花輪和一

2016年8月24日 (水)

花輪和一 子どもの頃に親から受けたストレスと表現

8月22日 台風上陸

台風の激しい嵐が来た。朝、8時に電話のベルがなった。いったい誰だろう?と寝ぼけている私に、書道の先生から「台風が上陸するようなので本日の書道は中止」との連絡だった。

そのあとちゃびを抱いてふとんにくるまって寝た。ごおおお、ざあああという凄く強い雨の音。そのほかの世界の音が静まりきっていた。

雨の冷たさを生々しく感じながらちゃびといた。こんなに激しい雨の音を聞きながら、私はこの世界にちゃびと二匹(ふたり)きりのようだった。

あたたかいちゃびと抱きあって寝ていることをすごく幸せに感じた。激しい嵐の日に、私が必死で守るべきものが生きていること。ちゃびの命の息吹を強く感じながら寝ていた。

・・・

リオオリンピックが終わった。

私が興味があったのは、一番は体操。

私が昔からずっと一貫して興味があるのは、不安と緊張に打ち克つこと、追いつめられたところでの「集中」というもののありかた。

レミオロメンの歌にもあったけれど「目の前の一瞬にすべてを捧げて」ということ、それが実際にはどういうことなのか、いったいどういう境地なのか、どうしたらそうなれるのか(想像することは困難だけれど)、に興味がある。

私が不安と緊張がとても強いほうだからだ。予測する時間を極端に短くして、一瞬ごとに集中することができるのか、どうやればいいのか。

私の一生の大きなテーマのひとつは、不安と緊張と表現、ということなのだな・・・。

世間の評価も、追いつめられた状況も、直前の失敗も、すべて頭から追い出してしまえるほどに、瞬間の、自分のやるべきことに集中する境地。

それと演技のインターバルの、移動などのほんの数分には存分にリラックスする(そうしなければ持たない)。そういう私にはできないことにすごく興味がある。

祝!体操、悲願の団体金メダル。私はナショナリストではない。純粋にすごいもの、一瞬で終わってしまう美しいものへの想像を絶する努力、それと仲間の失敗から負わされる緊張に打ち克つことに魅了されて。

内村航平選手の個人総合金メダル。最終局面までライバルに追いつめられていることがわかっていても、自分の練習どおりの演技に集中できたことの凄みに魅せられた。

ほかにも水泳、卓球、バレーボール、陸上リレーと、非常に見どころが多く、夢中になれたオリンピックだった。

・・・・・

7月26日から5回ほど、断続的に花輪和一と電話で話していた。以下はその5回ほどの会話のほんの一部をかいつまんでまとめた記録。

「夜久弘さんが去年の1月に亡くなっていたこと、知ってた?」と尋ねる。花輪さんは亡くなってだいぶ経ってから聞いた、と言っていた。

私は、つい先日、たまたま、すごく遅ればせながら知って驚いた。マラソンをずっとやってらして、お元気だと思っていたからだ。

夜久さんは物静かで穏やかななかに情熱を秘めたかただった。お会いしたのは、すでに『COMICばく』が休刊していた頃で、夜久さんは、なんの利益もない相手である私にも丁寧に接してくださった。

(その直前に私は、わけ(自分の原稿を見てもらったのではない)あって、何人かのまんがの編集の人に会っていた。当時の有名どころの出版社の年若い編集の態度は、驚くほどに無知で傲慢で、まったく会話が成立しなかった。

夜久さんもそうだが、小学館の山本順也さんのように、すごい人ほど、こちらの気持ちを理解してくださって、それからずっと、信じられないほどよくしてくださった。すごい人ほど私をたすけてくれる、私から見て直観的に無知だと感じる人ほど私をばかにしてかかるという事実は、最初は衝撃だったけれど、そういうものなのだろう。

個人的にたいへんお世話になった、山本順也さんに関しては、あらためて書きたいと思う。)

私を花輪さんに会わせてくださったのは夜久さんだ。夜久さんのおかげがなければ、一生花輪さんと会うことはなかった。

(花輪さんと最初に会った時のことも、いつかちゃんと書こうと思っている。)

花輪さんは、その頃、夜久さんのことを「王貞治に似てるでしょ。」と言っていたのを覚えている。

最初に会った時に、花輪さんは25歳の頃のモノクロ写真を私にくれて、後日、その写真をを夜久さんに見せたら「すごい美男子ですね。」と感心していたことが印象に残っている。

25歳の頃の花輪さんは、長髪で役者のようにはっきりとした甘い顔立ちの美青年だった。誰に似ていたかというと、金城武のような感じだ。

夜久さんの事務所に伺った時、夜久さんの著書の『COMICばくとつげ義春』をくださった。つげ義春さんの奥様、藤原マキさんの本を見せてくださって、マキさんの絵がとても好きだと言ってらした。(私は面識はないが、藤原マキさんも亡くなっていることを最近になって知った。)

一度、夜久さんと花輪さんと3人で会ったことがある。そのあと、電車の中で花輪さんが私に「夜久さんの前で、あんまり、花輪さん、花輪さんって言わないほうがいいよ。夜久さん、さびしそうな顔してたから。」と言ったのを覚えている。

そのことを電話で言うと、「俺、人の気持ちわかるもん。」と花輪さん。「そうかな。でも女性の気持ちはわかんないよね。」と言うと、「まっっった~くわかんない!」と。

「勤めてた時、好きだった同僚の女性たち(姉妹)に雪玉を投げつけてたんだもんね。」と言うと、「あははは・・・そう。」

またその姉妹がいた会社のあと、25歳の頃に働いていた池袋の会社の社長の奥様が、『刑務所の中』の本が話題になり、TVでとりあげられていたのを見て、数十年ぶりに手紙をくれたことなどの話を聞いた。

「手紙になんて書いてあったの?」と聞くと、「あの頃は変な子だったよねって。」と。

それから、「最近はどう?お母さんに対する恨みは薄れてきた?」と聞くと、「ぜんっぜん、かわらず。」ということだ。

花輪さんに、私がこのような内面の苦しみの話を聞くのは興味本位からではない。私自身も父親に虐待されて育ったため、親から受けたストレスで萎縮してしまった心からどう立ち直るか、そこと、なにかを表現しようとすることや表現されたもの(また、表現されなかったもの)との関連に、常に関心があるからだ。

「ウィキペディアに両親に床下で育てられたとか書いてあったけど、そんなこと、どこかに書いてたっけ?」と言うと、「あはははは、まんがに描いたのかもね~、まあどうでもいいけど。」と笑っていた。

花輪さんから「サイコパスってどういうのを言うの?」と聞かれた。少し言葉に迷ったが「他者の痛みに対する同情心や共感能力がない人。他人や動物の心配とかまったくしなくて、逆に平気で残酷なことをするような無慈悲で冷たい人、かな。」と答えると、「うちの母親、サイコパスかもね。」と言う。

私が「なぐられたりはしてないんでしょ。」と聞くと、「なぐられはしないんだけど、神経が鈍いんだよね~。」と。

花輪さんは、かわいそうなことを見てもなんにも感じないような人、鈍感で濃やかさがない人が嫌いだ。悪気はなくても気持ちが回らない人、情の薄い人が嫌いだ。

田舎に帰った時、飼っていた犬の顔に、血を吸って大豆ほどの大きさになったダニがぼこぼこたかっているのを見て、どうしてこんなにかわいそうなことをして放っておくのか、と呆れたという。そういうところが母親は「粗くて鈍いんだよね~。なんでかわいそうってわかんないのかな~。」と言う。

