沢渡朔

2024年3月20日 (水)

沢渡朔さんに選んでいただいた写真を見る / レットヴィモ開始

3月19日(火)曇りのち晴れ

7時に目が覚めた時、少し瞼に違和感。目を開けようとすると押さえつけられる感じ。

微かだがレットヴィモのむくみと倦怠感が始まっている感覚。

昨日と同じ雑炊。9時にレットヴィモ80mg×2。

・・

沢渡朔さんの事務所に行って、選んでくださった写真をPCで見る。

正直、ずっと私の動きが美しくなくて失敗だったという悔恨に苦しんでいたのだけれど、

写真を見てびっくり。本当にすごかった。

さすが、写真の詩人、沢渡朔さん。

私が撮られているので、決して顔がきれいなわけでもなく、スタイルもまったく色気がないのだが、

まさに私らしくて、私ではない誰か

細い蔓の無数の曲線がうねる隙間から微かに見える誰か

髪の毛がなびく瞬間、身体がしなる瞬間、跳躍する瞬間、くずおれる瞬間、

森の中の移ろう黒いシルエットになったり

突然、森が白く燃え上がったり・・・

私の知っている大好きな枯れ蔓の森の世界でありながら、完全に「もうひとつの世界」になっていた。

すべてがさり気なく、まったくありきたりではないことに激しく打たれた。

そして「すごく自然でしょう。植物と一体になってるし。今回はすごく動いてくれたので、前に撮った時にはなかった写真が撮れた」と言ってくださった。

「福山さんがどうしても嫌だと言うのがあったら、それははずすから言って。」と言われ、

あまり距離が近いもの、顔や皮膚がはっきりしすぎているものは恥ずかしくて嫌だったのだが

「これ?だいじょうぶだよ。これいい写真だよ。」と。

「若く見えるし、子供が遊んでいるみたいでいいよ。」

きわめつけは「俺は福山さんが絶対気に入るものだけを選んだんだから。」と言われ・・・

沢渡さんが私の感覚を理解していると言いきってくださった、

あまりのかっこいい言葉に胸が詰まって、もう何も言葉が出なかった。

すべては沢渡朔さんのおかげ。

・・

そのあとローズヒップティーを飲みながらお話した。

最近製造中止になったチェルシーの昔のCM(私の大大大好きなサマンサが弟と出ていた)は沢渡さんが撮られたのですか、と質問すると、

あのCMは動画ではなくスチールを撮った、と。(ああ、見てみたい・・)

床に積んであった昔(70年くらい)のたくさんの写真パネル
Sdsc07754
(私が子供の頃に恋焦がれて、今も胸しめつけられる失われた情景)を少し見せていただいたり

お父様、沢渡恒(ひさし)さんのお話を伺ったりした。

上は沢渡恒さんが1934年に描かれた絵。下は1980年頃の沢渡朔さんの写真。
Sdsc07757

沢渡恒さんは文学者を志し、石川淳や稲垣足穂と交流があったが、

戦争末期に駆り出され、肺結核になり、35歳で亡くなられたそうだ。

「35歳って言ったら、まだ自分が何者かもわからない頃だよね・・・あの頃は酷かったね。戦争で負けるってわかってるのに日本全体が流されて・・・」ととても悲しそうに静かに言われた。

私の癌についても「福山さんはすごく夢中になれるものがあるからだいじょうぶだよ。」と言ってくださった。

 

3月18日(月)夕方強風 とても寒い

朝、8時頃雑炊を食べ、9時に初めてのレットヴィモ。80mg×2。

雑炊は玄米少々に卵、昆布出汁、紀州南高梅、鮭フレーク、三つ葉、海苔、わさび。

2時半に沢渡朔さんに電話。「写真を選ったので明日1時に事務所に見に来て。」と言われる。

夕方5時半に家を出て卓球へ。分子標的薬を始めるのでもしかしたら参加できないかも、とあらかじめメールでお伝えしていたS井さんに

「わあ、福山さん!来たんだ~」と喜んでいただけた。

まだなんの副作用も無し。

卓球はもうてきぱき動けなくなるかもしれない、とがんばって今日は試合で1番になった。

卓球が終わって自転車で帰宅する時間が強風でものすごく寒くて、指も顔も耳も冷えてがんがんした。

身体が冷えすぎると癌に悪い・・と不安になる。

夜8時頃にまた朝と同じあっさり雑炊。+イワシの南蛮漬け。

9時にレットヴィモ80mg×2。

 

