6月6日
16歳の頃からの親友、みゆちゃんと、カメラを持って二人の生まれ故郷、西新宿を歩く。昔懐かしい場所をたどり、幼い頃から変わらないものをさがしに。彼女とは小、中ではなく高校で知り合い、ごく近所に住んでいたのは偶然の幸運なめぐり会わせだ。
朝、10時半に新宿西口で待ち合わせ。。(画像はすべてクリックすると大きくなります)
まずは西新宿7丁目へ向かう。かつてレストランだったところ、今は高級ではないがお洒落な外国人向けのホテルになっていた。入口に子どもの遊具だった白い馬。奥にかかっている絵と猫脚のキャビネットもなんとなくヨーロッパのさびれた宿風。

昔「柏木」と言ったあたり、公園のフェンスに昼顔の蔓が絡まって薄ピンクの花が満開だった。公園の中に枇杷の樹があって、実が鮮やかな蜜柑色だった。「あ~枇杷!おいしそう。」と言うとみゆちゃんが水道の台の上に乗っかってもいでくれた。枇杷の実はとても酸っぱかった。
かつてみゆちゃんの家のあったところは、大きなマンションがいくつも建っていて、方角も道路の幅の感覚もわからなくなっていた。古いお豆腐屋さんも、もうない。
2005年くらいに、再開発が始まって、ここら辺一帯が破壊され尽くしてもぽつんと残っていた古い昭和のアパート、「ときわ荘」に「建築計画」の看板がつけられていた。ついにこのアパートも無くなるのか、と大ショック。

このときわ荘には「勾欄」のようなもの(窓の外の木の柵)があるところが素敵。ときわ荘のは水色に塗ってあるのがまた好きだった。

「昔、このアパートに友達が住んでた。誕生会によんでくれた。」とみゆちゃん。
この「ときわ荘」の向かいも古い建物で、年配の方々が集まっていた。

税務署通りに続く道。ここにも昔からあって、まだなんとか残っている古いアパート群。
まずは「緑荘」。

そして懐かしい雰囲気の「雅山荘」「瑞雲荘」「青雲荘」「東雲荘」・・・・

古い建物とともに緑があるのがほっとする。


紫陽花の色が今、盛りだった。

みゆちゃんが撮影してくれた紫陽花の影の私。

みゆちゃんも植物が大好きで「あれ、なんか実がなってる。何の実?これはなんの花?」と聞いてくれるので「あれは椿の実。これはカタバミ、これはブルーサルビア、これはペチュニア、これはツキミソウ」と応えるのがとても楽しい。赤と白のバイカラーの小さな蝶形花は、チェリーセージ・ホットリップス。

かつて駄菓子屋さんと靴修理のおじさんの店があったあたり、細い道はそのまま。
昔、ここらへんにはけっこう犬がいたのに、今はマンションばかりになったので、犬を飼っている家が見えない。
みゆちゃんが子どもの頃遊んでいたと言う成子天神へ。ここもマンションの谷間となり、門がやたら新しくなっていて朱色ではなく、趣味の悪い派手なピンクがかった赤だったのでがっかり。
みゆちゃんが子供の頃、いつも登って遊んでいた築山がない・・・と思ったら、奥にあった!

この山の上の岩が溶岩みたいだな、と思ったら、小山の上に富士山の溶岩をのせてつくった富士信仰の山(富士塚)だそうだ。

けっこう高い(12m)山で、折しも陽射しがカーッと照りつけてくるし、私はスカートの裾を踏んで転がり落ちそうで怖かったので、途中までで引き返したが、みゆちゃんは颯爽と登頂して写真を撮っていた。私は中腹から撮影。

山から下りて来たみゆちゃんに「はい、これ。」とシロツメクサの花一本と四葉のクローバー一本(自作の布花)を差し出す。
「あ、四葉、見つけたの?」と言うみゆちゃんに「私が作ったんだよ~」と言ったら、「ええ~!?、そこで摘んだんだと思った。本当に作ったの?ええ~、これ自分で描いたの?すご~い!」と予想以上に驚いてくれた(さすが親友・・・)。
そして「はい。」と用意していたシロツメクサと四葉のクローバーとマーガレットとヒナギクのコサージュをあげた。「私にくれるの?これ、すごく手間かかってるでしょ?」と、とても喜んでくれたので嬉しい。
庭の梅の樹の実が黄色く熟してたくさん落ちていた。「これ、桃みたいないい匂いがするんだよ。」と言うと「わ、おいしそう。食べられないの?」とみゆちゃん。「熟してるからだいじょうぶとは思うけど、梅は青酸カリが危ないよ。」と私。
成子天神を出て青梅街道を歩くとき、夏至近い強烈な日が雲から出てきて脳天がじんじんした。「ぎゃ~、顔に湿疹が出る~。」と焦る私に「だいじょうぶ?」とみゆちゃんが私の日傘の上から、さらに自分の日傘をかざしてくれた(優しい~)。
それからランチを食べに中央公園の脇にあるイタリアンへ。ここは前菜のサラダ盛り放題なのでいっぱい食べた。

