デリダ

2025年3月 2日 (日)

ギャラリー / 新宿

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八重のアネモネを描こうとすると葉っぱを齧ろうとするプフ。

アネモネはプロトアネモニンという毒が危険なので、絶対に食べられないように花は冷蔵庫に入れている。

2月18日(火)

平田星司さんとZOOMで話す。

2月20日(木)

ギャラリー十二社ハイデの伊藤ゲンさん展の設営。

ちゃんと設計図を書いて、きちんとやっておられることに感心した。

レトロなぬいぐるみやおもちゃの絵。すごくこの場所に合っていると感激。さすがです。

・・・

午後から企画ギャラリーのオーナーに会いに行った。

ギャラリーが開くまで少し時間が合った。

ギャラリーの裏手のほうに「アトリエ」というとても古い錆びた看板のある不思議な家があった。美術ではなく音楽系のなにかだった。

大輪緑萼の梅が満開で、鳥の声がした。陽が当たる場所では春の野芥子が咲いていた。

いろいろ指示されることはあると覚悟していたが、一番気になっていたのは、私の病気のことがちゃんと伝わっていないのではないかということだった。

昨年、最初にオーナーの奥様にお会いした時、「声が素敵」と言われ、「声帯を片方切ってるんですよ。甲状腺癌で」というお話をして、現在、分子標的薬を飲んでいることも伝えていたのだが・・。

だから体力的に、ばりばり新作を描くことはもうできないかもしれないと伝えないといけないと思い、心が苦しかった。

オーナーと話ができるまで待っていたのだが、現在の展示を見に来ていたSさんという作家さんが同席して、企画画廊では画廊の言うことを聞かないといけない云々を私に説いてこられて激しいストレスを感じた。

Sさんは自分の過去の展示のハガキを私にくれたが、私の絵を見たこともないし、私がどういう活動をしてきたのかも知らない。

「すみません!お願いですから席を外してください!オーナーと直接話させてください!お願いします!すみません!」と深く頭を下げて退席していただいた。

病気のことを言う時、緊張して泣いてしまった。

オーナーは、奥様から聞いていると言われて、ほっとした。

その上でまだ私はもう少し生きられると思って、企画してくださるならありがたいことだ。

「奥さんは、あの人はいつも明るい人ね、って言ってるよ」と言われ、私はそんなふうに見えるんだ、と意外だった。

2月21日(金)

篠原誠司さんと電話で話す。

篠原さんは最近までアメリカに行って2つの企画展をされていた。アメリカの郊外の大きなお屋敷に泊まって、向こうのコレクターがどんなふうに家に絵を飾っているかを見たという。

画家のいろんな生き方の話。

2月23日(日)

画家の小穴さんと映像作家の光永さんが来られるというので、ギャラリー十二社ハイデへ。

一緒にランチをしていろいろお話した。

光永さんは、私があとがきに文章を書いたデリダ(鵜飼哲訳)の『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』の文庫版を持って来てくれていた。

伊藤ゲンさんの個展は、玄関に昭和懐かしい貝殻の人形や、古い大きな熊のぬいぐるみなどが増えていた。

あいかわらずうちの中は寒いのだけども、とても楽しい雰囲気。

帰りに新宿駅まで歩き、「あの枯れた蔦の絡まってるのはなんですか?」とハルクの前で光永さんに聞かれ、一瞬、戸惑った。

新宿西口の地下広場のタクシー乗り場から地上へと、ループ通路の巨大な吹き抜け。蔦が絡まっているのは、その真ん中のタイル貼りの筒状オブジェだ。

設計は板倉準三で、66年に出来、「地下空間の地上化」というコンセプトを掲げたという。

このクールだったループ状の吹き抜けが、もうすでに破壊されていて、タクシーが通ることができない。新宿西口は見るも無残だ。

まだかろうじて残っている筒状のオブジェは、私が大好きだった新宿駅前の象徴。

私が幼い頃の新宿のイメージはとにかく革新的で、なにもかもがかっこよくて、

テレビや映画や古い漫画で知っている新宿は、ものすごいエネルギーが渦巻いていて、常に新しい状況と、反発する力、爆発する力が・・。

ヒッピーも新宿騒乱もゴーゴー喫茶も、風月堂も、そういう青春には間に合わなかったけれど、映像で何度も見ている。その場にいたはずはないのに、その場にいたように記憶に溶け込んでいる。

