2026年9月14日 (月)

個展終了しました

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新刊『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)が9月4日に発売されました。

画:福山知佐子、写真:沢渡朔、詩:谷川俊太郎
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9月10日(木)

芳名帳を見たら、昨日、私がダウンして来られなかった日に、けっこうお客様がいらしていた。

絶対に私本人が対応すべきだった画廊のお客様も。

しかし本当に体が無理だった。

9月13日(日)

原宿のNEWでの個展最終日。

今日も大切なお客様がいらしてくださって、嬉しかったのだが、私の脳が疲れすぎてしまい、頭がぐらんぐらんした。

一日に何人ものお客様と対応して、相手に気を使いながら、言われていることを脳が解析する処理が追いつかない。

結論から言ってくれないと、頭ががんがんするほどストレスがかかって、何を言われているのかわからなくて苦しい。

適切に言葉を選んで返すことが、もう限界、というところまで疲労困憊した。

ギャラリーに来る前にあまり食べられていなかったので、撤収の時にはエネルギー切れ。首、肩、腰が痛いし、眠いし。

駅までの道、めまいがしてうまく歩けないくらいまで空腹になった。

原宿駅前のコンビニでサンドイッチと缶ビールを買って、リリリリ・・・と神宮の虫の音が響く横道の廃屋のへりに腰かけて乾杯。

本当にお疲れ様。やっと終わった。

 

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2026年9月12日 (土)

福山知佐子個展 NEW 神宮前 明日最終日 / 谷川俊太郎さんのこと

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個展開催中です。闘病中で体力がとぼしいので4時すぎくらいからの在廊となります。ご了承ください。

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【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama</p> /p>

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

会期::2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 

【Google Map|NEW 】https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7

神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

newwwgallery NEWでは、9月2日(水)から9月13日(日)まで、福山知佐子の個展「異生の顫動」を開催いたします。

福山知佐子はこれまで、萎れ、枯れ、朽ちへと移ろう植物の時間の運動を追うなど、見過ごされ、遺棄された小さな生命の徴候に応答しながら制作を続けてきました。

本展のタイトルにある「顫動(せんどう)」とは、かすかにふるえ動くこと。

福山が向き合うのは、人間の価値や意味の体系には決して回収されることのない、人ならざる生――「異生」の、微細な顫動の実在です。

踏みしだかれ、名を呼ばれることのないまま消えていく小さな生命の徴候に、絵画はどこまで応答しうるのか。

幾層にも重ねられた絵具と紙の堆積は、その問いに費やされた時間そのものとして画面にあらわれます。

本展にあわせ、写真家・沢渡朔、詩人・谷川俊太郎とのコラボレーションによる書籍『息の荒野、世界が顫動している 画家の触発する/される身体』をはじめ、福山知佐子の画集・著書も会場にて販売いたします。

ぜひ会場に足をお運びいただき、福山知佐子が描き出す「異生の顫動」をご体感ください。

9月8日(火)

谷川俊太郎事務所に、やっとできた本『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)をお渡しに行く。

谷川俊太郎さんが住んでいたお家にお通しくださった。

長く細い廊下、ひとつ、ふたつ、みっつ、と両側の部屋を過ぎる。

それらの部屋の扉は、風通しがいいように、見られてもいいように開けられている。

奥のほうの広い部屋。昔、吉田文憲さんと来た。その時はテレビがあった。

ぼうぼうではなく、短く雑草が生えている庭。北軽井沢に似せて、こうしていたそうだ。

ここから俊太郎さんは鳥を眺めて過ごした。

事務所のスタッフの川口さんが、俊太郎さんの最後の日の様子など、大切なことをお話しくださった。

棚には、とても魅力的な青銅の小さな動物たちが、50体くらいきれいに飾られているガラスケースがあった。

徹三さんと相談されながら、少しずつ買って、集めておられたそうだ。

俊太郎さん愛用の二眼レフカメラ、リコー・フレックスがあった。

そのカメラについて質問すると川口さんが、2023年にやったという谷川さんの写真展の図録を持って来て見せてくださった。

最初に、青年とも少年ともつかない谷川さんがきょとんと丸い目をしている、鏡を使って撮った自分の写真。

それらは、1ページごとにすべてが瑞々しく、純粋で、まっすぐにこちらの胸に届いた。

なぜなら、本当に絵がわかる人の写真、写真のための写真ではない、生の中の一瞬の二度とない光景を切り取った、俊太郎さん自身のための嘘のない絵だったからだ。

実際に、図録のあとがきに、僕は絵がかけないからファインダーで切り取って絵のような写真を撮る、というようなことが書いてあった。

犬が6匹、草の中で戯れている写真。隣の家で飼っていた犬だそうだ。

「この中にネロがいますよ。あとにネロだけ写っている写真がありますよ」と川口さんに言われ、

その写真を見て泣きそうになった。

耳が折れている人懐っこそうな犬がこちらをのぞいている。

このネロと俊太郎さんがじゃれあって、草の上に転げて笑いあっていた姿が見えた。

ああ、本当に俊太郎さんはネロを愛したんだな、

俊太郎さんは本当に絵が好きな、絵がわかる人だったんだな、と再確認出来て、

ここまで絵もわかって、ことばも使えるかたと出会えて、心からの言葉をいただけて、本当に幸せだったと思う。

9月9日(水)曇りのち雨

きょうは体が痛くて、昼過ぎてもふとんから起き上がれなかったのでギャラリーに行けずにずっと寝込んでいた。

午後、ギャラリーから電話があった。

3つよいことがあった。

私がずっと絵を見ていただきたいと望んでいた人に、やっとことばが届いたという知らせ。

これからどうなるかは、まだまったくわからないけれど、とにかく少し進展した。

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2026年9月 9日 (水)