「実のお母さんも義父も鈍くて、どうして花輪さんは動物に対する愛情が持てるようになったの?鈍い親に育てられた子供は感受性が影響されて、同じように鈍くなることもあるのじゃないの?」と聞くと、「そういうのはあると思うけど、なんでかそうはなんなかった。」と言う。

花輪さんが36歳の時にお母さんは亡くなった。

「15歳で家を出てから、ずっとお母さんを恨んでいた?」と聞くと、「恨むとか、わからなかった。自分がなんか苦しくても、なんで苦しいのかわからなかったから。」と言う。

「なんか、田舎は嫌~な感じなんだけどね。なんだかわかんないんだよね。それが普通だって思ってたから。」

花輪さんは自分がさびしいとか、愛情不足で充たされていないとか全然意識できず、「誰でもみんなこんなもんだろうと思っていた。ほかの人たちの家を知らないから。これが普通って思ってた。」と言う。

花輪さんの母親は花輪さんを抱き締めたり、撫でたりすることはなく「スキンシップはゼロ!」。心配したり、優しい言葉をかけたりすることもなかった。そして花輪さんのほうも、常に母親や義父に対する怯えと遠慮があって、なにひとつ甘えることができなかったそうだ。

「川で泳いで、耳に水がはいって、耳から膿が出るようになって、痛くても、医者に連れて行ってなんて言えなかったもん。」と言う。

「自分の苦しさを友だちには話せなかったの?」と聞くと、「話すような友達もいなかったし、話すという発想がなかった。」と。

「好きな絵を描くのも、義父が親戚の家に泊まりに行ってる日だけ。いたら怖くて描けないからさ~。チラシの裏に描いてた。」と言う。

「学校の先生に見せたらよかったんじゃない?」と言うと、「学校の先生に見せるなんて発想がないから。たいしてうまい絵でもないしさ。」

母親が死んで10年経ってから、やっと少しずつ自分自身の感情がわかってきたのだそうだ。

「すごいストレスを受け続けて、それが当たり前になっていると、自分の感情や状況判断が混乱するって言うよね。」

私がそう言うと、「そう、混乱してて、なにがなんだかわかんなかった。ばかだよね~。」と花輪さん。

また、私が「お母さんが生きているうちに、すごくさびしかった、傷つけられたって本人に言えてたらよかったんだよね。」と言うと、

「そうなんだよね。生きてるうちに恨みをはらしておけばよかったんだけどさ~。」と。

東京に出てきて、池袋からお茶の水のレモン画翠まで歩いて、聖橋の隣の橋(昌平橋?)の上から景色を眺めながら、「こんなに苦しくてさびしいのに、どうしてみんな生きてるんだろう、と思った。」と言う。

花輪さんは東京に出てきてから、自分の家とはまったく違ういろんな育ち方をした人がいることを初めて知ったそうだ。「親に仕送りしてもらって大学に行ってるなんて人がいてさ~、本当にびっくりした!世の中にはそんな人がいるのかっ!?て。」と言う。

「今、思えばね、母親は自分がいることが嫌だった、不安だったと思うんだよね。再婚したのに死んだ前夫の亡霊が近くにいるんだからさ。俺は母親に捨てられてたんだよね。」

「世の中には、何度も再婚して父親が違う兄弟どうしでも、仲良くてうまくいってる家族もあるんだけどね。」と私が言うと、

「それは親が成熟してたんだろうね。親がおかしいと子供は一生引きずるよね。」と花輪さん。

確かに親が歪んでいると子供は犠牲になり、どんなに歳をとっても子供の頃にすりこまれたこと、それでできた性格はなかなか変われないかもしれない。変わるためには意識的な努力がいる。

親からちやほやされていた子供は他人を怖がることなく、自分はほめられて当然と思っている。恥ずかしいという意識が低い。親から否定されて育った子供は自己評価が低くなる。私は父親からなぐる蹴るされていたので、どうしても対人緊張が強い。

「そういうのは歳とっても一生変われないよね。」と花輪さん。「でも福山さんは対人緊張があるように見えないけど。」と花輪さんは言う。

私は他人が怖いから無理する時がある。私とは逆に、まったく対人緊張がなくえんえん自分のことばかり話してくる人、そうした自分の態度についてわずかにも躊躇がない人がものすごく辛い、ストレスで倒れそうになる、と言ったら、

花輪さんが「そういう長くしゃべる人も異常なんだよねえ。聞くのは30分が限度、いや30分も絶対無理だよね。」と言った。

それから花輪さんの知人のことを聞かせてくれた。その知人は、自分のことばかり長く話す人に対して「お前、自分のことばかり、さっきからいったい何分しゃべってんのかわかってんのか?聞いてるほうはものすごく嫌で苦痛だってわかってんのか?いい加減にしろ!」と激怒して言い放ち、言われた人はその場を去って行ったという。その様子を花輪さんは目の前で見たそうだ。

「そう言えるのはすごいね。だけど私にはそういうのは怖くてできない。」と言ったら、「福山さんは人を見る目はあるのに、はっきり言えないよね。」と言われた。

(そう、私はものすごく嫌なことも、その瞬間には言えない傾向がある。たぶん私がACでHSPだから。そのせいでルサンチマンがたまる。その対応を考えなくては、と思っている。)

花輪さんがいつも言うのは、「鈍い人にはきつく言っても相手は感じない。だから思いっきりはっきり言っていい」ということだ。本当にそうだろうか。自分のふるまいが称賛されて、または許されて当然と思い込んでいる人は、否定されたら怒るのではないか。

「金持ち自慢、グルメ自慢とかする人ね、そういう人は家がよっぽどひどい問題抱えてるとかね、すごい劣等感とかあるんだろうね~、そういうのがないと自慢しないでしょう。そういう人たちもいつかひどい目にあいますよ。」と花輪さんは言う。

「そうかな~、鈍い人は気に病まないから楽しく長生きするんじゃない?他人や動物のこと心配しすぎたり、傷ついたり、優しすぎたりする人は疲れ果てて病気になるんじゃないの?そういうのが世の中の常でしょ。」と言うと、

「それでも、絶対、神経が鈍い人はひどい死に方しますよ!」と言う。花輪さんは因果応報を信じているそうだ。

私は業や輪廻というものをそこまで信じられないのだけど。ただの言葉ではなく、花輪さんの声で、花輪さんに言われると、なぐさめられる感じがする。

昔、私が「がんで死ぬかもしれない。怖い。」と言った時、花輪さんは「でも福山さんてすごく強運でしょう。だからだいじょうぶですよ。」と言ってくれた。花輪さんに「強運」と言われた時、悲観的で気に病みやすい私はその言葉を信じることができた。

「昔、サイン会でファンの人が来ると、怖くて嫌で、「も~お、なんでくるの?!」って思ってたと言ってたのは、最近はなおってきた?」と聞くと「やっぱり嫌だけどね。なんでだかはわからない。」と言う。「なんかお返ししなきゃならないみたいな気がして。」つまり気疲れがひどいということなのだろう。

「花輪大明神とか、あがめられる感じは?」と聞くと、「すごく嫌。だってありえないでしょ~。普通に花輪さんて言えばいいのにさ、そういうふうに言うのは、ばかにしてるんだよね。まあ、相手にしないけどね。そういうこと言う人とは関わりになりたくないっていうか。」という答えだ。

