悩み 苦しんでいること

2024年7月12日 (金)

生家のこと 

6月30日(日)

突然また空き家になってしまった西新宿の生家をどうしたらいいのか、ずっと悩んでいた。

今まで数年、倉庫として借りてくれたIさんのおかげで毎月の借地代をまかなえていたのだが、Iさんが引き上げた今、ただ借地代(それと税金)だけがかかってしまっている。

両親が亡くなった時以来だが、久しぶりに不動産会社に相談してみることにした。

借地権を扱っている大手の不動産会社、いくつか(6社ほど)に電話してみて、すぐ近所の、西新宿の高層ビルの中にある会社が親切だった。

しかし以前聞いた時と同じく、借地権を売るのは厳しいという。

場所は都庁にも近い都心で地価も上がっているが、古い家で、隣りの小さな家がうちの玄関に貼りついているせいで間口が狭い(建て替えしにくい)。

何より大問題なのは、自分のことを「長者」と謳うここら辺一帯の大地主のお寺さんが、借地権を買い取ってもくれず、底地権を売ってもくれず、建て替えも許さない貧乏人いじめであることだ。

不動産会社の人が、同じお寺さんから土地を借りている、うちのすぐ近所の家に依頼されて地主に交渉したことがあったが断られた、という話をしてきた。「なんで許可してくれないんですかね」と聞くと、「嫌がらせでしょ」と言っていた。

・・・

バレーボールネーションズリーグのLIVEを見るために6月18日からU‐NEXTに入った。

そんなことに時間を使っている場合ではなく、どんどん仕事を進めなければいけないのだけれど、

あと2,3年しか生きられないとしても、心が沸き立つ楽しいこと、がんのことを忘れられる時間は大切だ(と心に言い訳してみる)。

昔からバレーを観るのは好きだったけど、特に今、最高に面白い男子バレーを観ずにいられましょうか。

カナダとの準々決勝、そして30日の明け方3時からのスロベニア(予選1位)との準決勝は最高だった。

拾ってつないでつないで、の粘りと機転、瞬間の判断の動作。

本当に今、この時だけをLIVEで見られてよかった。

 

 

 

 

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2024年3月16日 (土)

野イバラの棘 / 傷つけられる言葉

3月15日(金)

沢渡朔さんに午後1時半に電話して打ち合わせの約束をしていたのに、急にうちの電話が不通になる。

(電話代を少しでも安くしようとプロバイダなどが複雑になってしまい)ルータを3つもつないであるので、どこが抜けたのか調べるのもたいへん。

とりあえずフヂヤ薬局さんで電話を貸していただいて、沢渡さんとお話しできた。

その後、ゆっくりコードを確認して電話とPC復活。

3時過ぎにT・Hが電話をくれた。

彼女は私の病気の不安や対人で負う傷をすごくわかってくれる人。

それでだいぶ落ち着くことができた。

3月14日(木)

もうすぐ沢渡朔さんと撮影する予定の現場に、棘でいっぱいのイバラの蔓を切りに行った。

通り道が野イバラで塞がれていてとても危険だったからだ。

前回来た時は野イバラはまだあまり芽吹いておらず、枯れ枝に棘がいっぱいで、ジーパンの上からもたくさんの棘が喰い込んで脚が血だらけになった。

今は枯れ枝から緑の棘と新芽でいっぱいの蔓がしゅる~と伸びている。

前に来た時は気づかなかったが、大きいものは3メートル以上のしなった蔓がびっしり出て、高い樹に絡まっている。

もうひとつ怖いのはサイカチの棘。枯れた枝が突っ立っていて、茶色くて目立たないがぎょっとするほど大きく固く鋭い棘だ。

5時に高円寺に戻らなければならなかったので急いで作業。

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3月13日(水)

レットヴィモ(セルベルカチニブ)を服用しているかたのブログを読んでいた。

夜、眠れないほどの口内乾燥、口内炎、発熱、頭痛、

酷いむくみ、そして肝臓の値の急上昇(倦怠感)や皮疹(アレルギー)が出たら休薬しなければならず、

休薬したらすぐにまた腫瘍が増大。

個人差はあると思うが、怖いことに変わりない。

これから耐えていかなければならないことが重くて、不安で神経が張りつめてしまった。

肝臓の値が大きく上がったら安静と言われるらしい(卓球なんてとんでもない)。

経済的なことも不安。

なによりも効かなくなったら終わり、もう使えなくなることが怖い。

友人に短いメールを送ったら、「薬がおいしいといいね」という返事が来て、ものすごくイライラしてしまった。

命に関わる病気でない人が命の不安ではりつめている相手に、まるで高みの見物発言。

彼女は「笑わそうとした」と言う。

まったく笑えないし、笑わそうとしてほしくなんかない。

ただ「たいへんだね」と言ってくれればそれでいいのに。

気持ちが暗く張りつめている時に投げかけられた不用意なひとことで体調が滅茶苦茶になった。

マッサージの人に「つい2日前に、柔らかくしたのに、どうしてまた首や肩や頭ががちがちになってるのかと思ったら、ストレスですね」と言われた。

友人に悪気はないのはわかっている。私は悪気が無い人がすごく怖い。

感覚的なものが通じない相手がすごく怖いのだ。

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2023年6月 7日 (水)

