悩み 苦しんでいること

2019年11月 6日 (水)

アミアタ山の猫を救ってください Please rescue the cats on Mt. Amiata!!!

11月6日

動物を愛するイタリアの皆さん、どうか、アミアタ山の山頂の猫たちを救出してください。

イタリアに住む日本語がわかるかた、どうかアミアタ山の頂上に捨てられた猫たちのことを考えてください。

去年の猫たちのほとんど全部が冬を越せずに死んでいます。

冬を生き残ったたった2匹の猫が、春夏に繁殖をくり返しています。

猫たちは暖かい寝場所も与えられていず、ただ食べ物だけを与えられ、避妊もされていません。

どうか、どうか、アミアタ山の猫たちを救出してください!

Everyone who love animals in Italy,

Please rescue the cats on Mt. Amiata!!!

Most of the cats that lived last year died without passing through the winter.
Ten new kittens are born again in spring and summer.
They are not given a warm place, they just get food. They are not contraceptive.


Please, please rescue amiata mountain cats!!!!

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親愛なるENPA  Amiata Grossetana - zona monte amiata(イタリア国立動物保護局 アミアタ山管轄)の
ラーラ・バンチーニ様

どうか、どうかアミアタ山の猫たちを救出してください!!

どうかあの猫たちを凍死させないでください!!

猫たちの生死は、あなたの慈悲にかかっています。

あなたは若く美しい。あなたは猫を救出するための協力者を集める力がある。

捕獲器が足りない(1~2器しかない)というのなら、本部から借りてきてください。
ボランティアが足りないなら、どうしてSNSで募集しないのですか?

あなたは若くて能力もあるはずです。

あなたは国立動物保護局アミアタ山支部の会長なのですから、どんな手段を使ってでもアミアタ山の猫たちを救ってください。

私は昨年、アミアタ山の頂上でたくさんの子猫たちを見ました。

その中に20歳で死んでしまった私の愛猫にそっくりな子を見つけました。
私は万難を排してその子を日本に連れて帰りたかった、けれどできませんでした。

今年、私が愛したその子はどこにも見えません。
その子猫は冬を越せずに死んでしまったのでしょう。

私は死ぬほど悲しいです。

猫が生まれて1年も生きられないで死んでいくことに私は耐えられません。

どうか猫たちが凍死する前に救出してください!

私はあなたの動物たちへの愛情を信じます。どうか・・・どうか!お願いします。

 

Dear Lara Banchinii,

Please, please rescue the cats on Mt. Amiata!!

Don’t freeze them!!

The Life and death of cats depend on your mercy.

You are beautiful and young.
You should have the power to gather collaborators to rescue the cats.

If you do n’t have enough catchers, borrow from the headquarters.

If you don't have enough volunteers, please recruit on Facebook.

You are young and have potential.

Because you are the president, use any means to rescue the amiata mountain cats.

I saw many kittens at the top of Mt. Amiata last year.
In it, I found a kitten that looks exactly like my dead cat at the age of 20.

I wanted to take the kitten back to Japan, but I couldn't catch it.

This year my beloved child is nowhere.
The kitten died without passing the winter.

I'm so sad to die.

I just can't stand the breeding cats that can't live for a year!!

Please rescue the cats before they freeze to death!!!

I want to believe in love for your cats

Please…please!!

 

Chisako Fukuyama

 

 

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2019年6月11日 (火)

チョビ 眼瞼内反手術後、下痢

6月5日(水)

朝、クロラムフェニコール(目薬)。ラリキシン+ピルポケット。

11時ラリキシン。食事。プラノプロフェン(目薬)。

12時過ぎにトイレでひどい下痢。トイレ、床、チョビの足をきれいにするのがたいへんだった。

ドキシサイクリン(抗生物質)が合わないのか。

14時過ぎ、おなかがすいたらしく「にゃあ!にゃあ!」とおねだり。だがいつもの3分の1も食べない。

夜、ミヤリサンをピルポケットで食べさせてみる。

が、深夜0時過ぎにまた下痢。

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6月6日(木)病院定休日

ピルポケットが嫌になってきたようで口から出してしまう。

そのままでは頭を押さえるのが困難なため、エリザベスカラーをはずして保定し、薬を飲ませる。

病院に電話し、私の明日の癌の定期検診の予約を2週後(チョビの抜糸後)にずらしてもらう。飲み忘れで余っている薬が2週間分ほどあったので良かった。

朝、ミヤBM、ラリキシン+ピルポケット。

13時下痢。下痢した後におねだり。

17時下痢。

夜、ミヤBM、ラリキシン+ピルポケット、ドキシサイクリン+ピルポケット。

クロラムフェニコール(目薬)5~6回。プラノプロフェン(目薬)3回。

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6月7日(金)大雨

17:30病院へ。下痢がひどいことの相談。抗生物質は眼には効いているので、下痢しても8日間飲み切らせるように言われる。

ドキシサイクリンは食欲不振や吐き気も出るとのこと。

おしっこの量が少ないと言ったら輸液される。

下痢をする前、トイレで何度も砂を掘り、くるくる位置を換えるのを異常に長く(5分くらいも)やっている。おなかが痛くて落ち着かないのだろう。

トイレ砂を掘り出したらすぐに飛んで行って傍らで待ち、足につかないように、終了した瞬間を見極めてさっと抱き上げ、始末する。

6月8日(土)曇り、小雨

ミヤBMを朝晩飲ませてもおさまらず2回下痢。

6月9日(日)小雨

ミヤBMを朝晩飲ませてもおさまらず2回下痢。

6月10日(月)大雨

朝9時に下痢。

誰かに見ておいてもらわないと心配なので、病院にペットホテルの予約をしておいたが、酷い雨と、手術前の緊張と恐怖を思い出すだろうことがかわいそうで、予約キャンセル。

12時にまた下痢。

下痢で部屋中汚されてもしかたない覚悟で14時半に私は家を出、「毛利武彦詩画集『冬の旅』出版記念展」の阿部弘一先生の詩の朗読会へ。

20時に帰宅。便はしていなく、私の布団に寝ていた。

夜、ついに最後のドキシサイクリンを飲ませ終わり、ほっとした。

手術そのものの成功も心配だったが、術後の感染症や下痢でこんなに悩まされるとは想像していなかった。

チョビ、まだ1歳にもならないのに、ずいぶんいろいろ苦労していてかわいそう。

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私のバッグに入るのがお気に入りのプフ。

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6月11日(火)

朝薄暗い時に目を覚ますと、2匹がぴったり私の左横にくっついて眠っている。ほんとうにかわいい。

今日から目薬2種類のみ。

12時に下痢したが、少しかたちになってきた。

花輪さんに電話。無事、書類届いたとのこと。私が猫に必死になっていることを話すと傷つけてしまうことがわかっているので、少しだけ話す。

 

 

 

 

 

 

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2019年6月 5日 (水)

チョビ、眼瞼内反の手術。目やにひどくなる

6月2日(日)

チョビの眼瞼内反の手術当日。

きょうは日曜なので動物病院は12時に受付終了なのだが、11:40くらいにチョビを連れて行ったら、とても混んでいた。

預けるのを待っている間、いつもはすごく我慢強いチョビが恐怖で声も失くして固まり、わき腹がドドドドドッと超高速の鼓動で波打っているのがすごくかわいそうで「チョッピー、だいじょうぶだよ~」と話しかけながらずっと撫でていた。

12:20頃、受付に呼ばれた。きょう3番目の手術だから遅くなるそうだ。

私は自宅待機のあいだ、掃除をしたが、夕方、朦朧としてきて少し眠ってしまう。

ずっと電話を待っていたが来ないので19:20にこちらから電話してみたら、まだ前の手術が終わっていないと言われる。ずっと待たされて恐怖しているチョビを想像し、胸が苦しくなった。

