アート、 芸術、 自己愛性人格障害 / 介護
7月29日
最近、介護している人のブログなどをよく見ている。この矛盾した介護保険制度の中で、皆がどんなに苦しんでやっていっているのか。
それと同時に、芸術とはなにか、アートとはなにか、をよく考えている。なにか、というのは世間的な状況や定義ではなく、私にとって芸術とはどういうことか、芸術家とはどういう人か、ということである。
世に溢れるアート、アーティストという言葉になんの魅力も感じない。また旧態依然の権威主義の絵も苦痛なだけだ。
海外の人と英語で話すときは、自己紹介はアーティスト、ペインター、オーサーではあるが、これは日本語で言うのとはニュアンスが違う。
なにかと言えばアート、芸術、と言いまくっている人で魅力的な人に会ったことがない。今までの経験で、「私は絵に生きるのが宿命だから。」とか「私は厳しい芸術の道を行くしかない。」と言う人に限って、私の感覚では本当になんの魅力も才能も感じない人だった。
そういう人は自分の作家活動の重要性に対して誇大な妄想を持っている。過去にどんなにすごいことをやった人たちが累々といるのか、美術史の中で自分はどこにいるのか、見ようとしない。
自分がやりたくてたまらないから、つくるのが好きでたまらないから、というのは、作品行為の価値となんら関係がない。
身近な人が死にそうだから、必死で介護をしているので忙しい、と言った時に、「あ、そう。そんなことより僕の表現を見て。ほめて。認めて。」と言ったり、「それは個人的なことでしょ。そんなことより僕のアートプロジェクトを手伝って。僕に奉仕して。僕の奴隷になって。」と私に言った人間を、私は死ぬほど嫌いだ。
私はあなたのやっていることが大嫌いだし、興味がないので、押し付けないでほしい、と思う。私は本当に大切だと思うことに私の人生を使っているので、くだらないことにストレスを受けたくない。
私ががんで、体調が不安定だ、と言った時も、同じことをやられた。「あ、そう。そんなことより私のオン・ステージの下働きをして。」とか、「あ、そう。どんなに苦しいのかぜひ取材させて。それをネタにして感動的な作品をつくって僕のお手柄にしたいから。」ということを実際にやられた。
彼らは他者の苦痛や死など、まったく関心がないのだ。それより自分のくだらない思いつきをお手柄にして、人に承認させることに必死なのだ。実際は何も感じないが、「他者の苦痛」や「死」は「芸術」のテーマにはかかせないので、なにか考えているふりをして題材にしたがる。
無感覚なくせに、やたら「身体」と言ってみたり、まったく他人の言葉を聞かないで自分を認めろ、とわめきたてているだけなのに「他者の声をきく」と言ってみたり・・・・。
他人の不幸は、自分の作品のためのエサになればいいと思っている。自分のお手柄のために、効果的な題材を捜して他者を目茶苦茶に侵害する。自分だけは傷つかないように、何の危険もないところにいて、他者から収奪する。
目的はただ一つ、自分が芸術家、アーティストと呼ばれ、称賛されることのみ。自分が羨望される存在になること。自分が承認されること。それしか頭にない。
作品上は倫理的な見せかけをし、実際の生きかたは微塵も他者への共感能力(尊重)なく、自分が注目を集めることしか考えない人間を何人も見て来た。
(そういう人たちは、簡単に「わかります、わかります。」と言って近づいてくる。そして次の一瞬には「自分は特別。自分をわかって。自分を保護して。」にすり替わる。それからは会話が成り立たず、彼らは一方的に延々自分のことだけを話し続ける。)
そういう人たちの異常さは、「自己愛性人格障害」というやつらしい。
「自己愛性人格障害」は、まさに「芸術家」気どり、「アーティスト」気どりの人の病だ。自分だけは特別だと思いこみ、自分の表現は重要で、人に称賛されて当然と思い込んでいる。
たぶん劣等感や、不安を隠そうと(抑圧)して、異常なほどのナルシシズムになるのだろう(欺瞞的な防衛機制)。言動のすべてに、その醜悪さが迸り出る。
「お母さんの介護が作品に花開くように祈っています」としゃあしゃあと言う人間は、自分の母親が倒れても、ろく介護しないで、「母に捧ぐ」と言ってまたナルシスティックに自己表現するのだろう。どこまで行っても深いもの、シリアスなものに触れることがない。ただ自己陶酔のみ。重い荷物を背負った人がいても、荷物を持ってあげるのではなく、望まれてもいない自分のサイン入り色紙を差し出すような人間。自分はつねにスター芸術家であるという妄想。
では、どんな人が私にとって真の「芸術家」だったか、と言うと、少なくとも、自分がでしゃばりたいために他者を侵害するようなことのない人だ。何が重要で、なにに価値があるか、何をしたらいけないか、他者を尊重するとはどういうことか、何が美しくて何が醜悪か、ちゃんとものごとが見えている人だ。