花輪さんに対して距離感がなく、失礼な態度をとるファンが多いということなのかもしれない。ファンなら作家本人の気持ちを尊重してほしいということだ。

花輪さんは最近は外で声をかけられたりすることもない、「隠れているのでいい」と言っていた。

ちなみに、昔、薄野の銀行に行った直後、「花輪さん!久しぶり!」と声をかけられたという。知らない人だったのに「ラーメン屋で会った」と言われ、ポケットからクリップでとめた札束(100万円くらい)を見せられた。競馬だか競輪だかでアタッチャッタ~!と上機嫌で、情報を教えると言われたので、興味がないから、と断ったそうだ。

「なんでおれの名前知ってたのかな~と思って。銀行で伝票を書いてるところをのぞき見されたんじゃないかな。それ、昔のことね。それから何年も経って、新宿でさ、まったく同じ手口でまた声かけられたんだよね~。」と言っていた。

食べ物の話になって、果物では、冬は林檎、「夏は深紅に熟れたソルダムが最高でしょ!」と言っていた。だいたい毎日タマネギや長ネギは食べているそうだ。「タマネギを薄く切ってさ、サバの缶詰と合わせるとうまいよ。」

そういえば昔、うちに来た時に、花輪さんが駅前の果物屋さんでドリアンを見つけ、好奇心から買って来て、私はその特徴的な香りにまったく食べられなくて、全部花輪さんに食べてもらったことがあったことをふと思い出した。その時も花輪さんは「うまいよ~」と食べていたな。

私の部屋で一緒に絵を描いた時の花輪和一さん。この時、銀箔の貼り方を教えた。2002年1月4日の写真があったので貼ってみました。

Sphoto2

一緒に野川にスケッチに行って、たまたま出会った猫たちをかわいがる花輪和一さん。

Sphoto1

私が「肉を食べないって書くだけで絡んでくる人もいるから怖い。」と言うと、「肉ばかり食うとがんになるよって言ってやれば。」と言われた。

「私が肉食をしないのは動物を殺すのが嫌だからで、健康のためではない、だから病気にならないために、ということは言いたくない。」と言うと「そう思えることがすごいよねえ。」と言われた。

山のほうはなんの花が咲いているの?という質問には「最近、山のほうに行ってないんだよね。ダニがいるから。前に首の後ろが痒いな、と思ったら大きいのがくっついてて腫れてたから。」と。

花輪さんが自分の庭で育てたトマトがもうそろそろ赤く熟れて収穫時だそうだ。

・・・・

花輪さんもそうだが、私が惹かれるのはいつも高い集中力と独自の表現力がありつつ、人間関係において政治的なところがない人だ。

花輪さんは自分の固有の苦しみの体験を生々しく描きこそすれ、他人の苦しみの体験を収奪して自分のお手柄にしようとは決してしない。つまり欺瞞的なところや卑劣さがない。

365日、私の頭を一瞬も離れないことは、ものを見ること、表現されたものの価値、同時にまた表現することの価値についてだ。「自信がない」と言いながら、すごいものをつくる人に興味がある。

私自身、どんなに集中してなにかをつくっても、こんなものではまだ全然足りない、自信がないと思ってしまう。

私がすごく惹かれる人はいつも、みずみずしい感受性、すごい才能を持っていて、それでかつ生き難さに苦しんでいる人、世間一般がお仕着せてくる価値観の暴力に苦しむ人だ。

その逆の、私から見てたいした才能がないのに自己肥大していて鈍い人、自信満々で自分の言動に不安を抱かない人には強い嫌悪感を抱いてしまう。

私が今まで知っている限り、才能を持っているのに自己評価が低く、生き難さに苦しんでいる人は、幼少期に親の愛情が少なかったり、虐待されていた傾向があり、さびしさや悔しさを知っている。

幼少期の不安感は、非常に憂鬱、鋭敏で濃密な感受性と、与えられなかったものを激しく希求するような性格をつくる。そこからいかに自由になるのか、どう闘うのかをいつも考えている。

・・・・

最近、私は毎日、たまたま見つけたGさんとCさんのブログを読んでいる。

ふたりとも私より年下の女性で、共通点は情緒的に未熟な酷い親に育てられ、うつ病になるくらい酷いストレスを受けていたことだ。Gさんはがんになった。Cさんは性暴力を受けた。

二人とも非常に頭がよく、感受性が鋭くてものを見る目がある、私から見てとても魅力のある女性。Gさんは濃い感受性と芸術的才能がある。Cさんは社会的考察が鋭く、批判能力がある。

二人とも正直で気取りがなく(むしろはらはらするほど自己開示していて)、欺瞞的なところがない。

私自身は幼い頃からずっと感受性過敏で悩んでいる。すごく美しいものも、すごく嫌なものも、どちらも強烈に自分の中にはいってきて、その体験が強く鮮明に記憶に残り、嫌なことは強烈なトラウマとなる。嫌なものにだけバリアを張ることは難しい(この性質はGさんとそっくりだ。)。

Gさんと私はほぼまちがいなくHSP( Highly Sensitive Person )だ。かつAC(Adult Children)。Gさんが痛々しくて(性格は似ているけど私の方が強いから)、私は彼女に連絡した。私は他人のブログを読んでメッセージを送ったのは初めてだ。

私の表現はどういう価値を目指すのか、ずっと考え続けている。

|

2015年12月31日 (木)

椿 年賀状 書 / ちゃびのこと

12月31日

もうすぐ一年が終わる。

12月30日

年賀状に阿部弘一先生のお好きな椿の花を描こうと思い、いろいろやってみる。

年の暮れぎりぎりになるまで年賀状が書けていないので、焦っておかしくなる。

阿部弘一先生には、先生が一番お好きな「侘助」。それと一重の絞り。

「侘助」は雄蕊の葯が退化して花粉をつくらないらしい。本格的な「侘助」だと極小輪で、正月にはちょっとさびしいかな、と思い、「玉之浦」、「乙姫」や「雛侘助」「有楽」などを混ぜた淡いイメージで描いてみた。

Ssdsc07686

私は「岩根絞」など、斑入りや絞りの花が好きなのだが、こちらはちょっと濃いめに描いてみた。
Ssdsc07685

侘助だけだとやさしい感じ。
Ssdsc07686_2

やはり吹掛けの獅子咲きも描いてみたい。
Ssdsc07696

葉の色もそれぞれ変えてみた。だけど、早くしなければ!こんなことを何日もしていたら歳が明けてしまう。。。!

Ssdsc07698

Ssdsc07705

恥ずかしげなかわいらしい抱え咲きや、強烈な唐子咲きなど、いろいろ描いた。そのあと、宛名リストを見ながら、お世話になった人の顔を思い浮かべ、この人はどんな花が好きかを考える。

ブログの画像には載せていないが、獅子咲きの椿を描いていたら、凝りすぎてどんどん花が大きくなってしまい、狂乱の獅子咲き椿になってしまった。これはいったいどなたに出せばいいのだろうと悩んだが、たぶんこんな絵をわかってくれるだろう花輪和一さんと沢渡朔さんに出した。

(花輪和一さんに久しぶりに電話してみたら、もう今年は20回以上雪かきをしたそうだ。)

昔のスケッチブックを開いてみたら、「有楽」や獅子咲きの変形椿を丁寧に描いていた。無我夢中で素描していて、その時はわからないのだが、あとで見返すと、実際、そのような花の個体には二度と出逢えないし、自分の記憶よりその時の素描(デッサン)が遥かに良く描けていることに驚く。

