花輪和一

2018年9月11日 (火)

ちゅび(ぴょんすけ)の記録 (9月7日~9月11日)/ 白猫赤ちゃん/ 花輪さん無事

9月7日(金)

ちゅび、去勢手術のため、朝9時に動物病院に預ける。マイクロチップ(迷子防止)も入れることにした。

私はパスポートに受領に西新宿の都庁舎へ。

そのあと、中野でオーバーホールに出していたカメラを受け取り、古本を見、ちゅびが家に来て以来、初めての外食。

6時にちゅびを迎えに病院へ。

快作先生がソフトキャリーを下げて出てくる。よほど緊張していたのだろう、ちゅびは私の声を聴いた瞬間、じょわ~と大量のおしっこをもらす。

キャリーからじょ~と流れ落ち、快作先生の服と待合室の床を汚した。「わ~っ、迷惑~(笑)」と快作先生。

私の顔を見て「にゃあ!にゃあ!」と大暴れ。ほかのお客さんも「見せて。」とちゅびの顔を見に来た。「お母さんに甘えて幸せね~。」と。

うちに余っていたちゃびのキドナ(高カロリー流動食)とセレニア(吐き気止め)を先生にもらっていただいた。

病院の近くの葡萄の実るお宅の前でちゅびと。

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猛々しかった夏の名残りの凌霄花(ノウゼンカズラ)の前でちゅびと。
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家に着いたちゅびはゴロゴロ甘え欲求爆裂。はしゃぎまくってすごく元気。

手術の痕はまったくわからない。去勢手術は縫わないで自然にくっつくそうだ。動物の治癒力、おそるべし。

ひもで遊んで絡まったちゅび。
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9月8日(土)

まんがみたいな眼のちゃび。
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私の薬のはいっていた袋でご機嫌なちゅび。
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夜9時からアニメーションダンス。細かい音に微細に合わせる振り付けが面白い。きょうの私のほかの生徒は役者さん(20歳)と学生さん(19歳)。

9月9日(日)

のんびりすやすやのちゅび。
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9月10日(月)

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私に甘えてくっつきっぱなし、ゴロゴロ言いっぱなしのちゅび。
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イタリア出発まであと1週間となった今日、どきどきする事件が起きた!

3カ月前ちゅびを六本木の駐車場で保護してくれたSさんから電話。

なんと・・・まったく同じ場所に、また赤ちゃんが落ちていたという。まだ130gだそうだ。

その赤ちゃんの子育てについて、手伝いたいが、どうしたらいいか、すごく悩む。

一番問題なのは、伝染性疾患のちゅびへの感染だ。ちゅびは3種混合は2回受けているが、エイズと白血病の検査はまだしていない。

夕方4時、隔離しながらの子育て方法について病院に聞きに行く。保護団体の人がちょうど来ていたのでいろいろ伺う。

野良猫の赤ちゃんは、2回目のワクチン接種完了まで先住猫と完全隔離したほうがいいとのこと。

扉の閉まる部屋に隔離し、小さなペットキャリーに入れっぱなしで、使い捨て手袋とエプロン着用で授乳、排尿、排便を行うそうだ。

毎回のAP(次亜塩素酸)水と石鹸での手洗いもたいへんだ。

・・・

夜、花輪和一さんとやっと電話がつながった。停電が復旧してからも花輪宅の電話だけがうまくつながらなかったらしい。

停電の夜、初めて見る素晴らしい星空だったと。7月に私が見た札幌の夜空は、東京とは比べものにならないが、それでも住宅地の灯りで星はぼんやりしていた。

缶詰の買い置きがあったので食べ物はなんとかなったそうだ。どこの店にも野菜がないという。

庭のキュウリも地震の前の台風でやられ、トマトもなかなか色づかない。すぐ近くの白樺林は台風で数本の樹が倒れたが、土砂崩れはなかったそうだ。

とにかく怪我もなく無事でよかった。

今月は、ビッグコミックオリジナル増刊号『風水ペット』の締め切り月なのでたいへんだ。

9月11日

Sさんとメールで何度も話す。白猫赤ちゃんはミルクの吸いつきが悪く、すぐに眠ってしまうのが心配とのこと。

とりあえず明日、動物病院で待ち合わせることになった。

ここ数日、ソフトキャリーに飛び込むのがお気に入り。
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ソフトキャリーの中に隠れつつ、おもちゃをつかまえるちゅび。
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えいっ(ぴょん)!
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2018年7月28日 (土)

北海道の旅の記録 その7 帰京

7月21日(土)

朝6時過ぎに起床。陽がはいらないように灯りとりの窓を段ボールとガムテープでふさいでもらったが、それでも朝から蒸し暑くて目がさめてしまう。

北海道に来た最初の日は寒くて、夜、こたつにはいっていたくらいなのに、気温は一週間で大きく変化した。

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毎日、摘んでも摘んでもたくさんの実をつけた庭のラズベリーともお別れ。

「ジャムってどうやってつくるの?」と聞かれ、「果物の半分の重さの砂糖をいれてゆっくり煮詰めるの。くれぐれも水は入れないでネ。」と応える。

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「いろいろ怒ってごめんなさい。」と謝りつつ、古いものを食べるのは身体に悪いこと、老化を進めることを説明する。

10時まではできるかぎりスクリーントーンなどの作業をお手伝いする。

雪の時期の写真を見せてくれた。アルミサッシの引き戸の鍵のあたりまで(1mくらい)雪が積もっている。

「こんなに毎日積もるの?だいじょうぶ?」と驚くと、「俺、雪かき好きだもん。」と。雪かきをすると10分で身体が熱くなって汗が出てくるという。

私は逆。寒い日に外に出ると5分足らずで耳が痛くなり、頭痛がしてくる(気温に合わせて体温調節ができない自律神経失調)。雪が積もる地方で元気に生活できる人はうらやましい。

札幌の郊外で車も使わずに生活するのは過酷だと思う。

たいへんお世話になったお礼を言って握手。お互い、元気で、また会いましょう。

家のすぐ近くの白樺の林ともお別れ。

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10時過ぎのバスで帰る。バス停近くのハルジョオンの野原。

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バス停の横に咲いている点のように小さい(花径2mmほどの)ピンクの花がとてもかわいい。倭性カスミソウだろうか。

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見たこともない大きなアリがいた。
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バスの窓から見える山々。
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ひとつひとつのことが新鮮で、心に残る旅。特に野付半島は最高だった。

6時頃帰宅。

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ちゅび(ぴょんすけ)が大きくなっていた!!

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2018年7月27日 (金)

北海道の旅の記録 その6 札幌円山原始林 円山動物園

7月20日

明日は東京に帰る日。

朝、花輪さんに「ブルーチーズがあるよ。」と言われ、喜んで食べようとしたら、4月の賞味期限のものを冷蔵庫に入れないでずっと廊下に置いていたという。

「わざとだよ。熟成してどれくらいおいしくなるのかみようと思って。」と言われ、私は怒ってしまう。

「熟成じゃなくて腐敗!ブルーチーズは、スーパーで賞味期限ぎりぎりで半額になっているのでさえ、すでに熟成が進みすぎていて臭くて食べられないのが多い。冷蔵でも開封してすぐに食べないとまずくなるのに。」と私。

「花輪さんはおかしい。吐き気がするくらい生臭いものを全然感じない。2、3日前のお刺身をナマで食べるなんて異常。シメサバは封を切ってから何日も食べていたら蕁麻疹が出る。トウモロコシも買ってすぐに茹でなきゃまずくて食べられないのに、常温に何日も置いとくなんて最悪。どうして北海道まで来て、味のないシワシワに腐ったトウモロコシ食べなきゃいけないの?」

私はグルメじゃないし、贅沢はしないけれど、わざわざ新鮮でない魚や野菜を食べたりするのだけは我慢できない。

花輪さんは「痛んでたら臭いや味でわかるでしょ?」と言う。私には耐えられない臭いや味や、カビがはえているものも「痛んでいない」と言うのだ。ニコチンのせいで麻痺しているのかもしれない。

きょうは一日、ずっと原稿のお手伝いをしようと思っていたが、私ができる部分は全部終えてしまったので、ひとりで円山の原始林(天然記念物)と動物園に行ってくることにした。

