西新宿

2025年10月25日 (土)

福山知佐子個展最終日

10月19日(日)

ギャラリー十二社ハイデでの個展も最終日。

この絵は割と最近出来たのだがすごく気に入っている。この絵とも淋しいけどさよなら。
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鬱金香

最初に高校の時の友人タカちゃんや小学校低学年の時の友人マリコが来てくれた。

マリコは茨城に住んでいて、何十年かぶりかに新宿西口に降りたので、新宿が変わり過ぎてまったく方向がわからなくて迷ってしまったと。私も破壊されている新宿が辛い。

6歳の頃、マリコが住んでいたのは十二社通りの野菜市場の2階。そこはマリコが引っ越してすぐに普通のビルになってしまった。

毎回来てくれる音大卒のS.Y君。Twitterでお知り合いになったM.Sさん。

鎌倉で絵を描いているT.Jさん。芸大のデザイン科卒のアキさん。

そして静かに長い時間見てくださるS.Hさん。S.Hさんは佇まいがすごく美しいかた。
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今日は5時から舞踏のパフォーマンスだが、あいにくの降りだしそうな空。

5時、十二社の階段。

村野正徳の挨拶。福山知佐子が愛着がある十二社の記憶、昔あった十二社の大きな池などをテーマに身体表現するそうだ。

村野正徳舞踏パフォーマンス  (youtube)

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吉田文憲さんの(私が一番好きな)詩、「生誕」を暗唱し、そのあとに舞踏パフォーマンス。
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※日本には「舞踏」という日本特有の前衛的な舞踊の形式があります。

西洋の軽やかで流れるようなダンスとは違い、地面に這いつくばるように情念や土着性などを表現するものです。

60年代に土方巽が創始、大野一雄などが発展させたもので、今は世界的にButohとして認知されています。
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途中、ばらばらと大粒の雨が降って来て、けっこうな大降りになる。

スマホが濡れたら壊れるのでは、とコートを頭から被ってスマホを庇いながら撮影。

見てくださっているお客様も濡れて申し訳なかった。傘を最初からお客様に用意するべきだった。

パフォーマンス終了後、村野君の予備校時代からのお友達が来て一緒に録画を見ていた。

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本人はミミズをイメージして踊ったそうだ。

そして私に若いお客様が。友人のサヤカちゃんの息子さんのK君と、その幼馴染のT君。

多摩美の院生のK君。
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レザーベイビーというバンドのドラムスのT君。
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私は何と言ったらいいのかわからないくらい、この若いおふたりに励まされた。

私のデッサンを見て、二人で(私に向かって言うのではなく)「すげえ!全部すげえ!絶対描けない!」って本当に驚いて言ってくれていたので。

「どういうところが?」と質問するとK君は「線の選び方がすごい。こんなふうには誰も描けない」と。

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スケッチブックを一枚ずつめくって見せたら、その一枚ごとのデッサンに、いちいち「すごい。全部すごい」と言ってくれて

そして枯れたチューリップを和紙の上に鉛筆で描いて岩絵の具を散らした絵を見て、「これが一番好きです。生命の揺らぎを感じる」と言ってくれて、画集まで買ってくれた。
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T君は絵をやっている人ではないにも関わらず、私の銀箔の絵を見て「すごい!これ、なんなんですか?」と真剣にくいついてきて、

「銀箔を腐食して、絵の具を使わずに絵を描いたの」と応えたら「すごい!誰もやってない。誰もやってないことを考えるのがすごい」と。

花の部分だけ塗っている紫のチューリップの絵を見て「どうして一部分だけしか色を塗ってないんですか?」と聞かれ

「花は一瞬ごとに動いているから、今の瞬間を描こうとすると全部塗れない。全部塗ると絵が固くなるから。

左のチューリップに比べて右のチューリップは早く無造作に描いているでしょ。無造作に描いた方が運動が描けるから」と応えたら

「すごい!それで動いているように見えるのか」と。
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なんで若い人がこんなに素直に、強く興味を持ってくれているのか、本当に驚いた。

なにか表現している特に若い人は、自分のやっていることが一番と思っていて、私のデッサンに興味を持ってくれる人などほとんどいないから。

現代アートをやっている人は設計図は描くかもしれないが、自分の外にある小さな生き物をよく見て鉛筆で描くことなど必要ないと思っているし、

絵をやっている人でも自分の絵のスタイルを作るのに熱心で、ものを見てものに寄りそうデッサンの質には興味がなかったり・・

私の絵を見て敵愾心丸出しで、私から話しかけても「ふん!」とそっぽを向いた同じ美大の同じ学科の10年も15年も後輩の女の子が何人もいたし、

だから、絵の世界とはそういう嫌な感情が渦巻く世界だとずっと昔から認識していたので、ふたりの素直さに愕然とした。

私は萎れて枯れていく植物の運動に寄り添って描くこと、そしていわゆる美大受験用の画一的なデッサンを抜け出て線で描くことを目指して30年やって来たのだけど

きょうは馬鹿の一念で続けて来たことが無駄ではなかったと思えた幸せな日だった。

7時に個展終了。すぐに絵5点を梱包して足利市立美術館に送る準備をした。

そのあと打上げ。昨日H.Mさんにごちそうしていただいたちょっと高級なイタリアンへ。

私がごちそうすると言っているのに、二人はすごく遠慮していた。今日ばかりはごちそうさせて欲しい。

シャブリのグラスで乾杯。マグロと紫玉ねぎのカルパッチョ。スモークサーモンのサラダ。ウニのクリームソースレモン添え。

アケミさんが、「花輪和一展と福山知佐子展を手伝えて、すごくたくさんのお客様と会えて楽しかった。それと知佐子さんのお客様がみんな優しくて素敵な人ばかりでびっくりした」と言ってくれたのが嬉しかった。

「芸術家ってみんなおかしな人ばかりかと思ってたから」と言われ、

「そんなことはないよ。一流の人は優しいよ。変な人って自己顕示欲がおかしくなってるんだと思う」

9日間、たくさんのかたとの出会いがあり、すごく目まぐるしくて体力的に大変だったけれど、幸せでした。

お運びくださった皆様、絵や本や絵葉書をご購入くださった皆様、本当にありがとうございました。

10月25日からは足利市立美術館でのコレクション展「いのちの寓話」に8点が展示されます。

新宿から2時間。空気も澄んでいて、とても良い美術館ですので、お近くのかた、興味がおありのかた、よろしくお願いいたします。

 

