吉祥寺リテイルでの個展、昨日、無事に終了いたしました。
絵を熱心に見てくださった方、私に声をかけてくださり、お話ししてくださった方、絵や本やポストカードを買ってくださった方、お運びくださった皆様に心より御礼申し上げます。とても嬉しく楽しく、エキサイティングな7日間でした。
10月1日(土)
吉祥寺リテイルでの個展6日目。
きょういらしたのは、Twitterで知り合った「ぼけっとふるねす」さん。はじける笑顔がまぶしいかた。
やはりブログを読んでいてくださって。この夏の神楽坂の個展で春女苑(ハルジョオン)の絵をご購入くださったMさんご一家。とてもお優しいご主人で、フィギュアスケートも家族皆で一緒に観に行かれるとのこと。
最初に個展を開いたときに、新聞の紹介記事を見て来てくださってから、毎回、来てくださるT子さん。明るくて華やかで元気な方。今回も小品をご予約くださった。
そして10年前の個展のときに20歳で来てくれて、その当時、悩みを抱えているようだったのでずっとどうしているのか気にかかっていたI君。すぐにはわからず、名前を聞いてすごく驚いた。シャイな感じは変わらないけど、健やかで落ち着いた青年になっていた。私のことを忘れないでいてくれて本当に嬉しかった。
すごく目立つおしゃれでかっこいい二人組がいきなり入ってきて、熱心に絵を見ながら英語で会話をはじめたのでびっくり。ちょうど居合わせた佐藤亨先生(英文学)に通訳をしていただいた。
右側の攻めたファッションの彼はFelix TaoさんというU.K育ちのプロダクトデザイナー、一緒のかたはプロデューサーさんだそうだ。

私も少しだけ英語で話した。佐藤亨先生が「gold」と言ったところを「silver leaf.decayed」と修正したり。「dying flowers」の「generation, moving, dancing, metamorphosis」を描いているとたどたどしくも説明。「I have been drawing dying flowers for 20 years.」と言ったら「Amazing!」と笑って賞賛してくれた。
「your so cool!」と言ったら、「あなたのほうがクールでしょ。こんな絵を描けて。」と言われた(彼は少しだけ日本語が話せる)。
彼らが一番すごいと言ってくれたのが「あねもね」(画面左側)の絵。とてもstrongだと。