サイバーナイフによる脱毛

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ネズミのおもちゃをつかまえるプフ。

5月29日(月)

卓球仲間のKさんから小笠原父島産のパッションフルーツをいただいた。
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ネットで調べると一週間くらい置いて、少し果皮がしわしわになった時に食べるのが酸味が和らいで甘いそうだ。

少し前には「これを食べて元気になって」と高級なアメーラトマトをくださった。本当に珍しいものばかり、お心遣いに感謝。

Kさんは80歳だが、朝4時に起きて日帰りで奈良京都旅行をしてくるほどすごく元気。バスでいくつも寺を回って帰宅したのは夜10時過ぎだったという。

卓球のほかにフラダンスもやっておられるそうだ。

私がケイタイを持っていないと言ったら「じゃあ電話番号登録しておくから一回鳴らしたら切って。こちらからかけなおすから。家の電話からスマホにかけると高いでしょう。」と言ってくださったのには感動した。

本当にいろいろ気遣いしてくれるかた。

5月31日(水)

数日前、左の後頭部の下側(うなじに近い辺りを)指で触ったらつるつるになってることに気づいた。

その部分の髪を分けてカメラで上から撮ってみると、底辺12cm高さ8cmくらいの三角形の旗が斜めに垂れ下がったような形に白く禿げている。

いかにも顔の側からサイバーナイフを数百本照射して、その直線が脳の中で交差して後頭部に抜け出た箇所、という鋭角な形。

さらに左後頭部の上の方にも3cm×5cmくらいの禿げがある。これは上から入射のほうの形。

残った長い髪の束がカーテンのように髪の無い部分の上に乗っかって隠してくれている。

本当に放射線科のS町先生の言ったとおりだ。髪を短く切らないで良かった。

髪を後ろでねじって頭の上でクリップで挟んでとめると、大きな脱毛部分もわからない。

髪をダウンしている時に風でそよぐと、後ろから見た人にはわかるかもしれない。

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仮予約したギャラリー(2階にあって急な狭い階段しかない)のオーナーにメール。

4月以降につけてくれると言っていた階段の手すりがまだついていないが、どうなるのかの問い合わせ。

6月1日(木)

味戸ケイコさんと電話でお話しする。

昔、味戸さんがデザイン会社にいた時のお話など。

当時の綺羅星の芸術家たちの原稿を若い味戸さんが受け取りに行っていたそうだ。

ギャラリー内では耳が聞こえにくいそうだが、電話では聞こえやすいとのこと。

温かく静かなお声を聞けて、とても力をいただいた。

6月2日(金)

耳をつんざくような大雨。風邪をひくと長引きそうなので一歩も外に出なかった。

6月3日(土)

仮予約したギャラリーの建物の前を夕方通ると、1階でオーナーが飲み会をしているのがガラス越しに見えた。

手すりについてのメールの返事をまだくれないので、もう一度問い合わせのメールを送った。

最初に仮予約したのは1月。こちらの要望(展示する作家の邪魔になるものは除いてほしい、必要なものは備えてほしい)に対してきちんとビジネスとして対応してくれないことにストレスを感じる。

 

 

 

 

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2023年2月 8日 (水)

気分の落ち込み / 「白い指の戯れ」


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プフとチョッピー

2月4日(土)

星状神経ブロック注射の失敗のあと、その当日だけでなく、3,4日胃痛とむかむかが続きあまり食べられなかった。

TANITAの体重計に乗ってみたら、卓球2か所に行き始めてから体重48kg、筋肉量36.6kg(TANITAの体重計では除脂肪の重さ)に増えて喜んでいたのに、体重46kg、筋肉量34.6kgに戻っていてショック。

コロナの病み上がりの時と同じく、口が苦い。

Sクリニックの医師の対応について、15年以上かかりつけだったのに信頼を裏切られて、なんともいえない嫌な気分で、切り替えるのが難しかった。

「(注射は)難しいから、嫌ならやらなくていい。」とも言われた(自分の失敗を棚に上げて)。

「難しいという説明のプリントを渡してるでしょ。」と言われたが、おそらく最近配り始めたのだろう。私は15年くらい前に最初に口で説明されただけ。「血行をよくし、リラックスさせる。すごくいいものだからやってみますか?」とK先生に言われたのをはっきり覚えている。

和美さんとメールで話していて「ひどい対応ですね。患者の心配より自分の立場を守ろうというのがみえみえですね。」と言われて、そのとおりだと思い、やっと少しすっきりした。