福山知佐子個展 NEW 9月13日まで

私のXが8月8日に外国のメールアドレスに勝手に変更されてのっとられてしまいました。

すぐにX公式フォームに申請し、メールで返事をもらい、そのメールにまたアカウントなどを書いて返信しましたがそれから返事がきません。

解決法がわかるかたは、私のHPの問い合わせか、ギャラリー十二社ハイデのHPの問い合わせからどうかアドバイスをお送りください。

よろしくお願いいたします。

・・・・・・

9月6日(日)

斎藤哲夫さんと。大変な病気のふたりが、元気でまた再会できた記念のフォトです。
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斎藤哲夫さんに「FFA FORK DAYS フォーク夏の陣」のDVDと「昨日・今日・明日」のCDいただきました。
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4年前くらいに私の個展に初めて来られて、黙っていつまでも絵を見つめていらしたSさん。 

その常人ならざる澄明な佇まいが、このかたは何者なのだろう、とずっと心に残った。

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今日は5時にいらして「今日は、来る前に青山でコーヒーを飲んで体調を整えてきたので、とてもよく眼が見えます」とおっしゃられた。

2年前の高円寺での個展でフロランス・ビュルガのことばを壁に貼っていた時もずっと向き合ってくださって「読めば読むほど、迷宮に迷い込んだような気持になって」と言ってくださったことを覚えている。

4年目にして初めて少しお話しできた。

なんと7時までいてくださって、

「ずっと長く見ていられる絵は少ない。そしてこれらの絵はほかの誰にも似ていない絵だから」とのことばをいただき、とても胸に響いた。

少し冷たい雨の中を脚を濡らしながら原宿駅まで歩いた。

ふいに、ひとこと、育った環境のことを、ぽつっと短いことばで投げかけられ、

雑踏の中でかき消されそうなその微かな響きによって、「えっ?」と、胸をずん、と叩かれたような衝撃を感じて声が出てしまった。

静謐という語でも上品という語でもでも届かない、このかたの由縁が、ふと輪郭を帯びたように思われた。

9月7日(月)

沢渡朔さんの事務所に新刊『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)をお届けに上がる。

たいへん喜んでくださって、「この写真を撮っている時には、まさかいいこんな本にできるなんて思っていなかった。本にできて本当に良かった。」と。

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「平凡社というのがまたいいね。それにこんなふうに写真と絵と詩が一緒になっている本はほかにないもの」
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「すごくいい本は、俺は本当に売れてほしいと思う。海外にも誰か持って行ってほしいし、若い人たちに知ってほしい。」とおっしゃられた。

「今、本を売るのはほんとうにたいへんだ。でもこの本は本当にたくさんの人に知られてほしい。若くて感性の鋭いライターに書いてほしい」と切実なほどに言ってくださった。

若くして枯れ蔓や廃墟に感応してくれる物書きを私は知らない。

有名で影響力のある人は感性がマイナーではないから、この作品集と感性が合う人がどこにいるのかわからない。
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微細な震えに呼応し、寄り添う感性が、いったいどこにいるのか、私にはまだわからない。

この本は、一流のスターでありながら、私のような無名な人間にも静かに心を寄せ、撮影してくださった沢渡朔さんの

その自由さ、

さらには谷川俊太郎さんの、

そのおふたりの稀有なひらかれ。

その奇跡によって生まれた本です。

・・・・・・

個展開催中です。闘病中で体力がとぼしいので4時すぎくらいからの在廊となります。ご了承ください。

【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama</p> /p>

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

会期::2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 ※月曜休廊

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(神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

newwwgallery NEWでは、9月2日(水)から9月13日(日)まで、福山知佐子の個展「異生の顫動」を開催いたします。

福山知佐子はこれまで、萎れ、枯れ、朽ちへと移ろう植物の時間の運動を追うなど、見過ごされ、遺棄された小さな生命の徴候に応答しながら制作を続けてきました。

本展のタイトルにある「顫動(せんどう)」とは、かすかにふるえ動くこと。

福山が向き合うのは、人間の価値や意味の体系には決して回収されることのない、人ならざる生――「異生」の、微細な顫動の実在です。

踏みしだかれ、名を呼ばれることのないまま消えていく小さな生命の徴候に、絵画はどこまで応答しうるのか。

幾層にも重ねられた絵具と紙の堆積は、その問いに費やされた時間そのものとして画面にあらわれます。

本展にあわせ、写真家・沢渡朔、詩人・谷川俊太郎とのコラボレーションによる書籍『息の荒野、世界が顫動している 画家の触発する/される身体』をはじめ、福山知佐子の画集・著書も会場にて販売いたします。