ペロ(伊坂芳太郎)や宇野亞喜良、カルメン・マキや浅川マキのイメージも。

映画『女番長 野良猫ロック』は何度も見た。和田アキ子がバイクで西口地下道への階段を下って突っ走るシーンが大好き。当時の歌もかっこいい。

都会で、泥臭くて、サイケで、アングラで、熱くて、廃墟の中から宝物を拾えるような夢があった新宿。

紀伊国屋の中にあったこまごまとしたお店は闇市の名残だと聞いた。懐かしいLENE。西口にいくつもあった古レコード店。7丁目、8丁目の古いアパート群。駄菓子屋。

宮谷一彦や真崎守や上村一夫の漫画でも、歌謡曲でも、新宿は何度も描かれていた。

日本で一番、劇的に変わった町、新宿。

昔の新宿の痺れるようなかっこよさは、身近な友人や、人生の先輩たちとは当たり前に共有されてきたけれど、年下の人たちとはまったく共有されていないんだな、とふと気づいて、言葉が出なかった。

 

 

 

 

 

 

 

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2023年9月13日 (水)

デリダに関するエッセイ/ 東京画廊

9月6日(水)

デリダに関するエッセイの初稿ゲラの赤字を戻す。

この子たち(動物たち)のためのエッセイ。
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細かい引用部分が、どの本のどこのページからか、きちんと記録しておかなかったために推敲に苦労した。

ここまでくるのに何年かかったろう。

私は哲学の専門教育を受けたことがない。不十分ではあるだろうが今の私にはこれが精いっぱい。

この文章を書く機会を与えていただけたことに感謝と、生きているうちに出せることが嬉しい。

9月7日(木)

台風が来たので出かけられなかった。

9月9日(土)

昼から銀座のギャラリーをいくつかまわった。

東京画廊の山本豊津さんに、まだ生きていることをご報告し、足利市立美術館の展示のチラシとチケットを差し上げると、なんと、「せっかくだから行く」とおっしゃるのでびっくり。

学芸員の篠原誠司さんとは仲がよいと聞いて驚いた。

篠原さんは日本のギャラリーの歴史を調べる仕事をしていたそうで「彼はとても熱心だ」と山本さん。

もともと篠原さんは詩人の吉田文憲さんからの紹介だ。初めてお目にかかった時からなぜか話しやすくて仲良くなれた。

3時頃にいったん帰宅してお茶を飲んで、すぐにギャラリー工の伊藤珠子作陶展へ。

「草原」をテーマにした陶器。値札までが陶で作られていたことに感動した。マジックで値を書いて何度も使えるとのこと。

そのあと吉祥寺の平井勝正さんの個展へ。

モノトーンに近い作品が静かで詩的。いつもどおりたくさんの人が集まって飲んでいたが、私はお酒を遠慮した。

中道通りに2軒あったPukuPuku(日本の古い器のお店)が引っ越していた。ここは吉祥寺に行ったらいつも寄るお店。

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2022年1月19日 (水)

鵜飼哲さんと打ち合わせ / 絵の額装

1月14日(金)

画集掲載の絵の中からお買い上げいただいたものの額とマットを選びに行く。

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チューリップ、グドシュニク・ダブル。Tulip, Gudoshnik double

下地が茶色で、亀裂のような線がはいっている銀色の額。

福山知佐子画集『花裂ける、廃絵逆めぐり』 水声社 発売中です。

1月13日(木)

鵜飼哲さんと仕事の打ち合わせ。6時から閉店(10時)まで。

私にはすぐに理解できないことも含め、言われたことをすべて時系列にメモしておいた。

メモしながら考えたことの一部。

「共苦」はどこにあるか 

「証言」とはなにか、「自伝」とはなにか

「個人的なこと」は書くに値しないのか?「個人的なこと」からしか普遍的なことにたどり着けないと思うが、書いてはいけない個人的なこととはなにか

「本人に言えばすむこと」? 言語による被抑圧者の苦痛の不在化 残虐性(肉食)の存続のシステム

証言しようとするもの(非人間、動物、被抑圧者)はことばを発することができない

本当に証言したいと熱望するものが声を発しようとしても、発言の権利を奪っていく代弁、「証言」についてのおしゃべりがそれをかき消してしまう構造

搾取、抑圧、ハラスメントが生じる時の力の不均等は、あくまで当事者同士の力の不均等であり、加害者側が(社会的に?)強者ではないと第三者から言われても、そのことは被害者には関係ないのではないか 

スナウラ・テイラーは障害者が動物化される、とは言っていない。自分が動物の側として健常者中心主義の動物倫理を不具にする、と言ったのではないか

 

 

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2018年12月22日 (土)

猫の絵、動物の犠牲について、デリダ

12月22日

猫の絵(Cat drawing, Dessin)