自分の中に15年以上もかかりつけだから相手に失望したくないというバイアスが働いていて、自分の感情を抑制して我慢しようとしていたが、やはり患者の身体のことを考えておらず、酷いと思う(近所では絶大な人気ですごく混んでいるが)。

2月5日(日)

すぐ近所のレンタルビデオ屋がつぶれてしまい、ずっとお世話になっていたGYAO!も3月いっぱいで終了と知って淋しい。

GYAO!でなにか慰めになる映画を見ようと思い、レヴューなど読んで調べたが、結局、

『白い指の戯れ』(1972年 村川透の監督デビュー作 脚本:神代辰巳、村川徹、日活ロマンポルノとして初めてキネマ旬報ベストテン入りを果たした作品)を選んだ。

「十九才のゆきは新宿の街で二郎を知った。」と 説明に書いてあったので。私は60年代から70年代前半の新宿の風景が大好きなのだ。

見始めると冒頭の喫茶店は新宿ではなく渋谷(今のウエマツ画材店の側)だった。

ビール150円、カルピス150円、ジンフィズ250円、ジンライム250円。

何もわかっていない、何もわかろうともしない19歳の女の子がスリの仲間にのめりこんでいく。

トスピイタ、エスンポポ、コウギンビシミツ、ラーコシプペ、ルーホスンダ、ステスホ、ノアピイワカ、コンチパ・・・

荒木一郎(の映画を見るのは初めて)は、なるほど無口で、無表情で、人を食ったようなアメリカンニューシネマっぽさ。

この映画は暴力シーンが無く、淡々としているのがいい。濡れ場も全然色気を感じない。

「白い指の戯れ」は肌の上を滑る指であり、掏りのことなのだな。

最後のシーンはまさに私のふるさと、新宿西口から京王バスに乗ってバスの中でゆきが初めての掏り、私の生家に一番近いバス停「熊野神社(結婚式場)前」で主人公二人が降り、ゆきは交番へ。

当時の十二社の交番や、交差点前の松葉米店を見ることができて感涙。。

私がなぜ60年代から70年代半ばくらいの新宿が大好きなのかと考えてみると、当時の新宿の反体制的な空気、ゴミゴミした混沌と変化とアンダーグラウンドな雰囲気に痺れるんだと思う。それはもう失われてしまった。

ほかにも「のらねこロック」シリーズや、寺山修司の映画に映る60年代後半から70年代前半の新宿を見ると、胸がわーっと沸き立ってたまらなくなる。

2月6日(月)

まだ胃がむかむかして、通常のように食べられないが、無理にでも卵を食べ、卓球に出かけた。途中で具合悪くなったら休ませてもらおうと思ったが、結局、熱が入った。

体育館の方はフットワークをほめてもらえた。要するに力を抜いて球がオーバーしないようにすること。

もうひとつの方は8人2台で休みなくダブルス。

7時50分からほぐしマッサージに行き、星状神経ブロック注射の失敗から2kgやせて筋力も落ちてしまった話をしたら、

「すごくかわいそう~。でもなんでそんな状態で4時間も卓球できるの?つじつまが合わない~。」と言われ

「だってそんなことで休みたくないんですもん。」と苦笑。

 

 

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2022年10月 3日 (月)

個展の記録 6日目 / 昔、個展会場である画家に恫喝されたことについて

吉祥寺リテイルでの個展、昨日、無事に終了いたしました。

絵を熱心に見てくださった方、私に声をかけてくださり、お話ししてくださった方、絵や本やポストカードを買ってくださった方、お運びくださった皆様に心より御礼申し上げます。とても嬉しく楽しく、エキサイティングな7日間でした。

10月1日(土)

吉祥寺リテイルでの個展6日目。

きょういらしたのは、Twitterで知り合った「ぼけっとふるねす」さん。はじける笑顔がまぶしいかた。

やはりブログを読んでいてくださって。この夏の神楽坂の個展で春女苑(ハルジョオン)の絵をご購入くださったMさんご一家。とてもお優しいご主人で、フィギュアスケートも家族皆で一緒に観に行かれるとのこと。

最初に個展を開いたときに、新聞の紹介記事を見て来てくださってから、毎回、来てくださるT子さん。明るくて華やかで元気な方。今回も小品をご予約くださった。

そして10年前の個展のときに20歳で来てくれて、その当時、悩みを抱えているようだったのでずっとどうしているのか気にかかっていたI君。すぐにはわからず、名前を聞いてすごく驚いた。シャイな感じは変わらないけど、健やかで落ち着いた青年になっていた。私のことを忘れないでいてくれて本当に嬉しかった。

すごく目立つおしゃれでかっこいい二人組がいきなり入ってきて、熱心に絵を見ながら英語で会話をはじめたのでびっくり。ちょうど居合わせた佐藤亨先生(英文学)に通訳をしていただいた。

