がん

2016年9月25日 (日)

がんの定期検診、 皮膚科(唇と顔のぴりぴり痛み)

9月23日

雨。12時過ぎに家を出て、鎌ヶ谷の病院へ。

東西線で川を3回渡る。電車ががたたん、がたたんと鉄橋の上を通る時、いつも私は窓にはりついて川を見る。一秒でも長く見ていたいと思う。

きょうはイエローオーカーの混じった灰色。鷺は見えなかった。雨なのにたくさんのおもちゃのような舟が浮かんでいた。

西船橋のホームで電車を待つあいだ、雨の中にピーチュルツピッ、ピーチュルツピッ、という一羽の小鳥の声がしていた。どこにいるのか一生懸命電線を眼で追ったが、姿は見えなかった。

野田線の窓から見る土手に彼岸花が咲いていた。ほんのわずかに残された森の上に雨が降るのを電車から見下ろしていた。いつかあの森に行こうと思う。

浅井先生に未分化がんについて聞いてみた。長いこと乳頭がんを持っていると、遺伝子が傷ついて未分化がんになることがある。

未分化がんになったら、治療としてできることはない、と言われた。

未分化がんになる前のがんに対しての抗がん剤は、昔はなかったが、つい数年前にできたそうだ。しかし何度も病院に通って副作用に耐えて抗がん剤をやっても、命は数か月延びるくらいか、よくわからない(まだはっきりしたエビデンスがない)そうだ。

「それより食べることを考えないとね。福山さんは仕事に夢中になると食べないから。」と言われた。

体重はやつれた時(42kg)からは3kgぐらい増えている。自転車で、たまに坂をちょこっと登ることくらいしかやっていないが、なにもやらないよりはいいtだろう。

4時に船橋でN子さんとお会いする。N子さんは初めて会うかただ。

以前一度行ったことがあるシャポーという船橋駅直結のショッピングセンターの中の、ひなびた居酒屋に行こうとしたら、通路ごと工事中で閉店していた。サービスでサラダやらデザートやら出してくれたなんとも昔風のだった。

9月18日

母のいる施設へ12時30分頃に行く。

敬老会は1時45分スタートと言われ、けっこうな時間を待った。買って行ったヨーグルトは、誤嚥の危険があるので家族が食べさせてはいけないと相談員のK島さんに言われ、手持無沙汰になる。

傾眠が強く、会話ができないので、いろいろ話しかけながらマッサージをしたが、精神的に疲れてしまった。私が疲れるのはすごく心配し、いろいろ考えて不安になるからだ。

母は式典でも眠っていた。

式典後に和菓子と抹茶が出て、フロアリーダーのF島さんが食べさせてくれた。

F島さんは走るのが好きで、しょっちゅう高尾山の上まで走っていると聞いて、たいへんな仕事なのにさらに山を走って登り降りする体力があるのだ、とびっくりした。

帰りに中野の南側の裏道を歩いた。小さな古い教会のわきの緩やかな石段を下る。

初めて見つけた古い森のような一角があった。昔、大きなお屋敷だったところの跡を、あまり整備しないで自転車置き場にしたような場所。

葛の蔓が高い枝から垂れていた。隅にシシウドが生えていた。

きょうは氷川神社のお祭りで、東中野から中野のあたり、神輿がいくつも練り歩いていた。

そのあとアンティーク屋と古本屋に行った。古本屋で武井武雄の限定版目録などを見せられ、なにか買わないといけないかと思ったのだが、結局、アンティーク屋で古い陶の小鹿の人形を買った。

私は動物が好きで、動物のアイコンが好きなわけではない。むしろ嫌いだ。

動物のかたちをしたもので、古くて見捨てられたものはとても好きだ。

私は動物は食べ物ではないと思っている。私が肉を食べられないのは、食べ物の好き嫌いではない。

・・・・・

8月18日に、顔のぴりぴりする痛みに耐えきれず皮膚科に行ってから、きょうで一か月。まだ顔は痛いが、なんとか落ち着いてきた。

4月からずっと、唇が荒れて薄くなり真っ赤に腫れて酷く痛み、頬の皮膚がぴりぴりちくちくし、一時(5月24日)は唇のまわりから痒いただれのような湿疹ができて、顔の上部までひろがった。

その時は皮膚科で抗生物質と抗ヒスタミンの飲み薬などをもらって、1日で湿疹はおさまったのだが、唇の痛みと顔のちくちくひりひりは治らず、そのままずっと続いていた。

紫外線にかぶれるので布製の大きな洗えるマスクを買ってしてみたら、マスクのふちが顔にあたるだけで痛くてたまらない。これは無理。

唇にはプロペト(白色ワセリン)だけを塗り、顔には敏感肌用化粧水を塗っていたのだが顔のぴりぴりちくちくする痛みに耐えられなくなって8月18日に皮膚科へ。

初めて会うS井医師は、すごい迫力の先生で驚いた。

精悍な体型、やや焼けた肌。つるっつるのスキンヘッド。眼光鋭く、厳しそう、頭切れそう、こだわりを持っていそう。

「まずは、(以前に処方されて余っている)ロコイド(弱いステロイドの軟膏)を唇と顔に塗っていい。とにかく炎症を一回リセットさせないと。何か月もプロペトを塗っているだけでは治らない」と言われた。

ステロイドを塗って紫外線を浴びるとしみになる、ということに関しては「私は俗説だと思う。」と言われた。

余っているヒルドイドについては、「皮膚がぴりぴりしている時には、ヒルドイド自体が刺激になって痛いはず」ということだ。確かに塗ると痛くて辛かった。

ステロイドのはいっていない炎症を抑える塗薬もあるが、それはすごく沁みる、ということで、まずはロコイドで治すということ。

夜、寝る時に唇の輪郭にべったりロコイド、頬のちくちくする部分に薄くロコイドを塗るのを毎日繰り返していたら、5、6日目で唇の皮が再生してきた。

プロペトしか塗ってなかった時は、いつまで経っても異常に皮膚が薄くなり唇全体が傷のように真っ赤で、口をすぼめることも痛くてできない、歯磨き粉も、お醤油も味噌汁も沁みて常に涙が出るくらい辛かった。

それが、いわゆる冬に唇がカサカサに渇いた時の程度にまで回復してきた。

 

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2015年3月 7日 (土)

がん定期健診 / ちゃび /  高級スーパーの困った話 

3月6日

鎌ヶ谷の病院にがんの定期健診に行く。

1時に寝たが、ちゃびが、明け方から何回も「にゃ~おぅ」と耳元で叫んで私を起こし、私のふとんの中に潜り込んでは、数十分経つと出て行く、そしてまた大きく耳元で「にゃ~おぅ」を繰り返すので熟睡できず・・・6時には、ごはんを新しくあげてみたが食べる様子もなく・・・9時すぎに起きたが、頭が朦朧として、また少し眠ってしまった。

少し遅刻して2時過ぎに病院に着き、きょうはまず採血と胸のレントゲン。

この病院の採血してくれる人、毎回、違う人だけれど、皆、とても優しい。きょうは寒くて、私の手が氷のように冷えていたので「わあ、冷たい。だいじょうぶ?気分悪くないですか」と言われ、「生まれつきなんで、いつもこんな感じです」と言ったが、心配して採血後も左手をしばし握っていてくれた。

頭頚科の待合ソファで『ベンヤミンの生涯』を再読していたが、検査結果がなかなか出ず、時間がかかった。

途中、我慢できずソファに横倒れになって眠っていた。

「あら~、寝ちゃってる」という看護師さんの声で眼が覚めた。「遅刻してすみません。」と謝ったら「いいえ、検査が時間かかちゃってね~、すみませんね~。」と浅井先生の困ったような優しい顔。

結局血液とレントゲンの結果が出るまで1時間40分もソファで待たされた。

「すいませんね~、システムが変わって検査結果15分くらいで出るはずなのに、こんなにかかっちゃって」と浅井先生は悪くないのに謝ってくれて、本当にいい先生だ。私は執刀医であるこの先生が大好きなので、わざわざ2時間かけて、この遠くの病院まで来ている。

診察はいつも5分~10分。検査結果は問題なく「むしろ左肺のほうの点々(粟粒転移)が薄くなっているように見えます」と言われた。

これに関しては、以前、レントゲンで「粟粒転移が濃くなって増えている」と診断されて真っ青になったが、もう一回レントゲンを撮ったら、やっぱり変わっていませんでした、ということがあったので、画像の誤差かもしれないが、濃くなっていないのならひとまず安心。

