廃墟

2025年4月10日 (木)

冷えると浮腫が酷く体調悪い、国立がん研究センター

4月5日(土)

久しぶりに国立へ。

並木の桜は今日がまさに満開。だけど人気のない枯れ蔓の這う倉庫のようなところに惹かれてしまう。

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菊科の立ち枯れの風情に惹かれて走り寄ってみると、危険なアメリカセンダングサ。

この種子は服や運動靴に刺さって、指で丁寧に抜いても小さな棘が残っていてずっとチクチクと刺す。

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原生林の陰に花びらの大きいニオイスミレが咲いていた。

明治時代の一般の人が描いたスケッチなどを売っているというコレノナというお店に行ってみたかったのだけど、休業中だった。

裏通りを周ると明治牛乳の隣にユニコーンブレッドという素敵なお店と魅力的な古いアパートを見つけた。

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「第一松葉荘」と「月朋荘」と書いてある。

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18時過ぎに国立の駅に戻るとピーィッという高くてきれいな声が鳴り響いていた。

見上げると数羽のツバメが飛んでいた。とてもかわいい。

駅の構内のスピーカーの上に巣をつくっているのだ。新しい建物なのに気に入られたみたい。
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この日も浮腫が酷く、使い捨てカイロを貼っていたのに冷えたのか、夜は悶絶するくらい胃腸の調子が悪かった。

4月4日(金)18℃

1日から3日間、冷たい雨だったが、桜の花は散らずにしっかりと枝にくっついていた。

私はあいかわらず浮腫が酷く、調子が悪い。
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椿は早生の木は落花してしまった。咲いている花は雨で茶色く傷ついている。晩生の木はまだつぼみ。

4月1日(火)雨5.8℃

真冬の寒さの中、国立がん研究センター中央病院へ。

12時過ぎに採尿、採血。13時半くらいに内科のH先生の診察。

一般検査の方で脱水と言われて驚く。ずっと家にいてお茶ばかり飲んでいるのに。

つまり下痢で脱水していたみたい。

あいかわらず食べると胃腸が痛くて、どんどんやせている。ロペミン(強い下痢止め)は1日2回ずつ飲んでいいと言われる。

Y本先生の診察は15時半くらいまで待たされた。

粉のプロテインも飲んだ方がいいと言われる。ブレンダーで作るバナナと小松菜と牛乳の生ジュースは飲みやすいが、プロテインを入れるとおなかが痛くなるので少しずつ。

一日に50gくらい蛋白質をとらないといけないのに、私はせいぜい25gくらいしか摂れていないみたい。

3月31日(月)

卓球の時だけは汗びっしょりになる。代謝が上がるのは嬉しいけど、食べられないのに運動するのは筋肉が余計落ちてしまうのでよくなさそう。

とりあえず豆乳を飲んでダークチョコをポリポリかじりながらがんばった。

気がつくと自分の右上腕の筋肉が落ちてしまっているのに愕然とする。

それ以上に太腿とふくらはぎの筋肉が落ちてしまってふらふらしている。

アートフェアの日に痛めた右腰が治っていない。冬に捻挫した左足の甲の外側の痛みがぶり返してきて足を引きずっている。

3月30日(日)
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先週は25℃を越えた日が3日もあったのに、急に寒さが戻ったせいか、身体が冷えて浮腫が酷くなる。

朝、眼が覚めた時に顔が冷えていて、瞼が分厚く重く、眼の奥と頭が痛くて、今日は酷い顔をしているとわかる。

眼の下の隈が真っ黒で、その隈の上がぶっくり腫れている。

食べると胃腸が痛くなるので食べられなくて、どんどん体温が低く循環が悪くなり、浮腫が酷くなっている感じ。

浮腫が酷いと頭が重くて、だるくてとにかく苦しい。

それでも春が来たので、植物を見に外に出かけた。

枝垂桜もソメイヨシノも咲きかけ。

枝垂桜の開花していない枝は極細の墨の線のようで、遠くから見ると灰色の靄で、鬱々としながらも甘やかさを感じさせる。

早咲きの椿はぼたぼたと落ちて地面を華やかにしていた。

油断して厚着していなかったので夕方に寒くて震えてしまった。冷たい風にあたるとさらに覿面に顔の浮腫が酷くなる。

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2024年12月 4日 (水)

西新宿 柳橋跡 廃屋

11月27日(金)

西新宿の家への荷物の配達を待つ間に、大好きな柳橋跡と羽衣湯の裏の丘を散歩。

柳橋は1世紀近くも前の橋で、西新宿5丁目駅から神田川に注ぐ古い暗渠の途中に残っている。

中学生の頃は、この暗渠の周りに何人もの同級生が住んでいた。

まだ奇跡的に残っているボロボロのアパート、なぜか溶岩がのっている塀の写真を撮るのを忘れた。

はっぴいえんどの「ゆでめん」のイラストが描かれた麺工場跡の貼り紙が無くなっていた。

『ああ荒野』でロケに使われた八百屋は閉まっていた。

羽衣湯の裏の丘へのぼるセメントで固めた急な坂。たくさんの輪っかの型押しがある坂はそうとう古い。

8月1日にこの坂を上った時にむせかえるように繁っていたカナムグラ(金葎)は3分の1ほどの量になったがまだ元気だった。

頂上の塀の中で煌いていた銀色の花穂と茎を持つタケニグサも、だいぶ枯れたがまだなまめかしく存在していた。

2つめのうんと狭くて魅力的な坂の手前、福山家よりもさらに古そうな廃屋は、屋根にブルーシートをかけられていたがまだ残っていた。

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この看板に驚嘆。電話番号が6ケタしかない。淀橋警察は1875年(明治8年)に設置され、今の新宿警察に名前が変わったのは1969年らしい。
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このガラスの擦れて曇った質感が、間近で見るとすごく美しくて、私はずっと見ていられるのだ。
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丘の上から下を覗くと懐かしい細い道。四角い飛び石。秘密の階段。私の友達は皆、こういう細い道の奥に住んでいた。
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枯れて細くなったヨウシュヤマゴボウの黒紫の実と黒猫。ラインステッチの白い刺繍はエノコログサ(ネコジャラシ)。
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どんな季節にも私はなまめかしさを見る。

広々とした自然よりも都会の猥雑な街の端っこの、わずかな土に展開される生命にたまらない愛おしさを感じる。

知られぬ風景、誰も見ようとしないもの。

私は新宿の、ほとんど息の根を止められそうでもまだしぶとく残っている古いものが本当に好き。武蔵野が好きだ。

もうほとんど伝説の中にしか残っていない「十二社(じゅうにそう)」の名前を私の生家の玄関に残そうと思う。

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