西新宿

2025年3月 2日 (日)

ギャラリー / 新宿

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八重のアネモネを描こうとすると葉っぱを齧ろうとするプフ。

アネモネはプロトアネモニンという毒が危険なので、絶対に食べられないように花は冷蔵庫に入れている。

2月18日(火)

平田星司さんとZOOMで話す。

2月20日(木)

ギャラリー十二社ハイデの伊藤ゲンさん展の設営。

ちゃんと設計図を書いて、きちんとやっておられることに感心した。

レトロなぬいぐるみやおもちゃの絵。すごくこの場所に合っていると感激。さすがです。

・・・

午後から企画ギャラリーのオーナーに会いに行った。

ギャラリーが開くまで少し時間が合った。

ギャラリーの裏手のほうに「アトリエ」というとても古い錆びた看板のある不思議な家があった。美術ではなく音楽系のなにかだった。

大輪緑萼の梅が満開で、鳥の声がした。陽が当たる場所では春の野芥子が咲いていた。

いろいろ指示されることはあると覚悟していたが、一番気になっていたのは、私の病気のことがちゃんと伝わっていないのではないかということだった。

昨年、最初にオーナーの奥様にお会いした時、「声が素敵」と言われ、「声帯を片方切ってるんですよ。甲状腺癌で」というお話をして、現在、分子標的薬を飲んでいることも伝えていたのだが・・。

だから体力的に、ばりばり新作を描くことはもうできないかもしれないと伝えないといけないと思い、心が苦しかった。

オーナーと話ができるまで待っていたのだが、現在の展示を見に来ていたSさんという作家さんが同席して、企画画廊では画廊の言うことを聞かないといけない云々を私に説いてこられて激しいストレスを感じた。

Sさんは自分の過去の展示のハガキを私にくれたが、私の絵を見たこともないし、私がどういう活動をしてきたのかも知らない。

「すみません!お願いですから席を外してください!オーナーと直接話させてください!お願いします!すみません!」と深く頭を下げて退席していただいた。

病気のことを言う時、緊張して泣いてしまった。

オーナーは、奥様から聞いていると言われて、ほっとした。

その上でまだ私はもう少し生きられると思って、企画してくださるならありがたいことだ。

「奥さんは、あの人はいつも明るい人ね、って言ってるよ」と言われ、私はそんなふうに見えるんだ、と意外だった。

2月21日(金)

篠原誠司さんと電話で話す。

篠原さんは最近までアメリカに行って2つの企画展をされていた。アメリカの郊外の大きなお屋敷に泊まって、向こうのコレクターがどんなふうに家に絵を飾っているかを見たという。

画家のいろんな生き方の話。

2月23日(日)

画家の小穴さんと映像作家の光永さんが来られるというので、ギャラリー十二社ハイデへ。

一緒にランチをしていろいろお話した。

光永さんは、私があとがきに文章を書いたデリダ(鵜飼哲訳)の『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』の文庫版を持って来てくれていた。

伊藤ゲンさんの個展は、玄関に昭和懐かしい貝殻の人形や、古い大きな熊のぬいぐるみなどが増えていた。

あいかわらずうちの中は寒いのだけども、とても楽しい雰囲気。

帰りに新宿駅まで歩き、「あの枯れた蔦の絡まってるのはなんですか?」とハルクの前で光永さんに聞かれ、一瞬、戸惑った。

新宿西口の地下広場のタクシー乗り場から地上へと、ループ通路の巨大な吹き抜け。蔦が絡まっているのは、その真ん中のタイル貼りの筒状オブジェだ。

設計は板倉準三で、66年に出来、「地下空間の地上化」というコンセプトを掲げたという。

このクールだったループ状の吹き抜けが、もうすでに破壊されていて、タクシーが通ることができない。新宿西口は見るも無残だ。

まだかろうじて残っている筒状のオブジェは、私が大好きだった新宿駅前の象徴。

私が幼い頃の新宿のイメージはとにかく革新的で、なにもかもがかっこよくて、

テレビや映画や古い漫画で知っている新宿は、ものすごいエネルギーが渦巻いていて、常に新しい状況と、反発する力、爆発する力が・・。

ヒッピーも新宿騒乱もゴーゴー喫茶も、風月堂も、そういう青春には間に合わなかったけれど、映像で何度も見ている。その場にいたはずはないのに、その場にいたように記憶に溶け込んでいる。

ペロ(伊坂芳太郎)や宇野亞喜良、カルメン・マキや浅川マキのイメージも。

映画『女番長 野良猫ロック』は何度も見た。和田アキ子がバイクで西口地下道への階段を下って突っ走るシーンが大好き。当時の歌もかっこいい。

都会で、泥臭くて、サイケで、アングラで、熱くて、廃墟の中から宝物を拾えるような夢があった新宿。

紀伊国屋の中にあったこまごまとしたお店は闇市の名残だと聞いた。懐かしいLENE。西口にいくつもあった古レコード店。7丁目、8丁目の古いアパート群。駄菓子屋。

宮谷一彦や真崎守や上村一夫の漫画でも、歌謡曲でも、新宿は何度も描かれていた。

日本で一番、劇的に変わった町、新宿。

昔の新宿の痺れるようなかっこよさは、身近な友人や、人生の先輩たちとは当たり前に共有されてきたけれど、年下の人たちとはまったく共有されていないんだな、とふと気づいて、言葉が出なかった。

 

 

 

 

 

 

 

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2024年12月28日 (土)

