病気

2020年6月24日 (水)

副腎腫瘍疑いの血液検査結果 / プフ病院へ

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6月24日(水)

午前11時、ハナ動物病院に電話。プフの診察の予約をとる。夕方6時20分。3日前から食欲がないため。

・・・

副腎腫瘍が疑われた血液検査の結果を聞きに新高円寺のクリニックへ。

アルドステロン 101.5 (基準値 29.9~158)

カテコールアミン3分画ーP 

アドレナリン   0.02(0.10)

ノルアドレナリン 0.11(0.10-0.50)

ドーパミン    0.01 (0.03)

アルドステロンもカテコールアミンも正常値。褐色細胞腫などの内分泌異常の疑いは低い。ほっとする。

18日から発熱し、それから5日間、自己判断でチラジンを断薬してみた、とお話しすると、「え~っ?!!なんでそんな怖いことするの?!」とO先生には珍しく絶叫。

「甲状腺機能亢進のような気がしたから。」と応えると、「神経がすごく細かそうなのに全然細かくないじゃん!」とO先生。「あ、私、いちかばちかのすごく暴力的なとこあるんですよ。」

次に鎌ヶ谷の病院で血中の甲状腺ホルモン濃度を測ってもらえるのは9月になるので、きょう血液採取して検査してもらうことにした。

これで結局、自律神経のせいとしか言えないくらい原因不明になってしまった。

最初の後頭部を強く殴られるような「がん!」という衝撃はなんなのか、と先生の意見を聞く。「ストレスによる血圧急上昇だとしても、こんな「がん!」と殴られるような痛みは、ネット検索しても、くも膜下出血くらいしか出てこない。」と言うと、O先生は「自律神経でも、そういうのもあるよ。」と(適当)。

HDL(善玉)コレステロール 108(40-90)

LDL(悪玉)コレステロール 130(70-139)

中性脂肪 60(50-149)

痩せてるのにコレステロール値が高い、と言われたが、最近はLDL/HDLの比率で診るのじゃなかったっけ?帰宅してから調べるとやはりそうだ。LDL/ HDLが1.5以下ならサラサラなので、私の場合、130/108 =1.2037で十分サラサラだ(来週、O先生に言おう)。

HDLが高いのはオリーブオイルやオメガ脂肪酸をよく摂っているからだと思うが、調べると甲状腺機能亢進でもHDLが上昇すると書いてある。

「私、食生活からコレステロール値が上がることだけは考えられないです。ポテトチップみたいなスナックやお菓子食べないし、ハンバーガーとか一生に一度も食べたことないんですよ。」と言うと、「ハンバーガー食べたこと一回もないの?」と驚かれる。「肉食しないんで。」と言うと最も陳腐な質問、「魚はかわいそうじゃないの?」

「魚もかわいそうですけど、体温の高い生き物、牛や豚は犬や猫とまったく同じなんで。私、革靴も皮のカバンも使わないんですよ。」

O先生、1週間前とは逆に、「運動もやったほうがいいんじゃない?」と言い出した(適当)。フィットネスお休みしてる、と言ったら、「行ったら?」と。今忙しいし、猫の治療費もかかるので自分で運動する、と話すと猫の治療費の高さにまた驚かれる。

「そんなにお金かけてもらって幸せな猫だね~。外でなんにもしてもらえない野良猫もいるのに。」

「外猫を避妊手術するにもお金がかかるんですよ。避妊して耳の先端をカットして、虐待されないように地域で面倒をみるんです。」

ハナ動物病院に治療費を払うことは、太田快作先生が犬猫の命を救うための活動費になる。

O先生はまったく動物の命の問題に無知(ダメじゃん明久)。まあ、関心がない人は、こんなもんなんだろう。

帰宅してストレスとコレステロール値の相関について調べたところ、ストレスによって副腎皮質ホルモンが出、血圧と血糖が上昇し、副腎皮質ホルモンの材料であるLDLコレステロールが上昇してしまうそうだ。どんなに食生活に気をつかっていても、ストレスによって高血圧になるということ。

私の場合、すべての不調の原因はストレスを感じやすい(嫌だと思うことが気になりすぎる)性質にあるのはわかる。

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花輪和一さんに電話。「とりあえず副腎腫瘍じゃなかったみたい。この前、花輪さんに「だいじょうぶなんじゃない?」と言われた時、すごく気が落ち着いた。ありがとう。」と言ったら、「中国経済の動向について滅茶苦茶言ってるって、いつもすごくバカにしてるじゃない~。」と(笑)。

Nちゃんとチナミさんにメール。

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Sdsc01498-2

6時すぎ、プフをハナ動物病院へ。すごく具合が悪そうとまではいかないが、3日前からあまり食べない。水もほとんど飲まない。

パイルヘアゴムを飛ばすと「ウウ、ウウ!」と夢中でキャッチして遊んでいるが。

きょうは夕方6時半から7時の予約が混んでいた。7時まで待合室で待った。

太田快作先生の診断は、おそらくこの時期、なめて毛づくろいした毛(特にプフは長毛でよく抜ける)がお腹に詰まっているのじゃないかと。

輸液と吐き気止めをやっても、今日の深夜になっても食べないようなら、他の原因を考えるのでまた連れて来て、と。

輸液とセレニア(吐き気止め)の(激痛といわれる)注射。6100円。

帰宅後、8時10分、プフ、急にニャア、ニャアと叫ぶ。「お魚クリーム入りドライ」に「総合栄養食ちゅーる」をかけてやったら、半分ほど食べた。

まだまだ食べる量が少なすぎて心配。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020年6月22日 (月)

絵の空間(紙の白い部分)も絵の一部 / 自主人体実験により血圧安定

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6月22日(月)雨 22℃

先週の18日(木)に目が覚めた時、発熱していた。体温計がなかったが、体感では38℃以上。激しい脈動性ではないが、熱がある時の頭痛。

内分泌の異常でカテコールアミンが急激に上昇している炎症反応なら、このままどんどん血圧と血糖が上昇して血管がボロボロになってしまう恐怖があった。

どの医師からも指示されていないが、いちかばちか、自分の勝手な判断でチラジンを断薬してみた。

その後、日ごとに発熱と高血圧がおさまってきた。

チラジン(甲状腺ホルモン)は身体から分泌されなくなると1~2ヶ月で死亡するそうだ。欠乏すればだるくなり、やる気も起きなくなるはずなので、自分の体感ではまだだいじょうぶそう(?)