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2025年8月18日 (月)

NEW AUCTIONギャラリー 沢渡朔『NANA』展 / 国立がん研究センター中央病院

8月17日(日)

沢渡朔さんの『NANA』展の最終日で13時から在廊されるとネットで見たので、ご挨拶に行って来た。

沢渡朔さんに撮っていただいた写真と谷川俊太郎さんの詩と私の絵を編集した本、1か月以上前に写真の出版社さんに入稿しているが、まだデータが来ていないことをお伝えした。

たぶんデータが来てから、私の修正希望がはいるので、今年中に本ができるのかはわからない。

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いつもながら静かでさり気なくてかっこいい沢渡朔さん。その写真は若々しくて生気に満ちる。モデルとの共鳴。

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一日半で一気に撮ったという本当にたくさんの写真。スタイリストがついていたそうで、何十種類もの服を着替えているので、そんなに短い日数で撮ったとは思えない。

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8月15日(金)

NEW AUCTIONギャラリーに11時に見学に行く。篠原さんも来てくださった。

表参道ヒルズの向かい側。裏原宿キャットストリートの側よりは静かな、大きなガラスから優しい光が差し込む地下のスペース。

12時過ぎに篠原さんが30年以上?も毎年企画しているというトキ・アートスペースのブックアート展へと移動。

灼熱の太陽の下、表参道を横切り、裏通りで古い昭和のマンションや夏草繁る廃屋を見つけたりしながら、ワタリウムの前を通り、外苑前のほうへ歩く。

足利市立美術館で11月にやるはずだったコレクション展が、市長がOKを出したのに会計課の人が予算を出さなくて中止になった話、また逆転して、今は市長のほうに分がある、と篠原さんに言われた。ええ?!

もしそうなら、すごく嬉しい(若林奮先生の絵の隣に私の絵を展示してもらえるかもしれない)のだけど、まだわかりません・・。

ブックアート展には、小学生の作った絵本から、製本のプロの作品まで、いろいろなかたちの本があった。

私が一番素敵だと思ったのはこちら。活版印刷の活字のような、しかし文節になっているもの。黒い鉛筆にも文字。入れ替え可能で詩になる。箱も手づくりだそうだ。
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吉田文憲さんの『原子野』(砂子屋書房)の装丁をした時、もう日本にはほとんど残っていない活版印刷の会社に行ったのを懐かしく思い出した。

『銀河鉄道の夜』のジョバンニがアルバイトで活字(これも星のメタファ)を拾う場面を思い出しながら、その時は印刷所にいた。

『原子野』の本の奥付を見たら内外印刷という会社だった。もうないのかもしれない。板橋のトレーニングセンターの近くだったのを覚えている。

・・・

夕方から夜、Mに舞踏の話をきく。

大きな場でなく細部の。

言葉もまた大きな言葉でないほうがいいのだろうと思う。

私の感覚では大きくて壮大な言葉ほど詩でなくなる。

デッサンする身体。

最近、人にデッサンを教えるようになって、私はデッサンのことばかり考えている。

基礎の基礎ととして構造を踏まえることはあるが、その先は

良いデッサンとはどういうものか。それは鈍くないもの、繊細で感情があって、捧げられたもの。

受動体となって、どこ(なに)が残されるのか、なのだが

おそらく身体感覚の強度や繊細にものを見る(あるいは気づく)力、線を選ぶ身体が「絵」であるデッサンを生み出すが、

「絵」になっているか、「絵」になっていない(絵未満)か、を見分けらえる人はあまりにも少なく、機械的で均質な「鉛筆画」のようなものが世間では絶賛され、人気が高い。それはデッサンでも「絵」でもない。

そしていわゆる現代アートをやっている人でデッサンを大切に考えている人は皆無だろう。

8月12日(火)

国立がん研究センター中央病院。

尿と血液検査。結果が出るまで時間がかかった。

若い男性のかたが採血してくれたのだが、「刺すときに痛いか痛くないかは、痛点に当たるかどうかで、技術とは関係ないのですか?」

と質問したら

「そのとおりです。それに針の太さも痛さと関係ないんですよ」と言われて驚いた。

普通に考えれば太いほうが痛点に当たりやすい気がするけど・・?さらに見た目で太い針の方が痛く感じてしまうというのはある。

いや、やはり太い針は痛いと思う。昔は点滴の針が太くて長時間すごく痛かった思い出が・・。

あまり細い針を開発しても、血液の成分が潰れてしまうのでだめだそうだ。

帰りにハイデに行く。

8月10日(日)

2時に足利市立美術館の篠原さんがNEW AUCTIONギャラリーのAさんとギャラリー十二社ハイデに来られた。

篠原さんはギャラリー工事途中(ダクトレールがつく前)は見ていただいたが、完成してから来られるのは初めて。

Aさんは奈良美智のドローイングなど見ていただいた。

篠原さんは、次の本のために撮影した私の絵の画像をAさんに見せてくれた。

それと紐にクリップで吊るしていた私の鉛筆デッサンを「これ、すごくいいよ」と言ってくださった。

Aさんは私の絵を「錆にこだわった画家が日本にもいたんですね」と言われた。Aさんはキ-ファーや若林奮先生が好きだそうだ。

『デッサンの基本』を見て「懐かしい。これ受験の時に使ってました」と言われたので「この本、私が書いたんですよ」と言ったらすごく驚いていらした。

どこかで誰かが自分の本を読んでいてくださるのがとても不思議だ。

 

 

 

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2025年3月 2日 (日)

ギャラリー / 新宿

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八重のアネモネを描こうとすると葉っぱを齧ろうとするプフ。

アネモネはプロトアネモニンという毒が危険なので、絶対に食べられないように花は冷蔵庫に入れている。

2月18日(火)

平田星司さんとZOOMで話す。

2月20日(木)