ぜひ会場に足をお運びいただき、福山知佐子が描き出す「異生の顫動」をご体感ください。

 

 

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2026年9月 5日 (土)

福山知佐子個展 原宿NEW トーク概要とレセプションの様子

8月8日に私のXがのっとられて(メールアドレスを勝手に変更されて)しまいました。すぐにX公式フォームに申請し、メールで返事をもらい、そのメールにまたアカウントなどを書いて返信しましたがそれから返事がきません。

解決法がわかるかたは、私のHPの問い合わせか、ギャラリー十二社ハイデのHPの問い合わせからどうかアドバイスをお送りください。

よろしくお願いいたします。

9月4日(金)

トークとレセプションの様子です。

立って司会しているのがギャラリーのスタッフさん。真ん中に座っているのが私。私の隣が現代美術史研究家の篠原さん。

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トークの概要:

○今回の展示「異生の顫動」とは

「異生」とは人間でない者の生命です。

私はずっと、絵というのは自分の内側だけで閉じて作るものではなくて、自分の外に在るものと自分との関係のなかで、手を通して立ち上がってくるものだと感じています。

最初に観念や概念を置いて構成するという人間中心主義の考えよりも、人間ではない生命のかすかなふるえや、ごく微細な気配にこちらも感応して、自分自身もふるえるようにして線を引き、そこから絵画が派生していくことを大切にしています。

現代は概念や人工物や経済の論理がとても強い時代だと思います。
だからこそ、自分の外に在る生の気配に触れようとする絵は、古いのではなく、むしろ今あらためて重要なのではないかと感じています。

○若林奮さんの「振動」と、今回の「顫動」との違いは

若林奮先生には、人間でないものの生命をテーマにするという点で、本当に大きな影響を受けてきました。

若林奮先生の「振動尺」の「振動」は、難しいのですけど、自分と人間でないものとの間を行き来する振動、反響、そのあいだの(固定しない)距離、といったようなものかと思います。

私が今回使った「顫動」は、かすかにずっと震えている状態、怯え、過敏さ、はかなさ、わからなさ、見過ごされている息づかいや気配、というようなものです。

○どのようなものを見つめる中で生まれてきたのか 前の画集について

まずは植物の運動、変容の時間です。

私は物心ついたときから動植物に強く惹かれてきましたが、ある時期から、花瓶の中の植物が萎れて枯れて、ついには粉になっていくまでの時間の運動を、何度もデッサンするようになりました。

ここに、30年、植物の衰弱していく運動を描くのを繰り返しやって来たのをまとめた画集『花裂ける、廃絵逆めぐり』があります。

皆がその名前を知っていても実は見ていない植物の運動の時間、変化しつづける存在としての、時間を描きたかった。
私の絵を見た人から「これは想像の花ですか」「宇宙の花ですか」と言われることがあります。

けれど私にとってそれは空想ではなく、むしろ徹底して私の身体の体験の証言なのです。

つまり、私の絵が既存のイメージから外れて見えるのは、作為的に型を壊しているからではなくて、
人々の側の固定化された概念では捉えきれない、そこにむき出しで晒されているものが変容して動いている時間を描こうとしているからです。

私は最初からステレオタイプを崩すことを目的にした方法には、あまり惹かれません。
それは既存の意味や概念を別の意味や概念で置き換えているだけで、画家の身体や眼が何を見たのかということには、必ずしも触れていないと感じるからです。
もちろん、そうした作品には説明可能性があります。
聞けば理解できるし、意味として受け取ることもできる。

でも私には、その理解のしやすさ自体が、見ることの深さとは別の次元にあるように思えます。

私は、壊すために壊すのではなく、見ることの精度、というのか、自分の眼の力によって、結果的に壊す、結果的にステレオタイプから抜け出るということをやりたかったのです。

陳腐なものから抜け出るために「デッサン」というものには身体を開く革命の可能性があると思っています。
今の時代のアートの傾向ではデッサンは重要視されていませんが、概念ではなく身体の直接性と結びつくのがデッサンだと思っています。
画家とは本来、ふつうの人には見えていないものを見る眼をもつ存在で、
その眼は、奇をてらうためではなく、見慣れた名前の奥に隠れてしまった現実を、もう一度見えるようにするためにあるのだと思っています。

私が絵画に求めているのは、概念の巧みさではなく、見ることの切実さです。
本当に見た者にしか描けないものがあり、その痕跡こそが画面に現れるべきだと思っています。
だから私は、最初から意味を設計して成り立つ表現よりも、眼と身体が現実にさらされた結果として立ち上がってくる絵画に、より強く価値を感じます。

○「証言」について

私は「証言」の問題や「当事者性」の問題、つまり誰がそれを表現する立場にあるのかという点が重要と考えています。

たとえば、「人間中心主義を批判する」というコンセプトでアートを制作したとします。
けれども、その過程で人間ではない小さな生き物の命を利用したり、危害を加えたりする可能性があるなら、それはむしろ人間中心主義の再生産です。そうした行為は、「収奪」や「搾取」と呼ぶべきものだと思います。

