社会

2016年3月10日 (木)

若林奮 日の出の森裁判 「緑の森の一角獣座」 / 太田快作 犬猫の殺処分ゼロ

2月27日

府中市美術館横の一本木通りから、府中基地跡の建物を臨む。

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府中市美術館「若林奮 飛葉と振動」展を、市川幸平さんと見に行く。(私が府中市美術館「若林奮 飛葉と振動」展を見に行くのはこれで二度目だ。)

市川さんは、若林先生が闘った日の出の森の「緑の森の一角獣座」にトラスト地の地権者のひとりとして関わっていた人で、若林先生が「緑の森の一角獣座」(ごみ処分場建設に反対し、予定地内のトラスト地につくった「庭」の作品)をつくるときに、「庭」づくりの手伝いをした人だ。

(神奈川県立美術館の水沢勉館長も、「緑の森の一角獣座」の材料を背負って峠を越えて運んだこと、それはたいへんな体力と労力のいる作業だったと、葉山美術館での若林奮展の時にお話しされていた。)

日の出の森裁判とは、東京都西多摩郡日の出町のごみ処分場建設(水源地に漏出するおそれのある有害物質について、明確な処理案をもたないまま進められた)に住民が反対した裁判である。

1981年 東京都日ノ出町、谷戸沢地区の最終処分場の受け入れを決定。

1984年 処分場周辺の井戸などから化学物質検出を都へ報告。住民、町へ処分場へのゴミ搬入中止などを要求。町議会で、処分組合へ安全対策を求める意見書案と基本的同意撤回の請願を審議。いずれも不採択。

1995年12月、若林奮は、日の出の森を訪ね、ごみ処分場建設に反対し、予定地内のトラスト地に「庭」の作品をつくる構想を始める。

1996年4月、作庭が始まり、庭は詩人吉増剛造により「緑の森の一角獣座」と名付けられた。若林奮は森の中の素材にこだわり、樹木や石を使い、森の中で「休息」するための石の椅子と机を置いた。

2000年10月、「緑の森の一角獣座」は、世界的なアーティスト、クリスト、ボロフスキー、ステラなどが抗議したにも関わらず、東京都による強制収用で消滅してしまった。

2003年10月10日、若林奮逝去。

日の出の森裁判の原告、田島征三さんのHPより「日の出の森からの手紙」

http://www.geocities.jp/djrnq642/saibann.html

日の出処分場の問題に取り組む市民のグループ「たまあじさいの会」のHP

http://tamaajisai.net/

「緑の森の一角獣座」のあったところには、現在、エコセメント工場ができたそうだ。

この「エコ」というのも欺瞞的なネーミングで、ゴミ全てを焼却し、焼却灰をセメントの原料とするという意味で環境汚染と温暖化が益々深刻になるシステムらしい。

昨年、市川幸平さんからいただいたメールを引用しておきます。

・・・・・・

たまエコセメント工場というのは、日の出二つ塚ごみ(第2)処分場に後から処分場が満杯にならない方策として、焼却灰を埋める代わりに焼却灰をセメント化するということで、若林さんの緑の森の一角獣座があった辺りにエコセメント工場が後から建設されました

エコなんて騙しです

ごみをセメントにするからエコ

でも焼却灰は燃やすことでものすごい毒物が濃縮されています

だから安全性は確かめられていないセメントで、高くつくし、いまだにその製品がどこへ流れて行ってるのかは不明です

3・11以後、瓦礫の焼却などを今までの法律からずっと緩い基準値に変えて燃やしてよいことにして日本列島に瓦礫をばらまき、燃やし、日本中にまんべんなく放射能がばらまかれていきました

日の出ごみ処分場のエコセメント工場でも、燃やされた高濃度の焼却灰は、エコセメント工場で24時間さらに加熱され、たくさんの水も使い「エコセメント」になっていきました

若林さんの『煙と霧』の作品世界と重なるのですが、エコセメント工場の煙突からは24時間、ばい煙が大気に吹いていて、それは毎朝の逆転層で山を下り、多摩川の川霧の風に乗って多摩川を下ったり上ったりしています

エコセメント工場が稼働した頃から、なぜか青梅の子どもたちの喘息が増えました
http://l.facebook.com/l/3AQGa-FvVAQHLamo-Fou7NGC4sGcNk0ACdw5QHk9PLavKlg/kanou-miyashiro.blog.so-net.ne.jp/2011-11-03

それから3・11以降は、日の出ごみ処分場やエコセメント工場のまわりの尾根付近で福島の次に高濃度の放射線量が検出されました

日の出ごみ処分場反対運動は日の出町に住んでいた絵本作家の田島征三さんたちが始めました

絵本の学校の講師だった征三さんに「幸平、青梅でも立ち上がってくれよ!」と講演会の壇上から名指しされ
青梅でも『青梅の水とごみを考える会』が生まれました

若林さんが亡くなった後で、ぼくらの会から、ぼくの絵で『ぐるぐるらいふ‐ごみゼロの青梅へ』という小冊子を出版しました

それが若林さんの緑の森の一角獣座と対になって日の出の森から生まれた社会への問いかけと提案でした

反対運動はつぶされ、裁判はことごとく挫折しました

3・11以降、日本の国のしたことは、すべて日の出の森でしたことと同じです

ごみゼロという言葉は死語になりました

そんな果てしない闘いのその先で、さてぼくらにはこれから何が出来るのかな?と思っています

・・・・・・

若林奮展は、府中市美術館の展示を終えて、次は浦和美術館で見ることができる。

うらわ美術館「若林奮 飛葉と振動」展

http://uam.urawa.saitama.jp/tenranjikai_doc.htm

2月22日

にゃんにゃんにゃんの「猫の日」ということで、TVで猫の特集があったらしい。

私が尊敬し、かつ日頃たいへんお世話になっている太田快作院長がTVタックルに出ていた。多頭飼育崩壊の特集。

避妊手術をしないで飼っていたら、数年で50匹くらいになったという家が放送されていて驚いた。赤ん坊の猫は6か月で成猫になり、一回のお産で4~6匹も産むということを知らなかったとしても、一回生まれたらそこで気づいて、それ以上は産ませないようにすると思うのだが。

犬猫は自然にしておくと子供を産んで5、6年で死んでしまう。長く一緒にいたければ避妊手術が必要という太田快作院長のお話。太田先生は今まで数千匹の野良猫の避妊手術をしてきた。

http://animal.doctorsfile.jp/h/40601/df/1/

あとから病院で聞いたが、太田先生はもっと長くお話しされていたのに、編集で随分カットされてしまったそうだ。本当に短くされていて残念だった。

空前の猫ブームとか、経済効果とかネコノミクスとか言われているのを聞くと、本当に複雑な気持ちになる。

まずは殺処分ゼロを目指すための避妊が大事だと思う。

皆がペットショップで血統書つきのを買う前に、保護された動物を飼うことを考えてくれたらいいのに。

一生大切に責任を持って世話するのは本当にたいへんだ。自分の身になにかあっても途中でやめられないことだから。

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2015年9月16日 (水)

新井倫彦陶展  / 高野悦子 奥浩平

9月12日

台風によるたいへんな洪水の被害が伝えられ、今朝は大きな地震(震源地が東京湾)に飛び起き、人間の力では統御できない自然の驚異に震える日々。

天変地異はいつどのレヴェルで起きるかわからない。被災した人たち、動物たちの苦痛はあまりに大きい。このような事実を見ないで、なおも原発を続けようとする人達がいることが信じられない。

・・・

きょうは、「風の窯」をひとりで運営している新井倫彦さんの「秋のうつわ」陶展を見にギャラリー凛へ。

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白を基調にした、どんな料理にも使いやすい粉引の器が並ぶ。