ギャラリー十二社ハイデの伊藤ゲンさん展の設営。

ちゃんと設計図を書いて、きちんとやっておられることに感心した。

レトロなぬいぐるみやおもちゃの絵。すごくこの場所に合っていると感激。さすがです。

・・・

午後から企画ギャラリーのオーナーに会いに行った。

ギャラリーが開くまで少し時間が合った。

ギャラリーの裏手のほうに「アトリエ」というとても古い錆びた看板のある不思議な家があった。美術ではなく音楽系のなにかだった。

大輪緑萼の梅が満開で、鳥の声がした。陽が当たる場所では春の野芥子が咲いていた。

いろいろ指示されることはあると覚悟していたが、一番気になっていたのは、私の病気のことがちゃんと伝わっていないのではないかということだった。

昨年、最初にオーナーの奥様にお会いした時、「声が素敵」と言われ、「声帯を片方切ってるんですよ。甲状腺癌で」というお話をして、現在、分子標的薬を飲んでいることも伝えていたのだが・・。

だから体力的に、ばりばり新作を描くことはもうできないかもしれないと伝えないといけないと思い、心が苦しかった。

オーナーと話ができるまで待っていたのだが、現在の展示を見に来ていたSさんという作家さんが同席して、企画画廊では画廊の言うことを聞かないといけない云々を私に説いてこられて激しいストレスを感じた。

Sさんは自分の過去の展示のハガキを私にくれたが、私の絵を見たこともないし、私がどういう活動をしてきたのかも知らない。

「すみません!お願いですから席を外してください!オーナーと直接話させてください!お願いします!すみません!」と深く頭を下げて退席していただいた。

病気のことを言う時、緊張して泣いてしまった。

オーナーは、奥様から聞いていると言われて、ほっとした。

その上でまだ私はもう少し生きられると思って、企画してくださるならありがたいことだ。

「奥さんは、あの人はいつも明るい人ね、って言ってるよ」と言われ、私はそんなふうに見えるんだ、と意外だった。

2月21日(金)

篠原誠司さんと電話で話す。

篠原さんは最近までアメリカに行って2つの企画展をされていた。アメリカの郊外の大きなお屋敷に泊まって、向こうのコレクターがどんなふうに家に絵を飾っているかを見たという。

画家のいろんな生き方の話。

2月23日(日)

画家の小穴さんと映像作家の光永さんが来られるというので、ギャラリー十二社ハイデへ。

一緒にランチをしていろいろお話した。

光永さんは、私があとがきに文章を書いたデリダ(鵜飼哲訳)の『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』の文庫版を持って来てくれていた。

伊藤ゲンさんの個展は、玄関に昭和懐かしい貝殻の人形や、古い大きな熊のぬいぐるみなどが増えていた。

あいかわらずうちの中は寒いのだけども、とても楽しい雰囲気。

帰りに新宿駅まで歩き、「あの枯れた蔦の絡まってるのはなんですか?」とハルクの前で光永さんに聞かれ、一瞬、戸惑った。

新宿西口の地下広場のタクシー乗り場から地上へと、ループ通路の巨大な吹き抜け。蔦が絡まっているのは、その真ん中のタイル貼りの筒状オブジェだ。

設計は板倉準三で、66年に出来、「地下空間の地上化」というコンセプトを掲げたという。

このクールだったループ状の吹き抜けが、もうすでに破壊されていて、タクシーが通ることができない。新宿西口は見るも無残だ。

まだかろうじて残っている筒状のオブジェは、私が大好きだった新宿駅前の象徴。

私が幼い頃の新宿のイメージはとにかく革新的で、なにもかもがかっこよくて、

テレビや映画や古い漫画で知っている新宿は、ものすごいエネルギーが渦巻いていて、常に新しい状況と、反発する力、爆発する力が・・。

ヒッピーも新宿騒乱もゴーゴー喫茶も、風月堂も、そういう青春には間に合わなかったけれど、映像で何度も見ている。その場にいたはずはないのに、その場にいたように記憶に溶け込んでいる。

ペロ(伊坂芳太郎)や宇野亞喜良、カルメン・マキや浅川マキのイメージも。

映画『女番長 野良猫ロック』は何度も見た。和田アキ子がバイクで西口地下道への階段を下って突っ走るシーンが大好き。当時の歌もかっこいい。

都会で、泥臭くて、サイケで、アングラで、熱くて、廃墟の中から宝物を拾えるような夢があった新宿。

紀伊国屋の中にあったこまごまとしたお店は闇市の名残だと聞いた。懐かしいLENE。西口にいくつもあった古レコード店。7丁目、8丁目の古いアパート群。駄菓子屋。

宮谷一彦や真崎守や上村一夫の漫画でも、歌謡曲でも、新宿は何度も描かれていた。

日本で一番、劇的に変わった町、新宿。

昔の新宿の痺れるようなかっこよさは、身近な友人や、人生の先輩たちとは当たり前に共有されてきたけれど、年下の人たちとはまったく共有されていないんだな、とふと気づいて、言葉が出なかった。

 

 

 

 

 

 

 

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2024年12月28日 (土)

GALLERY JUNI-SO HEIDE (ギャラリー十二社ハイデ)のホームぺージができました

12月27日(金)

GALLERY JUNI-SO HEIDE (ギャラリー十二社ハイデ)のホームぺージができました。

https://gallery-junisoheide.jimdofree.com/

私、福山知佐子の生家です。

ハイデと言うのは、ドイツ語で原野、荒野という意味で、英語でヒース、ロシア語でエリカという荒れ野に咲く小さな花の名前でもあり、また、異教徒という意味もあります。

ヤンセン美術館を見にオルデンブルグに滞在した時、「ハイデを見たい」と観光インフォメーションに尋ねて、小さなバスに乗った。

広大なリューネブルガーハイデまでは行けなかったが、そこここに小さなハイデがあるようで、アメリングハウゼンという小さな町までバスに揺られ、途中、小学生たちがわいわいと乗ってきたり、野生のリンゴの木に感動したり、

そして枯れた小さな花々(ハイデ)に埋もれたハイデ(荒野)を歩いた。

ハイデには素朴な蜜蜂の小屋があった。針葉樹の森は湿っていて鮮やかなきのこが生き生きとつやめいていた。

 