それと、これは大事なことだが、「首、切ったあとの傷、特に首の右側の傷を(治療院で)押されるとすごく痛いんですが」と言ったら「傷の上は押さないでいただきたいんですね。リンパ節と一緒にたくさん筋肉切除しちゃってるから、普通筋肉で動脈が守られているんですが、(私の場合筋肉がないので)傷の上を押すと、じかに動脈に触れちゃうんで、左右同時に押すと、へたすると脈が止まっちゃうんで。」と言われた。

「脈が止まるって・・・」「心臓が止まるってことです」と。ひえ~~。治療院の人に言っとかないと。

血液検査、レントゲン1枚、薬3か月分で8780円。

終わって船橋に着いたらもう5時だった。地下鉄が地下に潜る前に、いくつかの建物だけが強く夕陽を反射して、杏色にギラギラ光るのを見ていた。

7時近くに帰宅したら、昼に飲ませたぺリアクチンが効いたのか、ちゃびがウエット(ミヤリサン、デキストリン、無塩昆布粉、亜麻仁油、レンジアレン入り)の皿と腎臓サポートのドライの皿の両方を、つるっつるに完食していたので嬉しかった!

3月5日

夜、9時20分くらいにクイーンズにお刺身を買いに行く。

780円の本マグロのお刺身が半額になっていたので、それとビール、野菜、卵など買ってレジでお金を払ってすぐ、合計が予想より高いな、と思ったら、やっぱり780円のお刺身が980円と打たれていた。

サービスカウンターに行ってください、と言われ、店長が出て来た。980円と780円の差額の半額の消費税込だから、計算するまでもなく、一瞬で108円の返金だとわかるのに・・・

店長は紙にボールペンで書きだして「ええと・・・980円かける1.08だから・・・それと780円かける1.08で・・・引くことの~、ええと・・・差額が~、その半額の~・・・」って、はあ?

前々から思っていたけど、ここの店長、ちょっと頭がよくない。いつも簡単な返金に時間がかかる。余計な説明が多い。

しかも高級スーパーなのに、価格表示とレジでバーコードで出てくる値段が違うことがままあるから、要注意なのだ。(ちなみに私はいつもざっくり100円単位で合計額を計算してレジに向かうので、計算と違う金額を言われると、すぐ気がつく。)

「お客様の声」という投書箱に「値引きシールを貼る時に、産地を隠すように、ちょうどその表示の上に貼るのをやめてください」と書いて入れて、店長の名でお詫びの回答が来たことが、もう4回。何度書いても、「改めます」と書いているだけで、いっこうにやっていることは改まらない。

もうひとつ「玄関のところで売られている花束が、水から引っ張り出されてしおれていることが多いので、水に茎がつかるように管理してください。花がかわいそうです」と書いたのも、もう3回。私は、この店に行くと、毎回玄関を入る前に、浮いている花束の茎を、全部引っ込めて水につけているのだが、これもいっこうに店の方で留意してくれている気配がない。

お値段の高いスーパーなんですが・・・

・・・

帰宅してお刺身とビールでリラックス。マグロのお刺身をちゃびに小さくちぎってあげてみたら、喜んで食べてくれたので、もうかわいくって、嬉しくって。結局6切れのうち、5切れをちゃびが食べ、私は一切れ食べた。

最近、朝、ちゃびが私にべったりくっついてゴロゴロ言っているところをなんとか自分で撮ろうと試みている。
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このちゃびの写真、眼が大きくてすごくかわいい~~!(親ばかです)
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ピンボケだけど左手で撮ってます。
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2014年12月19日 (金)

乳がん検査 / フィギュア雑感 / ちゃび、コロ

12月17日

8月に区の健診で引っかかり、9月に再検査して様子見だった乳がんの検診日。

きょうは、生まれて初めて上下につぶすマンモを受けるので不安だった。思った通り、私のほとんどない胸の肉を無理やりつかんで引っ張って、機械に合わせるのが痛くて・・・。

そして「じゃあ、呼吸を楽にして。ゆっくり押していきますよ。」という合図で機械がぎゅ~っとつぶしてきたら「痛たたた・・・」という声と同時に全身から汗が噴き出していた。

「うわ、すごい汗。だいじょうぶ?気分悪くない?」と言われ、「だいじょうぶです。やれます。」と応えながらもオエッと少し吐き気がしてしまった。「顔もすごい汗なのに手がすごく冷たい。ほんとにだいじょうぶ?」と言われ、「緊張してるだけです。だいじょううです。」と言いながらますます汗だくに。両胸の上下のマンモは苦しかった。横のマンモは前回と同じくそれほど痛くなかった。

次に超音波エコー。「くすぐったいでしょ?」と言われるが、私の場合は乳腺のせいなのかいつも押されると痛い。特に中心は痛くて苦痛。

少し待ってから診察室へ。きれいな女医のO先生。やはり8月に撮ったマンモと同じ場所、右胸の脇よりのところに白いものが見える、しかし変化していないので、やはり嚢胞ではないかと思う、という診断。嚢胞の中身は水だったりする、ということだ。

「何か異常は感じませんか?」と聞かれて、昔から時々胸の骨がすごく痛くなることがあるが、肋間神経痛だと思う、それと乳腺症というのか、胸を押されると相当痛い、と応えると骨は神経痛ですね、また、乳腺症はほんとによくあることなのでそれ自体は心配しなくていいと言われた。

区の健診は一年おきにしかないので、一年後にここでまた検査を受けてくださいと言われた。場合によっては針を刺して細胞診になるかと思っていたので、とりあえずはほっとした。

地下道を早足で抜けて新宿西口へ。ミロードのモザイク坂のイルミネーションがきれいだった。少し散歩してから帰った。

12月16日

12月11日から、またちゃびの調子が思わしくなくて、あまり食べず、11日の夜に胃液を吐き、それから12、13、14日の4日間、毎日セレニア(吐き気止め)を1日1回8mg飲ませていた。

具合悪そうなときは、空腹らしくお皿の前に佇んでいるのに食べない状態。食べたいのに胃がもやもやする様子。ごく少量のぺリアクチンとセルシンを駆使して、食べる量はゼロではないが少なく、うんこも少ない。元気がなくて歩き方もよたよたして見える。

そして何より私を悲しくさせるのは、調子が悪い時はゴロゴロ言わないのだ。

具合が悪くなった原因は不明だが、朝と晩アカルディ(オブラートに入れて)を飲ますときに、水のかわりにビフィズス菌、アシドフィルス菌を濃いめに溶きガスターの粉を混ぜたぬるま湯を5mlのシリンジに入れて飲ませていたら12月8日にシリンジのゴムが壊れてしまった。

濃い液体を吸ったせいでシリンジが壊れたと思われ、新しいシリンジに替えてから、ぬるま湯だけでアカルディを飲ませていた。

もしかしたら、それで善玉菌を増やす菌類の接種が減ってしまったことが影響したのかもしれない。

13日からまたミヤリサン(酪酸菌)などを濃いめに溶いて飲ますようにした。ガスターがなくなったのでジェネリックのファモチジンを買って飲ませている。

14日、ちゃびがもうだめかも、という私の不安がピークになって、異常な肩こりと頭痛に襲われた。いつもとは明らかに違うようながちがちの強い緊張。精神的影響か15日の明け方、不正出血があった。両親ももうすぐいなくなるのだろうし、すべてが悲観的に思えてくる。

そして15日、朝にうんこ2粒、昼にうんこ2本、夜にはついにまとまったうんこが出た!