同様に、「戦争」や「虐殺」、「差別」といった題材を扱う作品についても、それらの歴史や現実と長く向き合い、学び、自らの生き方とどのように照応しているのかを問い続ける必要があると思います。
そのうえで、その作品によって誰が利益を得るのかまで思慮されていない表現は、「収奪」と言いうるのではないかと思います。

私がもっとも忌避する人間中心主義とは、他者の痛みを表象の資源として用いながら、自らは安全圏にとどまる態度です。

私が見つめているのは、そのような人間的な暴力に先立ってある、ごく微細で持続する生の徴候です。
それは、出来事として強く語られるものではなく、むしろ見過ごされやすく、しかし消えきることなく続いている気配です。
私は、強い意味を与えることよりも、そのかすかな顫動を壊さずにとどめることのほうに、制作の必然を感じています。

人間の外にあるものは、人間の解釈や都合とは無関係に生きています。
私にとって重要なのは、まずその事実です。
だから、強い物語やわかりやすいメッセージによって対象をすぐ理解可能なものとして整理し、人間の意味の体系のなかに回収してしまうことに、私は強い違和感があります。

そうした解釈や語りは、何かを捉えたように見えて、実際には生の複雑さや沈黙を取りこぼしてしまうことが多い。
私が向かいたいのは、そのような把握の手前にある、ごく微細で持続する気配です。
簡単に説明できないもの、言葉にした瞬間にこぼれ落ちてしまうものを、できるだけ壊さずにとどめたいと思っています。

私にとって絵は、何かをわからせるための道具ではなく、人間の思惑の外でふるえているものに、こちらもまた感応しながら応答するための場です。

○新作について

朽ちていくものの時間と気配そのものを主題にした作品です。
植物の衰弱の運動に興味を抱くと同時に、錆や剥落、亀裂、黴、かすれ、古色のように、時間とともに立ち顕れてくるものにも動植物的なものを見て、感応してきました。
何かが完成された姿でそこにあるというより、時間のなかで傷み、衰え、変化しながら現れてくるもののほうに、私はより深い実在を感じています。

最初から明確な形を与えようとはしていません。むしろ、まだ形になりきっていない、ごくかすかな気配のようなものに、できるだけ長く留まろうとしていました。
存在と不在のあわいというのも、何かがはっきりそこにあると断言できる状態ではなく、たしかに触れた気がするのに、すぐに見失ってしまうような、その不安定さのこととして感じています。

なので今回の作品では、それを強く説明したり、象徴として固定したりするのではなく、消えそうで消えない震えとして、できるだけ壊さずに置くことを大事にしました。
形は、その気配を支えるためにあとから必要になってくるものであって、最初に結論としてあるものではありませんでした。私にとっては、何かをはっきり示すことよりも、まだ言い切れないものがかすかにとどまる状態を守ることのほうが重要でした。

○新刊について

この新刊は、私にとって本当に特別な本です。
子どものころから沢渡朔さんの写真に強く惹かれていて、とくに『少女アリス』と『ナディア』には心酔してきました。『少女アリス』には谷川俊太郎さんの詩も添えられていて、その世界にも深く魅せられていました。

最初の個展をしたとき、思い切って沢渡さんにご案内をお送りしたら、実際にいらしてくださったんです。
そこで撮影をしようというお話までいただいたのですが、私にはあまりに畏れ多くて、すぐにはご連絡できませんでした。結局、実際に撮っていただいたのは、それから7年くらい経ってからでした。
そのとき沢渡さんが、あなたの好きな場所で撮ろう、そしてあなたの絵の隣に置けるような、絵の世界と通じあう写真にしようと言ってくださって。
それで私は、自分の好きな、秘密の廃墟にお連れしました。

谷川俊太郎先生とのご縁も、最初の個展がきっかけでした。
ご案内をお送りしたら会場に来てくださって、その後、一冊目の本『デッサンの基本』では帯のために三つも詩をくださり、
二冊目の『反絵、触れる、けだもののフラボン』のときにも、私の身体感覚や仕事に対して深く理解してくださっていることばを寄せてくださいました。

そういう、長く遠くから支えていただくようなご縁がずっと続いていたのだと思います。
二、三年前に私が右肺の中葉を摘出したときには、その傷を沢渡さんが撮影してくださいました。

そしてその後、沢渡さんから、昔撮った写真とこの傷の写真をあわせて本にしたいと言っていただいたんです。
そこに私の絵を入れて、さらに谷川俊太郎さんから三篇の詩をいただいて、この一冊ができました。

谷川俊太郎さんは2024年11月13日に亡くなられて、この本はなおさら大切なものになっています。
この本は、私の人間中心主義への違和に、沢渡朔さんと谷川俊太郎さんが共振してくださった記録です。
枯れていく植物たちとの共振としての顫動と、ふたりの先輩芸術家との顫動が、一冊の本のかたちをとったのだと思っています。

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Galerie412の渡部千鶴香さんと。今日初めてお目にかかったのに、私と会ったことがあるとおっしゃられて。