劇的に変化した西新宿にポツンととり残されていた築80年近い廃墟の、廃墟感を生かしたままギャラリーにしました。

暖かくなって体調を整えられたら、私も絵の展示をしようと思っています。

興味のあるかたは見に来ていただけたら幸いです。

・・

咽喉が痛くなり、うっかりヨード系の嗽薬を使って失敗。咽喉の傷にしみて激しくむせる。

今日は大切な約束があったのだが、咳が出る限り感染の危険があるので恐縮ながらキャンセルさせていただいた。

年始にいらしてくださると優しいお返事(涙)。

蜂蜜とショウガ入りのカフェインレスアールグレイミルクティ。

以前に病院で出してもらったトラネキサム酸とカロナール。

そして最近はずっと卵を入れたおかゆ。料理を作る気が起きなくて。

前回のがんセンターの診察でサイログロブリンの数値が上がってから、どうしても暗い気持ちがぬぐえなくて、時々心臓がズキンズキン痛くなる。

考えてはいけないとわかってはいても、すごく悪いイメージに囚われて、追い詰められてしまうことがある。

なにかしないと虚無が襲ってくるので、西新宿のギャラリーのホームページ作りを試みようとした。

jimdoではAIビルダー(目的に合わせたテンプレ―トから選んでいく)とクリエイター(すべて自分でやる)があるのだが、AIビルダーは私には最悪に使いづらい。まったく不自由。

とりあえず仮に、一応(気力ないし無理だと思ったのに、意外にも数時間で)できたのだが、「GALLERY JUNI-SO HEIDE 」「ギャラリー十二社ハイデ」で検索しても出て来ない。

そうだった、以前にもやったGoogle Seach ConsoleにログインしてHPのURLを入れ、HTML タグをクリックしてメタタグをコピー・・ヘッダー編集を開いてメタタグを貼る・・ここまではできた。

だけどDNSレコードの所有権の確認がされなくて、TXTレコードをgallery-junisoheide.jimdofree.comのDNS設定にコピーする・・

DNS設定ってどこ?サポートの人は来年の5日までお休み。

とりあえずこのブログからのリンクを何度かクリックしていれば、いつかはクロールが認識してくれるのだろうか。

・・

足利市立美術館の篠原さんからお電話があった。2月まで超忙しいのでメールに返事ができず、電話で、と。来年、コレクション展は無いと聞いてショック。再来年、私は生きて足利に行けるのだろうか?

彦坂尚嘉さんと糸崎公朗さんからもお電話があった。

なんだかんだお気遣いいただいている。とにかく風邪を治さないと。

 

 

 

 

 

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2024年12月18日 (水)

西新宿の家に彦坂尚嘉さんと糸崎公朗さんが来られる

12月13日(金)すごく寒い

西新宿の生家の展示できるスペースを彦坂尚嘉さんと糸崎公朗さんが見に来てくださった。

私は松葉杖を片方ついて、すごく久しぶりに電車に乗って出かけた。

西新宿の家の中は予想よりも寒く、エアコンが効かなくて、ダウンと厚いマフラーをしたまま、カーボンヒーターをつけていても凍えてしまった。

彦坂さんは周りの高層ビルとの落差が面白いと言われた。

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手前の部屋と奥の廊下側の襖ひとつ分空いているところを襖かベニヤで塞がないと、とにかく私には耐えられない寒さ。

熱いお茶(ザクロとラズベリーのフルーツティー)を2回淹れる。

少ししてから3人でバスに新宿に出て西口のサイゼリヤで食事。

彦坂さんは、私が『反絵、触れる、けだもののフラボン』の中に書いた

「絵画のために世界を再構築するのではなくて、世界の予想不可能性によって、絶えず自分が再構築されるのだ」という言葉に、

「この主張は、現在の多くの現代アートに対する批判として、私も共感するものです。

現実を見て、写生することが、重要なのです。」と言ってくださった。

私の師、毛利武彦は、苦しくても見えるものを見えるがままにどこまでも追って写生(素描、デッサン)することをほめてくれた。

ちゃんとものを見る努力をしないで、最初から勝手に略したり歪めたりすることはなんにもならないと。

私の素描を見て「もっと崩して描かなきゃだめ」と毛利先生もよく知っている日本画の人に言われたんです、とその場でお伝えすると

「いや、これでいいんだ。すみずみまで神経が行き届いたデッサンです」と言ってくださった。

最初から崩して描け、と言う人は「そこに在るもの」に対して自分が寄り添い、受容する側になることの重要さがわからないのだし、ぎりぎりまで見ること、突き詰めて描くことができないのだと思う。

(その人の絵を彦坂さんは6400次元だったか、そうとうな低いレヴェルに位置付けていた)

彦坂さんは「いつから画家はものを見て写生しなくなったのだろう」とおっしゃった。

彦坂さんのように現代アートをよく知っている人が、私の枯れていく植物の運動を追って何年も描き続けた素描の画集をほめてくれるとは、私は全く予想していなかった。

彦坂さんは、私が「日本画」の世界の人に「こんなのは絵じゃない!絵の世界から出ていけ!」と脅迫された話をたいへん面白い、実名で書いて残しておいたほうがいい、と言われた。

その後、糸崎さんが見たいと言ってニコンサロンに皆で行った。

本のコーナーにあったアンリ・カルティエ=ブレッソンのカタログのような本が面白かった。

彦坂さんはまだまだしゃべり足りないようだったが、駅でお別れした。

そのあと新宿のどこかで、今日見てくださった西新宿の展示スペースについてひとりでお話してくださったようで、

動画をYoutubeにあげてくださっていました。

https://www.youtube.com/watch?v=wSYp8QqYi6w=

「画家・福山知佐子さんのあたらしいスペースが準備中です」という動画です。


 

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2024年12月 4日 (水)

西新宿 柳橋跡 廃屋

11月27日(金)