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きょう、初めて作品をじかに見たのだが、新井さんの雰囲気そのままの、正直で余計なものがなく、情熱を秘めながらも、静かで端正な器だった。

(今も、新井さんの陶展で購入したマグカップでビールを飲みながら書いている。ガラス器で飲むよりずっと泡が細かくなり、まろやかな味になる。)

新井さんとお目にかかるのも初めてだが、笑った時のぱっと紅潮する柔和な表情に惹かれる。

新井さんとはブログを通じてのご縁である。

たまたま偶然、ニフティのサイトで私のブログが表示されたのを見られたとのこと。その時からブログを読んでくださっていると聞いて、不思議なご縁だと思う。

最初、ツイッターから私の描いたスミレの絵についてのメッセージをいただき、それから新井さんのブログを読むようになった。その後、新井さんが私の書いた本についてブログに書いてくださっていることを知った。

新井さんの工房「風の窯」についてのHP。

http://homepage3.nifty.com/kazenokama/

新井さんのブログには、笠間の静かな雑木林の中で、陶の器制作に打ち込む暮らしと、ご自宅周辺の折々の植物などが綴られている。

http://arugamama.cocolog-nifty.com/

恵比寿三越の「酒器展」に、今、新井倫彦さんの器が出品されています。

会期:2015年9月16日(水)〜9月22日(火)

時間:11:00〜20:00(最終日19:00まで)

会場:三越伊勢丹 恵比寿店1階クロスイー

           東京都渋谷区恵比寿4-20-7

・・

新井さんは1960年代の終わりから70年代初頭にかけての学生運動を知っている人だ。

新井さんの好きな高野悦子についての話も聞いた。新井さんは高野悦子の西那須野の実家の近くまで行ったことがあるほど、『二十歳の原点』を愛読されていたそうだ。

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私はその世代ではないが、ブームから遅れて、13歳くらいの頃に『二十歳の原点』を読んでいる。

子どもだった私が政治闘争についてわかるわけもないが、私が強烈に惹かれたのは、それが人に見せるためのものではない「日記」だったということ、その切実さと、そこにうかがわれる感受性の強さだ。

今、私の手元に高野悦子の本はないので記憶でしか書けないが、当時の私の胸に強く響いたのは「求めすぎて動けません。」という言葉だった。

出口のない葛藤の日々の中に、(うろ覚えで書いているが)「釜揚げうどんを食べた。おいしかったなあ。」とか「水連の花を見た。上品な黄色の。」というような少女らしい素直な断片が彼女本人の顔写真とともに映像記憶として残っている。

もちろん日記でさえ人は嘘を書く。それでも、学生運動の意味もわからない子どもの私にとってさえ、その時代の状況に巻き込まれていく何か胸が痛くなるリアリティがあった。

その頃の私は、続いて、高野悦子が影響を受けた奥浩平の『青春の墓標』も読んだ。この本も家のどこかにあるはずだが、今すぐには取り出して見ることができない。

深い思考力も行動力もある魅力的な青年が、キリスト教とマルクス主義、さらに左翼運動の党派的対立と恋愛の矛盾を自ら体現するように、激しい葛藤の中に自死してしまう。

その生を燃焼する過程で血を流すような私的で詩的な言葉に痺れた。

記憶に残る言葉はたくさんあるが、「人生には無数の夜がある。だが、甘美な夕方はただ一度しかない」、または「彼女はマグマを持っている」(うろ覚えです)というような一連の言葉に胸が痛くなるのは少女の頃と変わりない。

時代も、時代の感受性も、今とはかけはなれているが、高野悦子、奥浩平、あるいはまた、原口統三、矢沢宰らの文章が、私の感受性の大切な部分を形作っているのは間違いない。

・・・

『二十歳の原点』の単行本の表紙画もまた、子供だった私にとっては強烈だった。

黒地に妖しい赤い花の細密画。これは紛れもなく、私が熱愛するパロット・チューリップなのである。

幼稚園の花壇で黒いチューリップの中を覗いて香りを嗅いだ時から、私の「決してかわいい花ではない、神秘的な花」としてのチューリップへの憧れは始まった。

思えば13歳くらいでこの表紙画を見た時に、「暗闇に火を灯す妖しい花」としての、私のチューリップ狂いが決定したのかもしれない。

『二十歳の原点』の表紙画は、たぶんチューリップバブルに熱狂したオランダかドイツの、1700年代か1800年代くらいのボタニカルアートの画をもとに、誰かが模写したのだろう。画はカールスルーエ(チューリップ栽培が盛んだった地)のチューリップ本などなど、昔のチューリップの細密画そのものだ。

『二十歳の原点ノート』の表紙画のスミレは、明らかに、これも私の大好きなAlbrecht Duerer  (1471-1528)のViolet Bouquet のコピーである。形は瓜二つだが、花と葉(特に葉)の色が全然違う明るい色に変えられている。

誰か最近の人がデューラーの画を見ながら細密模写したのかと思う。

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2015年7月16日 (木)

国会前安保法案抗議デモ

7月14日

安保法案の抗議に行くための新しいプラカードをつくった。

このプラカードは、私が敬愛するThéophile Alexandre Steinlenから絵をお借りして描いたもの。スタンランは猫の絵があまりにも有名だが、貧しい人々の悲惨な姿も多く描いている。

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下は簡単に描いた怒りの猫。

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治療院で、治療師の人に「明日国会前に抗議に行くプラカードを描いてたから肩が痛い。このまま安保法案が通ったら、都心はテロられる可能性が高まる。新宿駅や新幹線も爆破されるかもしれない。」と言ったら「へえ。そうなんですか。」と、いつもながら間の抜けた返事。

この治療師には2歳になる男の子がいるのに、なんにも感じないのだろうか。もちろん一般社会にはいろんな感じ方の人がいるが、自分や子供に危険が迫っていると意識できない人はずいぶんのんびりしている。

7月15日

安保法案反対抗議に国会前へ。

この抗議活動は肉体的に非常にきつかった。というのは警察の規制が激しく、3時間以上ほとんど身動きがとれなかったからだ。

一番酷いのは鉄柵による歩道への押し込め。それと青信号になっても一切横断歩道を渡らせないので、向かいの歩道に行くことができない。鉄柵をまたいで横断歩道を渡る者がいたら、警官が取り押さえてもとの位置に押し込める暴挙。

私は鉄柵の前にいたので、一時、膨れ上がり興奮する人々が後ろから押して来て、本当に鉄柵に挟まれて死ぬんじゃないかと怖かった。現場は押し合いへし合い、「車道を開けろ!」の声と「危ないから下がって!押さないで!」の怒号が飛びかって騒然となった。

・・・・

5時に新宿で友と会い、地下鉄。この日、ものすごい人数が怒りで国会前に押し寄せるのではないかと思っていたので、国会議事堂駅では団子状態になるかもしれないと懸念し、赤坂見附で降りて歩いて行った。

東急プラザ横の坂を上がると、素晴らしく魅力的な建物と石垣が。

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蔦と苔だけではなく、私の大好きな地衣類までが、なんとも美しく・・・


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いったいこのさり気なくも魅力的な建物は何?と思ったら都立日比谷高校だったのでびっくりした。

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熱中症や貧血にそなえ、途中のコンビニで冷たいお茶とおにぎりを買って行った。

国会議事堂正面に向かい、右側の歩道に主催者がアピールをする場所があり、そこに歩道に沿って桜田門方向へ長蛇の列。警官に誘導されて後ろに並んだが、ずいぶん後ろだったので6時前に向かいの歩道に移動した。

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国会議事堂を背景に友人が高く掲げてくれたプラカード。

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民主党の岡田代表、枝野幹事長、共産党の志位委員長、辻本清美議員、山口二郎法政大教授ら、SEALDsの学生らのアピールがあった。

