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2025年11月16日 (日)

デッサン教室・造花では無理

2025年年11月のデッサン教室は、あと22日(土)と29日(土)の17時からの2回となります。

参加したいかたはHPからメールください。

11月13日(木)

阿佐ヶ谷区民センターでのデッサン教室。

今日、薔薇の花を描きたいから持ってくるとTさんが言っていたので、楽しみにしていたのだが。

遅れて来たTさんが持ってきたのは、なんと本物とは似ても似つかない真っ赤なポリエステルと緑のビニルでできた造花の花束だったので、驚きすぎて言葉に詰まった。

しかもなんの味わいもない安い茶色の壺まで、わざわざ買ったのだという。

「造花ではデッサンできません!いんちきなものではできません!」と声を荒げてはいけないとトーンを抑えて言ったが、内心、かなりイラっときてしまった。

なんでそんな不快なものをわざわざ描きたがるのだろう?

「私がモチーフを探してきます」と言って外に出て、寒い遊歩道を歩きつつ、熱くなった頭を冷ました。

Tさんは何十年も油絵をやってきているが、Tさんの眼に映る薔薇は、安物の造花と区別がつかないのだろう。

実際に、Tさんが家で描いたと見せてくれた薔薇や百合の絵も、安物の造花と区別がつかない。

かたちは雑で色はショッキングピンクで微妙なニュアンスも細部もない。

つまり生命を持った花に見えない。

歪んでいようが濁っていようが魅力的に描けていれば、その人がなにに惹かれて描いたのかが伝われば、良い絵になっているはずなのだが。

Tさんは「薔薇の描き方を教えてもらおうと思って」造花を買って来た、という。

人に絵を教えるようになってわかってきたことは、絵を描くのが好きだと言っている人であっても、そこに在るものが見えて(在るものに感じて)いる人はほとんどいないということだ。

本当は、生きている花から造花のいんちきさを引いた、残余のエッセンス、その香りや生々しさ、儚さを描ければ、輪郭なんてとる必要もないのだけれど。

それは高度で不可能に近いから、まずは薔薇の中心がきゅっと固く巻いて、それが外に向かってしどけなくほどける感じや、

花弁の根元は淡いクリーム色でそこから紅色が滲む様子や、一枚一枚違う花弁の皺や亀裂のニュアンス、

規則性があるようで変則的な個々のかたち、柄のついている部分の托葉、左右非対称な棘などをていねいに見て描くのだ。

遊歩道で拾った桜の今が盛りの紅葉を10枚ほど持ち帰って、それを描いてもらった。

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いつもどおり、Tさんの根気が続かずに私に手を入れてもらいたがるので、ほとんど私の絵になってしまうのだけど。

色はあっさり薄めにした。

葉のめくれ上がった部分と、縁のギザギザ(きょ歯)、黒く枯れた部分や虫くい部分を丁寧に描くのがポイント。

よく見ると葉の根元にふたつ、むかごのような小さな球がついている。

アケミさんとTさんは別の絵画教室に何年も通っているが、そこの先生はモチーフ用にたくさんのプラスチックの果物や花を用意していて、それを描かせるのだそうだ。

ちょっと私にはなにが楽しいのか、なにがしたいのか理解できない。

石膏なら光と影を見るのによい。ガラスや人形などの人工物を描くのもよい。

しかしいんちきのブドウやいんちきのリンゴを描いて、「自分はブドウやリンゴの描き方がわかった」と勘違いさせることは最悪だ。

植物の生命のみずみずしさや儚さを感じたことのない、よほど感性の麻痺した人だから平気なのだろう。

つまり優れた絵のすごさもわからない人。

その教えている人に対してかなり気持ち悪さを感じるが、それで楽しいサロンができているのだから。世の中にはそういうのが絵だと思っている人もたくさんいるのだろう。

アケミさんが明るい単純な色ばかり使っているので、私が大正時代の絵や着物の色を参考にするように言ってグレイッシュトーンやダルトーンを教えたら、

その先生がそれらの絵を見た時「色が暗い!まるで大正時代の絵みたいだ」と言ったそうだ。

まさしく私とはまったく感覚が違う、私から見るとはっきり言って「絵」になっていないもの(絵にならない方向性)を「絵のかきかた」と言って教えている人だ。

拙いせいで「絵未満」ならいいのだけど、「絵」と逆のベクトルを教えていることに呆れるというか腹立たしく思う。

その人と会うこともその人に何かいう機会もないだろうけれど、私のデッサン教室では私の考えを話していくつもりだ。

なにも変わりたくなくて現状で楽しくやりたい人、現状でほめてもらいたい人には何も言わない。

11月16日(日)

急に寒くなってから顕著にレットヴィモの副作用の顔の浮腫が酷い。

浮腫と眼の下の隈の見た目も酷いが、なによりむくんだ眼の周りや眼の奥が痛いのが苦しい。

お風呂に入ったり、遠赤外線パックを顔にあてたり、ストレッチしたり、いろいろやっているが、とにかく気温が低くなると体調が悪くて辛い。

それといつものことだが、舌に口内炎が出来て痛い。

火曜の夜から木曜の朝までの休薬期間、口内炎に関しては少しましになる気がする。

しかし浮腫のほうは良くなっている気がしない。

これからの冬がとても憂鬱。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2025年10月15日 (水)

福山知佐子個展4日目

10月14日(火)

