日常

2024年12月18日 (水)

転倒による左足首の捻挫

左足首の捻挫がようやく治って来た。

まだやっと松葉杖を手放して左足をひきずっている状態。

11月29日

夜、自転車で転倒して左足を捻挫。
私の甲状腺癌を最初に切除した浅井先生は自転車に乗ることさえ反対していたのに大大失敗。

11月30日

一晩寝たら出血が酷くなり信じられないほど左足が赤黒く腫れていた。
近くの外科にやっとこさ行ってレントゲンを撮ってもらう。
左足も左肘もいちおう骨は無事だった。
皮膚の表面に指で微かに触れても痛い。
一週間以上経っても左足がよくならなかったら大きい病院でMRIを撮った方がいいと言われる。
西新宿の大工仕事が見たかったので無理やり出かけた。
踵が地に着くたびに激痛。

12月1日

昨日よりさらに酷くなった。
左足は靴下の丈から下が内出血していて、踵の少し上の両側と指が真っ黒。
腫れはもうこれ以上腫れたら皮膚が裂けるという限界まで腫れて、実際に皮膚表面に細かいひび割れができた。
友人に画像を見せると、怖すぎるのでブログには載せないほうがいい、と言われた。

12月2日

昨日とほぼ同じ。
シャワーのお湯があたった時にまだ皮膚が火傷のようにピリピリする。
外に出ずにおかゆに卵と鮭と三つ葉を入れたものだけを食べて寝てばかりいる。

12月3日

かすかに治癒に向かった?
朝起きたばかりの時より、起きて時間が経つと足に血が下がって赤黒く腫れる。
今日も一歩も外に出なかった。
食べたもの・・卵、鮭、おかゆ、三つ葉、魚河岸揚げ、かぼちゃ少々。
体重は42kg~43kg。

12月4日

午前中に風呂に入ってみた。
皮膚全体のピリピリ感は無くなったが、一部まだやけどのように痛む。
かすかに腫れが引いてきた。

夕方、松葉杖で歩いてみた。
自分の全体重をのせると脇の下が痛い。内出血しそう。
脇で松葉杖にのらないで腕で漕ごうとすると、腕立て伏せ(私は一度もできない)のように上腕がきつい。
左足先だけ外に開いて普段しないアンバランスな歩き方。

普段使わない筋肉を使っているのがわかる。

12月5日

腫れは少し引いてきたがまだ酷い。左足の指、甲から足首まで黄色と黒の内出血。

これでもずいぶん見た目が戻ってきたのでやっと画像を載せられる(と自分で判断した)状態。
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まだ靴を履くのがたいへん。左足だけで立つのが痛くて怖い。
右だけ松葉杖を使う。左足をつく時痛い。
階段は1段ずつしか上がり下りできない。
上るより降りる時が痛くて怖い。

12月11日

高円寺駅のほうまで歩いてみるがずいぶん時間がかかる。
寒いのにてきぱき動けなくて、特に顔と耳が冷えるのが辛い。

 

 

 

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2024年11月13日 (水)

西新宿の生家の改築・のこぎりで爪切断の怪我

11月6日(水)

天井に和紙を貼る仕事がまだ残っていて、この仕事に関してだけは私が手伝ったほうがぴっちり貼れるので少しがんばった。

それをやり終えた後、私は障子2枚に和紙を貼り、その後、トイレの壁にペンキを塗っていた。

奥の部屋で村野君は壁に明けた窓のための枠のようなものを作っていて、木材をのこぎりで切っていた。

ちらっと見た時、「左手の親指が切れそう」と言うと「切らないっすよ」と。

そう言われてから数分後に「あーっ!!」と大きい声が聞こえ「やっちゃった!深い!」

駆け付けると真新しい床板の上にぼたぼたと大きな血の滴が落ち続けていて、すごく痛そうで怖くて、自分がその時どんな言葉を発したのか覚えていない。

爪を切断して下の肉まで切ったという。

彼はすぐに2階に上がって見つけてあった福山家の救急箱から包帯を出して親指にぐるぐる巻きにし、その上から透明な養生テープを巻いていたが、指先はどんどん赤く滲んだ。

親指の付け根に輪ゴムを巻いていた。

そのあと、「もうだいじょうぶ」と言って彼はどんどん仕事を続けた。

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私がうまく塗れなかったトイレの壁をものすごいスピードで仕上げてくれたり。「仕事でゆっくりやってたらどやされる」と。

