『反絵、触れる、けだもののフラボン――見ることと絵画をめぐる断片』

2024年11月20日 (水)

谷川俊太郎さんのこと

谷川俊太郎さんが亡くなった。
今作っている次の本——沢渡朔さんが撮影してくださった私の写真と、それに寄せてくださった谷川俊太郎さんの詩と、私の絵をまとめた本の完成を見ていただくことができなかったのがとても残念だ。

少女の頃、あまりに衝撃を受けた『二十億光年の孤独』。
「ネロ」は泣けて泣けて暗唱するほど読んだ。

私の最初の個展の時にご案内を出したら見に来てくださった。
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谷川俊太郎さんには大変お世話になっている。
2009年に作った『デッサンの基本』の帯文をお願いした時には4つも文をくださった。

・・・

「花」という言葉が花を覆い隠している
デッサンは花という言葉を剥ぎ取って
花という得たいの知れない存在に近づこうとする
            *
紙の上にワープして
花は「花」という言葉から
自由になる
花が生きるように沈黙のうちに線も生きる
それがデッサンではないか

            *

目前の具体物を紙の上に抽象化する過程で失われるもの
それを惜しむことで何かを得るのがデッサンかもしれない
            *
「写す」のは写真でもできる
デッサンは「移す」のだ
花を紙の上に

・・・

どれも谷川俊太郎さんの『定義』という詩集にも関わっている、
言葉で覆い隠されている物への「不可能な接近」「邂逅」についての問いを提起する谷川さんにしか書けないことばだ。

『反絵、触れる、けだもののフラボン』の帯文をお願いした時、この本について「とても面白い」とお宅の玄関先で言ってくださったことが忘れられない。
私はこの本でいわゆる「現代詩」とよばれる現代詩手帖に載っている詩のようなものではなく、私にとってのポエジィとは何なのかを、絵ではなく言語のかたちにして問うてみたかったのであり、その文章を谷川俊太郎さんがほめてくださったことはこの上ない恩寵だった。

「この書物をオビにするのは、至難の業です。
書いても描いても尽せない
いのちの豊穣に焦がれて
ヒトの世を生きる福山知佐子は
どこまでも濃密なエロスの人だ。」

吉田文憲さんと一緒にご自宅にお邪魔させていただいたこともある。
端的で示唆に富んだ言葉。
吉田さんはいつもの感じで打ち解けていたけれど、谷川さんの人に対する絶妙な距離感を察しすぎて私はとても緊張していた。

その日、『なおみ』という沢渡朔さんの写真とタッグを組んだとても印象的な絵本をくださった。
あの日、谷川さんと一緒に撮っていただいた写真はどこにいったのだろう。

フェリス緑園都市校での谷川さんの講演も素晴らしかった。
人がまったくいない光景にポエジィを感じると谷川さんは言った。

立場は全く違うが、人疲れするという意味でなんとなく通じていると感じていた。
あの時も大学職員の人が谷川さんにあびせるくだらない質問に、私は傍ではらはらしてしまっていた。
もちろん谷川さんはそういうことに慣れっこで淡々とこなすのだけど。

電車でお会いしても、私はごあいさつした後、隣の席に座ってただ黙って揺られていたりした。
谷川さんはしつこく話しかけられたりすることがとてもお嫌だろうと思っていたからだ。

今作っている本への詩をお願いする時、今までいろいろお世話になり、そのたびに胸が震えたことを手紙でお伝えした。
「谷川先生はもう覚えていらっしゃらないと存じますが」という私に、
「もちろん全部覚えています」とお伝えくださって泣けた。

谷川俊太郎先生、ずっと多くのものを与えてくださり、そのありがたさはことばになりません。

・・・・・・

11月20日(水)

二匹展で対人緊張などで胃が受け付けなくなり4kgやせ、42kgになった。

その後、少しずつだましだまし食べ、やっと少し体重が戻ってきたが、昨日から寒くなったらてきめんに体調が悪い。

顔が冷たい風にあたると浮腫が酷くなり、眼がちゃんと開かないし、首や眼の奥が痛くて頭が重くて・・とにかく苦しい。

人に会えないレベル。

11月19日(火)

がん研究センター。採血5本。

少し肝臓の数値が上がっていて「お酒を少し飲みました」と言うとY本先生に「関係ないですね。薬を続けているせいでしょう」と言われた。

お酒を飲みたくなるのは緊張がとれないのと寒いせいで、飲んだとしても1杯だけ。

サイログロブリン値が上がっていないかが恐怖なのだが、その結果は来月。

 

 

 

 

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2024年11月11日 (月)

二匹展 6日目(最終日)の記録

11月4日(祝日)の記録

今日最終日、もう本当に体力ギリギリで頭朦朧だったので今朝もレットヴィモ休薬。

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私の西新宿の古い家を改築してくれた村野正徳君。
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いつも変わらずあたたかい斎藤哲夫さん(シンガーソングライター)。
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今日は中塚正人の「風景」を歌ってくださった。
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このシンプルな曲はいろんな人がカバーしているが、哲夫さんの今日のギターと歌唱は一番泣けました。

いずれyoutubeにアップします。

たくさんのお客様。
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昨日来られて「『反絵、触れる、けだもののフラボン』にサインが欲しいんで、明日持って来ていいですか?」と言われた小説家のM・Kさん。ビーチサンダル姿が印象に残った。

私はこの本を小説家のかたにほめていただくのは初めてなので、たいへん感激した。比喩や観念を入れない、見えるものをそのまま描写することに共鳴してくださったとしたら稀有なことだ。


早稲田大学の谷昌親先生。「美容師にそそのかされちゃって」と髪を伸ばしてパーマをかけたヘアで、すごくおしゃれ。
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ポスターハリスカンパニー代表で寺山修司記念館副館長の笹目浩之さん。映画「田園に死す」の中での花輪さんの描いた看板は、寺山修司が撮影の際に火をつけて燃やそうとしたが、スタッフがそれは忍びない、と言って救ったとか。いいお話を聞かせていただいた。
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笹目さんも「とにかくこの絵が最高にいい」とおっしゃっていたペン画。これは30年以上前の花輪さんの個展で一番の大作で、その時に私が譲り受けた宝物なのです。あまりにも繊細で、かわいくて神々しい。
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安部慎一のドキュメンタリー映画を制作中の外川凌さん。