ギャラリー十二社ハイデで福山知佐子個展の4日目。

今日は私の高校のA先輩が一番乗り。

A先輩の親友で、私が美大受験予備校に迷っていた時に、高校の一番近くの小さな美大予備校(もうとうの昔に無くなった)を紹介してくれたM子先輩が癌で亡くなったことを聞く。

言葉にならない。私と同じ武蔵野美術大の先輩でもあり、とても気持ちの優しいかただった。

その後斎藤哲夫さんが来てくださった。

哲夫さんは私の最初の個展の頃からずっと来てくださっている、芸能人的な気取りが無くて、本当に温かい人。

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スケッチブックのデッサンを真剣に見てくださって、枯れた花の絵に「華やかだ」と。

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ツアーから帰ったばかりなのに明後日手術とお聞きする。

私は最初に甲状腺癌に気づいた時には肺に粟粒状転移していて4期。その時に、15年くらい経ったら肺の粟粒上転移が急に活性化する時が来る可能性が高い、そうしたら成すすべはない、と最初の執刀医の浅井先生に伺っていて・・・

その転移の活性化が15年ではなくて30年後(忘れていた頃)に来たのだけれど、甲状腺癌の肺転移手術という前例のない(麻酔が切れた時に気が狂いそうなくらい痛い)手術を受け、

さらに脳転移にサイバーナイフを受け、認可になったばかりの分子標的薬レットヴィモ(30年前にはこんな薬ができるなんて想像もできなかった)を服用して、

まあなんとか元気に生きている、ということをお話したら「すごい経験をしてきてるね」とけっこう元気づけられたようだった。

12月からのツアーを全部キャンセルされたと聞いて「キャンセル料とかだいじょうぶなんですか?」と聞くと

「それがだいじょうぶなんだよね。ライブハウスはさ。これが大きな会場だったら死んででもやらなきゃいけなかった」と。

お互い頑張って生きようとハグ。

そのあといつも優しい古い友達が来てくれた。

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それから今日は私ひとりなので心細くて来てほしいとお願いしていた詩を書くUさん。Uさんはとても鋭敏なかたで、神経と言うのか・・話が通じるのが嬉しい。

いつもマッサージでお世話になっているWさん。

Uさんはなかなか食事ができない私のために柿を剥いて切ったものを容器に入れて持って来てくださった。

Wさんは私の生家の古い雰囲気をとてもいいと言ってくれて、それからナニワイバラとハゴロモジャスミンの絵をすごく気に入ってくれたそう。

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2025年9月15日 (月)

国立がん研究センター、プフのおしっこ、髪を切る

9月9日(火)

国立がん研究センター中央病院。

尿、血液検査。全身CT。

行きの丸の内線の中で、なんか臭い、猫のおしっこっの臭いが下の方からする・・と思い、まさかと自分のスニーカーを脱いで嗅いでみたら、右足の靴におしっこかけられていた。

私が留守にすると玄関でおしこするプフの仕業。玄関の地面に3匹が嫌がる香水をかけているのに全然効果ない。

つんとくる強烈なおしっこ臭。これでは周りの人、皆に気づかれてしまう、どうしたらいいのか?!

病院に着いて焦って保険証と限度額認定証確認、採尿、採血した後、入院用の上履きを購入しようと売店に行ったが、2600円もしたし、もう入院しないかもしれないのでやめた。

CT検査を待つ間、廊下にあった消毒用アルコールを靴にドバドバかけても臭いが消えない。

2回、3回、靴下がびしょびしょになるくらいドバドバかけても臭いは弱まりもしない。

なんとかごまかしつつCTを終え、診察を待つ間はなるべく人がいないところの椅子を探して座っていた。

内科のH先生の診察。

先月8月12日採血のサイログロブリンの結果、589。今まで一番下がっている。

2024年9月1377、11月3075、12月6470と倍々に上昇した時は、もうこのまま増悪一方で終わりかと絶望しかかったが、

2025年2月に682と下がって、その後は2025年4月1680、6月810、8月589と上がったり下がったり。

「あんまりサイログロブリンは検査しないほうがいいね。僕も含めて一喜一憂してしまうから」とH先生。

高くなりすぎていたカルシウムもうまく抑えられていた。これはアルファロールを飲むのを控えめにしたから。

CTの結果は、胸の真ん中のリンパ節の転移が一番目立っている。数カ所ある骨の転移はあまり目立たなかった。

CTやMRIも、サイログロブリンが上がった時にだけ撮ればいいと思うが・・。

外科のY本先生の診察の時も靴の臭いが気になって冷や冷やしていた。

先生たちにお伝えするのを忘れたが、ここ数日、肋間神経痛がけっこう来ている。

まだ手術で切られた神経が再生しているのか、手術とは関係ないのか?

痛い時は思わず胸の真ん中あたりの薄い肉をぎゅっとつかんで引っ張っている。

帰りにアクリル絵の具などを置きに十二社ハイデに寄った。

十二社の階段にヒメムカシヨモギとイノコヅチとヤブカラシが美しい。

8月26日(火)

2023年4月のサイバーナイフにより後ろ頭が縦斜め三角形に抜け落ちてから、2年4か月、ずっと伸ばしっぱなしだった髪を切る。
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(今年の4月に生まれて初めて携帯電話というものを買ったので、自撮りできるようになった)

禿げた部分からはえてきたクルンクルンの髪の現在の長さに合わせて、ばつんと切ってもらった。

少し生えて来た時は、クルンとカールした髪がツノのように飛び出していたが、ずぼらな私は気にせず、ひたすら伸ばしていました。

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過去のブログを読むと、2023年4月19日が1回目で、照射は全部で5回受けていて、4月25日に終了していた。