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ずいぶん仕事をして疲れて西新宿十二社通りにできた食堂に行った。

私はまだ展示の過緊張が抜けず胸筋が固く詰まったままで、ほとんど何も咽喉を通らず、味噌汁だけは飲めた。

「ご飯粒が喉を通らない」と言うと「豆のディップがいいんですよ」

「豆のディップってなに?」「ひよこ豆が買ってあるから」

彼はサンマを「頭が一番うまい」と言って、真ん中の骨だけ残してきれいに食べていた。

十二社の交差点で別れて、帰宅してから、血がどくどく出ていた親指の傷のことが生々しく思い出された。

検索すると壊死するから絶対に輪ゴムで止血するのはだめ、黴菌が入ると化膿するから病院に行くのは必須と書いてあり、不安でたまらなくなった。

福山家の救急箱に入っていた古い包帯なんて不潔っぽいし。

彼は保険証を持っていないので医者を嫌がるが、それでもすぐに外科に連れて行くべきだったのに。

Tが、新しい滅菌ガーゼと包帯と傷薬(ステロイド軟膏)を届けてくれると言った。

夜中の1時すぎにメールが来ていた。

「久々にホッとしました。そのあと、寝てしまいました。」と書いてあった。

 

 

 

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2024年9月14日 (土)

資材買い出し 1tトラック体験

9月11日(水)

西新宿の生家の修復の資材を買いにM・Mさんと一緒に王子のホームセンターへ。

王子駅からバスで終点の豊島5丁目団地下車。とても広い店内。

畳を捨てて床に貼るカフェ板32枚、その下の土台にする垂木36本、天井に貼るベニヤ10枚をそれぞれ1台ずつの台車に載せる。

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それから漆喰、ウイルスや菌を抑制しアルデヒド類を吸着、超低VOC(揮発性有機化合物)塗料(私が色を選択)、柱の土台にするブロック、コテ、ビスなどもろもろのを籠に入れていく。

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全部選ぶのに1時間半くらいかかり、運転する前に眠気覚ましのアイスコーヒーを飲んで休憩。

M・Mさんは「肉さえ入ってなければハラペーニョのサンドイッチを食べるのに」と言う。生のハラペーニョ唐辛子はすごくおいしいと。

私は、小学生の頃にあまりにきれいな実なのでちぎって噛んでみたら焼けつくような痛みが走った観賞用の鉢植え唐辛子の話をした。

そして園芸コーナーを見に行ったら、その「五色とうがらし」を見つけた。

M・M さんはひとつ小さな三角の実をかじって「おいしい」と言った。

会計は20品目ほどで85873円。メインの買い物は杉カフェ板32枚36800円と赤松垂木36本13680円。ベニヤ普通のラワンと防水加工の5枚ずつで10000円弱くらい。

1tトラックを借りる手続きをし、店員さん二人が手伝ってくれて荷物を荷台に載せた。

私はトラックの助手席に乗れる初体験。

道路に出てすぐにラジオをつけると折しもバッハの「旅立つ最愛の兄に思いを寄せる奇想曲 BWV992」(ピアノ)マルティン・シュタットフェルト。

高いところからゆらゆらと景色を眺めながら最高のドライブ。

たくさんの線路が交錯する操車場を見下ろす橋を渡り、遠くの地平に光るいくつもの積乱雲を見つけながら、

さらに盛り上がるバッハの「イギリス組曲 第3番 ト短調 BWV808」(ピアノ)マルティン・シュタットフェルト。

西新宿に着くといつもゴミ収集トラックがつけるうちから少し離れた坂ではなく、トラックが入れそうもない逆側の狭い道、旅館一直(昔木造りの洒落た料亭だったが今は改装されてしまった)の横を入って行くというので興奮。

何度も切り返し、一直の玄関脇にある大きな石に左前輪を載せながら、道の右側の自動販売機にこすらないように、すれすれのところをバックで入り、人ひとりも脇を通れないぎりぎりの道幅で停めた。

そしてM・Mさんは大急ぎでひとりで荷を下ろし始めた。

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4.2kgあるカフェ板を6枚いっぺんにかついで運んでいるのにびっくり。

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柱の土台にするブロックを運ぶ。
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それからM・Mさんは冷蔵庫の牛乳を飲むと大急ぎでトラックを返しに行くという。

「板をこのままにしておいて盗まれないの?」と聞いたら、大丈夫だと言うので私は電車で帰宅。

何から何まで初めての経験でとても楽しかった。

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2024年8月19日 (月)