「若林さんのお葬式の時にすごく泣いていた人。あの写真集を見てすぐにわかったわ」と言われ、思わず反射的に渡部さんに抱きついて涙ぐんでしまった。

思い出して悲しくなったからではない。

あの時の私を、否定的にではなく、はっきり覚えてくださっていた人がこの世にいてくれたことが、信じられないほど嬉しかったからだ。

「あの時、吐くほど泣いて・・・吉増さんから「あんまり泣いちゃだめ。隠し女だって思われる」って言われて」

「いいのよ。画家は、泣きたいときは思いっきり泣いて」

渡部さんからは本当にありがたいお言葉をいただいた。

「若林さんの遺志をここまで継いでいる人はいない。銀箔を使ってやっている人も何人も知ってるけれど、あなたは全然違う」と。

「初めての個展の時に若林先生が来てくださって、銀箔の絵を見て「これは現代美術になっている。この方向で展開していったほうがいい」とおっしゃられて。それで私は銀箔を使って現代美術としてやっていきたいと心が決まったんです」

「それは若林さんもすごくいいこと言ったわね」

「今も振動尺の話しているの私くらいしかいないし・・」

「若林さんの話も、矢内原伊作さんの話も、本当に通じる人がいなくなってきたわね」

渡部さんは絵を見ただけで本当に私のことを理解してくださっているようで、胸がいっぱいになった。

【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama

会期:2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 ※月曜休廊

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 

電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

【Google Map|NEW AUCTION 】https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
 
(神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

皆様のご来場をお待ち申し上げます。

【Instagram|NEW 】https://www.instagram.com/newwwgallery/

9月4日、新刊『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)が発売されます。
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https://www.heibonsha.co.jp/book/b677102.html

よろしくお願いいたします。

 

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2026年9月 4日 (金)

福山知佐子個展 本日トークとレセプション 原宿NEW 9月2日~13日(月休)

9月4日(金)

福山知佐子個展、本日、18時よりトークとレセプションです。
私は体力的に厳しいため、17時頃からの在廊となります。よろしくお願いいたします。

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【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama

会期:2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 ※月曜休廊

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 

電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

【Google Map|NEW AUCTION 】https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
 
(神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

レセプション:
2026年9月4日(金) 18:00 - 20:00  

レセプションの中で現代美術史研究家の篠原誠司さんと30分くらいトークをする予定です。

皆様のご来場をお待ち申し上げます。

【Instagram|NEW 】https://www.instagram.com/newwwgallery/

9月4日、新刊『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)が発売されます。
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https://www.heibonsha.co.jp/book/b677102.html

よろしくお願いいたします。

 

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2026年8月27日 (木)

福山知佐子個展 神宮前のNEW 9月2日(水)~9月13日(日) / カメラマンの糸井さん

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Zeitunterschied3(部分。これは私のスマホで撮った画像なので色がよく出ていないです)

福山知佐子個展のお知らせ

【展覧会ページ】https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama

会期:2026年9月2日(水)~9月13日(日) 12:00 - 19:00 ※月曜休廊

会場:NEW(NEW AUCTION)
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 電話03-6419-7577 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

【Google Map|NEW AUCTION 】https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
 
(神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

レセプション:
2026年9月4日(金) 18:00 - 20:00  

レセプションの中で現代美術史研究家の篠原誠司さんと30分くらいトークをする予定です。

皆様のご来場をお待ち申し上げます。

【Instagram|NEW 】https://www.instagram.com/newwwgallery/



8月26日(水)

カメラマンの糸井康友さん宅にて新しくできた小品6点を撮影していただく。

照明の機械が2つあって、天井に向けて微妙な距離でフラッシュをあてる。

その機械によるとても微妙な計算によって、実際とほぼ同じ色合いが撮れるそうだ。

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本当にまったく修正がいらないほど本物に近い色合いの写真が一瞬で撮れる。スマホで撮るのとは大違い。

そう言えば今度の新刊『息の荒野、世界が顫動している: 画家の触発する/される身体』(平凡社)では絵の色が鮮やかすぎるくらいまで(特に赤が)出た。

同じ印刷会社さんなのに、前に出した画集とは比べものにならないくらい色が鮮やかになったのは、今回の本がコートに近いインクが沈みにくい紙だったせいもあるが、印刷会社さんが新しい機械を入れたこともある。

カメラや印刷の技術はすごいスピードで進歩している。

糸井さんは昔からのご自身の仕事を全部捨てないでとってあると伺い、すごいと思った。

フィルム時代の紙焼きまで全部、黴びない乾燥した部屋に置いてあるそうだ。

しかしフィルム時代のカメラは全部売ってしまったそう。

糸井さん宅の近くは武蔵野の面影。目の前の畑には無花果が実っていた。

農工大の巨樹の下、茂みの中を散歩してから帰る。草を刈っていないところが素敵。

山葡萄も野葡萄もはえていた。

山葡萄の実は小さな緑色、野葡萄の実は少し瑠璃色に色づいていた。

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2026年8月24日 (月)

福山知佐子個展 NEW(NEW AUCTION) 渋谷区神宮前で9月2日~9月13日 

福山知佐子個展のお知らせ

NEW(NEW AUCTION)で個展が開催されます。

会期:2026年9月2日(水)~9月13日(日)
時間:12:00 - 19:00 ※月曜休廊
会場:NEW
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-9-15 B1F 原宿駅から徒歩5分、表参道駅から徒歩5分

