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2025年4月10日 (木)

冷えると浮腫が酷く体調悪い、国立がん研究センター

4月5日(土)

久しぶりに国立へ。

並木の桜は今日がまさに満開。だけど人気のない枯れ蔓の這う倉庫のようなところに惹かれてしまう。

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菊科の立ち枯れの風情に惹かれて走り寄ってみると、危険なアメリカセンダングサ。

この種子は服や運動靴に刺さって、指で丁寧に抜いても小さな棘が残っていてずっとチクチクと刺す。

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原生林の陰に花びらの大きいニオイスミレが咲いていた。

明治時代の一般の人が描いたスケッチなどを売っているというコレノナというお店に行ってみたかったのだけど、休業中だった。

裏通りを周ると明治牛乳の隣にユニコーンブレッドという素敵なお店と魅力的な古いアパートを見つけた。

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「第一松葉荘」と「月朋荘」と書いてある。

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18時過ぎに国立の駅に戻るとピーィッという高くてきれいな声が鳴り響いていた。

見上げると数羽のツバメが飛んでいた。とてもかわいい。

駅の構内のスピーカーの上に巣をつくっているのだ。新しい建物なのに気に入られたみたい。
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この日も浮腫が酷く、使い捨てカイロを貼っていたのに冷えたのか、夜は悶絶するくらい胃腸の調子が悪かった。

4月4日(金)18℃

1日から3日間、冷たい雨だったが、桜の花は散らずにしっかりと枝にくっついていた。

私はあいかわらず浮腫が酷く、調子が悪い。
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椿は早生の木は落花してしまった。咲いている花は雨で茶色く傷ついている。晩生の木はまだつぼみ。

4月1日(火)雨5.8℃

真冬の寒さの中、国立がん研究センター中央病院へ。

12時過ぎに採尿、採血。13時半くらいに内科のH先生の診察。

一般検査の方で脱水と言われて驚く。ずっと家にいてお茶ばかり飲んでいるのに。

つまり下痢で脱水していたみたい。

あいかわらず食べると胃腸が痛くて、どんどんやせている。ロペミン(強い下痢止め)は1日2回ずつ飲んでいいと言われる。

Y本先生の診察は15時半くらいまで待たされた。

粉のプロテインも飲んだ方がいいと言われる。ブレンダーで作るバナナと小松菜と牛乳の生ジュースは飲みやすいが、プロテインを入れるとおなかが痛くなるので少しずつ。

一日に50gくらい蛋白質をとらないといけないのに、私はせいぜい25gくらいしか摂れていないみたい。

3月31日(月)

卓球の時だけは汗びっしょりになる。代謝が上がるのは嬉しいけど、食べられないのに運動するのは筋肉が余計落ちてしまうのでよくなさそう。

とりあえず豆乳を飲んでダークチョコをポリポリかじりながらがんばった。

気がつくと自分の右上腕の筋肉が落ちてしまっているのに愕然とする。

それ以上に太腿とふくらはぎの筋肉が落ちてしまってふらふらしている。

アートフェアの日に痛めた右腰が治っていない。冬に捻挫した左足の甲の外側の痛みがぶり返してきて足を引きずっている。

3月30日(日)
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先週は25℃を越えた日が3日もあったのに、急に寒さが戻ったせいか、身体が冷えて浮腫が酷くなる。

朝、眼が覚めた時に顔が冷えていて、瞼が分厚く重く、眼の奥と頭が痛くて、今日は酷い顔をしているとわかる。

眼の下の隈が真っ黒で、その隈の上がぶっくり腫れている。

食べると胃腸が痛くなるので食べられなくて、どんどん体温が低く循環が悪くなり、浮腫が酷くなっている感じ。

浮腫が酷いと頭が重くて、だるくてとにかく苦しい。

それでも春が来たので、植物を見に外に出かけた。

枝垂桜もソメイヨシノも咲きかけ。

枝垂桜の開花していない枝は極細の墨の線のようで、遠くから見ると灰色の靄で、鬱々としながらも甘やかさを感じさせる。

早咲きの椿はぼたぼたと落ちて地面を華やかにしていた。

油断して厚着していなかったので夕方に寒くて震えてしまった。冷たい風にあたるとさらに覿面に顔の浮腫が酷くなる。

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2025年3月26日 (水)

ヒヤシンスの絵 / FODMAP 、ブレンダー 野菜ジュース

3月26日(水)

雪さまにリクエストいただいているヒヤシンスの絵、制作中。

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ヒヤシンスの花色は多いが、私は青色、水色、薄紫系統が一番好きだ。

ご注文いただいたかたからも青色系が希望だと言われたので嬉しかった。

淡い青だとスカイジャケット、ブルージャケット(花の根元が鮮やかな空色で花弁は紫がかった青)、デルフトブルー・・・などの種類のヒヤシンスをイメージして描きたい。

ヒヤシンスの詩と言えば、大手拓次である。

ヒヤシンスは特徴的な素晴らしい香りがあって、真珠や霜のように花弁が光って、幼い頃から大好きな花だが、大手拓次の詩を読んでさらにヒヤシンスが好きになった。

その詩は、ヒヤシンスに色をつけた時に載せようと思う。

・・

猫の絵を買ってくださったサヤカちゃん(30年来の友人)と、最近メールで久しぶりに話した。

サヤカちゃんも長く腸の病気に悩んでいる。彼女は高FODMAP食品を避けることを教えてくれた。

FODMAPというのは、小腸で吸収されにくい4種類の発酵性糖質を指す用語とのこと。

Fermentable➝発酵性
Oligosaccharides➝オリゴ糖
Disaccharides➝2糖類
Monosaccharides➝単糖類
AND
Polyols➝ポリオール