GALLERY JUNI-SO HEIDE (ギャラリー十二社ハイデ)のホームぺージができました

12月27日(金)

GALLERY JUNI-SO HEIDE (ギャラリー十二社ハイデ)のホームぺージができました。

https://gallery-junisoheide.jimdofree.com/

私、福山知佐子の生家です。

ハイデと言うのは、ドイツ語で原野、荒野という意味で、英語でヒース、ロシア語でエリカという荒れ野に咲く小さな花の名前でもあり、また、異教徒という意味もあります。

ヤンセン美術館を見にオルデンブルグに滞在した時、「ハイデを見たい」と観光インフォメーションに尋ねて、小さなバスに乗った。

広大なリューネブルガーハイデまでは行けなかったが、そこここに小さなハイデがあるようで、アメリングハウゼンという小さな町までバスに揺られ、途中、小学生たちがわいわいと乗ってきたり、野生のリンゴの木に感動したり、

そして枯れた小さな花々(ハイデ)に埋もれたハイデ(荒野)を歩いた。

ハイデには素朴な蜜蜂の小屋があった。針葉樹の森は湿っていて鮮やかなきのこが生き生きとつやめいていた。

 

劇的に変化した西新宿にポツンととり残されていた築80年近い廃墟の、廃墟感を生かしたままギャラリーにしました。

暖かくなって体調を整えられたら、私も絵の展示をしようと思っています。

興味のあるかたは見に来ていただけたら幸いです。

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咽喉が痛くなり、うっかりヨード系の嗽薬を使って失敗。咽喉の傷にしみて激しくむせる。

今日は大切な約束があったのだが、咳が出る限り感染の危険があるので恐縮ながらキャンセルさせていただいた。

年始にいらしてくださると優しいお返事(涙)。

蜂蜜とショウガ入りのカフェインレスアールグレイミルクティ。

以前に病院で出してもらったトラネキサム酸とカロナール。

そして最近はずっと卵を入れたおかゆ。料理を作る気が起きなくて。

前回のがんセンターの診察でサイログロブリンの数値が上がってから、どうしても暗い気持ちがぬぐえなくて、時々心臓がズキンズキン痛くなる。

考えてはいけないとわかってはいても、すごく悪いイメージに囚われて、追い詰められてしまうことがある。

なにかしないと虚無が襲ってくるので、西新宿のギャラリーのホームページ作りを試みようとした。

jimdoではAIビルダー(目的に合わせたテンプレ―トから選んでいく)とクリエイター(すべて自分でやる)があるのだが、AIビルダーは私には最悪に使いづらい。まったく不自由。

とりあえず仮に、一応(気力ないし無理だと思ったのに、意外にも数時間で)できたのだが、「GALLERY JUNI-SO HEIDE 」「ギャラリー十二社ハイデ」で検索しても出て来ない。

そうだった、以前にもやったGoogle Seach ConsoleにログインしてHPのURLを入れ、HTML タグをクリックしてメタタグをコピー・・ヘッダー編集を開いてメタタグを貼る・・ここまではできた。

だけどDNSレコードの所有権の確認がされなくて、TXTレコードをgallery-junisoheide.jimdofree.comのDNS設定にコピーする・・

DNS設定ってどこ?サポートの人は来年の5日までお休み。

とりあえずこのブログからのリンクを何度かクリックしていれば、いつかはクロールが認識してくれるのだろうか。

・・

足利市立美術館の篠原さんからお電話があった。2月まで超忙しいのでメールに返事ができず、電話で、と。来年、コレクション展は無いと聞いてショック。再来年、私は生きて足利に行けるのだろうか?

彦坂尚嘉さんと糸崎公朗さんからもお電話があった。

なんだかんだお気遣いいただいている。とにかく風邪を治さないと。

 

 

 

 

 

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2024年12月18日 (水)

西新宿の家に彦坂尚嘉さんと糸崎公朗さんが来られる

12月13日(金)すごく寒い

西新宿の生家の展示できるスペースを彦坂尚嘉さんと糸崎公朗さんが見に来てくださった。

私は松葉杖を片方ついて、すごく久しぶりに電車に乗って出かけた。

西新宿の家の中は予想よりも寒く、エアコンが効かなくて、ダウンと厚いマフラーをしたまま、カーボンヒーターをつけていても凍えてしまった。

彦坂さんは周りの高層ビルとの落差が面白いと言われた。

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手前の部屋と奥の廊下側の襖ひとつ分空いているところを襖かベニヤで塞がないと、とにかく私には耐えられない寒さ。

熱いお茶(ザクロとラズベリーのフルーツティー)を2回淹れる。

少ししてから3人でバスに新宿に出て西口のサイゼリヤで食事。

彦坂さんは、私が『反絵、触れる、けだもののフラボン』の中に書いた

「絵画のために世界を再構築するのではなくて、世界の予想不可能性によって、絶えず自分が再構築されるのだ」という言葉に、

「この主張は、現在の多くの現代アートに対する批判として、私も共感するものです。

現実を見て、写生することが、重要なのです。」と言ってくださった。

私の師、毛利武彦は、苦しくても見えるものを見えるがままにどこまでも追って写生(素描、デッサン)することをほめてくれた。

ちゃんとものを見る努力をしないで、最初から勝手に略したり歪めたりすることはなんにもならないと。

私の素描を見て「もっと崩して描かなきゃだめ」と毛利先生もよく知っている日本画の人に言われたんです、とその場でお伝えすると

「いや、これでいいんだ。すみずみまで神経が行き届いたデッサンです」と言ってくださった。

最初から崩して描け、と言う人は「そこに在るもの」に対して自分が寄り添い、受容する側になることの重要さがわからないのだし、ぎりぎりまで見ること、突き詰めて描くことができないのだと思う。