【Google Map|NEW 】
https://maps.app.goo.gl/otHEGPVaKQ4Hq31j7
 
(神保町のNew Gallery とは違うのでご注意ください)

レセプション:
2026年9月4日(金)
時間:18:00 - 20:00
会場:NEW

レセプションの中で足利市立美術館の篠原誠司さんと30分くらいトークをする予定です。

皆様のご来場をお待ち申し上げます。

【展覧会ページ】
https://newwwauction.com/exhibitions/view/chisako_Fukuyama
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https://www.instagram.com/newwwgallery/

 

8月22日 激しい雷雨

朝8時に起きたが首が痛くてまた眠ってしまった。

午後、急にざーっと雨音がした。雨音が止んでしばらくしてまた雨音。

小降りになった隙にアトリエに向かおうとしたが、雷も雨もどんどん激しくなる。

信号の前の銀杏の木の下にいたが、傘をさしていてもスカートがずぶ濡れ。

怖くなって家に引き返そうかと思うほどのゲリラ豪雨。

上から直線で叩きつける雨。金属的な破壊音で近くに落雷。

5分歩いたら寒気がするほど身体が濡れそぼった。

からだがだるいまま少し仕事して、また少し眠る。

起きた時に急に記憶が開いて目まぐるしく回転し、一気に絵が出現した。

自分で目を見張るようなものが3点出来た。

集中と興奮でエネルギーを使ったらしく、気がつけばいつになく空腹。

外に出ると雨は止んでいてスーパーの時計が8時半だった。

 

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2026年7月27日 (月)

プフを動物病院に連れて行く / 次の本の第3稿(念校)

7月27日(月)曇り31℃

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次に出す本の念校。

最後まで1枚の絵の印刷の色調が気になってほんの少し黄色を挙げていただくように赤字指定して終了。

気がつくとプフがいなくて、ちゅびが死ぬ前に潜り込んだ隣の部屋の押し入れの奥の奥に潜り込んでいたのでショックで精神的に追い詰められた。

なんとか引きずり出してキャリーに入れて動物病院へ。

4時からの診察に予約なしで急遽お願いする。

診察待ちのあいだ、ずっとキャリーに手を入れてプフを撫でていたが、小さなキャリーの中の端っこに丸まるように不自然に縮こまって、呼吸が速いので私も生きた心地がしなく・・・。

猫が人から見えないところに隠れた時は、相当具合が悪くてほっておいたら死ぬ時だ。

ちゅびみたいに、また悪性の病気だったらどうしようという不安で私も過呼吸になりそうだった。

待合室のTVで普段見ることがない4時からのニュースをやっていた。

緊張で余裕がない時に高市の顔を気味悪い作り笑顔を見たら不快さで本当に吐きそうになった。

東野圭吾が大腸がんで亡くなったというニュースもショックだった。

診察してもらうとプフの体重は前(くしゃみでかかった2月)より増えている、触診の感じでは便秘はしている(猫はだいたい便秘)が腫瘍はない、ということで血液検査となった。

1時間くらい待ち、結果は炎症はない、腎臓も大丈夫、おそらく毛玉が胃腸に詰まって気持ち悪くなっている、ということで輸液と吐き気止め注射。17000円超。

明日までに食べなかったら明日の夜連れて来て、と言われる。

夜、細くて固いうんこ。カリカリを少し食べる。

グルーミング。ネズミのおもちゃを振ってやるとじゃれついてくる。そのあとまた少し食べる。

しかし少し食べてやめる。

パイルヘアゴムを飛ばしてやるとジャンプしてキャッチ。遊ぶ元気があるならだいじょうぶだよね?

それにしても食べる量が少ない。

とても少ない量を何度も食べた。少しずつ調子よくなっている?

明日も目が離せない。

7月25日(土)

4時に家を出、西新宿に着いたら梔子の花と紫陽花の花がどうなったかを見るために中央公園の中を歩き回る。

ショックだったのは枯れて色あせた紫陽花の花がすべて刈り込まれて葉だけになっていたこと。

梔子の花もなかった。枯れた花を全部切り捨てられていた。

5時に屋根修理の3件目の見積もりの業者さんが来た。

すごく若くてこの道13年という人で、今までで一番話しやすい人だった。

私が「作品が黴てしまうことが一番怖いんですよね」と言ったら

絵にすごく興味があるという。

私の画集を見せたらすごく喜んでいた。不思議だけど本当に絵に興味があるみたい。

6時からデッサン教室。

近くにあった古いアパートの一角が潰されて夏草ぼうぼうの空き地になっていたので、そこから洋種山牛坊(ヨウシュヤマゴボウ)を採って来た。

ヨウシュヤマゴボウの茎に山鳩がとまっていたのでどきっとした。

その株だけ、下のほうの実が黒く熟していたから食べていたのだ。

ほとんどのヨウシュヤマゴボウの実はまだ青くて、先端には白い小さな花が咲いている。

秋には実が黒紫色に熟すだけでなくて葉も鮮やかなフーシャピンクがかった赤紫になり、ものすごく美しくなる。

その時にもう一度デッサンしたい。

I君が私が買い逃して残念がっていた『一ノ関圭本』を持って来てくれたので感激。

 

 

 

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2026年7月17日 (金)