私の場合、癌で甲状腺を切除しているので自身で甲状腺ホルモンを分泌することができず、チラジンを内服することにより、原発が甲状腺癌である肺転移の活動を抑制している。だから自己判断で休薬するのは危険と言われている。

次の癌の主治医の診察は9月。水曜に新高円寺のクリニックでチラジンの血中濃度について相談したあと、主治医にはがきを書くか。

11:00 35.6℃ 116-70 61

12:30 129-81 66

ここ数日は萎れた薔薇を描いている。

 

6月21日(日)

昼にネットで購入したオムロンの血圧計が届く。

122-82 64 正常値。

午後2時過ぎ、地方にいるNちゃんから体温計が届く(うちの近所のドラッグではどこも売り切れ)。

36・4℃ 木曜日の発熱は一体なんだったのだろう。

花輪さんに電話。発作で救急車で運ばれたことを話す。副腎腫瘍だったら片方の副腎摘出になる、もし悪性だったらなんの治療もできない、怖い、と言ったら「きっとだいじょうぶなんじゃなあい?」と言われ、なぜか気が落ち着く。ほかの人に言われたら、軽く言われているだけだと思うかもしれない。が、花輪さんに言われると、そうかもしれない、と思える。

昔から、私が癌の数値が上がってもうだめかと何度も思った時に、花輪さんは「きっとだいじょうぶなんじゃなあい?」と言ってくれた。

「だって福山さんてものすごく強運でしょ。」と。

 

6月20日(土)曇り28.7℃

チラジン断薬3日目。

起床時、額がひんやりしていた。熱が下がった。嫌な動悸もなかった。

14時すぎに少し発熱。37℃くらいの感じ。頭ほてり、首の後ろが痛む。ゴシュユ。

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夕方から次の本のレイアウト第2校の修正。

「絵を少し大きく」と指定したところが、絵の図版自体は大きくなっておらず、絵の空間(余白)を勝手にトリミングされていることに愕然。

絵の空間、一見、何も描かれていないように見える紙の白い部分は、絵の一部であり、重要な意味がある。

私にとってはうねり、ねじれ、震える線の運動が重要であり、そのために空間をどのようにつくるかがとても大切。

画集の紙面でのレイアウトというのは、私にとって、その絵の運動が最大限に生かされる紙面を身体感覚で思考すること。

重要な空間をカットされた絵は、すべてがバカみたいな日の丸構図で、絵を並べても平板で陳腐で、なんのリズムも、響きも、詩情も無くなってしまう。

(また、私にとってはアタリも汚れも絵の一部である。むしろそっちのほうが大切と言いたいくらいだ。)

私はこぎれいにまとめられたイラストをやっているわけではない。

自分がなにをもって「絵画」とするのか、そのための発言として、苦労して画集を出すわけで、オペレータさんのやっていることは、私が本を出すことの根本を台無しにしている。

作者が指定していない絵の変更を、出版社のオペレータさんが勝手にやることがショック。私の常識では考えられない。

数百点すべての絵を、こちらの指定通りになっているかチェックしたので4、5時間かかったが、ほとんどが指定と関係なく勝手にトリミングされていたので、ストレスでカテコールアミンが上昇しそう。

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16:45 142-83 63

その後、飲酒すると血圧と脈拍がどう変化するか実験してみた。山田錦をちびちび飲む。

17:10 118-70 70

17:43 94-58 71

17:52 89-54 77

血圧はだいぶ降下。

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プフに飲ませる抗生物質(ドキシサイクリン)最終日。

 

6月19日(金)20℃

チラジン断薬2日目。

7時に眼がさめるとまだ発熱。37℃代前半の感じ。弱い脈動性頭痛。

8時、15時にアセトアミノフェン。10時テルネリン。17時ゴシュユ。フラフラ外に出、大好きなサクランボを買う。

 

6月18日(木)25.5℃

起床する前から発熱。弱い脈動性頭痛。この日から自己判断でチラジンを断薬。

アセトアミノフェン、レキソタンを飲んでまた寝る。昼テルネリン。この日は苦しくて、一日中寝ていた。

16時と23時にアセトアミノフェン。

 

 

 

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2020年6月17日 (水)

鵜飼哲さんとスカイプ / 血液検査と星状神経ブロック

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6月16日(火)

鵜飼哲さんと夜10時にスカイプのお約束をいただいていた。

次の本についての相談。

画集をこの秋に出すべきか来春まで伸ばすか迷いもあったのだが、コロナを含め、あらゆる状況がどうなるのか一切読めないので、出せる時に出しておくほうがいいとのこと。

イベントのことなども心配してもしかたないので、とにかくやれることをやれる時にやること。

鵜飼さんが退職とともに遠くに引っ越しされることを聞いてショックを受けた。頻繁にお会いするわけではないが、近くにおられるだけで何か安心していた。

時がどんどん過ぎていく。

6月17日(水)

新高円寺のかかりつけのクリニック(脳神経科はないが頭痛には対応している)に星状神経ブロックと今回の頭痛の相談に行く。

Sクリニックの待合室はコロナ対応でずいぶん変わっていた。待合室のベンチがひとり分のスペースごとにプラスチックの板で仕切られ、背中部分もプラスチックの板で遮断されていた。待っている人数も4人くらいで通常の2割くらいしかいなかった。

今回の頭痛発作の経過とかかったクリニック、薬のメモを渡す。先生も看護師さんも住友3MのN95マスク。

O院長先生はまず私の血圧を疑った。その場で計測すると上が180超あった。家から5、6分の距離を歩いて来ただけで、どきどきして明らかにおかしい。

なぜこんなにも血圧が急上昇するのか自分でもわからない。私は4歳くらいから肉食をしていないし、魚と野菜と果物、オリーブオイルやDHA,EPAも採っている。塩分控えめ。ジャンクフードも甘いものも食べない。162cm、47kg。内臓脂肪は平均より少ない。ストレッチもしている。

「自律神経かなあ。あなたの神経の細かさは異常よ。」と(毎回のことだが)言われる。「はい・・」としか言いようがない。

「カテコールアミンが高くなってるかもしれないから血液検査をしていい?もしかしたらお腹の腫瘍(褐色細胞腫)かもしれない」と、考えていなかった病気を出されて少し不安になる。

その前に動脈の硬さをみる検査。仰向けに寝た状態で両手両足の血圧を測定するとやや高めだが正常範囲だった。

星状神経ブロックのあとに検査のための血液採取。結果は一週間後になるそう。

「自粛期間中、特にがんばって運動をしていたんですよ。かえって悪かったのかな?」と言ったら「やんなくていいんじゃない?もともと運動なんてやってないでしょ。」と。しかし元気に運動できていた時は、確かにこんなにどきどき頭がほてっていなかったはずだ。

帰宅してから褐色細胞腫について検索して恐ろしくなった。

高血圧になる病気を調べて、もしかしたら常用しているチラジンの量が過剰で甲状腺機能亢進症なのかもしれない、とふと思った。チラジンの量を少し減らして、それで血圧が安定して普通に戻ればいいのだが・・。

 

 

 

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2020年6月13日 (土)

救急搬送(頭を殴られたような頭痛と嘔吐)

6月11日(木)

昼間、寝不足で横になっていたら、またもや後ろ頭をがん!と強く拳で殴られたような激しい痛み(この発作は3回目。7日が生まれて初めて)。直後に頭がかーっと熱くなり、ズキン!ズキン!と激しい脈動性頭痛で頭が割れそうになる。

台所で激しく嘔吐。涙も鼻水もぐしゃぐしゃ。今すぐに頭を身体から切り離したいほどのきつい痛み。後頭部、こめかみ、眼も痛い。

これはまずい、意識不明になるかも、と友人に電話。「苦しすぎてPCを見られないから調べてくれる?」と。友人は、くも膜下出血か髄膜炎かも、すぐに救急車を呼べと。

自分で119番に電話。すぐに折り返し、救急車の中から電話がかかってくる。ピーポー音に負けない声でしゃべらないと救急隊員さんに聞こえないのだが、脈動性頭痛が苦しすぎて大きな声が出ない。はあはあと肩で喘ぎながら、やっとこさしゃべる。「入院の準備をしてください」と言われ、保険証、近くにあったTシャツと綿ジャージ2枚ずつ、タオル2枚、ティッシュ、常用している薬の袋を大きなバッグに詰める。