お腹によいとされているヨーグルトや納豆、はちみつやオリゴ糖も高FODMAPに含まれる。

玉ねぎ、にんにく、ブロッコリー、キムチ、マッシュルーム、豆類、絹ごし豆腐、さつまいもなど私の好きなものばかり。

そして私の大好きな果物、さくらんぼ、桃、りんご、梨、マンゴー、スイカ、アボカド、プルーン、あんず、ライチ、柿、西洋梨、いちじく、すいか、プラム、ドライフルーツ・・・これらは全部やめられない。

ずぼらな私にはFODMAPを避けるのは難しそう。

何十年も前から欲しかったのにまだ買っていないブレンダーを買って、生野菜ジュースを飲んでみたいです、と言うと、

サヤカちゃんから、ワット数の低いものだとうまくできないというアドバイスをいただき、一番安い150Wのを買おうとしていたのをやめて500Wのを買うことにした。

本日、ブレンダーが届き、仕事から帰宅して夜、生まれて初めての自分で作る生ジュース体験。

小松菜を2株と有機バナナ一本、それにラブレ1本を加えてジュースにしたら最高においしかった。

飲んだらすぐにおなかがきゅるきゅる・・と鳴ってしまったが。ミヤリサンとロペミンを飲みながらだましだまし飲んでいこうと思う。

・・

先日、卓球仲間のMさんに体重が減ったと言ったら「たいへん、甘いものいっぱい食べなきゃ」と言われたのだが、

私はもう30年くらい、好んで甘いものを食べたことがない。お菓子に興味がなく、ほとんど砂糖を摂らない。

がん細胞はまず糖を吸収するのは事実だが、甘いものを食べても癌の悪化には関係ない、とも言われている。

しかし癌の悪化に関係なくても、身体の糖化、酸化、炎症に関係あることは避けたいし、私は甘いものを食べたいという欲求がまったくない(お酒は時々飲みたくなるが)なので、勧められてもいただかない。

甘いものをお土産にいただいたら、友達にもらっていただいている。

ぶどう糖加糖液の入った飲料も飲まない。

同じく卓球仲間のKさんに「すごくおいしい」という揚げせんべいを持ってきているので食べないかと勧められたが、謹んでお断りした。炭水化物が揚げてあるお菓子は食べない。

癌が動き出してから、絶対に食べたくないものに無理してつきあうこともない。

・・・

明日はまた絵の撮影。

ちゃんと選んだはずなのに、あとから絵を修正したくなったり、選にもれた作品が重要に思えてきたり、どうしても感覚が微妙に変化するので一発で決定!というふうにはならない。

悩み、迷いながら修正を重ねて、頭が少しずつ冴えて、どうにか考えがまとまっていく感じ。時間がかかるのだ。

プロの撮影現場を見るのは楽しい。やりかたを見せていただいていろんな発見がある。

私が現場で、一番撮りたいところのポイント(ディテール、色味など)を説明して、そこに焦点を合わせて撮っていただいて、思い通りの撮影になっていくのがとても充実感がある。

 

 

 

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2025年3月 8日 (土)

腫瘍マーカーが下った(奇跡!?)/ 植物の名前

 

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椿 曙(あけぼの)(鉛筆、水彩、)

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椿 八重 春曙光(しゅんしょっこう)(鉛筆、水彩)

3月4日(火)5℃ 暗い灰色の空 夕方から雪

国立がん研究センター中央病院。まず採尿と採血。

・・

甲状腺癌の腫瘍マーカー(サイログロブリン)の値は、2024年7月880、9月1377、11月3075、12月6470、

この12月の結果6470という過去最悪の数値が1月7日に出て大ショックを受け、もうレットヴィモが奏功していないのではないかと疑われ、

もう絶望に近い気持ちで1月9日にPETMRIを受けたら、不思議なことに全身どこも光っていなかった。

そして鎌ヶ谷の浅井先生に結果の報告をしに行くと、腫瘍マーカーの値が上昇するのは初期のおとなしいタイプの乳頭癌であり、もう少し増殖の速い癌はレットヴィモで抑えられているのではないか、とお聞きしたのが前回までの話。

・・

内科のH先生に呼ばれるまでの1時間ほどの待ち時間、考えないようにしてもだんだん気持ちが追い詰められ、今日は1万越え、もしかしたら2万越え、という数値が頭にちらついてしまう。

1月の末には、あんなに気持ちが前向きだった森永卓郎さんが亡くなり、2月の最初には、長年ブログを読んできた吉野実香さんが亡くなったのも私にはそうとうのショックだった。

呼び出し機械が黒く点滅するのを見た時、いよいよ宣告される、と真っ暗な気持ち。

そして診察室に入ると・・・「検査結果は、下がってました」

「え?・・」

「682。一瞬6000かなと思ったんだけどね。600」

「え?!なんで・・?」

「Y本先生も先に見てコメントされてるけど、甲状腺癌が破壊されたときに血液に流れ込むことがあるみたいで。レットヴィモが効いて癌が壊れる時に血液中のサイログロブリンがすごく高くなることがあるのよ。1万に上がってそのあとぐっと下がったりとか。そういう例があったのを忘れてた」

「それって珍しいことなんですか?」

「あまりないね。だけどレットヴィモが効かなくなるには早すぎるし、おかしいと思ってた。治験からやってる人は2年、3年は続いてるからね。正直、この薬はまだわかっていないことが多いけど・・」

「ええ~・・なんかもう今日はすごく緊張して・・」悲観で固まっていたのでなんだかすぐには信じられない気持ち。

「緊張しやすいんだよね。とにかくレットヴィモが効いているということ。そんなわけで薬とじっくりつきあっていきましょう」

そして次にY本先生の診察。

「甲状腺癌の生検で腫瘍に針を刺すと、潰れたがん細胞が血液に流れ込んでサイログロブリンの値がすごく上がってしまうことがあるんです。だから針を刺す前に血液検査をする、という決まりがあるんです」と言われた。

昨年の3月に2324になった時、一昨年に人生で一番痛い手術をして右肺中葉を切除したのに、1年も持たずに脳や骨に転移していて切除する前と同程度の数値になってしまったことに絶望しそうになり、