フルーテイスト、篠笛奏者の藤原雪さん。一緒にお写真を撮っていただきたかったのに撮り忘れてしまいました。

とにかくお客様いっぱい。
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昨日、外から大きなガラス窓越しに私の絵を見て、今日見に来てくださったという元モデルのHamさん。Sdsc01008_20241110130901

詩人の中本道代さん。
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シモーヌ・ヴェイユを主軸に芸術、詩学を探求されている今村純子さん。
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5時になった瞬間、テーブルに突っ伏してしまった。肩首背の筋肉が緊張しすぎて強い吐き気がして。

レットヴィモを飲みながら、サンダルで立ちっぱなしで血行不良の姿勢で連日はきつかった(寒気がするので腰と背中に使い捨てカイロを貼っていた)。

そして花輪さんファンのかたたちの熱い思いに触れ、対応する喜びと緊張感、半端なかったです。

ご来場いただいた皆様、熱心に見てくださった皆様、本や絵葉書など購入いただいた皆様、本当にありがとうございました。

新たな出会いも僥倖でした。

 

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2023年10月 3日 (火)

足利市立美術館での展示 最終日

10月1日(日)曇り一時雨

足利市立美術館の特別展示室での個展、最終日。

2時半頃に美術館に着いた。篠原さんは学芸員トークの最中で、3時過ぎにお客様たちと降りて来られた。

篠原さんが丁寧にコレクション展の作品解説をされたおかげで、お客様たちは数々の現代美術を楽しんでおられていたようだった。

最後に篠原さんが私の部屋の絵の解説をしてくださり、私も一言お話した。

そのあと返却と収蔵の打ち合わせ。
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副館長の江尻さんにもご相談した。

篠原さんから、私の本『反絵、触れる、けだもののフラボン』で私を知って、絵を見に来てくださったお客様がいたことを聞いて驚く。

とても熱心に見ていてくださったそうだ。

私の本を読んで絵に関心を持ってくださった人がいることは、なんとも言い難いほど嬉しい。

そのあと、とてもおなかがすいたので篠原さんにおすすめのお蕎麦屋「十勝屋」を紹介してもらったのに、行ってみたら、いつもは5時からだが、今日は鑁阿寺(ばんなじ)でマルシェがあったせいか、もう終了だそうだ。

しかたなくスーパーのイートインでおにぎりを食べた。

素晴らしい経験をさせていただいた足利市立美術館。私は会期中に5回来た。また必ず来ます。

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足利市駅近くのかっこいいマンションの廃屋。
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2021年8月24日 (火)

画集にのせる文章、かかりつけ医の反応

8月23日(月)

午前中、吉田文憲さんと電話。書いたばかりの画集巻末の文章を(ファクシミリで)見ていただいた。

時間をあけて、あらためて正午に電話すると「詩人には書けない、最高に詩的な文章。どこも直すべきところはない。」と。

「すごくいいよ。読んでみようか?」「いや、読まなくていい。どういうところがいいと思うの?」と返事をするや、もう嬉しそうに読み始めている。

そして、「説明的ではなく、わからなさの屈折のしかたが抜群。語の選びかたも語順も完璧。これ以上どこも動かしちゃだめ。」と言われた。

文章の後のほうの謝辞の部分に関しても、「思ったように書いていい。失礼ではない。萎縮してつまらないものにならないでいい。どこもおかしいところはない。」と言われてほっとする。

英訳者のNさんと担当編集Tさんにメールで送り、治療院へ。

夜、沢渡朔さんからいただいた写真データをデザイナーMさんへ送る。これでNさんから英訳が送られて来るまで少し休める。

8月19日(木)

ごく具体的な細部にわたる身体的な言葉を得るために、5時過ぎ、川まで細い暗渠を自転車で下る。

眼によるスケッチに眼の奥の幾層もの記憶のスケッチを重ねる。

帰宅した時に一気に書けた。

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陽の傾いた川の手前の細道。アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシたちの絶唱。

問題は謝辞。目上の人にいただいた文章に対する形容、何を与えてくださったのかを(失礼でないかたちで)言語化するのは思いのほか困難で、とても迷い苦しんだ。

8月18日(水)

画集の巻末に急遽、私の文章と謝辞を入れることになった。

何十年もの絵から選び、何年もかかってやっとできそうな画集に思うことはたくさんあったが、何をどう書いたらいいのか頭がまとまらなくて焦った。

首の凝りと精神的緊張による頭痛を緩和のため星状神経ブロック注射を受けにSクリニックへ。案の定、外に立って待つ人もいるほど混んでいた。

短い文の中に何を書くべきか、どういう文体にするのか考えるために、自分の本『反絵、触れる、けだもののフラボン』を待ち時間に読んでいた。

「来たよ~!」とあわただしく処置室のカーテンを開けて「あら読書中失礼!」と言う明久先生に、「これ、私の本なんですよ。」とボソッと告げるとと、思いのほか大喜びされた。

「ええっ!ちょっと触ってもいい?」と本を手に取って、「すごい!題名からしてすごく難しい!中身も難しすぎてなにを書いてあるかわからない!すごい頭いいね~!ほんとにすごいよ!」

と看護師さんたちのほうに持って行って、「見て見て!これ福山さんの本なんだって!すごいね~!」と大騒ぎ。

「谷川俊太郎とかジャコメッティとか書いてある!」「ジャコメッティって名前、知ってたんだ?」「長っぽそい人のやつでしょ。」

明久先生は若くてテキパキしていて、大きな声で早口に話す人で、私から見ると前向きすぎ、いつも慌ただしすぎ。

最初会った頃は「本(当時作っていたのは『デッサンの基本』)作ってるの?すごいね。応援してます!」と言われても、まったく軽い口先だけとしか思えなかったのだけど、10年以上つきあううちに、いつも率直に本心を口にしている人なのだと信じられるようになった。