そして、生きていく上のあらゆる局面において、時代がどんなに変わろうと、その人の判断力は信頼できる、その人の考えや感覚を聞いてみたい、その人についていきたい、と思える人である。
私が実際に会った「芸術家」は、今現在の「問題」を作品表現によって「外」「他者」に向けて提起しているような押し付けがましい人間ではなく、
むしろ逆に、「外」「他者」のために否応なく今現在の「自分」(自分の内)が「問題」「問い」となってしまう人である。
(当たり前だが自分の趣味や感性を「見て、見て。」と言っているような幼稚な人間ではない)。
そもそも「外」「他者」のために思考が困難になる経験もないくせに(「思考」は、いつも「他者」のために困難になるのであり、自分の勝手な「言葉遊び」ではない)、
「芸術家」の雰囲気だけに憧れて、作品や言葉の外面だけを剽窃して気持ちよくなっている「自己愛性人格障害」が、最近、周りに溢れてきている。
見かけの意匠をどう変えようと、様々なこじつけをしようと、生きていく上での他者との関わりにおいて繊細で鋭敏な感覚のない人の表現を見たいとはまったく思えない。自己愛だけで、根本の神経が死んでいる人と関わりになりたくない。
結局その人の普段の言動と作品が見せるものが一致する人しか私は好きになれない。また、作品を見ただけで、どんな性格で、どの程度の思慮深さか、問題提起能力があるのか、その作家像も、その人本人を知る前にわかるのである。
大昔の人であれ、最近の人であれ、私にとって本当の芸術家の残した作品や、覚書が、辛い状況の時も支えてくれる。
「介護」は「矛盾」のただ中で考えることであり、一寸先が見えない中で、合理性を要求されながらも、なおかつ臨機応変に「他者」に対して「応答」」(response)し、たえず身を持って実践しなければならないことであり、
何かオブジェをつくって、それに「response」という題をつければアートになるというような、安易で陳腐な自己表現とは逆のベクトルの、本当に「思考」が否応なく「危機」にさらされる状態なのである。
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7月27日金曜に区役所から母の医療の減額認定省が届き、過去12か月に90日を超える入院をした場合は、食費が一食につき210円から160円になるので申請してください、と書いてある緑の紙が同封してあったので、きょう、区役所に申請に行く。
蒸し暑い中、はあはあ言いながら区役所の4階で申請すると、
なんと・・・・・・これから食費が一食160円になるのだと言われて唖然。母は昨年12月11日から今年の5月8日まで入院していたので、入院の90日目の直後(3月11日月曜)に申請していれば、次から退院の5月8日までは160円になったと言う(もう遅いと言うこと)。どっと疲れが・・・・。まあ、9000円くらい損した。。。
「私の説明が悪かったですけど・・・」と区役所の職員に言われて、なんだかな~、と思う。母が入院してから何度も区役所の医療制度部門にきているが、まともな説明を受けていない(パンフの説明もわかりにくい)ので、てっきり療養後の還付になるのだと思っていた。。
区役所から余計な情報を郵便で送ってくることは多いのだが、利用者のためになる情報はなぜか知らせて来ない。
7月28日(日)
施設Tに断りの電話を入れる。
相談員のHさんもTさんも不在で、宿直の人しかいなかった。伝言してください、とお願いする。
終の棲家について、私が断ると言う決断をして、母のために果たして良い方向に向いているのだろうか、と考えると全身が痛くなるくらい苦しかったが、断った瞬間、すごくすっきりした。
7月27日(土)
朝一番に、郊外の施設Tの相談員Hさんから電話が来る。
すごい早口で、8月1日に母が今いる老健Eに母の面談に行きたいので、家族が同席してほしい(施設Tを母の終の棲家にするか、即、返答しろということ)とのこと。
なんと答えていいのか詰まる。8月1日は個人的には生理の体調最悪の日(吐き気と腹痛で寝込む予定)とわかっていたので、とりあえず次の週にしていただけませんか、とだけお願いする。
その直後、ケアマネさんに電話するが、きょうはお休み。留守電に、申し訳ないのですがお電話ください、と入れる。
一度見学しに行った新宿区の施設Aの相談員Tさんに電話。すごく正直で親身な答えをいただく。なにか気が進まないのであれば理由をつけて婉曲に断ってもいい、というようなこと。その言い方のヒントまで教えてくれた。
やはり、Tさんが相談員をしている施設Aは、Tさんの人柄により施設全体のイメージがアップし、安心感があり、いきいきして見える。それに較べて、施設Tは、確信があるわけではないが、なにか不安なのだ。
過去において私の直観はあたることは多いが、当たり前だが100パーセントではない。心配し過ぎて見誤ることもある。ひとつをパスして、次に縁があったものが前にパスしたものよりもいいとは限らない。