そのあとレットヴィモ服用によりいったん700まで数値が下がったのに、それからたった4か月、5か月で数値が3000、6000と急上昇したことに、正直、そうとう心がすさんでしまっていた。

もうあとは進行していくだけ、耐えていくだけ、と思うと孤独感や虚無感がひどくなり・・。しかしこんなことがあるのだろうか。

・・・

夕方、Wさんのマッサージを受ける。肩も首も顔も頭もがちがちと言われる。

今日、1万越えの数値だったら、これからどんどん悪くなる一方だと緊張していたから。

「ほら、6000の時に私が、今がピークだからだいじょうぶって言ったじゃない」

「そうだっけ?・・・」適当に慰めてくれたことが本当になった。

帰り道、牡丹雪が暗闇の中に舞い、街路の銀杏の木の根元に白く積もっていた。

3月3日(月)

前日の予報では雪だったが、雨に変わったので使い捨てカイロをお腹と背中に貼って夜間卓球へ。寒いので先生のほか4人しか来ていなかった。

明日、がんセンターで腫瘍マーカー結果が出る恐怖を忘れるため、打つことだけに意識を集中して10勝。

新入りの力まかせにスマッシュを打つ(しかし空振りが多い)男性に勝てた。

3月2日(日)22.1℃

「この植物の名前は何でしょう?」という木の札。

最初の樹は「イヌシデ」と答えて、木の札をめくったら正解だったので驚かれる。

この樹は、井之頭公園の端っこの原生林にたくさん生えていて、少し斜めにねじれながら伸びるこの樹の枝ぶりと、縦に亀裂が入った灰褐色の木肌が絵になると感動して、昔に名前を調べたことがあるのだ。

シデとは「四手」であり「紙垂」であり、神道で玉串やしめ縄などに垂らす紙に、淡い緑色の花穂のかたちが似ているからである。

似たようなアカシデ、クマシデなどの樹との区別は私には難しいが、武蔵野の林にはイヌシデが多い。

2番目に出会った「この植物の名は?」に「マンサク」と答えてまた正解して「げっ」と言われる。

「花が咲いてないのに、どうして枝ぶりだけでわかるの!?」と。

実はよくよく細部まで見ると、去年の枯れて萎びた花が一輪、枝の端っこにぶらさがっていたので、花の形ですぐにマンサクとわかったのだ。

3番目に出会ったのは早咲の椿。

この花はふっくらした上品な薄桃色で、花弁に可憐な皺があり、花芯の黄色自体が柔らかく光っているような優しい色合い。

「曙(あけぼの)だね」と正解して「ぐげっ」と言わせる。

この花は初釜によく使われるらしい。

同じく蕊の黄色が滲み出したように、花弁の根元が薄黄色に光る椿に、八重咲きの「春燭光(しゅんしょっこう)」という花がある。この花はまだ莟だった。

ヒヨドリがせわしく飛び交っていた。持っていた小さな苺の実を木の幹に置いておいたら食べてくれそうだった。

 

 

 

 

 

 

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2025年3月 2日 (日)

ギャラリー / 新宿

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八重のアネモネを描こうとすると葉っぱを齧ろうとするプフ。

アネモネはプロトアネモニンという毒が危険なので、絶対に食べられないように花は冷蔵庫に入れている。

2月18日(火)

平田星司さんとZOOMで話す。

2月20日(木)

ギャラリー十二社ハイデの伊藤ゲンさん展の設営。

ちゃんと設計図を書いて、きちんとやっておられることに感心した。

レトロなぬいぐるみやおもちゃの絵。すごくこの場所に合っていると感激。さすがです。

・・・

午後から企画ギャラリーのオーナーに会いに行った。

ギャラリーが開くまで少し時間が合った。

ギャラリーの裏手のほうに「アトリエ」というとても古い錆びた看板のある不思議な家があった。美術ではなく音楽系のなにかだった。

大輪緑萼の梅が満開で、鳥の声がした。陽が当たる場所では春の野芥子が咲いていた。

いろいろ指示されることはあると覚悟していたが、一番気になっていたのは、私の病気のことがちゃんと伝わっていないのではないかということだった。

昨年、最初にオーナーの奥様にお会いした時、「声が素敵」と言われ、「声帯を片方切ってるんですよ。甲状腺癌で」というお話をして、現在、分子標的薬を飲んでいることも伝えていたのだが・・。

だから体力的に、ばりばり新作を描くことはもうできないかもしれないと伝えないといけないと思い、心が苦しかった。

オーナーと話ができるまで待っていたのだが、現在の展示を見に来ていたSさんという作家さんが同席して、企画画廊では画廊の言うことを聞かないといけない云々を私に説いてこられて激しいストレスを感じた。

Sさんは自分の過去の展示のハガキを私にくれたが、私の絵を見たこともないし、私がどういう活動をしてきたのかも知らない。

「すみません!お願いですから席を外してください!オーナーと直接話させてください!お願いします!すみません!」と深く頭を下げて退席していただいた。

病気のことを言う時、緊張して泣いてしまった。

オーナーは、奥様から聞いていると言われて、ほっとした。

その上でまだ私はもう少し生きられると思って、企画してくださるならありがたいことだ。

「奥さんは、あの人はいつも明るい人ね、って言ってるよ」と言われ、私はそんなふうに見えるんだ、と意外だった。

2月21日(金)

篠原誠司さんと電話で話す。

篠原さんは最近までアメリカに行って2つの企画展をされていた。アメリカの郊外の大きなお屋敷に泊まって、向こうのコレクターがどんなふうに家に絵を飾っているかを見たという。

画家のいろんな生き方の話。

2月23日(日)

画家の小穴さんと映像作家の光永さんが来られるというので、ギャラリー十二社ハイデへ。

一緒にランチをしていろいろお話した。

光永さんは、私があとがきに文章を書いたデリダ(鵜飼哲訳)の『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』の文庫版を持って来てくれていた。