私のことを「異常に繊細過ぎる、今までの膨大な患者の中でも会ったことがない異常レヴェル、頭が回りすぎ、余計なことまで気にしすぎ、気にしちゃだめ!」と最初の頃にはっきり言ってくれたのもこの先生だ。

彼は偏狭なところがなく、臨機応変でサバサバしているので、こちらで薬のことなど詳しく調べて相談すれば、たいがいのことには患者の希望に柔軟に対応してくれるのも魅力でつきあいやすい。頭の回転が速いので、こちらが心を開きさえすれば話がどんどん通じる。

 

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2015年7月19日 (日)

『あんちりおん3』できました

7月18日

友人とつくっている雑誌『あんちりおん3』ができました。

今回は、友人が私の本『反絵、触れる、けだもののフラボン』に対する批評の特集号をつくってくれました。

私は表紙画をやっただけで文章を書いていません。

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『あんちりおん』3号 総特集:福山知佐子『反絵、触れる、けだもののフラボン』を読む

執筆者(あいうえお順)


阿部弘一(詩人、フランシス・ポンジュ研究)
鵜飼哲(フランス文学・思想)
斎藤恵子(詩人)
佐藤亨(イギリス・ アイルランド文学、アイルランド地域研究)
篠原誠司(足利市立美術館学芸員)
清水壽明(編集者)
鈴木創士(フランス文学・思想)
田中和生(文芸評論)
谷昌親(フランス文学・思想)
花輪和一(漫画家)
穂村弘(歌人)
堀内宏公(音楽評論)
水沢勉(神奈川県立近代美術館館長)
森島章人(歌人、精神科医)

+α・・・

興味を持ってくださるかたはこちらまでメールでお申し込みください。

http://blog.goo.ne.jp/anti-lion/e/9058c9bab36f1799e61dc98242d4c982

送料140円+カンパでお送りしております。

鈴木創士さんが図書新聞のアンケートに書いてくださいました。

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「『ANTI-LION3あんちりおん 総特集・福山知佐子『反絵、触れる、けだもののフラボン』を読む』(球形工房)

これまた一人の画家の書いた本に捧げられた論集である。鵜飼哲、阿部弘一、花輪和一、吉田文憲ほかによる熱いオマージュ集。このこと自体が今では稀少なことであるが、一人の画家による文章の極度の繊細、犀利、真率、真摯、苦痛に、批評家たちは幸いにもやられっぱなしである。この女性画家を前にして、プロの書き手たちがなんだか可愛らしく見えてしまうのは私だけであろうか。」

上の文章は私にはもったいない、あまりに心苦しい、全身から汗が噴き出すようなお言葉であるが、鈴木創士さんがこんなにも書いてくださったことに対する、胸の痛みと心よりの感謝を表明するために、謹んでここに記しました。

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先日、『あんちりおん3』を、今月20日まで限定で復活している、リブロ池袋本店内の詩集・詩誌の専門店「ぽえむぱろうる」に置いていただきました。

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かつて詩が最もアクティヴな生命力を持っていた頃と比べて、今現在は、詩を取り巻く環境も、詩のありかた自体も恐ろしく変わってしまった。

きょう、7月18日、新宿の地下街の雑踏の中で、

「多くの人が必死で国が強硬に進める安保法制と闘っているこの時に、天皇に恩賜賞なんかもらっている詩人がいる。吐き気がした。」

と私の友人は言った(その友人も詩人である)。

その言葉に非常に励まされた。時代状況が最悪になっても、友人が変わっていなかったことにほっとした。

おかしいと思うことをおかしいと言えない、吐き気がすることを吐き気がすると言えない逼塞した現状でも、やはり、吐き気がすることは「吐き気がする」と言っていいのだと思った。

友人は「頭がよくても体質的に合わない、と感じる人に理解されようと努力しないでいい。わかってくれる人はどこかにいるはずだ。」と言った。

ちなみに、私の本『デッサンの基本』と『反絵、触れる、けだもののフラボン』の帯文を書いてくださった谷川俊太郎さんは、国家からの褒章を一切もらっていない。谷川さんも、そこらへんは非常にはっきりした人なのだと思う。

・・・

詩人のパネルや詩についての記事など展示されているぽえむぱろうるの様子(7月13日撮影)。
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谷川俊太郎さんや田村隆一さんの若い頃のお姿。

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池袋のぽえむぱろうるに行った日(7月13日)、巣鴨に寄った。偶然見つけた廃屋の前で。

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この日の夕焼けは紫と金色が水平に幾重にもたなびいていた。

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2015年7月16日 (木)

鵜飼哲さんと多摩川を歩く  表現について

7月5日

小雨が上がって曇り。最近、陽に当たると湿疹が出てしまうので、私にとっては絶好の散歩日和だった。

鵜飼哲さんと多摩川を歩く。

中央線から西武多磨川線に乗り換えたとたん、線路沿いの夏草はぼうぼうに茂り、景色は急に昔の片田舎のように懐かしい感じになる。

3時に終点で電車を降りると、すぐに広い川べりに出る。是政橋の上から、向こうに見えるのは南武線の鉄橋。沢胡桃の樹には青い実がびっしり生っていた。

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日の当たる土手にはアカツメクサとヒメジョオンが多く咲いていた。

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下はアカツメクサの変わり咲き。とても淡い赤紫色の花。

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下は、めずらしい(たぶん)ヒメジョオンの変わり咲き。花弁(舌状花)の部分が大きく、紫色でとてもきれいだった。画像の真ん中の小さな白い花が本来のヒメジョオン。
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この先が行き止まりの突端まで歩いた。