西新宿の生家 天井裏の煤とネズミの糞の掃除

8月12日(月)山の日の振り替え休日

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(天井が無くなって穴から太陽が差し込んでいる屋根の内側)

西新宿の生家に行くと、M・Mさんは防塵マスクをして屋根裏に上って掃除機をかけていて、私が階段を上りきるあたりで

「2階に来ちゃだめですよ!今危険だから!」と叫んだ。

78年間蓄積した恐ろしいほど大量の埃とネズミの糞の粉が、大きく破られた天井から2階の床にもたくさん落下して、あたりは真っ黒になっていた。

私は2階の遺物を整理しようと思っていたのだが無理そうなので、1階で古いギターの錆びた弦を全部ナイロン弦に張り替えていた。

チューニングしようとしたが、ナイロン弦がどんどん伸びてなかなかチューニングが合わない。

1時間以上してからそっと2階の様子を見に行ったら、M・Mさんはほっかぶりをして奥の部屋の天井に掃除機のホースをあてて、板の隙間から埃を吸っていた。

今日も36℃。2階や天井裏は息が詰まるほど暑い。

紺色のTシャツが隅から隅までぐっしょり濡れていて、振り返った顔には玉の汗がびっしり。

その姿は神々しいとしか言いようがなく、「お疲れ様」とか「ごめんなさい」とか私が言うのもとんでもなく失礼な気がして、言葉に詰まった。

「同じ人間とは思えない・・・」と正直な言葉が出た。

誰も見ていないところで、ひとりでなぜそんなにたいへんな仕事を一心にやってくれているの?

当初は屋根の上から修繕すればいいと思っていたのが、屋根の内側の腐った木の部分を剥がして修繕しないとだめだとわかり、それをやるには78年間、誰も手を付けたことがない(もちろん私はそんなところに考えが及んだこともない)屋根裏の煤の徹底的な掃除が必要になったということらしい。

「全部掃除したら下に行きます」と言われ、そのあとM・Mさんは2階の床から階段の煤を雑巾で拭いていた。

全身煤と汗まみれになったM・Mさんは(ガスが通っていないので)水風呂を浴びて髪の毛を洗い、カセットコンロで炊いた土鍋ご飯を食べていた。

昨日は5時間、今日は3時間、天井裏の煤の掃除をしたという。

「これで難所は越えました」と。つまり天井裏の煤の掃除がほかのどんな作業よりもたいへんだということ。

今まで建築関係の仕事はいろいろやってきたそうだが、「天井裏の煤の掃除は?」と尋ねると「初めて」と言われて、もう申し訳なさ過ぎて私はどういう態度をとったらいいのかわからない。

食べた後、M・Mさんは玄関のベニヤの壁を手でバリバリと剥がし始めた。

ベニヤを剥がすと黒いふかふかした断熱シートが貼ってあり、その中ほどに「うわ!汚いゴミがある!・・・ネズミの巣みたい!」と言われて「キャーー!」と思わず恐怖の叫びが出てしまった。

(私は衛生(の知識)上、ネズミが怖いだけで、ネズミという生き物自体は殺したくない。)

ちぎれたビニールのふわふわしたカスのようなものと大量の埃を、彼は手で掴み取ってゴミ袋に入れているので、私は埃が空気に散らないようにゴミ袋の口を広げて壁の穴に押さえつけるように掲げて両手で持っていた。

今週は私の生家の仕事ではないもう一つ通っている仕事のほうが忙しくて「からだが持つかわからない」と彼は言った。

辞めた人がいるのでその分、出勤しなければならないと。

私の生家のほうはいつまでにやってほしいという期限があるわけでもなく、ほっておいて休んでくれていいのだけど、彼には彼のやりかたと予定というものがあるらしいので私はあまり深くは詮索しない。

本当に私はただあいた穴の部分に上から板で接ぎあてするくらいだと想像していて、こんなに大がかりな作業になるとは夢にも思っていなかったので、何が起こっているのかいまだに把握できていない。

なぜ、ここまでたいへんな作業をしてくれているのだろう?という不思議さに胸が痛んで仕方ないのだが、おそらく彼は上っ面でなく、根本からやりたい人だということ。

自分が納得できるように仕事することが彼にとって大切なのだろう。

「天井裏に上って、この家は最近の家とは違う、「ほぞ」の組みかたに微妙な隙間があって家が揺れながら振動を吸収するようにできていて、昔のすご腕の大工さんだから作れた、もう今の職人ではこういう家は建てられないと思う」と言われた。