わずか100gちょっとで拾われた日のチョビ。初めて病院に行った日(135g)のチョビ。

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小さな犬のぬいぐるみだけに甘えていたチョビ。
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真菌によってしっぽ、手足、首の毛がはげたチョビ。特にしっぽが真っ赤で痛々しかった。
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ひとりぼっちではなくなったチョビとプフ。
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「〈殺すなかれ〉は、ユダヤ・キリスト教の伝統のなかでは、また明らかにレヴィナスによっても、〈生物一般を死なせてはならない〉という意味で解釈されたことは一度もない」。

「人間主義を超えて」存在の思考を推し進めたはずのハイデガーも、犠牲(サクリファイス)のエコノミーを問いなおすことはできなかった。

ハイデガーでもレヴィナスでも、「主体」とは、「犠牲が可能であり、生命一般の侵害が禁じられていない世界における、ただ人間の生命に対する、隣人である他者の、現存在としての他者の生命に対する侵害だけが禁じられている世界における人間なのだ」

(「〈正しく食べなくてはならない〉あるいは主体の計算――ジャン=リュック・ナンシーとの対話」)。

こうしてデリダが、ユダヤ=キリスト教も含めて、西洋形而上学の「肉食=男根ロゴス中心主義」を問題化する。

それは、現代の動物実験、生物学実験に至るまで、「肉食的犠牲が主体性の構造にとって本質的である」ような世界である。

いまからほど遠くない過去に、「われわれ人間」が「われわれ成人の、男性の、白人の、肉食の、供犠をなしうるヨーロッパ人」を意味した時代もあった(『法の力』)。

(高橋哲哉『デリダ――脱構築』(講談社)より引用)

・・・

「 問題は(略)動物が思考すること、推論すること、話すこと等々ができるかどうかではない。(略)先決的かつ決定的な問いは、動物が、苦しむことができるかどうかであるだろう。《Can they suffer?》

この問いは、ある種の受動性によっておのれを不安にする。それは証言する、それはすでに、顕わにしている、問いとして、ある受動可能性への、ある情念=受苦(passion)、ある非‐力能への証言的応答を。「できる」(can)という語は、ここで、《Can they suffer?》と言われるやいなや、たちまち意味および正負の符号を変えてしまう。

「それらは苦しむことができるか?」と問うことは、「それらはできないことができるか?」と問うことに帰着する。

(略)苦しむことができることはもはや力能ではない。それは力能なき可能性、不可能なものの可能性なのである。われわれが動物たちと分有している有限性を思考するもっとも根底的な仕方として、生の有限性そのものに、共苦(compassion)の経験に属する可死性は宿っているのである、この非‐力能の可能性を、この不可能性の可能性を、この可傷性の不安およびこの不安の可傷性を、分有する可能性に属する可死性は。」

(ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物)である』(鵜飼哲訳、筑摩書房)より引用)

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2015年11月18日 (水)

鵜飼哲さんとまた多摩川を歩く

11月14日

きょう、鵜飼哲さんとお会いする約束だったが、午前中に鵜飼さんから電話があった。「ニュース見ていませんか?」と言われ、「見てません。何かあったんですか?」と応える。

パリでテロがあって百数十人が亡くなったという。鵜飼さんは夕方のTBSの報道番組に出演を頼まれたので、きょうの約束は明日に順延することになった。

夕方、ニュース番組を見て、鬱々となった。国家全体を憎むテロなら、どんなにしても防ぐことはできない。「テロとの戦い」も、復讐の連鎖をエスカレートさせるだけだ。

空爆や殲滅に反対している人たちも無差別に被害に遭うことこになるだろう。これが戦争だ。東京もいつテロの被害に遭うかわからない。

11月15日

鵜飼哲さんと多摩川のほとりを歩いた。7月以来だ。

是政橋付近の風景。

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堰の上にはアオサギやカワウが数羽いた。
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雨上がりの素晴らしい雲が水面に反射していた。異国のように美しかった。
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鵜飼さんに、パリのテロについてのお話を聞いた。2か月前に鵜飼さんが行ったレストランが襲撃されたそうだ。

パリは、ざっくり言うと、西側に裕福な人達、東側に多くの移民、貧しい人達が住んでいるそうだ。貧しい地域には、犬を抱いて暮らしている路上生活者もたくさんいるという。

数年前に私が訪ねたベルリンにもトルコ街があったが、フランスのように他国を植民地化してきた国が移民を受け入れているのとは、事情がまた大きく違うということだ。

・・・

是政で鳥を見た後、車でさらに私の好きな秘密の場所に移動してもらった。

かつてドイツのゲッティンゲン大学から日本に来ていたStefanを撮影した場所。

「オフィーリアの沼」と呼んでいた沼の手前にアメリカセンダングサ(アメリカ栴檀草)がびっしり生えていて、種子がチクチク痛くて危険なので近寄れなかった。この沼にはカワセミやアオサギが来る。

