悩み 苦しんでいること

2017年5月29日 (月)

整骨院で逆に自律神経失調(不安と過緊張)が酷くなることをされた話 (1) / 元場面緘黙

5月24日

私は過緊張で不安を感じやすく、、何事も悲観的に考えやすい性格(少女時代は場面緘黙症)だ。(もともとの原因は、生まれつきHSPであることと、幼年期からの父からの虐待だと思っている。)

過緊張の苦しみと疲労で常にがちがちに凝り固まった首から肩、背中の筋肉をほぐすために通っている整骨院で、最近、逆に、体調を大幅に崩すほど酷く苦しめられる事件があった。

私にとっては、ものすごくストレスと怒りを感じる事件だったので、ここに書いておこうと思う。

事件から一週間経ったが、いまだに特に朝から昼にかけて動悸とのぼせで呼吸が苦しく、手が冷たくなり、背中と肩が酷く痛い。一度不安をかきたてられた脳や神経が勝手に暴走してしまったようで、平静に戻らずに苦しんでいる。

5月22日に、行きつけの整骨院で、その事件は起きた。

そこは、最寄りの駅でエキテンのトップに出てくる(つまり経営側が、なによりも宣伝効率を高めることに力を入れていて、実際に社長が経営戦略マニュアルを販売しているようなやり手の)整骨院だ。

順番に呼ばれて、中に入って、ベッドに横になる時に、だしぬけに、「これ、スッタフ一同からです。」と手書きの文字で書かれてある、糊で封緘した無地の封筒を渡されたのだ。

私はすごく驚いて「いったいなに?」と聞いた。

私に封筒を渡してきたスタッフは、最近入って来たばかりで私がまだあまり慣れていない大柄で低い声の男性(この整骨院のスタッフは全員男性だ)で、その人に「スタッフ皆からです。」とにこりもせずに真顔で言われたために、私はものすごく不安になってしまった。

受付でなく、ベッドに行った時にこそこそ渡され、しかもわざわざ糊で封緘してあってその場で中を読めないようにしてあるために、私はそうとうな重要な要件を書かれたのに違いないと思った。

ここまでするのはいったいなんなの?とひどく気持ち悪くて、すっかり不安になり、なにか私へのスタッフ全員からの抗議なのか(なにか私はスタッフに対してひどい態度をとったっけ?)、と思ってしまったのだ。それで一気に動悸が上がって吐き気するほど具合が悪くなってしまった。

その後は痛いほど動悸が激しくなり、頭はほてり、めまいと頭痛と吐き気がして全身のふしぶしが痛んできた。私を治療しているスタッフが「だいじょうぶですか?唇が紫色になってますよ。手が冷たい。」と言ってきた。

そんなネガティヴな手紙をスタッフ全員から渡されたなら、私が具合悪くなって当然でしょう?と内心思い、実際、なにか言葉を発する力ももう残されていなかった。

帰宅するまで、胸のざわざわが苦しくて、心拍数が上がって、おかしくなりそうだった。なにかすごく理不尽なことを書かれていたら、弁護士に相談しよう、とまで思い詰めながら帰路を急いだ。

帰宅して封筒をちぎるように開けたら、「2015年7月10日に××整骨院は開院しました!それからいくつかの偶然が重なって○○さんと私たちは出会うことができました!」という、いわゆる顧客を逃がさないための「手書きの」サンキューレターだった。

「2017年3月13日 この日がなんの日かおわかりですか?この日は初めて××整骨院に来られた日です。言いかえるとこの日は○○さんと私たちの出会いの記念日です。私達スタッフ一同は、この出会いがいつまでも続いていたらなあと思っています!また○○さんがお困りの際は何でもご相談くださいね!!」

さらに、その手書きの手紙には“笑顔”、“明るい”と、わざわざ小タイトルがつけてあり、下のように書いてあった。

“笑顔”

「私たちは○○さんが来られたら逆に元気をもらえます!いつも○○さんが来られるのを楽しみにしています!明るい表情でお話をしてくれるので、私達も本当に嬉しい気持ちでいっぱいになります!これからもそのままの○○さんでいて下さい!」