結局、22:40に「もう目がさめてるので迎えに来てください」との電話がある。会計の時に聞いたらきょうは緊急の手術が何件も入ったとのこと。先生も看護士さんもほんとうにたいへんだ。

2日後の火曜に一度診せに来るよう言われる。

左眼の下の切ったところ、青い糸で縫ってある。自宅に戻ったのは23時頃。前足にも落ちた血が付着していて生々しい。

すぐにエリザベスカラーをつける。ふらふらして後ずさりしている。

3匹でどたばたして傷が開いたらたいへんなので、野生児で暴れん坊のちゅびを友人宅に預かってもらうことにする(ちゅびが地下鉄の車内で大暴れしソフトキャリーを破壊して飛び出そうとしたそうで友人は23:30に戻って来、ハードキャリーに入れ替えて再出発)。

「チョッピー。」となでるとゴロゴロ。カリカリとちゅーるを少々食べる。

ラリキシンをピルポケットに包んで食べさせたら薬だけ舌で出したが、なんとか口の中に入れて呑み込ませる。

布団の上に来ずぐったりと床の上に寝ている。

23:40くらいから少し元気になり食欲が出てくる。水を勢いよく飲む。

1:40頃、麻酔が切れたのか、とても元気にばたばた転がり、両前足で引っ張ってスポッとエリザベスカラーを抜いてしまった。

2番目のホックにしても、また同じようにスポッと抜いた。

3番目ではきつすぎないか心配だったが、今度はジャストフィット。しかし筒の角度が狭くなり、非常に食べにくくなった。

撫でるとゴロゴロの音が激しくなった。呼ぶと声を出さずにしっぽでお返事。

プフ、いつもと違うチョビの姿を見て神妙な顔になり、あまり近づかない。私にはくねくねゴロゴロ言って甘えている。

・・

私、昨夜から寝ているあいだずっと、咽喉に大きな固い飴玉のようなものがつかえている痛みがあった。寝る前に大きな錠剤を水無しで飲んだのだっけ?と思った。

朝、起きてお茶を飲んでもつかえがとれない。咽喉の前側の筋肉が硬直しているのだ。咽喉頭異常感症?

緊張による肩凝りはいつものことだが、咽喉が狭く硬直したのは初めて。

6月3日(月)

8:30チョビ、良いうんこ。輸液した分、おしっこ大量。

9:10眠そうなうちにピルポケットでラリキシン飲ませる。

10:10カラーの広がりが狭いので、カリカリやちゅーるがカラーの縁に付いてしまう。

12時から私のふとんで気持ちよさそうに眠る。撫でるとゴロゴロ。

夕方からプフとチョビ、私の脚の上でいつものようにべったり抱き合って一体化して眠る。エリザベスカラーを怖がらないプフ、いい子。

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チョビは手術でよほど疲れたのかほんとどずっと眠りっぱなし。プフも大人しく、いつものように2匹でレスリングしないので安心。

21:40ピルポケットでラリキシン飲ませる。

カリカリとウェットの総合栄養食を食べる。量はいつもよりずっと少ない。水をほとんど飲まない。

・・

私、咽喉の硬直が元に戻らず、お茶を飲む時に固い塊を無理に嚥下するかのような(昨日より強い)痛みを感じた。

明らかに咽喉の筋肉が不自然に硬く委縮している。脳神経の病気?と不安になる。

チョビの容態は落ち着いているので、私はそれほど緊張していないはずなのに、自律神経が狂ってしまったようで、額や手の甲からぴりぴり沁みる汗がふき出し、突然に鼓動が速くなったりした。

午後にレキソタンを飲み、夜にゆっくりお酒を飲んでいたら徐々に治ってきた。

6月4日(火)

チョビ、朝、ゴロゴロ言いながら私の胸の上に乗っかってくる。私の顔に勢いよく鼻や口をつけようとしたので、エリザベスカラーの(小学校時代の下敷きのような固い)縁が私の頬や咽喉に何度もぶち当たる。

そのあと私のタオルケットを掘り、私の股に入ってゴロゴロ言いながら眠る。

プフも私の左横で、私の腕に横っ腹を、肩に顎を乗せるようにしゴロゴロすやすや。

あまりの心地よさに、ついまた眠りこけてしまい、目が覚めたら昼近かった。

チョビの左眼を見たら、昨晩とは劇変してべたべたした目やにで蔽われていて、目頭の黒い塊も大きくなっていたので一気に不安になる。

しかもラリキシン経口投与に失敗。とりあえず食事させて診療を待つ。

16:30動物病院の診察。

「目やにがひどいね。おかしいな。手術うまくいってるんだけどな。感染症かな。」と言われる。

その場で午前の分のラリキシンを飲ませてもらう。もう一回は深夜1時頃に飲ませるようにとのこと。

さらにドキシサイクリン(抗菌薬、一日1回)とクロラムフェニコール(抗生物質の目薬、一日5~6回)が増える。

クロラムフェニコールとプラノプロフェン(抗炎症の目薬)は20分以上感覚を開けて点眼すること。

18:00クロラムフェニコール。食事。斜めにした器から水を飲む。

プフとチョビのおしり周りの毛を、眠っているあいだになるべく短くカット。

20時プラノプロフェン。

21時クロラムフェニコール。

22時プラノプロフェン。

23時クロラムフェニコール。

23:20食事。

23:25ドキシサイクリン+ピルポケット。

23:50ついにいつもの大運動会が再開される。元気が戻って来た。

0:10疲れて眠る。

1:00ラリキシン+ピルポケット。

「だいじょうぶ?目、痛くない?」と聞くと「にゃん!」とお返事。目やにが出ていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年5月30日 (木)

チョビ、眼瞼内反、毛玉を切る、Hさんと会う

5月29日(水)

きのうよりいちだんとチョビの目やにが酷く、目の周りが真っ赤になっていて「瞬膜」も被っていたので、重篤な細菌感染の炎症かと焦って、また病院へ連れて行った。

「毛が伸びるのが速いね。酷い内反。」と言われ、また目の下の毛を抜かれる。

目が膿んで潰れてしまったらどうしよう、と焦ったのだが、眼球が膿むことはないという。炎症による失明を悩むほどではないらしいが、赤くなった目の周りはとても痛々しい。

12日の手術の前に、週に一度は目の周りの毛を抜いたほうがいいとのこと。

チョビは135gで地面に落ちていて、母親のおっぱいの味もちゃんと味わえないまま、うちの子になった。哺乳瓶からまともにミルクも吸えず、真菌で身体中の毛が赤剥けになって、病院でも「ちょっと目を離したすきに死んでいてもおかしくない」と言われていたような子だ。

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2018年9月10日のチョビ。

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体重が少なすぎるために抗生物質も飲ませることができず、抗菌シャンプーで真菌を落とし、ドライヤーをしたらぷるぷるして心臓が止まってしまいそうだったちっちゃな赤ちゃん。

小さい時から苦労したせいか、3匹のなかでもっとも我慢強く、ドライヤーや掃除機の音も怖がらない穏やかで優しい子。

そんなチョビが愛おしくてたまらない。

なにがあっても、守ってあげるからね。

5月25日

長毛の子と暮らしたことがなかったので、毛玉がこんなに固い石のようになるとは想像もできなかったが、調べると猫にとってかなりのストレスで、皮膚炎の原因にもなるらしいので早く対処したほうがいいようだ。

百均で売っている先の丸いちっちゃな鋏(鼻毛切り?)が猫の毛玉を切るのに使える、という情報があったのでさっそく挑戦してみる。

私の膝の上に乗って来て、うっとりゴロゴロ眠そうにしている時、バンザイさせるようにして、プフの脇下の固い毛玉を確かめながら、鋏の刃を皮膚と平行にして3mmくらいカット。