メインはリゾットを選んだ、飲み物付きで税込1000円ぽっきりというリーズナブルさ。

レストランで、お互いの近況とけっこう深刻な悩みの話をした。
お互い二人姉妹の姉で、忍耐強い性格。ところが自分がどんなにしっかりと自分の道を歩んでいても、肉親に精神的におかしい人間がいると、ものすごい苦労を背負わされることになるものだ。彼女もたいへんらしい。私は父と妹のせいで心労が半端ない。
家族の中で真面目で忍耐強い人間がいると、その分、甘えてわがままな人間ができるようで切なくなる。
「精神的におかしくて異常にわがままな人間は、自分を甘えさせてくれると思う人には滅茶苦茶に酷いことを平気でするのよ。」と彼女。だから毅然とした態度をとらなきゃいけないということ。「結局、自分が思うようにいかないからイライラしてるんでしょ。自分のコンプレックスを自分でどうにもできないで、優しい人に八つ当たりしてるだけ。」
「父も妹も精神的に弱くておかしい人間で・・・私もあんなになったらどうしよう、と怖い。」と言ったら「ふっこはだいじょうでしょう。すごく強いもの。」と言われた。
私の実家の中に入ったら、一階の畳の上たたんであったふとんの上になぜか2cmくらいの茶色い毛玉がいっぱい。「あれ!なにこれ!?猫みたい。」「猫だよねえ、これ。さっき道の真ん中に寝てた大きな茶色い猫じゃないの?」恐ろしいことにうちの周りにいる野良猫さんたちが、うちに自由に出入りして、くつろいでいるらしい(古い日本家屋恐るべし)。
中央公園の中を抜けて新宿へ。中央公園の熊野神社の横の部分が「ビオトープ(自然観察地域)」になっていて、蛙が高い声で鳴いていた。トクサ(木賊)は、スギナの巨大なものにそっくりで、よく見るとツクシにそっくりな頭がある。同じトクサ科なのだ。

そのあと、みゆちゃんの希望で、(私としては10年ぶりに)カラオケに行った。私は中学は吹奏楽部(スパルタの音楽系)、高校、大学時代もバンドをやって歌っていたが、みゆちゃんは歌なんて歌ったことなかったのだが、最近になって歌う楽しさに目覚めたのだと言う。
私が「最近、他人からの酷いストレスでやつれてしまった」と言ったので「歌って、ストレス発散して。」と言ってくれる。
みゆちゃんの選曲がまた「水の影」とか「翳りゆく部屋」とか「楓」とか「スカボロフェア詠唱」とか、ツボにはまるものばかりで、すべてに高音でハモったら「ふっこはハモってくれるからすごく気持ちいい。」と、またまた喜んでもらえた。
ちなみに私は「明日に架ける橋」や「私のフランソワーズ」「夜桜お七」などなどを歌った。「ユーミンは荒井由実の時は良かったのに、バブル期になってからの歌は好きになれない。」とみゆちゃん。私もほんとにそう思う。
彼女は大学卒業後から何十年も同じ外資系の世界的大企業に勤めているのに、少しも飾らない。初めて会った高校の時のまま変わらない。正直で、いつもしっかりした考えを持っているのに決して出しゃばらず、見栄や欲がなくて、デリカシーがあって、面白いことへの好奇心も旺盛で、柔軟性や遊び心もあって、気持ちのかよう私の大切な友人。
私のほうがずっと変わり者だが、彼女は私のことをよく理解してくれている。素敵と思うことと、嫌悪感を抱くものが非常に似ているから気が合うのだ。
私が(父からかけられたストレスによって)甲状腺がんになって国立がんセンターに手術入院した時、彼女の会社が日比谷にあったこともあるが、毎日必ず来てくれて、母が本当にいい友達だと感動していた。
高校の時、いつも彼女がそばにいてくれた。3月に二人で内房線各駅停車に乗って、南房総の先端まで行って、「江見」という駅で降りて「太海」という駅まで、線路の上をとぼとぼ歩いた時のことを鮮やかに思い出す。
線路沿いにびっしり鈴生りに咲いていた白い水仙の香りが、透明でむせかえるようで、春の陽が溢れていた。花畑でストックやキンセンカを摘ませてもらって両手いっぱい買って帰った。海の風はまだ冷たかったけれど、すごく楽しかった。帰りはまた各駅で外房を廻って新宿に帰ってきた。
あの頃のまま・・・あれから苦労は山ほどしたのに、ちっとも逞しくなれていない自分がいる。
・・・・・・
最近、生まれて初めて自己流で作ってみた布花の一部の画像を載せます(拡大して見てください)。
シロツメクサとクローバーの布花。