大きな獅子咲きの花の一期一会の不思議な模様と「有楽」の花びらの艶、光る質感は、その場でリアルに見なければ描けないものだ、とあらためて素描(デッサン)の力を確信する。

ところで、私が大好きな、魅力ある椿を描いた絵に、狩野重賢画・写本『草木写生春秋之巻』(1657~1699)という図譜がある。見たままを写していながらも写真のような味気ないリアリズムではなく、写本であったかもしれないが、ちゃんと個々の植物の魅力の核心を描いているところに打たれる。

・・・

今年、少しずつながら書道の進歩のさまをブログに記録しようと思っていたのにできなかったので一枚。

私にしてはあまり先生に手直しされなかった書。こつこつ地味にやって、やっと「とめ」が少しできるようになってきたのと、最初の頃より筆の上のほうを持てるようになった記念。

Ssdsc07640

・・・

最近のちゃびのこと。結論から言うと、流動パラフィンが効きました。

ちゃびが12月になってから主にk/dのカリカリを食べるようになり、それから極端に○○こが小っちゃく少なくなってしまっていた。

前は一日2回で、いっぺんに10cm以上も出ていたのに、最近は一日8回もトイレに行って、そのうち4回は空振り。あとの4回に1cmずつしか出ないような状態。

あまり食べてもいないので詰まっているのかは不明。毎日おなかをマッサージしていたが、腎臓を押さないように、腸をうまく押すのが難しい。

それでもおそるおそるおなかの下の方をやや強めにさすってもんであげたら、さっそくトイレに行って、たった1.5cmしたり。

いよいよ食欲が落ちてきた12月26日に快作先生に油を飲ませるといいかもと言われ、流動パラフィンをもらって来る。

その日から、一日2回、1ml飲ませたが、なかなか出ず。やっぱり一回1.5cmのままで、どうすりゃいいの、と私は目の下に隈ができるほど追い詰められていたが・・・

4日目の12月29日、

朝5時前 1.5+1.5。

10時 4+2+2+2.。

昼1時 2。

1時40分 5。

この日、一日で計20cm出た。やった―――!!

「今まで辛かったんだね。ごめんね。ごめんね。」とちゃびを抱きしめて耳を優しく噛むと「にゃぁぁァァァァァん・・・・にゃぁぁァァァァァん・・・・」と高く甘~い声。

12月30日

朝10時40分 1.5。

昼1時 1.5。

4時 3+1+1。

夜8時30分 2。

9時50分 1.5。計11.5cm。

12月31日

朝8時 3+1.5。

10時 2+1。

昼3時 2。

8時23分 3。計12.5cm。

来年もどうか元気でいてね。

|

2015年8月15日 (土)

猛暑、朝顔、花輪和一

8月13日

少し前に、大輪朝顔、変化朝顔展に行った思い出の水彩素描。

Sdsc06618

きのうほどの痛みはないが、治療院に行き、右足の内側のくるぶしの下の神経痛の相談をすると、右の腰の張りから来ているということ。確かに右の腰と背中がすごく硬くなっいて痛い。

この時期、思いのほか、ぎっくり腰の人がとても多いと聞く。暑いので冷房の部屋にいて動かないせいもあるとか。絶対に急に重いものを持ち上げたりしないように、と言われる。

昔からのスケッチブックを全部引っ張り出して、素描の整理をしている。これがけっこう時間がかかる。この作業に打ち込んだせいで腰が硬くなったのかもしれない。

8月にはいってからは夏の花の記憶、夏草の記憶の素描をやっている。それとちゃびの連続素描。

カモジグサ(髪文字草)、イヌビエ(犬稗)など、どこにでも生えているイネ科の雑草を描こうと思って摘みに行くと、信じられないほどどこにも生えていないのに驚く。

近所に一番多いイネ科の雑草はエノコログサ(狗尾草)とメヒシバ(女日芝)、オヒシバ(雄日芝)。オヒシバとメヒシバは広い原っぱでないと共存していない。小さな路地の端っこの群れには、どちらかしか生えていない。

初夏にも、昼顔に絡み取られた春女苑を描きたかったのに、いざ捜してみるとめぐり会えなかった。

・・・

今読んでいる小説の第三巻が、きのうまで古本屋のどこにもなかったのに、今日は安売りのコーナーにはいっていた。店員さんが私が二巻まで連日買っているのに合わせて在庫の引き出しから出してくれたのかなと思う。

8月12日

なぜか朝早くから右足の内側のくるぶしの下の酷い神経痛で、悪夢にうなされて眼が覚める(その箇所が切れて出血している夢)。それから深夜寝るまでずっと数分置きに、ずきっとくる痛みが断続的に続く。

昼に熱めのお風呂にはいって、その箇所をさすったが、痛みは無くならなかった。生まれて初めての変な神経痛に落ち着かない一日。

・・・

今読んでいる小説の第二巻が、きのうまでなかったのに古本屋の安売りコーナーにはいっていた。

それと一緒に読み終えたのはメーテルリンクの「青い鳥」。

観念的なもの(たとえば「大きな喜びたち」とか)にメーテルリンクは細かい指示と注意書きのある具体的な衣装を与えたのがすごい。

ごくごく幼い頃に「青い鳥」の漫画絵本を持っていた。この絵本の記憶は強烈なものだ(これについてはまた書こうと思う)。

8月11日

メーテルリンクと同時に、ある評論を読んでいる。

高度な批評文を書く人は何人もいる。

よくよく注意して読んでいることは、どんなに論旨が正しくても、実際のところ、その人が具体的にはどのようなものを生かそうとして、どのようなものの息の根を止めようとしているかだ。

8月7日

きょうで東京は8日連続猛暑日。1875年以来の最長記録だという。

夕方5時に治療院に行った。曇ってはいたが、気温は体温くらい高い感触。あとで記録を見たら、きょうの東京は38度とある。きのうは36度。外に出ると朦朧とする。

雨が来るらしいときいてほっとしていたのに、夜になっても雨が来ない。肺が焼けるくらいに暑苦しい。

治療院の院長が生まれて初めて国会前のデモに行ってみたという。先週の火曜日の夕方5時頃。

「人、たくさんいた?」と訊いたら「いたなんてもんじゃない。ものすごい人だった。」と院長。

「原発反対デモの時はもっといた感じがする。歩道が開放されて、人が溢れかえってたもん。」と私。

とりあえず今の私は、この猛暑で自分がダウンしないように保つのが精いっぱいで、デモに行く余力がない。毎日胃酸があがってきて吐きそうになるのを押さえるため制酸薬を飲んでいる。

夜、近所の散歩コースに、夏草を(描くために)摘みに行った。カヤツリグサ(蚊屋吊草)、メヒシバ(女日芝)、エノコログサ(狗尾草)・・・カモジグサ(髪文字草)やイヌビエ(犬稗)やコバンソウ(小判草)は今度、もっと遠い場所から摘んで来ようと思う。

今年、5、6回目の開花となる金柑の花が咲いている。4、5日咲いて散ってしまい、1、2週間花が咲かないのを5月から繰り返している。たしか5月に2回くらい開花して、6月は咲かず、7月に2回開花した気がする。それから8月4日くらいにまた開花した。

蜜柑や柚子や晩白柚など、ほかの柑橘の花はみな5月の中頃に1週間くらい咲いて、初夏の風景の記憶とともに散ってしまったので、この猛暑にもめげず白い小さな花を開いて、見覚えのある甘い匂いを放つ金柑の花を愛おしく嗅いでいる。