そうなるとまたちゃびのゴロゴロが復活。16日には久しぶりの大音響でぐるにゃあ!ぐるにゃあ!とずっと爆裂している。

綱渡りの日々だ。でもまだ生きている。

T. Yが『デッサンの基本』20刷りのお祝いに、手作りのカードと私の大好きな赤坂の「しろたえ」のシュークリームをくれた。

12月14日

フィギュアグランプリファイナル雑感。

ロシアの少女たちの熾烈な闘いぶりに打たれた。

ラジオノワの滑り出す前の凄まじい表情が、とりわけ印象的だった。彼女は何としてでも勝ちたいという本当に凄絶な表情をする。そして舞台に出て行くときは、ぱっと切り替えて思いっきり可愛らしい少女の笑顔をつくる。

「自分はもう若くありません、もうすぐ16歳になります」と言ったという。彼女の中では 爆発するマグマが燃えている。そういう少女はたまらなく魅力的だ。

ポゴリラヤは、今回「火の鳥」を見て、脚さばきの美しさが際立って見えた。すらっと伸びた細長い手足を生かして、この人はとても女性的なエレガントなポーズをとれる人なのだと感心した。

演じ終わった時の苦しそうな表情と、キス&クライの涙をこらえた顔を見て、悲しそうな眼、コケットリーな唇、白金の髪がきれいだと思った。こんなに抒情をたたえた彼女がまだ16歳なのだと思うと不思議だ。

リプニツカヤは、正直で、まだ女性っぽいというよりは少年ぽくて、内に秘めるタイプのところが好きだ。彼女自身の魅力を外に向けてアピールするタイプではないから、手を離れた凧(夢)をつかまえるというような物語仕立ての演出になる(そういうやりかたのほうが彼女自身が演じやすい)のかな、と思う。

トゥクタミシェワは、最初に「アストゥリアス」を見たとき、大好きになった選手だ。あれから、あまりのプレッシャーのせいか不調になったり、怪我に苦しめられたりしたのに、彼女の素晴らしい意志と忍耐の力で復活してきたことが本当に嬉しい。

彼女の微笑と華やかな瞳はすごい。特徴的な手の柔らかい動きは、私の感覚ではもう少し全体的にやらないで、ところどころ硬質な動きにしたほうが好きかな、と思う。

12月13日

H動物病院にコロの捕獲器を返しに行き、先生に話しているうちに涙が止まらなかった。

明日、ワクチンを打ちに連れてくることになった。ケージには慣れたみたい。この子が里親さん募集中のコロです。

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ピンクベージュの毛と濃いグレーのまだらの不思議な柄のコロさん(雌 13歳くらい?)。食欲はすごく旺盛。

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眼の色はグリーン。
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12月12日

コロの件で、真冬を乗り越えられるか切羽詰まっており、いろんなところに相談している。きょうSさんと電話で話した。まだどうなるのか不安でいっぱいだが、少し希望が見えた。

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2014年12月11日 (木)

バーバーのアダージョ / ちゃび、コロ(愛情と責任について)

12月11日

病院に電話すると、父の病状は一時期より良くなったと言われた。一時期は点滴のみで食事ができない状態と言われ、もう危ないと思ったのだが。おとといは20分ほど車椅子に乗ってみたが、すぐ疲れたとのこと。

なにかとあわただしく、気持ちが休まることのない年の暮れ。

ちゃびは、以前の危機は乗り越えたような気がするが、身体の不調自体が治癒したわけではなく、私が、試行錯誤の上でなんとか対処する要領を得てきたという状態。まだまだ不安はいっぱいだ。

きのうは朝と夜に少量食べただけで、きょうは朝から食べなかったので、私の胸はとても苦しかった。

朝6時にアカルディをオブラートでくるんだものと、メラーゼ(犬猫の胃腸薬。これも1/4に割ってオブラートでくるんだものを2つ)飲ませた。(最近はベトメディンを飲ませても舌でうまく吐き出してしまうのでアカルディ+オブラートにかえている。)

左手でちゃびの頭を押さえた時に、ちゃびが頭を激しく振りながら歯をがちがちと噛むので、左手の指に牙が刺さって何度も血だらけになったので、今は投薬時には左手に軍手を使用している。

昼12:20、ぺリアクチンの2mmほどのかけら、2時、セルシンの1.5mmほどのかけらを飲ませる。それでも食べず、ずっとドーナツ座布団で寝ている。

夜9:25、アカルディ+オブラート、セレニア8mgを♯5のカプセルに入れて飲ませる(セレニアはよくきく吐き気止めだが大変高価で、16mg1錠が1000円もするのだが、酸性が強く、嫌がって吐き出してしまうのでカプセルに入れた)。

9:30、トイレに小さなうんこ2つ。レンジアレンの効果で真っ黒。

9:42ぺリアクチン2.2mmほどのかけらを飲ませる。

今度こそ食欲が出るかと期待したら10:43に胃液を吐いてしまった。吐いたものの中にセレニアのカプセルはないようだった。

深夜12:04、ガサガサいう音で飛び起きたら、ちゃびがごみ袋の中のカニ爪の殻をかじっていた。セルシン1.5mmほどのかけらを飲ませる。

12:25、ようやく腎臓サポート、キドニーケアにジュレをかけてミヤリサンの粉とレンジアレンを混ぜたものを食べ始める。

(酪酸菌は乳酸菌よりも胃酸に強いと聞いたので、最近はビオフェルミンからミヤリサンにかえてみた。アシドフィルス菌と一緒に乳棒で粉にして食事に混ぜている。)

私は少しほっとして熱いミルクを飲んだ。

それからちゃびは2時まで何回も休み休み食べ、まだ少し残っているのにそわそわとテーブルの上に乗っかったり、またごみ袋のほうに興味を持ったりした。途中で少しモンプチ白身魚の缶詰を混ぜてやった。

最近のちゃび。

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バレリーナのような足
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あにゃ~~ん。
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12月10日

朝起きた時、ついに発熱。これはまずいと思い、ご飯を炊いて部屋を暖め、アツアツのご飯を食べたり、サプリを飲んだりしていたら、夕方にはなんとか熱が下がった。

コロ(父が飼っていた猫)の世話について、とても悩んでいる。

ちゃびの体調管理でいっぱいいっぱいで、私の体力が乏しいために、コロの世話まで手が回らない。猫好きで几帳面で責任感の強い友人に手伝ってもらっているが、友人も仕事が忙しいので、たいへんな迷惑をかけている。

これから一番寒い時期に、はたして私が毎日通えるか。

今、コロはケージ飼いにして、レンジでチンする湯たんぽを入れてあげている。

ちなみに、ケージは大きめの2段のもので一万円くらいかかった。商品レヴューでは組み立ては簡単と書いてあったが、全然簡単じゃなくて、すごくたいへんだった!何がたいへんかというと、連結するプラスチック部品の穴が小さくて(個々により穴がきれいに空いてない部品がある)、ワイヤーにはめる時に、ものすごく力がいって指が痛くてたまらなかった。ペンチがあればよかったのだが、なかったので。

猫好きで愛情深い友人から見ても、コロはかわいくないという。ちゃびとは全く違う。野良猫の性格のまま、人に慣れない。甘えない。私がフードをあげても、ウーウーと威嚇したままがつがつと勢いよく食べている。ケージの中にトイレを入れておいても目茶苦茶に荒らしてしまう。

以前、コロをなでようとして鋭い爪で引っかかれ、右手の甲が裂けてたくさん血が出た。その傷跡は今もはっきり残っている。どうしたら10数年も飼っていて、こんな愛想のない猫に育つのか理解できない。

娘の私から見て、父は愛情深い人でも責任感が強い人でもない。いい加減で自分勝手でいらいらさせられる性格の人間だ。子の私が何をされてきたかを考えれば、 私も母も関わらず父が育てた猫がどんなに荒んだ性格であっても、しかたないのかとは思う。

ただ、怯えて狂暴になっているのは動物であるコロのせいではないのかな、と思う。不安な状態、生存が脅かされている状態なのだろうな、と。

一週間ほど前、おなかが緩かったので、コロの食事(ウエット)にミヤリサン(酪酸菌)と抗生物質の粉を混ぜてやったら、恐ろしく敏感に野性の勘で察知して、薬が混じっている皿だけは食べなかった。

正直、ウーウー、シャーッ!と威嚇されているので、ちゃびに対するような愛情が持てない。だけど保健所にやって殺処分になるのだけはどうしても避けたい。

私が病気でダウンしたらコロも死ぬしかないのなら、どこか猫を引き取ってくれるホームに預けたほうがいいのかと思案して、何か所か問い合わせてみた。一か所はメールで問い合わせたら寄付48万円(ほかに輸送に何万円か)。

もう一か所、電話で問い合わせたところは、若そうな男性から折り返し電話をもらったが、コロの年齢、避妊手術済か、ワクチン接種済か、血液検査済かなどを聞かれたあとに、「うちは全員がボランティアというかたちになっておりまして、一切利益をもらっていないんですよ。それで、10歳以上の場合は、一律40万円というかたちになっております」と言われた。