(その人の絵を彦坂さんは6400次元だったか、そうとうな低いレヴェルに位置付けていた)

彦坂さんは「いつから画家はものを見て写生しなくなったのだろう」とおっしゃった。

彦坂さんのように現代アートをよく知っている人が、私の枯れていく植物の運動を追って何年も描き続けた素描の画集をほめてくれるとは、私は全く予想していなかった。

彦坂さんは、私が「日本画」の世界の人に「こんなのは絵じゃない!絵の世界から出ていけ!」と脅迫された話をたいへん面白い、実名で書いて残しておいたほうがいい、と言われた。

その後、糸崎さんが見たいと言ってニコンサロンに皆で行った。

本のコーナーにあったアンリ・カルティエ=ブレッソンのカタログのような本が面白かった。

彦坂さんはまだまだしゃべり足りないようだったが、駅でお別れした。

そのあと新宿のどこかで、今日見てくださった西新宿の展示スペースについてひとりでお話してくださったようで、

動画をYoutubeにあげてくださっていました。

https://www.youtube.com/watch?v=wSYp8QqYi6w=

「画家・福山知佐子さんのあたらしいスペースが準備中です」という動画です。


 

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2024年12月 4日 (水)

西新宿 柳橋跡 廃屋

11月27日(金)

西新宿の家への荷物の配達を待つ間に、大好きな柳橋跡と羽衣湯の裏の丘を散歩。

柳橋は1世紀近くも前の橋で、西新宿5丁目駅から神田川に注ぐ古い暗渠の途中に残っている。

中学生の頃は、この暗渠の周りに何人もの同級生が住んでいた。

まだ奇跡的に残っているボロボロのアパート、なぜか溶岩がのっている塀の写真を撮るのを忘れた。

はっぴいえんどの「ゆでめん」のイラストが描かれた麺工場跡の貼り紙が無くなっていた。

『ああ荒野』でロケに使われた八百屋は閉まっていた。

羽衣湯の裏の丘へのぼるセメントで固めた急な坂。たくさんの輪っかの型押しがある坂はそうとう古い。

8月1日にこの坂を上った時にむせかえるように繁っていたカナムグラ(金葎)は3分の1ほどの量になったがまだ元気だった。

頂上の塀の中で煌いていた銀色の花穂と茎を持つタケニグサも、だいぶ枯れたがまだなまめかしく存在していた。

2つめのうんと狭くて魅力的な坂の手前、福山家よりもさらに古そうな廃屋は、屋根にブルーシートをかけられていたがまだ残っていた。

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この看板に驚嘆。電話番号が6ケタしかない。淀橋警察は1875年(明治8年)に設置され、今の新宿警察に名前が変わったのは1969年らしい。
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このガラスの擦れて曇った質感が、間近で見るとすごく美しくて、私はずっと見ていられるのだ。
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丘の上から下を覗くと懐かしい細い道。四角い飛び石。秘密の階段。私の友達は皆、こういう細い道の奥に住んでいた。
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枯れて細くなったヨウシュヤマゴボウの黒紫の実と黒猫。ラインステッチの白い刺繍はエノコログサ(ネコジャラシ)。
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どんな季節にも私はなまめかしさを見る。

広々とした自然よりも都会の猥雑な街の端っこの、わずかな土に展開される生命にたまらない愛おしさを感じる。

知られぬ風景、誰も見ようとしないもの。

私は新宿の、ほとんど息の根を止められそうでもまだしぶとく残っている古いものが本当に好き。武蔵野が好きだ。

もうほとんど伝説の中にしか残っていない「十二社(じゅうにそう)」の名前を私の生家の玄関に残そうと思う。

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2024年11月17日 (日)

平田星司さん個展 静物と伝道者 / 西新宿でガスが使えない

11月16日(土)

西新宿の家へ行った後、平田星司さんの個展(前期)「静物と伝道者」GALLERY KTOへ。

西新宿小学校(昔は名前が違うが私が出た小学校)の向かい。

昔、ちょうどここらあたりにあったケンジ・タキギャラリーでの若林奮先生の個展に来た。オープニングに人がたくさん集まって「すごい人だけど何をやってるんですか?」と道行く人に聞かれた記憶がある。

ずっと見たかった平田さんの「伝道者」を間近で見ることができて満足。油壷の海の底から拾った紅藻に覆われた古いガラス瓶だそうだ。

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本当に美しい。特注したという木の台もぴったり。

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オーナーの奥様の淳子さんが若林先生のファンだという話から会話が盛り上がり・・色々話しているうちに平田さんが来られた。

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平田星司展、これらの作品が見られる前期は11月23日まで。

後期は12月3日(オープニングパーティー)~12月28日、

12月14日には平田星司さんと美術評論家の南雄介さんのトークイベントがあるそうです(要予約)。

ちなみにGALLERY KTOのKTO(クトー)はロシア語でWho(誰)という意味だそうだ。

・・・

平田さんの個展に伺う前、1時半にプロパンガス会社の人と西新宿の家で待ち合わせていた。

一応、家のぐるりを見てもらったが、築80年近い家だとそれだけで会社の規定で工事不可の可能性が高いと言われて絶望的な気持ちになった。

瞬間湯沸かし器は買い替える必要があり、それだけでも15万~20万・・。

なにより家と隣の家との隙間が狭すぎて人が入れない。そこに水道管が埋まっていて、もしも何かあったら修理する人が入れなくてたいへんなことになる、そんなところにガス管工事できないとか。

