悩み 苦しんでいること

2026年5月23日 (土)

また左のドレーンの先端を動かす 右のドレーン細いものに入れ替え、窓際へ引っ越し 5.1~5.4

5月1日(金)

2時 37.4℃ ジクロフェナク

8時 アセトアミノフェン

14:20 ジクロフェナク

15:20 透視室 ドレーンに造影剤を注入してレントゲンを見ながらドレーンをガイドワイヤーで動かす。

左のドレーン、深く入れる、成功。

右のドレーン抜いて細いのに入れ替え。

20時 セレコキシブ アセトアミノフェンより長く効く。4月30日にγーGTPが400まで上がったため基本の痛み止め変更。

5月2日(土)

2時 アセトアミノフェン

7時 セレコキシブ

8:20 点滴ルート入れ替え

「もう長いので窓辺に引っ越しますか?}と看護師さんに言われてキャビネットとベッドごと移動。

私が入院した時(3月28日)は、桜並木が満開で、窓際の人は声が大きくてすごくうるさい人で、毎日14時になると何人もの面会の人が来て、

「わあ!〇〇ちゃん来てくれたんだ~。ここね、桜満開のお花見、毎日最高よ~!」

「ほんと、一等席じゃない!これね、京都の◇◇のお菓子。」 

「キャー!嬉しい」

「あれ化粧してるの?入院中いいの?」

「だってあたしはいろんな人と会うから」

とお友達との世間話何時間も大声でする人で。たまに私が誰かと低い声で話そうとすると彼女のキンキン声で声がかき消されてしまう。

熱があっておなかが痛い時はストレスで頭がずきずきした。とにかく静かに寝ていたくて。

デイルームに行ってしゃべってくれればいいのに、と毎日思っていた。

桜も散って青葉になって、その人が退院して行っても、その窓際には2回ほど新しい人が入っては出て、

私は暗い廊下側にいっぱなしだったのだけど、もう外は夏のように青葉ギラギラで何の花も見えない頃になって窓際に移ることになった。

14時 アセトアミノフェン

19時 セレコキシブ

5月3日(日)

8時 セレコキシブ

K先生、左のドレーン洗浄 シリンジで水を入れて引く

19:30 37.4℃ 血圧168-106

セレコキシブ

5月4日(月)

採血

CRP 7.00 白血球 7.1 アルブミン2.2 Γ‐GTP414

最初に入院した時に40くらいだったγ‐GTPが190まで上がった時に恐怖を感じていたのに、ついに400越え。

だいぶ前からだが、浮腫がひいたあとの自分の脚の細さが気持ち悪いので、少しずつ筋トレをしてい

生まれてこの方、こんなにも骨と皮になった自分の脚を見たことがない

とりあえず脚の裏側と内転筋をまっすぐ伸ばすストレッチと、スクワットと、つま先立ちで3回の廊下を一周歩いたり。

 

 

 

 

 

 

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2026年5月20日 (水)

またCRPが上がる またドレーンの先端の位置をかえる 4.28~5.1

4月28日(火)

8時、16時、0時 スルバシリン点滴

13時、1時 バンコマイシン点滴変わらず

深夜0時、痛みと熱でジクロフェナク。

昼、ドレーン洗浄。

17時熱っぽくて測ったら37℃。

4月29日(水)

午前2時 熱と痛みで目が覚める 手がすごく熱い 背中汗びっしょり

37.6℃ ジクロフェナク

6時まだ熱っぽい

4月30日(木)

深夜2時 熱と痛み

5時、6時下痢

採血

CRP10に上がった 白血球も少し上がった

明日外科のK先生がドレーンを動かすとのこと

O先生に左側の膿の袋(被膜)がどういうものか質問したがよくわからない答え。

膿腫のような袋とは違うとのこと。袋というより壁?