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大丸(おおまる)用水堰。水の浅い場所にたくさんの水鳥がいた。望遠レンズを持っていないので写真にはうまく撮れなかったが、白鷺(ダイサギ)は多数、大きな青鷺が写真に写っているだけでも6羽。この辺りには鳶もいるらしい。

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これがアオサギ。

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道が行き止まりになる突端で野鳥を見てから、道を引き返す。


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ハルシャギク(波斯菊)と姫女苑。
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是政橋を戻り、駅側の岸へ。

青々と茂った草叢にヤブカンゾウ(籔萱草)の花が咲いていた。Sdsc06322

ヤブカンゾウには、同じ季節に咲くキスゲやユウスゲのようなすっきりした涼やかさや端正な美しさはないが、花弁の質感がしっとりと柔らかく厚みを持ち、少しいびつに乱れた様子が野性的で絵になる花だと思う。

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土手を下り、先ほど水鳥がいたところへと反対の岸を歩く。
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一面、なんとも可憐なハルシャギク(波斯菊)の野原が続く。ハルシャという発音がなんとも柔らかくフラジルな感覚を誘うが、波斯とはペルシャのこと。蛇の目傘にそっくりなのでジャノメキクともいうらしい。

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ここらへんは、川岸に降りてしまうとあまり周辺の建物も見えず、果てない草原にいるような、うんと遠くに来たような気持ちになる。

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草原を奥へと進むと、薄紫のスターチスに似た小さな花をつけた背の高い野草が多くなる。

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イネ科の薄茶色の細い線とハルシャギクの黄色い点とが震えて戯れている空間に、ギシギシの焦げ茶色の種子が縦にアクセントをつけている絵。

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多摩川が支流に分かれている場所。多摩川の本流は、きょうは水かさが増して烈しく流れていたが、この場所は水流が静かだった。鯉だろうか、大きな黒っぽい魚がゆったり泳いでいた。

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堰のところまで行って水鳥を見た。しばらくセメントで固めた斜めの土手に座っていたが、河が増水して速くなっているのが怖かった。

そのあと2m以上もあるススキの中を分けて道路まで戻った。ススキの青い刃が鋭くて手や顔が切れそうで怖かった。道なきススキの中を行く途中、幾度かキジくらいの大きさの茶色っぽい鳥が慌てて飛び立った。

車道に出ると美しく剥落した壁を発見。古い建材倉庫だった。

私は人の手によって描かれた絵よりも、自然の中のマチエールに惹かれる。

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これも私の眼には美術作品と見える水色のペンキと赤茶の錆の対比が鮮やかな柵。
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この日、3時に鵜飼さんに会ってから、ずっと話しながら歩いた。時には小さく、時には弾丸のように私は話していたと思う。

まずデリダも書いている動物についてのこと、非肉食についてのこと。

鵜飼さんは昨年から一年間パリに行っておられたが、フランスでは、最近、動物に関する議論は盛んにおこなわれているという。

今まで人間が殺して食べて当然、人間が搾取して当然だった動物の生に対して疑問を呈する意見が多数あがってきているということだ。

しかし一方で、今まではお洒落できれいな客間の裏側に隠されていた動物の(頭の)解体方法などを、わざわざポスターを貼って、食事をする客に得意気に図解して見せる日本のフランス料理店の話もした。すべてをあからさまにして、それが当たり前のこととするのが今時のトレンドなのかもしれない。

話題にのぼったそのレストランでは、そうしたポスターを見て、猛烈な吐き気を催す私のような人間もいることをまったく考慮していない。店のオーナーは、感覚的に動物を殺して食べることに拒絶反応を示す人間がいることを認めていない。

肉食をする人も、自分で屠殺しなければならないことになれば、もう食べなくなるだろう・・・というのは、もはや幻想に過ぎない。犬や猫を目に入れても痛くないほど可愛がっている人が、豚や牛に関しては、自分で殺してでも食べるのだろう。

「食べなくては生きてはいけない、動物だって他の動物を殺して食べているんだ・・・」そのくらい人間の語る言語は無意味なおしゃべりと化し、疑問を挟むものを生かす余地がない。

根こそぎの欲望がそれと結びついた経済のうちで肯定される。

そのことと無関係であるはずはないが、現在、日本の一億人の誰もがアーティストであり、誰もが表現者である。その中で商業主義の波にのるものと、そこからこぼれたものがいるだけだ。いずれにしろ美術批評も無駄なおしゃべりに堕してしまっているように見える。

ナルシシズムの増殖が安易で、そのスピードが極めて速い時代であり、誰も実作の「質(作者と呼ばれるものの身振り、その無言が指し示すなにか)」について問おうとしていない。

大学から人文系の学部をなくそうという動きまであるということだ。あまりに酷い世の中だ。

もし今、ランボーが詩人として登場しても、時代はランボーと彼の才能を埋もれさせてしまうだろう。ランボーの詩が残ることはないだろう・・・、と鵜飼さんは言った。

6時過ぎに鵜飼さんの車にのせてもらい、大沢のレストランに移動した。

レストランではパエリヤを注文した(一切の肉や肉の出汁を入れないように頼んで)。

鵜飼さんが私の本『反絵、触れる、けだもののフラボン』と、できたばかりの『あんちりおん3』を持ってきてくださっていたのに感激したが、私の性分として悲観的なため、すごく申しわけないような恥ずかしいような気持ちになった。

レストランのラストオーダーをとりに店員さんがまわって来たのが10時半、それからもまだ話していた。(当たり前だが、鵜飼さんが車なので、私も一滴もお酒を飲んでいない。喉が渇いて、氷のはいった水を何倍も飲んでいた。)鵜飼さんが家まで車で送ってくださった。家に着いたのは12時近かっただろうか。

3時から8時間以上話していたようだ。すべてが私にとって重要な話であり、記憶に強く残るが、そのほとんどの内容が非常に書くことが難しくて、このブログには書くことができない。