先日は東京ガスの人に来てもらって、その時にまず建った時の図面がいる、隣との境界線をはっきりさせないとならない、そして地主の工事許可がいると言われた。

公道を掘削するのはお金は無料だが、自分の敷地内の工事は有料。

掘削するためにまず玄関前のたたき(コンクリート)を破壊する必要があり、それは外注になるので20万円超~。

さらに外壁の補強工事をしないとガスメーターが取り付けられないと言われ、湯沸かし器買い替えも含めてものすごい出費になるので無理だと諦めた。

そしたら東京ガスの人が、たぶんプロパンガスだったらそこまで大掛かりな工事にならないと教えてくれたのだった。

しかしプロパンも無理だった!西新宿の便利な場所にあるのにガスを使えない家だなんて!

古いガス管が腐って切断したというが、そうなったら二度と修復できないなんて考えてもいなかったので血の気が引くくらいショックだった。

 

この日は平田さんの個展に長く居たあと、新宿に出て作品のスキャンなどしていたが、消耗が激しく手足が冷えて震えがきてしまった。

どうしても寒気が止まらないので外食してワインを一杯飲んだ。もうすぐ血液検査なのに肝臓の数値が上がったらまずいが。

ストレスと体温低下が最も癌に悪いと思うので応急処置だ。

柔らかい青豆のソテーを食べたら、飲んでもなかなか温まらないからだが遅れてやっと温まって来た。

 

帰宅して西新宿の家の暖房のためにガスファンヒーターをネットで買おうとしたら、クレジットカードが登録できない。

嫌な予感がしたら、すぐに楽天からメールが来た。本日、カードの不正使用があったそうだ。

カードが止められ、新しいカードの発行待ちとなる。

 

 

 

 

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2024年11月13日 (水)

西新宿の生家の改築・のこぎりで爪切断の怪我

11月6日(水)

天井に和紙を貼る仕事がまだ残っていて、この仕事に関してだけは私が手伝ったほうがぴっちり貼れるので少しがんばった。

それをやり終えた後、私は障子2枚に和紙を貼り、その後、トイレの壁にペンキを塗っていた。

奥の部屋で村野君は壁に明けた窓のための枠のようなものを作っていて、木材をのこぎりで切っていた。

ちらっと見た時、「左手の親指が切れそう」と言うと「切らないっすよ」と。

そう言われてから数分後に「あーっ!!」と大きい声が聞こえ「やっちゃった!深い!」

駆け付けると真新しい床板の上にぼたぼたと大きな血の滴が落ち続けていて、すごく痛そうで怖くて、自分がその時どんな言葉を発したのか覚えていない。

爪を切断して下の肉まで切ったという。

彼はすぐに2階に上がって見つけてあった福山家の救急箱から包帯を出して親指にぐるぐる巻きにし、その上から透明な養生テープを巻いていたが、指先はどんどん赤く滲んだ。

親指の付け根に輪ゴムを巻いていた。

そのあと、「もうだいじょうぶ」と言って彼はどんどん仕事を続けた。

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私がうまく塗れなかったトイレの壁をものすごいスピードで仕上げてくれたり。「仕事でゆっくりやってたらどやされる」と。

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ずいぶん仕事をして疲れて西新宿十二社通りにできた食堂に行った。

私はまだ展示の過緊張が抜けず胸筋が固く詰まったままで、ほとんど何も咽喉を通らず、味噌汁だけは飲めた。

「ご飯粒が喉を通らない」と言うと「豆のディップがいいんですよ」

「豆のディップってなに?」「ひよこ豆が買ってあるから」

彼はサンマを「頭が一番うまい」と言って、真ん中の骨だけ残してきれいに食べていた。

十二社の交差点で別れて、帰宅してから、血がどくどく出ていた親指の傷のことが生々しく思い出された。

検索すると壊死するから絶対に輪ゴムで止血するのはだめ、黴菌が入ると化膿するから病院に行くのは必須と書いてあり、不安でたまらなくなった。

福山家の救急箱に入っていた古い包帯なんて不潔っぽいし。

彼は保険証を持っていないので医者を嫌がるが、それでもすぐに外科に連れて行くべきだったのに。

Tが、新しい滅菌ガーゼと包帯と傷薬(ステロイド軟膏)を届けてくれると言った。

夜中の1時すぎにメールが来ていた。

「久々にホッとしました。そのあと、寝てしまいました。」と書いてあった。

 

 

 

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2024年10月 7日 (月)

西新宿の生家の改築 最終日 パッションと宿痾

10月5日(土)

1階の奥の部屋。押し入れだったところを壁で塞ぎ、押し入れの外壁を取り除いて、そこに風が流れる(湿気がたまって家が腐るのを防ぐ)ようにしてくれていたのだが、今日はさらにそこに窓の穴を開けていた。

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押し入れだった部分の部屋側と廊下側にそれぞれ灯りとりの窓をつけてくれた。こちらは廊下側。

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1階奥の部屋。窓から蔦が見えるのがきれい。ここのガラスは透明にするかも。
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茶色く汚れた壁は最終的には白くなる予定。
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一階の手前の部屋と奥の部屋はピクチャーレールとダクトレールと照明をつけて、ギャラリーになります。

写真を撮るのを忘れたけれど、1階の手前の部屋と奥の部屋の間の壁はドアひとつ分ぶちぬきになっている。

玄関の下駄箱の上の壁に穴を開けて作った窓のまわりの壁(窓をはめるより壁の方がたいへんと言っていた)もできていた。
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もしかして徹夜した?


