタイリストがついていたそうで、何十種類もの服を着替えているので、そんなに短い日数で撮ったとは思えない。

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8月15日(金)

NEW AUCTIONギャラリーに11時に見学に行く。篠原さんも来てくださった。

表参道ヒルズの向かい側。裏原宿キャットストリートの側よりは静かな、大きなガラスから優しい光が差し込む地下のスペース。

12時過ぎに篠原さんが30年以上?も毎年企画しているというトキ・アートスペースのブックアート展へと移動。

灼熱の太陽の下、表参道を横切り、裏通りで古い昭和のマンションや夏草繁る廃屋を見つけたりしながら、ワタリウムの前を通り、外苑前のほうへ歩く。

足利市立美術館で11月にやるはずだったコレクション展が、市長がOKを出したのに会計課の人が予算を出さなくて中止になった話、また逆転して、今は市長のほうに分がある、と篠原さんに言われた。ええ?!

もしそうなら、すごく嬉しい(若林奮先生の絵の隣に私の絵を展示してもらえるかもしれない)のだけど、まだわかりません・・。

ブックアート展には、小学生の作った絵本から、製本のプロの作品まで、いろいろなかたちの本があった。

私が一番素敵だと思ったのはこちら。活版印刷の活字のような、しかし文節になっているもの。黒い鉛筆にも文字。入れ替え可能で詩になる。箱も手づくりだそうだ。
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吉田文憲さんの『原子野』(砂子屋書房)の装丁をした時、もう日本にはほとんど残っていない活版印刷の会社に行ったのを懐かしく思い出した。

『銀河鉄道の夜』のジョバンニがアルバイトで活字(これも星のメタファ)を拾う場面を思い出しながら、その時は印刷所にいた。

『原子野』の本の奥付を見たら内外印刷という会社だった。もうないのかもしれない。板橋のトレーニングセンターの近くだったのを覚えている。

・・・

夕方から夜、Mに舞踏の話をきく。

大きな場でなく細部の。

言葉もまた大きな言葉でないほうがいいのだろうと思う。

私の感覚では大きくて壮大な言葉ほど詩でなくなる。

デッサンする身体。

最近、人にデッサンを教えるようになって、私はデッサンのことばかり考えている。

基礎の基礎ととして構造を踏まえることはあるが、その先は

良いデッサンとはどういうものか。それは鈍くないもの、繊細で感情があって、捧げられたもの。

受動体となって、どこ(なに)が残されるのか、なのだが

おそらく身体感覚の強度や繊細にものを見る(あるいは気づく)力、線を選ぶ身体が「絵」であるデッサンを生み出すが、

「絵」になっているか、「絵」になっていない(絵未満)か、を見分けらえる人はあまりにも少なく、機械的で均質な「鉛筆画」のようなものが世間では絶賛され、人気が高い。それはデッサンでも「絵」でもない。

そしていわゆる現代アートをやっている人でデッサンを大切に考えている人は皆無だろう。

8月12日(火)

国立がん研究センター中央病院。

尿と血液検査。結果が出るまで時間がかかった。

若い男性のかたが採血してくれたのだが、「刺すときに痛いか痛くないかは、痛点に当たるかどうかで、技術とは関係ないのですか?」

と質問したら

「そのとおりです。それに針の太さも痛さと関係ないんですよ」と言われて驚いた。

普通に考えれば太いほうが痛点に当たりやすい気がするけど・・?さらに見た目で太い針の方が痛く感じてしまうというのはある。

いや、やはり太い針は痛いと思う。昔は点滴の針が太くて長時間すごく痛かった思い出が・・。

あまり細い針を開発しても、血液の成分が潰れてしまうのでだめだそうだ。

帰りにハイデに行く。

8月10日(日)

2時に足利市立美術館の篠原さんがNEW AUCTIONギャラリーのAさんとギャラリー十二社ハイデに来られた。

篠原さんはギャラリー工事途中(ダクトレールがつく前)は見ていただいたが、完成してから来られるのは初めて。

Aさんは奈良美智のドローイングなど見ていただいた。

篠原さんは、次の本のために撮影した私の絵の画像をAさんに見せてくれた。

それと紐にクリップで吊るしていた私の鉛筆デッサンを「これ、すごくいいよ」と言ってくださった。

Aさんは私の絵を「錆にこだわった画家が日本にもいたんですね」と言われた。Aさんはキ-ファーや若林奮先生が好きだそうだ。

『デッサンの基本』を見て「懐かしい。これ受験の時に使ってました」と言われたので「この本、私が書いたんですよ」と言ったらすごく驚いていらした。

どこかで誰かが自分の本を読んでいてくださるのがとても不思議だ。

 