7月4日

きょうも高校時代からの友人みゆちゃんと会う。

まず(初めての)「カラオケの鉄人」に午前中11時から行ってみたが、ここはすこぶる安くて良かった。

ポップコーンなどの二人分のおつまみを無料でつけてくれて会員登録代は330円、それで30分90円。一見ホスト風の派手なお兄さん二人は、話し方はとても丁寧で親切。

みゆちゃんが私のリクエスト、フランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy)をしっかり練習してきて歌ってくれた。

私の大好きな「もう森になんか行かない」(Ma Jeunesse Fout Le Camp )は難しくて無理、ということで「さよならを教えて」(Comment Te Dire Adieu?)をフランス語で歌ってくれた。科白の部分が、すごくかっこよくて感激。

「私って一度始めたことはずっと続くみたいなの。だから大学は大したことなかったけど、その頃から習ってるフランス語は今も習ってる。この歌、フランス語の先生とカラオケ行って発音直してもらったの。」とさらっと言うみゆちゃんは、やっぱりすごくかっこいい。

その夜、youtubeでフランソワーズ・アルディの曲をたくさん聞いて、画像を見ていた。つくりすぎない、甘すぎない、媚びない、さりげないスタイルはやはりかっこよかった。

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2013年9月18日 (水)

腫瘍マーカー / 阿佐ヶ谷 / 『反絵、触れる、けだもののフラボン』 絵画 

9月22日

4月に桜の写真を撮ったのが最後で、ずっと怖くて行けなかった阿佐ヶ谷住宅のほうまで歩く。

ガラスを抜かれた抜け殻の団地がいくつかあったが、ほとんど何も無くなっていた。

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暗渠の狭い道をたどって帰る。忍冬の茂みに、また狂い咲きの花を見つけた。

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きょうのちゃび。

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9月20日

鎌ヶ谷の病院に定期健診に行く。船橋まで地下鉄東西線とJRを乗り継いで行くと450円、JRだけで行くより170円も安いことを知る。船橋からは東武野田線という非常にローカルな路線に乗る。

「元気でしたか?しばらく会わないと元気にしてるかな・・・と思って。」とA先生に言われて嬉しい。最初の主治医、A先生に一生ついていくために、2時間近くかけて鎌ヶ谷まで来ている。

6月に採った血液とレントゲンの結果を聞き、腫瘍マーカーの値が、今までで初めて上がった、と言われて驚く。今までは300くらいだったのに、今回、急に836。

一瞬、動揺したが、A先生は、「レントゲンの画像は以前と変わっていない、もしもほかに転移したとしたら、最初からあったレントゲン画像の影も増えているはずだから、病院がかわったから、検査方法に誤差が出たんじゃないかと思います。」と言った。触診の感じもかわっていない、ということで、とりあえず、きょう再び3本採血することになる。

採血室に行くと、ベテランぽい優しい看護師さんで、すごく丁寧だった。M.Hさん。お名前を覚えた。

「すごくかわいいわんちゃんね~。」と言われて「ありがとうございます。」と笑った。私の大好きなGeorge.E.S.Studdy(1878‐1948)のBonzoという犬のキャラクターのTシャツを着ていたのだ。こんな犬です↓(これは9月23日に阿佐ヶ谷の「赤いトマト」で撮った写真。)

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George.E.S.Studdyは、Louis Wain(1860 - 1939)と同じくらい本当に絵がうまい人で(ちなみに二人とも、今読んでいるベルグソン1859-1941と同時代人だ・・・)、同じくらい強烈に私が好きな絵描きで、イギリスのアンティーク市がきっかけで、かれこれ18年くらいBonzoの古いグッズを集めている。古いAnnual Book、ヴィンテージの絵葉書、塩胡椒入れなどなど。このTシャツは、最近、日本で出たもの。

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歩道の銀杏の実が、もう黄土色に熟して落ちている。葉はまだ青々としているのに。

9月19日

午後3時、母の今いる施設に新宿区の施設の相談員Hさんが面談に来る。

真の満月が見られる中秋の名月ということで、夜、7時半くらいから川沿いのグラウンドまで歩いた。私のカメラでは月にピントが合わなかった。

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川の上にさーっと大きな流れ星が落ちるのを見た。よく見ると、この写真にも、向日葵の左下に小さな流れ星が写っているようだ。

どこを歩いても紅と薄クリーム色の彼岸花が満開だった。夕闇の中に白粉花の匂いがしていた。いろいろと狂い咲きの花が増えているが、彼岸花だけは毎年正確に咲いている。

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9月18日

すーっと透き通るような秋晴れの日。

我が師、 毛利武彦先生の奥様、やすみ先生から遅い残暑見舞いのお返事、やすみ先生の創画展出品作の絵葉書2枚(枯れた紫陽花のと、闇夜のアネモネの)にびっしりお便りを書いてくださったものを郵便受けに発見して感激した。

私の書いた本『反絵、触れる、けだもののフラボン』をいつも机の上に置いて夜中に何度も読み返してくださっているとのこと。やすみ先生と私とは摘む花が共通していること。

私が書いた毛利先生に関しての文章を読むと、毛利先生が私に向けて語ったことがやすみ先生にも伝わってきて、泣きながら絵を描いた、と書いてあった。

それから、もっと、ブログには書けないありがたいお言葉も・・・・。

変な言い方かもしれないが、自分が書いた文章が、自分で思っているよりも、誰かに伝わっているのかもしれない、と思う瞬間、本当に不思議な気がして、えっっ?!と驚いてしまう。

それは、読んでくれた誰かが私に感想を伝えてくれたり、誰かが感想を書いてくれたのを私が偶然発見したりする瞬間に起きる驚異だが、基本的に私は悲観的で、自分の言葉が誰かに伝わるとはあまり思えないのだ。

毛利先生の奥様が、私の書いた毛利先生に関する文章を大切に読んでくださっていると思うと、苦労して本を出したかいがあったと思われ、ものすごく嬉しいが、同時に信じられなくて、畏れと恐縮で身体が縮み上がるような気がする。