それをくり返し、毛玉の半径くらいまで切り進んだら、そっとサキイカを裂くように縦に毛をほぐしながら、さらに少しずつ切っていく。

大きな毛玉石の癒着していた部分の毛をすれすれまできれいにカットすることに成功。

下の皮膚は少し痒くなっていたようで、固い瘤が無くなって、とても気持ちよさそうにうっとりゴロゴロ。

同じようにチョビの脇の下の毛玉石もカット。

5月24日

きょうから急に気温が上がり、夏日になる。

Hさん(スケッチを趣味にしている人)と初対面。

午後3時からHさんとお会いするのに合わせて友人に自宅に来てもらい、私が留守のあいだ、3匹を見ていてもらうようにお願いした。まだ1歳にならない3匹を数時間もほっておけないので。

5月22日のチョビ。左眼が目やにでしみになっている。

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5月20日

チョビの目やにがまた酷くなっていたので、きょう、また病院に連れて行ったら、6月12日に眼瞼内反の手術をすることになった。

チョビの左目にやたら目やにが多くなってきたのは4月の後半。動物病院で最初クラミジアと言われ、抗生物質を8日間飲ませたが治らないので、また連れて行ったら、逆まつげと言われ、目の周りの毛を抜いてもらった。

帰宅してからネットで猫の逆まつげを調べ、眼瞼内反の手術について知りショックを受けた。なんとか自然に治らないかと祈っていたのだが。とにかく手術するしかないようだ。

チョビはまだ9カ月だ。全身麻酔で身体に負担をかけるのが心配。

快作先生が「(目のかたちが)少し変になるかもしれないけど」と言ったのも心配。

とりあえずさらに目の周りの毛を少し抜いてもらった。

チョビとプフの脇下のあたりの毛が、気がついたら石のような塊になって癒着していたことについても相談。私が鋏で切っていいか尋ねたら、「うまくやらないと皮膚まで切ってしまうかもしれない。トリマーに頼むと1万円くらいでやってもらえる」と言われて困惑。

 

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2019年2月 4日 (月)

私をナルシスティックな欲望の道具にする人

2月3日

私に共感してくださるかたは、どうか私の絵を見てください。お願いいたします。

私がずっとどんな仕事(絵、文章など)をしてきたか、知っていてくださるかたがいるということが、私を支えてくれます。

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/japanese-style-paintings-1-膠絵/

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/pencil-drawing-watercolor-painting-1-tulip-anemone/

私は緘黙気質で、自分を強く前面に押し出していける性質ではありません。過敏で緊張が強く、考えすぎ、躊躇、逡巡して悩む性格です。

私の絵や文章は、私の生きづらさから生まれているものだと思っています。

ほとんど孤絶して、苦しみながら生み出されいる絵だからこそ標的にされ、このように「知る人ぞ知る画家」と書かれて道具にされたと思うと、苦しくてたまりません。

「私のものを自分のものと思い込む人」では誤解を生むので、「私をナルシスティックな欲望の道具にする人」と言ったほうが、より正確かもしれません。

もちろん「私のもの」と書いたのは単に枯れ花を描くことではないです。

彼は最後のメールで「福山さんの枯れ花への独占欲のようなものが理解できない。怒りを感じる。」と書いて来ました。

これについては、私が意見を聞いた複数の第三者の誰もが、この世にたくさんある枯れた花を描いた絵の中で、彼の絵だけが著しく、私の描いた絵に似ている、と言ってくれました。

他人との差別化には必死になりながら、私の絵に「似すぎていると自覚している」絵を発表、販売して、自分が私に与えている苦しみは理解しない、という彼の思考の構造が、私には理解できかねます。

「収奪」とは、自分の欲望を満たすことが他者を苦しめることに直結している、それでも平気で自分優先でやる、という意味です。

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今、トラウマが蘇り、苦しんでいる(2010年~16年に苦しめられた)パクリストーカーNも、私を彼のナルシスティックな欲望の道具にしていたという意味では同じです。

Nにも会ったことはありません。2010年に彼から熱烈な長いメールをもらいました。

「画家として、人間として純粋に生きようとされている福山知佐子氏の強さと繊細さ」

「物事に鋭くて、異次元のような、知的な世界をお持ちの方」

「是非ともお会いしたいです!画家として、人間として、真の芸術家の空気に触れてみたいと思います」

「先生の花は狂おしくて、病的な筆致、緻密で繊細、妖しくも格調高く、優雅なエロティシズムに満ちています。なにより、植物への愛情、その純度の高さにただ敬服します。」

「福山さんの誰よりも純粋で、(多分、誰しもが理解、共有しえない)研ぎ澄まされた少女が持つような刃は、稀有だと思います」

けれどNは一度も、メールに書いてきたような言葉を、N自身のブログに私の名前とともに書いて、公にしたことはありません。彼のブログの読者には、私に惹かれていることを隠していました。

そのうちNは、私の書いた単語、言い回し、言葉の癖、好きな画家や愛読する作家、親密にさせていただいている芸術家の名前、好きな植物やものの名前までなにからなにまで真似てブログを書くようになりました。

彼に意味が理解できないだろう言葉や、読めるはずもないだろう作家の名前が目につくや、すぐに跳びついて写していました。

彼はあるがままのNとは似ても似つかない人に、ブログでなりすましているかのようでした。

言葉では語りがたいものをなんとか言葉にしようと、私が苦しんだ残余としての断片や言い回しが、何も考えていない彼に有頂天になる道具にされること、

私が自分に戒めている「自分が実感としてわからないことを、わかったように書かない」という自制の上での言葉が、

逆に、Nが知ったかぶりをして陶酔するために利用されていることが、気持ち悪くてたまりませんでした。

「現在を生き、常に事物(もの)の本質に迫り、また事物の深淵へと眼差しを向ける一人の画家のヴィジョンは、(いつまでも)私のヴィジョンにさえ、波紋のように静かな影響を与え、新たな風景を垣間見せてくれる契機となっていた。」

と、Nが私の名前をふせて書いているのを見て、私はぞっとしてしまいました。(実際の私は一度も本質主義など語ったことがないので、余計に気持ち悪いです。)

彼に、私の書く単語、固有名の後追いや、言い回し、言葉の癖などを真似するのをやめてください、と告げても、Nは私に言われている意味が理解できませんでした。

彼はすべて「無意識」で、ほぼ条件反射のように、夢中で真似ていたらしいのです。

いつのまにかNは、私よりはるかに偉い態度をとるようになっていました。

私は、話がまったく通じない相手にストーカーされている恐怖で心身ともに病みそうになりました。

Nは、自分が私のものを見て真似ている、という事実を認識できていなかった、と2016年に認めました(私への横柄で傲岸な態度は崩しませんでしたが)。

強く惹かれている相手のものをそっくり真似する人は、現実よりも、他人や自分に言い張っている嘘のほうを信じる、と私はNの経験から思いました。

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2019年1月30日 (水)

激しい怒りの長い長いメールをもらった

1月30日

(私はPCしか持っていないのですが、スマホではサイドバーが見えないそうなので、今年から)署名として自分の絵のホームページを載せることにします。

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/pencil-drawing-watercolor-painting-1-tulip-anemone/

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/

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前回のブログに書いた事実について、若い学生画家は私に激怒し、