“明るい”

「○○さんは性格が物凄く明るいです。私たちは○○さんが来られるのを楽しみにしています。治療中も楽しそうにお話ししてくれますので私たちも本当に嬉しい気持ちでいっぱいになります^^これからもそのままの○○さんでいてくださいね!そして私たちにずっとパワーを下さいね!」

手書きの汚い文字で、こんな白々しくも的外れなことを書いて渡すために、私を自律神経失調の酷い状態にさせたのか、と思うと怒りでいっぱいになってしまった。

こんな押し付けの欺瞞的なものをどうしても渡したいのなら、せめてその場で読めるように封緘しないで渡すべきだし、封筒はかわいい柄のものにするなどの気遣いがあるべきなのに、あまりに非常識と思う。

(のちに、この、わざと糊で封緘すること、受付でなくベッドで渡すこと、「何?」と患者が効いてもそれには答えないこと、すべてが、上部からの「患者を驚かせ感激させて治療院の大ファンにさせるため」のマニュアル通りにスタッフがやったことだと知って、私の怒りは頂点に達した。)

すごく困ったことに、手紙がばからしい内容でしかなかったと理解したあとも、一度拍車がかかってしまった動悸が治まらなくて、具合の悪さがどうしても治らなかった。

しかたなく近所のクリニックに行って星状神経ブロック注射を打ってもらった。

次の日の朝も動悸が激しくなり、悪夢で眼が覚めた後に胸のざわざわが治まらなくて、手が冷たいのに汗がにじんできて、頭と顔はほてり、全身がびりびり痛いような苦しさが続くようになってしまった。

酷い動悸とともに、幼い頃に父に脅かされたりからかわれた時の不安のフラッシュバックや、父に借金を負わされた時の耐えられないほどの経験がよみがえってきてしまい、苦しすぎて泣いたりもした。

。。。

その整骨院は○ンキューグループという大きな会社が経営していて、社長はM越K一という「次世代治療院革命」という治療院経営のノウハウを売るサイトをやっている1981年生まれの人だ。彼はわずか4年で20店舗の治療院グループをつくりあげ、それからも拡大中だそうだ。

ネットでこの人の名前を検索すると、「M越グループの急成長の原動力になっている内部資料をそっくりそのまま手に入れませんか?」という過去記事があった。

それは経営ノウハウのDVDを3種セット5万円で販売している宣伝の記事なのだが、その中のひとつに、まさに私が不安神経症を発症しそうにさせられた、この封をした手書きのサンキューレターのマニュアルがあった。

そのうたい文句に「患者さんが涙を流して喜び、一瞬で熱い熱いファンに変えてしまう実証された感動の手紙の事例集をお届けします。」と書いてあり、

さらに、「手紙をもらった患者さんの中にはうれしくて泣いてしまう方もいらっしゃいます。患者さんとしては整骨院で自分のことを気にかけてくれた手紙などもらうとは夢にも思っていません。」

「こういった感動体験があなたとあなたと患者さんの距離を一気に縮めます。そうして、患者さんはあなたのファンになり、あなたの治療院に通い続けてくれるようになるのです。」

「この手紙が○越グループのファン患者さんの育成の核となっているともいえます。」

「患者さんはスタッフの強烈なファンになり」

「自動的にあなたの治療院の営業マン・宣伝マンが出来てしまう」

「スタッフへの指導に割いていた時間が大幅に短縮できてしまう」

「ひな型を基本にアレンジすればいいだけなので考えなくても手紙をつくれます。」

○越グループでは「マクドナルドのようにスッタフの教育課程がシステム化されています。」

などと、あまりにも患者をばかにした傲慢なやり口が書いてあった。

私は、過緊張で体調が悪いのを少しでも治してほしくて行く整骨院で、このように患者の個々の苦しみ、痛み、気質、性格を無視して、スタッフの思いやりをなくさせて無感覚にさせるマニュアルを売りにしていることに、はらわたが煮えくり返ったので、抗議の手紙を書くことにした。