この日、札幌は29℃。バスと地下鉄を乗り継ぎ、2時頃に円山公園駅に着き、人に道を聞きながら原始林へ。

花輪さんが言っていた素晴らしいカツラの巨樹は麓付近に何本もあった。

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森の中全体にカツラの樹の甘い香りがしていた。

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暑い盛りなので、残念ながらリスたちには会えなかった。

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登山道は一部、ぬかるんでいて、スニーカーでもちょっと歩ぎづらかった。

29℃での登山はきつかった。きょうの札幌の原始林はぜんぜん涼しくなく、釧路湿原や野付半島で歩くのとはまったく違った。

たまにすれ違う人はみな、本格的な登山の服装でストックを持っている人が多かった。

しばらく登って、普段では考えられないくらい猛烈に汗が噴き出し、身体中がべたべたに濡れてしまった。顔がのぼせ、心臓がばくばくし、これはまずい、熱中症で倒れてしまうのではないか、と恐怖を感じた。

スカートが汗で足に貼りついて歩きにくく、スカートで来てしまったことを大後悔。念入りに虫よけをスプレーして来たが、カやハエがぶんぶんうるさく、辛かった。

(ヒトスジシマカに脚を刺され、一週間経ってもまだかゆく、真っ赤に腫れている。)

途中で何度も引き返そうかと思ったが、もうすぐ頂上に着くのかもしれないと思い、歩いてしまった。

(頂上近くは花輪さんの好きなヤマブドウの蔓が多かった。)

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思ったよりずっと時間がかかり、50分くらいでやっと頂上に着いた。頂上から札幌の街を一望する。

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頂上にも涼めるところはなく、すぐに下山。 

もう一つのコースから登って来た年配のご婦人(やはり本格的な登山の服装のかた)と言葉を交わした。「こんにちは。そちらの道はきついですよね?」と尋ねると、やはり私の来た道のほうが、距離はあるが緩やかだとのこと。

道の真ん中にメスのカブトムシがのそのそ歩いていたので、樹の幹に移動させた。

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動物園の閉園時間が迫るのであせって下るが、ぬかるんでいたり、滑りやすかったり、木の根につまづいたりで、けっこう脚に負担がかかってきつかった。

3時半頃、ようやく動物園着。とりあえず自販機で冷たい飲み物を買って飲む。

レッサーパンダの居場所を探すが、一番奥のアジアゾーンの寒冷地帯が、ちょっとわかりにくくて、ここでもさらに時間がかかってしまった。

やっとレッサーパンダに会えて感動。

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この子はセイタ。

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ここ、円山動物園は、人も冷房のきいた館内にはいってガラスなしで見ることができるのが素晴らしい。

こちらはガラス越しに見るギンとココ(だったと思う・・)。お手てで嬉しそうに仲良くりんごを食べる。

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これ以上屋外にいたら具合が悪くなったと思うが、4、50分ほど冷房のきいた館内でかわいいレッサーパンダに夢中になっていたら、体調も回復した。

レッサーパンダの向いにいるクマも元気に水遊びしていた。

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駅への帰り道、円山公園でポプラの巨樹を見た。ポプラは縦に細長いイメージがあったので、こんなに立派なのを見たのは初めて。

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公園には、まだアジサイが咲いていた。

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円山駅周辺で食料を買い物。円山のスーパーでも佐賀産のアスパラ198円が売られていた。道内産のアスパラは特別なブランドなのだろう、一束500円くらい。九州から運んで来たアスパラのほうが道内産よりずっと安い。

道内産のトウモロコシも一本400円くらいしていた。果物や野菜は東京のうちの近所のスーパーのほうが安い。

夕食は私が作った。ヨモギ入り生モッツァレラのカプレーゼ。アンチョビと夏野菜(庭で収穫したミニトマト、ホウレンソウ、買ってきたインゲン、パプリカ)のパスタ。

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「作るのがすごく速いね~。」(私は作業も歩くのも速いほうだ。)「うまい。すごくいいもん食べてんだなあ。俺なんて豚みたいなもの食ってんだなあ。」と言われる。

夜は原稿の手伝い。相当進んだ。「こういうのゲバ字とかトロ文字っていうんだよ。」と言いながらがんがん書いていたら、「よく下書きなしで早く書けるね~。俺だったらまだ最初の1文字下書きしてるな。」と。

「これくらいやってもらったら、もう締め切りには間に合いますよ。」と言われて、一応ほっとした。締め切りだけが気がかり。

花輪さんは東アジア武装戦線「狼」の大道寺将司に興味がある。「実の母親と2歳くらいで別れているんだよね。爆破なんてするのも、母親に気づいてほしいという感情があるんじゃないかな。」と言った。

政治とか経済とか、花輪さんにもっとも関係なさそうなものをどうして描くの?と尋ねると、わからないけど興味があるのだという。

夜11時近くに外に出て星を眺めた。人も車も通らない、物音ひとつしない道。さらに街灯のないバス停横の野原の空は広い。

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2018年7月25日 (水)

北海道の旅の記録 その5 釧路湿原 北斗展望台 霧の風景

7月19日

きょうも釧路は曇り空。

今日で釧路とはお別れ。この日はゆっくり起き、8時半頃に朝食(バイキング)。11時にチェックアウトしてから駅のコインロッカーに荷物を入れ、駅周辺を散歩。

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線路脇に何気なく咲いていて、誰も目に留めない、抜かれるでもない野性の草花たちが愛しい。ノコギリソウ、マツヨイグサ、アカツメクサが多い。

花輪さんも名前を知らなかったエノコログサ(ネコジャラシ)とチガヤの中間のようなイネ科の植物。

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この東京では見ない紫のベルフラワーも釧路にはよく咲いていた。

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帯広から釧路では原っぱに野生化した紫、赤紫、薄桃、白のルピナスを幾度となく電車やバスの窓から見たが、写真に撮ることができなかった。

17日に釧路に電車で着いた時に、最初に目に飛び込んで来て、すごく気になった「鉄北ショッピングセンター」という消えかけた文字が見える古い建物。
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地下道を通って線路の向こう側へ渡り、この建物の裏側を見てみる。

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その手前で茎が帯化した黄色い野菊を見つけた。花輪さんは「こんなの初めて見た」と言った。

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私は廃屋の横に咲き乱れている雑草が大好きだ。
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「鉄北センター」の中にはいってみた。かつて栄えていた頃の飲み屋がいっぱい。呉服屋もあった。全部閉店している廃屋に見えた。(もしかしたら夜はどこかに灯りがともるのだろうか?)

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この建物もずいぶん前に閉店している様子。
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電車からも目立つ、この駅前の大きなピンクのビルも廃墟。

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1:25の阿寒バスで釧路湿原展望台に行ってみた。14:03展望台前着。

建物のすぐ前の植え込みに真新しい鹿のフンがあった。

ここは建物は立派で入場も有料(470円)なのだが、てっぺんから見ても手前の森林が見えるばかりで、ほとんど湿原は見えない。

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まわりの歩き方を解説してくれるガイドさんがいらして、木道を1時間でまわれるとおすすめされたが、15:10のバスで釧路に戻らないといけないので無理。

片道15分で行けるサテライト展望台まで往復することにした。

ウラジロマタタビ(サルナシ)の花だろうか。山の中にはとてもよい花の香りが漂っていた。

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こちらがミヤママタタビ。釧路に多い。葉が白くなるのがマタタビ、ピンクになるのがミヤママタタビだそうだ(花が地味なので虫に気づいてもらうため)。
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時計を気にしつつ、やや駆け足でサテライト(北斗)展望台へ。
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サテライト(北斗)展望台からの眺め。釧路湿原展望台の建物からよりは俄然眺望がよい。ここに来てよかった。
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15:10発のバスで釧路に戻ると冷たいほどの霧が降っていた。

ロッカーから荷物を出し、少しの食べ物を買って改札を入ると、もうあと2分で16:14発「スーパーおおぞら」が発車するところだった(バスが予定より10分遅れたようだ)。

「喫煙所に行ってくる」という花輪さんを止めて電車に乗りこむ。

霧にかすむ幻想的な野山の風景を見られた。私は右の車窓、左の車窓と行き来しつつ、夢中で写真を撮った。

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もうこの旅も最後。

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胸が切なくなる流木と灰色の海ともお別れ。

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海の手前の草原に、白いシシウドに混じって濃い赤紫の花が点在するのが、行きの列車の窓からも気になっていた。色からするとレブンソウだったのだろうか。