 

 

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2024年11月10日 (日)

二匹展 5日目の記録

花輪和一ネットオークション、本日11月10日夕方5時終了です。

https://blog.goo.ne.jp/anti-lion

・・・

11月3日(「二匹展」5日目)の記録

だるくて身体が持たないので昨夜からレットヴィモ休薬。

わりと早めの時間に伊藤ゲンさんがいらして私の絵を買ってくださった。

今日はありがたいことに、お客様がたくさんいらしてバタバタしていました。

舞踏の興行の会社にいたというマニアックなマンが好きの、とても面白いK野さんがすごく笑わせてくれたり、

私の旧友たちが来てくれたり・・・花輪さんファンのかたがたはいっぱ~い・・

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画家の高須賀優さん。
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彦坂尚嘉先生がまたいらしてくださった。彦坂さんと平田星司さんと颯田さん。

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4時くらいに来られて、ずっと黙って長い時間、大きな絵と連作6枚を見てくださったS藤さん。昨年も来られたという。黒一色のファッションがすっきり決まっていて俳優さんかと思ったが、一般のかただという。

「絵も、文章も、見れば見るほど迷宮にはまる」と言ってくださった。そんなに長い時間黙ってみてくださるかたはいないので感激した。

玄関入ってすぐに展示した私の絵「エロスとテロル」の前でかっこよく佇むひろき真冬さん。
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平田星司さんのお父様(前衛歌人)が昔、SM雑誌に小説を書いていたという話で盛り上がる平田さんとひろきさん。Sdsc00924

平田星司さんのお父様、織裳雪夫さん。当時、売れっ子の団鬼六が皆を引き連れて慰安旅行に行った時の記事とか。Sdsc00925

ポルトリブレの平井勝正さん。
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根本敬さん。
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閉廊前は彦坂尚嘉先生と語り・・
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軽く夕食をご一緒しました。

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2024年11月 2日 (土)

二匹展 4日目

11月2日(土)雨

二匹展、後半となりました。

寒い雨となり、夕方からは土砂降りになったりしたが、予想よりもお客様が来られた。

今日も花輪和一ファンの皆様がたくさん来られました。

カップルで来られた花輪ファンのかた、少しお話してから、男性のかたから「『デッサンの基本』を買いました」と聞いてびっくり。

花輪さんに会いに行ったことを書いていた私のブログから、私のことを知って購入してくださったという。

ものすごく驚いたのは女性のかたが、「きょうは福山さん本人がいらして感激しました。昔、中野ZEROで花輪さんと福山さんが対談されてた時に見ていました」と言われたことだ。

2006年?中野ZEROで映画上映した時、対談したんだっけ・・?花輪さんがスーツで来て、私が壇上で(確か当時の講談社の花輪さん担当の編集者さんからの)質問に答えたこと、花輪さんも質問に答えていたことは覚えている。

そんなレアなイベントをなぜ動画に記録しておかなかったのか、そのへんの記憶があいまい。「東京Walker」にイベント広告が載ったような・・。その当時、私はまだパソコンというものさえ持ってなく、ネットで宣伝した記憶はない。

花輪さんファンのかたたちは本当に息が長くて、よく調べてらっしゃるかたばかり。

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いつもとっても素敵なレトロファッションをお召しのタケイミナコさん。
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いつもとても丁寧な、編集者の鑑、佐藤美奈子さん。
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2回目にお友達を連れて来てくださった漫画家のドブリン!さん。
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右が筑摩書房の編集者の大山悦子さんの後ろ姿。美術について話が盛り上がったのに、お写真を撮り忘れてしまった。大山さんは現代アートをとてもよく見ておられる。
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それから母のケアマネをしてくださっていたMさんが来てくださった。Mさんは昔、演劇をされていたかた。Mさんは何年経っても全然変わらず若々しく見えた。

最後に来られたKさんは彦坂尚嘉さんのお知り合いで、私に興味を持たれたそう。絵を描かれているが、舞踏や役者さんを長くやられていたかた。

Kさんは15年くらい前に十二社の、まさに私の生家のすぐ近くのアパートに住んでいたと聞いて話が盛り上がった。共通の知り合いも多く、不思議なご縁だ。

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2022年3月23日 (水)