以前、真冬にひとりでここに来たときは、人っ子一人いなくて、ちょっと怖かった。寒い曇りの日だった。その日、この沼で、間近に舞い降りたアオサギが魚を獲るのを息が止まりそうになりながら動けないで見つめていた。

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きょうは、ちょうどツルウメモドキの実が鮮やかだった。黄色の実が割れて朱色の種子があらわになっている。
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ジャングルのように蔓草が絡まる原生林。あまりにも好きな、思い入れのある場所なので、変わってしまっていたらどうしよう、と心配だったが愛しい植物群と鳥たちは健在だったので本当に嬉しかった。

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ヤマイモの葉は黄色くなっていた。
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鵜飼さんの後ろ姿。きょうは光が眩しい。
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数人の大人たちがラジコンを飛ばして騒音をたてていたのですごく腹が立った。ここはあくまで植物と小さな動物たちと鳥たちの場所だ。人間は、そおっと鳥を脅かさないようにしていなければならない。

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朽ちた倒木のところで。

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桃色の実がびっしり生った檀(マユミ)の樹。

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葛や藤が絡まる大木がなんの樹なのか、葉を見ると桑や槐(えんじゅ)のようだった。
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私は朽ちた木や蔓草にものすごく惹かれる。錆、剥落、苔、ねじり絡まって増殖し、ちぎれて枯れる蔓にばかり心が奪われる。

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大きな柳の根元に棕櫚(しゅろ)が生えている。ここら辺一帯は、礫の上に生えた珍しい植物群らしい。
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まだ若い小さな樹の紅葉。鳥が実を食べて種が運ばれたのだろうか。

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「この青い実はなんですか?」と言われて、小さな瑠璃色(またはターコイズブルー)の実に気づく。私の大好きなノブドウだった(普通はひとつの房に4,5個の実がつくのだが、ひとつしかついておらず、とてもさびしい感じだったので写真には撮らなかった)。

車に乗ろうとして気づいたのだが、注意したはずなのに、運動靴にびっしりアメリカセンダングサの種子が刺さって靴がハリネズミのようになっていた。

扁平な種子の先端に二本の棘があり、棘には細かい逆歯がついているので、叩いてもとれない。ひとつずつ指で摘まんでとったが、数百も刺さっていて、いたるところがチクチクした。

ぎらぎらした陽が落ちる一瞬前に、橋の上から輝く雲と富士山が見えた。その後、5時半には真っ暗になった。

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鵜飼さんは昔、武蔵小金井に住んだことがあるそうで、貫井のリストランテ大沢という、旧家を改造したレストランに連れて行ってくださった。この家は平安時代からあったそうだ。お金持ちのすごい御屋敷に腰が引けた。

ここで、自分が今すすめている仕事についての助言をいただいた。

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庭には黄色い小菊が満開だった。

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2015年7月16日 (木)

鵜飼哲さんと多摩川を歩く  表現について

7月5日

小雨が上がって曇り。最近、陽に当たると湿疹が出てしまうので、私にとっては絶好の散歩日和だった。

鵜飼哲さんと多摩川を歩く。

中央線から西武多磨川線に乗り換えたとたん、線路沿いの夏草はぼうぼうに茂り、景色は急に昔の片田舎のように懐かしい感じになる。

3時に終点で電車を降りると、すぐに広い川べりに出る。是政橋の上から、向こうに見えるのは南武線の鉄橋。沢胡桃の樹には青い実がびっしり生っていた。

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日の当たる土手にはアカツメクサとヒメジョオンが多く咲いていた。

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下はアカツメクサの変わり咲き。とても淡い赤紫色の花。

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下は、めずらしい(たぶん)ヒメジョオンの変わり咲き。花弁(舌状花)の部分が大きく、紫色でとてもきれいだった。画像の真ん中の小さな白い花が本来のヒメジョオン。
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この先が行き止まりの突端まで歩いた。

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大丸(おおまる)用水堰。水の浅い場所にたくさんの水鳥がいた。望遠レンズを持っていないので写真にはうまく撮れなかったが、白鷺(ダイサギ)は多数、大きな青鷺が写真に写っているだけでも6羽。この辺りには鳶もいるらしい。

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これがアオサギ。

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道が行き止まりになる突端で野鳥を見てから、道を引き返す。


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ハルシャギク(波斯菊)と姫女苑。
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是政橋を戻り、駅側の岸へ。