・・・

夜10時すぎ、やっと帰宅された阿部弘一先生より電話。

毛利武彦先生画稿などの保存の件。

8月6日

花輪和一に電話で「『ビッグコミックオリジナル増刊号』の「戦後70年特集」のまんが、すごくよかった!」と言ったら、

「ええ?そう?そうかなあ・・・」

「巻末で特別扱いじゃない。一番面白かった。」

「つまんないから最後にやられたんですよ~。」

7月半ばに、「戦後70年特集」のまんがを描いたときいて、「どんなの描いたの?」と心配して尋ねた時は

「むふふふふ・・・すごいの描いたよ~!もう福山さんが見たら、なにこれ!って怒り狂って本をびりびりに破いちゃうようなやつ。イケイケどんどんみたいなね~っ」

と言っていたので、この、安保法案が問題になっている微妙な時期に、いったいどんなの描いたんだろ、まさか・・・?とほんとに心配していたのだが、さすが花輪さん、鬼才たるゆえんの、素晴らしい発想の作品だった。

「なんで私が怒るって思ったの?」と訊くと

「だって、戦争反対のこと描いてないから。」

「ああいう描き方は面白くて、充分戦争反対になってると思うけど・・・。」

「安保法案って、ただアメリカに気を遣ってるだけでしょ~。だから俺も反対だよね~。アメリカにそんなに気を遣うくらいなら中国と仲良くした方がいいよね~。」と花輪さん。

次の「みずほ草紙」の原稿は「もう出したけど、暑くて本当にきつかった。」と言っていた。今年は北海道も暑いそうだが、花輪さんはエアコンはもちろん扇風機も持っていない。もちろん買えないのではなくて、欲しくないから買わないのだ。

今年はようやく冷蔵庫を買ったそうだが、今まで何十年も冷蔵庫を持っていなかったはずだ。

「冷蔵庫あっても冷たいビールとか一切飲まないよね。俺、夏でも毎日熱いお茶飲んでる。パセリは冷蔵庫に入れるとすごく持つね。あんまり野菜とか買い置きはしない。」と言っていた。

「ごはんは麦飯?」

「いや、100パーセント玄米。」

「私もそう。白米は入れないで、ほんの少し古代米を入れるの。」

「古代米はうまいよね~。田んぼアートで古代米をつくってるんだよね。田んぼアートはほんとすごいよ~。」

8月2日

母の施設で夕涼み会があった。

4時すぎに行くと、庭に盆踊りのやぐらができていて、玄関に屋台が出ていた。職員さんたちは忙しそうでたいへんそうだった。

きょうは一階の食堂で食事介助した。あらかじめ出席のはがきを出した家族だけ名札が出ていて、席が設けられているようだった。

メロン(スプーンでつぶすのがたいへんだった)とアイスクリーム(メイバランス)付きのごちそう。ゆっくりだが完食。

6時から車椅子を外に出して、皆と一緒に盆踊りを見た。母は傾眠で残念だったが、高円寺からつつじ連の皆さんが来て阿波踊りを見せてくれた。

至近距離(踊りながら1m以内まで近づいてきた)で見る阿波踊りに感激。

暑い中、きちんとした衣装を着けて、踊り手さんたちは終始はじけるような笑顔で元気いっぱいに演技している。額から滝のように汗が流れて光っていた。

|

2015年7月19日 (日)

『あんちりおん3』できました

7月18日

友人とつくっている雑誌『あんちりおん3』ができました。

今回は、友人が私の本『反絵、触れる、けだもののフラボン』に対する批評の特集号をつくってくれました。

私は表紙画をやっただけで文章を書いていません。

S

『あんちりおん』3号 総特集:福山知佐子『反絵、触れる、けだもののフラボン』を読む

執筆者(あいうえお順)


阿部弘一(詩人、フランシス・ポンジュ研究)
鵜飼哲(フランス文学・思想)
斎藤恵子(詩人)
佐藤亨(イギリス・ アイルランド文学、アイルランド地域研究)
篠原誠司(足利市立美術館学芸員)
清水壽明(編集者)
鈴木創士(フランス文学・思想)
田中和生(文芸評論)
谷昌親(フランス文学・思想)
花輪和一(漫画家)
穂村弘(歌人)
堀内宏公(音楽評論)
水沢勉(神奈川県立近代美術館館長)
森島章人(歌人、精神科医)

+α・・・

興味を持ってくださるかたはこちらまでメールでお申し込みください。

http://blog.goo.ne.jp/anti-lion/e/9058c9bab36f1799e61dc98242d4c982

送料140円+カンパでお送りしております。

鈴木創士さんが図書新聞のアンケートに書いてくださいました。

Sdsc06398

「『ANTI-LION3あんちりおん 総特集・福山知佐子『反絵、触れる、けだもののフラボン』を読む』(球形工房)

これまた一人の画家の書いた本に捧げられた論集である。鵜飼哲、阿部弘一、花輪和一、吉田文憲ほかによる熱いオマージュ集。このこと自体が今では稀少なことであるが、一人の画家による文章の極度の繊細、犀利、真率、真摯、苦痛に、批評家たちは幸いにもやられっぱなしである。この女性画家を前にして、プロの書き手たちがなんだか可愛らしく見えてしまうのは私だけであろうか。」

上の文章は私にはもったいない、あまりに心苦しい、全身から汗が噴き出すようなお言葉であるが、鈴木創士さんがこんなにも書いてくださったことに対する、胸の痛みと心よりの感謝を表明するために、謹んでここに記しました。

・・・

先日、『あんちりおん3』を、今月20日まで限定で復活している、リブロ池袋本店内の詩集・詩誌の専門店「ぽえむぱろうる」に置いていただきました。

Sdsc06364

かつて詩が最もアクティヴな生命力を持っていた頃と比べて、今現在は、詩を取り巻く環境も、詩のありかた自体も恐ろしく変わってしまった。

きょう、7月18日、新宿の地下街の雑踏の中で、

「多くの人が必死で国が強硬に進める安保法制と闘っているこの時に、天皇に恩賜賞なんかもらっている詩人がいる。吐き気がした。」

と私の友人は言った(その友人も詩人である)。

その言葉に非常に励まされた。時代状況が最悪になっても、友人が変わっていなかったことにほっとした。

おかしいと思うことをおかしいと言えない、吐き気がすることを吐き気がすると言えない逼塞した現状でも、やはり、吐き気がすることは「吐き気がする」と言っていいのだと思った。

友人は「頭がよくても体質的に合わない、と感じる人に理解されようと努力しないでいい。わかってくれる人はどこかにいるはずだ。」と言った。

ちなみに、私の本『デッサンの基本』と『反絵、触れる、けだもののフラボン』の帯文を書いてくださった谷川俊太郎さんは、国家からの褒章を一切もらっていない。谷川さんも、そこらへんは非常にはっきりした人なのだと思う。

・・・

詩人のパネルや詩についての記事など展示されているぽえむぱろうるの様子(7月13日撮影)。
Sdsc06365

Sdsc06366

谷川俊太郎さんや田村隆一さんの若い頃のお姿。

Sdsc06368

池袋のぽえむぱろうるに行った日(7月13日)、巣鴨に寄った。偶然見つけた廃屋の前で。

Sdsc06372
この日の夕焼けは紫と金色が水平に幾重にもたなびいていた。

Sdsc06377

|

2015年2月24日 (火)