笠井久子様より、ご著書『畑の中の 野うさぎの滑走 一匹のトカゲが 焼けた石の上を 過った 昭和・平成・令和を笠井叡と共に生きる』をいただいた

笠井久子様より、ご著書『畑の中の 野うさぎの滑走 一匹のトカゲが 焼けた石の上を 過った 昭和・平成・令和を笠井叡と共に生きる』をご恵投いただきました。

先日、私の画集をお送りして、笠井 爾示さんの新しい写真集『Stuttgart』をご恵投いただいたばかりなのに、またいただいてしまいました。

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2008年から2021年までの笠井久子さんの日記だ。

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何年も前、久子さんは極度の鬱病を患い、死の世界を生き、その回復のきっかけとなったのが水仙の花の黄色だったそうで、それが表紙裏の色になっている。

庭の植物のこと、舞踏のこと、出会った人々のこと、家族のこと、病気のこと、シュトゥットガルトのこと、好きな詩や言葉・・・

過去も未来もなく、自由に生き生きと綴られたエッセイ。

2018年に、その二十数年前に頸椎固定手術を受けた時の思い出を書いておられる。私はその頸椎固定手術後に、三井記念病院にお見舞いに行ったのだ。あれは「土方巽メモリアル」のあとだった気がする。

「頸椎を開けて頭蓋骨を正常な位置に戻し」「お尻から軟骨をとって頸椎に埋め込んだ」・・・「脳みそはお豆腐屋さんの豆腐のように水の中に浮いている」・・・そうそう、その脳みその状態のお話を覚えている。「ええ~?」と驚いたことも。

「頭には鉄の冠(?)のようなものをビスで直接埋め込んで」いらしたことも。当然、痛くないのか心配したが「(血も出ないし痛くもない)」と言ってらしたことも。

成功率50パーセントの手術と言ってらしたと思う。とにかくたいへんな手術で、見た目がすごく痛そうなのに笑っていらして、軽妙にお話しくださって、本当にすごいかただなあと思った。

誰かが持ってきた蜜林檎のチョコレートがけを私にすすめてくださり、 笠井爾示さんの赤ちゃんの写真アルバムを見せてくださった。

その赤ちゃんのお顔があまりにもきりっと、しっかりされているんで男の子かと思ったら女の子だと言われ、「ええ?あまりにもしっかりしすぎてる・・」と私が言うと、笑いながら「 爾示に言っとくわ~」と言われたのだ。

またお目にかかりたいなあ。久子さんのお庭も見てみたい。

 

 

 

 

 

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2016年1月22日 (金)

『デッサンの基本』(ナツメ社) 第23刷り / 昔の伊藤キムのクロッキー

1月18日

『デッサンの基本』(ナツメ社)の増刷のお知らせをいただきました。 第23刷りとなりました。

本当に嬉しく、ありがたいことです。

『デッサンの基本』を読んで(見て)くださった方が、鉛筆一本と紙一枚だけで始められる絵の面白さに興味を持ってくださったら、そして、ものを「よく見る」喜びを感じてくださったら、これ以上嬉しいことはありません。

最近の私は、昨年からずっと、今まで数十年描きためてきたデッサン(素描、素描着彩)の整理をやっています。

ものの変化に追いつこうともがいたり、記憶や体験の感触を含めて描いたものが、千枚くらいあります。

描いて忘れていたスケッチブックが発見されるたびに、その時に夢中で見ていたもの、心躍らせたもの、本当に好きだった(今も好きな)もの、その時だけしか体験できなかったものがよみがえってきて、なんとも言えない気持ちになります。

昔描いた人物クロッキーを発見。ダンサーの伊藤キムさんがヌードでムーヴィングをしてくれたところをクロッキーしたもの。(画像はすべてクリックすると大きくなります)

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伊藤キムさんはダンサーで振付師でもあり、美しいポーズ、体線の見せ方をよくわかっている人なので、その魅力に牽引されて夢中で描くことができた。

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伊藤キムさんの細くてしなやかな身体の動きのエロスを間近で見ることは恐ろしく素晴らしい。
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足の腱や筋がはっきり見えるほどに贅肉が削ぎ落とされた肢体。私は人体を描くのも、ダンスを見るのも、痩せてしなやかな人に強烈に惹かれる。
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休憩が終わるごとにムーヴィングの速度は高まっていき、最後はとても速いダンスとなった。
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私は植物を描くことが多いですが、身近にある植物の一枝を描くだけでも、そのものをよく見ると、とても描ききれないほど、たくさんの微妙な美しさや面白さを発見します。