右側の攻めたファッションの彼はFelix TaoさんというU.K育ちのプロダクトデザイナー、一緒のかたはプロデューサーさんだそうだ。
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私も少しだけ英語で話した。佐藤亨先生が「gold」と言ったところを「silver leaf.decayed」と修正したり。「dying flowers」の「generation, moving, dancing, metamorphosis」を描いているとたどたどしくも説明。「I have been drawing dying flowers for 20 years.」と言ったら「Amazing!」と笑って賞賛してくれた。

「your so cool!」と言ったら、「あなたのほうがクールでしょ。こんな絵を描けて。」と言われた(彼は少しだけ日本語が話せる)。

彼らが一番すごいと言ってくれたのが「あねもね」(画面左側)の絵。とてもstrongだと。
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実はこの絵はずいぶん昔に一度、銀座の個展に出している。そこである画家に恫喝された事件について(今までなかなか書けなかったことを)書きます。

その銀座での個展の時、有名な日本画家(歳は私とほとんど変わらないが、日本画の世界で当時すでに偉かった人)がやってきて、初対面の私に向かって、

「こんなもの(このあねもねの絵を含む私が展示しているすべての絵)は日本画じゃない!絵具の使い方が滅茶苦茶だ!日本画の世界から出て行け!!」と血管が切れそうなほど顔を真っ赤にして恫喝してきた。

(へえ~~!?この方は世間的にはすごく温和で後進にも優しい誠実な人と思われているのに、陰では私だけ(憎い相手)をターゲットに、こういう脅しのようなことをするんだ・・)と驚きながら、私が「では先生にとって日本画の定義とはなんですか?」とたずねると、

「日本語です!日本語の歴史そのものです!」と。 

は?私の直接の恩師、毛利武彦先生が書いていらした「この触覚的な日本画顔料の特色は、象形文字である漢字と、その字画の砕かれた仮名の混じりあう日本語の文字の世界に似ている。」という文章を異常に曲解して発言されているようで噴飯ものだった。

毛利武彦先生こそが、絵具の使い方が滅茶苦茶な私の絵すべてを、誰よりも最高にほめてくれた人なのだからお笑いだ。

つまり毛利先生がおっしゃっている「日本画の絵具は」「日本語の文字の世界に似ている」「均質な顔料のもつ非情性に対し、日本画顔料のもつ豊かな触覚性は、情緒的に傾く危険を含みながらも、表現の象徴性を深め得る」という言葉の範疇に私の岩絵具の使い方は入っているということだ。

毛利武彦先生は枯れゆく植物たちの運動を描いた私の絵について「世界が煽動している!すごくいいよ。・・・絶対いつか美術館に入るからだいじょうぶだ。」とまで言ってくださった。そういうことが彼にとって、ことさらに絶対許せないほど嫉妬することなのだろう。

「私は特に日本画と銘打ってはなく、「絵」を描いているのですが」と言うと「こんなものたちは絵ですらない!!絵の世界から出ていけ!!」とまで言われた。

日本語とは日々、他語と交じりながら変化、生成しているもので、奇妙な若者言葉や流行語でさえも日本語の歴史の一部となる。いったい彼の言う「日本語そのもの」とは何なのか?

「日本語」という意味と「歴史」という意味を精確に、明晰に私が納得できるように自分の言葉で説明してほしいものだ。彼は非常に排他的な狭い考えでしか日本語というものをとらえていないようだが。

「日本語そのもの」と彼の絵はマッチしていて、私の絵は「日本語そのもの」に反していると彼が断言できる具体的な理由、さらにはなぜ「日本語そのもの」に反した絵を描いたら私が「絵の世界」から出て行かなければならないのか、

彼が他人(私)に対して「絵の世界から出ていけ!!」とまで言える権限があるのかを、倫理的、哲学的に納得できるように、明晰に語っていただきたいものだ。

私に対して「他人の言葉を使って!」と怒ってらしたが、他人の言葉(固定観念や権威にあまねる言葉)を使っているのは彼のほうだと私は思う。私は他人には書けない自分の言葉を探して『反絵、触れる、けだもののフラボン』を書いた。

私がどんなにへたくそで酷い絵を描いて発表しようが私の自由だし、彼とは何の関係もない。私は彼を、わざわざ罵倒しに来たら私が怯えて従うとでも思いこんでいる精神的におかしな人、と思うだけだ。彼の権力を行使して、私が絵を描けなくなるくらいのことをしてやるという脅しなのだろうけど。

実際は、ただ私が日本画の「外」の世界の才能ある人たちに好かれることが多く、それが気に入らないから、私を潰したいだけなのでしょう。

さらになおさら欺瞞的だと感じざるを得ないのは、この画家が(洋画の描き方を取り入れ)「日本画の越境」「日本画の革新」を自負する人であることだ。

その後すぐに来られた詩人の阿部弘一先生にお話したら「(それだけ憎まれるとは)やりましたね!ついに一家をなしましたね!」と喜んでくださった。

詩人の吉田文憲さんも呆れていた。「地位も権力も名声も金も余裕ある若いお偉いさんが、わざわざ脅しにくるとは、地位も権力も名声も金もないあなたが自分が得られないものを持っていることがよっぽど悔しいんだね。」と。