伊藤ゲンさんの個展は、玄関に昭和懐かしい貝殻の人形や、古い大きな熊のぬいぐるみなどが増えていた。

あいかわらずうちの中は寒いのだけども、とても楽しい雰囲気。

帰りに新宿駅まで歩き、「あの枯れた蔦の絡まってるのはなんですか?」とハルクの前で光永さんに聞かれ、一瞬、戸惑った。

新宿西口の地下広場のタクシー乗り場から地上へと、ループ通路の巨大な吹き抜け。蔦が絡まっているのは、その真ん中のタイル貼りの筒状オブジェだ。

設計は板倉準三で、66年に出来、「地下空間の地上化」というコンセプトを掲げたという。

このクールだったループ状の吹き抜けが、もうすでに破壊されていて、タクシーが通ることができない。新宿西口は見るも無残だ。

まだかろうじて残っている筒状のオブジェは、私が大好きだった新宿駅前の象徴。

私が幼い頃の新宿のイメージはとにかく革新的で、なにもかもがかっこよくて、

テレビや映画や古い漫画で知っている新宿は、ものすごいエネルギーが渦巻いていて、常に新しい状況と、反発する力、爆発する力が・・。

ヒッピーも新宿騒乱もゴーゴー喫茶も、風月堂も、そういう青春には間に合わなかったけれど、映像で何度も見ている。その場にいたはずはないのに、その場にいたように記憶に溶け込んでいる。

ペロ(伊坂芳太郎)や宇野亞喜良、カルメン・マキや浅川マキのイメージも。

映画『女番長 野良猫ロック』は何度も見た。和田アキ子がバイクで西口地下道への階段を下って突っ走るシーンが大好き。当時の歌もかっこいい。

都会で、泥臭くて、サイケで、アングラで、熱くて、廃墟の中から宝物を拾えるような夢があった新宿。

紀伊国屋の中にあったこまごまとしたお店は闇市の名残だと聞いた。懐かしいLENE。西口にいくつもあった古レコード店。7丁目、8丁目の古いアパート群。駄菓子屋。

宮谷一彦や真崎守や上村一夫の漫画でも、歌謡曲でも、新宿は何度も描かれていた。

日本で一番、劇的に変わった町、新宿。

昔の新宿の痺れるようなかっこよさは、身近な友人や、人生の先輩たちとは当たり前に共有されてきたけれど、年下の人たちとはまったく共有されていないんだな、とふと気づいて、言葉が出なかった。

 

 

 

 

 

 

 

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2025年2月 6日 (木)

血液検査

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ちゃびが子猫だった頃(墨)

2月4日(火)11℃

国立がん研究センター中央病院で血液検査。

一般の項目の血液検査だけ当日結果が出、腫瘍マーカー(サイログロブリン)の結果は来月。

今日は混んでいて、12時前に受付したが採血できたのは12:20~25くらいだった。

13時にH先生の診察予約だったが13:40くらいに呼ばれた。

「炎症の値が上がってる。風邪で熱を出したりした?」

「いいえ、腸が炎症を起こしたみたいで、ここ1週間くらい食後すぐに右の腰骨の内側が強く痛んでいました。一昨日と昨日、ロペラミドを朝夕2回飲んで、やっと下痢が止まってきました」

「そう。それで脱水を起こしたんだな。肝臓も腎臓も上がってる。水分たくさん摂ってね」

あまり詳細な数値はもう気にしないことにした。

「そういう体調悪い時は副作用が強く出るから、休薬していいよ」

「え!?でもこの前すごく上がっちゃったから怖くて休めなくて・・がんばりました」

「すぐにがんばっちゃうからなあ・・」

「はい・・がんばり気味ですけど・・」

「今度、下がってるといいね」

「え?・・」ここまで来て下がることなんてあるんですか?と聞きたかったけど、聞いてもしかたない気がして聞けなかった。

次にY本先生の診察。

先日、浅井先生に会いに行った時、長くお話してくださったことの報告。

「私も浅井先生の意見で合ってると思いますね。サイログロブリンが上がっている癌は元の乳頭癌の性質なので大人しく、少し勢いのある癌にはレットヴィモが効いていると。

これから何かほかにできる薬があるか探せたら、と思います。もう一度、放射線ヨウ素治療をやってみるとか」と言われた。

私は最初に甲状腺と副甲状腺を全摘した時に、わりとすぐに放射線ヨウ素治療をやって、放射線をがん細胞が取り込まなかった経験がある。

その時は、ヨウ素治療の1か月前からヨウ素を含むもの(海藻など)を一切口にしてはいけなかったのだが、なにか食べてしまったせいではないかと言われた。

今、調べてみると海藻類だけでなく魚類と貝類も鰹節もいけないらしい。それだったら確かに食べていたと思われる。

魚類、貝類、鰹節、練り物、人工着色料の赤色など、ヨウ素が含まれるものを徹底的に摂らなければ、放射線ヨウ素治療が効くとしたら少し明るい気持ちになる。

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帰りに新宿のヨドバシカメラに寄った。今は健康家電がほんとうにいっぱいある。同じ階に化粧品まであるのでびっくりした。

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17:30からWさんに肩や背中をもみほぐしてもらった。がちがちに凝っていると言われた。

寒いのといろいろな心配と。

 

 

 

 

 

 

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2025年2月 3日 (月)

立春

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スミレ(水彩)

2月3日(月)11℃

やっと立春。この12月と1月は本当に辛かった。

レットヴィモを始めてから冷えるとなおさら浮腫み、浮腫むからよけいに冷える感じ。

そしてもう30年以上悩んでいる胃腸虚弱。冷えると必ずひどくなる。

今朝もお茶を飲んだら右下腹部がずんっと痛くなった。が下痢ではなかった。

やっとロペミンが効いてきたみたい。

昼に昨日の残りの玉ねぎスープとパン。魚肉ソーセージ1本。

夕方、卓球へ。最後に先生にスマッシュを教わったのが楽しかった。

卓球後の浮腫がましな状態の記録(レットヴィモは毎週、火曜の朝から木曜の朝まで休薬。そのほかは毎日飲んでいる)。
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眼が開いているだけまし。