同じ種類の植物にも個体差があり、変わったかたちのもの、花弁や花芯や葉や茎に趣のあるものをさがすことだけでも興味深い作業です。道端でも、生花店でも、そうした自分にとって稀れと感じるものに眼が惹かれます。

さらにそれぞれの生命は常に運動し、変化しているので、それを追うことは無限の劇を見るような感動があります。

その時に出会った植物を描くことは、その季節、その時の気温や光や、さらにその植物にまつわる親しい人との思い出も、その絵の中に残してくれます。

今の季節、街を歩くと、去年からの立ち枯れのセイタカアワダチソウが美しい。北風に磨かれた空に映えて、椿の花がとても鮮やか。紅梅白梅の香も素晴らしい。陽のあたる庭には水仙も咲いている。

枝に積もった雪をのせた赤い椿は一層鮮やかで風情がある。

以前描いた椿の素描着彩を載せます。

この椿は花芯の中に小さな花弁が混じっているところに面白さを感じて描いたもの。花弁も変則的な斑や絞りのものに惹かれます。

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この白地に赤の絞りの椿は、花の正面でなく、深緑の艶々した葉の隙間から見える花弁や、花の後ろ姿に美しさを感じて描いたもの。
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獅子咲き椿のねじれた花弁と絞り模様が面白くて描いた。

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こぶりな白い椿。

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薄桃色、八重咲きの乙女椿。花芯(しべ)が見えない。
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きょう、花屋さんにヒヤシンスの鉢植えが出ていた。

ヒヤシンスは赤(濃いピンク)と紫と白の鉢植えが多いのだが、私が毎年捜しているのは「ミオソテス」という薄紫のや、「デルフト・ブルー」という灰色がかった水色の、それと淡いアプリコット色の「オデッセウス」というヒヤシンス。

以前描いた薄紫のヒヤシンス。半透明なガラス質のような花を描くのが難しい。もっと光る花の質感が出るように、また描いてみたい。

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下は、花弁のふちが白く、内側に星のようにピンクの筋がはいったヒヤシンス。このときは固い感じで描いた。同じ花でも描きたいイメージによって描き方をかえて描きます。

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今年もいろんな素敵なものを見つけて、描いていきたいと思います。

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2015年10月20日 (火)

大野慶人「花と鳥 舞踏という生き方」 / 野毛

10月18日

「大野一雄フェスティバル2015『生活とダンス』」のなかの、大野慶人ダンス公演「花と鳥 舞踏という生き方」を見に、横浜のBankART Studio NYK へ。

すぐ裏に海を見渡すこの会場は、大野一雄先生が亡くなった時に、追悼の展示があった場所、大野慶人さんが黒いスーツを着た大野一雄先生の姿の指人形の踊りを演じるのを私が最後に見た場所だ。

3階のフロアに大野一雄先生にまつわる展示があり、その中に、今年6月19日に急逝された室伏鴻さんの写真と映像があった。

下の右側が室伏鴻さんの舞踏の写真。左は中西夏之の絵。(画像はすべてクリックすると大きくなります)

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下は舞踏の映像。室伏鴻ソロ作品「quick silver」の完全上映。

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大野一雄舞踏研究所で行われた大野先生のレクチャーを、映像とイヤホンからの音声で体験できるコーナーもあった。

下の画像、正面にあるのは、大野一雄先生がいつも座っておられたお気に入りの椅子。

これは妻有の河川敷で中川幸夫先生と「天空散華」を公演された時にも大野一雄先生が座っていた、

その踊りのあとも光と小雨に濡れ、赤や黄のチューリップの花びらにまみれて、暫し河原に置いてあった、白い塗りが剥落して緑色の下塗りが絵画のように出ている、素晴らしく美しい椅子だ。

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大野一雄舞踏研究所の模型と、その向こうに研究所の写真、それと研究所で実際に使われていた窓。
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開演を待っていたら、受付に笠井叡、久子夫妻があらわれる。

笠井久子さんとは、笠井叡、麿赤兒公演『ハヤサスラヒメ 速佐須良姫』にご招待いただいて以来、久しぶりにお会いできたので、すごく嬉しかった。しばしお話しする。

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2時少し過ぎに開演。一番前のほぼ真ん中の座布団の席をとった。