17:30 アセトアミノフェン

18:20 37.1℃

23:40 37.4℃ ジクロフェナク

5月1日(金)

8時 アセトアミノフェン

11時 お風呂場の鏡で見るとまだおなか(ドレーン)周りがかなり浮腫している

14:10 ジクロフェナク

15:20 ドレーンに造影剤を注入してレントゲンを撮りながら位置をなおす

左下腹部のドレーン、今よりも深く入れる 成功

右下腹部のドレーン、抜いて細いものに入れ替え

20時 セレコキシブ

γ‐GTPが上がっているので、今度からアセトアミノフェンをやめて長く効くセレコキシブにするとのこと

 

 

 

 

 

 

 

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2026年5月18日 (月)

アケミさん来る CRPやっと8.95まで下がる 4.26~4.27

4月26日(日)

2月にまた自転車を盗まれて(昨年の9月に盗まれて高井戸集積所に取りに行ったもの)、

返却期限が3月末だったが、入院してしまったので4月末まで延長してもらっていた。

今日は4月最後の日曜なので、申し訳ないがアケミさんに自転車を取りに行ってもらうお願いをしていた。

15時、久しぶりに会う。

自転車の返却のためのはがきとお金を渡す。

きょうは左のドレーンの穴を開けた筋肉の傷の痛みが少しましになっていたのでよかった。

あの痛みが続いていたら、人とまともに話せなかった。

今の状態では、私はたとえ退院していても脚の筋肉が萎えすぎて自転車に乗れないと思う。

アケミさんに感謝、感謝。

4月27日(月)

採血。痛い、長い、血が採れない。結局やりなおし。

2cm隣りの血管に刺したらあっさり採れた。

点滴のルートの位置が悪く、20回くらい下流閉塞になる。

8:30 O先生がCRP下がったプリントをくれる。

CRP 8.95 、 白血球 8.4、 Γ‐GTP 277(高い 9-32)、アルブチン 2.2 (なかなか上昇しない 4.1-5.1)

 

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2026年5月17日 (日)

局所麻酔で左下腹部に穴を開けてドレーンを通す(筋肉貫通でかなり痛い) 4.24

4月24日(金)

深夜0時 ジクロフェナク

6時 アセトアミノフェン 

今日はドレーンの穴を開けるかもしれないので朝と昼は禁食

疲労感で14時まで眠る

15時 ジクロフェナク

16:10 消化器外科のK先生に地下の透視室に呼ばれる。緊張

右下腹部から子宮の裏側まで到達しているドレーンに造影剤を入れてレントゲン撮影。

「右下腹部から子宮の裏側までの膿腫と、左下腹部の膿腫の空間が繋がっていない」と言われる。

「左下腹部に穴を開けて通すしかない」

すごく怖い。局所麻酔注射。もう効いてると言われた時、確かに皮膚表面はなんにも感じない。

(直視できなかったが)ピックのようなもの?で深く刺された時はおなかの奥が相当痛かった。

「痛い!痛い!」とそうとう大きな声が出てしまった。

K先生に「うまくいってる」と励まされながらドレーンチューブを入れられる。

「うまくいってますか?」「うまくいってる。うまくいってる」

その時も痛すぎて患部を見ることができなかった。

右の位置替えをした時にだいぶ新種液を排出。血にまみれたガーゼを見る。

車椅子で部屋まで運んでいただいた後、左下腹部の筋肉が痛すぎてベッドに上がれないほど。

下腹部の筋肉を貫通した痛みがきつい。

最悪の痛みを10として8か9の痛み。

強い痛み止めソセゴンを点滴してもらう。

夕食 やつれたくない一心で完食

22時 ジクロフェナク

あまりに痛くて疲労困憊したのでベッドの角度や布団を整える余裕もなく、変な姿勢でそのまま眠っていた

深夜に左のドレーンの浸出液を回収したと言われる

4月25日(土)