どうでもいいことかもしれないし、よくあることなのだろうが、始めに長く質疑応答した後に、なにか軽薄な口調で、「というかたちになっておりまして」「というかたちになっております」と言われると、その「不適切な」言葉づかいに引っかかってしまうのだ。そういう変な言い回しを、胡散臭く感じてしまう。

あちらは、なんとなく雰囲気として「婉曲」に言っているつもりなのか(?)、と思い、「婉曲」に言わざるを得ない「やましさ」があるのかな、という不信感が芽生えてしまう。単なる言葉遣いのおかしさなのかもしれないが、私の感覚では、気持ち悪いと思ってしまうのだ。

「というかたち」と言わずに「うちの規約では~です」とはっきり言えばいいのに。「というかたち」というのは、表向きの「かたち」であって実質はそうではないという意味なのか。

10歳以上の猫なら、いつ死にましたと言われてもおかしくないし、40万円払って預けたあとに、すぐ死にましたと言われるんじゃないかと想像してしまった。

私は命を無責任に放り出すことはできない。しかし、無責任なのはいつも父なのだ。私は長年その尻拭いをさせられてきたし、自分の命もぼろぼろにされてきた。

12月5日

がんの主治医に定期健診を受けるため、鎌ヶ谷の病院へ。

信じられないことだが今はアーバン・パークラインと改名したらしい東武野田線(ああ野田線という名前の方がいいのに・・・)の窓から、すっかり色の変わった木の葉を眺める。

9月には、地図もないまま、「道野辺」という素敵な地名に惹かれてここら辺を歩き廻ったのだな。

とても古い野馬土手が切断された断片として残っていて、断片と断片との間は、どーん!と大雑把なコンクリートの道が通っているような不思議な場所だった。

知らない場所をさまようのは、いつも楽しい。見たこともないものが待っているから。でも私が惹かれるのはたいてい古くて人に忘れられたもの、錆びたものとそれに絡まって繁茂したものだ。

診察の時、「猫の介護でやつれました。今、17歳なので、いろいろ薬とか、輸液とか私がしてるので。」と言ったら、A先生は「えっ?!17歳?!」と驚いていた。

確かに、飼っていない人からすれば猫の17歳は長生きでびっくりなんだろうと思う。ほんの10年ちょっと前までは、猫は10歳まで生きられれば御の字と言われていたような気がする。医療が発達した今は、17歳でも、まだまだ、もうちょっと生きてほしいと思ってしまう。

病院の2階の窓から見た空。時折ぱらぱらと雨が落ちてくる今日の雲は、微細な光が素晴らしかった。味戸ケイコさんの『あのこがみえる』の中の雲のように白金のエッジがきらめいていた。

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病院から出たあと、少し太陽が戻った。まわりには林も畑もほとんどないのだが、わずかに残った畑のほうに歩いて行き、捨てられたトマトの上に広がる水彩のような空を見つけた。

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船橋のホームから、私が大好きだった蔦の絡まる古い建物を見ようとしたら、もう壊されて無くなっていた。蔦が紅葉したところを撮りたいとミラーレス一眼カメラを持ってきたのに。淋しいが、9月に写真を撮ることができたのでよかった。

11月30日

ジェレミー・アボットの「弦楽のためのアダージョ」(サミュエル・バーバー作曲)。

悲歌。たっぷりと豊かに、とぎれることなく滑らかに、美しい線と抑揚を存分に見せて、なみなみと彼は「静謐」を演じた。

この作品はアボットの成熟した表現力にぴったりだと思う。

この曲を聴くと、やはり今はない大好きな人たちのことを想ってしまう。

大野慶人さんが「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち展」でこの曲を踊っていた。美術館の窓ガラスから光る緑が見えていた。

ついこの前のことに感じるが、あの時は9月の半ば、まだ、ちゃびもなんの変化もなく元気だった時だ。

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2014年9月18日 (木)

ちゃび 動物 肉食について / 乳がん再検査

9月17日

ちゃびがきのうから全く何も食べていない。うんこもしていない。4日くらい前から急に食が細くなり、秋バテかな?と思ったが、ゴロゴロ言っているし、水は飲んでいるし、具合悪い感じでもないので様子を見ていた。

しかし丸1日以上、なんにも食べないのはおかしいので、すごく不安になって、H動物病院に電話してみた。水は飲んでいるか、おしっこの量は、など聞かれ、高齢なのでもっとも考えられるのは腎臓が悪くなっていることで、なるべく早く来た方がいいと言われた。

きょうは私の乳がんの再検査の日で、時間がどうなるかと思ったが、夕方急いで帰宅して行くことにした。

・・・

さて、区の健診を受けた新宿のクリニックにて乳がんの再検査。カルテをつくったりするのにけっこう時間がかかった。「この前撮ったのと別の角度で、もう一度マンモグラフィ撮りますか?嫌なら先生と相談で。」と言われ「相談させてください。」と応える。

まず臨床検査師の人にエコーを撮られる。検査の時、いつも「くすぐったいかもしれません。」と言われるが、私の場合は押されたりこすられたりすると痛いので緊張する。

画像を何枚も撮られ、ピッピッと音がして、見ると検査師の人が気になるところにやたらしるしを付けているので「そんなにいっぱい疑わしいスポットが?」と思い全身から汗が出てきた。

先生の診察でもう一度右胸のエコー。気になるのはマンモに写っている右胸の白いところ。だがエコーと触診ではだいじょうぶそうなので、乳腺がここに飛んでるだけかもしれない、と言われる。水がたまっている細かいふくろはたくさんあるが、それは問題なし。

3か月後にまたエコーをし、その時は両胸のマンモもしっかりやって検査しましょう、とのこと。そこで疑わしかったら細い針を刺して細胞診。さらに疑わしかったら太い針を刺して、確定になったら全身麻酔の手術だそうだ。

・・・

5時すぎ帰宅して、ちゃびを病院に連れて行く準備。タクシーでH動物病院へ。

H動物病院は最近新しくできた病院で、高円寺ニャンダラーズへの協力や、殺処分をなくす講演や、一貫して動物愛護の活動をしている院長さんだという記事を読んでいたので、何かあったらここに行くと決めていて場所の下見をしておいたところだ。

H動物病院に着いてびっくり。玄関の前にも、中にもびっしり待っている人と、大きな犬がいっぱい。こんなに混んでいる動物病院を初めて見た。おむつをして床に寝ている犬もいた。

ちゃびはほとんど外に出たことがないので、緊張してかわいそうだったのだが、まわりにいる犬や猫をキャリーの中から観察しているようだった。

ちゃび2800g。昔から小柄だ。診察台の上に乗せられるちゃびは、本当に怯えているので「ちゃび~、だいじょうぶよ~」と上半身を抱いて撫でながら・・・しかし25ccも採血されて痛がるちゃびを見て私もどきどきして汗まみれに。

検査結果が出るまで再び待合室で待機。お客さんはひっきりなしに来て、ちゃびよりも先輩の21歳という猫ちゃんも来た。

結果、腎臓が悪くて脱水症状を起こしている、と言われ、皮下点滴をしてもらう。明日はH動物病院は休みなので、これで食欲が出なかったらどうしよう、と不安にかられる。心臓も弱っていると言われ、飲ませられたらやってください、と薬を3錠出された。

いつまでも赤ちゃんの時と変わらずに、紐にじゃれて走ったり、パイルヘアゴムを飛ばすとキャッチしたりしているちゃびが、実際は人間に換算できないくらい歳をとっているということをつきつけられたようで、胸が苦しくてたまらない。

帰宅すると7時45分。とにかく何か柔らかいちゃびが食べそうなものを、と8時閉店の店へ走る。店はもう片付けをしていたが「すみませ~ん!」と飛び込んで「銀のスプーンプレミアム 三ツ星グルメ15歳以上用」というのを2種類とまたたび粉を買った。

ちゃびは、皮下注射の液がたまったところが脇の方にぷよぷよぶら下がっていた。お願いだから元気になって!!と涙が出る。

深夜、ちゃびに「銀の・・・」を袋からしぼってあげてみたら、食べた!!!すごくおねだりするようにして完食!