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まだ元気です。

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夜9時頃にまたおなかが痛くなった。

明日はがんセンターで血液検査。そのためにこの一週間で抗酸化の食べ物をたくさん摂ろうと思っていたのに、下痢でだめになった。

とにかく気にしないこと。

2月2日(日)8℃ 一時雨

朝、42.5kgになっていた。やはり何も口にしないうちに下痢。ロペミンを飲む。

カフェインレスアールグレイのミルクティを飲み、ゆっくり熱い風呂に入ったりして、外に出ないで過ごす。

午後になってから蛋白質を摂りたくて、そおっと少しずつ魚肉ソーセージを食べてみた。

お願いだからおなかこわれないで‥と願いながら、ゆっくり、だましだまし食べる。

5時にまたロペミン。

7時頃に玉ねぎをくたくたに煮たスープとパン少々。

たまたま見たyoutubeで昭和歌謡の歌手たちを見、それから引退前の山口百恵の動画を見ていた。

若干21歳で、とてつもない落ち着き。にこりともせずにすわった眼とドスのきいた歌唱。この眼を見ていると非常に落ち着く。

2月1日(土)12℃

一晩中腸が痛くて、痛い、痛いと身をよじっていた。右の腰骨のすぐ内側が刺し込む。

あんまり痛みが治まらないので盲腸ではないかと怖くなる。

朝、なにも口にしない時点で下痢。下痢とわかってほっとした。

Y本先生があまり飲まない方がいいと言ってなかなか出してくれなくて、大切にとっておいたロペミンを飲んでまた寝た。

ロペミンは腸の運動を抑制するので悪いものを食べた時に外に出す力がなくなるから危険、と言われていたが、そんなことを言っている場合ではない。

腸がすっからかんになってまたやせてしまいそう。

昼に起き、2時過ぎ、花屋で八重咲のチューリップを買う。ダークレッド2本、紫と黄色各1本。

夕方、まだ少しでも食べると下痢がとまらない。

もう1錠ロペミンを飲んだ。ミヤリサンとテプレノン(胃の修復薬)も。

夜、葱とカボチャをくたくたに煮て少量のうどんと卵を入れたのを食べた。

まだ食べた直後に腸が痛くなる。

1月31日(金)13℃

ジャージで走っては歩きを繰り返しながら駅の方まで。

手ぶらで行ったが、ティッシュを持たなかったので鼻水に困った。

梅はぽつぽつ咲いていた。乙女椿も。菫が毎年咲くコンクリートの割れ目を何カ所かチェックした。葉は青々。

花屋に八重のチューリップが出ていた。初めて見るダークレッドの花、明日買おうと思う。

八百屋、乾物屋、古着屋などまわって2時間以上。

6時に歯医者の予約だったのでジャージのまま行った。昔詰めた銀が取れたのを持って行き、それを詰めてあっさり終了。

冷えたのか、食べ物を口にした直後に腸に痛みが走る。

夕方から夜に腸が強く痛んで苦しんだ。下痢ではなく腸の下のほうが急激に動いて刺し込む感じ。

1月30日(土)12℃

u-nextに沢田研二主演の『土を喰らう12か月』があったので鑑賞。

水上勉の料理エッセイが原作だそうだが、幼い頃に京都の禅寺に預けられ、そこで教え込まれた精進料理の体験をもとに、1年に渡り、季節ごとの野菜や山菜、拾った梅などを丁寧に料理していく。

長野の厳しい自然は見ているだけで凍えそう。

まるで心を磨くように丹念に野菜仕事をしているジュリー。少しお腹が出ている。

ちょっと優柔不断そうなところがいいのかな。これをもっときつそうな俳優がやると抜け感が無くなる。田舎の葬式のシーンなどは無くていいと思った。

禅寺の修養としての精進料理というところに興味があり、美しすぎてまねはできないが、私には安心して見られた。

これと似たテーマの作品に『リトルフォレスト』という映画(漫画が原作)があるらしいが、合鴨農法(鴨に虫を食べてもらう無農薬の米づくり)で共存している鴨を自ら絞めて殺してさばいて料理して食べるシーンがあるらしく、その情報を読んだだけで吐きそうになった。

とても人気の作品らしいが、生きている鳥を殺して食べる欲望が私には理解できない。私は動物を殺すのが本当に嫌。

 

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2025年1月30日 (木)

浮腫をとる努力

 

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(鉛筆、水彩)