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20:15に札幌着。

急いで地下鉄で移動し、スーパーが閉まる9時前ぎりぎりに駅から走る。花輪さんは釧路で発車前に喫煙所に行けなかったので、煙草をふかしながら走っていた。

スーパーで5、6分で慌ただしくお互いの食べるものを買い、蛍の光に追い出されてバス停に向かうと、花輪さんが買ったものをスーパーにと忘れて来てしまったという。

私が猛烈ダッシュして戻り、商品を受け取る。花輪さんは「ほらね、タバコ吸わないと忘れ物とかするんだよ。」と。「そんなこと言われても・・」と私。

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2018年7月24日 (火)

北海道の旅の記録 その4 野付半島 トドワラ 尾岱沼

7月18日

(写真はすべてクリックすると大きくなります)

釧路は曇り。どんより暗い空。

今日はこの旅のクライマックス。死ぬまでにもう一度だけ行ってみたいと何十年も思っていた「この世の果て」、トドワラに行く日。

朝5:40起床。6時から朝食(バイキング)をとり、7時前に阿寒バスの釧路ターミナルへ。

「野付半島・トドワラ散策 トドワラ号」5600円のチケットを買う。このツアーは、標津町ターミナルまでは路線バスで、そこから野付半島ネイチャーセンター行きの「トドワラ号」に連絡となる。

釧路7:25発。乗る時に運転手さんにチケットを見せたら、なんと、このツアーのことを知らなかった。「なんですか?初めて見た。」と言われて唖然。

私たち二人のほかには、同じツアーのチケットを持ったお客さんは女性のかた一人のみ。路線で乗り降りするお客さんも少なく、バスは空いていた。

出発してすぐ、「別保」の辺り、童謡の「春の小川」のような風景。こういう細くて舗装されていない植物に覆われた川を見ただけでも、素敵!とときめく私。だがここはまだ、旅のほんの序奏。

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バスは釧標国道を北東へ行く。山道を過ぎ、「鹿又(かぬまた)農園」の前辺りで、曇り空がぱあっと晴れ、劇的に輝いてきた。

「南阿歴内(みなみあれきない)」、「北方無去(きたかたむしさり)」という面白い名前のバス停が心に残る。

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澄んだ空気と、ずっと続く青空と緑輝く牧場風景。

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車窓からこれらの眩しい景色を見られるだけでも心がはずむ。

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この辺りで花輪さんから「やっと胸にたまってた疲れがとれて来た。」という嬉しい言葉が出た。「ずっといつも仕事のストレスで胸のここらへんに何かがあって、力が出ないんだよね。」という。

今年のまだ寒い頃に、この夏に一緒に旅する約束をしていたのだが、今回、特に原稿に苦しんだそうで、この忙しい時に大切な時間と体力を奪ってしまっていいのか、私は悩んでいた。

花輪さんは仕事に追われ、札幌に住んでいても、北海道らしい風景の場所に旅する余裕もないそうだ。

「中知安別(なかちゃんべつ)」、「茶内分岐(ちゃないぶんき)」、「74線」を過ぎる。ここら辺を「ミルクロード」というのかな、と思う。

原野ごとに「○線」という地名がついているらしく、北に向かって、バス停の「○線」番号が若くなっていった。

「共春(きょうしゅん))というバス停に着いた時、突然、運転手さんが車内アナウンス。「標津で乗り換えのお客様。7分遅れていますがだいじょうぶですか?」と言われる。

「は?(私に言ってるの?)」と首を傾げると「お客様!あれ日本語のわからないお客さんかな?」と言われ、イラっとくる。

「乗り継ぎ、間に合いそうですか?」と信じがたいセリフをバスの運転手さんに吐かれ、「初めて乗るのでわかりません。ぎりぎりだと思いますけど。」と私。

(はあ?阿寒バスのツアーなんだから責任持って乗り継ぐのはそちらの仕事でしょ?お客に尋ねて不安にさせるっていったいどういうこと?間に合わなくて次のトドワラ号に置いて行かれることなんてあり得るの?)」と、頭の中では言葉がくるくる回り、むっとする私。

中標津営業所で運転手交代となった(今度の若い運転手さんは手馴れていて信用できそうだ)。

光る海が見えてきた!

標津町バスターミナルに着き、ちゃんと待っていてくれている「トドワラ号」を見てほっと一息。トイレ休憩。すぐ上を舞うカモメの声に胸が震える。

「トドワラ号」で野付国道を行く。左の窓からは澄んだ空色の海。釧路の灰色の海とはまったく違う海。

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右の窓からは「茶志骨(ちゃしこつ)」の湿原。

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シシウド、ハマナス。樹の上にとまったオジロワシが見えたが写真には撮れなかった。

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そしてナラワラ(ミズナラの立ち枯れ)。

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この何も余計な(人為的な)ものがない景色に涙が出てくる。

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干潟、草原、高層湿原、森林が同時に見られる、まさに秘境の光景。

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細長い野付半島をバスはひた走り、(昔、私が来た時はなかった)ネイチャーセンターに到着。

なんと駐車場には大人しそうなキツネがいた。

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「野生動物に食べ物をあげないでください」という看板が出ている。理由は車に轢かれてしまうようになるから、自分で食べ物を採れなくなるからなどなど。
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金色の眼。このキツネは、寄っては来ないが必死で逃げはしない。中途半端に慣れているようだ。

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換毛の途中のようだったがやせていた。どうか元気で。

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ネイチャーセンターでトイレ休憩するのも時間が惜しいくらいだった。ネイチャーセンター裏の景色。海の美しさに胸が震える。

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トドワラ桟橋まで約2km。眼が眩むような強い陽射し。

紫外線アレルギーで顔中に痒い湿疹ができてしまう私には、普段なら絶対に外に出ない真夏の真昼間(しかもサングラスをホテルに忘れて来た)。

だがこの不思議で美しい景色をじかに体験できる嬉しさでストレスは感じなかった。

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まるで果てしなく続くように見える原野。シシウド、ハマナス、エゾカンゾウ、ヒオウギアヤメなどが咲き乱れていた。

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ハマナスは甘い薔薇の香りがする。

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40分ほど歩き、ついに来た。トドワラ。

以前来たのは20数年前の10月の夕方。その時、この辺りは一面、紅色のサンゴソウの中、白い骨のようなおびただしい(海水の浸透圧によって立ち枯れになった)トドマツ。

その薄闇色と白、紅色の幻想的な風景の中をキタキツネがぴょんぴょん跳ねていた。

それは生と死の交錯するこの世のものとは思えない神秘的な風景だった。

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ここから木道の上を進むと、まばらにトドマツの枯れ木の残骸が見えて来た。

今はほとんどトドマツが残っていない。それでもやはり荒涼とした最果ての光景に胸がしびれる。

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写真手前に写る白っぽい筋のようなものが、トドマツの枯れ木がモロモロに崩れたものだとわかる。

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至るところ、この枯れ木の崩壊した繊維のようなものが堆積していた。

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ついに遊歩道の最先端。「この世の果て」の風景。木道から降りることは禁止。
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枝をつけて立っているトドマツの白骨は5、6本くらい。枝のない棒のようなのがあと数本。

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人の手を拒否した景色。

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とどまることのない変貌。衰滅に次ぐ変容の、のちの変容。

やっとここまで来ることができ、この生きて動いている不思議で淋しい風景をじかに見て感じることができ、私は満足です。
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今歩いて来た木道を振り返ると、このような景色。
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トドワラから左折して桟橋まで10分ほど歩く。

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海は浅く、アマモ(海藻)がいっぱい。シマエビが泳いでいるのが見える。
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桟橋の入り口。

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私たちの乗る船が待っているのが小さく見える。

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陽気で親切な観光船ガイド(野付半島ネイチャーセンターの職員さん?)のお姉さんに案内されて乗船。

乗る前に双眼鏡を覗きながら「きょうはアザラシが来ていますね。」と言われる。普通の人は双眼鏡で見てもわからないが、慣れている人にはアザラシだと認識できるそうだ。

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船に乗ってからも信じられないような目を見はる光景。

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トルコ石の色、セルリアンブルー、パリッシュブルー、アズールブルー、白群、水縹、薄浅葱、露草、デルフィニウム。