西新宿の家への荷物の配達を待つ間に、大好きな柳橋跡と羽衣湯の裏の丘を散歩。

柳橋は1世紀近くも前の橋で、西新宿5丁目駅から神田川に注ぐ古い暗渠の途中に残っている。

中学生の頃は、この暗渠の周りに何人もの同級生が住んでいた。

まだ奇跡的に残っているボロボロのアパート、なぜか溶岩がのっている塀の写真を撮るのを忘れた。

はっぴいえんどの「ゆでめん」のイラストが描かれた麺工場跡の貼り紙が無くなっていた。

『ああ荒野』でロケに使われた八百屋は閉まっていた。

羽衣湯の裏の丘へのぼるセメントで固めた急な坂。たくさんの輪っかの型押しがある坂はそうとう古い。

8月1日にこの坂を上った時にむせかえるように繁っていたカナムグラ(金葎)は3分の1ほどの量になったがまだ元気だった。

頂上の塀の中で煌いていた銀色の花穂と茎を持つタケニグサも、だいぶ枯れたがまだなまめかしく存在していた。

2つめのうんと狭くて魅力的な坂の手前、福山家よりもさらに古そうな廃屋は、屋根にブルーシートをかけられていたがまだ残っていた。

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この看板に驚嘆。電話番号が6ケタしかない。淀橋警察は1875年(明治8年)に設置され、今の新宿警察に名前が変わったのは1969年らしい。
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このガラスの擦れて曇った質感が、間近で見るとすごく美しくて、私はずっと見ていられるのだ。
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丘の上から下を覗くと懐かしい細い道。四角い飛び石。秘密の階段。私の友達は皆、こういう細い道の奥に住んでいた。
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枯れて細くなったヨウシュヤマゴボウの黒紫の実と黒猫。ラインステッチの白い刺繍はエノコログサ(ネコジャラシ)。
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どんな季節にも私はなまめかしさを見る。

広々とした自然よりも都会の猥雑な街の端っこの、わずかな土に展開される生命にたまらない愛おしさを感じる。

知られぬ風景、誰も見ようとしないもの。

私は新宿の、ほとんど息の根を止められそうでもまだしぶとく残っている古いものが本当に好き。武蔵野が好きだ。

もうほとんど伝説の中にしか残っていない「十二社(じゅうにそう)」の名前を私の生家の玄関に残そうと思う。

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2024年11月17日 (日)

平田星司さん個展 静物と伝道者 / 西新宿でガスが使えない

11月16日(土)

西新宿の家へ行った後、平田星司さんの個展(前期)「静物と伝道者」GALLERY KTOへ。

西新宿小学校(昔は名前が違うが私が出た小学校)の向かい。

昔、ちょうどここらあたりにあったケンジ・タキギャラリーでの若林奮先生の個展に来た。オープニングに人がたくさん集まって「すごい人だけど何をやってるんですか?」と道行く人に聞かれた記憶がある。

ずっと見たかった平田さんの「伝道者」を間近で見ることができて満足。油壷の海の底から拾った紅藻に覆われた古いガラス瓶だそうだ。

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本当に美しい。特注したという木の台もぴったり。

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オーナーの奥様の淳子さんが若林先生のファンだという話から会話が盛り上がり・・色々話しているうちに平田さんが来られた。

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平田星司展、これらの作品が見られる前期は11月23日まで。

後期は12月3日(オープニングパーティー)~12月28日、

12月14日には平田星司さんと美術評論家の南雄介さんのトークイベントがあるそうです(要予約)。

ちなみにGALLERY KTOのKTO(クトー)はロシア語でWho(誰)という意味だそうだ。

・・・

平田さんの個展に伺う前、1時半にプロパンガス会社の人と西新宿の家で待ち合わせていた。

一応、家のぐるりを見てもらったが、築80年近い家だとそれだけで会社の規定で工事不可の可能性が高いと言われて絶望的な気持ちになった。

瞬間湯沸かし器は買い替える必要があり、それだけでも15万~20万・・。

なにより家と隣の家との隙間が狭すぎて人が入れない。そこに水道管が埋まっていて、もしも何かあったら修理する人が入れなくてたいへんなことになる、そんなところにガス管工事できないとか。

先日は東京ガスの人に来てもらって、その時にまず建った時の図面がいる、隣との境界線をはっきりさせないとならない、そして地主の工事許可がいると言われた。

公道を掘削するのはお金は無料だが、自分の敷地内の工事は有料。

掘削するためにまず玄関前のたたき(コンクリート)を破壊する必要があり、それは外注になるので20万円超~。

さらに外壁の補強工事をしないとガスメーターが取り付けられないと言われ、湯沸かし器買い替えも含めてものすごい出費になるので無理だと諦めた。

そしたら東京ガスの人が、たぶんプロパンガスだったらそこまで大掛かりな工事にならないと教えてくれたのだった。

しかしプロパンも無理だった!西新宿の便利な場所にあるのにガスを使えない家だなんて!

古いガス管が腐って切断したというが、そうなったら二度と修復できないなんて考えてもいなかったので血の気が引くくらいショックだった。

 

この日は平田さんの個展に長く居たあと、新宿に出て作品のスキャンなどしていたが、消耗が激しく手足が冷えて震えがきてしまった。

どうしても寒気が止まらないので外食してワインを一杯飲んだ。もうすぐ血液検査なのに肝臓の数値が上がったらまずいが。

ストレスと体温低下が最も癌に悪いと思うので応急処置だ。

柔らかい青豆のソテーを食べたら、飲んでもなかなか温まらないからだが遅れてやっと温まって来た。

 

帰宅して西新宿の家の暖房のためにガスファンヒーターをネットで買おうとしたら、クレジットカードが登録できない。

嫌な予感がしたら、すぐに楽天からメールが来た。本日、カードの不正使用があったそうだ。

カードが止められ、新しいカードの発行待ちとなる。

 

 

 

 

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2024年11月13日 (水)

西新宿の生家の改築・のこぎりで爪切断の怪我

11月6日(水)