それで「××整骨院スタッフ一同様」という手紙を書いて持って行った。

このような抗議をはっきりとすることは、私のような過緊張で不安が強い人間にとって、ものすごい負担であり、緊張、不安で、さらに心臓ばくばくで頭痛がするようなたいへんなことなのだが・・・

・・

そしてどうなったか、長くなるので、この続きは(2)で書きます。

 

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2017年5月 1日 (月)

入江紗代さんと会う 場面緘黙(かんもく)

4月20日に、入江紗代さんと会って話した。それは不思議なご縁での出会いだ。

先日、「遠藤さんという私の尊敬する人生の大先輩の女性が、荻窪の施設でボランティアをしているので、声をかけてあげてください。」と、その施設で働いていたIさんに久しぶりにメールしたのだが、Iさんはもうその施設をやめて故郷に帰っていた。

Iさんとは、12年前に私が早稲田大学で講演した時に知り合った。彼は当時の学生さんだ。

そのIさんが結婚されたのが、同じ大学で知り合った入江さんだ。入江さんとIさんは今、「かんもくの声」という「緘黙」の理解と認知を広めるための活動をされている。

入江さんは、幼稚園から大学くらいまで、人前で言葉や声を発することのできない症状(「場面緘黙症」)でたいへん苦しみ、今年の3月に「世界仰天ニュース」というテレビ番組の取材を受け、出演された。

私はIさんのFBを見て、ごく最近、そういう状態を「場面緘黙」(かんもく)というのだと知ったのだ。

幼稚園から高校くらいまで、人前で緊張しすぎて、うまく言葉を発することができなかったことは、私もそっくり同じだ。極度の人見知りというよりも、さらに重篤な不安症や恐怖症の一種、という感じだろうか。

そしてとても驚いたことに、入江さんは、私が12年前に早稲田大学で講演した時のことを強く覚えていて、私と話してみたいと思ってくださっていたという。

私が早稲田大学で話している姿を見て、入江さんは、

「震えながら話していて、こんなにも激しく情熱的で、逆に傷つくのも激しい、振り幅の大きい人を初めて見た」「あの頃の私は、今の何倍も苦しんでいて、(講演を聴いて)救われた気がした」

といったようなことを言ってくれた。

それが私にはすごく嬉しかった。

私は悲観的で、なにかを表現しても、それが誰にも届かず、徒労に終わってしまう、というさびしさや焦燥が強い。

けれど、私が気づかないところで、私の拙い話の向こうに痛みとして在る私自身を見つけてくれた人、スムーズに流通しない言葉の滞りや破れ目からでも共感してくれる人がいたこと、その人と12年も経て直接出会えたことが、奇跡のように思え、ありがたかった。

その後のメールでも入江さんは、

「幼い頃から、生きてること自体が葛藤みたいなことを感じてきたのですが、早稲田での福山さんの姿に、勝手ながら初めてそのような人に出会った!と感じ入った気がします。 」

「福山さんの持つ緊張感さえも魅力的で、はり裂けそうな人だという印象で憧れておりました。」

という、なんとも素敵な言葉使いで、私にとっては最高のほめ言葉をくださった。

入江さんは、頭がよくて謙虚で、私からはすごく話しやすい誠実なかただ。それなのに入江さんは「自己を肯定できるという感覚が分からない」という。それは痛ましいことだ。

入江さんの場合は、虐待やいじめにあったわけではなく、どうして幼稚園から外では話せなくなってしまったかは、わからないという(原因は、家庭環境と関係ない人も多いらしいが、日本では研究や調査があまりにもなされていないために、よくわかっていないそうだ。)。

私も、人前ではっきり意思表示ができないために、幼稚園から小学校、中学校は地獄だった。さらに私は肉食ができない(肉がはいっているおかずが苦痛で食べられない)ために、給食時間も地獄。

私の場合、さらに悪いことに、都会の真ん中、新宿駅にほど近い公立の幼、小、中で、特に中学は、教師も御せないほど荒れていて、滅茶苦茶な暴力にさらされた。(しかし私の場合、不登校になったことは一度もない)。