10分くらいで救急車が建物の前に到着。割れそうな頭を押さえながらドアの外で待った。

救急車が出るまでに15分くらい色々聞かれた。救急隊員さんの大きな声が頭にがんがん響いて、とにかく頭が痛い、痛い、と悶えながら、なんとか応えつつ何度も嘔吐。

血圧188-82。異常に高い。

私の意識状態を確かめる意味もあるのか、病院を選ばせてくれたので、(母の介護の時に非常に嫌な思いをした)中野K立病院と高円寺の(うちから一番近い)K川病院だけは嫌だとお伝えする。

結局、野方の東京警察病院へ。まずは脳のCT。「2分くらいがんばれますか?」と言われても「ちょっと待ってください。今吐きそう。」と嘔吐が止まらない。

CTの結果は異常なし。

そのあと頭痛が起きた状況や、「痛みを言葉で表すと?」などいろいろ聞かれる。がん!と鈍器で殴られたあと、ズキンズキンで、顔がすごく熱く、二日酔いの時の100倍くらい痛い、一番痛いのは首の後ろ(頭の付け根)、脈動の痛みはこめかみや眼や頭全体と応える。

結局、救急医は首を傾げ、診断はつかない。「後頭神経痛かも」と言われ、神経痛のビリッと電気が走るような痛みとは全然違う、神経痛のわけないです、と言いたいけれど、興奮して声を出すと脈動性頭痛が酷くなるので我慢。

カロナール(アセトアミノフェン)を2錠飲まされて、2時間ほど硬いERのベッドで横になっていた。帰宅を勧められたが、まだのぼせと脈動性頭痛がおさまらず、歩けるか不安だったので、もう少し横にならせてほしいとお願いする。

カロナールと吐き気止めを処方され、17時半頃、タクシーで帰宅(1100円)。徐々に痛みは引いたが深夜まで頭のほてりと脈動のズキズキは収まらず。

6月12日(金)

朝からまだ頭がほてり、少し脈動性頭痛があり、普通の状態ではなかった。急激に血圧が上昇した高血圧脳症ではないか?とも考えてみる。

救急車の中での血圧は聞いたが、病院のERでの血圧の数値を聞いていないことに気づき、東京警察病院に電話して尋ねると「個人情報保護のため教えることはできない」と。「本人が自分自身である証明に、氏名、住所、電話番号を言って、折り返しそちらから電話をいただいて、そのうえで教えていただくことはできないか」と尋ねても、「できない」の一点張り。

14:30、がんの主治医、浅井先生から(以前より予約していた)電話診察で常用薬(チラジン、アルファロール)の処方箋を出していただく。昨日の救急搬送のことをお伝えする。

浅井先生のご意見は「血圧急上昇で頭痛が起きたのではなくて、逆かも」と。「脳の誤作動の血管けいれんで頭痛発作が起きている場合、それ専用の薬がある」と。とにかく内科を受診したほうがいいと。

もう一度発作が起きそうな嫌な予感がし、高円寺のSクリニック(脳神経科)へ。

診察まで40分待つ。今回の症状や既往症など記入。薬のアレルギーは総合感冒薬(ルル、ベンザエースなど)。

S先生の診断は「筋緊張性頭痛」。

筋緊張性頭痛は昔からずっと辛くて、甲状腺癌のリンパ節転移のため首の筋肉を切除してから特に酷く、たまにアセトアミノフェンやレキソタンを飲んで我慢していたが、緊張性頭痛で急に殴られるような痛みの発作が起きるなんて聞いたことはない。

S先生が言うには、強い凝りが慢性になり、我慢していたのが閾値を越えて発作が起きたと(最初の後頭部を殴られるような痛みのメカニズムは何?)。

S先生は激しい頭痛になるほどの血圧は200を超えた時で、私のは190くらいだから高血圧頭痛にはならないという(たった10の差で頭痛にならない?)。また、S先生は救急車に乗ったから不安と緊張で血圧が上がったのだと言うが、私はそうは思わない。痛みで悶え苦しんではいたが、ずっとパニックではなかったし、救急車が着いてからはむしろ逆にほっとして、救急隊にすべておまかせしていた。

診察室で血圧を測ると上が154だった。

(きのうCT撮影したばかりなので、レントゲンは最初断っていたが、正確な判断ができないと言われ、)首のレントゲンを7枚撮影。

重い頭を無理に支えているので骨が変形しているとの説明。何十年も首痛に苦しんできているから当たり前と思う。

跳んだり走ったりの運動も、首の筋肉がしっかりしていない状態でやるのは首肩を痛めるのでよくないと。コロナの自粛期間中、ひとりで跳んだりの運動(HIIT)をがんばっていたこともよくなかった?

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この激しく殴られたような痛みと脈動頭痛の発作は3回目。

最初は6月7日(日)。

6月1日深夜にFからの電話の受け、個展にFが来てくれなかったことを思い出し、その時のショックと辛さがよみがえって来て、不眠になった。

さらにここ10年の辛かったこと(母と愛猫ちゃびの介護と看取り、父の借金のことなど)思い出してしまい、激しいストレスを感じ、涙が出た(かすかに身体に力が入った)瞬間に、後頭部をがん!と殴られたような痛みを感じ、嘔吐。
その後、6~7時間、激しい脈動頭痛に襲われた。

2度目は6月9日(水)。

ひとつ前のPCから画像データをUSBに移す作業をして、眼ももう限界なほど疲れ、首も凝り、吐き気がしていた。亡くなった母やちゃびの写真を見て苦しくなり、涙が出た瞬間(そんなに力んでもいないのに)、再び後頭部にがん!と痛みが来て脈動性頭痛で吐いた。

プフの眼が4月から抗菌目薬でもよくならず、6月3日にアレルギー注射をしてもよくならず、4日にクシャミを頻繁にし始めてからはドキシサイクリンを毎日飲ませているのに、まだ眼がよくならない不安も私の首凝りの原因。

発作が激しいストレスと首の緊張に関係していることだけは確かだ。

 

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2016年9月25日 (日)

がんの定期検診、 皮膚科(唇と顔のぴりぴり痛み)

9月23日

雨。12時過ぎに家を出て、鎌ヶ谷の病院へ。

東西線で川を3回渡る。電車ががたたん、がたたんと鉄橋の上を通る時、いつも私は窓にはりついて川を見る。一秒でも長く見ていたいと思う。

きょうはイエローオーカーの混じった灰色。鷺は見えなかった。雨なのにたくさんのおもちゃのような舟が浮かんでいた。

西船橋のホームで電車を待つあいだ、雨の中にピーチュルツピッ、ピーチュルツピッ、という一羽の小鳥の声がしていた。どこにいるのか一生懸命電線を眼で追ったが、姿は見えなかった。

野田線の窓から見る土手に彼岸花が咲いていた。ほんのわずかに残された森の上に雨が降るのを電車から見下ろしていた。いつかあの森に行こうと思う。

浅井先生に未分化がんについて聞いてみた。長いこと乳頭がんを持っていると、遺伝子が傷ついて未分化がんになることがある。

未分化がんになったら、治療としてできることはない、と言われた。

未分化がんになる前のがんに対しての抗がん剤は、昔はなかったが、つい数年前にできたそうだ。しかし何度も病院に通って副作用に耐えて抗がん剤をやっても、命は数か月延びるくらいか、よくわからない(まだはっきりしたエビデンスがない)そうだ。