白い花は服に合わせやすいし、作ってみると思いのほか楽しい。小さい頃摘んで遊んだ野の花、シロツメクサ、ハルジョオン、タンポポやレンゲに触れて匂いをかいでいる時の、胸が締め付けられるような嬉しさがよみがえるからなのでしょう。

白い布花だけでも、こんな感じに、いろいろできてしまいました。


大きくまとめるとこんな感じ。

あんまり大きな花束になっても、使いづらいと思うので、人に差し上げるのはこんな感じでまとめました。綿と薄絹とオーガンジーのマーガレットとヒナギクのコサージュ。

シロツメクサとヒナギクとスズランの組み合わせコサージュ。

布花は、当初の目的は、以前無くしてしまった紫系の作家もののコサージュをまた欲しくて、それなら自分で作ればいいや、と思ったことだ。紫系の花も、いろいろ発想が展開してしまい、こんなにいっぱい作ってしまった。
これはかつて持っていたような紫のグラデーションのブーケコサージュ。特に何の花という具体的イメージはない。

紫のグラデーションで、ダルトーン、ペールトーン、グレイッシュトーン、あらゆる色系の小花を作って、メインの花と自由に組み合わせられるようにしようと思った。6~8個のグラデの小花を一本にして、一本ごとの諧調も少しずつ変化をつけていったら、際限なく諧調ができ、手が止まらなくなってしまった。

大きさがわかりにくいが、小花はかなりの量になった。一本の茎にまとめた数個の花がみな微妙に違う色彩の諧調になるようにした。

下は紫のグラデーションの菫、すみれ、スミレ・・・。スミレの素材も、ビロード、シール、サテン、綿といろいろ・・・。

いろんな布花の画像を見たら不思議なことに気づいた。
スミレのペップ(しべ)は、尖っていて外に飛び出しているように作るのが「画一的なやり方」みたいだ。最初に「お手本」をつくった先生のマネを皆がするからなのだろうが、実際の植物のスミレの蕊は飛び出していない。
私は「画一的なやり方」にすることが特に美しいとは思わなかった(蕊を飛び出して作る意味がまったく理解できない)ので、実際のスミレに近いように蕊は引っ込めて作った。
ネットで布花を作っている人の例の多くは、最初に作られたやり方の「定型」に依っていて、本当の花の姿はとかけ離れていることを不思議(不自然)に思った。
山本鼎(大正時代に自由画運動を推進)が改革したように、絵画でもかつては「画一的な描き方(自然を見ないでお手本を見て描く)」というものが存在した。これは異常なこと、おかしなことだと思う。布花も自然の花を見て、リアルにせよ、抽象的にせよ、自分が感じた通りに作ればいいのに、と思う。
(ちなみに山本鼎は、若くしてキリンビールの麒麟のラベルをデザインした才気溢れる画家、版画家、教育者で、従弟である夭折の天才画家、村山槐多を助けた。)

下は綿オーガンジーの布をカットして作ったアンティーク風の淡くくすんだオールドローズ。

下は一番最初に作り方も調べないで適当に作ってみた薔薇。これは失敗。コテをしっかりあてないと不細工になることがわかった。

紫系のくたっとした薔薇。ロックシンガーみたいに黒いつば広の帽子に着けようと思った。

このほかにも、くすんだ渋いワイン色と甘いピンクのぼかしの薔薇、水色、青磁、薄荷、紫、マルーンのぼかしのカーネーションなどいっぱい作ってしまった。
私は何か作りだすと止まらなくなってしまうので、布花作りは少しセーヴしないといけない。布花は、とにかくストレス解消になるので止まらない。
私にとって絵の具を使って絵を描くことはストレス解消にはならない。むしろすごく苦しい。自分がつくりたいものと自分の手の不自由さとの軋轢に苦しむうちに、暗闇の中でもがいているように混沌としていく。決して満足することがないので苦しい。
素描は少し違う。「時の断面」に身をまかせることで救われる。
6月5日
最近ずっと、唇の(尋常ではないほどの)荒れ、、高熱(風邪)、顔の湿疹、右目のものもらいと、連続で苦しんできて、やっと右目のものもらいが治ったと思ったら、2日前くらいから今度は左目がものもらいの初期症状となった。
瞬きをするたびに、ずきっと痛むので、今回は眼科へ。
すごく混んでいて一時間半も待たされた。診察室にはいると優しい話し方をする美人先生だったので、なるほどと思った。ものもらいの原因は「疲れ、ストレス」とのこと。
点眼液と軟膏を出された。市販のロート抗菌目薬よりもずっと成分が濃いそうで、早く効くらしい。
唇の異常な荒れは、まだ治っていない。最初に出してもらったプロペト10gを使い切ったので、また皮膚科に行って出してもらったら、50gの大きな容器のだったので驚いた。
唇にべた~とプロペトを厚く塗っている時だけ痛くない。普通にしていると乾燥しすぎて常に唇が痛い。