2日くらいで終わったような気になっていたが、実際は5日も受けていたんだなあとびっくり。

脳転移にサイバーナイフを受けると聞いた時は怖かったけれど、やっている時は眠剤で眠っていて恐怖感もなかった。

終わった後、吐き気やふらつき、右手の不随意運動など、不安になる副作用の説明がたくさんあったのだけど、幸運にも何も起きなかった。

 

 

 

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2025年7月23日 (水)

脳の造影剤MRI、冷房で具合が悪くなる

7月15日(火)ゲリラ豪雨

国立がん研究センター中央病院

最近、不眠でなかなか寝付けないので夜、レキソタンを前より多く飲んでいる。

昼は絶食なので、無理やり8時に起きて、まったく食べたくないのにバナナと牛乳と卵を食べる。それからまた少しウトウト・・

血液と尿検査。

1:45から脳の造影剤MRI。

検査室が寒くてたまらないので、検査着の下に着るアンダーウエアを持参していてよかった。寝不足なので寝てしまう。

終わった時に「気分はだいじょうぶですか?」と造影剤アレルギーについて聞かれる。

「MRIのだったかCTのだったか忘れちゃったんですけど、以前にくしゃみが止まらなくなったことがあって・・」と一応お伝えすると

「それはCTのです。カルテに書いてありますね。MRIとCTの造影剤は全く違うものなんです」

「一度アレルギーが出たら、もう二度と造影剤CTはできないのですか?」

「メーカーを変えてみたりすると、添加物が違うので、できたりします」

3時過ぎ、H先生の診察。

脳に2つある腫瘍(サイバーナイフ後に新しくできたもの)は変わらず。

脳天にあって開頭手術したがっていたほうの腫瘍は、腫瘍のまわりの浮腫(これが質問しても説明がよくわからない)が消えていた。

サイログロブリン(先月採取した結果)は先々月よりは落ちていた。

とりあえず、レットヴィモが効いているということ。

レットヴィモが効かなくなってからは、この2つの腫瘍が活発になるわけではなく、いろんなところに転移が出てくるという。

私はあと2年くらい、レットヴィモが効いているうちに活動的にやりたいことをやって、痛みが出てきたり動けなくなったら、人前から引っ込んでひっそりと暮らしたいと思っている。

自分の人生のタイムリミットが迫ってくる感じ。つまらないものは本当につまらない。熱狂するものはほんの少し。

レットヴィモを2か月分出してもらう。一粒4000円で2か月分で144万円?保険でMRIと合わせて44万?

8丁目の東京画廊まで歩いたら後ろから殴られる大雨で全身びしょ濡れ。

山本豊津さんはもう出かけられていたし、さんざんだった。

1丁目のサイゼリヤでワインを飲み、冷房で凍える。風邪をひきそうだった。

昔プランタンだったところにあるOKストアで買い物。

7月16日(水)曇り 肌寒い

プラトーギャラリーでの瀬戸内逍遥さんの東京での最後の個展を見に行く。瀬戸内さんが上岡さんだったと初めて知った。

そこでその前に個展をしたまむ(万夢)さんと知り合う。

イラストの仕事のこと、デッサンのこと、いろいろ熱心に質問された。まさにコンサル。

このギャラリーでも冷房がきつくて、ものすごく体が冷えて顔と眼の奥が痛くなってしまった。

7月17日(木)

高円寺駅前で川北スぴ子さんの個展。

昔の文化人形たちの世界。服飾の学校を出られたそうで、何とも言えない女の子の人形のかわいらしさとレトロ感がたまらない。

ぜひギャラリー十二社ハイデで個展してほしいのだけど。うちの雰囲気にぴったりだと思う。

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この日も冷房で顔や眼の奥が痛くなり、具合が悪くなった。

レットヴィモを飲んでいるのと関係あると思う。冷えると敵面に血液循環が悪くなってやたらに浮腫む。

 

 

 

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2025年6月21日 (土)

がんセンター・枇杷採り ヤマモモ

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枇杷 鉛筆デッサン、水彩 枇杷の葉のねじれたりぼこぼこしたりしているところに魅力を感じて描いた。

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ヤマモモ 鉛筆デッサン、水彩 ヤマモモの実は微妙な色のガラス玉のよう。