「それより食べることを考えないとね。福山さんは仕事に夢中になると食べないから。」と言われた。

体重はやつれた時(42kg)からは3kgぐらい増えている。自転車で、たまに坂をちょこっと登ることくらいしかやっていないが、なにもやらないよりはいいtだろう。

4時に船橋でN子さんとお会いする。N子さんは初めて会うかただ。

以前一度行ったことがあるシャポーという船橋駅直結のショッピングセンターの中の、ひなびた居酒屋に行こうとしたら、通路ごと工事中で閉店していた。サービスでサラダやらデザートやら出してくれたなんとも昔風のだった。

9月18日

母のいる施設へ12時30分頃に行く。

敬老会は1時45分スタートと言われ、けっこうな時間を待った。買って行ったヨーグルトは、誤嚥の危険があるので家族が食べさせてはいけないと相談員のK島さんに言われ、手持無沙汰になる。

傾眠が強く、会話ができないので、いろいろ話しかけながらマッサージをしたが、精神的に疲れてしまった。私が疲れるのはすごく心配し、いろいろ考えて不安になるからだ。

母は式典でも眠っていた。

式典後に和菓子と抹茶が出て、フロアリーダーのF島さんが食べさせてくれた。

F島さんは走るのが好きで、しょっちゅう高尾山の上まで走っていると聞いて、たいへんな仕事なのにさらに山を走って登り降りする体力があるのだ、とびっくりした。

帰りに中野の南側の裏道を歩いた。小さな古い教会のわきの緩やかな石段を下る。

初めて見つけた古い森のような一角があった。昔、大きなお屋敷だったところの跡を、あまり整備しないで自転車置き場にしたような場所。

葛の蔓が高い枝から垂れていた。隅にシシウドが生えていた。

きょうは氷川神社のお祭りで、東中野から中野のあたり、神輿がいくつも練り歩いていた。

そのあとアンティーク屋と古本屋に行った。古本屋で武井武雄の限定版目録などを見せられ、なにか買わないといけないかと思ったのだが、結局、アンティーク屋で古い陶の小鹿の人形を買った。

私は動物が好きで、動物のアイコンが好きなわけではない。むしろ嫌いだ。

動物のかたちをしたもので、古くて見捨てられたものはとても好きだ。

私は動物は食べ物ではないと思っている。私が肉を食べられないのは、食べ物の好き嫌いではない。

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8月18日に、顔のぴりぴりする痛みに耐えきれず皮膚科に行ってから、きょうで一か月。まだ顔は痛いが、なんとか落ち着いてきた。

4月からずっと、唇が荒れて薄くなり真っ赤に腫れて酷く痛み、頬の皮膚がぴりぴりちくちくし、一時(5月24日)は唇のまわりから痒いただれのような湿疹ができて、顔の上部までひろがった。

その時は皮膚科で抗生物質と抗ヒスタミンの飲み薬などをもらって、1日で湿疹はおさまったのだが、唇の痛みと顔のちくちくひりひりは治らず、そのままずっと続いていた。

紫外線にかぶれるので布製の大きな洗えるマスクを買ってしてみたら、マスクのふちが顔にあたるだけで痛くてたまらない。これは無理。

唇にはプロペト(白色ワセリン)だけを塗り、顔には敏感肌用化粧水を塗っていたのだが顔のぴりぴりちくちくする痛みに耐えられなくなって8月18日に皮膚科へ。

初めて会うS井医師は、すごい迫力の先生で驚いた。

精悍な体型、やや焼けた肌。つるっつるのスキンヘッド。眼光鋭く、厳しそう、頭切れそう、こだわりを持っていそう。

「まずは、(以前に処方されて余っている)ロコイド(弱いステロイドの軟膏)を唇と顔に塗っていい。とにかく炎症を一回リセットさせないと。何か月もプロペトを塗っているだけでは治らない」と言われた。

ステロイドを塗って紫外線を浴びるとしみになる、ということに関しては「私は俗説だと思う。」と言われた。

余っているヒルドイドについては、「皮膚がぴりぴりしている時には、ヒルドイド自体が刺激になって痛いはず」ということだ。確かに塗ると痛くて辛かった。

ステロイドのはいっていない炎症を抑える塗薬もあるが、それはすごく沁みる、ということで、まずはロコイドで治すということ。

夜、寝る時に唇の輪郭にべったりロコイド、頬のちくちくする部分に薄くロコイドを塗るのを毎日繰り返していたら、5、6日目で唇の皮が再生してきた。

プロペトしか塗ってなかった時は、いつまで経っても異常に皮膚が薄くなり唇全体が傷のように真っ赤で、口をすぼめることも痛くてできない、歯磨き粉も、お醤油も味噌汁も沁みて常に涙が出るくらい辛かった。

それが、いわゆる冬に唇がカサカサに渇いた時の程度にまで回復してきた。

 

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2015年5月 9日 (土)

皮膚の荒れ、顔の湿疹、「ものもらい」

最近の体調不良のまとめ。

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もう2か月も前の3月のこと、なぜか唇の皮が薄くなって、赤く腫れあがってしまった。

唇の荒れがひどいが、治らないはずはないと思って、リップクリームを塗って気にしないことにしていた。

ところがそれが1か月経っても、2か月経っても治らなくて、どんどん酷くなり、口の周りの皮膚が荒れてカサカサになり、ヒルドイドを塗ってもピリピリ痛いし、唇は濃い口紅をつけたような真っ赤な色になってしまった。

5月1日に遅ればせながら皮膚科に行った。プロパデルム軟膏とワセリンを処方された。「一か月も治らなければ自力では治らない。我慢しすぎ。こんなになったらヒルドイドも沁みるでしょう。」と言われた。

さらに、その日の夕方から頬に、真っ赤な痒い湿疹が一気に出てきた。

さらにさらに5月3日に、最近違和感があった右目にものもらいができてしまい、ドラッグストアで「アイリス抗菌目薬使い切り」を買ってさしはじめた。

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3月19日から1週間ほど熱が出て(咳はなし)、タイレノールを毎日3回飲んでいたらいったん治った。

4月23日から急に高熱が出、咽喉と頭の痛みと吐き気。その後、咳が止まらなくなり、ドラッグストアで「一番安い総合風邪薬ください」と言って出してもらった「新カンボーエース顆粒」というのを1週間ほど飲んでいた。

これも、今年にはいってから、他人からの考えられないような迷惑行為により過剰にストレスをかけられることがあり、本当に悩んで、ずっとあっちこっちと奔走していたせいだ。人の弱みにつけこんで陥れようとする卑劣な人間にも遭遇し、ストレスはマックスになった。

(ただ、この厄災のせいで、否応なく、私が今まで会ったことのなかった世界の人たちと会う機会が持て、何人かの魅力的な人とも会うことができた。いろんな人と会いながら、頭が良くて問題解決能力があって、相手を穏やかにする対話能力のある人とはどんな人なのか考えていた。)