友人「ジローはアジるのがうまいなあ。」私「ホント、なれてるネ。」

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「安倍はやめろ!」「国民なめるな!」「戦争法案絶対反対!」「解釈改憲絶対反対!」「戦争したがる総理はいらない!」などのシュプレヒコールが続いた。

夕焼雲の色も沈んで来るころ、私たちの後ろの人数もどんどん増えて来て、身動きできない。お腹のすぐ前のところに鉄柵があって、後ろから押されると危ない。

皆汗だくで、前の人に身体が押し付けられて暑い。

「車道を開けろ!車道を開けろ!」の声に警官がとずら~と集まってきて取り囲まれた。

「なんで青信号なのにむこうに渡らせてくれないの?」

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人々の「車道を開けろ!」の声に対して警官の「危ないから下がって!」の声。

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「ぎゅうぎゅうなので後ろには下がれません!」「車道を開けてください!」

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「後ろに下がってください!押さないでください!」と警官。「今、この状況で鉄柵が本当に危ないの!怪我しちゃう!怪我したら誰が責任とるの?おまわりさん、鉄柵をとってください!」と前列の人達。
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「押してるのはおまわりさんでしょ!」「危ない!おまわりさん押さないで~!!」「鉄柵をとってください!」

「今、手を出さないで。おまわりさんに触らないで。触ったらストップしちゃうから。徐々に今交渉してるから。」と主催者側の人がなだめに来る。
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後ろからぎゅうぎゅう押されながら、私のすぐ横にいた年配の人も「危ないよ。今、ここで前に転んだら下敷きになって死んじゃうよ。」と。私も怖くてはらはらした。

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ついに鉄柵を上に掲げてはずす人たち。

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「わあ~~!」
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「車道に出ないでください!」

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「安倍は憲法違憲なのに、道路交通法なんか言ってる場合じゃないだろ!」

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「きゃ~ッ!!おまわりさん押さないで!」

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「ワア~ッ!!」

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「ギャ~ッ!」

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「安倍はやめろ!」「車道を開けろ!!」

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「車道を開けろ!」
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というわけで、8時半くらいに車道の一部が開放され、規制線の帯が車道のほうに少しはみ出て、やっと自由に呼吸することができるようになった。その帯にくっついてずっとシュプレヒコールをあげた。

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この頃には周りのざわめきで対岸の声は聞こえにくくなっていた。それぞれの場所でいくつかに分かれながら「安倍はやめろ!」という声が起こっていた。その声が波のうねりのように続いていた。

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現場を離れたのは10時前。帰り道、給水をしてくれている人に無料で冷たい水をいただいた。まだ鳴り物入りで激しくシュプレヒコールを続けている人たちがいた。

急に雨が降ってきた。桜田門駅から地下鉄で帰った。

7月16日

肩と脚がぱんぱんで、すごい筋肉痛で治療院に行き、院長にきのう国会前に抗議デモに行った話をしたら、なんと・・・!

あの、反原発デモの時も今一つ無関心そうだった院長が「僕も一度行ってみようかな。」と言うではないか!

3時過ぎ、折しもラジオではきのうの国会前の抗議デモの音声が流れ、「国民の200人にひとりが抗議活動に行った」とDJがしゃべっていた。

「せっかく行ける場所に住んでるんだから、行ってみようかなあ。誰かと知り合いになれるかなあ。」と言うので「とにかく一度行ってみるといいよ!なにか紙に抗議の言葉を書いて持って行ってね。」と言った。

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2015年3月 7日 (土)

がん定期健診 / ちゃび /  高級スーパーの困った話 

3月6日

鎌ヶ谷の病院にがんの定期健診に行く。

1時に寝たが、ちゃびが、明け方から何回も「にゃ~おぅ」と耳元で叫んで私を起こし、私のふとんの中に潜り込んでは、数十分経つと出て行く、そしてまた大きく耳元で「にゃ~おぅ」を繰り返すので熟睡できず・・・6時には、ごはんを新しくあげてみたが食べる様子もなく・・・9時すぎに起きたが、頭が朦朧として、また少し眠ってしまった。

少し遅刻して2時過ぎに病院に着き、きょうはまず採血と胸のレントゲン。

この病院の採血してくれる人、毎回、違う人だけれど、皆、とても優しい。きょうは寒くて、私の手が氷のように冷えていたので「わあ、冷たい。だいじょうぶ?気分悪くないですか」と言われ、「生まれつきなんで、いつもこんな感じです」と言ったが、心配して採血後も左手をしばし握っていてくれた。

頭頚科の待合ソファで『ベンヤミンの生涯』を再読していたが、検査結果がなかなか出ず、時間がかかった。

途中、我慢できずソファに横倒れになって眠っていた。

「あら~、寝ちゃってる」という看護師さんの声で眼が覚めた。「遅刻してすみません。」と謝ったら「いいえ、検査が時間かかちゃってね~、すみませんね~。」と浅井先生の困ったような優しい顔。

結局血液とレントゲンの結果が出るまで1時間40分もソファで待たされた。

「すいませんね~、システムが変わって検査結果15分くらいで出るはずなのに、こんなにかかっちゃって」と浅井先生は悪くないのに謝ってくれて、本当にいい先生だ。私は執刀医であるこの先生が大好きなので、わざわざ2時間かけて、この遠くの病院まで来ている。

診察はいつも5分~10分。検査結果は問題なく「むしろ左肺のほうの点々(粟粒転移)が薄くなっているように見えます」と言われた。

これに関しては、以前、レントゲンで「粟粒転移が濃くなって増えている」と診断されて真っ青になったが、もう一回レントゲンを撮ったら、やっぱり変わっていませんでした、ということがあったので、画像の誤差かもしれないが、濃くなっていないのならひとまず安心。

それと、これは大事なことだが、「首、切ったあとの傷、特に首の右側の傷を(治療院で)押されるとすごく痛いんですが」と言ったら「傷の上は押さないでいただきたいんですね。リンパ節と一緒にたくさん筋肉切除しちゃってるから、普通筋肉で動脈が守られているんですが、(私の場合筋肉がないので)傷の上を押すと、じかに動脈に触れちゃうんで、左右同時に押すと、へたすると脈が止まっちゃうんで。」と言われた。

「脈が止まるって・・・」「心臓が止まるってことです」と。ひえ~~。治療院の人に言っとかないと。

血液検査、レントゲン1枚、薬3か月分で8780円。

終わって船橋に着いたらもう5時だった。地下鉄が地下に潜る前に、いくつかの建物だけが強く夕陽を反射して、杏色にギラギラ光るのを見ていた。

7時近くに帰宅したら、昼に飲ませたぺリアクチンが効いたのか、ちゃびがウエット(ミヤリサン、デキストリン、無塩昆布粉、亜麻仁油、レンジアレン入り)の皿と腎臓サポートのドライの皿の両方を、つるっつるに完食していたので嬉しかった!

3月5日

夜、9時20分くらいにクイーンズにお刺身を買いに行く。

780円の本マグロのお刺身が半額になっていたので、それとビール、野菜、卵など買ってレジでお金を払ってすぐ、合計が予想より高いな、と思ったら、やっぱり780円のお刺身が980円と打たれていた。

サービスカウンターに行ってください、と言われ、店長が出て来た。980円と780円の差額の半額の消費税込だから、計算するまでもなく、一瞬で108円の返金だとわかるのに・・・

店長は紙にボールペンで書きだして「ええと・・・980円かける1.08だから・・・それと780円かける1.08で・・・引くことの~、ええと・・・差額が~、その半額の~・・・」って、はあ?