総合栄養食のほうは少ししか食べなかったが、まずはよかった。これからいろいろ気をつけてあげないといけない。

最近のちゃび。これは9月3日。すごく元気だった。

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9月7日のちゃび。私の薬袋にはいって、穴があいてるところから顔を出してみていた。

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9月15日のちゃび。ちょっと食が細い気がしたが、普通に元気だった。うんこ少量。

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・・・

動物について、

Bに「日本では、私が肉を食べられないと言うと攻撃してくる人がいる。外国ではすんなり通るのに。」と言ったら、

「欧米では狩猟民族の歴史が2000年以上続いていて、その中で逆に動物を殺して食べることに反対する人たちも出て来、さらにいろんな考え方も出てくる。日本では肉食の歴史が浅く、いろんな議論も全く成熟していないから」と言われて、なるほどと思った。

欧米ではベジタリアンというと卵やミルクはOKの人が多いようで、完全に動物を食べない人をヴィーガンという。さらに進んで、人間生活のあらゆる面で、動物を利用することを完全にやめるべきとする人たちがいて、過激な活動をしていたりする。

言葉にするのは困難だが、私が思うのは、すべてを厳格にしようと理屈で考えていくのはよくないということだ。すべてを単純に分類していくと感覚はどんどん死んでいく。それは身体感覚から発するものではなくなって、「信条」「イデオロギー」になって硬直する。

しかし、常に感じながら何かに向き合うということは、非常にしんどいことだ。だからほとんどの人はあるやりかた、やりすごしかたを覚える。

一度線引きをし、分類したものごとが決まり事になり、ルーティーンになると、本当の微妙さ、誠実さ、割り切れない感情は死んでしまう。

そういうふうに思うのは私が「活動家」ではないからだ。「活動家」であれば、現実に対しての有効性を考えるのは当然だ。

たとえばH病院の先生だって、犬猫の殺処分ゼロの運動をしている人たちだって、肉食をしないかどうかはわからない。犬猫をかわいがっている人でも牛豚鶏の命にはほとんど関心がないのは、まあ一般的だと思う。いろんな関わり方、考え方はあるが、自ら実践として活動している人たちについては尊敬せざるを得ない。

日本などでは「文化」的に習慣化し、固着してしまった「牛、豚、鶏は食べ物であり、そこに生き物に対するシンパシーは不要」という意識を根底から問い直すことは一般的には難しいのだろう。

もちろん肉食している人でも尊敬する人、大好きな人はいるし、肉食を絶対しないという人でも好きになれない人はいる。

かわいがられる動物と、殺される動物、殺されるために飼育される動物の区分、その差が激しすぎることが、本当に恐ろしいことなのだが・・・裕福すぎる人間と、命を尊重されない人間の差が激しすぎること以上に、その理不尽は途方もない。

私個人に関して言えば、最初に身体感覚が肉食を拒否し、その後で言葉が来た。

最初にいわゆる肉を食べられなくなったのはたぶん4、5歳のころだ。気持ち悪くて吐きそうになったのだ。その頃から、家には犬も猫もいた。

動物が自分に近い存在であり、個性(個々の生命)を持つこと、かわいがっている犬や猫と食肉にされる動物はいったいどこが違うのだろうか、という問題意識がはっきり(言語化)したのは、もっと後になってからだ。

問題意識はさらに強く身体を変化させるので、意識してからは、動物を殺すのは厭だという感覚、肉食に吐き気を覚える感覚は、相互作用でどんどん強くなっていった。

たとえば牧場などで、牛や羊と遊びながらその横で肉を食べる観光や、食べ物としての動物のユーモラスな戯画、そういった、文化的コードによる一見のどかで無垢な環境への翻訳が、私にはとても怖いのだ。特に「仔羊」や「仔牛」という名前のつく料理があるのを見ると、ものすごく怖い。仔羊や仔牛を見て、触れて、本当にかわいいと思ったことがあるからだ。

私の場合、その恐怖によって、肉を焼く煙やにおいでも吐きそうになるし、ハム、ベーコンなどの加工品や、ラード、ブイヨンなどの出汁、チキンと一緒に揚げたポテトなどもまったくだめだ。

かと言って、「ロハス」や「マクロビ」などの言葉が好きかと言われると好きではない。「ロハス」は経済用語だし、「マクロビ」は別に動物への思いやりがあるわけではなく、ただ自分の美容と健康のために称揚している人が多いからだ。

・・・

話は少しずれるが、たちが悪いのは、頭がよくて言語操作に長け、最初から懐疑的無関心のうちにいる人たちだと思う。「偽の問題意識」でディスカッションし、一見、微細なところまで踏み込んで考えているふりをするが、実際は多くの議論が本質的なところで無関心をさらしている。

たとえば虐殺や飢えをテーマにした講演や展示をしたすぐ後に、関係者で焼肉三昧の宴会をする人たち。せめてそのイヴェント直後だけでも慎めばいいのに、それすらできない。彼らは、ただ知的遊戯を楽しんでいるのであり、虐殺する者、される者の話をしながら、少しの吐き気も感じない。

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2014年9月14日 (日)

「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」展

9月13日

板橋区立美術館「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」展へ。

午後2時より大野慶人さんの舞踏があるので、家を12時頃出る。きょうは陽射しがとても強い。(写真はクリックすると大きくなります)

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地下鉄赤塚駅に着き、地図を見ようとすると、外国人に声をかけられ、板橋区立美術館への行き方を聞かれる。一緒にタクシーに乗った。彼はボブと言って、アメリカから来た大野慶人さんのお弟子さんだそうだ。ボブはタクシーの中で、10年くらい前に大野一雄さんと慶人さんと上星川の幼稚園のクリスマスにサンタクロースとその仲間として出演した時の写真などを見せてくれた。
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展示は、マニエリスム、ナンセンス、悪魔、ノイエザハリヒカイト、世紀末芸術、贋物、覗き箱、日本のアングラ・・・などなど種村先生が紹介した美術家たちの作品をいっぱい集めてある。

2時に大野慶人さんが仮面をつけて薔薇をたずさえて登場。全部で4曲くらいだったろうか。慶人さんの舞踏を見るのは久しぶりだ。お元気そうでよかった。

新宿パークタワーの大野一雄さんの舞台で最初にかかった曲、バーバーのアダージョ。慶人さんが踊る後ろの窓越しに森が見え、木々の隙間から強い陽の光が輝いて見えていた。

(2001年、パークタワーの大野一雄織部賞受賞記念公演は最高だった。中川幸夫先生もお元気で、中川先生直筆の書が入ったポスターをいただいて帰った。)

日本で「舞踏」が誕生したのが1959年。その頃、大野慶人さんは10代、種村さんは20代だったそうだ。

土方巽は最初、外国人に肉体コンプレックスがあってオイルを塗ったりして筋肉を大きく見せていた、しかしある時秋田から帰ってきたらすごく痩せていて、「秋田は寒いからやせちゃった。」と言って、それから体を白塗りにしたとか。

土方巽のうめき声のテープをかけて、「土方さんはうめき声をやってから、おもしろかった?ってきくんですね。あのひとはさめてるんですね。」というような話で会場を笑わせていた。

種村季弘先生のことを想うと胸がいっぱいになって涙が出てしまう。ものすごく繊細で、優しくて、しかも正直なかたで、とてもかわいがってくださった。これは2000年、種村先生が泉鏡花賞を受賞された時の「立春の宴」(学士会館)の写真。

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帰りは地下鉄赤塚駅までてくてく歩いた。久しぶりに陽射しが強くて喉が渇いた。

知らない街を歩く時、必ず古い素敵な建物や、草の生えた場所、車の入れないような細い道をさがしてしまう。

赤塚駅近くの古い歯科の建物。
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オヒシバ、メヒシバ、エノコログサや薄紫の野菊の生い茂る線路沿いの細い坂道を歩く。

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遠くの空に積乱雲。西日が射してきた。

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裏道。キクイモが満開だった。キクイモはオオハンゴンソウと似ているが、オオハンゴンソウのほうは葉が裂になっているので区別できる。
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白と紅の混じった絞りのオシロイバナ。この匂いが夏の名残り。