1階のトイレの扉と、1階手前の部屋の押し入れの扉に和紙が貼ってあったが、少し皺になっていた。

「この皺はまずいかもね・・日本画科出て何十年和紙貼ってるんだ、って言われちゃいそう。私、水で濡らしてやり直すわ」と言って

霧吹きで全体を湿らし、数分置いて、下のほうから両手でぴんと伸ばしながら和紙を剥いでいく。そして一番上のところをピンと左右に伸ばして張り直し、上から下にピーンと引っ張りながら貼り直した。

「すごい!きれい!」と言われる。私にもひとつくらいほめられる仕事があってよかった。

手前の部屋の押し入れは工具入れになった。
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手前の部屋と廊下の間の窓。ガラスが無かったところに、どこかで見つけて来たガラスをガラスカッターで切ってつなぎ合わせてはめてくれた。左側の曇りガラスには蔦の触手(ヤモリの足跡のような)がそのまま残してある。

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福山家出土品の一部。左の緑の瓶は「人體消毒液 リゾホルム」と書いてあり、床下から出て来た。
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1階の奥の廊下。時代本箱。アルミサッシは和紙を張った障子戸で隠す予定。
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いつか付けてもらう予定のキツネのノッカー。高円寺のMALTOさんのドアに付いていたもので、私が何年も前から熱望していたがもう在庫がなく、先日、思い切ってこれを譲っていただけないかお願いしたら売ってくださったもの。
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売っていただけるなんて思っていなかったので「嘘みたい!信じられない!嬉しい~!」と叫んだら「そんなに喜んでいただけるなんて本望です」と店主さんに言われた。

 

今日は私も疲労と副作用で顔も腫れて体調悪く、もう作業ができないと言ったら「天井に和紙を張るのだけ手伝ってほしい」と言われ、

「じゃ、やりましょう」と腹をくくったが、M・Mさん自身が(たぶん頭のほうが)疲労困憊で「できるかな・・・?もうちょっとだけ待って」と

玄関のところに座っていた。すごく朦朧としていそう。

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あまりにもM・Mさんがお疲れのようなので、自分でスツールの上に載ってみたら天井に手が届いた。紙の幅に鉛筆で線を引いて、その範囲に少し水で薄めた糊を刷毛で塗っていく。

最初の一枚は手伝ってもらいながら私が主導で貼った。ロール紙をぴっちり角に付けて、たるまないようにピーンと貼っていく。

この作業は私の一番の弱点である首(甲状腺癌手術の時に転移していた周りの筋肉を大幅に切除したため、頭の重さを支えきれない)と肩の筋肉を酷使するため、10分くらいで痛くて吐きそうになった。

2枚目を貼るための糊を塗っているM・Mさん。
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M・Mさんはよろけて薄めた糊を床にぶちまけたりした。もう疲れすぎて限界なのだと思う。汚れた床を拭いたり、木の削りカスを掃除するくらいは私でもできる。

そのあとM・Mさんは風呂場の床のセメント部分に塗料を塗っていた。いずれはバスタブを持ち上げて、その下を掃除するという。

ガスレンジ台も作りたいけど(そんなものまで作るの?)今日は無理、と。

大きなところでは、うちの出っ張っている玄関部分(大昔に増築したところ)を壊して隣家と接触している壁を無くしたほうがいいと何度も言われた。

隣家側の壁にセメントの防火スプレーをかけたほうが、万が一、隣が火事になった時にも安全という。

「玄関を屋根から壊すことなんてできるの?」

「手(バールと金づち?)で少しずつ壊せば」

「じゃ、私が生きているうちにできたらやってください。あなたの情熱と意志がもしあるなら」

午後3時過ぎまで作業。このあと彼は荷物整理して、夕方からは舞踏のレッスンに行く。そして今日の夜か明日には長距離バスで地方へ。

M・Mさんは最初の頃から作業状況を逐一写真に撮っていたが、ついにほぼ出来上がった部屋を撮りながら「すごくいいと思う。よくできた」と言っていた。

こんなふうに古い家を改築したのは初めてだという。

「もう二度とこんなたいへんな仕事はできないし、やりたくない」

1か月前くらいだったか、彼は「仕事のこと考えると(自分の納得する予定通りにできるのか不安で)心臓が痛くなる」と言っていた。

期限内に自分の納得するかたちで一旦終了できるように、よほど頭を使い、よほどいろいろ心配して自分を追い詰めたのだろう。

「Tさん(M・Mさんの友人でうちに泊まっていた人)にも、命削ってるねって言われた」という。

「あと5日・・・あと5日くらい作業すれば全部完成ですね」とぽつりと言われた。

最初のひと月は家具の破壊と、掃除、遺品整理、ゴミ出しからやってくれた。数えきれないほどゴミ出ししてくれた。

誰も考えなかった天井を落とすこと(80年近く溜まった埃とネズミの糞の掃除)、どの建築家にも無視された大変な作業、柱をジャッキで上げ、白アリなどで腐っている部分を切って継ぎ直し、土台石に載せることをやってくれたのも、表面的なことではなく根本の重要なことだから。

