病気

2016年9月25日 (日)

がんの定期検診、 皮膚科(唇と顔のぴりぴり痛み)

9月23日

雨。12時過ぎに家を出て、鎌ヶ谷の病院へ。

東西線で川を3回渡る。電車ががたたん、がたたんと鉄橋の上を通る時、いつも私は窓にはりついて川を見る。一秒でも長く見ていたいと思う。

きょうはイエローオーカーの混じった灰色。鷺は見えなかった。雨なのにたくさんのおもちゃのような舟が浮かんでいた。

西船橋のホームで電車を待つあいだ、雨の中にピーチュルツピッ、ピーチュルツピッ、という一羽の小鳥の声がしていた。どこにいるのか一生懸命電線を眼で追ったが、姿は見えなかった。

野田線の窓から見る土手に彼岸花が咲いていた。ほんのわずかに残された森の上に雨が降るのを電車から見下ろしていた。いつかあの森に行こうと思う。

浅井先生に未分化がんについて聞いてみた。長いこと乳頭がんを持っていると、遺伝子が傷ついて未分化がんになることがある。

未分化がんになったら、治療としてできることはない、と言われた。

未分化がんになる前のがんに対しての抗がん剤は、昔はなかったが、つい数年前にできたそうだ。しかし何度も病院に通って副作用に耐えて抗がん剤をやっても、命は数か月延びるくらいか、よくわからない(まだはっきりしたエビデンスがない)そうだ。

「それより食べることを考えないとね。福山さんは仕事に夢中になると食べないから。」と言われた。

体重はやつれた時(42kg)からは3kgぐらい増えている。自転車で、たまに坂をちょこっと登ることくらいしかやっていないが、なにもやらないよりはいいtだろう。

4時に船橋でN子さんとお会いする。N子さんは初めて会うかただ。

以前一度行ったことがあるシャポーという船橋駅直結のショッピングセンターの中の、ひなびた居酒屋に行こうとしたら、通路ごと工事中で閉店していた。サービスでサラダやらデザートやら出してくれたなんとも昔風のだった。

9月18日

母のいる施設へ12時30分頃に行く。

敬老会は1時45分スタートと言われ、けっこうな時間を待った。買って行ったヨーグルトは、誤嚥の危険があるので家族が食べさせてはいけないと相談員のK島さんに言われ、手持無沙汰になる。

傾眠が強く、会話ができないので、いろいろ話しかけながらマッサージをしたが、精神的に疲れてしまった。私が疲れるのはすごく心配し、いろいろ考えて不安になるからだ。

母は式典でも眠っていた。

式典後に和菓子と抹茶が出て、フロアリーダーのF島さんが食べさせてくれた。

F島さんは走るのが好きで、しょっちゅう高尾山の上まで走っていると聞いて、たいへんな仕事なのにさらに山を走って登り降りする体力があるのだ、とびっくりした。

帰りに中野の南側の裏道を歩いた。小さな古い教会のわきの緩やかな石段を下る。

初めて見つけた古い森のような一角があった。昔、大きなお屋敷だったところの跡を、あまり整備しないで自転車置き場にしたような場所。

葛の蔓が高い枝から垂れていた。隅にシシウドが生えていた。

きょうは氷川神社のお祭りで、東中野から中野のあたり、神輿がいくつも練り歩いていた。

そのあとアンティーク屋と古本屋に行った。古本屋で武井武雄の限定版目録などを見せられ、なにか買わないといけないかと思ったのだが、結局、アンティーク屋で古い陶の小鹿の人形を買った。

私は動物が好きで、動物のアイコンが好きなわけではない。むしろ嫌いだ。

動物のかたちをしたもので、古くて見捨てられたものはとても好きだ。

私は動物は食べ物ではないと思っている。私が肉を食べられないのは、食べ物の好き嫌いではない。

・・・・・

8月18日に、顔のぴりぴりする痛みに耐えきれず皮膚科に行ってから、きょうで一か月。まだ顔は痛いが、なんとか落ち着いてきた。

4月からずっと、唇が荒れて薄くなり真っ赤に腫れて酷く痛み、頬の皮膚がぴりぴりちくちくし、一時(5月24日)は唇のまわりから痒いただれのような湿疹ができて、顔の上部までひろがった。

その時は皮膚科で抗生物質と抗ヒスタミンの飲み薬などをもらって、1日で湿疹はおさまったのだが、唇の痛みと顔のちくちくひりひりは治らず、そのままずっと続いていた。

紫外線にかぶれるので布製の大きな洗えるマスクを買ってしてみたら、マスクのふちが顔にあたるだけで痛くてたまらない。これは無理。

唇にはプロペト(白色ワセリン)だけを塗り、顔には敏感肌用化粧水を塗っていたのだが顔のぴりぴりちくちくする痛みに耐えられなくなって8月18日に皮膚科へ。

初めて会うS井医師は、すごい迫力の先生で驚いた。

精悍な体型、やや焼けた肌。つるっつるのスキンヘッド。眼光鋭く、厳しそう、頭切れそう、こだわりを持っていそう。

「まずは、(以前に処方されて余っている)ロコイド(弱いステロイドの軟膏)を唇と顔に塗っていい。とにかく炎症を一回リセットさせないと。何か月もプロペトを塗っているだけでは治らない」と言われた。

ステロイドを塗って紫外線を浴びるとしみになる、ということに関しては「私は俗説だと思う。」と言われた。

余っているヒルドイドについては、「皮膚がぴりぴりしている時には、ヒルドイド自体が刺激になって痛いはず」ということだ。確かに塗ると痛くて辛かった。

ステロイドのはいっていない炎症を抑える塗薬もあるが、それはすごく沁みる、ということで、まずはロコイドで治すということ。

夜、寝る時に唇の輪郭にべったりロコイド、頬のちくちくする部分に薄くロコイドを塗るのを毎日繰り返していたら、5、6日目で唇の皮が再生してきた。

プロペトしか塗ってなかった時は、いつまで経っても異常に皮膚が薄くなり唇全体が傷のように真っ赤で、口をすぼめることも痛くてできない、歯磨き粉も、お醤油も味噌汁も沁みて常に涙が出るくらい辛かった。

それが、いわゆる冬に唇がカサカサに渇いた時の程度にまで回復してきた。

 

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2015年5月 9日 (土)

皮膚の荒れ、顔の湿疹、「ものもらい」

最近の体調不良のまとめ。

・・

もう2か月も前の3月のこと、なぜか唇の皮が薄くなって、赤く腫れあがってしまった。

唇の荒れがひどいが、治らないはずはないと思って、リップクリームを塗って気にしないことにしていた。

ところがそれが1か月経っても、2か月経っても治らなくて、どんどん酷くなり、口の周りの皮膚が荒れてカサカサになり、ヒルドイドを塗ってもピリピリ痛いし、唇は濃い口紅をつけたような真っ赤な色になってしまった。

5月1日に遅ればせながら皮膚科に行った。プロパデルム軟膏とワセリンを処方された。「一か月も治らなければ自力では治らない。我慢しすぎ。こんなになったらヒルドイドも沁みるでしょう。」と言われた。

さらに、その日の夕方から頬に、真っ赤な痒い湿疹が一気に出てきた。

さらにさらに5月3日に、最近違和感があった右目にものもらいができてしまい、ドラッグストアで「アイリス抗菌目薬使い切り」を買ってさしはじめた。

・・・

3月19日から1週間ほど熱が出て(咳はなし)、タイレノールを毎日3回飲んでいたらいったん治った。

4月23日から急に高熱が出、咽喉と頭の痛みと吐き気。その後、咳が止まらなくなり、ドラッグストアで「一番安い総合風邪薬ください」と言って出してもらった「新カンボーエース顆粒」というのを1週間ほど飲んでいた。

これも、今年にはいってから、他人からの考えられないような迷惑行為により過剰にストレスをかけられることがあり、本当に悩んで、ずっとあっちこっちと奔走していたせいだ。人の弱みにつけこんで陥れようとする卑劣な人間にも遭遇し、ストレスはマックスになった。

(ただ、この厄災のせいで、否応なく、私が今まで会ったことのなかった世界の人たちと会う機会が持て、何人かの魅力的な人とも会うことができた。いろんな人と会いながら、頭が良くて問題解決能力があって、相手を穏やかにする対話能力のある人とはどんな人なのか考えていた。)

私の場合、精神的ストレスが顕著に身体に出る。こんなに暖かくなったのに本格的な風邪をひいたのは、ストレスでずっと夜も眠れなかったせいだと思う。

やっと風邪が治って来た、と感じた頃に「ものもらい」もできた。やはり体力も免疫も落ちていたのだろう。

私はもともとアレルギー体質ではないが、皮膚が異様に薄くてかぶれやすく、日光に当たると湿疹が出る。

ずっと解熱剤を飲んでいたところに、短い時間だがすっぴんで日に当たってしまったので、てきめんに薬疹が出てしまったみたいだ。

5月8日

顔の湿疹と「ものもらい」は、ほとんどよくなってきた。久しぶりに治療院へ。

「連休、どこかに行きましたか?」と聞かれ、「昼間はまったく外に出なかった。夜に中野の天婦羅屋さんに行ったくらい。」と応えたら、

「福山さん、油はだいじょうぶ(食べられる)なんですか?」と言われた。

以前にもほかの人に同じことを聞かれたが、私が「動物愛のために肉を一切食べない」と言うと、なぜか植物油まで食べないと思い込む人がいるのが不思議だ。私はダイエットやマクロビに興味ないのだけれど。