深夜2時 すごい尿意で起きる

3:30まで眠れない

朝まで熱は出なかった

6:40 36.1℃  158‐106 血圧高い。痛みのせいで上がると言われる

採血

左の腹筋、鼠径部に少しでも力が入るとズキンと左下腹部の筋肉に痛みが走る

8時 アセトアミノフェナク

O先生に「すごく痛いです」と訴えると「筋肉に貫通したからね。いろんな筋肉が通ってるから」と。

そういう説明は事前になくて、「皮膚のすぐ下に膿疱があるから割と簡単」と説明されていたと思う。

すごく痛くて動けないと言っているのに「ドレーン液出すためになるべく歩いて」と言われて絶対無理と思う。

採血結果、CRPは21.10でさらに上がっていたが、白血球は8.7

ネットで調べると白血球は現在の状態が出、CRPは2,3日前の炎症が出ると書いてあったので、

きのう左にドレーンを通した結果はまだ出ず、次の検査でCRPが下がるはずと思った。

17:40 ジクロフェナク

19時 アセトアミノフェン

8時 16時 12時 スルバシリン点滴(8時間おき)

13時 1時 バンコマイシン点滴(12時間おき)

痛みで疲労してぐったりしていたので0時のスルバシリン点滴、

1時のバンコマイシン点滴、点滴終了時にルートにヘパリン水を流す時も目がさめずに眠っていた。

 

 

 

 

 

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2026年5月16日 (土)

CRP20.37まで上がる、子宮の膿を吸い出す、それでだめなら子宮、卵巣摘出と言われる 4.23

4月23日(木)

深夜1時 熱と痛みで汗びっしょり。

ジクロフェナク

6時 アセトアミノフェン

11:30 アセトアミノフェン

O先生が、この病院の本院にいる感染症専門医に電話で相談したという。

「子宮、卵巣に膿があるなら吸い出すしかない。

それでだめなら子宮、卵巣を摘出するしかない」と言われた、と聞いて大ショック。

今更2度目の開腹手術をするなんて、気が狂いそう。

しかもO先生は「内臓の癒着が酷いから非常に難しくて危険だから僕もそれはやりたくない」という。

執刀医に自信がないとはっきり言われて、信頼してまかせられるわけがない。

とにかくまた15時くらいから子宮に管を通して膿を吸い取ると言われて嫌すぎて涙。

また輸液のルートの取り直し。右腕、すごく痛い!と叫んで結局失敗。

「これ以上血管を潰してもなんだから先生を呼ぼうか」と言われ、O先生が左腕上腕に入れた。

ついでに採血。

12時 初めてのスルバシリン点滴

13:30 バンコマイシン点滴

13:50 ジクロフェナク

15:15 婦人科に呼ばれる

エコーのあと子宮に細い管を通して膿を出す。

今回はものすごく長くて30分以上。苦痛すぎて「痛い!痛い!まだですか?と言いっぱなし。

吸い取った5ccくらいの膿を試験官に入れたものを見せてくれた。

膿と言うより、渡連から排出される血の混じった浸出液と同じもの。さらっとしている。

培養に出すという。

少しの間管を入れっぱなしにすると言われる。

16時過ぎ、部屋にいきなりS先生(婦人科のトップ教授で初めて会う)が慌ただしく入ってきて、

「今からすぐに造影剤CTをやる!CRPが上がっていた」と言われたのでびっくりした。

CRPが20.37 まで上がっていた。

造影剤CT。

疲れ果てて部屋に戻る。

17時 ソセゴン点滴(強い痛み止め)

そのあとO先生が子宮の管を抜きに来た。

O先生のPCでCTの画像を見ながら説明を受ける。手術後に左下腹部にあらたに膿疱が貯留している。

明日、外科のK先生に、造影剤透視で、右のドレーン(子宮の裏側に先端が届いている)を左下腹部の膿疱まで伸ばせるかみてもらう。

それがうまくいかなかった場合、局所麻酔で左下腹部に穴を開け、直接ドレーンを入れる、と。

ものすごく怖いが、もう一度開腹手術をするよりはましだ。

 