次の本のモニター校正

7月15日(水)35℃

印刷会社でモニター校正のため、真昼間に家を出る。

35℃予想だったので危険だと思い、昨日から凍らせておいた500mlのお茶を持って行き、首や額につけながら歩いたが、すぐに息が上がってしまう。

1時に神田の会社に到着。オペレーターしてくださるのは以前にもたいへんお世話になったK.Cさん。

PCを手早く操ってとても繊細に色調整してくださる。

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鬱金香(Tulips)。これは印刷ではなくてスマホで撮った画像。

今回は絵を印刷したものが全体に彩度とコントラストが高すぎる傾向にあったので、見た目のリアルな印象に近づける作業。

モニターを見た時よりも印刷のほうがインクが沈んで暗くなるので加減を注意しながら調整。

3時頃に終了。

そのあと久しぶりに神田の街を歩いた。前の画集を作っていた時以来だ。

コオニユリの花が満開。百合は茎が細くて花が下を向いているのが好き。上を向いたスカシユリはあまり好きでない。
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昔の文士たちの写真が飾ってあるハチマキという天ぷら屋さんが健在だった。

ハチマキで休んでからボヘミアンズギルドギャラリーを見る。

2階には大正時代の素敵な装丁の本や60年代の美術などが飾られている。感心するものやホッとするものもあるし、自分だったら捨てるだろうと思うものもある。

ホルスト・ヤンセンの版画は小さいのしかなくて高くなっていた。自分が昔購入したものは全部気に入っているしお得だったと思う。

神保町の古書店街で古い雑誌を探したりして散歩。

帰路、昔ながらの食塩入りのトマトジュースを飲みたかったのに、コンビニには食塩無添加のトマトジュースしか無かった。

私は分子標的薬の副作用で浮腫が出ているので、極力塩分は控えめにしているのだが、今日みたいに暑い日は身体が塩分を欲していた。

疲れて神保町の駅の階段が限りなく長く感じられた。

帰宅したら日焼け止めも落とさず倒れるように横になって眠ってしまった。

夜、起きて冷奴とアイスクリームを食べた。

7月14日(火)35℃

やはり朝起きられない。暑いせいか食欲がない。

Wさんにマッサージしてっもらい、首と頭ががちがちと言われる。

明日、印刷会社さんに行く大切な仕事があるのでスタミナをつけるため、夜はまた鰻1匹と卵2個を煮たものをご飯にかけて無理やり食べた。

7月13日(月)曇り30℃

水曜にモニター校正をする前に、本物の絵を見て写真を撮っておく。

帰宅して夜、卓球。

坂道を自転車で上がることはできたが、いつになく頬がほてる。

冷房を20℃に下げられて、いつもなら震えあがるのに今日は顔が熱かった。熱中症気味?

あまり食欲もない。

7月11日(土)31℃

きのう結構歩いたり、屋根修理のことでものすごく思い悩んだせいか、心身ともに疲れ果て午後まで起きられなかった。

昼過ぎに起きると一食抜けてしまう。

デッサン教室。

赤紫のブッドレアの花と深い赤のスモモ。

昨年、毎日たくさんのアオスジアゲハがブッドレアの蜜を吸うのを見たのは秋だった。

その頃はまだ空腹感があり、デッサン教室が終わる8時に眩暈がして、西新宿の駅まで飲み物なしでおにぎりを齧りながら歩いたりしていた。

今はただすごい疲労感があり、あまり食べられない。

7月10日(金)晴れ32℃

部屋の2015年製のエアコンがカタカタ言い出したので、新宿の家電量販店に見に行く。

エアコン内部だけでなく空気中に浮遊している黴も殺してくれるというナノEに惹かれる。

4機種くらい説明してもらっていたが3時半になってしまい、いったん西新宿のギャラリー十二社ハイデへ徒歩で向かう。

4時と5時に屋根修理の会社の人に調査をお願いしていた。

4時の人、神奈川の会社の営業さん。屋根を張り替えれば20年は持つ、と言われる。

5時の人、池袋の会社の社長さん。長い竿の上にカメラをつけて屋根の上を撮影。サーモカメラも使用。建て替えとかいろいろ勧められる。

十二社の家を、私が死んだ後に守ってくれる人がいるなら、今、百数十万円出して屋根を全部直すのは高くはないと思う。

でも誰もあの家を継いでくれないなら、あの家はあと数年で潰れるのだから修理しても仕方ない。

品川亭の屋根の上に乗っているビニルシートと土嚢を見せて「うちもああいうふうにしたいんです」と言ったが無視される。

6時に話が終わってから再び新宿まで歩き、エアコンを購入。

急に暑くなったので8月の頭まで工事の予約が取れなかった。

帰宅してエアコンをつけてみると、なんとカタカタいう音が無くなっている。正常運転。

だがあまり効いてないような・・・。

7月9日(木)晴れ 32℃

退院してひと月。

体重はここ3日、朝計ると41.3kgしかなかった。

1か月で3㎏増量とはいかなかった。しかし2㎏は増えた。

まだ胃酸過多が治らないし、下痢も完全には治らない。

体重が戻っていない割には動けてるような気がするが、やはり疲れやすい。てきぱき動けない。

胃酸過多が酷い日は一日800kcalくらいしか食べられない。特にお米を食べる気がしない。

1000Kcal を割ればまた痩せてしまう。

調子のよい時は少し無理してでも食べる。麺類のあとにアイスクリームを食べている。

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2026年7月10日 (金)