すべてこの古い家の命を本当に長く持たせるために。

誰も関心を持たない、私でさえ諦めていた遺棄されたものの命を蘇られせてくれた。

M・Mさんにはいろんなことを教えてもらった。ゴミの中から使えるものを拾い出して有効活用すること。買わないで自分で考えて作ること。

巨大に感じるものでも自分の手で破壊できること。破壊を恐れないこと。つくりかえたいと思ったらつくかえられること。

そういう実際の、本物の破壊と創造の行動を目の当たりにしながら、私は残り少ない命の時間にできることを考えていた。

私が本当に目撃したものは、どんなにハードでも(ほかの誰にも何をやっているのかを理解されなくても)自分が納得するところまでやり遂げたいという身に覚えのあるパッション。

やりたいと決めたら集中して、命を削っているとわかっていても心身ともに捧げてしまう身に覚えのある宿痾。

嫌いなもの、嫌いな人には徹底して関わりたくないという身に覚えのある宿痾。

私たちは時折、現代アートの話、あるいは「絵画」の話、表現の話をした。どんな「絵画」が好きか、どんなアートを酷く不快に思うか。

彼は私より遥かに現代アートのことをよく知っていて、最先端の現代アートのギャラリーに展示されたこともあって、けれど今はもうアートの制作はしていない。

中学時代に土方巽を知り、今はアートより舞踏していたほうがいいという。しかも舞踏を発表したいわけではないと。

「感謝してもしきれない」という陳腐な言葉では表せない。

私が生きているうちに、少しでも有効にこの場所を使えたらいいけれど。でもお金のために焦燥するのはよくない。できれば信頼できる人とだけ、楽しい気持ちで何かできたらいい。

・・

私も疲労で頭が朦朧として身体が動かなかったが、一旦帰宅してお茶を飲んでから17時過ぎに新宿へ出た。

花輪和一さんとの二匹展のために展示する作品を選び、合う額があるものはそれを使い、額がないものは発注する準備。

21時過ぎに帰宅。午前2時すぎまで眠れなかった。

・・・・・・・・・

「花輪和一×福山知佐子 二匹展」のお知らせ
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会期:2024年10月30日(水)~11月4日(月)

時間:12:00~19:00(最終日は17:00まで)

場所:GALLERY工+with 東京都杉並区梅里1-8-8 梅里1-8-8ビル101 

昨年秋に私が個展でお世話になったギャラリー工さん(丸の内線新高円寺駅すぐ)でやります。

https://www.ga-kou.com/

ギャラリーにお越しになれない方のために、ネットオークションも開催する予定です。

オークションについては、私のブログでお知らせしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

私のHPです。https://chisako-fukuyama.jimdofree.com/japanese-style-paintings-1-%E8%86%A0%E7%B5%B5/

 

 

 

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2024年10月 6日 (日)

西新宿の生家の改築あと2日、玄関のドアクラッキング塗装取り付け、ラストスパート

10月4日(金)雨のち晴れ

西新宿の生家の改築はいよいよ明日の昼で一旦終わり。

玄関のドアのニス仕上げをするのに、今日は晴れでばっちりと思っていたのに、昼から結構降っていた。

雨に濡れて陽が差してきた十二社の石段。ヒメムカシヨモギが美しい。
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石段の中ほどにあるホテルニュー寿(アラーキーご愛用だったらしい)だったところ(廃屋)の入り口。
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昔の風情をわずかに残している。塀の中をのぞくと、黒電話の入った箱などが見える。地主のJ寺はここを潰すつもり?
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今日はまず、9月から今までのお支払いをさせていただいた。

M・Mさんの細かい作業日誌による時給×時間の計算で、〇〇万7800円をお支払い。7月、8月分の額の1.6倍。9月から一日の作業時間が長くなっていてどんどん過労気味に。

(私のブログを見てM・Mさんにお仕事を依頼したいと思ったかた、ちゃんとお金を払ってあげてください。ただM・Mさんはお金のための仕事はしない、やりたいと思った仕事しか引き受けないそうです)

日誌の手書き請求書にサインしたものをくれた。「字、書くの速いし慣れてるよね。子供の頃、習ってた?」

「はい。中学の時は生徒会の書記でした」

「うわ!」

「誰もやりたがらなくて時間がもったいなかったので、犠牲的に立候補して・・・選挙ではどういう学校にしたいかを演説しました」

そういうキャラには見えないけど。



一階のトイレの下側についている窓が壊れていたのを作ってくれている。こんなことまで・・。
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トイレの窓を外からはめているところ。左隣の家は廃屋で、うちと同じくらい古い(戦後1年目に建った?)。その家とうちのあいだは狭くていろんなガラクタと朽葉が詰まっている。
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手前に写っている鉄の台は、M・Mさんが見つけて、その上にエアコンの室外機を載せてくれた。

私は防ガスマスクをつけて玄関のドアの外側に透明な飴色の油性ニスを塗り、乾いてからドアをひっくり返してもらって、ドアの内側に水性ニスを塗った。

M・Mさんは大量の作業服をいっぺんに二層式の洗濯機に入れていて「水が回転しない」という。粉の洗剤も全然溶けてなく、素手を突っ込んでかき回した後、乾いたタオルでぱっと手をぬぐっていたのでぞっとして「強アルカリだよ。ちゃんと手を水で洗わないとかぶれるしアレルギーになるよ」