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この微妙な青を言葉にすることができない。

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完全に凪いだ鏡のような海に空が映っている。

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気持ちよさそうに泳ぐアザラシの群れ。

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すべてが一期一会の光景。

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ガイドさんの素晴らしい解説によると、野付半島は全長26kmの日本最大の砂嘴で、その名前は、アイヌ語の顎を意味する「ノッケウ」という言葉から来ているそうだ。

航空写真で見ても野付半島は、どうやってこのような精妙で妖しい地形が成り立ち得たのか目を疑う、奇跡的に魅惑的な様相をしている。

「ナラワラを遠くから眺めると大小ふたつの林に別れているのがわかる。アイヌ語で大きいほうをオンニクル、小さいほうをポンニクルと呼びます」と言っていたと思う(この部分、聞き取りが不確実です)。

「擦文文化とオホーツク文化が合わさってアイヌ文化が生まれた」ということだ。

この地方でも今日のような陽光に輝く天気は多いわけではなく、たまたま幸運だったらしい。

尾岱沼の桟橋に着く。すっかり野付半島にしびれてしまい、この地を去るのがとても名残惜しい。

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尾岱沼では国道にポツンとあるバス停で路線バスを待つ。見渡す限り、私たちツアー客3人しか人はいない。

バス停の手前にあった廃屋。

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20分ほどで今朝「トドワラ号」に乗った標津町のターミナルに着く。

標津町ターミナルで阿寒バスの職員さんに「トドワラどうでしたか?先端まで行ったんですか?と話しかけられ、「とても素晴らしかったです。」と応え、少しおしゃべり。

「トラクターに乗らないで歩いて行かれたのですか?距離があったでしょう。」と聞かれ、「歩きました。海がきれいすぎて夢中で写真を撮ってたんで、歩くのは全然苦じゃなかったです。トドワラのトドマツはもうほとんど無くなってたんですけど・・それでもすごい風景で、素晴らしかった。本当に行ってよかったです!」と応える。

「それはよかったです。そうですか。私は先端までは行ったことないんですけど。トドワラ無くなってましたか・・・先日、私は阿寒の原生花園に行ったんですけど、そこも前より花がなくなってたんですよ。」

「ええ?ほっといても生えてくるんじゃないんですか?」「昔はほっといても生えて来てたんですけどねえ、最近は変わってしまって・・。」(やはり異常気象のせいなのだろうか?)

「このトドワラツアーのご案内のプリントも、ここで作ったんですよ。」と言われ、「プリントもわかりやすくていいです。見どころ盛沢山で値段もお安いし、車に乗れない人にとっては最高のツアーです。ありがとうございました。標津までの牧場風景を見られるのも素敵でした。アレキとか、ムシサリのあたり・・・」と私。

20数年前に東京から一人で北海道に来て、釧路のユースに泊まったこと、そこのペアレントさんが、宿泊者全員をマイクロバスで「開陽台」、「十勝温泉」などに連れて行ってくださったこと、その中でも「トドワラ」がもっとも心に残り、いつかもう一度来たいと思っていたことをお伝えする。

「釧路のユース・・ありましたねえ。」と言われてしみじみする。ついでに今朝、釧路発の運転手さんに「遅れてるけど間に合いますか?」と聞かれたことを伝えた。

「間に合わないこともあるのかって思って、トドワラ号に乗れなかったらどうしようってひやひやしました。」と言ったら

「無線で連絡とり合っているので、遅れてもだいじょうぶなんですよ。」と言われる(当たり前ですよね。人件費削減で臨時雇いの運転手さんだったのかな?と思う)。

帰りもミルクロードで牧場風景を眺めながら釧路に戻る。

釧路に着くとやはり霧でどんよりしている。

夕方、和商市場でいくつか小さなお刺身を買い、ホテルの冷蔵庫に入れてから、港のほうに散歩。

今年はサンマが不漁でたいへんだというニュースを毎日TVでやっているが、ちょうどサンマ漁の船が港を出るところだった。漁師さんたち、異常気象が続きますがどうかお気をつけて、ご無事で。

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釧路の灰色の港風景。

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2018年7月23日 (月)

北海道の旅の記録 その3 釧路湿原 細岡展望台

7月17日

11:53発の「スーパーおおぞら5号」で釧路へ。

時間に余裕を持って出発の30分以上前には札幌駅に着き、車内で食べるものなどを買った(「スーパーおおぞら」は車内販売がない)。

花輪さんは庭で採れたシソを巻いた玄米の大きなおにぎりを3つ持って来ていた。彼はこまめに天然水を買ってしょっちゅう飲んでいた。私はホタテの佃煮と生の和風チーズと札幌クラシックビールを買った。

座席に着いてもう2分くらいで出発というアナウンスを聞く時になって、花輪さんが「ちょっと喫煙所行ってくる」と席を立とうとしたので私は動揺する。

「さっきまで喫煙所で吸ってたでしょ。なんで発車直前になってまた行くの?乗り遅れたらたいへん。」「さっきは1本全部吸ってなかったから。」と言って花輪さんは飛び出して行った。

(この、数分前に吸っていたのに、さらに発車直前に不安になって吸わないではいられないニコチン中毒の件について、のちに軽く言い争いになる。)

出発してからはずっと車窓から外を眺めていた。何気ない打ち捨てられた風景にとても旅情を感じる。

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釧路の手前、直別(ちょくべつ)、尺別(しゃくべつ)、音別(おんべつ)という「別」という字で終わる駅が3つ連続する。

その辺りの海は、人っ子ひとりいない、流木が打ち上げられた淋しい景色だった。海の手前の草原には白いシシウドが咲いていた。

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いくつもの川を渡って釧路に着く。それぞれの川のかたちの面白さを見ていた。

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15:56に釧路着。すぐに16:05発の釧網線に乗り換えて釧路湿原駅へ。

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鹿が見られるといいなと思ったがなかなか見られなかった。

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北海道の野生のフキはとても大きい。このあと、これよりもっと大きいのをたくさん見た。直径1mくらいの葉もある。
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駅から10分ほど歩いてビジターセンターへ。そこから山を登って釧路湿原細岡展望台へ。

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晴れていて夕焼けに照り映えていたらきれいだったと思う。

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あいにくきょうは曇り空。どんよりしていて、私には寒いくらいの天気だった。

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6000年前、ここは海だったそうだ。だから「キラコタン岬」、「宮島岬」という名前が残っている。

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白からさらにピンクに変化している見たことのない葉の樹があった。ヤママタタビらしい。国定公園なので、ちゅびへのおみやげに摘むことはできない。
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帰りは18:25の電車を待つしかない。細岡展望台ビジターセンターは18時に閉館してしまうので、無人駅で電車を待つ。

1両しかない釧網線。19時前にホテルにチェックイン。

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釧路の駅前は廃屋がいっぱい。
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ホテルのフロントで紹介してもらった非常に大衆的な居酒屋で夕食。おかみさんはタメ口で大雑把な感じ。

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二人ともウニ丼1200円を選んだ。安いけれど明らかにミョウバン(アルミ化合物)の味がする国産ではないウニ。

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イカの刺身、ツブ貝の刺身各500円はおいしかった。花輪さんは5品300円のおでんを注文した。

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北海道の旅の記録 その2 札幌

7月16日

きょうも小雨と曇りで過ごしやすかった。昼は21℃、夜は16℃くらい。

曇りでも明かりとりの窓から入ってくる光が眩しくて、朝は6時過ぎに目覚める。

花輪さんがログインできなくて何年も使っていないというPCを使えるようにするため、9時を待ってNTTに電話(本人に頼まれて他人がやっているという証明のため、本人を一度、電話口に出さないと話を進めてくれなかった)。

次にNECに電話し、PCの初期化、初期登録を行う。必要なログインIDやパスワード、サポート窓口の電話番号などを書いた紙をPCの周りに貼り付ける。

午後、山道を15分ほど下ったところの(北海道ではポピュラーらしいセイコーマートという)コンビニにひとりで買い物に行く(ハイター、ファブリーズ、紅茶など)。

東京では5月に花期が終わったスイカズラがまだ咲いている。タンポポやハルジョオンも咲いていた。
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このあたりにはどこにでも生えている白いレースフラワーが可憐でとてもきれい。