花輪和一 『あんちりおん3』 / 『呪詛』

2月16日

花輪和一氏から『あんちりおん3』(自費出版)のための原稿が送られて来た。

タイトルは「浮空」。ため息が出るほど素晴らしい絵。

下は花輪さんが2月の初めに送ってきてくれた『呪詛』(角川書店)。ここ10年の『幽』に連載したものと書きおろし。

Ssdsc04887

本を開くと、すごくかわいい女の子の絵を描いてくれていたので大感激した。

Sdsc04885

十年前くらいにかいた作品は、本当に細かいタッチのニュアンスがすごくて、私は「浸水」という作品が好きだ。この頃の絵は、薄墨もトーンも使わず、細い線の交錯ですべてが描かれている。

表紙の光を反射する雲の絵を見ただけで、その、得も言われぬ世界に引きずり込まれてしまう。

「浸水」はこの作品集の中でも、「恨みつらみ」や「因果応報」のどろどろがなくて、ただ不思議で、悲しいけれど美しい話。

この本の後半のほうには、現代劇もあり、人間の醜さや滑稽さでどろどろした作品が集まっている。

特に「自己確立花火」という描き下ろし作品で笑ってしまった。

新興宗教の教団を揶揄した話だが、その中の「日本著名宗教者自己確立段階表」というのが面白くて。

このピラミッドの頂点には空海、2番目の段に卑弥呼と役行者、3番目に安倍晴明、4番目に道元、5番目に一休と最澄、6番目に栄西と鑑真、7番目に沢庵、隠元、白隠と書いてあって「ゴータマ・シッダールタがこのレベル。」と書いてある。このずっと下のほうに久米仙人(以下略)。

花輪さんによると「本当は一番は道元だろうけどね。卑弥呼と役行者は好きだから。」だそうだ。

花輪さんは「去年の5月から一日も休んでいないので、からだがきつい、苦しい、話を考えたら一日は休みたい。」と言っていた。漫画家というのは本当にきつい職業だと思う。その中で、ひとりで全部描いていながら長年この絵と内容の水準を維持している人は、花輪和一のほかにいないのではないか。

この本でも、あいかわらず田舎の母親と義父への怨念は描かれているのだが、花輪さんの場合、子供時代に直接、親に虐待された、ということではない。花輪さんが言うには、母親も義父も「神経が鈍くて濃やかさがなくて、どよ~んとした感じ」だと。実の父親が亡くなってから、常に居場所がないように、自分が邪魔にされていたように感じていたのだろう。

その「不安と苦しみ」が何十年も消えなくて、花輪さんの言う「神経症」(今の用語ではなんというのかわからないが)になり・・・、しかし不思議なのは、そんな苦しみの中で彼の天才が研ぎ澄まされていくことだ。

それだけの七転八倒するような苦しみの中で、どうして虫や魚や樹や草や水や雲や人を見つめる眼が、閉ざされもせず、濁りもせず、たえず新たな生命をうんでいけるのだろうか。

|

2013年8月 7日 (水)

花輪和一 『風童』 『みずほ草子』 / 江戸の園芸

8月7日

おととい、花輪和一から新刊『風童』(かぜわらし)、『みずほ草紙』と寺山修司の写真絵葉書が届いた。

連載は2008年からだったが、ずっと本が出なくて、どうなってるのかな、と思っていたが、急に2冊とも・・・祝!!単行本化。しかも、てかてかしたちょっと豪華な装丁(祖父江慎)。

子ども時代の、どうしようもないさみしさと、不安で恐ろしくてたまらない感じ。

愛情をもって保護してくれる親はいない。

近くにいるのは、風や雨を喜ぶ樹や草や、泥鰌や亀や蛙やタガメと、ときどきふっと現れる風の子や、人の顔をした梟。

花輪和一の描いてきたのは、いつも不安で心細い子供、8才くらいの女の子だ。

いろんな大人を見ても、自分がどう生きて行ったらいいのかわからない。

最近の話は、昔よりも勧善懲悪、因果応報の傾向がさらに薄れ、わからないのが人生、考えても考えてもわからない、だから苦しい、そしてこの世は奇妙で不思議という話。

決して、子供がのびのびと元気いっぱい暴れて周囲を巻き込んで大騒動になる、という話ではない。子供は常に受動する側であり、怯えながらも、あらゆるものをちゃんと見ている。そこが花輪和一のすごいところだ、と思う。

それに今回の2冊の本は、特に、人が年老いた時、いかに死を迎えるか、というテーマが加わっている。

最近は手や眼が疲れて、ルーペがないと描けないと言うが、これだけの描写をたったひとりでやっているんだから、長年の疲労がたまるのも当たり前だと思う。

花輪和一は23才の頃、山川惣治のアシスタントをしていたそうだ。「あなたは天分があるから、うちにいらっしゃい。」と言われたということだ(さすが)。

生きた線、動植物や雲の描写、少年少女のなまめかしいところなどが継承されながらも、さらにすごい独特な作家になっている。

ちなみに、花輪和一が子どものころ好きだったのは、小松崎茂、高荷義之、樺島勝一、岡友彦、伊藤彦造・・・・。

漫画家ではなく、絵物語の挿絵画家になりたかったそうだ。

昔、いくつかの原稿を手伝ったことがある。植物の部分の描写と、トーン貼りと、トーンをカッターで削ったり、消しゴムかけたり。細かい線のペン画というのは、ものすごく難しいと思った。

(余談だが、花輪和一が大嫌いなのは、竹久夢二、太宰治、石川啄木、相田みつを・・・などなどだそうだ。)

8月6日

「花咲く 江戸の園芸」展を観に、江戸東京博物館へ。

お目当ては江戸時代の植物画、(特に変化朝顔)だったが、展示内容は浮世絵が多かった。

江戸時代の人々が熱狂した植物の中でも、「奇品」文化は特に興味深く、屋に行っても奇形のばかり選んでしまう自分にとって、まさに感性の合う世界である。

江戸の植物画、特に「奇品」を描いた画に惹かれるのは、苦心して類まれなる植物を育てたという情熱、その珍しさ、面白さを記録しておきたいという欲求が、そのまま「画(絵)」になっていて、そこに「絵」の本来の「絵」たる魅力を感じるからなのだと思う。

写真のない時代、作者は面白い植物を見た感嘆を記録したかったので、主役はあくまで植物であり、作者は体験を受容し残そうとする側で、見たまま、ありのままを描こうとする中にも、作者の視点(見どころ)、感性がにじみ出る。

現代アートにひしめく人々のように、自己顕示欲がインフレーションを起こし、ただ虚妄の自分を他人に承認させたいがために、作品行為の存在理由をこじつけ、生きている動植物から収奪し、侵害しまくるのとはまったく逆の行為である。

空想でも虚妄でもない実際に生きた植物を育て、そこから生れ出た珍しいものに驚き、喜ぶ、その体験が、さらに「絵」という手仕事で残されているからなのだと思う。

武士の愛した「奇品」植物を描いた画で、面白かったのは「椿図屏風」。年代作者不詳である。二十数種類の様々な品種の椿を横一列に並べて描いているが、花の美しさ、面白さの比較と同時に、当時流行っていたらしい椿の接ぎ木の技術を記録しているのが素晴らしかった。

だが、学芸員の説明書きがわかりにくかった。椿の品種の読み方を提示したほうがいいと思う。「ひときわ目をひく○○は・・・」と書いてあったが、どれを指しているのかわからなかった。

「松葉蘭譜」。マツバランとはシダの仲間の着生植物(古生代からの生き残りと言われる)で、葉も花もなく、奇妙な枝振りや模様を楽しむもので、当時、熱狂的な園芸ブームがあったそうだ。