3日ほど前に、読書メーターに『反絵、・・・』の感想を書いてくださった人が何人かいるとのメールをいただき、それを見てびっくりしたばかりだった。まったく見知らぬ人に、感想をいただける不思議、それは私にとってたいへんうれしいことです。

私は絵も文章も、しばらく時間が過ぎて、自分がそれをつくったことを忘れたころにならないと、自分で自分を評価することができない。誰でもそうかもしれないが、私は特に自分のつくったものを不安に思う傾向が強い。

すごく緊張や不安が強いと言うことは、絵でも文章でも、それを終える瞬間が見極められないということでもある。

18才で美大に入った時は、絵を描くことが苦痛でたまらなかった。

価値評価のわからない不分明な世界に入ったのだ。

絵を描いているとき、自由だなんてとても思えなかった。苦痛で、恥ずかしくてたまらない絵をほめてくれたのは、毛利先生と、早くに亡くなったA先生・・・・。今思うと、あの時ほめられなければ絵をやめていた。自分では自分の絵がいいと思えなかったんだから。

9月17日

台風18号が去って陽が射した。

2日ほど前、近所の金柑の花が、今年5回目の満開になっていた。その樹についたアゲハ蝶の蛹が、嵐で落ちていないか心配だったのだが、無事だったのでほっとした。幼虫も元気でいた。お願いだから無事に羽化してほしい。

小さい頃、アゲハを卵から育ててかえすのに夢中になって、緑色の幼虫がかわいくて鼻のあたまにのせたりしていた(「気持ち悪~い」とか言う女子には心底頭にきたのを覚えている)。

9月15日

台風18号。

いくつかの古い映画のDVDを観る。

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2013年5月27日 (月)

『反絵、触れる、けだもののフラボン』批評

5月26日

鵜飼哲さんの私の本『反絵、触れる、けだもののフラボン――見ることと絵画をめぐる断片』への短評が『みすず』1-2月号に載っていたのを、親友が見つけてコピー送ってくれた。もう半年近くも前に書いていただいていたのに、気付かずに失礼をいたしました。

本への有益な評価をいただくことほど嬉しいことはない。何かと気の休まらない毎日だが、すべてをかけてやっている作品について、精確な言葉にしてくれる人がいる、その瞬間だけは本当に嬉しい。

以下、鵜飼哲さんの言葉。

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 政治・経済権力による民衆の生活環境の破壊はある種の歴史的必然である。アメリカはヴェトナムで地表に民衆が生活不可能になるまで生態系を破壊した。民衆は地下の民となった。ヴェトナム人民の外見上の政治的勝利は実際にはもっとも残酷な軍事的敗北だったと、ポール・ヴィリリオは一九七八年に書いていた(『人民防衛とエコロジー闘争』)。

 いまこの国では福島第一原発の惨状にもかかわらず、ふたたび原発を推進し、瓦礫焼却を全国で行い、TPP参加によってすでに虫の息の第一次産業を扼殺する政策が、社会の軍事化と軌を一にして、公然と、体系的に実行されようとしている。私たちは「純粋戦争」の渦中にいる。防衛するべき土地を破壊され喪失した民衆の抵抗は、どこで、いつ、どのように敢行されるのか?足下に、背後に、もはや寸土も持たない人々の表現、研究、記録に惹かれる一年だった。

福山知佐子『反絵、触れる、けだもののフラボン――見ることと絵画をめぐる断片』水声社、2012年

 厳密さへの意思をこれほど強烈にたたえた言葉に出会うことは稀である。観念としての言葉への徹底的な不信によって彫琢された言葉の美しさがここにはある。もっとも本質的な画家である著者の、植物、動物、「人間でないもの」への、生命と非生命の限界への無限の注視から多くのことを教えられた。

5月25日

Fで母のための面談。そのあと夕食介助。きょうは傾眠で、調子が悪く、おかゆを3分の2も残した。胸が苦しくて食べられない(空気が詰まる)と言う。しかし歯磨き後、覚醒。何か食べたい、と言われて困る。

そのあと池袋のGで食事。土曜なので少し混んでいたが、煙くないのでよい店だ。

深夜、またも親友とSkype date。きょうは私が好きな美術家や思想家のポートレイトの話。「見て、この小鳥を頭にのせたネルーダの写真。」「うわ!あははは・・・すごくいい。」などと仕事しながらもネットの映像を見て盛りあがる。シュペルヴィエル、ロートレアモン、パヴェーゼ、ランボー、ポンジュ、ソンタグ、デリダ、ベンヤミン、ジュネ、ジャコメッティ・・・。

とりわけロラン・バルトの素晴らしい眼と、アガンベンの若い頃のキュートな顔、ベケットの恐ろしく絵になる顔、髪の毛のある頃のフーコー、ジュネのたまらない目つき、アンリ・カルティエ・ブレッソンの撮ったジャコメッティ、カール・ヴァン・ヴェクテンの撮ったカポーティに惹かれるが、

なかでも今夜、魅了されたのはアンヌマリー・シュワルツェンバッハ(アンネマリー・シュヴァルツェンバッハ)の繊細な美貌だった。彼(彼女)が目の前に顕われたら、私も魅了され、写真を撮りまくっただろう。かわいそうに、彼女のとりこになったカーソン・マッカラーズは、さぞ苦しかっただろう。しかしアンヌマリーもエリカ・マン(トマス・マンの娘)への叶わぬ思いに苦しんだ。

Skypeで話しまくって、気がつけばまたも朝の4時半。

5月24日

施設Fの看護師さんから電話。

5月23日

Ullaが私のHPを見てくれた。ついに両想いだ。彼女は北欧系のアメリカ人? 