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夕方、花輪さんが北海道で1998~1999年頃に水彩スケッチしたたくさんの植物の絵を見せてくれた。

カツラ、クルミ、コブシ、ホオノキ、ハリギリ、カシワ、ヤマブドウ、フキ、ノコンギク、ヤマノイモ、クマザサ、ヨモギ、サラシナショウマ、イタドリ、イヌタデ、ノイチゴ、オオバコ、ギシギシ、ススキ、シシウド・・・叢の細かい線の絡まりあいも妖艶に、響き合う豊かな色で溢れている素晴らしい絵たち。

ここに絵の写真を載せることはできないので、貧しい言葉で表現するしかないのだが・・その中でもっとも完成された一枚の絵。

一面のヤマブドウの葉。橙色、黄土、枯葉色、山吹色、黄緑のグラデーション。画面の中心に朱に黒紫の斑の一番美しく紅葉した数枚の大きな葉。その下に宝石のような藍色のヤマブドウの実を摘む少女。

脇役として繊細な白い花をつけるサラシナショウマやソヨソヨしたヨモギも描かれている。

この日は旅でのロスを埋めるため「風水ペット」の原稿のアシスタントをできる限りやった。かくのがすごく速いと言われる。

花輪さんはネットで画像を見て資料にするのではなく、自分が以前にスケッチブックに描いたデッサンを見て描いているのがすごい。

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2018年7月22日 (日)

北海道の旅の記録 その1 札幌

7月21日

一週間ぶりに東京に戻ったら36~37℃の地獄のような暑さに息が詰まる。

阿部弘一先生から新しい詩集『葡萄樹の方法」(七月堂)が届いていた。

ちゅびが大きくなっていた!運動能力がすごくなっていた!

ちゅびのヒゲが全部短く切れていたのでびっくり。自分の脚でカッカッと掻くせいでブチ切れたらしい。時々そういう子がいるとのこと。

7月15日から21日まで北海道に旅していた記録。

7月15日

朝10時半頃、家を出、羽田へ。

1時発の便だったが、札幌上空に雨で着陸できない飛行機がたまっていたため、1時間遅れの出発となる。携帯を持っていない私は、羽田空港の公衆電話からテレホンカードで花輪さん宅の電話に連絡する。

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新千歳からJRの快速エアポートに飛び乗り、4時30分頃、JR札幌駅着。西口イランカラプテ像前で待ち合わせ。

万一うまく会えないことだけが心配だったが、、会えてほっとした。

庶民的な人気のお寿司屋さんで久しぶりの再会を祝う。いろいろ食べてお酒も飲んで、二人で4000円。
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ホタテの稚貝の味噌汁。こういうものが安く食べられるのが嬉しい。

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「以前、グルメな編集さんがすすき野の二人で数万円するお寿司屋さんに連れて行ってくれたんだよね。そしたら魚の味が、とろけるみたいっていうのかな。」ということで、そこに行こうかと言われたが、私は食べ物に高いお金を使うのがもったいなく感じる性分なので断った。

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エドウィン・ダン記念館。

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スーパーで買い物してバスで家へ。

私は北海道仁木町産のサクランボを買った。私は果物の中でサクランボが一番好きだ。

今年はサクランボが豊作で、東京でも安かった(200g298円くらいだった)ので、6月は毎日1パックずつ食べていた。仁木町産のサクランボは、さすがに北海道でも旬を過ぎて、味が抜けていた。

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もらって開封してから2年以上経っているという「男山純米大吟醸」と、今年の1月に買ってみたという「寒酒」を出してくれた。

純米大吟醸300mlを1日で飲み切る私には、古くなった日本酒の味は奇妙すぎて、あまり飲めなかった。ほとんどお酒を飲まない花輪さんは、味の違いがわからないという。
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庭で採れたほうれん草のおひたし。
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庭のラズベリー。

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オランダ在住の田中未知さんから送られてきた種から生えたという薄青紫の花。調べたところ、 瑠璃苣(ルリジサ、ルリヂシャ、Borago officinalis)、英名はボリジ(Borage)というらしい。

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リビング兼仕事部屋にはまだ炬燵が出ていた。夜は少し寒いくらいに感じた(16℃くらい)。

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2018年2月 3日 (土)

花輪和一さんと電話 / skype不具合から復活

2月3日

花輪さんとまた電話で話す。

『みずほ草子』の中で、表紙の絵にもなっている「河童星」の葉富鏡(ハットミキョウ)のお話がとても素敵だった、と感想を言う。

「水がしみ出してしるところ」に「ショウブやセリやギシギシなどが生い繁り、草の根元に鏡を二つ置いて、交わったところを葉富鏡で、のぞいたら、」という表現。植物や小さな生命たちへのこの常なる観察力、感応力、発想、絵のみずみずしさは花輪和一特有だ。

花輪さんの描くセリやギシギシやフキやイタドリは、植物をすごくよく見て愛している人の絵。

そして河童も、花輪さんはよく出会って、見慣れているのかもしれない。

「お盆」の話の中で、ホタルブクロの中に頭をつっこんで、花粉まみれになって「あ~~いいったっていいよ!あ~いい。」と言っている人は、お母さんだよね、と言ったら「癖で顔描いちゃってるから意識できなかった」と。

「お母さんのことを許したから幸せそうに描いたんじゃないの?」と聞いたら、「許すわけないでしょ~、あんな~。」と言われた。

でも最近はけっこう忘れていて、鬱や淋しさはないそうだ。

裏表紙の絵になっている「温動玉」の物の怪たちもとてもかわいい。

「お犬様」のニホンオオカミの子のあどけなさは異様。

秩父の三峰神社は、花輪さんの故郷の地元から近い神社で、私がいつか行きたいと思っている青梅の御岳神社と同じく、お犬様(ニホンオオカミ)を祀っている。

若林奮先生も動物を祀っている神社に注目していた。私も夏に体力が許したら行ってみたい。阿吽のかたちに向き合っているお犬様を見たい。

2月1日

雪になる前の雨。夜、

花輪和一さんから新しい本『みずほ草紙』が届く。

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「ご母堂様とチャッピイ様につつしんでごめいふくをお祈り致します。お二方ともに、つくしにつくされて、誠に幸せであったことでしょう。出会いがあれば別れがある。悲しみの現実。大事なものを二つとも失った悲しみは巨大で深いことと、ご推察致します。」とあった。

(花輪さんはなぜかちゃびのことを最初からチャッピイと呼んでいる。)

お礼の電話をしたら「きのう出したばかりなのにもう着いたの?」と驚いていた。

雨は夜、湿った雪に変わる。

1月31日

skypeについて、マイクロソフト社から24時間以内に届くと言われた回答のメールが来ない。

以前のskypeから来たメールからクリックして飛ぶと、やはりログインはできる。なんでマイクロソフト社の人がログインできないと言ってパスワード変更までさせられたのか不明。

しかたなくまたサポートに電話。午前中に電話したが、混んでいるので3:30過ぎにかけなおしてもらうことになった。

本日担当してくれた人が、web用のskypeアプリをダウンロードしてくれたら、あっさり解決。以前のアカウントで普通に使用できるようになった。

いったいおととい担当してくれたマイクロソフトの人は何をやっていたのだろう?