また、あえて微妙な隙間を作ることによって風通しがよく考えて作られていて、だから台所の床板など腐っていないのだという。

ボロボロの木の外壁も杉だと言われた。新しいものの見かたを授けられて感激してしまう。

昔、有名な芸者町だったという十二社(じゅうにそう)の黒塀や料亭はなにひとつ残っていない。

旅館一直もだいぶ外見が変わってしまった。ホテルニュー寿も無くなっていた。大好きだった十二社の乳銀杏(十二社の池があった頃から見守ってくれていた巨樹)まで切られて無くなっていた。

民家より料亭のほうが多いくらいだったこの辺りの古い家はすべて新しい建物に変わり、懐かしい友達も知り合いも皆、いなくなってしまった。

ぽつんと取り残された廃屋の福山家が、なぜか今外見を変えずに甦ろうとしている。

ここまでなんとかつながっている命と出会いのおかげで、私は今、思いもつかなかった不思議な体験をさせてもらっている。

 

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2024年8月16日 (金)

西新宿の生家 リサイクル訪問買い取り経験(怖かった)

8月8日(木)

M・Mさんが高知で会って来た友達の写真を見せてくれた。短髪で日焼けして、ものすごい上腕筋と厚い胸をした人。

「すごい筋肉。彼、こんな体形でマッチョじゃないの?」と聞くと「マッチョじゃないですよ。彼はムサ美の油科出てるんです」と。

その人も農業をしているそうで、やはりM・Mさんのまわりは私が今まで知っている美大卒の人とは全く違う人たちが集まっているみたい。

それととても古い石橋と小さい紅色のカニがいる写真。私は地味な色のサワガニしか見たことがなかったので驚いたが、高知では特にサワガニが赤いらしい。

「あなたは個人主義的アナキストなの?」と聞くと「え・・と・・」と首をかしげて考えていて、定義はよくわからないようだった。「でもそういう生き方をしている人同士で助け合えたらいいと思ってます」

・・

古い小説などの本を探しているというリサイクル買い取りの勧誘の電話が昨日、ちょうどあったので、今日2時半に西新宿の生家のほうに来てもらうことにした。

ネットなどでそういうリサイクル買い取りの怖い評判(強引に貴金属を漁られる)は知っていたけど、実際、どんなものが経験してみるのもいいと思った。

2時半に鑑定のIさんという男の人が一人で来た。「玄関の外ではなく玄関の中で」と何度も言われる。

「店舗はどこにあるんですか?」と尋ねると「銀座」と言われてびっくり。最初の勧誘の電話の女性は確かもっと郊外にあると言っていた。

紐でくくってある本の山の写真をスマホで撮って、どの山を持って帰れるか本部に問い合わせている。

その間「今キャンペーン中で」と言われ、こういうものを3点出せば1万円渡せるというプリントをくれた。

しかし結局、メッキでもいいから金のついたネックレスがないかとしつこく聞かれる。重い金色の黒蝶貝のぶら下がったネックレスがひとつあって、それが金メッキで金を分離できるそうで、その場で計って30gくらいだった。

「あと5gあれば5000円出します」と何度も言われたけど無い。結局、これは取っていかなかった。

黒い箱に入っていたご贈答品の古いお酒(ブランデー?)があったので見せたら、それは1000円と言われた。

2階の天井裏に上がって掃除してくれていたM・Mさんに「あのお酒、1000円だって。どう思う?」と聞いたら「渡しちゃだめですよ。あれネットで1万円以上の値がついてたんだから。」と言われて

「渡したくないって。だからやめます」と言ったら「そのお酒は2000円出します」と言われたけど断った。

「貴金属は売りたくないものはもう自宅に持って帰ったんでここには無いです」と言ったら「いつですか?」「きのう」「最近じゃないですか!今日、どんなに遅い時間でもいいですからご自宅のほうに行っていいですか?」とギラギラした目で言われた。

「この後も仕事なんで、無理です」とお断りしたが、何度も「今日、行っちゃだめですか?」と聞かれる。

結局、昔、母が持っていた象牙のネックレス2本で100円(「象牙は売れないから」という)、淡水パールのネックレス100円、古い腕時計(「部品を取り出すしかない」という)4個で300円。