天井に和紙を貼る仕事がまだ残っていて、この仕事に関してだけは私が手伝ったほうがぴっちり貼れるので少しがんばった。

それをやり終えた後、私は障子2枚に和紙を貼り、その後、トイレの壁にペンキを塗っていた。

奥の部屋で村野君は壁に明けた窓のための枠のようなものを作っていて、木材をのこぎりで切っていた。

ちらっと見た時、「左手の親指が切れそう」と言うと「切らないっすよ」と。

そう言われてから数分後に「あーっ!!」と大きい声が聞こえ「やっちゃった!深い!」

駆け付けると真新しい床板の上にぼたぼたと大きな血の滴が落ち続けていて、すごく痛そうで怖くて、自分がその時どんな言葉を発したのか覚えていない。

爪を切断して下の肉まで切ったという。

彼はすぐに2階に上がって見つけてあった福山家の救急箱から包帯を出して親指にぐるぐる巻きにし、その上から透明な養生テープを巻いていたが、指先はどんどん赤く滲んだ。

親指の付け根に輪ゴムを巻いていた。

そのあと、「もうだいじょうぶ」と言って彼はどんどん仕事を続けた。

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私がうまく塗れなかったトイレの壁をものすごいスピードで仕上げてくれたり。「仕事でゆっくりやってたらどやされる」と。

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ずいぶん仕事をして疲れて西新宿十二社通りにできた食堂に行った。

私はまだ展示の過緊張が抜けず胸筋が固く詰まったままで、ほとんど何も咽喉を通らず、味噌汁だけは飲めた。

「ご飯粒が喉を通らない」と言うと「豆のディップがいいんですよ」

「豆のディップってなに?」「ひよこ豆が買ってあるから」

彼はサンマを「頭が一番うまい」と言って、真ん中の骨だけ残してきれいに食べていた。

十二社の交差点で別れて、帰宅してから、血がどくどく出ていた親指の傷のことが生々しく思い出された。

検索すると壊死するから絶対に輪ゴムで止血するのはだめ、黴菌が入ると化膿するから病院に行くのは必須と書いてあり、不安でたまらなくなった。

福山家の救急箱に入っていた古い包帯なんて不潔っぽいし。

彼は保険証を持っていないので医者を嫌がるが、それでもすぐに外科に連れて行くべきだったのに。

Tが、新しい滅菌ガーゼと包帯と傷薬(ステロイド軟膏)を届けてくれると言った。

夜中の1時すぎにメールが来ていた。

「久々にホッとしました。そのあと、寝てしまいました。」と書いてあった。

 

 

 

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2024年10月 7日 (月)

西新宿の生家の改築 最終日 パッションと宿痾

10月5日(土)

1階の奥の部屋。押し入れだったところを壁で塞ぎ、押し入れの外壁を取り除いて、そこに風が流れる(湿気がたまって家が腐るのを防ぐ)ようにしてくれていたのだが、今日はさらにそこに窓の穴を開けていた。

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押し入れだった部分の部屋側と廊下側にそれぞれ灯りとりの窓をつけてくれた。こちらは廊下側。

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1階奥の部屋。窓から蔦が見えるのがきれい。ここのガラスは透明にするかも。
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茶色く汚れた壁は最終的には白くなる予定。
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一階の手前の部屋と奥の部屋はピクチャーレールとダクトレールと照明をつけて、ギャラリーになります。

写真を撮るのを忘れたけれど、1階の手前の部屋と奥の部屋の間の壁はドアひとつ分ぶちぬきになっている。

玄関の下駄箱の上の壁に穴を開けて作った窓のまわりの壁(窓をはめるより壁の方がたいへんと言っていた)もできていた。
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もしかして徹夜した?


1階のトイレの扉と、1階手前の部屋の押し入れの扉に和紙が貼ってあったが、少し皺になっていた。

「この皺はまずいかもね・・日本画科出て何十年和紙貼ってるんだ、って言われちゃいそう。私、水で濡らしてやり直すわ」と言って

霧吹きで全体を湿らし、数分置いて、下のほうから両手でぴんと伸ばしながら和紙を剥いでいく。そして一番上のところをピンと左右に伸ばして張り直し、上から下にピーンと引っ張りながら貼り直した。

「すごい!きれい!」と言われる。私にもひとつくらいほめられる仕事があってよかった。

手前の部屋の押し入れは工具入れになった。
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手前の部屋と廊下の間の窓。ガラスが無かったところに、どこかで見つけて来たガラスをガラスカッターで切ってつなぎ合わせてはめてくれた。左側の曇りガラスには蔦の触手(ヤモリの足跡のような)がそのまま残してある。

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福山家出土品の一部。左の緑の瓶は「人體消毒液 リゾホルム」と書いてあり、床下から出て来た。
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1階の奥の廊下。時代本箱。アルミサッシは和紙を張った障子戸で隠す予定。
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いつか付けてもらう予定のキツネのノッカー。高円寺のMALTOさんのドアに付いていたもので、私が何年も前から熱望していたがもう在庫がなく、先日、思い切ってこれを譲っていただけないかお願いしたら売ってくださったもの。
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売っていただけるなんて思っていなかったので「嘘みたい!信じられない!嬉しい~!」と叫んだら「そんなに喜んでいただけるなんて本望です」と店主さんに言われた。

 

今日は私も疲労と副作用で顔も腫れて体調悪く、もう作業ができないと言ったら「天井に和紙を張るのだけ手伝ってほしい」と言われ、

「じゃ、やりましょう」と腹をくくったが、M・Mさん自身が(たぶん頭のほうが)疲労困憊で「できるかな・・・?もうちょっとだけ待って」と

玄関のところに座っていた。すごく朦朧としていそう。

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あまりにもM・Mさんがお疲れのようなので、自分でスツールの上に載ってみたら天井に手が届いた。紙の幅に鉛筆で線を引いて、その範囲に少し水で薄めた糊を刷毛で塗っていく。

最初の一枚は手伝ってもらいながら私が主導で貼った。ロール紙をぴっちり角に付けて、たるまないようにピーンと貼っていく。

この作業は私の一番の弱点である首(甲状腺癌手術の時に転移していた周りの筋肉を大幅に切除したため、頭の重さを支えきれない)と肩の筋肉を酷使するため、10分くらいで痛くて吐きそうになった。

