谷川俊太郎さんのこと
谷川俊太郎さんが亡くなった。
今作っている次の本——沢渡朔さんが撮影してくださった私の写真と、それに寄せてくださった谷川俊太郎さんの詩と、私の絵をまとめた本の完成を見ていただくことができなかったのがとても残念だ。
少女の頃、あまりに衝撃を受けた『二十億光年の孤独』。
「ネロ」は泣けて泣けて暗唱するほど読んだ。
私の最初の個展の時にご案内を出したら見に来てくださった。
谷川俊太郎さんには大変お世話になっている。
2009年に作った『デッサンの基本』の帯文をお願いした時には4つも文をくださった。
・・・
「花」という言葉が花を覆い隠している
デッサンは花という言葉を剥ぎ取って
花という得たいの知れない存在に近づこうとする
*
紙の上にワープして
花は「花」という言葉から
自由になる
花が生きるように沈黙のうちに線も生きる
それがデッサンではないか
*
目前の具体物を紙の上に抽象化する過程で失われるもの
それを惜しむことで何かを得るのがデッサンかもしれない
*
「写す」のは写真でもできる
デッサンは「移す」のだ
花を紙の上に
・・・
どれも谷川俊太郎さんの『定義』という詩集にも関わっている、
言葉で覆い隠されている物への「不可能な接近」「邂逅」についての問いを提起する谷川さんにしか書けないことばだ。
『反絵、触れる、けだもののフラボン』の帯文をお願いした時、この本について「とても面白い」とお宅の玄関先で言ってくださったことが忘れられない。
私はこの本でいわゆる「現代詩」とよばれる現代詩手帖に載っている詩のようなものではなく、私にとってのポエジィとは何なのかを、絵ではなく言語のかたちにして問うてみたかったのであり、その文章を谷川俊太郎さんがほめてくださったことはこの上ない恩寵だった。
「この書物をオビにするのは、至難の業です。
書いても描いても尽せない
いのちの豊穣に焦がれて
ヒトの世を生きる福山知佐子は
どこまでも濃密なエロスの人だ。」
吉田文憲さんと一緒にご自宅にお邪魔させていただいたこともある。
端的で示唆に富んだ言葉。
吉田さんはいつもの感じで打ち解けていたけれど、谷川さんの人に対する絶妙な距離感を察しすぎて私はとても緊張していた。
その日、『なおみ』という沢渡朔さんの写真とタッグを組んだとても印象的な絵本をくださった。
あの日、谷川さんと一緒に撮っていただいた写真はどこにいったのだろう。
フェリス緑園都市校での谷川さんの講演も素晴らしかった。
人がまったくいない光景にポエジィを感じると谷川さんは言った。
立場は全く違うが、人疲れするという意味でなんとなく通じていると感じていた。
あの時も大学職員の人が谷川さんにあびせるくだらない質問に、私は傍ではらはらしてしまっていた。
もちろん谷川さんはそういうことに慣れっこで淡々とこなすのだけど。
電車でお会いしても、私はごあいさつした後、隣の席に座ってただ黙って揺られていたりした。
谷川さんはしつこく話しかけられたりすることがとてもお嫌だろうと思っていたからだ。
今作っている本への詩をお願いする時、今までいろいろお世話になり、そのたびに胸が震えたことを手紙でお伝えした。
「谷川先生はもう覚えていらっしゃらないと存じますが」という私に、
「もちろん全部覚えています」とお伝えくださって泣けた。
谷川俊太郎先生、ずっと多くのものを与えてくださり、そのありがたさはことばになりません。
・・・・・・
11月20日(水)
二匹展で対人緊張などで胃が受け付けなくなり4kgやせ、42kgになった。
その後、少しずつだましだまし食べ、やっと少し体重が戻ってきたが、昨日から寒くなったらてきめんに体調が悪い。
顔が冷たい風にあたると浮腫が酷くなり、眼がちゃんと開かないし、首や眼の奥が痛くて頭が重くて・・とにかく苦しい。
人に会えないレベル。
11月19日(火)
がん研究センター。採血5本。
少し肝臓の数値が上がっていて「お酒を少し飲みました」と言うとY本先生に「関係ないですね。薬を続けているせいでしょう」と言われた。
お酒を飲みたくなるのは緊張がとれないのと寒いせいで、飲んだとしても1杯だけ。
サイログロブリン値が上がっていないかが恐怖なのだが、その結果は来月。
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