ホルスト・ヤンセン Horst Janssen
5月23日
『デッサンの基本』第19刷りを記念して、(ずっと胸の中にしまっていて、今まであまり書くことなかったのだが、)私が心から愛する素描家ホルスト・ヤンセンHorst Janssen について書きます。
Horst Janssenは、尊敬してやまない幾人かの過去の画家の中でも、私がもっとも愛情と憧れを感じる画家である。
彼に会いに行くこと、会えることをずっと信じていた私にとって、彼の急死の知らせは、卒倒、号泣するほどショックな出来事だった。今もまだ、彼の死について、彼に会えなかったことについて、胸がざわついて、それを自分に納得させることができない。
だから、彼の絵の魅力について、積極的に言葉を外に出したいと思うことができない。
Horst Janssen は版画家であるが、本人も言っているように根本的に「素描する絵描き」あるいは「描く素描家」である。
「わたしは絵描きである。――正確にいえば、素描する絵描き、あるいは描く素描家である。出発の時点からわたしは素描家であり、毎日――どんなときでも――止むことなく、つまり、ものを書くときにも素描する。すなわち、真夜中にも素描する。いうならば「セックスをする」ように素描する。わが性器は眼によってのみ屹立するのだ。さらに夢の最中にも素描する。夢をみながら、二百年も過去の素描の傑作をコピーするのである。そもそも素描なるものがわたしの夢なのだ。「いくつものイメージ」を素描する―― 一筆で充分――それで地平線ができあがる。わたしの恋人(ボベト)は、可愛らしい、かすれた声で「絵描きさん(Mein Maler)」とわたしに呼びかける。それこそわたしであり、他の何者でもない。」――ヤンセンのことば(水沢勉訳、1991年「HORST JANSSEN」展覧会図録より)
今私の部屋に貼ってあるHorstの自画像のポスター。
その横には枯れていく時間を幾度も素描した花たちがとってある。そろそろシバンムシが繁殖するので、暑くなる前に枯れ植物を捨てないといけない。
1999年にHorst Janssenの住んでいた家を見に行った。その時、思いがけず、ヤンセンのお孫さんが庭に出ていらして「ヤンセンのファンですか?私のおじいちゃんです。」と、声をかけてくださって、娘さんとお孫さんとお話しすることができた。
ヤンセンの娘さんに「ここに来てください。」と言われて訪れたヤンセンの作品を扱っている出版社にて。彼の版画の原板などが無造作に置いてあった。
たくさんあって目移りしてしまうヤンセンのポストカード。
ギャラリーにいた猫ちゃんと。
その時に買ってきた今私の部屋の壁にあるヤンセンの版画。右のタイトルは“Zwiebel”(たまねぎ)。
その旅ではオルテンブルクにあるHorst Janssenが眠る墓地も訪ねた。急に雨が降ったり、強い陽が射したり、激しく天気が変わる日だった。お墓の場所がわからず、駅に戻ったり、近くのバーにはいって人に尋ねまくったり、6時間くらいかかって、やっとHorstのお墓を見つけた。
これは隣にある母親(若くして亡くなった)の代わりにHorstをかわいがった伯母マルタのお墓。
これはHorstが生まれてから幼年期までを育てていたおばあちゃん、おじいちゃんのお墓。
やっと会えたHorst Janssenのお墓。私は旅の疲れで溶連菌に感染し、手に湿疹が出て包帯を巻いていた。
ヤンセンのお墓にチューリップを捧げ、泣きながらヤンセンの好きだったフランケンのワインを墓石にかけていたら、男の人が通りかかって話しかけられた。そのときに、今度オルテンブルグにヤンセン美術館ができるのだ、と教えられた。
のちに、ヤンセンの娘さんが手紙と新聞の記事のコピーを送ってくれて、その男の人がオルテンブルクの地方紙の記者で、私のお墓詣りの様子が記事に書かれていたことを知った。
その頃のハンブルクの港の倉庫街には素晴らしく魅力的な廃屋があった。
そばを犬が通り過ぎたお気に入りの写真。
2003年、 東京の「紙舗直」でのヤンセンのイベントにいらしたヤンセンの娘さんランメさんとヤンセンのかつての妻フェレナさんと。
17才のヤンセンの才能を見抜き、「君は偉大な素描家になるだろう」と言ったヤンセンの恩師アルフレート・マーラウのデザインしたお菓子をランメさんにいただいた記憶がある。
購入した本にサインをいただいているところ。
ヤンセンが素描に使っていた和紙も何枚か買ったが、もったいなくてまだ
使っていない。自分にとっての「素描」が、もっと自在に描けるようになってから使いたいと思う。
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