6月17日(火)35℃

国立がん研究センター中央病院。

今日はサイログロブリン検査(サイログロブリンの結果は来月)を含め、採血4本。

一般検査の方の結果は、まあいつも通り。肝臓と腎臓の値が少し高いが酷いというほどではない。

あいかわらずアルブミンの値も低いが少しだけ。

来月、造影剤MRI検査をすると言われた。

血液を採ったあと、疲れて胃がむかむかして食事できなかった。

・・・

4時半くらいに帰宅できた。

アケミさんと打ち上げということで、完熟になった枇杷を採りに出かけた。

なにしろこのためにアケミさんは高枝切挟みを買ってしまったくらい楽しみにしているのだから。

アケミさんは胸に今はやりのオニヤンマ君をつけている。田舎では皆使っていたそうだ。

今回は、前回とはまた別の親切な人が大きな脚立を貸してくれた。ありがたい。

夏至近い夕暮の陽射しは暑いけれどまだ甘く、夕日の色に熟した枇杷は、この前に採った時よりずっと甘かった。

ヒヨドリたちがついばんで欠けている実を残りを食べてみる。

鳥たちはどんな味を感じているのだろう、私の身体よりもっと切実な甘みを感じているのではないか、と思う。

60歳以上になる高い枇杷の樹は数千個の実をつけていて、鳥たちの分の100の1くらいをいただいた。

夢中になり過ぎて塀の上に上ったりしてフヂヤ薬局の澄子さんに「危ないからだめ」と叱られた。

終わったあとで澄子さんに

「すみませんでした。ありがとうございました」と一番大きくて赤く売れた枇杷を両手に差しだしたら

「いいのよ。あんなに一生懸命採ったんだもの。持って行きなさいよ」と。優しい~。

澄子さんは今年87歳になる色白でかわいくて自立した女性。

そのあと、高南通りのヤマモモの街路樹を見に行ったら、もうほとんど枝に実はついていなくて、夥しいガラスビーズのような赤や濃い紫の実が歩道に落ちていた。

ヤマモモは東京ではとても珍しい。私もヤマモモを食べたのは今日が初めて。

少し渋いような野性的な味。ポリフェノールが強そう。

昔、鹿児島出身の友人が、私にヤマモモを食べさせたい(私が感激するに違いない)と言っていたのを思い出した。

来年は6月10日くらいにヤマモモの実を見に来よう。

そのあと食事に行き、そこでアケミさんがギャラリー十二社ハイデについてやりたいことをいろいろしゃべっていた。

7月には週に3日在廊して常設(コレクション)展をやるという。

私が絵の制作で手いっぱいで、ギャラリーを回すのに困っていたところに、アケミさんは管理人になってくれて、いろいろ企画し、在廊までしてくれるという。

アケミさんと急激に親しくなったのはつい最近だ。

「なんでそんなにまでしてくれるの?」と本当に不思議なのだが

「ギャラリーに関わるのが夢だったの。知佐子さんが幸せを運んできてくれた。今は毎日が充実していてすごく幸せ」という。

「もっと早くに知佐子さんが絵をかいていることを知っていれば」とも。

アケミさんは芸術関係に興味があって、昔は美学校に通って版画を習っていたり、

ビデオ作品をつくる教室(先生が寺山修司と谷川俊太郎の往復ビデオレターを撮った人で、谷川俊太郎さんが講評に来たこともあるそうだ)に通っていたりした人だ。

7月に何を展示するかなどは追ってXやブログでお伝えしていきます。

 

 

 

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2025年5月 4日 (日)

鎌ヶ谷の病院 / 卓球

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桜(墨) 季節がだいぶ過ぎてしまったが、以前に描いた桜の絵。

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桜(小汐山 鉛筆素描)

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桜 (太白 鉛筆素描)

5月2日

鎌ヶ谷の病院。浅井先生に会いに行く。

腫瘍マーカーはTSHと一緒に考えなければいけない(TSHと腫瘍マーカーの両方が上昇の時は危ないということ?)とY本先生が言われていたが、

浅井先生は腫瘍マーカーもTSHも、いろんな要因で変動しやすい、と。

やはり両方ともどんどん上昇の一方となれば危ないが、下がったり上がったりなら気にしすぎない方がいいとのこと。

次のMRIでどこか光っていたら、なにか新しい治療をすべきか、という質問に、

浅井先生は基本的には積極的にいろんなことをしてもしなくてもあまり余命は変わらないという考え。

肺の右中葉摘出の時だけは、浅井先生は一刻も早い手術を勧めた。

国立がん研究センターでは甲状腺癌を摘出して何年も経ったあとの転移の手術は前例がないとのことなのに、浅井先生のひとことで手術が決まった。

それ以外は、浅井先生はレットヴィモは勧めたが、レンバチニブはやらなくても・・・という感じ。

・・

8月で退職されるのか、とお聞きすると、

「前いたところの医局から若い人が来れば、その人に教えるという役割が与えられる。何年かは仕込まないと」というようなお話。

「前いたところとは・・・国立がんセンターですか?東大病院ですか?」

「東大のほうです。今は外科志望の人がすごく少なくなって、耳鼻咽喉科(頭頸科)でがんの手術もやろうという人は本当に少なくなってきていて・・。」

シビアな話だが、どんな科でもお給料は同じだそうで、夜中に呼び出されてがんの手術をするような科は、非常に身体的、精神的にたいへんなので志望者がほとんどなく、

最近は命にあまり関わらなくてお金になる美容外科に行きたがる人がすごく多いそうだ。

このままのペースで外科医減少が進めば、将来的にはがんで手術を受けたくても受けられない人が出てくるかもしれない、と浅井先生は危惧されていた。

「仕事がきつくてお金が少なくてもいいというばかな人が来てくれればいいんだけど・・・」

世の中の若い世代は短絡的になってきていて、昔みたいに志を高く持つ人が減ってきているのかもしれない。

「外科手術って手先の器用さが関係ありますよね?」

「いや、僕なんかすごく不器用のほうだから」

「え?昔、甲状腺摘出の時、同室の人に、浅井先生が担当でいいなあ、ほかの先生がいかにも不器用そうで怖いって言われましたよ」

「え!そんなこと言ったら怒られちゃいますよ。そんなことないです」

「でも私の傷、ものすごく細かく縫ってくださったじゃないですか。」

「それは年齢のことがあったからね」

抜糸(今は溶ける糸だが、当時は抜糸があった)の時に、看護師さんから「わあ、浅井先生すごいわ!若い人には全然違いますね~。ものすごく細かく縫ってる」と言われたのをずっと覚えている。

何十年も経っているのに、あの抜糸の緊張感。糸を引っ張ってチョキン、チョキンと切られる感覚が蘇る。


5月1日(木)