私の場合、精神的ストレスが顕著に身体に出る。こんなに暖かくなったのに本格的な風邪をひいたのは、ストレスでずっと夜も眠れなかったせいだと思う。

やっと風邪が治って来た、と感じた頃に「ものもらい」もできた。やはり体力も免疫も落ちていたのだろう。

私はもともとアレルギー体質ではないが、皮膚が異様に薄くてかぶれやすく、日光に当たると湿疹が出る。

ずっと解熱剤を飲んでいたところに、短い時間だがすっぴんで日に当たってしまったので、てきめんに薬疹が出てしまったみたいだ。

5月8日

顔の湿疹と「ものもらい」は、ほとんどよくなってきた。久しぶりに治療院へ。

「連休、どこかに行きましたか?」と聞かれ、「昼間はまったく外に出なかった。夜に中野の天婦羅屋さんに行ったくらい。」と応えたら、

「福山さん、油はだいじょうぶ(食べられる)なんですか?」と言われた。

以前にもほかの人に同じことを聞かれたが、私が「動物愛のために肉を一切食べない」と言うと、なぜか植物油まで食べないと思い込む人がいるのが不思議だ。私はダイエットやマクロビに興味ないのだけれど。

そのあとに「お肉もおいしいんですけどねえ。」と言われ、ああ、これっぽっちも話が伝わらないんだな、と毎度のことだがちょっとイラっとした。

そう言えば2か月くらい体重を量っていなかったな、と思いTANITAの体重計に乗ってみたらびっくり。

42.8kg。熱があった時だけは小食気味だったが、それでもピザや天婦羅やお寿司やカレーを食べまくっていたのに、体重が落ちていた。そういえばジーパンがゆるい。

とりあえず、栄養補給に、きのうの手作りカレー(私は市販のカレールーはラードや肉エキスがはいっているため食べられないので、カレースパイスパウダーといろいろな野菜で手作りカレーを作っている)の残りと胚芽パンとチーズを食べた。

5月6日

顔の湿疹、まだ赤い部分もあるが、だいぶよくなってきたので、母に会いにKへ。ずっと風邪で、母にうつったら危険なので面会に行けなかったので久しぶり。

夕食とプリン完食。えごま油を持参して少々混ぜて食べさせた。

図書館で借りた古い歌のCDを聞かせた。

施設は生花の持ち込み禁止なので、母に見せるために春の花(ひなぎく、すみれ、しろつめくさ)の手作りコサージュをつけて行った。最近、ストレス解消に布花作りを始め、山ほど布花ができてしまっている。

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連休にはどこにも遠出しなかったが、近所の小さいお店が詰まった細い路地を、夜歩くだけで楽しい。

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5月4日

顔が赤く腫れ、眼は「ものもらい」が痛くて、微熱あり。それでも、きのうよりは少しよくなっている状態。

きのう、抗菌目薬を5回さして、ビタミンBやLシステインを飲んで眠ったら、「ものもらい」は、きのうほどの痛みはなくなってきた。

マスクをすると顔が痛いので、ワセリンでべたべたのすっぴんのまま、夜、買い物に行っている。

5月3日

顔のかぶれがかゆい。使い捨てマスクが皮膚に触れると痛くてたまらないのだが、顔がすごくかぶれているので、マスクなしでは外に出られなくて困った。

治療院に行くが、うっぷして顔をのせる枕の上に敷いてあるポリエステルの紙がピリピリして、痛くてたまらない。

きょうは体調が悪いので、若い治療士に対する院長のいつものパワハラ的な不快な冗談と、それを大袈裟に笑ってみせる声が、いつも以上に辛かった。

5月1日

H皮膚科へ。

皮膚科に行った時点では、口のまわりが真っ赤に荒れているだけで、頬の痒い湿疹は出ていなかった。

この日の夜、顔に痒い湿疹が出て広がり出したので、プロパデム軟膏を塗り、皮膚の乾いた部分にはプロペト(ワセリン)を塗りまくった。

ちゃびが、ここ3日くらい乾いた「ケヘッ、ケヘッ」という長い咳をしているので、動物病院に相談に行く。カメラに録画しておいた咳をしている映像を見せた。

たぶん気管支炎。熱もないし、食欲もある。咳をして呼吸困難になったりはしないが、ただ体力を消耗するということ。しばらく様子を見ることにして、抗生物質の薬はもらわなかった。

咳の時に撫でたり、さすったりしてあげても、「喜ぶけど、それで咳はとまらない」と言われた。この咳が一時的なもので、またおさまってくれるといいのだが。

「何か食べ物を変えませんでしたか?」と言われ、心当たりはないのだが、4月の初めくらいから腎臓サポートからk/dに変えていたのを、一応また腎サポに戻した。

4月30日

陽射しが眩しいが、顔の皮膚が荒れているので日焼け止めは塗らずに、すっぴんのまま、日傘を差して、さらに黒い上着を頭にかけて歩いた。

西新宿駅から、いつも人気のない地下道を歩き、それからヒルトンホテルの中を通る。

ヒルトンの地下階の廊下のギャラリーに、最近、西洋の芸術家と日本の名筆の「筆跡」をテーマにした展示があるのが興味深くて、いつも見ている。

カミーユ・クローデルの書いた手紙の文字が展示されている。「パリの芸術家協会への推薦はたいへんありがたいのですが、私にはその会費を払う余裕がありませんので辞退させていただきます」というような内容の、美しい文字。

狂気や激しさの部分が話題にされがちだが、このカミーユの筆跡の線は静かで、慎ましくて、正直で、詩的だ。写真のカミーユの眼は、求めるような淋しそうな淡い色だが、硬質な知性の光を放っている。白いレースの衿の繊細さが胸に残る。

私の知る絵を描く人たちは、たいてい字もその人の絵に似ていて、とても魅力がある。要は見た目のバランス感覚の問題だからだろう。絵の才能があって悪筆な人をあまり知らない。

ホテルから地上に出たところ。中央公園の新緑がまぶしい。

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新宿から十二社(じゅうにそう)へと下る中央公園の脇の坂。小さい頃からなじんだ大好きな欅並木の道。
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都庁からもすぐの都心なのだが、いつもあまり人がいない静かな木陰。まわりにお店もほとんどなく、この素っ気ない感じが好きだ。
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きょうは家の耐震検査で工務店の人が来てくれた。

一級建築士のI・S。長髪で役者(遠い昔のジュリーみたいな甘~い)顔の、とてもおっとりした人だったので驚いた。

強い日差しではなかったが、玄関の屋根を見る時に私も屋根の上に出たので、少し日に当たってしまった(これが翌日の日光湿疹の原因に)。

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2015年3月 7日 (土)

がん定期健診 / ちゃび /  高級スーパーの困った話 

3月6日

鎌ヶ谷の病院にがんの定期健診に行く。

1時に寝たが、ちゃびが、明け方から何回も「にゃ~おぅ」と耳元で叫んで私を起こし、私のふとんの中に潜り込んでは、数十分経つと出て行く、そしてまた大きく耳元で「にゃ~おぅ」を繰り返すので熟睡できず・・・6時には、ごはんを新しくあげてみたが食べる様子もなく・・・9時すぎに起きたが、頭が朦朧として、また少し眠ってしまった。

少し遅刻して2時過ぎに病院に着き、きょうはまず採血と胸のレントゲン。

この病院の採血してくれる人、毎回、違う人だけれど、皆、とても優しい。きょうは寒くて、私の手が氷のように冷えていたので「わあ、冷たい。だいじょうぶ?気分悪くないですか」と言われ、「生まれつきなんで、いつもこんな感じです」と言ったが、心配して採血後も左手をしばし握っていてくれた。

頭頚科の待合ソファで『ベンヤミンの生涯』を再読していたが、検査結果がなかなか出ず、時間がかかった。

途中、我慢できずソファに横倒れになって眠っていた。

「あら~、寝ちゃってる」という看護師さんの声で眼が覚めた。「遅刻してすみません。」と謝ったら「いいえ、検査が時間かかちゃってね~、すみませんね~。」と浅井先生の困ったような優しい顔。