 

 

 

 

|

2024年3月18日 (月)

沢渡朔さんと撮影

3月17日(日)21℃ 風やや強い

緊張して何度も目が覚めた。

7時すぎに起床。昨夜のリゾットの残りを茶碗に半分くらい食べ、お風呂に入る。

9時半に家を出て沢渡さんの事務所へ。

そこからアシスタントのS原さんの運転で沢渡さん宅へお迎えに行き、高速に乗って目的地へ。

「なかなか暖かい日がなかったけど、今日は暖かくなって本当に良かった。風もあるし。」と沢渡さんが窓を開けて手のひらで風を確かめながらおっしゃった。

沢渡さんのケイタイに電話が来て「ああ、カズオちゃん?」とお話されていた。

電話を切ってから「従兄弟。こないだ山形に行ったんで会ったんだよ。向こうの新聞に俺の親父のことが載ってね。」と。

沢渡さんのお父様は詩人だったと聞いている。

明日から分子標的薬を始めること、そうしたら副作用でむくみが出、倦怠感や吐き気、頭痛などで元気に走り回れなくなりそうなことをお伝えする。

「今日みたいなのは楽しいから病気にはいいんでしょ。」と沢渡さんはわかってくださっている。

現地には12時頃着。

朽ちた樹と枯れ蔓の絡まる中で撮影。

少し撮ってから「自分で写真を作っていって。」と言われ、じゅうじゅうわかっているはずなのに

すごく緊張してしまって、きれいな動きができない。

うまくできない自分がもどかしく、苦しい。

私はこれほどの憧れの人と相互作用で奇跡を起こせない自分を憎んでしまう。

けれど、とても楽しい、生きている感覚に充ちた一日。

 

これは手伝ってくれた友人が撮った休憩時の写真。
Sdsc07718 

きれいな蔓を見つけたらイケマの名残の鞘がついていたので歓喜。さっそく身に絡めた。

草原はまだまだノイバラの蔓が渦を巻くようにはびこっていて、もこもこちくちくして足を取られて小走りにも走ることができない。

樹の枝は棘だらけのサイカチが多く、それに絡まったカナムグラの蔓の細かい棘もやられ、

撮影が終わった時には手も腕も脚も足も引掻き傷だらけ。血だらけ。

イガイガトゲトゲだらけの草の上に倒れこんだりもしたのでもうたいへん。

一歩一歩が絡み取られるようなぼこぼこの草地を無理やり走ったので、帰り道ではふくらはぎが痙攣。

<

沢渡朔さんはいつでも自由でそよそよしていて、気取りのない芸術家で、ほんとうにかっこいい。

19年前にこことは別の廃墟(私がほれ込んだ場所)で撮っていただいてから、また沢渡さんと一緒に作業できた夢のような一日。

 

 

|

2023年11月11日 (土)

沢渡朔さんのためのロケハン / 額

11月8日(水)

沢渡朔さんが追加で私を撮りたいと言ってくださったので、蔓草の絡まる場所を探してロケハンに行った。

昔、私がドイツ人のシュテファンをモデルに写真を撮った場所。

まだ存在しているか心配だったが、少しずつ変容しつつ確かにそこにあった。

 土手の上から沼の上に翡翠(カワセミ)の青緑色が煌くのが見えた。翡翠は沼の縁と沼の中ほどの東独の上を行ったり来たりしていた。

 Sdsc06462

朱や黄に色づいてきたウルシやヌルデと、鋭い針坊主になりかけのアメリカセンダングサを避けながら藪の中を歩く。

Sdsc06489
道なき道を行き、私の好きな枯れ蔓が絡まる場所を発見する。

Sdsc06530

出版社のMさんと打ち合わせしてから来年3月くらいに撮ると言われているけれど、私はその頃元気でいられるのだろうか?