そのあとに「お肉もおいしいんですけどねえ。」と言われ、ああ、これっぽっちも話が伝わらないんだな、と毎度のことだがちょっとイラっとした。

そう言えば2か月くらい体重を量っていなかったな、と思いTANITAの体重計に乗ってみたらびっくり。

42.8kg。熱があった時だけは小食気味だったが、それでもピザや天婦羅やお寿司やカレーを食べまくっていたのに、体重が落ちていた。そういえばジーパンがゆるい。

とりあえず、栄養補給に、きのうの手作りカレー(私は市販のカレールーはラードや肉エキスがはいっているため食べられないので、カレースパイスパウダーといろいろな野菜で手作りカレーを作っている)の残りと胚芽パンとチーズを食べた。

5月6日

顔の湿疹、まだ赤い部分もあるが、だいぶよくなってきたので、母に会いにKへ。ずっと風邪で、母にうつったら危険なので面会に行けなかったので久しぶり。

夕食とプリン完食。えごま油を持参して少々混ぜて食べさせた。

図書館で借りた古い歌のCDを聞かせた。

施設は生花の持ち込み禁止なので、母に見せるために春の花(ひなぎく、すみれ、しろつめくさ)の手作りコサージュをつけて行った。最近、ストレス解消に布花作りを始め、山ほど布花ができてしまっている。

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連休にはどこにも遠出しなかったが、近所の小さいお店が詰まった細い路地を、夜歩くだけで楽しい。

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5月4日

顔が赤く腫れ、眼は「ものもらい」が痛くて、微熱あり。それでも、きのうよりは少しよくなっている状態。

きのう、抗菌目薬を5回さして、ビタミンBやLシステインを飲んで眠ったら、「ものもらい」は、きのうほどの痛みはなくなってきた。

マスクをすると顔が痛いので、ワセリンでべたべたのすっぴんのまま、夜、買い物に行っている。

5月3日

顔のかぶれがかゆい。使い捨てマスクが皮膚に触れると痛くてたまらないのだが、顔がすごくかぶれているので、マスクなしでは外に出られなくて困った。

治療院に行くが、うっぷして顔をのせる枕の上に敷いてあるポリエステルの紙がピリピリして、痛くてたまらない。

きょうは体調が悪いので、若い治療士に対する院長のいつものパワハラ的な不快な冗談と、それを大袈裟に笑ってみせる声が、いつも以上に辛かった。

5月1日

H皮膚科へ。

皮膚科に行った時点では、口のまわりが真っ赤に荒れているだけで、頬の痒い湿疹は出ていなかった。

この日の夜、顔に痒い湿疹が出て広がり出したので、プロパデム軟膏を塗り、皮膚の乾いた部分にはプロペト(ワセリン)を塗りまくった。

ちゃびが、ここ3日くらい乾いた「ケヘッ、ケヘッ」という長い咳をしているので、動物病院に相談に行く。カメラに録画しておいた咳をしている映像を見せた。

たぶん気管支炎。熱もないし、食欲もある。咳をして呼吸困難になったりはしないが、ただ体力を消耗するということ。しばらく様子を見ることにして、抗生物質の薬はもらわなかった。

咳の時に撫でたり、さすったりしてあげても、「喜ぶけど、それで咳はとまらない」と言われた。この咳が一時的なもので、またおさまってくれるといいのだが。

「何か食べ物を変えませんでしたか?」と言われ、心当たりはないのだが、4月の初めくらいから腎臓サポートからk/dに変えていたのを、一応また腎サポに戻した。

4月30日

陽射しが眩しいが、顔の皮膚が荒れているので日焼け止めは塗らずに、すっぴんのまま、日傘を差して、さらに黒い上着を頭にかけて歩いた。

西新宿駅から、いつも人気のない地下道を歩き、それからヒルトンホテルの中を通る。

ヒルトンの地下階の廊下のギャラリーに、最近、西洋の芸術家と日本の名筆の「筆跡」をテーマにした展示があるのが興味深くて、いつも見ている。

カミーユ・クローデルの書いた手紙の文字が展示されている。「パリの芸術家協会への推薦はたいへんありがたいのですが、私にはその会費を払う余裕がありませんので辞退させていただきます」というような内容の、美しい文字。

狂気や激しさの部分が話題にされがちだが、このカミーユの筆跡の線は静かで、慎ましくて、正直で、詩的だ。写真のカミーユの眼は、求めるような淋しそうな淡い色だが、硬質な知性の光を放っている。白いレースの衿の繊細さが胸に残る。

私の知る絵を描く人たちは、たいてい字もその人の絵に似ていて、とても魅力がある。要は見た目のバランス感覚の問題だからだろう。絵の才能があって悪筆な人をあまり知らない。

ホテルから地上に出たところ。中央公園の新緑がまぶしい。

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新宿から十二社(じゅうにそう)へと下る中央公園の脇の坂。小さい頃からなじんだ大好きな欅並木の道。
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都庁からもすぐの都心なのだが、いつもあまり人がいない静かな木陰。まわりにお店もほとんどなく、この素っ気ない感じが好きだ。
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きょうは家の耐震検査で工務店の人が来てくれた。

一級建築士のI・S。長髪で役者(遠い昔のジュリーみたいな甘~い)顔の、とてもおっとりした人だったので驚いた。

強い日差しではなかったが、玄関の屋根を見る時に私も屋根の上に出たので、少し日に当たってしまった(これが翌日の日光湿疹の原因に)。

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2015年3月 7日 (土)

がん定期健診 / ちゃび /  高級スーパーの困った話 

3月6日

鎌ヶ谷の病院にがんの定期健診に行く。

1時に寝たが、ちゃびが、明け方から何回も「にゃ~おぅ」と耳元で叫んで私を起こし、私のふとんの中に潜り込んでは、数十分経つと出て行く、そしてまた大きく耳元で「にゃ~おぅ」を繰り返すので熟睡できず・・・6時には、ごはんを新しくあげてみたが食べる様子もなく・・・9時すぎに起きたが、頭が朦朧として、また少し眠ってしまった。

少し遅刻して2時過ぎに病院に着き、きょうはまず採血と胸のレントゲン。

この病院の採血してくれる人、毎回、違う人だけれど、皆、とても優しい。きょうは寒くて、私の手が氷のように冷えていたので「わあ、冷たい。だいじょうぶ?気分悪くないですか」と言われ、「生まれつきなんで、いつもこんな感じです」と言ったが、心配して採血後も左手をしばし握っていてくれた。

頭頚科の待合ソファで『ベンヤミンの生涯』を再読していたが、検査結果がなかなか出ず、時間がかかった。

途中、我慢できずソファに横倒れになって眠っていた。

「あら~、寝ちゃってる」という看護師さんの声で眼が覚めた。「遅刻してすみません。」と謝ったら「いいえ、検査が時間かかちゃってね~、すみませんね~。」と浅井先生の困ったような優しい顔。

結局血液とレントゲンの結果が出るまで1時間40分もソファで待たされた。

「すいませんね~、システムが変わって検査結果15分くらいで出るはずなのに、こんなにかかっちゃって」と浅井先生は悪くないのに謝ってくれて、本当にいい先生だ。私は執刀医であるこの先生が大好きなので、わざわざ2時間かけて、この遠くの病院まで来ている。

診察はいつも5分~10分。検査結果は問題なく「むしろ左肺のほうの点々(粟粒転移)が薄くなっているように見えます」と言われた。

これに関しては、以前、レントゲンで「粟粒転移が濃くなって増えている」と診断されて真っ青になったが、もう一回レントゲンを撮ったら、やっぱり変わっていませんでした、ということがあったので、画像の誤差かもしれないが、濃くなっていないのならひとまず安心。

それと、これは大事なことだが、「首、切ったあとの傷、特に首の右側の傷を(治療院で)押されるとすごく痛いんですが」と言ったら「傷の上は押さないでいただきたいんですね。リンパ節と一緒にたくさん筋肉切除しちゃってるから、普通筋肉で動脈が守られているんですが、(私の場合筋肉がないので)傷の上を押すと、じかに動脈に触れちゃうんで、左右同時に押すと、へたすると脈が止まっちゃうんで。」と言われた。

「脈が止まるって・・・」「心臓が止まるってことです」と。ひえ~~。治療院の人に言っとかないと。

血液検査、レントゲン1枚、薬3か月分で8780円。

終わって船橋に着いたらもう5時だった。地下鉄が地下に潜る前に、いくつかの建物だけが強く夕陽を反射して、杏色にギラギラ光るのを見ていた。

7時近くに帰宅したら、昼に飲ませたぺリアクチンが効いたのか、ちゃびがウエット(ミヤリサン、デキストリン、無塩昆布粉、亜麻仁油、レンジアレン入り)の皿と腎臓サポートのドライの皿の両方を、つるっつるに完食していたので嬉しかった!