ストレスを吹き飛ばすために、初めての卓球教室へ。アケミさんと一緒。

オーダーで好きなことを教えてもらえ、10分やったらほかの人と交代を4回繰り返す。

とても細かく注意してもらえて夢中になる。必死になって汗だく。

途中から遅刻して高校生(国立の有名校)のS君が来た。明後日、大きな大会の試合だそうで綿密に戦略を練っていた。

終わったあと、アケミさんの自転車に重い荷物を載せてもらって歩いて帰った(家までゆっくりしゃべりながら歩いて50分くらい)。

まだ胃腸が痛くて空腹感がないのだが、やせたくないのでコンビニでサンドイッチを買って食べながら歩く。

甘い匂いがしてきて「ネロリだ。柑橘の花だよ」と、白いぽってりした花を拾ってアケミさんにあげた。

「わあすごいいい匂い。この匂いのアロマオイル買ったことがある」

団地の庭に春紫苑が満開。アオスジアゲハも飛んでいた。

塀の下に桜桃がびっしり落ちているところで、通りかかったご婦人に「あら~これ、サクランボなの?食べられるの?すごい上の方までいっぱい!」と言われ・・・

私が背のびして3粒採って、皆で一粒ずつ食べた。すっぱくておいしかった。

早稲田通りの古い医院の前から渡り、庚申通りを通って高円寺駅前に着いた頃に、はたしておなかが刺し込んできた。

帰宅して部屋に入ったらすごい疲労感で倒れてしまった。

そのあと、からだを奮い起こして高円寺図書館へ。

新しくてちょっと豪華すぎる建物(私は古くてボロい建物のほうが好き)。

疲れすぎてPCの画面入力ができないくらい朦朧としながら、お目当ての本を注文。

 

 

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2025年4月10日 (木)

冷えると浮腫が酷く体調悪い、国立がん研究センター

4月5日(土)

久しぶりに国立へ。

並木の桜は今日がまさに満開。だけど人気のない枯れ蔓の這う倉庫のようなところに惹かれてしまう。

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菊科の立ち枯れの風情に惹かれて走り寄ってみると、危険なアメリカセンダングサ。

この種子は服や運動靴に刺さって、指で丁寧に抜いても小さな棘が残っていてずっとチクチクと刺す。

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原生林の陰に花びらの大きいニオイスミレが咲いていた。

明治時代の一般の人が描いたスケッチなどを売っているというコレノナというお店に行ってみたかったのだけど、休業中だった。

裏通りを周ると明治牛乳の隣にユニコーンブレッドという素敵なお店と魅力的な古いアパートを見つけた。

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「第一松葉荘」と「月朋荘」と書いてある。

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18時過ぎに国立の駅に戻るとピーィッという高くてきれいな声が鳴り響いていた。

見上げると数羽のツバメが飛んでいた。とてもかわいい。

駅の構内のスピーカーの上に巣をつくっているのだ。新しい建物なのに気に入られたみたい。
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この日も浮腫が酷く、使い捨てカイロを貼っていたのに冷えたのか、夜は悶絶するくらい胃腸の調子が悪かった。

4月4日(金)18℃

1日から3日間、冷たい雨だったが、桜の花は散らずにしっかりと枝にくっついていた。

私はあいかわらず浮腫が酷く、調子が悪い。
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椿は早生の木は落花してしまった。咲いている花は雨で茶色く傷ついている。晩生の木はまだつぼみ。

4月1日(火)雨5.8℃

真冬の寒さの中、国立がん研究センター中央病院へ。

12時過ぎに採尿、採血。13時半くらいに内科のH先生の診察。

一般検査の方で脱水と言われて驚く。ずっと家にいてお茶ばかり飲んでいるのに。

つまり下痢で脱水していたみたい。

あいかわらず食べると胃腸が痛くて、どんどんやせている。ロペミン(強い下痢止め)は1日2回ずつ飲んでいいと言われる。

Y本先生の診察は15時半くらいまで待たされた。

粉のプロテインも飲んだ方がいいと言われる。ブレンダーで作るバナナと小松菜と牛乳の生ジュースは飲みやすいが、プロテインを入れるとおなかが痛くなるので少しずつ。

一日に50gくらい蛋白質をとらないといけないのに、私はせいぜい25gくらいしか摂れていないみたい。

3月31日(月)

卓球の時だけは汗びっしょりになる。代謝が上がるのは嬉しいけど、食べられないのに運動するのは筋肉が余計落ちてしまうのでよくなさそう。

とりあえず豆乳を飲んでダークチョコをポリポリかじりながらがんばった。

気がつくと自分の右上腕の筋肉が落ちてしまっているのに愕然とする。

それ以上に太腿とふくらはぎの筋肉が落ちてしまってふらふらしている。

アートフェアの日に痛めた右腰が治っていない。冬に捻挫した左足の甲の外側の痛みがぶり返してきて足を引きずっている。

3月30日(日)
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先週は25℃を越えた日が3日もあったのに、急に寒さが戻ったせいか、身体が冷えて浮腫が酷くなる。