あとは汚れていない文庫本(バーコードがついていない古いもの)を鞄一杯持って帰って500円、合計1000円くれた。

これは値がつかない、これも値がつかない、とガンガン言われてぎらぎらした眼でたかられて、その人が帰った後、すごく嫌な気分になって胸がざわざわした。

まあ、値がつかないと思っていた黒蝶貝のネックレスが実は金メッキだったことがわかってよかった。それも合わせて貴金属は高円寺の査定してくれるところに持って行こう、と思った。

・・

M・Mさんは、「天井裏のネズミの糞を吸い取るのに昔の掃除機の共通で使えるゴミパックやフィルターを買わなければいけない、それと水道の蛇口の緩みを直す部品がいるので中野のホームセンターまで行って来ます」と言って自転車で出かけて行った。

私はそのあいだせっせと写真や書類の整理とゴミ分類をやった。

M・Mさんが1時間ちょっとで帰宅し、その頃、私はやっとこさ大きな箱いっぱい溜まっていた思い出の遺物を空にすることができた。

M・Mさんは、1階の水道の蛇口は中が壊れているようでうまく直らなくて、もう一度ホームセンターに行かないといけないという。

買い取りのせいですっかり精神が疲れてしまい、ぼんやり見ていたら「そんな心細そうな顔で見ないでください」と言われた。

彼は19日から22日まで伊豆に伐採の仕事に行ってくるという。「お土産になんかいいものを・・木材を持ってこられると思います」と。

8月10日(土)

訪問買い取りが来る前にしっかり自宅に持ち帰っていた貴金属類(昔、母が私にくれたもの)を高円寺のジュエリーヤマモトさんに持って行って見てもらった。

山本さんは以前にデザインのバイトをさせていただいたり、委託していただいたり、たまにおしゃべりしたり、親しくしていただいているかた。

金やプラチナの今の値段を調べて、きちんとひとつひとつ計って値段を出してくださった。

なんのデザインもない地味な指輪が数万円。自分の予想をはるかに超えている。

「象牙のネックレス1本50円とかひどすぎる。1000円でも2000円でも欲しいっていう人はいるはずだよ。今は売れないって言ってるけど売れるから取って行ってるんでしょ。」と言われ、

本当に本だけしか出さないでよかったのに、私は古いネックレスや腕時計などなんで出してしまったんだろう、ばかだったと今更思った。

出したくないのに出してしまったこと、これがすごい精神疲労の原因。自分が圧迫に負けたということ。

最初に電話が来た時に「本を求めている」と言われて「本ならあります」と言って約束したのに、そのほかのものを持って行かれるのは、もし売るほうが嫌がっているのならば確か違法だったと思う・・・

「取り戻せるなら取り戻したらいいよ」と山本さんに言われて、クーリングオフの電話を掛けた。

今日からお盆休みに入っていると言われたが、受け付けてくれた。

 

 

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2023年6月 7日 (水)

サイバーナイフによる脱毛

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ネズミのおもちゃをつかまえるプフ。

5月29日(月)

卓球仲間のKさんから小笠原父島産のパッションフルーツをいただいた。
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ネットで調べると一週間くらい置いて、少し果皮がしわしわになった時に食べるのが酸味が和らいで甘いそうだ。

少し前には「これを食べて元気になって」と高級なアメーラトマトをくださった。本当に珍しいものばかり、お心遣いに感謝。

Kさんは80歳だが、朝4時に起きて日帰りで奈良京都旅行をしてくるほどすごく元気。バスでいくつも寺を回って帰宅したのは夜10時過ぎだったという。

卓球のほかにフラダンスもやっておられるそうだ。

私がケイタイを持っていないと言ったら「じゃあ電話番号登録しておくから一回鳴らしたら切って。こちらからかけなおすから。家の電話からスマホにかけると高いでしょう。」と言ってくださったのには感動した。

本当にいろいろ気遣いしてくれるかた。

5月31日(水)

数日前、左の後頭部の下側(うなじに近い辺りを)指で触ったらつるつるになってることに気づいた。

その部分の髪を分けてカメラで上から撮ってみると、底辺12cm高さ8cmくらいの三角形の旗が斜めに垂れ下がったような形に白く禿げている。

いかにも顔の側からサイバーナイフを数百本照射して、その直線が脳の中で交差して後頭部に抜け出た箇所、という鋭角な形。

さらに左後頭部の上の方にも3cm×5cmくらいの禿げがある。これは上から入射のほうの形。

残った長い髪の束がカーテンのように髪の無い部分の上に乗っかって隠してくれている。

本当に放射線科のS町先生の言ったとおりだ。髪を短く切らないで良かった。

髪を後ろでねじって頭の上でクリップで挟んでとめると、大きな脱毛部分もわからない。

髪をダウンしている時に風でそよぐと、後ろから見た人にはわかるかもしれない。

・・・

仮予約したギャラリー(2階にあって急な狭い階段しかない)のオーナーにメール。

4月以降につけてくれると言っていた階段の手すりがまだついていないが、どうなるのかの問い合わせ。

6月1日(木)