大人になってから対人緊張はだいぶ治ってきたが、私は今も、人に話しかける時に、相手やまわりの反応を考え過ぎ、心配しすぎ、逡巡しすぎて、くたくたになる傾向がある。

そうなった原因は、私の場合に限って言えば、最初は父親からの虐待だと思っている。実際に父は、私を脅かしたり、からかったり、ばかにしたりして、私が怯えるのを面白がるようなことがあった。

小学校低学年で、一緒に外出した時、父は人混みでわざと、どんどん先に行って、私が迷子になって恐怖するのを面白がったりした。そういうどうしようもない不安や恐怖を、父は幼かった私に毎日、植えつけた。

殴られて、本当に頭の中に火花のようなものが見えたことも何度もある。一方的に床に叩きつけられ、その痛みと同時に、激しい怒りと憎しみが湧き上がってきて、胸や首のあたりがびりびりした感覚を覚えている。

小学校、中学校時代、とても集中して描いてほめられた絵を学校から持ち帰っても、父は「グロテスクな絵だな。」とばかにした。「お前程度のやつは、掃いて捨てるほどいるんだ。」などと言われたり、作文も笑われたような記憶がある。

私はすっかり萎縮していた。人前で自分を表現することが怖くて、手を上げて自分の意見を言ったりするのが極端にいやだった。そうしていつも、ただ無防備に他人の目にさらされ、頬を紅潮させながら、「素の自分」を痛みとして思い知らされるのだ。

「緘黙」傾向のある人たちは、人それぞれ、話せない場面や程度、その発症要因も違うが、想像するに、いろいろ気疲れしすぎる性格の傾向は似ているような気がする。

けれど私は、それと同時に、自分は周りの子が気づいていないものに気づいていたり、まったく違う感じ方をしていることがある、そのため、周りの子たちに発言や振る舞いを合わせることに強い反感を持っている、という意識が、幼い頃からしばしばあった。

周りへの違和や、自分だけに見えているもの、激しく感じることを表現したいという欲求も、抑圧されてはいたが、強くあったのだ。

幼稚園の頃から、早く大人になりたいと思わざるを得なかった。少なくとも理不尽な暴力や画一的な強制からは、大人になればもっと自由になれると思うほかなかった。

(大人になってみれば、子どもならではの残虐さやむき出しの暴力によって傷つけられることはなくなったが、自我の欲望を満たすための搾取や収奪はむしろ日常となる。)

大人になるにつれてわかってきたことは、恥ずかしがらずにぺらぺらとしゃべる人は、会話によって本当にその人の生存のあり方が問われているのだ、と本人が意識していないので、平気でしゃべることができる、ということだ。

自分の個別の体験、自分の身体を通してしゃべっているわけではなく、まわり(地域社会や職場での関係、交友関係など)のレヴェルに合わせた習慣や、反射でしゃべっている、ということだ。

皆、役割演技をしていて、それに慣れてしまっているから、そんなに緊張もせず、恥ずかしくも感じていないのだと思う。

飾らない真の苦しみから出ることば、人と理解し合いたいという希求から出てくる言葉は、ぺらぺらと軽くなるわけがなく、思いが強すぎるからこそ、裸でさらされているようで、うまく話せないのだと思う。

言葉が真実であることが必然になってしまっているからこそ、話せない。

入江さんは、「福山さんがとてもお話しやすい方で驚きました。不思議と、普段はあまり言わないことや言えないことも自然と話していました。お話しながら福山さんのことをとても率直に感じ、そのせいか私も率直な面を出せたのだと思います。」と(メールで)おっしゃっていた。

そういえば、昔の早稲田での講演のあと、当時の図書新聞の編集、佐藤美奈子さんに

「私はそこに、本当に、はだかの、裸形の人を見ました。」と、すごく驚いたように言われたことを思い出す。

私の心にはすごく嫌なことも強烈に刻まれるが、美しいものも強烈に刻まれる。その過剰さを制御できない。

美しく儚いもの――動物たちや植物が、ずっと、私が生きることをたすけていてくれたと思う。

デッサンは「光の声」だと言ったのは詩人のアポリネールだが、入江さんにお会いして今、私も、私の仕事を通して、なにか「緘黙」に閉ざされた人たちの力になれたら、そんなふうに願っている。

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