「返信しないつもりでしたがやっぱりこれを最後にします」という一方的に上から目線の、私に対する激しい怒りを、えんえんとぶつけてくる長い長いメールをよこした。

彼の自己正当化だけを書きまくって、これで終わり!「何を話し合うのか、会う目的がわからない」と言う。

美人画をやっていた彼が、急に私にそっくりな絵を描いているのに気づいて吐き気がするほどショックを受けた私の苦しみには、彼は一切興味がないそうだ。

私の苦しみには興味ないが、私の苦しみから生まれている絵の表面には、ついつい似すぎた絵を描いていまうほど利用しやすい道具として興味があるのか。

「福山さんの考えかたが好きでそれこそ『深層部に至るほど』の衝撃を受けました」と、彼はまた書いて来ているが、

私は、つきあいのある画家に対して相手が不快に思うレヴェルまで似ている絵は発表も販売もしない。

そんな失礼で、恥知らずなことはできない。それが私の「考えかた」であり、私の神経だ。

私は好きな作家に関しては、その人の名前と、作品のどんなところが好きかを、なるべく自分の言葉でブログ(公)に書くようにしている。

言葉に書くのが難しくても、その人の名を出して書くことが、その作品と作家が生き延びるチャンスであると思うからだ。

「他者」とは語り得ないものだが、それでもなお、相手の作家の名を出して、語り尽くせないものに対して言葉を尽くそうと努力することが、「他者」からの「贈り物」に対する「礼」ではないかと私は思う。

彼は私の絵も「考え方」も好きだといいながら、私の気持ち、作品の命を尊重する気はまったくないと言う。そういう感覚が私にはまったく理解できない。

SNSに対して無知でよくわからなかったから私の名前をふせたと彼は言うが、今までいくらでも私にメールで話しかけて相談してくれるチャンスはあったが、彼はやらなかった。

彼はどこまでも「無意識に」利己的で、狡くて、自己正当化しか考えていない。

彼は私とは全く逆の考えかた、感じ方をする人間だ。彼は私だったらとても恥ずかしくて言えない言葉を平気で吐き、私が激しく痛みを感じるところでなんにも感じない。

「枯れ花を描き始めた時点に関しては福山さんの影響ではない」、

「僕は福山さんの絵が好きでしたが、僕の絵とは関係のないことです」、

「悩んでいるといったのは福山さんを心配してではなく今の自分の絵が福山さんの絵に似た雰囲気を醸し出していることについてです。そもそもそういう意味で書いたつもりです」

「福山さんの考えかたが好きでそれこそ『深層部に至るほど』の衝撃を受けましたがそれに己を重ねるつもりはなくその画家としての姿勢を学ぶ気はありません」

「真似と言われる筋合いもありません。これが収奪だとも思えません。」

「ナルシズムへの転換も何もそんなものはありません」

「あれは絵が良かったというよりは「藝大」という学校名とその値段の手軽さで売れたのです」

「無意識に似たとはいえ苦労してつくったものに違和感や恥を感じる意味がわかりません」

「そもそも人物を描くことに自分の何か重要な要素を感じることもありませんし、合わなかったからまた植物に戻っただけのことです」

「福山さんは途中からの要素でありそもそもの『枯れ花を描く』を作ったのは自分です」

「枯れ花は」「僕が一浪の時」、「もう2年以上前のこと」「受験対策用に家でこそこそやっていました。」「ですから枯れ花を描くのをやめる気はありません。」

「時間を掛けて自力で道を切り開いてきました。その程度の努力はできる人間であるつもりです。」

はあ?道理もつじつまも、私にはよく理解できないのですが。

二十歳そこそこで、こんな姑息なやりかたをしながら「人の心に何か少しでも揺さぶりをかけることができたらと思って絵をかいています」と言われても・・・。

確かに私が嫌悪感で激しく動揺するほど、あなたは人の心に揺さぶりをかけることに成功していますよ、としか言えない。

この件について、第3者に判断を委ねるつもりだ。

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この400字詰め原稿用紙何十枚もある長い長い「絶対に自分は悪くない」という激昂メールも、まるで、以前はりつかれたN・Sというパクリストーカーのデジャブだ。

もちろん、今回と前回はあらゆる点が異なるが、しかし「福山さんに言われる筋合いはない」というようなセリフまでそっくり同じだ。

まったく共感能力がない異常性を感じる。

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2019年1月29日 (火)

「影響」と「真似」の違い、わたしのものを自分のもののように思い込む人

1月28日

(スマホではサイドバーが見えないそうなので、今年から)署名として自分の絵のホームページを載せることにします。

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/pencil-drawing-watercolor-painting-1-tulip-anemone/

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/

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新年から酷く苦しんでいる。

最近になって急に、私の名をふせて私の枯れ花の絵に「近すぎている絵」を描いている二十歳くらいの若い画家のことだ。

私は、自分のブログに「ナルシズムのための他者からの収奪ほど、私が嫌悪するものはない」と繰り返し書いてきたつもりだ.。

なのにどうして、私のブログや絵をずっと見ていて、私に共感して「いいね」やリツイートをしてくれている人から、私がもっとも傷つく「収奪」をされなければならないのだろう。

彼は昨年4月の私の絵の展示にも、私が在廊していない時に来て、長いこと見ていたという。

どうして、(数少ない)私の味方かと信じて気を許していた人に、平気で私のもっとも大切なものを侵害されるのだろう。

私に「深く影響を受けた」なら、私の書いている言葉の意が理解できるなら、私から「収奪」だけは絶対やらないはずなのだが。

・・・

2、3年前の彼が浪人中から、お互いフォローしていた。自分と同じ日本画科を目指して頑張っている人と思い、また彼が私と同じに父親のことで苦しんでいるツイートを知って、心情的にとても応援していた。

彼は私の記事を何度も「いいね」やリツイートしている。私もたくさん「いいね」している。

しかし彼がやっていたのは「鍵付き」のツイッターだ。

彼が東京芸大日本画科に入学したと知った時には「おめでとうございます」とDMを送った。その時にメールで話した。

つい最近、とても久しぶりにツイッターにログインし、彼の「鍵つき」ツイッターの中身をふと見たら、

私の枯れ花の絵によく似た(友人、知人に見てもらっても「ちょっと似すぎている」と言われた)彼の絵(私はぎょっとした)と、

「以前は美人画を描くと言ってたのに、今植物ばかり描いている。

あるときふと見かけた存在(画家)に心の深層部に至るほど深く影響を受けて」(1月15日)

という彼の言葉を見つけた。

彼とは昨年5月にメールで会話したきりだ。その時、彼は美人画(人物画)をがんばっていたはずだ。

最後は私から出したメールに、彼が返信をくれなかったのでメールはとだえていた。

今の彼が私に「似すぎている」枯れ花の絵を描いていることに驚きすぎて、さんざん悩んだ末、私は彼に質問のメールを出した。

そのメールの返事で彼は、その「心の深層部に至るほど深く影響を受け」た「画家」とは私のことだと認めた。

彼は、彼の描いた枯れた花の絵を「完全に自分が1から創り出したものとは思えない」とまで言ってきた。

絵の「表面」だけをそっくりに類似させることは「影響」ではなく、もっとも安易な「真似」だ。

たとえば私が「師、毛利武彦の影響を受けた」と言う場合、それは師の生き方の姿勢を、不可能に決まっているが、少しでも真似ていきたいという意思のことであり、毛利先生自身が喜んでくださるような実践だけだ。

私本人がもっとも嫌がることをやりながら「深く影響を受け」などと、私の名前をふせて書かれていることは、気持ち悪い以外のなにものでもない。

いくらモダニズムの批評では「作品」と「作家」は別のものとして考えられる、と言っても、私にとって、私の表現は私の血と肉そのものだ。

「誓って盗作しようとしたわけでは無い」と言うが、描いている途中で、私の作風にあまりに似ていると本人が「自覚している」と言いながら発表、販売しているのはどういうことなのだろう。

私の絵を以前から知っていて、関心を持って見ていて、私の絵の展示も見に来ている以上、結果として著しく類似していることに「偶然の類似」は通らない。「意識」も「無意識」も同義だ。