結局血液とレントゲンの結果が出るまで1時間40分もソファで待たされた。

「すいませんね~、システムが変わって検査結果15分くらいで出るはずなのに、こんなにかかっちゃって」と浅井先生は悪くないのに謝ってくれて、本当にいい先生だ。私は執刀医であるこの先生が大好きなので、わざわざ2時間かけて、この遠くの病院まで来ている。

診察はいつも5分~10分。検査結果は問題なく「むしろ左肺のほうの点々(粟粒転移)が薄くなっているように見えます」と言われた。

これに関しては、以前、レントゲンで「粟粒転移が濃くなって増えている」と診断されて真っ青になったが、もう一回レントゲンを撮ったら、やっぱり変わっていませんでした、ということがあったので、画像の誤差かもしれないが、濃くなっていないのならひとまず安心。

それと、これは大事なことだが、「首、切ったあとの傷、特に首の右側の傷を(治療院で)押されるとすごく痛いんですが」と言ったら「傷の上は押さないでいただきたいんですね。リンパ節と一緒にたくさん筋肉切除しちゃってるから、普通筋肉で動脈が守られているんですが、(私の場合筋肉がないので)傷の上を押すと、じかに動脈に触れちゃうんで、左右同時に押すと、へたすると脈が止まっちゃうんで。」と言われた。

「脈が止まるって・・・」「心臓が止まるってことです」と。ひえ~~。治療院の人に言っとかないと。

血液検査、レントゲン1枚、薬3か月分で8780円。

終わって船橋に着いたらもう5時だった。地下鉄が地下に潜る前に、いくつかの建物だけが強く夕陽を反射して、杏色にギラギラ光るのを見ていた。

7時近くに帰宅したら、昼に飲ませたぺリアクチンが効いたのか、ちゃびがウエット(ミヤリサン、デキストリン、無塩昆布粉、亜麻仁油、レンジアレン入り)の皿と腎臓サポートのドライの皿の両方を、つるっつるに完食していたので嬉しかった!

3月5日

夜、9時20分くらいにクイーンズにお刺身を買いに行く。

780円の本マグロのお刺身が半額になっていたので、それとビール、野菜、卵など買ってレジでお金を払ってすぐ、合計が予想より高いな、と思ったら、やっぱり780円のお刺身が980円と打たれていた。

サービスカウンターに行ってください、と言われ、店長が出て来た。980円と780円の差額の半額の消費税込だから、計算するまでもなく、一瞬で108円の返金だとわかるのに・・・

店長は紙にボールペンで書きだして「ええと・・・980円かける1.08だから・・・それと780円かける1.08で・・・引くことの~、ええと・・・差額が~、その半額の~・・・」って、はあ?

前々から思っていたけど、ここの店長、ちょっと頭がよくない。いつも簡単な返金に時間がかかる。余計な説明が多い。

しかも高級スーパーなのに、価格表示とレジでバーコードで出てくる値段が違うことがままあるから、要注意なのだ。(ちなみに私はいつもざっくり100円単位で合計額を計算してレジに向かうので、計算と違う金額を言われると、すぐ気がつく。)

「お客様の声」という投書箱に「値引きシールを貼る時に、産地を隠すように、ちょうどその表示の上に貼るのをやめてください」と書いて入れて、店長の名でお詫びの回答が来たことが、もう4回。何度書いても、「改めます」と書いているだけで、いっこうにやっていることは改まらない。

もうひとつ「玄関のところで売られている花束が、水から引っ張り出されてしおれていることが多いので、水に茎がつかるように管理してください。花がかわいそうです」と書いたのも、もう3回。私は、この店に行くと、毎回玄関を入る前に、浮いている花束の茎を、全部引っ込めて水につけているのだが、これもいっこうに店の方で留意してくれている気配がない。

お値段の高いスーパーなんですが・・・

・・・

帰宅してお刺身とビールでリラックス。マグロのお刺身をちゃびに小さくちぎってあげてみたら、喜んで食べてくれたので、もうかわいくって、嬉しくって。結局6切れのうち、5切れをちゃびが食べ、私は一切れ食べた。

最近、朝、ちゃびが私にべったりくっついてゴロゴロ言っているところをなんとか自分で撮ろうと試みている。
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このちゃびの写真、眼が大きくてすごくかわいい~~!(親ばかです)
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ピンボケだけど左手で撮ってます。
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2015年1月25日 (日)

ちゃび(認知症?) コロ(幸せ)

1月25日

ここ数日、ちゃびが興奮していて食べ方も少なくなっていたが、きょうは朝までふとんにはいったり出たりのソワソワがなかった。

それで朝、皿を見たらきのうの夜残していたカリカリ(キドニーケア)をきれいに食べてあった!

変な興奮がなくなったら食欲がまた出て来た。

気になるのはなぜか22日からずっとゴロゴロ言っていないこと。元気そうではあるし、機嫌も悪くないのになぜ?

18日~21日は、逆にゴロゴロ言い過ぎで一日中ゴロゴロ爆音だった。・・・不思議。

最近は昨年のあまり食べなかった時よりは元気で、私のスカイプのマイクの先についた黒いスポンジをやっつけたり、丸めたポリ袋を鞠のようにポンポンしてはねて遊んだりしている。

1月24日

ちゃびが朝から台所の流し台の上に乗っかって根三つ葉の葉を食べようとしていたので、買っておいたエディブルフラワー(無農薬の金魚草)をあげてみた。

猫草でもちゃびには硬すぎて、食べると変な吐き方をするので、最近は猫草は買っていない。

夢中になるとき、鼻に3本縦に皺を寄せるちゃび。

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ぺろり。

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朱色の金魚草。
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はむっ。
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ぺろり。

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お花が似合うかわいいちゃび~~・・・

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ここ数日のちゃびは、めまぐるしく様子が変化している。

18日、19日、20日は昼間はずっとゴロゴロ爆音をふかしていたが、夜になると朝まで落ち着かず、私のふとんにはいったり、出たり。

夜中、ふとんから出た時、机の上にあがって、やたらに紙類をかじってぺっぺっと飛ばすのですごく困る。

私がお風呂にはいったら、普段とまったく違うドスのきいた大きな声で叫ぶし。お風呂から飛び出して「ちゃび!」となでると「んにゃ?」とおとなしくなり、再び私がお風呂に戻るとまた叫ぶ。

21日に先生に相談したら「ぼけたのかもしれない」と言われてショック。ねこの認知症もまったく珍しくないそうだ。確かに、猫も歳をとったら自律神経とかいろいろ不具合は出ているのかもしれないが。

22日~23日は興奮のピークだった。朝から落ち着かなくて、紙をかじったり、変な大声で泣いたり。昔からうんこが出ないでイライラした時に紙をかじっていたので、トイレに閉じ込めるが、しない。

23日の午前3時ころから、流し台の上に上がったりしてうるさくしていたので、ごはん(まぐろスープとカリカリを別々の皿に)あげても食べないでソワソワ。

朝5時にミサイル弾丸走りをした!!うんこしたあとにしかしないはずなのだが、強烈に暴走。押さえて抱いたあとも身体に力がはいっていた。

不穏な感じでもなく、無駄に元気がいい感じ。

23日の夕方、動物病院の終わり間際に電話で相談。セルシンの量をうまく調整してみてくださいとのこと。今はセルシンはほんの1/10j錠くらいしかあげていないが、もう少しあげて、眠くなる量を加減してしてみて、と言われた。