前々から思っていたけど、ここの店長、ちょっと頭がよくない。いつも簡単な返金に時間がかかる。余計な説明が多い。

しかも高級スーパーなのに、価格表示とレジでバーコードで出てくる値段が違うことがままあるから、要注意なのだ。(ちなみに私はいつもざっくり100円単位で合計額を計算してレジに向かうので、計算と違う金額を言われると、すぐ気がつく。)

「お客様の声」という投書箱に「値引きシールを貼る時に、産地を隠すように、ちょうどその表示の上に貼るのをやめてください」と書いて入れて、店長の名でお詫びの回答が来たことが、もう4回。何度書いても、「改めます」と書いているだけで、いっこうにやっていることは改まらない。

もうひとつ「玄関のところで売られている花束が、水から引っ張り出されてしおれていることが多いので、水に茎がつかるように管理してください。花がかわいそうです」と書いたのも、もう3回。私は、この店に行くと、毎回玄関を入る前に、浮いている花束の茎を、全部引っ込めて水につけているのだが、これもいっこうに店の方で留意してくれている気配がない。

お値段の高いスーパーなんですが・・・

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帰宅してお刺身とビールでリラックス。マグロのお刺身をちゃびに小さくちぎってあげてみたら、喜んで食べてくれたので、もうかわいくって、嬉しくって。結局6切れのうち、5切れをちゃびが食べ、私は一切れ食べた。

最近、朝、ちゃびが私にべったりくっついてゴロゴロ言っているところをなんとか自分で撮ろうと試みている。
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このちゃびの写真、眼が大きくてすごくかわいい~~!(親ばかです)
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ピンボケだけど左手で撮ってます。
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2015年2月26日 (木)

肉食について 殺処分ゼロ

2月20日(金)

夜7時、ハナ動物病院の太田快作医師と話す。

太田先生(先生と言ってもまだ若い。20代と言っても通るかも)は犬猫殺処分ゼロの運動に身を投じている獣医師だ。

大学時代は、外科実習(保健所から払い下げられた生きた犬を手術の練習に使い、使ったあと安楽死させる)にひとりで反対して、「動物実験代替法」導入を提案し、大学側と闘ったという。

太田先生に、地方に行ってしまった私の親しい友人が参加できるような殺処分ゼロのボランティアを紹介してしてもらえたら、とお願いをした。

先生の知り合いのボランティア団体、動物のために自分でできる活動の話から、「肉食」の話に及んだ。

太田先生が「僕は肉食べないんですよ。」とふと言ったので、思わず「ええ!?本当ですか!?いつからですか!?」と身を乗り出してしまった(快作先生はゆる~いベジタリアンらしい)。

動物愛護の運動に関わっていても、それが肉食をしないこととは繋がらない人の方が圧倒的に多いと思うので、びっくりしたのだ。たいていの人は、目に入れても痛くないほど犬や猫をかわいがっていても、牛や豚は単に「食べ物」だと思っている。

だから私は自分が肉食をしない(できない)ことについて、自分からは、あまり人に話すことはない。私は魚介は食べるのでぺスコ・ベジタリアン、ペスキタリアン、またはノー・ミート・イーターである。

「私、2歳の頃からずっと肉食べられないんですよ。私が生まれた時から、うちには犬や猫がいたんで。・・・・・・私の場合、肉を焼く匂いや、肉屋のガラスケースの中を見ても吐きそうになるんで、小学校、中学校の給食は本当に地獄でした。好き嫌いはわがままだとか言われて。」と言ったら

「天才ですね。」と言われた。

(私の場合、動物を殺して食べている、という認識が身体化しているのだ。

自分のような(生きづらい)人に会ったことがないのだが、私は、夕方、焼き鳥店が営業し始めると、煙の匂いで吐きそうになるので、遠回りして、その道を避けて買い物に行ったりしている。スーパーのチラシの肉の写真を見るのも、すごく気持ち悪い。)

「先生はなぜ?」と聞くと「俺は自分がいかに卑怯か、わかったから。」と言う。

「大学の時、世話をしてかわいがっていた牛がハイエナ病という病気になって、解体して食べることになった、その時、僕はその牛を食べられなかった。それまでは、牛を食べる、となると、わーい、なんて言ってたのに。」と。

(私の場合、こういう話を聞くだけで、怖くてオエッと吐き気がしてくるのだ。)

「最近は肉食をしない人のための店、増えてますよ。昔よりずっと。ここに来てる人も隠れヴィーガンの人多いですよ。」と言われ、

「でも日本では、肉を食べないと言うと、なぜか攻撃されることありませんか?おいしいから食べてみなよってしつこくされたり。」

「ああ、そういう奴最低ですね、なぐっていいですよ。食べる、食べないは個人の自由。なんにも悪いことしてないんですから。よく野菜も殺してるじゃないか、とか言う人いるけどね。」

「そのよくある詭弁が一番嫌ですね。打ち上げとか、飲み会とか、すごく困るんですよ。鍋物に肉が入ってると、その匂いで吐きそうになって、一口も何も食べられるものがないのに会費5000円とか。」

「店の人に言ったらいいんですよ、すいません、ここひとり、肉食べられないんで、何かそれ用につくってください、って。そういう人もいるんだって伝えていくことが大事。禁煙も、昔は全部喫煙席だったんですから。煙草が嫌な人がいるって店側に伝える人がいて、分煙、禁煙の店ができてきたんですから。」

「ネットで肉食しないことを言うと、ネトウヨのように、なぜか攻撃的に絡んでくる人いませんか?」と言うと

「ああ、俺、そういう奴、だ~い好き!」と快作先生は元気ににっこりした。

「どんどん発信していったほうがいいですよ。昔は。日本は肉を食べない文化もあったんだから。斬り捨て御免なんていう文化が通った時代もあった、そんなのが正しい時代もあったんだから(世間のメジャーな風潮が正しいとはいつの時代も言えないのだから)、自分がいいと思ったことは言わないと。」と快作先生に言われると、とても気持ちが楽になってくる。

「肉食べてた人が急にヴィーガンになろうとして、食べるものがなくなって挫折することが多いからね、僕はあまり食べないけど魚や鳥は食べたり、牛乳と豆乳があったら豆乳を選ぶ、とかね、楽にやっていったほうがいいね。」

さすが、学生時代から誹謗中傷にもめげず、ずっとタフに意志を貫いてきた人は違う、と思った。

もちろんこれはアニマルライツに関わる意識と、生き方の問題だから、靴や鞄などの革製品を買わないこと、動物実験をしている化粧品を買わないこと、動物園のありかたなど、いろいろなことが含まれる。それぞれ個人で考え方も違うと思う。

けれどイデオロギーをつくるのではなく、「できるかぎり」「なるべく」「動物の命を大切にする」という姿勢が望ましいと思う。

ベジタリアン、ヴィーガン、アニマルライツについては、いろんな考え方がある。自分でどう実践していくかは自由だと思う。いろんな考えの人と、柔軟に、静かに、楽に交流していけたらいいと思う。

私は「アート」という人間がつくったものに関わる限り、人間以外の「動物」の生命を尊重するとはどういうことか、これを考えないではすまされないと思う。

私は動物を殺して利用して何かをつくり、それが「アート」だと言うような人に耐えられない。

・・・・

私が肉食しないのは健康のためではなく、動物を殺すのが嫌だからなので、ロハスとかマクロビとか、そういう店にお世話になることもあるが、美容と健康によいおしゃれなことを得々と語る人は、あまり好きではない。美容や健康にまったく関心がないわけではないが、そればかり言う人が苦手なのだ。

それより動物を殺すこと、犬猫の殺処分、ブリーダーの存在のほうがずっとずっと気になる。

私の食生活について少し書いてみると、気に入るとそればかり食べている傾向にある。だが偏食というのとは違うと思う。極力シンプルに、好きなものを、好きな時に、好きなだけ食べている。

(絵を描いて夢中になってしまうと、夜中の2時、3時におなかがすごくすいて、眠れないのでがっちり食べることもあります。)