私の最高に敬愛していた前衛いけばな作家の中川幸夫先生も、このあねもねの絵をすごくほめた。「達者になったねえ~、いいね~」と眼を細めて喜んでくださった。

日本美術のみならず芸術文化全般に造詣が深い詩人の高橋睦郎さん(2017年に文化功労者、日本芸術院会員に選出)も、このあねもねの絵が一番いいと言ってくださり、その場で、絵の印象を「後桃山」と紙に書いてくださった。

今回の個展初日(2022年9月26日)に来てくださった東京画廊の山本豊津さんも、私の銀箔腐蝕の絵がすごく面白いと言ってくださった。山本豊津さんは以前に東京画廊で中野弘彦さんや高山辰雄さん、麻田鷹司先生などの展覧会をやられていて日本画にも造詣が深いかただ。

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アイルランド研究、英文学、そして写真集も出しておられる青山学院大学教授の佐藤亨さんと。
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文芸批評家の田中和生さんが来てくださった。吉田文憲さん、佐藤亨さん、室井光広さんと同人誌をやってらした方。Sdsc00260
宮谷一彦さんの話をしたらご存じなかったようで「すごい漫画家だからぜひ読んでください。」とお願いした。

以前、早稲田大学で私の映画の上映会や大きな講演をさせていただいて、たいへんお世話になった仏文の塚原史先生と谷昌親先生と。

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塚原史先生(写真右)はもう名誉教授になられているとは信じられないほど若者然としてらっしゃる。谷昌親先生は、以前やせていらしたのに胸筋や両腕の筋肉が盛り上がって肩幅も大きくなっていらしてびっくり。テニスをされているそうだ。

塚原先生のお宅がこのギャラリーのすぐ近くで、庭が廃庭のように雑然としてきたと伺って狂喜し、「ぜひぜひ今度、写真を撮らせてください」とお願いした。

今日もtwitterで見たというお客様が何人もいらしてくださった。twitter とかブログとか、不特定多数の顔の見えない人たちに見られていることを意識すると過緊張の私は何も書けなくなってしまうので、なるべく意識しないようにして書いているが、

実際に会場にお運びくださる方、話しかけてくださる方(皆さん素敵な方)にお会いすると、本当に感激する。なんとも言えない不思議な嬉しさ。眼には見えなかったけど、実際は繋がっていた?と信じられない感覚。

今日は最後に高校の同級生のAさんとM君が来てくれて、近くの蟹が得意な洋麺屋で食事。M君がごちそうしてくれて、久しぶりにたくさんお酒を飲んでしまった。高校の時はあまり話せなかった人とFBで再開して、歳をとったからこそ仲良くできたり、そういうご縁も不思議でありがたい。

 

 

 

 

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2022年7月15日 (金)

かもめブックス個展(7月12日に終了しました)の記録 / 下北沢

7月5日(火)

かもめブックスでの個展に、ナツメ社の担当のUさんが来られる。

『デッサンの基本』はナツメ社の出版物の中でも突出してロングセラーとのこと。

私も信じられないが、もう38刷目となる。ありがたい。

そのあと、詩人で、吉田文憲さんの教え子でもある紫衣さんが来られる。

紫衣さんは会場で私の写真をたくさん撮ってくれた。

これは私のカメラのほうで撮ってくれたうちの1枚。
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7月7日(木)

内密な相談で、下北沢でIさんと初めて会う。

Iさんは想像以上に正直ですれていない人。だからこちらも正直に考えていることを話した。

おかげで少し気持ちが楽になる。

下北沢は、どこに下北沢独特の良さを見出せばいいのかわからないほどに変わってしまったが、

それでも裏通りに昔の面影を探してさまよう。

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薄荷色の煤けた美しい壁のアパートに向かって降りていく緩やかな坂。
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まねき犬(店主)がいる下北堂の建物。
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すごくおなかが減ったので、たまたま見つけたヴィ―ガンバーガーの店「スペリオリティバーガー」に入る。
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帰宅してから調べると、「元はニューヨークにあるヴィーガンバーガー屋さんで、オーナーシェフのブルックス・ヘッドリーは、パンクロックドラマーとしてのキャリアを持ちながらミシュランスターのイタリア料理店、デル・ポストでパティシエを務めた人」と書いてあった。

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味はとてもおいしい。だけどバーガーひとつ1000円は高いかなと思う。わざと焦がしたブロッコリーも、私は焦げがないほうが好き。

TIME MACHINE ANTIQUESが閉店して残念。とても素敵な建物なのに。
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2022年4月 7日 (木)