枝振りのうねりの面白さを丁寧にとらえた画に惹かれた。

変化朝顔に関しては、『あさがほ叢』(四時庵形影、1817)、『三都一朝』(成田屋留次郎著、田崎草雲画、1854)、『朝顔三十六花撰』(万花園主人撰、服部雪斎画、1854)などの一部を見ることができた。

『朝顔三十六撰』の中の「鞠水州浜葉照千花笠フクリン数切獅子牡丹度咲」の画が素晴らしかった。

しゅうすい(葉の色、葉の模様)、すはまば(葉のかたち)、てるてるちはながさ(花の色)、覆輪(花の模様)、すうきり(花の模様)、ししぼたんどさき(花の咲き方、形)。

展覧会の図録は買わなかったが、江戸の花に関する資料を買った。

私は珍奇植物の写真には情報としてしか惹かれないが、花の珍しさを描いた画にはすごく惹かれる。

「大和絵」「浮世絵」の様式から、西洋画のものの見方が入ってきて、写実的、科学的なボタニカルアートに至る、そのはざまの江戸の植物画に、現在「日本画」と呼ばれる死んだ様式の中にはない新鮮な魅力を感じる。

逆に、植物学的、博物学的に正確に描かれた西洋のボタニカルアートの歴史を見ると、1700年代、1800年代のボタニカルアートに、ある様式美や、写実だけではない作者の並外れた感覚を感じ、やはり現代のボタニカルアートにはない強い魅力を感じる。

たとえばヨハン・ヴァインマン(1683-1741)の『薬用植物図譜』は江戸末期に日本に伝わり、岩崎灌園が模写し、『本草図譜』に加えられたという。

思いつきで描いた模様ではなく、生きている植物に接したという生の感覚と、そのものを正確に伝えようとする「眼」と、そこにひそむ謎のようなものを描きたいという執念が「手仕事」の力で、ある緊張感を持って、線や色として現れる。

ただの写実的な絵にはまったく惹かれないのだが、個体の持つ鋭い感覚によって、ものとの関係性のなかに写実以上の何かが生まれる過程のなかに「絵」があるように思う。

8月2日(金)

母のいる老健Eからきのう電話があり、薬の件で家族の了承を得るためというので、きょう面談に行く。

行ったら、まず相談員さんに面談室に呼ばれ、新しい薬に切り替える話ではなく、老健の医師がメネシットを含め全部の薬をなしにしたいと言っている、と聞き、唖然。

相談員Oさんも、「メネシットを切るなんてとんでもない、どうしてもここの医師には任せられないと思ったら、よそに移ってくれていいですから。」と言うが、このクソ暑い時に、弱っている母を遠くの施設に移動させたくはない。

面談中、やはりここの医師はおかしい。耄碌と、最初から専門外についてすごく無知なのに断言したがるのと両方だ(パーキンソンの薬を抗鬱剤だと思っていて、副作用があるからやめさせたいと言う)。

なんとかなだめすかして、メネシットだけは切らないよう、お願いする。

まともじゃない他人のせいで、どうしてこうも余計なストレスがかかることが多いんだろう、と思う。

|

2012年8月17日 (金)

毛利武彦

8月17日

毛利武彦先生の奥様から絵葉書が来ていた。毛利先生の,だいぶ散った後の、ほとんど赤い萼しか枝に残っていない桜の絵。白く見える花弁は数枚のみ。暗い枝振りと暗い若葉。空間は黒く沈潜している。いわゆる「日本人」一般の持っている桜のイメージとはかけ離れた、厳しく、派手さや軽やかさや明るさがなく、けれど美しい、確かに存在するある「時」を生きている桜。

「この作品は福山さんの世界に通じる思いです」と書いてあった。

終戦の日、15日に、先日知り合ったばかりの二十歳の学生さんからメールが来ていた。一年前の今日、終戦の日に(探していた)毛利武彦画集を神保町の古本屋で見つけて買ってくれたとのこと。

そしてその画集のあとがき、「二十年も経って、この画集を古本屋の店頭に見かけた若い画学生の誰かは、果してこれを買うだろうか、と思ってもみなかったことを、ふと考えたりしているところであります。」という毛利武彦の言葉を読み、あまりにもその瞬間につながっていたことにすさまじいものを感じざるを得なかった、と。

彼は画学生ではないが、毛利先生がその画集を出された1991年からちょうど20年後の2011年に、自分がその画集を買ったことが偶然とは思えない、と。(つまり毛利先生が退官されて、あの画集を出した1991年の翌年に彼は生まれたのだな。)

この便りは本当に私にとって衝撃的だった。なぜなら、敬愛する師、毛利武彦の絵は、あまりに通俗から遠く、決して一般に好まれると思えなかったから。私が毛利先生の作品と人格を痛いほど敬愛していても、そのすごみや厳しさは一般の人にも関心を引くとは思えず、むしろわかりにくい絵だろうと思うからだ。

その1991年の退官のときに、毛利先生は「腐れ胡粉」の話をされた。二十歳そこそこで戦争で亡くなったご親友が、出征する前に胡粉(白い貝の粉の絵の具)を膠で溶いて練ったものを壺に入れて床下に埋めていったもので、こうしてねかせると化学変化を起こして塗ったあと剥落しにくくなるそうで、それを先生は四十年以上、ご親友の形見として手つかずでとっておいたが、『花――鎮魂』という桜の絵にそれを使った。そしてご親友に擬して散っていく花びらを三片描きそえた。そして先生はその形見の胡粉を使い残して死ぬことはできない、と言われた。

二十歳で戦争で亡くなった画学生時代のご親友の無念を毛利先生が一生をかけて背負い、毛利先生が亡くなったあとの大きな喪失の痛みに私が耐え、私は巨大な師のなにものも背負えるような器量も才もないけれども、師のすごさ、厳しさについてほんの少しでも言葉に書き残せたら、と思い、今、新しい本を作っている。そして今、二十歳の学生さんが毛利先生に関心を持ってくれたことは本当に不思議な縁である。

『デッサンの基本』に載せさせていただいた師の素描と言葉がきっかけになって、それまで毛利先生を知らなかった若い人が、師の絵を見てくれるようになるとしたら、師の絵から何かすごいものを感じることがあるとしたら、奇跡としか言いようがないありがたい気持ちです。

          *

4時に母をKに迎えに行く。きょうは比較的元気なほうだった。帰りのタクシーの中で、「ずっと変わらないのはお母さんよ。」と言われ、「誰?うちの(亡くなった)おばあちゃんのこと?」と聞いたら、「柏崎のお母さん。今でもいつもはっきり顔が見えるの。」と言った。母の母は私が6歳くらいのときに田舎で亡くなっている。

ポテトサラダをスプーンの背でなめらかになるまですり潰して一口ずつ食べさせた。それと冷えた林檎ジュースに漢方薬をとかして少しずつ。とてもおいしいと言った。

この頃、私のことをよく母の実の妹の名で呼ぶ。若いときにとてもよく似ていたそうで区別がつかないそうだ。

8月16日

Tさんの家に校正紙を届けにうだるような熱気の中を歩いた。6時すぎ。西の空は明るいトルコ石の色なのに、雲は灰色がかった暗い群青色。雷雨の上がった後のこういう特殊な雲をなんとかと言う・・・と、さっきお天気解説の森田さんが言っていたのにTVから離れて着替えていたのでよく聞こえなくて残念だった。