(健康に関心ある人が、肉食を控えるきっかけになるかもしれないので、一応書くと、健康診断の結果、私の善玉コレステロールは一般基準値より多め、悪玉コレステロールは一般基準値より少な目です。ちなみに162.2cm44kgです。)

最近は玄米を炊いてジャーに保温しっぱなしにして、お腹がすいた時に「八菜」(はっぱ)というふりかけをかけて食べている。

おかずは最近は蕪と揚げの煮物、山芋のとろろ、牡蠣の紫蘇巻揚げ、野菜の天婦羅などが多い。

去年の夏は毎日カレーだった。市販のよくあるカレールーはラードがはいっていて食べられないので、動物性油脂や肉エキスが一切はいっていないカレーパウダーの大瓶を買ってきて、玉ねぎをオリーブ油で飴色に炒め、いろんな野菜を加えて、カレー粉、ケチャップ、牛乳、昆布粉などで味をととのえる。エビやツナを入れることもある。

去年の春は、アサリ、野菜、ニンニク、オリーブオイル、トマトペーストの玄米リゾットばかり食べていた。野菜をインゲンやブロッコリーや、いろいろかえて、時にはナチュラルチーズをかけて3か月くらい食べていた。

玄米は固いのを噛むのが快感で、大好きなので、一食につきどんぶりに山盛り1~2杯食べる。

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2014年12月29日 (月)

父が亡くなった / 心の病 / 差額ベッド

12月29日

きょう、また新たに父が生前にやった悪行が判明して、ショックと同時に、吐き気をともなう怒りが湧いてきた。

父が死んだ時、というより父が何度めかの痰がつまり、もうただ眠っているような、会話できない状態になった時は、すごい後悔に襲われた。

もっといろいろしてあげたかった、という後悔ではない。

父は、異常に自分勝手で、家族のお金を平気で盗むような人で、私は小さい頃から数限りなくひどい目に遭わされてきたから、正直、進んで父の介護をしたいとは思えなかった。

ただ、私が生まれる前のこと、父の子どもの頃のこと、肺結核になった17歳から片肺をとった25歳までに父が何を考えていたのか、結核で死にかかる前は何になりたかったのか、聞いておけばよかったと思ったのだ。

父の子どもの頃、青年の頃のことを聞いておかないと、私の知っている記憶、母や私がどれほど父に辛酸をなめさせられてきたのか、それが無駄に消えてしまうような気がした。

どういう風に育ったらあんな人間になるのか、理解することは不可能だが、それでも、もっと聞いておくべきだったと思う。そして私は、出来うる限り、すべてを書きたかったのだ。

父は祖母と祖父の本当の子ではない。

祖母は、父とは正反対。おおらかでおとこぎがあって明るくて美人で、とても人に好かれる人だった。私の大好きな太陽のような祖母が、私とまったく血がつながっていないことを母から聞いたときはすごくショックだった。

私は、祖母の素晴らしい遺伝子を持っていない。祖母は99歳近くまで生きた。

父はギャンブル依存症で、母や子供の頃の私をよく殴っていた。私にとって父は私に対して何かを与えてくれたり、保護してくれる人ではなく、私を不安の底に突き落として目茶苦茶にするような人だった。

幾度も父の異常性格のしりぬぐいをさせられた。怒りと吐き気で頭がおかしくなりそうな体験が山ほどあった。晩年まで、父の自分勝手さと異常性格はなおらなかった。

ただ、そのことが私の「もののみかた」をつくったのは確かだ。

このことは、また詳しく書きたいと思う。

12月28日

代々幡斎場にて、午後二時、父を火葬する。

ル・レーヴ(夢見る)という名のピンクの百合、ブルーなんとかという名の紫の蘭、ベージュのガーベラ、薄荷色のカーネーション、黄色と白のスプレー菊。スイートピー。

きのう、高円寺中の花屋やスーパーを廻って買い集めた花を棺に入れた。正月用の花束ばかりで、自分が買いたい花を探すのもひと苦労だった。

地方のお葬式で、火葬したあと、骨が人体のかたちのまま出されてきて、その骨を拾うのも、何回もさせられた経験があり、それがショックで怖くて吐きそうだったで、今回も心配だったのだが、

骨はざっくり混ぜられた状態で、四角いかねでできたものに入っていて、「弔事ですので、お骨は一回のみで。」という火夫さんのご指導のもと、二人一組で、あっさり一回つまんで終わったのでよかった。

「仏様が手を合わせているようなかたちなので喉仏といいます。」という説明。

おばあちゃんの時も代々幡だったような気がする。きょうと同じような感じだったのだろうか、あの時よりも、もっとあっさりとすんだような感じだった。

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今回の直葬で、都内にある代々幡、堀之内、落合などの火葬場は全部「東京博善」という会社の直営であり、火葬だけで一律59000円かかることを知った。

そのほかに骨壺約13000円、このふたつは絶対にかかる。その他保管料一日につき約8000円、火夫や事務、運転手さんへの心付け。

上記の斎場への支払いのほかに、葬儀社に頼まなければならないものは、棺、寝台車、納棺料、ドライアイス、案内の人件費などで、これが80000円くらい。

で、役所への手続きも自分でやり、棺に入れる花も自分で買って持って行き、写真もなしで、合計170000円くらいだったと思う(妹が明細を持って行ったので私の手元にないが、だいたいそのくらい)。

都内で直葬を考えている人の参考までに書きました。

12月26日

父が危ないと連絡を受け、I病院へ。

午後3時2分死亡。

泣き崩れる妹の背中をさすってやって、もう(妹は)十分介護したよ、という言葉を何回もかける。

妹はちょっとおかしいのだ。嘘つきで酷い人間だった父にべったりだったのだ。なぜかというと、妹は私のように、父の借金返済のために青春を滅茶苦茶にされた過去がない。妹はその時、まだ中学生だった。

しかし父の借金返済の時に母と私がどれだけ過酷な労働をしていたか、家族が心身ともに追い詰められておかしくなっている、その異様な事態に気づいていないはずはなく、妹がその原因である父にべったりになって母や私に少しもいたわりの気持ちがないことが異常なのだ。

妹は父と似ている。自己中心的で自分のだらしなさをすべて他人のせいにするところ。依存症で、ちょっとでも優しい言葉をかけると際限なくだら~っと甘えてくるところ。社会性や公平性がなく、自分に甘い人間にだけべったりくっつこうとするところ。

妹はアルコール依存症だと思う。酒が入ると完全におかしい。普通の酔い方ではない。まったく話が通じなくなり、一方的にへらへら笑ったり、激情的に怒ったり泣き出したり。

それだけでなく、アルコール依存症になってから、過去の記憶がいいように勝手に歪められている。 アルコール依存症について調べると「他罰的になる」という特徴があるので、もともとの性格がアルコールによって助長されているらしい。

私は、父から与えらえてきた精神的、肉体的外傷や、嫌悪感や、いろいろあるのだが、若い頃の母が(だまされて)すごく好きになった人だし、とにかく母がかわいそうで、激しく嗚咽してしまった。

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そのあと、泣きはらした顔で差額ベッドのことについて、病院側に言わなければならなかった。くたくたに疲れていたが、やはり、おかしいと思ったからだ。

「福祉保健局の人に話を聞いて、決まりでは家族が望んだのでない差額ベッド代、病院の方の都合でいれられた個室代は家族に請求してはいけないはずです。」という内容のことを言ったら、I院長は、

「あなたは決まりって言うけど、これは決まりの問題じゃなくて、公序良俗の問題だ。」

と言った。その「公序良俗」という言葉が、疲れた頭に、すごく印象に強く残っている。

つまり、「公序良俗」に反しているのは、私のほうだとと言いたかったのだろうか?