レットヴィモの副作用で一番辛いのが顔の浮腫。次に倦怠感と全身の筋肉痛。

レットヴィモ服用を始めたのが昨年の3月。レットヴィモを始めてから初めての冬は、浮腫が酷くてとても辛かった。

気温が低いと顔が冷えて覿面に浮腫が酷くなる。むくみで眼の奥が圧迫され、頭重で鬱になる。

寒い日は顔だけでなく、手足も明らかにむくんで痛む感覚があり、全身の循環が悪いのだと思う。

朝、熱めの風呂に入ってふくらはぎや首などをマッサージしているが、なかなか浮腫みがとれない。

1月24日(金)14℃

2時過ぎから荻窪へ。

太田黒公園に初めて入ってみた。植物の種類は淋しい。

そのあと杉並中央図書館へ。

頭が冴えなくて、難しい本はあまり集中して読めなかった。

昔、大好きだった雑誌の内容がものすごくつまらなくなっていてショック。これは私の頭のせいではなくて時代のせいだと思う。

歩けるときに歩いておこうと思い、外に出る。

荻外荘通りを、かつて幼稚園だった庭を右に、鉢植えを売っている園芸の店を左に見ながら川の方へと歩く。

ものすごい豪邸の塀の中の巨樹を仰ぎながら、ぐるっと左にまわって右手に公団住宅のような建物。

荻外荘公園の横の坂を上る。このあたりは古い建物が多い。

角川庭園には小さな水仙が咲いていた。

暗渠を通り、枯れ蔓に浸食された窓を見つけ、太田黒公園の脇の樹木に添った細い道を通って駅に戻る。

古いグレーの木枠の窓の歯科医院。

タウンセブンの西友で毛糸の帽子を見、ふらふらしていたらアエナという不思議な店に入った。この店は90%オフなど、破格の商品がいっぱい。

そのあと久しぶりに荻窪のブックオフへ。立ち読みしだすとけっこう読んでしまう。

新高円寺のブックオフが潰れてしまったのがとても淋しい。

1月25日(土)9℃

浮腫が酷く、だるくて午後まで寝ていた。

顔がもう限界なくらいパンパン。

3時過ぎに、一念発起して外に走りに行った。

息が切れたらだらだら歩く、を5回くらい繰り返しただけ。走ったのは正味5分くらいだが、からだには汗をかいた。

顔が冷え、耳が痛くなったので帰宅してすぐに風呂。

そのあとyoutubeで顔のリンパを流す動画を見ながら耳の下、胸鎖乳突筋、鎖骨の下、頸の後ろ、こめかみなどをマッサージしたら少し効果があった。

1、2分でもまずは全身運動をし、心臓がドキドキして息がきれる状態にならないと、座ったままでマッサージしてもあまり浮腫に効果がないみたい。

ハーバード大学式野菜スープ(ファイトケミカルで活性酸素を除去し、免疫細胞を増やす)を試してみる。

とりあえず玉ネギ、にんじん、かぼちゃ、長ネギ、菜の花などを煮てみた。

味付け無しで結構甘い。

1月26日(日)

昨日の夜、減塩したのだが、まだ顔の浮腫がひどい。

4時くらいからまた荻窪に出かけて、暖かい建物の中を歩き回っていたら少し顔の浮腫に効果があった。

もう本はあまり買わないつもりだが『わたしは真悟』(楳図かずお)の持っていなかった部分、まりんの子供時代が終わるひとつのクライマックスの刊がブックオフにあったので買った。

真悟がまりんを苦しめているロビンを消すために放った衛星のかけらが、まりんの立ち位置がずれたためにまりんを直撃することを知った真悟が、身を挺してまりんを守る。

しかしロビンによって苦しめ続けられていたために、まりんの子ども時代が終わるのが早まってしまい、真悟がまりんに伝えようとしていた言葉がまりんに伝わらなくなる。

機械である真悟がすべての遺伝子に助けを求めて、一瞬だけ人間の赤んぼうの姿になり、まりんの頭の上に抱きついて泣きながら「お か あ さ」と言った瞬間に燃える衛星のかけらによって打ち砕かれ、

機械の姿に戻った真悟を見ても大人になったまりんにはなにも思い出せない。

楳図かずおは、子どもの心を失うまでのカウントダウンをカチ、カチ、カチというドミノ倒しのような音で表現している。

この作品が82~86年にかかれていたことが奇跡だと思う。

1月27日(月)

夜、卓球に行く前にまともに食べられなくて、しかたなくカカオの濃いチョコレートを齧り、ホットミルクを飲んだ。

耳が冷えるので毛糸の帽子を被って行き、被ったままやっていた。

少しでも耳周り、顔周りの体温を上げて汗をかかないと浮腫が治らない。

今日も先生を入れて8人。練習の時、初めて会う男性Iさんに相手していただいて、できるかぎり強打した。

7勝で1番になり「たいしたもんだ」とM先生に言われた。

以前は運動後はすごくお腹がすいたのに、今はどうしても胃の調子がよくならなくて、たくさん食べられない。

あまり食べないで運動すると筋肉がやせてしまってかえって体に悪いのはわかっているのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2025年1月23日 (木)

次の本の編集 / 詩人のTさん / 少し気持ちが落ち着く

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ちゅびのまだ小さい頃(鉛筆、水彩)。

22日(水)

次の本のための編集作業。

掲載したい絵の画像の順番をざっくり決め、タイトルと英訳をつける。けっこう時間がかかった。

途中、並べてみると少し色味がおかしい画像があり、連作として並べた時に地の色がおかしくないように再度調整。

1月21日(火)

Wさんに2週間ぶりにマッサージしてもらう。

左肩が痺れるほど凝っていた。

やはり腫瘍マーカー6400超のショックが大きくて、過緊張が半端なかったのだろう。

浅井先生にお話を伺ったおかげで、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。

今も浅井先生とご縁が切れていないことを心底ありがたいと思った。

過緊張が少しずつほぐれてくると、だるくて眠くて布団から立ち上がれなくなった。

1月20日(月)

筋肉の疲れがどっと出た。全身に乳酸が溜まっている感じ。

夜は2週間ぶりに卓球に行った。今日は全部で7人だった。

Aさんに「顔が腫れてる」と言われた。寝てばかりいるせいか顔の浮腫が酷い。

左足の捻挫はまだ完全には治っていない(少し腫れているし、足首を動かす方向によっては少し痛む)が、ほぼ自由に動けた。

5勝で1番だった。

6時半頃に雷の音がして、激しい雨となり、7時半になっても止まなかった。

受付にいたかたが優しくて、忘れ物の傘を貸してくださったので助かった。以前に別の人が受付の時に、やはり雨で「忘れ物の傘を貸していただけませんか」とお願いしたら「忘れ物なので貸せません」と言われたことがある。

1月19日(日)

昨年の「二匹展」に来てくださった詩人のTさんにメールしたら、もう20年も前から私を知ってくださっていたとのこと、また「鬱金香をはじめとする絵に惹かれている」と伺ってたいへん感激した。

腫瘍マーカーが急上昇して、ネガティヴで絶望しやすい私は、過去の生き生きした瞬間のことを忘れてしまって、どうしようもない厭世観や無力感に襲われたりもしていたのだが・・