「太白」と「十二月桜」の違い / 戦争のストレス

4月7日(木)

きのう、新宿御苑に行った。訳65種、1100本を超える桜があるが、今の私の一番のお目当ては「白妙(しろたえ)」と「太白(たいはく)」。

池のほとりにある「太白」(「白色の大輪一重」。「花弁はしわ状のうねりをもった円形で、サクラ類でもっとも大きいことが特徴」)は、名札が「十二月桜」と書かれたものに変更されていた。
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「新宿御苑にある「太白」の中に大正時代に福岡県から「十二月桜」として導入されたと記されているものがある。この記録が確かなものであるか、今後の検証が必要である。」と『新宿御苑の桜』というガイドブック(勝木俊雄 著)に書いてあるが、いきなりの変更だ。

なぜ4月(盛春)に咲くのに「十二月桜」なのか、園内のサービスセンターに質問しに行くと、「DNA鑑定により、「太白」とは違ったDNAだから」という答えだった。新しい説明のあるガイドブックを購入したいと言ったら、ガイドブックの修正はしないという(ええっ?!)。

なんとなく納得できなかったのでもう一度、今日、電話で新宿御苑の担当者に質問してみると「DNA鑑定をして、環境省から名称変更するようにお達しがあったから。新宿御苑はただ環境省に従っただけ。」と言われた。

なぜ「十二月桜」というのか、命名した学者の名前も「わからない」、「太白」と「駒繋(こまつなぎ)」と「十二月桜」の見た目での区別も、「見に行ったわけではないが、違いはわからない。」と。(環境省の新宿御苑担当の人は花の見た目の違いを見ていない?)

その人(私)もネットで検索したが、新宿御苑のほかに「十二月桜」という名前は出て来ないと。

「「十二月桜」は「旗弁」(外側の大きな目立つ花弁)がある、雌蕊が雄蕊よりも高い、かすかに薄紅色と文献に書いてある」とも言われたが、私が見た感じでは、「十二月桜」は真っ白で薄紅色は見えない。

太白にそっくりの桜に、もうひとつ「駒繋」がある。
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「十二月桜」について聞きたくて環境省自然環境局に電話してみた。交換の人に「新宿御苑の番号をお伝えしましょうか?」と言われ、「新宿御苑の担当の人にはもう聞きました。環境省に従ったと言われました」と言って、やっと担当者につないでもらうと、出た人にもやはり「新宿御苑に聞いていただけたら。こちらではわかりません。」と言われた。

「白妙」(純白色の八重。緑色の若葉と大きな舟型の萼篇をもつ」)は、見どころだった低い枝がばっさり切られてなくなっていてすごく残念だ。高い枝しかないので、花をアップで見ることができない。

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ほとんど「白妙」と見分けがつかない「雨宿(あまやどり)」。ほんの少し「白妙」よりも柄が長い(花が下向きに垂れた感じ)らしい。

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もう八重桜「一葉(いちよう)」が咲き始めていた。この一葉は新宿御苑には40本以上ある。
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ロシアのウクライナへの侵略が始まってから、私がずっと体調がすぐれないのは、日に日にロシア軍が行ったあまりにも酷い虐殺が明らかになってきたせいもあるが、

もっとストレスなのは、その残虐さを感じない人たち、ジェノサイドを認めない人たちがいるということだ。

この情報化時代に(情報化時代だから?)、自分の信じたいようにしかものごとを信じないで、それを疑わない人たちがいることがショックなのだ。

自分がすべてを見えているように語ってしまわないこと。彫刻家の若林奮先生もずっと、そのことをテーマにして「振動尺」をつくっていた。

 

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2022年3月22日 (火)

雪、暗鬱な戦争 / レモン、スミレ、スモモ

3月22日(水)雪

昼3時頃に外に出たら雨と雪が同時に降っていた。

冷たく重たい雨粒はぼたほたと垂直に落下し、地面近くに落ちてきてから舞い上がる雪は、軽くて微小な白い虫のように逃げてそれぞれの方向に飛んでいく。

侵攻と虐殺が始まってから、精神的にとても辛い状態になっている。まだ終わらないのか、まだ終わらないのか、と苦しんでいる。

ものすごく大切に、丁寧に、繊細に育ててきた稀有なものが、一気に壊されて、殺されてしまう。

小さくてかよわくて、からだじゅうがボロボロで、やっと息をしていて、もし私のせいで死んでしまったらどうしよう、痛くて辛かったらどうしよう、と、はらはら、切羽つまりながら、必死で看護し、授乳し、いつくしんで育ててきた私の愛する猫たちが、一瞬の爆撃で頭や足がばらばらにされ、血しぶきと肉片になる、なまなましい光景が浮かんできて、恐ろしくて、悲しくて、震えがくるほど怖い。