どうしたらいいのか、私が母の最期の生活の質、幸福感を決定すると思うと、すごく苦しい。
さらにショートでずっとお世話になっていた新宿のKに電話で様子を聞いてみる。ショートのときの相談員のKさんはすごく優しい人だったが、特養のほうの相談員のTさんは、このとき初めて話したが、取りつく島もない冷たさ。順番についてはいっさいわからない、の一点張り。
夕方、ケアマネのMさんから電話をいただく。正直に経過と気持ちを話す。
Mさんは、ピンとこないのであれば、見送るのもいいんじゃないか、その際、Tさんの言ったように、うまく感じよく断った方がいい、と言われた。Mさんがきょうはお休みなのにも関わらず、長い時間を割いてくれ、ちゃんと思いを聞いてくれたおかげで、だいぶ気持ちが楽になった。
7月26日(金)
次の母の移動先の候補、恵比寿の老健Gの家族面談に行く。
華やかなガーデンプレイスを抜け、蒸し暑い街路を歩く。サッポロビールの会社の庭にオレンジ色のカンナと、大好きな夏水仙が咲いていた。日仏会館を過ぎ、坂を下ると急にさびれた住宅街にはいる。
相談員Mさんはしっかりしていて親切。
施設Tから声がかかったと言うと、狭き門だから、とりあえず申し込んで、今回はいれるかわからないのだからGの申込書も早めに出してください、と言われる。
帰りに休憩しようと恵比寿の駅前に降りると、駅前広場は盆踊りで盛り上がっていた。
7月25日(木)
郊外の施設Tに見学に行く。新宿から私鉄で35分くらいだろうか。それから徒歩。駅前には何もない感じだったが、施設の周辺には緑地もあり、悪くないと思った。
だいぶ迷ってやっと到着。違和感は施設にはいってからだった。なんとなく、暗い・・・・・。
きょうは今にもゲリラ豪雨が来そうな暗い灰色の空なので、建物の中に日が差さないというのもあるのかもしれない。けれど、なんとなく静かで、生気がない・・・・。
ほかに多くの施設を見学していないので比較しようがないのだが、明らかに新宿区内の施設Aより暗い感じがする。対応してくれた年配の女性相談員Tさんが、明るい表情をしないでなんとなく困ったような表情なせいなのもある(Tさんのもともとの性格で、それがこの施設と関係ないのか、関係あるのかもわからない)。「F市では700人待ちで狭き門です。」と言われたが・・・。
もちろん老健とは違うのだが、入居者のお習字や絵が貼っていないいないことや生花が活けられていないことなど、なんとなく楽しそうな感じがしないのだ。
来たときと違う私鉄の駅まで歩いた。満開のオシロイバナ(白粉花)。栗や玉蜀黍の畑。周りの景色は好きだ。けれども・・・・。
帰宅してから特養について調べていたら、やはり特養は要介護度が進んだ人ばかりなので、介護職員さんはやるべき仕事をこなすだけで精いっぱいで、流れ作業みたいになる、入居者との会話などないような話も多々あるようだ。施設によって雰囲気は違うと思いたいけれど。
何か決断できない。ここを終の棲家とさせることが怖い。もう薬のことを心配しないでも済むし、通院も職員さんがやってくれるから家族は楽になるというのに、不安でたまらない。
7月21日
郊外の特養Tから電話。10人の希望者に声をかけていると言う。こんなに早く声がかかると思っていなかったので少し不安。
急遽、25日に見学にいくことになった。
7月18日
母が今いる老健Eから電話があり、3か月延長してもいい、と言われる。
薬はメネシットだけは出してもらえるそうだ。ドネペジルと抑肝散を止めても、8月に追い出されるよりはずっといいと思う。
次に移る老健に面接に行け、と矢も楯もたまらない催促だったが、こちらもやむを得ない事情で行けないでいるうちに延長許可が出た。
今Eにいるほかの入居者さんが何人外に移るか、E入所待ちの人の状態などの兼ね合いだと想像するが・・・。とりあえずほっとした。
介護制度は本当に矛盾している。
今、母がいる老健という施設は、薬代が込みで、薬代を料金に上乗せできない。しかし実際は経営上の理由で薬代を出せないから、入所時に3か月分持参してくれと言われる。
老健は中に医師がいるため、「医療施設」扱いであり、そのため、薬が切れた時は、外の病院で薬を処方してもらうために病院を受診する際には、ダブル医療保険にならないために、一度二泊三日で退所するといった方法をとらねばならない。しかしこうなると何のために老健の中に医師がいるのか、ほとんど意味が分からない。
特養は医療施設ではなく、福祉施設なので、入所していながら外の医療機関に受診が可能である。薬代も受診代も込みではなく、別料金になる。家にいるのと同じなので「薬は出せない」ということにはならない。
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