朝、眼が覚めた時に顔が冷えていて、瞼が分厚く重く、眼の奥と頭が痛くて、今日は酷い顔をしているとわかる。

眼の下の隈が真っ黒で、その隈の上がぶっくり腫れている。

食べると胃腸が痛くなるので食べられなくて、どんどん体温が低く循環が悪くなり、浮腫が酷くなっている感じ。

浮腫が酷いと頭が重くて、だるくてとにかく苦しい。

それでも春が来たので、植物を見に外に出かけた。

枝垂桜もソメイヨシノも咲きかけ。

枝垂桜の開花していない枝は極細の墨の線のようで、遠くから見ると灰色の靄で、鬱々としながらも甘やかさを感じさせる。

早咲きの椿はぼたぼたと落ちて地面を華やかにしていた。

油断して厚着していなかったので夕方に寒くて震えてしまった。冷たい風にあたるとさらに覿面に顔の浮腫が酷くなる。

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2025年3月26日 (水)

ヒヤシンスの絵 / FODMAP 、ブレンダー 野菜ジュース

3月26日(水)

雪さまにリクエストいただいているヒヤシンスの絵、制作中。

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ヒヤシンスの花色は多いが、私は青色、水色、薄紫系統が一番好きだ。

ご注文いただいたかたからも青色系が希望だと言われたので嬉しかった。

淡い青だとスカイジャケット、ブルージャケット(花の根元が鮮やかな空色で花弁は紫がかった青)、デルフトブルー・・・などの種類のヒヤシンスをイメージして描きたい。

ヒヤシンスの詩と言えば、大手拓次である。

ヒヤシンスは特徴的な素晴らしい香りがあって、真珠や霜のように花弁が光って、幼い頃から大好きな花だが、大手拓次の詩を読んでさらにヒヤシンスが好きになった。

その詩は、ヒヤシンスに色をつけた時に載せようと思う。

・・

猫の絵を買ってくださったサヤカちゃん(30年来の友人)と、最近メールで久しぶりに話した。

サヤカちゃんも長く腸の病気に悩んでいる。彼女は高FODMAP食品を避けることを教えてくれた。

FODMAPというのは、小腸で吸収されにくい4種類の発酵性糖質を指す用語とのこと。

Fermentable➝発酵性
Oligosaccharides➝オリゴ糖
Disaccharides➝2糖類
Monosaccharides➝単糖類
AND
Polyols➝ポリオール

お腹によいとされているヨーグルトや納豆、はちみつやオリゴ糖も高FODMAPに含まれる。

玉ねぎ、にんにく、ブロッコリー、キムチ、マッシュルーム、豆類、絹ごし豆腐、さつまいもなど私の好きなものばかり。

そして私の大好きな果物、さくらんぼ、桃、りんご、梨、マンゴー、スイカ、アボカド、プルーン、あんず、ライチ、柿、西洋梨、いちじく、すいか、プラム、ドライフルーツ・・・これらは全部やめられない。

ずぼらな私にはFODMAPを避けるのは難しそう。

何十年も前から欲しかったのにまだ買っていないブレンダーを買って、生野菜ジュースを飲んでみたいです、と言うと、

サヤカちゃんから、ワット数の低いものだとうまくできないというアドバイスをいただき、一番安い150Wのを買おうとしていたのをやめて500Wのを買うことにした。

本日、ブレンダーが届き、仕事から帰宅して夜、生まれて初めての自分で作る生ジュース体験。

小松菜を2株と有機バナナ一本、それにラブレ1本を加えてジュースにしたら最高においしかった。

飲んだらすぐにおなかがきゅるきゅる・・と鳴ってしまったが。ミヤリサンとロペミンを飲みながらだましだまし飲んでいこうと思う。

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先日、卓球仲間のMさんに体重が減ったと言ったら「たいへん、甘いものいっぱい食べなきゃ」と言われたのだが、

私はもう30年くらい、好んで甘いものを食べたことがない。お菓子に興味がなく、ほとんど砂糖を摂らない。

がん細胞はまず糖を吸収するのは事実だが、甘いものを食べても癌の悪化には関係ない、とも言われている。

しかし癌の悪化に関係なくても、身体の糖化、酸化、炎症に関係あることは避けたいし、私は甘いものを食べたいという欲求がまったくない(お酒は時々飲みたくなるが)なので、勧められてもいただかない。

甘いものをお土産にいただいたら、友達にもらっていただいている。

ぶどう糖加糖液の入った飲料も飲まない。

同じく卓球仲間のKさんに「すごくおいしい」という揚げせんべいを持ってきているので食べないかと勧められたが、謹んでお断りした。炭水化物が揚げてあるお菓子は食べない。

癌が動き出してから、絶対に食べたくないものに無理してつきあうこともない。

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明日はまた絵の撮影。

ちゃんと選んだはずなのに、あとから絵を修正したくなったり、選にもれた作品が重要に思えてきたり、どうしても感覚が微妙に変化するので一発で決定!というふうにはならない。

悩み、迷いながら修正を重ねて、頭が少しずつ冴えて、どうにか考えがまとまっていく感じ。時間がかかるのだ。

プロの撮影現場を見るのは楽しい。やりかたを見せていただいていろんな発見がある。

私が現場で、一番撮りたいところのポイント(ディテール、色味など)を説明して、そこに焦点を合わせて撮っていただいて、思い通りの撮影になっていくのがとても充実感がある。

 

 

 

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2025年3月 8日 (土)

腫瘍マーカーが下った(奇跡!?)/ 植物の名前

 

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椿 曙(あけぼの)(鉛筆、水彩、)

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椿 八重 春曙光(しゅんしょっこう)(鉛筆、水彩)

3月4日(火)5℃ 暗い灰色の空 夕方から雪

国立がん研究センター中央病院。まず採尿と採血。

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甲状腺癌の腫瘍マーカー(サイログロブリン)の値は、2024年7月880、9月1377、11月3075、12月6470、