1月29日

花輪和一さんとすごく久しぶりに電話で話す。

いきなり「今年は初夏にそちらに行こうかな、と思うんだけど。」と都合を聞いてみる。「いいですよ~。」との返事。

北海道に行くとしたら、できたら道東のトドワラ(一度だけ行ったことのある私の大好きな場所)に行きたいけど、一緒には無理だよね、と聞いたらその時になってみたら、もしかしたら一緒に行くかも、という応え。

私はまだ心身ともに元気とは言えないので、飛行機に乗って遠くに旅するのはすごく怖いのだが、今、花輪さんに会いに行かないともう行けなくなる気がして、とりあえずお伺いを立ててみた。

この前、最後に花輪さんと電話で話したのは、昨年6月に母がもう経口摂取できなくなった時。「どうか、酷いことにならないように、とにかく母にとって悪いことにならないようにお祈りしてくれる?」とお願いした。

そしてその通り、母は6月に栄養をまったく採れなくなってから、ほんの少しの水分点滴だけで穏やかに、4か月植物のように生存し、10月の初めに亡くなった。

私はスピリチュアルなことは全く信じない人間だが、毎回、花輪さんが心をこめて祈ってくれたことだけは最高に成就すると信じている(私が花輪さん個人の人柄を信じているからだ)。

母が10月に、ちゃびが11月に亡くなったことを話す。

「たいへんだったねえ。」と。

それ以来、かつて楽しかったことに興味がなくなり、散歩して写真を撮ることにも、食べ物にも、古着屋をひやかすことにも全然心がときめかない、と言ったら、「ちゃびは幸せだったと思うよ~。今、お母さんといっしょのところにいる。」と。

「どこかの県の物産展とか見るともうだめ。ああこれも、あれも母に食べさせてあげたかったな、って思って涙が出てくる。私自身は特になにも食べたくないんだけど。」と言うと、「今、お母さん、いろんなごちそうおなかいっぱい食べてるよ。」と。

「ちゃびは病気だったの?」と聞かれて、「まあ20歳で、人間で言ったら96歳くらいだからいろいろ弱ってて病気にはなってたんだろうと思うけど・・・結局老衰なのかな・・・」

「私の性格として、不自然な延命はやりたくないと思いつつも、やはり必死になってしまって、ネットで毎日検索して、心臓や食欲増進の薬に輸液、強制給餌、腸内環境を整えるサプリや抗酸化のサプリ数種類、日々の体調に寄り添って、やりすぎないように微量な調整をし、とにかくやれることはすべてやったんだけど、それでも自分が許せなくて。

もっといろいろ方法があったのじゃないか、自分にもっと知恵があればもう数日でもちゃびの命を延ばせたんじゃないかって、毎日泣いてる。」と言った。

「自分のためには絶対買わない大トロや中トロをすりつぶしてシリンジであげたんだけど、今もスーパーでまぐろのお刺身を見るだけで胸が苦しくて・・・」と言ったら、「ちゃびは幸せだね~。」と言われた。

私にはまだ、ちゃびが幸せだった、と自分を許せる実感がない。

・・・・

1月24日に「skypeのクレジットを使わないと5日後に消滅します」というメールが来て、ものすごく久しぶりに友人にskypeしようとしたら、使うことができなくなっていて呆然。

まず、いつもデスクトップに設置していたはずの自分のskypeのアイコンがない。ワンクリックで使えたはずのskypeにアクセスできない。アイコンを出すことすらできない。

受信したメールからskypeに飛んでみたがログインできない。新しいPCを購入した時点でマイクロソフトが自動的に設置していた新しいskypeアカウント(自分の日本語の本名)に飛んでしまう。

いろんなところをクリックしていたら、やっと前のskypeアカウントの画面が出たが、友人のs

kypeネームにWeb電話できなくなっている(友人のskypeがオフライン状態)。

しかたなく同じ友人の家電にskypeからかけたら、相手が応じたらしいことはわかったが、相手の声がこちらには全く聞こえず会話不能。すぐに私の家電から友人の家電にかけて確認(本当にばかみたいな徒労だ)。

友人はskypeにちゃんとログインしていると言う。だったらどうして友人とskypeで会話できないのか?

とりあえずこれでクレジットのお金を少々使うことができた(表示金額が減っている)ので17€ほどのクレジット消滅の危機だけは免れた。

今日、朝一番にマイクロソフト・プレミアム・サポートに電話。通じるまで20ぷんくらいかかり、その後アカウントとプレミアム・サポートの有効期限の確認。

そのあと技術担当の人から2時間以内に折り返し電話が来ると言われ、「外出しなければならないので、とにかく急いでください」と伝える。

技術担当の人がリモートコントロールで私のPCを操作してくれたが、なぜかskypeアカウントがロックされていると言われた(つい昨日はログインできたのに?)。

(マイクロソフトが勝手に設置していた私にとって不要な)skypeアカウントにログインできないと言われ、マイクロソフトパスワードの変更を余儀なくされる。おかげでPCスリープ時に入力するパスワードが以前のよりも長くなり、めんどくさくなった。

リモートではどうにもskypeにログインできず(なぜ?)、その技術担当の人がマイクロソフトの別部門にメールで回答を求める、ということになってしまった。

その時に、いつも使用している以外のメールアドレスを求められ、私は携帯を持っていないので他にメルアドはない、と応えると、またまた問題になる。

新しいメルアドをつくることになり、技術担当の人が私名義のヤフーのメルアドを取得しようとしてなぜか失敗。

次にGメールのメルアドを取得するよう試みる。メルアドの最初のネームを何度か入力するも、「すでに使われている」という注意書きが表示される。そんなに急に言われても気の利いたメルアドが思い浮かばない。

咄嗟に浮かんだあまり気乗りしないメルアドが取得でき、やっとこさでマイクロソフト社のskype部門にメールで質問を送るところまでできた。

24時間以内に回答がGメールに来るという。悲観的な私は、これから送られて来る回答が理解不能で、これからまたずいぶん余計な苦労をしそうな予感に震える。

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2016年8月24日 (水)

花輪和一 子どもの頃に親から受けたストレスと表現

8月22日 台風上陸

台風の激しい嵐が来た。朝、8時に電話のベルがなった。いったい誰だろう?と寝ぼけている私に、書道の先生から「台風が上陸するようなので本日の書道は中止」との連絡だった。

そのあとちゃびを抱いてふとんにくるまって寝た。ごおおお、ざあああという凄く強い雨の音。そのほかの世界の音が静まりきっていた。

雨の冷たさを生々しく感じながらちゃびといた。こんなに激しい雨の音を聞きながら、私はこの世界にちゃびと二匹(ふたり)きりのようだった。

あたたかいちゃびと抱きあって寝ていることをすごく幸せに感じた。激しい嵐の日に、私が必死で守るべきものが生きていること。ちゃびの命の息吹を強く感じながら寝ていた。

・・・

リオオリンピックが終わった。

私が興味があったのは、一番は体操。

私が昔からずっと一貫して興味があるのは、不安と緊張に打ち克つこと、追いつめられたところでの「集中」というもののありかた。

レミオロメンの歌にもあったけれど「目の前の一瞬にすべてを捧げて」ということ、それが実際にはどういうことなのか、いったいどういう境地なのか、どうしたらそうなれるのか(想像することは困難だけれど)、に興味がある。

私が不安と緊張がとても強いほうだからだ。予測する時間を極端に短くして、一瞬ごとに集中することができるのか、どうやればいいのか。

私の一生の大きなテーマのひとつは、不安と緊張と表現、ということなのだな・・・。

世間の評価も、追いつめられた状況も、直前の失敗も、すべて頭から追い出してしまえるほどに、瞬間の、自分のやるべきことに集中する境地。

それと演技のインターバルの、移動などのほんの数分には存分にリラックスする(そうしなければ持たない)。そういう私にはできないことにすごく興味がある。

祝!体操、悲願の団体金メダル。私はナショナリストではない。純粋にすごいもの、一瞬で終わってしまう美しいものへの想像を絶する努力、それと仲間の失敗から負わされる緊張に打ち克つことに魅了されて。

内村航平選手の個人総合金メダル。最終局面までライバルに追いつめられていることがわかっていても、自分の練習どおりの演技に集中できたことの凄みに魅せられた。

ほかにも水泳、卓球、バレーボール、陸上リレーと、非常に見どころが多く、夢中になれたオリンピックだった。

・・・・・

7月26日から5回ほど、断続的に花輪和一と電話で話していた。以下はその5回ほどの会話のほんの一部をかいつまんでまとめた記録。

「夜久弘さんが去年の1月に亡くなっていたこと、知ってた?」と尋ねる。花輪さんは亡くなってだいぶ経ってから聞いた、と言っていた。

私は、つい先日、たまたま、すごく遅ればせながら知って驚いた。マラソンをずっとやってらして、お元気だと思っていたからだ。

夜久さんは物静かで穏やかななかに情熱を秘めたかただった。お会いしたのは、すでに『COMICばく』が休刊していた頃で、夜久さんは、なんの利益もない相手である私にも丁寧に接してくださった。

(その直前に私は、わけ(自分の原稿を見てもらったのではない)あって、何人かのまんがの編集の人に会っていた。当時の有名どころの出版社の年若い編集の態度は、驚くほどに無知で傲慢で、まったく会話が成立しなかった。