味戸ケイコさんと電話でお話しする。

昔、味戸さんがデザイン会社にいた時のお話など。

当時の綺羅星の芸術家たちの原稿を若い味戸さんが受け取りに行っていたそうだ。

ギャラリー内では耳が聞こえにくいそうだが、電話では聞こえやすいとのこと。

温かく静かなお声を聞けて、とても力をいただいた。

6月2日(金)

耳をつんざくような大雨。風邪をひくと長引きそうなので一歩も外に出なかった。

6月3日(土)

仮予約したギャラリーの建物の前を夕方通ると、1階でオーナーが飲み会をしているのがガラス越しに見えた。

手すりについてのメールの返事をまだくれないので、もう一度問い合わせのメールを送った。

最初に仮予約したのは1月。こちらの要望(展示する作家の邪魔になるものは除いてほしい、必要なものは備えてほしい)に対してきちんとビジネスとして対応してくれないことにストレスを感じる。

 

 

 

 

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2023年1月31日 (火)

国立がんセンター予約 / 卓球

1月30日(月)

朝9時ジャストから国立がんセンターに予約のための電話をかける。

混んでいるのは承知なのでずっと繋がらないのはしかたないのだけれど、一旦通じてから「この電話は今大変込み合っています。5分つながらないと自動的に切れます。」という内容のアナウンスが流れ、なにこれ・・すごく通話料金が無駄にかかってしまうじゃない、と残念に思う(私は細かいお金を節約したいタイプです)。

8回くらい同じパターンが続き、9時40分過ぎにやっと繋がった。

自分の今の状況を説明するのに「原発の癌は甲状腺で、最初の診断の時に既に肺に粟粒状転移があり・・」と言ったら

「ぞくりゅうじょうってなんですか?」と聞かれ、「スズメなどの鳥が食べる粟(あわ)や稗(ひえ)ってわかりますか?米じゃなくて粟や稗。その植物の粟を音読みにすると「ぞく」って読むんです。つまりあわつぶじょうの転移という意味です。」と答えながら少し笑ってしまった。

・・・

先週から体育館の卓球教室に通い始め、今日は2回目。

2時半に家を出て自転車で体育館に行き、3時から5時まで卓球教室。

今日、同じ卓になったTさんは明るくて優しくて鷹揚で魅力的な方だったので嬉しかった。さらに、以前、某超有名書店で働いていたとお聞きして興奮。

「絵葉書作ってるなら置いてくださいって言ってみた方がいいわよ~。」と言われ、「でもあの書店は本のポップ置いてくださいってお願いしたら冷たくあしらわれたんですよ~。だから怖いですよ~。」「その時の担当の性格よね~。でも何度も言ってみなきゃだめよ~。」とか、

私は自信なくて対人緊張で自滅する性格だが、Tさんに出会えて励まされて嬉しかった。

いったん帰宅して卵プリンとホットミルクをとり、それから自転車でもうひとつ別の場所で6時から7時半まで卓球、そのあとマッサージに寄って9時少し前に帰宅。

6時からのほうの卓球で、少し早めに行ったらI川さん(年長の男性)に受付で会ったので、

「I川さんにお願いがあります!ダブルスの前の5分か10分の練習、M先生とやるのを私に譲っていただけませんか?私、もうすぐ手術になりそうなんで、そうなったら半年くらい来られなくなるんで。」

と思い詰めた感じで言ったら「いいよ。俺は練習は誰とやってもいいからさあ。」とあっさりOK。

「どこが悪いの?」と聞かれ、お話したら、I川さんも国立がんセンターで2年前に大腸がんの手術をされたそうで、

肺の開胸手術の痛み(骨を開くのが痛いらしい)を怖がっている私に「だいじょうぶだよ。俺は1か月は家にいたけど、2か月経ったあとは卓球できたよ。」と言われ(涙)。

ちなみに私がすごく慕っているM先生は今年81歳になるおじいちゃん先生で、何年前だかは知らないがシニア大会でチャンピオンになったこともあり、現在も渋谷のクラブチームと杉並の小学生のコーチをされているかただ。

