10月5日(土)
1階の奥の部屋。押し入れだったところを壁で塞ぎ、押し入れの外壁を取り除いて、そこに風が流れる(湿気がたまって家が腐るのを防ぐ)ようにしてくれていたのだが、今日はさらにそこに窓の穴を開けていた。

押し入れだった部分の部屋側と廊下側にそれぞれ灯りとりの窓をつけてくれた。こちらは廊下側。

1階奥の部屋。窓から蔦が見えるのがきれい。ここのガラスは透明にするかも。

茶色く汚れた壁は最終的には白くなる予定。

一階の手前の部屋と奥の部屋はピクチャーレールとダクトレールと照明をつけて、ギャラリーになります。
写真を撮るのを忘れたけれど、1階の手前の部屋と奥の部屋の間の壁はドアひとつ分ぶちぬきになっている。
玄関の下駄箱の上の壁に穴を開けて作った窓のまわりの壁(窓をはめるより壁の方がたいへんと言っていた)もできていた。

もしかして徹夜した?
1階のトイレの扉と、1階手前の部屋の押し入れの扉に和紙が貼ってあったが、少し皺になっていた。
「この皺はまずいかもね・・日本画科出て何十年和紙貼ってるんだ、って言われちゃいそう。私、水で濡らしてやり直すわ」と言って
霧吹きで全体を湿らし、数分置いて、下のほうから両手でぴんと伸ばしながら和紙を剥いでいく。そして一番上のところをピンと左右に伸ばして張り直し、上から下にピーンと引っ張りながら貼り直した。
「すごい!きれい!」と言われる。私にもひとつくらいほめられる仕事があってよかった。
手前の部屋の押し入れは工具入れになった。

手前の部屋と廊下の間の窓。ガラスが無かったところに、どこかで見つけて来たガラスをガラスカッターで切ってつなぎ合わせてはめてくれた。左側の曇りガラスには蔦の触手(ヤモリの足跡のような)がそのまま残してある。

福山家出土品の一部。左の緑の瓶は「人體消毒液 リゾホルム」と書いてあり、床下から出て来た。

1階の奥の廊下。時代本箱。アルミサッシは和紙を張った障子戸で隠す予定。

いつか付けてもらう予定のキツネのノッカー。高円寺のMALTOさんのドアに付いていたもので、私が何年も前から熱望していたがもう在庫がなく、先日、思い切ってこれを譲っていただけないかお願いしたら売ってくださったもの。

売っていただけるなんて思っていなかったので「嘘みたい!信じられない!嬉しい~!」と叫んだら「そんなに喜んでいただけるなんて本望です」と店主さんに言われた。
今日は私も疲労と副作用で顔も腫れて体調悪く、もう作業ができないと言ったら「天井に和紙を張るのだけ手伝ってほしい」と言われ、
「じゃ、やりましょう」と腹をくくったが、M・Mさん自身が(たぶん頭のほうが)疲労困憊で「できるかな・・・?もうちょっとだけ待って」と
玄関のところに座っていた。すごく朦朧としていそう。