それとも「公序良俗」という語を出してきたわけは、病院側が家族に圧力をかけても、それは法的には規制されるようなことではない、やってもいいことなんだ、と言いたかったのか。

たぶん後のほうだろう。

「福祉保健局の誰がそう言ったの?メモしたいから名前教えて。」とも言われた。

I院長は「この件について僕に決定権はない。看護部長に聞かないとわからない。」と言い(嘘だと思う)、廊下で看護部長を待っていたら「会計に言ってくれ」と言われ、会計に行ったらソーシャルワーカーが出てきて、「でも妹さんは了解したんですよね。ちょっと確認してきます。」と言われ、

「妹は精神的に参っています。患者に何をされるかわからないと思ったので、怖くて了承したと言っています。それでも電話で了承しただけで差額ベッド代の金額を明示した紙に家族がサインしてない限り、家族に支払い義務はないと福祉保健局に聞いています。」とこたえた。

家族が死んだ直後で、ただでさえ胸がざわざわしている時に、病院総出でプレッシャーをかけられたけど、言うべきことは言わないといけないのでがんばった。

それで一応の解決をみた後、死者を囲んでぐったりしている家族のところへ、がちゃっと個室の扉を開けてI院長が入って来た。(はぁ~~・・・まだ、何か?・・・と私は下を向いていた。)

「お父さんは片肺だけでよく頑張ったと思います。いや、皆さんが随分、落ち込んでいるようだからね、私もこう見えて学生時代は鬱だったんですよ。」などから始まる演説があった。「鬱にならない秘訣はね。少しずつがんばること。」とか「皆さんの連携がうまくとれていないところがあるからね。」とか・・・

(残念ながら私は鬱病じゃない。依存症でもない。脅しやすかしでコントロールされるような人間じゃない。ぐったり疲れているように見えるのは差額ベッドの件で病院側に不当な支払いを要求された心労のせいなんですよ、と言いたかった。)

補足すると、この病院は看護師さんは親切だった。

とにかく老衰で亡くなりそうな患者を個室に移された場合、それは治療上の都合であるから、家族に支払い義務はない。

病人を介護している人、「差額ベッド代」で検索してみてください。

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2014年7月 1日 (火)

父の緊急搬送4 退院 / 新宿焼身 集団的自衛権抗議

6月27日(金)

西新宿保健センターの最後の日なので、健診関係の申請に行く。来週からは東新宿に移転して、新宿駅から歩くにはちょっと遠くなってしまう。

西口の横断歩道の前の植え込みに、植えてないはずの笹が繁茂していたのを見つけた。若い笹の葉の上に留まっているたくさんの雨の滴の玉が、とてもきれいだった。触ってみたらひんやりとはじけた。

6月29日(日)

父の退院。

4日前、25日に、夜間は呼吸が浅いので酸素吸入が必要と聞き、そんな状態で退院できるのかと思った。今の父は一時よりふらふらで口数も少なく、本人も「家に帰りたい」とは言わなくなったくらい元気はないのだが、とにかく退院となった。

父は病院のベッドを出てからエレベーターに乗るまでもふらふらして、エレベーターを待つ間もはあはあ、と肩で息をするような状態。

おととい27日に、酸素会社からの説明、キーボックスの設置、前のベッドの引き取りと介護用レンタルベッドの設置などを妹がやってくれ、きょうからいろんな介護関係の人たちにお世話になりながら自宅で暮らすことになった。

11時に病院に行き、清算。タクシーで父を福山家に運び、とりあえずあまりにもほこりがたまっているところを拭いたり、父に柔らかい食べ物を買ってきて昼食をとらせたりした。

強烈な日差しで頭がのぼせてしまい、少し具合悪くなった。2時前に福山家を出て、中央公園の木陰を歩いて新宿へ。

2時過ぎに新宿駅南口に着いたら、何やら煙が出ていて、警察や消防車がいっぱい来ていた。どこか近くが火事なのかと思ったが、人が多くて見えなかった。そのまま南口の駅の中、ミロードの前を通って階段を下り、高島屋のほうに向かった。

駅の中から通りの方がビニールシートの幕で遮られて見えなくなっていて、その前に警官が立っていたので、何が起きているのか見えなかった。

それが集団的自衛権の行使容認に対する抗議のための焼身事件だったと知ったのは夜、PCを見てのことだ。

ショックな事件なのに、あまりニュースで報道されていないようだった。安倍政権に対する抗議については報道が抑えられている感じだ。特にNHKではまったく報道されなかったらしい。

しかし海外では注目され、多くのメディアに報道されたみたいだ。

官邸前も集団的自衛権の行使容認、解釈改憲に対する抗議デモが盛り上がっているようだ。もちろん私も大反対だし、抗議デモに行きたいが、正直、首と肩と腰が痛くてどうしようもできない。

この日もとても激烈な不安定な天気だった。3時半くらいに高島屋を出てサザンテラスの上を歩いている時は南側の空は青く光り、北側の空はカオス雲だった。そのあと大きな雷鳴が轟き、ビルの12階の非常階段から外を見ると、無数の雨の鋭い剣が遮って街並みが見えない状態だった。

6月30日

母の夕食介助に行く。きょうは起きていた。夕食完食。「これぜんぶ好きなもの。」と言っていたのでよかった。

夕食後、薬と極みプリンと栄養補助食の桃ゼリーを食べさせる。

Gが来て一緒に中野へ。古本をたくさん買った。

天ぷら屋さんが定休日だったので、香林坊で台湾精進料理を食べた。

Gは吉田照美のラジオを聞いていて、新宿の焼身抗議事件について日本のメディアの報道は抑えられている(特にNHKはまったく報道なし)が、海外ではそうとうメディアに取り上げられていることがラジオで話題になっていると言った。

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うちの近所の、おばあさんがひとりで住んでいた古い家が明日(7月1日)取り壊しになるという張り紙がしてある。

ものすごくショックだ。

うちの近所の細い裏道にいくつも古い家があって、その細道を猫のようにそっと通るのが楽しみだった。

最初に潰されたのは屋根が膨らむように歪んでいた平屋で、オレンジの実がびっしりなるピラカンサの樹があって、玄関の扉にクリスマスのリースがずっと下がりっぱなしになっている家だった。そこには車椅子に乗ったおじいさんとそれを押すおばあさんが住んでいた。その家が潰された時、さみしくて、呆然とした。更地の土の上に、かつて誰かが使っていた油絵の具が落ちていた。

次に潰されたのは、やはり茶色い木の古い家で、おじいさんが一人で住んでいて、家のぐるりにびっしりと数えきれないほどの万年青や君子蘭の鉢が飾られていた。玄関横には山で拾ってきたと思われるたくさんの小石が積んであった。ぼこぼこした襞のあるハヤトウリがその石の山のてっぺんに飾られていた。

3番目に潰されたのは石屋さんの古い木造の作業場。ここには古い大きな石がごろごろしていて、どこかの墓場から引きあげてきた卒塔婆もよく置いてあった。息子さんがたまに作業していた。そのお父さんは枇杷の樹を手入れしていた。6月の末に枝を落とすとき、母が来ていて、橙色の実をもらって喜んだことがあった。

そして、最後に残っていたのがおばあさんがひとりで住む平屋の家。素敵な木の枠の丸窓があった。裏の部分や塀などは錆びたトタンが張ってあった。そのトタンの、水色のペンキと錆の赤茶色の華やかさを忘れない。

夏のお盆には、ここに住む小さなおばあさんが、玄関の前で、迎え火と送り火を焚いていた。懐かしい匂いがした。おばあさんは野良猫をかわいがってくれていた。

雪の日には、私はそこの錆びたトタンの塀の中の、柿や楓の樹の枝に積もった雪の造形を見ていた。

私の大好きだった大切な片隅の風景。

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2013年12月 8日 (日)