私は本当に80歳代、90歳代のかたにお付き合いさせていただくのが好きなのだ。

M先生の落ち着き、おっとりした包容力、飾らない正直さ、気さくさに憧れる。

M先生のお父様が画家(油絵)で、家族に心配されても勝手にひとりでふらっと山に絵を描きに行くのが好きだったかたで、最期は山で亡くなった(滑落していたのが発見された)と聞いてから、

私自身もものすごくわがままで激しい性格の人間なので、わがままな画家の生きざまを知っておられるという意味で、余計にM先生にご縁を感じるのかもしれない。

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ずっと今も恋人のように仲良しのプフ(左♀)とチョッピー(右♂)。実は四つ子のうちの二匹(兄妹か姉弟)。

 

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2022年12月31日 (土)

2022年の個人的なことの振り返り 

12月31日(土)

今年(2022年)の自分を振り返ってみる。

秋に10年ぶりの個展をした。

その前に4月に近所(高円寺)のポルトリブレのグループ展に3点出品。

6月に神楽坂カモメブックスでミニ個展。

今まで10年も個展ができなかったのは親と愛猫(ちゃび)の介護と看取りもろもろで気持ちをそれ以上鼓舞できなかったこと、悲観的傾向と対人恐怖があることが大きいが、今年は画集を出したばかりということもあって自分なりにがんばった。

緊張したが、やってみるとありがたい出会いがあり、感激があった。

私が知らないところで私の文章を読んでくださっている人がいること、

お会いしたこともない人が絵を買ってくださったことに心から感激しました。

・・・

10月、友人の天才絵師、花輪和一に久しぶりに会えた。

北海道から帰宅したらちょうど文芸誌から原稿依頼が来ていたので、花輪和一へのオマージュを書けてよかった。

・・・

秋、昔からやりたかった「かな書道」(月に1回)を習い始めた。まだ3回しか行けていないけれど。

生まれて初めて書いたかな書道。「前に連綿をやったことがあるの?」と聞かれたが、この時が初めてだ。
「きみがため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと思ひけるかな」
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12月27日、今年の書道最終日。通い出して3回目に書いたもの。連綿と墨の濃淡(基本として1、3、5行目を濃く、2、4、6行目を薄くと言われたのでその通りににした)を思いのほか「やれって言われてもすぐにはできないものなのよ。」とほめていただいた。
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書道はデッサン(絵)と同じ感覚でかいている。先生の書き方を見たら、絵としてのポイント(筆勢と画面の空間のとりかたなど)が把握でき、そこにある「もの」として手本を見て美しさを感じたとおりに描けばいいのでとても楽しい。

小学生の2年から6年まで書道教室に通っていて、当時、中学生の先輩がやっていた草書に憧れたが、先生が引っ越してしまって終わり。

5、6年前、高円寺で少しだけ書道に通ったが、かなをやりたかったのに、その先生は漢字4文字の故事成語のみで、垂直と水平の線の変化の無さに面白みや美しさを感じず疲れてやめてしまった。

今の「かな書道」の先生は、手本通りにできたことを認めてくれて、さらに個人の感覚で自由に変化をつけるやりかたを教えてくれる。とても柔和で魅力的な先生なので楽しい。

・・・

秋、やはり小学生のころからやってみたかった卓球を始めた。

12月26日が今年の卓球最終日。私と練習していた私より年長で私と同じくらい下手なIさん(男性)が先生に向かって「(私と練習しているとラリーが続かないので)強打してください!」とおねだりをして「すごく楽しい!これぞ卓球をやったって感じがする!」と言っていたのを横目で見ていて、ずっと我慢していたが思わず私も大きな声で「先生!私にも強打してください!」とお願いした。

うまい人にばんばん強打してもらって受けるのは楽しい。サーブや返球がちゃんとできないIさんと練習したら続かないので、私も楽しくないのはお互い様なのだ。

来年は思い切り打ち込めるようになりたい。

・・・

今年、長男のちゅびが、私の布団の上でフミフミゴロゴロできるようになった。4歳になってからやっと初めてのフミフミ。

ちゅびは生後1、2週間で地べたに落ちていたので母猫のおっぱいをほとんど吸ったことがないからフミフミできないのかな、と思っていたので嬉しい。

ちゅび、チョッピー、プフ、3匹とも歳を重ねるほどに甘えん坊になってきている。

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2022年9月19日 (月)