深夜、親友とドローイングの名作の話。ムンク、ジャコメッティ、ボナール、ハンス・ベルメール、ジョン・シンガー・サージェント、ケーテ・コルヴィッツ、コクトー、ヴォルス、アルトー、ゴヤ。skypeで、きりがなく盛り上がり、気がつくと明け方。     

5月22日

フランシス・ベーコンの『肉への慈悲』を読んでいる。

ペダンチックなところが何もなく、まさにリアルに共感できる言葉。

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Fに母の夕食介助に行くと、PTさんに、きょうは調子が悪く、昼間眠っていたと言われた。食堂に行くと夕食全介助してもらっているところだった。きょうは手がうまく使えず、ぼーっと前をうつろに見ていたが、「ねえ、私、誰?」と自分の顔を指さすと、母の妹の名を言ったので、「え~っ!?」と大きくのけぞるようなしぐさをしたら、はっきりと笑顔になった。向かいの人を介助中のヘルパーさんが「いい笑顔ねえ。」と言った。

介助して少しおかゆを食べさせたあと、プリンを食べさせた。「自分でやってみる?」と言ったら、上手に食べた。それから少しはっきりしてきたようで、祖母の話などをした。それからどんどんしっかりしてきて、残りの味噌汁とおかゆを食べる?と聞いたら、「食べる。」と言って自分でスプーンで食べた。それをみてヘルパーさんが「ああ、よかった。全部食べてくれたんだ。」と感心していた。

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2013年2月20日 (水)

知覚の不可能性の領域 / チューリップ素描 / N女医の母への人権侵害

2月24日

北川透さんからいただいた「別に詩人なんかでなくても、書くものすべてが詩になってしまう人がいます」という言葉がずっとひっかかっている。

書くものすべてが詩になってしまうなら「詩人」ではないのか?

その実態や内実ではなくて、本の表に「詩集」と書いたら詩人なのだろうか?詩集を何冊も出していても全然詩人でない人もいる、というのが私の経験からくる感覚だ。

画家と称していても描いているものが「絵」になっていない人もいるし、現代アートという呼称だけが先走っていて、べつに何も・・・と言う現象もある。才能のある人はすべての言動が違う、すべてにおいて鋭いというのが才能のある人を見て来た私の経験からくる感覚。

中野で見たアール・ブリュットの幾人かの作品はずっと心に残っている。日記を線の重なりとして残していた戸来貴規。誰にも見せず、その人の記録、記憶として。不思議な猫の絵を描いていた蒲生卓也。いつか本物を見られる機会があるだろう。

アール・ブリュットの作家たちのすごさは自己顕示欲や虚栄心がないこと、自分を大きく見せようとする醜悪なそぶりや押し付けがましさ、うるささ、余計なおしゃべりがないことだ。ただそこに集中したということ。それが「生(せい)」とも「なま」とも感じられる直接的なものだ。

詩にしても絵にしても、その成り立ちの条件として、「《知覚の不可能性の領域》に、身体の全感覚が触れてしまう」のはすべての基本ではないかと思う。

ここ10日ほど描き続けていたチューリップの鉛筆と水彩素描のまとめ(クリックすると大きくなります)。

八重咲きピンクのチューリップ(フラッシュポイント)と2月10日に京王で買った薄黄色のパロットチューリップ鉛筆素描(2月12日)。

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上のフラッシュポイントの開いたところ後ろ向きと上の黄色のパロットの開いたところ(2月13日)。

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2月10日に描いたエキゾチックパロットの画面左の花の花弁が落ちてしまったところを右下に逆方向から描いた(2月15日)。

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13日にゼフィールで買ったチューリップ(アプリコットパロット)の水彩(2月14日)。左と中上の花は同じものを違う方向から描いたもので、右下は同じ花の17日の状態。

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ゼフィールで2月13日に買ったアプリコットパロットが開いた。2月17日に新しく買ったアプリコットパロットとの比較(2月17日)。
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2月22日に買ったチューリップ(モンテオレンジ)。鮮やかな緑のすじを描きたかった。

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2月6日につぼみだったチューリップ(フラッシュポイント)の2月23日の状態。枯れてきた線が美しいと思う。

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美しい線の流れをさがして角度を変えて何度も描く。

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2月22日

中野のN病院。G・Kとデルソルで食事。プライベートでは話が通じて、相手の話の感覚の鋭さにわくわくするような相手としか話したくない。

2月19日

雪。積もらない。

2月18日

北川透さんからはがきをいただく。『反絵、触れる、けだもののフラボン』について、

「エッセイというより、全篇が散文詩だったことに驚きました。別に詩人なんかでなくても、書くものすべてが詩になってしまう人がいます。あなたもその種類の人のようです。みずから書いていらっしゃるように〈概念〉に頼って思考されないからでしょう。《知覚の不可能性の領域》に、身体の全感覚が触れてしまう。そんな印象でした。」と書いてくださった。

4時過ぎにN病院に行き、相談員に会いたいと受付で言う。二階の担当の人が不在で、三階の医療ソーシャルワーカーのKさんが話を聞いてくれた。

薬のこと、主治医のこと、勇気を出して話した。話してこれからどうなるのか、よい方向に向かうのか、もっと心労がかかるような事態になるのかわからない。けれど理不尽だと思うことを端的に訴えたのだ。

6時の夕食時、母は常食に近い食事になっていた。きょうの昼食時、ST(嚥下障害などを訓練、指導、助言するリハビリスタッフ)が評価したとのこと。2時間近く見守り、完食。

狸小路の赤ちゃん猫、4匹。もつ焼きやさんの前にケージを持って保護準備している人がいた。本当によかった。寒さで死んでしまったらどうしよう、と気が気ではなかった。

2月17日

14日に買ったチューリップ(アプリコット・パロット)をまた2本買った。N病院のことで胸がつぶれそうに苦しかったが素描に集中した。

2月16日 土

詩人の吉田文憲さんと新宿のRで食事。

私の書いている本や文章について、

「「内面を書いている、内的なことを書いている」というのはまったく間違いだ。」と吉田さんは言った。

「あなたの書いていることは、本当にものをつくる人間同士がつきあうとき、「お互いを生きる」ような関係性であって、そこにはむしろ「外部しかない」と言ったほうがいい。」「