この恐怖と痛みは、原始的なもの、私の生まれ持った身体感覚であって、国や政治やイデオロギーやどのような社会的立場とも関係ない。

戦争についてどれだけ多くの情報や論説を読もうとも、私がそれらをすべて「理解できる」能力はないし、「判断できる」立場にもない。

戦争に至るいきさつがどのようなものであっても、それについて勉強して、たとえ私が博識になったとしても、どの国の、どの侵略に対してであれ、その「大義」や「理由」に共鳴することはない。今行われている虐殺そのものに耐えられるはずがない。

戦争においてあらゆるフェイクニュースが出てくるのは当たり前だと思うし、どのニュースも鵜呑みにすることはない。

たくさんの人や動物たちが毎日傷つけられ、殺されていることだけが、なまなましい事実。

私は決して柔和でおっとりした性格ではなく、自分を持て余すくらい激しい性格だ。だから個人的には誰かに反感を抱くことも多い(顔の表情からは気づかれないことが多いけど)し、おそらく個人的な問題に関しては平和主義者とは言えない。

しかし私はなんらかのイデオロギーに加担することはないし、国家はもちろんあらゆる集団の暴力や欺瞞に加担することだけは嫌。

ひとつの国の中にはいろいろな立場や考えの人がいる。国家権力に自発的に服従する人がいる一方で、服従するようつねに促されている人、または服従を強制されている人、服従せざるを得ない人もいる。戦争についても同じだ。この戦争に加担したくない人も大勢いるはずだ。

それらの人たちを国の名でひとまとめにして、虐殺すること、あるいは虐殺する側にさせることが恐ろしくてたまらない。

3月20日(日)

東京はソメイヨシノの開花宣言。善福寺緑地に見に行ったら、5~10パーセントくらい開花していた。

林の中には、いつのまにかバイモ(アミガサユリ)が繁茂していた。

モクレン、コブシ、日向の桃、ボケ、スモモは満開。タンポポ、スミレ、ショカツサイも咲きだした。

輝くレモンの樹。
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蔓に絡みつかれている私の好きな樹。まだ新芽が見えない。
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李(スモモ)の花が満開。
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阿佐ヶ谷の古い大きな屋敷森のすぐ近くの、私がとても惹かれていた洋館のような木の家がつぶされて平地になっていた。とてもショック。

コンクリートの壁と道路の隙間のコスミレが満開。
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2020年6月26日 (金)

猫たちのこと / ストレス

https://chisako-fukuyama.jimdofree.com/8-cats/

6月26日(金)

プフ(♀)、性格は大人しくて神秘的だが、ネズミのおもちゃや飛ばせたヘアゴムを捕まえるのが、ものすごく(真剣に)好き。

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24日(水)にプフが食べなくなったことで病院に連れて行き、太田快作先生の診断は毛が胃腸に詰まっているということだったけれど、プフのうんこに毛は混じっていない。

輸液と吐き気止めを打ったあと、夜8時にほんの少しだけ食べたけれど、その後もずっと、カリカリとちゅーるをあげてもほとんど食べてくれず、たいへんな病気だったらどうしようと私の身も細る心配が続いた。

まだ2歳にもならないのに、こんなに心労があるとは思わなかった(前のちゃびは17歳までなんの心配もなかった)。

ピンクのパイルヘアゴムを持つプフ。
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朝5:30 金のだしカップとカリカリ、普段の半分食べる。

11:00 総合栄養ちゅーるとカリカリ 少々。

11:20 うんこ 細い。普段の半量。

パイルヘアゴムを私が飛ばし、跳んでキャッチする遊びを30分以上。とても楽しそう。

15:30 トイレのタンクの上に寝ている。流してやると4日ぶりにトイレのタンクの上で水を飲む。ああ、やっといつもどおりに戻ったかな、と思い、ほっとする。まだまだ食べる量が少ないので注意。

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チョッピーの異嗜(異食)の問題。やたらとビニール袋やゴムを食べ、PCのUSBコードなどもガリガリに齧ってしまう。

太田快作先生から「開腹手術になれば20万円以上かかり、それで命が助かればいいけど助からない場合も多い」と言われ、家中のビニール袋を隠すことを始めた。

今までチョッピーの吐瀉物やうんこにビニールの切れ端やゴムが混じっていたことはよくあった。しかし、たまに吐くが食欲不振にはならないことで安心してしまっていた。今まで体外に排出していることが奇跡なのかもしれない。もっと必死にやらなければ。

きょう、チョッピーは全粒粉パスタ(乾麺)をガリガリと齧っていた。運動不足などのストレスがあるのかも。疲れるくらいまで遊ばせないといけない。

チョッピー(チョビ♂)、性格はきわめて温厚かつ好奇心旺盛でお茶目。

ちゅび(大きなお兄ちゃん)にちょっかいを出してドタバタけんかして遊ぶ時も、ちゅびは必ずシャーッと威嚇して逃げていくのに、チョッピーがシャーッと言うのを見たことがない。チョッピーは生まれてこのかた誰にも威嚇したり怒ったりしたことがない。