あまりにもM・Mさんがお疲れのようなので、自分でスツールの上に載ってみたら天井に手が届いた。紙の幅に鉛筆で線を引いて、その範囲に少し水で薄めた糊を刷毛で塗っていく。
最初の一枚は手伝ってもらいながら私が主導で貼った。ロール紙をぴっちり角に付けて、たるまないようにピーンと貼っていく。
この作業は私の一番の弱点である首(甲状腺癌手術の時に転移していた周りの筋肉を大幅に切除したため、頭の重さを支えきれない)と肩の筋肉を酷使するため、10分くらいで痛くて吐きそうになった。
2枚目を貼るための糊を塗っているM・Mさん。
M・Mさんはよろけて薄めた糊を床にぶちまけたりした。もう疲れすぎて限界なのだと思う。汚れた床を拭いたり、木の削りカスを掃除するくらいは私でもできる。
そのあとM・Mさんは風呂場の床のセメント部分に塗料を塗っていた。いずれはバスタブを持ち上げて、その下を掃除するという。
ガスレンジ台も作りたいけど(そんなものまで作るの?)今日は無理、と。
大きなところでは、うちの出っ張っている玄関部分(大昔に増築したところ)を壊して隣家と接触している壁を無くしたほうがいいと何度も言われた。
隣家側の壁にセメントの防火スプレーをかけたほうが、万が一、隣が火事になった時にも安全という。
「玄関を屋根から壊すことなんてできるの?」
「手(バールと金づち?)で少しずつ壊せば」
「じゃ、私が生きているうちにできたらやってください。あなたの情熱と意志がもしあるなら」
午後3時過ぎまで作業。このあと彼は荷物整理して、夕方からは舞踏のレッスンに行く。そして今日の夜か明日には長距離バスで地方へ。
M・Mさんは最初の頃から作業状況を逐一写真に撮っていたが、ついにほぼ出来上がった部屋を撮りながら「すごくいいと思う。よくできた」と言っていた。
こんなふうに古い家を改築したのは初めてだという。
「もう二度とこんなたいへんな仕事はできないし、やりたくない」
1か月前くらいだったか、彼は「仕事のこと考えると(自分の納得する予定通りにできるのか不安で)心臓が痛くなる」と言っていた。
期限内に自分の納得するかたちで一旦終了できるように、よほど頭を使い、よほどいろいろ心配して自分を追い詰めたのだろう。
「Tさん(M・Mさんの友人でうちに泊まっていた人)にも、命削ってるねって言われた」という。
「あと5日・・・あと5日くらい作業すれば全部完成ですね」とぽつりと言われた。
最初のひと月は家具の破壊と、掃除、遺品整理、ゴミ出しからやってくれた。数えきれないほどゴミ出ししてくれた。
誰も考えなかった天井を落とすこと(80年近く溜まった埃とネズミの糞の掃除)、どの建築家にも無視された大変な作業、柱をジャッキで上げ、白アリなどで腐っている部分を切って継ぎ直し、土台石に載せることをやってくれたのも、表面的なことではなく根本の重要なことだから。
すべてこの古い家の命を本当に長く持たせるために。
誰も関心を持たない、私でさえ諦めていた遺棄されたものの命を蘇られせてくれた。
M・Mさんにはいろんなことを教えてもらった。ゴミの中から使えるものを拾い出して有効活用すること。買わないで自分で考えて作ること。
巨大に感じるものでも自分の手で破壊できること。破壊を恐れないこと。つくりかえたいと思ったらつくかえられること。
そういう実際の、本物の破壊と創造の行動を目の当たりにしながら、私は残り少ない命の時間にできることを考えていた。
私が本当に目撃したものは、どんなにハードでも(ほかの誰にも何をやっているのかを理解されなくても)自分が納得するところまでやり遂げたいという身に覚えのあるパッション。
やりたいと決めたら集中して、命を削っているとわかっていても心身ともに捧げてしまう身に覚えのある宿痾。
嫌いなもの、嫌いな人には徹底して関わりたくないという身に覚えのある宿痾。
私たちは時折、現代アートの話、あるいは「絵画」の話、表現の話をした。どんな「絵画」が好きか、どんなアートを酷く不快に思うか。
彼は私より遥かに現代アートのことをよく知っていて、最先端の現代アートのギャラリーに展示されたこともあって、けれど今はもうアートの制作はしていない。
中学時代に土方巽を知り、今はアートより舞踏していたほうがいいという。しかも舞踏を発表したいわけではないと。
「感謝してもしきれない」という陳腐な言葉では表せない。
私が生きているうちに、少しでも有効にこの場所を使えたらいいけれど。でもお金のために焦燥するのはよくない。できれば信頼できる人とだけ、楽しい気持ちで何かできたらいい。
・・
私も疲労で頭が朦朧として身体が動かなかったが、一旦帰宅してお茶を飲んでから17時過ぎに新宿へ出た。
花輪和一さんとの二匹展のために展示する作品を選び、合う額があるものはそれを使い、額がないものは発注する準備。
21時過ぎに帰宅。午前2時すぎまで眠れなかった。
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「花輪和一×福山知佐子 二匹展」のお知らせ

会期:2024年10月30日(水)~11月4日(月)
時間:12:00~19:00(最終日は17:00まで)
場所:GALLERY工+with 東京都杉並区梅里1-8-8 梅里1-8-8ビル101
昨年秋に私が個展でお世話になったギャラリー工さん(丸の内線新高円寺駅すぐ)でやります。
https://www.ga-kou.com/
ギャラリーにお越しになれない方のために、ネットオークションも開催する予定です。
オークションについては、私のブログでお知らせしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
私のHPです。https://chisako-fukuyama.jimdofree.com/japanese-style-paintings-1-%E8%86%A0%E7%B5%B5/