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9月12日

切ったほうの声帯が左とわかったので、Sクリニックに星状神経ブロック注射に行ってみた。

久しぶりで結構筋肉が固くなっていたので、針を刺した時に、針の痛みというよりはびーんとくる筋肉痛のような感覚があった。

甲状腺切除の手術で左の声帯を切っているので、神経ブロック注射は右にはしないように、右に打つと気道閉塞になるとがんの主治医に言われた旨、報告すると、M医師は、「声帯じゃなくてはんかい神経でしょう。」と言った。「反回神経」というものらしい。

「切ったこと隠してました?」と言われ「は?」と思った。隠すわけない。甲状腺切除したことは初診の時に申告しているが、声帯切除のことは聞かれなかったし、「反回神経」なんて言葉は今初めて聞いた。それで毎回右に打っていて、気道が塞がって本当に苦しい思いを何回もしたが、「息が苦しくなる時はよく効いている」というような説明しか看護師さんから受けていなかった。

9月9日

母の施設へ行く。

とても親切な職員Oさんに「きょうは元気でしたよ~。」と言われて嬉しい。

夕食介護し、お茶のみを残し完食。差し入れの「極みプリン」も完食。食べている途中から傾眠になってしまったのでお茶を飲めなかったのだけが残念。

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2014年9月 9日 (火)

鎌ヶ谷 / 和田堀 永福

9月8日(月)

がんの定期健診のため、新鎌ヶ谷の病院に行く。高円寺から中野経由地下鉄東西線で西船橋へ。そこでまたJRに乗り換えて船橋に行くと470円。JRだけで船橋まで行くより170円安い。さらに船橋から東武線で200円。

A先生に開口一番「やせましたね。」と言われる。一番調子の悪かった時が41kgで、今はその時より3、4kg多いのであんまり気にしていなかったのだが「やせるとどんどん筋肉が少なくなってしまうから。」と心配された。

前回、聞き忘れてしまった重要な確認、「どっちの声帯を切ったんでしたっけ?」と質問すると、「麻痺の確認に、ファイバースコープ入れてみていいですか。」と言われ、両方の鼻の穴にシュッ、シュッと麻酔をスプレーされて、鼻からのどまで長いノズルのようなものを入れられる。

「痛、痛い・・・」と汗だくになってからだが固まってしまっていたら、「もう少し上を向いて。え~~と言ってみて。」と言われる。その後、画像をPC画面で見せてくれ、「これ、左の声帯は切ったので萎縮しているんです。右は声を出すときは伸縮しているけど、こっちにブロック麻酔を打ってしまうと気道がふさがれてしまうので。」と言われた。

なるほど、星状神経ブロック注射を右の首に打って、のどが詰まり呼吸困難になったことが6、7回もあるわけである。それにしても何回もブロック注射をしたSクリニックでは、首の手術をしたことは申告したが、一度も声帯を切ったかどうか聞かれなかったな。

赤いのどの中で、そこだけ白い細い筋肉(声帯)を見て感慨深かった。声帯を片方切ったら、低く響かない声に変わってしまう、と手術前に言われていたわりには、そんなに声は低くなっていない。右の声帯が予想以上にカヴァーしてくれている。

3時半くらいに病院を出、東武線のとなりの駅「鎌ヶ谷」で降りて散歩。

森や野原みたいなところをさがして歩くが、駅前はつい最近建ったと見える巨大なマンションと、同じく真新しい建売の似たようなかたちの家がたくさん並んでいて、都心より緑が少ない。

昔の土手や森は、ざっくりと残酷な傷のように切断されて、ほんの少しの断片がいくつか飛び飛びに残っている。最近開発されたところは、ほとんどが草も生えない、並木もないコンクリートとアスファルトで、その落差が極端だ。

「道野辺」という美しい地名の場所を歩いてみたかった。八幡神社の道しるべのところだけは少し古い。

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八幡神社の鳥居と階段の前を通ったが、あまりにも真っ暗で、雨も降って来たので階段を上るのはやめた。いかにも蚊にさされそうなので。

湾曲する道を行くと、市役所の横に百日草や鶏頭が植えられていた。
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近くにある基地の飛行機がしょっちゅう飛んでいる。Sdsc04024

とても不思議なオシロイバナを発見。オシロイバナは花弁はなく、花弁に見えるものは萼で、萼に見える緑のものは総苞だが、この株は、萼に見える総苞の部分が花弁のように変化している。
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変化によって、花の中からもうひとつの花が出ているように見える。こんなオシロイバナを見たのは初めてだ。
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これも初めて見る黄と白の混じったオシロイバナ。とても珍しいが開花していなくて残念。

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広い道を進むと「市民の森入口」があった。少し入ってみたが、やはりとても暗くて、蚊にさされそうなので奥に入るのをやめて引き返した。

ようやっと昔ながらの素敵な家を見つけた。この地域では、このような家はもうほとんどない。塀や柱に無造作に生い茂ったカラスウリの蔓が魅力的だ。

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ぐるっと回って駅前に帰って来たところで、きれいなターコイズの日よけと錆びた階段が美しい店を見つけた。

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3軒並んだ一番右の店は「銘茶」と書いてあるのにお茶屋さんではなく、なぜかカタカナの書き順表一枚50円やトランプのフリーセルの遊び方の説明書きなどを売っていた。
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駅に戻って地図を見たら、「囃子清水七面堂」というすごく魅力的な名を見つけて、それだけは見てから帰ろう、と引き返した。

威圧的な巨大マンションの横を通って細い坂の右側に小さな神社があり、そこが「囃子清水七面堂」だった。神社の奥から「囃子池」「囃子水公園」に降りられる階段が封鎖されていたので池を見ることができなかった。

東武電車で船橋に出て、以前からすごく気になっていた廃屋を撮った。都市計画により閉店となりましたという貼り紙があった。

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錆びた階段の微妙にひしゃげた螺旋の造形がすごく素敵だ。
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9月6日(土)

きょうも善福寺川沿いを歩く。枯れて緑色になった紫陽花をさがして歩いた。

最初に都営阿佐ヶ谷住宅がどうなったか、怖かったけれども見に行ったら、本当に何もないだだっぴろい土地になっていて、まだ何も建設されていなかった。

あれほど、他に類を見ないほど魅力的な場所だったのに。記憶の生き生きした素敵な家並や、ミモザやスモモや柘榴の樹や、白詰草やモジズリや蕗や紫陽花や立葵や乙女椿や、遊んでいた猫たちが見えて、ショックでとても言葉が出なかった。

とりあえず善福寺川沿いの道を和田堀池へ向かった。

甘い匂いがするという桂の樹の林を抜け、ユリノキや多曜咲きの朝顔を見ながら、蚊にさされないように注意して歩いた。公園の裏道にあった畑がなくなっていた。

途中で黄色の彼岸花を見つけた。

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和田堀池のとなり、釣り堀武蔵野園の売店、きょうは開いていた。まだ「氷」の旗がはためいていた。

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売店の正面真ん中あたりにいる青い忍者みたいなのが、「ぼく、じゃじゃまる~。」としゃべるポップコーン販売機。
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和田堀池のほとりの「りばあさいど」で休もうと思ったが、もう閉まっていた。

Aさんから伺った話によると、昔、Aさんが小さい頃、Aさんのお父さんが空気のきれいなところをさがして、この和田堀池のほとりの売店のある家(現在はその売店はない)に越してきたそうだ。その頃は、この辺の観光のための旅館などもあったらしい。

善福寺川沿いを永福町のほうへ向かう。とてもきれいな錆びの絵になっている扉を発見。

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ここは先ほどの錆びの扉とはまた別の場所。以前動画に撮った魅惑的な錆びの塀。
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永福町へと歩いている途中で素敵な廃屋を見つけた。

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「杉並区」という表示が「區並杉」となっている。いつごろ建てられた家なのだろうか。

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永福町に着いてから、西永福まで線路沿いの道を歩いた。オオマツヨイグサが茂った原っぱがあった。一本手折ったが、マツヨイグサの葉はどれも虫(たぶん蛾の幼虫)に食われた細かい穴がびっしりあいていた。

線路沿いに植えられている紫陽花の花はみな茶色く枯れていた。

西永福の三崎丸でかきあげを食べた。

9月5日(金)

和田堀池のほとりに住んでいるAさんとまた話した。池のほとりにある食事処「りばあさいど」はAさんのお母さんがやっていた売店とは別だそうだ。

昔、池のほとりで猫と遊んでいた時、話しかけてきてくれた優しいAさんのご主人はお元気ですか、と尋ねたら、7年前に亡くなったと聞いてショック。

ご主人は下関の人で、本当に動物好きで、ご主人の実家ではいろんな動物をかわいがっていて、猿なども飼っていたそうだ。

9月4日(木)