「パクリをする気ではない証拠」に、彼は周囲の人に私のことを話している、と平気で言うのだが、公(鍵のかかっていないSNSなど)に、私自身が見られるかたちで、私の名前と彼の言葉を書いていないかぎり、私にとっては何の証拠にもならないことだ。

そして彼の作品を見る人、買う人に、いちいち私の名前を出していたわけがあるはずもなく、買った人にとって、彼の絵が私のような無名画家に類似していようがいまいが、興味のないことなのだ。

そこにあるのは「私の絵によく類似した表面」という事実だけだが、その絵は、まるで私の私秘的な苦しみの体験を「悶絶するそぶり」だけで真似られているような、私にとってはぎょっとするものだった。

ずっと「美人画」をやりたくて素朴な人物画を描いていた二十歳そこそこの男子学生の絵には、とても見えない。 その絵は 急に別人のように見える。

私が描いたものだと言っても、私の絵を知っている人に、おそらく通るだろう。

なんともやりきれない。

彼は自分の個性が確立できないことを「悩んでいる」だけで、作家としての私を自分がどれほど傷つけているかわかって、そのことを「悩んでいる」のではない。

私のメールへの返信も「連絡しにくい」からしなかったと言う。それなのに私の絵とそっくりな絵を描いて発表することは「しやすかった」から夢中でやったのか。

「福山さんの絵に似すぎていることをはっきり自覚しており」「いわゆる「パクリ」で絵を描いていくつもりは無い」と彼は言っているが、その絵が売れて、とても喜んでいる。

その事実に私は強い「違和感」を覚える。

本来の自分が描いてきた人物画ではなく、私の「絵に似すぎ」の絵が売れたことに、微塵の「違和感」も恥も感じずに有頂天になるのなら、私の苦しみから生まれ出ているものにそっくりのものが、もう既に自分独自のものと区別がつかなくなっているということではないのか。

「人物を描く中で徐々に違和感を感じ」、「他の方向性を求め、植物を描き始めた」と言うが、彼の言う「違和感」は、本当の批判精神や内省から出ていることばではなく、自分が高く評価されない時に感じる不全感ではないのだろうか。

人の絵に「似すぎていると自覚している絵」でも、他人に高く評価されてしまえば、これこそが自分の生きる道、だと有頂天になってしまうのかもしれない。

彼のやっていることすべてが、ほとんど無意識に、気持ちよくなる方向にずるずる流れていて、自分に都合よく歪んでいる。

認識したくないことを認識しない、楽しいことだけしたい、相手の苦しみは想像しない。

どうして本人から何も言ってきてくれないのだろう、とさんざん悩んでこちらからメールしたのだが、彼は、私がそっくりな絵を描かれることを、酷く嫌がっているということをわかりたくないようだ。

そんなことがわからない彼が、私から「深い影響を受けた」と言い、「弱さ」を主題にしようとしていることは、転倒以外の何ものでもないのではないか。

その「弱さ」は決して「傷つきやすさ」「過敏さ」ではなくて、「鈍さ」「狡さ」ではないのか。

自分の「弱さ」と「不安」に向き合わないで、私のエピゴーネンをやることが作家としての自立を模索する道なのでしょうか?

私が長年、困難に耐えながらやってきたものの真似で、偽りの自己実現をすれば、不安も緊張もなく、自分がすごい個性を持っているような気になり、気分が高揚することでしょう。

こんなことをやるために、苦労して親や教師の反対を押し切ってまで東京芸大に入ったのですか?

芸大に入学したばかりで、二十歳そこそこで、なんでも自由に試せる時期に、もうこんな姑息なことをするのか。

芸大には真似すべき人がたくさんいるでしょうに。私を標的にするなんてやめてほしい。

・・・

私が安易に収奪、侵害の標的にされるのは、私が無名だからだろう。

彼は「“知る人ぞ知る”イメージ。自分の求める緻密さがそこにあっったから。」と私の名前をふせて書いている。ぞっとする。

私がほとんど誰からも知られない「知る人ぞ知る」作家だから、安心して私の絵を自分の特別な秘密のように感じ、私に同一化したように似すぎた絵を描いてしまう。

そして自分が周囲の人とは異なる強烈な世界を持っているように思い込んで、気持ちよくなるのだと思う。

私の苦しみや困難から生まれているものが、相手のナルシズムに転化されるのが気持ち悪くてたまらない。

セクハラの構造と、ものすごくよく似ている。「惹かれる」「興味がある」と言って蹂躙するのは痴漢や強姦と同じだ。

私の絵を「好き」で、作家として認めてくれるならば、余計に相手に触れないように、気をつけて距離を保つべきなのに。

私はMeTooの酷く辛いセクハラ経験が山ほどある。けれど作品に関する蹂躙は、私にとってセクシャルハラスメントよりもずっとずっと辛い。

・・・

自分の実情に「違和感を感じ」、それから「福山さんに深い影響を受け」、この二つ言葉が出てきたらもう、デジャブで、背筋が怖気だつ。

「無意識に」「悪気はない」と言いながら「私の名前をふせて」自分のもののように発表され、勝手に同一化されて侵害された体験、そのトラウマがよみがえり、不安と嫌悪感で心臓がばくばく言い出す。

かつて私はN・Sという年下男性のパクリストーカーに数年はりつかれてなにもかもうっとりとパクられ、まとわりつかれるような嫌悪感で、心身ともに滅茶苦茶になりそうなくらいに悩まされたことがある。

また同じ悪夢のような被害が繰り返されている。

私の絵やブログに惹かれながら、私の名前を、決して自分の記事に書かないことが同じ。

元の作家(私)に対して、真似した「彼」のほうが偉そうに激怒してきているのも同じだ。

以前の時は文章そのほかのパクリ(N・Sには基本的な画力がなかったから、私の絵をそっくり真似ても似ていないものになっていた)、

しかし今回は、私の命の「絵」が真似されているのだ。

私の苦痛とやりきれなさは前回の比ではない。

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2018年1月25日 (木)

鵜飼哲 最終ゼミ 『原理主義とは何か』以後 於一橋大学佐野書院

1月20日(土)

Fと国立で待ち合わせ、鵜飼哲さんの最終ゼミを聞きに、一橋大学佐野書院へ。

会場の佐野書院へと急ぐ道すがら、「(私は)昨年の母とちゃびの死からずっと心が疲弊して頭の回転が悪い状態なのに、3時間も集中して難しい話を聞くことができるのかすごく心配。久しぶりに脳を酷使して、エネルギーを消耗しすぎて、途中でこと切れてこっくりこっくり寝たりしたらどうしよう」とFに尋ねる。

Fは「僕もそこまで長い間、集中力が続くわけではない」と、「あなたの頭はあなたが思っているほどには回転が悪いとは思えない」と言う。

「10月に母が死んで、そのあと11月にちゃびが死んでから、緊張とショックが大きすぎてほんとにずっと頭が回らなくて。いろんなものを失くしたりしてる。認知症になるんじゃないかと思って不安で。」と言ったら、

「20年前に出会ってからずっと、あなたが緊張して思いつめていなかったことはない」と言われた。

・・・

『原理主義とは何か』(1996年、河出書房新社)から20年余りの世界の変容を語る、というテーマ(ちなみに私はその本を読んでない)。

会場は満杯で、前のほうの席しか空いていなかったので前から2番目に座る(集中せざるを得ない、うつらうつらはできない、プレッシャーを感じる状況)。

前半の1時間半を終えてからは、混んでいるのでもっと前に詰めてください、と言われて最前列のほぼ真ん中の席になった。

〈まとまりがないが、私個人のためのメモの抜粋〉(誰の発言だったか、メモが追いつかず、最後の方、特に不確かで、発言主を間違えて書いているところもあると思います。)