3月5日

夜、9時20分くらいにクイーンズにお刺身を買いに行く。

780円の本マグロのお刺身が半額になっていたので、それとビール、野菜、卵など買ってレジでお金を払ってすぐ、合計が予想より高いな、と思ったら、やっぱり780円のお刺身が980円と打たれていた。

サービスカウンターに行ってください、と言われ、店長が出て来た。980円と780円の差額の半額の消費税込だから、計算するまでもなく、一瞬で108円の返金だとわかるのに・・・

店長は紙にボールペンで書きだして「ええと・・・980円かける1.08だから・・・それと780円かける1.08で・・・引くことの~、ええと・・・差額が~、その半額の~・・・」って、はあ?

前々から思っていたけど、ここの店長、ちょっと頭がよくない。いつも簡単な返金に時間がかかる。余計な説明が多い。

しかも高級スーパーなのに、価格表示とレジでバーコードで出てくる値段が違うことがままあるから、要注意なのだ。(ちなみに私はいつもざっくり100円単位で合計額を計算してレジに向かうので、計算と違う金額を言われると、すぐ気がつく。)

「お客様の声」という投書箱に「値引きシールを貼る時に、産地を隠すように、ちょうどその表示の上に貼るのをやめてください」と書いて入れて、店長の名でお詫びの回答が来たことが、もう4回。何度書いても、「改めます」と書いているだけで、いっこうにやっていることは改まらない。

もうひとつ「玄関のところで売られている花束が、水から引っ張り出されてしおれていることが多いので、水に茎がつかるように管理してください。花がかわいそうです」と書いたのも、もう3回。私は、この店に行くと、毎回玄関を入る前に、浮いている花束の茎を、全部引っ込めて水につけているのだが、これもいっこうに店の方で留意してくれている気配がない。

お値段の高いスーパーなんですが・・・

・・・

帰宅してお刺身とビールでリラックス。マグロのお刺身をちゃびに小さくちぎってあげてみたら、喜んで食べてくれたので、もうかわいくって、嬉しくって。結局6切れのうち、5切れをちゃびが食べ、私は一切れ食べた。

最近、朝、ちゃびが私にべったりくっついてゴロゴロ言っているところをなんとか自分で撮ろうと試みている。
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このちゃびの写真、眼が大きくてすごくかわいい~~!(親ばかです)
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ピンボケだけど左手で撮ってます。
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2015年1月25日 (日)

ちゃび(認知症?) コロ(幸せ)

1月25日

ここ数日、ちゃびが興奮していて食べ方も少なくなっていたが、きょうは朝までふとんにはいったり出たりのソワソワがなかった。

それで朝、皿を見たらきのうの夜残していたカリカリ(キドニーケア)をきれいに食べてあった!

変な興奮がなくなったら食欲がまた出て来た。

気になるのはなぜか22日からずっとゴロゴロ言っていないこと。元気そうではあるし、機嫌も悪くないのになぜ?

18日~21日は、逆にゴロゴロ言い過ぎで一日中ゴロゴロ爆音だった。・・・不思議。

最近は昨年のあまり食べなかった時よりは元気で、私のスカイプのマイクの先についた黒いスポンジをやっつけたり、丸めたポリ袋を鞠のようにポンポンしてはねて遊んだりしている。

1月24日

ちゃびが朝から台所の流し台の上に乗っかって根三つ葉の葉を食べようとしていたので、買っておいたエディブルフラワー(無農薬の金魚草)をあげてみた。

猫草でもちゃびには硬すぎて、食べると変な吐き方をするので、最近は猫草は買っていない。

夢中になるとき、鼻に3本縦に皺を寄せるちゃび。

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ぺろり。

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朱色の金魚草。
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はむっ。
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ぺろり。

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お花が似合うかわいいちゃび~~・・・

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ここ数日のちゃびは、めまぐるしく様子が変化している。

18日、19日、20日は昼間はずっとゴロゴロ爆音をふかしていたが、夜になると朝まで落ち着かず、私のふとんにはいったり、出たり。

夜中、ふとんから出た時、机の上にあがって、やたらに紙類をかじってぺっぺっと飛ばすのですごく困る。

私がお風呂にはいったら、普段とまったく違うドスのきいた大きな声で叫ぶし。お風呂から飛び出して「ちゃび!」となでると「んにゃ?」とおとなしくなり、再び私がお風呂に戻るとまた叫ぶ。

21日に先生に相談したら「ぼけたのかもしれない」と言われてショック。ねこの認知症もまったく珍しくないそうだ。確かに、猫も歳をとったら自律神経とかいろいろ不具合は出ているのかもしれないが。

22日~23日は興奮のピークだった。朝から落ち着かなくて、紙をかじったり、変な大声で泣いたり。昔からうんこが出ないでイライラした時に紙をかじっていたので、トイレに閉じ込めるが、しない。

23日の午前3時ころから、流し台の上に上がったりしてうるさくしていたので、ごはん(まぐろスープとカリカリを別々の皿に)あげても食べないでソワソワ。

朝5時にミサイル弾丸走りをした!!うんこしたあとにしかしないはずなのだが、強烈に暴走。押さえて抱いたあとも身体に力がはいっていた。

不穏な感じでもなく、無駄に元気がいい感じ。

23日の夕方、動物病院の終わり間際に電話で相談。セルシンの量をうまく調整してみてくださいとのこと。今はセルシンはほんの1/10j錠くらいしかあげていないが、もう少しあげて、眠くなる量を加減してしてみて、と言われた。

「ぼけ」もどういう症状が出るか個体差があり、ムラがあるから、ずっと同じ状況ではないから、と言われた。

そもそもちゃびが以前のように食べなくなった直接の原因が「腎不全」ではなく、年齢によるいろいろ微妙な自律神経の不調なのかな、と思う。

ミサイル走りのあとの朝のアカルディ(強心剤)は、余計心臓がどきどきしたら困る(?)と思い、一回お休みしたのだが、先生にきくとアカルディは心臓を楽にさせて落ち着かせる働きがあるので休まないほうがいいとのこと。

1月21日

久しぶりにコロの顔を見る。

まだKさんのところにいさせていただいていた。「すっかりなついてだら~っとしてゴロゴロ言ってますよ~。」と嬉しそうにKさん。

「コロち~(涙)、よかったね~。あったかいね~。」コロはさらにふっくらしてご満悦になっていた。

コロは人に触らせるようになったが、油断するとみんな噛まれているそう(そこはかわってない)。

私がコロのところに行っている間、スカイプをつけっぱなしにして友人に聞いていてもらったところ、ちゃびは私がいないと大暴れの大騒ぎだったそうだ。

流し台の上に置いていたティーポットが倒れていてお茶が床にこぼれていた。

1月20日

一級建築士のTさんに実家を見ていただく。雨漏りや壁の崩壊など、すぐになんらかの修理が必要かどうかを見ていただいた。

結果・・・すぐに修理しないと崩れるという状態ではないようだ。

たぶん築69年。木造。

土台が地面にしっかりとはいってなく、「ふわっと」地面にのせただけの家で心配なんです、と言ったら、戦後すぐの家はみんなそんなもんだったそう。・・・ふう・・・。

北風が強い日。西新宿のファンゴーダイニングのランチがちょうど終わっていたので新宿駅西口のミロードでお茶を飲んでいろいろ相談にのっていただいた。

TさんはSさんのパーティーで知り合った人だ。尊敬する人のパーティーにはやはり素敵な人たちが集まっている。そして偶然の出会いでも相談にのってくださるなんて、本当にありがたいことだ。

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2014年12月31日 (水)

ちゃびの検査 猫の腎不全 / 音楽

12月30日

動物病院の今年最後の診療日に、ちゃびを検査に連れて行く。

朝、晩のアカルディ(オブラートに包んでいる)のおかげで、心臓の雑音はいい感じによくなっている。

体重は、前回3.32kgだったのが、今回3.38kgに増えていた!きのうの晩は輸液していないので、輸液分が増えたわけではない。

9月半ばに腎不全が発覚したときは2.8kgで、食欲がすごく落ちていて、もうだめかと思い、頭が真っ白になったのだが、

吐き気がするときはセレニア8mg(強烈な味なのでカプセルに入れて。これは一時間~2時間後に効き始め、24時間効く。)、それ以外の時は朝晩、まずはほんの2mmくらいのぺリアクチンを飲ませ、一時間以上経っても食べなかったら1.5mmほどのセルシンのかけらをシリンジで飲ますことによって、うまく食欲を出すことに成功している。

腎不全で食欲のない猫を飼っている人の参考になるかもしれないので書いておきますと、

最近あげている食事は、

腎臓サポート、キドニーケア、ル・シャット(デトレ)などの腎臓療法食のカリカリ(ドライ)を適当に10g~15gくらいお皿に入れ、

その上に銀のスプーンジュレ15歳以上用を少々かけ、

そのジュレ部分に、ミヤリサン(またはビオフェルミンやアシドフィルス菌)を粉にしたものとデキストリン(食物ファイバー)を少々かけて(ファイバーは多いと下痢するのでほんの少量だけ入れます)少しスプーンでなじませ、