3時頃、父が玄関前で転んだところに居合わせて、救急車を呼んでくれた人がいて、父は新宿のH外科に運ばれた。脳のCTなどを撮って、異常なしだったので自宅に帰った。

近所の親切な人のお名前はわからないので、御礼を言うことができない。

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2014年8月 2日 (土)

コロのけが / LE DE GIVENCHY

7月31日(木)

34度。

新宿でセール(3240円均一)のスニーカーを買う。3Eで24~24.5のサイズに足が慣れてしまっているので、なかなか合うものが見つからなくて苦労した。

夕方、H.Tさんのお見舞いに井荻へ。初めて降りる駅。

陽が落ちても息が詰まるような蒸し暑さ。

大きな通りを延々歩いていたら、途中で素敵に絵になる家を見つけた。階段と二階のドアに惹きつけられた。

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7月29日(火)

3時すぎ、新宿の無農薬ベジタリアンのお店できょう初めての食事。
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おかずは全部おいしいが、写真真ん中のゴーヤとズッキーニのみそ炒めが特においしかった。

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友人と仕事の話をしたあと、デパートにスニーカーを見に行く。今履いているものの底がすり減っていて足の裏が痛くてたまらないので。捜したが今履いているものと似たような黒のスニーカーはどこにもなかった。

金柑の花がまた枯れている。6月の終わりに最初に咲いた1回目の花の実がひとつ、はや金色に熟している。ほかに2回目の花の実なのか青い小さな実がいくつか。

7月28日(月)

歯科。痛みがおさまらないのでかたどり延期。

コロ、動物病院から帰還。手術したら術後の消毒などのケアが必要で、傷口を舐めないためのエリザベスカラーも外に出て歩き廻る猫には危険なので使用できないとのことで、結局、手術できなかった。本日3000円プラスで、2日で計15500円だったそう。

私になついてはいないが、コロが心配だ。外を歩いていて狭い場所で引っかかってしまった傷ではないかということ。

コロの食欲は落ちていないそうなので良かった。

7月27日(日)

35度。夕方から激しい雷雨。

父の猫コロが怪我をしているとの連絡が来、無責任な父と体調不良の私に変わって、私の友人が雷雨の中、コロを動物病院に連れて行ってくれた。

コロは一週間家に帰ってこなくて、帰ってきたらけがをしていたと初めて聞いてショック。

コロは野良猫だったのを父が拾ったのだが、けっこう大きくなってから拾ったので私にも体を触らせない。鋭い爪で引っ掻くので危険な猫だ。

そんな野性的なコロをなぜ友人がキャリーに入れて運ぶことができるのかというと、6月に父が入院しているあいだ、友人がコロの食事をあげていてくれたからだ。私が行っても引っ掻かれるだけ、ということで、今回も友人が行ってくれた。

一泊して傷に薬を塗ってもらい、抗生物質の注射と、ノミの滴下薬、爪切り。医師が不在だったので、その後手術したら25000円との見積もりをもらったが、本日払ったのはとりあえず12500円。

7月26日(土)

35度。

夕方、近所のアンティーク屋さんにふらっと立ち寄ってみたら、なんと、ずっと捜していて、もう絶対めぐり会えないだろうと諦めていた廃番になった昔の香水(オーデトワレ)があったので驚いた。

ル・ド・ジバンシィLE DE GIVENCHYという香水(オーデトワレ)。枯れたブラックパロットチューリップとちゃびの抜けた髭と。一緒に撮影。

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調べてみると、LE DE GIVENCHYは、1957年に発売された古典的な花の香りで、トップノートはベルガモット、マンダリン、コリアンダー、ヒートノート(ミドルノート?)はジャスミン、バラ、カーネーション、ライラック、ユリ、スズランを含んだ繊細な花の香り、ベースノートはアンバーとモスで甘くした柔らかなサンダルウッド、グアヤウッド、残り香は甘くパウダリー・・・・(のような香り。)

私が大好きなアールグレイ紅茶とベルガモットが共通している。

家にいくつかの香水の見本の古い瓶があり、それは70年代に母が香水の売り場で働いていた時にいくつかの香水の見本をもっらてきた時のものだ。まだ香水に興味があるような歳ではなかった幼い私が、もっとも惹かれたのは、定番だがディオールのディオリッシモと、シャネルの19番、サンローランのリブ・ゴーシュ(今は廃番)、それとジバンシィのル・ド・ジバンシィだった。

ディオリッシモは百合系(ユリ、スズラン)の花の香り、リブ・ゴーシュはイランイランや薔薇の花の香り、シャネルの19番は草の香りの印象だったのだけれど、このル・ド・ジバンシィは、なんの花の香りといいにくい不思議な香りだ。、

鬱蒼とした暗緑色の森の中の花々のような、甘ったるさが残らないなんとも神秘的な落ち着く香り。

昔、子供の頃、ル・ド・ジバンシィの香りを嗅ぐと、未知への期待と不安で、めまいがするような気がした。香りはもっとも原始的な力で時の記憶を戻してしまう。

このル・ド・ジバンシィは、つけないでもっぱら嗅ぐだけ。

7月25日(金)

東京36度。

ここ一週間くらい、胃酸で喉が焼けそう。首も頭も痛いし、吐き気がして、活動的になれない。

7月24日(木)

今まで行ったことのない区の健康診断の予約をとる。

今現在かかっている癌のマーカーしか定期検査しておらず、ほかの部分が癌になっていない保証はまったくないのだが、なんとなく身体全体の健康診断は受けないまま何年も過ぎている。最近、すごく疲れやすく不調なので診断を受けることにした。

もしかして、さらにほかの病気、たとえば婦人科系の癌だったらどうしよう・・・・。そんな不安の中で、癌経験者の闘病記のブログをいくつか読んでみた。

人気の高いブログの人の文章は、皆、素晴らしい。時に笑いもまじえながら、治療の具体的な方法や、データなど、本当に詳細に書いてくれている。

そういうまったく他人事ではない、切羽詰まった、これ以上現実的な苦しみはないぎりぎりのところで書かれた文章、しかも苦しみとの闘い以上に、個の生の魅力に満ちた文章を読むと、「文学」っていったいなんなんだろう、と思ってしまう。

無料で読めるブログがたくさんあるのに、売り物として本になっているものには、もっとつまらないものがごまんとある。買ったり借りたりして読んでみた小説で、途中まで読んで耐えきれなくなってやめてしまったものはたくさんある。

「詩」も、生と死に密接に関わっているものだと思っていたのだが、とてもそう思えないものがたくさんある。

現代そのものなのかもしれないが、なにも「感じない」ことを延々述べている人も多い。何も「感じていない」のだが、何を書いても「私を見て。私を認めて。私を愛して。」の一点張りの人。

自我の維持と拡大以外に関心のない、生命にはなんの関心ない「病」なのだろうか。まわりには苦しんでいる人や動物がいっぱいいるのに、「私はこんなにすごい」と威嚇してくる人ほど気持ち悪いものはない。

7月23日(水)

体調はあいかわらず悪い。ずっと微熱がある感じで脳天がズキズキする。

金柑の花が、今年3回目か4回目かの満開。7月14日くらいにも満開で、その後、4、5日で枯れた。

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2014年3月14日 (金)

福島の小児の甲状腺がん / 鈴木創士 『ザ・中島らも らもとの三十五光年』

3月14日

きょうの明け方(東京では気づかなかったのだが)、瀬戸内海西部の伊予灘を震源とする大きな地震があったらしい。愛媛の伊方原発や松江の島根原発に異状はなかったというが、「瀬戸内海は地震が少なく安全」というのは嘘だと思う。

3月11日の報道ステーションで、福島県で発生している小児甲状腺癌を大々的に報道していた。

通常100万人に1人から2人と言われるほど稀なはずの小児の甲状腺癌の発症が、現在、福島県では27万人中33人。

福島原発の事故由来の放射能と、当時18歳未満の福島の子どもたちに甲状腺癌が出たことには、国や県は因果関係は「考えにくい」と言っている。

子どもが実際に甲状腺癌になってしまった母親の苦悩。家族も親戚も「放射能の話、がんの話をするな」と言ってくるという。

18才未満の甲状腺癌の検査をやるのも、診断の権限も福島県立医大のみ、と県が決めているという。この県立医大の鈴木眞一教授は放射能と小児がんの因果関係に否定的。県立医大では患者自身の検査データについて、本人に説明も情報公開もしてくれない。