青々と茂った草叢にヤブカンゾウ(籔萱草)の花が咲いていた。Sdsc06322

ヤブカンゾウには、同じ季節に咲くキスゲやユウスゲのようなすっきりした涼やかさや端正な美しさはないが、花弁の質感がしっとりと柔らかく厚みを持ち、少しいびつに乱れた様子が野性的で絵になる花だと思う。

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土手を下り、先ほど水鳥がいたところへと反対の岸を歩く。
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一面、なんとも可憐なハルシャギク(波斯菊)の野原が続く。ハルシャという発音がなんとも柔らかくフラジルな感覚を誘うが、波斯とはペルシャのこと。蛇の目傘にそっくりなのでジャノメキクともいうらしい。

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ここらへんは、川岸に降りてしまうとあまり周辺の建物も見えず、果てない草原にいるような、うんと遠くに来たような気持ちになる。

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草原を奥へと進むと、薄紫のスターチスに似た小さな花をつけた背の高い野草が多くなる。

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イネ科の薄茶色の細い線とハルシャギクの黄色い点とが震えて戯れている空間に、ギシギシの焦げ茶色の種子が縦にアクセントをつけている絵。

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多摩川が支流に分かれている場所。多摩川の本流は、きょうは水かさが増して烈しく流れていたが、この場所は水流が静かだった。鯉だろうか、大きな黒っぽい魚がゆったり泳いでいた。

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堰のところまで行って水鳥を見た。しばらくセメントで固めた斜めの土手に座っていたが、河が増水して速くなっているのが怖かった。

そのあと2m以上もあるススキの中を分けて道路まで戻った。ススキの青い刃が鋭くて手や顔が切れそうで怖かった。道なきススキの中を行く途中、幾度かキジくらいの大きさの茶色っぽい鳥が慌てて飛び立った。

車道に出ると美しく剥落した壁を発見。古い建材倉庫だった。

私は人の手によって描かれた絵よりも、自然の中のマチエールに惹かれる。

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これも私の眼には美術作品と見える水色のペンキと赤茶の錆の対比が鮮やかな柵。
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この日、3時に鵜飼さんに会ってから、ずっと話しながら歩いた。時には小さく、時には弾丸のように私は話していたと思う。

まずデリダも書いている動物についてのこと、非肉食についてのこと。

鵜飼さんは昨年から一年間パリに行っておられたが、フランスでは、最近、動物に関する議論は盛んにおこなわれているという。

今まで人間が殺して食べて当然、人間が搾取して当然だった動物の生に対して疑問を呈する意見が多数あがってきているということだ。

しかし一方で、今まではお洒落できれいな客間の裏側に隠されていた動物の(頭の)解体方法などを、わざわざポスターを貼って、食事をする客に得意気に図解して見せる日本のフランス料理店の話もした。すべてをあからさまにして、それが当たり前のこととするのが今時のトレンドなのかもしれない。

話題にのぼったそのレストランでは、そうしたポスターを見て、猛烈な吐き気を催す私のような人間もいることをまったく考慮していない。店のオーナーは、感覚的に動物を殺して食べることに拒絶反応を示す人間がいることを認めていない。

肉食をする人も、自分で屠殺しなければならないことになれば、もう食べなくなるだろう・・・というのは、もはや幻想に過ぎない。犬や猫を目に入れても痛くないほど可愛がっている人が、豚や牛に関しては、自分で殺してでも食べるのだろう。

「食べなくては生きてはいけない、動物だって他の動物を殺して食べているんだ・・・」そのくらい人間の語る言語は無意味なおしゃべりと化し、疑問を挟むものを生かす余地がない。

根こそぎの欲望がそれと結びついた経済のうちで肯定される。

そのことと無関係であるはずはないが、現在、日本の一億人の誰もがアーティストであり、誰もが表現者である。その中で商業主義の波にのるものと、そこからこぼれたものがいるだけだ。いずれにしろ美術批評も無駄なおしゃべりに堕してしまっているように見える。

ナルシシズムの増殖が安易で、そのスピードが極めて速い時代であり、誰も実作の「質(作者と呼ばれるものの身振り、その無言が指し示すなにか)」について問おうとしていない。

大学から人文系の学部をなくそうという動きまであるということだ。あまりに酷い世の中だ。

もし今、ランボーが詩人として登場しても、時代はランボーと彼の才能を埋もれさせてしまうだろう。ランボーの詩が残ることはないだろう・・・、と鵜飼さんは言った。

6時過ぎに鵜飼さんの車にのせてもらい、大沢のレストランに移動した。

レストランではパエリヤを注文した(一切の肉や肉の出汁を入れないように頼んで)。

鵜飼さんが私の本『反絵、触れる、けだもののフラボン』と、できたばかりの『あんちりおん3』を持ってきてくださっていたのに感激したが、私の性分として悲観的なため、すごく申しわけないような恥ずかしいような気持ちになった。