演目は、まず「鳥」、そして土方巽が大野慶人さんのために振付けた三部作、土方巽三章(「死海」より)。クラウス・シュルツェの宇宙の暗黒に広がっていくような機械音にのせて、とても懐かしい踊りを見た。

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衣装替えの幕間に、大野慶人さんが出演された映画「へそと原爆」(1960年、細江英公監督・脚本・撮影)が上映された。

この映画は、たった14分であるが、私には恐ろしく長く、筆舌に尽くしがたいストレスだった。

鶏を傷つけて、その鶏が海に逃げ込んで苦しみ悶え、死にゆくさまをえんえんと撮っている。

「舞踏」の起点に「燔祭」があったとしても、その映像に、なにかの「生贄」とか「供物」といった意味合いは読みとれないし、読みとる気にもならない。

あるいは、敗戦後まだ15年しか経っておらず、人や動物たちが大量に死んだ記憶も生々しいその時代に、たとえ一羽の鶏の命の重さなど感じられようもないとしてもだ、食うためでさえなく、映像作品として仕上げられる表現のために、それを殺すのは、私には受け入れられない。

それはメタファ―でもなんでもない、たんなる残虐行為だ。私はこの映画に限らず芸術家と呼ばれる(あるいは呼ばれたがる)者によくありがちな、そうした驕りを許せないと思っている。

映画の冒頭、土方巽の腕など身体の一部が映し出されるが、運動する人の足もとに、ふわっと白い鳥の羽根が飛んで来た時点で、ものすごく嫌な予感がしたので、そこからはできるだけ画面を見ないように下を向いていた。

細江英公の、土方巽や大野一雄を撮った多くの写真は、本当に素晴らしく魅了されるが、この映画には拒絶反応しか持てなかった。

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私にとって吐き気と脂汗が出る地獄のストレスの14分の映画が終わり、

やがて耳をつんざくバッハの「トッカータとフーガ」のパイプオルガンの大音量とともに、山盛りの大振りな造花をのせた帽子、黒いドレスに白い綿レースのマント、ハイヒールのディヴィーヌ登場。

思いっきり艶やかに、たっぷりと。

すぐ近くの床から、私はライトに照らされるディヴィーヌの顔を見上げていた。

斜め上を切なく見上げ、失われたものを見つめるように小首を傾げるディヴィーヌ、慶人さんの眼と鼻の線は一雄先生そっくりだった。

時がねじれて空気が震えながら回転しているようだった。

ディヴィーヌが舞台の上のレースマントに顔を埋めるように倒れて、暗転のあと、今度は金色のアールデコ風のレースのドレスで登場。

そして「浜辺のうた」に合わせて、夢見る少女のように、時折スキップして踊る大野慶人。

「あした浜辺をさまよえば 昔のことぞしのばるる・・・」

長い長いピアノの間奏、もう涙がこぼれて止まらなかった。

盛大な拍手のあと、アンコールで華やかなタンゴ。

この曲は1998年の「世紀末からの跳躍 天道地動 土方巽とともに」(世田谷パブリックシアター)のとき、笠井叡さんと元藤燁子さんが踊ったタンゴの曲だ!

もしかしたら違う曲なのかもしれない(私はその曲名を知らない)が、私には、あのときの背筋を反らせ眉をそびやかしてリードする稀代の伊達男のような笠井叡と、嬉し恥ずかしそうに頬を上気させる長いドレスの元藤燁子のタンゴの踊りが鮮やかに見えたのだから。

もしかしたらあれは幻だったのかもしれない。舞踏とは、なんと胸に残る幻なのだろう。

大野一雄先生の踊りを夢中に見ていた頃のこと、あの時の緊張と興奮と胸が苦しくなるような痛み・・・、種村季弘先生もまだお元気で、あのシンポジウムの日、私は種村先生に赤いカンガルーポーの花束を渡した。いろいろと目をかけてくださったこと・・・、時が確実に過ぎていることがつきつけられて、どうしようもなく哀しかった。

それと同時に、大野慶人さんの中に大野一雄先生が生きているのを見て、なんとも言えない感動があった。

二度目のアンコールでは、慶人さんが演じる黒いスーツ姿の大野一雄先生の指人形が、「愛さずにはいられない」を踊った。

この曲は私の初個展のときに(私には予想だにできなかったことだが)、大野一雄先生が来場されて持参のカセットテープをかけて踊ってくださった曲で、私にとってはとても堪らない涙、涙の思い出の曲である。