放射能と、小児の甲状腺癌の因果関係について、国が「考えにくい」と言っている根拠は、チェルノブイリの事故の直後、4年間は小児の甲状腺癌が出なかったからだと言っている。

しかし、番組がチェルノブイリを取材すると、事故当時(1986年)は精密に検査機械がなく、触診だったこと、精密な機械が手に入ったのは1989年~90年だったという証言が出てくる。事故4年後から爆発的に小児甲状腺癌が増えたのは、それまでは確実にデータが出る検査機械がなかっただけかもしれないという疑問が出てくる。

事故直後、被曝量を調査するために浪江町にはいっていた弘前大学の床波教授は、県からの圧力で、住民の被曝検査をやめさせられたという。つまりその時期の被曝データがないので、被曝量とがんの関連を証明できないようにさせられた。

実際に甲状腺癌になってしまった若い人や、その母親がものすごく不安になるのは当然なのに、福島県の行政も、県立医大の医師も、学校の教師も、癌と放射能と関連付けることに抵抗を見せ、放射能に怯える被曝者本人の口をふさごうとしていることがショックだった。

福島県から人口が流出することをおそれてか、県の物産が売れなくなることををおそれてか、健康被害に対する補償をしたくないからか、とにかく実際に癌になってしまった子どもに対して行政が酷い扱いをしている。そのことを報道してくれたのは画期的だったと思う。

この方たちが番組をわかりやすくまとめてくれています。

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3607.html

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-2007.html

甲状腺癌のうち、多くは乳頭癌という発育が遅い癌だが、年齢がいくと悪性の癌に転化することがあると言われている。

甲状腺癌で甲状腺を全摘してしまうと、甲状腺ホルモンがまったく分泌されなくなってしまう。甲状腺ホルモンは、全身の細胞の代謝に関わる重要なホルモンなので、無くては生命を維持できない。だから毎日甲状腺ホルモンの薬を飲むようになる。

また、甲状腺に隣接して副甲状腺という内分泌腺があり、これはカルシウムの吸収に関わっている。甲状腺癌を摘出する際に副甲状腺も摘出してしまうと、カルシウムが吸収できなくなるので、毎日ビタミンDを飲むようになる。

ビタミンDを飲んでいても、血中のカルシウム濃度が低くなり、手や足の指が攣る(テタニー)。私の経験では、長時間、食事をとらなかったりすると、手や足の指が硬く内側につっぱる感じで折れ曲がって、すごく痛い。もとに引っ張って戻してもすぐまた攣る。外にいる時にテタニーに襲われたら、とりあえず牛乳を買って飲むが、なかなか治らない。

もしも災害などで、甲状腺ホルモンの薬を飲めなくなったら、何日くらい生命を維持できるのかわからないが、薬はどこへ行くのにも持っていたほうがいいのかもしれない。

3月10日

毛利やすみ先生からお知らせのはがきをいただいていた展覧会を見に、日本橋高島屋へ。

やすみ先生の作品は暗い、でも暖かい月夜に、紅薔薇と水色のオキシペタラム(ブルースター)の花束が宙に浮かんでいる絵だった。

花束に結んだリボンが非常に丁寧に描かれている。

亡くなってしまった大切な人・・・毛利武彦先生たちに捧げられているのだと思った。

3月7日

鈴木創士さんが『ザ・中島らも らもとの三十五光年』(河出文庫)を送ってくださった。『中島らも烈伝』にさらにその後の文章と対談を加えた本だ。

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「らもは稲垣足穂の「歴史に対して垂直に立つ」って考え方が好きで、つまり当時の新左翼のマルクス主義のように、水平的に集団的に時間を動かすということが嫌いだったわけ。だからなんとかしてに垂直に飛ぶ、というかむしろ、スカラベか蝸牛のようにのろのろ上昇するやり方を見つけなければならなかった。そこで最初に出会ったのがヘンリー・ミラーとセリーヌだったわけです。」

「たしかにまったく矛盾なしに、結果でもなく、ましてや原因でもなく、何かの薄い皮膜のように、破れそうで破れない、何かおかしなもの、何か奇妙なもの、あるいは何かの結晶のように硬質で、愛に満ちたもの、あるいは軽くて、ゆるやかで、精妙で、繊細なものがそこにはたしかに存在するのだと思う。らもの本を読むことがそういうものであってくれれば僕もいいと思う。」

「俺はいま神学に興味があるんだ、スコラ哲学だよ。」、と鈴木さんが言って、「それはそれは」とらもさんが応える。鈴木さんがドゥンス・スコトゥスが気に入っている話をして、らもさんがその話につきあいながら、「でもおまえ、あいかわらず頭ワイてるんとちゃうか?」と笑う。

大人になってもそういう友がいるというのは―鈴木創士さんが15歳の時に中島らもと出会って、中島らもが死んでしまうまで、三十五年もずっと濃い付き合いが続いたということはすごいことだと思う。そして中島らもが亡くなって十年経っても、今も濃いつながりがあるということも稀有なことだ。

私にも大切な友がいる。しょっちゅう会うわけではないが、決して裏切らず、真夜中に電話しても話を聞いてくれるような友。虚栄が嫌いで、優しくて、才能溢れる友が。

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2011年9月 5日 (月)

がんセンター 川増水 赤紫ハコベ

9月5日

台風後の蒸し暑い日。国立がんセンターへ。「最近、食事中と関係なく、歩いているときなどに突然自分の唾でむせることがあるのですが、喉が狭窄していませんか?」とA先生に尋ねる。A先生は手術してもらった時から少しも変わらない。穏やかで静かな声でボソボソしゃべる。

「ええ?どれどれ、口開けて、えぇ~~と言ってみて。次、舌出して、あぁ~~と言ってみて。次、舌を左右に動かしてみて。」といつもどおりやってみて、「なんともなってませんね。変わりないです。」と言われる。

「筋肉が落ちてだんだん飲み込みが悪くなってるとか・・・」「いや、まだそんな状態ではないです。そういう場合は見たらわかりますから。」と言われた。最近、唾を気管のほうに吸い込みそうになってむせることがよくあるのだが、なぜだろう?

聖路加ガーデンのイタリア料理店に行ってみようと歩いた。途中、とても不思議な植物を見た。全体の構造、茎や葉はハコベなのに、花が赤紫色で八重だった。いわゆるベニハコベのように朱色ではない。青のルリハコベとも違う。花弁が5枚でなく、超ミニサイズのマツバギクのように細かった。

やっと着いたら3時過ぎでランチが終わっていた。テイクアウトならやってると言われてピザを注文し、缶ビールを買って隅田川沿いに座る。箱を開けたらピザに切れ目が入ってなかったので、悲惨な状態で食べ終えた。

隅田川がすごく増水していて、灰茶色だった。対岸は高層マンションばかり。カモメが一羽、ぷかぷか浮かんでいた。

古い青銅の家や木造の家を見ながら銀座まで歩いた。紅とピンクと藤色と白の百日紅が咲いていた。銀座の鳩居堂で和紙を見、プランタンでアンティークの催し物を見て帰る。

丸ノ内線の中でがんセンターでもらった薬の袋の中を見たら、薬の紙袋が濡れていた。なぜ?と思ったが、飲み終えたビールの缶を一時薬袋に入れて持ち歩いていたからだと気づいて笑いがこみあげてきた。

9月4日

枇杷と夏蜜柑と杏子の樹が在る細い裏通りを歩くと、アスファルトの地面に白いチョークで鯉のぼりの輪郭が描いてあった。帰りに同じ道を通ったら、8歳くらいの男の子が、地べたに50cmくらいの鯉のぼりを広げて、それを見ながらピンクと白と水色のチョークで写生していた。鱗ひとつひとつを丁寧に見て描いていた。

鯉のぼりが風で吹き飛ばないように、チョークケースとマキロンのプラスチック瓶を上に置いて押さえていた。

暫し見ていたら、恥ずかしそうに笑いながらその子が振り返った。「うまい。」とだけ言って私はその場を離れた。

台風の後の雨が、それを跡形もなく洗い流していった。

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