レストランのラストオーダーをとりに店員さんがまわって来たのが10時半、それからもまだ話していた。(当たり前だが、鵜飼さんが車なので、私も一滴もお酒を飲んでいない。喉が渇いて、氷のはいった水を何倍も飲んでいた。)鵜飼さんが家まで車で送ってくださった。家に着いたのは12時近かっただろうか。

3時から8時間以上話していたようだ。すべてが私にとって重要な話であり、記憶に強く残るが、そのほとんどの内容が非常に書くことが難しくて、このブログには書くことができない。

7月4日

きょうも高校時代からの友人みゆちゃんと会う。

まず(初めての)「カラオケの鉄人」に午前中11時から行ってみたが、ここはすこぶる安くて良かった。

ポップコーンなどの二人分のおつまみを無料でつけてくれて会員登録代は330円、それで30分90円。一見ホスト風の派手なお兄さん二人は、話し方はとても丁寧で親切。

みゆちゃんが私のリクエスト、フランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy)をしっかり練習してきて歌ってくれた。

私の大好きな「もう森になんか行かない」(Ma Jeunesse Fout Le Camp )は難しくて無理、ということで「さよならを教えて」(Comment Te Dire Adieu?)をフランス語で歌ってくれた。科白の部分が、すごくかっこよくて感激。

「私って一度始めたことはずっと続くみたいなの。だから大学は大したことなかったけど、その頃から習ってるフランス語は今も習ってる。この歌、フランス語の先生とカラオケ行って発音直してもらったの。」とさらっと言うみゆちゃんは、やっぱりすごくかっこいい。

その夜、youtubeでフランソワーズ・アルディの曲をたくさん聞いて、画像を見ていた。つくりすぎない、甘すぎない、媚びない、さりげないスタイルはやはりかっこよかった。

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2014年11月17日 (月)

『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』ジャック・デリダ 鵜飼哲訳 / ちゃび、兎のひろこ

11月17日

おととい、鵜飼哲さんより、ジャック・デリダ 『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(マリ=ルイーズ・マレ編、鵜飼哲訳、筑摩書房)を拝受。

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最近、歳を重ねるとともに、今までにも増して動物のことばかり考えているので、この、デリダの動物についての講演をまとめた本を送っていただいて本当に嬉しかった。

鵜飼さんに御礼のメールを送ると「もっともお届けしたい方に本が渡り、安心しました。」と、これまた恐縮なお返事をいただいた。今、ベルリンにいるという。ベルリンは、今はとても寒いだろう。

生まれて少し経ってから、、私は肉を食べることができなくなった。私は動物を食べることに異常に恐怖を覚えるのだ。その恐怖が何十年にもわたり、私の身体反応をつくりあげてしまっているので、私は街を歩いていて肉を焼く匂いにも吐きそうになってしまう。

私は生まれてから一度も肉の料理を「おいしそう」と感じた経験がない。それどころかその肉と、自分の愛した犬や猫や鳥や、街でも田舎でも出会う生き生きした動物たちとの違い、区別がよくわからないのだ。だから肉料理を前にしただけで、すごく苦しむのだ。

もちろん自分の身体感覚は、一般的にはなかなか理解されるものではない。一般の人は、肉について、それを殺された動物だとは思わない、食べ物だと思う。そのような文化(社会的な制度化された言語)の中で教育されてきて、それが当たり前になっているのだから。

動物虐待に反対する人でも、肉食に関してまでは感覚が呼び覚まされない場合が多い。そのことに対して、私は過激に対立したりしようとは思わない。ただ、そういう(肉食の)場から逃げたい、その場を避けたいとは思う。

私にとって不思議だったのは、デリダなどの哲学をよく読んでいて、「動物」をめぐる問題についても卓越した文章を書ける人が、実際の生活ではまったく肉好きのグルメだったりすることだ。

文章の中で問いを立てられたとしても、自分が食べている現実の行動の中では何も問うことができない。まして感覚、感情が伴うかは関係がない。最初から身体感覚を持つか、持たないかということとは隔絶されているのだ。人間的な文化の中で生きることと、身体感覚を持たないこととは、本人にとって何の齟齬もなく同時に成立する。こういう人たちに会うたびに、私は今まで非常に違和感をおぼえてきた。