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昼、Iさんから電話。「からだだいじょうぶ?俺がコロナになったら絶対死ぬって言われてるから。」「私もそうですよ。肺に癌があるから絶対死ぬと思います。極力人と距離をとって、人のいないところにしか行かないようにしてます。」

どうしてそのあとに「食事しない?」となるのかが理解できない。

私は7月の頭まで特に忙しい、と言っているのに。なぜ30分以上も(私にとってはまったくの)無駄話をして、用件をこの電話で言わないのかが理解できない。会わなければ言えないような用件はないはずだが。

私にとって最もストレスになるのはつまらないことにつきあわされること。

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近所で偶然見つけた捩花(モジズリ、ネジバナ)の撮影。

6月25日(木)曇り23℃

すごく肩が凝って(筋肉が勝手にぎゅっと凝縮してくる)具合が悪かった。テルネリン(筋肉弛緩剤)を飲んだら、(前に5回ほど飲んだ時は快適だったのに)きょうはなぜか気持ち悪くなって横になっていた。

血圧は122-82くらい。正常。

気圧が低下すると頭痛になるという人がいるが、私の場合は当てはまらないと思っていた(私は雨、嵐、曇り空が好きなので)。が、偏頭痛は気圧に影響を受けるという。やはり病名としては偏頭痛となるのか?

夕方5時過ぎにビール(発泡酒)を飲んだらリラックスして楽になった。

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プフのことがすごく心配。

夕方5時半と6時過ぎにカリカリを少し食べたが量が少ない。

もう一度ハナ動物病院に連れて行くべきなのか、レントゲン撮られて手術になったら・・と心配で、胃と眼の奥が痛くなる。

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2020年6月17日 (水)

鵜飼哲さんとスカイプ / 血液検査と星状神経ブロック

https://chisako-fukuyama.jimdofree.com/pencil-drawing-watercolor-painting-1-tulip-anemone/

6月16日(火)

鵜飼哲さんと夜10時にスカイプのお約束をいただいていた。

次の本についての相談。

画集をこの秋に出すべきか来春まで伸ばすか迷いもあったのだが、コロナを含め、あらゆる状況がどうなるのか一切読めないので、出せる時に出しておくほうがいいとのこと。

イベントのことなども心配してもしかたないので、とにかくやれることをやれる時にやること。

鵜飼さんが退職とともに遠くに引っ越しされることを聞いてショックを受けた。頻繁にお会いするわけではないが、近くにおられるだけで何か安心していた。

時がどんどん過ぎていく。

6月17日(水)

新高円寺のかかりつけのクリニック(脳神経科はないが頭痛には対応している)に星状神経ブロックと今回の頭痛の相談に行く。

Sクリニックの待合室はコロナ対応でずいぶん変わっていた。待合室のベンチがひとり分のスペースごとにプラスチックの板で仕切られ、背中部分もプラスチックの板で遮断されていた。待っている人数も4人くらいで通常の2割くらいしかいなかった。

今回の頭痛発作の経過とかかったクリニック、薬のメモを渡す。先生も看護師さんも住友3MのN95マスク。

O院長先生はまず私の血圧を疑った。その場で計測すると上が180超あった。家から5、6分の距離を歩いて来ただけで、どきどきして明らかにおかしい。

なぜこんなにも血圧が急上昇するのか自分でもわからない。私は4歳くらいから肉食をしていないし、魚と野菜と果物、オリーブオイルやDHA,EPAも採っている。塩分控えめ。ジャンクフードも甘いものも食べない。162cm、47kg。内臓脂肪は平均より少ない。ストレッチもしている。

「自律神経かなあ。あなたの神経の細かさは異常よ。」と(毎回のことだが)言われる。「はい・・」としか言いようがない。

「カテコールアミンが高くなってるかもしれないから血液検査をしていい?もしかしたらお腹の腫瘍(褐色細胞腫)かもしれない」と、考えていなかった病気を出されて少し不安になる。

その前に動脈の硬さをみる検査。仰向けに寝た状態で両手両足の血圧を測定するとやや高めだが正常範囲だった。

星状神経ブロックのあとに検査のための血液採取。結果は一週間後になるそう。

「自粛期間中、特にがんばって運動をしていたんですよ。かえって悪かったのかな?」と言ったら「やんなくていいんじゃない?もともと運動なんてやってないでしょ。」と。しかし元気に運動できていた時は、確かにこんなにどきどき頭がほてっていなかったはずだ。

帰宅してから褐色細胞腫について検索して恐ろしくなった。

高血圧になる病気を調べて、もしかしたら常用しているチラジンの量が過剰で甲状腺機能亢進症なのかもしれない、とふと思った。チラジンの量を少し減らして、それで血圧が安定して普通に戻ればいいのだが・・。

 

 

 

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