フィギュア グランプリファイナル2013 / 秘密保護法案 / ユリ水彩素描

12月7日

グランプリファイナル女子。

浅田真央の3Aがどうなるのか、そして今日の得点は、とどきどきしながら見ていた。

3Aは残念だったが、最後のステップは気迫のこもった素晴らしいものだったし、本人も悔しさはあっても悲壮な感じがなく、彼女の道を着々と前進している感じだ。

表彰式の花束は、NHK杯の時と同じデザインの色違いだったが、とても素敵な紫系の花束の扇アレンジ。(NHK杯の時は、女子はピンク系の、男子は黄色系の花の、やはり素敵な扇形アレンジだった。)

最初の審判員紹介の時に、叫び声やブーイングなどあったらしいが、良いことだと思う。抗議の意思をそのくらいの行動で示してもまったくマナー違反には当たらないと思う。(デモが民主主義の権利であるように。)

私はフィギュア界にも、スポーツにも詳しくないが、そもそも公共の利益に関わるのであれば、審判全員の国と名前と同時に、それぞれが各エレメンツに出した評価点を、毎回すべて明示すればいいのではないか、と思う。

折りしも、秘密保護法案が可決されたのと同時に、このフィギュアの試合があり(前々からずっと問題になっていたように、今回もまた)、採点基準や根拠が問題になっているわけだが、少なくとも匿名をやめて誰がどう採点したか「情報公開」することではっきりすることもあるだろう。

さて秘密保護法案だが、この法案は国民を守るためのものではなく、国家権力(政府)が国民(一般市民)の「知る権利」を奪い、国民主権を破壊する法だ。ちょうど私たちフィギュアファンが、どんなに採点の疑問を訴えても、何が原因でどういう事情でこうなっているのか、まるで知ることができないように。

秘密保護法が成立すると、たとえば原発事故の原因や、国民の被曝や土地や海や食物の汚染の実情も、政府が国民に秘密にしたい事実関係や情報は「秘密」に指定される危険が極めて高くなる。その「秘密」を暴いたジャーナリストや、取材したマスコミ、漏らした一般市民も、犯罪者として処罰されるようになる。何が「秘密」に指定されるのかわからないまま権力と金のある人間の都合のいいように管理され、コントロールされ、一般市民が見せしめに罰せられるようになる。

国民が政治家や官僚を監視し、不正があれば失脚させる権利があるのが本来の国民主権のありかたであり、秘密保護法では逆になってしまう。フィギュアの採点も問題は同じだ。選手やファンが信頼できない審判がずっと失脚しないのはシステムに欠陥があると思う。

また、私は浅田真央の演技が大好きで、キムヨナの演技はあまり好きではないが、私は決してナショナリストではない。どこの国の選手であっても好きな選手は好きだし、韓国にも、日本にも、好きで共感できる人も、嫌いで共感できない人もいる。浅田真央の演技が凄いと思うから見たいし、適正に評価されてほしいのであって、嫌韓や右翼寄りの考えに同調できるものではない。

さて、浅田真央以外の今回の出場者では、ロシアの少女たちがそれぞれ魅力的だった。個人的には、2年前のトゥクタミシェワとソトニコワの演技の強烈な印象が忘れられなくて、この二人がソチに行くとずっと思っていたので、今の状況変化を思うと、ちょっと複雑な気持ちだ。

今回、ソトニコワはジャンプを失敗して体力を奪われたのか、後半は完全に失速。だが、彼女の持っている表現力は凄いと思う。私が特に感心するのは、タンゴやフラメンコに通じるような、肩から腕、手首を大きく動かす大胆かつ優雅な踊りだ。決めポーズから決めポーズへ、強くあでやかに見せていく大きな動き。彼女特有の、上体を斜め上にねじりながらのスピンも謎めいていてすごく好きだ。

フリーでは透け感のあるセクシー衣装なのに、何か少年ぽく、ひとつひとつの動作が即物的なので、お色気を振りまいている感じがまったくない。むしろほほえましく思えてしまう。

トゥクタミシェワについては、2010-2011のアストゥリアスの演技に痺れてしまって、速い動きと柔らかな腕の表現と、なんて貴婦人然とした美少女だろう、と思ったのだが、最近は調子が悪いみたいなので心配。

2011年4月にお父さんが若くして死去、とウィキに書いてあるが、いろいろたいへんな辛い思いをしたのだろう。それでも2011-2012はシニアデビュー戦のグランプリシリーズで優勝したのを覚えている。2012年末のロシアナショナルでも優勝していたらしい。まだ16歳なのに大人っぽい表現のできる選手。そしてあの素晴らしい華のような眼。

もちろんリプニツカヤも個性的な表現力を持っている。なかなか冷静で頭の良さそうな子だ。

12月6日

千葉県の鎌ヶ谷の病院に行く日だったので昼から出かけ、1日仕事になった。船橋から東武線に乗り換えるのだが、新しい家ばかりで、ほとんどどこにも樹木や植物がないことに愕然とする。新興住宅地だからなのだろうが、都心のほうがずっと緑が多いなんて、なんだかなあ…と思う。小さくても原っぱや雑木林がないと、本当に息が詰まりそうだ。

夜、グランプリファイナルの男子を見る。こっちで世界最高得点??なんで浅田真央は点数があんなに抑えられるのだろう。

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もらったカサブランカリリーの水彩素描。葯(しべ)の色が重要。

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12月5日

浅田真央の「ノクターン」。胸のところに二輪のスカピオサ(マツムシソウ)の花が付いているような個性的な衣装。前の衣装がすっきりときれいすぎたので、新しい衣装の方が脳裡に濃い像を残しそう。

鮮やかなトリプルアクセル。透明で優しいイメージだった「ノクターン」が、こんなにも力強く、激しく盛り上がる曲だったのか、と新鮮に聞こえるほど素晴らしい出来だった。

ここでこそ、女子ショートの世界最高得点が来る!!と思って、どきどきしてしまった。少なくとも77~78は行くと思った。だが点数が低かったのでショック。3Aが認定されていないと聞いて、本当にわからないものだと思う。

本人も「今シーズンに入ってトリプルアクセルをこんなになめらかにできたのは初めてだった」と言っているのだから完璧だったのでしょう。気が遠くなるくらい練習してきた本人と佐藤信夫コーチが、出来を一番わかっているだろうから。

そのあとで「特定秘密保護法」で大荒れのニュースを見て、ますますイライラした。独裁政権のための、たいへんな悪法だ。国民の利益になるようなことはない。

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ソルボンヌという種類だろうか。ふちが白くてピンクの帯と斑点があるユリの水彩素描。

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2012年3月17日 (土)

日隅一雄 三木由起子対談 「こんなに遅れている日本の情報公開制度」

3月16日

国立がんセンターへ。3月5日の予約をすっかり忘れていて薬がなくなっているのにきのう気づき、A先生じきじきに予約を入れてもらった。

血液4本、レントゲン2枚。大量出血のあとにまた血を抜かれたので(気のせいか)すごくだるい。

会計待ちでロビーの長椅子に座っていたとき、奇跡ではないかと思った。3か月前に会計待ちのときに目を奪われた今は亡き種村季弘先生によく似た佇まいの人が、また斜め左側の長椅子に座った。椅子の位置関係もこの前と同じ。中折れの茶の帽子、こぎれいな黒のコート、知的で静かな雰囲気。文庫本を読んでいる。背格好も目と唇のかたちもそっくり。私が予約通り3月5日に来ていたら会えなかったと思う。

1時予約で会計がすんだのが2時30分。6時開場の岩波アネックスの日隅さんの対談まで、築地でゆっくり食事でもしていればいいのだけれど、少しでも休みたくて、地下鉄で家に戻った。3時過ぎに帰宅。ちゃびをもふもふ抱きしめてお茶を飲んで休憩。