夜久さんもそうだが、小学館の山本順也さんのように、すごい人ほど、こちらの気持ちを理解してくださって、それからずっと、信じられないほどよくしてくださった。すごい人ほど私をたすけてくれる、私から見て直観的に無知だと感じる人ほど私をばかにしてかかるという事実は、最初は衝撃だったけれど、そういうものなのだろう。

個人的にたいへんお世話になった、山本順也さんに関しては、あらためて書きたいと思う。)

私を花輪さんに会わせてくださったのは夜久さんだ。夜久さんのおかげがなければ、一生花輪さんと会うことはなかった。

(花輪さんと最初に会った時のことも、いつかちゃんと書こうと思っている。)

花輪さんは、その頃、夜久さんのことを「王貞治に似てるでしょ。」と言っていたのを覚えている。

最初に会った時に、花輪さんは25歳の頃のモノクロ写真を私にくれて、後日、その写真をを夜久さんに見せたら「すごい美男子ですね。」と感心していたことが印象に残っている。

25歳の頃の花輪さんは、長髪で役者のようにはっきりとした甘い顔立ちの美青年だった。誰に似ていたかというと、金城武のような感じだ。

夜久さんの事務所に伺った時、夜久さんの著書の『COMICばくとつげ義春』をくださった。つげ義春さんの奥様、藤原マキさんの本を見せてくださって、マキさんの絵がとても好きだと言ってらした。(私は面識はないが、藤原マキさんも亡くなっていることを最近になって知った。)

一度、夜久さんと花輪さんと3人で会ったことがある。そのあと、電車の中で花輪さんが私に「夜久さんの前で、あんまり、花輪さん、花輪さんって言わないほうがいいよ。夜久さん、さびしそうな顔してたから。」と言ったのを覚えている。

そのことを電話で言うと、「俺、人の気持ちわかるもん。」と花輪さん。「そうかな。でも女性の気持ちはわかんないよね。」と言うと、「まっっった~くわかんない!」と。

「勤めてた時、好きだった同僚の女性たち(姉妹)に雪玉を投げつけてたんだもんね。」と言うと、「あははは・・・そう。」

またその姉妹がいた会社のあと、25歳の頃に働いていた池袋の会社の社長の奥様が、『刑務所の中』の本が話題になり、TVでとりあげられていたのを見て、数十年ぶりに手紙をくれたことなどの話を聞いた。

「手紙になんて書いてあったの?」と聞くと、「あの頃は変な子だったよねって。」と。

それから、「最近はどう?お母さんに対する恨みは薄れてきた?」と聞くと、「ぜんっぜん、かわらず。」ということだ。

花輪さんに、私がこのような内面の苦しみの話を聞くのは興味本位からではない。私自身も父親に虐待されて育ったため、親から受けたストレスで萎縮してしまった心からどう立ち直るか、そこと、なにかを表現しようとすることや表現されたもの(また、表現されなかったもの)との関連に、常に関心があるからだ。

「ウィキペディアに両親に床下で育てられたとか書いてあったけど、そんなこと、どこかに書いてたっけ?」と言うと、「あはははは、まんがに描いたのかもね~、まあどうでもいいけど。」と笑っていた。

花輪さんから「サイコパスってどういうのを言うの?」と聞かれた。少し言葉に迷ったが「他者の痛みに対する同情心や共感能力がない人。他人や動物の心配とかまったくしなくて、逆に平気で残酷なことをするような無慈悲で冷たい人、かな。」と答えると、「うちの母親、サイコパスかもね。」と言う。

私が「なぐられたりはしてないんでしょ。」と聞くと、「なぐられはしないんだけど、神経が鈍いんだよね~。」と。

花輪さんは、かわいそうなことを見てもなんにも感じないような人、鈍感で濃やかさがない人が嫌いだ。悪気はなくても気持ちが回らない人、情の薄い人が嫌いだ。

田舎に帰った時、飼っていた犬の顔に、血を吸って大豆ほどの大きさになったダニがぼこぼこたかっているのを見て、どうしてこんなにかわいそうなことをして放っておくのか、と呆れたという。そういうところが母親は「粗くて鈍いんだよね~。なんでかわいそうってわかんないのかな~。」と言う。

「実のお母さんも義父も鈍くて、どうして花輪さんは動物に対する愛情が持てるようになったの?鈍い親に育てられた子供は感受性が影響されて、同じように鈍くなることもあるのじゃないの?」と聞くと、「そういうのはあると思うけど、なんでかそうはなんなかった。」と言う。

花輪さんが36歳の時にお母さんは亡くなった。

「15歳で家を出てから、ずっとお母さんを恨んでいた?」と聞くと、「恨むとか、わからなかった。自分がなんか苦しくても、なんで苦しいのかわからなかったから。」と言う。

「なんか、田舎は嫌~な感じなんだけどね。なんだかわかんないんだよね。それが普通だって思ってたから。」

花輪さんは自分がさびしいとか、愛情不足で充たされていないとか全然意識できず、「誰でもみんなこんなもんだろうと思っていた。ほかの人たちの家を知らないから。これが普通って思ってた。」と言う。

花輪さんの母親は花輪さんを抱き締めたり、撫でたりすることはなく「スキンシップはゼロ!」。心配したり、優しい言葉をかけたりすることもなかった。そして花輪さんのほうも、常に母親や義父に対する怯えと遠慮があって、なにひとつ甘えることができなかったそうだ。

「川で泳いで、耳に水がはいって、耳から膿が出るようになって、痛くても、医者に連れて行ってなんて言えなかったもん。」と言う。

「自分の苦しさを友だちには話せなかったの?」と聞くと、「話すような友達もいなかったし、話すという発想がなかった。」と。

「好きな絵を描くのも、義父が親戚の家に泊まりに行ってる日だけ。いたら怖くて描けないからさ~。チラシの裏に描いてた。」と言う。

「学校の先生に見せたらよかったんじゃない?」と言うと、「学校の先生に見せるなんて発想がないから。たいしてうまい絵でもないしさ。」

母親が死んで10年経ってから、やっと少しずつ自分自身の感情がわかってきたのだそうだ。

「すごいストレスを受け続けて、それが当たり前になっていると、自分の感情や状況判断が混乱するって言うよね。」

私がそう言うと、「そう、混乱してて、なにがなんだかわかんなかった。ばかだよね~。」と花輪さん。

また、私が「お母さんが生きているうちに、すごくさびしかった、傷つけられたって本人に言えてたらよかったんだよね。」と言うと、

「そうなんだよね。生きてるうちに恨みをはらしておけばよかったんだけどさ~。」と。

東京に出てきて、池袋からお茶の水のレモン画翠まで歩いて、聖橋の隣の橋(昌平橋?)の上から景色を眺めながら、「こんなに苦しくてさびしいのに、どうしてみんな生きてるんだろう、と思った。」と言う。

花輪さんは東京に出てきてから、自分の家とはまったく違ういろんな育ち方をした人がいることを初めて知ったそうだ。「親に仕送りしてもらって大学に行ってるなんて人がいてさ~、本当にびっくりした!世の中にはそんな人がいるのかっ!?て。」と言う。

「今、思えばね、母親は自分がいることが嫌だった、不安だったと思うんだよね。再婚したのに死んだ前夫の亡霊が近くにいるんだからさ。俺は母親に捨てられてたんだよね。」

「世の中には、何度も再婚して父親が違う兄弟どうしでも、仲良くてうまくいってる家族もあるんだけどね。」と私が言うと、

「それは親が成熟してたんだろうね。親がおかしいと子供は一生引きずるよね。」と花輪さん。

確かに親が歪んでいると子供は犠牲になり、どんなに歳をとっても子供の頃にすりこまれたこと、それでできた性格はなかなか変われないかもしれない。変わるためには意識的な努力がいる。

親からちやほやされていた子供は他人を怖がることなく、自分はほめられて当然と思っている。恥ずかしいという意識が低い。親から否定されて育った子供は自己評価が低くなる。私は父親からなぐる蹴るされていたので、どうしても対人緊張が強い。

「そういうのは歳とっても一生変われないよね。」と花輪さん。「でも福山さんは対人緊張があるように見えないけど。」と花輪さんは言う。

私は他人が怖いから無理する時がある。私とは逆に、まったく対人緊張がなくえんえん自分のことばかり話してくる人、そうした自分の態度についてわずかにも躊躇がない人がものすごく辛い、ストレスで倒れそうになる、と言ったら、