若い人は昔の二層式の洗濯機なんて知らないのだ。洗濯槽の水を抜いて洗濯ものの半分を脱水機に入れ、残り半分にたっぷり水を入れたら普通に回転した。

「洗濯物が多すぎて重すぎで回らないのよ。半分量で洗い、脱水、水を変えるを3回繰り返すんですよ」

「勉強になりました」

もう明日には旅立つので、冷蔵庫の中のものを使い切るために、M・Mさんは手慣れたスピードで玉ねぎをトントンと微塵切りにし、バターとオリーブオイルで炒めた。
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大根は1cm角に切り、ニンニク、キノコも入れて塩をふって炒め、しんなりしたら昆布だしと牛乳を入れ、土鍋で炊いて冷蔵していた麦と玄米を加えて、クリームリゾット。

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ニスが乾いたドアを玄関に取り付けるのがたいへんだった。重いドアを持ち上げてもらって、蝶番の穴を木にあいている穴に合わせて、私が生まれて初めて使う電動ドライバーでネジを止めていった。電動ドライバーの快感。すごく楽しい。

重たいドアを外した時になぜか固まって動かなくなってしまった金具(クローザー?)を金づちで叩いて直すM・Mさん。

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玄関にドアがついたところ。
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左側の茶色い木の部分(これもドアで、本来は開くのだが錆びついていたのをM・Mさんが直した)を白いクラッキング塗装にしようと思い、はずして水平に置いてもらったら、白い塗料がなかった。

「ベージュの塗料でいいっすよ」

「やだ。白でかすれたクラッキングにしたい」

「緑(薄荷色)でいいっすよ」

「ん・・・と、私は画家なので自分の色の感覚に合わないことは妥協したくないの。彫刻家の人は色はどうでもいいのかもしれないけど」

しかたないので水とスチールたわしできれいに洗って、ドアの上についていたクモの巣とドアの下の泥も掃除して元の位置に戻してもらった。

カフェ板を敷いた部屋の隅の隙間に数cmに細長く切った板をはめた部分、さらに細くあいた隙間に2mm~5mmにスライスした板をはめて金づちでトントン叩く。最後の1mmくらいの隙間はパテを詰めるという。実に几帳面。
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私も手伝って昨日パテで埋めた木の継ぎ目の部分を、やすりのついた器械で研磨してつるつるにする。この作業はものすごく粉が舞い、玄関の空気が白濁したので急いでドアを開けて防塵マスクをつけてもらった。あとでもう一度上から白い塗料を塗るらしい。
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1階の手前の部屋。
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1階のトイレに余ったカフェ板を敷き詰め(もったいないと思う)、水道管の水漏れしている部分を直してくれているM・Mさん。
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M・Mさんは本当に必死に、仕上げられるところをンどんどん仕上げてくれていっている。

私も普段使わない筋肉を使い、一度もやったことのないことをやっているので全身筋肉痛で頭が朦朧とするのだが、彼はものすごく疲れていると思う。

なにしろ設計図もマニュアルもない作業を、すべて彼一人の頭で考えながらやってくれているのだから。

彼は以前、鬱になったことがあるという。彫刻をやっている時、どんどんハイになって、やり終えた時にその反動で鬱になると。

どんな感じかというと「枯れた感じ」。何も喜びを感じられない、何にも感動できない。それは脳に負担をかけ過ぎたあとのバーンアウトだろう。

彼は一見おっとりしてるように見えて、実際は私よりずっと非論理的な感覚が激しい。

「あの場所は嫌(なんとなく陰気)な感じ。ずっといると具合悪くなって耐えられない」(なぜ?と質問しても明瞭な応えが得られない)、「あの人は嫌い、フリーダムを演じてる感じが」とか(これは非常に共感しやすい)、私が意識していなかったことをいきなり言われる。

ものすごく芸術家気質で、独自の嗅覚でいちいち不安や嫌悪を感じているので消耗しやすいのだ。

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「花輪和一×福山知佐子 二匹展」のお知らせ

会期:2024年10月30日(水)~11月4日(月)

時間:12:00~19:00(最終日は17:00まで)

場所:GALLERY工+with 東京都杉並区梅里1-8-8 梅里1-8-8ビル101 

昨年秋に私が個展でお世話になったギャラリー工さん(丸の内線新高円寺駅すぐ)でやります。

https://www.ga-kou.com/

ギャラリーにお越しになれない方のために、ネットオークションも開催する予定です。

オークションについては、このブログでお知らせしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

私のHPです。https://chisako-fukuyama.jimdofree.com/japanese-style-paintings-1-%E8%86%A0%E7%B5%B5/

 

 

 

 

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2024年10月 5日 (土)

西新宿の生家の改築あと3日、玄関のドアのクラッキング塗装、十二社の石段

10月3日(木)

明後日の昼でここの改築は一旦終了。

今日はまず玄関の壁にはったベニヤの継ぎ目にパテを塗る作業を手伝う。

オフホワイトに塗った木の板の質感の上に白いパテを盛り上げながら、私はマチエールを大切に絵を描いている感覚にしかならず、和紙を張らずに木製パネルに描いている気持ち。ここに銀箔を組み合わせる想像で高揚する。

玄関のドアのクラッキング塗装の続き。最初に失敗した部分、薄荷色の塗料が残っているので、もう一度焦げ茶色の下塗りをラフにしたところ。

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クラッキング塗装完成。
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作業していた部屋の床にカフェ板を敷くために、塗装完成したドアを奥の部屋に移動。
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カフェ板を敷いた上にドアを置いたところ。こちらの部屋は黄色っぽい裸電球ひとつなので、薄荷色が黄緑っぽく映る。