個展 / E藤さんの誕生日

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コスモス

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コスモス(すみれ曇り)

2022年9月26日(月) ~ 10月2日(日)
吉祥寺ギャラリー gallery re:tail »

福山知佐子個展「花裂ける、廃絵逆めぐり」 (thetail.jp)

リテイルの地図

吉祥寺駅を出、「中道通」と書いてあるゲートをくぐり、まっすぐ進み、10分ほど歩いて「NAKAMICHI」というゲートをくぐったらすぐ左に見えます。

よろしくお願いいたします。

9月18日(日)

台風。

首肩が凝りすぎているので豪雨の中をマッサージに行ったら、思った以上に服がずぶ濡れになって、からだが冷えてしまった。

9月16日(金)

連日、額装のことなどで奔走。気に入ったちょっと変わった額があったのだが、今から取り寄せても個展には間に合わない。

9月13日(火)

昨日、E藤さんに個展案内はがきをお渡しするために会った。

「吉祥寺駅から10分くらい歩けますか?」と聞くと、「全然平気よ。駅の2駅くらい毎日のように歩いてるから。」とのこと。

9月13日はE藤さんの93歳のお誕生日だそうだ。「おめでとうございます!」と言ってカフェで一緒にお茶を飲んだ。

同居している義理の息子(亡き娘さんの配偶者)さんが順調に回復し、近所を散歩するまでになっていることを聞いて、本当に嬉しくほっとした。

倒れる前は車で廻る営業職で、今は車には乗れないけれどPCは普通にできるし、頭はしっかりされているそうだ。

E藤さんとお茶を飲むのは3年ぶりだが、相変わらず頭が冴えているし、私よりずっと元気でおしゃれだ。

私より20cmくらい背は低いが、背筋は真っすぐで、へろっとしている私より筋骨がしっかりされている様子。

整ったショートのヘアスタイルは、明るい栗色の中にパステルシルバーのメッシュの束数本が、きれいに並行に流れている。レンガ色のトップスに細いプラチナのネックレス。

遥か昔、ご主人からもらった金の喜平のブレスレットなどを近くの貴金属買取店に売ったら数十万円になったという。「競馬場に行くおじさんがつけてるようなごつい金鎖を、私なんかがつけたら嫌味にしかならないからね。」と笑わせる。

驚いたことにコロナの前、90歳で歌を習い始め、浅草公会堂や新宿のホールなどのステージに立ったそうだ。

私は古い歌が好きで、カラオケでは渡辺はま子や織井茂子、西田佐知子、高峰三枝子あたりを歌うのが一番好き、と言ったら、E藤さんがよく歌うのはそこまで古くなくて都はるみあたりだそうだ。コロナの心配さえなければカラオケにご一緒したいのだけれど。

私は最近、卓球を始めましたとお伝えすると、「昔、取次チーム対出版社チームの卓球大会に出たわ。」と。

日販(書籍の取次)の重役だったご主人が優勝したそうだ。ご主人の思い出をいろいろうかがった。

ご主人が大病で昏睡状態になり、ICUで1週間意識が戻らず8日目に体中につながれていたチューブをはずした時に、眼は開いて朦朧としながら未来(引っ越す家の間取り)の予知を話していたこと、

その2年後に、健康を取り戻したご主人を連れて、家族皆で新しくなった東京駅を見に行き、楽しんだ夜に、帰宅してふっと心不全で亡くなったこと。

 

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2021年11月29日 (月)

イタリアから届いたオリーブオイル、ベルガモット、ポルチーニ

11月26日(土)

イタリアから今年搾りたてのオリーブオイル(3l缶を3つ)、お願いして取り寄せていただいた乾燥ベルガモット、ポルチーニ茸が届く。

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早速、緑濃いオリーブオイルをお猪口に注いでなめてみた。ピリリとする植物そのものの味。

今年は冷たい雨が長く、収穫量は少なかったそうだが、たいへん薫り高いオリーブオイル。

さっそく、柿と蕪とグリーンリーフのサラダにかけていただいた。

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こちらはポルチーニ茸。全粒粉パスタでいただくと、こくがあって最高。
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ふわ~っと素晴らしい幸福な香りが脳に直接くるベルガモット(希少な柑橘)の乾燥した果皮は、毎日少しずつ紅茶に入れてふやけたところを残さずいただく。

いただくたびに命が少しずつ伸びるように感じる。1年間大切にいただきます。

ちなみさんに深謝。

 

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