2枚目を貼るための糊を塗っているM・Mさん。
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M・Mさんはよろけて薄めた糊を床にぶちまけたりした。もう疲れすぎて限界なのだと思う。汚れた床を拭いたり、木の削りカスを掃除するくらいは私でもできる。

そのあとM・Mさんは風呂場の床のセメント部分に塗料を塗っていた。いずれはバスタブを持ち上げて、その下を掃除するという。

ガスレンジ台も作りたいけど(そんなものまで作るの?)今日は無理、と。

大きなところでは、うちの出っ張っている玄関部分(大昔に増築したところ)を壊して隣家と接触している壁を無くしたほうがいいと何度も言われた。

隣家側の壁にセメントの防火スプレーをかけたほうが、万が一、隣が火事になった時にも安全という。

「玄関を屋根から壊すことなんてできるの?」

「手(バールと金づち?)で少しずつ壊せば」

「じゃ、私が生きているうちにできたらやってください。あなたの情熱と意志がもしあるなら」

午後3時過ぎまで作業。このあと彼は荷物整理して、夕方からは舞踏のレッスンに行く。そして今日の夜か明日には長距離バスで地方へ。

M・Mさんは最初の頃から作業状況を逐一写真に撮っていたが、ついにほぼ出来上がった部屋を撮りながら「すごくいいと思う。よくできた」と言っていた。

こんなふうに古い家を改築したのは初めてだという。

「もう二度とこんなたいへんな仕事はできないし、やりたくない」

1か月前くらいだったか、彼は「仕事のこと考えると(自分の納得する予定通りにできるのか不安で)心臓が痛くなる」と言っていた。

期限内に自分の納得するかたちで一旦終了できるように、よほど頭を使い、よほどいろいろ心配して自分を追い詰めたのだろう。

「Tさん(M・Mさんの友人でうちに泊まっていた人)にも、命削ってるねって言われた」という。

「あと5日・・・あと5日くらい作業すれば全部完成ですね」とぽつりと言われた。

最初のひと月は家具の破壊と、掃除、遺品整理、ゴミ出しからやってくれた。数えきれないほどゴミ出ししてくれた。

誰も考えなかった天井を落とすこと(80年近く溜まった埃とネズミの糞の掃除)、どの建築家にも無視された大変な作業、柱をジャッキで上げ、白アリなどで腐っている部分を切って継ぎ直し、土台石に載せることをやってくれたのも、表面的なことではなく根本の重要なことだから。

すべてこの古い家の命を本当に長く持たせるために。

誰も関心を持たない、私でさえ諦めていた遺棄されたものの命を蘇られせてくれた。

M・Mさんにはいろんなことを教えてもらった。ゴミの中から使えるものを拾い出して有効活用すること。買わないで自分で考えて作ること。

巨大に感じるものでも自分の手で破壊できること。破壊を恐れないこと。つくりかえたいと思ったらつくかえられること。

そういう実際の、本物の破壊と創造の行動を目の当たりにしながら、私は残り少ない命の時間にできることを考えていた。

私が本当に目撃したものは、どんなにハードでも(ほかの誰にも何をやっているのかを理解されなくても)自分が納得するところまでやり遂げたいという身に覚えのあるパッション。

やりたいと決めたら集中して、命を削っているとわかっていても心身ともに捧げてしまう身に覚えのある宿痾。

嫌いなもの、嫌いな人には徹底して関わりたくないという身に覚えのある宿痾。

私たちは時折、現代アートの話、あるいは「絵画」の話、表現の話をした。どんな「絵画」が好きか、どんなアートを酷く不快に思うか。

彼は私より遥かに現代アートのことをよく知っていて、最先端の現代アートのギャラリーに展示されたこともあって、けれど今はもうアートの制作はしていない。

中学時代に土方巽を知り、今はアートより舞踏していたほうがいいという。しかも舞踏を発表したいわけではないと。

「感謝してもしきれない」という陳腐な言葉では表せない。

私が生きているうちに、少しでも有効にこの場所を使えたらいいけれど。でもお金のために焦燥するのはよくない。できれば信頼できる人とだけ、楽しい気持ちで何かできたらいい。

・・

私も疲労で頭が朦朧として身体が動かなかったが、一旦帰宅してお茶を飲んでから17時過ぎに新宿へ出た。

花輪和一さんとの二匹展のために展示する作品を選び、合う額があるものはそれを使い、額がないものは発注する準備。

21時過ぎに帰宅。午前2時すぎまで眠れなかった。

・・・・・・・・・

「花輪和一×福山知佐子 二匹展」のお知らせ
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会期:2024年10月30日(水)~11月4日(月)

時間:12:00~19:00(最終日は17:00まで)

場所:GALLERY工+with 東京都杉並区梅里1-8-8 梅里1-8-8ビル101 

昨年秋に私が個展でお世話になったギャラリー工さん(丸の内線新高円寺駅すぐ)でやります。

https://www.ga-kou.com/

ギャラリーにお越しになれない方のために、ネットオークションも開催する予定です。

オークションについては、私のブログでお知らせしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

私のHPです。https://chisako-fukuyama.jimdofree.com/japanese-style-paintings-1-%E8%86%A0%E7%B5%B5/

 

 

 

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2024年10月 6日 (日)

西新宿の生家の改築あと2日、玄関のドアクラッキング塗装取り付け、ラストスパート

10月4日(金)雨のち晴れ

西新宿の生家の改築はいよいよ明日の昼で一旦終わり。

玄関のドアのニス仕上げをするのに、今日は晴れでばっちりと思っていたのに、昼から結構降っていた。

雨に濡れて陽が差してきた十二社の石段。ヒメムカシヨモギが美しい。
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石段の中ほどにあるホテルニュー寿(アラーキーご愛用だったらしい)だったところ(廃屋)の入り口。
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昔の風情をわずかに残している。塀の中をのぞくと、黒電話の入った箱などが見える。地主のJ寺はここを潰すつもり?
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今日はまず、9月から今までのお支払いをさせていただいた。

M・Mさんの細かい作業日誌による時給×時間の計算で、〇〇万7800円をお支払い。7月、8月分の額の1.6倍。9月から一日の作業時間が長くなっていてどんどん過労気味に。