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実はこの絵はずいぶん昔に一度、銀座の個展に出している。そこである画家に恫喝された事件について(今までなかなか書けなかったことを)書きます。
その銀座での個展の時、有名な日本画家(歳は私とほとんど変わらないが、日本画の世界で当時すでに偉かった人)がやってきて、初対面の私に向かって、
「こんなもの(このあねもねの絵を含む私が展示しているすべての絵)は日本画じゃない!絵具の使い方が滅茶苦茶だ!日本画の世界から出て行け!!」と血管が切れそうなほど顔を真っ赤にして恫喝してきた。
(へえ~~!?この方は世間的にはすごく温和で後進にも優しい誠実な人と思われているのに、陰では私だけ(憎い相手)をターゲットに、こういう脅しのようなことをするんだ・・)と驚きながら、私が「では先生にとって日本画の定義とはなんですか?」とたずねると、
「日本語です!日本語の歴史そのものです!」と。
は?私の直接の恩師、毛利武彦先生が書いていらした「この触覚的な日本画顔料の特色は、象形文字である漢字と、その字画の砕かれた仮名の混じりあう日本語の文字の世界に似ている。」という文章を異常に曲解して発言されているようで噴飯ものだった。
毛利武彦先生こそが、絵具の使い方が滅茶苦茶な私の絵すべてを、誰よりも最高にほめてくれた人なのだからお笑いだ。
つまり毛利先生がおっしゃっている「日本画の絵具は」「日本語の文字の世界に似ている」「均質な顔料のもつ非情性に対し、日本画顔料のもつ豊かな触覚性は、情緒的に傾く危険を含みながらも、表現の象徴性を深め得る」という言葉の範疇に私の岩絵具の使い方は入っているということだ。
毛利武彦先生は枯れゆく植物たちの運動を描いた私の絵について「世界が煽動している!すごくいいよ。・・・絶対いつか美術館に入るからだいじょうぶだ。」とまで言ってくださった。そういうことが彼にとって、ことさらに絶対許せないほど嫉妬することなのだろう。
「私は特に日本画と銘打ってはなく、「絵」を描いているのですが」と言うと「こんなものたちは絵ですらない!!絵の世界から出ていけ!!」とまで言われた。
日本語とは日々、他語と交じりながら変化、生成しているもので、奇妙な若者言葉や流行語でさえも日本語の歴史の一部となる。いったい彼の言う「日本語そのもの」とは何なのか?
「日本語」という意味と「歴史」という意味を精確に、明晰に私が納得できるように自分の言葉で説明してほしいものだ。彼は非常に排他的な狭い考えでしか日本語というものをとらえていないようだが。
「日本語そのもの」と彼の絵はマッチしていて、私の絵は「日本語そのもの」に反していると彼が断言できる具体的な理由、さらにはなぜ「日本語そのもの」に反した絵を描いたら私が「絵の世界」から出て行かなければならないのか、
彼が他人(私)に対して「絵の世界から出ていけ!!」とまで言える権限があるのかを、倫理的、哲学的に納得できるように、明晰に語っていただきたいものだ。
私に対して「他人の言葉を使って!」と怒ってらしたが、他人の言葉(固定観念や権威にあまねる言葉)を使っているのは彼のほうだと私は思う。私は他人には書けない自分の言葉を探して『反絵、触れる、けだもののフラボン』を書いた。
私がどんなにへたくそで酷い絵を描いて発表しようが私の自由だし、彼とは何の関係もない。私は彼を、わざわざ罵倒しに来たら私が怯えて従うとでも思いこんでいる精神的におかしな人、と思うだけだ。彼の権力を行使して、私が絵を描けなくなるくらいのことをしてやるという脅しなのだろうけど。
実際は、ただ私が日本画の「外」の世界の才能ある人たちに好かれることが多く、それが気に入らないから、私を潰したいだけなのでしょう。
さらになおさら欺瞞的だと感じざるを得ないのは、この画家が(洋画の描き方を取り入れ)「日本画の越境」「日本画の革新」を自負する人であることだ。
その後すぐに来られた詩人の阿部弘一先生にお話したら「(それだけ憎まれるとは)やりましたね!ついに一家をなしましたね!」と喜んでくださった。
詩人の吉田文憲さんも呆れていた。「地位も権力も名声も金も余裕ある若いお偉いさんが、わざわざ脅しにくるとは、地位も権力も名声も金もないあなたが自分が得られないものを持っていることがよっぽど悔しいんだね。」と。
私の最高に敬愛していた前衛いけばな作家の中川幸夫先生も、このあねもねの絵をすごくほめた。「達者になったねえ~、いいね~」と眼を細めて喜んでくださった。
日本美術のみならず芸術文化全般に造詣が深い詩人の高橋睦郎さん(2017年に文化功労者、日本芸術院会員に選出)も、このあねもねの絵が一番いいと言ってくださり、その場で、絵の印象を「後桃山」と紙に書いてくださった。
今回の個展初日(2022年9月26日)に来てくださった東京画廊の山本豊津さんも、私の銀箔腐蝕の絵がすごく面白いと言ってくださった。山本豊津さんは以前に東京画廊で中野弘彦さんや高山辰雄さん、麻田鷹司先生などの展覧会をやられていて日本画にも造詣が深いかただ。
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アイルランド研究、英文学、そして写真集も出しておられる青山学院大学教授の佐藤亨さんと。
文芸批評家の田中和生さんが来てくださった。吉田文憲さん、佐藤亨さん、室井光広さんと同人誌をやってらした方。
宮谷一彦さんの話をしたらご存じなかったようで「すごい漫画家だからぜひ読んでください。」とお願いした。
以前、早稲田大学で私の映画の上映会や大きな講演をさせていただいて、たいへんお世話になった仏文の塚原史先生と谷昌親先生と。

塚原史先生(写真右)はもう名誉教授になられているとは信じられないほど若者然としてらっしゃる。谷昌親先生は、以前やせていらしたのに胸筋や両腕の筋肉が盛り上がって肩幅も大きくなっていらしてびっくり。テニスをされているそうだ。
塚原先生のお宅がこのギャラリーのすぐ近くで、庭が廃庭のように雑然としてきたと伺って狂喜し、「ぜひぜひ今度、写真を撮らせてください」とお願いした。
今日もtwitterで見たというお客様が何人もいらしてくださった。twitter とかブログとか、不特定多数の顔の見えない人たちに見られていることを意識すると過緊張の私は何も書けなくなってしまうので、なるべく意識しないようにして書いているが、
実際に会場にお運びくださる方、話しかけてくださる方(皆さん素敵な方)にお会いすると、本当に感激する。なんとも言えない不思議な嬉しさ。眼には見えなかったけど、実際は繋がっていた?と信じられない感覚。
今日は最後に高校の同級生のAさんとM君が来てくれて、近くの蟹が得意な洋麺屋で食事。M君がごちそうしてくれて、久しぶりにたくさんお酒を飲んでしまった。高校の時はあまり話せなかった人とFBで再開して、歳をとったからこそ仲良くできたり、そういうご縁も不思議でありがたい。