メールのやりとりをするうちに、昔のことが鮮やかによみがえって来て、とてもありがたく思った。

過去の、死の恐怖にすくんだりせずに精一杯燃焼していた時のことを思い出すと、自分の人生は空虚ではないと思えてきた。

その頃は、今よりもっと絵を描くことに緊張していて、どんなに懸命にやってもまだ足りないと思いこみ、焦燥でいっぱいで・・・激しく求める性格はあまり変わっていないので絵を描くことを楽しんだりはできていなかったのだが・・今、思えば、ありがたいこともたくさんあった。

絵を描くことを思いつめすぎて、辛くてもうやめたいと思った時期も長くあったが、結局は細々とでも発表を続けて来たおかげで、いろんな素敵な人たちと巡り合うことができた。

私に絵と文章が無かったら、死を前にして、もっと力なく、途方に暮れていただろう。

そして不安で張りつめていた私を支えてくれた、もう会うことのできない人たちのことを思い出して涙が出た。

今日は少しずつ気持ちが落ち着き、やっと何枚かのスケッチを描くことができた。

 

 

 

 

 

 

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2025年1月18日 (土)

乳頭癌と低分化癌、レットヴィモの効果

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ちゅび生後5か月。チョッピーとプフ2か月の頃。とっても仲良しだった3匹。

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1月17日(金)すごく寒い日

鎌ヶ谷総合病院へ。12時前に家を出、JR駅の方へ8分くらい歩いただけで、耳が冷えて頭が痛くて吐きそうになった。

JR、東西線、JR、東武線と電車を乗り継ぎ、新鎌ヶ谷駅へ。

昔、国立がんセンターで私の甲状腺癌と副甲状腺を摘出し、リンパ郭清をしてくださった浅井先生に、この前のPETMRIの画像を診ていただく。

2時に予約だったが1時間以上呼ばれなくて、とても緊張した。CD画像を丁寧に見ていただいているらしかった。

浅井昌大先生のお話は少し難しかったが

サイログロブリンの数値が急上昇している癌は、最初の乳頭癌(高分化癌)の性質を持っている癌で、大人しくて転移が遅い性質の癌。

だから数値が爆上がりしても、いますぐに危険ということは無い。

いずれPETに移るくらいに大きくなってくるだろうが・・・

私の甲状腺癌は乳頭癌だが、脳や骨に転移したのは低分化癌の性質(乳頭癌よりは活発)で、サイログロブリンの数値に顕われにくい。

分子標的薬は活発な癌ほど効く。そのやや活発な脳と骨の転移は今、形はあるが光っていない、つまりレットヴィモが効いている可能性が高い。

ちなみに未分化癌が一番増殖が速く、質が悪いが、低分化癌と未分化癌はまったく性質が異なる。

癌のことを考えて緊張すると、甲状腺ホルモンを消費し、甲状腺刺激ホルモンが上昇する。

つまり癌を大きくするホルモンが上昇する、なのでなるべく癌のことを忘れて気を散らすこと。リラックスすること。

運動も仕事もいいが、くれぐれも疲れ果てるまではやらないこと。適当にやること。

レンビマについては、レットヴィモが効かなくなった時にやるかやらないか考えればよい。それまでは考えなくてよい。

新しい分子標的薬に関しては、いつになるかわからないが、以前より開発は盛んになっている。

甲状腺癌に適合する薬を検査するよりも、自分の遺伝子に適合する薬を探した方が可能性がある・・というようなお話。

「一週間くらい前から左目の下瞼に尖ったおできのようなものが出来、最初、ものもらい用抗菌眼薬を差していたけれど治らず、眼用の古いプレドニン軟膏がうちに残っていたので、4日くらい塗っていたら治りました」とお伝えすると

「えっ!ものもらいだったらプレドニン軟膏を塗ったら逆に酷くなりますよ。どういう種類のできものなのか眼科で診てもらわないと。」と言われた。

「眼のふちが化膿するのはすべてものもらいだと思ってました。違うんですね。」

「サイログロブリンの数値をものすごく気にしてる割には、眼のほうは大胆なことしますね」

「眼に関しては無知で雑でした」

何も知らないことに関しては恐怖もない。だから昔の医師は「見なければいい」というようなことも言っていたそうだ。

細かくて明確な転移の画像を見せられたり、腫瘍マーカーの数値が爆上がりしたのを知らされれば、今現在の身体に不調がなくても精神的にやられてしまう。

浅井先生はあと半年くらいで引退されると伺った。とても淋しい。

私が、浅井先生が手術した時点で遠隔転移があった患者(最初からステージ4)の中で一番長く生きているとも。

つまり私が浅井先生と一番長くお付き合いさせていただいている患者だ。

1月11日(土)

昼から夜8時過ぎまで次の本(昨年に沢渡朔さんが撮って下さった写真と選抜した私の絵をまとめた本)の編集をやっていた。

絵の写真の中から載せたいものを厳選し、実物に近いように色調整する仕事。

私はイラストレーターなどの使い方を知らないのに、あてずっぽで色調整していくのでたいへんだ。

実物の印象とは違う茶色っぽすぎる画像と、青っぽすぎる画像があり、どちらを基にしてどう調整するか。

ある程度明確に線を出し、渋く暗くなり過ぎないように、軽くもならないように、深みや余韻の印象を感覚的に合わせていく。

時間がかかって肩が凝ったが、どんどん集中していくと面白くなってきて、癌のことを忘れられた。

沢渡さんの写真は、レットヴィモを始める前日に撮影してくださったものなので、レットヴィモをやってからとは顔は全然違う。

レットヴィモを始めると顕著に浮腫が出る。

1年も経っていないのに、今は身体はやつれていて顔はぶよぶよしているので悲しい。

撮影した日は3月だが21℃もあった。私は全く疲れを感じず、すごく元気に走り回り、両の素足は茨のひっかき傷で血だらけになったけれど楽しくてたまらなかった。

今は寒くて身体が冷えるので循環が悪く、余計に浮腫が酷くなる。暖かくなって運動出来たら、身体も顔も今より調子よくなると信じたい。

この日、PCの光を見過ぎて眼が疲れたのだろうか?左目の奥がつーんと痛くなり、瞬きをするたびにズキッと痛みが走った。

左頬までズキズキして、少し紫色っぽくなっていた。

嫌~な感じで、何なのだろうと思っていたら翌日の朝、左目の下まつ毛のところに痛いできものが出現。

 