その上に少量のレンジアレンをかけ、さらにそのレンジアレンの上にひとつまみのかつおぶしをかけたもの

これを何回か繰り返してあげています。

一時期はモンプチ白身魚と野菜入り15歳(缶詰)を気に入ったり、鱈や鮪を欲しがったりしたが今は落ち着いている。

「輸液をやめていい」と言われることを期待していたのだが、輸液は当分、今と同じ、一日おきに170ml程度(3回で1パックを使い切る)やったほうがいいと言われた。

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輸液の時には、針を刺されるちゃびも、刺す私も緊張でぷるぷるするので、ちゃびと私の緊張を和らげる音楽をかけている。

ちゃびは、自分の声に近い声が好きで、男の人のボーカルが嫌いである。ハードロックや電子音なども嫌い。

私は、音楽マニアではないのだが、好きな音楽がすごく限られている。アコースティック系でシンプルなものが好きで、ヒットした曲はほとんど好きではない。マイナー系でだいたい1975年より昔のものしか聞かない。戦前の歌謡曲も好き。

60年代のシンプルなロックやガレージ系は私は好きだけど、ちゃびは嫌いだ。

今までに輸液の時に聴いていた曲・・・

最初の頃はジョニ・ミッチェル「Tin Angel」。窓の水差しの中の磨かれた草、サテンの箱の中のタペストリーの剥げたビーズ・・・という出だしが好きだ。

ジュリー・ロンドンの「Cry Me A River」。これは落ち着く。

マリア・カラスの若い頃の「ハバネラ」。これは美しいし、気分も上がるのだが、けっこう緊張も強いられる。

カルメンマキ&オズの最初の頃。この頃のマキさんの声は素晴らしくて、アレンジも私は大好きだけど、ちゃびは落ちつかない。

浅川マキ。彼女はうまい。彼女の声は哀しくて温かくて非常にインスパイアされる。だけどちゃびはどうなんだろ。

淡谷のり子や織井茂子は、私は大好きだが、最後にオーケストラが盛り上がったりするとちゃびが落ち着かない。

ポール・マクレーンの「Is It Okay To Call You Mine 」。これは1980年の曲(私が聴くにはあまりに最近のものすぎる)だけど声も歌詞も大好きな曲で、この頃の内向的で繊細な役者だった彼も大好きだ。この歌は男声なんだけど私もちゃびも落ち着く。

最近はシモンズ。これはちゃびが落ち着くような気がする。ウイッシュや麻里絵など女性二人組は何組かいるが、意外にもシモンズが一番透明感がある。

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2014年12月29日 (月)

父が亡くなった / 心の病 / 差額ベッド

12月29日

きょう、また新たに父が生前にやった悪行が判明して、ショックと同時に、吐き気をともなう怒りが湧いてきた。

父が死んだ時、というより父が何度めかの痰がつまり、もうただ眠っているような、会話できない状態になった時は、すごい後悔に襲われた。

もっといろいろしてあげたかった、という後悔ではない。

父は、異常に自分勝手で、家族のお金を平気で盗むような人で、私は小さい頃から数限りなくひどい目に遭わされてきたから、正直、進んで父の介護をしたいとは思えなかった。

ただ、私が生まれる前のこと、父の子どもの頃のこと、肺結核になった17歳から片肺をとった25歳までに父が何を考えていたのか、結核で死にかかる前は何になりたかったのか、聞いておけばよかったと思ったのだ。

父の子どもの頃、青年の頃のことを聞いておかないと、私の知っている記憶、母や私がどれほど父に辛酸をなめさせられてきたのか、それが無駄に消えてしまうような気がした。

どういう風に育ったらあんな人間になるのか、理解することは不可能だが、それでも、もっと聞いておくべきだったと思う。そして私は、出来うる限り、すべてを書きたかったのだ。

父は祖母と祖父の本当の子ではない。

祖母は、父とは正反対。おおらかでおとこぎがあって明るくて美人で、とても人に好かれる人だった。私の大好きな太陽のような祖母が、私とまったく血がつながっていないことを母から聞いたときはすごくショックだった。

私は、祖母の素晴らしい遺伝子を持っていない。祖母は99歳近くまで生きた。

父はギャンブル依存症で、母や子供の頃の私をよく殴っていた。私にとって父は私に対して何かを与えてくれたり、保護してくれる人ではなく、私を不安の底に突き落として目茶苦茶にするような人だった。

幾度も父の異常性格のしりぬぐいをさせられた。怒りと吐き気で頭がおかしくなりそうな体験が山ほどあった。晩年まで、父の自分勝手さと異常性格はなおらなかった。

ただ、そのことが私の「もののみかた」をつくったのは確かだ。

このことは、また詳しく書きたいと思う。

12月28日

代々幡斎場にて、午後二時、父を火葬する。

ル・レーヴ(夢見る)という名のピンクの百合、ブルーなんとかという名の紫の蘭、ベージュのガーベラ、薄荷色のカーネーション、黄色と白のスプレー菊。スイートピー。

きのう、高円寺中の花屋やスーパーを廻って買い集めた花を棺に入れた。正月用の花束ばかりで、自分が買いたい花を探すのもひと苦労だった。

地方のお葬式で、火葬したあと、骨が人体のかたちのまま出されてきて、その骨を拾うのも、何回もさせられた経験があり、それがショックで怖くて吐きそうだったで、今回も心配だったのだが、

骨はざっくり混ぜられた状態で、四角いかねでできたものに入っていて、「弔事ですので、お骨は一回のみで。」という火夫さんのご指導のもと、二人一組で、あっさり一回つまんで終わったのでよかった。

「仏様が手を合わせているようなかたちなので喉仏といいます。」という説明。

おばあちゃんの時も代々幡だったような気がする。きょうと同じような感じだったのだろうか、あの時よりも、もっとあっさりとすんだような感じだった。

・・・・

今回の直葬で、都内にある代々幡、堀之内、落合などの火葬場は全部「東京博善」という会社の直営であり、火葬だけで一律59000円かかることを知った。

そのほかに骨壺約13000円、このふたつは絶対にかかる。その他保管料一日につき約8000円、火夫や事務、運転手さんへの心付け。

上記の斎場への支払いのほかに、葬儀社に頼まなければならないものは、棺、寝台車、納棺料、ドライアイス、案内の人件費などで、これが80000円くらい。

で、役所への手続きも自分でやり、棺に入れる花も自分で買って持って行き、写真もなしで、合計170000円くらいだったと思う(妹が明細を持って行ったので私の手元にないが、だいたいそのくらい)。

都内で直葬を考えている人の参考までに書きました。

12月26日

父が危ないと連絡を受け、I病院へ。

午後3時2分死亡。

泣き崩れる妹の背中をさすってやって、もう(妹は)十分介護したよ、という言葉を何回もかける。

妹はちょっとおかしいのだ。嘘つきで酷い人間だった父にべったりだったのだ。なぜかというと、妹は私のように、父の借金返済のために青春を滅茶苦茶にされた過去がない。妹はその時、まだ中学生だった。

しかし父の借金返済の時に母と私がどれだけ過酷な労働をしていたか、家族が心身ともに追い詰められておかしくなっている、その異様な事態に気づいていないはずはなく、妹がその原因である父にべったりになって母や私に少しもいたわりの気持ちがないことが異常なのだ。

妹は父と似ている。自己中心的で自分のだらしなさをすべて他人のせいにするところ。依存症で、ちょっとでも優しい言葉をかけると際限なくだら~っと甘えてくるところ。社会性や公平性がなく、自分に甘い人間にだけべったりくっつこうとするところ。

妹はアルコール依存症だと思う。酒が入ると完全におかしい。普通の酔い方ではない。まったく話が通じなくなり、一方的にへらへら笑ったり、激情的に怒ったり泣き出したり。

それだけでなく、アルコール依存症になってから、過去の記憶がいいように勝手に歪められている。 アルコール依存症について調べると「他罰的になる」という特徴があるので、もともとの性格がアルコールによって助長されているらしい。

私は、父から与えらえてきた精神的、肉体的外傷や、嫌悪感や、いろいろあるのだが、若い頃の母が(だまされて)すごく好きになった人だし、とにかく母がかわいそうで、激しく嗚咽してしまった。

・・・・

そのあと、泣きはらした顔で差額ベッドのことについて、病院側に言わなければならなかった。くたくたに疲れていたが、やはり、おかしいと思ったからだ。

「福祉保健局の人に話を聞いて、決まりでは家族が望んだのでない差額ベッド代、病院の方の都合でいれられた個室代は家族に請求してはいけないはずです。」という内容のことを言ったら、I院長は、

「あなたは決まりって言うけど、これは決まりの問題じゃなくて、公序良俗の問題だ。」

と言った。その「公序良俗」という言葉が、疲れた頭に、すごく印象に強く残っている。

つまり、「公序良俗」に反しているのは、私のほうだとと言いたかったのだろうか?