 

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2026年5月15日 (金)

造影剤透視検査で右のドレーンを細い短いものに入れ替え、 庭園 4.21~4.22

4月21日(火)

5時 ジクロフェナク

両手の甲の骨が見えるようになった。太腿はまだ浮腫がひどいが、膝の骨が見えて膝を閉じられるようになった。

9:20 アセトアミノフェン

13時 アセトアミノフェン

15時 消化器外科のK先生、造影剤をドレーンに注入して透視検査。

右下腹部のドレーンは子宮の裏側まで伸びている。

そのドレーンを細い管に入れ替えて短く切り、ぶら下げていたバッグをはずし、ガーゼだけで浸出液を吸うようにした。

18時 アセトアミノフェン

タゾピぺ3回

4月22日(水)

深夜1時に痛みと熱 

5時 ジクロフェナク

7時 採血

8時 アセトアミノフェン

13時 アセトアミノフェン

16時 5階の屋上にある庭園に行かせてもらった。

ヨーロッパの渋い植物がほとんど。黄色い木香薔薇が散っていた。

植木のあいだに春紫苑が咲いていたので泣きたくなった。

いつもの春なら町中の菫と林檎の花が咲く場所を一つ一つ回り、春紫苑の群生が咲く場所にも必ず行っているのに。

それから八重桜のいろんな種類を訪ねたり、すごい数の薔薇が咲く庭を訪ねたり。

16:40 O先生、CRPが16.69で下がっていないと言われる。白血球は正常値。

Γ‐GTPが190。

薬剤部の先生に相談したら、土曜まで抗生剤をやめてみたらどうか、と言われたと。

土曜にCRPが下がっていなかったらタゾピぺをやめてバンコマイシンとスルバシリンに変更。

17:30 アセトアミノフェン

19:30 ジクロフェナク

タゾピぺ3回

 

 

 

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2026年5月14日 (木)

CRP 20.25まで上がる 毎日痛みと熱 4.18~4.20

4月18日(土)

4時痛みで覚醒 アセトアミノフェン

6時まで眠れず

7時輸液のルート入れ替え 右ひじの内側の折れ曲がるところだったので無理があった

左腕失敗 すごく痛い 右腕失敗 右腕2回目でやっとルートとれる

採血

8時 ジクロフェナク

ここ何日かずっと1日3回アミノフェン(6時間あける)

そのあいまに我慢できなくてジクロフェナクのくりかえし

痛い時は必ず熱が出る

食事は3分粥から5分粥に変わったので、電解質輸液をなしにしてもらう

24時間の電解質輸液は本当に負担だった

アルブチンを上げたくて必死なので、熱があっても食事は無理してでも完食している

CRPが20.25まで上がっていたのがショック。

最近痛みと熱で苦しんでいるからやはり上がっていた・・

白血球は6.2で正常値まで下がった。

タゾピぺ3回

4月19日(日)

深夜1:50 ジクロフェナク 熱にうなされて怖い夢

6:30 アセトアミノフェン

11:30 ジクロフェナク

15時 アセトアミノフェン

20:30 アセトアミノフェン

タゾピぺ3回

4月20日(月)

深夜1時 ジクロフェナク

すごい尿意がくる 朝8時まで5回トイレ

水分が排出されてきたのか太腿がだいぶ萎んできた

8時 アセトアミノフェン

採血

13:30 ジクロフェナク

16:30 アセトアミノフェン

タゾピぺ3回

CRP 16.94 白血球 5.9

明日、またドレーンに造影剤を注入する透視検査をやり、ドレーンの先端の位置をかえるとのこと

23:30 アセトアミノフェン

 

 

 

 

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2026年5月13日 (水)