1995~1996年以降の世界・・・グローバリゼーション化によって抑圧された復讐が始まった年。

日本では歴史修正主義、日本会議の始まり、沖縄少女暴行などがあった。

西谷修さんの発言:

「西洋的なもの」も概念的でしかない。発案、作用、ディスコース、研究。

港千尋さんのやっていることは論理化、整理することだけではないリプレゼンテーション、そこに介入する、美術の市場に介入する、ここにこういう表現がある、というエクスポジションの場に晒していく、場のディレクターであり、マネージメントできない表出、提示。

描くこと、ラスコー、文字文化以前の世界との関係にかたちを与える、「明かしえぬ共同体」、なにを共有しているのか言うこともできない。

私は言語評論界の松本ヒロのようなもの。(お笑い芸人の名らしい)

鵜飼さんはデリダに波長があったのだと思うが、私が波長が合うのはデリダがバタイユを扱うあたりまで。そこからはレヴィナスでいい。

『構造と力』はチャート式に整理している、ポスト構造主義。思想のモードとしては実存主義対構造主義。

バタイユの「禁止と違反」に直結している。

哲学は普遍性を目指すが、ピエール・ルジャンドルは目指さない。言葉を使う生きものしか扱わない。

言語を使う生きものは、それがうまくいかない(言語という、あるオーダーが破綻してしまう)と狂気にしかならない。法のアルケー、コードの塊、ノーム、ノルマ。

理性とは、「Why」という問いに応えること。

我々の知恵は途上の知恵であり、内部観測でしかない。宇宙船から宇宙を見ているのであって、宇宙から宇宙船を見ているのではない。

アガンベンはラテン語2000年の歴史を肥やしにして生えてきた草。

我々が限定されていることの自覚、「終わりなき目的なき手段」であり、終わりは我々には不可能、今、ここで探索しているのであり、永遠に途上であること。

フランスにとっての他者はアラブ、イスラム世界。

ヨーロッパの知性、中心性。(フランス人一般は自分たちはヨーロッパの知性、中心だと当たり前に思っている。)

港さんの発言:

1992年にストラスブールで世界作家会議があった。

旧ユーゴの内戦やアルジェリアの内戦に知識人たちが反応した。

1995年は不気味なものが世の中に顕われてきた年。どの地名をとっても、地名を通して対話が可能となった。

世界遺産への批判。グローバルな土地の占有と結びついている。

ジオとは与えられた大地としての所与のものであって、そこに宗教、文明が生まれたのだが、今はジオそのものが人間と同等以上の力を持ち、ヒストリーやポリティクスに介入し始めている。

鵜飼哲さんの発言:

9.11事件の後、パレスチナ人に会って話を聞きたいと思った。2014年の事件の後、アルジェリア人に会って話を聞きたいと思った。

暗黒の10年に何があったのか、アルジェリアの内戦について、フランスの教養のある人でも記憶にない。アナロジーの作りようがない。隔絶。

アルジェの戦いの時に子供だった人は、フランスがまた侵攻してくるのではないかと思っている。

朝鮮、沖縄、中国を見なければ日本というものはわからない。

世界遺産に入りたいと思っている人は、サバルタンではない。

1994年、世界遺産奈良コンファレンス、オーセンティシティに関する奈良ドキュメント。

第二次世界大戦の時、奈良と京都だけは爆撃されなかった。

知床・・・アイヌの舞踊が無形文化財に指定されているだけ。

田浪亜央江さんの発言:

広島の学生はシリアなどの難民支援を志す人が多い。

呉世宗さんの発言:

沖縄では地名が人名になっている。旅とはある場所を持ち帰ってくること。

原理主義への対抗はトレランスではなくホスピタイティ。

会場からの質問:今は世界多発原理主義化と言えるのか?

鵜飼哲さんの応答:

トランプや安倍晋三は原理主義とは見えない。原理主義の人たちにはもっと真剣なものがある。ポリティークの中では性格が違う現象。ひとつ間違うと原理主義的傾向になってしまう。

西谷修さんの発言:

資本主義というのはマルクス主義の枠組みの中のことであり、今の経済は資本主義とは言わない。

現在は科学技術開発、技術産業、市場のシステムが破綻し、これが経済を支えられない、国民経済の枠がない状態。

観光が最後の段階。これには資本がいらない。交通と飲み食いが経済になる。

それぞれの国の社会の在り方が壊される、社会が持たなくなる、原理主義でなくネガショニズム。世界戦争まで推し進めた勢力が歴史修正しながら出てくる。

原理主義とは宗教的キャピタルを持っているところ。

鵜飼さんの発言:

第二次大戦について、アジア太平洋で、なんでこんなにつながっていないのか。

トランプはオバマが持っていた解決しようという気を持っていない。

最低限、ろこつに空いているピ-スをはめてからでないと議論にならない。

西谷修さんの発言:

ITテクノロジーの問題。我々の情報、経験の質をどれだけ変えているか。

ハイデガーが「形而上学はサイバネティックスにとってかわられる」と言ったとおりになった。

港千尋さんの発言:

ITテクノロジーの問題は、我々の生命が変わるということ。

かつて、スマホ以前の時、ベルルスコーニのことを問題にしていた。今はトランプがそっくり同じことをやっている。

我々が知的な活動にさける時間は1日に数時間。マーケティング的に、その時間をいかにお金に変えられるかがテクノサイエンス。

ツイッターの情報が数千万人に渡ることは、形而上学的な話どころではない。

あらゆる戦争が民営化していった。敵味方の区別がデジタル化。

政治的なクライテリアがずれてきた。実際に何が起こっているのか簡単な図式では整理できない。

鵜飼哲さんの発言:

鈴木道彦先生と入れ違いに研究室を引き継いだ。

今やフランスが世界で一番ファノンの読まれない国。

『地に呪われたる者』「橋をわがものにする思想」、ファノンが橋。ファノンをわがものにできるか。

トランス・ポジション。翻訳と同時に置き換える。ファノンが他の文脈で読める。自分のポジションの正当化にならないために元の文脈に送り返した時に豊かになるように。

自分を人質の立場におく(レヴィナス)。

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私のような予備知識のない人間には、用語や人名などが聞き取りにくくて、今一つつかみ辛いところの多い討論だった。

帰りに、Fと三鷹で食事。私は「こなき純米」という鳥取のお酒を飲んだ。水木しげるのこなき爺のラベルがとっても素敵なお酒(Fは一滴も飲まない)。

「我々の知恵は途上の知恵であり、内部観測でしかない。宇宙船から宇宙を見ているのであって、宇宙から宇宙船を見ているのではない。」という西谷修さんの発言が印象に残っている。

ジャコメッティは見えないところまで描かない、ということを若林奮先生が言っていたと思う。俯瞰でものごとを見ない、実際には見えてもいないことを、さも見えているように言うべきではないということ。(それが、見えないものを無きものとしないことなのだと思う。)

誰でも自分の立ち位置、身体能力でしかものごとを感じることができない。だから想像力と配慮がいる。

これはものを考える時の基本であると思う。

・・・

「言語という、あるオーダーが破綻してしまうと」という西谷さんの言葉から、自分自身のトラウマともいうべき体験が連想されて、お酒が進んでしまった。

言語というオーダーが完全に破綻すべきところが、盗みによってのみあからさまにとりつくろわれて、自我の優越に開き直る、つまり現実認知がおかしく、手前勝手な妄想でいつも有頂天になっている・・・そういう人間たちに私はずっと苦しめられてきた。