それとも「公序良俗」という語を出してきたわけは、病院側が家族に圧力をかけても、それは法的には規制されるようなことではない、やってもいいことなんだ、と言いたかったのか。

たぶん後のほうだろう。

「福祉保健局の誰がそう言ったの?メモしたいから名前教えて。」とも言われた。

I院長は「この件について僕に決定権はない。看護部長に聞かないとわからない。」と言い(嘘だと思う)、廊下で看護部長を待っていたら「会計に言ってくれ」と言われ、会計に行ったらソーシャルワーカーが出てきて、「でも妹さんは了解したんですよね。ちょっと確認してきます。」と言われ、

「妹は精神的に参っています。患者に何をされるかわからないと思ったので、怖くて了承したと言っています。それでも電話で了承しただけで差額ベッド代の金額を明示した紙に家族がサインしてない限り、家族に支払い義務はないと福祉保健局に聞いています。」とこたえた。

家族が死んだ直後で、ただでさえ胸がざわざわしている時に、病院総出でプレッシャーをかけられたけど、言うべきことは言わないといけないのでがんばった。

それで一応の解決をみた後、死者を囲んでぐったりしている家族のところへ、がちゃっと個室の扉を開けてI院長が入って来た。(はぁ~~・・・まだ、何か?・・・と私は下を向いていた。)

「お父さんは片肺だけでよく頑張ったと思います。いや、皆さんが随分、落ち込んでいるようだからね、私もこう見えて学生時代は鬱だったんですよ。」などから始まる演説があった。「鬱にならない秘訣はね。少しずつがんばること。」とか「皆さんの連携がうまくとれていないところがあるからね。」とか・・・

(残念ながら私は鬱病じゃない。依存症でもない。脅しやすかしでコントロールされるような人間じゃない。ぐったり疲れているように見えるのは差額ベッドの件で病院側に不当な支払いを要求された心労のせいなんですよ、と言いたかった。)

補足すると、この病院は看護師さんは親切だった。

とにかく老衰で亡くなりそうな患者を個室に移された場合、それは治療上の都合であるから、家族に支払い義務はない。

病人を介護している人、「差額ベッド代」で検索してみてください。

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2014年12月24日 (水)

父のこと 差額ベッドについて

12月24日

19日金曜日に父に会いに行った時は、父は6人部屋にいた。

妹から22日月曜日の夕方に、「21日9時過ぎに病院から電話があり、たんの吸引を嫌がり他の方に迷惑が掛かるからという理由で、¥14040/日 実費 (保険外)の部屋に移りました。断わったら何されるか分からないと思い承諾しましたが、実際キツいです」という内容のメールがあった。

ケアマネさんに急いで電話して聞いてみたら、差額ベッドは、家族が望まない限り、病院側の都合ではお金を請求してはいけない決まりがあるという。

確かに6月に父が国立医療センターに救急搬送された時も、一時危険な状態で個室だったが、その個室は治療のためなのでお金がかからないとすぐに説明があった。母が中野のリハビリ病院にいた時も、ずっと個室にいれられていたが、その分は請求されていない。

それで23日にI病院に、「もうお金がなくて実際にすごく大変な状態なので、申し訳ないですが、なんとか大部屋に戻していただけませんか」と電話をした。本日は休日で責任者がいないので、明日の朝、希望を伝えておきますと言われた。

そしてきのうの深夜、1時前に電話があり、父がもう本当に危険なので、病院に来てくれと言われた。

終電はちょうど終わってしまった時間である。

正直、今行くべきか考えた。始発で行けばいいんじゃないかとも思った。しかし気になるのは妹の精神状態のことだけである。妹は近郊の市からタクシーで駆けつけると言う。妹は、まだ父がすぐ亡くなるとは思えないらしい。それどころか回復を信じているようなところもある。妹の精神崩壊が怖かった。

着替えて、いくつかネットで調べたり、今年お世話になった人に出そうと思っていた手紙を確認したりしてからタクシーでI病院へ。

2:20くらいに病院に着いた。妹は子どもを連れて来ていた。父は金曜に会った時と同じく、会話は通じない状態で、酸素マスクをつけてほとんど動けない状態。点滴ははずされていた。

院長先生が来ていて、ナースステーションでお話を聞いた。

父の酸素レヴェルが50まで下がったので、もう危ないと思い、深夜なのに来てもらったが、今はまた93まで上がった、と言われた。

土曜にストレッチャーで撮ったという肺のCTとレントゲンを見せられながらの説明。肺から痰を吸引することで、一時下がった酸素レヴェルがまたあがったが、吸引で気管支を傷つけたりすると、逆にそれが原因で肺が詰まるおそれがあるので、難しい作業だという。

点滴や栄養も、糖尿病もあるので、やたらに入れたら血糖が乱高下したり、下痢したりするので危険と言われた。

もう覚悟しているので、身体に負担をかけないで、自然な感じでやっていただきたいのだが、問題は「差額ベッド代」である。

「何か、なんでもいい、質問はありませんか?」と院長に言われたので、思い切って「個室から大部屋に戻ることはできないんですか?」と聞いてみた。

院長のこたえは、要約すると

「もっと前に普通の状態ならともかく、今は危険な状態で、看護師の作業がやりやすいから」「こうして家族の皆さんが集まるにも個室のほうがいいと思うから」「一つ上の階に2人部屋があり、そこの差額は5000円だが、二人部屋は横にもう一人患者がいるんだから」「上の階の看護師に交代すると、今まで担当してきた看護師ではなくなるから」

といったよくわからないものだった。

「わかりますよ。実際問題としてね、私も大病院に入院した時に3万円の部屋に入れられてね。」という院長の話も、今、ここでの私たち家族の問題とは関係ない。

また、決定権があるのは看護部長で院長ではないという。

なんだか釈然としない。最初に個室にかえられた時から、すべて病院側の事情ではないのか。父は声もまったく出ないし、暴れる力はない。周りのひとに迷惑をかけられるような状態ではない。

問題は、病院の都合で個室に入れられるのはいいが、そのお金を私たち家族に請求することは正当なのか、ということなのだが。

そのようには言えなかったので、「もう本当に貧乏なので、なんとか差額のない部屋でお願いします。」と頭を下げた。

そのあと、「せっかく深夜に来てもらったけど、また安定したのでタクシーで帰っていいですよ。」と言われ、妹は子どもとタクシーで帰った。やはり妹のしゃべりかたがおかしかった。そうとう参っていて泣きそうで、なんかはっきりしない。

私は始発まで受け付けのソファにいようかと思ったが、なんだか気持ちがすっきりしないので、暗い明け方の街を新宿まで歩いて帰ることにした。

深夜3:40くらいに病院を出て、代々木八幡から代々木5丁目の閑静な高級住宅地を眺めながら、参宮橋のほうへ。参宮橋の商店街は少し昔のごちゃごちゃした感じがあって懐かしかった。右手にポニー公園の看板を見て、南新宿の方へ。

暗い中でも、屋根を樹が貫いている面白い形の家や、すごい豪邸や、枯草と古い壁だけ残っている駐車場や、細くて植物に覆われた階段を見ながら歩くのは楽しかった。

寒いけど、きょうは北風がなかった。ずんずん歩いていると、しゅんとした気分もきりっとしてきて、ああ、父は勝手な人だったけど、死ぬ時までこんなに家族をふりまわすんだなあ、と、なんだか滑稽なような、くすっと笑えるような気分になってきた。

きのうはいろんな後悔が襲ってきて、たまらなく胸が塞がれるような気持ちだったのだが、少ししゃんとしてきた。何が悔やまれるかというと、昔の生活のこと――子供時代のこと、祖母のこと、祖父のこと、麻布時代、お茶の水時代のこと、もっと聞いておけばよかったと思うのだ。父は文章を書くのが得意だった。絵も。

朝5時過ぎの新宿駅の地下街は、焼けたばかりの甘いお菓子の匂いがして、がらがらと荷を運んでいる人たちがいた。クリスマス用のお菓子だろうか。

帰宅してから、少しネットで調べると、やはり、家族が望んだのではない病院側の都合、治療の都合での差額ベッド代は家族に請求してはいけない決まりがあるようだ。

夕方、ケアマネのMさんに聞いてみたら、悪習だが、払わなくてもいい差額ベッド代を請求する病院は多いそうで、「老人介護でお金もたいへんなのに、皆さん我慢して払ってしまうんですか?」と訊いたら「断ると病院を追い出されると言う心配で払ってしまうかたが多いです。」と言われた。

まずは、病院のソーシャルワーカーさんに今から相談しておいたほうが、病院の会計時に言うよりもいいと思うとアドバイスをもらった。

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2014年11月17日 (月)

『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』ジャック・デリダ 鵜飼哲訳 / ちゃび、兎のひろこ

11月17日

おととい、鵜飼哲さんより、ジャック・デリダ 『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(マリ=ルイーズ・マレ編、鵜飼哲訳、筑摩書房)を拝受。

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最近、歳を重ねるとともに、今までにも増して動物のことばかり考えているので、この、デリダの動物についての講演をまとめた本を送っていただいて本当に嬉しかった。