この12月の結果6470という過去最悪の数値が1月7日に出て大ショックを受け、もうレットヴィモが奏功していないのではないかと疑われ、

もう絶望に近い気持ちで1月9日にPETMRIを受けたら、不思議なことに全身どこも光っていなかった。

そして鎌ヶ谷の浅井先生に結果の報告をしに行くと、腫瘍マーカーの値が上昇するのは初期のおとなしいタイプの乳頭癌であり、もう少し増殖の速い癌はレットヴィモで抑えられているのではないか、とお聞きしたのが前回までの話。

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内科のH先生に呼ばれるまでの1時間ほどの待ち時間、考えないようにしてもだんだん気持ちが追い詰められ、今日は1万越え、もしかしたら2万越え、という数値が頭にちらついてしまう。

1月の末には、あんなに気持ちが前向きだった森永卓郎さんが亡くなり、2月の最初には、長年ブログを読んできた吉野実香さんが亡くなったのも私にはそうとうのショックだった。

呼び出し機械が黒く点滅するのを見た時、いよいよ宣告される、と真っ暗な気持ち。

そして診察室に入ると・・・「検査結果は、下がってました」

「え?・・」

「682。一瞬6000かなと思ったんだけどね。600」

「え?!なんで・・?」

「Y本先生も先に見てコメントされてるけど、甲状腺癌が破壊されたときに血液に流れ込むことがあるみたいで。レットヴィモが効いて癌が壊れる時に血液中のサイログロブリンがすごく高くなることがあるのよ。1万に上がってそのあとぐっと下がったりとか。そういう例があったのを忘れてた」

「それって珍しいことなんですか?」

「あまりないね。だけどレットヴィモが効かなくなるには早すぎるし、おかしいと思ってた。治験からやってる人は2年、3年は続いてるからね。正直、この薬はまだわかっていないことが多いけど・・」

「ええ~・・なんかもう今日はすごく緊張して・・」悲観で固まっていたのでなんだかすぐには信じられない気持ち。

「緊張しやすいんだよね。とにかくレットヴィモが効いているということ。そんなわけで薬とじっくりつきあっていきましょう」

そして次にY本先生の診察。

「甲状腺癌の生検で腫瘍に針を刺すと、潰れたがん細胞が血液に流れ込んでサイログロブリンの値がすごく上がってしまうことがあるんです。だから針を刺す前に血液検査をする、という決まりがあるんです」と言われた。

昨年の3月に2324になった時、一昨年に人生で一番痛い手術をして右肺中葉を切除したのに、1年も持たずに脳や骨に転移していて切除する前と同程度の数値になってしまったことに絶望しそうになり、

そのあとレットヴィモ服用によりいったん700まで数値が下がったのに、それからたった4か月、5か月で数値が3000、6000と急上昇したことに、正直、そうとう心がすさんでしまっていた。

もうあとは進行していくだけ、耐えていくだけ、と思うと孤独感や虚無感がひどくなり・・。しかしこんなことがあるのだろうか。

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夕方、Wさんのマッサージを受ける。肩も首も顔も頭もがちがちと言われる。

今日、1万越えの数値だったら、これからどんどん悪くなる一方だと緊張していたから。

「ほら、6000の時に私が、今がピークだからだいじょうぶって言ったじゃない」

「そうだっけ?・・・」適当に慰めてくれたことが本当になった。

帰り道、牡丹雪が暗闇の中に舞い、街路の銀杏の木の根元に白く積もっていた。

3月3日(月)

前日の予報では雪だったが、雨に変わったので使い捨てカイロをお腹と背中に貼って夜間卓球へ。寒いので先生のほか4人しか来ていなかった。

明日、がんセンターで腫瘍マーカー結果が出る恐怖を忘れるため、打つことだけに意識を集中して10勝。

新入りの力まかせにスマッシュを打つ(しかし空振りが多い)男性に勝てた。

3月2日(日)22.1℃

「この植物の名前は何でしょう?」という木の札。

最初の樹は「イヌシデ」と答えて、木の札をめくったら正解だったので驚かれる。

この樹は、井之頭公園の端っこの原生林にたくさん生えていて、少し斜めにねじれながら伸びるこの樹の枝ぶりと、縦に亀裂が入った灰褐色の木肌が絵になると感動して、昔に名前を調べたことがあるのだ。

シデとは「四手」であり「紙垂」であり、神道で玉串やしめ縄などに垂らす紙に、淡い緑色の花穂のかたちが似ているからである。

似たようなアカシデ、クマシデなどの樹との区別は私には難しいが、武蔵野の林にはイヌシデが多い。

2番目に出会った「この植物の名は?」に「マンサク」と答えてまた正解して「げっ」と言われる。

「花が咲いてないのに、どうして枝ぶりだけでわかるの!?」と。

実はよくよく細部まで見ると、去年の枯れて萎びた花が一輪、枝の端っこにぶらさがっていたので、花の形ですぐにマンサクとわかったのだ。

3番目に出会ったのは早咲の椿。

この花はふっくらした上品な薄桃色で、花弁に可憐な皺があり、花芯の黄色自体が柔らかく光っているような優しい色合い。

「曙(あけぼの)だね」と正解して「ぐげっ」と言わせる。

この花は初釜によく使われるらしい。

同じく蕊の黄色が滲み出したように、花弁の根元が薄黄色に光る椿に、八重咲きの「春燭光(しゅんしょっこう)」という花がある。この花はまだ莟だった。

ヒヨドリがせわしく飛び交っていた。持っていた小さな苺の実を木の幹に置いておいたら食べてくれそうだった。

 