いよいよニスを塗って仕上げるのだが、やったことのない私は、油性ニスで水性塗料のクラッキングが溶けたりしないのか不安。

小さな木切れにクラッキング塗装したものに試し塗り。

匂いにアレルギー反応が出て気分が悪くなる可能性があるので、明日、防ガスマスク(銀箔の腐蝕で発生する硫化ガスのために買ったもの)を持って来て一気にやることにする。

私が大好きな大切な場所、十二社の昔(私が幼児の頃)から残っている石段。そこらじゅう料亭だらけで三味線の音が聞こえていた昔の面影はほとんど消え失せ、たったひとつここだけが懐かしい姿を留めている。

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ここを昨日から測量している人たちがいる、とM・Mさんに言われて見に行く。

尋ねたところ、測量の依頼主はここら辺一帯の地主、(福山家と因縁の)J寺とのこと。まさかここを工事しないよね・・・?この石段が崩されたら私のショックは計り知れない。十二社の乳銀杏が切られて無くなっていたことも私には酷いショックだったのに・・。

「十二社の石段を守るイベントをやればいい。僕とF(社長)さんがここで踊るから」とM・Mさんが言う。

廊下の古い天井を無くして(80年の埃とネズミの糞を掃除し)石膏を塗ったベニヤをはめてくれたところの、端っこをきれいに合わせて釘で止める作業。
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M・Mさんはすごく焦って集中していて、いつもお昼や3時にお茶を飲むのに、この日は一度も休憩をとらなかった。

私が空腹に耐えられなくなって「コンビニに行くので何か買ってきますか?」と聞いてもも「何もいらない」という。

たこ焼きを買って来て、熱々のを勧めてもピリピリしていて「話しかけないで」ときつく言われる。

天井板を固定する作業が終わって「やっと終わった!」とお勝手の方に来て「あっ、たこ焼きがある」とぱくっと食べて「おいしい~」と。

「さっき、熱々にした時にひとつくらいつまめばいいのに」と言うと「作業に集中してる時って、一言も話しかけられたくないでしょ。」と。

「11月の私の二人展が終わるまでは何かイベントをすることもできないんだから、そんなに根をつめて焦らなくていいでしょう。過労になっちゃう」と言うと、

「きりのいいところで止めたいんです。自分で納得するきりのいいところで。デッサンだって途中は必ずいいところで中断しろってさんざん習ってきたし」と。

「私はデッサンはむしろ、何が描いてあるかわからないところ、人がやらない奇妙なところで中断したいけどね。」

 

油性ニスに使った刷毛をベンジンにつけて洗ってくれた。明日はクラッキングの油性ニス仕上げの本番。

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「花輪和一×福山知佐子 二匹展」のお知らせ

会期:2024年10月30日(水)~11月4日(月)

時間:12:00~19:00(最終日は17:00まで)

場所:GALLERY工+with 東京都杉並区梅里1-8-8 梅里1-8-8ビル101 

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2024年10月 3日 (木)

西新宿の生家 部屋の下に井戸?玄関のドアのクラッキング塗装

10月1日(火)曇りのち時々雨

玄関の大きなドアのクラッキング塗装。まず小さなベニヤ板に液体糊と塗料の濃度を実験。

先日失敗してクラックがはいらなかった部分を全部、紙やすりのついた(アイロンのようなかたちの)器械で削り取る。最初、要領を得ず無駄に力を使ったが、先の方に力を入れて押すと削れる。

ドア全体にやすりをかけ、焦げ茶色の塗料で下塗りして乾かす。

液体糊を塗って手で均一に伸ばし、少し乾いたら薄荷(ミント)色の水性塗料を、下の糊と混ぜないように上に乗せていく。

途中、ぽつぽつ雨が来たのでドアを玄関に入れて立ててもらったら、まだ液体糊が乾ききっていなくて、塗装がだらだらと下に流れてしまった。

泣く泣く流れた部分をすべて雑巾で拭いてきれいに水拭きし、やり直し。

ドアを室内(手前の部屋)に入れて水平にしてもらってやることにした。 

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薄荷(ミント)色の塗料を塗って1分くらいで少しずつクラック(ひび割れ)が出てくる。

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同じ部屋の古い板の間部分をはがして床下を見ていたM・Mさんが突然叫ぶ。

「わあ、なにこれ!やばい!やばい!」

「?」

「こんなやばい現場初めて。今のうちに写真撮っておいたほうがいいすよ」

見ると床下に井戸のような穴があった。板の間部分をはがして下を見たことなんてないから、びっくり。

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M・Mさんがスマホで写真を撮ったら、オーブのような光が3つも写っていて「すごく怖い!」という。

「私は心霊とか本当に全然怖くないの。ただ大きな穴を見ると落ちるような気がして怖いだけ。木でちゃんと穴を塞いでね」と私。

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穴をふさぎ、垂木を組み、カフェ板をのせていく。

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こちらは奥の部屋。部屋のゆがみに合わせて、ぴっちりはまるようにカフェ板をやや斜めに切って隙間を埋める。Sdsc00393_20241003230301
器用にきっちり合わせて埋めているので、思わず「すごい!きれい!」と叫んでしまう。

Sdsc00392_20241003230301

そして奥の部屋の天井も・・・。私のトラウマだった父の煙草のやにで茶色くなっていた天井板を落とし、同時に80年近く溜まっていた埃とネズミの糞を掃除機で吸い取ってくれて、きれいに石膏を塗った板を何枚もきっちりはめてくれた。
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やにで茶色い壁は、あとで研磨して白く塗ってくれるそう。

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「花輪和一×福山知佐子 二匹展」のお知らせ

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