11月5日(日)

ご購入いただいた絵を保護するための額縁を見に行く。

私が最も気に入っている一番シンプルで安い額は、受注生産で、出来上がるまでに2,3か月かかると言われた。

 

|

2023年11月 5日 (日)

GALLERY工での個展の記録 6日目(10月30日)

10月30日(月)

今日は一番に鎌倉ドローイングギャラリーの瀧口眞一さんが来られてびっくり。個展が始まる数日前にあたふたと画集とともにご案内を差し上げたので、いらしてくださるとは思わなかった。

今までの経歴をまとめたファイルを見られて、イタリアのフェア、ドキュメンタリー(?)映画、台湾花王の洗剤パッケージの花のイラスト、詩の本の装丁など「いろいろなことをされているんですね。」と言ってくださった。

そして午後1時に沢渡朔さんとアシスタントの塩原さんが来られて興奮。

Sdsc06115_20231104234601

沢渡さんに撮っていただいた写真の展示のしかたが気に入っていただけるのか緊張していたが、「いいよ!写真の展示もいい!絵の展示もいい!」と言ってくださって「わあーい!」と跳ね上がった。

「写真の展示は足利市立美術館の篠原さんがやってくださったんですよ。」

「絵もいいよ~。すごく(値段が)安いね。銀座だったらこの何倍もする。銀座でやったら売れるんじゃない?10日じゃもったいないね、3か月くらいはやりたいね。」

沢渡さんが撮って下さった写真と私の絵を一冊の本にまとめる打ち合わせで来られたのだが、デザイナーのMさんが来られなかった。沢渡さんがMさんに電話すると、お父様が亡くなられたとのこと。

「本にするには写真の数が足りないんで、Mさんに、このギャラリーで、絵の前で(私を)スナップみたいに撮ったらどうかって言われたんだけど、俺は絶対それは嫌だって言ったのよ。撮るんならば作品にしたいって。」と沢渡さんに言われて痺れた。

「もう一度、ああいう枯れ蔓が繁茂するような場所で来春にでも撮ろうか」と言われ、もうあの廃墟には入れないだろうな、と思い、

「ああ、ありました!一カ所だけ。多摩のバードサンクチュアリが。」と、昔、私がシュテファン(『デッサンの基本』の折にモデルを探して、高円寺の通りで声をかけたドイツ人留学生)を撮った場所を思い出して提案した。

しかし数年前の台風で多摩川の中洲も流されて破壊されているかもしれず、個展が終わったらさっそくロケハンに行こうと思う。

「人から見られないようなところで、枯れ蔓や樹々の中でヌードを撮りたい」と言われ、ええ~!?いや、もうさすがに、それはちょっと・・・無理じゃないかと思うが?

20年近く前には「俺は女性を撮りたいんだ。脱がなくっていいんだ。笑わなくっていいんだ。」と言われ、ものすごく感動したが、本当に脱ぐことになるなら、現実問題として、その頃ならまだしもだったと思う。

しかし沢渡さんがそう言われるからには、何かお考えがあるのかもしれない。

Sdsc06168
斜め上に4枚連続でせり上がっていくように(足利市立美術館の篠原さんの構成により)展示されたのが、今年5月、右肺中葉を摘出した傷を沢渡朔さんに撮っていただいた写真。

肺切除する人の参考になるかもしれないので・・・下の写真は今年、3月24日に国立がんセンター中央病院で右肺中葉を摘出した手術の痕です。
Sdsc06242
撮影したのは5月17日。沢渡朔事務所の中の壁の前で。この頃はまだ傷が少し痛かった。(傷が小さいほど神経が残っているので痛いと執刀医に言われています)

私は肺癌ではなくて甲状腺癌からの両肺の粟粒状転移を長年保持していて、その右肺の粟粒の一部が今年になって急に大きくなり、急遽、手術したものです。(詳しくは3月、4月のブログをお読みください)


 そのあと卓球仲間のYさんが吟醸酒を持って来てくれる。(その場では飲んでいないけど、いつか一緒に飲みたい)

詩人の中本道代さんがいらして、いろんな詩人についてお話する。中本さんは真摯に正直にお話してくださる。

今村純子さんが女子美で教えた帰りにまた寄ってくださる。私に会えたことが「恩寵」だとも言ってくださって。

美術家の平田星司さんが来てくださって「丹生谷貴志さんのブログで私の名前を見たから」と。平田さんは私と同じ赤いヘルプマークの札をかばんにつけておられる。

平田さんは今日初めて知った方だが、篠原さんともお知り合いだそうで、帰宅して検索してみると静謐な作風に惹かれた。

 

 

 

 

|