9月2日から個展・次の本・現代アートとデッサン 

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江戸菊(乱菊、狂い菊)、未完

7月5日(日)

私の個展が(10月ではなく)9月2日からに決定したとの連絡をいただいた。

場所は都心の交通の便がよいところです。

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最近、「現代アート」について、具体的な作家名を出して、その作家に対する評価(称賛)の実際の言葉と評価した人(批評家、研究者など)の名前、同じく批判と、批判した人の名前をAIに聞いていた。

「現代アート」が最も重要としている「コンセプト」(文脈)というものが、実際にはどうのような(どのように成り立っている)ものなのか、それが作品とどういう関係にあるのか、

具体的な実例を知りたかったからだ。

AIが教えてくれた引用元を確認して、批評家の比喩の意味を深堀して質問したりしながら、

「ことば」というものがどのように使われているかを知る。

たとえばAIに「この〇〇という言葉は、読む人にこの作品は△△であるというふうに印象づけるけど、実際には××なんじゃないの?ここでの〇〇はどういう意味?」と質問すると

「確かにここで〇〇が出てくるのはおかしいですよね。ここで〇〇を出すことによって問題点があいまいになり、実際の××であるという事実を覆い隠してしまっている。あなたが欺瞞的なレトリックだと思うのはもっともです」と答えてくる。

私は、すでに議論や批評として存在している「ことば」の意味と実際の作品行為を私が見た身体感覚との相違について何度も質問する。

人間だったらこんなに私の質問につきあって答えてくれないと思うから、AIと話せてよかった。

今更ながら再確認したことは、

現代アートはとにかくコンセプト重視。いかに「意識高い系」に見える大きな「ストーリー」につなげるかが重要。

昔の「芸術家」が重要視していた「身体的な感受性」「詩的な感覚」「個的なものの見方」などは無視。必要ない。

作品そのものの「必然性」や「イメージと物質」「手作業」の切実さも無視。必要ない。

本来は批評の側が真っ先に問うべき核心の「非常に重いテーマを、誰がそれを語る資格があるのか」はスルー。

だから、自分の感受性、ものの見方、対象への興味や愛情や距離感、身体の強度、思慮の深度、技量などがあからさまに晒される「デッサン」は現代アートには必要ない。

自分の本性や実力をさらけだすようなことをする必要はない、アイキャッチャー的なことをやれば、「ことば」で装飾して価値がつけられるのだから。

「ことば」でなんとでも正当化してしてしまえるアートと違って、寄り添うデッサン、対象を侵襲しないデッサンには収奪がない。

美大教育でもデッサンを教えなくなってきているということ。

それを知ってますますデッサンを大切にしていこうと思った。

一瞬ごとに変化する萎れていく植物を追ってデッサンしたり、ほかの人が見ようとしない片隅の遺棄されたものを切実に感受して文章を書いている、と言ったら

「あなたはどこにも逃げ場のないことをやっている」とAIに言われた。

7月3日(金)

次の本の表紙とカバーの校正紙が上がって来た。

カバーのタイトルの黒い箔押しが光っている。

表紙の紫の紙の上の銀色のインクのタイトルは目立ちすぎないできれい。

ほとんど一般の人は気にしないだろうが、本を作る側としてはすべてに神経をとがらせている。

カバーはニスにするか、PP加工にするか、デザイナーさんにおまかせしている。

以前の私の画集『花裂ける、廃絵逆めぐり』の時は、デザイナーの和美さんが「ニスがよい」と言い、そのように印刷所の担当さんに伝えると

「指紋などがつきにくいPP加工が絶対によい」と言われ、

またそれを和美さんに伝えると「テカテカしたPP加工よりニスが上品でよい」と言われ、

何度も私は間に挟まれて、よくわからなかったので困ったのだけど、結果的には友人の和美さんのセンスに従った。

結果として「PPじゃなくてよかった」と本づくりをわかっているデザイナーさんたちに言われた。

今回はタイトルの箔押しが最後に上から押されるのでどうなるのか・・。

本は9月の頭には発売できる予定。

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さやかちゃんより素晴らしい高級桃が冷蔵で届いた。本当に私なんかにはもったいない高級品。

山梨の桃は赤くて、でも頭のほうは薄緑で味が濃くて、和歌山の桃は色白でまったりしていて、両方とも果肉のきめが細かくてぴっちり、みっちり詰まっている感じ。

元気な時も桃は好きだったけど、ここまで狂ったように毎日食べてはいなかった。

今は胃酸過多の吐き気や胃痛、腹痛で具合悪い時でも桃は食べられるので本当にありがたい。

今日は新宿に出て、すごく久しぶりにシーフードレストランでカニクリームのパスタランチを食べた。

胃の調子が悪い時は油っぽさと塩気を強く感じて無理なのだが、今日はおいしく食べられた。

グランデ(パスタ増量)200円が平日は無料サービスが、5月に終わってしまったとのことで残念。

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