鵜飼さんに御礼のメールを送ると「もっともお届けしたい方に本が渡り、安心しました。」と、これまた恐縮なお返事をいただいた。今、ベルリンにいるという。ベルリンは、今はとても寒いだろう。

生まれて少し経ってから、、私は肉を食べることができなくなった。私は動物を食べることに異常に恐怖を覚えるのだ。その恐怖が何十年にもわたり、私の身体反応をつくりあげてしまっているので、私は街を歩いていて肉を焼く匂いにも吐きそうになってしまう。

私は生まれてから一度も肉の料理を「おいしそう」と感じた経験がない。それどころかその肉と、自分の愛した犬や猫や鳥や、街でも田舎でも出会う生き生きした動物たちとの違い、区別がよくわからないのだ。だから肉料理を前にしただけで、すごく苦しむのだ。

もちろん自分の身体感覚は、一般的にはなかなか理解されるものではない。一般の人は、肉について、それを殺された動物だとは思わない、食べ物だと思う。そのような文化(社会的な制度化された言語)の中で教育されてきて、それが当たり前になっているのだから。

動物虐待に反対する人でも、肉食に関してまでは感覚が呼び覚まされない場合が多い。そのことに対して、私は過激に対立したりしようとは思わない。ただ、そういう(肉食の)場から逃げたい、その場を避けたいとは思う。

私にとって不思議だったのは、デリダなどの哲学をよく読んでいて、「動物」をめぐる問題についても卓越した文章を書ける人が、実際の生活ではまったく肉好きのグルメだったりすることだ。

文章の中で問いを立てられたとしても、自分が食べている現実の行動の中では何も問うことができない。まして感覚、感情が伴うかは関係がない。最初から身体感覚を持つか、持たないかということとは隔絶されているのだ。人間的な文化の中で生きることと、身体感覚を持たないこととは、本人にとって何の齟齬もなく同時に成立する。こういう人たちに会うたびに、私は今まで非常に違和感をおぼえてきた。

この本の編者マリ=ルイーズ・マレのまえがきから引用する。

「「動物」の問いは彼の多くのテクストに顕著に現れている。彼の全作品を通じてのこの執拗な現れは、少なくともふたつの源泉に由来する。その第一はたぶん、特異で激烈なある感受性、哲学がもっとも蔑視あるいは失念してきた動物的な生の諸側面と、おのれが「共感している」と感じるある種の適性であろう。

ジェレミー・ベンサムが動物について、「それは苦しむのか〔Can they suffer〕?」と問うたことに、彼が非常に大きな重要性をみとめるのもそれゆえである。「問題は動物たちが推論することができるかどうか、話すことができるかどうかではない」とベンサムは言う、「そうではなく、動物たちが苦しむことができるかどうかなのだ」と。一見単純なこの問いはしかし、ジャック・デリダにとっては非常に深遠なものである。」

「これが第二の源泉であるが、彼にはベンサムが提起した問いが、非常におおきな哲学的妥当性をそなえており、哲学の歴史においてもっとも恒常的かつ執拗な伝統に、ある迂回路によって、真っ向から対立することなく反対し、それを側面から叩くのに好適なものと考えられたのである。

それが人間を〈ロゴスを具えた動物 zoon logon ekhon〉と、あるいは〈理性的動物 animal rationale〉と、すなわち「動物」として、ただし理性を付与された動物として定義するときでさえ、この伝統はつねに、実際には人間を、動物という類の残りの全体に、人間のうちのいっさいの動物性を拭い去るまでに対立させ、相反的に動物のほうは、本質的に否定的な仕方で、人間に〈固有のもの〉とみなされる以下のような事柄のすべてを欠いたものと定義してきたのである。

「・・・・・・言葉、理性、死の経験、喪、文化、制度、技術、衣服、嘘、偽装の偽装、痕跡の抹消、贈与、笑うこと、泣くこと、尊敬等々」。

そして、「われわれがそのなかで生きているもっとも強力な哲学的伝統は、これらすべてを「動物」に拒絶してきたのである」とジャック・デリダは強調する。

さらに彼は書く、哲学的「ロゴス中心主義」は支配の立ち位置から切り離しえないものであって、まずもって「動物についての、ロゴスが欠落した動物、ロゴスを〈持つこと-が-できること〉が欠落した動物についての命題なのである。アリストテレスからハイデッガーまで、デカルトからカント、レヴィナスおよびラカンまで維持されてきたテーゼ、定立、あるいは前提なのである」と。

「そもそも動物に加えられる暴力は「動物」animalというあの偽-概念、単数形で用いられたあの語からはじまると彼は言う。あたかもすべての動物たちが、ミミズからチンパンジーまで均質な全体をなしていて、それに「人間」が根底的に対立しているかのように。」

(行分け-引用者)

人間は動物を殺してもよい、支配してもよいとされてきた根拠がどこからきているのかを問い直すと、人間の「言葉」による定義が問題になる。

その考察よりも前に、直観的に動物の肉を食べることに恐怖と拒絶を感じる人間がいてもまったく不思議ではないはずだ。

私が肉を食べないと言うと、「じゃあ、魚介類はいいの?」とか「野菜だって生き物でしょ。」と言う人がいるが、そういう人が一番無神経でナンセンスだと思う。生き物すべてを食べるか、食べないかではない。その理由を口外するのがためらわれるほど、それは親密で、秘密の経験だが、体温が高くて鳴いたり甘えたりする動物は、あまりにも自分に近いと感じるので、私は殺すことが嫌だし、殺されたものを食べるのも嫌なのだ。

また、私が(肉食の習慣に対する比ではないほどに)最も嫌悪感を抱くのは、動物を殺して、その死体を利用したアートだ。社会的な表現課題が口実にされることも多いが、欺瞞のなかの欺瞞そのものだと思う。身体感覚が死んだ人間にとっては欺瞞という感覚もなく、それを意識するのは不可能なのだろうが。

「脱構築は忍耐強く差異を多数化して、「人間」と「動物」の伝統的対立を基礎づけうるものとあまりに長く信じられてきた、この「固有のもの」の前提的な境界の数々の脆弱性、多孔性を現しめるのである。そうすることで脱構築は、動物「一般」の「動物性」に関するいっさいの保証を揺るがすのだが、人間の「人間性」に関する保証もまた、それに劣らず揺るがすのである。」

11月16日

高円寺でやっている福島その他の地域で保護された猫たちの里親募集の会に行ってみた。遺棄された猫を保護する具体的な方法について、食べ物のやりかた、寒さ対策など、いろいろ少しずつでも勉強したかったからだ。

「動物相談員」という名札をつけている人から、少しお話を聞くことができた。

ケージの中にいる猫たちは、皆、きれいでかわいかった。だから私が予想したよりも多くに貰い手がついていてよかった。

建物の外の通りに保護猫募金のための猫の小物の出店があった。革の小物があったので「あ、皮だ~」と友人が言った。「え、何?」と売っていた男性が聞いてきた。やはり猫の命を救うことから、革製品も動物を殺して剥いだものだという発想にはつながらないようだ。

それにしても猫の保護と里親探しの活動をしているボランティアの人たちは尊敬に値する。本当に大変なご苦労があることだろう。ずっと続いていることがすばらしい。

私は今、カンパというかたちでしか協力できないのだけれど・・・。

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最近のちゃびは、夜7時~8時くらいにぺリアクチンを1/8錠くらい飲ませると1時間後くらいから食べ始め、断続的に朝まで食べている。昼間はひなたぼっこしてゴロゴロ言っている。

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体重は、ちゃび3.2~3.3kg。私は44kg。低めでまあまあ安定。

11月15日

昔、西新宿に住んでいたEさんからのおさそいで、新宿西口の中央公園の中にあるエコギャラリーでやっている「新宿絵手紙花の会展」を見に行く。

とてもよかったです!

Eさんは、80代後半のかたなのだが、ものすごく若いのだ。背筋はまっすぐ、歯は全部自分の歯で、きれいにそろってピカピカ、頭の回転も速くて、とても元気。Eさんに会うと、こちらが元気をもらえる。なんだかありがたい気持ちになる。

20名くらいの皆さんの作品を見て、「絵手紙」という型にはまりすぎないで、細かく描きこんでいる人もいたし、自由な幅を持ってやっているのが良かった。先生の作品は輪郭をサインペンではなく鉛筆で描いているものもあり、旅先での「素描(スケッチ)」はとても臨場感あるものだった。

見て描くことによって「もの」と触れ合ったり、注意してよく見る習慣がつくことは頭にもよいことだと思う。

皆、楽しそうだった。

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この中央公園の管理事務所の前に、なぜか最近ケージができ、兎の「ひろこ」ちゃんがいる。「ひろこ」ちゃんはたった一匹で、仲間がいないのが、見ていてかわいそう。誰かが公園に捨てたのが保護されたのだろうか?