子宮留膿を吸い出す、 強い痛みと熱、 浮腫ピークを過ぎる 4.15~4.17

4月15日(水)

朝4時 すごい熱と痛み。汗びっしょり。 ジクロフェナク

看護師さんが不慣れで熱を測ってくれなかった。なんでも自分から言わないとダメ。

8時 アセトアミノフェン

13時 アセトアミノフェン 37.4℃

16時 ジクロフェナク

19:20 アセトアミノフェン

タゾピぺ3回

4月16日(木)

深夜0時過ぎ、点滴をしようとシリンジで水を流そうとしたら液が入らないと言われ、暗い中、懐中電灯で照らしながらルートを入れられる。

左腕はまだ浮腫があるので無理と言っているのに、ぐいぐい針を刺されて失敗。痛い。

右腕の肘の内側、ちょうど曲がるところにルートを入れられる。

痛いし眠れない。2時 ジクロフェナク

6:30 浮腫少し引いている 採血、久しぶりに左腕からとられる

7時 アセトアミノフェン

朝食 冷たい温泉卵1個、3分粥少々、具のない味噌汁、ヨーグルト

アルブミンがたったの2しかないのに、これでは栄養が足りないと焦る。

右腕を曲げられないので左手で食べるがうまくいかない。

採血結果 白血球8.4(やっと正常値)CRP16.93 また上がってしまった

午後に婦人科で子宮の膿を吸い取ると言われて嫌で嫌で少し泣いてしまう

13時 アセトアミノフェン

13:20 婦人科 機械を入れてエコー 子宮内に細い管を入れて留濃を吸い出す

力を抜かないと痛いと言われるがなかなかできない。痛い!痛い!と言いながら耐える。

14時 ジクロフェナク

すごく疲れて眠ってしまう

今日から心電図と酸素を外していいと言われる 

24時間つけていないといけないのはすごく煩わしかったので、少し楽になった

19:30 アセトアミノフェン

22時 ジクロフェナク

タゾピぺ3回

4月17日(金)

消灯の時にジクロフェナクを飲んだのに0時の点滴の時、痛みと熱で覚醒。

痛みと同時に下痢。朝まで3回。

ここに入院してからずっと水のような下痢。おなかの炎症が痛むと同時に下痢になる。

7:20 37.5℃ 血圧168‐106 熱っぽくて苦しい。

アセトアミノフェン

11:20 37.8℃ ジクロフェナク

12時 悪寒に襲われて歯がガチガチなる

なんとか昼食を無理やり食べるが熱っぽくて苦しい。汗びっしょり

16時 36.9℃ アセトアミノフェン

20:30 ジクロフェナク

少しもよくなっていないんじゃないか、という疑問に対して、タゾピぺは効いている。耐性はついていない。

培養したものから菌が生えてこないので効いていると言われる。

 

 

 

 

 

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2026年5月12日 (火)

造影剤透視検査でドレーンの先端の位置を動かす 4.11~4.14

ブログを書くエネルギーがない時、Xに少しずつポストしていました。

私のデッサン教室の若い生徒さんから教わったのですが、Xのアカウントを持っていなくてもXを見る方法

Yahoo!リアルタイム検索のページ(https://search.yahoo.co.jp/realtime/)で、「id:アカウント名」を入力して検索すれば見られるそうです。

id:chisakofukuyamaと入力して検索します。

検索結果は、
https://search.yahoo.co.jp/realtime/search?p=id%3Achisakofukuyama&aq=-1&ei=UTF-8&ifr=tl_sc
のように表示されます。

 

4月11日(土)