この本の編者マリ=ルイーズ・マレのまえがきから引用する。

「「動物」の問いは彼の多くのテクストに顕著に現れている。彼の全作品を通じてのこの執拗な現れは、少なくともふたつの源泉に由来する。その第一はたぶん、特異で激烈なある感受性、哲学がもっとも蔑視あるいは失念してきた動物的な生の諸側面と、おのれが「共感している」と感じるある種の適性であろう。

ジェレミー・ベンサムが動物について、「それは苦しむのか〔Can they suffer〕?」と問うたことに、彼が非常に大きな重要性をみとめるのもそれゆえである。「問題は動物たちが推論することができるかどうか、話すことができるかどうかではない」とベンサムは言う、「そうではなく、動物たちが苦しむことができるかどうかなのだ」と。一見単純なこの問いはしかし、ジャック・デリダにとっては非常に深遠なものである。」

「これが第二の源泉であるが、彼にはベンサムが提起した問いが、非常におおきな哲学的妥当性をそなえており、哲学の歴史においてもっとも恒常的かつ執拗な伝統に、ある迂回路によって、真っ向から対立することなく反対し、それを側面から叩くのに好適なものと考えられたのである。

それが人間を〈ロゴスを具えた動物 zoon logon ekhon〉と、あるいは〈理性的動物 animal rationale〉と、すなわち「動物」として、ただし理性を付与された動物として定義するときでさえ、この伝統はつねに、実際には人間を、動物という類の残りの全体に、人間のうちのいっさいの動物性を拭い去るまでに対立させ、相反的に動物のほうは、本質的に否定的な仕方で、人間に〈固有のもの〉とみなされる以下のような事柄のすべてを欠いたものと定義してきたのである。

「・・・・・・言葉、理性、死の経験、喪、文化、制度、技術、衣服、嘘、偽装の偽装、痕跡の抹消、贈与、笑うこと、泣くこと、尊敬等々」。

そして、「われわれがそのなかで生きているもっとも強力な哲学的伝統は、これらすべてを「動物」に拒絶してきたのである」とジャック・デリダは強調する。

さらに彼は書く、哲学的「ロゴス中心主義」は支配の立ち位置から切り離しえないものであって、まずもって「動物についての、ロゴスが欠落した動物、ロゴスを〈持つこと-が-できること〉が欠落した動物についての命題なのである。アリストテレスからハイデッガーまで、デカルトからカント、レヴィナスおよびラカンまで維持されてきたテーゼ、定立、あるいは前提なのである」と。

「そもそも動物に加えられる暴力は「動物」animalというあの偽-概念、単数形で用いられたあの語からはじまると彼は言う。あたかもすべての動物たちが、ミミズからチンパンジーまで均質な全体をなしていて、それに「人間」が根底的に対立しているかのように。」

(行分け-引用者)

人間は動物を殺してもよい、支配してもよいとされてきた根拠がどこからきているのかを問い直すと、人間の「言葉」による定義が問題になる。

その考察よりも前に、直観的に動物の肉を食べることに恐怖と拒絶を感じる人間がいてもまったく不思議ではないはずだ。

私が肉を食べないと言うと、「じゃあ、魚介類はいいの?」とか「野菜だって生き物でしょ。」と言う人がいるが、そういう人が一番無神経でナンセンスだと思う。生き物すべてを食べるか、食べないかではない。その理由を口外するのがためらわれるほど、それは親密で、秘密の経験だが、体温が高くて鳴いたり甘えたりする動物は、あまりにも自分に近いと感じるので、私は殺すことが嫌だし、殺されたものを食べるのも嫌なのだ。

また、私が(肉食の習慣に対する比ではないほどに)最も嫌悪感を抱くのは、動物を殺して、その死体を利用したアートだ。社会的な表現課題が口実にされることも多いが、欺瞞のなかの欺瞞そのものだと思う。身体感覚が死んだ人間にとっては欺瞞という感覚もなく、それを意識するのは不可能なのだろうが。

「脱構築は忍耐強く差異を多数化して、「人間」と「動物」の伝統的対立を基礎づけうるものとあまりに長く信じられてきた、この「固有のもの」の前提的な境界の数々の脆弱性、多孔性を現しめるのである。そうすることで脱構築は、動物「一般」の「動物性」に関するいっさいの保証を揺るがすのだが、人間の「人間性」に関する保証もまた、それに劣らず揺るがすのである。」

11月16日

高円寺でやっている福島その他の地域で保護された猫たちの里親募集の会に行ってみた。遺棄された猫を保護する具体的な方法について、食べ物のやりかた、寒さ対策など、いろいろ少しずつでも勉強したかったからだ。