Yに電話。久しぶりにつながった。またすぐ仙台に行くと言う。私が日隅さんの病気のことで苦しむことが心配だと言われた。

5時に家を出た。岩波についたのは5時45分。開場後、席について資料を見ていたら日隅さんに話しかけているご婦人がいて、「きょう退院されたの?」という問いに「いえ、退院はしてません。」という日隅さんの声が聞こえた。

3月10日のブログで、「ついに動くと痛みが出るタイプの癌痛が始まってしまいました。」と書いておられたので

http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/d/20120310

ものすごく心配だった。あれから入院中で、きょうはこのイベントのために病院を抜けて来られているようだ。

「遅れていた岩波のブックレットがついに4月初めに出ます。」とゲラを持って嬉しそうな日隅さん。思ったよりはお元気そうでよかった。

三木由希子さんは「情報公開クリアリングハウス」理事長。このNPO法人は、1980年創立の「情報公開を求める市民運動」が情報公開法の制定を受けて祖ぢ機械編をした結果、1999年12月に生まれたものだという。(「クリアリングハウス」という言葉はもともと「通行手形」を意味し、そこから現在では「情報センター」という意味でつかわれているとのこと。

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福島県から公開された、県に最初に届いたモニタリング結果とSPEEDIの結果。福島県が知っていたならなぜ県民に知らされなかったのか。3月12日、13日は水の支給を求めて子供連れで公園に並んだ人たちもいたという。

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9時近くなった最後のほう、日隅さんがやはり痛そうにしていたので心配だった。

次は4月14日に長時間やるという。

私自身も病院と血液検査で疲れたせいか、途中で一瞬くら~っとしてしまい頭が前のほうに傾いたりしたのだが、とにかく行けてよかった。

3月15日

母を東新宿のMに送る。ベッドに座っている母を立ち上がらせようと両手を脇からまわして持ち上げたら、今までにない激しさで左腰の神経痛。Mの帰り、地下鉄副都心線の階段を3段降りたとき、これはやばい、という痛みが走り、階段を戻ってエレベーターを使う。

ずっと電話もファクシミリもつながらなかったYは、被災した仙台の弟さん(家は半壊、弟さんは大けが)に代わって、家を修理するお金を集めるために仙台と生家を奔走していると聞く。

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2012年2月28日 (火)

日隅一雄 高田昌幸対談 最後の切り札 内部告発をいかに保護するか / 秘密保全法

2月27日

日隅一雄連続対談企画~無制限10本勝負の第3回目 高田昌幸氏(元北海道新聞記者)との対談「最後の切り札 内部告発をいかに保護するか」を見に岩波セミナーホールへ。

朝から母を施設に送る準備で忙しかった。薬、食事、トイレの世話をして荷物をつくってタクシーで下落合へ。15分遅刻して注意されてしまった。新宿で銀行などの用事に時間がかかった。家に4時ころ帰り、疲れて30分くらい横になってから着替えて出かけた。

岩波のセミナーホールに着いたのは5時45分くらいだったが、少し早めに入れてくれた。きょうは日隅さんの真前の席。

日隅さんは珍しく黒のポリエステルのパンピングウォームアップパンツのようなのを穿いていた。中は汗ばむほどだったが、日隅さんはきょうはベージュのダウンコートを脱がなかったので、体調が悪くて少し寒いのかな、と思った。

高田昌幸氏(北海道警察の裏金をスクープした元北海道新聞記者)から、告発しようとするとどうなるかなどの話。

日本のマスメディアは当局とぐる(権力の手先)なのではないか(もちろん例外もあり、よいスクープが出ることもあるが、大きな流れとしてはそうだ)、内部告発の受け皿としての新聞記者はいるのか、と言う話。

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「私の経験としては、私自身もとってきたネタがある。小さいネタですけど。」と日隅さん。

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また、告発する人は正義のためというより私怨があり組織の中の不満分子である(そうであるほうがむしろ正義のため、と言う人よりリアリティがある)、と高田さん。

日本では内部告発した人は精神的、経済的に酷い目に遭うことが多いが、諸外国では法律によって告発した人がいかに守られているかの例を日隅さんが解説。

「映画やTVでは捜査機関がいかにかっこいいいかを描いたものばかりだが、内部告発した人が主人公の映画やドラマをつくったらいいと思う。」と日隅さん。

マスコミも警察も信用できないのであれば、どこに告発すればよいのか、という質問には「東京に三つある弁護士会の告発を受ける部門へ。」と日隅さんの応え。

そしてきょう非常に衝撃的だったのが「秘密保全法」が国会にかけられようとしている、という話であった。

この法は「背筋が震えるような思い」だと高田さん。

「秘密保全法」は「特別秘密」とされる情報を漏えいした場合、令状なしに緊急逮捕できるという法であり、これの恐ろしいところは、何をもって「特別秘密」とするのかが市民からはわからないこと、「特別秘密」は行政官庁が決める。(原発事故、TPP、沖縄密約などに関する情報、なんでも「特別機密」に成り得る)

内部告発も漏えい、取材・アクセスも漏えいの教唆、特定取得行為として処罰される。報道・公表も漏えい共犯として処罰される。

裏金も捜査上の秘密と言われれば告発した人が緊急逮捕される。デモをやる人間も酒を飲むか、病気はあるか、親しい交友関係など細かく思想調査されるようになる。原発事故での日本各地の放射能汚染状況を本当は政府は持っているのではないか?持っていたとしたらそれは国家の「特別秘密」に指定され、それを暴こうとしたら逮捕される。

「多喜二来て地獄さえぐんだ 秘密法」と梓澤弁護士が書いた川柳。

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「治安維持法のときに命をかけて闘って死んだ人の志を無駄にしないように!」 と熱く語る梓澤さん。

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治安維持法のときのように、法律には担当者ができ、思想検事ができ、事務官ができ、予算がつき、やがて大弾圧が起きる、という高田さんの話。

「冷戦が終わり、今「秘密保全法」が必要な理由がない。インターネットが発達した今、「秘密保全法」を成立させようとするのは権力側の最後のあがきかもしれない。」と日隅さん。

この「秘密保全法」について、マスコミはどのくらい報道しているのか、という質問に対し、「この1月中、新聞などの41媒体中、秘密保全法に触れたのは6件のみ、うち3件は読者の声、1件は寄稿文だった。」と高田さん。

私もこの「秘密保全法」についてよく知らなかったひとりだが、この対談がネットメディアで放送されることで、この事実が広まり、皆の関心が少しでも高まっていってくれたらいいと思う。

きょうも梓澤さんの熱いエールで、末期癌闘病中の日隅さんへの大きな拍手が皆から送られた。そのときの日隅さんの静かに頭を下げる表情に何とも言えず胸が痛くなった。

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梓澤さんの暑苦しさも名物になっている、と言われたときの梓澤さんの笑顔。

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そして最後に日隅さんの「きょうは、実はきのう痛み止めを替えたせいで、お腹が痛くて・・・高田さんがたくさんしゃべってくれたんで良かったです。」という言葉に、胸が痛い。苦しい。

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終わってからアンケートを書いて、そのあと木野さんと立ち話する日隅さんを離れたところから眺めていた。その後エレベーターを待っていたらちょうど日隅さんと木野さんが乗り合わせて来たのでどきどきした。表通りに出て、お二人はタクシーで帰って行った。

終わったあとも声をかけられるわけもなく、痛みのことが心配すぎて、私もおなかが痛くなったのだが、きょうのブログの最後は日隅さんの笑顔のアップで終わろうと思う。

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思想調査でまず携帯電話は完全に調べられる、という話の流れで「これから行く場所を先に言われちゃったことがあって、目くらましに キャバクラの御姉ちゃんに電話したりしたことがあって。」と言ったときの笑顔だったかもしれない。それに対して梓澤さんは「えー、なんとコメントしていいかわからない話で・・・」と言っていた。

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