花輪さんが「そういう長くしゃべる人も異常なんだよねえ。聞くのは30分が限度、いや30分も絶対無理だよね。」と言った。

それから花輪さんの知人のことを聞かせてくれた。その知人は、自分のことばかり長く話す人に対して「お前、自分のことばかり、さっきからいったい何分しゃべってんのかわかってんのか?聞いてるほうはものすごく嫌で苦痛だってわかってんのか?いい加減にしろ!」と激怒して言い放ち、言われた人はその場を去って行ったという。その様子を花輪さんは目の前で見たそうだ。

「そう言えるのはすごいね。だけど私にはそういうのは怖くてできない。」と言ったら、「福山さんは人を見る目はあるのに、はっきり言えないよね。」と言われた。

(そう、私はものすごく嫌なことも、その瞬間には言えない傾向がある。たぶん私がACでHSPだから。そのせいでルサンチマンがたまる。その対応を考えなくては、と思っている。)

花輪さんがいつも言うのは、「鈍い人にはきつく言っても相手は感じない。だから思いっきりはっきり言っていい」ということだ。本当にそうだろうか。自分のふるまいが称賛されて、または許されて当然と思い込んでいる人は、否定されたら怒るのではないか。

「金持ち自慢、グルメ自慢とかする人ね、そういう人は家がよっぽどひどい問題抱えてるとかね、すごい劣等感とかあるんだろうね~、そういうのがないと自慢しないでしょう。そういう人たちもいつかひどい目にあいますよ。」と花輪さんは言う。

「そうかな~、鈍い人は気に病まないから楽しく長生きするんじゃない?他人や動物のこと心配しすぎたり、傷ついたり、優しすぎたりする人は疲れ果てて病気になるんじゃないの?そういうのが世の中の常でしょ。」と言うと、

「それでも、絶対、神経が鈍い人はひどい死に方しますよ!」と言う。花輪さんは因果応報を信じているそうだ。

私は業や輪廻というものをそこまで信じられないのだけど。ただの言葉ではなく、花輪さんの声で、花輪さんに言われると、なぐさめられる感じがする。

昔、私が「がんで死ぬかもしれない。怖い。」と言った時、花輪さんは「でも福山さんてすごく強運でしょう。だからだいじょうぶですよ。」と言ってくれた。花輪さんに「強運」と言われた時、悲観的で気に病みやすい私はその言葉を信じることができた。

「昔、サイン会でファンの人が来ると、怖くて嫌で、「も~お、なんでくるの?!」って思ってたと言ってたのは、最近はなおってきた?」と聞くと「やっぱり嫌だけどね。なんでだかはわからない。」と言う。「なんかお返ししなきゃならないみたいな気がして。」つまり気疲れがひどいということなのだろう。

「花輪大明神とか、あがめられる感じは?」と聞くと、「すごく嫌。だってありえないでしょ~。普通に花輪さんて言えばいいのにさ、そういうふうに言うのは、ばかにしてるんだよね。まあ、相手にしないけどね。そういうこと言う人とは関わりになりたくないっていうか。」という答えだ。

花輪さんに対して距離感がなく、失礼な態度をとるファンが多いということなのかもしれない。ファンなら作家本人の気持ちを尊重してほしいということだ。

花輪さんは最近は外で声をかけられたりすることもない、「隠れているのでいい」と言っていた。

ちなみに、昔、薄野の銀行に行った直後、「花輪さん!久しぶり!」と声をかけられたという。知らない人だったのに「ラーメン屋で会った」と言われ、ポケットからクリップでとめた札束(100万円くらい)を見せられた。競馬だか競輪だかでアタッチャッタ~!と上機嫌で、情報を教えると言われたので、興味がないから、と断ったそうだ。

「なんでおれの名前知ってたのかな~と思って。銀行で伝票を書いてるところをのぞき見されたんじゃないかな。それ、昔のことね。それから何年も経って、新宿でさ、まったく同じ手口でまた声かけられたんだよね~。」と言っていた。

食べ物の話になって、果物では、冬は林檎、「夏は深紅に熟れたソルダムが最高でしょ!」と言っていた。だいたい毎日タマネギや長ネギは食べているそうだ。「タマネギを薄く切ってさ、サバの缶詰と合わせるとうまいよ。」

そういえば昔、うちに来た時に、花輪さんが駅前の果物屋さんでドリアンを見つけ、好奇心から買って来て、私はその特徴的な香りにまったく食べられなくて、全部花輪さんに食べてもらったことがあったことをふと思い出した。その時も花輪さんは「うまいよ~」と食べていたな。

私の部屋で一緒に絵を描いた時の花輪和一さん。この時、銀箔の貼り方を教えた。2002年1月4日の写真があったので貼ってみました。

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一緒に野川にスケッチに行って、たまたま出会った猫たちをかわいがる花輪和一さん。

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私が「肉を食べないって書くだけで絡んでくる人もいるから怖い。」と言うと、「肉ばかり食うとがんになるよって言ってやれば。」と言われた。

「私が肉食をしないのは動物を殺すのが嫌だからで、健康のためではない、だから病気にならないために、ということは言いたくない。」と言うと「そう思えることがすごいよねえ。」と言われた。

山のほうはなんの花が咲いているの?という質問には「最近、山のほうに行ってないんだよね。ダニがいるから。前に首の後ろが痒いな、と思ったら大きいのがくっついてて腫れてたから。」と。

花輪さんが自分の庭で育てたトマトがもうそろそろ赤く熟れて収穫時だそうだ。

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花輪さんもそうだが、私が惹かれるのはいつも高い集中力と独自の表現力がありつつ、人間関係において政治的なところがない人だ。

花輪さんは自分の固有の苦しみの体験を生々しく描きこそすれ、他人の苦しみの体験を収奪して自分のお手柄にしようとは決してしない。つまり欺瞞的なところや卑劣さがない。

365日、私の頭を一瞬も離れないことは、ものを見ること、表現されたものの価値、同時にまた表現することの価値についてだ。「自信がない」と言いながら、すごいものをつくる人に興味がある。

私自身、どんなに集中してなにかをつくっても、こんなものではまだ全然足りない、自信がないと思ってしまう。

私がすごく惹かれる人はいつも、みずみずしい感受性、すごい才能を持っていて、それでかつ生き難さに苦しんでいる人、世間一般がお仕着せてくる価値観の暴力に苦しむ人だ。

その逆の、私から見てたいした才能がないのに自己肥大していて鈍い人、自信満々で自分の言動に不安を抱かない人には強い嫌悪感を抱いてしまう。

私が今まで知っている限り、才能を持っているのに自己評価が低く、生き難さに苦しんでいる人は、幼少期に親の愛情が少なかったり、虐待されていた傾向があり、さびしさや悔しさを知っている。

幼少期の不安感は、非常に憂鬱、鋭敏で濃密な感受性と、与えられなかったものを激しく希求するような性格をつくる。そこからいかに自由になるのか、どう闘うのかをいつも考えている。

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最近、私は毎日、たまたま見つけたGさんとCさんのブログを読んでいる。

ふたりとも私より年下の女性で、共通点は情緒的に未熟な酷い親に育てられ、うつ病になるくらい酷いストレスを受けていたことだ。Gさんはがんになった。Cさんは性暴力を受けた。

二人とも非常に頭がよく、感受性が鋭くてものを見る目がある、私から見てとても魅力のある女性。Gさんは濃い感受性と芸術的才能がある。Cさんは社会的考察が鋭く、批判能力がある。

二人とも正直で気取りがなく(むしろはらはらするほど自己開示していて)、欺瞞的なところがない。

私自身は幼い頃からずっと感受性過敏で悩んでいる。すごく美しいものも、すごく嫌なものも、どちらも強烈に自分の中にはいってきて、その体験が強く鮮明に記憶に残り、嫌なことは強烈なトラウマとなる。嫌なものにだけバリアを張ることは難しい(この性質はGさんとそっくりだ。)。

Gさんと私はほぼまちがいなくHSP( Highly Sensitive Person )だ。かつAC(Adult Children)。Gさんが痛々しくて(性格は似ているけど私の方が強いから)、私は彼女に連絡した。私は他人のブログを読んでメッセージを送ったのは初めてだ。

私の表現はどういう価値を目指すのか、ずっと考え続けている。

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