「ぼけ」もどういう症状が出るか個体差があり、ムラがあるから、ずっと同じ状況ではないから、と言われた。

そもそもちゃびが以前のように食べなくなった直接の原因が「腎不全」ではなく、年齢によるいろいろ微妙な自律神経の不調なのかな、と思う。

ミサイル走りのあとの朝のアカルディ(強心剤)は、余計心臓がどきどきしたら困る(?)と思い、一回お休みしたのだが、先生にきくとアカルディは心臓を楽にさせて落ち着かせる働きがあるので休まないほうがいいとのこと。

1月21日

久しぶりにコロの顔を見る。

まだKさんのところにいさせていただいていた。「すっかりなついてだら~っとしてゴロゴロ言ってますよ~。」と嬉しそうにKさん。

「コロち~(涙)、よかったね~。あったかいね~。」コロはさらにふっくらしてご満悦になっていた。

コロは人に触らせるようになったが、油断するとみんな噛まれているそう(そこはかわってない)。

私がコロのところに行っている間、スカイプをつけっぱなしにして友人に聞いていてもらったところ、ちゃびは私がいないと大暴れの大騒ぎだったそうだ。

流し台の上に置いていたティーポットが倒れていてお茶が床にこぼれていた。

1月20日

一級建築士のTさんに実家を見ていただく。雨漏りや壁の崩壊など、すぐになんらかの修理が必要かどうかを見ていただいた。

結果・・・すぐに修理しないと崩れるという状態ではないようだ。

たぶん築69年。木造。

土台が地面にしっかりとはいってなく、「ふわっと」地面にのせただけの家で心配なんです、と言ったら、戦後すぐの家はみんなそんなもんだったそう。・・・ふう・・・。

北風が強い日。西新宿のファンゴーダイニングのランチがちょうど終わっていたので新宿駅西口のミロードでお茶を飲んでいろいろ相談にのっていただいた。

TさんはSさんのパーティーで知り合った人だ。尊敬する人のパーティーにはやはり素敵な人たちが集まっている。そして偶然の出会いでも相談にのってくださるなんて、本当にありがたいことだ。

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2014年12月31日 (水)

ちゃびの検査 猫の腎不全 / 音楽

12月30日

動物病院の今年最後の診療日に、ちゃびを検査に連れて行く。

朝、晩のアカルディ(オブラートに包んでいる)のおかげで、心臓の雑音はいい感じによくなっている。

体重は、前回3.32kgだったのが、今回3.38kgに増えていた!きのうの晩は輸液していないので、輸液分が増えたわけではない。

9月半ばに腎不全が発覚したときは2.8kgで、食欲がすごく落ちていて、もうだめかと思い、頭が真っ白になったのだが、

吐き気がするときはセレニア8mg(強烈な味なのでカプセルに入れて。これは一時間~2時間後に効き始め、24時間効く。)、それ以外の時は朝晩、まずはほんの2mmくらいのぺリアクチンを飲ませ、一時間以上経っても食べなかったら1.5mmほどのセルシンのかけらをシリンジで飲ますことによって、うまく食欲を出すことに成功している。

腎不全で食欲のない猫を飼っている人の参考になるかもしれないので書いておきますと、

最近あげている食事は、

腎臓サポート、キドニーケア、ル・シャット(デトレ)などの腎臓療法食のカリカリ(ドライ)を適当に10g~15gくらいお皿に入れ、

その上に銀のスプーンジュレ15歳以上用を少々かけ、

そのジュレ部分に、ミヤリサン(またはビオフェルミンやアシドフィルス菌)を粉にしたものとデキストリン(食物ファイバー)を少々かけて(ファイバーは多いと下痢するのでほんの少量だけ入れます)少しスプーンでなじませ、

その上に少量のレンジアレンをかけ、さらにそのレンジアレンの上にひとつまみのかつおぶしをかけたもの

これを何回か繰り返してあげています。

一時期はモンプチ白身魚と野菜入り15歳(缶詰)を気に入ったり、鱈や鮪を欲しがったりしたが今は落ち着いている。

「輸液をやめていい」と言われることを期待していたのだが、輸液は当分、今と同じ、一日おきに170ml程度(3回で1パックを使い切る)やったほうがいいと言われた。

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輸液の時には、針を刺されるちゃびも、刺す私も緊張でぷるぷるするので、ちゃびと私の緊張を和らげる音楽をかけている。

ちゃびは、自分の声に近い声が好きで、男の人のボーカルが嫌いである。ハードロックや電子音なども嫌い。

私は、音楽マニアではないのだが、好きな音楽がすごく限られている。アコースティック系でシンプルなものが好きで、ヒットした曲はほとんど好きではない。マイナー系でだいたい1975年より昔のものしか聞かない。戦前の歌謡曲も好き。

60年代のシンプルなロックやガレージ系は私は好きだけど、ちゃびは嫌いだ。

今までに輸液の時に聴いていた曲・・・

最初の頃はジョニ・ミッチェル「Tin Angel」。窓の水差しの中の磨かれた草、サテンの箱の中のタペストリーの剥げたビーズ・・・という出だしが好きだ。

ジュリー・ロンドンの「Cry Me A River」。これは落ち着く。

マリア・カラスの若い頃の「ハバネラ」。これは美しいし、気分も上がるのだが、けっこう緊張も強いられる。

カルメンマキ&オズの最初の頃。この頃のマキさんの声は素晴らしくて、アレンジも私は大好きだけど、ちゃびは落ちつかない。

浅川マキ。彼女はうまい。彼女の声は哀しくて温かくて非常にインスパイアされる。だけどちゃびはどうなんだろ。

淡谷のり子や織井茂子は、私は大好きだが、最後にオーケストラが盛り上がったりするとちゃびが落ち着かない。

ポール・マクレーンの「Is It Okay To Call You Mine 」。これは1980年の曲(私が聴くにはあまりに最近のものすぎる)だけど声も歌詞も大好きな曲で、この頃の内向的で繊細な役者だった彼も大好きだ。この歌は男声なんだけど私もちゃびも落ち着く。

最近はシモンズ。これはちゃびが落ち着くような気がする。ウイッシュや麻里絵など女性二人組は何組かいるが、意外にもシモンズが一番透明感がある。

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2014年12月29日 (月)

父が亡くなった / 心の病 / 差額ベッド

12月29日

きょう、また新たに父が生前にやった悪行が判明して、ショックと同時に、吐き気をともなう怒りが湧いてきた。

父が死んだ時、というより父が何度めかの痰がつまり、もうただ眠っているような、会話できない状態になった時は、すごい後悔に襲われた。

もっといろいろしてあげたかった、という後悔ではない。

父は、異常に自分勝手で、家族のお金を平気で盗むような人で、私は小さい頃から数限りなくひどい目に遭わされてきたから、正直、進んで父の介護をしたいとは思えなかった。

ただ、私が生まれる前のこと、父の子どもの頃のこと、肺結核になった17歳から片肺をとった25歳までに父が何を考えていたのか、結核で死にかかる前は何になりたかったのか、聞いておけばよかったと思ったのだ。

父の子どもの頃、青年の頃のことを聞いておかないと、私の知っている記憶、母や私がどれほど父に辛酸をなめさせられてきたのか、それが無駄に消えてしまうような気がした。

どういう風に育ったらあんな人間になるのか、理解することは不可能だが、それでも、もっと聞いておくべきだったと思う。そして私は、出来うる限り、すべてを書きたかったのだ。