電解質点滴ビーフリード500mlを8時間かけて2回、そのあいだにソルデム3Aを8時間かけて1回、

つまり術後は24時間ずっと電解質の点滴をやりっぱなし。

その合間に分岐したルートから抗生剤のタゾピぺを3回、

痛み止めの点滴アセリオを8時、12:20、16時、22時に受ける。

それでも痛みが辛い時はジクロフェナクの錠剤をもらう。

浮腫が酷すぎて皮膚が痛いし身体が重くてたまらない。

太腿の太さは3倍以上になっていて、パジャマの裾が膝で引っかかってそれ以上めくりあげることができない。

腹回りがパンパンなので下着のゴムもきつくて痛いので売店でLサイズのショーツを買う。

立つのも座るのも皮膚が張り裂けそう。それでもトイレにだけはヨロヨロしながら行かないとならない。

動画を見ながらとりあえず鼠径部のリンパを流して、次に太腿を脚の付け根に向かって流すマッサージをしゃにむに続ける。

細くて平たかった左腕が、気づけば丸くぱんぱんに浮腫している。

左手の甲の厚みが4㎝くらいに膨れ上がり、指も浮腫して手を握ることができない。

造影剤CT。左腕に造影剤の針を刺したが、浮腫が酷すぎて血管に届かなかった。

おなかの炎症は痛いし、下半身は浮腫で重くかちんかちんに張りつめているし、とにかくしんどい。

体重を計ってみたら56㎏になっていた。

この病院に救急で入った時は41㎏。

それから禁食ばかりで肉が増えたとは思えないので、水分だけで15㎏も浮腫んでいる。

この日の採血でCRP7まで下がった(これで順調に快方に向かうと期待したら大間違いで、そのあとまた地獄が待っているのだが)

アルブチンが低いせいで浮腫が起きているならとにかく食事させてください、と懇願する。

4月12日(日)

朝4:30、おなかの痛みで目が覚め、アセリオの点滴。

6:30、また痛みで目が覚めてしまい、ジクロフェナクをもらう。

痛み止めをもらっても2、3時間しか持たない。

明け方、おしっこが急に出るようになった。

9日からトイレで計量器で尿量を計ることになっていて、

9日80ml、10日64ml、11日180ml程度だったが、12日は計1750ml出て通常に戻った。

4月13日(月)

かちんかちんに浮腫した足先が冷えているので、足湯に入らせてもらうことにした。

術後初めてのシャワー(下半身のみ)。

上半身は腹帯の上にパジャマ、胸には3か所の心電図をつけたまま。

ドレーン袋をぶら下げた点滴棒ごとシャワー室に入る。

足湯で膝から下を温めながらさする。

シャワーから上がって鏡に映る自分の姿を見て真っ暗な気持ちになる。

腰から下が急にどーんと肥大した異常な姿。本当にどうしたらいいのか。

4月14日(火)

この日も深夜1時過ぎに痛みで目が覚めてアセリオ点滴。

1日に3回はアセリオ(6時間はあける)。その中間にジクロフェナク。

7時採血。

左腕は浮腫で血管に届かないと言っているのにどんどん深く針を刺されて、結局血が採れず。痛い思いをしただけ。

右腕のほうが動かしているせいか微かに浮腫がましで、採血することができた。

10:30くらいに看護師さんに結果を聞いたらCRPが10に上がっていたと聞いて涙。

13:40消化器外科のK先生による造影剤透視検査。

ドレーンに造影剤を通してレントゲン撮影しながら、右下腹のドレーンの先端の位置を動かす。

膿がたまっているところにうまくドレーンの先端を合わせて排出させるため。

K先生は「痛くないから」と何度も言われたが

ドレーンに通す針金を見た時、ぞっとしてしまい、酷く緊張してしまった。

ドレーンの先端が動いた時、血の混じった浸出液がどっと溢れて少しパジャマに散った。

この膿(血が混じったさらさらした液)が出れば出るほどCRPは下がるはずと。

強く訴えたせいで夕食から3分粥で食事が始まった。

鮭のムース(冷食)、3分粥、具のない味噌汁、白いドロドロした甘酸っぱいもの。

量は少ない。飢えているのですごくおいしい。

 

 