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それにしても、ひとりぽっちじゃかわいそう。
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兎は飼ったことがないが、イギリスの田舎に行った時、野原の中をわさわさと大勢の兎が駆けているのを見た。その時、自然の中の兎は、こんなに元気なのかと思った。

その旅では、ベアトリクス・ポターの住んでいた湖水地方まで旅した。愛玩用として買ってきた一匹の兎を愛し、繰り返し描くことで、ついには湖水地方の広い範囲の自然を守り抜くまでになったポターの、最初の、若かった頃の素描が見たかったのだ。ポターの描いたキノコや苔や毛虫の素描は、生き物の真髄をつかんでいて本当に魅力的だ。

頃は4月だった。ポターの住んでいた家の庭に咲いていたキツネノテブクロは、絵本の中にあったのと同じ薄紅色で黒い点々があった。その花の記憶が強烈に残っている。雨の中、歩き廻った湖水地方はとても美しかった。

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2014年11月 9日 (日)

ちゃび、レンジアレン、療法食、区役所

11月9日

おとといもらったレンジアレンがなくなったので、H動物病院にもらいに行った。

それで今までずっと気になっていたこと、「腎不全の療法食にしなくてもだいじょうぶですか?」と訊いてみたら、

「あれ、今までサンプルあげてなかったでしたっけ?」と言われて、が~~ん!!(先生、忘れてたんだ・・・)

「まだ、いただいてないです。まったく試したことないです。」と言いつつ、(実はほんとにず~っと悩んでたんです、早く療法食を試さなくていいのか・・・なんでなかなか出してくれないのかな、このままではどんどん数値が上がってしまうのでは、とすごく不安だった・・・)と内心思う。

まあ、何も食べないような日々があって、「なんでもいいから食べさせて」と言われていて、予断を許さない日々が続いていたから、しかたない。

それで、きょう初めて、先生が療法食のサンプルをいっぱいくれた!

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一時は、本当に、もうだめなのかな・・・と思ったりもしていたので、嬉しい。まあ、もう死ぬかと思っては持ち直し、の日々が何回も続いたので、あんまり手放しには喜べなくなっているが、こんな風に悩みながら試行錯誤しながら生きていくしかないのだな、と。

今朝も、午前3時にちゃびが紙類を噛んで破ってぺっぺっと飛ばしている音で眼が覚め(紙類を噛んで破るのは空腹の時か、うんこがしたくて出ない時)、お皿を見たら、夜あげた金のだしカップ14歳がまだはいっていた。

それでしかたなくぺリアクチンを一錠の1/10ほど飲ませ、お皿に、今はいっているものに加えてさらにモンプチ15歳以上白身魚と野菜を半缶ほどあげて眠った。

朝6時前に、カサカサという音ではっと目覚めたら、私が小皿に移してラップをかけて台所に置いたままにしていたアンチョビをかまっていた。うわ、アンチョビなんかなめたら塩分が強くて大変、と冷蔵庫にしまい、ちゃびのお皿を見たら、つるつるになるほどきれいに食べてあった。そのあと、さらにお皿にあげたモンプチを夢中で食べた。

その(薬をあげないと空腹でも食べない)ことを先生に報告したら、「薬中ですね。ジャンキーですね。」と笑われた。ひいぃ・・・。それでもとにかく薬でごまかしごまかし食べさせていくしかないということで。

ウエットに混ぜたレンジアレンは普通にきれいに食べてくれた。

夜8時、セルシン1/10飲ませたあとにロイヤルカナンの腎臓サポートドライをあげたら食べてくれたので、これからレンジアレンと療法食を使って、うまく生活していけたらいいなと思う。

11月7日

きょう、ちゃびの輸液パックをもらいにH動物病院に行った時に「そろそろ炭のサプリ始めたいんですけど」と言ったらレンジアレンを出してくれた。

ちゃびはセルシンかぺリアクチンをほんの少量飲ませることで、ちゃんと食べていること、最近ずっとベトメディン、ビオフェルミン、アシドフィリス菌、ファイバー(難消化デキストリン)、ガスターを朝晩飲ませていたら吐かなくなったことを報告したら、「食欲増進剤の合う量がつかめてきたんですね。やはり脳の何かかもしれない、おなかがすいても食べられない、それが、薬を飲むと刺激されて食べられるようになる。でも薬がちゃんと効いているのなら、それでいくのがいいですね。精密検査とかは考えないで、それで行きましょう。」と言われたので少しほっとする。

ちなみに、ビオフェルミンとアシドフィルス菌(NOW社のサプリ)はどんぶりに入れて乳棒(胡粉を溶くのに使っていたものをよく洗って)で潰して粉にして、小さじ一杯ほどの水に溶いて、そこにガスター顆粒1包0.5gの1/10~1/8ほどを加えて、ベトメディンを飲ませる時に水分として飲ませている。

とりあえず、何を試みても食べられなくて、きょう、もうすぐ死んでしまうのでないか、と本気で苦しんだ時は乗り越えることができた(ように思っている)。

それから極度の緊張が緩んだせいか、私の睡魔が襲ってきた。昼過ぎまでだるくて起きられない。

ちゃびが今すぐに死ぬのではないと思ったら、私の食欲も戻ってきて、44kg台に増えた!

猫は本当にわからない。その生き死には、人間よりはるかに繊細だ。些細なことでも大変に生命に影響する。

今悩んでいることは、セルシンは抗不安薬であること、だから毎日少しでも常用していたら人間のように依存してしまうだろうと心配なこと、しかしぺリアクチン(抗ヒスタミン剤)のほうが安全性が高そうに見えて、実はぺリアクチンの影響はよくわかっていない、子供でもなぜかとてもイライラしたという症例も見受けられるということだ。

今現在、ちゃびに関しては、ぺリアクチンは1日一回1/10~1/6程度(その時の状況に合わせて量を考えて飲ませる)なら、前に失敗した時のように興奮、錯乱することはなく、食欲だけは増してくれる。

セルシンのほうが即効性があり、飲ませてから10分ほどで食べてくれるが、ぺリアクチンのほうが何回にも分けて4時間くらいずっと食べてくれる。

まだはっきりとは言えないが、セルシンを飲ませたあと、薬が切れてもゴロゴロ言っていて機嫌がいいような気もする。

いろんなことを考慮しながら、毎日、その時の状態に合わせて、間違っているかもしれない不安を抱えながらも選択していくしかない。

心底寄り添って、それに合わせて臨機応変に、試行錯誤していくしかないのだ。

きょうのちゃび、洗濯物の上。

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11月5日

母のインフルエンザ予防注射の書類が、(施設から要求されるも)まだ区役所から届いていなかったようで、区役所に電話した。感じのよい親切な人が対応してくれた。K条さん。

当たり前のことなのだろうが、お役所、介護、医療関係は、あまりにも本人の性格、性質そのものがもろに出るのだと痛感する日々。

思いやりがあって親切か、感じがいいか、またはそのまったく逆か。なるべく単純なルーティーンワークにして省エネしようとすればできてしまう仕事なのかな、と思う。

先日(10月24日)、母の難病医療券の申請に新宿区役所と保健センターに行った。その区役所で、また嫌な思いをした。

今回、難病医療制度が変更になるそうで、新制度の変更点と、手続きに必要な書類について、送られてきた説明書を何度読んでも、なにかごちゃごちゃしていて、今ひとつ理解できなかった。

だから、区役所に出向く前に保健センターに電話して、申請に必要な、予めそろえなくてはならないものを確認していたのだ。

区役所でもらわなければならないものは、父、母、私の住民票と、父と母の非課税証明。この非課税証明は、私のものは不要で、患者及び患者と同じ医療保険に加入している者、すなわち父と母のみ、と保健センターの人に確認していたのだ。

区役所の税務課に行くと、まず、バイトの女性が立ちはだかって来る(この人は去年もいたような記憶がある)。「人数分の枚数の証明請求書を書いてください。委任状は持っていますか?委任状がなければ出せません。」と言う。

「母はパーキンソンで文字は書けません。父は今、入院中で書ける状態ではありません。」と言うと、「だったらあなたが書いて、お母さんの手を持って、はんこを押してもらってきてください。」とバイトの女性が言うので、あまりに形式的なことを要求されて、ちょっとイライラして、「とりあえず窓口の人と話させてください。」と言った。

窓口の若い女性の職員K野さんに、その旨話すと、委任状を持って来られない理由を、請求書の裏側に書いてくださいと言われた。これは正直で良い対応だ。私が書いて、震える母の手を持ってハンコを押して来てくれ、と言われるよりなんぼか誠実だ。

問題はそれからだ。

世帯の所得を確認するための書類であれば、世帯全員(私のものも)必要ではないか、と別の職員さんが口をはさみ、しかし私は保健センターに確認済みなので、と答えた。

そこで「「難病の患者に対する医療等に関する法律」に基づく申請手続きについて」と書いてある紙の「手続きに必要な書類」のところを見せ、「ここにこう書いてあるんですけど」と言ったが、K野さんは「ここは税務課なので」と言って、必要書類のところを読んでも理解できないようだった。

「それじゃ、保健センターに確認していただけませんか?」と言ったら、K野さんは上司(年配の男性)に確認しに行った。

そして、その上司は私の目の前で「世帯全員。」と確かに言った(K野さんは新人だそうで、明らかに、指導したその上司の責任だと思う)。

それで、新たに私の分の請求書をさらに書かされて、結局3人分、ひとり300円なので900円とられ、それを保健センター(徒歩で25分くらい離れている)に持って行ったら、やはり最初に確認したとおりに、私の分はいらなかったと言われた。

ああ、せっかく事前に確認していたのに、300円損した!!!