その言語(というオーダー)が隠す「根源」があるとすれば、異様なまでの情動の停滞、感覚の鈍さ、あるいは知能の低さだろう。

とりわけ私を6年苦しめたP(パクリストーカー)は、あらゆる言語やものごとの理解がおかしく、抽象的な言葉がすべて自分中心(Pにだけ都合のいいように)歪んでいる。行動は衝動的、空疎で、「狂気」と呼ぶような豊かさは微塵も引き連れていない。

私を標的にして「見てもらいたいから」「惹かれたから」と言い、勝手に(衝動制御障害的に)侵害行為を続けてけてくるPのことがあまりに苦痛で、Pが怖くてたまらなかった。

彼は他人のものを自分のものと思い込んで「自分はすごい」「自分をほめろ」と強要してくる精神の病だ。

Pには無視が通じないのだ。私が黙っていると自分に都合のいい妄想を自己展開して行動がエスカレートする。私がはっきり「本当のこと」を言うと、Pは上から激昂して来た。

彼はどんなに人(他者)を傷つけても、絶対に自己嫌悪したり、内省したりすることがない。彼は激しすぎる自己愛からの妄想で、現実認識が逆に歪んでいて、本来なら恥を感じる場面で大得意になるのだ。

最低限のルールやマナーも身につけていないPに、小学生レヴェルのことを一から説明してわかってもらうことはほとんど不可能に近かった。何度注意しても理解されず、私自身が消耗しすぎて、心身ともにおかしくなるほどに追い詰められた。

Pにやられたことは「収奪」という言葉を使っていいと思うか、とFに尋ねたら、「それは収奪そのものなんじゃない?」と。

それにしてもFは心の病や発達障害などについての認識が信じられないほどに薄すぎる。

いつも「言語という、あるオーダー」が前提的に共有されている場所でしか自分を試されないからだと思う。

文学の内には、言語というオーダーがあり、また言語破壊というオーダーがある。いずれにせよ予定調和的に救われ、言語のそとのものが侵害されるわけではないからだ。

Pのことの経緯はいずれ詳しくブログに書こうと思っている。

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2018年1月13日 (土)

年末から新年

1月13日

昨年暮れから今までのこと。

次に出す本の作品撮影のため、12月28日に、カメラマンの糸井さんがスケッチブックをうちに取りに来てくれた。

近くのファミレスで本の概要や撮影についての希望を説明。

前のカメラマンさんの撮影データと合わせるための試作データが30日には送られて来、それから第2回補正、第3回補正と、色味や鉛筆の線の濃さの調整などのやりとりを正月中に、ずっとできていたのは、とてもありがたかった。

この仕事がなければ、なにひとつ充実しない淋しいお正月だった。

色味のニュアンスなど、感覚的なことを言葉で伝えるのはとても難しいのだが、糸井さんは軽妙で勉強熱心でコミュニケーションしやすいか人なので、彼のお人柄に感謝。

1月1日

福山家の菩提寺から年賀状が届いた!「謹んで新春のお慶びを申し上げます」に呆れて笑ってしまった。

昨年10月、母の火葬場まで若いお坊さんがお経を読みにいらしてくださったのに、そういう事実をちゃんと記録していないらしい。

(私が精神的に参っていたために)母の納骨を春頃まで待っていただきたいという電話をこちらからしないで、ずるずると年を越してしまった非礼を申し訳なく思っていたのだが、そんな気持ちも吹っ飛んでしまい、たいへん気が楽になった。

原宿で見たヤマガラ。

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素敵な枝ぶりの冬の樹。
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12月30日

話し合いのため、Y子のアパートへ。

2017年の年末も差し迫ってから、私にとって人生最大のストレスと言ってもいいほどの他人からの迷惑に対して闘わなければならない事件があった。

以前書いた、母の火葬の日に私の怒りが爆発してしまった件・・・知人H子が何十年も昔に私の父に保証人のハンコを押させていたH子の娘Y子の借金の件で、ついにY子に債権者側から裁判の準備段階として召喚される書類が届いたのだ。

(この顛末については詳細を後述する予定。)

世間一般のように仕事納めで解放される年末どころか、心身ともに酷使せずにはいられない年末となった。

疲労しすぎて帰宅前に駅前の居酒屋で休んだら、薬などのはいったポーチを席に忘れて来てしまった。翌日、店に電話したら感じよく対応してくれた。魚民さん、ありがとう。

・・。

2017年の年末は、大掃除も気力と体力の不充分によりできず、正月の準備、花飾りやおせちなどはなにひとつやらず。

マッサージと整骨にだけは通っていた。

新しい年の新鮮なまっさらになった喜びや、心身ともにひきしまる感じはなく・・・。

思えば母がパーキンソンの認知症になってから、おせちや雑煮など、もう10年以上食べたことがない。

私自身はおせちや雑煮に興味はないが、昔、毎年暮れに祖母が大釜で炊いていた煮物や、母の手作りのニシンの昆布巻きがたいそう嬉しかったことを思い出してしんみりした。

「一夜飾りはいけないのよ」と言って、28日までに千両や万両の赤い実に花を組み合わせた正月の生花を買っていた母。かいがいしく働きまわっていた母の姿を思い出す。

母がいなくなってから、私は正月のために花は買わない。

儀式などは関係なく、ただ、純粋に自分が描きたいという衝動が起きる花を見つけた時に買うだけ。

元日の朝、母のタンタンタン!と勢いよく階段を駆け上がって来る音を聞いた。ねぼけまなこの私を「知佐子!早く起きなさい!年賀状が来てるよ!」と起こしに来た母。

母が亡くなり、最愛のちゃびもいなくなった今、気ぜわしい色とりどりの年末や、真っ白に光り輝いて見えた元日の朝の光が、遠く鮮明な記憶の中だけのものになってしまった。

私にかつてそういうことがあったことが信じられないようにも、また同時に、失われてしまったことが信じられないようにも感じる。

まだどこかに強烈にあるのに、それをつかめない、全身で触れられない淋しさ、苦しさ。

初詣の時に、母とちゃびの健康と幸せを一心に願えないことが、どうしようもなく辛かった。

昨年、ちゃびが亡くなった11月の初めから、12月、私は人生で一番の危機に耐えた。動悸と悪夢、不眠が苦しかった。

眼の前は真っ暗、なにも楽しくなかったし、なにもやる気が起きなかった。

でも大切な相手を亡くした人は私だけではないはずだし、淋しい年末年始を過ごしている人も、この世にはたくさんいるだろう。

12月24日

図書館に行く細い道の途中にある寸断された樹。

頭にトタンのようなものがかぶせてあるのが気になる。

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曹洞宗鳳林寺にて。

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江戸時代からここにあるこれらの石仏にこめられた過去の出来事を思う。
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曹洞宗宿鳳山高円寺の白椿とメジロ。
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花の蜜を食べ、鴬色(渋い黄緑色)なのはメジロで、ウグイスではない。ウグイスは虫を食べ、地味な茶色で、花には来ない。
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2017年12月 4日 (月)

ちゃびへの恋しさが止まらない

12月3日(日)

ちゃびが死んでしまったことを、なかなか受け入れることができない。

理性的にはしかたないこととわかっているが、身体が勝手に反応している。

冷たい北風の中から帰宅してドアを開けたとたん、湿った暖かい空気に包まれ、「ちゃび、遅くなってごめんね!」と駆け寄って抱きしめようとすると、ちゃびがいない。

この部屋の湿り気のある柔らかくて暖かい空気はちゃびそのものだ。涙が噴き出てくる。

自分が寝ているふとんをめくったり、あるいはふとんの端が見えたりした瞬間に、そこにいっしょに寝ているちゃびの茶色くて丸いからだが見え、「ああ、ここにいたの。潰しちゃいそうだった。」と思う。