 

 

 

 

 

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2025年3月 2日 (日)

ギャラリー / 新宿

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八重のアネモネを描こうとすると葉っぱを齧ろうとするプフ。

アネモネはプロトアネモニンという毒が危険なので、絶対に食べられないように花は冷蔵庫に入れている。

2月18日(火)

平田星司さんとZOOMで話す。

2月20日(木)

ギャラリー十二社ハイデの伊藤ゲンさん展の設営。

ちゃんと設計図を書いて、きちんとやっておられることに感心した。

レトロなぬいぐるみやおもちゃの絵。すごくこの場所に合っていると感激。さすがです。

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午後から企画ギャラリーのオーナーに会いに行った。

ギャラリーが開くまで少し時間が合った。

ギャラリーの裏手のほうに「アトリエ」というとても古い錆びた看板のある不思議な家があった。美術ではなく音楽系のなにかだった。

大輪緑萼の梅が満開で、鳥の声がした。陽が当たる場所では春の野芥子が咲いていた。

いろいろ指示されることはあると覚悟していたが、一番気になっていたのは、私の病気のことがちゃんと伝わっていないのではないかということだった。

昨年、最初にオーナーの奥様にお会いした時、「声が素敵」と言われ、「声帯を片方切ってるんですよ。甲状腺癌で」というお話をして、現在、分子標的薬を飲んでいることも伝えていたのだが・・。

だから体力的に、ばりばり新作を描くことはもうできないかもしれないと伝えないといけないと思い、心が苦しかった。

オーナーと話ができるまで待っていたのだが、現在の展示を見に来ていたSさんという作家さんが同席して、企画画廊では画廊の言うことを聞かないといけない云々を私に説いてこられて激しいストレスを感じた。

Sさんは自分の過去の展示のハガキを私にくれたが、私の絵を見たこともないし、私がどういう活動をしてきたのかも知らない。

「すみません!お願いですから席を外してください!オーナーと直接話させてください!お願いします!すみません!」と深く頭を下げて退席していただいた。

病気のことを言う時、緊張して泣いてしまった。

オーナーは、奥様から聞いていると言われて、ほっとした。

その上でまだ私はもう少し生きられると思って、企画してくださるならありがたいことだ。

「奥さんは、あの人はいつも明るい人ね、って言ってるよ」と言われ、私はそんなふうに見えるんだ、と意外だった。

2月21日(金)

篠原誠司さんと電話で話す。

篠原さんは最近までアメリカに行って2つの企画展をされていた。アメリカの郊外の大きなお屋敷に泊まって、向こうのコレクターがどんなふうに家に絵を飾っているかを見たという。

画家のいろんな生き方の話。

2月23日(日)

画家の小穴さんと映像作家の光永さんが来られるというので、ギャラリー十二社ハイデへ。

一緒にランチをしていろいろお話した。

光永さんは、私があとがきに文章を書いたデリダ(鵜飼哲訳)の『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』の文庫版を持って来てくれていた。

伊藤ゲンさんの個展は、玄関に昭和懐かしい貝殻の人形や、古い大きな熊のぬいぐるみなどが増えていた。

あいかわらずうちの中は寒いのだけども、とても楽しい雰囲気。

帰りに新宿駅まで歩き、「あの枯れた蔦の絡まってるのはなんですか?」とハルクの前で光永さんに聞かれ、一瞬、戸惑った。

新宿西口の地下広場のタクシー乗り場から地上へと、ループ通路の巨大な吹き抜け。蔦が絡まっているのは、その真ん中のタイル貼りの筒状オブジェだ。

設計は板倉準三で、66年に出来、「地下空間の地上化」というコンセプトを掲げたという。

このクールだったループ状の吹き抜けが、もうすでに破壊されていて、タクシーが通ることができない。新宿西口は見るも無残だ。

まだかろうじて残っている筒状のオブジェは、私が大好きだった新宿駅前の象徴。

私が幼い頃の新宿のイメージはとにかく革新的で、なにもかもがかっこよくて、

テレビや映画や古い漫画で知っている新宿は、ものすごいエネルギーが渦巻いていて、常に新しい状況と、反発する力、爆発する力が・・。

ヒッピーも新宿騒乱もゴーゴー喫茶も、風月堂も、そういう青春には間に合わなかったけれど、映像で何度も見ている。その場にいたはずはないのに、その場にいたように記憶に溶け込んでいる。

ペロ(伊坂芳太郎)や宇野亞喜良、カルメン・マキや浅川マキのイメージも。

映画『女番長 野良猫ロック』は何度も見た。和田アキ子がバイクで西口地下道への階段を下って突っ走るシーンが大好き。当時の歌もかっこいい。

都会で、泥臭くて、サイケで、アングラで、熱くて、廃墟の中から宝物を拾えるような夢があった新宿。

紀伊国屋の中にあったこまごまとしたお店は闇市の名残だと聞いた。懐かしいLENE。西口にいくつもあった古レコード店。7丁目、8丁目の古いアパート群。駄菓子屋。

宮谷一彦や真崎守や上村一夫の漫画でも、歌謡曲でも、新宿は何度も描かれていた。

日本で一番、劇的に変わった町、新宿。

昔の新宿の痺れるようなかっこよさは、身近な友人や、人生の先輩たちとは当たり前に共有されてきたけれど、年下の人たちとはまったく共有されていないんだな、とふと気づいて、言葉が出なかった。

 

 

 

 

 

 

 

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