必要な申請に関しての必要書類を区役所職員がわかっていない、その説明書を見せても読んで理解することができない、そして無責任にミスリードする。

昨年の話になるが、介護関係の還付金申請に言った時、締切日を言われて、それまでにもし領収書が見つかったなら来てください(締切日までに領収書が見つからなければ諦めてください)と言われた。焦って再び区役所に出向いたら、別に締切などなかったと言われ、不親切という以上に詐称ではないかと頭にきたので、区役所の苦情係りに申し立てに行った。

その時の不快さを忘れることができない。

こんなのだったら苦情なんて言わない方がよっぽどまし、と思わせるに最適な人材だった。苦情申し立ての部屋にはそうとう歳のいった男性ひとりがいて、私が書いた苦情申し立ての書類に目を通すと「それの何がいけないのか」「何をどうしてほしいのか」「あなたは何が不満なのか」とずっとネチネチ尋ねてきた。

「5時までに、他の課に行かないといけないので」と席を立とうとする私に「ちょっと待って。これじゃわからない」と言って、とにかくしつこかった。

とにかく絶対に自分側の非を認めない。保身が強くて中立ではない。人の立場や状況、感情を理解しない、というより、話をまったくきいていない、何も感じない、こちらを不快にさせて諦めさせるための装置だ。

その件に関しては、弁護士に私がじか申し立てをしなければならないとその職員に言われ、その時は会うつもりだったのだが、それから父が救急車で搬送され非常に厳しい状態と言われて、一か月慌ただしく、それに伴うストレスと自分の体調不良などで、弁護士に会うのが煩わしくなり・・・なによりも、その年配の男性職員の無感覚そのものの対応に、結局、こんな調子では何を言っても、あえて苦情を申し立てたこちらの心労はまったく理解してもらえないだろう、と嫌気がさして、面談を断ってしまったのだった。

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11月5日、先日の難病医療券申請に必要な非課税証明の件で、もういいやと思っていたけれど、ふと、私のほかにも書類を読んでもよくわからなくて300円を損する人がまた出るかもしれないな、そうしたら気の毒だと思った。

それで、すごく遅ればせながら区役所に電話してみた。

もうだいぶ前の話ですが、と言って、税務課で対応してくれた若い女性を電話口にお願いした。

するとそのK野さんは、とても真面目な人で、話をよく聞いてくれて「貴重な情報ありがとうございます」と言われた。

念のため、この前K野さんに「世帯全員」と指導した男性の名を訊いた。U沢係長さんでした。

申請手続きに必要な書類一覧が書いてある紙を見せて読んでもらっても、区役所の職員さんが理解できないのであれば、一般の人間はもっと理解できないから、できれば区役所の職員さんが理解して一般人にアドバイスしてくれるようにしてほしい、と要望しておいた。

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きょうのちゃび。

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11月4日

ちゃび、朝8時から強くおねだりしている。元気はいい。だけど匂いをかぐだけで食べない。

朝9時、セルシンをほんの1.5mmのかけら飲ませたが反応なかったので、10時にまた1.5mmほどのかけらを飲ませたら・・・

久しぶりにパイルヘアゴムを私が飛ばして両手でキャッチする遊びに熱中。ちゃびは絵具箱の上にいて、2本足で立って背伸びしてゴムをパッとキャッチ。そのあとゴムを噛む。そしておもむろに、私に向かって「ほれ。」とゴムを落としてよこす繰り返し。以前の元気な時のちゃびと変わらない。

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ゴムを私に向けてほうってから、「早く飛ばせ」と私の手元にあるゴムを見つめるちゃび。

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そのあとも食べないで、ずっと興奮気味。まあ、楽しそうだからいいか・・・

1時過ぎにドーナツ座布団で寝た、と思ったら、一瞬の隙をついて、「時代踏み台」の穴の中にはいってしまった!

この踏み台の穴にはいると、このままでは絶対に出られないので、踏み台を横にした。

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出て来なかったらどうしよう、と思ったが、踏み台の後ろの窓ガラスの拭き掃除をしていたら、いつのまにか出ていた。

この日は胃腸の調子が整ってきたせいか、ちゃびは一日中元気だった。しかし食べている量は少ない。夜になって、最近食べなかったドライ(ここ数日ウエットしか食べなかった)を何回か少量ずつ食べた。

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2014年11月 3日 (月)

ちゃび 検診 / 古いガラスの扉

11月2日(日)

ちゃびが前に検査してから一か月経ったので、動物病院へ。

朝はうんこもしてあったし、夜のうちに少し食べてあり、ゴロゴロ言っていてご機嫌だった。

血液検査の針を刺されているあいだ、ずっと怯えて震えていて、終わってからもガクガクブルブルして固まったまま、私の身体に頭をうずめていたので、かわいそうだった。きょうは2度目のワクチンも打った。

体重は、3.32kg。だいぶ増えた!

そして聴診器をあてると、心臓の雑音がきれいになっていると言われた!ベトメディンが効いている!

最初のころ、ちゃびが暴れるので今よりももっと薬を飲ませられなくて、一日一回1/4j錠しか飲ませられなかった。今も、ちゃびはごっくんと飲み込んだように見せて、実は水だけしか飲んでいず、あとで口の奥にためておいた錠剤をぺっと出す技量を持っている。私のやりかたがへたで、舌の付け根でなく、少し手前に錠剤を入れてしまっているからなのだと思う。

先生も、ちゃびはそうとう飲ませるのが難しいほうの子だと言う。

先生に今一度教えてもらう。まず、首と肩を(かわいそうだけど)下に押さえつける感じで、顔を90度以上、上を向かせるようにするのがこつだそうだ。この時に上体がうつぶせになっていないと、うまく口が開かない。

先生がやると、頭を上に向けただけでちゃびの口が開き、舌の付け根あたりに錠剤を落とすと、錠剤を舌で前のほうに繰り出すことができない。だから、すぐに無理に顎を押さえて口を閉じさせる必要もない。ちゃびが手(前足)でぱんぱん叩こうとしても、薬を飲ませている人の手には届かない。薬を口の中に落としてから、落ち着いて水をシリンジで飲ませることができる。

(実際はちゃびの身体を下に押さえながら、手(前足)で叩かれず、口も大きく開くような体勢に保つのは難しい。帰宅して実践しようとしたら、薬を口の奥に入れようとして、右手の小指を噛まれて血が出た。)

とりあえず、9月の半ばにちゃびが具合悪くなってから、病院の指導と、私がネットなどで調べまくって試行錯誤しながらも努力してきたことは報われている・・・

いろいろ不安でたまらないが、ちゃびは一時期よりはだいぶ元気になってきている。

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きょうは初夏のように暖かい日だった。ちゃびのキャリーを持って歩いて帰る途中、タンポポとハルノノゲシと紅色のツツジの狂い咲きを見つけた。

前から気になっていた細かいひび割れが美しい古いコインランドリーのガラスの扉が、改修工事で壊されてしまっていた。

H動物病院に行く途中にあった潰れたコインランドリーの扉(今はない)。いつもだったら光の一番いい時間をねらって、マクロレンズを持って撮りに行ったと思う。でも、ちゃびの具合が悪かったので、心はすべてちゃびに集中していて、撮りに行くのを忘れていた。

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それの何がそんなにも私をひきつけるのか、私はすみずみまで何度も見ないと気がすまないのだ。

水色の罅と乳白の雲。これも、誰も見向きもしないもので、私の胸に残ったひそやかな絵だ。

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絵の具箱の上でカリカリを食べるちゃび。とうもろこしは5粒ほど食べた。

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ちゃびのことをいつまでも赤ちゃんみたいに思ってしまっていたのに、動物は見かけがあまり変わらないが、歳をとると急に不調になるのでしょうか。

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「見るからに老猫って感じしますか?」と先生に訊いたら、「そんな感じではないです。毛艶もいいし。」と言われたんだけど・・・
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やっぱり見た目はあんまり変わってないような気がするけど・・・なんで食べてくれなくなったのだろう。
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この日の深夜、ドーナツ座布団の上で、すごくゴロゴロ言っていた。「ちゃび、がんばろうね~」となでると本当に嬉しそうにずっとすりすり、ぐるにゃあ、ぐるにゃあ。

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そのあと深夜2時半ごろに、最近のうちでは久しぶりにりっぱなうんこが出た。そのあとも嬉しそうに、ぐるにゃあ爆裂。
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本当に具合の悪そうなときはゴロゴロも言わない。呼んでも答えてもくれないで廊下に寝ていたりするから、ゴロゴロと私にまとわりついてくれるのが泣けるほど嬉しい。

11月1日

この日は、朝ベトメディンとガスター、ビオフェルミンを飲ませても何も食べず、夕方7時にまた同じものを飲ませ、輸液してから夜9時にぺリアクチンを1/10錠ほど飲ませたら食べ始めた。

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その後、朝見ると、夜のうちにまあまあ食べてあったのでよかった。

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