父は祖母と祖父の本当の子ではない。

祖母は、父とは正反対。おおらかでおとこぎがあって明るくて美人で、とても人に好かれる人だった。私の大好きな太陽のような祖母が、私とまったく血がつながっていないことを母から聞いたときはすごくショックだった。

私は、祖母の素晴らしい遺伝子を持っていない。祖母は99歳近くまで生きた。

父はギャンブル依存症で、母や子供の頃の私をよく殴っていた。私にとって父は私に対して何かを与えてくれたり、保護してくれる人ではなく、私を不安の底に突き落として目茶苦茶にするような人だった。

幾度も父の異常性格のしりぬぐいをさせられた。怒りと吐き気で頭がおかしくなりそうな体験が山ほどあった。晩年まで、父の自分勝手さと異常性格はなおらなかった。

ただ、そのことが私の「もののみかた」をつくったのは確かだ。

このことは、また詳しく書きたいと思う。

12月28日

代々幡斎場にて、午後二時、父を火葬する。

ル・レーヴ(夢見る)という名のピンクの百合、ブルーなんとかという名の紫の蘭、ベージュのガーベラ、薄荷色のカーネーション、黄色と白のスプレー菊。スイートピー。

きのう、高円寺中の花屋やスーパーを廻って買い集めた花を棺に入れた。正月用の花束ばかりで、自分が買いたい花を探すのもひと苦労だった。

地方のお葬式で、火葬したあと、骨が人体のかたちのまま出されてきて、その骨を拾うのも、何回もさせられた経験があり、それがショックで怖くて吐きそうだったで、今回も心配だったのだが、

骨はざっくり混ぜられた状態で、四角いかねでできたものに入っていて、「弔事ですので、お骨は一回のみで。」という火夫さんのご指導のもと、二人一組で、あっさり一回つまんで終わったのでよかった。

「仏様が手を合わせているようなかたちなので喉仏といいます。」という説明。

おばあちゃんの時も代々幡だったような気がする。きょうと同じような感じだったのだろうか、あの時よりも、もっとあっさりとすんだような感じだった。

・・・・

今回の直葬で、都内にある代々幡、堀之内、落合などの火葬場は全部「東京博善」という会社の直営であり、火葬だけで一律59000円かかることを知った。

そのほかに骨壺約13000円、このふたつは絶対にかかる。その他保管料一日につき約8000円、火夫や事務、運転手さんへの心付け。

上記の斎場への支払いのほかに、葬儀社に頼まなければならないものは、棺、寝台車、納棺料、ドライアイス、案内の人件費などで、これが80000円くらい。

で、役所への手続きも自分でやり、棺に入れる花も自分で買って持って行き、写真もなしで、合計170000円くらいだったと思う(妹が明細を持って行ったので私の手元にないが、だいたいそのくらい)。

都内で直葬を考えている人の参考までに書きました。

12月26日

父が危ないと連絡を受け、I病院へ。

午後3時2分死亡。

泣き崩れる妹の背中をさすってやって、もう(妹は)十分介護したよ、という言葉を何回もかける。

妹はちょっとおかしいのだ。嘘つきで酷い人間だった父にべったりだったのだ。なぜかというと、妹は私のように、父の借金返済のために青春を滅茶苦茶にされた過去がない。妹はその時、まだ中学生だった。

しかし父の借金返済の時に母と私がどれだけ過酷な労働をしていたか、家族が心身ともに追い詰められておかしくなっている、その異様な事態に気づいていないはずはなく、妹がその原因である父にべったりになって母や私に少しもいたわりの気持ちがないことが異常なのだ。

妹は父と似ている。自己中心的で自分のだらしなさをすべて他人のせいにするところ。依存症で、ちょっとでも優しい言葉をかけると際限なくだら~っと甘えてくるところ。社会性や公平性がなく、自分に甘い人間にだけべったりくっつこうとするところ。

妹はアルコール依存症だと思う。酒が入ると完全におかしい。普通の酔い方ではない。まったく話が通じなくなり、一方的にへらへら笑ったり、激情的に怒ったり泣き出したり。

それだけでなく、アルコール依存症になってから、過去の記憶がいいように勝手に歪められている。 アルコール依存症について調べると「他罰的になる」という特徴があるので、もともとの性格がアルコールによって助長されているらしい。

私は、父から与えらえてきた精神的、肉体的外傷や、嫌悪感や、いろいろあるのだが、若い頃の母が(だまされて)すごく好きになった人だし、とにかく母がかわいそうで、激しく嗚咽してしまった。

・・・・

そのあと、泣きはらした顔で差額ベッドのことについて、病院側に言わなければならなかった。くたくたに疲れていたが、やはり、おかしいと思ったからだ。

「福祉保健局の人に話を聞いて、決まりでは家族が望んだのでない差額ベッド代、病院の方の都合でいれられた個室代は家族に請求してはいけないはずです。」という内容のことを言ったら、I院長は、

「あなたは決まりって言うけど、これは決まりの問題じゃなくて、公序良俗の問題だ。」

と言った。その「公序良俗」という言葉が、疲れた頭に、すごく印象に強く残っている。

つまり、「公序良俗」に反しているのは、私のほうだとと言いたかったのだろうか?

それとも「公序良俗」という語を出してきたわけは、病院側が家族に圧力をかけても、それは法的には規制されるようなことではない、やってもいいことなんだ、と言いたかったのか。

たぶん後のほうだろう。

「福祉保健局の誰がそう言ったの?メモしたいから名前教えて。」とも言われた。

I院長は「この件について僕に決定権はない。看護部長に聞かないとわからない。」と言い(嘘だと思う)、廊下で看護部長を待っていたら「会計に言ってくれ」と言われ、会計に行ったらソーシャルワーカーが出てきて、「でも妹さんは了解したんですよね。ちょっと確認してきます。」と言われ、

「妹は精神的に参っています。患者に何をされるかわからないと思ったので、怖くて了承したと言っています。それでも電話で了承しただけで差額ベッド代の金額を明示した紙に家族がサインしてない限り、家族に支払い義務はないと福祉保健局に聞いています。」とこたえた。

家族が死んだ直後で、ただでさえ胸がざわざわしている時に、病院総出でプレッシャーをかけられたけど、言うべきことは言わないといけないのでがんばった。

それで一応の解決をみた後、死者を囲んでぐったりしている家族のところへ、がちゃっと個室の扉を開けてI院長が入って来た。(はぁ~~・・・まだ、何か?・・・と私は下を向いていた。)

「お父さんは片肺だけでよく頑張ったと思います。いや、皆さんが随分、落ち込んでいるようだからね、私もこう見えて学生時代は鬱だったんですよ。」などから始まる演説があった。「鬱にならない秘訣はね。少しずつがんばること。」とか「皆さんの連携がうまくとれていないところがあるからね。」とか・・・

(残念ながら私は鬱病じゃない。依存症でもない。脅しやすかしでコントロールされるような人間じゃない。ぐったり疲れているように見えるのは差額ベッドの件で病院側に不当な支払いを要求された心労のせいなんですよ、と言いたかった。)

補足すると、この病院は看護師さんは親切だった。

とにかく老衰で亡くなりそうな患者を個室に移された場合、それは治療上の都合であるから、家族に支払い義務はない。

病人を介護している人、「差額ベッド代」で検索してみてください。

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