「動物相談員」という名札をつけている人から、少しお話を聞くことができた。

ケージの中にいる猫たちは、皆、きれいでかわいかった。だから私が予想したよりも多くに貰い手がついていてよかった。

建物の外の通りに保護猫募金のための猫の小物の出店があった。革の小物があったので「あ、皮だ~」と友人が言った。「え、何?」と売っていた男性が聞いてきた。やはり猫の命を救うことから、革製品も動物を殺して剥いだものだという発想にはつながらないようだ。

それにしても猫の保護と里親探しの活動をしているボランティアの人たちは尊敬に値する。本当に大変なご苦労があることだろう。ずっと続いていることがすばらしい。

私は今、カンパというかたちでしか協力できないのだけれど・・・。

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最近のちゃびは、夜7時~8時くらいにぺリアクチンを1/8錠くらい飲ませると1時間後くらいから食べ始め、断続的に朝まで食べている。昼間はひなたぼっこしてゴロゴロ言っている。

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体重は、ちゃび3.2~3.3kg。私は44kg。低めでまあまあ安定。

11月15日

昔、西新宿に住んでいたEさんからのおさそいで、新宿西口の中央公園の中にあるエコギャラリーでやっている「新宿絵手紙花の会展」を見に行く。

とてもよかったです!

Eさんは、80代後半のかたなのだが、ものすごく若いのだ。背筋はまっすぐ、歯は全部自分の歯で、きれいにそろってピカピカ、頭の回転も速くて、とても元気。Eさんに会うと、こちらが元気をもらえる。なんだかありがたい気持ちになる。

20名くらいの皆さんの作品を見て、「絵手紙」という型にはまりすぎないで、細かく描きこんでいる人もいたし、自由な幅を持ってやっているのが良かった。先生の作品は輪郭をサインペンではなく鉛筆で描いているものもあり、旅先での「素描(スケッチ)」はとても臨場感あるものだった。

見て描くことによって「もの」と触れ合ったり、注意してよく見る習慣がつくことは頭にもよいことだと思う。

皆、楽しそうだった。

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この中央公園の管理事務所の前に、なぜか最近ケージができ、兎の「ひろこ」ちゃんがいる。「ひろこ」ちゃんはたった一匹で、仲間がいないのが、見ていてかわいそう。誰かが公園に捨てたのが保護されたのだろうか?

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それにしても、ひとりぽっちじゃかわいそう。
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兎は飼ったことがないが、イギリスの田舎に行った時、野原の中をわさわさと大勢の兎が駆けているのを見た。その時、自然の中の兎は、こんなに元気なのかと思った。

その旅では、ベアトリクス・ポターの住んでいた湖水地方まで旅した。愛玩用として買ってきた一匹の兎を愛し、繰り返し描くことで、ついには湖水地方の広い範囲の自然を守り抜くまでになったポターの、最初の、若かった頃の素描が見たかったのだ。ポターの描いたキノコや苔や毛虫の素描は、生き物の真髄をつかんでいて本当に魅力的だ。

頃は4月だった。ポターの住んでいた家の庭に咲いていたキツネノテブクロは、絵本の中にあったのと同じ薄紅色で黒い点々があった。その花の記憶が強烈に残っている。雨の中、歩き廻った湖水地方はとても美しかった。

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2008年6月25日 (水)

デリダ 言葉を撮る

6月24日

並木の銀杏の青い実が落ちていた。

見上げると、小梅ほどの実がもうぎっしりと生っている。6月には実って、半年ほどもかけてじっくりと熟れていく。銀杏の実は茱や桜桃や桑の実よりずっと粘り強い。幹の根元からは、まだ新芽がうねりながらどんどん伸びている。

鵜飼哲さんにいただいた「言葉を撮る」を読んでいる。デリダが出演した映画をめぐって、「そのエジプト人女性監督と共に著した唯一の映画論にして哲学への招待状。」とあるこの本は、自分が映画に撮られた時の葛藤とトラウマを烈しく想起させる、まさにその内容である。

「つねに、私、(役者)は、映画の外にいると感じていた、「私」について映画が見せるあらゆるもの、「私」から構成されるあらゆる者に、疎遠であると感じいていたということも理解させるべきであるだろう。」「それも、この巧みな構成(映画のエクリチュールの構成のことだが、私はそのどんな部分にも、どんなときにも関与していない。このことをけっしてわすれないでいただきたい)が、衝撃的な、あるいは疑問の余地なき真理の印象を生むかもしれない場合でさえ、おそらくはそのような場合にこそ、そうあるべきであるだろう。」                                        一人の盲者に関する複数の手紙=文字 デリダ

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