大野一雄先生、そして種村季弘先生・・・、中川幸夫先生や若林奮先生も亡くなり、私の絵の直接の恩師、毛利武彦先生も亡くなった。私も母の介護などで身辺が慌ただしくなり、昔のようにいろんな舞台や展覧会に行くことも、本当に少なくなった。

私にとって心から尊敬し、愛する人たちが亡くなるたびに、私の身体は激しい損傷を受け、そこからうまく回復できなかった。

それとともに時代が急速に変わり、私の傷ついた身体が浅く軽く平準化された「言葉」に覆われていくことに、どう折り合いをつけたらいいのかわからなかったのだ。

偉大な師たちが私に残してくれたものをもって、私がこれからどう生きていけばよいのか、それを突きつけられるようで、たまらなく苦しかった。

舞台にいるときだけが「舞踏」なのではない。大野慶人さんは「舞踏という生き方」を生きている。

私も「絵描き」とは「生き方」なのだと思うし、そうありたい。

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舞台が終わってから、見覚えのある大野先生のスタッフのかたと少しお話しした。そのスタッフのかたはきっと覚えていないだろうが、2003年の銀座エルメスギャラリーでの中川幸夫先生の展覧会に、大野一雄先生が車椅子で来られたときにお話しして以来なので、実に12年ぶりだ。

そのかたは長年、大野一雄先生の介護をされたかただが、今も大野先生宅の近くに住んで、ご本人も舞踏を続けていると聞いてじーんとした。

一階のカフェに大野慶人さんが降りて来たところで、一緒に記念撮影をしていただいた。

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ちなみに、下が1998年「土方巽とともに 天道地道」の公演後に一緒に撮っていただいた写真。大野慶人さんと。
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大野一雄先生と。
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いつも優しい笑顔で握手してくださった大野一雄先生。
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下は「土方巽とともに」最終日、出演者アンコールの華やかな踊りのあと、クロージングパーティーの時の笠井叡さんと。

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大野慶人さんの舞台を見た後、かつて大野一雄先生が細江英公さんに撮影された(この写真は本当に素晴らしかった)場所、根岸競馬場跡の建物を見たくて根岸に行った。

根岸の駅からはすごく美しい工場が見えた。

工場の反対側の小学校の横の山道を、落ちて行く夕陽の速度と競争して走って登ったら心臓が破れそうだった。

米軍施設横に森林公園があり、その入り口から競馬場の廃屋の3つの塔が見えた。もう暗くなりかけていたので、その方角だけを確認して、きょうは撮影を諦めてバスで日ノ出町へ向かった。

種村季弘先生の『徘徊老人の夏』のカヴァーに使われた写真の場所、「都橋商店街」に行きたかったのだ。

下が種村季弘『徘徊老人の夏』(1997年、筑摩書房)のカヴァー。1964年の東京オリンピックのときに建てられたという、なめらかなカーヴもモダンな、怪しげなちっちゃな飲み屋がびっしり詰まった建物は、種村先生の好きそうな場所そのものだ。

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下が本日撮った都橋商店街。18年経って、お店の名前はほとんど変わってしまっていた。

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と思いきや、なんと種村先生のカヴァーで目立っている「バラエティショップ 北欧」の文字が、今は「かりゆし」になった店の赤いビニールの庇にうっすら残っていた!

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「MIYAKO BASHI 都橋商店街」というアーチ看板は無くなっていたけれど、ビルには文字がついていた。
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その後、野毛をうろつく。立ち飲みの店がたくさんあるが、若い人で賑わっていた。

「もみぢ」というとっても素敵な御菓子司(おんかしつかさ)を発見。Sdsc07269
その隣の二階の「サンドイッチ アイスクリーム 珈琲」という文字のある木枠の窓も素敵。

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「旧バラ荘」「元バラ荘」と書いてある不思議なかたちの建物。
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「野毛大仮装 世界発!野毛発!ハシゴ酒ハロウィン」と書いたポスターが貼ってある。

朝から何も食べていなかったが空腹を感じず、夢中でたくさんのものを見た一日だった。

帰りに種村先生がよくやってらしたように、駅の売店で缶ビールを買ってホームで飲もうと思っていたのに、みなとみらい線の駅の売店が閉まっていたので残念だった。

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2014年9月14日 (日)