ほっとした2秒後に、ちゃびがいない、という現実に引き戻され、胸の真ん中の骨のあたりがズン!と打擲されたように痛くなる。

それからどくん、どくん、と骨が飛び出してくるような痛みの感覚とともに「嫌だ、嫌だ、耐えられない。」という言葉が繰り返される。

日に何度か聞こえるカサカサッという音に、ちゃびが私のところに近づいてくるいつもの足音だと思い、ふふっと嬉しくなる。

次の瞬間、ちゃびがいないことに目の前がぐにゃりと暗くなる。

夢の中で何度も、「ああ、ここにいたの。」とちゃびに会い、その数秒後には、「やっぱりいない。嘘でしょ?!」とうろたえる。夢の中でさえ泣いている私がいる。

うなされて眼が覚め、「はあ、はあ、」とまるでセリフのように出てしまっている自分の声を聴く。着ている綿シャツはぐっしょり汗で濡れている。

朝、目覚めた時がもっとも緊張が強く、首や肩の凝りからの頭痛や動悸が苦しくて、レキソタンを飲もうかと迷う。

朝一番に精神安定剤を飲んで依存するのが怖くて、とりあえず、ゆっくりお茶を飲んでみる。それからさまざまな用事をかたずけるが、緊張のための頭痛と肩凝りは収まらない。結局タイレノールを1錠飲み、それでも苦しくてたまらない時には、昼くらいにレキソタン1mgを飲む。

ちゃびがいつも水を飲みにきていたお風呂場。黴を落とすのに強力な洗剤を使いながら、「ちゃびに毒だから、ちゃびが入ってくるまでに洗い流さなきゃ。」と思う。その2秒後に、「ちゃびはもういない」という現実に、胸と頭ががん、と打ちのめされる。

ちゃびのトイレを置いていた場所では、足が引っかからないようによけて歩いてから、もうそこにトイレはないのだと気づかされ、「あっ」と驚く。

外出する時には、ちゃびが玄関の土間に出ないように、洗面所のドアを開けっぱなしにして、玄関への道をふさいでおいた。今も、出かけようとするたびに、洗面所のドアを開けっ放しにしようとしてしまう。

週に1、2回は行っていた店の前を通ると、「トイレの砂はまだあったっけ?」と、いつもの習いで店に寄ろうとしてしまう。そしてまたその2秒後に、「もうちゃびはいないんだ、トイレの砂も、K/Dも買う必要がないんだ。」と気づき、真っ暗になる。

二度と関係ない?この疎外感。この虚しさ。

スーパーでマグロのお刺身を見ても、中トロを買ってきて、ナイフで細かくたたき、レンジアレンを混ぜてから、ちゃびにあげていたことを思い出す。今はマグロの刺身を見るのも辛い。

ちゃびにあげたお刺身の余りを私が食べるのが嬉しかった。自分だけのためになら、もう二度とマグロのお刺身は買いたくない。

いたるところでちゃびのために買っていたもの、買おうと思っていたものに出会うたびに涙が止まらない。

ちゃびの医療費はそうとうかかっていたが、数字としてどのくらいなのかまったく考えなかった。自分のためには食費も暖房費もなるべく使いたくないと思う。

ショックで自分を虐めたくなっているということではない。ただ、自分に余計なものを与えること自体がストレスになるので、極力そぎ落としたい。

ちゃびが私に美しい景色を見せていてくれたのだろうか。ちゃびがいないと、すべてのものごとから魅惑が消えていってしまうのだろうか。

幼少期から、生家には犬や猫たちがいた。だから、一緒に暮らしていた最愛の動物との死別は、これが初めてではない。だが、このようなショック時の過ごし方に慣れるということはない。

最愛の犬、チロとの死別で、私は初めて心身ともにおかしくなった。小学校6年の時。それから何度も悲しい別れを体験し、そのたびに死ぬほど泣いた。

もう一度ちゃびに会えること、強い愛情関係が見つかることしか欲しいものはない。

2007年。10歳の時のちゃびと私(自撮り)。

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私の絵の具箱(高さ110cmくらいのクリアケース引き出し)の上がお気に入りだった。

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いつも私をじっと見ていて、眼が合っただけでゴロゴロいっていたちゃび。Sdh000031

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どんな接写も嫌がらずに私にカメラ目線をくれていたちゃび。
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11月30日(木)

静かな雨。乾いた北風でなかったせいか、それほど寒さは感じなかった。

週に2回、保険外のほぐしマッサージに通っている。通りいっぺんの保険内治療より、一番苦しいところを重点的にほぐしてもらえて効果があると感じる。

11月29日(水)

池袋の公園で猫たちを眺めた。

サラリーマンの男性が食べ物をあげていた。そのあと、その男性が猫を膝にのせながら煙草を吸っていたのが気になった。

どこにもちゃびに似た子はいなかった。

そのあと大塚駅まで歩く。

桜の紅葉はほとんど地面の上。柿色、檜扇色、紅玉色、葉脈の際は山吹色で、山吹色と山吹色に挟まれた部分が朱色の葉など。

大塚駅で都電を見た。線路際に揺れていた黄花コスモスの淡い色。この花がなければ殺風景な線路だ。

今度、この都電に乗って、母がまだ元気だった頃、父と一緒に行ったと言っていた都電荒川遊園に行ってみたいと思う。

11月28日(火)

午前中、E藤さんより電話。「今、すぐ近くに来ているので昼食を一緒にとらない?。」と誘われる。

高円寺の名代そば茶屋で昼間から熱燗。

E藤さんはまったく飲まない人だったが、娘さんの通夜から、お酒をほんの少しずつ飲むようになったという。

蕎麦は、私には汁の醤油が濃すぎて出汁のうまみが感じられず、まずかった。

E藤さんが私の母に会った最後は10年くらい前、西新宿の旧駒ケ峰病院の前で、父と一緒に歩いている母が「これから食事に行くの。」と嬉しそうに言っていたそうだ。

母が病気で外出できなくなる前、父と都内のいろんなところに食べ歩きに行っていたらしい。その当時、母はとても幸せだったと思いたい。

そのあと、E藤さんを送って、E藤さんの家まで行き、娘さんの祭壇にお線香をあげた。

娘さんがかわいがっていたという2匹の猫(外猫)が、ベランダから家の中をのぞいていた。とてもガタイのいい猫だ。ベランダの戸を開けたら、ぱっと逃げてしまった。

誰にも触らせない、と聞いて驚いた。昔、何度か野良猫の世話をしたことがあるが、たいてい1、2か月で慣れて、向こうからすり寄ってきて、ゴロゴロ言いながら私に抱かれるようになっていた。

触らせない猫だったことにがっかりした。撫でるのを楽しみにしていたのに。

E藤さんから「家にいるのがよくない。旅行にでも行ったほうがいい。」としきりに勧められた。夜にネットで、一応、東京から近い島の宿などを調べ、そこに行った自分を想像してみたが、気持ちははずまない。

やはり今、寒い中で遠出すること、時間とお金と体力を使うことを想像すると、さらに疲弊する気がする。

なにかやるべきこと、大切なことの本筋からずれてしまうような焦燥感がある。自分の仕事が遅れていることに対する自己嫌悪。

結局、自分が思うところのやるべき仕事が進むことでしか自分を支えることはできない。

今は、遅々とした歩みでも、仕事と家の中の整理をしていたほうが精神的にいいように思う。

ちゃびが亡くなってから、部屋の中にいるのが怖くて、無理やりにでも電車に乗って出かけたりしていたが、陽のある時間は近所を歩き、あとは家の中にいたほうが心身の回復のためにいいのかもしれない。

外に出て余計なストレスを受けることを避けるほうがいいと今は思う。

11月27日(月)

書道の日。「呈祥献瑞」。淡々とお手本を見ながら忠実に書いたが、正月のおめでたい言葉。

今は書くのが虚しい。

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