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2025年1月14日 (火)

PETMRIの結果 光っていない

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うちに来て1週間過ぎた頃のちゅび。やっと目が開いた頃。

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うちに来て1か月くらいのチョッピーと、チョッピーと再会して3日目のプフ。

1月9日(木)

朝、8:30から4時間絶食なので7時過ぎからちょこちょこ食べた。人参とジャガイモをオリーブオイルで焼いたもの。ミルクティ。

12:10に地下2階の核医学科。12:30に問診票を書いてから検査着に着替える。身長体重測定(放射性物質の量を確定する)161.5cm。43㎏。

人差し指の先にパチンと針を刺し、血糖値を計る。地味に痛い。

次に左腕の静脈に、ブドウ糖にフッ素の放射性核種のフッ素18を合成した18F-FDGを注射し、管を刺したままにする。

1年前の3月にこの検査をやり、今日が2回目。

1年前も急に数値が上がり、造影剤CTを撮っても悪いところが映らなくて不安で眠れなかったのを覚えている。

その後、遺伝子検査をして2月にレット融合遺伝子陽性とわかった。

Y本先生は確か「造影剤CTに写らないものはPETMRIにも写らないと思う」と言われた。

しかしPETMRIを撮ったら骨転移のいくつかが活発化しているのがわかり、すぐにレットヴィモを開始したのだった。

今回は最初からPETMRI。

1年前に、手術後なのに急にサイログロブリンが上がり、もうあまり生きられないのかと悲観的になった時は2000ちょっとの数値。

今は6000超。

初めてやった時は左腕手首の甲側に刺さった針が痛くて、検査が終わるまで2時間近くずっと苦しかったのを思い出した。

今回はそんなに痛くなかった。今回は痛点に当たらなくてラッキーなのかな、とぼんやり考える。

テレビのあるカーテンで仕切られた小さな部屋で薬が効くまで1時間休む。

1年前にはNHKのチバニアン特集を見ていた。内容まで覚えている。今回はスイッチを入れたらBSTBSのとても古いドラマ「それぞれの秋」(木下惠介プロ制作のドラマシリーズ)をやっていた。

小倉一郎、火野正平、林隆三の若い頃の役者ぶりがかっこよくて、完全に画面に集中して現実逃避できた。

ドラマが終わった瞬間に眠ってしまったらしく、すぐに「時間です」と呼ばれて目が覚めた。

13:30からMRI。おしりのの筋肉が落ちていて仰向けだと痛いので、下にタオルを入れていただいたり、ガガガガという音で不安になるので耳栓をいただいたりしていたので、検査自体は苦しくなく、精神的には落ち着いていた。

というより、精神的に疲弊して眠かったのかもしれない。

45分くらいで終わり、診断結果を待つ間、急にすごく悲しくなってきて、下を向いて両手で頭を支えていると、すーっと涙が落ちて来た。

いつもの診察室ではない臨時の部屋で、H先生に呼ばれて入室した瞬間はすごく怖かった。

「画像診断専門の先生と一緒に見たんだけどね・・・特に光ってない」

「え?・・・」

画像をスライドしながら一緒に画面を見る。

「前にできていた右脳の浮腫している転移、変わらないか薄くなってる。右肋骨の転移、特に光ってない。恥骨部分も特に光ってない。甲状腺のあたり、光ってるけど、ここは唾を飲んだり振動などでも光る場所なので・・ここに再発したとは考えられない」

「・・・本当ですか?」

「うん。どこも今すぐ危ないところはない。レットヴィモが効いているということだと思う。とりあえず今のままで様子見ということになります。きょうは厳しいことを言わなければならないのかと思っていたんだけど・・・実際は違ってた」

「でも数値が・・」

「そこがもやもやするんだけどねえ。もしかしたら画像に移らないほど小さいのが出来て来てるのかもしれないけど、いますぐにどう、ということではないので。2月にまた採血して3月にサイログロブリンの結果を診ましょう」

「でもこのままだと3月の検査結果では1万、2万とかの数値になるかも・・」

とても信じ難くて喜ぶのが怖い気がして、手放しで喜べなかったが、予測した中での最悪の事態は免れた。

たくさんの薬を処方薬局で購入し、帰宅。18時にWさんのマッサージを受けた。

Wさんは「検査の時間を教えてくれてよかった。その時間に光が降りて来てがん細胞を消滅させるイメージをして祈った」と言う。

私が「ありがとう」と笑うと、Wさんは「信じてないでしょ」と私の肩をぺちっと叩く。

祈ってくれる気持ち、私が死んだら悲しいと思ってくれる気持ちが、心底嬉しいし、ありがたい。

スピリチュアル系のことは私は信じていないのだけれど、なんらかの想像や自己暗示でもいいから恐怖から逃れること、少しでもリラックスすることは、本当に重要なことだと思う。

常に緊張していたら免疫が落ちてしまう。

Wさんは「サイログロブリンの高い数値をマジックで消して、かわりに30などの正常値を書いて見えるところに貼って、毎日それを眺めていたら、いつかは自分の数値が正常だと思うことができるよ」と言う。

私の絵を見て、「私は絵はわからないよ、だけど並大抵のエネルギーではないことがわかる。普通の人にはこんな絵は絶対描けない。こんな絵を描くのはすごく難しい。そのものすごいエネルギーを、自分が治る、と信じることに使うほうがよっぽど簡単だと思う」とも。

とりあえずは予想もしていなかった命拾い。今はたすかったのだ。

心配して祈ってくれた人たちに本当に感謝。

 

 

 

 

 

 

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