「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」展

9月13日

板橋区立美術館「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」展へ。

午後2時より大野慶人さんの舞踏があるので、家を12時頃出る。きょうは陽射しがとても強い。(写真はクリックすると大きくなります)

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地下鉄赤塚駅に着き、地図を見ようとすると、外国人に声をかけられ、板橋区立美術館への行き方を聞かれる。一緒にタクシーに乗った。彼はボブと言って、アメリカから来た大野慶人さんのお弟子さんだそうだ。ボブはタクシーの中で、10年くらい前に大野一雄さんと慶人さんと上星川の幼稚園のクリスマスにサンタクロースとその仲間として出演した時の写真などを見せてくれた。
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展示は、マニエリスム、ナンセンス、悪魔、ノイエザハリヒカイト、世紀末芸術、贋物、覗き箱、日本のアングラ・・・などなど種村先生が紹介した美術家たちの作品をいっぱい集めてある。

2時に大野慶人さんが仮面をつけて薔薇をたずさえて登場。全部で4曲くらいだったろうか。慶人さんの舞踏を見るのは久しぶりだ。お元気そうでよかった。

新宿パークタワーの大野一雄さんの舞台で最初にかかった曲、バーバーのアダージョ。慶人さんが踊る後ろの窓越しに森が見え、木々の隙間から強い陽の光が輝いて見えていた。

(2001年、パークタワーの大野一雄織部賞受賞記念公演は最高だった。中川幸夫先生もお元気で、中川先生直筆の書が入ったポスターをいただいて帰った。)

日本で「舞踏」が誕生したのが1959年。その頃、大野慶人さんは10代、種村さんは20代だったそうだ。

土方巽は最初、外国人に肉体コンプレックスがあってオイルを塗ったりして筋肉を大きく見せていた、しかしある時秋田から帰ってきたらすごく痩せていて、「秋田は寒いからやせちゃった。」と言って、それから体を白塗りにしたとか。

土方巽のうめき声のテープをかけて、「土方さんはうめき声をやってから、おもしろかった?ってきくんですね。あのひとはさめてるんですね。」というような話で会場を笑わせていた。

種村季弘先生のことを想うと胸がいっぱいになって涙が出てしまう。ものすごく繊細で、優しくて、しかも正直なかたで、とてもかわいがってくださった。これは2000年、種村先生が泉鏡花賞を受賞された時の「立春の宴」(学士会館)の写真。

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帰りは地下鉄赤塚駅までてくてく歩いた。久しぶりに陽射しが強くて喉が渇いた。

知らない街を歩く時、必ず古い素敵な建物や、草の生えた場所、車の入れないような細い道をさがしてしまう。

赤塚駅近くの古い歯科の建物。
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オヒシバ、メヒシバ、エノコログサや薄紫の野菊の生い茂る線路沿いの細い坂道を歩く。

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遠くの空に積乱雲。西日が射してきた。

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裏道。キクイモが満開だった。キクイモはオオハンゴンソウと似ているが、オオハンゴンソウのほうは葉が裂になっているので区別できる。
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白と紅の混じった絞りのオシロイバナ。この匂いが夏の名残り。

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9月12日

切ったほうの声帯が左とわかったので、Sクリニックに星状神経ブロック注射に行ってみた。

久しぶりで結構筋肉が固くなっていたので、針を刺した時に、針の痛みというよりはびーんとくる筋肉痛のような感覚があった。

甲状腺切除の手術で左の声帯を切っているので、神経ブロック注射は右にはしないように、右に打つと気道閉塞になるとがんの主治医に言われた旨、報告すると、M医師は、「声帯じゃなくてはんかい神経でしょう。」と言った。「反回神経」というものらしい。

「切ったこと隠してました?」と言われ「は?」と思った。隠すわけない。甲状腺切除したことは初診の時に申告しているが、声帯切除のことは聞かれなかったし、「反回神経」なんて言葉は今初めて聞いた。それで毎回右に打っていて、気道が塞がって本当に苦しい思いを何回もしたが、「息が苦しくなる時はよく効いている」というような説明しか看護師さんから受けていなかった。

9月9日

母の施設へ行く。

とても親切な職員Oさんに「きょうは元気でしたよ~。」と言われて嬉しい。

夕食介護し、お茶のみを残し完食。差し入れの「極みプリン」も完食。食べている途中から傾眠になってしまったのでお茶を飲めなかったのだけが残念。

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