(私のブログを見てM・Mさんにお仕事を依頼したいと思ったかた、ちゃんとお金を払ってあげてください。ただM・Mさんはお金のための仕事はしない、やりたいと思った仕事しか引き受けないそうです)

日誌の手書き請求書にサインしたものをくれた。「字、書くの速いし慣れてるよね。子供の頃、習ってた?」

「はい。中学の時は生徒会の書記でした」

「うわ!」

「誰もやりたがらなくて時間がもったいなかったので、犠牲的に立候補して・・・選挙ではどういう学校にしたいかを演説しました」

そういうキャラには見えないけど。



一階のトイレの下側についている窓が壊れていたのを作ってくれている。こんなことまで・・。
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トイレの窓を外からはめているところ。左隣の家は廃屋で、うちと同じくらい古い(戦後1年目に建った?)。その家とうちのあいだは狭くていろんなガラクタと朽葉が詰まっている。
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手前に写っている鉄の台は、M・Mさんが見つけて、その上にエアコンの室外機を載せてくれた。

私は防ガスマスクをつけて玄関のドアの外側に透明な飴色の油性ニスを塗り、乾いてからドアをひっくり返してもらって、ドアの内側に水性ニスを塗った。

M・Mさんは大量の作業服をいっぺんに二層式の洗濯機に入れていて「水が回転しない」という。粉の洗剤も全然溶けてなく、素手を突っ込んでかき回した後、乾いたタオルでぱっと手をぬぐっていたのでぞっとして「強アルカリだよ。ちゃんと手を水で洗わないとかぶれるしアレルギーになるよ」

若い人は昔の二層式の洗濯機なんて知らないのだ。洗濯槽の水を抜いて洗濯ものの半分を脱水機に入れ、残り半分にたっぷり水を入れたら普通に回転した。

「洗濯物が多すぎて重すぎで回らないのよ。半分量で洗い、脱水、水を変えるを3回繰り返すんですよ」

「勉強になりました」

もう明日には旅立つので、冷蔵庫の中のものを使い切るために、M・Mさんは手慣れたスピードで玉ねぎをトントンと微塵切りにし、バターとオリーブオイルで炒めた。
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大根は1cm角に切り、ニンニク、キノコも入れて塩をふって炒め、しんなりしたら昆布だしと牛乳を入れ、土鍋で炊いて冷蔵していた麦と玄米を加えて、クリームリゾット。

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ニスが乾いたドアを玄関に取り付けるのがたいへんだった。重いドアを持ち上げてもらって、蝶番の穴を木にあいている穴に合わせて、私が生まれて初めて使う電動ドライバーでネジを止めていった。電動ドライバーの快感。すごく楽しい。

重たいドアを外した時になぜか固まって動かなくなってしまった金具(クローザー?)を金づちで叩いて直すM・Mさん。

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玄関にドアがついたところ。
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左側の茶色い木の部分(これもドアで、本来は開くのだが錆びついていたのをM・Mさんが直した)を白いクラッキング塗装にしようと思い、はずして水平に置いてもらったら、白い塗料がなかった。

「ベージュの塗料でいいっすよ」

「やだ。白でかすれたクラッキングにしたい」

「緑(薄荷色)でいいっすよ」

「ん・・・と、私は画家なので自分の色の感覚に合わないことは妥協したくないの。彫刻家の人は色はどうでもいいのかもしれないけど」

しかたないので水とスチールたわしできれいに洗って、ドアの上についていたクモの巣とドアの下の泥も掃除して元の位置に戻してもらった。

カフェ板を敷いた部屋の隅の隙間に数cmに細長く切った板をはめた部分、さらに細くあいた隙間に2mm~5mmにスライスした板をはめて金づちでトントン叩く。最後の1mmくらいの隙間はパテを詰めるという。実に几帳面。
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私も手伝って昨日パテで埋めた木の継ぎ目の部分を、やすりのついた器械で研磨してつるつるにする。この作業はものすごく粉が舞い、玄関の空気が白濁したので急いでドアを開けて防塵マスクをつけてもらった。あとでもう一度上から白い塗料を塗るらしい。
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1階の手前の部屋。
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1階のトイレに余ったカフェ板を敷き詰め(もったいないと思う)、水道管の水漏れしている部分を直してくれているM・Mさん。
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M・Mさんは本当に必死に、仕上げられるところをンどんどん仕上げてくれていっている。

私も普段使わない筋肉を使い、一度もやったことのないことをやっているので全身筋肉痛で頭が朦朧とするのだが、彼はものすごく疲れていると思う。

なにしろ設計図もマニュアルもない作業を、すべて彼一人の頭で考えながらやってくれているのだから。

彼は以前、鬱になったことがあるという。彫刻をやっている時、どんどんハイになって、やり終えた時にその反動で鬱になると。

どんな感じかというと「枯れた感じ」。何も喜びを感じられない、何にも感動できない。それは脳に負担をかけ過ぎたあとのバーンアウトだろう。

彼は一見おっとりしてるように見えて、実際は私よりずっと非論理的な感覚が激しい。

「あの場所は嫌(なんとなく陰気)な感じ。ずっといると具合悪くなって耐えられない」(なぜ?と質問しても明瞭な応えが得られない)、「あの人は嫌い、フリーダムを演じてる感じが」とか(これは非常に共感しやすい)、私が意識していなかったことをいきなり言われる。

ものすごく芸術家気質で、独自の嗅覚でいちいち不安や嫌悪を感じているので消耗しやすいのだ。

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「花輪和一×福山知佐子 二匹展」のお知らせ

会期:2024年10月30日(水)~11月4日(月)

時間:12:00~19:00(最終日は17:00まで)

場所:GALLERY工+with 東京都杉並区梅里1-8-8 梅里1-8-8ビル101 

昨年秋に私が個展でお世話になったギャラリー工さん(丸の内線新高円寺駅すぐ)でやります。

https://www.ga-kou.com/

ギャラリーにお越しになれない方のために、ネットオークションも開催する予定です。

オークションについては、このブログでお知らせしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

私のHPです。https://chisako-fukuyama.jimdofree.com/japanese-style-paintings-1-%E8%86%A0%E7%B5%B5/

 

 

 

 

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