「「内面」を書いている、と言うと「内部」だけでうごめいていて「外」がない人が、自分をわかってくれ、認めてくれと言って寄ってきてしまう。本当は中川幸夫さんがどんなことをしてきたかを見たら、凄い、という畏れを感じて自分は謙虚になるはずなんだけれど・・・。」

「中川幸夫さんが何をしてきたかを見ても、中川さんの厳しさや美しさ、頭の良さはまったく継承されない軽挙妄動の最悪のエピゴーネンもあるんだから、何を見ても何も感じない、何も学べない人間はどうしようもない。」

2月15日 金

N病院で母の主治医N・M医師(女性)との初面談。

あまりにも医師として不適切、人間としてどうかと思う態度にショックを受けた。

母が2階の一般病棟から3階のリハビリ病棟に移った日、顔が真っ赤になって胸が苦しいと言って、心電図や脳CTや血液検査をし、酸素吸入や点滴を受けていたことについて、「データには異常ないんだから、狼少年だ。」とN医師は言った。

パーキンソンは刺激によって状態が変動しやすい病気だが、手を煩わせられていらいらしたというような言い方をされた。「2階にいるときに(具合悪く)なってくれればいいのに。(3階に来られてから具合悪いとか言われて迷惑だ)」と。

「狼少年」というのは人の関心をひくために嘘を言うという意味だが、病気で苦しんでいる人間にどんな神経でそのたとえを使っているのだろうか。母は嘘をつく人間ではない。むしろ、そうとう我慢強いほうだ。

日によって体調のレヴェルが変わり、リハビリが効率よくできないことが気に入らないらしく、リハビリができないなら帰宅してほしい、といようなことを言われた。具合が悪い患者に対して慈悲どころか、面倒くさくて憎悪があるみたいだ。

そればかりか、今まで処方されたことのない副作用の危険な(死亡率があがる)薬を出したと言われ、愕然とした。

しかし昼食後、現場の若いリハビリスタッフにリハビリの現状を尋ねると、その場で「立ちましょうか。」と言って、後ろから補助して歩かせるところを見せてくれた。とても優しい。実際には予想以上にリハビリはうまくいっていることに驚いた。

「歩くことが好きなんですよね。ほかに好きだったことはありますか。」とそのかわいい療法士さんに聞かれ、「散歩が好きで、樹や草花が大好きでした。」と答えた。男性の療法士さんも、「お、きょうは調子いいねえ。」と声をかけてくれ、現場のスタッフはとっても親切。

狸小路の猫、もつ焼き屋さんの窓の外の棚の上にのっかて寄り添っている。毎日少し食べ物をもらっているようだが寒そうですごく心配。帰りに見たら一匹、薄茶の子がもつ焼き屋さんの二階へと登って行っていた。落ちませんように。

中野ブロードウェイで、日本のアール・ブリュットの展示を見た。初期のヤンセンの過密な線の版画のような、鉛筆で縦横に線を巡らせた作品に眼を奪われた。解説を読むと、これは個人の日記で、誰にも見せず、隠されて置いてあっただそうだ。よく見ると線の中に何月何日と書いてある。その上にゆっくり線を重ねていったのだ。

若林奮さんがやったのと偶然にも同じように、日を追ってきちんと紙を重ねて閉じてあったそうだ。すごいと思った。

帰宅後、夕方ケアマネさんに電話できょうのことを報告、相談した。彼女はN医師に対してすごく憤慨していた。N病院は進歩的な病院のはずだし、相談員に話してみたらどうか、と。

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2013年1月11日 (金)

浅田真央 田中和生さん評『反絵、触れる、けだもののフラボン』

1月11日

水声社の担当さんから手紙。『反絵、触れる、けだもののフラボン』について週刊読書人(2012年12月14日)に田中和生さんが書いてくれていたのを見つけて送ってくれたとのこと。

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「画家の福山知佐子によるエッセイ集『反絵、触れる、けだもののフラボン』(水声社)。美術や芸術について語る言葉が、慌ただしい現代社会とはまったく別の、生死と直に触れた時間の流れを感じさせる。浅田真央の「鐘」論に感動した。」

と書いてくださっています。書評するかたにはたくさん本が送られてくるのに、実際に読んでくださり、そこに目をとめてとりあげてくださったことに本当に感謝です。

『反絵、触れる、けだもののフラボン――見ることと絵画をめぐる断片』は、昨年11月に出た本ですが、心から敬愛する(もう亡くなってしまった)芸術家へのオマージュと、胸がいっぱいになるような苦しい、また幸せな思い出と、私がいつも見つめている動物、植物や黴(カビ)や苔(コケや雲などについて感じることをなるべく見えるがままに書いた本です。

「もっとも劇的な雲、異空間の生成――浅田真央「鐘」に」は、以前ブログに書いた文章を推敲し、浅田真央の演技の芸術性に焦点をしぼって、書き直したものです。なるべく見えるがままを、脳裡に残像としていつまでも残るものがなんなのかを、言葉にするように努めたものです。

私にとって「見る」とはどういうことなのか、「芸術」とはどういうことなのか、を書いた本です。興味のあるかたはどうか読んでいただけたら幸いです。

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1月10日

中野のN病院に母の転院のための面談に行く。(高円寺のK病院のような)余計な料金加算がなく、しかも一人部屋も2人部屋も4人部屋も差額なし、という良心的なシステム。さらにスタッフが若い人ばかり。ここに無事転院できますように。

ブロードウェイの天婦羅屋さんで食事。ここのご主人は白髪のおじいちゃんで、なんともレトロな良いお店。このあと母の病院に行かなくていいなら、コチやサヨリの天婦羅で梅サワーなどを飲んでのんびりしたいところだ。

まんだらけで古い絶版まんが本を物色。「変や」で昔の病院にあった内臓標本模型や、ブリキのおもちゃなどを眺める。

使い捨てマスクの大箱を買おうとブロードウェイのドラッグストアをいくつか見たが、値段はいろいろ。角にあったほんとに古い小さな薬局で50枚入り100円のを見つけて購入。

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