 

 

 

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2026年5月10日 (日)

開腹手術、恐怖の流血事件 4.7

今日は5月10日。カーテンの隙間から見える青葉が光って揺れている。

もう手術から1か月以上たっているが、まだ入院している。

痛みはだいぶ弱くなってきたがゼロではない。

左下腹部に先端にプラボトルがぶら下がったドレーンを入れている。

右下腹部に入っていたドレーンは昨日やっと抜けた。

一日に抗生剤スルバシリン2回、バンコマイシン2回。3回~4回の痛み止め(セレコキシブとアセトアミノフェン)

今までずっとブログを書けなかった理由は、心身ともに(痛みと熱と不安でいっぱいで)書くエネルギーがなかったということもあるが、

自分の身に起きたことが恐ろしすぎて受け止めきれなかったということもある。

今はようやく少し落ち着きつつあるので、少しずつ手術と闘病の記録を書いていこうと思う。

4月7日(火)

手術当日。

6:30アセリオ(アセトアミノフェン痛み止め)点滴。

1階の売店に腹帯(手術後の傷のまわりを固定する)を買いに行く。Sサイズだった。

10時、熱と痛みが上がってくる。手術まで痛みに耐えられるのか不安。

手術後の傷の痛みに恐怖する。

14時、手術室へ。

18時過ぎ?「終わりましたよ」と声をかけられ、手術していたことを思い出す。

個室ではなくHCU(ハイケアユニット)にいた。

腹筋に力を入れた瞬間、ビリッと今までの最悪の痛みが10なら80くらいの痛みが走る。

これが腹筋を切った痛みかと思う。

フェンタニル(医療用麻薬)のボタンを右手に持たされて、「痛みに耐えられない時に押して」と言われる。

それから信じられない恐怖体験。

手術で溶ける糸で縫合したはずの傷口の一部から出血していると言われる。

気が付くと点滴棒に真っ赤な袋が吊るされていて輸血されていた。

自分が輸血されるなんて信じられない。がんセンターで2回大きな手術をしたが輸血はなかった。

手術中ならわかる。なぜ手術の縫合が終わってから輸血するほど出血しなければならないの?という激しい疑問と恐怖で混乱する。

何度も何度も看護師さんが私のおなかから血の滴り落ちる分厚いガーゼをピンセットではずしてビニル袋に入れるのを見た。

すごい血の量。悪夢としか思えない。

執刀医(O先生)は来なかった。

婦人科のほかの先生(A先生)が来て、私の腹帯も手術着も血だらけになっているのを見て

「流血事件だ」と言った。

圧迫止血するために、出血してガーゼを当てている傷口の上に1kgの砂嚢を載せられた。

それでも血が止まらずに砂嚢をもうひとつ(計2kg)載せられた。

痛みと悪寒で朦朧とする頭でこんな恐ろしいことってあるのだろうか、なんで術後に出血しなければならないのか、と生きた心地がしない。

フェンタニルのボタンは朝まで10回近く押しただろうか・・?

輸血は3~4パックしたと思う。

結局、8日朝までずっと出血が止まらず、朝10時くらいにA先生が来て指で圧迫止血したが止まらなかったので

その場で局所麻酔をかけて出血している部分(おそらく2㎝くらい)を縫われた。

看護師さんに「顔が真っ白」と言われる。こんなに大量出血したら当たり前だと思う。

それから昼に輸血の点滴をしたまま4人部屋に戻って来た。

何種類かの痛み止めの点滴をしたと思う。

アルブミンの点滴もしたらしい。

とにかく手術中でなく手術後にこんなにも長い時間、大量出血しなければならなかったことを自分の中で受け止めきれなかった。

どのくらい出血したのか医師から全く説明がなかったので、あとから看護師さんに数字を聞いたら

「550cc。血が普通の人の半分になった」と言われて愕然とした。

輸血は4パックしたそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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