歩いているうちに空はどんどん藍色に沈んでいった。窓の明かりが黄色く浮かびあがっててくる。2階まで届く大きな仙人掌のある家の玄関口の横に大輪のマツヨイグサが開いていて、レモン色に浮き上がって見えた。いつも気になっていた白い貝殻をびっしりくっ付けた大きな茶色の甕が玄関の前にある小さな木造の家の窓が開いていて、眩しい黄色の明かりが見えた。誰かが夕食の支度をしていることがほっとする。

校正紙を届けてから、夕闇の中を団地のほうへ歩いて行った。私の好きな半分切られた古い桜の木は青葉が茂っていて、ツクツクボウシが大きく鳴いていた。

李の木はどうなったか見たかったのだが、暗くて見えなかった。

団地の給水塔。

Simgp3756

汗で頭や背中や、手の甲までびっしょり。書源でしばらく本を眺めてから8時すぎに帰宅。

|

2011年10月 3日 (月)

毛利武彦 花輪和一 秋の贈り物

10月3日

毛利武彦先生の奥様から絵葉書が2枚届く。芦ノ湖の成川美術館での毛利先生回顧展の時の感想ノートが届き、私の感想文を読んでくださったそうだ。

台風近い曇り日に、人の少ない美術館の静けさの中で、いつまでも対峙していた毛利武彦の絵の記憶。奥さまも最終日近い日にずっと床に座って見ておられたとのこと。

Sdsc05972

Sdsc05967

花輪和一氏から小包が届く。開けたら鮮やかな、今年最初の七竈(ナナカマド)の実。七度竈に入れても燃えないとか。

電話すると、札幌も急に寒くなり、きょうは手稲山の頂上が白く見えたという。最近まで夏だったのに、まだ紅葉もしていないのに、もう山の上が白くなるなんて異常だと言っていた。

Sdsc05962

Sdsc05963

いけばな作家の中野正三さんからは、今年の秋の最初の果実の赤ワイン煮の瓶詰が届く。洋梨や林檎やオレンジ、無花果にジンジャーやベイリーフなどのスパイスも利いていて大人の味。

Sdsc05961

通りに木犀の匂いが漂っている。体調不良も戻りつつあり、本格的な秋が始りそう。

自分のための最近の体調メモ

9月19日 脱原発6万人集会のあいだ、貧血で真っ暗になる。9月22日~23日 貧血 その後胃痛の日々が続く。9月28日 朝、水を一口飲んだら強く嘔吐。頭痛、首痛がひどい。休んで薬を飲もうとしても激しく嘔吐。クリニックで抗生物質と吐き気止めと眩暈止めの点滴。熱は胃炎のせい、動悸は脱水症状と言われる。9月30日、10月1日点滴。タイプロトン、サクロフト、フォリクロン、デアノサート。

きょうは、わりと調子良い。

|

2011年8月12日 (金)

花輪和一 反原発 若林奮

8月12日

きょう、福島県内の農林水産業関係者約3000人が東電本社前で抗議デモのニュース。

花輪和一よりもらった手紙を読み返していた。

「反!原発」をテーマに10月に札幌芸術の森美術館で「アートから出て、アートに出よ。」という展覧会に出品する絵を現在描いているそう。

手紙の内容は痛快。さすが花輪さん、と惚れ惚れする。

「キレイぶりっこ、アカデミズムぶりっこ、芸術ぶりっこ」の絵が大嫌いとのこと。

「描き終わったカケジクを福島原発の見える所まで持参し、そこの路上に広げ、(絵の描いた面を下にして)思いきり踏んづけ、ボロボロにして、津波の中からひろってきたような状態の姿で出品してやりたいと思うが、」(気持はそうだが実際どうやるのかは思案中)

電話で、原発の欺瞞で殺された動物たちに対する怒りをぶつけあい、また、こんな状態でも関係なく、何も考えずにつまらない絵を描いて商売している人たちへの胸糞悪さをぶちまけあった。

「花輪さんの個展だったら見に行きたいけど、ほかの人が出ると思うと(誰が出るのか知らないが)、想像しただけでもう無理。」と私は言った。

あまり何も感じずにいろんな展覧会を見に行けたのは、いつの頃だったろうか?記憶にあるのは18歳の頃、今ならおぞ気だつような大嫌いな画家の絵があっても、その前をスルーして好きなものだけを見た。今ほど嫌悪を感じるものが少なかった(何もわかってなかったのだと思う)。

今は、歳月が堆積して、良いものと悪いものをたくさん見て、人生が濃くなったせいか、厭なものを見ると厭なものが身体に入ってくるような気がして、直接的な激しいストレスを感じる。「生きれば生きる程、読むべき本は増え、考えるべきことは積み重なる」ということが少しはわかったてきたのかもしれない。

吐き気がするような絵(または立体やパフォーマンス)とはどんなものかと言うと、「収奪」としか言いようがないもの。うまい下手は関係ない。むしろ手慣れていない頼りない線には魅力を感じる。

嫌いなのは手癖がついていて、紋切り型のものの見方と技巧が固着したもの。陳腐で、なんの疑問も怯えも感じずに絵を描くのが好きだと言う手慣れた人を見ると吐き気がする。生きている動植物の生命をコンクリづけにしていくような塗り固めた絵。現代美術の問題の重荷を背負わない自覚なき自己表現。

またはテキストだけがあれば作品はいらないもの。口先だけの倫理。身体感覚なしのパフォーマンス。

若林奮の言葉を借りれば、自分の「外」と関係がないものである。

ベルリンのアートフェアで、その場で鉛筆一本で記憶の風景を描いていた6歳の子供の絵を見たときの衝撃を思い出す。彼には鈍さがなかった。さり気なくて、鋭くて、危うかった。

それが記憶であったとしても外を見ようとしているもので、常に柔軟に変化するもの、類型でないもの、形式化されないもの、また、ある種の過敏さ、過激さに惹かれる。これは、まさにそういう人間の生き方に惹かれるということだ。

Dsc05620

↑花輪和一が送ってくれた北海道新聞(夕刊)「原発の毒火はいらない」

さすが地方紙。個性的で面白い記事が載せられるのはいい。

10月からの展示に出すものはこれよりさらに過激になるという絵の構想を聞いた。

若林奮が生きていたら、どんな行動を起こしたかと毎日考えながら、彼の残した難解な言葉を繰り返し読んでいる。何十回、何百回と読んでも、やはりすごい言葉だと思う。いわゆる文学者にも、美術批評家にも書けない言葉。唯一無二の思考力と実践力。

作品として「何ができるか」よりも「何ができないか、何をしてはいけないか」を問うこと。

|

2009年6月24日 (水)

デッサンの基本 毛利武彦 花輪和一

6月22日

花輪和一から「寺山修二 劇場美術館」が届く。ずっと見たかった花輪和一が描いた「田園に死す」のための衣装デザイン。奇想と無邪気と繊細と艶と毒の濃厚な世界。芸が細かくて、すごくかっこいい。当時、花輪和一は27歳。

「デッサンの基本」について、「類書の中では「でしょく(出色?)」のできじゃあなあいー?」との感想でした。

6月19日

毛利武彦先生に送った「デッサンの基本」、ものすごく心配だったが、喜んでいただけた。

だいぶ体調も良くなられたとのこと。道路拡張のために工事していた御宅にも、やっと戻られたばかりとのことで、とにかく良かった・・・・

6月18日

ついに発熱。微熱で、咳は出ないが、頭が痛くて、額からじっとり汗が流れる。苦しくて、集中力が出ない。

|

より以前の記事一覧